種別
業種
- ニデック 2026年 ニデック 岸田光哉氏の社長辞任と戒田理夫氏への継承:旧執行体制での財務報告をめぐる言動の確認と、再生委員会副委員長への社長交代 2026年 ニデック オアシスの株式取得:アクティビスト・ガバナンス改善要求 2025年 ニデック 会計不正の発覚:第三者委員会の設置と、目標必達を優先した業績管理がもたらした経営の破綻 2024年 ニデック 岸田光哉氏が社長就任:社外から迎えた経営者への交代と、集団指導体制への移行 2024年 ニデック 岸田光哉氏が社長執行役員最高経営責任者に就任、小部博志氏は取締役会長へ 2023年 ニデック TAKISAWAの子会社化:初のTOBによる完全子会社化と、買収を成長手段に据えた転換 2018年 ニデック 吉本浩之氏が代表取締役社長執行役員最高執行責任者に就任、永守重信氏は代表取締役会長最高経営責任者へ 2010年 ニデック Emerson Electric Co.のモータ・コントロール事業を買収 2006年 ニデック Valeo S.A.のモータ&アクチュエータ事業を買収 2003年 ニデック 三協精機の買収:経営不振に陥った精密機器メーカーを傘下に収めての立て直し 1997年 ニデック トーソクへの資本参加:企業買収による成長モデルの確立 1995年 ニデック 最終赤字に転落。HDD向け需要が一時的に減少 1994年 ニデック HDDモータへ集中:スピンドルモータ一本への絞り込みと、従来主力への依存からの脱却 1989年 ニデック 信濃特機を買収(HDD向けモータ) 1979年 ニデック HDD向けスピンドルモータの開発に着手 1973年 ニデック 精密小型モータで創業:資本金200万円からの出発と、米国経由の信用を足がかりにした世界シェアの獲得
- セブン&アイHD 2025年 セブン&アイHD クシュタールの買収に対抗:買収提案に対する資本政策の発動と、独立した経営の維持 2025年 セブン&アイHD クシュタール買収下の社長交代:買収提案と構造改革のさなかに、社外取締役を執行の頂点へ移す選択 2025年 セブン&アイHD クシュタールと統合破談:経営統合構想が実らずに終わり、独立した経営体制を続ける選択 2023年 セブン&アイHD バリューアクトが株主提案:株主提案を契機とするコンビニ事業を軸とした企業集団への収斂 2023年 セブン&アイHD そごう・西武を事業売却 2020年 セブン&アイHD 米スピードウェイ買収:取得原価2兆3,325億円を投じた北米コンビニ事業の規模拡大 2016年 セブン&アイHD 鈴木敏文退任と井阪隆一昇格:カリスマ会長の退任にともなう、社内昇格による新体制への移行 2016年 セブン&アイHD セブン&アイ・ネットメディアがニッセンHDを完全子会社化 2015年 セブン&アイHD イトーヨーカ堂40店閉鎖:祖業として続けてきた総合スーパー事業からの段階的な撤退戦 2014年 セブン&アイHD ニッセンHDを買収(TOB) 2006年 セブン&アイHD そごう・西武百貨店など11社が子会社に 2005年 セブン&アイHD セブン&アイHDを設立:3社共同株式移転による持株会社化と親子上場の解消 2005年 セブン&アイHD 東京証券取引所市場第一部に上場 1989年 セブン&アイHD ドミナント出店戦略:共同配送と単品管理を軸に組み上げた鮮度経営の確立 1974年 セブン&アイHD セブンイレブンの創業:米国から持ち帰った小型店をフランチャイズ方式で広げる展開
- エア・ウォーター 2026年 エア・ウォーター 有価証券報告書の提出延長:全社に及ぶ不適切会計と、子会社における資金横領の露見 2026年 エア・ウォーター 村上ファンド系による株式取得:突きつけられた増配と自己株取得の要求への対応の決断 2026年 エア・ウォーター 千歳喜弘氏が社長就任:社外取締役を社長に据え、現任取締役8名全員の退任と社外過半数の取締役会へ踏み込んだ体制刷新 2020年 エア・ウォーター 各地域事業会社を8社から3社に統合 2019年 エア・ウォーター コールケミカル事業を新日鐵住金と新日鉄住金化学へ譲渡 2012年 エア・ウォーター ゴールドパックを株式取得により完全子会社化 2007年 エア・ウォーター 日本海水に資本参加 2000年 エア・ウォーター 共同酸素と合併 1993年 エア・ウォーター 大同酸素と合併 1983年 エア・ウォーター エア・プロダクツ・アンド・ケミカルズと資本提携 1979年 エア・ウォーター 東京証券取引所市場第一部に株式を上場 1967年 エア・ウォーター 酸素オンサイトプラントを建設 1955年 エア・ウォーター LPガスの販売を開始 1944年 エア・ウォーター 堺工場を新設
- ホンダ 2026年 ホンダ 四輪電動化戦略の見直し:北米EVモデルの開発中止と、四輪事業1兆5,778億円の損失計上 2025年 ホンダ 日産との統合協議打切:経営の一体化構想へ踏み込みながら二カ月弱で引き返した判断 2021年 ホンダ 脱エンジン宣言:2040年までに四輪をEV・FCVへ全面転換する目標の設定 2021年 ホンダ スウィンドン工場の閉鎖:英国欧州完成車生産からの全面撤退 2021年 ホンダ 早期退職優遇制度導入:定年を65歳へ延ばした先の早期退職優遇と退職特別加算金429億円 2017年 ホンダ 狭山工場閉鎖し寄居集約:国内四輪生産を一拠点にまとめる生産体制の再編 2013年 ホンダ 埼玉製作所寄居工場が稼働 2002年 ホンダ 埼玉製作所和光工場の四輪車用エンジン生産を狭山工場へ移管 1995年 ホンダ RV集中と単独路線の堅持:規模拡大を追う再編に加わらず、提携に頼らぬ道を選んだ経営の立て直し 1989年 ホンダ 欧州統轄会社ホンダモーターヨーロッパを設立 1978年 ホンダ HAMによる北米現地生産:日本メーカーとして初めての四輪現地生産への踏み切り 1974年 ホンダ CVCCエンジンの開発:他社に頼らない独力開発と、石油危機下での四輪シェア逆転 1973年 ホンダ 河島喜好氏への承継:創業者2人の同時引退と、次代への経営の引き渡し 1960年 ホンダ 本田技術研究所を分社化 1959年 ホンダ 二輪車の北米輸出を積極化 1952年 ホンダ 二輪車の増産投資 1949年 ホンダ 藤沢武夫氏が参画 1948年 ホンダ 本田宗一郎の創業:創業——旧軍払下げの補助エンジンから始めた戦後二輪国産化 1946年 ホンダ 本田技術研究所の創業:旧軍払下げエンジンから起こした完成車への転身
- ソフトバンクG 2025年 ソフトバンクG 米Ampere買収で半導体強化:米国の半導体設計会社を65億ドルで取り込む事業基盤の強化 2025年 ソフトバンクG OpenAIへの巨額出資:AIインフラ「スターゲート」 2023年 ソフトバンクG アームがナスダックに上場 2020年 ソフトバンクG エヌビディアへのアーム売却:米——最大400億ドルの契約と、規制が壊した世紀のディール 2020年 ソフトバンクG エリオットの株主還元要求:4.5兆円資産売却・2.5兆円自社株買い 2019年 ソフトバンクG ソフトバンク・ビジョン・ファンド2が活動を開始 2017年 ソフトバンクG ビジョン・ファンドの組成:巨大ファンドによる投資会社への転身 2016年 ソフトバンクG 英ARM買収で最大M&A:IoT・AI時代を見据えた3.3兆円という過去最大規模の投資 2013年 ソフトバンクG 米スプリントの買収:大型買収を足がかりとした北米携帯市場への進出と海外展開の本格化 2012年 ソフトバンクG スプリント株の70%取得を発表 2010年 ソフトバンクG 「ソフトバンク新30年ビジョン」を発表 2004年 ソフトバンクG 福岡ダイエーホークスの買収:球団保有への進出 2004年 ソフトバンクG 日本テレコムの買収:固定・携帯通信への布石 2001年 ソフトバンクG Yahoo!BBでADSL参入:自前の通信インフラ事業への参入と、それが招いた経営の危機 1999年 ソフトバンクG 純粋持株会社に移行 1997年 ソフトバンクG 拡大路線への懸念:相次ぐ買収による急膨張と、それに向けられた市場の視線 1996年 ソフトバンクG 米ヤフーとの合弁設立:米国企業との共同出資による国内法人の設立と日本での事業展開 1986年 ソフトバンクG 孫正義氏が社長に復帰 1983年 ソフトバンクG 大森康彦氏が社長に就任 1981年 ソフトバンクG パソコンソフト卸売事業の立ち上げ:日本ソフトバンクの創業
- 三菱商事 2025年 三菱商事 米エーソンの全持分取得:5,200百万米ドルを投じて米国シェールガスの上流を押さえる資本配分の入れ替え 2025年 三菱商事 秋田・銚子沖の洋上風力撤退:総取りした国内洋上風力3海域からの撤退 2024年 三菱商事 監査等委員会移行と委員会分割:監査役会設置会社をやめ、決定の権限を執行へ委ね、諮問機関を二つに割った選択 2024年 三菱商事 ローソン共同経営化と日本KFC売却:連結で抱えた生活産業の2社を、共同経営と全量売却で持ち替えた選択 2019年 三菱商事 蘭エネコの共同買収:中部電力と8対2で組み、欧州の発電から小売りまでの全事業を抱える選択 2016年 三菱商事 チリ銅山アングロスールの減損:約4,200億円で握った銅権益を、市況低迷のなかで2,712億円減損した 2014年 三菱商事 セルマック社を買収(ノルウェー・サケ養殖) 2003年 三菱商事 日商岩井と共同新設分割でメタルワンを設立 2000年 三菱商事 ダイエーからローソン株取得:取引先からの株式取得と、資本業務提携への着手 1995年 三菱商事 GNPカンパニーからの脱却:社長主導のトップダウン型の改革として進めた経営体制の作り替え 1990年 三菱商事 米アリステック・ケミカル買収:日本企業初の大型LBOと6年越しの黒字化 1988年 三菱商事 チリのエスコンディーダ銅鉱山開発プロジェクト開始 1974年 三菱商事 TRI PETCH ISUZU SALES COMPANYを設立 1969年 三菱商事 ブルネイLNG開発参画:資源開発への参画を通じた、商いから事業投資への転換 1954年 三菱商事 不二商事など3社合併:創業——GHQに解体された旧三菱商事から1954年の四社合同 1918年 三菱商事 三菱の営業部門を「三菱商事」として分離
- NTT 2025年 NTT 監査等委員会設置会社へ移行:総務大臣の認可を経て監査役会を廃し、社外比率50%の取締役会へ組み替えた機関設計 2025年 NTT NTTデータの完全子会社化:上場子会社の完全買収による親子上場の解消とグループ統治の一本化 2024年 NTT 改正NTT法が成立 2021年 NTT 省庁関係者との会食問題:社外役員による特別調査委員会の設置と、会食ルールの策定による規律の引き直し 2020年 NTT NTTドコモの完全子会社化:完全子会社化による親子上場の解消 2019年 NTT One NTT体制の構築:海外システム構築事業の統合による国際事業の一本化と指揮系統の集約 2019年 NTT 次世代通信基盤「IOWN」構想を発表 2018年 NTT 全額出資子会社のNTTを設立 2010年 NTT エヌ・ティ・ティ・データがDimension Dataに公開買付けを実施 2001年 NTT 西日本電信電話が営業赤字に転落 2001年 NTT 約11万人の再配置計画を決議 2000年 NTT πシステムからFTTHへ移行:各家庭へ光を直結する固定網への切り替えを選んだ基盤投資 1999年 NTT NTTコミュニケーションズ設立:再編で生まれた新会社を足がかりとする国際通信への進出 1999年 NTT NTT東日本・西日本へ分社:民営化後も一体だった地域通信と長距離通信の切り分け 1998年 NTT NTTドコモの株式上場:稼ぎ頭を資金化しつつ過半出資で支配を残した資本政策 1988年 NTT データ通信事業の営業をエヌ・ティ・ティ・データ通信に譲渡 1985年 NTT 公社の民営化に伴い発足 1966年 NTT 電話の積滞が160万個に到達 1964年 NTT 電話加入者数が633万に到達 1952年 NTT 逓信省・電気通信省から電信電話事業を承継して発足
- MS&ADインシュアランスGHD 2025年 MS&ADインシュアランスGHD 監査等委員会設置会社への移行:社外取締役を過半数とし内部監査を監査等委員会の下へ置く機関設計の組み替え 2025年 MS&ADインシュアランスGHD あいおいニッセイ同和との合併:グループ内に併存してきた国内損保2社の統合による単一会社への集約 2024年 MS&ADインシュアランスGHD 損保業界の保険料調整問題で公正取引委員会から課徴金 2024年 MS&ADインシュアランスGHD 政策株式売却を加速、当期純利益が6,917億円に拡大 2023年 MS&ADインシュアランスGHD 企業保険の保険料調整行為:独占禁止法違反の処分を受けた損保2社の再発防止と政策株式の放棄 2015年 MS&ADインシュアランスGHD 英アムリンの買収:英保険大手の取り込みによるロイズ市場への本格参入と海外収益基盤の確保 2010年 MS&ADインシュアランスGHD あいおい損保とニッセイ同和損保が合併、あいおいニッセイ同和損害保険が発足 2009年 MS&ADインシュアランスGHD あいおい・ニッセイ同和を子会社化:損保3社の統合によるMS&ADインシュアランスグループの結成 2008年 MS&ADインシュアランスGHD 単独株式移転により三井住友海上グループHDを設立 2001年 MS&ADインシュアランスGHD 住友海上火災保険との合併:三社統合からの離脱と、財閥系2社による三井住友海上の発足 1993年 MS&ADインシュアランスGHD 住友海上が創業100年 1984年 MS&ADインシュアランスGHD 住友海上が単独開発した積立女性保険を発売 1974年 MS&ADインシュアランスGHD 大正海上が示談代行サービスを開始 1969年 MS&ADインシュアランスGHD 住友海上が初の積立型商品「長期総合保険」を発売 1956年 MS&ADインシュアランスGHD 大正海上がイギリスで元受け営業を開始 1944年 MS&ADインシュアランスGHD 大阪海上と旧住友海上の合併:大阪商船系の独立損保から、住友系損保の系譜への移行 1944年 MS&ADインシュアランスGHD 大阪海上と旧住友海上が合併し大阪住友海上火災保険を設立
- キヤノン 2026年 キヤノン 小川一登氏が社長就任:3度目の社長交代と、CEOを残したままの並走体制 2025年 キヤノン キヤノンメディカルの減損:医療機器事業ののれん1,651億円の減損と、本社との一体化への舵切り 2023年 キヤノン 全員男性の取締役会と賛成率低下:取締役候補を全員男性とした人事と、そのあとに続いた取締役会の組み替え 2016年 キヤノン 東芝メディカルの買収:6,655億円を投じた買収と、医療事業への本格的な参入 2015年 キヤノン Axis Communicationsを買収発表 2009年 キヤノン 蘭オセの連結子会社化:「自前主義」を返上した初の大型買収 1995年 キヤノン キャッシュフロー重視の経営:連結経営への移行と、外部依存を排する自前主義への転換 1981年 キヤノン バブルジェット記録方式の開発に成功 1977年 キヤノン 無配転落と事業部制の導入:事業部制による組織の再編と、事務機事業への経営資源の集中 1975年 キヤノン レーザープリンターの開発に成功 1970年 キヤノン 半導体製造装置を発表 1968年 キヤノン 普通紙複写機(PPC)分野に参入 1964年 キヤノン 事務機分野に本格参入 1957年 キヤノン カメラ不況により減収決算へ 1933年 キヤノン 精機光学研究所の発足:創業——医・証券・技術の三者結合が興した国産高級カメラ
- 丸紅 2026年 丸紅 指名委員会等設置会社へ移行:監査役会設置会社からの転換と、社外10名の取締役会・法定3委員会の新設 2025年 丸紅 GC2027で10兆円目標:時価総額目標を掲げた中期経営戦略の始動と、大本新体制の発足 2020年 丸紅 チリ銅権益の減損:資源投資の含み損を一括処理したうえでの、18年ぶりの最終赤字計上 2016年 丸紅 当期純利益622億円まで減少し 2013年 丸紅 米ガビロンの買収:穀物大手の取り込みと、穀物事業のヴィテラへの売却 2002年 丸紅 勝俣宣夫の不良資産処理:業績不振からの再建をめざした財務基盤の立て直しと不良資産の処理 2001年 丸紅 新設分割により伊藤忠丸紅鉄鋼へ鉄鋼製品の営業を承継 1992年 丸紅 子会社見直しと原油ディーリング清算:財テクによって生じた損失の後始末と、経営体質の立て直し 1987年 丸紅 「強い商社」への再生:収益体質の歪みを社内に名指しし、稼ぐ力の回復を軸に据えた経営の立て直し 1976年 丸紅 ロッキード事件への関与:先行きの見通せない環境に踏み出した商社の再出発と経営の立て直し 1966年 丸紅 東通と合併 1955年 丸紅 高島屋飯田と合併し「丸紅飯田」に商号変更 1949年 丸紅 丸紅として再発足 1941年 丸紅 三興が発足 1858年 丸紅 伊藤忠からの再独立:15歳の近江商人が開いた「紅忠」から、分離を経て別会社として立つまでの歩み
- 京セラ 2026年 京セラ モニタリングボードへの移行:監査役会設置会社からの転換と、社外取締役が過半数を占める取締役会 2025年 京セラ KDDI株売却と計画撤回:中期経営計画の取り下げと、非中核事業の整理 2021年 京セラ ケミカル製品のUL認証不正:半世紀近く続いた試験サンプルのすり替えと、外部委員会による全容の解明 2019年 京セラ 空圧・電動工具でグローバル展開 2012年 京セラ 液晶ディスプレイのオプトレックスを子会社化 2008年 京セラ 三洋電機の携帯電話事業を取得(通信機器) 2000年 京セラ 米クアルコムの端末事業承継:携帯電話端末事業の引き受けと、6期連続赤字という代償 1996年 京セラ セラミックパッケージの素材転換に失敗 1990年 京セラ AVX Corporationを株式交換で子会社化 1984年 京セラ 第二電電(DDI)設立:中心的な出資者として担った、通信の新規参入事業者の立ち上げ 1982年 京セラ サイバネット工業・クレサンベール・日本キャスト・ニューメディカルを吸収合併 1976年 京セラ 米国預託証券を発行 1969年 京セラ 積層パッケージの量産投資・世界シェア70%を確保 1966年 京セラ IC向け基板をIBMに納入 1959年 京セラ 京都セラミックとして設立:設立と、持株第4位の技術者が経営の実権を掌握するま
- ツルハHD 2025年 ツルハHD ウエルシアと経営統合:株式を対価に売上高で上回る同業を取り込み、のれんを抱えて得た規模 2025年 ツルハHD イオンの子会社化:同業との統合と引き換えに受け入れた、親会社の傘下への移行 2020年 ツルハHD グループシナジー路線へ転換:グループ共通のプライベートブランドと商品調達の統合による、事業会社の強みとの両立 2017年 ツルハHD 杏林堂グループ・HD(浜松市中央区)を子会社化 2013年 ツルハHD ハーティウォンツ(広島市中区)を子会社化 2007年 ツルハHD くすりの福太郎など買収:連邦型M&Aによる全国チェーン化 ── くすりの福太郎からドラッグイレブンまで 2005年 ツルハHD ツルハHDに商号変更 1995年 ツルハHD ジャスコと業務・資本提携契約を締結 1989年 ツルハHD ツルハが全店POSレジを導入し店舗数100店に到達 1975年 ツルハHD クスリのツルハコントロールセンターを旭川市に設立 1963年 ツルハHD ツルハ薬局を設立 1956年 ツルハHD ツルハ薬局に屋号変更 1929年 ツルハHD 鶴羽薬師堂を創業
- デンソー 2026年 デンソー ローム株式取得提案の撤回:パワー半導体の垂直統合をめざした株式取得提案と、その取り下げ 2025年 デンソー 日本特殊陶業へスパークプラグ譲渡:スパークプラグと排気センサの国内外事業を1,806億円で専業メーカーへ渡す判断 2020年 デンソー 燃料ポンプ大規模リコール:樹脂製インペラの不具合による回収と、2,297億円の製品保証引当金繰入 2020年 デンソー トヨタ自動車から広瀬製作所を譲受 2017年 デンソー 富士通テンを買収 2010年 デンソー 大阪証券取引所を上場廃止 2007年 デンソー デンソー・インターナショナル・アジアを設立 1999年 デンソー トヨタ系列下で自立模索:親会社の支配力強化と、系列見直しのなかでの独自路線の模索 1980年 デンソー 冷暖房機器(カーエアコン)の売上が急拡大 1974年 デンソー 高棚製作所を新設(安城市) 1967年 デンソー 安城工場を新設(安城製作所) 1958年 デンソー 電気洗濯機から撤退 1953年 デンソー ボッシュとの資本業務提携:外部の品質基準と製品領域を借りることで築いた技術自立の土台 1950年 デンソー 企業再建案を発表。473名の解雇 1949年 デンソー 日本電装を設立
- 亀田製菓 2025年 亀田製菓 MGCの全株式譲渡:保有していた米国子会社 Mary's Gone Crackers からの撤退 2025年 亀田製菓 TH FOODSの完全子会社化:残り50%の取得による、合弁から単独経営への切り替え 2025年 亀田製菓 自社ブランド事業から撤退 2023年 亀田製菓 中長期成長戦略2030策定:売上成長を追うのをやめ、主力4ブランドへの絞り込み 2019年 亀田製菓 マイセン・マイセンファインフードを子会社化 2012年 亀田製菓 康師傅との合弁を解消 2012年 亀田製菓 Mary's Gone Crackers, Inc.を子会社化 2005年 亀田製菓 康師傅控股有限公司との合弁で天津亀田食品有限公司を設立 1996年 亀田製菓 主食米の販売を開始 1987年 亀田製菓 亀田第二工場(現・亀田工場(工業団地))を新設 1976年 亀田製菓 白根工場を新設 1962年 亀田製菓 本社を新設移転 1957年 亀田製菓 亀田町農産加工農業協同組合を母体に亀田製菓を設立
- TOPPAN(凸版印刷) 2025年 TOPPAN(凸版印刷) 米Sonocoの事業取得:軟包装・熱成形容器事業に1,826百万米ドルを投じた北米軟包装の面化 2025年 TOPPAN(凸版印刷) テクセンドの東証上場:半導体フォトマスク事業の分社化と、プライム市場への切り出し上場 2023年 TOPPAN(凸版印刷) TOPPANHDへ改称:創業123年で掲げてきた「凸版印刷」の看板を外す持株会社化 2019年 TOPPAN(凸版印刷) 図書印刷を完全子会社化 2019年 TOPPAN(凸版印刷) INTERPRINT GmbHを買収 2014年 TOPPAN(凸版印刷) 群馬センター工場を新設 2009年 TOPPAN(凸版印刷) 初の純損失▲77億円を計上 2008年 TOPPAN(凸版印刷) シンガポールSNP Corporationを買収 1998年 TOPPAN(凸版印刷) トッパン・フォームズが東京証券取引所一部に上場 1981年 TOPPAN(凸版印刷) 澤村嘉一氏の急逝により鈴木和夫氏が社長に就任 1975年 TOPPAN(凸版印刷) 福崎工場を新設 1965年 TOPPAN(凸版印刷) Moore社との合弁でトッパン・ムーア・ビジネスフォームを設立 1945年 TOPPAN(凸版印刷) 空襲で本社と下谷・本所の両工場を焼失 1923年 TOPPAN(凸版印刷) 関東大震災で本所分工場が全焼、本社工場も類焼
- JT 2026年 JT 筒井岳彦氏が社長就任:JT International S.A. の経営に6年携わった後任への引き継ぎと、8年続いた体制の終わり 2025年 JT 鳥居薬品を塩野義へ譲渡:参入から38年を数えた医薬事業からの撤退と、子会社ごとの譲り渡し 2024年 JT Vector Group Ltd.を取得 2018年 JT プルームで加熱式参入:先行を許した市場への後発参入と、そこからの巻き返し 2015年 JT ナチュラル・アメリカン・スピリット買収:米国外の商標権と販売会社9社の約5,922億円での取得による高価格帯の柱づくり 2015年 JT 飲料事業から撤退(飲料事業部の廃止) 2013年 JT 「マイルドセブン」を「メビウス」に刷新 2007年 JT 英ギャラハーの買収:75億スターリング・ポンドを投じて手にした欧州とロシアの柱 2003年 JT 国内工場の一斉閉鎖:好業績のうちに踏み切った工場の大量閉鎖と4,000人の削減 1999年 JT RJRナビスコ事業の買収:米国外たばこ事業だけを77億9,000万ドルで手に入れる取得 1998年 JT 鳥居薬品を公開買付で過半数取得 1985年 JT 専売公社の株式会社化:公社から日本たばこ産業への衣替え 1982年 JT 専売公社の民営化を検討開始 1977年 JT たばこ工場の集約再編を開始 1957年 JT ホープ(10)を発売 1949年 JT 日本政府により日本専売公社を設立
- 日本製鉄 2025年 日本製鉄 3Dの経営批判に対峙:コングロマリットディスカウント論と社長再任反対キャンペーンへの反論 2025年 日本製鉄 USスチールを完全子会社化:政治の壁を越えて完遂した約2兆円のクロスボーダー買収 2025年 日本製鉄 米大統領がUSスチールの買収禁止命令を発出 2023年 日本製鉄 呉製鉄所を閉鎖 2023年 日本製鉄 USスチールの買収を発表 2019年 日本製鉄 日本製鉄に商号変更 2016年 日本製鉄 日新製鋼を子会社化:鋼材デフレ下での国内4位の取り込みによる高炉再編 2016年 日本製鉄 日新製鋼の子会社化を発表 2012年 日本製鉄 住友金属工業と統合:株式交換と吸収合併の二段階手続きで住金を取り込み、新日鐵住金が発足 2011年 日本製鉄 住友金属工業との経営統合を発表 2007年 日本製鉄 ミタルと提携し資本防衛:世界最大手の攻勢に備えた提携覚書の締結と、3社連合による資本防衛 2007年 日本製鉄 住友金属工業・神戸製鋼所との3社連合を強化 2006年 日本製鉄 ミタルがアルセロールを買収 1999年 日本製鉄 LSI事業部を廃止し半導体から撤退 1998年 日本製鉄 粗鋼生産の世界首位から転落 1988年 日本製鉄 釜石製鉄所の高炉を停止 1987年 日本製鉄 第4次合理化で能力賃金導入:管理職の処遇を年功から実力本位へ改める人事制度の転換 1987年 日本製鉄 営業損失200億円を計上 1978年 日本製鉄 第1次合理化案を発表 1970年 日本製鉄 八幡・富士の統合摩擦:合併後の内部統合の難航と、旧2社の並立が生んだ組織の軋み 1970年 日本製鉄 八幡と富士が合併:鉄鋼二社の統合による新日本製鐵の誕生(1970年成立) 1969年 日本製鉄 富士製鐵との合併を正式発表 1969年 日本製鉄 公正取引委員会が合併中止を勧告 1958年 日本製鉄 公開販売制度が発足 1950年 日本製鉄 過度経済力集中排除法により日本製鐵が解散 1934年 日本製鉄 官営八幡製鉄所と民間5社の合同により日本製鐵を設立 1901年 日本製鉄 官営八幡製鐵所が操業を開始
- 太陽HD 2026年 太陽HD KKRによる非公開化:多角化の主導者を株主が退けた末の、市場からの退出の受け入れ 2025年 太陽HD オアシスが取締役解任を提案:解任議案は否決されながら、筆頭株主の反対で社長の再任が46.09%で覆った総会 2025年 太陽HD オアシスの株主提案で佐藤英志社長の取締役再任が否決 2024年 太陽HD 国内のシステム開発事業の会社「アペックス」を子会社化 2017年 太陽HD 太陽ファルマ設立し医薬品参入:電子材料一辺倒からの脱却を狙った医療・医薬品事業への参入 2010年 太陽HD 佐藤英志氏が社長就任:公認会計士出身のトップ登用と、持株会社制への移行による統治の組み替え 2010年 太陽HD 太陽HDに商号変更 2001年 太陽HD 東京証券取引所市場第一部に株式を上場 1999年 太陽HD TAIYO INK INTERNATIONAL(SINGAPORE)PTE LTDを設立 1988年 太陽HD 大韓民国にプリント基板用部材等の製造販売会社「韓国太陽インキ製造」を設立 1973年 太陽HD エポキシ樹脂系熱硬化型一液性ソルダーレジストインキの開発に成功、販売を開始 1953年 太陽HD 印刷用インキの製造販売を事業目的に太陽インキ製造を設立
- 古河電工 2025年 古河電工 監査等委員会設置会社への移行:監査役会を畳んで監査を取締役会の内側へ移し、業務執行の決定を経営陣へ委ねる体制へ 2025年 古河電工 TOTOKU・UACJなど売却:銅管・巻線・電池を含む非中核事業の切り離しと、データセンター向け光事業への集中投資 2025年 古河電工 光ファイバ・ケーブル事業を再編しLightera発足 2024年 古河電工 UACJ株式の一部を譲渡し持分法適用から除外 2018年 古河電工 東海理化子会社との製品リコール関連訴訟で特別損失計上開始 2013年 古河電工 古河スカイと住友軽金属の統合:軽金属部門を担う連結子会社を統合新会社へ預け、支配ではなく持分で持ち続けた選択 2013年 古河電工 古河スカイが住友軽金属工業を吸収合併しUACJに商号変更 2010年 古河電工 光ファイバとワイヤーハーネスのカルテル:相次ぐ独占禁止法違反の摘発に対する第三者調査委員会の設置と、各国当局への向き合い方 2005年 古河電工 電力事業部門を持分法適用関連会社のビスキャスに営業譲渡 2003年 古河電工 OFSの業績悪化で1,140億円の最終赤字に転落 2001年 古河電工 米ルーセントの光ファイバ買収:ケーブル部門の取り込みによる世界シェア2位への浮上 1995年 古河電工 古河潤之助が代表取締役社長に就任 1981年 古河電工 古河金属工業を吸収合併 1971年 古河電工 三重工場を新設 1961年 古河電工 千葉電線製造所を新設 1958年 古河電工 平塚電線製造所を新設 1923年 古河電工 独シーメンスと富士電機設立:資本・技術提携にもとづく合弁会社の設立と、重電分野への足がかり 1920年 古河電工 古河鉱業から日光電気精銅所を取得し商号を古河電気工業に変更 1896年 古河電工 横浜に電線工場開設:足尾銅山の電気銅を自社で加工し製品に変える事業としての創業
- 日本精工 2026年 日本精工 NTNとの経営統合:共同持株会社の設立による同業との一体化 2025年 日本精工 ステアリング事業の全株買戻し:いったん分社し投資ファンドへ渡した過半株式の2年での取り戻し 2023年 日本精工 ステアリング事業をADTechに吸収分割、NSKステアリング&コントロール社に商号変更 2015年 日本精工 内山俊弘氏が10代社長に就任 2013年 日本精工 ベアリングカルテルの各国制裁:国内の課徴金納付命令には審判で争い、米欧中の罰金と制裁金は早期に受け入れた対応 2004年 日本精工 委員会等設置会社へ移行:2期連続の最終赤字を受けた、経営の監督と執行を分ける統治機構への作り替え 2003年 日本精工 純損失▲26億円、2期連続の最終赤字 2002年 日本精工 ITバブル崩壊で純損失▲176億円に転落 1990年 日本精工 英UPIの全株式取得:現地最大の軸受メーカーの取り込みと、中国・ポーランドへの生産拠点の設置 1987年 日本精工 NSK韓国社を設立 1977年 日本精工 豪州・英国・米国に工場設置:販売会社中心の海外展開から現地生産体制へ切り替える方針の転換 1964年 日本精工 ボルグワーナー社と合弁でNSKワーナー社を設立 1959年 日本精工 石部工場を設立 1937年 日本精工 藤沢工場を設立
- カカクコム 2026年 カカクコム LINEヤフーとの買収争奪戦:非公開化の是非をめぐる対抗提案の応酬と、買い手の選択 2025年 カカクコム 監査等委員会設置会社への移行:議決権を持つ監査等委員3名の設置と、うち2名による翌年の非公開化提案の審議 2022年 カカクコム 東京証券取引所プライム市場へ区分移行 2018年 カカクコム 電通が保有する株式をKDDIへ譲渡完了 2015年 カカクコム 求人情報の一括検索サービス「求人ボックス」を開設 2012年 カカクコム カルチュア・コンビニエンス・クラブが保有株式の一部を電通へ譲渡 2005年 カカクコム 価格.com不正アクセス事件:発覚を受けたサイトの全面閉鎖と、事業継続より信頼回復を採る選択 2005年 カカクコム 食べログの立ち上げ:価格比較に続く二本目の収益源としての、飲食店口コミ事業の育成 2002年 カカクコム KDDI傘下入りへの株主変遷:デジタルガレージ・CCC・電通と移り変わった資本の受け皿の変遷 1997年 カカクコム ウェブサイト「価格.com」を創設
- 名古屋鉄道 2026年 名古屋鉄道 名鉄百貨店本店の閉店:百貨店事業の店じまいと、名古屋駅地区再開発への資産の振り向け 2026年 名古屋鉄道 名鉄百貨店を解散し115億2000万円の債権を放棄 2025年 名古屋鉄道 名古屋駅地区再開発の見直し:事業化を決定した再開発計画の、施工難による再検証・見直しへの着手 2022年 名古屋鉄道 名古屋証券取引所のプレミア市場に移行 2012年 名古屋鉄道 鉄道センタービルが竣工 2005年 名古屋鉄道 中部国際空港線の新設:新空港の開港に合わせた常滑からの延伸と、空港アクセスの確保 1999年 名古屋鉄道 中部圏集中と不採算事業整理:多角化で広げた路線と関連会社の切り離し、本業への経営資源の絞り込み 1999年 名古屋鉄道 中部圏への資源集中に着手 1989年 名古屋鉄道 名古屋鉄道金山駅の営業開始 1979年 名古屋鉄道 豊田線(赤池・梅坪間)の工事が完成 1965年 名古屋鉄道 明治村など多角化経営:名鉄百貨店・バスターミナルを核とする多角化とグループ経営の構築 1957年 名古屋鉄道 名鉄ビル全館完成 1935年 名古屋鉄道 愛知電気鉄道を吸収合併 1921年 名古屋鉄道 名古屋電気鉄道の郡部線事業を譲受け
- コーエーテクモHD 2025年 コーエーテクモHD ゲーム事業と並ぶ資産運用:本業と並ぶ収益源に育った運用益による開発の当たり外れの吸収 2025年 コーエーテクモHD 襟川陽一氏の社長退任と鯉沼久史氏への継承:襟川夫妻が15年かけて仕込んだ引き継ぎの仕上がり 2020年 コーエーテクモHD コーエーテクモゲームスの本社を、移転 2017年 コーエーテクモHD "仁王"全世界販売本数100万本を突破 2014年 コーエーテクモHD "ゼルダ無双"を発売 2011年 コーエーテクモHD ガストを完全子会社化 2009年 コーエーテクモHD テクモとの経営統合:スクウェア・エニックスの買収提案を拒んだ対等な統合の選択 2008年 コーエーテクモHD テクモとコーエーが経営統合に関する「統合契約書」を締結 1996年 コーエーテクモHD テクモ、対戦格闘ゲーム"DEAD OR ALIVE"を発売 1986年 コーエーテクモHD テクモ、家庭用ソフト第一弾"マイティボンジャック"を発売 1983年 コーエーテクモHD 光栄、"信長の野望"を発売 1978年 コーエーテクモHD 襟川陽一が「光栄」を創業 1967年 コーエーテクモHD テクモの前身、日本ヨットが設立
- ENEOS HD 2025年 ENEOS HD JX金属の分離上場:石油元売りが抱えた半導体材料の切り出し 2025年 ENEOS HD Par Pacific・三菱商事とバイオ燃料製造販売事業に参入合意 2024年 ENEOS HD サクセッションプランの再構築:社長が6代続けて3年以内に退き、2年連続で経営トップが職を離れた会社が選んだ、指名の作り直し 2022年 ENEOS HD 和歌山製油所を閉鎖:製油所としての役割を終えた拠点の次世代燃料拠点への転換 2021年 ENEOS HD 再エネのJRE買収:再エネ専業ジャパン・リニューアブル・エナジーの1800億円買収——石油依存からの脱炭素シフト 2017年 ENEOS HD 東燃ゼネラルと統合:統合会社JXTGホールディングスの発足による国内元売りの再編 2015年 ENEOS HD 通期で初の大規模赤字転落 2012年 ENEOS HD 松下功夫が2代社長に就任 2009年 ENEOS HD 両社が株式移転による経営統合契約を締結 2008年 ENEOS HD 新日鉱と経営統合:新日本石油を母体とする共同持株会社JXホールディングスの設立 1999年 ENEOS HD 三菱石油と合併:合併による「日石三菱」の発足と、二つの系譜の一体化
- ヤマダHD 2026年 ヤマダHD エディオンとの経営統合:経営統合による家電量販首位連合の形成 2024年 ヤマダHD 指名・報酬委員会の新設:監査等委員会設置会社への移行と、役員人事と報酬の決定に社外の目を通す仕組みの設置 2021年 ヤマダHD 大塚家具の完全子会社化:父娘騒動で疲弊した名門家具の救済と取り込み 2020年 ヤマダHD ヤマダデンキ分社と持株会社化:家電販売を事業会社へ切り出し、暮らしまるごと戦略を統括するグループ経営会社へ 2019年 ヤマダHD 大塚家具を子会社化 2016年 ヤマダHD 山田昇氏の三度の社長交代:創業者が社長を託しては引き取る、9年におよぶ交代と復帰の反復 2015年 ヤマダHD 不採算46店の一斉閉店:一斉閉店を伴う構造改革 2012年 ヤマダHD ベスト電器の株式を取得 2011年 ヤマダHD ヒノキヤグループの子会社化:住宅事業への参入と「くらしまるごと」への多角化 2002年 ヤマダHD ダイクマの株式を取得 1998年 ヤマダHD 近畿地区第一号としてテックランド姫路店を開設 1987年 ヤマダHD 本社ビル完工・大型総合家電店「テックランド本店」を開設 1984年 ヤマダHD 前橋に流通センター新設:「ヤマダモデル」の確立 1973年 ヤマダHD 山田昇がヤマダ電化サービスを個人創業
- ソニー 2025年 ソニー ソニーFGをスピンオフ:株式の一部を残したままの分離と再上場という、部分的な切り出し 2022年 ソニー ホンダとEV合弁を設立:連結の外に置いた折半出資の合弁への技術の持ち込みと、モビリティへの踏み出し 2021年 ソニー 持株会社への移行:Purposeを軸とする体制と、祖業の商号の子会社への譲渡によるグループ本社への特化 2020年 ソニー フィナンシャルHDを完全子会社化:3,967億円を投じた公開買付けによる上場子会社の取り込み 2019年 ソニー サードポイントの事業分離要求:物言う株主の切り出し要求を退けたうえでの一体経営の堅持 2014年 ソニー VAIOと電池事業の譲渡:PC・電池・化学を資産と人員ごと手放し、五つの領域へ集中した構造改革 2012年 ソニー 過去最大の純損失を計上 2009年 ソニー ストリンガー氏が社長兼務:CEOと社長を一人へ集め、エレクトロニクスとゲームを一体で動かす体制への転換 2009年 ソニー 初の営業赤字・純損失を計上 2003年 ソニー エリクソンと携帯電話合弁:合弁会社の設立と、赤字下での追加出資による事業の継続 1994年 ソニー PlayStation参入:家庭用ゲーム市場への進出 1989年 ソニー コロンビア映画を買収:CBSレコードに続く連続買収と、ハードとソフトの垂直統合 1988年 ソニー CBS Records Inc.を買収 1979年 ソニー ソニー・プルーデンシャル生命保険を設立 1968年 ソニー CBS Inc.との合弁でシービーエス・ソニーレコードを設立 1955年 ソニー トランジスタ技術で米国輸出:他社の看板を借りず自社ブランドを掲げて輸出に踏み出す道の選択 1946年 ソニー 井深・盛田両氏が創業:資本金19万円で掲げられた「理想工場」という設立の理念
- 中部電力 2026年 中部電力 浜岡原発の基準地震動データ不正:再稼働申請の取り下げと、会長・社長の退任による経営体制の刷新 2024年 中部電力 監査等委員会設置会社へ移行:監査役会を廃し、議決権を持つ監査等委員と社外過半の取締役会が監督を担う機関設計へ 2023年 中部電力 電力カルテルの課徴金275億円:命令の取消訴訟を提起しながら、課徴金を特別損失へ計上した二正面の対応 2020年 中部電力 パワーグリッドとミライズへ分社:送配電・小売の分社化と持株会社体制への移行 2019年 中部電力 JERAへの既存火力発電事業統合:国内火力発電事業の全面移管による発電資産の切り出し 2015年 中部電力 東京電力とJERAを設立 2011年 中部電力 浜岡原発の全号機停止(菅首相の要請) 2008年 中部電力 浜岡1・2号機の廃炉:運転終了と隣接地への6号機新設という設備更新の選択 2005年 中部電力 浜岡1・2号機の運転終了を決定 2000年 中部電力 芦浜原子力発電所の計画断念:36年保ち続けた初の原子力立地の、三重県知事の白紙表明を受けた断念 1997年 中部電力 中電ビルが電気文化会館・電気ビルを吸収合併 1986年 中部電力 碧南火力発電所の新設:ガス火力の計画から海外炭の石炭火力への転換と、70万kW3基の建設 1981年 中部電力 川越火力発電所の新設:誘致を決議した町の埋立地への、超々臨界圧LNG火力2基の建設 1981年 中部電力 四日市火力4号系列の新設:石油関連企業の立地を拒んだ埋立地の条件解除と、中部電力初のコンバインドサイクルの採用 1976年 中部電力 浜岡原子力発電所1号機営業運転開始 1973年 中部電力 知多火力5・6号機のLNG導入:大気汚染の重い臨海部での増設を通した、中部電力初のLNG専焼火力の採用 1969年 中部電力 尾鷲三田火力3号機の増設:既設の公害を理由に止まった増設計画の、15年後の建設同意による再開 1967年 中部電力 浜岡原子力発電所の建設:芦浜の行き詰まりを受けた浜岡への立地の切り替えと、沸騰水型軽水炉1号機の建設 1965年 中部電力 渥美火力発電所の建設:国定公園の保安林に建てた大容量火力と、申し入れから着工まで9年を要した増設 1957年 中部電力 永楽不動産を設立
- 味の素 2026年 味の素 英パリサーのABF要求:株主が突きつけた「価値向上プラン」と、事業価値の顕在化を迫る圧力 2023年 味の素 中期ASV経営への転換:従来型の中期経営計画の廃止と、経営の枠組みそのものの入れ替え 2023年 味の素 バリュープライシング転換:相次ぐ価格改定の実施と、値付けの考え方そのものの組み替え 2022年 味の素 藤江太郎氏が社長就任:3代続けて同じ現地法人の社長を選び、選定の権限を社外取締役だけの指名委員会へ移した 2019年 味の素 ROIC13%超の目標設定:ROICを軸にした資本効率経営への転換と事業ポートフォリオの選択と集中 2019年 味の素 希望退職者を募集 2014年 味の素 ウィンザー・クオリティHEを買収 2003年 味の素 油脂事業をJ-オイルミルズに移管 1998年 味の素 半導体材ABFの育成:食品会社が世界シェア95%超を占めるに至ったパッケージ材事業の育成 1996年 味の素 肝疾患用分岐鎖アミノ酸製剤を発売 1989年 味の素 欧州・オニケム社を買収 1973年 味の素 ゼネラルフーズと提携 1963年 味の素 コーンプロダクツ社と提携 1960年 味の素 海外事業を本格化 1956年 味の素 協和発酵とMSG買取契約:うま味調味料の単品依存から総合食品企業への転換 1909年 味の素 味の素の販売開始
- NIPPON EXPRESSHD 2026年 NIPPON EXPRESSHD Metro社の買収を発表:欧州に続く北米での事業基盤の獲得に向けた、cargo-partner社に次ぐ大型買収 2023年 NIPPON EXPRESSHD アクセンチュアを提訴:新・国際航空貨物基幹システムの開発断念と154億円の全額減損 2023年 NIPPON EXPRESSHD cargo-partnerを買収:オーストリアの物流企業の取り込みによる、欧州・中東欧の事業基盤の獲得 2022年 NIPPON EXPRESSHD NIPPON EXPRESSホールディングス設立:単独株式移転による純粋持株会社体制への移行とグループ経営機能の分離 2015年 NIPPON EXPRESSHD ワンビシアーカイブズ株式取得 2010年 NIPPON EXPRESSHD ペリカン便撤退・宅配便事業から撤退 2009年 NIPPON EXPRESSHD JPエクスプレス設立・ペリカン便統合 2000年 NIPPON EXPRESSHD 郵政事業庁と宅配便連合:宅配便連合構想の提示と、共通ブランドをめぐる協議の開始 1995年 NIPPON EXPRESSHD 天宇客貨運輸服務有限公司(現・NX国際物流有限公司)設立 1981年 NIPPON EXPRESSHD ドイツ日通設立 1977年 NIPPON EXPRESSHD ペリカン便開始 1964年 NIPPON EXPRESSHD 東京オリンピックの運搬を担当 1950年 NIPPON EXPRESSHD 「日本通運法を廃止する法律」の施行により一般商事会社に 1941年 NIPPON EXPRESSHD 東京合同運送ほか56社を合併 1937年 NIPPON EXPRESSHD 日本通運法に基づき設立
- DeNA 2026年 DeNA 南場智子氏が社長就任:創業者による15年ぶりの経営復帰と、AIを軸にした事業モデルの変革 2021年 DeNA 岡村信悟氏が社長就任:10年ぶりの社長交代と、費用構造の筋肉質化による収益基盤の立て直し 2020年 DeNA MOV・JapanTaxi統合:タクシー配車アプリ事業を吸収分割で競合へ譲渡し、承継会社を38.39%保有の持分法適用会社として残した判断 2016年 DeNA WELQ問題で全サイト非公開:キュレーションプラットフォーム事業の全面停止と、事実調査を社外へ委ねた危機対応 2015年 DeNA 任天堂との資本業務提携:相互出資を伴う、スマートデバイス向けゲームの共同開発への着手 2012年 DeNA コンプガチャの自主廃止:主力の課金手法を規制の前に廃止し、業界6社の自主規制へ移した判断 2011年 DeNA 横浜ベイスターズの買収:ゲーム以外の看板を得るため、95億円を投じてプロ野球球団の運営を引き受けるという選択 2010年 DeNA 米ngmoco社の買収:開発会社の取り込みによる、世界向けソーシャルゲーム基盤の構築 2009年 DeNA 怪盗ロワイヤルの課金転換:広告収入に依存するモデルからアイテム課金へと収益源を移す転換 2006年 DeNA 「モバゲータウン」開始 1999年 DeNA ディー・エヌ・エー(DeNA)を設立
- 三菱UFJFG 2025年 三菱UFJFG 貸金庫窃取事件で立て直し:顧客資産をめぐる信用毀損への対応と、内部管理体制の作り直し 2024年 三菱UFJFG 元行員による貸金庫からの窃取を公表 2022年 三菱UFJFG ユニオンバンク売却:MUFG——米西海岸リテールからの撤退と法人取引への集中 2020年 三菱UFJFG 亀澤宏規氏が社長就任:三菱UFJ銀行の頭取を経ないトップの登用と、持株会社と銀行のトップ兼務の解消 2019年 三菱UFJFG バンクダナモン子会社化:インドネシア大手行の3段階での取得による議決権94.1%の掌握 2019年 三菱UFJFG First Sentier Investorsを子会社化 2015年 三菱UFJFG 法定三委員会の設置:監査役会設置会社から指名委員会等設置会社へ移り、持株会社の執行と監督を分けた 2013年 三菱UFJFG アユタヤ銀行をTOB買収:タイ大手行の取り込みによるアジア商業銀行基盤の獲得 2010年 三菱UFJFG モルガン・スタンレーと証券合弁:国内証券を共同出資の2社に分け、議決権と経済的持分を別々に設計した統合 2008年 三菱UFJFG モルガン・スタンレー出資:リーマン危機のさなかに踏み切った米投資銀行への90億米ドルの資本投入 2008年 三菱UFJFG UnionBanCal Corporationを完全子会社化 2005年 三菱UFJFG 三菱東京FGとUFJ統合:二つの持株会社の統合による新金融グループの発足(2005年成立) 1996年 三菱UFJFG 三菱・東京銀行の合併:二行の合併で発足した新銀行への一本化(1996年成立)
- ヤマハ 2025年 ヤマハ ヤマハ発動機株1,800万株を売却:政策保有株式の縮減と自己株式の取得・消却 2024年 ヤマハ 国内製造子会社の吸収合併:生産機能の国内集約 2023年 ヤマハ Cordoba買収で米ギター集約:相手方の全持分取得と、米国ギター事業のブランドの一本化 2015年 ヤマハ 半導体のファブレス化:製造事業の譲渡による自前工場の手放しと、電子部品事業の縮退 2010年 ヤマハ リビング事業の譲渡:住宅設備事業のカーブアウトと音・音楽への集中 2006年 ヤマハ レクリェーション事業の撤退:減損会計の適用による損失の一括計上と、抱えてきた事業の整理 2005年 ヤマハ 多角事業の整理 2000年 ヤマハ 最終赤字407億円に転落 1992年 ヤマハ 川上家支配の終わり:解任動議と創業家出身社長の退任宣言 1992年 ヤマハ 川上家が退任意向 1990年 ヤマハ 多角化路線の見直し:2期連続の減益を受けた事業の絞り込みと、減量経営への転換 1983年 ヤマハ マッキンゼー助言の事業部制導入:事業部制導入と社長直結の指揮系統 1971年 ヤマハ 半導体製造に本格参入 1962年 ヤマハ レジャー事業への参入:志摩・英虞湾の土地取得を起点とした事業領域の拡張 1955年 ヤマハ ヤマハ発動機を設立 1954年 ヤマハ ヤマハ音楽教室の開設:教室を通じて弾き手を育て、楽器需要そのものを作り出す市場の創造 1953年 ヤマハ 木材乾燥技術への投資:木材乾燥システム開発と量産品質の確立 1938年 ヤマハ プロペラの量産を決定 1927年 ヤマハ スト終息により経営再建 1897年 ヤマハ 浜松尋常小学校のオルガン修理:一台の修理を出発点とした国産楽器メーカーへの踏み出し
- 東京海上HD 2026年 東京海上HD 監査等委員会設置会社へ移行:不祥事を受けて置いたグループ監査委員会の機能を法定の監査等委員会へ集約し、執行への権限委譲と組織的監査を組み合わせた 2024年 東京海上HD 政策保有株ゼロ化:2029年度末までに上場株の残高をなくすと決め、取引関係を株式で結ぶ慣行を捨てた 2023年 東京海上HD 保険料調整事案と業務改善命令:子会社の独占禁止法違反で処分が重なり、適正な競争を阻害してきた業界慣行の解消に踏み込んだ 2015年 東京海上HD 米HCCの買収:898,012百万円を現金で投じ、成長の場を国内損保から米国のスペシャルティ保険へ移した 2013年 東京海上HD 永野毅氏が社長に就任 2008年 東京海上HD Philadelphia Consolidated Holdingを買収 2004年 東京海上HD 東京海上と日動火災が合併し東京海上日動火災保険が発足 2002年 東京海上HD 日動火災との経営統合:国内初の上場保険持株会社ミレアホールディングスの設立 1998年 東京海上HD 代理店8万店の販売網維持:料率自由化を前に直販へ踏み込まず、代理店経由の販売を軸に据える選択 1988年 東京海上HD 第3次オンラインの本格稼働 1977年 東京海上HD GoGo作戦の開始:序列の維持ではなく、創業100周年の1979年度に保険料収入5,500億円とシェア1%増を掲げた3年計画 1969年 東京海上HD 長期総合保険の発売:掛け捨ての補償に貯蓄性を足した長期商品への踏み出し 1969年 東京海上HD 積立保険(長期総合保険)の発売 1956年 東京海上HD 米国元受営業を再開(欧州は5月) 1945年 東京海上HD 終戦により海外営業網と在外資産を一切喪失 1944年 東京海上HD 旧東京海上・明治火災・三菱海上の3社合併で発足 1894年 東京海上HD ロンドン損失の半額減資:増資ではなく払込資本金の半額切り捨てを選び、引受量より危険の選別を取った英国営業の立て直し
- AZ-COM丸和HD 2025年 AZ-COM丸和HD 和佐見勝氏の52年社長続投:後継者計画を委員会に預けたまま、創業者一人が社長を続ける経営体制 2024年 AZ-COM丸和HD C&FロジのTOB失敗:低温食品物流の取り込みを狙った同意なき買付けと、下限に届かなかった応募 2022年 AZ-COM丸和HD AZ-COM丸和HDへ商号変更:純粋持株会社体制への移行による、事業会社と統括機能の切り分け 2022年 AZ-COM丸和HD ファイズHDの株式を公開買付にて取得し子会社化 2018年 AZ-COM丸和HD 国際トランスサービス・関東運送から商品個配事業を事業譲受けにより取得 2017年 AZ-COM丸和HD アマゾンジャパンとの取引開始:ECラストワンマイル当日お届けサービスの立ち上げと、最大手顧客の入れ替わり 2017年 AZ-COM丸和HD 配送車1万台体制の確立方針を発表 2014年 AZ-COM丸和HD 東京証券取引所市場第二部に上場 2008年 AZ-COM丸和HD ジャパンクイックサービスの全株式を株式交換にて取得し完全子会社化 1997年 AZ-COM丸和HD 東北丸和サービスを設立 1978年 AZ-COM丸和HD 丸和運輸機関に組織変更
- 神戸物産 2025年 神戸物産 ベトナムに現地法人設立:4か国目の現地法人のホーチミンへの設置と、社内システム開発の海外への移管 2021年 神戸物産 業務スーパーに直営店併設:FC専業からの脱却と、店頭実験の装置を手にする出店戦略の転換 2020年 神戸物産 クックイノベンチャー売却:外食関連11社の一括売却による、本業への経営資源の回帰 2018年 神戸物産 木質バイオマス発電所が稼働 2013年 神戸物産 ジー・コミュニケーション取得:クックイノベンチャーを受け皿にした外食10社の取り込みと外食への本格参入 2012年 神戸物産 兵庫の屋根で太陽光参入:自社施設の屋根29キロワットから始めた再生可能エネルギー事業 2012年 神戸物産 沼田昭二氏の社長退任と沼田博和氏への継承:創業者から次の世代へ、時間をかけて進めた経営の引き渡し 2008年 神戸物産 ウエボス・ターメルトフーズ取得:経営不振の食品メーカーを買い続けた国内自社工場網の構築 2006年 神戸物産 大阪証券取引所への無借金上場:資金を必要としない会社が選んだ2006年の株式公開 2000年 神戸物産 製販一体モデルの確立:食のSPAと呼ぶ、作って売るまでを自社で握る業態の確立 1992年 神戸物産 自社グループ工場として大連福来休食品有限公司を中国遼寧省に設立 1988年 神戸物産 フレッシュ石守稲美店を開業
- パナソニック 2025年 パナソニック グループ経営改革と1万人削減:中期戦略の未達を受け、国内外1万人規模の人員適正化に踏み込んだ固定費構造の改革 2023年 パナソニック オートモーティブシステムズ譲渡:全株式を手放しつつ持株会社に2割を残す形での車載事業の切り出し 2022年 パナソニック ブルーヨンダー買収し持株会社制:大型買収を機に事業ごとを独立させる「事業会社制」への組み替え 2021年 パナソニック Blue Yonderを完全子会社化 2014年 パナソニック テスラとの車載電池協業:ギガファクトリーへの生産設備ごとの踏み込みと、電池の主力の家電向けから自動車向けへの転換 2013年 パナソニック プラズマテレビから撤退:尼崎の専用パネル工場を止め、内製で画質を競う路線を畳んだ判断 2012年 パナソニック 巨額の純損失を計上 2009年 パナソニック MTPDのブラウン管カルテル:排除措置命令と欧州委員会の制裁金を争い、8年をかけて確定した独占禁止法違反 2009年 パナソニック 三洋電機の買収:リチウムイオン電池と太陽電池の技術を、のれん5,144億円を積んで取りに行く選択 2001年 パナソニック 「破壊と創造」の断行:長年の事業部制の解体と、グループ5社を取り込む組織の作り替え 1995年 パナソニック MCA社持分の80%をシーグラム社へ譲渡 1994年 パナソニック 事業部制への回帰:事業本部の廃止と、社長直轄へ現場を戻す組織の作り替え 1990年 パナソニック 米MCA買収し5年で売却:7800億円を投じた大型買収から短期で手を引く、方針の転換 1989年 パナソニック 創業者松下幸之助が逝去 1977年 パナソニック 山下俊彦氏の序列外抜擢:序列を飛び越えた社長人事による、年功に縛られない経営陣の入れ替え 1964年 パナソニック 熱海会談で販売制度改革:「松下電器が悪かった」と非を認めることから始めた代理店との関係の作り直し 1954年 パナソニック 日本ビクターと資本提携 1952年 パナソニック フィリップスと技術提携:「5分と5分、対等である」を貫いた条件交渉と、対等での技術導入 1933年 パナソニック 事業部制の導入:製品別に分けて独立採算とする、自主責任経営への組織の組み替え 1918年 パナソニック 松下幸之助氏、ソケットで創業:売れない改良品を抱えたままの独立と、電気器具製作所の設立
- 資生堂 2025年 資生堂 米州事業の縮小と希望退職:米州事業ののれん減損と二期連続の赤字 2024年 資生堂 指名委員会等設置会社へ移行:監査役会の廃止と、CEOの選解任・報酬の決定を独立社外取締役へ委ねる体制への組み替え 2021年 資生堂 パーソナルケア事業の売却:日用品の一角を手放すことによる、事業の重心の絞り込み 2021年 資生堂 米国3ブランドを売却 2017年 資生堂 ゾートス社をヘンケル社に譲渡 2014年 資生堂 魚谷雅彦氏が社長就任:外部のプロ経営者に経営を委ねる決断と、「VISION 2020」の始動 2010年 資生堂 米ベアエッセンシャル買収:初の大型クロスボーダーM&Aとなった海外ブランドの取り込み 2006年 資生堂 TSUBAKI集中投資:多品種の分散をやめ、少数の大型ブランドに資源を配分する戦略への転換 2001年 資生堂 ブランドの集約:散らばった商標の絞り込みによる、チェーン店の立て直し 1997年 資生堂 再販価格維持の撤廃:定価を守る仕組みを捨て、価格決定を売り場に委ねる転換 1996年 資生堂 ヘレンカーチス社の北米プロフェッショナル事業を買収 1991年 資生堂 中国・北京麗源公司と資生堂麗源化粧品有限公司を設立 1987年 資生堂 販社改革・在庫回収 1975年 資生堂 掛川工場を新設 1965年 資生堂 資生堂コスメティックスを設立 1959年 資生堂 大船工場を新設 1923年 資生堂 チェインストア方式確立:販売会社方式と組み合わせた、店と流通を束ねる体制の確立 1897年 資生堂 化粧品に新規参入 1872年 資生堂 銀座の洋風調剤薬局で創業:西洋医薬の店売りから化粧品メーカーへ広がった事業の起点
- トヨタ自動車 2026年 トヨタ自動車 近健太氏が社長就任:就任3年での社長交代と財務出身トップの起用 2024年 トヨタ自動車 ダイハツ・日野の認証不正対応:グループ3社の不正を受けた開発・認証体制の引き取り 2023年 トヨタ自動車 佐藤恒治氏が社長就任:14年続いた豊田章男氏体制の非創業家の技術者への引き継ぎと、BEVの台数目標の積み増し 2020年 トヨタ自動車 パナソニックとの合弁でプライムプラネットエナジー&ソリューションズを設立 2017年 トヨタ自動車 マツダと資本業務提携 2011年 トヨタ自動車 トヨタ自動車東日本の新設:他社との統合ではない完全子会社3社の1社への統合と、東北の国内第3の生産拠点化 2010年 トヨタ自動車 米国リコール危機対応:市場処置費用の見積り方まで変えた品質保証体制の組み替え 2009年 トヨタ自動車 初の営業赤字・純損失を計上 2002年 トヨタ自動車 2010年グローバルビジョンの策定:市場予測の積み上げではない世界シェア15%を旗印に据えた、海外生産能力の先行拡大 2001年 トヨタ自動車 日野自動車を子会社化 1998年 トヨタ自動車 ダイハツ工業を子会社化 1995年 トヨタ自動車 国内シェア40%の死守:販売網の刷新より販促費と海外生産の拡大に資金を配った4年 1986年 トヨタ自動車 ケンタッキー工場の建設:合弁に頼らず北米で単独現地生産へ踏み出す決断 1984年 トヨタ自動車 GMとの提携でNUMMI設立:世界最大手と手を組むことで得た米国現地生産への足がかり 1982年 トヨタ自動車 製造・販売部門の合併:32年におよぶ工販分離体制の終わり 1966年 トヨタ自動車 カローラの本格投入:大衆車市場を狙った高岡工場への集中投資と量産体制の構築 1966年 トヨタ自動車 日野自動車工業と業務提携 1959年 トヨタ自動車 元町工場の建設:日本初の乗用車専門工場・量産体制への転換 1950年 トヨタ自動車 トヨタ自動車販売を設立 1937年 トヨタ自動車 豊田自動織機からの独立:織機メーカーの自動車部を母体とした国産量産車の事業化 1933年 トヨタ自動車 豊田自動織機製作所内で自動車研究を開始
- タイミー 2025年 タイミー スキマワークス買収:全株式の取得による、物流倉庫の業務請負分野への進出 2023年 タイミー みずほ等3行から借入:無担保・無保証の銀行借入による運転資金の調達と累計403億円の資金構成 2021年 タイミー 伊藤忠商事と営業支援に関する資本業務提携を開始 2020年 タイミー コロナで物流求人へ転換:求人主力の飲食から物流への転換と、倉庫内軽作業の開拓 2018年 タイミー スキマバイトサービス「タイミー」の提供開始
- ベイカレント 2026年 ベイカレント 人月単価の役職別一律化:顧客ごとの個別交渉をやめ、一律の基準で価格を決める仕組みへの転換 2024年 ベイカレント ベイカレントに商号変更:持株会社体制への移行と、コンサルティング・ITサービス両事業の分社 2024年 ベイカレント 持株会社化の分割準備会社2社を設立 2017年 ベイカレント フューチャーから人材引抜:競合企業の営業秘密の領得に関与したという事実の表面化 2016年 ベイカレント 東証マザーズへ上場:PEファンドの出口として設計された、投資回収のための株式公開 2016年 ベイカレント コンサル増員と単価引き上げ:上場直後の減益を受けた社長交代と、採用数と単価を同時に上げる成長モデルへの転換 2014年 ベイカレント Sunrise主導のMBO:創業者の持分縮小と、投資ファンドを主導役に据えた資本の組み替え 2012年 ベイカレント 萩平和巳氏が社長就任:創業者・江口新氏の退任と、経営コンサル出身者を迎えた外部登用 2004年 ベイカレント SIerから上流コンサルへ転換:発案者が自ら事業を立ち上げる社内独立の風土づくりと、事業構造の作り替え 1998年 ベイカレント ピーシーワークスを設立
- 任天堂 2025年 任天堂 Switch2の投入:主力ハードの世代交代と、次の商戦を担う後継機への切り替え 2022年 任天堂 株式10分割と自社株買い:自己株式の消却と1株10株の分割による、投資単位の引き下げ 2017年 任天堂 Nintendo Switchの発売:据置と携帯に分かれていた2つの製品ラインを1台へ集約する選択 2016年 任天堂 監査等委員会設置会社へ移行:社外監査役を取締役会へ移し、監督と執行を分けた機関設計の組み替え 2015年 任天堂 岩田聡氏の急逝と君島達己氏への継承:社長不在の2か月を代表取締役2名で凌ぎ、海外販売畑へ託した承継 2014年 任天堂 3DSとWiiUが不振・最終赤字に転落 2006年 任天堂 家庭用TVゲーム機「Wii」を発売 2004年 任天堂 携帯ゲーム機「ニンテンドーDS」を発売 2002年 任天堂 山内溥氏の社長退任と岩田聡氏への継承:山内溥氏から次世代への経営権の移譲 1998年 任天堂 ポケモン社の共同設立:共同出資による作品管理会社の設立と、IP経営への移行 1996年 任天堂 ソニー連合との決別:64ビット機NINTENDO64の単独開発という選択 1983年 任天堂 ファミコンの発売:本体を低価格に抑え、ソフトで稼ぐ家庭用ゲーム機の収益モデルへの転換 1975年 任天堂 レジャー機器の販売不振。過剰在庫により減収減益へ 1966年 任天堂 総合室内ゲーム企業を目指す方針決定 1961年 任天堂 ダイヤ交通など多角化の全敗:トランプ専業を脱するための多角化とその全敗 1959年 任天堂 ディズニープロ社からトランプの国内独占販売権を取得 1889年 任天堂 山内房治郎氏の花札製造:京都で興した手工の家業の始まりと、3代にわたる同族での承継
- ANAHD 2025年 ANAHD LIMの天下り禁止提案に反対:上場関連会社への役員派遣と共同保有の開示を定款で縛る提案の否決と、議決権行使の裁量の維持 2021年 ANAHD コロナ禍で過去最大の営業赤字 2020年 ANAHD コロナ禍の公募増資で再建:過去最大級の資本調達と事業構造改革による自力再建の選択 2017年 ANAHD ピーチを304億円で子会社化:独立系LCCの傘下入れによる低運賃市場への本格参入 2015年 ANAHD スカイマーク再建へ出資:経営破綻した独立系への少数出資と、連結に取り込まない距離の置き方 2013年 ANAHD ANAホールディングスへ移行:持株会社体制への移行とマルチブランド体制の構築 2011年 ANAHD エアアジア・ジャパン設立:格安航空(LCC)への参入と二ブランド体制の構築 2010年 ANAHD JAL破綻機に国際線拡大:競合の破綻を機とした、国内線中心の収益構造からの転換と路線網の組み替え 2009年 ANAHD 6期ぶりの純損失を計上 1999年 ANAHD スターアライアンスへ加盟:世界最大の航空連合への参加と「選択と集中」による経営再建 1986年 ANAHD 国際定期便の運航を開始(東京-グアム) 1978年 ANAHD 日本貨物航空を設立、ボーイング747型機を導入 1969年 ANAHD ボーイング737型機を導入 1958年 ANAHD 極東航空と合併 1952年 ANAHD 日本ヘリコプター輸送を設立
- イオン 2026年 イオン ダイエー東西2分割:関東の事業を吸収分割で切り出し、近畿は光洋との合併で残した食品スーパーの再編 2026年 イオン ダイエーの首都圏事業をイオンフードスタイルへ承継 2024年 イオン ツルハHD・ウエルシアHDと経営統合で合意 2021年 イオン フジを連結子会社化:中四国最大手との共同持株会社の設立による地域スーパーの再編 2021年 イオン 連結純損失710億円を計上 2019年 イオン カジタク不正会計の一括計上:孫会社の過年度の誤りを遡及修正せず、当期の損益で受け止めたグループの判断 2015年 イオン ユナイテッド・スーパーマーケットHD・カスミを子会社化 2014年 イオン ウエルシアHDを子会社化 2013年 イオン ダイエーの完全子会社化:完全子会社化が示した流通の世代交代 2011年 イオン マルナカ2社を子会社化:中四国トップの食品スーパーの取り込みによる地盤の獲得 2008年 イオン イオンリテール分割と持株会社化:総合スーパー事業を丸ごと会社分割で切り出し、戦略と事業を分けた純粋持株会社体制への移行 2008年 イオン 会社分割により純粋持株会社に移行 2007年 イオン イオン銀行が営業免許を取得 1997年 イオン 田中賢二氏が総会屋への利益供与事件で逮捕 1997年 イオン 岡田元也氏が社長に就任 1995年 イオン 大型SC開発に多角化:郊外大型ショッピングセンターの本格展開とデベロッパー事業への多角化 1989年 イオン グループ名称を「イオングループ」と制定 1988年 イオン 婦人服専門店チェーンのタルボット社を子会社化 1970年 イオン 5社合併でジャスコ発足:吸収ではなく対等合併という形の選択と、「連邦経営」の設計 1969年 イオン フタギ・シロとの共同出資で(旧)ジャスコを設立 1969年 イオン 三菱商事との合弁でダイヤモンドシティを設立 1959年 イオン 岡田屋に商号変更 1946年 イオン 岡田卓也氏が7代目当主として岡田屋呉服店の社長に就任 1758年 イオン 篠原屋から岡田屋への転換:四日市の天秤棒行商として始まり、屋号を変更して構えた店の出発点
- 豊田通商 2025年 豊田通商 時価総額向上への資本政策転換:新中期経営計画のもとでの、時価総額向上という経営課題の設定 2024年 豊田通商 台数依存からの構造転換:台数依存からの脱却と、売上10兆円規模の商社化 2022年 豊田通商 ユーラスエナジーHDを完全子会社化 2018年 豊田通商 Orocobreへの出資:リチウム・電池材料の川上資源確保——トヨタの電動化と一体の非鉄投資 2016年 豊田通商 親会社株主に帰属する当期純損失437億円 2012年 豊田通商 仏CFAOの買収:買収による現地流通網の獲得を通じたアフリカ市場への進出 2006年 豊田通商 トーメンとの吸収合併:資本提携から完全統合へ進めた経営再建中の商社の取り込みと総合商社化 2000年 豊田通商 加商と合併 2000年 豊田通商 トーメン・同社子会社の鉄鋼部門に関する営業の一部を譲り受け 1987年 豊田通商 商号の漢字を常用漢字に改め豊田通商に変更 1977年 豊田通商 東京証券取引所に株式を上場 1961年 豊田通商 名古屋証券取引所に株式を上場 1956年 豊田通商 商号を「豐田通商」に変更 1948年 豊田通商 豐田産業の商事部門を継承して「日新通商」を設立 1947年 豊田通商 豐田産業が持株会社整理委員会から持株会社に指定
- 住友商事 2025年 住友商事 監査等委員会設置会社へ移行:中期経営計画2026の実行加速へ、取締役会から経営執行へ権限を委ねる機関設計の変更 2025年 住友商事 エア・リース・コーポレーションの共同買収に参画 2025年 住友商事 SCSKの完全子会社化を決定 2024年 住友商事 エリオットの株式取得:中期経営計画2026での株主還元強化 2021年 住友商事 5大商社で唯一の最終赤字に転落 2020年 住友商事 バークシャー・ハサウェイが5%超の株式取得を公表 2015年 住友商事 アンバトビーの巨額減損:リスク回避路線からの転換と資源投資の膨張が招いた3,103億円の損失計上 2011年 住友商事 住商情報システムとCSKが統合しSCSKが発足 2010年 住友商事 ジュピターテレコムの争奪:公開買付けで議決権を40.1%へ高め筆頭株主を守った判断 2005年 住友商事 アンバトビーニッケル事業への参画を決定 1997年 住友商事 銅地金取引関連損2852億円を特別損失に計上 1996年 住友商事 浜中事件の損失公表:銅地金の不正取引の発覚に際し、当局への全面協力を最優先した危機対応 1991年 住友商事 事業投資への転換:「総合事業会社構想」——トレーディング依存から 1981年 住友商事 10年超の案件を避ける原則:10年以上の長期プロジェクトを手がけない原則の明示と、体力に見合った経営の徹底 1981年 住友商事 経常利益率0.38%で業界1位 1979年 住友商事 営業部門制を導入 1969年 住友商事 住商コンピューターサービスを設立 1962年 住友商事 商品本部制を導入 1952年 住友商事 住友商事に商号変更 1945年 住友商事 古田俊之助の商社禁令撤回:25年続いた不動産会社を母体とした商事部門の開設 1920年 住友商事 住友財閥が商社設立禁止を宣言
- 壱番屋 2026年 壱番屋 ハウス食品による非公開化検討:親会社による非公開化の検討と、上場子会社としての11年 2023年 壱番屋 竹井の買収:ラーメン・もつ鍋店の連続買収とカレーパン専門店の開業による業容の拡大 2017年 壱番屋 ハウスレストラン管理(上海)と台湾カレーハウスレストランを子会社化 2015年 壱番屋 ハウス食品の子会社化:創業家保有株23.17%の譲渡による独立経営の放棄 2014年 壱番屋 栃木工場にてレトルト製造ラインが本稼働を開始 2000年 壱番屋 浜島俊哉氏が社長就任:株式の店頭公開と創業者の引退、生え抜き社長への経営承継 1994年 壱番屋 ハワイ・オアフ島に「カレーハウスCoCo壱番屋」海外1号店をオープン 1981年 壱番屋 社員のれん分け制度「ブルームシステム(BS)」が発足 1980年 壱番屋 フランチャイズ1号店「カレーハウスCoCo壱番屋 稲沢国府宮店」を開店 1978年 壱番屋 「カレーハウスCoCo壱番屋 西枇杷島店」を1号店としてオープン
- 大成建設 2025年 大成建設 東洋建設をTOBで買収:海洋土木大手の取り込みと完全子会社化 2023年 大成建設 ピーエス三菱をTOBで買収:上場を残した過半取得と負ののれん 2018年 大成建設 リニア談合事件で起訴:公訴事実は独占禁止法違反に当たらないとして争う道の選択 2010年 大成建設 有楽土地を完全子会社化 2009年 大成建設 初の営業赤字・純損失を計上 1992年 大成建設 大成道路が大成ロテックに商号変更 1988年 大成建設 造注路線への機構改革:支店へ委ねた権限の本社への引き戻しと、受注待ちの請負体質を改める組織の組み替え 1979年 大成建設 本社を新宿区に移転 1965年 大成建設 大倉家支配解消と本部制移行:創業家個人による支配から、複数の役員による合議で決める体制への切り替え 1956年 大成建設 建設業界初の株式公開 1949年 大成建設 役員・従業員が全株式を譲り受け同族支配を解消 1946年 大成建設 大成建設に改称:財閥解体を経ての社名一新と、社員の会社としての再建 1873年 大成建設 大倉組商会として創業:大倉喜八郎氏による創業と、業界初となる「建設」の社名採用
- 大林組 2026年 大林組 豪州・英国・カナダのMultiplexの子会社化を発表 2025年 大林組 MWH機軸の積極M&A:佐藤俊美体制の始動と、北米を軸に据えた買収攻勢への転換 2025年 大林組 米国の建設会社GCONの株式取得を発表 2024年 大林組 データセンター事業への参入を発表 2023年 大林組 シルチェスターの提案否決:特別配当を求めた株主提案と、その後に動いた還元の目安 2023年 大林組 米国の水処理関連施設建設会社MWHを子会社化 2018年 大林組 リニア談合で第三者委員会設置:争わずに罰金と営業停止を受け、原因究明を外部へ預けた選択 2017年 大林組 大林道路を完全子会社化 2010年 大林組 初の営業赤字・純損失を計上 2008年 大林組 海外支店を開設 1994年 大林組 仙台市長への贈賄容疑で経営首脳が逮捕 1989年 大林組 大林芳郎氏の社長退任と津室隆夫氏への継承:大林家による45年の同族支配から非同族経営への転換 1975年 大林組 金沢支店を開設 1967年 大林組 東洋鋪装を大林道路に商号変更 1958年 大林組 高松支店を開設 1892年 大林組 阿波座で創業:乾物問屋の三男が商家の家業を離れて選んだ土木建築請負業への出発
- トクヤマ 2026年 トクヤマ 太平洋セメントへ販売譲渡:セメント・固化材の国内販売からの退出と、製造停止の検討着手 2024年 トクヤマ セメントキルン1系列を停止 2023年 トクヤマ OCIと合弁でマレーシア再進出:折半出資による半導体用多結晶シリコン生産の再開と、ベトナム子会社の設立 2017年 トクヤマ OCIへ全株譲渡し撤退:マレーシアの多結晶シリコン事業の減損確定と完全撤退 2016年 トクヤマ 純損失1006億円を計上 2013年 トクヤマ 純損失379億円を計上 2009年 トクヤマ 初の純損失を計上 2009年 トクヤマ Tokuyama Malaysia Sdn. Bhd.を設立 1996年 トクヤマ Tokuyama Electronic Chemicals Pte Ltdを設立 1989年 トクヤマ ゼネラル・セラミックス社を買収 1984年 トクヤマ 東工場でシリコン製造開始:多結晶シリコンと乾式シリカの二本立てによる新分野への参入 1983年 トクヤマ 電子工業用高純度溶剤(IPA・塩化メチレン)を発売 1978年 トクヤマ トーワ技研を設立 1966年 トクヤマ サンアロー化学を設立し塩化ビニール製造を開始 1952年 トクヤマ 徳山工場で電解苛性ソーダの製造を開始 1938年 トクヤマ 徳山工場で湿式法ポルトランドセメント製造を開始
- リガク・HD 2026年 リガク・HD 米Ontoと資本業務提携:カーライル系ファンドが保有する株式27%の提携先への移管と、株主構成の入れ替え 2026年 リガク・HD Atom Investment による株式2,958万株の売出し 2024年 リガク・HD 東京証券取引所プライム市場に上場 2023年 リガク・HD 川上潤氏が代表取締役社長に就任 2021年 リガク・HD カーライルとの共同出資:ファンドへの株式譲渡と、創業家持分約20%を残す形での資本再編 2019年 リガク・HD XwinSysの買収:イスラエル企業の取り込みによる、半導体量産ラインのX線計測への参入 2015年 リガク・HD アジレント・テクノロジーズのX線回折事業を買収 2014年 リガク・HD 米国テキサス州に Rigaku Americas Holdings Company を設立 2008年 リガク・HD リガクが理学電機工業を統合 2004年 リガク・HD 理学電機がリガクを統合し社名をリガクへ変更 1996年 リガク・HD 米国テキサス州の Molecular Structure Corporation を買収 1989年 リガク・HD 東京都昭島市松原町に理学メカトロニクスを設立 1978年 リガク・HD 超強力X線発生装置 RU-1500 を開発 1971年 リガク・HD 米国マサチューセッツ州に営業所 Rigaku USA を開設 1961年 リガク・HD 大阪府高槻市赤大路町に理学電機工業を設立 1957年 リガク・HD 自動記録式熱分析装置を開発 1951年 リガク・HD 国産X線装置の製造販売を目的に東京・有楽町で理学電機を設立
- ダイキン 2026年 ダイキン エリオットの大株主入り:「FUSION30」の資本政策転換 2024年 ダイキン 竹中直文氏が社長就任:前任の井上体制から離れる世代交代と、新たな経営体制への引き継ぎ 2019年 ダイキン 欧州AHTクーリングシステムズを買収 2012年 ダイキン 米Goodmanの買収:買収を足がかりにした北米住宅用空調への本格参入 2011年 ダイキン 冷媒R32特許の無償開放:独占を捨てて普及を優先する、微燃性冷媒をめぐる知財戦略 2006年 ダイキン OYL社を買収 2001年 ダイキン トレーンと包括的グローバル戦略提携に合意 1999年 ダイキン 製造販売に本格投資・買収で販売網を形成 1997年 ダイキン 上海合弁で業務用に集中:中国での業務用高価格帯への集中という差別化戦略 1994年 ダイキン 空調抜本改革計画の立案:多角化の中止と、主力一本への経営資源の集中 1988年 ダイキン ココム違反により家宅捜索へ 1975年 ダイキン 経常赤字23億円に転落。700名を人員整理 1963年 ダイキン 社名を「ダイキン工業」に変更 1952年 ダイキン 朝鮮特需で空調へ転換:砲弾でつかんだ資金を元手とする、化学と冷熱機器への業態の組み替え 1945年 ダイキン 敗戦により生産縮小・1.6万名を解雇 1935年 ダイキン フロンの開発に成功
- KDDI 2026年 KDDI ビッグローブの架空循環取引:広告代理事業の再開断念と過年度3期の決算訂正 2024年 KDDI ローソンをTOBで買収:三菱商事との共同経営という形をとった全国店舗網の取り込み 2019年 KDDI 金融事業を本格展開 2010年 KDDI ジュピターテレコムへの資本参加:自社網の積み増しから327万世帯の顧客基盤の持分取得への転換 2010年 KDDI JCOMへ資本参加 2006年 KDDI パワードコムと合併 2002年 KDDI auのCDMA一本化とPDC除却:二方式の併走を解いてCDMAへ寄せ、稼働中のPDC設備1,283億円を一期で落とした資産の入れ替え 2000年 KDDI DDI・KDD・IDOの合併:長距離・国際・携帯を1社に束ねた総合通信事業者の発足
- 日本航空 2025年 日本航空 エージーピー非公開化の提案:対話の途絶えた上場関連会社の株主提案による非公開化と、同じ年に自社が受けた二つの提案 2024年 日本航空 非航空事業の利益5割目標:新体制の発足と、空を運ぶだけの会社から離れる構造改革の始動 2021年 日本航空 コロナ禍で売上収益が前年比65%減 2018年 日本航空 赤坂祐二氏が社長に就任 2010年 日本航空 アメーバ経営で再建:会社更生法下での稲盛和夫氏の招聘と、フィロソフィによる意識の作り替え 2010年 日本航空 稲盛和夫がJAL会長に就任 2010年 日本航空 会社更生手続の申立に伴い上場廃止 2009年 日本航空 経常赤字857億円 2002年 日本航空 日本エアシステムと統合:同業大手との経営統合による国内事業基盤の再編 1993年 日本航空 公社体質との決別:民営化後初の大幅赤字を受けて着手したコスト構造の全面的な見直し 1987年 日本航空 完全民営化 1985年 日本航空 日航123便が御巣鷹山に墜落し520人が死亡、高木養根社長が引責退任 1971年 日本航空 東亜国内航空設立 1966年 日本航空 ボーイング747導入決定:ジャンボ機の導入に踏み切った大量輸送体制への転換 1954年 日本航空 東京〜ホノルル〜サンフランシスコ線開設 1951年 日本航空 日本航空設立
- コーセーHD 2026年 コーセーHD 澁澤宏一登用と持株会社化:純粋持株会社体制への移行と、創業家以外からの社長選出 2025年 コーセーHD インドのFoxtale Consumer Pvt. Ltd.へ出資し戦略的提携 2024年 コーセーHD 中国事業の整理:中国生産子会社の持分譲渡と、在庫処分・店舗整理 2019年 コーセーHD マルホとの合弁コーセー マルホ ファーマを設立 2017年 コーセーHD ミルボンとの合弁コーセー ミルボン コスメティクスを設立 2014年 コーセーHD 「タルト」の株式取得:米メークアップブランドの株式93.5%取得による北米市場への参入 2005年 コーセーHD ジルスチュアートブランドを日本の化粧品市場に導入 1991年 コーセーHD 選択的流通システム導入:CI導入による転換と、小林コーセーからコーセーへの商号変更 1988年 コーセーHD 中国に春絲麗有限公司を設立 1988年 コーセーHD 自社製品の販売会社コーセー化粧品販売を設立 1979年 コーセーHD 群馬県に群馬工場を設置 1963年 コーセーHD 仏ロレアルと技術提携:国内資本にこだわらず、外資との合弁を受け入れる道の選択 1956年 コーセーHD 高級化粧品の製造会社アルビオンを設立 1951年 コーセーHD 販売部門を分離しコーセー商事を設立 1948年 コーセーHD 会社組織を変更し小林コーセーを設立 1946年 コーセーHD 化粧品の製造販売を目的に東京都北区で小林合名会社を設立
- クスリのアオキHD 2026年 クスリのアオキHD イオンとの資本提携解消:創業家が主導した買収防衛策の導入と、独立経営への回帰 2022年 クスリのアオキHD 一二三屋・ホーマス・キリンヤ・フードパワーセンター・バリューを吸収合併 2021年 クスリのアオキHD フード&ドラッグ転換:食品スーパーの連続M&Aによる、売り場と品揃えの組み替え 2016年 クスリのアオキHD 持株会社体制へ移行、クスリのアオキHDを東京証券取引所一部上場 2013年 クスリのアオキHD 全店調剤併設化:「併設率70%」を掲げた店舗機能の作り替えと医療分野への軸足移動 2004年 クスリのアオキHD 売場面積400坪超の大型店を初出店 2003年 クスリのアオキHD イオンと業務提携・資本提携 1999年 クスリのアオキHD 二階堂を設立 1986年 クスリのアオキHD 石川県1号店を金沢市に出店
- サンウェルズ 2025年 サンウェルズ PDハウスの不正請求発覚:調査報告書の受領と訪問看護体制の全面見直し 2025年 サンウェルズ 訪問看護報酬の不適切請求問題が表面化し中期経営計画を取り下げ 2022年 サンウェルズ PDハウス展開へ上場:パーキンソン病専門住宅の全国展開に向けた東証グロース市場への株式公開 2018年 サンウェルズ パーキンソン病患者専門フロア「リライフ白山」を開設 2011年 サンウェルズ セントラルケアスタッフを合併:父の建築会社の介護子会社2社の吸収合併と、サンウェルズへの商号変更・傘下入り 2006年 サンウェルズ 通所介護目的でケア・コミュニケーションズを設立 1979年 サンウェルズ アイテム商業建築研究所を設立
- 東日本旅客鉄道 2025年 東日本旅客鉄道 高輪ゲートウェイシティ開発:品川車両基地跡地の再開発による、不動産を第3の柱とする布石 2021年 東日本旅客鉄道 Suica軸の二軸経営へ転換:2期で6,700億円を失った後の、二軸経営への組み替え 2021年 東日本旅客鉄道 初の純損失5779億円を計上 2018年 東日本旅客鉄道 深澤祐二氏が代表取締役社長に就任 2012年 東日本旅客鉄道 東急車輛の鉄道車両製造事業を取得 2002年 東日本旅客鉄道 株式売却で完全民営化:三段に分けた株式売却と、JR会社法からの離脱 2002年 東日本旅客鉄道 東京モノレールを子会社化 2001年 東日本旅客鉄道 Suica導入で決済拡張:交通ICから電子マネー・生活決済へ広げた事業領域の拡張 1991年 東日本旅客鉄道 新幹線鉄道施設を新幹線鉄道保有機構から譲受け 1990年 東日本旅客鉄道 アトレ・エキュート展開:駅ナカ・生活サービス事業による鉄道外収益源化 1989年 東日本旅客鉄道 ジェイアール東日本高架開発を設立
- T&DHD 2025年 T&DHD 米ファラロンの株主提案:社外取締役2名選任と政策保有株売却の要求に対する、全議案の否決 2023年 T&DHD フォーティチュード投資損計上:米金利急変が突いた連邦型の弱点──2期 2019年 T&DHD 通期経常収益2兆1,401億円、親会社純利益728億円 2011年 T&DHD 中込賢次が代表取締役社長に就任 2004年 T&DHD T&DHDを設立:太陽生命・大同生命ほか生保3社の経営統合による持株会社体制への移行 2002年 T&DHD 大同生命保険相互会社が大同生命保険へ組織変更 2001年 T&DHD 東京生命の破綻処理:破綻した生保の受け皿として太陽・大同が引き受けたT&Dフィナンシャル生命の源流 1999年 T&DHD 太陽生命保険相互会社と大同生命保険相互会社が業務提携の基本協定を締結 1988年 T&DHD 太陽生命、年間収入保険料1兆円を突破 1971年 T&DHD 大同生命、AIU社と業務提携し業界初の生損保セット商品を発売 1968年 T&DHD 太陽生命の家庭市場特化:個人世帯への的の絞り込みと、保障商品「ひまわり」の多品種化 1961年 T&DHD 大同生命の企業市場特化:契約の8割を法人に集めた中堅生保の一点集中 1953年 T&DHD 大同生命、三木助九郎が従業員出身初の社長に就任 1948年 T&DHD 太陽生命保険相互会社として新発足
- 豊田自動織機 2026年 豊田自動織機 SPCが1株18,800円でTOBを開始、米エリオットが割安として反対 2025年 豊田自動織機 トヨタ主導で非公開化:グループ主導で進めた上場からの退出 2024年 豊田自動織機 エンジン国内認証問題で出荷停止:特別調査委員会の指摘を受け入れ、型式指定取消しまで背負った判断 2017年 豊田自動織機 Vanderlande Industries HDを買収 2013年 豊田自動織機 カスケード社を買収 2009年 豊田自動織機 最終赤字に転落(2期連続) 2001年 豊田自動織機 トヨタからL&F販売部門を譲受 2000年 豊田自動織機 スウェーデンBT買収:買収による産業車両の世界首位への浮上 1999年 豊田自動織機 トヨタ向け「ヴィッツ」の生産開始 1989年 豊田自動織機 デンソー合弁のコンプレッサー生産を開始 1978年 豊田自動織機 カーエアコン部品の量産を開始 1960年 豊田自動織機 カーエアコン用コンプレッサーの製造を開始 1954年 豊田自動織機 S型エンジンで農機参入:手持ち技術の転用から踏み出した多角化と、そこで味わった躓き 1954年 豊田自動織機 メキシコ豊田を設立:経営移譲を前提にした、国家的保護に頼る初の海外進出 1953年 豊田自動織機 トヨタ向けOEM生産参入:完成車の受託生産を通じた織機会社の構造転換 1937年 豊田自動織機 トヨタ自動車工業を分離:織機会社の内部で興した自動車事業の分離独立 1933年 豊田自動織機 自動車部を新設(トヨタ自動車の創業) 1926年 豊田自動織機 G型自動織機を量産化:創業——専業メーカーとしての分社から、トヨタ自動車の独立へ至る起点
- SHIFT 2025年 SHIFT ライズコンサルへの出資:資本を投じての事業領域の拡張と、かつて手がけた領域への回帰 2025年 SHIFT ライズ・コンサルティング・グループの株式を取得 2023年 SHIFT SHIFT Enterprise Consultingを設立 2022年 SHIFT SHIFTグロースキャピタル設立:専門会社の設置による連続M&Aと買収後統合の仕組み化 2016年 SHIFT ALHを子会社化 2010年 SHIFT ソフトウェアテスト適性能力を測定する「CAT検定」を発売 2009年 SHIFT ソフトウェアテスト専業化:製造業向けコンサルティングからの撤退を伴う業態転換
- コスモス薬品 2026年 コスモス薬品 ホテル事業への参入を発表 2025年 コスモス薬品 自力出店で売上高1兆円:買わずに建てる——M&Aによる規模拡大を一切採らないという選択 2021年 コスモス薬品 保険調剤へ本格参入:安売りの物販だけで来た店から処方箋を扱う側への転換 2019年 コスモス薬品 関東地区へ初出店、広尾駅店を開店 2010年 コスモス薬品 関西地区へ初出店 2004年 コスモス薬品 九州の外へ ― 全国展開を開始 2003年 コスモス薬品 ポイント還元を廃止しEDLPに転換 1993年 コスモス薬品 小商圏メガドラッグ創造:大商圏に頼らない大型店という、新しい業態の打ち出し 1987年 コスモス薬品 初の郊外型店舗・平原店を開店 1973年 コスモス薬品 宇野回天堂薬局を創業
- DIC 2025年 DIC オアシスの定款変更提案を否決:関連当事者取引の監視を定款へ書き込ませる要求と、22.45%で退けた総会 2025年 DIC OASIS INVESTMENTS II MASTER FUND LTD.他による株主提案 2024年 DIC 星光PMC株式売却で資産圧縮:液晶材料事業からの撤退と、美術品の売却まで含めた資産の圧縮 2021年 DIC BASF社から顔料事業(Colors & Effects事業)を買収 2017年 DIC 太陽HDと資本業務提携 2012年 DIC 星光PMCが株式を東京証券取引所市場第一部に上場 2005年 DIC ReichholdグループをMBO方式により売却 1999年 DIC Totalfina S.A.他より印刷インキ事業(Coatesグループ)を買収 1987年 DIC Reichhold Chemicals Inc.を株式の公開買付により買収 1986年 DIC 米サン・ケミカル部門買収:グラフィックアーツ部門の取得による印刷インキ世界首位への到達 1979年 DIC 公開買付により米国のPolychrome Corp.を買収 1973年 DIC ネマティック型液晶を開発し電卓での採用を獲得 1962年 DIC JRCを吸収合併 1952年 DIC 日本ライヒホールド設立:米国の化学メーカーと組んだ合弁による合成樹脂事業への参入 1945年 DIC 本店(本社工場)を本所より板橋に移転
- ブラザー工業 2026年 ブラザー工業 監査等委員会設置会社へ移行:監督の担い手を取締役会の内側へ移し、執行へ権限を委ねる機関設計の組み替え 2024年 ブラザー工業 ローランドDGへのTOB断念:対抗TOBの提案と、その取り下げによる買収競争からの離脱 2015年 ブラザー工業 ドミノプリンティングサイエンスを子会社化 2013年 ブラザー工業 株式公開買付でニッセイを子会社化 2008年 ブラザー工業 HOYAからモバイルプリンター事業を譲受 1997年 ブラザー工業 自社製インクジェットヘッド搭載カラーインクジェット複合機の販売開始 1992年 ブラザー工業 通信カラオケ事業に参入 1989年 ブラザー工業 プリンターへの事業転換:ミシン・タイプライターから情報通信機器への業態転換 1971年 ブラザー工業 セントロニクス社と共同開発した高速ドットプリンターの出荷を開始 1962年 ブラザー工業 工作機械分野に参入 1961年 ブラザー工業 欧文ポータブルタイプライターの生産を開始 1959年 ブラザー工業 ミシン輸出累計100万台を突破 1932年 ブラザー工業 家庭用ミシンの国産化に成功
- 小林製薬 2026年 小林製薬 オアシスの要求に対応:統治改革要求を受け入れた監査等委員会設置会社への移行 2024年 小林製薬 紅麹問題で経営陣退任:サプリ健康被害の引責による創業家の後退と、統治体制の刷新 2006年 小林製薬 eVent Medical,Ltd.とHeat Max,Inc.を子会社化 2001年 小林製薬 桐灰化学を子会社化 1999年 小林製薬 大阪証券取引所市場第二部に上場 1988年 小林製薬 エンゼルを子会社化 1975年 小林製薬 芳香剤「サワデー」を発売 1969年 小林製薬 水洗トイレ用芳香洗浄剤「ブルーレット」を発売 1967年 小林製薬 外用消炎鎮痛薬「アンメルツ」を全国発売 1956年 小林製薬 小林製薬を合併 1940年 小林製薬 小林製薬を設立
- 日野自動車 2026年 日野自動車 三菱ふそうとの経営統合:持株会社ARCHIONへの移行・上場廃止 2023年 日野自動車 三菱ふそうとの経営統合を発表(延期) 2022年 日野自動車 エンジン認証不正発覚:出荷を止めてでもの不正の公表と、認証という前提からの作り直し 2019年 日野自動車 トラックの新工場の起工 2011年 日野自動車 本社工場の閉鎖発表(日野市) 2004年 日野自動車 排ガス規制特需で売上高1兆円を突破 1999年 日野自動車 赤字転落・希望退職者を募集 1982年 日野自動車 子会社を設立 1975年 日野自動車 トラックの子会社を設立 1967年 日野自動車 乗用車から撤退 1959年 日野自動車 商号を日野自動車工業に変更 1949年 日野自動車 東京証券取引所に株式上場
- 日本M&Aセンター 2025年 日本M&Aセンター 量から質へ転換:実質減収の決算を受け入れてでも収益性を優先する方針の選択 2022年 日本M&Aセンター 不適切会計で決算訂正:期ずれで計上した83件の一括訂正と、内部統制の作り直し 2018年 日本M&Aセンター 日本投資ファンドを設立 2012年 日本M&Aセンター M&Aシニアエキスパート認定制度を開始 2000年 日本M&Aセンター 信金中央金庫・全国の信用金庫と業務提携 1991年 日本M&Aセンター 全国の会計事務所と地域M&Aセンターを順次設立 1966年 日本M&Aセンター 分林保弘が日本オリッベティに入社
- ZOZO 2025年 ZOZO 英LYSTの買収:技術ライセンスの提供から、海外のEC・メディアを自ら持つ側への転換 2024年 ZOZO 事業者向け計測業務効率化サービス「ZOZOMETRY(ゾゾメトリー)」を提供開始 2019年 ZOZO 前澤友作氏の社長退任と澤田宏太郎氏への継承:創業者・前澤友作氏の辞任と、社長を選ぶ手続きの新設 2019年 ZOZO ZホールディングスのTOB受け入れ:創業者による保有株の半分の売却と、独立を諦めての傘下入り 2018年 ZOZO ZOZOSUITへの投資撤退:採寸データを武器に自社ブランドへ踏み出し、海外事業からの撤退と特別損失で1年余りで畳んだ判断 2014年 ZOZO 即日配送サービスを開始 2007年 ZOZO 東京証券取引所マザーズ市場に上場 2004年 ZOZO ZOZOTOWNへ一本化:セレクトショップ17店舗の統合と、受託販売モールへの転換 1998年 ZOZO ファッションECモール創業:輸入CD通販という家業から、受託販売のモール運営への転身
- 第一三共 2026年 第一三共 サントリーHDへ市販薬譲渡:販売子会社を丸ごと切り出す形での市販薬事業からの撤退 2024年 第一三共 第一三共エスファを持分法適用関連会社化 2023年 第一三共 Merck(Merck & Co., Inc.)と戦略的提携 2019年 第一三共 アストラゼネカと提携:提携相手と組んだエンハーツの世界展開と、がん事業への転換 2015年 第一三共 ランバクシー子会社化解消:複眼経営を捨て、がんに絞る——中山讓治氏の選択と集中 2014年 第一三共 アンビット・バイオサイエンシズCorp.を子会社化 2009年 第一三共 初の純損失計上 2008年 第一三共 印ランバクシーの買収:買収による事業構造の二本立て化と「複眼経営」への移行 2005年 第一三共 三共との経営統合:国内2社の対等な結合による第一三共の誕生と、単独路線の放棄
- 日産自動車 2025年 日産自動車 Re:Nissanで7工場統廃合:2万人規模の人員削減と生産体制の縮小に踏み込んだ経営再建計画 2024年 日産自動車 ホンダ・日産自動車・三菱自動車の3社が経営統合を協議 2024年 日産自動車 全世界で人員削減 2018年 日産自動車 ゴーン会長の逮捕:一人に集まった権力の解体と、指名委員会等設置会社への移行 2017年 日産自動車 完成検査の無資格発覚:国内全工場の出荷停止と大規模リコールに至った、量産体制への信頼の失墜 2017年 日産自動車 カルソニックカンセイを売却 2002年 日産自動車 日産180による100万台増販:再建から成長への転換と、北米の新工場・中国の合弁を軸にした世界販売の上積み 2000年 日産自動車 過去最大の赤字に転落 1999年 日産自動車 日産リバイバルプランの断行:国内5工場の閉鎖と系列の解体による1兆円のコスト削減と、3つの必達目標の公約 1999年 日産自動車 ルノーとの資本提携:仏大手からの36.8%出資と経営陣の受け入れ、世界規模での事業の相互乗り入れ 1993年 日産自動車 座間工場の生産中止:主力拠点の車両生産打ち切りと、規模の拡大を追わない事業構造への転換 1987年 日産自動車 企業文化の刷新:官僚体質の解体と労使関係の結び直しによる構造不況体質からの脱却 1984年 日産自動車 英国サンダーランド進出:決断——石原俊氏と労連会長・塩路一郎氏の攻防 1977年 日産自動車 九州工場を新設 1966年 日産自動車 プリンス自動車との合併:同業他社の取り込みによる、乗用車事業の一段の規模拡大 1952年 日産自動車 オースチン社と提携 1936年 日産自動車 自動車製造事業法で指定会社
- ニコン 2025年 ニコン DSP-100の受注開始:前工程で失った首位の、後工程のデジタル露光での立て直し 2024年 ニコン RED.com, LLCを完全子会社化 2021年 ニコン 最終赤字に転落 2016年 ニコン 監査等委員会設置会社への移行:監査役会を廃して監査等委員5名を取締役会に置き、重要な業務執行の一部を執行側へ委ねた機関設計の組み替え 2016年 ニコン 希望退職者の募集:二本柱同時不振と1,143人の希望退職──2016年の全社構造改革 2015年 ニコン オプトスを買収(眼底カメラ) 2012年 ニコン インテルと半導体製造装置で提携 2009年 ニコン 単元株式数を100株に変更 1999年 ニコン ステッパーの顧客転換に失敗・最終赤字に転落 1984年 ニコン ステッパーへの参入:半導体露光装置を軸にした光学・半導体の二本柱の確立 1980年 ニコン 半導体製造装置(ステッパー)に参入 1975年 ニコン カメラ輸出の低迷・業績低迷へ 1968年 ニコン Nikon Europe N.V.を設立 1953年 ニコン Nikon Sales Inc.を設立 1945年 ニコン 2万名を整理解雇・軍需から民需転換へ
- FPG 2025年 FPG 不動産小口化商品の販売停止:令和8年度税制改正大綱を受けた主力商品の販売停止と、投資運用商品としての立て直し 2025年 FPG 申込済み投資家に特別解約措置を実施 2024年 FPG オンリーユーエアでプライベートジェット事業に参入 2016年 FPG 1口1,000万円の不動産商品:信託機能を用いた不動産小口化商品の提供開始と、国内不動産ファンド事業の主力化 2015年 FPG AMENTUM社へ出資:アイルランド企業への25%出資と子会社化を通じた、航空機投資管理サービス事業への進出 2014年 FPG ベルニナ信託を子会社化し信託事業に参入 2013年 FPG FPG証券を子会社化し第一種金融商品取引業に参入 2009年 FPG 船舶を対象としたオペレーティング・リース事業の取扱開始 2004年 FPG リース事業の匿名組合出資持分の販売を開始
- 商船三井 2026年 商船三井 エリオットの自社株買い要請:3,000億円規模の要請を受けた、累進配当・総還元性向40%への転換 2025年 商船三井 スイスのGearbulk Holdingを子会社化 2022年 商船三井 宇徳とダイビルを公開買付で完全子会社化 2017年 商船三井 コンテナ船事業をONEに統合:邦船3社の共同出資会社への切り出しと、単独運営の終了 2017年 商船三井 ONE(Ocean Network Express)を設立 2014年 商船三井 自動車船カルテルで課徴金減免申請:立入検査より前に違反行為を止め、自ら申告する側に回って命令を免れた選択 2013年 商船三井 LNG船・長期契約へ転換:スポット運賃で稼ぐ不定期船経営からの脱却と、収益構造の安定化 2004年 商船三井 ダイビルを公開買付で子会社化 1999年 商船三井 ナビックスラインと合併:対等合併による規模の拡大と、「商船三井」への商号変更 1989年 商船三井 山下新日本汽船とジャパンラインが合併しナビックスラインが発足 1970年 商船三井 船客部門を分離し商船三井客船を設立 1964年 商船三井 三井船舶との対等合併:海運集約政策のもとでの二社統合による、新会社発足という再編 1942年 商船三井 三井船舶が三井物産の船舶部から分離独立 1884年 商船三井 大阪商船が設立
- 近鉄GHD 2026年 近鉄GHD 監査等委員会設置会社へ移行:重要な業務執行の決定権限の大部分を社長ほか代表取締役へ委譲し、取締役会を監督と中長期戦略の場へ寄せた機関設計の組み替え 2022年 近鉄GHD 株式公開買付けにより近鉄エクスプレスを子会社化 2021年 近鉄GHD 都ホテル京都八条など国内8ホテルの資産を譲渡し運営受託を開始 2015年 近鉄GHD 吉田昌功氏が社長就任:純粋持株会社制へ移る日に社長を入れ替え、8年近く執行を率いた小林哲也氏を会長へ移した引き継ぎ 2015年 近鉄GHD 純粋持株会社制へ移行し近鉄グループHDに商号変更 2014年 近鉄GHD あべのハルカス全面開業 2013年 近鉄GHD KNT-CTホールディングス発足:持分法に置いていた近畿日本ツーリストを連結子会社のクラブツーリズムと結び、旅行事業を一つの持株会社へまとめた選択 2013年 近鉄GHD KNT-CTHDが発足 2004年 近鉄GHD オリックスとの球団合併:近鉄バファローズの消滅を受け入れた球団経営からの撤退 1990年 近鉄GHD 志摩スペイン村への投資:巨額投資と建物の全額評価減 1988年 近鉄GHD アーバンライナー運転開始 1979年 近鉄GHD 都ホテル東京を開業 1969年 近鉄GHD 東名高速道路浜名湖SAに浜名湖近鉄レストランを開業 1959年 近鉄GHD 名古屋線の軌間拡幅:軌間の統一による、名阪間直通特急の実現という悲願の達成 1959年 近鉄GHD 名古屋線軌間拡幅工事完成 1947年 近鉄GHD 旧南海鉄道事業を高野山電気鉄道に譲渡 1944年 近鉄GHD 南海鉄道と合併し近畿日本鉄道を設立
- フジクラ 2025年 フジクラ AI・データセンターへ集中:需要の伸びる領域への資源の寄せ集めと、電線大手という自己規定の作り替え 2020年 フジクラ 純損失385億円に転落、リストラ特別損失計上 2017年 フジクラ 監査等委員会設置会社へ移行:カンパニーへの権限委任と社外取締役4名の監督を、一つの取締役会へ収める機関設計を選んだ 2012年 フジクラ 純損失に転落 2010年 フジクラ 光ファイバケーブルの課徴金納付:4年続いた独占禁止法違反の摘発に、課徴金の納付と法令遵守体制の立て直しで応じた 2009年 フジクラ リーマンショックで売上が減少 2005年 フジクラ America Fujikura Ltd.・AFL Telecommunications LLCを設立 2001年 フジクラ ビスキャスへ事業切出:電力ケーブル事業の古河電工との合弁への移管と、15年後の国内事業の振り分け 1998年 フジクラ 地域統括会社を設立 1980年 フジクラ 光ファイバ技術に投資:他社技術に頼らない独自方式の選択と、融着接続機の自社開発 1970年 フジクラ 鈴鹿工場を新設 1965年 フジクラ 佐倉工場を新設 1954年 フジクラ 沼津工場を新設 1910年 フジクラ 松本留吉の電線部門分離:合名会社からの切り出しと株式会社化
- MIXI 2025年 MIXI 豪PointsBet買収:スポーツベッティング事業者の取り込みによる海外市場への本格参入 2024年 MIXI ソーシャル・ネットワーキングサービス「mixi2」の運営を開始 2019年 MIXI 競輪投票サービスのチャリ・ロトを子会社化 2019年 MIXI 千葉ジェッツふなばしを子会社化 2015年 MIXI フンザを115億円買収:モンスト一本足からの脱却を狙ったチケット売買事業への参入と、その閉鎖 2014年 MIXI モンストへ資源集中:単一タイトルに社運を託した1本足経営と65億円の公募増資 2013年 MIXI スマートデバイス向けゲーム「モンスターストライク」の提供を開始 2006年 MIXI 東証マザーズへ上場:時価総額2,221億円という評価を得た資本市場デビュー 2004年 MIXI ソーシャル・ネットワーキングサービス「mixi」の運営を開始 1999年 MIXI イー・マーキュリーを設立
- 三菱ロジスネクスト 2026年 三菱ロジスネクスト 日本産業パートナーズが非公開化:公開買付けの成立によるスタンダード市場からの上場廃止 2026年 三菱ロジスネクスト 東京証券取引所スタンダード市場で上場廃止 2020年 三菱ロジスネクスト 三菱重工業が親会社に異動 2017年 三菱ロジスネクスト ユニキャリアを完全子会社化 2016年 三菱ロジスネクスト ユニキャリアHD取得:買収を機とした商号変更と、三菱ロジスネクストとしての再出発 2013年 三菱ロジスネクスト 三菱重工のフォークリフト事業承継:吸収分割による事業の引き受けと、譲渡元の連結子会社への移行 2009年 三菱ロジスネクスト 三菱重工業と国内フォークリフト販売・サービス事業を統合 1971年 三菱ロジスネクスト 東京証券取引所、大阪証券取引所の市場第一部銘柄に上場指定替 1961年 三菱ロジスネクスト 東京証券取引所市場第二部、大阪証券取引所市場第二部・京都証券取引所に上場 1958年 三菱ロジスネクスト 日本初のリーチ式バッテリーフォークリフト生産開始 1937年 三菱ロジスネクスト 日本輸送機を設立
- りそなHD 2026年 りそなHD デジタルガレージへ出資:約500億円の追加出資と持ち分法適用会社化、その半年後に生じた449億円の評価損 2024年 りそなHD 関西みらいフィナンシャルグループを吸収合併 2018年 りそなHD 関西みらいFG設立:関西みらいフィナンシャルグループの創設と完全子会社化による関西リテール基盤の集約 2015年 りそなHD 預金保険機構向けの公的資金1兆9,600億円を完済 2013年 りそなHD 東和浩が代表執行役社長に就任 2003年 りそなHD 公的資金1.96兆円受入:預金保険法102条の初適用による公的資金約1兆9,600億円の受け入れと、外部招聘した細谷英二会長のもとでのリテール銀行再建 2002年 りそなHD 大和・あさひ銀行統合:二行の経営統合による新たな持株会社の誕生と、2002年の体制成立 2000年 りそなHD 東海・三和と統合破談:3行による大型連合の構想からの離脱と、単独路線への引き返し 1995年 りそなHD 大和銀行ニューヨーク支店で巨額損失事件が発覚 1991年 りそなHD 協和銀行と埼玉銀行が合併し協和埼玉銀行発足 1985年 りそなHD 協和銀行と埼玉銀行が相互業務提携 1972年 りそなHD 大和銀行がニューヨーク支店を開設 1966年 りそなHD 金融制度改正で他の都市銀行が信託業務を分離するなか、大和銀行は信託兼営を維持 1949年 りそなHD 大和銀行が東京・大阪両証取に上場
- トレンドマイクロ 2025年 トレンドマイクロ Magna AI合弁設立:台湾Wistron・NVIDIAと組んだソブリンAI事業への進出と法人事業の「TrendAI」ブランド化 2024年 トレンドマイクロ 通期業績がV字回復 2019年 トレンドマイクロ Cloud Conformity Inc.を取得 2016年 トレンドマイクロ TippingPoint事業取得:米HPからのネットワークセキュリティ参入 2011年 トレンドマイクロ Mobile Armor Inc.を買収 2007年 トレンドマイクロ NASDAQからADRを上場廃止 2005年 トレンドマイクロ パターンファイル配信不具合:大規模PC障害と信頼回復への社内改革 2005年 トレンドマイクロ エバ・チェン氏が社長就任:創業者スティーブ・チャンからの社長兼CEO職の引き継ぎ 1998年 トレンドマイクロ 米国買収を避け株主還元:株式公開で得た資金を米国買収に投じず市場へ返した資本政策 1996年 トレンドマイクロ 日本法人がグループ親会社となる再編を実施 1989年 トレンドマイクロ 日本法人を設立
- 大和ハウス工業 2025年 大和ハウス工業 住友電設をTOBで買収:電気設備工事会社の完全子会社化による、データセンター建設の垂直統合 2024年 大和ハウス工業 アライアンス・レジデンシャル社を持分法適用関連会社化 2019年 大和ハウス工業 相次ぐ不祥事とガバナンス強化策:中国子会社の不正・建築基準の不適合・資格の実務経験不備が続いた1年と、事業本部制への移行 2017年 大和ハウス工業 Stanley-Martin Communitiesを子会社化 2013年 大和ハウス工業 フジタを完全子会社化 2003年 大和ハウス工業 大型物流施設の開発を開始 2001年 大和ハウス工業 大和団地と合併 2000年 大和ハウス工業 無借金経営への転換:「有利子負債ゼロ」への転換 1999年 大和ハウス工業 石橋伸康氏の引責辞任と東郷武氏への継承:石橋伸康社長の退任と創業家による路線修正 1990年 大和ハウス工業 ダイワロイヤルホテルズ拡大:ホテル事業の急拡大と、定まらないまま残されたブランド戦略 1989年 大和ハウス工業 大和リビングを設立 1976年 大和ハウス工業 ロードサイド店舗への進出:流通店舗事業への参入と非住宅多角化 1965年 大和ハウス工業 奈良工場を新設 1959年 大和ハウス工業 「ミゼットハウス」を発売
- 宝HD 2026年 宝HD タカラバイオをTOB子会社化:上場子会社を取り込んでの親子上場の解消と、意思決定の一本化 2024年 宝HD Kagerer & Co. GmbHの出資持分90%を取得 2017年 宝HD 宝酒造インターナショナル設立:海外日本食材卸事業を成長の主軸に据える戦略転換 2010年 宝HD 宝酒造が仏国のFOODEX S.A.S.の発行済株式80%を取得 2005年 宝HD Clontech Laboratories,Inc.の全株式をTakara Bio USA Holdings Inc.経由取得 2002年 宝HD タカラバイオ分社:持株会社化による酒類・バイオ二事業の分割 2002年 宝HD 会社分割により新設のタカラバイオがバイオ事業を承継 1995年 宝HD 合弁で北京寛宝食品有限公司を設立 1986年 宝HD Tomatinを設立:焼酎が健在なうちに進めた海外酒類ブランドの取得 1986年 宝HD Tomatin Distillers Plc.の資産を買収 1982年 宝HD 米国本土での清酒製造を開始 1970年 宝HD 中央研究所設置で遺伝子工学着手:発酵を軸にした基礎研究への投資と、次世代技術への種まき 1967年 宝HD キリン・サッポロへ工場売却:ビール事業からの全面撤退と、二工場を手放しての経営資源の絞り込み 1959年 宝HD 札幌工場(2003年3月廃止)建設 1949年 宝HD 東京、大阪、名古屋の各証券取引所開設に伴い株式上場
- NTN 2026年 NTN 日本精工との経営統合:軸受大手同士が共同持株会社の下に集まることによる単独経営の終幕 2025年 NTN 構造改革費用先行計上で純損失▲238億円、2021年3月期以来の最終赤字 2020年 NTN コロナ直前の需要減で純損失▲440億円、営業利益は70億円に急減 2019年 NTN 指名委員会等設置会社へ移行:監査役会を廃止し、業務執行を15名の執行役へ渡した機関設計の組み替え 2014年 NTN 純損失▲146億円を計上 2009年 NTN リーマン危機で純損失▲89億円に転落 2008年 NTN S.N.R. ROULEMENTSを子会社化 2004年 NTN 「NP21」で最高益に復活:部門間の壁の打破を掲げた全社運動による収益力の立て直し 1998年 NTN PluakdaengにNTN MANUFACTURING(THAILAND)を設立 1989年 NTN アメリカColumbusにNTN DRIVESHAFT社を設立 1979年 NTN 等速ボールジョイントで回復:守りから攻めへの転換と、需要変動に合わせて生産量を調整する体制の立て直し 1968年 NTN MississaugaにNTN BEARING CORP.OF CANADAを設立 1949年 NTN 大阪証券取引所市場第一部・東京証券取引所市場第一部に上場
- 博報堂DYHD 2025年 博報堂DYHD デジタルHDへの公開買付け:買付けの成立による対象会社の子会社化と、傘下への取り込み 2025年 博報堂DYHD 博報堂を承継会社、博報堂DYメディアパートナーズを分割会社とする吸収分割を実施 2018年 博報堂DYHD DACの完全子会社化:D.A.コンソーシアムホールディングスの公開買付けによる完全子会社化 2018年 博報堂DYHD D.A.コンソーシアムHDを完全子会社化 2003年 博報堂DYHD 大広・読売広告社と経営統合:三社を一つの共同持株会社の下に置く、博報堂DYホールディングスの設立 2003年 博報堂DYHD 株式移転により博報堂DYHDを設立
- タカラトミー 2026年 タカラトミー 監査等委員会設置会社への移行:監査役会を廃して監査を取締役会の内側へ移し、業務執行の決定を取締役へ委ねる機関設計の組み替え 2015年 タカラトミー ハロルド・ジョージ・メイ氏が社長就任:創業家が執行を外部のプロ経営者へ委ね、2年7か月で引き戻した社長人事 2008年 タカラトミー インデックス・HDとの業務提携を発表・第三者割当増資を引受け 2007年 タカラトミー TPGとの戦略的資本・事業提携を発表 1998年 タカラトミー ハスブロ社より同社・同社グループ商品の日本における独占的販売権を取得 1992年 タカラトミー シンガポール生産撤退:好調なうちに現地の生産を畳み、技術拠点へ切り替える転換 1989年 タカラトミー 流山工場の閉鎖と分社化:円高危機を受けた生産拠点の整理と、つくる機能を切り離す経営再編 1980年 タカラトミー 香港・米国へ現地法人設立:バイヤー依存の輸出から海外現地法人の直接進出への転換 1977年 タカラトミー 本社ビル本館を新築 1961年 タカラトミー プラスチック・レールを使用した鉄道玩具「プラレール」を発売 1959年 タカラトミー 営業部門を分離独立、販売子会社富山商事を設立
- 村田製作所 2026年 村田製作所 米Resonant社ののれん減損:XBAR技術の取得をねらった買収と、のれん438億円が消えた結末 2026年 村田製作所 Resonant社買収のれん全額438億円を減損 2026年 村田製作所 マイクロ一次電池事業をマクセルに譲渡 2020年 村田製作所 中島規巨氏が代表取締役社長に就任 2017年 村田製作所 ソニーの電池事業を譲受:リチウムイオン二次電池の取り込みと、対価を上回る純資産が生んだ負ののれん 2014年 村田製作所 米pSemi Corporationを買収 2012年 村田製作所 フィンランドのVTI Technologiesを買収 2009年 村田製作所 リーマンショックで初の大幅な営業赤字に転落 1993年 村田製作所 海外移転によらない円建て輸出:輸出取引の円建てへの統一と、生産設備まで自前で開発する国内生産の維持 1980年 村田製作所 加エリー社(ETP)買収:多国籍企業をまるごと取り込む買収による海外拠点の一挙獲得 1978年 村田製作所 欧州初の販売会社をドイツに設立 1969年 村田製作所 東京証券取引所市場第二部に上場 1950年 村田製作所 部品専業への特化:原料と生産設備の内製化による垂直統合の構築と、完成品分野への不参入 1944年 村田製作所 村田昭氏が京都市で村田製作所を創業
- ハウス食品G本社 2026年 ハウス食品G本社 壱番屋の非公開化検討:資本コストに届かないグループにおける、過半保有子会社の位置づけの見直し 2024年 ハウス食品G本社 子会社ハウス食品グループ東北工場設立 2015年 ハウス食品G本社 壱番屋をTOBで買収:買収を足がかりにした外食事業への進出と、川下への広がり 2013年 ハウス食品G本社 ヴォークス・トレーディングの株式を取得し東南アジア子会社等を子会社化 2013年 ハウス食品G本社 持株会社体制に移行し社名をハウス食品グループ本社に商号変更 2006年 ハウス食品G本社 ハウスウェルネスフーズを子会社化 2004年 ハウス食品G本社 ウコンの力発売 1992年 ハウス食品G本社 チルド食品事業の撤退:低シェア事業は持たないという方針に沿った全面撤退 1983年 ハウス食品G本社 カリフォルニア州にハウスフーズ&ヤマウチを合弁設立 1970年 ハウス食品G本社 合弁会社サンハウス食品を設立しレトルト食品発売 1963年 ハウス食品G本社 バーモントカレー発売 1959年 ハウス食品G本社 東大阪工場にカレー製造工場竣工 1926年 ハウス食品G本社 カレー粉の自社製造:薬種問屋が培った調合技術の転用と、作って売る側への転身 1926年 ハウス食品G本社 カレー粉の製造を開始
- ミネベアミツミ 2025年 ミネベアミツミ 芝浦電子へ友好的TOB:台湾ヤゲオとの争奪戦に持ち込んだホワイトナイトとしての名乗り 2024年 ミネベアミツミ 日立パワーデバイスを子会社化 2023年 ミネベアミツミ ホンダロックを子会社化 2019年 ミネベアミツミ ユーシンをTOBで子会社化 2016年 ミネベアミツミ ミツミ電機との経営統合:株式交換による完全子会社化と、ミネベアミツミへの商号変更 2013年 ミネベアミツミ ミネベアモータをパナソニックから完全取得し吸収合併 2004年 ミネベアミツミ 松下電器産業モータ社との情報モーター事業統合でミネベア・松下モータ設立 1994年 ミネベアミツミ MINEBEA ELECTRONICS & HI-TECH COMPONENTS(上海)を設立 1985年 ミネベアミツミ 三協精機への敵対的買収:試みと、買われる側に回ったコングロマリット戦略 1981年 ミネベアミツミ 系列メーカー4社を吸収合併し社名を「ミネベア」に変更 1972年 ミネベアミツミ NMB SINGAPORE LIMITEDを設立 1968年 ミネベアミツミ NIPPON MINIATURE BEARING CORP.を設立 1951年 ミネベアミツミ 日本ミネチュアベアリングを設立
- 鹿島建設 2026年 鹿島建設 監査等委員会設置会社への移行:監査役会を畳み、監督する側に社外取締役7名を置く体制への組み替え 2024年 鹿島建設 Rodgers Builders社を買収 2018年 鹿島建設 リニア談合事件で無罪主張:競争そのものが存在しなかったとして最高裁まで争う道の選択 2010年 鹿島建設 鹿島道路を株式交換により完全子会社化 2009年 鹿島建設 初の連結純損失を計上 1993年 鹿島建設 茨城県知事贈賄事件で副社長が起訴 1986年 鹿島建設 カジマUSAを設立 1978年 鹿島建設 TQCの全社導入:全社的な品質管理の導入による経営体質の立て直し 1968年 鹿島建設 霞が関ビル完成:超高層・耐震技術への先行投資と開発事業への進出 1957年 鹿島建設 日本原研第1号原子炉を完成 1880年 鹿島建設 鉄道請負業に参入 1840年 鹿島建設 江戸京橋で創業:大工棟梁「大岩」から「鉄道の鹿島」への転身
- エクシオG 2026年 エクシオG OASISの社外取締役選任提案を否決:社内取締役8名中7名がNTTグループ出身という独立性への批判を、指名委員会の答申を根拠に退けた選択 2024年 エクシオG エクシオ・デジタルソリューションズなど3社が合併 2019年 エクシオG EXEO GLOBAL Pte Ltd経由でDeClout Pte Ltdを子会社化 2018年 エクシオG シーキューブ等3社子会社化:現金を使わない3件の株式交換による同時完全子会社化と、負ののれん発生益183億円の計上 2011年 エクシオG アイコムシステックを子会社化 2001年 エクシオG 昭和テクノス(資本金1481百万円)と合併 1999年 エクシオG 本店を移転 1987年 エクシオG 建築設備・環境保全・散水設備の建設保守を追加 1975年 エクシオG 事業目的に設計・測量業務を追加 1963年 エクシオG 東京証券取引所市場第二部に上場 1954年 エクシオG 共同工業・日本電話工業を吸収合併
- 大王製紙 2025年 大王製紙 監査等委員会設置会社への移行:監督と執行を分け、取締役会を中長期の戦略の議論に寄せる選択 2025年 大王製紙 トルコの衛生用品子会社の全株式を譲渡 2022年 大王製紙 ペット用品製造の大貴の全株式を取得 2020年 大王製紙 トルコの衛生用品メーカー、ウゼンの全株式を取得 2017年 大王製紙 日清紡ホールディングスから日清紡ペーパープロダクツの全株式を取得 2014年 大王製紙 大王パッケージの排除措置命令受諾:段ボールの取引をめぐる命令を争わず、審判請求を見送った判断 2012年 大王製紙 北越紀州製紙経由で株式取得:創業家との資本関係の解消と、関連会社等株式の買い戻し 2012年 大王製紙 連結子会社を37社から8社に変更 2007年 大王製紙 名古屋パルプを吸収合併し可児工場へ改組 2007年 大王製紙 米P&Gから大人用紙おむつ「アテント」事業を譲受 1996年 大王製紙 いわき大王製紙の設立 1989年 大王製紙 東京支社を東京本社に昇格させ二本社制へ移行 1983年 大王製紙 丸紅から名古屋パルプを買収 1979年 大王製紙 「エリエール」で家庭紙参入:ティシューペーパーを起点とした紙おむつ・ナプキンへの品目拡大 1965年 大王製紙 会社更生手続の終結 1964年 大王製紙 更生計画の認可 1962年 大王製紙 三島工場の操業維持:会社更生法の適用申請と、操業を止めないままの再建手続 1956年 大王製紙 銅山川製紙から設備を買収し川之江工場を開設 1945年 大王製紙 生産設備を三島工場に集約 1943年 大王製紙 四国紙業など14企業の合同により大王製紙を設立
- ガンホー・オンライン・エンターテイメント 2026年 ガンホー・オンライン・エンターテイメント 坂井一也氏が社長就任:アクティビストの圧力下で踏み切った森下一喜体制からの刷新 2024年 ガンホー・オンライン・エンターテイメント エイリムを子会社化 2015年 ガンホー・オンライン・エンターテイメント ソフトバンクグループがその他の関係会社に異動 2014年 ガンホー・オンライン・エンターテイメント GGF B.V.を通じて間接所有していたSupercell Oyの持分をソフトバンクに売却 2013年 ガンホー・オンライン・エンターテイメント Supercellの買収:ソフトバンクとの共同出資による取り込みと、10か月後の売却 2012年 ガンホー・オンライン・エンターテイメント パズル&ドラゴンズ投入:自社で開発したオリジナルIPによる新規タイトルの投入 2008年 ガンホー・オンライン・エンターテイメント 第三者割当増資によりGravity Co.,Ltd.を子会社化 2002年 ガンホー・オンライン・エンターテイメント 主な事業内容をオンラインゲームサービスへ変更 1998年 ガンホー・オンライン・エンターテイメント オンセールを設立
- 住友電工 2025年 住友電工 住友電設の売却と住友理工の完全子会社化:設備工事の上場子会社を手放し、自動車部材の上場子会社を100%取り込むグループの入れ替え 2025年 住友電工 住友電設売却・住友理工完全子会社化を公表 2023年 住友電工 日新電機・テクノアソシエを完全子会社化 2019年 住友電工 茨城製作所を開設、テクノアソシエを子会社化 2014年 住友電工 ジェイ・パワーシステムズを完全子会社化、住電日立ケーブルを子会社化 2010年 住友電工 ワイヤーハーネス国際カルテル:日欧中の当局の摘発と競争法コンプライアンス規程の制定 2009年 住友電工 リーマンショックで営業利益が急減 2006年 住友電工 住友電装を完全子会社化:独ワイヤーハーネスメーカーの買収と併せた自動車配線事業の囲い込み 2001年 住友電工 ジェイ・パワーシステムズへの電力ケーブル譲渡:創業以来の高圧電力ケーブルを日立電線との折半会社へ移した祖業の切り出し 1999年 住友電工 ブレーキ・ABS事業を住友電工ブレーキシステムズに営業譲渡 1986年 住友電工 スミトモ エレクトリック ワイヤリング システムズを設立 1974年 住友電工 光ファイバ・ケーブルの製造開始 1969年 住友電工 FPC(フレキシブルプリント回路)の製造開始 1953年 住友電工 太陽電設工業に資本参加 1931年 住友電工 イゲタロイ(超硬工具)製造開始、東海電線に資本参加 1911年 住友電工 住友電線製造所設置:住友伸銅場からの電線部門の切り出しと、独立した経営基盤の確立 1897年 住友電工 住友伸銅場を開設:日本製銅の買収を足がかりとする銅線製造事業の立ち上げ
- フジ・メディア・HD 2026年 フジ・メディア・HD フジテレビの放送インフラ機能をFMHへ統合する方針を表明 2025年 フジ・メディア・HD 取締役の総入れ替え:人権侵害事案を受けた取締役会の刷新と、権限の滞留を断つ制度の導入 2025年 フジ・メディア・HD 第三者委員会の調査報告書を公表 2021年 フジ・メディア・HD ディノス・セシールがグループ外にセシール事業を譲渡 2016年 フジ・メディア・HD 株式の追加取得により、FNS系列局の仙台放送を子会社化 2012年 フジ・メディア・HD サンケイビルの子会社化:都市開発と観光を第二の柱とする、放送一本の収益構成の組み替え 2009年 フジ・メディア・HD 株式公開買付けにより通信販売会社のセシールを子会社化 2008年 フジ・メディア・HD フジテレビジョン新設分割:認定放送持株会社体制への移行と、フジ・メディア・ホールディングスの発足 2005年 フジ・メディア・HD ニッポン放送の完全子会社化:ライブドア・パートナーズの買収と、逆立ちした資本関係の解消 1995年 フジ・メディア・HD フジサンケイグループ本社を吸収合併 1989年 フジ・メディア・HD 第一世代クリアビジョン放送を開始 1979年 フジ・メディア・HD 情報システム開発会社のフジミックを設立 1964年 フジ・メディア・HD カラー本放送を開始 1959年 フジ・メディア・HD フジテレビジョン開局。映像出力10kw
- SCSK 2025年 SCSK 住友商事によるTOB:公開買付けによる完全子会社化と東証プライム市場上場の廃止 2024年 SCSK ネットワンシステムズを子会社化 2017年 SCSK 連結子会社であるクオカードの全株式を譲渡 2011年 SCSK CSKとの合併:株式会社SCSKへの商号変更を伴う、新たな体制での再出発 2005年 SCSK 住商エレクトロニクスとの合併:住友商事グループIT事業の一本化 1992年 SCSK 住商情報システムに商号変更 1989年 SCSK 東京証券取引所市場第二部に株式を上場 1970年 SCSK 東京支社を開設 1969年 SCSK 住商コンピューターサービスを設立
- ミスミG本社 2025年 ミスミG本社 米Fictiv買収で加工事業獲得:北米のオンライン加工事業の獲得と、meviyとの統合 2022年 ミスミG本社 DTダイナミクスを設立 2019年 ミスミG本社 中日本流通センターを開設 2012年 ミスミG本社 デイトン買収で金型機能獲得:米Dayton Progress・Anchor Lamina買収による金型部品の製造機能取り込み 2005年 ミスミG本社 駿河精機の取り込み:持株会社移行による流通専業からの転換 1998年 ミスミG本社 東京証券取引所市場第一部に上場 1989年 ミスミG本社 ミスミに商号変更 1977年 ミスミG本社 「プレス金型用標準部品」カタログを創刊 1963年 ミスミG本社 三住商事を設立
- 阪和興業 2026年 阪和興業 「Go Beyond」策定:中期経営計画2028海外M&A・電池材料への攻めの投資転換 2020年 阪和興業 鉄建工業を子会社化 2018年 阪和興業 TATT GIAP STEEL CENTRE(現・HANWA STEEL CENTRE (M))を子会社化 2012年 阪和興業 SEATTLE SHRIMP & SEAFOOD COMPANY, INC.を子会社化 2011年 阪和興業 「そ・こ・か」戦略:古川弘成社長のM&A+A 2007年 阪和興業 相互鉄筋工業の株式を取得 1994年 阪和興業 財テク撤退と本業回帰:本業回帰と8期ぶりの復配 1983年 阪和興業 東京支社を東京本社に昇格、二本社制を採用 1976年 阪和興業 HANWA THAILAND CO., LTD.設立 1968年 阪和興業 HANWA AMERICAN CORP.設立 1952年 阪和興業 名古屋出張所開設 1948年 阪和興業 東京出張所開設
- NSユナイテッド海運 2026年 NSユナイテッド海運 日本郵船によるTOBで非公開化:公開買付けへの賛同と、日本製鉄の持分縮小をともなう上場の取りやめ 2026年 NSユナイテッド海運 取締役会が賛同と応募推奨を決議 2026年 NSユナイテッド海運 日本製鉄が保有比率を16.67%へ引き下げ 2023年 NSユナイテッド海運 山中一馬氏が4代目社長に就任 2019年 NSユナイテッド海運 外航ケミカルタンカー事業からの撤退を決議 2019年 NSユナイテッド海運 ヴァーレ社と25年の長期輸送契約を締結 2010年 NSユナイテッド海運 新和海運と日鉄海運が合併:郵船系と新日鉄系の2社の統合による、NSユナイテッド海運の発足 2008年 NSユナイテッド海運 新日本製鐵がNSユナイテッド海運株式を買増し「その他の関係会社」に 1999年 NSユナイテッド海運 シンガポール法人としてDAJIN SHIPPING PTE LTDを設立 1989年 NSユナイテッド海運 船舶保守管理業務の効率化を図るため新和マリンを発足 1976年 NSユナイテッド海運 南洋材輸送強化のためインドネシアに合弁会社P.T.PAKARTI TATAを設立 1964年 NSユナイテッド海運 日本郵船グループへ系列編入:海運集約のもとでの独立経営の断念と、大手グループ傘下入りという選択 1962年 NSユナイテッド海運 東邦海運と合併し新和海運に:日鐵汽船からの改称をともなう2社統合と、新社名での再出発 1959年 NSユナイテッド海運 不動産管理部門を分離し東海興業を発足
- 豊田合成 2025年 豊田合成 芦森工業をTOBで買収:シートベルト大手を傘下に収める完全子会社化 2014年 豊田合成 独メテオール社の資産譲受:シーリング事業の欧州拡張と、5年後の連結除外 2002年 豊田合成 東洋ゴム工業との間でエアバッグ事業の譲受・防振ゴム事業の譲渡を契約 1999年 豊田合成 東京証券取引所市場第一部に株式上場 1987年 豊田合成 中華民国に豊裕を設立 1978年 豊田合成 名古屋証券取引所市場第二部に株式上場 1967年 豊田合成 稲沢工場を新設 1957年 豊田合成 春日工場を新設 1949年 豊田合成 名古屋ゴムの分離独立:企業再建整備法にもとづく第二会社
- クリエイトSDHD 2025年 クリエイトSDHD Next STAGEで大型化転換:出店拡大主義から既存店大型化と調剤深耕への成長モデルの組み替え 2020年 クリエイトSDHD クリエイトエス・ディーが百合ヶ丘産業を子会社化 2012年 クリエイトSDHD 医薬品と食品の併売店へ転換:創業家によらない外部プロ経営者への継承と、店舗の型の作り替え 2010年 クリエイトSDHD 連結子会社ウェルライフからデイサービス事業を承継したサロンデイを設立 2008年 クリエイトSDHD クリエイトエス・ディーHDに商号変更 1998年 クリエイトSDHD ヤマモトを設立 1983年 クリエイトSDHD みどりドラッグストアを設立 1975年 クリエイトSDHD みどり薬局を開業
- ファーストリテイリング 2025年 ファーストリテイリング 塚越大介氏が取締役就任:取締役定員の拡大と、創業者の後任を見据えた経営体制の整備 2025年 ファーストリテイリング 塚越大介氏がCOOに就任 2022年 ファーストリテイリング 北米事業の通期黒字化見通しを発表 2020年 ファーストリテイリング 国内直営既存店売上高が前年同月比56.5%減 2017年 ファーストリテイリング 有明本部が稼働 2016年 ファーストリテイリング 次世代物流センターが竣工 2013年 ファーストリテイリング 連結売上高が1兆円を突破 2013年 ファーストリテイリング 柳井正氏が65歳での社長引退という公約を撤回 2007年 ファーストリテイリング バーニーズ・ニューヨーク買収断念:米高級百貨店への買収提示と、その取り下げによる海外拡張の見送り 2006年 ファーストリテイリング ニューヨーク・ソーホー出店:郊外への多店舗から、一等地の1000坪旗艦店へ切り替えた世界展開 2006年 ファーストリテイリング 低価格GUの設立:主力ブランドより安い価格帯を担う新ブランドの立ち上げ 1998年 ファーストリテイリング ファミクロ撤退と店舗別運営への転換:本部による集中管理をやめ、店舗ごとの判断に委ねる運営への切り替え 1998年 ファーストリテイリング 「ユニクロ原宿店」を出店 1995年 ファーストリテイリング PB衣料の毎週売価変更:自主企画品の比率を8割に引き上げ、在庫を残さず売り切る体制の確立 1988年 ファーストリテイリング 香港経由の直接調達:製造小売業(SPA)の原型づくり 1985年 ファーストリテイリング 郊外の幹線道路沿いに「ユニクロ山の田店」を出店 1984年 ファーストリテイリング 「ユニクロ袋町店」を出店 1972年 ファーストリテイリング 柳井正氏が入社 1963年 ファーストリテイリング 小郡商事を設立 1949年 ファーストリテイリング 宇部での紳士服店創業:駅前の一店舗「小郡商事」を引き継いだ長男・柳井正氏の飛躍の起点
- SUBARU 2026年 SUBARU 監査等委員会設置会社への移行:重要な業務執行の決定を取締役へ委ね、取締役会の過半数を社外取締役とする選択 2017年 SUBARU 汎用エンジン・発電機事業から撤退 2012年 SUBARU 風力発電システム事業を日立に売却 2008年 SUBARU トヨタとの資本提携:出資比率16.5%の受け入れと、実質的なグループ入りの選択 2005年 SUBARU 「B9トライベッカ」投入:北米市場への集中とクロスオーバーSUVの本格投入 1999年 SUBARU GMとの資本提携:20%の出資受け入れと、主体性を保ったままのグループ入り 1990年 SUBARU 量産路線の放棄と米国販社の再建:独自の流儀を貫いた指揮による本体黒字化への立て直し 1987年 SUBARU いすゞとの北米合弁SIA:系列の垣根を越えた他社との組み合わせによる現地生産拠点の確保 1979年 SUBARU 4WD「レオーネ」を発売 1969年 SUBARU 群馬製作所・矢島工場を稼働 1958年 SUBARU 乗用車「スバル360」を発表 1953年 SUBARU 中島飛行機の戦後再結集:占領政策で解体された旧5社の再統合による富士重工業の誕生 1945年 SUBARU 富士産業に商号変更・軍需から民需転換
- 三井物産 2025年 三井物産 Rhodes Ridge鉄鉱石への参画:20年交渉した未開発鉱床の権益40%を約8,000億円で取得し、豪州鉄鉱石を積み増した 2025年 三井物産 Rhodes Ridge鉄鉱石プロジェクトへの参画を決定 2023年 三井物産 連結収益14兆3064億円、当期利益1兆1306億円 2016年 三井物産 当期純損失834億円を計上 2014年 三井物産 IFRS適用初年度、収益11兆1554億円 2009年 三井物産 九州支社と機能化学品の循環取引:財務報告に係る内部統制を有効と報告した期に、二つの営業部署で判明した架空取引と再発防止策 2002年 三井物産 国後島不正入札問題:DPFの虚偽データと併せて突きつけられた、内部統制の作り直しと360億円の補償 1994年 三井物産 サハリンⅡ石油・天然ガス開発契約(生産分与契約)調印 1990年 三井物産 イラン化学開発の清算完了によりイラン石油化学プロジェクトが終結 1976年 三井物産 イラン石油化学IJPCの続行:凍結論を退けて続けた末に、1,300億円の計画は7,400億円へ膨らんだ 1971年 三井物産 アブダビ・ダス島LNG開発基本協定調印 1966年 三井物産 Mount Newman鉄鉱石長期契約締結 1959年 三井物産 分散していた旧三井物産系商社を統合し現在の三井物産が発足 1947年 三井物産 過度経済力集中排除法により旧三井物産が解散 1876年 三井物産 益田孝氏による無資本創業:資本を持たずに興した商社と、解体と再結集を重ねた二層構造
- 日本板硝子 2026年 日本板硝子 アポロ出資で非公開化:1650億円の第三者割当と、株式併合による上場からの退出 2024年 日本板硝子 中期経営計画「2030 Vision : Shift the Phase」を発表 2018年 日本板硝子 創立100周年。経営指針「Our Vision」を策定 2011年 日本板硝子 国際会計基準(IFRS)を早期適用 2008年 日本板硝子 スチュアート・チェンバース氏が社長就任:買収先出身者と外部招聘による外国人社長2代の起用と委員会設置会社への移行 2006年 日本板硝子 英ピルキントンの完全子会社化:売上で2倍近い相手の、総額約6160億円での完全子会社化 2001年 日本板硝子 ピルキントン社の持株比率を20%へ引き上げ 1990年 日本板硝子 LOF社の株式の20%を取得 1986年 日本板硝子 リビー・オーエンス・フォード社と合弁でユナイテッドL-Nグラス社を設立 1970年 日本板硝子 日本安全硝子を吸収合併 1965年 日本板硝子 舞鶴工場に東洋初のフロート方式によるガラス製造設備新設 1954年 日本板硝子 自動車用ガラス子会社 日本安全硝子設立 1918年 日本板硝子 日米板硝子を設立(本店所在地: 大阪市)
- センコーGHD 2026年 センコーGHD ダルトンの株主提案を否決:資本効率を問う2議案を退け、任期短縮と元金融庁長官の招請で応じた総会 2023年 センコーGHD オーナミを子会社化し国内外の重量物輸送事業を拡大 2022年 センコーGHD プロダクト事業に参入 2017年 センコーGHD センコーグループHDに商号変更し持株会社体制に移行 2016年 センコーGHD 介護事業に本格参入 2014年 センコーGHD 低温物流事業に本格参入 2004年 センコーGHD 福田泰久氏が社長就任:センコーの新社長が掲げた「陸運業界ビッグ5入り」宣言 1996年 センコーGHD クレフィール湖東への投資:年間投資予算の3倍にあたる60億円を投じた研修施設への先行投資 1985年 センコーGHD 量販・小売店向け納品代行システムが稼働しチェーンストア物流事業を開始 1973年 センコーGHD 扇興運輸からの社名変更:旧社名からセンコー株式会社への改称による社名の一新 1965年 センコーGHD 業界に先駆けてコンピュータを導入 1954年 センコーGHD 特別積合せ貨物運送事業(路線事業)を開始 1949年 センコーGHD 海上運送業・海上運送取扱業・海運仲立業・海運代理店業を登録
- シップヘルスケアHD 2025年 シップヘルスケアHD SHIP VISIONで厨房撤退:長期構想に沿ったグループの再編統合と、厨房業務の切り離し 2022年 シップヘルスケアHD キングラン・その子会社11社を子会社化 2016年 シップヘルスケアHD 小西共和HD・その子会社4社を子会社化 2014年 シップヘルスケアHD GREEN HOSPITAL MYANMAR,LTD.(ミャンマー国ヤンゴン市)を設立 2009年 シップヘルスケアHD 分社型吸収分割で事業をシップヘルスケアHDへ承継し持株会社体制へ移行 2009年 シップヘルスケアHD セントラルユニとの株式交換を実施 2006年 シップヘルスケアHD セントラルユニを買収:東証二部上場と、買収を通じた院内設備事業の新たな取り込み 1999年 シップヘルスケアHD 子会社のメディカルイメージング部門を富士フイルムメディカル西日本へ営業譲渡 1997年 シップヘルスケアHD SPD主体へ転換:医療コンサルと写真フィルム販売から、院内物流代行を主軸とする体制への転換 1995年 シップヘルスケアHD 医療機関等に対するリース事業に参入
- 東映アニメーション 2025年 東映アニメーション 「VISION2030」策定:売上高2,000億円・営業利益500億円を掲げる中期経営計画の始動 2024年 東映アニメーション 普通株式1株につき5株の割合をもって株式分割 2018年 東映アニメーション 東京都練馬区光が丘の仮スタジオから新大泉スタジオに移転 2014年 東映アニメーション 本社を東京都中野区中野に 2000年 東映アニメーション 東映子会社のまま上場:親会社の傘下にとどまったままの店頭公開と、自前の資金調達手段の獲得 1999年 東映アニメーション テレビシリーズアニメ作品「ワンピース」放映開始 1986年 東映アニメーション テレビシリーズアニメ作品「ドラゴンボール」放映開始 1979年 東映アニメーション 初の自主製作劇場長編アニメ作品「銀河鉄道999」を公開 1967年 東映アニメーション 「魔法使いサリー」第18話より、テレビシリーズアニメ作品のカラー放映開始 1956年 東映アニメーション 日動映画買収し専属化:短編の外注先だった制作会社を長編漫画映画の自前スタジオへ改組 1948年 東映アニメーション 日本動画として設立、アニメ製作を開始
- ムニノバHD 2026年 ムニノバHD 持株会社ムニノバへ移行:1982年に名乗った「アイフル」の上場銘柄の終了と、純粋持株会社へのグループ統制の移管 2026年 ムニノバHD アイフル(8515)が東京証券取引所プライム市場で上場廃止 2024年 ムニノバHD 持分法適用非連結子会社であったFPCを子会社化 2016年 ムニノバHD ニュー・フロンティア・パートナーズがAGキャピタルに商号変更 2014年 ムニノバHD タイ王国に合弁会社AIRA & AIFUL Public Company Limitedを設立 2009年 ムニノバHD 事業再生ADRで存続:大手4社で唯一、会社更生も銀行傘下入りも避けた独立系としての再建 2001年 ムニノバHD 更生会社ライフを子会社化 1999年 ムニノバHD 特定金融会社の登録(近畿財務局長第1号)を実施 1982年 ムニノバHD 丸高が大朝・山勝産業・丸東の3社を吸収合併し商号を「アイフル」へ変更 1978年 ムニノバHD 丸高を設立 1967年 ムニノバHD 福田吉孝が京都で個人経営の消費者金融業を創業
- AGC 2026年 AGC 監査等委員会設置会社へ移行:社外取締役が過半を占める取締役会への組み替え 2024年 AGC 建築用・自動車用ガラス事業を譲渡しロシア事業から撤退 2021年 AGC 北米建築用ガラス事業を米国Cardinal Glass Industriesに譲渡 2016年 AGC バイオ医薬品CDMO事業に参入 2009年 AGC 旧北九州工場から自動車ガラス事業を撤退 1995年 AGC TFT液晶ガラス基板用無アルカリガラスの生産を開始 1994年 AGC 疑似分社制の導入:意思決定の遅さからの脱却を狙った事業単位への権限移譲 1981年 AGC ベルギーのグラバーベル社を買収 1980年 AGC アミーバ的多角化:戦略型研究開発を核に置いた新規事業の相次ぐ立ち上げ 1974年 AGC 鹿島工場を新設 1965年 AGC 羽沢研究所を新設 1959年 AGC 千葉工場を新設 1944年 AGC 日本化成工業と合併し三菱化成工業に商号変更 1916年 AGC 耐火煉瓦の生産を開始しセラミックス事業に参入
- アマダ 2025年 アマダ エイチアンドエフとビアメカニクス買収:自前開発ではなく687億円の買収による超大型プレスと基板の微細穴明の獲得 2020年 アマダ 子会社アマダを吸収合併しアマダに商号変更 2015年 アマダ 持株会社体制へ移行、アマダHDに商号変更 2013年 アマダ ミヤチテクノス(アマダウエルドテック)を株式公開買付けで子会社化 2010年 アマダ FY09、売上1,360億円・営業損失96億円 2009年 アマダ FY08、リーマン・ショックで売上約21%減 1990年 アマダ 加工ソフト組込みへ転換:加工機単体の販売からの離脱と、システム販売への移行 1986年 アマダ プロメカム・シッソン・レーマン社を買収 1974年 アマダ 園池製作所の株式取得:不振に陥った同業の連続買収と、企業再建を事業に組み込む路線への転換 1965年 アマダ 代理店を通さない直販網:代理店経由の販売からの離脱と直接販売網の構築 1955年 アマダ 独自バンドソー(金属帯鋸盤・コンターマシン)1号機を開発 1948年 アマダ 天田製作所を設立
- 東洋水産 2025年 東洋水産 カリフォルニア新工場投資:蓄積した資金を北米即席麺の増産へ振り向ける能力投資 2009年 東洋水産 上場子会社フクシマフーズを株式交換により完全子会社化 1994年 東洋水産 アーバイン工場で現地化:米国第3工場を軸とした北米即席麺市場の現地化と、本国が知らぬ米国首位 1989年 東洋水産 マルチャンバージニア,INC.を設立 1976年 東洋水産 豊醤油に資本参加 1961年 東洋水産 マルちゃんで即席麺参入:魚を商う水産商社から加工食品メーカーへの転身(1961) 1960年 東洋水産 東京水産興業と合併 1956年 東洋水産 魚肉ハム・ソーセージの生産を開始 1955年 東洋水産 冷蔵庫事業に参入
- ブルーゾーンHD 2025年 ブルーゾーンHD ブルーゾーンHD設立:親子関係を兄弟関係へ組み替える純粋持株会社体制への移行 2025年 ブルーゾーンHD 文化堂・クックマートを子会社化 2024年 ブルーゾーンHD せんどうの株式の一部を譲り受け子会社化(株式保有割合66%) 2021年 ブルーゾーンHD フーコットを100%子会社として設立 2017年 ブルーゾーンHD エイヴイ・エイヴイ開発の全株式取得で子会社化 2012年 ブルーゾーンHD マーケティング推進のためヤオコーカードを導入 2006年 ブルーゾーンHD 千葉物流センターを開設 1998年 ブルーゾーンHD ヤオコー狭山店業態転換:狭山店リニューアルと食生活提案型スーパーへの業態転換 1988年 ブルーゾーンHD 日本証券業協会の店頭登録銘柄として株式公開 1974年 ブルーゾーンHD 有限会社八百幸商店を株式会社に改組し株式会社ヤオコーを設立
- 住友不動産 2025年 住友不動産 エリオットの株主提案:アクティビスト・住友不動産の対応 2023年 住友不動産 「羽田エアポートガーデン」全面開業 2017年 住友不動産 住友不動産販売を完全子会社化 2014年 住友不動産 分譲マンション年間供給戸数日本一を達成 2008年 住友不動産 住友不動産ベルサール設立 1999年 住友不動産 国内初の商業用不動産公募証券化を実施 1996年 住友不動産 「新築そっくりさん」事業に参入 1995年 住友不動産 都心ビル路線での事業整理:バブル不況からの再建——都心ビル路線の継続 1986年 住友不動産 住友不動産フィットネス設立 1975年 住友不動産 住友不動産販売を設立 1964年 住友不動産 初のマンション分譲 1963年 住友不動産 住友本社を吸収合併 1957年 住友不動産 住友不動産に商号変更 1949年 住友不動産 泉不動産として設立
- 象印マホービン 2025年 象印マホービン ギャランツ圧力下で防衛策廃止:自己株式取得・増配による株主還元への切り替え 2025年 象印マホービン 自己株式取得・増配による株主還元へ切り替え 2018年 象印マホービン 東京証券取引所市場第一部に指定 2014年 象印マホービン 販売会社Zojirushi SE Asia Corporation Ltd.を設立 2003年 象印マホービン 象印ファクトリー・ジャパンに生産移管 1995年 象印マホービン 製造会社新象製造廠有限公司を設立 1987年 象印マホービン サクセス90の発売:電気炊飯ジャーを低価格路線から高級品路線へ切り替える商品戦略の転換 1981年 象印マホービン ステンレス製マホービンを開発し販売を開始 1970年 象印マホービン 電子ジャーの発売:自社開発の製品を足がかりに、魔法瓶専業から家庭用電気製品部門への進出 1970年 象印マホービン 家庭用電気製品部門に参入 1967年 象印マホービン 製造会社和研プラスチックス〔現・象印ファクトリー・ジャパン〕を設立 1953年 象印マホービン 協和魔法瓶工業に商号変更 1948年 象印マホービン 協和製作所を設立
- 住友ゴム工業 2025年 住友ゴム工業 DUNLOP商標権を取得:グッドイヤーからの欧州・北米・オセアニアの権利の買い戻しと、基幹ブランドのFALKENからの入れ替え 2024年 住友ゴム工業 米国生産子会社の生産終了と解散の決定 2018年 住友ゴム工業 ダンロップスポーツの吸収合併によるスポーツ事業の統合 2015年 住友ゴム工業 グッドイヤーとの提携解消と北米子会社の完全子会社化 2013年 住友ゴム工業 南アフリカのアポロタイヤ子会社の買収 2003年 住友ゴム工業 オーツタイヤと日本ダンロップの吸収合併 2000年 住友ゴム工業 オーツタイヤの第三者割当増資の全額引受 1999年 住友ゴム工業 米国グッドイヤーとの世界的提携契約の締結 1995年 住友ゴム工業 阪神大震災による神戸工場の被災と閉鎖 1986年 住友ゴム工業 米国の自動車タイヤメーカーの買収 1985年 住友ゴム工業 英ダンロップ事業を取得:保有株の買い取りによる欧州3社・米国のタイヤ事業の取り込み 1985年 住友ゴム工業 英国・西独のダンロップ社タイヤ工場の買収 1975年 住友ゴム工業 東京・大阪・名古屋の3証券取引所第二部に上場 1963年 住友ゴム工業 ダンロップから経営権移管:住友電気工業を中心とする日本側への経営権の移行と、住友ゴム工業への商号変更 1963年 住友ゴム工業 住友ゴム工業に商号変更と日本ダンロップ護謨の設立 1961年 住友ゴム工業 日本長期信用銀行と資本提携 1949年 住友ゴム工業 日本ダンロップ護謨に商号を復帰 1917年 住友ゴム工業 ダンロップ護謨(極東)を設立
- 山九 2025年 山九 中村公一氏の社長退任と中村公大氏への継承:創業家6代にわたる同族承継——中村公一氏からCEO交代 2024年 山九 山陽工業の全株式を取得 2015年 山九 C.H. Robinson Worldwide Inc.と業務提携 2014年 山九 中国・青島捷順利達物流有限公司を設立 2007年 山九 山九プラント工業とサンキュウエンジニアリングが合併し山九プラントテクノとして発足 1990年 山九 岡﨑工業と合併 1986年 山九 中村公三氏の急逝と中村公一氏への継承:親会社の経営破綻を受けた35歳・中村公一氏への経営の引き継ぎ 1986年 山九 親会社の中村汽船が自己破産 1986年 山九 中村公一氏が社長に就任 1979年 山九 中国・宝山製鉄所向け製鉄プラント輸出業務を開始 1964年 山九 海外建設工事に参入 1959年 山九 山九運輸機工に商号変更:機工・建設部門への進出と、株式上場による資本市場からの調達手段の確保 1959年 山九 機工・建設部門に参入 1954年 山九 ユーゴスラビアへのプラント輸出:戦後の日本企業として初の受注と、一貫作業による海外進出の足がかり 1949年 山九 建設業を開始
- グンゼ 2025年 グンゼ アパレル事業の構造改革:主力事業の作り替えと、機能ソリューション・メディカルへの中核の移行 2025年 グンゼ 津山グンゼを吸収合併しミシン糸の製造加工を統合 2023年 グンゼ メディカル事業の一部をグンゼメディカルへ承継 2019年 グンゼ メディカルユーアンドエイを子会社化 2017年 グンゼ グンゼメディカルジャパンを設立 2011年 グンゼ 深圳にメディカル材料の製造販売会社を設立 2007年 グンゼ 常熟に繊維資材の製造販売会社を設立 1990年 グンゼ タイに子会社を設立しインナーウエアの海外生産を開始 1989年 グンゼ 新大阪造機を吸収合併し印刷・食品機械事業に参入 1985年 グンゼ 塚口工場跡地に商業施設「つかしん」を開業 1971年 グンゼ 販売子会社23社体制へ再編:代理店に委ねてきた流通の直接掌握と、首都圏販売の3系列への集約 1968年 グンゼ 守山工場を新設しプラスチックフィルム事業を強化 1967年 グンゼ 商号をグンゼに変更 1958年 グンゼ 江南工場を新設し合繊紡績事業に参入 1954年 グンゼ 津山工場でミシン糸事業を開始 1946年 グンゼ メリヤス業への転換:紡績への復帰を捨てた、フルファッション技術の編み物への転用 1943年 グンゼ 戦時体制で製糸17工場などを日本蚕糸製造に移管 1896年 グンゼ 生糸の製造販売を目的に綾部で郡是製絲を設立
- 倉敷紡績 2026年 倉敷紡績 買収への対応方針の廃止提案を否決:継続議案の賛成率の低下を突いた2件の株主提案と、22.37%・38.38%で退けた第218回総会 2025年 倉敷紡績 2025年6月末を目途に安城工場の閉鎖を決定 2022年 倉敷紡績 東京証券取引所プライム市場に移行 2018年 倉敷紡績 熊本事業所を開設 2012年 倉敷紡績 三重工場を新設 2007年 倉敷紡績 シーダムに出資し子会社化 1991年 倉敷紡績 バイオメディカル事業に参入 1990年 倉敷紡績 不動産事業に参入 1989年 倉敷紡績 化成品事業で群馬工場を新設 1976年 倉敷紡績 色彩管理システム・生産管理システム等のエレクトロニクス事業に参入 1970年 倉敷紡績 環境制御装置などのエンジニアリング事業に参入 1962年 倉敷紡績 寝屋川工場を新設:化成品・環境エンジニアリング・エレクトロニクスへ本体で多角化 1962年 倉敷紡績 ポリウレタンフォームなど化成品事業に参入 1957年 倉敷紡績 クラシキ・ド・ブラジル・テキスタイルを設立 1930年 倉敷紡績 倉敷労働科学研究所を分離:世界恐慌下での会社からの切り離しと、大原孫三郎の個人経営への移管 1926年 倉敷紡績 倉敷絹織を別会社設立:人絹工業への進出を本体から切り離して担わせた新会社(現クラレ) 1888年 倉敷紡績 有限責任倉敷紡績所として創立
- わかもと製薬 2026年 わかもと製薬 ナナホシの中期経営計画提案を否決:ROE・WACC・セグメント別ROICの開示を定款へ書き込ませる要求と、17.08%で退けた第131回総会 2025年 わかもと製薬 多焦点眼内レンズ「アクリバトリノバPro」を発売 2023年 わかもと製薬 フェムケア商品「フェミフローラ」を発売 2019年 わかもと製薬 機能性表示食品「オプティエイドML MACULAR」を発売 2010年 わかもと製薬 眼科手術補助剤「マキュエイド硝子体内注用40mg」を発売 2008年 わかもと製薬 第二培養棟が完成 1999年 わかもと製薬 緑内障治療剤「リズモンTG点眼液」を発売 1989年 わかもと製薬 抗炎症点眼剤「ジクロード点眼液0.1%」を発売 1983年 わかもと製薬 薬用歯磨「コーラル」を発売 1970年 わかもと製薬 耐性乳酸菌製剤「レベニン」を発売 1968年 わかもと製薬 相模大井工場を新設 1962年 わかもと製薬 「強力わかもと」を発売 1943年 わかもと製薬 わかもと製薬に商号変更 1929年 わかもと製薬 栄養と育児の会を創立
- インフロニア・HD 2026年 インフロニア・HD 三井住友建設をTOBで買収:同業を傘下に収める子会社化と、グループ体制への取り込み 2024年 インフロニア・HD 日本風力開発を完全子会社化 2021年 インフロニア・HD 共同株式移転によりインフロニア・HD設立、東京証券取引所一部に上場 2016年 インフロニア・HD 仙台国際空港の運営を開始(国管理空港初の民営化) 2016年 インフロニア・HD 愛知県有料道路8路線の運営権を取得 2013年 インフロニア・HD 太陽光発電事業に出資 2009年 インフロニア・HD 創業家以外から初の社長(小原好一氏)が就任 1989年 インフロニア・HD 前田製作所が株式を店頭公開 1972年 インフロニア・HD 東京証券取引所市場第一部に指定替え 1968年 インフロニア・HD 前田道路に商号変更 1959年 インフロニア・HD 仙台・東京・名古屋・大阪に支店を開設 1949年 インフロニア・HD 建設業法に基づく建設大臣登録を取得
- 牧野フライス製作所 2026年 牧野フライス製作所 外為法勧告後の自己株取得要求を否決:公開買付けの不実施で閉ざされた出口に、当初買付価格での自己株式取得を求めた提案とその拒絶 2026年 牧野フライス製作所 外為法に基づく中止勧告を受け公開買付契約を合意解約、公開買付けは不実施 2025年 牧野フライス製作所 MMホールディングスによる公開買付けに賛同を表明し公開買付契約を締結 2024年 牧野フライス製作所 外部から買収提案を受ける 2020年 牧野フライス製作所 レーザ加工機LB300およびLB500を開発 2012年 牧野フライス製作所 山梨県富士吉田市に富士吉田工場を建設 2002年 牧野フライス製作所 中国に牧野机床(中国)有限公司を設立 1991年 牧野フライス製作所 GI制御・スーパーGI制御を開発 1987年 牧野フライス製作所 レブロンド・マキノ・アジア社を子会社化 1981年 牧野フライス製作所 米国レブロンド社を買収 1978年 牧野フライス製作所 西独のハイデンライヒアンドハーベック社に資本参加 1975年 牧野フライス製作所 放電加工機の開発・生産・販売を開始 1966年 牧野フライス製作所 マシニングセンタの国産第一号機を開発 1961年 牧野フライス製作所 牧野フライス製作所に商号変更 1958年 牧野フライス製作所 わが国最初の磁気テープによる数値制御立フライス盤を開発 1951年 牧野フライス製作所 株式会社組織に改組(資本金300万円) 1942年 牧野フライス製作所 牧野竪フライス製作所に商号変更 1937年 牧野フライス製作所 牧野常造が立フライス盤の専門メーカー牧野商店製作部を創業
- MCJ 2026年 MCJ ベインキャピタルとMBO:創業会長が主導した非公開化と、上場企業としての立場の返上 2022年 MCJ スタンダード市場へ移行 2018年 MCJ R-Logic International Pte Ltdの株式取得 2013年 MCJ エムヴィケーとユニティが合併しアユートに商号変更 2006年 MCJ ウェルコムとイーヤマ販売の株式取得 2006年 MCJ 会社分割による純粋持株会社へ移行 1998年 MCJ エムシージェイを設立
- ソニーFG 2026年 ソニーFG ソニー生命の金銭不祥事:開示の遅れを問われたグループの対応 2020年 ソニーFG ソニーがソニーフィナンシャルHDを完全子会社化 2018年 ソニーFG 投資子会社「ソニーフィナンシャルベンチャーズ」を設立 2014年 ソニーFG 会社分割により介護事業を統括する持株会社「ソニー・ライフケア」を設立 2004年 ソニーFG ソニーからの会社分割によりソニーフィナンシャルHDを設立 2001年 ソニーFG ソニーなどの出資によりソニー銀行を設立 1999年 ソニーFG ダイレクト型自動車保険の販売を開始 1987年 ソニーFG ソニーと米プルデンシャルが生命保険合弁契約の終了に合意 1981年 ソニーFG 「ライフプランナー」制度を発足 1979年 ソニーFG ソニーが米プルデンシャルとの合弁でソニー・プルーデンシャル生命保険を設立
- テクノプロ・HD 2025年 テクノプロ・HD ブラックストーンの完全子会社化:東証プライム市場の上場廃止と、公開会社としての歩みの終わり 2025年 テクノプロ・HD 12月9日にプライム市場を上場廃止 2021年 テクノプロ・HD インド本社のRobosoft Technologies Private Limitedを子会社化 2018年 テクノプロ・HD シンガポール本社のHelius Technologies Pte Ltdを子会社化 2014年 テクノプロ・HD シーテック、テクノプロ・エンジニアリング、CSI、ハイテックが合併 2006年 テクノプロ・HD グッドウィル・グループがクリスタルを子会社化 2000年 テクノプロ・HD 日設エンジニアリングが技術者派遣業務を開始 1998年 テクノプロ・HD ハイテックインターナショナルがインタープロジェクトに商号変更 1988年 テクノプロ・HD クリスタルの子会社としてハイテックを設立 1973年 テクノプロ・HD プラント設計等を事業目的として、日設エンジニアリング設立
- 日立製作所 2022年 日立製作所 日立金属株式の譲渡:上場子会社群の売却と親子上場構造の解体 2021年 日立製作所 日立Astemoへのホンダ3社統合:自動車部品事業に外部資本を入れ、持分を100%から66.6%へ薄めて規模を取った統合 2021年 日立製作所 米GlobalLogicの買収:デジタルエンジニアリングの内製力の9,222億円での外部からの調達 2019年 日立製作所 「ホライズンプロジェクト」撤退:英国での原発事業の凍結と、海外原発路線の断念 2015年 日立製作所 アンサルド鉄道2社の買収:信号のアンサルドSTSと車両アンサルドブレダの事業の取り込みによる欧州大陸への足場づくり 2012年 日立製作所 Western DigitalへHDD事業を売却 2009年 日立製作所 社会イノベーション事業への集中:製造業最大の赤字を受けて上場子会社を取り込み、事業を絞り込んだ再建 2007年 日立製作所 ガス絶縁開閉装置の課徴金取消訴訟:欧州委員会の納付命令を受け入れず4年8か月争い、棄却されて納付した選択 2003年 日立製作所 IBMからHDD事業を買収 1999年 日立製作所 NECと合弁会社を設立(NEC日立メモリを合弁設立) 1989年 日立製作所 Hitachi Asiaを設立(アジア統括拠点) 1969年 日立製作所 システム開発を本格化 1956年 日立製作所 日立金属・日立電線を設立(子会社分離を開始) 1953年 日立製作所 GE・RCA・WEと技術提携:海外技術の相次ぐ受け入れと、国産技術主義の撤回 1950年 日立製作所 労働組合と対立・約8500名を削減 1937年 日立製作所 国産工業を吸収合併・国内工場を拡充 1910年 日立製作所 日立鉱山からの創業:修理工場から自前主義で興した国産電機メーカーの始まり
- 東芝 2023年 東芝 日本産業パートナーズに買収:国内連合による約2兆円の提案受け入れと、株式の非公開化 2022年 東芝 会社分割案の株主総会否決:2分割で自力再建を図る構想の提示と、支持を得られぬまま迎えた2022年の破談 2021年 東芝 永山治議長の再任否決:エフィッシモの株主提案による独立調査と、経営陣への信任の否定 2018年 東芝 車谷暢昭氏が会長CEO就任:生え抜きによる社長継承の打ち切りと、10年で5人が替わった経営トップ人事 2018年 東芝 東芝メモリ(現キオクシア)分離:稼ぎ頭であった半導体メモリ事業の切り出しと売却 2015年 東芝 利益水増しの発覚と経営陣退任:不正会計(不適切会計)の発覚と歴代3社長の引責辞任 2013年 東芝 田中久雄氏が社長に就任 2008年 東芝 「HD DVD」からの撤退:自ら仕掛けた次世代規格戦争の終息と、敗北の受け入れ 2006年 東芝 米ウェスチングハウス買収:約54億ドルを投じた世界一の原子力事業の構築 2001年 東芝 NAND型フラッシュへ集中:汎用DRAM事業からの撤退と、主力メモリの入れ替え 1996年 東芝 社内カンパニー制を導入 1992年 東芝 佐藤文夫氏が社長に就任 1989年 東芝 ノートパソコン「ダイナブック」を発売 1989年 東芝 日本原子力事業を吸収合併 1977年 東芝 売上高が1兆609億円に到達 1972年 東芝 玉置敬三氏が社長に就任 1969年 東芝 事業部内閣制に移行 1965年 東芝 土光敏夫氏が社長に就任 1957年 東芝 岩下文雄氏が社長に就任 1950年 東芝 企業再建整備計画により第二会社14社を設立 1949年 東芝 石坂泰三氏が社長に就任 1939年 東芝 東京電気と合併し東京芝浦電気を設立
- みずほFG 2025年 みずほFG 経常収益9兆303億円・純利益8,854億円で過去最高 2023年 みずほFG 米グリーンヒル買収:買収による、M&A助言機能を自社内へ取り込む体制づくり 2022年 みずほFG 楽天証券への出資:資本業務提携——対面のみずほ、ネットの楽天 2021年 みずほFG MINORI障害の頻発:度重なるシステム障害と行政処分——経営責任とガバナンス改革への転換 2019年 みずほFG MINORIへ全面刷新:3行の勘定系を一元化し、業務ごとに組み直した次期システムへの全面刷新 2017年 みずほFG 抜本的構造改革への着手:約8万人の人員と約500拠点から、1.9万人と100拠点を削る10年計画 2014年 みずほFG 委員会設置会社へ移行:監督と経営を分け、社外取締役を中心とする3委員会へ統治を組み替えた機関設計の転換 2013年 みずほFG みずほ銀行に統合:コーポレート銀行との合併による2行分立体制の解消と一体運営への移行 2011年 みずほFG みずほ第2次システム障害(東日本大震災義援金処理を契機) 2009年 みずほFG 純損失5,888億円を計上 2003年 みずほFG みずほフィナンシャルグループ発足 2000年 みずほFG 第一勧業・富士・興銀統合:3行が一つの傘の下に入り、2000年に成立した金融グループ「みずほ」
- 三菱重工業 2023年 三菱重工業 スペースジェット開発中止:国産ジェット旅客機の事業化断念と、民間機開発からの撤収 2022年 三菱重工業 防衛・宇宙事業の倍増:防衛事業の急拡大——縮小産業を国策の成長事業へ 2020年 三菱重工業 三菱日立パワー合弁を解消:火力発電事業の合弁からの離脱と、単独運営への切り替え 2016年 三菱重工業 アイーダ客船事業から撤退:2隻で2,718億円の損失を積み、船舶海洋事業をガス船と艤装主体船へ寄せるまで 2015年 三菱重工業 監査等委員会設置会社へ移行:取締役会を監督に寄せ、重要な業務執行の決定を取締役社長へ委ねた統治の組み替え 2015年 三菱重工業 Primetals Technologies, Limitedが営業開始 2012年 三菱重工業 日立と火力発電事業統合:重電の中核事業を切り出した三菱日立パワーシステムズの発足 2006年 三菱重工業 仏アレバと中型炉合弁設立:ウェスチングハウス買収入札での敗退を受けた、中型炉共同開発への転進 2000年 三菱重工業 最終赤字に転落 1995年 三菱重工業 三菱原子力工業を合併 1988年 三菱重工業 広島海洋機器工場を閉鎖 1970年 三菱重工業 三菱自動車工業を分離設立:自動車部門の切り出しと、独立会社としての新たな出発 1964年 三菱重工業 三菱造船など三社の再合併:財閥解体で分割された三社の再合併による一体経営への復帰 1956年 三菱重工業 マンモスタンカー建造着手:超大型船の建造に耐える設備の拡充と、大型化への舵切り 1953年 三菱重工業 戦闘機の生産再開を決定(国内ライセンス生産) 1950年 三菱重工業 財閥解体により3社に会社分割 1921年 三菱重工業 神戸造船所旧電気部を三菱電機として分離 1884年 三菱重工業 工部省から長崎造船局を借り受け創立
- SBIHD 2023年 SBIHD 「ゼロ革命」で手数料無料化:オンラインの国内株式売買手数料の放棄と、金融収益・口座数での取り返し 2021年 SBIHD 新生銀行の連結子会社化:負ののれん2,637億円を生んだ企業結合と、非公開化までの追加取得 2021年 SBIHD 新生銀行への敵対的TOB:同意なき部分買付けで議決権47.77%を握り、過半に届かないまま連結子会社とした 2019年 SBIHD 島根銀行との資本業務提携:複数の地方銀行への出資を重ねて広げる地域金融連合の形成 2016年 SBIHD 米リップルとの提携:提携を足がかりとした暗号資産事業への参入 2013年 SBIHD 現代スイス貯蓄銀行を子会社化 2007年 SBIHD 住信SBIネット銀行の設立:住友信託銀行との折半出資で銀行業へ入り、連結子会社にはしなかった選択 2007年 SBIHD ジャパンネクストPTS開業:米ゴールドマン・サックスとの折半出資で始めた私設取引システム(PTS)事業への参入 2006年 SBIHD イー・トレードの集約:傘下のネット証券と対面証券の一社への統合と、上場子会社の解消 1999年 SBIHD ソフトバンク・インベストメントを設立
- 東京ガス 2024年 東京ガス エリオットの株式取得:5%の株式取得を背景に突きつけられた不動産売却要求への対応 2023年 東京ガス 笹山晋一氏が社長就任:社外が過半を占める指名委員会の審議を経た、5年ぶりの代表執行役社長の交代 2023年 東京ガス ロッククリフの全株取得:米国でシェールガスを開発・生産する会社の完全子会社化 2016年 東京ガス ずっともプランで電力参入:電力小売全面自由化に合わせた家庭向け低圧電力販売への参入とガス・電気のセット販売 2014年 東京ガス 広瀬道明が代表取締役社長に就任 2009年 東京ガス ロシア(サハリン)よりLNG導入開始 1998年 東京ガス 扇島LNG基地操業開始 1989年 東京ガス オーストラリアよりLNG導入開始 1972年 東京ガス 上尾を起点に熱量変更:供給熱量の11,000キロカロリーへの引き上げと、首都圏550万件のガス機器の自社調整 1969年 東京ガス アラスカ産LNGの導入:15年の長期契約・東京電力との共同調達と根岸基地の建設 1944年 東京ガス 関東瓦斯以下19社を合併吸収 1885年 東京ガス 東京府瓦斯局の払い下げ:引き受けと東京瓦斯会社の創立
- 三井住友FG 2025年 三井住友FG FY24経常利益1兆7195億円、純利益1兆1780億円 2022年 三井住友FG 日興証券相場操縦事件:傘下証券会社の不正を受けた親会社・三井住友FGの引責とガバナンス対応 2021年 三井住友FG 米ジェフリーズと資本提携:海外投資銀行の機能を自前ではなく提携で補うという選択 2021年 三井住友FG VPBankへ出資:消費者金融FE Creditの49%取得から地場大手銀行15%へ広げたベトナムへの出資 2019年 三井住友FG 太田純氏が社長に就任 2013年 三井住友FG BTPNの子会社化:インドネシア——40%出資から現地二行統合までの6年 2011年 三井住友FG プロミスの完全子会社化:銀行が消費者金融を丸ごと抱えた再編 2009年 三井住友FG 日興コーディアル買収:金融危機に揺れるシティからの証券リテール基盤の取り込み 2006年 三井住友FG 発足時に抱えた約1兆5000億円の公的資金を完済 2001年 三井住友FG さくら・住友銀行合併:二行の合併で生まれた新銀行への一本化と、2001年の体制成立
- 森ビル 2025年 森ビル 麻布台ヒルズレジデンスBの竣工 2024年 森ビル 六本木五丁目西地区の再開発着手:7000億円規模の再開発と、住友不動産との共同事業化 2023年 森ビル 麻布台ヒルズの開業:虎ノ門・麻布台地区の開発区域拡大 2023年 森ビル 虎ノ門ヒルズ周辺の連続開発:3街区を続けて手がける進め方と、日比谷線新駅を再開発と一体で整備する構え 2014年 森ビル 虎ノ門ヒルズ森タワーの竣工:立体道路制度を使った環状第二号線上空への超高層建設 2008年 森ビル 中国上海で上海環球金融中心が竣工 2006年 森ビル 同潤会青山アパート跡地に表参道ヒルズが竣工 2003年 森ビル 六本木ヒルズの竣工:用地の自社取得から地権者参画・床売却への切り替え 1996年 森ビル 中国大連で森茂大厦が竣工 1986年 森ビル アークヒルズの用途複合化:サントリーホール・テレビ朝日の誘致と、住宅・ホテルまで含めた用途構成の選択 1986年 森ビル アークヒルズの竣工:単独ビルの建設から市街地再開発事業への転換 1978年 森ビル 商業施設ラフォーレ原宿の開業 1975年 森ビル フロー収益型融資への転換:取引銀行へ差し入れた担保の解除と、グループ収益力を裏づけとする借入への転換 1966年 森ビル 虎ノ門10森ビル竣工にともない本社を移転 1959年 森ビル 虎ノ門への集中投資:森事務所の法人化による森ビルの設立
- 西日本旅客鉄道 2022年 西日本旅客鉄道 監査等委員会設置会社へ移行:監査役会の廃止と監査等委員4名の取締役会への参加、執行の権限の業務執行取締役への委譲 2022年 西日本旅客鉄道 赤字ローカル線収支を公表:輸送密度2,000人未満30区間の収支初開示による、地域との存廃協議の提起 2021年 西日本旅客鉄道 コロナ禍での資本増強:JRグループ初の公募増資2786億円と「鉄道一本足」からの構造転換 2018年 西日本旅客鉄道 三江線を廃止 2006年 西日本旅客鉄道 山崎正夫氏が社長就任:定時株主総会を待たない交代が5度続いた、事故後の経営トップ人事 2005年 西日本旅客鉄道 福知山線事故後の安全改革:安全性向上計画から安全基本計画へ、安全の経営計画の根幹への置き直し 2004年 西日本旅客鉄道 完全民営化を達成 1995年 西日本旅客鉄道 阪神・淡路大震災で鉄道網が被災 1991年 西日本旅客鉄道 山陽新幹線鉄道施設を保有機構から譲受け 1988年 西日本旅客鉄道 自動車事業を西日本ジェイアールバスなどに譲渡 1987年 西日本旅客鉄道 国鉄分割民営化によりJR西日本を設立 1975年 西日本旅客鉄道 山陽新幹線(岡山〜博多間)開業・全線開通 1949年 西日本旅客鉄道 日本国有鉄道が公共企業体として設立
- サイバーエージェント 2023年 サイバーエージェント サクセッションプラン公表:創業者からの世代交代に向けた後継者の選抜と育成の枠組み 2022年 サイバーエージェント ABEMAでW杯無料生中継:大会の全試合を無料で流す大型生中継への踏み込み 2019年 サイバーエージェント コーポレートガバナンス改革:社長選任賛成率57.56%を機とする経営体制の見直し 2018年 サイバーエージェント FC町田ゼルビア子会社化:プロサッカークラブの取り込みによるスポーツ事業への参入 2015年 サイバーエージェント AbemaTVを設立 2014年 サイバーエージェント Ameba事業の構造改革を実施 2013年 サイバーエージェント サイバーエージェントFXの株式売却 2012年 サイバーエージェント Cygames株をDeNAへ一部譲渡:子会社株式460株の譲渡と引き換えに結んだ資本業務提携 2009年 サイバーエージェント ジークレストを完全子会社化:オンラインゲーム子会社の全株取得による課金事業の取り込み 2006年 サイバーエージェント エンジニア採用本格化:人材の積み増しを通じた、外部依存から開発体制の内製化への転換 2004年 サイバーエージェント アメーバブログ開始:ブログサービスの立ち上げによるメディア事業への参入 1998年 サイバーエージェント サイバーエージェントを設立
- 光通信 2022年 光通信 シック・HDの完全子会社化:上場子会社を完全子会社化してグループに取り込む資本政策 2022年 光通信 HTBエナジーを子会社化:電力取引価格が高騰し新電力が退くなかで電力小売を買い増した判断 2019年 光通信 株式運用への傾斜:本業で積み上げたストック利益の、上場株の長期保有への振り向け 2019年 光通信 和田英明氏が代表取締役社長に就任、玉村剛史氏は取締役副会長へ 2015年 光通信 ウォーターダイレクトの買収:中小企業向け営業チャネルに水・保険・電力を載せ替える多品目化 2013年 光通信 エフティグループを子会社化 2003年 光通信 OA機器販売への転換:社債償還危機下の有利子負債圧縮と収益源の入れ替え 2001年 光通信 クレイフィッシュ経営権争い:ネットバブル期に膨らんだベンチャー投資と、その後始末に追われた経営の混乱 2000年 光通信 HIT SHOP架空契約発覚:契約実態のない売上計上の露見を受けた携帯電話小売からの撤退 1994年 光通信 HITSHOP展開を開始:携帯電話の売切り制移行を機とした販売代理店事業への本格参入とコミッション収益モデルの確立 1988年 光通信 訪問販売モデルの確立:通信自由化を機とした創業と、後の主力となる販売手法の設計
- シャープ 2024年 シャープ 堺SDP・亀山を清算:大型液晶パネルからの全面撤退と、自前の量産拠点の手放し 2024年 シャープ 沖津雅浩氏が社長就任:4年に満たない任期で6代が入れ替わり、指名を社外過半の委員会に委ねる体制 2024年 シャープ 希望退職者の募集 2016年 シャープ 鴻海精密工業傘下での再建:経営体制の入れ替えと、構造改革による自己資本の立て直し 2016年 シャープ 鴻海の出資受け入れと革新機構案の破談:官民ファンド案と台湾企業案の二者択一と、外資の傘下入り 2013年 シャープ 過去最大の最終赤字転落 2009年 シャープ TFT液晶カルテルの罰金合意:米国では争わず日本では審判で争った、国際カルテル調査への二重の応じ方 2009年 シャープ 堺に第10世代パネル工場:世界初となる最大級の液晶量産ラインへの集中投資という一点賭け 2004年 シャープ 亀山モデルへ集中投資:材料から完成品までを一つの拠点で作る液晶一貫生産への賭け 1998年 シャープ 町田勝彦氏が社長就任・液晶テレビ宣言 1984年 シャープ 福山工場を新設 1973年 シャープ 液晶電卓EL-805発売:電卓の価格競争から降り、半導体と液晶という独自デバイスに賭けた転進 1964年 シャープ 電子機卓上計算機CS-10Aを開発 1954年 シャープ 総合家電メーカーを志向 1953年 シャープ RCAと業務提携・白黒テレビの生産開始 1924年 シャープ 大阪でラジオへ転身:機械とシャープペンシルの特許を手放しての債務清算と、無一物からの再出発 1912年 シャープ 早川徳次氏、大阪で創業:創業——金属繰出鉛筆から関東大震災を経て大阪のラジオメーカー
- 三陽商会 2021年 三陽商会 ポール・スチュアートの国内商標権を取得 2020年 三陽商会 再生プランによる粗利率への転換:売上規模の追求との決別と、2年間での基礎収益力の回復 2020年 三陽商会 RMBファンドの取締役選任提案:取締役会による反対の決議と、双方が推した候補者を軸とする再生体制の維持 2017年 三陽商会 2度の希望退職と新経営計画:Sanyo Innovation Plan 2017 の始動と、2年で修正に追い込まれた定量計画 2015年 三陽商会 バーバリーライセンス喪失:ライセンス契約の終了と、後継ブランドへの売場の置き換え 2012年 三陽商会 本社を移転 2008年 三陽商会 本社を移転 1999年 三陽商会 ニューヨークにサンヨーショウカイニューヨークを設立 1989年 三陽商会 青山ビルを新築 1977年 三陽商会 東京証券取引所一部に指定替え 1969年 三陽商会 総合アパレルメーカーへの転換を開始 1952年 三陽商会 東京営業所を開設し営業主体を移転 1949年 三陽商会 日本ゴム工業のレインコート一手発売元として特約 1945年 三陽商会 本店を中央区に移転、レインコート販売へ業態転換
- メルカリ 2024年 メルカリ 米国縮小とメルカリ ハロ投入:海外の拡大に区切りをつけ、成長の軸を国内へ戻す転換 2023年 メルカリ 指名委員会等設置会社へ移行:創業CEOが退任したあとの後継の選び方を、先に制度へ預ける機関設計の転換 2022年 メルカリ 「メルカード」の提供を開始 2018年 メルカリ 東京証券取引所マザーズに株式上場 2017年 メルカリ メルペイ設立で決済参入:スマホ決済への参入による、フリマと決済をつなぐ自社経済圏の構築 2014年 メルカリ テレビCMへの先行投資:14.5億円の資金調達を原資としたマス広告への一気の投入 2014年 メルカリ Mercari USへの継続出資:6億米ドルを注ぎ、11年目に営業黒字へ届いた米国事業 2013年 メルカリ 即決価格型CtoCの創業:スマホ前提の個人間取引への再定義による新市場の開拓
- キリンHD 2024年 キリンHD ファンケルをTOBで子会社化:少数株主の買い取りによる完全子会社化と、グループへの一体化 2023年 キリンHD Blackmoresを完全子会社化 2020年 キリンHD IFPの株主提案4件の否決:6,000億円の自己株式取得と非中核事業売却の要求の拒否と、多角化路線の堅持 2019年 キリンHD ファンケルへ資本参加 2016年 キリンHD ハイネケンへ売却し撤退:巨額減損に至った現地事業の切り離しと、ブラジル展開の断念 2011年 キリンHD スキンカリオールの買収:ブラジル2位の取り込みによる、南米ビール市場への足場づくり 2010年 キリンHD サントリーとの統合破談:巨大再編を狙った経営統合構想の頓挫と、単独路線への回帰 2008年 キリンHD 豪州乳業1位・2位を買収:現地の乳製品市場を一挙に押さえる巨額M&Aへの経営資源の集中 2008年 キリンHD 協和発酵工業を買収・協和キリンの発足 2007年 キリンHD 持株会社制に移行・キリンHDに商号変更 1998年 キリンHD Lion Nathanへ資本参加 1990年 キリンHD 「一番搾り」の投入:ドライ戦争の劣勢下、フルライン戦略の挫折を認めた反攻の一本への賭け 1982年 キリンHD 抗体医薬に新規参入 1972年 キリンHD キリンシーグラム設立で多角化:麒麟麦酒、独禁法分割論下の拡販自制とビール外への多角化 1963年 キリンHD 子会社・自動販売サービス(現キリンビバレッジ)を設立 1957年 キリンHD ビール工場の新増設 1949年 キリンHD 東京証券取引所に株式上場
- ルネサスエレクトロニクス 2026年 ルネサスエレクトロニクス タイミング事業を米SiTimeに譲渡発表 2024年 ルネサスエレクトロニクス 米アルティウムの買収:設計ソフトウェアへの越境と、伝統的な半導体メーカーからの脱皮 2021年 ルネサスエレクトロニクス 英Dialog社の買収:3度目の巨額M&Aに踏み切ったうえでの、車載依存からの脱却 2018年 ルネサスエレクトロニクス 米IDTの買収:車載・データセンター向けアナログ半導体の品揃えの増強 2017年 ルネサスエレクトロニクス Intersilを子会社化 2012年 ルネサスエレクトロニクス 産業革新機構らの出資受入:官民ファンドと主要顧客連合を引受先とする1500億円の資本増強 2012年 ルネサスエレクトロニクス KKRの買収案を拒否 2010年 ルネサスエレクトロニクス NEC・ルネサステクノロジ統合:国内半導体2社を一本にまとめた、現在の会社としての成立 2002年 ルネサスエレクトロニクス NECエレクトロニクスを設立
- NEC 2025年 NEC NECネッツエスアイを完全子会社化 2025年 NEC 従来型の5G基地局(RU・CU)事業を2025年度末で終息すると発表 2023年 NEC 3委員会設置と執行役への権限委譲:監査役会設置会社をやめ、監督と執行を分けて意思決定を速めるための組み替え 2021年 NEC BluStellar戦略へ転換:ハード売り切りからの脱却と、再成長に向けた事業モデルの組み替え 2017年 NEC 消防救急無線と電力機器の受注調整:排除措置命令と課徴金納付命令を受け、公正取引の審査と教育を組み直した対応 2013年 NEC NECカシオモバイルコミュニケーションズがスマホ新機種開発から撤退 2010年 NEC ルネサステクノロジと統合:半導体子会社NECエレクトロニクスの切り出しと、他社との一本化 2009年 NEC 連結最終赤字2,966億円を計上 2002年 NEC NECエレクトロニクス設立:主力事業だった半導体の分社化と、本体からの切り離し 1999年 NEC 1万5,000人削減と社長交代:過去最大の連結赤字の公表と、金子尚志社長の退任 1982年 NEC PC-9800シリーズ発売 1978年 NEC C&C構想の提唱:コンピュータと通信の融合という全社ビジョン 1963年 NEC ニッポン・エレクトリック・ニューヨーク社を設立 1951年 NEC ISE社と資本提携を復活 1932年 NEC ISE社が日本電気の経営を住友本社に委託 1899年 NEC W.E.社との合弁で日本電気を設立
- パソナG 2024年 パソナG ベネフィット・ワン売却:公開買付けへの応募ではなく自己株式取得による全保有株の売却 2020年 パソナG 本社機能の一部を淡路島へ移転:東京一極集中に背を向け、事業の重心を地方へ置き直す分散への踏み切り 2017年 パソナG オアシスの経営改善要求:経営改善の要求への応答——上場子会社を持ち続けての南部体制の維持 2016年 パソナG ニジゲンノモリを子会社として設立 2012年 パソナG ビーウィズを子会社化 2007年 パソナG 純粋持株会社パソナグループ設立:人材派遣を軸にした単体経営の終了と、グループ戦略・資源配分の持株会社への移管 2007年 パソナG 株式移転により持株会社パソナグループを設立 2001年 パソナG ナスダック・ジャパンへ上場:新事業と旧事業を分離したうえでの本業回帰と株式公開 1993年 パソナG テンポラリーセンターの商号をパソナに変更 1976年 パソナG テンポラリーセンター創業:家事代行から事務派遣へ広げた人材サービスの立ち上げ
- キオクシアHD 2024年 キオクシアHD 東証プライムへ上場:一度中止した募集の4年越しの組み直しと、公開価格1,455円での株式公開 2023年 キオクシアHD ウエスタンデジタルと破談:メモリ大手同士の経営統合交渉と、合意に至らなかった結末 2018年 キオクシアHD ベイン連合が東芝メモリ取得:親会社からのメモリ事業の切り出しと、キオクシアとしての独立 2018年 キオクシアHD Pangeaが旧東芝メモリを吸収合併し東芝メモリに商号変更 2017年 キオクシアHD 東芝からメモリ事業(SSDを含む)を会社分割により承継 2011年 キオクシアHD 東芝の社内カンパニーとしてセミコンダクター&ストレージ社を設置 2007年 キオクシアHD BiCS FLASHへの積層転換:回路線幅を細める微細化の延長を捨て、メモリセルを縦に積む3次元構造へ主力技術を移した選択 2007年 キオクシアHD 3次元フラッシュメモリ技術を開発 2000年 キオクシアHD サンディスクとNAND生産で合弁:四日市工場の増産投資を米社と折半し、設備を自前で抱える方式をやめた選択 1992年 キオクシアHD 四日市工場(三重県)を設立 1987年 キオクシアHD 東芝が世界初のNAND型フラッシュメモリを発明
- 小田急電鉄 2024年 小田急電鉄 監査等委員会設置会社への移行:監査を担う役員への議決権の付与と、業務執行の決定権限の一部の取締役への委譲 2021年 小田急電鉄 初の経常赤字・純損失を計上 2020年 小田急電鉄 新宿駅西口の資産入替:1,300億円再開発へ振り向けた資産の入替 2018年 小田急電鉄 代々木上原〜喜多見の複々線化:半世紀を貫いた複々線化投資——1964年都市計画決定から2018年全面完成まで 2013年 小田急電鉄 在来線地下化(東北沢〜世田谷代田間) 2008年 小田急電鉄 千代田線との特急車両直通運転を開始 1997年 小田急電鉄 負の遺産の整理に着手 1994年 小田急電鉄 小田急百貨店の再建:不採算資産の処理と、商品を絞った専門大店化による本業への立て直し 1978年 小田急電鉄 地下鉄千代田線との相互直通運転開始 1961年 小田急電鉄 小田急百貨店を設立 1955年 小田急電鉄 国鉄御殿場線への乗入れを開始 1949年 小田急電鉄 西武との箱根山戦争:神奈川中央乗合自動車と登山鉄道の株式取得による観光地一帯の掌握 1948年 小田急電鉄 東京急行電鉄から分離し小田急電鉄を再設立 1942年 小田急電鉄 東京横浜電鉄・京浜電気鉄道と合併し東京急行電鉄に商号変更
- 関西ペイント 2024年 関西ペイント シルチェスター下で株主還元:政策保有株の持ち合い解消と、株主への利益配分を優先する経営への転換 2022年 関西ペイント アクゾへのアフリカ事業譲渡撤回:いったん公表した事業譲渡の白紙撤回と、対象事業の手元への残留 2017年 関西ペイント 欧州Helios買収:買収を足がかりとした欧州市場への本格参入と地盤の獲得 2011年 関西ペイント Kansai Plascon Africa Ltd.の株式取得 2007年 関西ペイント Kansai Altan Boya Sanayi Ve Ticaret A.S.の株式取得 1999年 関西ペイント P.T.Kansai Paint Indonesiaを出資設立 1986年 関西ペイント 印Nerolac子会社化:子会社化を起点とした、新興国を軸に据える成長路線への転換 1974年 関西ペイント カンペ商事の株式取得 1968年 関西ペイント Thai Kansai Paint Co.,Ltd.を出資設立 1950年 関西ペイント 本社事務所を開設 1949年 関西ペイント 大阪、東京の2証券取引所に上場
- デンカ 2025年 デンカ 社長交代(今井俊夫→石田郁雄) 2024年 デンカ 初の純損失計上 2022年 デンカ 太平洋セメントへ譲渡撤退:セメント事業からの全面撤退と、販売部門の他社への切り出し 2020年 デンカ コロナ検査キットの量産化:デンカ生研の本体統合による検査試薬の内製化 2015年 デンカ DuPont事業の譲受:三井物産との共同出資によるクロロプレンゴム事業の取り込みと、米国合弁会社の設立 2011年 デンカ 社長交代(川端世輝→吉髙紳介) 2008年 デンカ デンカ生研を株式交換により完全子会社化 1999年 デンカ ポリスチレン事業を新日鐵化学・ダイセル化学と事業統合 1996年 デンカ 塩化ビニール事業を東ソー・三井東圧化学と事業統合 1989年 デンカ デンカアドバンテック設立 1979年 デンカ 東芝化学工業の株式を東芝より譲受 1962年 デンカ 青海工場でゴム国産化:国産技術によるクロロプレンゴムの企業化と、丸善石油化学コンビナートへの参加 1962年 デンカ デンカ石油化学工業設立 1953年 デンカ 電化セメント設立 1942年 デンカ 大牟田工場でアセチレンブラック製造開始
- サンゲツ 2024年 サンゲツ 近藤康正氏が社長就任:入社1年4か月の中央化学前社長への交代と、指名報酬委員会主導の後継選定 2024年 サンゲツ シンガポールD'Perception Pte Ltdの株式取得 2020年 サンゲツ スペースクリエーション企業へ転換:長期ビジョン「DESIGN 2030」に掲げた事業領域の転換宣言 2017年 サンゲツ シンガポールGoodrich Global Holdings Pte. Ltd.の株式取得 2016年 サンゲツ 米Korosealの買収:壁装材大手の取り込みによる海外進出と、専業卸からの脱却 2008年 サンゲツ 山田照明の株式取得 1996年 サンゲツ Sangetsu America,Inc.を設立 1988年 サンゲツ カーペットタイルの販売を開始 1979年 サンゲツ クッションフロアの販売を開始 1960年 サンゲツ 壁紙販売部を開設 1953年 サンゲツ 山月堂から壁紙卸へ転換:表具師の家業から壁紙卸専業への業態転換
- みずほリース 2024年 みずほリース 丸紅の出資受け入れ:第三者割当増資による20%の資本参加と、総合商社の持分法適用関連会社化 2020年 みずほリース 米Aircastleの買収:単独ではなく丸紅と組んだ共同買収と、議決権25%の取得 2019年 みずほリース みずほとの資本業務提携:メガバンクの持分法適用関連会社化と、それに伴う商号変更 2016年 みずほリース バミューダに米 Aircastle Limited との合弁で IBJ Air Leasing Limited を設立 2012年 みずほリース 東芝ファイナンスの法人向け金融サービス事業を承継しティーファスを設立 2002年 みずほリース セゾンオートリースシステムズを存続会社として興銀オートリースと合併 1999年 みずほリース 日産リースの株式を取得 1987年 みずほリース IBJ Leasing (UK) Ltd. を設立 1969年 みずほリース パシフィック・リースを設立
- レゾナックHD 2025年 レゾナックHD 石油化学事業をクラサスケミカルへ承継 2023年 レゾナックHD 昭和電工マテリアルズとの統合:レゾナックへの社名変更を伴う二社の一体化と経営基盤の再構築 2020年 レゾナックHD 日立化成の買収:自社より大きい相手を取り込み、レゾナックが生まれる(2020年成立) 2017年 レゾナックHD SGL黒鉛電極事業買収:4期続けて営業損失の事業の市況の底での世界規模への拡大と、負ののれん71億円の計上 2010年 レゾナックHD 昭和高分子を合併 2003年 レゾナックHD 三菱化学グループのハードディスク事業を買収 1995年 レゾナックHD 日本ポリオレフィン設立 1988年 レゾナックHD ザ・ビー・オー・シー・グループ社のエアコ・カーボン事業部黒鉛電極事業を買収 1986年 レゾナックHD 国内アルミ製錬事業を完全停止 1973年 レゾナックHD アルミ千葉増設を断念し大分2期計画に集中 1967年 レゾナックHD 新潟水俣病損害賠償訴訟提訴 1957年 レゾナックHD 昭和合成化学工業を合併 1939年 レゾナックHD 日本電気工業と昭和肥料が合併し昭和電工設立
- IHI 2025年 IHI 業績好転の見込み 2024年 IHI GTF応分負担で過去最大赤字:航空エンジンへの経営資源の集中が招いた過去最大の損失計上 2024年 IHI IHI原動機の燃費データ改ざん:「技術を欺いた」不正の露見 2023年 IHI IHI原動機の大型エンジン事業を三井E&Sへ譲渡 2019年 IHI プラント事業をIHIプラントに承継 2013年 IHI ジャパンマリンユナイテッド発足:造船子会社をユニバーサル造船と合併させ、祖業を持分法適用会社へ移した選択 2013年 IHI ジャパンマリンユナイテッド発足 2007年 IHI 有価証券報告書の虚偽記載:工事の見積誤りが招いた過年度決算の訂正と課徴金納付命令 2002年 IHI IHIマリンユナイテッド設立:造船事業の切り出しによる、本体からの分離運営への移行 2000年 IHI 日産自動車の宇宙航空事業取得:他社事業の取り込みを通じた航空・宇宙への軸足の移動 1998年 IHI 航空分野に積極投資 1987年 IHI 造船依存からの事業転換:造船不況の直撃を受けた事業構成の抜本的な作り替え 1979年 IHI 希望退職者を大量募集 1964年 IHI 名古屋造船・名古屋重工業を合併 1962年 IHI 石川島芝浦精機・芝浦ミシンを合併 1960年 IHI 播磨造船所と合併:造船同業との一本化による石川島播磨重工業の発足と、事業規模の拡大 1957年 IHI 田無工場を新設・ジェットエンジン製造を開始 1893年 IHI 東京石川島造船所に商号変更 1889年 IHI 有限責任石川島造船所を設立
- 円谷フィールズHD 2024年 円谷フィールズHD ソフィアの子会社化:持株会社ごとの取り込みによる、エース電研の傘下入り 2022年 円谷フィールズHD 円谷フィールズHDへ改称:持株会社体制への移行と、商号を変更したグループ再編 2022年 円谷フィールズHD 遊技機事業を新設分割によりフィールズへ承継 2015年 円谷フィールズHD アリストクラートテクノロジーズを子会社化 2010年 円谷フィールズHD 円谷プロダクションの子会社化:映像コンテンツ版権元の取り込みによる、遊技機の外への収益源の広がり 2010年 円谷フィールズHD デジタル・フロンティアを子会社化 2001年 円谷フィールズHD 新設分割により東洋商事に製鉄原料部門等を移管 1999年 円谷フィールズHD ISO9002取得(販売部門)(2002年12月にISO9001に移行) 1988年 円谷フィールズHD 東洋商事を設立
- サンリオ 2021年 サンリオ ハローキティ依存の脱却:ハローキティ一本足のライセンス収益を複数キャラクターへ分散させた収益構造の組み替え 2020年 サンリオ 辻信太郎氏の社長退任と辻朋邦氏への継承:創業60年で初のトップ交代と、第二の創業を掲げた構造改革 2016年 サンリオ 辻家による経営に回帰 2011年 サンリオ Mister Men Ltd.・Mister Films Ltd.・THOIPの全株式を取得 2009年 サンリオ MR.MEN取得と欧米ライセンス転換:国内物販で稼ぐ会社から、欧米でロイヤリティを取る会社への組み替え 2009年 サンリオ 海外成長戦略を公表 1991年 サンリオ 1993年満期ワラント債2億ドル発行:設備資金の名目で集めた546億円を有価証券で運用した選択 1991年 サンリオ 株式投資に失敗。8期連続の最終赤字へ 1990年 サンリオ サンリオピューロランド建設:紙とモノで稼いできた会社が616億円の固定資産を抱えるテーマパーク運営を選んだ判断 1989年 サンリオ 第29回定時株主総会で事業年度を4月1日〜翌3月31日に変更を決議 1976年 サンリオ 自社キャラクターのライセンス供与を開始 1974年 サンリオ ハローキティの誕生:自社キャラクターを版権で稼ぐライセンスモデルの確立 1974年 サンリオ 自社開発キャラクターのソーシャル・コミュニケーション・ギフト商品を発売 1962年 サンリオ ギフト商品の販売を開始
- DCMHD 2024年 DCMHD ケーヨーの完全子会社化:持分法適用だった関連会社の全株取得と、本体への吸収合併 2021年 DCMHD カーマ・ダイキら5社合併:ホームセンター事業会社5社の吸収合併によるDCM株式会社の発足と、店名の「DCM」への統一 2020年 DCMHD 島忠に1株4,200円の株式公開買付けを発表 2017年 DCMHD ケーヨーと資本業務提携 2011年 DCMHD ホーマックがダイレックスの株式を日立物流へ譲渡 2006年 DCMHD カーマなど3社が経営統合:共同株式移転によるDCM Japanホールディングスの設立 1995年 DCMHD 石黒ホーマがホーマックに商号変更 1987年 DCMHD 住まいと暮らしを提案するホームアメニティセンターへ転換 1983年 DCMHD IBMシステム38の導入:計算機と物流センターを組み合わせた、商いの土台づくり 1983年 DCMHD 10店舗・年商100億円を達成しながら減益に転落 1976年 DCMHD 金物の卸・小売からホームセンター事業へ転換 1973年 DCMHD カーマがホームセンターへ転換:176店舗のドラッグストアチェーン構想の撤回と、業態の切り替え 1973年 DCMHD ホームセンター1号店を出店 1962年 DCMHD 大亀商事を株式会社に改組 1958年 DCMHD 大亀孝裕が松山市にタイルと衛生陶器を扱う大亀商事を開店 1947年 DCMHD 鏡味順一郎氏が名古屋市でかがみ薬局を創業
- 三井不動産 2025年 三井不動産 通期売上高2兆6,254億円、純利益2,488億円 2024年 三井不動産 エリオットの資本効率要求:資産リサイクルの加速と株主還元の強化 2020年 三井不動産 東京ドームの買収:読売新聞グループと組んだTOBによる完全子会社化 2018年 三井不動産 三井ホームを株式公開買付で完全子会社化 2014年 三井不動産 柏の葉スマートシティ「ゲートスクエア」営業開始 2004年 三井不動産 不動産保有から運用受託へ転換:所有不動産に頼らない、開発と運営を担って収益を得る事業構造 2002年 三井不動産 三井不動産建設の全株式を売却 1990年 三井不動産 MITSUI FUDOSAN (U.K.) LTD.を設立 1981年 三井不動産 SC事業第1号「ららぽーと船橋」を開業 1980年 三井不動産 共同事業「レッツ」の開始:用地を自ら買わずに開発機会だけを取り込む事業方式の確立 1974年 三井不動産 三井ホームなど2社を設立:住宅の企画と販売を担う機能別子会社の分離による、土地依存からの転換 1968年 三井不動産 わが国初の超高層ビル「霞が関ビルディング」(36階)が竣工 1961年 三井不動産 住宅・宅地造成事業に参入 1957年 三井不動産 埋立事業に参入 1956年 三井不動産 三井本社を吸収合併 1949年 三井不動産 東京証券取引所に株式上場
- 東北電力 2024年 東北電力 女川原子力発電所への株主提案:3年続いた定款変更の請求と、原子力を維持する取締役会の反対 2020年 東北電力 東北電力ネットワークへ分社:発送電の法的分離を受けた送配電部門の切り出しと別会社化 2019年 東北電力 東北電力ネットワーク(分割準備会社)を設立し吸収分割契約を締結 2018年 東北電力 女川原子力発電所1号機の運転を終了し廃止措置に移行 2011年 東北電力 東日本大震災により供給区域で甚大な被害が発生 2003年 東北電力 東北水力地熱の子会社化:東北インテリジェント通信を含む2社の傘下入れによるグループ事業の再編 1998年 東北電力 コアネット東北を設立 1984年 東北電力 女川原子力発電所1号機の営業運転を開始 1978年 東北電力 日本海エル・エヌ・ジー設立:石油専焼火力への依存を改めるLNGへの燃料転換 1961年 東北電力 大阪証券取引所市場第一部に上場 1959年 東北電力 東北発変電工事を設立
- 三井E&S 2023年 三井E&S 監査等委員会設置会社へ移行:事業持株会社体制への転換と同じ年に進めた、コンパクトな経営体制への組み替え 2023年 三井E&S IHI原動機の舶用大型エンジン事業を承継した新会社を取得 2021年 三井E&S 常石造船へ株式譲渡:造船事業からの撤退と、舶用エンジン・港湾クレーンへの集約 2018年 三井E&S 持株会社体制に移行し商号を三井E&SHDに変更 2014年 三井E&S 昭和飛行機工業を公開買付けで子会社化 2013年 三井E&S 川崎重工業との経営統合が白紙撤回 2007年 三井E&S 鋼橋・し尿・水門の談合事件:公共工事をめぐる三件の独占禁止法違反と、45日間の営業停止を経た体制の立て直し 1995年 三井E&S エム・ディー特機を設立 1989年 三井E&S Burmeister & Wain Scandinavian Contractor A/Sを買収 1978年 三井E&S 昭島研究所を新設 1967年 三井E&S 藤永田造船所を吸収合併:合併比率5対4の株式交換による同業造船所の取り込み 1958年 三井E&S 三友不動産を設立 1938年 三井E&S 化工機部門創設 1937年 三井E&S 三井物産造船部から分離:商社の一部門からの独立と、造船専業会社としての新たな出発 1926年 三井E&S デンマークBurmeister & WainとB&W型舶用ディーゼル機関で業務提携
- ドリームインキュベータ 2024年 ドリームインキュベータ 山口フィナンシャルグループと資本業務提携 2023年 ドリームインキュベータ アイペットHDの譲渡:全株式の第一生命への売却と、ビジネスプロデュース事業への経営資源の集中 2020年 ドリームインキュベータ 原田哲郎氏がCEO就任:創業者と2代目社長の同時退任と、原田・三宅・細野による並立体制の発足 2018年 ドリームインキュベータ アイペット損害保険が東京証券取引所マザーズに上場 2011年 ドリームインキュベータ アイペットの株式82.11%を取得して連結子会社化 2009年 ドリームインキュベータ ファンド組成型への転換:投資規律の厳格化と、株式市況に左右されない収益構造への組み替え 2006年 ドリームインキュベータ 創業者の堀紘一が代表取締役会長に退き、山川隆義が代表取締役社長に就任 2000年 ドリームインキュベータ インキュベーション事業を目的として東京都港区に設立
- 三井海洋開発 2025年 三井海洋開発 MODEC INTERNATIONALとSOFECの合併を発表 2024年 三井海洋開発 商船三井の追加取得により同社が筆頭主要株主に 2023年 三井海洋開発 商船三井と業務提携:14.86%の株式を持たせて結んだオフショア事業での連携 2021年 三井海洋開発 三井E&Sの持株一部売却:発行済株式の1%売却で終わった三井造船系の親会社支配 2019年 三井海洋開発 MITSUI OCEAN DEVELOPMENT MEXICOをメキシコに設立 2012年 三井海洋開発 本社を移転 2006年 三井海洋開発 米SOFEC社を買収:借りていた係留技術を自社のものにする全株式取得 1999年 三井海洋開発 FMC CORPORATIONとの合弁で米国にMODEC INTERNATIONAL LLCを設立 1991年 三井海洋開発 三井物産保有の株式が全株譲渡され三井造船の子会社化 1989年 三井海洋開発 北米事業拠点としてMODEC(U.S.A.)を米国に設立
- 三菱電機 2025年 三菱電機 ネクストステージ支援制度で2,378人が応募 2024年 三菱電機 鴻海からの出資受け入れ検討:自動車機器事業を会社分割で切り出した三菱電機モビリティの設立と、外部資本への開放 2021年 三菱電機 長崎製作所の不正と社長辞任:長崎製作所の検査不正発覚と、漆間啓体制での3つの改革 2021年 三菱電機 鉄道車両向け空調機器等の品質不正が発覚 2018年 三菱電機 杉山武史氏が執行役社長に就任 2010年 三菱電機 ルネサス テクノロジがNECエレクトロニクスと合併しルネサス エレクトロニクスが発足 2003年 三菱電機 日立製作所とシステムLSI合弁のルネサス テクノロジを設立 2003年 三菱電機 東芝三菱電機産業システムを設立 1998年 三菱電機 汎用DRAM事業から撤退:システムLSI・パワー半導体へ軸足を移す事業領域の絞り込み 1995年 三菱電機 赤井電機の経営権をセミ=テックグループに譲渡 1994年 三菱電機 構造改革と社長の引責辞任:長く3位にとどまった地位からの脱却を掲げた改革と、半導体投資の誤算 1989年 三菱電機 大船製作所を廃止 1977年 三菱電機 営業本部・4事業本部制移行:生産志向でつくられてきた事業部編成の解体と、市場を起点とする体制への組み替え 1964年 三菱電機 稲沢製作所を新設 1959年 三菱電機 北伊丹工場の新設:半導体量産専門工場・西条・高知への量産設備の拡大 1951年 三菱電機 ウエスチングハウスと再提携:技術・資本両面での関係の復活と、「三菱」商号の存続 1949年 三菱電機 東京証券取引所に株式を上場
- JSR 2024年 JSR 東京証券取引所プライム市場において上場廃止 2023年 JSR JICのTOBで非公開化:産業革新投資機構によるTOBの受け入れと、東証プライム市場からの上場廃止 2021年 JSR ENEOSへエラストマー譲渡:素材事業の切り出しによる半導体材料・ライフサイエンスへの集中 2018年 JSR テクノポリマーとユーエムジー・エービーエスの統合によりテクノUMGを設立 2015年 JSR 産業革新機構・シミックHDと共同でKBI Biopharmaを子会社化 2011年 JSR Bangkok Synthetics と共同でJSR BST Elastomer を設立 2009年 JSR テクノポリマーを完全子会社化 1996年 JSR ABS樹脂事業を営業譲渡 1993年 JSR フォトレジストへ集中投資:合成ゴム事業のリストラによる投資原資の捻出と、光・電子材料への集中投資 1993年 JSR 光・電子材料への集中投資に転換 1989年 JSR 筑波研究所が竣工 1979年 JSR 半導体材料事業に参入 1969年 JSR 純民間会社に移行 1957年 JSR 合成ゴム製造事業特別措置法に基づき日本合成ゴムを設立
- 江崎グリコ 2024年 江崎グリコ ダルトンの株主提案を拒否:全面拒否を貫いた第119回総会と、離れていった安定株主の一部 2024年 江崎グリコ 基幹システムの全面移行:342億円を投じた入れ替えが招いた、チルド商品の出荷停止と75億円の営業減益 2020年 江崎グリコ 連結製造子会社14社の事業をグリコマニュファクチュアリングジャパンが承継 2015年 江崎グリコ グリコ乳業を吸収合併 2013年 江崎グリコ WINGSグループと合弁会社PT.Glico-Wingsを設立 2006年 江崎グリコ 上海江崎格力高南奉食品有限公司(現・江崎格力高南奉食品(上海)有限公司)を設立 1999年 江崎グリコ 江崎格力高食品(上海)有限公司を設立 1986年 江崎グリコ グリコ商事設立。(1996年11月江栄商事に商号変更、不動産の管理他) 1979年 江崎グリコ 三重グリコ設立 1966年 江崎グリコ 乳業子会社7社を合併しグリコ協同乳業が発足 1965年 江崎グリコ 末端出荷主義へ転換:取扱品目を菓子30品種まで絞り込む減量経営への踏み切り 1960年 江崎グリコ 総合食品化への転換:栄養菓子の一本足からアイス・チョコ・ガム・カレーへ広げた総合食品化 1958年 江崎グリコ チョコレートの製造販売を開始 1957年 江崎グリコ アイスクリームの製造販売を開始 1921年 江崎グリコ グリコーゲンを成分とする栄養菓子グリコの製造販売を開始
- アイシン 2025年 アイシン アイシン化工を吸収合併 2023年 アイシン トヨタ出身トップと指名審議の社外化:親会社から4人の社長を迎えた会社での、後継の審議の社長の手から独立社外取締役への移管 2021年 アイシン アイシン・エィ・ダブリュ吸収合併:二社体制の解消と、社名を一つにそろえた事業の一本化 2016年 アイシン シロキ工業を株式交換により完全子会社化 2010年 アイシン 刈谷工場をアドヴィックスに譲渡 2001年 アイシン デンソー・住友電気工業・トヨタ自動車と共同出資でアドヴィックスを設立 1998年 アイシン エィ・ダブリュ・ノースカロライナを設立 1988年 アイシン アイシン・U.S.A.マニュファクチャリングを設立 1970年 アイシン 東京証券取引所第一部・大阪証券取引所第一部に上場 1969年 アイシン ボーグ・ワーナーと合弁:AT特許の壁を折半出資の合弁会社設立で乗り越えた選択 1965年 アイシン 愛知工業と新川工業合併:両社を一体化してのアイシン精機の発足 1961年 アイシン 愛知工業、自動変速機の製造開始 1953年 アイシン 愛知工業、ダイカスト製品の製造開始 1949年 アイシン 資本金15百万円をもって愛知工業を設立
- 伊藤忠商事 2020年 伊藤忠商事 ファミリーマートの子会社化:株式公開買付けによる完全子会社化と、親子上場の解消 2019年 伊藤忠商事 デサントへの敵対的TOB:同意なき買付けによる議決権の25.5%から40.0%への引き上げ 2018年 伊藤忠商事 会長CEO・社長COO体制への移行:8年ぶりの社長交代を、最高経営責任者と最高執行責任者の分離として設計した 2018年 伊藤忠商事 制服販売業務の独占禁止法違反:4件の排除措置命令と、調査が始まる前に自ら取り止めた違反行為 2013年 伊藤忠商事 米ドール事業の買収:加工食品事業とアジア青果事業をまとめて取り込む食料分野の拡大 2010年 伊藤忠商事 か・け・ふ改革:非資源No.1・商社三冠を掲げた、資源依存からの収益構造の組み替え 2008年 伊藤忠商事 エタノール取引の不適切会計:15年以上続いた在庫操作の一括処理と、人事ローテーションの制度化 2004年 伊藤忠商事 小林栄三氏が代表取締役社長に就任 2000年 伊藤忠商事 不良資産3,950億円の処理:特別損失約3,950億円の一括計上によるバブル期 1999年 伊藤忠商事 伊藤忠テクノサイエンス(CTC)を東京証券取引所一部に上場 1985年 伊藤忠商事 東亜石油の株式売却・石油精製から撤退 1977年 伊藤忠商事 安宅産業の救済合併:「39年の恩」に応えた経営破綻企業の引き受け 1974年 伊藤忠商事 戸崎誠喜氏が社長に就任 1966年 伊藤忠商事 東亜石油の系列化:石油の開発から精製・販売までを自社で一貫させる体制づくり 1960年 伊藤忠商事 総合商社への転換:非繊維部門の拡充——繊維専業商社から 1960年 伊藤忠商事 非繊維部門の拡充による総合商社化を最重点に 1952年 伊藤忠商事 伊藤忠アメリカ会社を設立 1929年 伊藤忠商事 呉羽紡績の創立:繊維商社から工業(紡績)経営への進出 1920年 伊藤忠商事 大正9年恐慌後の重役総入替:危機で傷んだ経営の立て直しを若い世代に託した世代交代 1858年 伊藤忠商事 近江商人の麻布行商:15歳の若者が始めた持下り商いから戦後商社への再独立までの道のり
- リクルートHD 2022年 リクルートHD 自己株式取得を6,000億円へ:上限1,500億円から3年で拡大した株主還元と、消却による発行済株式の削減 2018年 リクルートHD 米Glassdoorを1,430億円で買収:企業の口コミデータベースを1,430億円で取得したHRテクノロジー事業の第2手 2016年 リクルートHD 欧州USG Peopleを買収:北米・豪州に続く人材派遣基盤を全株取得で一括して得た地域補完 2015年 リクルートHD Chandler Macleodなど豪州2社を買収:相次ぐ取得による、北米・欧州に続くアジア太平洋の人材派遣基盤の確保 2014年 リクルートHD 東証一部への新規上場:創業54年での東証一部上場——非上場のまま再建した元祖ベンチャーの株式公開 2012年 リクルートHD 米Indeedを買収:米国企業の取り込みによる海外への足がかり 2007年 リクルートHD スタッフサービス買収:持株会社ごとの取得による事業基盤の獲得 2000年 リクルートHD 「ホットペッパー」を創刊。狭域ビジネスへ参入 1997年 リクルートHD 河野栄子氏が社長就任:3代目トップへの交代と、経営陣の世代の入れ替え 1997年 リクルートHD OPT制度を導入 1992年 リクルートHD ダイエーが筆頭株主に:大株主の交代による、創業者色を離れた資本構成への移行 1988年 リクルートHD リクルート事件が発覚 1976年 リクルートHD 「住宅情報」創刊:新たな情報誌を足がかりとした住宅・不動産分野への多角化 1962年 リクルートHD 「企業への招待」創刊:就職情報誌という新たな媒体の立ち上げ 1960年 リクルートHD 江副浩正氏が創業:23歳が大学新聞の求人広告から興した「情報を商品にする」事業
- LINEヤフー 2023年 LINEヤフー 5社再編でLINEヤフー発足:Zホールディングス・ヤフー・LINEなど5社の1社への統合と、持株会社体制の解消 2022年 LINEヤフー 業績不振による経営体制の変更 2022年 LINEヤフー PayPayを子会社化 2019年 LINEヤフー LINEとの経営統合:ヤフーの商号の放棄と、株式交換によるLINEの完全子会社化 2019年 LINEヤフー ZOZO買収で親子上場:4,007億円で議決権の過半だけを取り、ファッションECを時間ごと手に入れた選択 2015年 LINEヤフー アスクルの連結子会社化:対価を払わずに得た支配と、抱え込んだ親子上場の統治問題 2013年 LINEヤフー eコマース革命で出店料無料化:出店料収入を自ら手放すことと引き換えの、収益構造そのものの転換 2012年 LINEヤフー 宮坂学氏が社長就任:16年続いた井上雅博体制を終え、44歳の宮坂学氏と社外3名を入れた取締役会に賭けた 2010年 LINEヤフー 検索エンジンをGoogleに変更 2001年 LINEヤフー Yahoo!BB参入:回線を持たないままのブランドと集客の提供と、ISP料金の一部・加入インセンティブの取得 1999年 LINEヤフー Yahoo!オークション参入:ショッピング事業との同時展開と、分かれたEC二本柱の明暗
- 三菱自動車 2023年 三菱自動車 車両生産事業から撤退 2021年 三菱自動車 最終赤字に転落 2020年 三菱自動車 東南アジア集中への転換:全方位の拡大路線を捨て、欧州縮小とパジェロ生産終了に踏み込んだコロナ危機下の構造改革 2019年 三菱自動車 指名委員会等設置会社への移行:監査役会を廃し、社外取締役12名と三委員会に執行の監督を委ねる体制への組み替え 2016年 三菱自動車 燃費不正で日産傘下入り:試験データ改ざんの発覚と、自主独立を捨てた資本の受け入れ 2015年 三菱自動車 イリノイ工場の閉鎖:現地生産の看板を下ろし、米国での自社生産から全面撤退 2012年 三菱自動車 三菱商事と共同で広汽三菱汽車を設立 2004年 三菱自動車 ダイムラー撤退後の自主再建:三菱グループ各社の支援を軸とした自主再建体制への移行 2002年 三菱自動車 エクロート氏の構造改革:ダイムラー主導で進んだ、聖域を設けない再建計画の断行 2000年 三菱自動車 ダイムラーとの資本提携:独米自動車連合を後ろ盾に据える資本関係の受け入れ 1999年 三菱自動車 ボルボと資本提携・協業推進の基本合意 1997年 三菱自動車 総会屋事件で中村院政終焉:利益供与の発覚が長期支配体制を断ち切り、経営陣の刷新に至った局面 1994年 三菱自動車 米国法人でセクハラ民事訴訟 1985年 三菱自動車 クライスラーと合弁基本契約を解消 1970年 三菱自動車 クライスラーとの提携:自動車部門の分離独立と、米大手を迎え入れての船出 1970年 三菱自動車 三菱重工業の自動車部門を譲受け営業開始
- ロート製薬 2024年 ロート製薬 ユーヤンサンの取得:三井物産と組んでのシンガポール漢方薬企業の取り込み 2021年 ロート製薬 天藤製薬を子会社化 2020年 ロート製薬 日本点眼薬研究所を子会社化 2019年 ロート製薬 杉本雅史氏が社長就任:創業家が会長として代表権を残し、執行を武田出身の社外人材へ委ねた交代 2016年 ロート製薬 社外チャレンジワーク導入:複業を届出制で認めることによる、会社に閉じない自律的な人材への転換 2013年 ロート製薬 ADR-001の開発:他家脂肪由来の幹細胞製剤を手がける再生医療への参入 2013年 ロート製薬 他家脂肪由来間葉系幹細胞を用いる再生医療に参入 2009年 ロート製薬 吉野俊昭氏が社長に就任 2001年 ロート製薬 「肌ラボ」でスキンケア参入:医薬品の発想の化粧品への持ち込みと、大衆薬への依存からの脱却 1999年 ロート製薬 山田安邦氏が会長、山田邦雄氏が社長に就任 1988年 ロート製薬 米メンソレータムの買収:長年借りていたブランドを源流ごと自らのものにする選択 1983年 ロート製薬 胃腸薬で国内シェア首位陥落 1975年 ロート製薬 メンソレータム商標取得:倒産した近江兄弟社から看板ブランドを引き受けるという判断 1975年 ロート製薬 化粧品事業に参入 1964年 ロート製薬 東京証券取引所・大阪証券取引所の第1部に指定 1959年 ロート製薬 本社工場を新設 1909年 ロート製薬 点眼薬「ロート目薬」を発売
- SOMPOHD 2025年 SOMPOHD IFRS移行後の保険収益5兆655億円 2024年 SOMPOHD ビッグモーター問題と経営刷新:保険金不正の発覚を受けた経営陣の総入れ替えとガバナンスの立て直し 2023年 SOMPOHD ビッグモーター不正請求問題が表面化 2016年 SOMPOHD 米エンデュランスの買収:約6,831億円を投じた、最大の米国市場への橋頭堡の確保 2015年 SOMPOHD ワタミの介護とメッセージ買収:約800億円を投じ、介護という別業種を自前で抱えることを選んだ本格参入 2015年 SOMPOHD ワタミの介護を取得しSOMPOケアネクストに 2014年 SOMPOHD 損害保険ジャパンと日本興亜損保が合併 2012年 SOMPOHD 損保ジャパンと日本興亜の合併:2期連続の赤字を受けて発足時のCEO体制を解き、事業会社2社を並存させる建付けを捨てて合併と一体化運営へ踏み込んだ選択 2009年 SOMPOHD 日本興亜損保との経営統合:NKSJホールディングス設立による持株会社体制への移行と、単独路線の放棄
- 第一ライフG 2025年 第一ライフG 経常収益9.87兆円、経常利益7,191億円、純利益4,296億円 2024年 第一ライフG エムスリーに対抗し買収:先行TOBへの対抗による、福利厚生代行最大手の取り込み 2016年 第一ライフG 第一生命HDへ改称:保険本業の事業子会社への移管と、持株会社によるグループの統括 2015年 第一ライフG 米プロテクティブ生命買収:上場で得た資本力を投じた、米生保大手の完全子会社化 2011年 第一ライフG TAL Groupを完全子会社化 2010年 第一ライフG 東証一部へ上場:108年続いた相互会社の解体と、株式会社への組織変更 2007年 第一ライフG ベトナムBao Minh CMG Lifeを買収、Dai-ichi Life Vietnamとして子会社化 2006年 第一ライフG 第一フロンティア生命保険を設立 1991年 第一ライフG 総資産20兆円突破 1988年 第一ライフG ライフデザイン研究所を設立 1975年 第一ライフG 全国支社オンラインシステム稼働 1963年 第一ライフG 企業年金保険・終身年金保険を発売 1959年 第一ライフG 心臓血管研究所を設立 1902年 第一ライフG 矢野恒太氏が相互会社で創業:株式会社の資本調達を捨て、剰余を契約者へ還す形の選択
- 三菱ケミカルG 2025年 三菱ケミカルG MMA大増産でスプレッド急悪化、構造改革を加速 2021年 三菱ケミカルG ジョンマーク・ギルソン氏が社長就任:化学素材を海外で率いた経営者を社外から社長に迎え、報酬とベネフィットの仕組みを構築し替えた 2019年 三菱ケミカルG 田辺三菱製薬の完全子会社化:4,918億円で上場子会社の少数株主を買い取った、親子上場の解消 2017年 三菱ケミカルG 三菱樹脂・レイヨン統合:傘下事業会社3社を1つにまとめた単一の化学会社の発足 2014年 三菱ケミカルG 大陽日酸を公開買付で子会社化 2009年 三菱ケミカルG 三菱レイヨンの子会社化:公開買付けと株式交換の二段で2,126億円を投じた、MMAと炭素繊維の取り込み 2007年 三菱ケミカルG 三菱樹脂の完全子会社化:株式交換による取り込みと、機能商品の持株会社直下への集約 2005年 三菱ケミカルG 三菱ウェルファーマとの統合:共同株式移転による持株会社の設立と、化学・医薬の二本柱化 1999年 三菱ケミカルG 四日市エチレン停止:赤字事業の撲滅を通じた「脱・総合」への路線の切り替え 1994年 三菱ケミカルG 三菱油化との合併:合併による新会社の発足と、両社の石油化学事業の一本化
- 積水ハウス 2025年 積水ハウス 売上高4兆円を突破 2024年 積水ハウス M.D.C. Holdings, Inc.を完全子会社化 2020年 積水ハウス 株主提案による取締役刷新の否決:地面師事件の責任追及として前会長が求めた取締役11名の入れ替えを、株主総会で退けるまで 2019年 積水ハウス 地面師事件で会長社長交代:分譲マンション用地取引で被った詐欺の引責による経営トップの刷新 2019年 積水ハウス 鴻池組を連結子会社化:持分法の関連会社から議決権の過半を取り、建築・土木を報告セグメントに立てるまで 2019年 積水ハウス 鳳HD(鴻池組の持株会社)を子会社化 2010年 積水ハウス 初の営業赤字・経常赤字・純損失を計上 2008年 積水ハウス Sekisui House Australia Holdings PTY LIMITEDを設立 1993年 積水ハウス ワンズワンへブランド集約:乱立した商品ブランドの集約と購買層別の再編 1987年 積水ハウス 米国積水ハウスをワシントン州に設立 1979年 積水ハウス 積和不動産設立:石油危機下の需要創造——自社ローンと売り建て方式による受注確保 1978年 積水ハウス 企業内企業制を導入:全国65営業所を独立採算の「企業内企業」にした組織改革 1963年 積水ハウス 代理店販売の廃止と直販への転換:販売と施工を自社で担う体制への切り替えと、高級化路線の採用
- ソシオネクスト 2025年 ソシオネクスト 売上高・営業利益とも減少 2022年 ソシオネクスト プライム上場と資本独立:富士通・パナソニック・日本政策投資銀行という親会社株主からの離脱 2018年 ソシオネクスト 「ソリューションSoC」転換:汎用ASSPの切り捨てと、顧客ごとのカスタム設計専業への絞り込み 2015年 ソシオネクスト 富士通・パナソニックのSoC統合:両社の半導体設計部門を会社分割で束ねた新会社ソシオネクストの発足 2014年 ソシオネクスト ソシオネクスト設立(準備会社として設立)
- ビジョナル 2021年 ビジョナル 持株会社化とマザーズ上場:新設した持株会社の下への事業会社の再配置と株式公開 2020年 ビジョナル ビジョナルを設立 2016年 ビジョナル HRMOSの投入とSaaS多角化:隣接市場への広がりによる成功報酬型からの収益源の分散 2015年 ビジョナル ルクサをKDDIへ売却:EC事業の分社と、通信大手への売却による非中核事業の整理 2014年 ビジョナル “挑戦する20代の転職サイト”"キャリアトレック(キャリトレ)"を開始 2007年 ビジョナル ビズリーチ[資本金7百万円]を設立
- 武田薬品工業 2026年 武田薬品工業 純損失1524億円を計上 2025年 武田薬品工業 武田テバファーマの株式をTevaに譲渡 2024年 武田薬品工業 年間1400億円をかけた構造改革を発表 2020年 武田薬品工業 大衆薬をブラックストーンへ売却:創業以来の一般用医薬品事業を投資ファンドへ手放す選択 2020年 武田薬品工業 連結売上収益が3兆2912億円に増加 2019年 武田薬品工業 シャイアーの買収:自前創薬の細りを埋める6兆2,133億円の買収 2017年 武田薬品工業 公開買付けによりアリアド・ファーマシューティカルズを子会社化 2017年 武田薬品工業 和光純薬工業の株式を富士フイルムに譲渡 2014年 武田薬品工業 クリストフ・ウェバー氏が社長就任:トップの外部登用に踏み切ったグローバル経営体制への転換 2014年 武田薬品工業 クリストフ・ウェバー氏が社長に就任 2011年 武田薬品工業 ナイコメッドの買収:1兆664億円で買った欧州と新興国の販路 2008年 武田薬品工業 米ミレニアムの買収:TAP合弁の解消と、北米処方薬事業の自前化への踏み込み 2008年 武田薬品工業 TAPファーマシューティカルズを完全子会社化 2003年 武田薬品工業 非医薬事業の切り離し:事業の裾野を捨て医療用医薬品一本に絞り込む選択と集中 1999年 武田薬品工業 糖尿病治療薬「アクトス」を発売 1998年 武田薬品工業 武田ファーマシューティカルズ・アメリカを設立 1985年 武田薬品工業 アボット・ラボラトリーズとの合弁でTAPファーマシューティカルズを設立 1985年 武田薬品工業 前立腺がん治療薬「リュープロン」を発売 1977年 武田薬品工業 スモン訴訟填補引当金の計上を開始 1970年 武田薬品工業 行政の指示によりキノホルム製剤が販売中止 1968年 武田薬品工業 年間売上高が1200億円に到達 1959年 武田薬品工業 キノホルム製剤の販売を開始 1954年 武田薬品工業 大衆薬「アリナミン」を発売 1943年 武田薬品工業 武田薬品工業に商号変更 1938年 武田薬品工業 ビタミンB1の合成に成功 1781年 武田薬品工業 道修町の薬種仲買から創業:他人の薬を仕入れて売る商いから、自社で薬を作る製薬企業への転換
- オリンパス 2024年 オリンパス 整形外科事業をポラリス・キャピタルに譲渡 2023年 オリンパス 完全子会社エビデントを売却・顕微鏡領域から撤退 2020年 オリンパス 日本産業パートナーズへ譲渡:祖業であるカメラからの撤退と、映像事業の外部への切り出し 2019年 オリンパス バリューアクトの受入れ:物言う株主を経営に招き入れたうえでのメドテック企業への転換 2012年 オリンパス ソニーとの資本業務提携:大手からの資本の受け入れと、医療分野での合弁の立ち上げ 2012年 オリンパス 情報通信事業を売却 2011年 オリンパス ウッドフォード氏解任:損失飛ばしの粉飾決算と、それを追及した社長の排除 2008年 オリンパス Gyrus Group PLCを買収 2005年 オリンパス デジカメ事業の黒字転換:映像事業の構造改革によるコスト構造の立て直しと収益基盤の回復 1993年 オリンパス 日の出工場を新設 1987年 オリンパス 金融資産運用を積極化 1972年 オリンパス 小型一眼レフカメラ「OM-1」を発売 1969年 オリンパス 胃カメラ・内視鏡事業の独立:専任の事業部の新設による、腰を据えた本格展開への踏み出し 1950年 オリンパス 胃カメラを開発。医療機器に参入 1923年 オリンパス 財務状況が悪化。体温計事業を仁丹テルモに譲渡
- セイコーエプソン 2025年 セイコーエプソン 通期売上1兆3,629億円・営業利益751億円 2024年 セイコーエプソン 米Fiery社の子会社化:ソフトウェアへの初の大型投資と、翌期に生じたのれんの減損 2016年 セイコーエプソン 監査等委員会設置会社へ移行:監督の担い手を取締役会の内側へ移し、審議を重要議案に絞った機関設計の切り替え 2010年 セイコーエプソン SE07で中小型液晶を譲渡:電子デバイス事業の縮小と、中小型液晶ディスプレイ事業資産の譲渡 2010年 セイコーエプソン 中小型液晶ディスプレイ事業資産の一部を譲渡 2009年 セイコーエプソン Epson America傘下の不適切な経理処理:内部統制報告制度の初年度に重要な欠陥を開示し、海外子会社の管理を立て直した判断 2009年 セイコーエプソン 営業赤字▲16億円・純損失1,113億円 2003年 セイコーエプソン 東証一部へ株式上場:非公開の会社から、市場の値付けに日々晒される会社への移行 1990年 セイコーエプソン 洗浄工程のフロン全廃:規制の削減日程に先立つ前倒しの決定と、外注企業まで含めた切り替え 1985年 セイコーエプソン エプソンを吸収合併しセイコーエプソンに商号変更 1978年 セイコーエプソン コンピュータ用プリンター事業開始 1964年 セイコーエプソン "EPSON"ブランド制定:東京オリンピックの計時用プリンターを起点とした印刷機事業の立ち上げ 1959年 セイコーエプソン 第二精工舎諏訪工場より営業譲受、諏訪精工舎に商号変更 1942年 セイコーエプソン 大和工業設立
- 電通G 2024年 電通G イージス買収の巨額減損:海外事業(電通インターナショナル)の巨額減損とM&A路線の転換 2020年 電通G 純粋持株会社体制へ移行、電通グループに商号変更 2019年 電通G 海外事業を中心にのれん減損、初の営業赤字 2016年 電通G 高橋まつりさんの死と社長交代:新入社員の過労自殺を機とした働き方改革と社長交代 2016年 電通G Merkle Group Inc.を買収 2012年 電通G 英イージスの買収:取得原価3,651億円を投じ、海外本社を英国に置いた 2001年 電通G 東証一部への上場:創業から100年を経ての株式公開——資金需要のないまま選んだ資本市場入り 2000年 電通G 米マーチファーストと合弁:米SIPS最大手と組んだネット時代のコンサルティング事業への進出 1998年 電通G 組織改革と上場布石:3つの構造変化に直面した営業局の組み替えと、株式公開・海外展開への備え 1975年 電通G 電通国際情報サービス(ISID)を設立 1967年 電通G 本店を中央区築地に移転 1955年 電通G 商号を電通に変更 1936年 電通G 通信部を同盟通信社へ移管、聯合通信社広告部を吸収 1907年 電通G 日本広告を合併し通信・広告を一体化
- 荏原製作所 2025年 荏原製作所 細田修吾氏が社長に就任 2023年 荏原製作所 E-Plan2025策定:対面市場別5カンパニー制への移行と、成長事業・基盤事業の切り分け 2015年 荏原製作所 指名委員会等設置会社へ移行:監査役会を畳み、執行への権限委任と社外取締役の監督に組み替える機関設計の転換 2010年 荏原製作所 三菱商事・日揮の資本参加:水事業子会社の株式の3分の2の譲渡と、3社同持分の共同経営への移行 2009年 荏原製作所 水処理事業を荏原エンジニアリングサービスへ統合 2006年 荏原製作所 公共工事入札談合事件:公共工事の入札をめぐる摘発と、経営体制の刷新による再発防止 2003年 荏原製作所 ACT'95でガス化溶融炉参入:主力のポンプ事業に依存しない収益源づくりと、ダイオキシン規制下での環境事業への傾斜 1996年 荏原製作所 前田滋氏が社長に就任 1987年 荏原製作所 藤沢工場で真空ポンプ生産:半導体製造装置分野への参入と、CMP装置の事業化 1979年 荏原製作所 PT. Ebara Indonesiaを設立 1965年 荏原製作所 藤沢工場を新設 1956年 荏原製作所 荏原インフィルコを設立 1949年 荏原製作所 東京証券取引所一部・大阪証券取引所一部に上場
- あおぞら銀行 2025年 あおぞら銀行 新中期経営計画(2025-2027年度)発表 2024年 あおぞら銀行 大和証券と資本業務提携:証券大手を引受先とする519億円の第三者割当増資による資本の受け入れ 2024年 あおぞら銀行 15年ぶりの大幅赤字を計上 2018年 あおぞら銀行 GMOあおぞらネット銀行がインターネット銀行事業を開始 2015年 あおぞら銀行 資本再構成プラン完済:公的資金の分割返済と、期限を待たない一括での前倒し完済 2015年 あおぞら銀行 公的資金を完済 2010年 あおぞら銀行 新生銀行との合併破談:同業大手との統合による規模拡大構想と、その白紙撤回 2009年 あおぞら銀行 大幅純損失を計上 2003年 あおぞら銀行 米サーベラス筆頭株主化:ソフトバンク保有株の売却を経た普通銀行への転換と再上場 2000年 あおぞら銀行 ソフトバンク連合へ譲渡:特別公的管理による一時国有化と、民間企業連合への株式譲渡による再民営化 1999年 あおぞら銀行 日債銀債権回収がサービサー営業開始 1977年 あおぞら銀行 行名を日本債券信用銀行に変更 1964年 あおぞら銀行 外国為替業務を開始 1957年 あおぞら銀行 日本不動産銀行として設立
- SGHD 2025年 SGHD Morrison Express Worldwide Corporationを買収 2024年 SGHD C&Fロジを競合TOBで買収:AZ-COM丸和との競合買付けを制しての、傘下入りの実現 2017年 SGHD 東証一部への上場:創業60周年に果たした、2017年最大規模となる株式公開 2016年 SGHD 日立物流と資本業務提携契約を締結 2014年 SGHD スリランカのEXPOLANKA HOLDINGS PLCを買収 2013年 SGHD アマゾンジャパン取引を縮小:大口顧客の宅配取引の絞り込みと、配送単価の維持を優先する選択 2006年 SGHD 純粋持株会社体制へ移行しSGHDを設立 2000年 SGHD 栗和田榮一氏が経営権掌握:創業者派閥によるクーデター未遂を経た経営権の掌握 2000年 SGHD 同日中に栗和田榮一氏の社長再任を可決 1992年 SGHD 東京佐川急便事件で退場:創業者・佐川清氏の経営からの退場と、創業者支配の終わり 1992年 SGHD 渡辺広康元社長らを特別背任容疑で摘発 1988年 SGHD 翼運輸を子会社化 1975年 SGHD 京都自動車興業を設立 1965年 SGHD 佐川急便を設立
- 東レ 2024年 東レ 構造改革「Dプロ」の開始 2022年 東レ UL認証不正の公表と処分:毎年の一斉調査で自ら掘り当てた樹脂製品の認証不正を、判明の当日に公表し、有識者調査委員会へ委ねた 2018年 東レ テンカーテを買収:買収を足がかりにした熱可塑性複合材料という新分野への参入 2014年 東レ 米ゾルテックを買収:買収を通じた産業用炭素繊維という新たな市場への進出 2006年 東レ ファーストリテイリングと提携:戦略的パートナーシップの締結とヒートテックの共同開発 2006年 東レ B787向け炭素繊維を納入 2000年 東レ 最終赤字に転落 1997年 東レ 長期経営ビジョンNew AP-G2000を策定 1987年 東レ 組織のスリム化と意思決定の迅速化:組織の肥大と意思決定の遅れという自己診断から着手した、社内体制の立て直し 1975年 東レ 脱繊維路線への不参加:非繊維化の潮流に乗らず、主軸を繊維に置き続けた事業構成の選択 1971年 東レ 「トレカ」の事業化:炭素繊維を事業に育てる決断と、黒字化まで約40年に及ぶ赤字の引き受け 1963年 東レ タイで合弁2社設立:現地資本と組んで踏み出した、日本国外での生産という初めての選択 1958年 東レ 三島工場が竣工、ポリエステル繊維「テトロン」生産開始 1957年 東レ 英ICIから技術導入:ポリエステル繊維技術をめぐる、同業他社と足並みを揃えた共同導入 1951年 東レ 米デュポンと技術提携:ナイロン技術の導入と、自社での生産に踏み出す足がかりの確保 1926年 東レ 三井物産の出資で設立:人絹事業への進出と、親会社の名を冠さない社名での船出
- ネクステージ 2025年 ネクステージ ONEモトーレンを設立し子会社化 2023年 ネクステージ 営業インセンティブ全廃:押し売りの芽を断つ商慣行の見直しと創業者の社長復帰 2023年 ネクステージ 営業インセンティブを全廃 2016年 ネクステージ 初の輸入車正規ディーラーとしてボルボ・カー香里園をオープン 2015年 ネクステージ 名古屋茶屋店を開業:大型ワンストップ店フォーマットへの転換と、借入による規模拡大 2015年 ネクステージ アウトドア体験型店舗SUV LANDをオープン 2014年 ネクステージ 東証一部へ異例昇格:マザーズへの新規上場から間を置かない最上位市場への移行 2011年 ネクステージ 無店舗型の自動車出張買取事業に参入 2008年 ネクステージ 中古車輸出事業に参入 2005年 ネクステージ クロスセル導入:車を売って終わりにせず保険・整備まで一体で手がける生涯顧客化への転換 2002年 ネクステージ ネクステージを設立しスバル車販売に参入 1998年 ネクステージ オートステージヒロタを設立
- アドバンテスト 2024年 アドバンテスト 中期計画「MTP3」始動:AI・HBMテスト需要ブームへの先行投資と過去最高益 2017年 アドバンテスト 富士通との資本関係解消:親会社による全株売却と、後ろ盾を失って始まる独立経営への移行 2011年 アドバンテスト Verigy買収:SoCテスタの取り込み──メモリからSoCへ、テスタ世界首位の確立 2009年 アドバンテスト 市況悪化により赤字転落 1996年 アドバンテスト 半導体検査装置で世界シェア約40% 1985年 アドバンテスト 商号をアドバンテストに変更 1976年 アドバンテスト 富士通の救済出資:救済出資を受けてのICテスタ集中による再建 1975年 アドバンテスト コンピュータ計測事業で失敗・最終赤字に転落 1975年 アドバンテスト 武田郁夫氏が社長を退任し会長へ(社内クーデター) 1967年 アドバンテスト ミニコンピュータによる計測器の開発に投資 1954年 アドバンテスト 豊橋でタケダ理研工業を創業:大企業が目を向けない電子計測器に絞り、量産と値引きで競う市場を捨てた出発
- 東急不動産HD 2023年 東急不動産HD 東急ハンズなど非中核譲渡:抜本的再構築による非中核事業の一斉譲渡(ゴルフ場・スキー場・フィットネス) 2019年 東急不動産HD 広域渋谷圏で段階売却:総合デベロッパーから資本効率を軸とする不動産企業への転換 2013年 東急不動産HD 東急リバブル等三社を非公開化:持株会社体制への移行と、東急コミュニティーを含む三社の一斉上場廃止 2009年 東急不動産HD 東急不動産SCマネジメント設立 1990年 東急不動産HD 営業部門を東急リバブルに全面移管 1988年 東急不動産HD 会員制リゾートホテル事業に参入 1976年 東急不動産HD 東急ハンズを設立:不動産デベロッパーが自ら手がける、異業種である小売への参入 1970年 東急不動産HD 東急コミュニティーを設立 1961年 東急不動産HD 提携住宅ローンを発表 1953年 東急不動産HD 東急不動産設立 1918年 東急不動産HD 前身・田園都市を設立
- 日本郵船 2025年 日本郵船 NYK Energy Ocean の株式80%を取得 2024年 日本郵船 世界初のアンモニア燃料商用船「魁」が竣工 2023年 日本郵船 監査等委員会設置会社への移行:重要な業務執行の決定を執行へ委ね、取締役会の社外比率を半数まで引き上げた機関設計の変更 2023年 日本郵船 中期経営計画で4年間1兆2000億円の投資を決定 2018年 日本郵船 Ocean Network Express がサービスを開始 2017年 日本郵船 コンテナ船事業をONEに統合:邦船3社による共同出資会社の設立と、定期船事業の自社運営からの離脱 2014年 日本郵船 自動車船カルテルの課徴金受諾:排除措置命令を争わず131億円を納め、対応の軸を海外当局へ移した選択 2010年 日本郵船 経常損失360億円を計上 2009年 日本郵船 公募増資により1100億円を調達 2005年 日本郵船 日本貨物航空を子会社化 1998年 日本郵船 昭和海運を吸収合併 1998年 日本郵船 船員の外国人比率が9割に到達 1983年 日本郵船 LNG船事業に参入 1978年 日本郵船 日本貨物航空を設立 1969年 日本郵船 近海・内航部門を近海郵船へ委譲 1968年 日本郵船 日本初のフルコンテナ船「箱根丸」が北米航路に就航 1964年 日本郵船 三菱海運を合併:海運6グループへの集約と中核会社としての生き残り 1950年 日本郵船 海運の民営還元により自主運航へ復帰 1945年 日本郵船 終戦時の所有船舶が37隻まで減少 1885年 日本郵船 郵便汽船三菱会社と共同運輸会社の合併により発足
- SWCC 2025年 SWCC TOTOKUを子会社化 2023年 SWCC 商号をSWCCに変更:純粋持株会社体制の解消と、旧社名を捨てた事業会社への回帰 2019年 SWCC 古河電工と汎用電線統合:ROIC を経営指標に据えたことによる低資本効率事業の整理 2015年 SWCC 昭和電線ケーブルシステムがエクシムを吸収合併 2011年 SWCC 中国・富通集団と資本提携:第三者割当増資による筆頭株主の交代と、業務面まで踏み込んだ協業 2006年 SWCC 会社分割により持株会社体制に移行 2002年 SWCC 電力用電線・ケーブル事業をエクシムに営業譲渡 1995年 SWCC 愛知工場が竣工 1988年 SWCC 初の外貨建新株引受権付社債を発行 1979年 SWCC 初の外貨建転換社債を発行 1969年 SWCC 電子部工場新設 1950年 SWCC 建設業(電気工事)開始 1936年 SWCC 東京電気より独立川崎市に設立
- freee 2025年 freee 2025年6月期に通期の営業損益が創業以来初の黒字 2022年 freee 全固定資産の一括減損:業績不振によらない帳簿の一掃と、開発費を全額その期の費用とする方式への切り替え 2022年 freee 「freeeカード Unlimited」を発売。会計データを与信に用いる金融サービスを本格化 2021年 freee 海外市場での一般募集により約353億円を調達 2016年 freee みずほ銀行とAPI連携:国内初のメガバンクとの接続と、北国銀行への会計データの開放 2013年 freee 未完成のまま先行公開:課金機能を欠いた会計ソフトの投入と、その空白を「無料期間」と呼ぶ選択 2012年 freee CFOを設立
- ペプチドリーム 2024年 ペプチドリーム NorthStar Medical Radioisotopesとアクチニウム225の供給契約を締結 2023年 ペプチドリーム ジェネンテックと放射性核種ペプチド複合体(RI-PDC)で業務提携 2022年 ペプチドリーム PDRファーマの子会社化:富士フイルム富山化学から引き継ぐ放射性医薬品事業の取得 2019年 ペプチドリーム ノバルティスと放射性核種ペプチド複合体(RI-PDC)の共同研究開発契約を締結 2017年 ペプチドリーム 合弁でペプチスター設立:塩野義製薬・積水化学工業と三社で担う原薬製造の内製化 2013年 ペプチドリーム マザーズ上場:創業7年での公開と、製薬大手への技術提供を収益源に据える体制 2006年 ペプチドリーム 菅裕明氏と窪田規一氏がペプチドリームを設立
- ワークマン 2023年 ワークマン 営業店舗数1,000店舗達成かつワークマンカラーズ1号店を開店 2020年 ワークマン ワークマン女子の展開:一般女性・非職人客に向けた新業態の立ち上げと客層の拡張 2018年 ワークマン ワークマンプラス展開:WORKMAN Plusによる作業服から一般客・アウトドアへの客層転換 2014年 ワークマン 「データ経営」への転換:土屋哲雄氏の参画と、あわせて掲げた「しない経営」への転換 2008年 ワークマン 営業店舗数600店舗を達成 1997年 ワークマン 日本証券業協会に株式を店頭登録 1980年 ワークマン 「職人の店 ワークマン」1号店を開店 1979年 ワークマン 蘭豆設立
- 富士通 2026年 富士通 メインフレーム販売を2030年度末で終了すると発表 2021年 富士通 Uvance戦略で事業転換:事業モデルの再定義と、DX企業への立ち位置の置き換え 2018年 富士通 携帯端末事業をポラリス・キャピタル・グループへ譲渡 2018年 富士通 個人向けパソコン事業を中国Lenovo Group Limitedへ譲渡 2016年 富士通 東京電力向け受注調整の処分:東京電力事案の発覚後に自ら社内調査を起こし、中部電力事案を課徴金減免申請で自主申告した 2010年 富士通 山本正已氏が社長に就任 2009年 富士通 野副州旦氏が社長を突然退任 2008年 富士通 半導体事業をオンセミへ売却:会津の200mm工場を段階的に渡し、前工程の製造を自前で抱えることをやめた 2003年 富士通 構造改革の断行:連結最終赤字3,825億円からの再建 1997年 富士通 Amdahlを完全子会社化 1990年 富士通 英ICL買収で3極体制:欧州拠点の取り込みによる、欧州・北米・日本にまたがるメインフレーム供給体制の構築 1985年 富士通 脱IBM路線での多角化:互換路線に頼らない通信・AI・パソコンという新市場への同時攻勢 1980年 富士通 IBM互換で国内首位に:システムエンジニアを前面に立てた営業体制の構築と、その積み上げによる逆転 1976年 富士通 フランクフルト証券取引所に上場(2009年12月上場廃止) 1967年 富士通 社名を富士通に変更 1951年 富士通 電子計算機の製造を開始 1935年 富士通 富士電機製造の電話部が分離独立し富士通信機製造を設立
- GMOインターネットG 2025年 GMOインターネットG インターネットインフラ・広告・メディア事業をGMOインターネットへ承継 2024年 GMOインターネットG 持株会社体制への移行:祖業のインフラ事業と広告・メディア事業の上場子会社GMOアドパートナーズへの吸収分割による承継と、本体のグループ経営への特化 2018年 GMOインターネットG GMOあおぞらネット銀行がインターネット銀行事業を開始 2017年 GMOインターネットG 暗号資産マイニング事業参入:北欧の自社採掘にチップ開発とマシン販売を加え、1年後に販売を中止して自社採掘へ絞った判断 2017年 GMOインターネットG 暗号資産交換事業に参入 2010年 GMOインターネットG クリック証券を子会社化 2007年 GMOインターネットG ローン・クレジット事業撤退:参入からわずか2年で見切りをつけた金融分野の切り離し 2005年 GMOインターネットG オリエント信販株式94.28%を250億4,100万円で取得しローン・クレジット事業へ参入 2000年 GMOインターネットG まぐクリックの上場:連結子会社を個別に上場させるグループ多重上場モデルの確立 1999年 GMOインターネットG JASDAQへの店頭公開:独立系インターネット接続事業者として初の店頭公開 1999年 GMOインターネットG ドメイン事業に参入 1997年 GMOインターネットG クラウド・レンタルサーバー(ホスティング)事業に参入
- サイゼリヤ 2025年 サイゼリヤ 朝食業態「朝サイゼ」を開始 2022年 サイゼリヤ 新業態8店舗の全店閉店:都市部で試してきた別ブランドの全廃と、小型店・未出店地域への出店の振り替え 2016年 サイゼリヤ 監査等委員会設置会社への移行:社外取締役のいない取締役会を改め、過半数を社外とする監査等委員会を設置した機関設計の切り替え 2013年 サイゼリヤ 新業態で店舗開発(のちに撤退決定) 2009年 サイゼリヤ 為替デリバティブの一括解約:含み損の先送りを避けた解約損の一括計上と、無借金経営の放棄 2003年 サイゼリヤ 中国・上海への進出:低価格モデルの海外移植とアジア利益柱への反転 1995年 サイゼリヤ 広告宣伝に注力しない体制へ 1981年 サイゼリヤ ショッピングセンター業態に参入 1975年 サイゼリヤ 全品半額でイタリア料理転換:思い切った値下げを起点にした低価格チェーンへの業態転換 1973年 サイゼリヤ イタリアンレストラン「サイゼリヤ」の経営を開始 1967年 サイゼリヤ 正垣泰彦氏が飲食店を個人開業
- 住友ファーマ 2024年 住友ファーマ FY23通期で純損失3,150億円規模・巨額のれん減損 2023年 住友ファーマ ラツーダ特許切れで北米半減:総額1,809億円の減損計上と、北米人員半減・パイプライン圧縮による構造改革 2019年 住友ファーマ 英ロイバントとの提携:戦略的提携によるスミトバントの子会社化と、相手方株式11%の取得 2017年 住友ファーマ Tolero Pharmaceuticals, Inc.を買収 2012年 住友ファーマ Boston Biomedical, Inc.を買収 2009年 住友ファーマ 米セプラコールの買収:2,506百万米ドルを投じて手に入れた米国市場での自前の販売網 2005年 住友ファーマ 住友製薬との合併:社名を変更し、化学系グループの一員へと位置づけを変える再編
- タダノ 2025年 タダノ マニテックス・インターナショナルInc.ほか14社を子会社化 2021年 タダノ 氏家俊明氏が社長就任:創業家以外から初めてトップを迎え入れる形での経営の引き継ぎ 2020年 タダノ 現地法に基づく事業再生手続きを申請 2019年 タダノ デマーグクレーン事業の取得:米テレックスからのドイツ生産拠点の集約 2014年 タダノ クレーンズ・ユーケーLtd.を買収 2008年 タダノ LE事業への限定:移動機能付き抗重力・空間作業機械への事業領域の絞り込みと、多角化の不採用 2004年 タダノ ラフテレーンクレーンのリコール:死亡事故を受けた15,278台の届出と、CSR憲章の制定 2004年 タダノ 8型式16機種15,278台のリコールを届出 1999年 タダノ 1998年度に上場来初の当期損失を計上 1990年 タダノ ファウンAGのクレーン・車両部門を買収 1989年 タダノ 商号をタダノに商号変更。同年度に連結売上高が初めて1,000億円を超える 1970年 タダノ 日本初のラフテレーンクレーンTR-150を開発 1968年 タダノ 札幌営業所、広島営業所を開設 1955年 タダノ 日本初の油圧式トラッククレーンOC-2型を開発 1948年 タダノ 多田野鉄工所を設立
- 太平洋セメント 2025年 太平洋セメント 営業利益778億円、過去高水準 2023年 太平洋セメント 純損失▲332億円 2022年 太平洋セメント セメント価格を値上げ:石炭サーチャージ制度の導入表明と撤回を経た、1トン3000円の直接転嫁と収益重視への価格政策の転換 2015年 太平洋セメント 米でオログランデ工場取得:西海岸でのレディング工場の取得と、生コン・骨材までの買い足し 2012年 太平洋セメント 福田修二が代表取締役社長就任 2009年 太平洋セメント 初の純損失を計上 2000年 太平洋セメント エコセメントを事業化:都市ごみ・産業廃棄物の受け入れによる廃棄物処理事業の確立 1998年 太平洋セメント 日本セメントと合併:太平洋セメントの発足と、浅野・小野田・秩父の三系譜の一体化 1994年 太平洋セメント 小野田セメントと秩父セメントが合併し秩父小野田発足 1990年 太平洋セメント カリフォルニア・ポルトランド・セメントを買収 1984年 太平洋セメント 大日本セメント共同事業株を設立 1972年 太平洋セメント 明星セメントの全株式取得 1962年 太平洋セメント 熊谷工場が竣工 1955年 太平洋セメント 埼玉工場が竣工 1939年 太平洋セメント 旧日本セメントを合併 1903年 太平洋セメント 日本初の回転窯によるセメント製造を開始
- ライフコーポレーション 2024年 ライフコーポレーション 監査等委員会移行と社外6名体制:監査役会を畳んで監査を取締役会の議席へ移し、社外取締役を4名から6名へ増やした機関設計の組み替え 2016年 ライフコーポレーション 「ビオラル」業態の創出:価格ではなく有機・自然派で選ばれる売り場の、店・商品・調達の三層での自前化 2012年 ライフコーポレーション 本店所在地を移転 2006年 ライフコーポレーション 岩崎高治氏が社長就任:社長職の世襲を退け、自己株式の処分と引き換えに三菱商事から後継を迎えた承継 1993年 ライフコーポレーション 栗橋総合物流センターを開設 1988年 ライフコーポレーション 清水三夫氏の解任と清水信次氏への継承:実弟の更迭と引き換えの本業回帰 1971年 ライフコーポレーション 首都圏1号店として板橋店を開設 1963年 ライフコーポレーション 第2号店・塚本店を開設しチェーンストア志向を明確化 1961年 ライフコーポレーション 豊中店を開設しスーパーマーケット形式による営業を開始 1956年 ライフコーポレーション 清水實業を設立
- スギHD 2026年 スギHD スギHDとトライアルHDが包括的協業を開始 2024年 スギHD 阪神調剤グループの買収:調剤薬局大手I&Hを取り込んだ買収による調剤事業の急拡大 2019年 スギHD ココカラファインとの統合協議:規模拡大を狙った同業大手との経営統合の模索と、2019年の破談 2013年 スギHD スギ薬局とジャパンが会社統合 2008年 スギHD 新設分割により持株会社体制に移行 2005年 スギHD ジャパンの株式を50.1%取得し子会社化 2000年 スギHD 東海を足場に調剤併設化:安売りによらない調剤併設ドラッグストアへの業態転換 1998年 スギHD スギ薬局日進物流センターが稼動 1982年 スギHD スギ薬局を設立 1976年 スギHD スギ薬局を創業
- オープンハウスG 2025年 オープンハウスG プレサンスコーポレーションを完全子会社化 2023年 オープンハウスG 三栄建築設計を子会社化:公開買付けによる株式取得と、完全子会社としての取り込み 2023年 オープンハウスG 三栄建築設計を完全子会社化 2021年 オープンハウスG プレサンスコーポレーションを子会社化 2018年 オープンハウスG ホーク・ワンを買収:273億円を投じた、戸建の供給力を一段引き上げる規模の取り込み 2018年 オープンハウスG ホーク・ワンを株式交換により100%子会社化 2010年 オープンハウスG Open House Realty & Investments, Inc.を設立 2008年 オープンハウスG オープンハウス・ディベロップメントがマンションの販売開始 2001年 オープンハウスG 創建ビルド取得で自社開発へ:仲介専業から自社土地仕入・建物建築への転換 1997年 オープンハウスG オープンハウスを創業し新築一戸建住宅の売買仲介事業に参入
- マネックスG 2026年 マネックスG 暗号資産事業でKDDIと資本業務提携 2024年 マネックスG カナダの3iQ Digital Holdings の株式を取得し子会社化 2024年 マネックスG 香港のMonex Boom Securities など3社の株式を譲渡 2023年 マネックスG NTTドコモとの共同持株会社:設立と、マネックス証券の持分法適用会社化 2018年 マネックスG コインチェックの買収:NEMの不正送金から3か月後の取得と、のれんの立たない45億円 2018年 マネックスG コインチェックで暗号資産NEM約580億円分が不正流出 2014年 マネックスG 静岡銀行がオリックスから株式を取得し筆頭株主に 2011年 マネックスG 米国のTradeStation Group の全株式を取得し完全子会社化 2008年 マネックスG 持株会社がマネックスグループへ商号を変更 2004年 マネックスG 日興ビーンズ証券との共同持株会社マネックス・ビーンズ・ホールディングスを設立 2002年 マネックスG DLJ破談後の信用取引参入:顧客保護を理由に見送ってきた貸株サービスの開始 1999年 マネックスG 松本大氏とソニーの共同出資によりマネックス証券を設立 1999年 マネックスG インターネット取引の営業を開始
- 富士紡HD 2022年 富士紡HD CMP研磨材で世界首位:井上雅偉体制のROIC経営と、生成AI特需を取り込むニッチトップ戦略の確立 2018年 富士紡HD 東京金型とGFIの連続買収:化成品事業を第4の柱に育てるための金型・射出成形の取り込み 2013年 富士紡HD 柳井化学工業が東洋紡から医薬・農薬中間体事業を会社分割により承継 2005年 富士紡HD 富士紡HDへ商号変更:持株会社化と研磨材事業への経営資源集中——中野光雄社長体制と中期経営計画「変身06-10」 2001年 富士紡HD 富士紡(常州)服装有限公司を設立 1999年 富士紡HD タイフジボウガーメントが生産を中止 1987年 富士紡HD タイフジボウガーメントを設立 1975年 富士紡HD エチオピア綿業を国有化 1970年 富士紡HD 電子器事業所を開設 1961年 富士紡HD 富士ケミクロスを設立 1951年 富士紡HD 小坂井工場を新設 1945年 富士紡HD 在外資産を接収 1906年 富士紡HD 東京瓦斯紡績を合併し社名を富士瓦斯紡績に商号変更
- ライフネット生命保険 2026年 ライフネット生命保険 auフィナンシャルホールディングスとの資本提携を解消 2026年 ライフネット生命保険 日本航空と資本業務提携契約を締結 2023年 ライフネット生命保険 三井住友フィナンシャルグループなど4社間で資本業務提携 2022年 ライフネット生命保険 auじぶん銀行と業務提携:業務提携を足がかりとした団体信用生命保険事業への参入 2019年 ライフネット生命保険 KDDI・auフィナンシャルホールディングスと業務提携 2015年 ライフネット生命保険 KDDIと資本業務提携:インターネット直販一本からの脱却と、多チャネル化への転換 2014年 ライフネット生命保険 来店型保険ショップのほけんの窓口グループと代理店契約 2008年 ライフネット生命保険 保険料の内訳開示:付加保険料率の全面開示と、商品ごとの運営経費の公表 2008年 ライフネット生命保険 独立系の生命保険会社として74年ぶりに営業を開始
- 出前館 2025年 出前館 「Yahoo!クイックマート」の提供終了 2021年 出前館 海外募集と第三者割当で総額834億円を調達 2021年 出前館 「出前館」の加盟店舗数が100,000店舗を突破 2020年 出前館 LINEからの第三者割当増資:未来Fund有限責任事業組合も加えた総額300億円の資本の受け入れ 2019年 出前館 出前館に商号変更 2016年 出前館 「シェアリングデリバリー」開始:注文の取次にとどまらず配達まで担う、事業範囲の拡大 2016年 出前館 LINEと資本業務提携 2014年 出前館 NTTドコモと「dデリバリー」で業務提携 2010年 出前館 「出前館」の加盟店数が10,000店を突破 2005年 出前館 「Yahoo! JAPAN」で「Yahoo! 出前注文サービス」を開始 2001年 出前館 中村利江氏が取締役に就任 2000年 出前館 「出前館」の開設:初期負担も会費も課さない取り次ぎ条件による、宅配総合サイトの立ち上げ 1999年 出前館 大阪市住之江区に夢の街創造委員会を設立
- GMOペイメントゲートウェイ 2025年 GMOペイメントゲートウェイ エンペイを子会社化 2020年 GMOペイメントゲートウェイ MACROKIOSKからの撤退:マレーシアで抱えた子会社の全株式譲渡と海外事業の整理 2016年 GMOペイメントゲートウェイ GMOフィナンシャルゲートを子会社化 2015年 GMOペイメントゲートウェイ 三井住友FGとの資本提携:約80億円の第三者割当増資による大手金融グループの資本受け入れ 2015年 GMOペイメントゲートウェイ SMBC GMO PAYMENTを三井住友銀行との合弁会社として設立 2014年 GMOペイメントゲートウェイ ソーシャルアプリ決済サービスの全株式を譲渡 2005年 GMOペイメントゲートウェイ イプシロンを子会社化 2004年 GMOペイメントゲートウェイ GMOグループ傘下入り:資本の傘を得たうえで進めた同業の決済代行2社の連続取得 2004年 GMOペイメントゲートウェイ CCSHDを設立 1995年 GMOペイメントゲートウェイ カード・コール・サービスを設立
- 日本新薬 2020年 日本新薬 ビルテプソの米国直販開始:国産初のアンチセンス核酸医薬の承認取得と、提携に頼らない自社販売 2020年 日本新薬 NS Pharmaによる米国自社販売を開始 2019年 日本新薬 難病・希少疾患の重点化:第六次中期経営計画による注力領域の難病・希少疾患、泌尿器・血液内科への絞り込み 2011年 日本新薬 北京事務所開設 2008年 日本新薬 セレキシパグをアクテリオンへ導出:日本を除く全世界の開発販売権を他社へ委ねるという選択 2001年 日本新薬 医薬品製剤の生産機能を小田原工場に集約化し小田原総合製剤工場に商号変更 1997年 日本新薬 東部創薬研究所を新設 1982年 日本新薬 中央研究所本館設置 1970年 日本新薬 食品技術研究所を新設 1961年 日本新薬 食品事業に参入。スパイス工場を新設し粉末香辛料「スパイス・ケンダ」発売 1957年 日本新薬 本社・壬生工場を西大路工場敷地内に移転 1940年 日本新薬 国産サントニンの発売
- コナミG 2025年 コナミG コナミアーケードゲームスを設立 2021年 コナミG 監査役会廃止と監査等委員会移行:監査役5名を退かせ、社外取締役3名に監査と監督を兼ねさせた機関設計の組み替え 2015年 コナミG 開発本部制への移行とモバイル重視:看板クリエイターの離脱と、モバイル収益重視への経営資源の再配分 2015年 コナミG 小島秀夫氏が新体制から離脱 2013年 コナミG モバイルゲーム「実況パワフルプロ野球」(パワプロアプリ)を配信開始 2006年 コナミG 純粋持株会社へ移行 2001年 コナミG フィットネス大手のピープルを友好的TOBで子会社化 1999年 コナミG 遊戯王カードゲーム発売:紙のトレーディングカードによって拓いたIP収益の新機軸 1997年 コナミG Konami Gaming,Inc.を設立 1985年 コナミG 任天堂プラットフォームへ参入:アーケード専業から家庭用ゲームへの事業領域の広がり 1978年 コナミG アーケードゲーム市場に本格参入 1969年 コナミG 上月景正氏が大阪でジュークボックスの修理・レンタル業を創業
- 横浜ゴム 2025年 横浜ゴム Goodyear社のOTR事業(G-OTR)を買収 2023年 横浜ゴム 監査等委員会設置会社への移行:監査を担う者を議決権のある取締役として取締役会に迎えた機関設計の転換 2023年 横浜ゴム スウェーデンTrelleborg Wheel Systems(Y-TWS)を買収 2021年 横浜ゴム ハマタイト事業を売却 2016年 横浜ゴム ATG・TWS・グッドイヤーOTRの連続取得:オフハイウェイタイヤ事業への連続M&Aによる事業構成の転換 2014年 横浜ゴム パーカーMHP社(マリンホース)を買収 2009年 横浜ゴム リーマンショックで初の純損失に転落 1993年 横浜ゴム 萩原晴二氏が社長就任:冨永靖雄氏へと受け継がれた、危機感に発するコスト削減と構造改革の10年 1981年 横浜ゴム B.F.グッドリッチが横浜ゴム株式の大半を売却 1978年 横浜ゴム グッドリッチが資本離脱:外資の後ろ盾を失った後の「ADVAN」投入と独自路線の確立 1978年 横浜ゴム 2期連続で最終赤字に転落 1967年 横浜ゴム 日本初の乗用車用スチールラジアルタイヤを開発 1963年 横浜ゴム 新城工場建設で立て直し:首位を明け渡した後の巻き返しと、島崎敬夫社長による経営刷新 1957年 横浜ゴム 航空部品(燃料タンク・ホース)の生産を開始 1949年 横浜ゴム B.F.グッドリッチとの業務提携を復活
- トリドールHD 2023年 トリドールHD 英Fulham Shoreを買収:現地企業の子会社化を通じた欧州レストラン事業の取得 2018年 トリドールHD Tam Jai International Co.Limitedの株式を取得 2017年 トリドールHD 日本で豚骨ラーメン業態「ずんどう屋」を運営するZUNDの株式取得 2016年 トリドールHD 丸亀製麺に次ぐ業態買収:持株会社への移行と、単一業態への依存からマルチブランド化への転換 2011年 トリドールHD ハワイのホノルルに海外1号店「MARUGAME UDON」を開店 2000年 トリドールHD セルフうどんの新業態として「丸亀製麺 加古川店」開店 1999年 トリドールHD 「とりどーる」へ転換:洋風居酒屋から和風焼き鳥ファミリーダイニングへの業態転換 1985年 トリドールHD 焼鳥居酒屋「トリドール三番館」開店
- ヤマトHD 2025年 ヤマトHD エクスプレス事業が営業赤字に転落 2023年 ヤマトHD 日本郵便との協業紛争:投函サービスでの協業関係から、履行をめぐる提訴への転化 2021年 ヤマトHD グループ7社をヤマト運輸に統合(One ヤマト) 2017年 ヤマトHD 宅急便運賃の全面値上げ:27年ぶりの価格改定と取扱総量の抑制による収益の立て直し 2017年 ヤマトHD 宅急便運賃の27年ぶり全面値上げと総量規制の方針を提示 2015年 ヤマトHD クロネコメール便を廃止 2013年 ヤマトHD 総合物流ターミナル「羽田クロノゲート」を竣工 2007年 ヤマトHD 初の純損失を計上 2005年 ヤマトHD 純粋持株会社制へ移行、ヤマトHDに商号変更 1996年 ヤマトHD 「クール宅急便」を開始、365日営業へ 1981年 ヤマトHD 宅急便で郵便小包に対抗:官業による独占体制に挑み、約20年におよんだ規制との争い 1976年 ヤマトHD 宅急便事業の創業:路線トラック三番手からの個人宅配市場への転換 1960年 ヤマトHD 国際航空混載貨物の取扱を開始 1958年 ヤマトHD 美術品梱包輸送事業に参入 1929年 ヤマトHD 東京-横浜間で定期便を開始 1919年 ヤマトHD 大和運輸を京橋で創立:創業——東京京橋のトラック4台から日本初の路線トラック便
- 日本毛織 2024年 日本毛織 不織布等の呉羽テックを子会社化 2023年 日本毛織 フジコーと不織布統合:アンビックの不織布事業との統合と、「エフアンドエイノンウーブンズ」の発足 2016年 日本毛織 RN130ビジョン策定:富田一弥の社長就任と、長期構想のもとでの経営の作り替え 2014年 日本毛織 寝具・寝装品のナイスデイを子会社化 2006年 日本毛織 スポーツ用品のゴーセンを子会社化 2002年 日本毛織 不織布・フェルト製造のアンビックを子会社化 1999年 日本毛織 ニッケインドアテニスを設立 1988年 日本毛織 ニッケコルトンプラザを建設し賃貸・営業開始 1984年 日本毛織 中山工場跡地を商業施設化:跡地活用から生まれた不動産事業の、新たな収益源への育成 1977年 日本毛織 アルゼンチン子会社の存続:度重なる政変とクーデターをくぐり抜けた海外拠点の維持 1961年 日本毛織 ニッケ不動産を設立 1958年 日本毛織 鵜沼工場の操業開始 1942年 日本毛織 昭和毛絲紡績を合併 1896年 日本毛織 日本毛織を設立
- 日立建機 2022年 日立建機 日立製作所の保有株売却:保有株26%の放出と、伊藤忠・日本産業パートナーズ連合への筆頭株主の異動 2022年 日立建機 HCJIHDと資本提携契約を締結 2017年 日立建機 豪ブラッドケンの買収:鉱山機械への本格参入と、米H-Eパーツも交えた消耗部品事業の獲得 2012年 日立建機 国内の建設機械販売・サービス事業を会社分割により日立建機日本へ譲渡 2001年 日立建機 欧州推進事業本部を新設・フィアットと提携解消 1998年 日立建機 日立建機トラックLtd.の経営権を取得 1988年 日立建機 ディーア・フィアットと提携:欧米2社と組んで築いた日米欧3極の供給体制 1974年 日立建機 土浦一貫生産への集約:製販統合による新生日立建機の発足と、足立工場の閉鎖 1970年 日立建機 日立建機を設立・製販統合へ 1965年 日立建機 油圧ショベル「UH03」を発売 1955年 日立建機 日立建設機械サービスを設立 1949年 日立建機 日立製作所が「ショベルU05」を建設省に納品
- フューチャー 2025年 フューチャー ディアイティがサイバー・ソリューションを吸収合併 2024年 フューチャー リヴァンプ買収でグループ化:連続買収による総合コンサルティンググループ化 2017年 フューチャー ワイ・ディ・シーを横河電機より買収 2016年 フューチャー フューチャーアーキテクト新設:持株会社化と機能別グループ経営への転換 2011年 フューチャー 中堅中小企業向けERP事業を会社分割でFutureOneに承継 2007年 フューチャー ウッドランドを吸収合併、フューチャーアーキテクトに商号変更 1999年 フューチャー 日本証券業協会に株式店頭登録 1989年 フューチャー 独立系ITコンサル創業:「業務とITの一体設計」を掲げた事業の立ち上げと、系列に属さない立場の選択
- 日本ペイント 2025年 日本ペイント AOC LLC等を子会社化 2021年 日本ペイント ウットラムの完全子会社化:1.3兆円の第三者割当増資と引き換えに進めたアジア合弁の完全子会社化 2019年 日本ペイント Dulux社を約3000億円で買収 2018年 日本ペイント ウットラムが取締役会掌握:取締役会の過半数を明け渡す形での経営主導権の移転 2014年 日本ペイント WUTHELAM HDとのアジア合弁事業8社を連結化 2007年 日本ペイント FIRST INDUSTRIES CORPが筆頭株主に 1999年 日本ペイント 赤字転落・グループ人員を10%削減 1982年 日本ペイント NIPSEAグループで中国市場に注力を表明 1975年 日本ペイント 子会社を設立 1962年 日本ペイント シンガポール合弁で再進出:出資を30%にとどめた少数持分方式によるアジア市場への再進出 1960年 日本ペイント 自動車向け塗料事業に参入 1917年 日本ペイント 経営危機により体制刷新・小畑源三郎氏が専務就任
- 青山商事 2021年 青山商事 リーバイス事業撤退:コロナ禍での159店の統廃合と、創業以来初の希望退職 2015年 青山商事 ミスターミニット買収:スーツ一本足から離れるために買った、靴修理と合鍵の577店 2012年 青山商事 「アメリカンイーグルアウトフィッターズ」1号店(表参道店)を開店 2000年 青山商事 「ザ・スーツカンパニー」の1号店(日本橋店)を開店 1999年 青山商事 カード事業に参入 1983年 青山商事 POSシステムを導入 1974年 青山商事 紳士服専門店「洋服の青山」1号店(西条店)を開店 1967年 青山商事 広島県府中で紳士服へ一本化:食料品・特産品部門から撤退し 1967年 青山商事 紳士服販売に特化
- ADEKA 2022年 ADEKA 全州第二工場の増強:半導体材料への経営資源の集中と、高誘電体ALD材料の生産能力の増強 2018年 ADEKA 日本農薬の連結子会社化:1928年に分離した相手を公開買付けと第三者割当増資で51%まで戻す資本の再結合 2012年 ADEKA AM STABILIZERS CORP.がHammond Groupから塩化ビニル用安定剤事業を取得 2000年 ADEKA EBO手法により、国内5工場の末端加工工程を工場毎の加工サービス会社として分離設立 1999年 ADEKA アサヒデンカヨーロッパGmbHを設立 1989年 ADEKA 長春人造樹脂廠股份有限公司等との合弁で長江化学股份有限公司を設立 1977年 ADEKA 東京環境測定センターを設立 1962年 ADEKA アーガスケミカルとの合弁でアデカアーガス産業を設立 1959年 ADEKA FMC社ほかとの合弁で、東海電化工業を設立(1999年4月、吸収合併) 1928年 ADEKA 農業薬品部門を分離し日本農薬を設立 1917年 ADEKA 古河系電気化学として創立:電解の副生水素を使う硬化油事業を併せ持つ会社としての出発
- ノジマ 2025年 ノジマ NJM1がVAIOを93.2%取得し子会社化 2023年 ノジマ コネクシオをTOBで買収:携帯販売大手を855億円で取り込む完全子会社化と規模の確保 2022年 ノジマ スルガ銀行との資本業務提携を解消 2019年 ノジマ Courts Asia Ltd.を任意的公開買付けで子会社化 2019年 ノジマ スルガ銀行の株式を追加取得し18.5%保有の筆頭株主に 2015年 ノジマ アイ・ティー・エックス買収:携帯電話販売代理店の取り込みによる第二の収益源づくり 2010年 ノジマ 大阪証券取引所JASDAQに上場 2009年 ノジマ 創業50周年を迎える 1998年 ノジマ PC販売会社コンプジャパンを設立 1982年 ノジマ 野島電気商会に組織変更 1962年 ノジマ 野島電気商会を設立 1959年 ノジマ 野島電気工業社を創設
- ANYCOLOR 2022年 ANYCOLOR インド事業を休止:海外4極から2極への絞り込みと、インドネシア・韓国グループの本体統合 2022年 ANYCOLOR 東京証券取引所グロース市場に株式を上場 2021年 ANYCOLOR 英語圏「NIJISANJI EN」始動 + 商号をいちからからANYCOLORに変更 2018年 ANYCOLOR にじさんじの運営に転換:アプリ事業から所属ライバーの運営へ——創業1年での主力事業の入れ替え 2018年 ANYCOLOR VTuberグループ「にじさんじ」の始動を発表
- ラクス 2025年 ラクス インターネット接続・ホスティングサービス事業をライドに承継 2023年 ラクス ラクスライトクラウドのXform・レンタルサーバー事業をNHNテコラスに承継 2023年 ラクス HOYAが新設分割したラクスHRテックを子会社化 2021年 ラクス 利益より成長投資の優先:減益を織り込んだ5か年売上高CAGR目標の引き上げ 2015年 ラクス Rigniteの譲渡撤退:米国子会社の全株式売却によるSNSマーケティング事業の打ち切り 2014年 ラクス 100%子会社 RAKUS Vietnam Co., Ltd.を設立 2002年 ラクス IT人材事業に参入 2001年 ラクス クラウド事業に参入
- 三菱マテリアル 2022年 三菱マテリアル アルミニウム・製缶事業から撤退 2022年 三菱マテリアル セメント事業を統合・UBE三菱セメントを発足 2020年 三菱マテリアル 超硬の取得とアルミの譲渡:中期経営戦略の策定と、それにもとづく事業構成の組み替え 2019年 三菱マテリアル 独占禁違反・課徴金納付命令 2017年 三菱マテリアル 品質データ改ざん発覚:連結子会社5社で相次いだ不適合品の出荷と、グループガバナンスの立て直し 2010年 三菱マテリアル 最終赤字に転落 2008年 三菱マテリアル 三菱伸銅を完全子会社化 1990年 三菱マテリアル 三菱鉱業セメントと合併・三菱マテリアルに商号変更 1984年 三菱マテリアル 米国三菱マテリアル社の前身を設立 1976年 三菱マテリアル 国内金属鉱山部門を分離 1969年 三菱マテリアル 国内炭鉱部門を分離 1950年 三菱マテリアル 石炭・非鉄金属を会社分離 1918年 三菱マテリアル 三菱鉱業を設立
- ジャパンエレベーターサービスHD 2020年 ジャパンエレベーターサービスHD セイコーエレベーター子会社化:地域保守会社の連続買収と吸収合併による全国保守網の構築 2017年 ジャパンエレベーターサービスHD マザーズへ株式上場:創業家が過半を持ち続けたままの株式公開と、支配権を手放さない資金調達 2015年 ジャパンエレベーターサービスHD 持株会社化に向け事業子会社5社を設立 2014年 ジャパンエレベーターサービスHD 子会社を設立 2007年 ジャパンエレベーターサービスHD リモート遠隔点検サービスPRIMEを開発 1994年 ジャパンエレベーターサービスHD ジャパンエレベーターサービスを設立
- 大和証券G本社 2025年 大和証券G本社 Airborne Capital Limitedとの合弁会社・大和エアボーンを発足 2024年 大和証券G本社 資産管理型ビジネスへの転換:単品売買モデルとの決別と、顧客の資産価値最大化への軸足の移動 2024年 大和証券G本社 あおぞら銀行と資本業務提携契約を締結し持分法適用関連会社化 2017年 大和証券G本社 中田誠司氏が社長に就任 2012年 大和証券G本社 大和証券内部者取引事案:子会社の元社員の関与認定を受けた調査委員会の設置と内部管理態勢の立て直し 2011年 大和証券G本社 大和ネクスト銀行の設立:証券グループの銀行業参入 2011年 大和証券G本社 親会社株主帰属当期純損失▲373億円で赤字転落 2009年 大和証券G本社 大和証券SMBCの合弁解消:三井住友保有40%株の買取による完全子会社化 2001年 大和証券G本社 さくら証券から営業全部を譲受、大和証券エスエムビーシーに商号変更 1999年 大和証券G本社 住友銀行との提携と持株会社化:証券業界初の純粋持株会社化 1995年 大和証券G本社 営業赤字を計上 1989年 大和証券G本社 大和コンピューターサービス・大和証券経済研究所・大和システムサービスが合併 1977年 大和証券G本社 初のユーロ円債(欧州投資銀行債)を発行 1968年 大和証券G本社 改正証券取引法による総合証券会社として大蔵大臣の免許取得 1952年 大和証券G本社 日本初のオープン型投資信託を発足 1943年 大和証券G本社 日本信託銀行と合併し大和証券誕生 1937年 大和証券G本社 日本初の投資信託「藤本有価証券投資組合」を発足
- カナデビア 2025年 カナデビア 連結売上収益6,105億円・営業利益269億円で過去最高 2024年 カナデビア 舶用エンジンの品質不適切行為:特別調査委員会の設置と、6分野へ広がった不正の認定 2021年 カナデビア シールド掘進機事業を川崎重工業との共同新設分割で地中空間開発に承継 2017年 カナデビア Osmoflo Holdings(豪)を子会社化 2010年 カナデビア AE&E Inova買収:欧州・豪州の環境プラント企業の連続取得と、日立造船からカナデビアへの商号変更 2010年 カナデビア ごみ焼却炉談合の課徴金確定:公正取引委員会の審決を争いながら49億円を納付した選択 2006年 カナデビア 当期純損失▲290億円を計上 2002年 カナデビア ユニバーサル造船へ譲渡:祖業・造船の分社化と環境企業への転身 1997年 カナデビア 桜島工場閉鎖・南港ビルへ本社部門を集約 1986年 カナデビア 因島・向島工場を縮小:二度の合理化策による人員・設備の削減と生産拠点の絞り込み 1971年 カナデビア 舞鶴重工業を吸収合併 1964年 カナデビア 堺工場マンモスドック建設:総工費150億円の桜島工場の造船からの撤収 1947年 カナデビア 彦島工場を三菱重工へ譲渡:日立製作所保有株の整理を経た独立系造船会社への再出発 1936年 カナデビア 日立製作所が全株式を譲り受け、日立系列下に 1934年 カナデビア 日本産業が大阪鉄工所株式を全取得、日本産業大阪鉄工所を設立
- 川崎重工業 2024年 川崎重工業 海上自衛隊への裏金供与:潜水艦事業の裏金と舶用エンジン検査データ改ざんの露呈、そして統治の立て直し 2017年 川崎重工業 船舶海洋事業の構造改革 2013年 川崎重工業 三井造船との統合が破談:経営統合構想の白紙撤回と、単独での造船事業の継続 2010年 川崎重工業 「すいそふろんてぃあ」建造:液化水素サプライチェーンへの集中と、世界初の液化水素運搬船の建造 2010年 川崎重工業 造船・精密機械・プラント子会社を再合併 2002年 川崎重工業 船舶事業と精密機械事業を分社 1997年 川崎重工業 NY市交通局向け地下鉄車両の製造開始 1989年 川崎重工業 Kawasaki Rail Carを設立 1978年 川崎重工業 P-3C対潜哨戒機のライセンス生産を開始 1969年 川崎重工業 川崎航空機・車輛を吸収合併:陸海空にわたる総合重工業をめざした川崎3社の合併 1966年 川崎重工業 American Kawasaki設立:二輪車の米国販売会社の設立と、中・大型車に絞った北米市場への傾斜 1950年 川崎重工業 川崎製鉄を分離独立:製鉄部門の切り出しと、造船・造機・電機3部門への集約 1949年 川崎重工業 再建整備計画が認可(造船・造機・電機の3部門のみ) 1931年 川崎重工業 軍縮を受けて和議申請 1927年 川崎重工業 川崎車輛を分離設立:昭和金融恐慌下での鉄道車両・航空機事業の分離独立
- 日本テレビHD 2023年 日本テレビHD スタジオジブリの子会社化:議決権42.34%の取得による子会社化 2023年 日本テレビHD 議決権ベース42.3%を保有し子会社化 2014年 日本テレビHD Hulu日本事業の承継:持分の全部取得による定額動画配信への参入 2014年 日本テレビHD Huluの日本事業を承継 2012年 日本テレビHD BS日本統合と持株会社移行:認定放送持株会社への移行と、地上波事業会社の分割設立 2007年 日本テレビHD 番組制作系子会社を会社分割・株式交換により機能別5社に再編 1998年 日本テレビHD NNN24の本放送を開始 1987年 日本テレビHD CATV局への日本テレビケーブルニュースの配信を開始 1972年 日本テレビHD 日本テレビサービスを設立 1969年 日本テレビHD 日本テレビ音楽を設立 1953年 日本テレビHD 民間テレビ局の開局:街頭受像機を置いて視聴者そのものを作り出す事業の立ち上げ 1952年 日本テレビHD 我が国第1号のテレビ放送免許を獲得
- 飯田GHD 2022年 飯田GHD RFPグループを買収:ロシア極東の林業大手19社の取り込みと、侵攻直後の暗転 2019年 飯田GHD ファーストプラスを子会社化 2014年 飯田GHD ファーストウッドを子会社化:一社の取り込みを起点とした、建材・木材の垂直統合への踏み出し 2013年 飯田GHD 飯田グループホールディングス設立:パワービルダー6社が共同株式移転で1つの傘の下に入る統合 2009年 飯田GHD 一建設がジャスダック市場に上場 1995年 飯田GHD 東栄住宅・飯田産業が飯田建設工業との資本関係を解消 1985年 飯田GHD タクトホームが飯田産業の100%子会社に 1975年 飯田GHD 不動産分譲事業に参入 1967年 飯田GHD 飯田一男が飯田建設工業を設立 1951年 飯田GHD 東栄住宅を設立(後に飯田建設工業グループ入り)
- 日本マクドナルド 2025年 日本マクドナルド 連結売上高4166億円を計上 2023年 日本マクドナルド 東名阪184店の価格改定:立地に応じて値段を変える形への改定と、長く続いた全国一律価格の放棄 2019年 日本マクドナルド 日色保氏が社長に就任 2017年 日本マクドナルド 米マクドナルドが保有株式の売却凍結を表明 2014年 日本マクドナルド ビジネスリカバリープランの始動:期限切れ鶏肉問題で崩れた客足を、戦略的閉店と店舗改装で2年かけて取り戻すまで 2014年 日本マクドナルド 連結純損失218億円を計上 2013年 日本マクドナルド サラ・L・カサノバ氏が社長に就任 2008年 日本マクドナルド 509店をフランチャイズに転換 2007年 日本マクドナルド フランチャイズ転換:直営店の加盟店への移管と、店舗資産を抱えない体質への転換 2003年 日本マクドナルド 藤田商店との提携解消:創業者の退場を経た、米本社による直接統治体制への移行 1995年 日本マクドナルド ハンバーガーの定価を130円に引き下げ 1994年 日本マクドナルド ハンバーガー価格破壊:値下げの断行と、低価格で客数を取りにいく路線への転換 1984年 日本マクドナルド 外食産業で初めて売上高1000億円を突破 1982年 日本マクドナルド 国内外食産業で売上高1位に到達 1976年 日本マクドナルド フランチャイズ1号店の牧港店を開業 1972年 日本マクドナルド ゼンチクと食肉の本格取引契約を締結 1971年 日本マクドナルド 藤田商店との折半出資設立:折半出資による日本マクドナルドの設立と銀座1号店の開業
- HOYA 2022年 HOYA 池田英一郎氏への承継:21年続いた長期政権の終幕と、次の世代への経営の引き渡し 2017年 HOYA 音声読み上げのReadSpeaker社を買収 2012年 HOYA ライフケアへの優先投資:資源の優先配分と、眼鏡レンズ事業の継続的な買い集め 2011年 HOYA PENTAXイメージング・システム事業をリコーに譲渡 2010年 HOYA HDD用ガラスメディア製造事業・関連資産をWESTERN DIGITAL CORPORATIONに譲渡 2008年 HOYA TFT液晶ガラス基板から撤退 2007年 HOYA ペンタックスの買収:買収による事業ポートフォリオの入れ替えと収益源の組み替え 2003年 HOYA 米国型ガバナンスへ移行:ROEを軸に据えた経営への切り替えと統治構造の作り替え 1997年 HOYA SVA導入と本社50人化:本社50人化と持株会社型カンパニー制への移行 1990年 HOYA 未承認コンタクトレンズの回収 1983年 HOYA 半導体用フォトマスクの製造を開始 1974年 HOYA 半導体用マスクサブストレートの製造開始 1967年 HOYA 鈴木哲夫氏が引責退任 1962年 HOYA メガネレンズ製造開始 1958年 HOYA メガネ事業に参入 1947年 HOYA 商号を保谷クリスタル硝子製造所に変更
- 東海旅客鉄道 2026年 東海旅客鉄道 静岡県と水利用の補償に関する確認書を締結 2026年 東海旅客鉄道 静岡県知事が静岡工区の着工を容認 2024年 東海旅客鉄道 中央新幹線の2027年開業を断念 2021年 東海旅客鉄道 親会社株主に帰属する当期純損失2015億円を計上 2020年 東海旅客鉄道 のぞみ・N700系の自主開発:東海道新幹線への経営資源集中と、高速化・高頻度化の追求 2016年 東海旅客鉄道 財政投融資を活用した長期借入を申請 2014年 東海旅客鉄道 リニア中央新幹線を自己負担建設:外部資金に頼らない全額自己負担での新線建設という選択 2011年 東海旅客鉄道 中央新幹線の営業主体・建設主体に指名 2008年 東海旅客鉄道 日本車輌製造を子会社化 2001年 東海旅客鉄道 扇千景案の受諾と完全民営化:完全民営化をめぐる条件闘争 ── 長期債務の返済策を引き出したうえでの規制離脱 2001年 東海旅客鉄道 JR東日本型の多角化を回避:私鉄型の多角化を後追いしない選択 ── 名古屋圏の集客力という制約 1997年 東海旅客鉄道 山梨リニア実験線で走行試験を開始 1992年 東海旅客鉄道 東海道新幹線「のぞみ」を300系車両で運転開始 1991年 東海旅客鉄道 東海道新幹線施設を譲受:借り受けから自社保有への切り替えによる経営自主権の確立 1987年 東海旅客鉄道 国鉄の分割民営化により発足 1986年 東海旅客鉄道 国鉄改革関連8法が公布 1964年 東海旅客鉄道 東海道新幹線が東京〜新大阪間で開業 1949年 東海旅客鉄道 日本国有鉄道が発足
- 西武HD 2023年 西武HD GIC Private Limitedへホテル・レジャー事業の一部資産を譲渡 2022年 西武HD 西武建設株式の95%をグループ外へ譲渡 2021年 西武HD 西山隆一郎氏が社長就任:コロナ禍の純損失723億円を経た代表取締役2名体制への移行とアセットライトの継承 2019年 西武HD 本社を埼玉県所沢市から東京都豊島区(ダイヤゲート池袋内)に移転 2014年 西武HD サーベラスのTOB阻止:TOB阻止と東証一部への再上場 2006年 西武HD プリンスホテルがコクドを吸収合併し新生プリンスホテル発足 2005年 西武HD サーベラス出資での再建:後藤高志氏の招聘と、持株会社体制への移行によるグループ再建 2004年 西武HD コクドの虚偽記載で上場廃止:西武鉄道の有価証券報告書虚偽記載発覚と東証上場廃止 1998年 西武HD 池袋線・西武有楽町線が営団有楽町線との相互直通運転開始 1985年 西武HD 国土計画がプリンスホテルを完全子会社化 1965年 西武HD 国土計画興業が商号を国土計画に変更 1956年 西武HD プリンスホテル設立 1945年 西武HD 武蔵野鉄道が旧西武鉄道を合併し西武農業鉄道に商号変更
- 三井住友トラストG 2026年 三井住友トラストG 大山一也氏が社長に就任 2021年 三井住友トラストG 政策保有株式ゼロ保有方針を公表 2020年 三井住友トラストG 975社分の議決権再集計:先付処理の廃止と、郵便局から実際に受領した日を基準とする集計への切り替え 2017年 三井住友トラストG 大久保哲夫氏が社長に就任 2012年 三井住友トラストG 中央三井信託銀行など3社の統合により三井住友信託銀行が発足 2011年 三井住友トラストG 中央三井と住友信託統合:両グループの経営統合による三井住友トラスト・ホールディングスの発足 2011年 三井住友トラストG 住友信託銀行と経営統合し三井住友トラスト・HDが発足 2009年 三井住友トラストG リーマンショック影響で経常赤字▲1169億円(FY08) 2004年 三井住友トラストG UFJと信託統合破談:信託事業の統合による規模拡大構想と、2004年の破談 2002年 三井住友トラストG 株式移転により三井トラスト・HDを設立 1994年 三井住友トラストG 麻布グループ再建案策定:取引先の再建案の策定と、1994年度の不良債権2,000億円の償却 1984年 三井住友トラストG 土地信託の受託第1号:国内初の事例を手がけたことによる、公有地分野への足がかりの獲得 1981年 三井住友トラストG 新型貸付信託「ビッグ」発売 1977年 三井住友トラストG 住友信託、公益信託第1号を受託 1962年 三井住友トラストG 年金信託業務を開始 1958年 三井住友トラストG 証券代行業務を開始 1949年 三井住友トラストG 三井系・住友系ともに東京・大阪両証券取引所に上場
- インターネットイニシアティブ 2023年 インターネットイニシアティブ KDDIとの資本業務提携:NTTグループの傘下からの離脱と、組む相手の乗り換え 2018年 インターネットイニシアティブ 国内初のフルMVNOとして「IIJモバイルサービス/タイプI」を提供開始 2012年 インターネットイニシアティブ 法人ストック型への転換:フロー型のISP接続に依存した収益構造からの脱却と事業モデルの組み替え 2009年 インターネットイニシアティブ クラウドコンピューティングサービス「IIJ GIO」の提供を開始 2008年 インターネットイニシアティブ MVNO形態にて法人向けモバイルデータ通信サービスの提供を開始 2003年 インターネットイニシアティブ NTTグループからの増資受入れ:クロスウェイブの破綻を受けた資本増強と経営基盤の立て直し 1999年 インターネットイニシアティブ ナスダック市場にADRを登録し資本金7,082百万円に増資 1993年 インターネットイニシアティブ インターネット接続サービスの提供を開始 1992年 インターネットイニシアティブ 商用ISPの創業:該当する事業者が一社も存在しない国内市場での事業の立ち上げ
- ポーラ・オルビスHD 2023年 ポーラ・オルビスHD 横手喜一氏が社長就任:創業家3代目からの経営の引き継ぎと、同族による継承の区切り 2012年 ポーラ・オルビスHD 豪ジュリークの買収:化粧品会社の取り込みによる、初の本格的な海外M&Aへの踏み出し 2006年 ポーラ・オルビスHD 持株会社への移行:事業会社の上に器を置いたままの、東証一部への直接上場 2005年 ポーラ・オルビスHD 全国の20販売会社をポーラ販売として統合 2005年 ポーラ・オルビスHD エステと化粧品店を融合した集客型店舗ポーラ ザ ビューティーの展開開始 1999年 ポーラ・オルビスHD オルビス・ザ・ネットを稼働しインターネット販売を本格展開 1989年 ポーラ・オルビスHD オーダーシステム化粧品APEX-iを全国発売 1989年 ポーラ・オルビスHD ポーラブランドで百貨店への出店を開始 1984年 ポーラ・オルビスHD オルビスの設立:通信販売の専業会社を別に立てることによる、販路の二本柱化 1976年 ポーラ・オルビスHD 袋井工場を完成 1967年 ポーラ・オルビスHD POLA COSMETICS(THAILAND)CO.,LTD.を設立 1958年 ポーラ・オルビスHD 取引先と商品輸出契約を締結 1946年 ポーラ・オルビスHD 鈴木忍がポーラ商事を設立し販売部門を独立
- 塩野義製薬 2025年 塩野義製薬 平安塩野義を完全子会社化 2023年 塩野義製薬 Qpex Biopharmaを買収 2022年 塩野義製薬 ゾコーバの緊急承認取得:新型コロナ経口薬をめぐる、承認前からの生産着手という賭け 2018年 塩野義製薬 シオノギファーマを設立 2012年 塩野義製薬 ViiVへHIV事業移転:合弁持分を手放す代わりに受け取った相手方株式10%の保有 2008年 塩野義製薬 米サイエルをTOBで買収:完全子会社化によって手に入れた初の本格的な米国販売基盤 1999年 塩野義製薬 塩野元三氏が社長に就任 1983年 塩野義製薬 金ケ崎工場を新設 1976年 塩野義製薬 日亜薬品工業を設立 1961年 塩野義製薬 独創品への路線転換:導入品依存からの転換と、独創品開発に向けた新研究所の建設 1910年 塩野義製薬 塩野製薬所を建設
- ウエルシアHD 2025年 ウエルシアHD 株式交換によりツルハHDの完全子会社となり経営統合 2024年 ウエルシアHD ツルハホールディングスと統合:統合に伴う傘下入りと、独立した上場企業としての幕引き 2015年 ウエルシアHD CFSコーポレーションを株式交換により完全子会社化 2014年 ウエルシアHD イオンの連結子会社化:公開買付けへの賛同と傘下入り、M&Aによる規模拡大の加速 2014年 ウエルシアHD ウエルシア関東を株式交換により完全子会社化 2008年 ウエルシアHD グローウェルホールディングス設立:ウエルシア関東と高田薬局の共同株式移転による持株会社の発足と東証二部上場
- オープンアップG 2025年 オープンアップG BeNEXT UK Holdings Limited の全株式を売却 2024年 オープンアップG ビーネックスパートナーズの全株式を売却 2024年 オープンアップG UTコンストラクションとUTテクノロジーを子会社化 2021年 オープンアップG 夢真HDを吸収合併:現金を使わず株式だけで行う統合と、3か月後に314億円を削られたのれん 2017年 オープンアップG 1998 Holdings Limited と子会社5社を子会社化 2016年 オープンアップG MTrec Limitedを子会社化 2013年 オープンアップG 東証一部へ市場変更:ジャスダックから最上位区分まで、6年半をかけた段階的な格上げ 2005年 オープンアップG トラスト・テック買収:障害者雇用の特例子会社から、技術者派遣を本業に据える転換 2005年 オープンアップG 技術労働者派遣事業に参入 1997年 オープンアップG 特例子会社の共生産業を設立
- マクニカHD 2024年 マクニカHD 同業のグローセルをTOBで子会社化 2020年 マクニカHD 富士エレクトロニクス吸収合併:並立していた事業会社の統合と、一つの運営体制への一本化 2019年 マクニカHD CrowdANALYTIXを関係会社化(AI事業) 2015年 マクニカHD マクニカ・富士エレ HDを設立し東京証券取引所一部に上場 2014年 マクニカHD 富士エレクトロニクスと経営統合:共同株式移転という対等な形での二社の統合と、新体制への移行 2010年 マクニカHD GALAXY FAR EASTをTOBで子会社化 2008年 マクニカHD CYTECH TECHNOLOGYを完全子会社化 2004年 マクニカHD マクニカネットワークス設立:ネットワーク事業の分社化による独立した運営体制の確立 1998年 マクニカHD マクニカ新横浜ビルを開設 1986年 マクニカHD PLDデータ書込みサービス業務を開始 1979年 マクニカHD 自社製品「JM-1」を発売しマイコン事業に参入 1972年 マクニカHD 神山治貴氏がジャパンマクニクスを創業
- ノーリツ鋼機 2026年 ノーリツ鋼機 センクシアを買収 2020年 ノーリツ鋼機 ハルメクHDを譲渡:買い集めた医療・シニア・農業事業の連続譲渡と、製造事業への集約 2020年 ノーリツ鋼機 AlphaThetaを買収 2016年 ノーリツ鋼機 NKワークスを譲渡 2015年 ノーリツ鋼機 テイボーを買収 2013年 ノーリツ鋼機 日本医療データセンター等買収:医療・シニア・農業の連続買収による事業ポートフォリオの組み立て 2011年 ノーリツ鋼機 新設分割によりNKワークスを設立し持株会社体制に移行 2010年 ノーリツ鋼機 ドクターネットを買収 2008年 ノーリツ鋼機 株主提案による投資会社化:創業家2代目の動議による経営陣刷新 1997年 ノーリツ鋼機 大阪証券取引所市場第一部に指定 1989年 ノーリツ鋼機 NORITSU KOKI AUSTRALIA PTY. LIMITEDを設立 1976年 ノーリツ鋼機 QSS-1型ミニラボを開発 1964年 ノーリツ鋼機 基幹現像所用カラーフィルム自動現像機RF-C1販売開始
- 東京エレクトロン 2025年 東京エレクトロン 東京エレクトロン宮城 生産新棟の建設を発表 2022年 東京エレクトロン 合志と大和町への開発棟新設:他社との統合による規模拡大を捨て、国内の自社開発拠点への投資で成長する方針を選んだ判断 2015年 東京エレクトロン Applied Materials, Inc.との経営統合契約を解約 2014年 東京エレクトロン 太陽光パネル製造装置(PVE)事業からの撤退を決定 2013年 東京エレクトロン アプライドマテリアルズと経営統合:2013年の合意から2015年の破談に至った経営統合の頓挫 2012年 東京エレクトロン Oerlikon Solar Holding の全株式を取得(太陽光パネル製造装置事業) 2003年 東京エレクトロン 東京エレクトロンデバイスを東京証券取引所市場第二部に上場 1994年 東京エレクトロン オースティン拠点の直販化:海外販売の直販体制への全面転換 1988年 東京エレクトロン テル・サームコの全株式を取得しテル相模に 1978年 東京エレクトロン 消費財輸出事業から全面撤退 1974年 東京エレクトロン 電卓・カーステレオからの撤退:消費財輸出からの全面撤退 1964年 東京エレクトロン サームコ社と代理店契約を締結し拡散炉の輸入販売を開始 1963年 東京エレクトロン 東京放送の出資で創業:放送局の資本を後ろ盾として踏み出した事業の立ち上げ
- トーセイ 2024年 トーセイ 名古屋鉄道と資本業務提携:創業者に代わる筆頭株主の登場と、資本の後ろ盾の入れ替え 2017年 トーセイ ホテル事業に参入 2013年 トーセイ シンガポール証券取引所上場:メインボードへのセカンダリー上場による、東証との同時上場 2009年 トーセイ 「Restyling事業」を開始 2001年 トーセイ アセットマネジメント事業に参入 1996年 トーセイ 不動産流動化事業に参入 1994年 トーセイ 東誠ビルディングをMBOで取得:倒産した父の会社ではなく、別法人のした第二創業 1994年 トーセイ 「THEパームス」シリーズの分譲マンション販売を開始 1986年 トーセイ 本社を移転 1973年 トーセイ 宅地建物取引業免許を取得 1969年 トーセイ 商号をユーカリに変更 1952年 トーセイ 本社を移転
- 寿スピリッツ 2022年 寿スピリッツ インバウンド消失下のV字回復:コロナ禍からのV字回復と営業利益率24%——観光動線を削らずに保った稼ぐ力 2016年 寿スピリッツ 株式の取得により、フランセを子会社化。(2017年4月 合併により解散。) 2011年 寿スピリッツ シュクレイによる首都圏ギフト展開:別会社を立てて東京駅・空港の手土産市場を取りにいくプチ・ギフト戦略 2006年 寿スピリッツ 純粋持株会社体制に移行 1998年 寿スピリッツ つきじちとせを設立 1989年 寿スピリッツ 国武商店を設立。(2014年3月解散、同年7月清算結了。) 1975年 寿スピリッツ 鳥取支店・松江営業所・米子営業所を別法人化 1972年 寿スピリッツ コトブキ設立による分散立地:地域別子会社による分散立地——観光地ごとに別法人で地元銘菓を持つ稼ぎ方の原型 1957年 寿スピリッツ 業容の拡大により工場が狭小となり、米子市旗ヶ崎に新築移転
- 名村造船所 2022年 名村造船所 佐世保重工業の新造船休止:子会社の新造船からの撤収と、伊万里への造船機能の集約 2018年 名村造船所 オリイメックをアマダHDに全株譲渡 2014年 名村造船所 佐世保重工業を完全子会社化:株式交換を通じた傘下入りと、伊万里・函館を加えた3拠点体制の構築 2008年 名村造船所 函館どつく第三者割当増資全額引受けにより議決権比率88.7%取得 2006年 名村造船所 伊万里事業所の船舶建造設備を増強(第一次大型設備投資) 1997年 名村造船所 オリイ株式を公開買付により31.6%取得 1988年 名村造船所 モーニングダイダラスナビゲーション社を買収 1972年 名村造船所 造船拠点を伊万里へ移転:大阪を離れての新工場建設と、主力生産の全面的な置き換え 1961年 名村造船所 陸上部門に参入 1956年 名村造船所 増資を実施 1931年 名村造船所 旧村尾造船所の施設を買収し名村造船所として新発足 1911年 名村造船所 名村源之助個人により名村造船鉄工所を創業
- 小野薬品工業 2024年 小野薬品工業 米Decipheraの買収:約24億米ドルを投じ、欧米で自ら薬を売る体を手に入れるという選択 2019年 小野薬品工業 山口工場が竣工 2014年 小野薬品工業 台灣小野藥品工業設立。世界初の抗PD-1抗体「オプジーボ点滴静注」発売 2011年 小野薬品工業 米BMSと抗PD-1抗体提携:北米以外・日韓台を除く全世界の開発販売権を委ね、対価をロイヤルティで受け取る道を選んだ 2003年 小野薬品工業 本社社屋完成 1998年 小野薬品工業 オノ・ファーマ・ユーエスエー、英国オノ・ファーマ・ユーケー設立 1988年 小野薬品工業 中央物流センターが竣工 1975年 小野薬品工業 フジヤマ工場本館・第一、第二工場が竣工 1968年 小野薬品工業 中央研究所が竣工。生理活性物質プロスタグランジンの全化学合成に成功 1949年 小野薬品工業 日本有機化工から改称:小野市兵衛商店の吸収合併による製造と販売の一本化、小野薬品工業としての再出発 1947年 小野薬品工業 日本有機化工と日本理化学工業を設立し製造販売の一貫体制を確立
- 三菱倉庫 2025年 三菱倉庫 経営計画[2025-2030]を発表 2023年 三菱倉庫 米Cavalierの買収:米英物流グループの取り込みと、自前拠点による海外展開からの転換 2018年 三菱倉庫 藤倉正夫氏が社長に就任 2014年 三菱倉庫 江戸橋倉庫ビルの用途転換:日本橋の物流拠点を建て替え、賃貸オフィスとして収益を得る形への切り替え 2010年 三菱倉庫 富士物流の株式公開買付けを実施し子会社化 2008年 三菱倉庫 岡本哲郎氏が社長に就任 1999年 三菱倉庫 冷蔵倉庫業に本格参入 1987年 三菱倉庫 創立100周年 1971年 三菱倉庫 航空貨物取扱事業に本格参入 1963年 三菱倉庫 自動車運送事業に本格参入 1962年 三菱倉庫 不動産事業に本格参入 1931年 三菱倉庫 日本初のトランクルームサービスを開始
- そごう 2023年 そごう 米フォートレスへ売却:コンビニ集中のための百貨店切り離し 2023年 そごう 売却の無期限延期を決定 2023年 そごう 西武池袋本店で終日ストライキ 2006年 そごう セブン&アイ傘下入り:株式上場の断念と評価額2000億円 2003年 そごう 西武百貨店と経営統合:かつての商売敵との統合による、ミレニアムリテイリング傘下入り 2000年 そごう 長銀債権放棄の頓挫と民事再生:私的整理の頓挫から民事再生法申請へ——負債1兆8700億円の経営破綻 1999年 そごう 山田恭一氏が社長に就任 1999年 そごう 金融機関からの借入金が1兆7270億円に到達 1992年 そごう 借入依存の多店舗展開:地域一番店戦略——別会社方式が築いた百貨店帝国 1985年 そごう 横浜そごうを開業 1985年 そごう 「トリプルそごう」構想へ拡大 1979年 そごう 黒崎そごうを開業 1967年 そごう 千葉そごうを開業 1963年 そごう 企業合理化の方針を発表 1958年 そごう 水島廣雄氏が副社長に就任 1958年 そごう 当期純損失を計上 1946年 そごう 心斎橋本館が進駐軍に接収 1940年 そごう そごうに商号変更 1830年 そごう 古手商「大和屋」を開業:大坂・坐摩神社前の一軒から心斎橋の百貨店へ至る出発点
- ゆうちょ銀行 2025年 ゆうちょ銀行 普通株式の第3次売出し 2023年 ゆうちょ銀行 日本郵政の第2次売出しと自己株取得:1,500億円の自己株式取得で親会社の持分を約89%から61%へ下げ、新規業務の認可規制が外れる要件へ近づいた選択 2023年 ゆうちょ銀行 普通株式の第2次売出し 2021年 ゆうちょ銀行 口座貸越サービスとフラット35の直接取扱、損害保険募集業務を開始 2015年 ゆうちょ銀行 東京証券取引所市場第一部に上場 2009年 ゆうちょ銀行 全国銀行データ通信システム接続:郵便局網の中で完結していた送金に、銀行間の決済網を重ねた選択 2007年 ゆうちょ銀行 郵政民営化でのゆうちょ銀行開業:国営の郵便貯金事業を条件付きの銀行免許で民間銀行へ移した選択 2005年 ゆうちょ銀行 日本郵政公社の投資信託募集業務開始:集めて運用するだけの稼ぎ方に、窓口で他社の商品を売って手数料を取る道を足した転換 1875年 ゆうちょ銀行 郵便局で郵便貯金を創業:手紙のために引かれた窓口網を小口貯蓄の受け皿にも使うという選択 1875年 ゆうちょ銀行 郵便貯金事業創業
- JFEHD 2025年 JFEHD 倉敷第3高炉をバンキング(一時休止) 2023年 JFEHD 京浜地区の上工程(高炉・製鋼)を休止 2022年 JFEHD 倉敷の大型電炉化:改修期を迎える高炉を電気炉へ置き換える、生産体制とCO2排出の組み替え 2020年 JFEHD 最終赤字を計上(純損失▲1,977億円) 2019年 JFEHD 柿木厚司が代表取締役社長に就任 2013年 JFEHD ジャパンマリンユナイテッドを設立 2012年 JFEHD JFE商事を株式交換により完全子会社化 2009年 JFEHD JSWスチールと提携:インド市場への足がかりとしての、地場鉄鋼会社との包括的な協業 2003年 JFEHD 広州鋼鉄と合弁生産:無名の地場企業と組んだ中国での自動車用鋼板の現地生産と垂直分業 2002年 JFEHD 川崎製鉄とNKKの統合:2002年に成立した日本鋼管との経営統合と、JFEホールディングスの発足
- ピジョン 2025年 ピジョン 札幌・仙台・広島の3営業所を閉鎖 2023年 ピジョン 第8次中計で中国を安定成長へ:成長市場としての位置づけ引き下げと、米州・欧州への成長投資の集中 2019年 ピジョン PT PIGEON BABY LAB INDONESIA の株式を取得 2014年 ピジョン ピジョンウィルと合併 2004年 ピジョン 国立病院機構の保育受託:院内託児の一括請負による新規事業の柱づくりと、14年後の撤退 2004年 ピジョン 米国の LANSINOH LABORATORIES を子会社化 2002年 ピジョン 上海進出と母乳育児相談室:国家衛生部と組んだ現地での育児支援拠点づくりと、海外売上高比率5割への移行 1999年 ピジョン ピジョンキッズワールド(現・ピジョンハーツ)を設立 1983年 ピジョン 仲田洋一氏が社長に就任 1978年 ピジョン シンガポールに PIGEON SINGAPORE を設立 1974年 ピジョン ベビーフード・介護用品への進出:哺乳器専業からの品目入れ替えと、育児用品の総合メーカーへの転換 1966年 ピジョン 商号をピジョンへ変更 1957年 ピジョン 茅ヶ崎市で哺乳器業参入:破綻状態の哺乳器メーカーへの経営参加と支配権の掌握、株式会社ピジョン哺乳器本舗の設立
- 電通総研 2024年 電通総研 電通のシンクタンク移管:コンサルティング子会社2社の統合と、シンクタンクの名を冠した商号への変更 2024年 電通総研 株式取得により、ミツエーリンクスを子会社化 2019年 電通総研 株式取得により、スマートHDを関連会社化 2011年 電通総研 第三者割当増資引受けにより、クウジットを関連会社化 2006年 電通総研 株式取得により、エステックを子会社化 2003年 電通総研 GE事業を閉じ電通単独に:祖業の閉鎖を伴う資本と事業の整理と、単独親会社体制への移行 2000年 電通総研 電通・米GE合弁の上場:二社の親会社を抱えたまま踏み切った東証一部への株式公開 1992年 電通総研 子会社 ISI-Dentsu Singapore Pte. Ltd. を設立 1989年 電通総研 電通の社内情報システムについて、システム開発・運用業務の継続受注を開始 1975年 電通総研 電通と米 General Electric Company の合弁により電通国際情報サービスを設立
- メイテックGHD 2023年 メイテックGHD メイテックグループHDへ改称:エンジニアリングソリューション事業の子会社への承継と、監査等委員会設置会社への移行 2011年 メイテックGHD メイテックグローバルソリューションズを吸収合併 2009年 メイテックGHD 日本ドレーク・ビーム・モリンの全株式をテンプスタッフへ譲渡 2004年 メイテックGHD ドレーク・ビーム・モリン買収:不況期の新たな収益源を求めた企業買収による事業の上積み 2003年 メイテックGHD 上海現地法人の設立:中国エンジニア育成・供給事業への進出 1995年 メイテックGHD ジエクスとメイスタッフが合併 1989年 メイテックGHD 東京本社設置 1979年 メイテックGHD 日本機械設計(ジエクス)設立
- JVCケンウッド 2025年 JVCケンウッド 格付投資情報センターよりA-格付(方向性:安定的)を取得 2021年 JVCケンウッド モビリティ事業へ転換:民生AV主体からの脱却と、業務用無線を含む事業ポートフォリオの組み替え 2018年 JVCケンウッド Radio Activity S.r.l.の全株式を取得 2011年 JVCケンウッド ビクター・ケンウッド・J&Kカーエレクトロニクスの3社を吸収合併 2010年 JVCケンウッド ビクター・JVC・ケンウッド・HDの決算訂正を実施 2008年 JVCケンウッド ビクター・ケンウッド統合:株式移転方式による対等な統合と、両社を束ねる持株会社の発足 2007年 JVCケンウッド ビクターとケンウッドが資本業務提携契約を締結 2002年 JVCケンウッド 債務超過を脱する再建策:債務超過に陥ったケンウッドの再建と業務用・車載への事業転換
- ユナイテッドアローズ 2026年 ユナイテッドアローズ 株式譲渡によりコーエンを連結対象から除外 2021年 ユナイテッドアローズ コロナ禍で不採算店舗整理:赤字転落を受けた店舗網の絞り込みと、EC基盤の刷新 2019年 ユナイテッドアローズ 衣料品等の小売を主業とする海外子会社「悠艾(上海)商貿有限公司」を中国に設立 2012年 ユナイテッドアローズ 三菱商事との資本・業務提携を解消 2008年 ユナイテッドアローズ 衣料品等の小売を主業とする低価格業態の子会社、コーエンを設立 2007年 ユナイテッドアローズ 三菱商事との資本提携:自己株式162万株の譲渡による資本・業務両面での結び付き 2002年 ユナイテッドアローズ 自主企画レーベルで東証上場:複数レーベルの併走と、デザイン主体の商品づくりへの移行 1999年 ユナイテッドアローズ 「グリーンレーベル リラクシング」業態のGLR新宿店を開店 1999年 ユナイテッドアローズ 「クロムハーツ」業態の本格展開を開始 1989年 ユナイテッドアローズ ユナイテッドアローズを設立
- ロイヤルHD 2025年 ロイヤルHD たびスルを株式取得により子会社化 2021年 ロイヤルHD 双日との資本業務提携:主要取引行4行を割当先とする優先株式による資本増強 2021年 ロイヤルHD 双日が主要株主に 2019年 ロイヤルHD ロイヤル空港高速フードサービスがチャウダーズを吸収合併 2011年 ロイヤルHD 会社分割によりロイヤル空港レストランに高速道路事業を承継 2005年 ロイヤルHD 持株会社制への移行:事業6社への会社分割 2004年 ロイヤルHD アールエヌティーホテルズを株式の追加取得により子会社化 2001年 ロイヤルHD 経営構造改革本部と129店閉店:4年間の店舗整理に伴う300億円超の特別損失処理 1990年 ロイヤルHD ロイヤルマリオットアンドエスシーを設立 1983年 ロイヤルHD 東京証券取引所市場第一部に指定 1978年 ロイヤルHD 福岡証券取引所に上場 1962年 ロイヤルHD セントラルキッチンシステムを採用 1962年 ロイヤルHD 業務用冷凍料理の製造を開始 1951年 ロイヤルHD 日本航空国内線の営業開始と同時に、福岡空港において機内食搭載と喫茶営業を開始
- ヤマハ発動機 2025年 ヤマハ発動機 ヤマハロボティクスHDが新川等を吸収合併・商号変更 2025年 ヤマハ発動機 汎用エンジン事業・発電機事業から撤退 2021年 ヤマハ発動機 浜北工場の閉鎖:創業地・国内二輪生産の本社工場への集約 2019年 ヤマハ発動機 新川・アピックヤマダを買収 2013年 ヤマハ発動機 四輪車に参入(凍結) 2009年 ヤマハ発動機 工場再編と希望退職:リーマン後の構造改革と損益分岐点型経営への転換 1998年 ヤマハ発動機 マリン事業の構造改革:広げすぎた事業の整理と、船外機を軸に据えた資源の集中 1992年 ヤマハ発動機 ヤマハとの合併観測否定:親会社への吸収観測を退けての経営の独立維持 1983年 ヤマハ発動機 HY戦争での敗北:シェア争いの代償として受け入れた、年産半減までの縮小再建 1977年 ヤマハ発動機 Yamaha Motor Corporation, U.S.Aを設立 1963年 ヤマハ発動機 販売不振で減収 1960年 ヤマハ発動機 マリン事業に新規参入 1959年 ヤマハ発動機 北川自動車に資本参加
- 花王 2024年 花王 オアシスの株主提案対応:物言う株主の要求を退け、中期経営計画K27を堅持する選択 2018年 花王 Oribe Hair Careを買収 2011年 花王 オムツの生産開始 2006年 花王 カネボウ化粧品の買収:約4,291億円を投じての、後発から国内2位への一気の浮上 2002年 花王 John Frieda社を買収 1999年 花王 EVA・ROIC経営への転換:20年かけて取り換えた事業評価の物差しと資本効率の重視 1999年 花王 花王販売を設立 1998年 花王 フロッピー事業から撤退:多角化路線に区切りをつけ、主力事業へ絞り込む事業構成の見直し 1983年 花王 紙おむつ「メリーズ」を発売 1982年 花王 化粧品事業に参入 1978年 花王 九州工場の無人化投資:設備投資と工場自動化の積極化——欧米市場をにらんだ攻めの投資 1964年 花王 問屋を外す再販契約:販社制度の構築——問屋を外し、全国約27万件の小売と直接結ぶ流通改革 1951年 花王 合成洗剤を発売 1890年 花王 花王石鹸を発売 1887年 花王 日本橋の洋小間物商で創業:舶来雑貨の店売りから桐箱入り「花王石鹸」を作る製造業への転身
- サッポロビール 2024年 サッポロビール 3Dの株主提案で不動産切出し:外部からの要求を受けた事業再編と、ビール本業への経営資源の集中 2011年 サッポロビール ポッカコーポレーションを買収 2007年 サッポロビール スティールへの買収防衛策:買付提案への大規模買付ルールの適用と、株主総会の承認による対応方針の発効 2003年 サッポロビール 持ち株会社に移行。サッポロHDに商号変更 1994年 サッポロビール 恵比寿ガーデンプレイス開業:工場跡地を売却せず自ら開発する道を選んだ、不動産事業への踏み出し 1988年 サッポロビール アサヒ「スーパードライ」に対抗:主力の黒ラベルを終売し、サッポロドラフトへ全面的に切り替える賭け 1977年 サッポロビール 生ビール全国発売でキリンに挑む:「サッポロびん生」を旗艦に据え、瓶の主力を生へ移す全面転換 1964年 サッポロビール 「ニッポンビール」から改称:かつての商標「サッポロ」の復活から社名までを揃えるブランドの一本化 1957年 サッポロビール 国際飲料を設立 1949年 サッポロビール 日本麦酒を発足 1949年 サッポロビール ニッポンビールの販売開始(柴田社長の大誤算)
- クボタ 2022年 クボタ エスコーツの子会社化:インド農機大手への1,950億円の出資と議決権44.8%の取得 2019年 クボタ 基幹システムの刷新開始 2012年 クボタ ノルウェーKverneland ASAを買収 2005年 クボタ 旧神崎工場の石綿公表:疾病の自主公表と、周辺住民への見舞金・救済金の支払い 1999年 クボタ 約30年来の水道管カルテルが発覚 1990年 クボタ 落下傘型の多角化:祖業と関わりの薄い分野へ次々と展開し、単一事業への依存を断つ経営刷新 1985年 クボタ エンジン専門工場として堺製造所に堺臨海工場を新設 1972年 クボタ クボタトラクターCorp.設立:水田向け小型トラクタを武器とした北米・欧州市場への進出 1972年 クボタ 欧米向けトラクタの量産を開始 1960年 クボタ 純国産トラクタT15形の発売:耕うん機から完成機体系への農業機械の組み替え 1959年 クボタ 創業者・久保田権四郎氏が逝去 1947年 クボタ 耕うん機の製造開始・農機に参入 1922年 クボタ 発動機(農工用小型エンジン)の製造を開始
- SCREEN HD 2024年 SCREEN HD 彦根への集中投資:洗浄装置の世界首位を土台にした売上1兆円構想 2019年 SCREEN HD 彦根事業所で半導体洗浄装置の増産 2014年 SCREEN HD 商号をSCREENHDに変更 2001年 SCREEN HD 枚葉式ウエハ洗浄への転換:300mm対応装置の先行量産 2001年 SCREEN HD 希望退職者を募集 1992年 SCREEN HD ウエハ洗浄装置への集中:一分野への的の絞り込みによる半導体装置メーカーへの転身 1985年 SCREEN HD 洛西工場を新設(ウエハ洗浄装置) 1975年 SCREEN HD ウエハー腐食機の自社開発:写真製版技術の転用による半導体製造装置への参入 1963年 SCREEN HD カラーテレビ向けシャドーマスクの開発 1953年 SCREEN HD 堀川工場を新設 1943年 SCREEN HD 大日本スクリーン製造所を設立
- ブックオフGHD 2024年 ブックオフGHD 架空買取・不適切会計発覚:社内調査を外部の特別調査委員会へ委ね、組織的関与の有無を検証 2018年 ブックオフGHD ブックオフグループHDを単独株式移転で設立 2014年 ブックオフGHD ヤフーとの資本業務提携契約を締結 2009年 ブックオフGHD BOOKOFF SUPER BAZAAR 鎌倉大船をオープン 2008年 ブックオフGHD 洋販ブックサービスから青山ブックセンター・流水書房を譲受 2007年 ブックオフGHD 不適切な売上計上と有価証券報告書の訂正:役員の近親者が関わる取引の未開示にともなう第13〜15期の訂正と、代表権の一本化 1994年 ブックオフGHD 中古CD・中古ビデオの仕入販売を開始 1990年 ブックオフGHD 標準化買取モデルの構築:目利きを捨てた買取基準の統一とフランチャイズ・チェーン化
- サンドラッグ 2024年 サンドラッグ キリン堂と持分法提携:完全子会社化に踏み込まない、持分法にとどめた資本参加 2019年 サンドラッグ 物流センターを開設 2014年 サンドラッグ 展開しているサンドラッグプラス(フランチャイジー)を子会社化 2009年 サンドラッグ ダイレックスの買収:ドラッグストアとディスカウントストアによる二業態体制への移行 1994年 サンドラッグ ローコスト高収益モデルの確立:20期連続の増収増益につながった低費用・高収益体質への作り替え 1980年 サンドラッグ 郊外型ドラッグストアを開店 1965年 サンドラッグ サンドラッグを設立しチェーン展開を開始 1957年 サンドラッグ 故名誉会長多田幸正氏が「フタバ薬局」を個人開業
- 日本ハム 2025年 日本ハム 北米加工品製造販売会社3社を買収 2023年 日本ハム ウルグアイBPUの売却:井川構造改革と「自前主義」からの転換 2018年 日本ハム 畑佳秀が第7代社長に就任 2014年 日本ハム 英文社名をNH Foods Ltd.に変更 2002年 日本ハム 牛肉偽装事件と経営刷新:食肉の産地表示をめぐる不正の発覚と、これを受けた執行部の総入れ替え 1991年 日本ハム 豪州での食肉垂直統合:牛肉輸入の自由化に備えた、放牧から加工までの一貫した自前化 1985年 日本ハム 「シャウエッセン」を発売 1979年 日本ハム 日本ハム食品を設立(加工食品部門本格参入) 1977年 日本ハム Day-Lee Foods(デイリーフーズ)を買収 1963年 日本ハム 鳥清ハムを合併し日本ハムに商号変更 1956年 日本ハム 大阪工場を新設(業界初の鉄筋コンクリート工場) 1945年 日本ハム 工場が戦災で焼失
- 芝浦メカトロニクス 2023年 芝浦メカトロニクス 東芝グループからの独立:東芝による保有株式の段階的な処分と芝浦メカトロニクスの独立企業化 2010年 芝浦メカトロニクス 芝浦ハイテックを完全子会社化 2001年 芝浦メカトロニクス 芝浦自販機へ事業移管:自販機・モータ応用機器など非中核事業の本体外への切り離しと製造装置への集中 1998年 芝浦メカトロニクス 東芝メカトロニクスと合併:液晶製造装置への参入と、芝浦メカトロニクスへの社名変更 1991年 芝浦メカトロニクス 徳田製作所と合併し芝浦エレテックを子会社化 1972年 芝浦メカトロニクス 東京証券取引所一部に指定替え 1969年 芝浦メカトロニクス 東京証券取引所二部上場 1939年 芝浦メカトロニクス 芝浦京町製作所として設立
- 東武鉄道 2026年 東武鉄道 日光線新鹿沼駅構内で除草作業中の作業員が特急スペーシアXに接触する死亡事故が発生 2023年 東武鉄道 都筑豊氏が社長就任:24年続いた社長の座を生え抜きへ渡し、前任が代表権のある会長として残る体制 2023年 東武鉄道 都筑豊氏が社長に就任(創業家以外から初) 2021年 東武鉄道 コロナ禍で最終赤字に転落 2018年 東武鉄道 東武ストアを完全子会社化 2013年 東武鉄道 東急東横線・みなとみらい線と相互乗入れ開始 2003年 東武鉄道 東京スカイツリー建設に投資:1,349億円を投じた、電波塔を核とする街づくりへの転換 2001年 東武鉄道 経営合理化を実施 1990年 東武鉄道 サックス断念と池袋店増床:東武百貨店による池袋店増床900億円投資 1987年 東武鉄道 有楽町線との相互乗入れ運転を開始 1960年 東武鉄道 東武百貨店を設立 1958年 東武鉄道 東武宇都宮百貨店を設立 1944年 東武鉄道 総武鉄道を合併 1929年 東武鉄道 不動産事業に参入
- 日立化成 2020年 日立化成 昭和電工がTOBで買収:1株4,630円の公開買付けへの賛同と、東証1部上場の廃止 2020年 日立化成 昭和電工の子会社に 2018年 日立化成 協和メデックスを子会社化 2013年 日立化成 日立化成に商号変更 2008年 日立化成 日立ハウステックの譲渡:投資ファンドへの株式売却による住宅設備事業からの撤退 2001年 日立化成 住宅機器・環境設備部門を会社分割により完全子会社の日立ハウステックとして分社 1991年 日立化成 低収益製品の見直し:好況のうちに低収益の品目を選り分け、抱えきれない範囲の切り捨て 1982年 日立化成 事業目的に「電子材料・電子部品の製造・販売」を追加 1972年 日立化成 新神戸電機の株式の過半数を取得 1963年 日立化成 日立製作所の化学製品部門の営業資産を譲受 1962年 日立化成 日立化成工業を設立
- 四国電力 2024年 四国電力 伊方発電所への株主提案:3年続いた即時廃炉の請求と、3号機を最大限活用する取締役会の反対 2020年 四国電力 一般送配電事業等を吸収分割により四国電力送配電に承継 2016年 四国電力 伊方発電所1号機を廃止 2010年 四国電力 坂出LNG基地が運転開始 2008年 四国電力 ラスラファンC発電事業への出資:カタールの発電造水事業を足がかりとした海外電力事業への進出 1994年 四国電力 伊方発電所3号機(原子力)が営業運転開始 1984年 四国電力 STNetの設立:情報通信事業への参入を担う専業子会社の設立と新事業の立ち上げ 1977年 四国電力 伊方発電所(原子力)を新設し営業運転開始 1970年 四国電力 伊方原発の立地決定:地元からの誘致を受け入れた原子力発電所の建設地の確定 1965年 四国電力 西条発電所(火力)を新設し営業運転開始 1954年 四国電力 東京証券取引所に株式を上場
- ブリヂストン 2020年 ブリヂストン 非タイヤ事業の切り離し:非タイヤ・非中核事業の一斉売却とタイヤ×ソリューションへの資源集中 2019年 ブリヂストン TOM TOM TELEMATICS社を買収(運行管理システム) 2001年 ブリヂストン ファイアストンで自主回収:米国での欠陥タイヤ問題と、大規模なリコールへの踏み切り 1997年 ブリヂストン 南アフリカのFedstoneを買収 1992年 ブリヂストン 子会社BFSで大規模な人員削減 1988年 ブリヂストン 米ファイアストンの買収:米タイヤ大手の取り込みによる世界首位への跳躍 1983年 ブリヂストン ファイアストンのナッシュビル工場を取得 1976年 ブリヂストン 創業者・石橋正二郎氏が逝去 1967年 ブリヂストン ブリヂストンタイヤショップ制度を開始 1951年 ブリヂストン グッドイヤーからタイヤ製法を導入:自前の技術開発ではなく米最大手の製造方法を丸ごと持ち込んだ選択 1951年 ブリヂストン グッドイヤー社と提携 1933年 ブリヂストン タイヤの初期不良が続出 1931年 ブリヂストン 久留米の足袋商から創業:家業の商いを土台に踏み出した国産自動車タイヤメーカーへの転身
- ニッスイ 2025年 ニッスイ 田中輝が代表取締役社長に就任 2022年 ニッスイ ニッスイへ商号変更:「日本水産」を捨てた業態転換 — 水産卒業・食品と養殖の双翼へ 2022年 ニッスイ 日水製薬の全株式を売却 2018年 ニッスイ 的埜明世が代表取締役社長に就任 2014年 ニッスイ 本社を移転 2009年 ニッスイ 連結純損失を計上 2001年 ニッスイ 米ゴートンズ買収:1億7500万ドルで米国首位ブランドを買った前例なき北米進出 2001年 ニッスイ ニュージーランドSEALORD GROUP LTD.へ資本参加 1998年 ニッスイ 日本クッカリーを設立 1988年 ニッスイ チリのサケ養殖会社SALMONES ANTARTICA S.A.を買収 1983年 ニッスイ 越前丸へ集中投資:漁場半減下でも止めなかった約120億円のトロール船集中投資 1982年 ニッスイ EPA(エイコサペンタエン酸)栄養補助食品の販売を開始 1978年 ニッスイ チリ合弁会社EMPRESA DE DESARROLLO PESQUERO DE CHILE S.A.を設立 1966年 ニッスイ 本社を移転 1952年 ニッスイ 戸畑工場にて魚肉ソーセージの本格的生産を開始 1934年 ニッスイ 共同漁業が日本産業(日産コンツェルン)に合併
- NTTデータG 2025年 NTTデータG 東京証券取引所プライム市場で上場廃止 2023年 NTTデータG 国内事業会社であるNTTデータを設立するとともに、持株会社体制へ移行 2022年 NTTデータG NTT Ltd.との海外事業統合:規模の倍増と、1兆416億円の借入金の引き受け 2016年 NTTデータG Dell Services部門の譲り受けの98.0%以上が完了 2014年 NTTデータG 経営権取得によりEVERIS PARTICIPACIONES, S.L.U.が子会社に 2010年 NTTデータG 経営権取得により、Keane International, Inc.・Keane, Inc.が子会社に 2005年 NTTデータG itelligence社買収:自前の海外拠点づくりを採らず、買収の連続だけで欧米へ出た十年余りの海外戦略 1998年 NTTデータG 商号を「エヌ・ティ・ティ・データ」に変更 1988年 NTTデータG NTTからの分社独立:民営化直後のデータ通信事業本部の切り出しと資本金100億円での独立 1988年 NTTデータG 日本電信電話から同社データ通信事業本部に属する営業を譲り受け、営業を開始 1967年 NTTデータG 日本電信電話公社にデータ通信本部を設置
- 良品計画 2025年 良品計画 売上高7846億円・営業利益738億円 2022年 良品計画 ローソン店舗での無印良品販売を全国展開 2021年 良品計画 第二創業と600坪の中型店:都心旗艦店から生活圏の中型店へ、出店の重心の置き換え 2019年 良品計画 売上高4088億円で国内外の成長が鈍化兆し 2013年 良品計画 アルシャヤ社とライセンス契約で中東1号店 2002年 良品計画 松井忠三氏の指揮で業績が回復 2001年 良品計画 ヨウジヤマモトへ全面委託:松井忠三の下での立て直しと、衣料品デザインの外部への全面委託 1991年 良品計画 リバティ社と提携しロンドンに出店 1990年 良品計画 西友から無印良品の営業を譲受し直営店小売を開始 1989年 良品計画 西友からの分社独立:PB「無印良品」を売場ごと切り出しての、直営小売業への転換
- 日本製鋼所 2026年 日本製鋼所 日本製鋼所M&Eを吸収合併し室蘭製作所を設置 2020年 日本製鋼所 日鋼MECへ吸収分割:素形材・エネルギー事業の切り出しと、6年後の本体への吸収合併 2017年 日本製鋼所 連結純損失▲50億円を計上し3期連続赤字 2012年 日本製鋼所 YPK・そのグループ会社を子会社化 2007年 日本製鋼所 室蘭製作所を原子力向けに増強:製鋼・鍛錬設備の増強と、原子力発電向け大型鍛鋼への傾斜 2000年 日本製鋼所 経営改善計画を発表し420名の人員削減を実施 1994年 日本製鋼所 3期連続の最終赤字に転落 1986年 日本製鋼所 油圧ショベルの自社生産から撤退 1986年 日本製鋼所 室蘭製作所で600名規模の人員削減を開始 1978年 日本製鋼所 Japan Steel Works America, Inc.を設立 1961年 日本製鋼所 油圧ショベル事業に新規参入 1960年 日本製鋼所 アンケル・ベルクと成形機提携:技術導入によるプラスチック射出成形機事業の立ち上げと、一般産業機械部門の拡大 1950年 日本製鋼所 過度経済力集中排除法に基づく再編で新日本製鋼所を設立 1945年 日本製鋼所 敗戦を受け民需品生産への転換を開始 1931年 日本製鋼所 輪西製鉄を分離設立:製鉄・採鉱事業の切り離しと、鋳鍛鋼・兵器・産業機械への集中 1907年 日本製鋼所 北海道炭礦汽船・アームストロング・英ビッカースの3社共同出資で日本製鋼所を設立
- 東宝 2024年 東宝 サイエンスSARUとGKIDSの子会社化:制作から北米配給までのグループへの取り込み 2024年 東宝 北米アニメ配給会社GKIDS,Inc.を子会社化 2019年 東宝 「TOHO animation」レーベルが「鬼滅の刃」テレビアニメを展開開始 2011年 東宝 島谷能成が代表取締役社長に就任 2006年 東宝 映画興行部門を会社分割しTOHOシネマズに承継 2003年 東宝 ヴァージン・シネマズ買収:シネマコンプレックス網の取り込みによる映画興行の自社一元化 1987年 東宝 東宝日比谷ビルが竣工 1973年 東宝 東宝不動産が東京証券取引所一部に上場 1969年 東宝 新宿東宝会館完成 1958年 東宝 不動産活用委員会の設置:興行の場である劇場を不動産資産として運用する体制への移行 1954年 東宝 映画「ゴジラ」第1作を公開 1948年 東宝 第三次東宝争議と人員整理:1,200名の人員整理と撮影所の一時閉鎖 1943年 東宝 東京宝塚劇場と東宝映画が合併:製作・配給・興行・演劇を一社に束ねる一貫経営体制の確立 1938年 東宝 帝国劇場を合併
- 岩谷産業 2024年 岩谷産業 コスモエネルギー株取得:株式の取得に踏み込んだ資本業務提携による関係の強化 2019年 岩谷産業 名古屋証券取引所市場第一部について上場廃止申請を行い、上場廃止 2014年 岩谷産業 国内初の商用水素ステーション「イワタニ水素ステーション 尼崎」が完成 2002年 岩谷産業 戸建住宅撤退と水素ステーション:規模を追う経営からの決別と、収益源を水素へ移す先行投資 1997年 岩谷産業 東京本社を移転 1985年 岩谷産業 岩谷ガス工業・富士瓦斯工業・大阪水素工業の3社が対等合併し岩谷瓦斯を設立 1981年 岩谷産業 サウジアラビアよりLPガスの直輸入を開始 1979年 岩谷産業 高圧ガス等の販売会社である大阪イワタニガスを設立 1969年 岩谷産業 大阪・東京の2本社制を採用 1953年 岩谷産業 マルヰプロパンの発売:家庭用LPガスを全国へ届ける流通体制の構築と販売の転換 1948年 岩谷産業 東京営業所を開設
- UBE 2025年 UBE 西田祐樹への社長交代を発表 2023年 UBE FY22で純損失を計上 2022年 UBE UBEへ改称:祖業セメントの連結除外と、社名の書き換えを揃えた事業構成の転換 2019年 UBE 泉原雅人が代表取締役社長に就任 2010年 UBE タイ拠点2社を合併しUBE Chemicals (Asia)を設立 2005年 UBE カプロラクタムの量産化:スペイン・タイでの現地生産まで広げたナイロン原料の世界供給網の構築 1998年 UBE 宇部三菱セメントを設立 1982年 UBE 145千KW石炭専焼自家発電所が完成 1969年 UBE 宇部アンモニア工業を設立 1957年 UBE 石炭からセメント・化学への転身:祖業を畳んだうえでの約7,000名の他部門への配置転換 1957年 UBE 7,000名の配置転換を断行 1955年 UBE 宇部カプロラクタム工場を新設 1942年 UBE 4社合併で宇部興産を設立 1933年 UBE 宇部窒素工業を設立
- 石油資源開発 2024年 石油資源開発 山下通郎氏が社長就任:1995年以降5代続いた通商産業省出身の社長からの交代と、社内出身者の起用による株主還元方針の見直し 2018年 石油資源開発 相馬LNG基地操業開始 2014年 石油資源開発 ジャペックス ユーケー イーアンドピー社設立 2003年 石油資源開発 石油公団株の売り出しで上場:東証一部上場の実現と、開発会社統合構想からの離脱 1996年 石油資源開発 新潟・仙台間ガスパイプライン完成 1989年 石油資源開発 勇払油ガス田(北海道)発見 1970年 石油資源開発 公団から分離・民間会社石油資源開発として再発足 1967年 石油資源開発 旧会社解散・石油開発公団へ業務承継 1959年 石油資源開発 東新潟ガス田(新潟県)発見
- 住友化学 2025年 住友化学 水戸信彰が代表取締役社長に就任 2024年 住友化学 赤字転落後の構造改革:創業以来最大の赤字を受け、減損と資産売却で1年でのV字回復を優先した再建 2023年 住友化学 短期集中業績改善策と聖域なき抜本的構造改革を発表 2019年 住友化学 岩田圭一が代表取締役社長に就任 2013年 住友化学 連結純損失を計上 2009年 住友化学 初の連結純損失を計上 2004年 住友化学 「ラービグ」への進出:サウジ・アラムコとの折半出資による石油精製と石油化学の一体運営 2003年 住友化学 三井化学との経営統合を白紙撤回 1998年 住友化学 アクリル酸・MMAプロジェクト操業開始 1984年 住友化学 住友製薬を稲畑産業との間で設立 1984年 住友化学 シンガポール石油化学コンビナート操業開始 1978年 住友化学 三沢工場の操業開始 1969年 住友化学 低毒性有機リン剤スミチオンを大分工場で大型生産開始 1958年 住友化学 愛媛工場でエチレン・誘導品の生産を開始 1949年 住友化学 東京・大阪両証券取引所に株式上場
- 北の達人コーポレーション 2023年 北の達人コーポレーション チームXによる組織再建:広告運用の効率偏重の見直しと、クリエイティブの多様化 2019年 北の達人コーポレーション 韓国連絡事務所を開設 2011年 北の達人コーポレーション 北海道特産品販売サイトを売却 2007年 北の達人コーポレーション カイテキオリゴ軸のD2C転換:わけあり物産ECからの撤退と、自社開発品を売るメーカー型への移行
- 中外製薬 2023年 中外製薬 研究拠点の横浜集約:富士御殿場・鎌倉の両研究所の閉鎖と、創薬機能を一カ所に束ねる選択 2015年 中外製薬 海外子会社を再編 2014年 中外製薬 日健中外製薬を設立 2005年 中外製薬 鏡石工場と東北中外製薬をニプロに譲渡 2002年 中外製薬 スイス・ロシュとの提携:資本業務提携と引き換えに差し出した経営権の過半の譲渡 2002年 中外製薬 ジェン・プローブをスピンオフ 1991年 中外製薬 バイオ製剤「ノイトロジン」を発売 1990年 中外製薬 ローヌ・プーランと合弁・中外ローヌ・プーラン設立 1989年 中外製薬 ジェンブローブ社を買収(DNA診断薬) 1971年 中外製薬 臨床検査薬に参入 1966年 中外製薬 無配転落・早期退職者を募集 1951年 中外製薬 解毒剤「グロンサン」の発売 1927年 中外製薬 医薬品製造に着手
- エーザイ 2025年 エーザイ 通期売上収益7,894億円 2024年 エーザイ 構造改革の発表 2023年 エーザイ レカネマブの実用化:認知症領域への長期集中とバイオジェンとの提携の結実 2015年 エーザイ 消化器疾患事業をEAファーマに分割 2014年 エーザイ 美里工場を売却 2008年 エーザイ 営業利益が急減 2007年 エーザイ 米MGIファーマの買収:約39億ドルを投じたバイオ医薬の取り込みによるがん領域の強化 1997年 エーザイ アルツハイマー型認知症治療剤「アリセプト」を米国発売 1997年 エーザイ プロトンポンプ阻害剤「パリエット」を発売 1988年 エーザイ 内藤晴夫が代表取締役社長に就任 1974年 エーザイ 代謝性強心剤「ノイキノン」を発売 1966年 エーザイ 内藤祐次が代表取締役社長に就任 1956年 エーザイ 長期経営計画「三六計画」を公表 1949年 エーザイ 戦後の経営危機
- 北越コーポレーション 2021年 北越コーポレーション オアシスのキャンペーン開始:大王製紙株の売却とバイオマス発電への集中を求めた4提案の公開 2019年 北越コーポレーション 三菱商事との業務提携を解消 2012年 北越コーポレーション 大王製紙の株式取得 2009年 北越コーポレーション 株式交換により紀州製紙を完全子会社化 2006年 北越コーポレーション 王子製紙TOBへの防衛:同業最大手からの敵対的買収提案をはねのけた自主独立の堅持 2000年 北越コーポレーション 三菱製紙との業務提携を発表 1998年 北越コーポレーション 新潟工場に8号機を新設・ECFパルプ生産開始 1986年 北越コーポレーション 新潟工場への設備投資を再開 1977年 北越コーポレーション 子会社北越パッケージを設立 1964年 北越コーポレーション 新潟地震で新潟工場が被災・抄紙機新設で復興へ 1959年 北越コーポレーション 鈴木一弘氏による株式買い占め事件 1957年 北越コーポレーション 北越製紙再建方策案を策定・人員削減へ 1944年 北越コーポレーション 北越パルプを合併
- J.フロント リテイリング 2021年 J.フロント リテイリング コロナ禍で初の純損失に転落 2020年 J.フロント リテイリング パルコを完全子会社化:公開買付けと株式売渡請求による、親子上場という状態の解消 2017年 J.フロント リテイリング GINZA SIXを開業 2012年 J.フロント リテイリング パルコを子会社化 2007年 J.フロント リテイリング 大丸と松坂屋が経営統合:両社を束ねる共同持株会社J.フロント リテイリングの設立 2007年 J.フロント リテイリング 松坂屋HDを吸収合併
- 横河電機 2024年 横河電機 指名委員会等設置会社への移行:監査役会の廃止と独立社外取締役8名への増員、業務執行の決定の執行役への委譲 2016年 横河電機 KBC Advancedを買収 2015年 横河電機 希望退職者を募集 2013年 横河電機 横河ソリューションサービスを発足 2003年 横河電機 国内グループ15工場を閉鎖 1999年 横河電機 米HPとの合弁解消:36年続いた合弁の清算と、持分売却による単独経営への移行 1993年 横河電機 解雇によらない構造改革:人員整理に頼らずに進めた収益構造の立て直しと、雇用を守る経営路線の選択 1983年 横河電機 北辰電機と合併 1982年 横河電機 GEと合弁で横河メディカルシステムを設立 1975年 横河電機 総合制御システムCENTUMを公表 1963年 横河電機 横河ヒューレットパッカードを設立 1955年 横河電機 The Foxboro Companyと技術援助契約を締結 1945年 横河電機 従業員約1万名を削減
- ローム 2025年 ローム 営業赤字転落・純損失 2024年 ローム 東芝非公開化連合へ出資:最大3000億円の拠出と引き換えに賭けたパワー半導体の協業 2019年 ローム パナソニックから半導体デバイス事業の一部を譲受 2012年 ローム 初の営業赤字 2010年 ローム SiC製ショットキーバリアダイオードを開発・販売開始 2008年 ローム 沖電気工業から半導体事業部門を買収 1992年 ローム 不採算受注の整理:半導体不況下の受注整理と生産改革 1989年 ローム 汎用SRAMへ参入:上位各社が先に押さえた市場へあえて後発で入り、大手が取り残した領域だけを狙う立ち位置の選択 1989年 ローム 上場後も続くオーナー経営:東証一部上場のもとで貫かれた個人主導の統治と意思決定のかたち 1970年 ローム 本社敷地内に半導体製造ラインを設置 1969年 ローム ICの開発・販売を開始 1954年 ローム 佐藤研一郎が東洋電具製作所を創業
- TOTO 2025年 TOTO 中国大陸事業の構造改革を発表 2022年 TOTO 監査等委員会設置会社への移行:監査等委員である取締役に議決権を与え、社外取締役を3名から5名へ広げた機関設計の切り替え 2017年 TOTO 創立100周年 2014年 TOTO 喜多村円が代表取締役社長執行役員に就任 2009年 TOTO 親会社株主に帰属する当期純損失▲262億円を計上 1994年 TOTO 中国大陸に衛生陶器・浴槽・水栓の製造会社を設立 1991年 TOTO ウォシュレットで米国参入:国内市場への依存からの脱却——米国市場への本格参入と1兆円企業構想 1981年 TOTO 住設機器総合へ転換:衛生陶器の単品トップからの脱却と、水まわり全体を扱う品揃えへの拡大 1980年 TOTO 温水洗浄便座「ウォシュレット」発売 1978年 TOTO 売上高1000億円突破 1968年 TOTO 事業本部制を発足、住設機器事業に参入 1964年 TOTO ホテルニューオータニ向けユニットバスルームを開発 1958年 TOTO 茅ヶ崎工場でプラスチック製品生産開始 1917年 TOTO 東洋陶器を設立
- ナカニシ 2020年 ナカニシ 米DCI社の子会社化:成長戦略を自力開発から海外M&Aへ切り替える方針の転換 2017年 ナカニシ アラブ首長国連邦にNSK MIDDLE EAST FZCOを設立 2013年 ナカニシ 滅菌器メーカーDENTAL X S.p.Aの株式を取得 2005年 ナカニシ 部品一次加工強化のためCNC工場を本社工場敷地内に建設 1996年 ナカニシ エヌエスケーナカニシの吸収合併:販売代理店の取り込みと社名変更による製造・販売の一社統合 1982年 ナカニシ 工業用切削機器へ参入:歯科用の高速回転技術を医療の外へ広げた新規事業の立ち上げ
- いすゞ自動車 2025年 いすゞ自動車 トヨタ自動車・スズキ・日野自動車・ダイハツ工業との協業を終了 2024年 いすゞ自動車 トヨタ自動車・スズキ・日野自動車・ダイハツ工業と商用事業で協業 2021年 いすゞ自動車 UDトラックスの取得:ボルボとの戦略的提携と引き換えに手にした国内商用車大手 2016年 いすゞ自動車 ピックアップトラックの組立工場を新設 2001年 いすゞ自動車 希望退職者の募集 1993年 いすゞ自動車 GM説得で乗用車撤退:いすゞの乗用車事業からの全面撤退と商用車・ディーゼルへの集中 1988年 いすゞ自動車 鶴見製造所を閉鎖 1971年 いすゞ自動車 GMとの資本提携:株式34.2%の受け入れと、全面提携による独立性の譲り渡し 1969年 いすゞ自動車 トラック事業で赤字転落 1953年 いすゞ自動車 ルーツ社と技術援助提携に調印(乗用車生産開始) 1942年 いすゞ自動車 日野製造所を日野自動車として分離
- ニトリ 2024年 ニトリ 36期連続の増収増益が途絶 2023年 ニトリ 米国の店舗とECサイトを閉鎖 2021年 ニトリ 島忠買収でホームセンター進出:同業ではない新業態の取り込みによる事業領域の広がり 2018年 ニトリ アパレル事業に参入 2017年 ニトリ カチタスを持分法適用関連会社化 2014年 ニトリ 中国大陸1号店を開店 2010年 ニトリ 持株会社体制に移行 2009年 ニトリ 22期連続の増収増益を達成 2008年 ニトリ 「値下げ宣言」を開始 1994年 ニトリ インドネシアで自社生産開始:製造物流小売(SPA)への転換と海外自社生産 1993年 ニトリ 本州で店舗展開を開始 1987年 ニトリ マルミツ木工と業務提携 1986年 ニトリ ニトリに商号変更 1978年 ニトリ チェーン化構想を発表 1978年 ニトリ ドミナント出店を開始 1972年 ニトリ 似鳥家具卸センター設立:アメリカ流チェーンストア構想と「ロマン」の設定 1967年 ニトリ 似鳥昭雄氏が「似鳥家具店」を開業
- 岡三証券G 2026年 岡三証券G 岡三オンライン証券事業の一部のSBI証券への譲渡を決定 2024年 岡三証券G 銀行サービス「岡三BANK」の提供開始 2024年 岡三証券G 「岡三UBSファンドラップ」の提供開始 2022年 岡三証券G 岡三オンライン証券の吸収合併:別法人で育てたネット専業16年の本体への取り込み 2018年 岡三証券G 岡三キャピタルパートナーズを設立 2014年 岡三証券G 丸福証券が岡三にいがた証券に商号変更 2008年 岡三証券G 岡三証券グループに商号変更 2003年 岡三証券G 会社分割で証券業を承継させ持株会社の岡三ホールディングスに移行 1998年 岡三証券G 改正証券取引法に基づく総合証券会社として登録 1993年 岡三証券G 業界最長の1年研修:新入社員研修の2週間から1年間への延長と、支店への「新入営業課」の設置 1981年 岡三証券G 調査部・投資顧問室を分離し岡三経済研究所を設立 1978年 岡三証券G 名古屋証券取引所市場第一部に上場 1968年 岡三証券G 改正証券取引法による証券業の免許を取得 1964年 岡三証券G 日本投信委託を設立 1961年 岡三証券G 日本橋江戸橋へ本店移転:創業者の急逝を受けた32歳での社長承継と本部の東京移転、投資信託部門の分離と証券業免許の取得 1959年 岡三証券G 広島の興隆証券から営業権を譲受 1958年 岡三証券G 京都の中屋証券から営業権を譲受 1949年 岡三証券G 本店を大阪市東区北浜に移転 1944年 岡三証券G 岡三商店を改組し岡三証券を設立。本店は三重県津市
- ニップン 2026年 ニップン 大型穀物船が接岸できる立地に建設した製粉の新拠点、知多工場が竣工 2024年 ニップン 長期ビジョン2030へ資産振替:政策保有株式・遊休不動産の売却と、3年で最大1,400億円の設備投資への振り替え 2019年 ニップン 渋谷区の旧本社跡地に複合ビル「リンクスクエア新宿」が竣工 2014年 ニップン 東福製粉の株式を公開買付けにより取得 2000年 ニップン パスタ製造会社Pasta Montana, L.L.C.を買収 1996年 ニップン ニップン冷食を設立:冷凍食品製造部門の切り出しによる専業体制の構築 1996年 ニップン 冷凍食品の製造に本格参入 1990年 ニップン オーマイを吸収合併 1989年 ニップン エヌピーエフジャパンを設立 1978年 ニップン 千葉工場が竣工 1960年 ニップン 大阪製粉を合併 1955年 ニップン 家庭用食品ブランド「オーマイ」が誕生 1930年 ニップン 製粉共販組合を結成:三井物産への製品一手販売の委託と、日清製粉を含む共同販売体制の構築 1920年 ニップン 東洋製粉を合併
- 森永製菓 2022年 森永製菓 森永乳業株の政策保有縮減:プライム移行に合わせた持ち合いの解消と統治の形の立て直し 2019年 森永製菓 森永キノインドネシアの株式を譲渡 2013年 森永製菓 塚口工場閉鎖 2008年 森永製菓 米国森永製菓を設立 1997年 森永製菓 エンゼルの森構想の見直し:菓子事業の社内分社と、構想を取り下げての本業立て直し 1987年 森永製菓 小山新工場が竣工 1973年 森永製菓 森和商事を設立 1965年 森永製菓 ゼネラルミルズとの合弁で森永ゼネラルミルズを設立 1954年 森永製菓 売店部門を分離し森永キャンデーストアを設立 1949年 森永製菓 乳業部門の森永乳業への譲渡:牛乳を手放し「菓子専業」へ絞り込む事業構成の組み替え 1949年 森永製菓 森永乳業設立 1923年 森永製菓 自社品販売会社森永製品販売設立(以降全国各地に設立)
- ローツェ 2023年 ローツェ イアスの子会社化:連続買収による半導体周辺装置とライフサイエンスへの多角化 2015年 ローツェ 自動培地交換機能搭載細胞培養装置「CellKeeper」を発表 2012年 ローツェ ロボット・ロードポート・アライナ・ウエハ搬送システムを発表 2004年 ローツェ ジャスダック証券取引所に上場 1996年 ローツェ ハイフォンに量産拠点設立:開発と量産を国境で分ける国際分業体制の構築 1986年 ローツェ クリーンロボットの製造販売を開始
- セリア 2022年 セリア 100円ショップの価格維持:値上げに踏み切らず、価格を据え置いたまま需要をつなぎ止める選択 2018年 セリア 中四国営業所を開設 2014年 セリア 河合映治がセリア社長就任 2004年 セリア ジャスダック証券取引所に上場 2003年 セリア 「Seria 生活良品」1号店をオープン 1997年 セリア リアルタイムPOS導入:規模ではなくデータで競う路線への転換と、発注システムの全店整備 1994年 セリア 常設店舗1号店「100円ショップ長崎屋岐阜店」をオープン 1989年 セリア 本社を新築し移転、初のフランチャイズ契約を締結
- 日本オラクル 2022年 日本オラクル スタンダード市場へ移行:東証再編を機としたプライム市場の見送りという上場区分の選択 2022年 日本オラクル Oracle Cloud Infrastructure(OCI)がデジタル庁のガバメントクラウドに決定 2019年 日本オラクル ケネス・ヨハンセンが執行役最高経営責任者(CEO)に就任 2010年 日本オラクル サーバー・ストレージ等の販売と関連サービスを開始 2000年 日本オラクル 東京証券取引所市場第一部に株式を上場 1999年 日本オラクル 完全子会社のまま日本上場:米本社の傘下にとどまったままの単独株式公開という異例の選択 1985年 日本オラクル 日本オラクルを設立
- 京王電鉄 2022年 京王電鉄 新宿駅西南口をJR東日本と再開発:総事業費3000億円の共同事業への参画という、単独では担えない規模の投資 2021年 京王電鉄 初の経常赤字・純損失を計上 2017年 京王電鉄 京王プレリアホテル京都を設立 2012年 京王電鉄 リビタの株式取得 2009年 京王電鉄 永田正が代表取締役社長に就任 1994年 京王電鉄 京王百貨店の構造改革:自主MD化と専門大店化 1988年 京王電鉄 新本社屋完成、多摩市に移転 1978年 京王電鉄 京王新線開通、新宿〜笹塚間の複々線化 1969年 京王電鉄 高速バス運行開始 1969年 京王電鉄 京王プラザホテルを設立 1955年 京王電鉄 不動産業の営業開始 1948年 京王電鉄 東京急行電鉄から分離し京王帝都電鉄を設立 1944年 京王電鉄 陸上交通事業調整法により東京急行電鉄に合併(大東急)
- マツキヨココカラ&カンパニー 2021年 マツキヨココカラ&カンパニー ココカラファインと統合:株式交換による統合と、売上1兆円・3,000店舗という目標 2020年 マツキヨココカラ&カンパニー ココカラファインと経営統合の基本合意書と資本業務提携契約を締結 2018年 マツキヨココカラ&カンパニー 臺隆工業股份有限公司と台湾に合弁会社台湾松本清股份有限公司を設立 2013年 マツキヨココカラ&カンパニー ぱぱすを完全子会社化 2007年 マツキヨココカラ&カンパニー マツモトキヨシHDを設立。東京証券取引所市場第一部に上場 2001年 マツキヨココカラ&カンパニー グループ拡大化戦略を開始(地域優良企業との業務提携開始) 1996年 マツキヨココカラ&カンパニー マツキヨへ薬粧専門転換:複合小売からの脱却と、都心駅前への集中によるブランドの確立 1987年 マツキヨココカラ&カンパニー 都市型ドラッグストアの先駆け・上野アメ横店をオープン 1954年 マツキヨココカラ&カンパニー 個人経営から法人組織へ改組 1932年 マツキヨココカラ&カンパニー 松本清が松戸市小金に薬種商「松本薬舗」を個人創業
- ユー・エス・エス 2023年 ユー・エス・エス USSサポートサービスでオートローン事業に参入 2021年 ユー・エス・エス ジェイ・エー・エー子会社化:完全子会社化と併せて踏み切ったHAA神戸会場の減損188億円の計上 2017年 ユー・エス・エス ジェイ・エー・エーの株式66.0%を取得し子会社化 2011年 ユー・エス・エス アイケイコーポレーションと資本業務提携 2008年 ユー・エス・エス USS東京会場で同時10レーン・セリシステム導入 1999年 ユー・エス・エス サールオートオークション買収:地方の会場を次々に取り込み、自社方式へ作り替えた全国網の組み立て 1995年 ユー・エス・エス 衛星TVオートオークション開始 1982年 ユー・エス・エス USS名古屋会場を開設
- しまむら 2021年 しまむら 「リ・ボーン」でV字回復:中期経営計画に掲げた原点回帰と、3期連続減益からの反転 2020年 しまむら 直営ECサイト「しまむらオンラインストア」を開設 2015年 しまむら 東松山商品センターを建設・稼働 2012年 しまむら 飾夢楽の1号店を上海市に開設 2003年 しまむら しまむらグループ1000店舗を達成 1999年 しまむら 電算と物流の自社開発:自前主義のローコスト経営——電算と物流を内製して築いた「しまむらモデル」 1998年 しまむら 思夢樂の1号店を開設 1996年 しまむら 子会社アベイルを設立 1981年 しまむら POSシステムによる全店オンライン・単品管理を開始 1975年 しまむら 商品管理の自社電算化を開始 1961年 しまむら 東松山店を開店しチェーン化を開始 1957年 しまむら セルフサービスシステムを導入
- キユーピー 2025年 キユーピー 連結子会社であるアヲハタと株式交換を行い、同社を完全子会社へ変更 2021年 キユーピー キユーソーの連結除外:株式の一部の立会外分売と、物流子会社の連結からの切り離し 2017年 キユーピー 中国統括会社である丘比有限公司を設立 2014年 キユーピー アヲハタを子会社化 2009年 キユーピー KEWPIE MALAYSIA SDN.BHD.を設立 1993年 キユーピー 北京丘比食品有限公司を設立 1982年 キユーピー Q&B FOODS, INC.を設立 1981年 キユーピー キユーピータマゴの設立:卵素材品の切り出しと、副産物を機能性素材に変えるファインケミカルへの進出 1981年 キユーピー 卵黄レシチンなどの製造を開始 1977年 キユーピー 卵素材品の販売部門を分離独立させ、キユーピータマゴを設立 1972年 キユーピー 中島董商店の販売網継承:半世紀続いた製販分離の解消と、売り先を自ら握る自社販売への切り替え 1964年 キユーピー 年4万トンの割卵体制:4工場での割卵と全販連60%・3年契約による鶏卵調達網の掌握 1950年 キユーピー 標準品70グラムの半値化:交際費を持たない原価を原資とした20数回の値下げと、水産大手の採算割れ 1925年 キユーピー キユーピーマヨネーズの製造を開始
- 東洋紡 2025年 東洋紡 つるがフィルム工場で増産決定 2023年 東洋紡 フィルム製品で大幅減益 2021年 東洋紡 UL規格不正の隠蔽:10年にわたるエンジニアリングプラスチックの試験不正と、品質保証部門を事業から切り離す体制刷新 2018年 東洋紡 防弾ベスト向け繊維の訴訟和解 2013年 東洋紡 保護フィルム「コスモシャインSRF」を開発 2009年 東洋紡 御幸HDを買収(御幸毛織) 1999年 東洋紡 伊勢工場・大町工場を閉鎖 1985年 東洋紡 医薬品事業に参入 1984年 東洋紡 国内3工場の閉鎖 1982年 東洋紡 非繊維分野への多角化:創業100年を機に急ピッチで進めた事業領域の外への拡張 1978年 東洋紡 宇野収氏が社長就任 1968年 東洋紡 犬山工場のフィルム転換:パルプ主体の事業モデルからフィルムへの全面的な転換 1966年 東洋紡 呉羽紡績を吸収合併:ナイロン事業への足がかりを得るための同業大手の取り込み 1963年 東洋紡 プロピレンフィルムの生産開始 1959年 東洋紡 谷口豊三郎氏が社長就任 1937年 東洋紡 岩国工場でレーヨン生産開始 1914年 東洋紡 東洋紡績を設立
- 住友大阪セメント 2022年 住友大阪セメント セメント価格を値上げ:石炭高騰下での1トン2,000円級の値上げの反復と、生コン向け取引慣行の見直し 2021年 住友大阪セメント 諸橋央典氏の代表取締役社長就任 2011年 住友大阪セメント 関根福一氏の代表取締役社長就任 2003年 住友大阪セメント 伊吹工場におけるセメント生産の中止 1994年 住友大阪セメント 住友セメントと大阪セメントの合併による住友大阪セメントの発足 1985年 住友大阪セメント 非セメント事業に多角化:売上構成比50%を目標に据えた10年計画と、「電・光・石・化」4分野への進出 1985年 住友大阪セメント 中期三ヵ年実行計画「RCP作戦」の策定 1984年 住友大阪セメント 別途積立金の取崩しによる未処理損失金の補填の承認可決 1975年 住友大阪セメント 工場閉鎖と希望退職を含む合理化案の労働組合への提示 1975年 住友大阪セメント 七尾工場・多賀工場の閉鎖 1965年 住友大阪セメント 和歌山セメント・西浜開発ほか2社の合併、資本金55億円 1964年 住友大阪セメント 住友グループの社長会である白水会への加盟 1963年 住友大阪セメント 住友グループに加入:磐城セメントの企業集団入りと、住友セメントへの商号変更 1950年 住友大阪セメント 戦後初の配当の実施 1928年 住友大阪セメント 三菱商事との製品一手委託販売契約の締結 1907年 住友大阪セメント 磐城セメントを資本金100万円で設立、本店は横浜市太田町
- 稲畑産業 2025年 稲畑産業 大五通商がマルカブ佐藤製茶を子会社化 2024年 稲畑産業 丸石化学品など連続買収:自力成長からマジョリティ出資への方針転換と、大五通商・ノバセルの取り込み 2023年 稲畑産業 株式の追加取得により、丸石化学品・その子会社である丸石テクノを子会社化 2023年 稲畑産業 株式の追加取得により、大五通商を子会社化 2019年 稲畑産業 情報電子・化学品・生活産業・合成樹脂の4分野に事業を再編 2013年 稲畑産業 サンパウロにINABATA BRASIL IMPORTAÇÃO E EXPORTAÇÃO LTDA.を設立 2005年 稲畑産業 住友製薬の株式の一部を住友化学に譲渡 2002年 稲畑産業 アメリカ・ノバトに水産物販売会社DNI GROUP, LLCを設立 1999年 稲畑産業 情報電子・住環境・化学品・合成樹脂・食品の5分野に事業を再編 1984年 稲畑産業 住友製薬へ医薬事業譲渡:合弁会社への営業譲渡による、直営の医薬品事業からの撤退 1976年 稲畑産業 戦後初の海外営業拠点となるINABATA SINGAPORE (PTE.) LTD.を設立 1962年 稲畑産業 東京証券取引所市場第二部に株式上場 1944年 稲畑産業 住友化学の特約販売店に:日本染料製造の合併にともなう特約販売店としての立場の確定 1939年 稲畑産業 日本染料製造の医薬品の総販売元となり、医薬品部門を新設
- 浜松ホトニクス 2024年 浜松ホトニクス NKTフォトニクス子会社化:デンマーク企業の取り込みによるレーザ・ファイバ光学領域への事業拡張 2011年 浜松ホトニクス 子会社(浜松光子学商貿)を設立 2008年 浜松ホトニクス 産業開発研究所を新設 1991年 浜松ホトニクス コーア電子工業の営業全部を譲受 1983年 浜松ホトニクス 浜松ホトニクスへ改称:テレビの名を捨て、光子工学を軸に据え直した事業領域の再定義 1978年 浜松ホトニクス 事業目的に医療機器等の研究・製造・販売を追加 1967年 浜松ホトニクス 本社を移転 1953年 浜松ホトニクス 浜松テレビを設立し東海電子研究所の業務を引継 1948年 浜松ホトニクス 堀内平八郎が東海電子研究所を浜松に設立
- 野村総合研究所 2023年 野村総合研究所 NRI Group Vision 2030策定:自己株式の取得・消却と資本効率を軸とする株主還元への転換 2021年 野村総合研究所 Core BTS, Inc.の持株会社であるConvergence Technologies, Inc.を子会社化 2016年 野村総合研究所 ASG Group Limited.を子会社化 2014年 野村総合研究所 だいこう証券ビジネス・ケーシーエスを子会社化 2007年 野村総合研究所 横浜第二データセンターを竣工 1997年 野村総合研究所 「BESTWAY(投信窓販システム)」を稼働 1988年 野村総合研究所 野村コンピュータシステムとの合併:旧社との合併で生まれた現在の会社の発足と事業の一体化 1979年 野村総合研究所 野村コンピュータシステム、セブン-イレブン・ジャパンの「新発注システム」を稼働 1974年 野村総合研究所 野村コンピュータシステム、「STAR(証券業向け共同利用型システム)」を稼働 1966年 野村総合研究所 野村総合研究所設立 1966年 野村総合研究所 野村コンピュータシステム、「証券共同システム」を稼働
- ヨネックス 2022年 ヨネックス 米山有沙氏が社長就任:社長職の7年ぶりの創業家復帰と、代表権を会長に残した継承 2021年 ヨネックス BRIDGESTONE TECNIFIBRE CO.,LTD.を子会社化 2019年 ヨネックス 東洋造機を完全子会社化 2014年 ヨネックス 全国の物流拠点を東西2拠点に統合 2005年 ヨネックス ヨネックス開発を吸収合併 1996年 ヨネックス YONEX CORPORATION U.S.A.を設立 1989年 ヨネックス ヨネックス開発を設立、ゴルフ場開発に着手 1982年 ヨネックス ゴルフ事業への進出:商号のヨネックスへの変更と新素材クラブの発売 1982年 ヨネックス ゴルフ事業に参入 1978年 ヨネックス 大阪出張所を新設 1969年 ヨネックス 本社第一工場を増設、テニスラケットの製造を開始 1965年 ヨネックス ミノルスポーツを設立、シャトルコックの製造・販売を開始 1958年 ヨネックス 米山製作所を設立
- ユニチカ 2024年 ユニチカ REVIC支援下の繊維撤退:祖業を畳むための870億円の金融支援と経営陣の総退陣 2015年 ユニチカ メディカル・生活健康事業を譲渡 2014年 ユニチカ 第三者割当増資を実施 2002年 ユニチカ 酢ビ・ポバール事業を分割 1999年 ユニチカ 綿・羊毛事業を子会社へ分離 1980年 ユニチカ PETフィルムに参入 1977年 ユニチカ 三和銀行が経営介入 1975年 ユニチカ 名古屋・犬山・桐生工場閉鎖:一度に3拠点を手放す国内生産体制の縮小と減量経営への転換 1969年 ユニチカ ニチボーとの合併で発足:対等合併による新社の発足と、旧社名・日本レイヨンの終幕 1950年 ユニチカ ビニロン繊維の生産開始 1926年 ユニチカ 日本レイヨンを設立
- 常磐興産 2025年 常磐興産 東京証券取引所スタンダード市場で上場廃止 2024年 常磐興産 米フォートレス系のTOB受入:東証スタンダード市場からの上場廃止と非公開化への移行 2011年 常磐興産 東日本大震災によりスパリゾートハワイアンズが休業 2008年 常磐興産 常磐パッケージの全株式を譲渡 1999年 常磐興産 滞在型施設「ウイルポート」を開業 1985年 常磐興産 常磐炭礦が茨城地区で終掘 1970年 常磐興産 常磐湯本温泉観光を吸収合併:石炭生産部門の新会社への営業譲渡と、常磐炭礦から常磐興産への商号変更 1970年 常磐興産 石炭生産部門を新常磐炭礦に営業譲渡 1966年 常磐興産 常磐ハワイアンセンター開業:坑内から湧く温泉を観光資源へ転じた新事業の立ち上げ 1964年 常磐興産 常磐湯本温泉観光を設立 1953年 常磐興産 双葉貨物自動車を設立 1944年 常磐興産 磐城炭礦と入山採炭の合併により常磐炭礦を設立 1884年 常磐興産 磐城炭礦社を設立
- 日本ガイシ 2025年 日本ガイシ NAS電池の製造・販売活動終了を決議 2021年 日本ガイシ 半導体セラミックスへ転換:製造装置用部材を柱に据えたデジタル社会領域への事業構成の組み替え 2015年 日本ガイシ 新日鐵住金から日鉄住金エレクトロデバイスの全株式を取得 2012年 日本ガイシ 親会社株主に帰属する当期純損失356億円を計上 2011年 日本ガイシ NAS電池火災事故が発生 2002年 日本ガイシ 電力貯蔵用NAS電池(ナトリウム/硫黄電池)を事業化 1996年 日本ガイシ インドネシアと中国に海外子会社を設立 1988年 日本ガイシ 自動車用セラミックス製造会社NGK CERAMICS USAを設立 1977年 日本ガイシ ベルギーの碍子メーカー買収:欧州生産拠点NGKボドゥールの発足による現地生産体制の獲得 1976年 日本ガイシ フォード社に自動車排ガス浄化用セラミックスハニカム担体を初納入 1964年 日本ガイシ 6対4構想で非碍子へ:第1次長期経営計画での「碍子6・非碍子4」構想の策定と周辺分野への多角化 1958年 日本ガイシ 金属製品(ベリリウム銅)の製造販売開始 1936年 日本ガイシ 点火プラグ部門を分離、日本特殊陶業を設立 1919年 日本ガイシ 日本碍子を設立
- 森永乳業 2021年 森永乳業 Turtle Island Foods買収:海外買収への資金集中による、乳業の外への収益源の広がり 2017年 森永乳業 パキスタンに同国2社と合弁会社NutriCo Morinaga(Private)Limitedを設立 2014年 森永乳業 森永北陸乳業福井工場にて菌末の製造を開始 2008年 森永乳業 別海工場チーズ新棟稼動 1993年 森永乳業 マウントレーニア・カフェラッテ(カップ入り乳飲料)発売 1989年 森永乳業 研究・情報センターを開設 1977年 森永乳業 ビフィズス菌ビヒダスの発売:他社が扱わない菌を製品の軸に据えた独自路線への踏み出し 1967年 森永乳業 森永商事の乳製品販売部門を譲り受け 1955年 森永乳業 ヒ素ミルク中毒事件の救済体制:被害者への償いを打ち切らず、恒久的に続ける枠組みの確立 1949年 森永乳業 森永乳業設立
- 昭和飛行機工業 2021年 昭和飛行機工業 昭和の森ゴルフコースなど3施設を投資ファンドへ売却 2020年 昭和飛行機工業 ベインキャピタル傘下入り:三井E&Sホールディングス保有株の手放しと、公開買付けを経た上場廃止 2020年 昭和飛行機工業 ベインキャピタルが株式公開買付けの実施を発表 2015年 昭和飛行機工業 昭島駅北口に複合商業施設「モリパークアウトドアヴィレッジ」を開業 2014年 昭和飛行機工業 三井造船が公開買付けで株式を取得し親会社化 2005年 昭和飛行機工業 中山産業の全株式を取得し完全子会社化 2003年 昭和飛行機工業 日野自動車とのトラック組立事業から撤収 1998年 昭和飛行機工業 都市型リゾートホテル「フォレスト・イン昭和館」を開業 1984年 昭和飛行機工業 昭島駅北口に大型ショッピングセンター「モリタウン」を開業 1982年 昭和飛行機工業 昭和アラミッドハニカムが米ボーイング社の品質認定を取得 1976年 昭和飛行機工業 昭島の米軍返還地を賃貸:米軍返還地・約40万坪の分譲の不採用と、不動産賃貸業への進出 1969年 昭和飛行機工業 米軍接収施設の飛行場地域が返還、パブリックゴルフ場を開設 1960年 昭和飛行機工業 日野自動車工業とトラック組立業務契約を締結 1951年 昭和飛行機工業 昭和食料工業の設立と減資:米軍接収下での自動車修理への転換と、第二会社の設立・九割減資による資本の清算 1951年 昭和飛行機工業 第二会社の昭和食料工業を設立 1937年 昭和飛行機工業 各種飛行機・発動機の製造販売を目的に資本金3,000万円で設立
- 三井松島HD 2024年 三井松島HD リデル炭鉱終掘で石炭撤退:連続M&Aによる脱石炭転換と、111年続いた石炭事業からの撤退 2019年 三井松島HD 明光商会を買収、子会社化 2014年 三井松島HD 池島アーバンマインのリサイクル事業から撤退 2001年 三井松島HD 松島炭鉱が経営する池島炭鉱を閉山 1991年 三井松島HD NSW州リデル炭鉱のジョイント・ベンチャーに参入 1983年 三井松島HD 三井鉱山建材販売を吸収合併 1973年 三井松島HD 石炭部門を池島炭鉱へ譲渡:石炭生産部門の分離と兼業会社への転換 ― 松島炭鉱から松島興産へ 1962年 三井松島HD 東京証券取引所市場第一部に上場 1952年 三井松島HD 池島坑の開発に着手 1935年 三井松島HD 大島鉱区の開坑に着手
- 京成電鉄 2025年 京成電鉄 新京成電鉄を吸収合併 2024年 京成電鉄 オリエンタルランド株を売却:保有株の一部を手放すことによる資本配分の見直しへの着手 2022年 京成電鉄 新京成電鉄を子会社化 2021年 京成電鉄 純損失を計上 2019年 京成電鉄 関東鉄道を子会社化 2010年 京成電鉄 成田空港線(成田スカイアクセス)開業 2009年 京成電鉄 帝都自動車交通を子会社化 1998年 京成電鉄 大塚弘が取締役社長に就任 1979年 京成電鉄 石油ショック後の経営危機:経営危機がもたらした川崎体制の終焉 1978年 京成電鉄 京成成田〜成田空港間開通、スカイライナー運転開始 1960年 京成電鉄 都営地下鉄1号線(浅草線)と相互乗り入れ運転開始 1949年 京成電鉄 東京証券取引所に上場
- オムロン 2024年 オムロン NEXT 2025で2000人削減:制御機器の不振を受けた構造改革と、これに伴う大規模な人員削減 2023年 オムロン JMDCを子会社化 2019年 オムロン 車載電装部品事業をニデックへ譲渡 2015年 オムロン Adept Technologyを子会社化 2011年 オムロン 山田義仁氏が代表取締役社長に就任 2009年 オムロン リーマンショックで純損失▲291億円を計上 1999年 オムロン 事業部制を廃止しカンパニー制を導入 1989年 オムロン 北米地域統轄会社を設立 1973年 オムロン オムロンの血圧計1号機を開発 1967年 オムロン 阪急北千里駅の無人化:制御技術を社会インフラへ広げる社会システム事業と世界初の無人駅システム 1960年 オムロン 無接点近接スイッチで転換:保護継電器メーカーから制御機器メーカーへ、世界初の製品を軸に据えた業態の組み替え 1955年 オムロン プロデューサ・システム(分権型生産子会社方式)を創案 1933年 オムロン 立石一真が大阪で立石電機製作所を創業
- 日本発條 2024年 日本発條 2026中計でROIC導入:ROICとWACCの比較に基づく事業別の立て直しと政策保有株式の売却 2012年 日本発條 株式交換によりトープラを完全子会社化 2005年 日本発條 大同特殊鋼から特殊発條興業を買収 2001年 日本発條 フォルシア社との合弁でフォルシア・ニッパツを設立 1996年 日本発條 ブラジル懸架ばねメーカーのファブリーニ社をメキシコ ラッシーニ社と共同で買収 1987年 日本発條 リア社との合弁で米国にゼネラル シーティング オブ アメリカ社を設立 1975年 日本発條 板ばね製造会社シメブラ社に資本参加 1968年 日本発條 日本シャフトに経営参加 1961年 日本発條 トヨタ向けシート事業参入:豊田工場の新設と、完成車メーカー専用の生産体制の確立 1958年 日本発條 大同発条を合併:日発販売の分離独立とあわせて固めたばね国内首位の地盤 1943年 日本発條 精密ばねの生産を開始 1936年 日本発條 芝浦スプリング製作所として設立
- 大正製薬HD 2024年 大正製薬HD 臨時株主総会で株式併合を可決 2024年 大正製薬HD 上場廃止により非公開化 2023年 大正製薬HD 大手門のTOBで上場廃止:創業家による総額7,100億円のMBOと上場廃止 2019年 大正製薬HD フランスの大衆薬会社UPSAを子会社化 2018年 大正製薬HD 創業以来初の早期退職優遇制度を導入 2012年 大正製薬HD 上原茂氏が36歳で事業子会社・大正製薬(株)社長に就任(HD社長は引き続き上原明) 2011年 大正製薬HD 単独株式移転で大正製薬ホールディングスを設立 2008年 大正製薬HD ビオフェルミン製薬を子会社化 2001年 大正製薬HD 田辺製薬との経営統合を白紙撤回 1999年 大正製薬HD 規制緩和によるドリンク剤の医薬部外品への移行 1999年 大正製薬HD 発毛剤リアップを発売 1982年 大正製薬HD 上原明氏が社長に就任 1978年 大正製薬HD 株主特約店制度を現行の形へ改定 1973年 大正製薬HD 上原正吉社長の退任により上原昭二氏が社長に就任 1965年 大正製薬HD 上原正吉社長が科学技術庁長官(国務大臣)に転じて一時辞任し、上原小枝氏が社長に就任 1962年 大正製薬HD リポビタンDの発売:20mlのアンプル剤から100mlのドリンク剤へ、飲み方ごとの作り替え 1958年 大正製薬HD 医家向け医薬品の製造を開始 1948年 大正製薬HD 商号を大正製薬に変更 1928年 大正製薬HD 特約株主制度での法人化:特約株主制度による株式会社化と、取引先小売店を株主とする直販網の構築 1912年 大正製薬HD 石井絹治郎氏が個人企業の大正製薬所を創業
- 大日本印刷 2025年 大日本印刷 レゾナック・パッケージングを取得しDNP高機能マテリアル彦根として子会社化 2023年 大日本印刷 エリオット保有下の自己株式取得:「経営の基本方針」への転換と5年3,000億円の自己株式取得 2019年 大日本印刷 純損失▲356億円。特別損失1,000億円 2014年 大日本印刷 DNP北海道・東北・中部・西日本の地域子会社4社を分割・統合 2009年 大日本印刷 初の純損失▲209億円を計上 2008年 大日本印刷 丸善を子会社化 1994年 大日本印刷 大利根工場を新設 1985年 大日本印刷 中央研究所柏研究施設を完成 1975年 大日本印刷 生産総合研究所を設立 1966年 大日本印刷 中央研究所を完成 1958年 大日本印刷 シャドーマスクの量産開始:フォトマスクへの展開を伴うエレクトロニクス分野への多角化 1956年 大日本印刷 日本精版を合併し大阪工場として発足 1935年 大日本印刷 日清印刷との対等合併:同業との対等な立場での一体化と、新たな社名を掲げての再出発
- 島津製作所 2022年 島津製作所 日水製薬の買収:公開買付けによる取得と、体外診断薬・臨床検査領域への参入 2019年 島津製作所 SHIMADZU SCIENTIFIC KOREA CORPORATIONを設立 2013年 島津製作所 ウルグアイにSHIMADZU LATIN AMERICA S.A.を設立 2007年 島津製作所 UAEにSHIMADZU MIDDLE EAST AND AFRICA FZEを設立 1999年 島津製作所 島津国際貿易(上海)有限公司を設立 1989年 島津製作所 KRATOS GROUP PLCを買収 1979年 島津製作所 SHIMADZU PRECISION INSTRUMENTS,INC.を設立 1969年 島津製作所 理化器械部を分離し島津理化器械を設立 1956年 島津製作所 航空機器分野への参入:専門部門の新設による防衛装備品市場への足がかりづくりと、主力事業の追加 1949年 島津製作所 東京証券取引所に株式上場
- 京浜急行電鉄 2024年 京浜急行電鉄 村上ファンド系の株式取得:不動産の含み益をめぐって強まる株主圧力への対応と資本政策の見直し 2021年 京浜急行電鉄 京急油壺マリンパークを閉館 2019年 京浜急行電鉄 本社を移転 2012年 京浜急行電鉄 京急蒲田駅付近連続立体交差事業 全乗車区間の上下線高架化が完了 2003年 京浜急行電鉄 自動車事業を京浜急行バスに承継し完全分社化を実施 1998年 京浜急行電鉄 天空橋〜羽田空港間開通により空港ターミナル乗入開始 1989年 京浜急行電鉄 京急百貨店を設立 1975年 京浜急行電鉄 三浦海岸〜三崎口間開通 1968年 京浜急行電鉄 品川〜泉岳寺間開通により都心乗入を開始 1958年 京浜急行電鉄 京急興業を設立 1948年 京浜急行電鉄 京浜急行電鉄として再独立 1942年 京浜急行電鉄 東京急行電鉄に合併し東京急行電鉄に商号変更
- 富士ソフト 2025年 富士ソフト 東京証券取引所プライム市場の上場廃止 2025年 富士ソフト ベインキャピタルの買収断念とKKRによる第2回株式公開買付けの成立 2024年 富士ソフト KKR系TOBで上場廃止:公開買付けへの賛同表明と、東証プライム市場からの退出 2024年 富士ソフト 上場子会社4社を完全子会社化 2024年 富士ソフト ベインキャピタルによる対抗買収提案の表明 2014年 富士ソフト 中国に子会社富士軟件科技(山東)有限公司を設立 2006年 富士ソフト 富士ソフトに商号変更 2004年 富士ソフト 東京証券取引所のシステム子会社TCSを子会社化 1999年 富士ソフト サイバネットシステムを子会社化 1996年 富士ソフト エービーシとの合併により富士ソフトエービーシに商号変更 1985年 富士ソフト 神奈川県鎌倉市に本社を移転 1970年 富士ソフト 神奈川県横浜市に富士ソフトウエア研究所を設立
- コスモエネルギーHD 2024年 コスモエネルギーHD 岩谷産業と資本業務提携契約を締結 2023年 コスモエネルギーHD 村上系への買収防衛策:大量取得に対する有事型の対抗措置とMoM決議、岩谷産業を迎えての決着 2015年 コスモエネルギーHD 単独株式移転によりコスモエネルギーHDを設立 2013年 コスモエネルギーHD 双日エネルギーを子会社化 2007年 コスモエネルギーHD コスモ石油販売の会社分割でコスモプロパティサービスに資産・負債を譲渡 1998年 コスモエネルギーHD 潤滑油事業をコスモペトロテックへ営業譲渡 1989年 コスモエネルギーHD コスモ石油とアジア石油が合併 1986年 コスモエネルギーHD 大協石油・丸善石油・旧コスモ石油の3社が合併し商号をコスモ石油に変更 1967年 コスモエネルギーHD 大協石油・丸善石油・日本鉱業の3社で現アブダビ首長国政府と利権協定を締結 1958年 コスモエネルギーHD 丸善石油の全額出資により丸善ガス開発を設立 1949年 コスモエネルギーHD 東京・大阪の各証券取引所に株式を上場(大協石油)
- タムロン 2023年 タムロン 経費流用を受けた体制刷新:歴代2社長の経費私的流用の発覚と引責辞任、ガバナンスの立て直し 2012年 タムロン Tamron (Russia) LLC.を設立 2006年 タムロン 東京証券取引所市場第一部に株式を上場 1998年 タムロン ブロニカを吸収合併 1996年 タムロン ブロニカより中判カメラ営業を譲受 1986年 タムロン 成形工場を新設 1979年 タムロン タムロン・インダストリーズ INC.を設立 1969年 タムロン 弘前工場を新設 1959年 タムロン 本社・工場を新設移転
- テクセンドフォトマスク 2025年 テクセンドフォトマスク 東京証券取引所プライム市場に上場 2024年 テクセンドフォトマスク 商号をテクセンドフォトマスクに変更 2022年 テクセンドフォトマスク 凸版印刷からフォトマスク事業承継:無対価での事業承継と、投資ファンドによる49.9%取得 2019年 テクセンドフォトマスク Toppan Photomasks Round Rock を設立しGlobalFoundries向けに供給開始 2014年 テクセンドフォトマスク 上海凸版光掩模(現 上海徐匯科盛徳半導体)の持分28.5%を買い取り完全子会社化 2005年 テクセンドフォトマスク DuPont Photomasks の株式取得を完了し米国事業を統合 1997年 テクセンドフォトマスク 中華映管、揚博科技との合弁で台湾に中華凸版電子(現 中華科盛德光罩)を設立 1986年 テクセンドフォトマスク 朝霞精密電子第二工場が竣工 1974年 テクセンドフォトマスク 朝霞精密電子第一工場が竣工 1968年 テクセンドフォトマスク 朝霞工場精密部品棟にクリーンルームが完成しシリコントランジスタマスクの量産を開始 1961年 テクセンドフォトマスク 凸版印刷がシリコントランジスタ製造用フォトマスクの試作に成功
- リゾートトラスト 2025年 リゾートトラスト アドバンスト・メディカル・ケアがNoage Internationalを設立 2023年 リゾートトラスト 中期5ヵ年経営計画「Sustainable Connect」を開始 2022年 リゾートトラスト ホテルトラスティ6施設譲渡:一般向けホテル事業のスターアジアグループへの売却による絞り込み 2016年 リゾートトラスト 厚生の株式を取得 2014年 リゾートトラスト 「ザ・カハラ・ホテル&リゾート」を取得 2010年 リゾートトラスト 高級有料老人ホーム運営会社トラストガーデンの経営権を取得 2008年 リゾートトラスト 「東京ベイコート倶楽部 ホテル&スパリゾート」を開業 1992年 リゾートトラスト ハイメディックを設立 1987年 リゾートトラスト 高級会員制リゾートホテル「エクシブ(XIV)鳥羽」を開業 1974年 リゾートトラスト 第1号の会員制リゾートホテル「サンメンバーズひるがの」を開業
- サンケン電気 2024年 サンケン電気 Allegro MicroSystems Incの公募増資・株式売却により持分法適用関連会社化 2021年 サンケン電気 エフィッシモの公開買付け:投資ファンドの支配的株主への台頭と、経営の主導権の移り変わり 2017年 サンケン電気 サンケン エレクトリック(タイランド)カンパニー リミテッドを設立 2013年 サンケン電気 サンケン ノースアメリカ インクを設立 2007年 サンケン電気 サンケンロジスティクスを新設分割により設立 1990年 サンケン電気 スプレーグ テクノロジーズ半導体部門を買収しAllegro MicroSystems Incを設立 1988年 サンケン電気 福島サンケンを設立 1978年 サンケン電気 石川県下の関係会社5社を合併し石川サンケンを設立 1963年 サンケン電気 川越工場竣工 1952年 サンケン電気 本社・工場を移転 1937年 サンケン電気 故松永安左ヱ門氏により㈶東邦産業研究所が設立されセレン整流器の試作研究を開始
- 帝国繊維 2020年 帝国繊維 AVIが株主提案:増配・自社株買いと、ヒューリック政策保有株の売却を迫る要求 2018年 帝国繊維 本社を日本橋髙島屋三井ビルディングへ移転 2011年 帝国繊維 電力会社向けハイドロサブシステムの納入を開始 1996年 帝国繊維 遠距離送水用の大口径ホースの製造を開始 1983年 帝国繊維 救助工作車の製造を開始 1981年 帝国繊維 商業施設賃貸事業に参入 1979年 帝国繊維 子会社のキンパイ商事を設立 1961年 帝国繊維 東京証券取引所市場第一部に指定 1959年 帝国繊維 中央繊維が帝国製麻を合併し帝国繊維に商号変更 1950年 帝国繊維 過度経済力集中排除法により帝国繊維を解散し中央繊維・帝国製麻ほか1社を設立 1941年 帝国繊維 太陽レーヨンを合併し帝国繊維に商号変更 1907年 帝国繊維 日本製麻と北海道製麻が合併し帝国製麻を設立
- レオパレス21 2020年 レオパレス21 レノの臨時株主総会請求:取締役10名の解任要求の撤回と、社外取締役2名を対置した会社提案の可決 2017年 レオパレス21 高機能型スマートロック「Leo Lock」を新築全戸に採用 2013年 レオパレス21 Leopalace21 (Thailand) CO.,LTD.を設立 2005年 レオパレス21 シルバー事業部を創設しシルバー事業に参入 2001年 レオパレス21 賃貸アパート「レオパレス21」を投資対象とした不動産証券化を実施 1999年 レオパレス21 家具付き月極レンタルルーム「マンスリーレオパレス」の販売を開始 1986年 レオパレス21 賃貸事業部を創設し不動産賃貸事業を本格的開始 1985年 レオパレス21 都市型アパート「レオパレス21」の本格的販売開始 1973年 レオパレス21 ミヤマを設立し不動産仲介業を開始
- 日本郵政 2025年 日本郵政 日本郵便がトナミHDを子会社化 2025年 日本郵政 日本郵便が一般貨物自動車運送事業の許可取消処分 2024年 日本郵政 日本郵便が郵便料金を改定 2021年 日本郵政 楽天と資本業務提携 2019年 日本郵政 かんぽ生命の不適切募集:契約乗換をめぐる調査と、3社長の引責・グループ統治の立て直し 2018年 日本郵政 米アフラックに7%出資:出資を通じた、持分法適用をめざす戦略提携 2015年 日本郵政 ゆうちょ・かんぽ同時上場:親子3社を一度に市場へ出す最後の大型民営化 2012年 日本郵政 郵便局会社が郵便事業会社を吸収合併 2009年 日本郵政 齋藤次郎氏が社長に就任 2007年 日本郵政 郵政民営化により持株会社に移行 2003年 日本郵政 三事業一体での日本郵政公社発足:事業別の分割も株式会社化も先送りし、国の直営を独立採算の公社へ移した器の組み替え 1997年 日本郵政 行政改革会議で郵政3事業の見直しを議題化 1981年 日本郵政 郵便貯金ATMによる取扱いを開始 1975年 日本郵政 国際ビジネス郵便の取扱いを開始 1968年 日本郵政 郵便番号制を実施 1949年 日本郵政 郵政省が発足 1941年 日本郵政 定額貯金を創設
- クックパッド 2022年 クックパッド 2期連続の営業赤字に転落。40名の希望退職者を募集 2021年 クックパッド 営業赤字に転落 2019年 クックパッド 縮小均衡への転換:動画レシピの台頭による会員離れと、身の丈に合わせた事業の畳み込み 2018年 クックパッド レシピ事業への集中に転換:本業への絞り込みと、食領域の新規事業への再投資 2016年 クックパッド 穐田誉輝氏の解任と岩田林平氏への継承:創業者に戻った経営権と、取締役9名への入れ替え 2014年 クックパッド ALLTHECOOKS, LLCを買収 2012年 クックパッド 海外レシピ買収で多角化:穐田誉輝体制のもとで進めた、レシピの外へも広げる事業領域の拡張 2009年 クックパッド 東京証券取引所マザーズに株式上場 1998年 クックパッド kitchen@coin提供開始:創業とレシピ投稿サービスの段階的な収益化
- アサヒGHD 2022年 アサヒGHD 新九州工場の新設計画(鳥栖工場) 2021年 アサヒGHD アサヒグループジャパンを設立 2019年 アサヒGHD 豪CUBの取得:取得対価1兆1,682億円による、豪州ビール事業の一挙獲得 2017年 アサヒGHD SABMiller中東欧買収:取得対価899,077百万円のビール事業取り込みと、欧州の柱化 2016年 アサヒGHD Peroni・Grolsch取得:欧州プレミアムビール4社の取り込みと、高価格帯ブランドの獲得 2012年 アサヒGHD カルピスを買収 2009年 アサヒGHD SCHWEPPES HD飲料事業を買収 1998年 アサヒGHD 四国工場を新設 1987年 アサヒGHD 「スーパードライ」発売:従来の味を捨てる全面転換に社運を賭けた新商品への集中 1986年 アサヒGHD 樋口廣太郎氏が社長就任 1982年 アサヒGHD 村井勉氏が社長就任:副頭取・村井勉氏を迎え入れ、外部の目に託した朝日麦酒の組織再建 1979年 アサヒGHD 福島工場の新設 1962年 アサヒGHD 大森工場を新設 1954年 アサヒGHD ニッカウヰスキーに資本参加 1949年 アサヒGHD 朝日麦酒を発足
- 川崎汽船 2025年 川崎汽船 指名委員会等設置会社に移行 2022年 川崎汽船 ONE利益により過去最高益 2019年 川崎汽船 エフィッシモの大量保有受入:筆頭株主の長期保有の受け入れと、社外取締役の招請による統治の見直し 2019年 川崎汽船 自動車船・LNG船へ集中投資:非海運多角化の見送りと、鉄鋼原料輸送を含む海運本業への資源の集中 2017年 川崎汽船 コンテナ船事業をONEへ切り出し:半世紀続けた自社運航の終了と、共同出資会社への事業移管 2011年 川崎汽船 朝倉次郎氏が社長に就任 2009年 川崎汽船 初の営業赤字 1999年 川崎汽船 太洋海運を完全子会社化 1989年 川崎汽船 北米定期航路への集中投資:1,200億円を投じた邦船6社共同運航体制からの離脱と単独運航への移行 1983年 川崎汽船 邦船初のLNG運搬船竣工 1970年 川崎汽船 自動車専用船PCCの実用化:フルコンテナ船の投入と、世界初となる専用船型による輸送の刷新 1968年 川崎汽船 初のフルコンテナ船竣工 1968年 川崎汽船 自動車ばら積み兼用船竣工 1957年 川崎汽船 油槽船富士川丸竣工 1919年 川崎汽船 川崎造船所の現物出資により川崎汽船設立
- 富士フイルム 2025年 富士フイルム ヘルスケアの売上高1兆円を2年前倒しで達成 2024年 富士フイルム バイオCDMOで細胞培養槽を約5倍に拡張する計画を公表 2021年 富士フイルム 日立製作所の画像診断関連事業を子会社化 2019年 富士フイルム 富士ゼロックス完全子会社化:持ちかけた買収構想の破談と、その後に選んだ持分の全量取得 2019年 富士フイルム Biogen (Denmark) Manufacturing ApSを買収 2017年 富士フイルム 富士ゼロックスの会計問題と決算訂正:ニュージーランド・豪州の販売子会社で判明した不適切な会計処理と、第117〜120期に及ぶ連結決算の訂正 2014年 富士フイルム 抗インフルエンザウイルス薬「アビガン錠200mg」の製造販売承認を取得 2012年 富士フイルム 中嶋成博氏が社長兼COOに就任 2011年 富士フイルム バイオCDMO参入:医薬品の受託生産という新領域に向けた生産能力への集中投資 2008年 富士フイルム 富山化学工業の買収:買収を足がかりにした医薬事業への進出 2007年 富士フイルム 「アスタリフト」発売:写真技術の化粧品への転用と、スキンケアブランドによる新市場への進出 2004年 富士フイルム 「VISION75」で第二の創業:本業の消失を前提に据えた構造改革と、事業の組み替え 1997年 富士フイルム カラーフィルムの国内出荷がピーク 1997年 富士フイルム 日米フィルム紛争が勝訴で決着 1985年 富士フイルム 写真フィルムの国内シェアが70%強 1983年 富士フイルム X線画像診断システム「FCR」を発売 1977年 富士フイルム 「フジカラF-II 400」を発売 1968年 富士フイルム 通商産業省がカラーフィルムの輸入自由化の方針を決定 1962年 富士フイルム ランクゼロックスとの合弁で富士ゼロックスを設立 1951年 富士フイルム 国産初の長編劇映画用カラーフイルムを完成 1939年 富士フイルム 写真感光材料製造事業法により国家管理品目に指定 1936年 富士フイルム 量産化に失敗し創立2年間で累積33万円の損失を計上 1934年 富士フイルム 大日本セルロイドから分社:国策助成金を得ての写真フィルム専業会社としての出発
- 旭化成 2024年 旭化成 スウェーデンCalliditas Therapeuticsを買収 2016年 旭化成 水島エチレンセンター停止:自社設備を手放し、西日本3社による生産集約に加わる選択 2015年 旭化成 杭打ちデータ偽装:子会社・旭化成建材での発覚を受けた全国物件の自主調査と開示 2012年 旭化成 米ZOLLを買収:22.1億ドルを投じた、クリティカルケア事業への参入 2002年 旭化成 焼酎・低アルコール飲料事業を譲渡 1993年 旭化成 宮崎輝の死後の事業売却:事業を広げ続ける路線からの転換と、食品・酒類事業の売却 1992年 旭化成 東洋醸造と合併 1985年 旭化成 リチウムイオン電池を確立:吉野彰氏による基本構造の確立と、それを囲い込む特許戦略 1980年 旭化成 石油依存の収益構造から脱却:原子力・電子・医薬という三分野に賭けた第二次多角化 1980年 旭化成 宮崎電子を設立しホール素子事業へ参入 1974年 旭化成 旭メディカルを設立・医療機器に参入 1972年 旭化成 「ヘーベル」で住宅参入:ALC建材を戸建てブランドに仕立て直した事業領域の拡張 1968年 旭化成 水島コンビナート建設:売上高に匹敵する1000億円を投じた石油化学への本格進出 1967年 旭化成 ALC「へーベル」の製造を開始 1961年 旭化成 赤字部門を抱えての多角化:宮崎輝氏の社長就任と、赤字を許容してでも柱を育てる路線の始動 1959年 旭化成 事業部制を採用・多角化を本格化 1946年 旭化成 日窒コンツェルンから独立:母体からの分離と、旭化成工業への商号変更による再出発
- 神戸製鋼所 2025年 神戸製鋼所 2025年3月期当期純利益1201億円(過去最高更新) 2024年 神戸製鋼所 勝川四志彦氏が社長に就任 2017年 神戸製鋼所 品質データ改ざんを公表:名門の信頼失墜と、経営刷新による再建への着手 2017年 神戸製鋼所 神戸製鉄所の上工程休止:加古川製鉄所への一貫工程の集約 2013年 神戸製鋼所 2013年3月期純損失▲270億円、経常損失▲181億円 2002年 神戸製鋼所 神戸製鉄所で電力事業参入:製鉄所構内での石炭火力発電所の建設と、電力卸供給という収益源の確保 2002年 神戸製鋼所 新日鉄と相互出資:住友金属工業と結んだ株式の持ち合いと、23年後に迎えたその解消 2001年 神戸製鋼所 マイクロンに株式譲渡:テキサス・インスツルメンツ社と組んだ半導体合弁の設立と、その全株式の売却による撤退 1999年 神戸製鋼所 コベルコ建機に建設機械事業を一元化 1995年 神戸製鋼所 阪神・淡路大震災で神戸・加古川両製鉄所が甚大被害 1989年 神戸製鋼所 USX社との合弁により米国で鉄鋼一貫生産を開始 1983年 神戸製鋼所 米ミドレックス社を買収:天然ガス直接還元製鉄技術の取得と、高炉に依らない製鉄への足がかり 1970年 神戸製鋼所 加古川製鉄所を新設:灘浜での自社高炉の建設と尼崎製鉄の吸収合併を経た、一貫製鉄体制の完成 1965年 神戸製鋼所 尼崎製鉄を吸収合併 1959年 神戸製鋼所 灘浜1号高炉の火入れで鉄鋼一貫体制を確立 1937年 神戸製鋼所 アルミ分野に参入 1927年 神戸製鋼所 母体の鈴木商店が金融恐慌の中で倒産
- 出光興産 2025年 出光興産 酒井則明氏が社長に就任 2024年 出光興産 西部石油山口製油所の原油処理機能停止 2019年 出光興産 昭和シェルと経営統合:交換比率1対0.41の株式交換で昭和シェル石油を完全子会社に 2017年 出光興産 昭和シェル合併に対抗し増資:合併に反対する創業家の持株比率を薄める3割の公募増資 2016年 出光興産 昭和シェル石油の株式31.3%を取得 2014年 出光興産 徳山製油所の原油処理機能停止 2006年 出光興産 東証一部へ上場:個人商店を理想としてきた会社の、公開市場への踏み出し 2006年 出光興産 三菱商事とLPガス事業統合、アストモスエネルギー設立 2000年 出光興産 ムーディーズ格下げと増資:設立以来初の外部資本導入と、会長の一声で白紙に戻った上場 1996年 出光興産 出光大分地熱滝上地熱発電所が営業運転開始 1985年 出光興産 昭和石油とシェル石油が対等合併、昭和シェル石油誕生 1975年 出光興産 愛知製油所竣工 1964年 出光興産 出光石油化学を設立 1963年 出光興産 石油連盟を脱退 1953年 出光興産 イランから石油輸入を断行:国際石油カルテルに抗した民族系独立路線の確立 1911年 出光興産 門司で機械油商として創業:出光佐三による出光商会の旗揚げと、行商から海と大陸へ広げた販路
- カルビー 2025年 カルビー せとうち広島工場 操業開始 2022年 カルビー Greenday Global Co., Ltd.を子会社化 2018年 カルビー Seabrook Crisps Limited(ウェスト・ヨークシャー州)を子会社化 2017年 カルビー フルグラの中国再進出:越境ECと現地専用工場を軸にした中国市場の攻め直し 2016年 カルビー 収益体質改革の断行:松本晃氏の主導による、数字で管理する経営への作り替え 2013年 カルビー PT. Calbee-Wings Foodを設立 2009年 カルビー カーライル・ペプシコとの資本提携:外部資本を迎え入れた業務提携と、東証一部への上場 1999年 カルビー 綾部工場(現京都工場)操業開始 1980年 カルビー カルビーポテト設立で原料内製化:主原料を小麦から芋へ移した、調達までさかのぼる垂直統合 1976年 カルビー 宇都宮第2工場操業開始 1964年 カルビー 「かっぱえびせん」発売 1955年 カルビー カルビー製菓に商号変更 1949年 カルビー 松尾糧食工業所を法人に改組し松尾糧食工業を設立
- MTG 2025年 MTG 売上高988億円で過去最高を更新 2020年 MTG ウォーターサーバー事業の会社分割と全株式の売却 2019年 MTG 大田嘉仁氏の会長招聘:不適切な会計処理を受けた取締役会の刷新と、京セラ出身の会長の招聘 2019年 MTG 2019年9月期の最終赤字267億円への下方修正 2015年 MTG SIXPADの発売:EMS機器を軸に、クリスティアーノ・ロナウド選手を起用した第2ブランドの構築 2014年 MTG 「MDNA SKIN」「PAO」「Style」の相次ぐ発売 2009年 MTG ReFaの発売開始:美容ローラーを起点としたブランド開発企業への業態転換 2004年 MTG ウォーターサーバー事業「宅水便のキララ」を開始 1996年 MTG 愛知県岡崎市でエムティージーブレイズを設立
- ワールド 2022年 ワールド 持分法適用関連会社のナルミヤ・インターナショナルを子会社化 2018年 ワールド アパレル大手の東証一部再上場:MBOで市場を去ってから13年、非公開経営を終えての公開市場への復帰 2018年 ワールド ユーズドセレクトのティンパンアレイを子会社化しリユース事業に参入 2015年 ワールド ファストファッション時代の500店閉鎖:大規模な構造改革による店舗網の縮小と、不採算ブランドの廃止 2011年 ワールド ファッション・コ・ラボを設立しECモール事業と他社EC受託事業を開始 2006年 ワールド ハーバーHDアルファと合併し解散しワールドを商号変更で承継 2005年 ワールド アパレル大手のMBO非公開化:業績が伸びているさなかでの市場からの退出と短期株主の目からの離脱 1992年 ワールド 中期経営ビジョン「スパークス(SPARCS)」構想を発表 1981年 ワールド 百貨店市場に参入 1975年 ワールド 小売分野に参入 1968年 ワールド 神戸本社ビルを竣工 1959年 ワールド ワールドを設立
- マツダ 2022年 マツダ TMT合弁で新工場を稼働・CX-50を量産 2017年 マツダ トヨタとの資本業務提携:米アラバマ折半合弁の設立 2015年 マツダ フォードとの提携解消:36年に及ぶ資本関係の終了と、自主独立路線への転換 2013年 マツダ 現地生産から撤退 2012年 マツダ 最終赤字転落・構造改革プランを策定 2008年 マツダ フォードの提携解消へ 1996年 マツダ フォードの出資引き上げ:経営権を外資の手に委ねる資本関係への移行 1989年 マツダ 5チャネル体制の破綻:国内販売網の一挙拡大と、バブル崩壊で招いた行き詰まり 1979年 マツダ 住友銀行主導の再建:フォードの資本を受け入れ、銀行の手で進めた経営の立て直し 1975年 マツダ 赤字転落・経営危機 1967年 マツダ ロータリーエンジン量産化:外資との資本提携を退けて選んだ独自技術による単独路線 1961年 マツダ NSU・バンケル社とロータリーエンジン業務提携 1958年 マツダ 四輪車に参入 1931年 マツダ 三輪トラックの生産開始 1920年 マツダ 広島のコルク会社から転身:創業から三輪トラック「マツダ号」へ至る自動車事業への踏み出し
- IDOM 2024年 IDOM 中期経営計画(2023-2027)を公表 2016年 IDOM 「IDOM」への社名変更:「ガリバー」からモビリティ事業への業容拡大 2016年 IDOM 月額定額クルマ乗り換え放題サービス「NOREL」開始 2015年 IDOM 豪州新車ディーラー撤退:マルチブランド展開への参入と、7年で下した全面撤退の判断 2013年 IDOM 東京マイカー販売を完全子会社化 2009年 IDOM ジー・トレーディングを株式交換により完全子会社化 1998年 IDOM ドルフィネットシステムの本格運営を開始 1994年 IDOM 下取りを切り出した買取専業:中古車「買取専業」モデルの確立と最短記録での株式上場
- 不二製油 2025年 不二製油 完全子会社の不二製油を吸収合併し商号を不二製油に変更 2022年 不二製油 合弁会社Fuji Oil International, Inc.が現物出資を受けOilseeds Internationalを取得 2019年 不二製油 世界3位ブラマーの買収:業務用チョコレートを手がける同業の取り込みと、規模の一気の拡大 2015年 不二製油 不二製油グループ本社へ改称:純粋持株会社への移行と、事業会社との役割の切り分け 2015年 不二製油 HARALD INDÚSTRIA E COMÉRCIOの株式を取得 2012年 不二製油 アジア地域統括会社FUJI OIL ASIAを設立 2006年 不二製油 千葉工場を新設し操業を開始 1999年 不二製油 阪南事業所内のセンタービルに本社事務所を移転 1988年 不二製油 WOODLANDS SUNNY FOODSを設立 1978年 不二製油 東京証券取引所市場第一部に上場 1967年 不二製油 植物性クリームの生産開始 1967年 不二製油 大阪工場に大豆たん白分離設備を完成し大豆たん白事業に参入 1955年 不二製油 大阪工場に油脂溶剤分別装置を完成しハードバター(メラノバター)製造を開始 1950年 不二製油 伊藤忠出資で不二蚕糸工場買収:親会社の全額出資による設立と、大阪の既存設備を引き継いだ操業開始
- オリックス 2025年 オリックス 髙橋英丈氏が社長兼COOに就任(第7代) 2021年 オリックス Elawan Energy S.L.を買収 2018年 オリックス 大京をTOBで買収:マンション大手・大京のTOBによる完全子会社化 2015年 オリックス 関西エアポートを仏VINCI Airportsと共同設立 2014年 オリックス リーマン後の事業投資転換:リース・融資という金融の型を捨て、自己資金を投じる側への立ち位置の移行 2014年 オリックス ハートフォード生命保険を買収 2013年 オリックス 蘭ロベコの買収:2,551億円を投じた資産運用事業への本格進出 2006年 オリックス Houlihan Lokeyを買収 2004年 オリックス 近鉄バファローズとの統合:球団の数を一つ減らす統合と、そこから広がったプロ野球再編 1998年 オリックス NYSEへ上場:外部の市場規律を経営に取り込むことを目的とした海外市場での株式公開 1998年 オリックス 山一信託銀行を買収 1991年 オリックス アイルランドにORIX Aviation Systems Limited設立 1989年 オリックス オリックスへ改称:リース専業からの脱皮と金融サービス業への多角化 1988年 オリックス プロ野球球団・阪急ブレーブスを取得 1979年 オリックス ファミリー信販設立 1969年 オリックス 株式額面変更目的で同名会社に吸収合併
- マネーフォワード 2025年 マネーフォワード 100%子会社として、Money Forward WhippleWood, LLCを設立 2021年 マネーフォワード 三菱UFJ銀行との合弁でBiz Forwardを設立 2020年 マネーフォワード 中堅企業向け"マネーフォワード クラウドERP"を発表 2019年 マネーフォワード マネーフォワードフィナンシャル撤退:交換業者登録の手続き中止による参入計画そのものの取りやめ 2019年 マネーフォワード スマートキャンプの株式72.3%を取得し子会社化 2013年 マネーフォワード クラウド会計への参入:個人向け一本足からの脱却と法人向けという二本目の柱の確立 2012年 マネーフォワード "マネーブック"から家計簿へ転換:初代サービスを数か月で畳んだうえでの資産管理への作り直し 2012年 マネーフォワード "マネーフォワード"を発売
- LINE 2021年 LINE ZHDとの経営統合が完了 2019年 LINE ZHDとの経営統合に関する最終契約を締結 2016年 LINE 東証・NYSE同時上場:韓国NAVER傘下のままでの東京証券取引所第一部・ニューヨーク証券取引所への同時上場 2014年 LINE モバイル送金・決済サービス「LINE Pay」を公開 2011年 LINE 「LINE」の投入:検索・ゲームからメッセンジャーアプリへの主力の移し替え 2010年 LINE ライブドアの買収:63億円を投じた検索サービス「NAVER」への取り込み 2009年 LINE ネイバージャパンが検索サービス「NAVER」のオープンベータ版を公開
- ボーダフォン(現ソフトバンク) 2022年 ボーダフォン(現ソフトバンク) PayPayを子会社化 2021年 ボーダフォン(現ソフトバンク) LINEを子会社化 2019年 ボーダフォン(現ソフトバンク) ヤフーを子会社化 2019年 ボーダフォン(現ソフトバンク) ZOZOを子会社化 2018年 ボーダフォン(現ソフトバンク) ソフトバンクグループの株式売出:通信子会社の東証一部上場と親会社による約2.6兆円の資金調達 2012年 ボーダフォン(現ソフトバンク) 米スプリントの買収:イー・アクセスの取り込みと並走した「世界作戦」の展開 2006年 ボーダフォン(現ソフトバンク) ボーダフォン日本法人買収:1兆6,935億円を投じたLBOによる携帯電話事業への参入 2005年 ボーダフォン(現ソフトバンク) 東京証券取引所一部・大阪証券取引所一部上場廃止 2001年 ボーダフォン(現ソフトバンク) 英ボーダフォンの子会社化:固定通信と携帯J-フォンが外資の傘下に入った支配権の移動 1991年 ボーダフォン(現ソフトバンク) 東京デジタルホンを設立し携帯電話事業に参入 1989年 ボーダフォン(現ソフトバンク) (旧)日本テレコムの吸収合併:二社体制を解き、国鉄の通信網を継いだ鉄道通信を器に残して名だけを相手から受け継いだ一本化
- 双日 2025年 双日 純利益1106億円・非資源分野800億円超を達成 2024年 双日 植村幸祐氏が社長COOに就任(同年6月に代表取締役社長) 2017年 双日 非資源事業へのシフト:資源市況に業績が振られない収益構造への、稼ぎ方の組み替え 2014年 双日 10年がかりの債務圧縮:有利子負債1兆5000億円の圧縮と旧二社の組織融合という10年の再建 2012年 双日 純損失36億円計上・赤字転落 2005年 双日 旧双日を合併し商号を双日に変更、事業会社へ移行 2004年 双日 航空機ファイナンス損失処理:総額2500億円に及ぶ一括処理と、手を付けてこなかった事業への切り込み 2003年 双日 ニチメンと日商岩井が統合:株式移転による共同持株会社の設立と、2660億円の優先株発行
- セガサミーHD 2023年 セガサミーHD Rovio Entertainmentを買収 2021年 セガサミーHD Sega Amusements Internationalを売却 2015年 セガサミーHD アミューズメント施設撤退:事業会社の機能別3社への分割と、施設運営事業の切り離し 2014年 セガサミーHD パラダイスシティの建設に着工 2013年 セガサミーHD インデックスの事業を譲受 2012年 セガサミーHD リゾート・海外IRへ投資:遊技機で稼いだ資金を新分野へ振り向けた同時多発の投資 2004年 セガサミーHD サミーによるセガの株式取得:株式取得にとどまらない共同持株会社の設立と両社の一体化 2004年 セガサミーHD セガサミーHD設立・東京証券取引所一部上場 2001年 セガサミーHD ドリームキャスト製造中止:セガの家庭用ゲーム機ハード事業からの撤退とソフトメーカーへの転身
- 東急 2025年 東急 渋谷3大再開発プロジェクトの投資額を6,000億円に上方修正 2021年 東急 コロナ禍で純損失559億円を計上 2019年 東急 鉄道事業を東急電鉄に分社:商号の変更と、鉄軌道業を切り出した持株会社体制への移行 2013年 東急 東急不動産HDを設立 2012年 東急 渋谷ターミナル再開発:鉄道の地下化で生み出した跡地への集中投資と、拠点駅の作り替え 2002年 東急 日本エアシステムへ統合:東亜国内航空への出資に始まる航空事業への参入と、その撤退 1996年 東急 東急百貨店の立て直し:財テクの行き詰まりを受けた、仕入れと販売を自ら担う本業への回帰 1995年 東急 五島昇の死後の事業整理:五島家の個人支配の終焉と、バブル期に膨らんだ 1984年 東急 田園都市線、つきみ野〜中央林間間開通 1977年 東急 新玉川線建設で都心直通化:路面電車に代わる地下新線への切り替えと、都心直通ネットワークの完成 1969年 東急 玉川線(渋谷〜二子玉川園)廃止 1968年 東急 東急ホテルチェーン設立:五島昇社長による、流通・観光・航空にまで及ぶ事業領域の拡張 1966年 東急 多摩田園都市の建設:鉄道の敷設と沿線の開発を一体で回す事業モデルの確立 1953年 東急 五島慶太が多摩田園都市の開発構想を発表 1948年 東急 京王・小田急・京急が再独立 1942年 東急 「大東急」の形成:戦時交通統合による戦後の解体 1922年 東急 目黒蒲田電鉄を設立:創業を機とした「鉄道と沿線開発を一体で回す」経営モデルの確立
- ジャストシステム 2025年 ジャストシステム 米国向けHome Learning Service「Smile Zemi」(Grade K)を提供開始 2018年 ジャストシステム 特別調査委員会と過年度決算訂正:元従業員の無断取引を受けて4期分の有価証券報告書を訂正し、内部統制を立て直した選択 2012年 ジャストシステム タブレット教育スマイルゼミ投入:売り切りのソフト販売から家庭向け通信教育への事業の組み替え 2009年 ジャストシステム キーエンスへ第三者割当増資:45億円の払い込みと引き換えに議決権の4割を明け渡す資本提携 1998年 ジャストシステム ソニー出資による再建:「一太郎オフィス8」の失速による初の赤字と、人員削減を伴う外部資本の受け入れ 1998年 ジャストシステム 人員削減とソニーへの第三者割当増資で再建に着手 1985年 ジャストシステム 日本語ワードプロセッサ「一太郎」を発売 1979年 ジャストシステム ジャストシステムを創業
- バンダイナムコHD 2025年 バンダイナムコHD Legendary Picturesとガンダム実写映画の共同投資契約を締結 2024年 バンダイナムコHD 売上高1兆502億円で初の1兆円台到達 2018年 バンダイナムコHD BANDAI SPIRITS集約:ハイターゲット事業を一つの会社へ束ね直すグループ内の事業再編 2010年 バンダイナムコHD IP軸戦略への転換:作品の権利そのものを事業の軸に据える経営方針への切り替え 2010年 バンダイナムコHD 初の当期純損失▲299億円を計上 2005年 バンダイナムコHD バンダイとナムコの統合:共同持株会社の発足と、両社を一体で束ねる経営体制への移行 1997年 バンダイナムコHD セガとの合併破談:ゲーム業界再編をねらった電撃発表から、わずか4カ月での白紙撤回 1996年 バンダイナムコHD バンダイが携帯ゲーム「たまごっち」を発売 1980年 バンダイナムコHD バンダイが機動戦士ガンダムのプラモデル(ガンプラ)発売開始 1978年 バンダイナムコHD ナムコが「スペースインベーダー」後に業務用ゲーム機市場で台頭 1955年 バンダイナムコHD 中村製作所を横浜で創業
- 大塚HD 2025年 大塚HD 井上眞が代表取締役社長兼CEOに就任 2024年 大塚HD FY24売上収益2.3兆円・営業利益3235億円と過去最高 2017年 大塚HD 植物性食品デイヤフーズの買収:医薬に寄せず栄養事業を植物性食品へ広げた資源の振り分け 2013年 大塚HD アステックスファーマシューティカルズを買収 2010年 大塚HD 持株会社化と東証上場:公募・売出約2200億円を集めた、同業に大きく遅れての株式公開 2009年 大塚HD 大鵬薬品工業を株式交換により完全子会社化 2008年 大塚HD 大塚HDを設立し持株会社体制へ移行、樋口達夫が社長兼CEOを兼務 2002年 大塚HD エビリファイ米国事業のBMS提携:自社単独での米国販売を採らず、BMS社との共同商業化で収益源を国内消費財から海外医薬品へ移した重点の移し替え 1989年 大塚HD 米ファーマバイトの取得:経営権の取得による健康食品ブランド「ネイチャーメイド」の獲得 1980年 大塚HD ポカリスエットを発売 1964年 大塚HD 大塚製薬の分社設立:医薬品事業を切り出して据えた二階建ての事業モデルの構築 1921年 大塚HD 大塚製薬工場を創業
- セイコーG 2025年 セイコーG セイコーウオッチがセイコータイムクリエーションからクロック販売事業を承継 2022年 セイコーG 社名をセイコーグループに 2017年 セイコーG グランドセイコーの独立ブランド化:日本発ラグジュアリーへの転換 2010年 セイコーG 村野晃一氏の解任と服部真二氏への継承:取締役会による創業家出身・服部真二氏の社長登板 2009年 セイコーG セイコーインスツルを経営統合 2001年 セイコーG セイコーウオッチの設立:持株会社体制への移行と、祖業であるウオッチ事業の切り出し 2001年 セイコーG 持株会社体制へ移行 1999年 セイコーG 機械式とクオーツを融合した世界初の駆動機構(スプリングドライブ)ウオッチを発売 1988年 セイコーG 自動巻発電クオーツウオッチを発売 1972年 セイコーG 札幌オリンピックの公式計時を担当 1969年 セイコーG 「アストロン」の特許公開:世界初のクオーツウオッチの技術を開放したことによるデファクト化 1964年 セイコーG 東京オリンピックの公式計時を担当 1959年 セイコーG 第二精工舎の諏訪工場が分離独立し諏訪精工舎に 1937年 セイコーG 精工舎のウオッチ部門が分離独立し第二精工舎に 1892年 セイコーG 時計製造工場・精工舎を設立し時計製造を開始
- ワークスアプリケーションズ 2025年 ワークスアプリケーションズ 2025年6月期の売上高111億円を計上 2024年 ワークスアプリケーションズ 2024年6月期に当期純利益6億円を計上 2022年 ワークスアプリケーションズ 係争中の2件の訴訟が解決 2019年 ワークスアプリケーションズ HR事業の売却:会社分割を伴う中核事業の切り出しと事業構成の作り直し 2019年 ワークスアプリケーションズ HR事業をWorks Human Intelligenceに承継 2019年 ワークスアプリケーションズ 牧野正幸氏が代表取締役CEOを退任 2014年 ワークスアプリケーションズ 次世代ERP「HUE」のコンセプトを発表 2014年 ワークスアプリケーションズ 「HUE」の製品化成功を発表 2011年 ワークスアプリケーションズ WPKホールディングスのMBO:経営陣による買収と株式非公開化 2009年 ワークスアプリケーションズ 「COMPANY」サプライチェーン管理を発売 2004年 ワークスアプリケーションズ 「COMPANY」会計シリーズを発売 2002年 ワークスアプリケーションズ 問題解決型インターン導入:問題解決能力の発掘を狙った、採用の物差しそのものの作り替え 1999年 ワークスアプリケーションズ プロフェッショナル養成特待生制度を開始 1996年 ワークスアプリケーションズ 埼玉県与野市(現さいたま市)にワークスアプリケーションズを設立
- パーソルHD 2025年 パーソルHD 富士通コミュニケーションサービスを子会社化 2023年 パーソルHD パーソルR&D、パーソルテクノロジースタッフなど技術系3社を統合 2017年 パーソルHD 豪Programmed社買収:全株式取得によるオセアニア人材サービス市場への本格進出 2015年 パーソルHD P&PHDと子会社6社を公開買付で子会社化 2013年 パーソルHD インテリジェンスHD買収:全株式取得による転職メディア・人材紹介事業の取り込み 2008年 パーソルHD ピープルスタッフと統合:経営統合の受け皿となる共同持株会社テンプホールディングスの設立 2008年 パーソルHD 株式移転により共同持株会社テンプHDを設立 1973年 パーソルHD テンプスタッフ設立
- めぶきFG 2023年 めぶきFG 常陽信用保証を取得しめぶき信用保証を完全親会社とする株式交換を実施 2016年 めぶきFG 常陽銀行との経営統合:株式交換の形をとった統合と、めぶきフィナンシャルグループへの商号変更 2015年 めぶきFG 常陽銀行との間で経営統合に関する基本合意書を締結 2013年 めぶきFG 預金保険機構による民営化:足利銀行全株式の取得と、東証一部への直接上場による再出発 2008年 めぶきFG 預金保険機構より足利銀行を完全子会社化 2003年 めぶきFG 足利銀行の実質国有化:債務超過の認定と、預金保険法に基づく特別危機管理への移行 1968年 めぶきFG 常陽銀行が東京証券取引所市場第二部に上場 1935年 めぶきFG 常陽銀行設立(常磐銀行と五十銀行が合併)
- 三菱HCキャピタル 2021年 三菱HCキャピタル 三菱UFJリースが日立キャピタルと合併し商号を三菱HCキャピタルに変更 2021年 三菱HCキャピタル CAI International, Inc.を子会社化 2016年 三菱HCキャピタル 日立キャピタルと業務提携:単なる業務提携にとどまらない、資本を伴う提携関係の構築 2012年 三菱HCキャピタル 米JSAの買収:Jackson Square Aviation の買収と航空機リースの本格化 2007年 三菱HCキャピタル UFJセントラルリースとの合併:合併による三菱UFJリースの発足 1999年 三菱HCキャピタル 菱信リースと合併 1988年 三菱HCキャピタル 東京証券取引所市場第一部に上場 1975年 三菱HCキャピタル 初の海外子会社を設立 1968年 三菱HCキャピタル 日立リースを設立 1957年 三菱HCキャピタル 東京・大阪日立家庭電器月賦販売を設立
- INPEX 2025年 INPEX 長期戦略「INPEX Vision 2035」を公表 2022年 INPEX 長期戦略「INPEX Vision @2022」を公表 2022年 INPEX 売上収益2兆3161億円・親会社帰属利益4611億円を計上 2018年 INPEX イクシスLNGプロジェクトが操業開始 2016年 INPEX 連結売上高が1兆95億円へ縮小 2015年 INPEX ADCO権益を40年確保:アブダビ陸上油田の権益をめぐる異例の長期契約 2012年 INPEX イクシスLNG最終投資決定:総事業費340億米ドルを投じる自社主導の巨大開発 2012年 INPEX イクシスLNGのプロジェクトファイナンスを締結 2010年 INPEX 公募増資・第三者割当増資により約5200億円を調達 2008年 INPEX 国際石油開発・帝国石油を吸収合併 2006年 INPEX 国際石油開発と帝国石油の統合:石油開発2社の一体化と、共同持ち株会社の設立 2006年 INPEX アザデガン油田の開発権を10%に引き下げ 1998年 INPEX WA-285-P鉱区を権益100%で取得 1986年 INPEX 北西大陸棚で探鉱を開始 1979年 INPEX 南長岡ガス田を発見 1970年 INPEX アタカ油田を発見 1966年 INPEX 北スマトラ海洋石油資源開発を設立 1964年 INPEX 日本鉱業から社長を迎えて経営再建に着手 1955年 INPEX 国産原油の97%以上を生産 1950年 INPEX 商法に準拠する民間会社として再発足 1945年 INPEX 東邦石油を買収 1941年 INPEX 帝国石油を設立
- デクセリアルズ 2022年 デクセリアルズ 京都セミコンダクターを子会社化 2015年 デクセリアルズ ユニゾン・キャピタルが投資回収:東証一部への再上場と、PEファンドによる保有株式の売却 2012年 デクセリアルズ ソニーから分離独立:ケミカルプロダクツ事業の売却と、政投銀・ユニゾン主導の受け皿会社への移管 2012年 デクセリアルズ VGケミカル設立 2002年 デクセリアルズ 反射防止フィルムを製造開始 2000年 デクセリアルズ ソニーの完全子会社化:株式交換による東証二部からの上場廃止 1994年 デクセリアルズ リチウムイオン電池用2次保護素子(SCP)を製造開始 1987年 デクセリアルズ 東京証券取引所第二部に上場 1977年 デクセリアルズ 異方性導電膜(ACF)を製造開始 1964年 デクセリアルズ 回路基板用接着剤付き銅箔と接着剤の製造を開始
- オリエンタルランド 2024年 オリエンタルランド ディズニークルーズのライセンス契約を締結 2021年 オリエンタルランド 最終赤字541億円に転落 2018年 オリエンタルランド ファンタジースプリングス投資:3,200億円を一つの区域に投じ、契約期間ごと半世紀先へ延ばした回収設計 2011年 オリエンタルランド 1デーパスポートの値上げ:入園者数の成長から客単価の成長への転換と入園料の段階的な引き上げ 2010年 オリエンタルランド 「ディズニーストア」事業から撤退 2002年 オリエンタルランド 「ディズニーストア」事業を承継 1996年 オリエンタルランド 東京ディズニーシーの建設決定:既存パークの増設ではなく、第2パークとホテル・モノレールの同時建設で滞在型リゾートへ移る選択 1996年 オリエンタルランド 東京ディズニーシーの建設を決定 1983年 オリエンタルランド 東京ディズニーランド開業:開業がもたらした市場への衝撃と、国内レジャー産業への波及 1979年 オリエンタルランド ディズニー独占ライセンス契約:三井不動産の反対を退けての、使用許諾の自社での抱え込み 1964年 オリエンタルランド 浦安沖の海面埋立造成工事を開始
- 全国保証 2025年 全国保証 三重総合信用を子会社化 2022年 全国保証 四国総合信用と資本業務提携契約を締結 2018年 全国保証 東和信用保証を子会社化:地方金融機関系の信用保証会社の連続取得によるグループ化 2018年 全国保証 YUTORI債権回収を子会社化 2014年 全国保証 民間金融機関のカードローン保証業務開始 2012年 全国保証 東証一部へ新規上場:公募増資による資金調達と、公開市場での値付けを受け入れる立場への移行 2002年 全国保証 商品「住まいる いちばん」の取扱い開始 1997年 全国保証 住宅ローン保証事業に参入:公的融資保証から民間金融機関向けへの主力の移し替え 1981年 全国保証 厚生年金転貸住宅融資の保証業務開始
- U-NEXT HOLDINGS 2023年 U-NEXT HOLDINGS プレミアム・プラットフォーム・ジャパンを完全子会社化しU-NEXTと吸収合併 2017年 U-NEXT HOLDINGS USENとの吸収合併:両社の経営統合を機とした持株会社体制への移行とグループ再編 2010年 U-NEXT HOLDINGS インテリジェンスの譲渡:米KKR系ファンドへの売却で区切りをつけた連続子会社譲渡 2007年 U-NEXT HOLDINGS テレビ向け動画配信サービスの提供開始 2001年 U-NEXT HOLDINGS 光ファイバー・ブロードバンドサービスを東京都の一部地域で開始 1994年 U-NEXT HOLDINGS 有線音楽放送正常化協議会へ表明:電柱の無断共架をやめ、事前許可と共架料支払いへ切り替えた正常化 1961年 U-NEXT HOLDINGS 大阪有線放送社として個人創業
- カプコン 2024年 カプコン Minimum Studios Co., Ltd.の株式の66.7%を取得し子会社化 2017年 カプコン RE ENGINEの内製化:開発基盤の自前化とデジタル・DLC販売への構造転換 2012年 カプコン 第二次構造改革:モバイル過大投資の反動とアミューズメント機器事業の見直し 2008年 カプコン ケーツーを子会社化 1998年 カプコン メキシコ子会社の清算:米国持株会社株式の評価減による最終赤字 1985年 カプコン 家庭用ゲームソフトの開発・販売を開始 1984年 カプコン 業務用テレビゲームの開発・販売を開始 1979年 カプコン アイ・アール・エムを設立
- カチタス 2022年 カチタス 東京証券取引所プライム市場へ移行 2017年 カチタス ニトリHDと資本・業務提携契約を締結 2016年 カチタス リプライスの完全子会社化:同業の全株取得による、中古住宅買取再販での首位規模の確保 2012年 カチタス 日本住宅再生の子会社化:PEファンドのTOBの受け入れによる非公開化と、中古住宅事業への一本化 2008年 カチタス YUTORI債権回収を売却 1998年 カチタス 桐生市で中古住宅再生に参入:改正民事執行法を機に競売物件の中古住宅再生事業を立ち上げ 1989年 カチタス 建築部・不動産部を開設し戸建住宅販売業を開始 1978年 カチタス やすらぎを設立
- ファナック 2020年 ファナック 稲葉清右衛門氏が95歳で逝去 2015年 ファナック SR部新設と配当性向倍増:専任部署の設置を伴う、株主還元と情報開示に対する方針の転換 2011年 ファナック 筑波工場でロボドリル増産:短期の大口需要に生産能力を合わせ、月産2,500台を5,000台へ引き上げた設備投資 2009年 ファナック ゼネラル エレクトリックとの合弁を解消 1997年 ファナック 合弁会社SHANGHAI-FANUC Robotics CO., LTD.を設立 1986年 ファナック ゼネラル エレクトリックとの共同出資でGE Fanuc Automation Corporationを設立 1985年 ファナック 利益率35%の高収益経営:NC装置の圧倒的シェアを、規模ではなく収益性の追求に振り向けた経営 1984年 ファナック 電動射出成形機を開発 1974年 ファナック 産業用ロボット事業参入:NC装置の部品供給から自社開発の最終製品へ広げる立ち位置の転換 1972年 ファナック 富士通「3C構想」から分社:親会社の制御部門を切り出して立てたNC専業メーカーの創業 1965年 ファナック 参入10年目に初の黒字転換 1956年 ファナック 富士通がNC装置に新規参入。稲葉清右衛門氏が社員として開発に従事
- タカタ 2017年 タカタ キー・セイフティーへ承継:私的整理の主張を捨てた民事再生法の申請と、事業の全面承継 2017年 タカタ 米州子会社12社が米連邦破産裁判所に再生手続開始を申立て 2014年 タカタ 全米リコール拡大を拒否:NHTSAの要請を受け入れず原因究明を優先させる選択 2000年 タカタ PETRI AGを子会社化 1990年 タカタ 滋賀県愛知川製造所において、助手席用エアバッグの製造・販売を開始 1989年 タカタ Irvin Industries Inc.を子会社化 1988年 タカタ Burlingtonの産業資材部門を買収 1987年 タカタ 愛知川製造所でエアバッグ量産:運転席用製品の量産開始と、インフレータまで含めた内製化 1977年 タカタ チャイルドシート「ガーディアンデラックス」を発売 1960年 タカタ シートベルトの製造・販売を開始 1956年 タカタ 高田工場を設立
- 東京電力HD 2024年 東京電力HD FY23に経常利益4255億円、純利益2678億円に回復 2016年 東京電力HD 東京電力HDに商号変更、HDス体制に移行 2015年 東京電力HD 火力発電をJERAへ移管:燃料調達まで含めて中部電力との合弁へ委ねた発電資産の切り出し 2012年 東京電力HD 原子力損害賠償支援機構が出資:1兆円の公的資金の受け入れと、議決権の過半の政府への移転 2011年 東京電力HD 東日本大震災・福島第一原子力発電所事故 2006年 東京電力HD パワードコムをKDDIと合併し通信事業から撤退 2002年 東京電力HD 原発検査データ改ざん問題の発覚 1999年 東京電力HD 海外電力事業の統括会社TEPCインターナショナルを設立 1989年 東京電力HD テプコケーブルテレビを設立 1971年 東京電力HD 福島第一原発の建設:原子力を主力電源に据える選択と、その第一号機の実現 1971年 東京電力HD 福島第一原子力発電所1号機営業運転開始 1963年 東京電力HD 姫川電力を子会社化 1955年 東京電力HD 火主水従への転換:水力中心の電源構成を改め、火力を基幹に据えた供給体制の組み替え
- 日本触媒 2021年 日本触媒 最終赤字108億円に転落 2019年 日本触媒 三洋化成工業との統合破談:最終契約まで結びながら実現しなかった共同株式移転による経営統合 2017年 日本触媒 SAPの収益性が低下。サバイバルPJを開始 2015年 日本触媒 高吸水性樹脂の増産を決定 2014年 日本触媒 吹田工場を閉鎖(研究拠点として継続活用) 2012年 日本触媒 姫路製造所の爆発事故対応:アクリル酸プラントの全面停止と、社是を最上位に据え直した安全管理の立て直し 2004年 日本触媒 シンガポール・アクリリック等2社を取得 1999年 日本触媒 ベルギーに子会社を設立 1983年 日本触媒 姫路製造所で高吸水性樹脂(SAP)の製造を開始 1970年 日本触媒 SAP市場への後発参入:アクリル酸の国産化と後発参入を結び付けた原料一貫戦略の確立 1967年 日本触媒 川崎第二工場を新設 1959年 日本触媒 酸化エチレンの量産開始 1952年 日本触媒 半期赤字に転落。富士製鐵が救済 1944年 日本触媒 戦時下のフタル酸生産継続:爆発事故を越えて無水フタル酸の生産を守り抜いた残存者利益の確立
- リコー 2025年 リコー PFU株式の20%を追加取得し完全子会社化 2022年 リコー PFUを買収(840億円) 2019年 リコー エフィッシモ受け自社株買い:大株主の保有目的転換を受けた大型自社株買いと資本効率重視への旋回 2018年 リコー IKON等の減損1,759億円の一括計上 2011年 リコー HOYAからペンタックス買収:祖業のカメラを外から補い、品ぞろえと技術を埋める選択 2008年 リコー IKON Office Solutions買収 2001年 リコー LANIER WORLDWIDEを買収 1995年 リコー GESTETNER HOLDINGSを買収 1991年 リコー CRP(リストラプログラム)の発表 1980年 リコー 自社ブランド輸出を開始 1978年 リコー 35歳能力主義を導入 1965年 リコー 無配転落と不良資産の一括処理 1955年 リコー リコピーによる市場参入:複写機を足がかりに据えた事務機市場への本格的な進出 1936年 リコー 市村清への経営一任:感光紙部門の分離独立と、一人の男に全てを預けた経営の委託
- NISSHA 2025年 NISSHA 滋賀県製薬を買収 2024年 NISSHA Isometric Intermediate LLCを買収 2020年 NISSHA オリンパスグループの医療機器ノーウォーク工場を資産買収 2018年 NISSHA 情報コミュニケーション事業を共同印刷へ譲渡契約締結 2016年 NISSHA グラフィックコントロールズの買収:メディカルへの事業転換 — Graphic Controls 買収に始まるCDMOシフト 2015年 NISSHA Nissha Luxembourg買収によりAR Metallizing系を子会社化 2013年 NISSHA フィルムタッチセンサー投資:スマートフォン向け部材に単年274億円を投じる一点集中の設備投資 2007年 NISSHA Nissha USAが米Eimo Technologiesを買収 1999年 NISSHA ナイテック工業を設立 1987年 NISSHA 名古屋営業所を開設 1969年 NISSHA 東京証券取引所市場第二部に株式上場 1949年 NISSHA 大阪出張所を開設
- 楽天G 2025年 楽天G 楽天モバイルがEBITDA黒字化達成 2022年 楽天G 楽天証券HDとみずほ証券が資本業務提携 2022年 楽天G 純損失▲3,728億円 2019年 楽天G "楽天モバイル"MNOサービス開始 2017年 楽天G 完全仮想化でMNO参入:既存3社に挑む第4の携帯事業者としての自前網の構築 2014年 楽天G Ebatesを子会社化 2009年 楽天G 楽天証券への業務停止命令:三年半に三度の行政処分を招いたシステム障害の再発と、子会社の管理体制の立て直し 2008年 楽天G イーバンク銀行を傘下化:200億円の出資による銀行の取り込みと、金融事業の中核への据え直し 2004年 楽天G あおぞらカード買収:カード会社の取得による個人金融事業への参入と、後の自社ブランド化 1997年 楽天G 興銀出身者が仮想商店街創業:銀行を辞した31歳が月5万円で始めたインターネット上の商店街
- パイオニア 2025年 パイオニア 台湾企業がパイオニアを買収 2018年 パイオニア ベアリングPE傘下で再建:上場廃止と引き換えに外部資本を受け入れる、時間を買う立て直し 2015年 パイオニア ホームAV・電話機事業をオンキヨーへ譲渡 2010年 パイオニア 三菱電機と資本提携契約を締結 2009年 パイオニア シャープと光ディスク事業の合弁を開始 2007年 パイオニア シャープと資本提携:同業大手からの出資受け入れと、業務面まで踏み込んだ関係の構築 2004年 パイオニア NECのプラズマ事業買収:規模拡大への賭けと、それと重なったデジタル家電の価格急落 1997年 パイオニア プラズマディスプレイ(PDP)を独自開発。静岡工場で量産開始 1991年 パイオニア LDでカラオケ用途を開拓 1982年 パイオニア 石塚庸三氏の急逝と松本誠也氏への継承:トップの突然の不在を埋めるための緊急の経営体制の引き継ぎ 1980年 パイオニア LDプレーヤーVP-1000発表:レーザーディスク事業への集中投資と、映像メディアへの進出 1979年 パイオニア 外部人材で経営体制を刷新:スカウトによる幹部登用と、生え抜きに頼らない経営体制への転換 1966年 パイオニア U.S. Pioneer Electronics Corp.を設立 1955年 パイオニア テレビ製造に参入(のちに撤退) 1947年 パイオニア 福音電機を設立
- 丸井 2020年 丸井 D2C&Co.を設立 2015年 丸井 定期借家方式への切り替え:消化仕入れから定期借家への小売業態転換と「売らない店」への転換 2012年 丸井 大規模異動を実施・カード事業を強化 2011年 丸井 不採算店舗の整理・最終赤字に転落 2006年 丸井 エポスカードで金融転換:グレーゾーン金利への依存からの脱却と、カード事業を軸とした業態の組み替え 2006年 丸井 改正貸金業法により財務体質が悪化 2003年 丸井 希望退職700名と成果主義導入:組織制度改革——希望退職・成果主義・システム刷新の同時断行と撤回 1993年 丸井 減収決算により連続増収増益がストップ。業績低迷へ 1981年 丸井 キャッシングに新規参入 1980年 丸井 DCブランドの取り込み:若者向けファッションへの品ぞろえ転換 1974年 丸井 クレジットカードの店舗即時発行を開始 1962年 丸井 都心部に大型店を出店 1960年 丸井 店舗専用のクレジットカードを発行 1945年 丸井 中国人が中野店を不法占拠
- 日清製粉G本社 2023年 日清製粉G本社 初の親会社純損失を計上 2019年 日清製粉G本社 豪アライド・ピナクル買収:豪州事業の取り込みによる海外展開と、3年後の大型減損 2012年 日清製粉G本社 米国製粉会社Miller Milling Company LLCを買収 2008年 日清製粉G本社 杏林製薬に合併し撤退:5本柱の一角だった医薬事業を合弁相手へ託して畳む決着 2001年 日清製粉G本社 日清製粉グループ本社へ移行:全事業を分社して事業会社と切り離す、純粋持株会社体制への移行 1999年 日清製粉G本社 日清テクノミックを吸収合併 1989年 日清製粉G本社 ロジャーズフーズ社を買収 1987年 日清製粉G本社 日清フーズ・日清化学を吸収合併 1972年 日清製粉G本社 日清エンジニアリングを設立 1961年 日清製粉G本社 配合飼料事業に参入 1957年 日清製粉G本社 製粉設備をニューマティック方式に近代化 1945年 日清製粉G本社 空襲で5工場が焼失 1908年 日清製粉G本社 旧日清製粉を合併し社名を継承
- アスクル 2024年 アスクル 物流センター「ASKUL関東DC」を開設 2019年 アスクル ヤフーへの提携解消申入れと社長再任否決:支配株主の要求の拒絶による独立性の選択と、創業社長・独立社外取締役3名の退任 2019年 アスクル 現任取締役全員の再任を決議 2012年 アスクル ヤフーと資本業務提携 2012年 アスクル 一般消費者向け通信販売サイト「LOHACO(ロハコ)」サービス開始 2001年 アスクル EC期待による株高の反動:株価の急落を受けた、岩田彰一郎社長による原点への引き返し 2000年 アスクル JASDAQ上場のEC先駆モデル:インターネット受注に絞った法人向け販売モデルの確立 1997年 アスクル インターネットによる受注を開始 1997年 アスクル プラスよりアスクル事業の営業を譲受け、本社を開設し営業を開始 1986年 アスクル 埼玉シルバー精工をプラス工業に商号変更 1963年 アスクル プラスの全額出資でプラス工業を設立
- SBSHD 2025年 SBSHD 3PL企業持株会社Blackbird Logistics B.V.の株式取得 2020年 SBSHD 東芝ロジスティクスの株式取得 2018年 SBSHD リコーロジスティクス取得:大企業の物流子会社を引き受ける連続買収と、2030年度に売上高7,000億円を掲げた成長構想 2012年 SBSHD ゼロの株式取得 2004年 SBSHD 雪印物流・東急ロジスティック買収:大企業が切り出すノンコア物流子会社の引受先という成長モデルの確立 2004年 SBSHD エスビーエスを純粋持株会社に移行 2003年 SBSHD メール便事業の売却:祖業の売却による3PL特化と、荷主の物流を一括して請け負う側への転換 1999年 SBSHD 商号をエスビーエスに変更 1989年 SBSHD 商号を総合物流システムに変更
- GSユアサ 2024年 GSユアサ GSユアサがLEJの事業を譲受 2023年 GSユアサ ホンダと合弁でHonda・GS Yuasa EV Battery R&D(HGYB)を設立 2016年 GSユアサ パナソニック鉛電池事業を譲受:製造会社ごと引き取る形での取り込みと、国内鉛蓄電池事業の集約 2012年 GSユアサ LEJ第一工場棟を建設・生産開始 2009年 GSユアサ 本田技研とブルーエナジー設立:完成車メーカーとの過半出資合弁による車載用リチウムイオン電池事業への参入 2007年 GSユアサ 三菱商事・三菱自動車と合弁でリチウムエナジージャパン(LEJ)を設立 2004年 GSユアサ 日本電池・ユアサ統合:株式移転による経営統合と、高槻事業所の閉鎖・希望退職を伴う減産 1975年 GSユアサ 岡田辰三氏が会長、坂田基重氏が社長に就任 1965年 GSユアサ 藤沢工場が竣工し自動車用電池の一貫生産工場として操業を開始 1928年 GSユアサ 米国USL社へ島津式亜酸化鉛粉製造法の特許権を譲渡 1920年 GSユアサ 島津源蔵が島津式鉛粉製造法を発明し特許を出願
- 野村HD 2025年 野村HD マッコーリー・グループのアセットマネジメント事業を買収発表 2024年 野村HD 子会社で決済不履行による貸倒引当を計上 2019年 野村HD 国内店舗の2割削減:対面営業モデルの転換と、ウェルス・マネジメントへの構造改革 2019年 野村HD 海外ホールセール不振で純損失計上 2012年 野村HD 永井浩二氏が社長に就任 2009年 野村HD 金融危機とリーマン統合費用で巨額純損失 2008年 野村HD リーマン・ブラザーズ承継:アジア太平洋・欧州中東部門の引き受けによるグローバル投資銀行への転身 2001年 野村HD 持株会社体制に移行し野村HDに商号変更 1997年 野村HD 総会屋事件で酒巻英雄辞任:再発と、氏家純一社長による二度目の企業統治改革 1991年 野村HD 損失補填による引責辞任:損失補填の証券不祥事を受けた「新生・野村」への機構改革 1981年 野村HD NSIがニューヨーク証券取引所会員権を取得 1969年 野村HD ノムラ・セキュリティーズ・インターナショナルを設立 1959年 野村HD 日本証券会社初の海外引受団参加 1941年 野村HD わが国最初の投資信託業務の認可を取得
- パン・パシフィック・インターナショナルHD 2025年 パン・パシフィック・インターナショナルHD 社長交代を発表 2025年 パン・パシフィック・インターナショナルHD 長期経営計画「Double Impact 2035」を策定 2024年 パン・パシフィック・インターナショナルHD 連結売上高が2兆円を突破 2023年 パン・パシフィック・インターナショナルHD 大型複合施設「道玄坂通 dogenzaka-dori」を開業 2019年 パン・パシフィック・インターナショナルHD ユニーの完全子会社化:PPIHへの改称——総合スーパー大手を呑み2兆円企業 2019年 パン・パシフィック・インターナショナルHD パン・パシフィック・インターナショナルHDに商号変更 2019年 パン・パシフィック・インターナショナルHD 吉田直樹氏が社長兼CEOに就任 2014年 パン・パシフィック・インターナショナルHD 自社発行型電子マネー「majica」のサービスを開始 2013年 パン・パシフィック・インターナショナルHD 純粋持株会社体制に移行 2009年 パン・パシフィック・インターナショナルHD プライベートブランド「情熱価格」を発売 2007年 パン・パシフィック・インターナショナルHD 長崎屋を買収しGMS参入:食品・大型店への進出と、MEGAドン・キホーテ業態の母胎づくり 2006年 パン・パシフィック・インターナショナルHD THE DAI'EI(USA),INC.・Oriental Seafoods,Inc.を子会社化 1997年 パン・パシフィック・インターナショナルHD 都市型の深夜営業店へ転換:郊外型ディスカウントストアからの決別と深夜営業への賭け 1995年 パン・パシフィック・インターナショナルHD ドン・キホーテに商号変更 1989年 パン・パシフィック・インターナショナルHD 主たる事業形態を小売業に変更 1988年 パン・パシフィック・インターナショナルHD 府中に1号店を開設:現金問屋からディスカウント小売への業態転換 1980年 パン・パシフィック・インターナショナルHD ジャストを設立
- スズキ 2024年 スズキ 新工場を計画 2019年 スズキ トヨタ自動車と資本提携 2018年 スズキ 燃費・完成検査不正:二度にわたる測定データの偽装の発覚と、再発防止に投じた1,700億円 2014年 スズキ Suzuki Motor Gujarat Private Ltd.を設立 2009年 スズキ フォルクスワーゲン提携解消:独最大手との資本提携と、一年九カ月で終わった蜜月の終幕 2002年 スズキ マルチ社を子会社化・増産投資 2000年 スズキ GMがスズキへ追加出資 1997年 スズキ マルチ・ウドヨグ人事紛争:合弁の社長人事を巡るインド政府との対立と、国際仲裁への持ち込み 1982年 スズキ インド国営企業マルチに出資 1981年 スズキ GM・いすゞとの提携:3社連合に加わりながら、小規模な経営体制を保ち続ける選択 1979年 スズキ 軽自動車「アルト」を発売 1965年 スズキ 船外機部門に参入 1955年 スズキ 軽四輪乗用車を発売(国内軽自動車の先鞭) 1952年 スズキ 二輪車に参入・パワーフリー号を発売 1949年 スズキ 東京証券取引所に株式上場
- コマツ 2022年 コマツ コマツキャブテックを吸収合併 2017年 コマツ 米ジョイ・グローバル買収:米鉱山機械大手の取り込みによる製品群のフルライン化 2014年 コマツ コマツディーゼルを吸収合併 2006年 コマツ コマツ電子金属の株式の過半をSUMCOに譲渡 2001年 コマツ 「ダントツ経営」への転換:新体制が進めた経営構造改革とV字回復 2001年 コマツ ダントツ経営で構造改革に着手 1999年 コマツ コマツ電子金属へ巨額投資:建設機械以外へ広げた多角化の拡大と、初の連結赤字への転落 1995年 コマツ 安崎暁氏が社長に就任 1989年 コマツ 片田哲也氏が社長に就任 1987年 コマツ 田中正雄氏が社長に就任 1970年 コマツ 小松アメリカを設立。海外輸出に注力 1968年 コマツ 油圧ショベルに参入:後発での参入と、直販網で挑んだ総合建機化 1964年 コマツ 河合良一氏が社長に就任 1961年 コマツ マルA対策で品質集中:資本自由化に備えてキャタピラーへの正面対抗を掲げた全社運動 1956年 コマツ ブルドーザーへ転換:砲弾生産への依存を断ち切る建設機械への業態転換 1947年 コマツ 占領軍のガソリン供給停止命令を受け、農林省がトラクター発注を白紙撤回。経営危機へ 1947年 コマツ 河合良成氏が社長就任
- クラレ 2025年 クラレ クラレクラフレックスを吸収合併 2023年 クラレ ブタジエン誘導品の生産開始 2018年 クラレ 米カルゴン・カーボン取得:環境ソリューションを第3の柱に据える事業構成の組み替え 2018年 クラレ 米国工場で火災事故・訴訟により巨額賠償 2014年 クラレ DuPontからビニルアセテート関連事業を買収 2004年 クラレ HT Troplast AGからPVBフィルム事業を買収 2001年 クラレ クラリアントから事業取得:祖業レーヨンの生産停止と、ポバール・PVB事業への軸足の移し替え 2001年 クラレ スイスClariant AGからポバール・PVB事業を買収 1994年 クラレ 非繊維事業への構造転換:繊維に依存しない収益源を広げ、不況に揺るがない体質をつくる事業構成の組み替え 1989年 クラレ 協和ガス化学工業を吸収合併 1972年 クラレ 岡山工場でエバールの生産開始 1964年 クラレ 倉敷工場で人工皮革「クラリーノ」の生産開始 1950年 クラレ ビニロンの企業化:国産技術の合成繊維をポバールから一貫して作る体制の立ち上げ 1949年 クラレ 倉敷レイヨンに商号変更
- ディップ 2022年 ディップ プライム市場に移行 2019年 ディップ AI・RPA事業「コボット」展開:求人広告一本だった事業への、採用後の業務までを担う領域の拡張 2013年 ディップ 東京証券取引所市場第一部に指定替え 2003年 ディップ ヤフー依存からの脱却:提携解消の通告を受けた上場の辞退と、一本足の集客からの離脱 2002年 ディップ 新サイト「バイトルドットコム」を開始 1998年 ディップ IBMとの提携で人材事業開始:端末は相手方、中身は自社という分担で始めた人材情報事業の立ち上げ 1998年 ディップ コンビニ端末での情報提供サービスを開始 1997年 ディップ ディップを設立
- リロG 2025年 リロG アンサーHDを持分法適用会社化 2024年 リロG 日本ハウズイングの株式を売却し非関連会社化 2024年 リロG SIRVA-BGRS Holdings, Inc.の株式を売却し非関連会社化 2019年 リロG BGRSの買収と撤退:グローバルリロケーション事業への参入と、5年での撤退 2014年 リロG パナソニック エクセルインターナショナルを子会社化 2002年 リロG リロケーション・ジャパン転貸開始:借上社宅の転貸事業への進出 2001年 リロG 持株会社体制へ移行しリロ・ホールディングに商号変更 2000年 リロG 「リロネット」開始・福利厚生倶楽部中国を設立 1993年 リロG 「福利厚生倶楽部」開始:企業の福利厚生を代行する新事業による、第二の収益源づくり 1989年 リロG Relocation International (U.S.A) Inc.を設立 1979年 リロG 三井物産の国内・海外転勤者の留守宅管理を開始 1969年 リロG 日本住建に商号変更
- 関西電力 2026年 関西電力 「関西電力グループ 経営計画2026」を策定 2023年 関西電力 原子力プラント7基体制を実現 2022年 関西電力 新電力の顧客情報の不正閲覧が発覚 2019年 関西電力 森山栄治氏からの金品受領:役員らの金品受領問題の露見と、第三者委員会設置・指名委員会等設置会社移行によるガバナンス再建 2019年 関西電力 八木誠氏ら取締役2名が辞任 2016年 関西電力 高浜発電所3・4号機が再稼働 2013年 関西電力 電気料金を平均9.75%値上げ 2012年 関西電力 原子力の停止により過去最大の経常赤字を計上 2009年 関西電力 初の経常赤字を計上 2005年 関西電力 原子力安全・保安院の調査委員会が最終報告書を公表 2004年 関西電力 美浜3号機の配管破損事故:全原発停止に至った安全対策の見直しと、保守を担うサポート子会社の再編 1996年 関西電力 初めて電気卸の入札を実施 1995年 関西電力 阪神・淡路大震災の被災地で応急送電が完了 1991年 関西電力 美浜2号機の細管破断事故:事故を受けた自主保安体制の立て直し 1987年 関西電力 芦原義重氏を取締役から解任 1984年 関西電力 核燃料サイクル3施設の立地を申し入れ 1973年 関西電力 電灯15.8%・電力35.2%の値上げを申請 1970年 関西電力 美浜発電所1号機が営業運転を開始 1966年 関西電力 美浜発電所1号機の建設に着手 1963年 関西電力 黒部川第四発電所が竣工 1957年 関西電力 原子力部を設置 1951年 関西電力 電気事業再編成令により発足
- ツムラ 2022年 ツムラ プライム市場に移行 2017年 ツムラ 中国平安保険との資本提携:第三者割当による外資の筆頭株主化と、業務面まで含めた協業関係の構築 2017年 ツムラ 第三者割当により平安人寿保険が筆頭株主に 2008年 ツムラ ツムラライフサイエンス売却:家庭用品事業からの撤退と、子会社を切り出す形での事業整理 1995年 ツムラ 多角化子会社の整理:バブル期に広げた裾野の縮小と、創業家の外からの社長招聘 1995年 ツムラ 多角化子会社の整理に着手 1982年 ツムラ 東京証券取引所市場第一部銘柄に指定 1976年 ツムラ 医療用漢方製剤が健康保険に採用、薬価収載され発売 1964年 ツムラ 静岡工場を新設、目黒工場より移転 1936年 ツムラ 婦人薬中将湯・浴用剤バスクリンの製造販売を開始
- パーク24 2022年 パーク24 新株式の発行により総額251億円を調達 2017年 パーク24 英NCPの海外駐車場買収:豪SECURE PARKINGの5カ国事業を含む連続取得による海外事業の確立 2017年 パーク24 NCP(NATIONAL CAR PARKS)の持株会社の株式を取得 2011年 パーク24 持株会社的構造への移行を伴う分社型会社分割を実施 2009年 パーク24 マツダレンタカー取得:レンタカー事業の取り込みによるモビリティ事業への参入 1991年 パーク24 タイムズ運営への転換:駐車場機器の販売代理店から無人時間貸駐車場の運営者への転身 1985年 パーク24 パーク二四を設立
- ファミリーマート 2020年 ファミリーマート 伊藤忠商事による公開買付けと株式併合を経て東京証券取引所の上場を廃止 2019年 ファミリーマート ユニー全株式をパン・パシフィック・インターナショナルHDに譲渡 2019年 ファミリーマート 子会社ファミリーマートを吸収合併し商号をファミリーマートに変更 2016年 ファミリーマート ユニーグループの吸収合併:サークルK・サンクスの自社ブランドへの一本化と店舗網の統合 2010年 ファミリーマート エーエム・ピーエム・ジャパンを吸収合併 2009年 ファミリーマート am/pmジャパンの買収:買収による店舗網の取り込みと、自社ブランドへの看板の一本化 2004年 ファミリーマート 中国・上海市に上海福満家便利を設立し中国本土に出店 1998年 ファミリーマート 伊藤忠商事グループ入り:西友による1,350億円での保有株譲渡と、親会社の交代 1988年 ファミリーマート 台湾に全家便利商店を設立し海外初出店 1981年 ファミリーマート 西友ストアーから営業譲渡を受けた休眠会社ジョナスがファミリーマートに商号変更 1978年 ファミリーマート 西友ストアーがフランチャイズ方式でコンビニエンスストア事業を開始
- オンキヨー 2022年 オンキヨー 大阪地方裁判所へ破産手続開始を申し立て 2021年 オンキヨー 上場廃止 2019年 オンキヨー 米Sound Unitedへホームav事業譲渡に合意(同年10月に中止) 2019年 オンキヨー Sound United へのホームAV事業譲渡が中止 2015年 オンキヨー パイオニアAV事業の取得:年商352億円・営業損失49億円の事業の、自社株の割当と現金16億円での引き受け 2012年 オンキヨー 米 Gibson Guitar と資本業務提携 2010年 オンキヨー 単独株式移転により持株会社を設立 2007年 オンキヨー ソーテックの子会社化:パソコン事業への参入と、量販店向け販売からの撤退 1993年 オンキヨー 東芝との資本提携解消:36年に及ぶ親会社の傘からの離脱と、大朏直人氏個人による株式取得での独立 1989年 オンキヨー 生産会社 ONKYO (MALAYSIA) SDN. BHD. を設立 1979年 オンキヨー 生産会社 ONKYO AMERICA, INC. を設立 1969年 オンキヨー 日新工場を新設 1957年 オンキヨー 東芝と資本提携 1946年 オンキヨー 五代武氏が大阪電気音響社を設立
- コムシスHD 2024年 コムシスHD 第4代社長 田辺博就任 2018年 コムシスHD NDS等3社を子会社化:株式交換による3社同時の完全子会社化と全国体制の確立 2010年 コムシスHD つうけんを株式交換で完全子会社化 2003年 コムシスHD 3社統合でコムシスHD設立:3社の株式移転による持株会社体制への移行 1997年 コムシスHD 受注高・完成高が2,000億円を突破 1982年 コムシスHD 日本通信建設が光ファイバー参入:光ファイバーケーブル工事への早期参入 1972年 コムシスHD 東京・大阪両証券取引所第1部に上場 1965年 コムシスHD 初の海外工事を受注(バンコク) 1959年 コムシスHD 受注工事高が100億円を突破 1947年 コムシスHD 三和電氣興業を設立
- オービックビジネスコンサルタント 2025年 オービックビジネスコンサルタント 「奉行AIエージェント 新リース会計識別クラウド」の発売 2022年 オービックビジネスコンサルタント 「奉行V ERPクラウド」の発売 2018年 オービックビジネスコンサルタント 「奉行クラウド」投入:完全SaaS型への移行による、買い切り型から継続収益型への収益構造の入れ替え 2014年 オービックビジネスコンサルタント 日本マイクロソフトとの基幹業務システムのクラウド運用での協業 2007年 オービックビジネスコンサルタント 統合基幹業務システム「奉行V ERPシリーズ」の発売 2001年 オービックビジネスコンサルタント 2001年3月期の減収、売上高109億円 2000年 オービックビジネスコンサルタント 新ERP開発へ全面転換:インターネット対応製品への新規開発資源の全面振替と、2005年3月期235億円の計画 1993年 オービックビジネスコンサルタント 業務ソフト「奉行シリーズ」の発売 1983年 オービックビジネスコンサルタント 業務ソフト「TOPシリーズ」の発売 1980年 オービックビジネスコンサルタント 沖電気の資金で会計ソフト設立:公認会計士業からの転身と、得た1億円の製品開発への全額投入
- FUJI 2025年 FUJI 福岡営業所を開設 2024年 FUJI 岡崎工場の一部を建替えて新工場棟を建設 2018年 FUJI ファスフォードテクノロジ買収:商号の「FUJI」への変更 2013年 FUJI 東京証券取引所一部に上場 2003年 FUJI 高速多機能装着機NXT開発:モジュール型を軸に据えた次世代機への設計転換 1995年 FUJI 子会社フジ ド ブラジルを設立 1981年 FUJI CP-1で実装機へ転換:工作機械専業から電子部品実装機への主力転換 1978年 FUJI 電子部品自動挿入機を完成 1967年 FUJI 大型トランスファーラインを完成 1959年 FUJI 富士機械製造を設立
- モスフードサービス 2026年 モスフードサービス モスクレジットを吸収合併 2022年 モスフードサービス プライム市場に移行 2018年 モスフードサービス O121食中毒事故の公表:腸管出血性大腸菌による健康被害の自主開示と、全店の衛生総点検 2018年 モスフードサービス 営業自粛と全店の衛生総点検を実施 2012年 モスフードサービス 大韓民国におけるモスバーガー1号店「チャムシルロッテ店」オープン 2008年 モスフードサービス ダスキンと資本・業務提携契約を締結 2006年 モスフードサービス サングレイスへの資本参加:農業生産法人産地合弁への参入 1991年 モスフードサービス 台湾におけるモスバーガー1号店「新生南路店」オープン 1985年 モスフードサービス 吉野祥の急死後に株式公開:盟友の急死を機に決めた株式公開と東証二部上場 1973年 モスフードサービス フランチャイズ1号店「新瑞店」(愛知県)オープン 1972年 モスフードサービス モスバーガー1号店「成増店」(東京都)オープン
- 加賀電子 2022年 加賀電子 加賀エアロシステムを設立 2019年 加賀電子 十和田パイオニアを子会社化 2018年 加賀電子 富士通エレクトロニクス買収:取得原価154億円で引き受けた株式70%と、売上5,000億円級グループへの規模拡大 2013年 加賀電子 本社ビルを取得(竣工) 2009年 加賀電子 英・チェコに新会社設立:金融危機を「創業以来、最大のチャンス」と読み、M&Aと海外拠点を同時に増やした方針 2008年 加賀電子 エー・ディ・エムを株式公開買付により子会社化 1999年 加賀電子 エー・ディーデバイスを子会社化 1985年 加賀電子 東証二部への株式上場:店頭登録から1年での東証二部上場と、無借金・在庫レス経営の公開 1968年 加賀電子 電子機器・電子部品販売を目的として設立
- ユキグニファクトリー 2025年 ユキグニファクトリー ユキグニファクトリーに商号変更 2023年 ユキグニファクトリー きのこ生産会社Oakfield Champignonsの全株式を取得 2020年 ユキグニファクトリー カット野菜と納豆の製造出荷を終了 2019年 ユキグニファクトリー タカラバイオから瑞穂農林ときのこセンター金武を取得 2017年 ユキグニファクトリー 神明がベインキャピタルから株式49%を取得 2015年 ユキグニファクトリー ベインのTOBで上場廃止:投資ファンドの公開買付けへの賛同と、東証二部からの退出 2013年 ユキグニファクトリー 創業者の大平喜信氏が代表取締役を辞任 2002年 ユキグニファクトリー 五泉バイオセンター新設:競合主力のぶなしめじ・エリンギへの参入と生産拠点の増設 1997年 ユキグニファクトリー 健康維持食品「MDフラクション」の製造販売を開始 1990年 ユキグニファクトリー 大平もやし店の営業権を譲受、もやしの生産販売を開始 1983年 ユキグニファクトリー 雪国まいたけ設立:太もやしの過当競争を経ての量産参入
- S Foods 2022年 S Foods 東京証券取引所プライム市場に移行 2015年 S Foods AURORA PACKING買収:買収による米国食肉処理拠点の二か所化と、現地生産体制の拡張 2014年 S Foods グリコハムの全株式を取得 2005年 S Foods FREMONT BEEF COMPANYの株式を丸紅等から譲受け完全子会社化 2004年 S Foods ムラチクの完全子会社化:株式交換で全株を取り込んだうえでの、本体への吸収合併 1999年 S Foods 東京証券取引所市場第二部に上場 1989年 S Foods FREMONT BEEF設立:丸紅らとの合弁による、米ネブラスカ州への現地拠点の設置 1982年 S Foods 牛内臓肉製品「こてっちゃん」を発売 1972年 S Foods 米国から内臓肉(牛上みの)の開発輸入に成功 1967年 S Foods スタミナ食品を設立し内臓肉の販売を開始
- THK 2025年 THK THK LM SYSTEM THAILANDを設立 2024年 THK 寺町崇史氏が代表取締役社長に就任、寺町彰博氏は代表取締役会長CEOへ 2015年 THK TRWのL&S事業譲受:欧米にまたがる事業の引き受けによる海外基盤の獲得 2012年 THK ボールジョイント製造開発部門をTHKリズムに会社分割で統合 2007年 THK リズム買収で輸送機器参入:同業の買収を足がかりとした新たな事業領域への進出 1998年 THK リニアモータ製造販売を開始 1989年 THK 株式の店頭公開:公開市場からの資金調達に踏み切り、世界市場を狙う体制づくり 1985年 THK 東洋精工を吸収合併し三重工場・山口工場を新設 1979年 THK ボールねじ製造販売を開始 1977年 THK テーエチケーから製造部門を買収し甲府工場に
- 栗田工業 2020年 栗田工業 ペンタゴン・テクノロジーズ・グループ他2社を子会社化 2019年 栗田工業 U.S.ウォーター・サービス,Inc.他3社を買収 2015年 栗田工業 独BKギウリニの取得:欧州の水処理薬品事業の丸ごとの譲り受けと、続く北米買収による海外事業の拡大 2013年 栗田工業 伊藤忠商事との業務提携を解消 2006年 栗田工業 し尿処理談合で官公需撤退:入札談合の摘発を受けた官公需の建設工事事業からの全面撤退 1998年 栗田工業 事業開発センターを建設 1985年 栗田工業 総合研究所を新築移転 1978年 栗田工業 東日本向けに東京水処理管理を設立 1967年 栗田工業 伊藤忠商事による経営再建:粉飾決算の露見と、増資引受を受け入れての再出発 1965年 栗田工業 伊藤忠商事と業務提携 1954年 栗田工業 水処理装置の製造販売を開始 1949年 栗田工業 栗田工業を設立
- TOYOTIRE 2024年 TOYOTIRE セルビア共和国に欧州販売会社「Toyo Tire Sales and Marketing Europe」を設立 2018年 TOYOTIRE 三菱商事と資本業務提携:総合商社を筆頭株主に迎える資本の受け入れと、TOYO TIREへの改称 2011年 TOYOTIRE 中国・山東省の自動車タイヤ製造・販売会社を子会社化 2008年 TOYOTIRE ブリヂストンと資本提携:業界首位を相手にした業務提携と、対等ではない株式の持ち合い 2004年 TOYOTIRE 自動車タイヤ生産子会社「Toyo Tire North America」を設立 1998年 TOYOTIRE 伊丹工場の生産部門を桑名工場へ統合し伊丹工場を閉鎖 1996年 TOYOTIRE 菱東タイヤを吸収合併 1987年 TOYOTIRE 台湾・正新橡膠工業と合弁で「洋新工業」を設立 1979年 TOYOTIRE 日東タイヤと業務全般で提携 1966年 TOYOTIRE 「Toyo Tire (U.S.A.) Corp.」を設立 1955年 TOYOTIRE 東京証券取引所に上場 1945年 TOYOTIRE 平野護謨と合併し発足:ゴム二社が一つとなり、東洋ゴム化工から東洋ゴム工業へと改まった出発点
- 協和キリン 2024年 協和キリン Orchard Therapeutics plcを買収 2019年 協和キリン キリンHDへ株式譲渡:バイオ子会社株式95%の切り出しによる医薬事業への一本化 2011年 協和キリン ProStrakan Group plcを買収 2008年 協和キリン キリンHDの傘下入り:同じ傘下の医薬品会社との統合による医薬への事業の集約 1991年 協和キリン 高血圧症・狭心症治療剤「コニール」を発売 1983年 協和キリン 加藤弁三郎会長が逝去 1967年 協和キリン 4事業部体制(医薬品・酒類・化学品・食品) 1951年 協和キリン メルク社と提携・結核治療薬「ストレプトマイシン」の製造を開始 1936年 協和キリン 協和化学研究所を発足
- 三越伊勢丹HD 2025年 三越伊勢丹HD 営業利益763億円と再び最高益更新 2021年 三越伊勢丹HD 初の営業赤字計上 2017年 三越伊勢丹HD 杉江俊彦氏が社長昇格:大西洋社長の退任を受けた社内からの後任のトップ選出 2011年 三越伊勢丹HD 三越と伊勢丹が合併し「三越伊勢丹」を発足 2009年 三越伊勢丹HD 初の純損失計上 2008年 三越伊勢丹HD 伊勢丹と三越が経営統合:共同持株会社の設立による百貨店同士の統合と、比率に表れた力関係
- コニカミノルタ 2025年 コニカミノルタ Ambry Genetics社の全株式譲渡が完了 2025年 コニカミノルタ グローバル構造改革を完遂、24年3月末から人員約5,200人減少 2023年 コニカミノルタ FY22は売上1兆1304億円に回復するも当期純損失▲1031億円 2017年 コニカミノルタ 米アンブリー・ジェネティクス買収:巨額の買収を対価として得た、がん遺伝子診断への本格進出 2014年 コニカミノルタ 社長交代:松﨑正年→山名昌衛 2008年 コニカミノルタ Konica Minolta Business Solutions USAが米Danka Office Imaging Companyを買収 2007年 コニカミノルタ フォト事業から撤退 2003年 コニカミノルタ ミノルタとの経営統合:株式交換方式の採用と、両社を束ねる持株会社の設立
- レーザーテック 2025年 レーザーテック 売上高2,514億円・営業利益1,228億円で過去最高更新 2024年 レーザーテック 社長交代と仙洞田体制への移行 2017年 レーザーテック ABICS E120を世界初開発:EUVマスク検査装置への集中開発と、他社にない供給体制の確立 2011年 レーザーテック EUV検査装置の開発決断 2009年 レーザーテック 液晶撤退とEUV検査集中:売上の半分を占めた主力事業を切り、半導体分野への一点張り 2000年 レーザーテック マスクブランクス欠陥検査装置MAGICSシリーズ初代機を開発 1994年 レーザーテック 位相シフト量測定装置MPM100を世界初開発(業界標準機に) 1980年 レーザーテック 自社製品100%を達成(下請けからの完全脱却) 1975年 レーザーテック 半導体フォトマスク検査への参入 1960年 レーザーテック X線テレビ開発での独立創業
- ケイアイスター不動産 2025年 ケイアイスター不動産 売上高3425億・経常利益151億で売上は過去最高 2020年 ケイアイスター不動産 Casa roboticsを設立 2016年 ケイアイスター不動産 よかタウンを子会社化 2015年 ケイアイスター不動産 地場住宅会社を連続買収:東証2部への上場と1年での1部指定、調達資金を同業の取り込みに振り向けた全国展開 2015年 ケイアイスター不動産 「はなまるハウス」でよかタウンと第一号となるフランチャイズ契約を締結 2009年 ケイアイスター不動産 「はなまるハウス」投入:世帯収入300万〜500万円台の一次取得層に向けた規格型注文住宅への品揃え拡張 2007年 ケイアイスター不動産 ストーリーハウス・ケイアイスター不動産販売・アトム社ほか4社を吸収合併 1998年 ケイアイスター不動産 グランビルホームをケイアイコーポレーションに商号変更
- 九州旅客鉄道 2024年 九州旅客鉄道 「JR九州ホテルズアンドリゾーツ」に商号変更・吸収合併完了 2022年 九州旅客鉄道 東京証券取引所プライム市場へ移行 2019年 九州旅客鉄道 中間持株会社「JR九州駅ビルHD」設立 2016年 九州旅客鉄道 経営安定基金の取崩しと上場:鉄道資産の一括減損を先に済ませ、自立を前提に踏み切った東証一部への株式公開 2004年 九州旅客鉄道 九州新幹線新八代〜鹿児島中央が開業 2004年 九州旅客鉄道 鹿児島本線八代〜川内を肥薩おれんじ鉄道へ移管 1996年 九州旅客鉄道 ジェイアール九州リーテイル設立:駅ビル・不動産・流通・介護へ広げた非鉄道事業の構築 1987年 九州旅客鉄道 経営安定基金3877億円で発足:国鉄分割民営化に伴う分離独立と、それを前提に組まれた事業設計
- 信越化学工業 2024年 信越化学工業 三益半導体工業を完全子会社化 2016年 信越化学工業 斉藤恭彦氏が社長就任:金川千尋氏からシンテック社長を経ての、二段階での承継 2010年 信越化学工業 金川千尋氏が会長に就任 2005年 信越化学工業 直江津工場でマスクブランクス製造を開始 1999年 信越化学工業 塩ビ合弁事業を買収 1990年 信越化学工業 シンテック方式の全社展開:「フル生産、全量販売」を旗印に据えた全社運営の切り替え 1990年 信越化学工業 「フル生産、全量販売」を全社方針に設定 1983年 信越化学工業 磯部工場で光ファイバー用プリフォームの製造を開始 1979年 信越化学工業 ダウコーニングとの合弁設立:共同出資で設立した半導体事業会社の、優先交渉権行使による全株取得 1976年 信越化学工業 シンテックの完全子会社化:テキサス立地を軸とした、原料から塩ビまでの自前での押さえ込み 1973年 信越化学工業 テキサスに塩ビ製造子会社シンテックを設立 1967年 信越化学工業 信越半導体を設立 1960年 信越化学工業 磯部工場で高純度シリコン「スーパー・シリコン」の製造を開始 1957年 信越化学工業 直江津工場で塩化ビニルの製造を開始 1953年 信越化学工業 GEとの提携でシリコーン事業化:技術提携を足がかりとした事業化と、肥料中心の売上構成の入れ替え 1949年 信越化学工業 東京証券取引所に株式上場
- アリアケジャパン 2019年 アリアケジャパン 米子会社をKerryへ譲渡:現地子会社の全株式売却による米国市場からの撤退 2013年 アリアケジャパン Ariake Europe N.V.がオランダのHenningsen Nederlandを買収 2007年 アリアケジャパン 九州第2工場の隣接地に新工場を新設 1996年 アリアケジャパン 液体エキス専用工場建設:年商の7割にあたる75億円を投じた専用設備への集中投資 1990年 アリアケジャパン 有明食品化工を吸収合併しアリアケジャパンに商号変更 1985年 アリアケジャパン カリフォルニア州に子会社ARIAKE U.S.A.を設立 1978年 アリアケジャパン 日本食資工業を設立 1968年 アリアケジャパン 畜産エキスの自社製造:アサリエキスの卸売からの離脱と、原料から作って売る側への転身
- 東海カーボン 2025年 東海カーボン 滋賀工場の黒鉛電極生産中止、Tokai Erftcarbonを譲渡 2024年 東海カーボン 純損失▲565億円、特別損失769億円 2018年 東海カーボン カーボンブラックメーカーSid Richardson Carbonを完全子会社化 2017年 東海カーボン 米SGL GE社を取得:アジア・北米・欧州にまたがる黒鉛電極3極体制の構築 2016年 東海カーボン 初の純損失▲79億円 2005年 東海カーボン 黒鉛電極製造販売会社ERFTCARBONを完全子会社化 1992年 東海カーボン 東洋カーボンと合併:同年創業の同業との合流による、炭素製品国内首位の総合メーカーへの再編 1988年 東海カーボン 工場集約化と合理化を敢行 1978年 東海カーボン 石巻工場新設 1960年 東海カーボン 米キャボット社と技術提携:カーボンブラック製造技術の導入と、知多工場の新設 1950年 東海カーボン 自社技術で日本初のファーネス式カーボンブラック製造 1941年 東海カーボン 九州若松工場でカーボンブラック製造を開始
- 日本航空電子工業 2025年 日本航空電子工業 京セラと資本業務提携 2024年 日本航空電子工業 日本電気持分の買い取りを目的とした自己株式の公開買付けを実施 2017年 日本航空電子工業 日本電気の子会社化:公開買付けによる、その他の関係会社から親会社への関係の転換 2012年 日本航空電子工業 盟友技研の株式を100%取得 2004年 日本航空電子工業 ニッコー・ロジスティクスの株式を100%取得 1991年 日本航空電子工業 ミサイル部品不正輸出事件:事件をめぐる株主代表訴訟と、そこで確定した取締役個人の責任 1988年 日本航空電子工業 富士航空電子を分離し設立 1971年 日本航空電子工業 慣性航法装置の製造を開始 1961年 日本航空電子工業 米ハネウェルと技術提携:海外大手との技術援助契約を足がかりにした航空機搭載機器への進出 1955年 日本航空電子工業 コネクタの製造を開始
- タマホーム 2023年 タマホーム 高耐候・高耐久・高断熱・高気密・省エネルギー仕様の新商品「笑顔の家」販売開始 2018年 タマホーム 玉木康裕氏の社長退任と玉木伸弥氏への継承:創業者による経営から、生え抜き第二世代への世代交代 2014年 タマホーム 「大安心の家」の外観意匠を向上させた「大安心の家 PREMIUM」販売開始 2009年 タマホーム 長期優良住宅対応の新商品「New大安心の家」販売開始 1998年 タマホーム タマホーム創業:創業——筑後興産ローコスト住宅部門の分離独立
- 東ソー 2025年 東ソー 新中期経営計画(2025-2027年度)始動 2024年 東ソー トーソー・ベトナム・ポリウレタンCo.Ltdを設立 2017年 東ソー 塩ビ基盤事業の死守戦略:汎用品からの撤退を選ばず、クロールアルカリを含む基盤事業を磨き切る方針 2014年 東ソー 日本ポリウレタン工業と合併 2009年 東ソー 初の連結営業赤字・純損失に転落 1999年 東ソー ビニル・チェーン関連大型投資により苛性ソーダ・塩ビモノマー年産100万t体制を確立 1991年 東ソー エチレン増設と事業撤退:バブルをまたいだ強気拡張と反動、10事業の整理と塩ビへの選別再投資 1990年 東ソー 新大協和石油化学・四日市ポリマーと合併 1988年 東ソー 北米VARIAN社よりターゲット部門を買収しトーソー・SMD, Inc.を設立 1975年 東ソー 鐵興社と合併し7工場体制に 1971年 東ソー 科学計測事業に参入 1964年 東ソー 石油化学事業への参入を決定 1953年 東ソー 小野田セメントとの提携でセメント製造を開始 1949年 東ソー 東京証券取引所に株式上場
- ライオン 2025年 ライオン Merap Lion Holding Corporationを完全子会社化 2024年 ライオン SKU3割削減方針を発表 2018年 ライオン グロンサン等ブランド譲渡:売上規模の拡大を目標から外す方針転換と、ブランドの選択と集中 2014年 ライオン アクゾノーベル社より株式を譲り受けライオン・スペシャリティ・ケミカルズを子会社化 2004年 ライオン 中外製薬から一般用医薬品事業を取得 2004年 ライオン CJ Corp.から生活化学品事業を取得 1989年 ライオン 「ペンタデカン」ねつ造事件:育毛剤のデータねつ造をめぐる小林敦社長による経営危機の総括 1980年 ライオン ライオン歯磨と油脂の合併:対等合併による二社体制の解消と、単一の事業会社としての発足 1967年 ライオン サハ社と共同出資で泰国獅王油脂有限公司(現Lion Corporation (Thailand) Ltd.)設立 1896年 ライオン 初めて良質粉ハミガキの製造を開始し「獅子印ライオン歯磨」と名づける
- 日東電工 2025年 日東電工 連結売上収益が初の1兆円超え 2022年 日東電工 東京証券取引所プライム市場に移行 2017年 日東電工 杭州錦江集団へ技術供与:大型偏光板技術の外部提供と、ボリュームゾーンからの離脱 2014年 日東電工 髙﨑秀雄氏が取締役社長に就任 2009年 日東電工 リーマンショックで営業利益が138億円へ急落 1999年 日東電工 Korea Nitto Optical Co., Ltd.を設立 1987年 日東電工 米ハイドロノーティクス買収:米企業の取り込みを足がかりとした高分子分離膜事業への参入 1983年 日東電工 経皮吸収型テープ製剤の製造開始 1978年 日東電工 新規事業として電子・医療・防食・膜の4領域に注力方針 1975年 日東電工 三新活動の導入:新製品比率30%を常設の規律とした三新活動 1975年 日東電工 液晶表示用偏光フィルムの製造開始 1965年 日東電工 半導体封止材料に参入 1961年 日東電工 マクセル分離と日立へ売却:乾電池・磁気テープ部門の切り出しと、親会社への売却 1950年 日東電工 乾電池の製造を開始、マクセルブランドで展開 1948年 日東電工 日立との資本提携解消:全額出資を受け入れていた関係の清算と独立経営への回帰 1937年 日東電工 日立製作所と資本業務提携 1918年 日東電工 日東電気工業を東京・大崎で設立
- 太陽誘電 2025年 太陽誘電 販売法人を設立 2023年 太陽誘電 転換社債で500億円を調達 2018年 太陽誘電 エルナーを子会社化(アルミ電解コンデンサ) 2015年 太陽誘電 光記録メディア事業撤退:一領域の切り離しによる、電子部品単一セグメントへの事業構成の回帰 2010年 太陽誘電 太陽誘電モバイルテクノロジーを子会社化 2007年 太陽誘電 太陽誘電投資を設立 1991年 太陽誘電 ビデオテープ事業の商業化断念 1988年 太陽誘電 CD-Rの世界初商品化:That''sブランドによる消費財市場への参入と、追記型光記録メディア 1984年 太陽誘電 ニッケル電極大容量MLCCの世界初商品化 1972年 太陽誘電 「脱磁器コンデンサ」方針表明:主力製品への依存を断つ方針の表明と、新製品領域への多角化 1967年 太陽誘電 初の海外子会社を設立 1950年 太陽誘電 磁器コンデンサ専業メーカーとしての創業
- 曙ブレーキ工業 2024年 曙ブレーキ工業 事業再生計画期間が終了 2023年 曙ブレーキ工業 子会社のエリザベスタウン工場を2025年12月に閉鎖する方針を決議 2019年 曙ブレーキ工業 事業再生ADRの申請:560億円の債権放棄を前提とした国内外の生産拠点の縮小 2014年 曙ブレーキ工業 スロバキアにAkebono Brake Slovakia s.r.o.を設立 2008年 曙ブレーキ工業 館林鋳造所が稼動開始 1998年 曙ブレーキ工業 Akebono Corporation (North America)を設立 1986年 曙ブレーキ工業 GM合弁アムブレーキ設立:ベンディックスとの技術提携を解いての米国生産への踏み出し 1979年 曙ブレーキ工業 岩槻製造所でAD型ディスクブレーキの量産を開始 1962年 曙ブレーキ工業 ベンディックス提携と岩槻製造所:岩槻製造所への資本金数倍の投資 1960年 曙ブレーキ工業 ベンディックス社とブレーキに関する技術援助契約を締結 1929年 曙ブレーキ工業 ウーブンブレーキライニングとクラッチフェーシングの製造を開始
- コクヨ 2025年 コクヨ 創業120周年に合わせコーポレートアイデンティティを刷新 2024年 コクヨ 指名委員会等設置会社へ移行 2022年 コクヨ 香港のオフィス家具メーカーHNI Hong Kongを子会社化 2019年 コクヨ ぺんてる株の取得試み:議決権45.05%までの取得と、子会社化を断念しての全株譲渡 2015年 コクヨ コクヨS&Tとコクヨファニチャーを吸収合併し事業会社に回帰 2011年 コクヨ インドの文具・画材メーカーであるコクヨカムリンを子会社化 2004年 コクヨ 全事業を会社分割し持株会社制に移行 2000年 コクヨ 通販事業の子会社カウネットを設立 1996年 コクヨ タイに初の海外製造会社コクヨIK(タイランド)を設立 1988年 コクヨ 名古屋証券取引所市場第一部に上場 1974年 コクヨ 実需に合わせた受注の取り直し:受注残240億円の全件白紙撤回と紙製品の3割減産、三事業部制への移行 1961年 コクヨ 黒田国光堂からコクヨに社名を変更 1960年 コクヨ オフィス什器への進出:鋼製家具・ファイリング用品への参入と、協力工場生産によるコクヨ商標での販売 1954年 コクヨ 大阪市東成区深江に深江工場を新設し帳簿・リーフの量産体制を確立 1949年 コクヨ 傍系3社と合併し資本金1,044万5,000円の黒田国光堂を設立 1905年 コクヨ 黒田表紙店を大阪市西区に開業し和式帳簿用表紙の製造を開始
- 大阪ガス 2022年 大阪ガス 大阪ガスネットワークの事業開始 2019年 大阪ガス 米サビンの全株取得:自主探鉱での減損を経た、シェールガス開発会社の丸ごと買収 2013年 大阪ガス 海外エネルギー事業への投資を本格化 2009年 大阪ガス 泉北天然ガス発電所稼動開始 1990年 大阪ガス 天然ガス転換完了 1984年 大阪ガス 姫路製造所稼動開始 1975年 大阪ガス ブルネイLNGの導入:全供給エリアの天然ガス転換 1972年 大阪ガス 泉北製造所へブルネイLNG導入開始 1965年 大阪ガス 大阪ガス都市開発を設立 1945年 大阪ガス 神戸ガスなど14社を合併:京都を含む近隣事業者の吸収による近畿2府4県一元供給への移行
- ショーボンドHD 2025年 ショーボンドHD 2020年から続けた東西カンパニー制を見直し 2024年 ショーボンドHD 中期経営計画2027(2025〜2027年6月期)を策定 2019年 ショーボンドHD 三井物産と海外合弁:商社との合弁による海外メンテナンスの段階展開 2011年 ショーボンドHD 化工建設をショーボンド建設に承継させる簡易吸収分割を実施 2008年 ショーボンドHD 株式移転によりショーボンドHDを設立、東京証券取引所一部に上場 2004年 ショーボンドHD 完成工事の瑕疵による指名停止と早期退職プログラム実施で連結純損失54.7億円を計上 1998年 ショーボンドHD 上谷章夫氏が社長に就任 1989年 ショーボンドHD コンクリートのアルカリ骨材反応による劣化対策工法を開発 1979年 ショーボンドHD 「ビックス工法」(コンクリートのひび割れに樹脂系接着剤を注入する工法)を開発 1975年 ショーボンドHD ショーボンド化学へ分社:製造・研究を切り離しての補修専業への集中 1962年 ショーボンドHD SBアンカー(ガラスカプセル入り鉄筋埋込固定用接着剤)を開発 1960年 ショーボンドHD 本社を移転しショーボンド事業に参入 1958年 ショーボンドHD 昭和工業として創業
- ダイハツ工業 2024年 ダイハツ工業 新たな認証不正の判明による生産再開の延期 2023年 ダイハツ工業 認証試験で174件の不正が判明し全28車種で出荷停止 2016年 ダイハツ工業 トヨタの完全子会社化:株式交換による上場廃止と、独立した資本の手放し 2016年 ダイハツ工業 トヨタ自動車との株式交換契約を締結 2013年 ダイハツ工業 インドネシアのLCGC政策に対応したアイラ・アギアの生産を開始 2003年 ダイハツ工業 インドネシアでトヨタとの共同開発車セニア・アバンザの生産を開始 2002年 ダイハツ工業 マレーシアの持株会社プロドゥアが業務開始 1998年 ダイハツ工業 トヨタ自動車が株式取得により子会社化 1995年 ダイハツ工業 トヨタ自動車が338億円を出資し持株比率を引き上げ 1981年 ダイハツ工業 ダイハツ自動車販売を合併 1979年 ダイハツ工業 インドネシアで海外生産工場の操業開始 1970年 ダイハツ工業 旭工業を合併し資本金183億円へ 1967年 ダイハツ工業 トヨタとの業務提携:業務提携の受け入れと、自前の販売部門の切り出し 1966年 ダイハツ工業 ディーゼル機関部門を分離しダイハツディーゼルを設立 1966年 ダイハツ工業 軽乗用車を発売 1958年 ダイハツ工業 小型貨物車を発売 1957年 ダイハツ工業 軽三輪自動車を発売 1937年 ダイハツ工業 小型四輪自動車を発売 1930年 ダイハツ工業 ダイハツ三輪一号車の完成:国産エンジンを積んだ三輪自動車の完成車製作への進出 1907年 ダイハツ工業 内燃機関の製作と販売を目的に発動機製造を設立
- 日本電気硝子 2025年 日本電気硝子 売上高3,114億円・営業利益341億円・営業利益率11.0% 2023年 日本電気硝子 営業損失△104億円・純損失△261億円 2019年 日本電気硝子 営業利益159億円・親会社株主純損失336億円 2017年 日本電気硝子 米PPGのガラス繊維事業取得:欧米3拠点(英国・オランダ・米国)の取り込みによるガラス繊維事業の海外展開 2011年 日本電気硝子 化学強化専用ガラス(Dinorex®)の生産開始 2000年 日本電気硝子 オーバーフロー法による液晶ディスプレイ用基板ガラスの生産開始 1999年 日本電気硝子 全事業場一括でISO14001認証を取得 1987年 日本電気硝子 TFT液晶ディスプレイ用基板ガラスの生産開始 1976年 日本電気硝子 ガラスファイバ(強化プラスチック用)の生産開始 1965年 日本電気硝子 テレビ用ブラウン管ガラスの製造開始 1964年 日本電気硝子 滋賀高月にCRT工場新設:ブラウン管ガラスへの後発参入と、専用工場による生産体制の確立 1960年 日本電気硝子 オーエンズ・イリノイから管ガラス技術を導入 1959年 日本電気硝子 藤沢工場を新設 1949年 日本電気硝子 日本電気硝子として独立
- ミズノ 2025年 ミズノ イギリス・ドイツ・オランダの支店事業を MIZUNO CORPORATION UK へ移管 2021年 ミズノ オランダに欧州事業統括子会社 MIZUNO EUROPE を設立 2020年 ミズノ シャープ産業の全株式を取得し完全子会社化 2016年 ミズノ ミズノスポーツスタイル投入:競技用品偏重からの脱却と、街着向けブランドによるカジュアル領域への展開 2012年 ミズノ セノーの全株式を取得し完全子会社化 2002年 ミズノ 養老工場を会社分割しミズノテクニクスへ事業を承継 1996年 ミズノ 米国ジョージア州に MIZUNO USA を設立 1992年 ミズノ 大阪市住之江区に地上31階の新本社ミズノクリスタが完成 1986年 ミズノ 台湾台北に海外初の現地子会社を設立 1977年 ミズノ 水野国際スポーツ交流財団を設立 1968年 ミズノ 大阪市福島区に大阪営業センターが完成 1945年 ミズノ 闇取引の全面禁止:軍需資材の転用による公定価格での事業再開 1943年 ミズノ 岐阜県養老郡に養老工場を建設し操業を開始 1915年 ミズノ 関西学生連合野球大会の主催:全国中等学校優勝野球大会への開催権の移譲
- パルGHD 2024年 パルGHD レイ・カズン社より、店舗の一部等の事業資産の譲受け 2019年 パルGHD 3COINSのリブランド:大型店化と品揃えの拡張による、300円均一からの脱却と再成長 2016年 パルGHD パルグループHDに商号変更 2007年 パルGHD 店舗開発事業に参入 1996年 パルGHD 衣料品の企画製造卸事業に参入 1994年 パルGHD 300円ショップ「3COINS」を出店。雑貨事業の出店開始 1981年 パルGHD 都心型店舗の出店を開始 1975年 パルGHD ジーンズショップ2号店「パル茨木店」を出店
- アルプスアルパイン 2026年 アルプスアルパイン 売上高1兆円突破の見通し 2024年 アルプスアルパイン アルプス物流の株式を完全売却──KKRがTOBで取得 2019年 アルプスアルパイン オアシスと合併比率対立:株式交換による2社の経営統合の押し切りと、条件をめぐる攻防 2019年 アルプスアルパイン アルプスアルパインに商号変更 2012年 アルプスアルパイン 創業家外初の社長就任と車載・スマホへの事業構造転換 2009年 アルプスアルパイン リーマンショックで265億円の営業赤字 1993年 アルプスアルパイン 大規模リストラと事業本部制への転換 1981年 アルプスアルパイン 世界初のカーナビゲーションシステムを共同開発 1974年 アルプスアルパイン 不況下の大量希望退職──片岡社長が一人一人に面接 1967年 アルプスアルパイン アルプス・モトローラの設立 1954年 アルプスアルパイン テレビ時代への対応──VHFチューナーの製造開始 1949年 アルプスアルパイン バリコンの製造開始と秋葉原での販売
- ジェイエイシーリクルートメント 2025年 ジェイエイシーリクルートメント 連結子会社のバンテージポイントの事業活動を終了 2023年 ジェイエイシーリクルートメント 上海杰爱士人力资源有限公司を解散 2018年 ジェイエイシーリクルートメント JACアジア法人を子会社化:主要株主からの海外統括会社の買い取りと、アジアの拠点網の連結化 2014年 ジェイエイシーリクルートメント JAC Recruitment Vietnam Co., Ltdと業務提携 2002年 ジェイエイシーリクルートメント JAC Singapore・JAC Recruitment UK・AGENSI PEKERJAAN JACと業務提携 1993年 ジェイエイシーリクルートメント 大阪支店を開設 1988年 ジェイエイシーリクルートメント ジェイ エイ シー ジャパンを設立
- 日本酸素HD 2020年 日本酸素HD 持株会社体制に移行し日本酸素HDに商号変更 2018年 日本酸素HD プラクスエア欧州事業の取得:未参入だった欧州へ6,358億円を投じ、4極体制を構築した買収 2016年 日本酸素HD エア・リキード社の米国産業ガス事業の一部を買収 2014年 日本酸素HD 三菱ケミカルHDによる公開買付の成立により同社の連結子会社に 2004年 日本酸素HD 大陽東洋酸素と合併 2001年 日本酸素HD 家庭用品事業部門を会社分割し日酸サーモと統合してサーモスを設立 1995年 日本酸素HD 東洋酸素と合併 1983年 日本酸素HD 特殊ガス事業を買収しマチソン・ガス・プロダクツ社を設立 1978年 日本酸素HD 厚木工場を新設 1969年 日本酸素HD 日本酸素と合弁会社富士酸素を設立 1955年 日本酸素HD 東京製作所を分離し新会社に日本理化工業の名称を継承 1949年 日本酸素HD 東京証券取引所に株式を上場
- KOKUSAIエレクトリック 2021年 KOKUSAIエレクトリック アプライドマテリアルズによる買収が破談 2018年 KOKUSAIエレクトリック KKRによる非公開化と成膜事業分割:日立国際電気の上場廃止と、成膜プロセスソリューション事業の吸収分割による承継 2018年 KOKUSAIエレクトリック 会社分割で成膜事業を承継しKOKUSAIエレクトリックが発足 2000年 KOKUSAIエレクトリック 国際電気・日立電子・八木アンテナが合併し日立国際電気が発足 1961年 KOKUSAIエレクトリック 東京証券取引所に上場(同年に市場第一部指定) 1956年 KOKUSAIエレクトリック 単結晶引上装置を受注し半導体製造装置事業に参入 1949年 KOKUSAIエレクトリック 国際電気を設立
- 高砂熱学工業 2022年 高砂熱学工業 石狩厚田グリーンエネルギーを設立 2017年 高砂熱学工業 インテグレーテッド社を子会社化:空調専業としての「熱学」特化とクリーンルーム技術の内製化 2017年 高砂熱学工業 ヤマトと業務・資本提携契約を締結 2012年 高砂熱学工業 丸誠を子会社化 2008年 高砂熱学工業 日本フレクトを子会社化 1995年 高砂熱学工業 タカサゴフィリピンInc.を設立 1980年 高砂熱学工業 海外事業本部開設 1973年 高砂熱学工業 東京証券取引所・大阪証券取引所の市場第一部に指定替 1969年 高砂熱学工業 東京証券取引所市場第二部に上場 1959年 高砂熱学工業 九州出張所開設 1949年 高砂熱学工業 大阪支店開設
- TOKYO BASE 2026年 TOKYO BASE KEY TIMEZ業態を開始 2024年 TOKYO BASE 米国本土初出店となるSTUDIOUS TOKYO NEWYORK店をニューヨーク・ソーホーに出店 2019年 TOKYO BASE 中国本土初出店となるSTUDIOUS TOKYO上海店を上海新天地に出店 2018年 TOKYO BASE PUBLIC TOKYO業態を開始 2015年 TOKYO BASE UNITED TOKYO業態開始:海外輸入が主流の業界での逆張り——全量国産・高原価率の自主企画SPA 2010年 TOKYO BASE デイトナ・インターナショナルからSTUDIOUS新宿店を譲受し全店舗取得を完了 2009年 TOKYO BASE デイトナ・インターナショナルから STUDIOUS原宿本店とオンラインストアを譲受
- 富士電機 2025年 富士電機 富士古河E&Cを株式交換で完全子会社化 2024年 富士電機 デンソーとパワー半導体の協業投資を決定 2016年 富士電機 鈴鹿工場でパワエレテクニカルセンターを新設 2012年 富士電機 持株会社体制の解消:純粋持株会社への移行と、9年後の事業会社への再統合 2010年 富士電機 パワー半導体へ投資集中:パワーエレクトロニクスを軸に据えた経営資源の集中 2009年 富士電機 最終赤字▲733億円・営業赤字▲188億円に転落 2008年 富士電機 メタウォーター発足:水環境事業を日本碍子の同事業と合併させ、連結子会社から持分法適用会社へ切り替えた選択 2008年 富士電機 水環境事業を分離しメタウォーターを発足 1999年 富士電機 社内カンパニー制を導入 1988年 富士電機 富士電機冷機の上場:家電での敗北を経た自動販売機への転換と、その事業の自立 1976年 富士電機 経営不振の家電部門を3社に再編 1969年 富士電機 自動販売機の製造を開始 1953年 富士電機 半導体部門に参入 1935年 富士電機 富士通信機製造の設立:通信機部門の本体からの切り離しと、独立した会社としての船出 1931年 富士電機 205名の人員整理と社長退任:全従業員の16%に及ぶ人員削減と、これに伴う社長の退任
- LIXIL 2025年 LIXIL LIXILホームファイナンスを清算 2020年 LIXIL Permasteelisa S.p.A.の株式を売却 2020年 LIXIL LIXILビバの株式を売却 2013年 LIXIL 独グローエを買収:米アメリカンスタンダード北米事業の取得に続く欧州大手の取り込み 2011年 LIXIL 藤森義明氏がCEO就任:米GE出身の経営者を迎えての創業家からの経営権の移譲 2011年 LIXIL トステムがINAX・新日軽・東洋エクステリア等を吸収合併しLIXILに商号変更 2001年 LIXIL トステムとINAX統合:純粋持株会社を受け皿とした住宅設備・建材2社の一体化 2001年 LIXIL INAXトステム・HDに商号変更し純粋持株会社へ移行 1999年 LIXIL 日本住宅保証検査機構を設立 1985年 LIXIL 三井軽金属加工の営業を譲り受けビル建材事業に本格参入 1984年 LIXIL アイフルホーム(フランチャイズ住宅)を設立 1977年 LIXIL ビバホーム(のちのトステムビバ)を設立 1967年 LIXIL 東洋サッシを設立 1953年 LIXIL 既存工場を買収 1949年 LIXIL 日本建具工業を創設
- エムスリー 2025年 エムスリー イーウェルを子会社化 2024年 エムスリー エランを公開買付けにより子会社化 2016年 エムスリー Vidal Groupの持株会社AXIO Medical Holdings Limitedを子会社化 2011年 エムスリー Doctors.net.uk買収:英国での買収を起点に、現地ポータルを束ねる海外展開の型の確立 2010年 エムスリー 「ソネット・エムスリー」から改称:冠していた社名の一部を外し、一語の商号へ改めた名乗りの整理 2009年 エムスリー エムスリーキャリアを設立 2003年 エムスリー m3.comへ統合:並行して運営していた二つの医療情報サイトを畳んでの一本化 2000年 エムスリー MR君サービス開始
- 沖電気工業 2025年 沖電気工業 プリンターの開発・生産に関する事業をエトリアに承継 2022年 沖電気工業 プライム市場に移行 2019年 沖電気工業 リカーリング型ビジネスの強化を目指してOKIクロステックを設立 2012年 沖電気工業 本庄工場をEMSに転換:閉鎖寸前だった生産拠点の受託生産化と、他社工場を買う側への転身 2012年 沖電気工業 スペイン子会社の不適切会計と決算訂正:5期分の有価証券報告書を訂正して純資産を262億円削り、当該子会社を営業休止させた処理 2006年 沖電気工業 OKIグループの中国販売統括会社日沖商業(北京)有限公司を設立 1998年 沖電気工業 DRAM事業から撤退:量産競争から降りたうえでの、半導体事業そのものの売却 1994年 沖電気工業 プリンター、ファクシミリ・これに関連する事業を沖データに譲渡 1987年 沖電気工業 欧州におけるプリンターの販売統括会社OKI EUROPE LTD.を英国に設立 1979年 沖電気工業 情報処理装置生産のため沼津工場を新設 1962年 沖電気工業 電子通信装置生産のため本庄事業所を開設 1958年 沖電気工業 情報処理装置生産のため高崎事業所を開設 1949年 沖電気工業 第二会社として設立:企業再建整備法にもとづく旧沖電気の解散と、新法人への事業引き継ぎ 1949年 沖電気工業 第二会社として沖電気工業を設立 1881年 沖電気工業 沖牙太郎氏が明工舎を創業
- 関電工 2022年 関電工 プライム市場に移行 2017年 関電工 千葉・茨城・栃木・群馬・西関東・静岡パワーテクノを設立 2013年 関電工 東京電力発注工事で営業停止:独占禁止法違反の命令確定を受け、主戦場である民間工事の営業を止めた対応 2012年 関電工 銚子風力開発へ出資:風力発電会社への資本参加による、発電事業そのものへの進出 2008年 関電工 川崎設備工業に資本参加(名古屋証券取引所市場第二部上場) 1998年 関電工 神奈川ケイテクノ・千葉ケイテクノ・埼玉ケイテクノを設立 1984年 関電工 関電工へ商号変更:土木・空調管・原子力工事へ広げた業域と、総合設備業への転換 1979年 関電工 原子力関連工事の営業開始 1970年 関電工 信越支社を開設・土木工事の営業開始・東京証券取引所市場第一部に指定 1961年 関電工 應用電気に資本参加 1959年 関電工 大阪支社を開設 1944年 関電工 協立興業社ほか7社を統合:電気工事業整備要綱に沿った7社統合と、配電会社の資本を受けた発足
- KADOKAWA 2023年 KADOKAWA 指名委員会等設置会社へ移行 2019年 KADOKAWA カドカワをKADOKAWAに商号変更 2014年 KADOKAWA ドワンゴとの経営統合:共同株式移転による持株会社の設立と対等統合の選択 2014年 KADOKAWA KADOKAWAとドワンゴが経営統合の契約を締結 2013年 KADOKAWA 角川書店ら9社を吸収合併:持株会社傘下の事業会社を吸収合併し1社に束ねる組織の一本化 1976年 KADOKAWA "犬神家の一族"で映画参入:東宝と提携した劇場映画の製作による映画事業への参入
- 日本瓦斯 2025年 日本瓦斯 門倉商店の株式を取得 2021年 日本瓦斯 世界最大規模のLPガスハブ充填基地「夢の絆・川崎」完成 2017年 日本瓦斯 全面自由化された都市ガス小売市場に参入 2017年 日本瓦斯 東京エナジーアライアンスを東京電力エナジーパートナーと折半出資で設立 2014年 日本瓦斯 東日本ガスなど4社を株式交換:都市ガス子会社4社を株式交換で完全子会社化しグループの意思決定を一本化 2011年 日本瓦斯 PEファンドOEPと資本提携:JPモルガン系ファンドを筆頭株主に迎えた、約103億円の資本業務提携 2004年 日本瓦斯 東日本ガスが東京証券取引所市場第二部に上場 1999年 日本瓦斯 我孫子ガスが取手ガスを吸収合併し商号を東日本ガスに変更 1984年 日本瓦斯 鹿沼ガスに経営参加 1979年 日本瓦斯 東京証券取引所市場第一部銘柄に指定替 1966年 日本瓦斯 新日本瓦斯の設立:関東の中堅都市ガス事業者を傘下に収めた、都市ガス事業への進出 1947年 日本瓦斯 日本瓦斯の前身となる関東商事を設立
- パルコ 2023年 パルコ デベロッパー事業(一部を除く)をJ.フロント都市開発に承継 2020年 パルコ J.フロント リテイリングの完全子会社となり、東京証券取引所市場第一部を上場廃止 2019年 パルコ 建替えのため2016年8月に休業していた「渋谷パルコ」を、複合施設として開業 2012年 パルコ J.フロント リテイリングが親会社に 2011年 パルコ イオン・森トラストの要求拒否:大株主連合による経営支配要求の拒否と、平野秀一社長の退任 2010年 パルコ 日本政策投資銀行へCB発行:森トラストの増資提案の見送りと、150億円の資金調達先の選び直し 2007年 パルコ 「静岡パルコ」を開店 1997年 パルコ 「宇都宮パルコ」を開店 1989年 パルコ ハウスカード「PECカード」の発行開始 1973年 パルコ 東京パルコが「渋谷パルコ」を開店 1969年 パルコ ファッションビル運営へ転換:百貨店業からの撤退と、専門店に場所を貸す商売への転換 1969年 パルコ 「東京丸物」を閉店 1969年 パルコ 「パルコ」の開設準備に着手 1954年 パルコ 丸物の資本参加を得て、事業目的をステーションビル運営から百貨店業に変更
- 三井倉庫HD 2025年 三井倉庫HD 普通株式を1対3の割合で株式を分割 2015年 三井倉庫HD ソニーサプライチェーンソリューションの株式66%を取得 2014年 三井倉庫HD ソニー系物流子会社の取得:持株会社への移行とのれん減損254億円と分社の再統合 2014年 三井倉庫HD 三井倉庫HDに商号変更 2012年 三井倉庫HD 三洋電機ロジスティクスの取得:航空貨物・家電系物流子会社の連続取得による事業領域の拡張 2008年 三井倉庫HD 本社に3PL推進部を設置し3PL(サード・パーティ・ロジスティクス)事業を本格展開 1992年 三井倉庫HD 本支店制を廃止し本支社制(本社各部・関東・中部・関西・九州各支社)に移行 1989年 三井倉庫HD 三井倉庫箱崎ビル竣工により不動産賃貸業務を本格展開 1979年 三井倉庫HD Mitsui-Soko (Singapore) Pte. Ltd.を設立 1968年 三井倉庫HD 海上コンテナの取扱いと国内におけるコンテナ・ターミナルの運営を開始 1950年 三井倉庫HD 東京証券取引所に株式を上場 1917年 三井倉庫HD 港湾運送事業に参入
- ビックカメラ 2024年 ビックカメラ 中期経営計画「ビックカメラグループ中期経営計画~Vision 2029~」を策定 2012年 ビックカメラ コジマの子会社化:郊外型量販店の傘下入りによる、「都市×郊外」の連合の形成 2010年 ビックカメラ ソフマップの子会社化:時間をかけた段階的な取り込みと、完全子会社化への到達 2006年 ビックカメラ ソフマップの増資引受により同社が子会社に 2003年 ビックカメラ インターネットショッピングサイト「ビックカメラ.com」を開設 1999年 ビックカメラ 日本ビーエス放送企画を設立、後にBSデジタル放送「BS11」を開始 1992年 ビックカメラ ビックポイントカードを導入しポイントサービスを開始 1989年 ビックカメラ 渋谷店を開店
- スクウェア・エニックス・HD 2022年 スクウェア・エニックス・HD CRYSTAL DYNAMICS INC.・EIDOS INTERACTIVE CORP.等を売却 2018年 スクウェア・エニックス・HD 監査等委員会設置会社に移行 2010年 スクウェア・エニックス・HD "FF14"の全面作り直し:サービス崩壊を認め、吉田直樹氏を起用した" 2010年 スクウェア・エニックス・HD 吉田直樹氏をプロデューサー兼ディレクターに起用 2009年 スクウェア・エニックス・HD 英Eidosの完全子会社化:13年後のEmbracerへの売却 2005年 スクウェア・エニックス・HD タイトーの完全子会社化:株式公開買付けによる完全取得と「100%保有戦略」の始動 2003年 スクウェア・エニックス・HD エニックスとの合併:映画"ファイナルファンタジー"の失敗が導いた同業大手との統合 1999年 スクウェア・エニックス・HD 株式が東京証券取引所市場第一部に上場 1986年 スクウェア・エニックス・HD スクウェアを設立 1982年 スクウェア・エニックス・HD エニックスへ商号変更:開発部門を持たない出版社型モデルの採用と、外部作者との提携 1975年 スクウェア・エニックス・HD 営団社募集サービスセンターを設立
- 三洋電機 2011年 三洋電機 パナソニック傘下入り:二度の公開買付けと株式交換を受け入れ、64年の独立を手放す選択 2008年 三洋電機 携帯電話事業を京セラに譲渡 2006年 三洋電機 ゴールドマンら3,000億円増資:転換可能優先株式3,000億円の第三者割当増資と、議決権のほぼ半分の譲り渡し 2002年 三洋電機 中国ハイアールと資本提携:「箱舟経営」を掲げ、普及品市場を相手に譲り渡す選択 1998年 三洋電機 デジタルカメラに本格参入 1990年 三洋電機 二次電池へ経営資源を集中:二次電池に資源を配分する傾斜投資という、次の主力事業への賭け 1986年 三洋電機 東京三洋電機を吸収合併 1976年 三洋電機 米ウォーイック社を買収:買収した拠点を足がかりとする、輸出から北米現地生産への切り替え 1965年 三洋電機 カラーテレビへの量産投資 1953年 三洋電機 噴流式洗濯機の製造を開始 1947年 三洋電機 井植歳男氏が自転車ランプで創業:松下を退いての独立と、北条工場を拠点とする総合家電への出発
- ヒューリック 2025年 ヒューリック 鉱研工業を子会社化 2024年 ヒューリック レーサムを子会社化 2019年 ヒューリック 日本ビューホテルを子会社化 2015年 ヒューリック シンプレクス・インベストメント・アドバイザーズと合併 2012年 ヒューリック 昭栄の吸収合併:旧富士銀系の上場不動産会社の、本体への丸ごとの取り込み 2010年 ヒューリック 千秋商事・芙蓉総合開発と合併 2008年 ヒューリック 日本橋興業から改称し上場:東証一部の市場に立つ会社となった、ヒューリックとしての再出発 2000年 ヒューリック フォワードビル合併:合併を通じた、旧富士銀系不動産の受け皿という立場への転回 1965年 ヒューリック 本社を日本橋富士ビルへ移転 1957年 ヒューリック 日本橋興業として設立
- SUMCO 2025年 SUMCO 小径ウェーハ事業構造改革を発表 2023年 SUMCO 高純度シリコンの株式取得 2012年 SUMCO 太陽電池用ウェーハ撤退:事業再生計画に基づく尼崎・生野工場の閉鎖と生産能力の圧縮 2010年 SUMCO 初の営業赤字・純損失を計上 2006年 SUMCO コマツ電子金属を子会社化 2005年 SUMCO SUMCOへ商号統一:旧社名を捨てた商号の一本化と、東証一部上場による資本市場入り 2002年 SUMCO 住友・三菱で事業統合:シリコンウェーハを300mm専業会社に集約する新会社の設立 1999年 SUMCO シリコンユナイテッドマニュファクチュアリング設立 1973年 SUMCO 九州電子金属を設立 1962年 SUMCO シリコンウェーハ生産開始 1958年 SUMCO 日窒電子化学を設立
- エルピーダメモリ 2013年 エルピーダメモリ マイクロン・テクノロジーの子会社に 2012年 エルピーダメモリ 米マイクロンへ事業譲渡:会社更生法の適用申請と、自主再建を断念した末の傘下入り 2012年 エルピーダメモリ 負債総額4480億円は国内製造業で過去最大 2009年 エルピーダメモリ 日本政策投資銀行の出資受入:改正産業活力再生特別措置法にもとづく優先株300億円という公的資金の導入 2007年 エルピーダメモリ 力晶半導体との合弁設立:台湾勢との折半出資によるDRAM生産拠点レックスチップの立ち上げ 2003年 エルピーダメモリ 三菱電機よりDRAM事業を譲り受け、開発エンジニアを受け入れ 1999年 エルピーダメモリ 日本電気と日立製作所のDRAM事業を統合しNEC日立メモリを設立
- セブン銀行 2023年 セブン銀行 セブン・カードサービスを子会社化 2021年 セブン銀行 Pito AxM Platform, Inc.がフィリピン国内でのATM運営事業を開始 2019年 セブン銀行 Pito AxM Platform, Inc.(子会社)を設立 2012年 セブン銀行 米FCTIの買収:米国のATM運営会社の取り込みによる、初めての海外市場への進出 2011年 セブン銀行 海外送金サービス開始 2010年 セブン銀行 個人向けローンサービス開始 2008年 セブン銀行 ジャスダックへ上場:新興企業向け証券取引所への上場と、株式公開企業への移行 2007年 セブン銀行 ATMの運営・管理一括受託開始 2001年 セブン銀行 アイワイバンク銀行設立:金利差ではなくATM受入手数料を収益源に据えた銀行の設計
- さくらインターネット 2026年 さくらインターネット 双日が株式の一部売却によりその他の関係会社から離脱 2021年 さくらインターネット 政府衛星データプラットフォーム事業の企画準備会社として、子会社 Tellusを設立 2017年 さくらインターネット 公募増資と双日による売出しにより双日がその他の関係会社に 2011年 さくらインターネット 石狩データセンター建設:都市型の立地を捨てて郊外型の大規模拠点へ切り替える選択 2011年 さくらインターネット 公開買付けと田中邦裕事務所との株主間合意により双日が親会社に 2008年 さくらインターネット 双日への第三者割当増資:商社を引受先に迎えて資本を入れ直すことによる債務超過の解消 2007年 さくらインターネット データセンター投資後の引責辞任:債務超過を受けた社長交代と、上場後に広げた子会社の一斉整理 2007年 さくらインターネット 不採算子会社の整理と本業回帰を表明 1999年 さくらインターネット さくらインターネットを設立
- システナ 2026年 システナ シンクロジックの株式追加取得 2024年 システナ 子会社のProVisionが、ProVision VN Co.,Ltd.を設立 2018年 システナ Plasma Business Intelligence,Inc.との合弁でONE Tech,Inc.をテキサス州に設立 2010年 システナ カテナ吸収合併と商号変更:合併した二社を「システナ」の新社名の下に一体化する再編 2010年 システナ カテナを吸収合併、シスプロカテナに商号変更 2006年 システナ 増配方針への転換:配当性向目標の30%から40%への引き上げ 2002年 システナ ナスダック・ジャパン上場:システムプロとしての株式公開と、新興市場での資金調達の道の確保 1996年 システナ 移動体通信端末ソフトの受託開発を開始 1988年 システナ 対戦型オンラインゲーム「麻雀クラブ」を開発
- ディスコ 2025年 ディスコ 研究開発用不動産を約500億円で取得 2024年 ディスコ 羽田R&Dセンター新棟の建替を決定 2018年 ディスコ 長野事業所を開設 2011年 ディスコ 個人Will会計への移行:会計単位の部門から個々の構成員への分解と、指示・命令によらない仕事の配分 2011年 ディスコ 社内の仕事をオークション形式で落札する制度を開始 2007年 ディスコ 経費管理レベルと4年累計20%目標:市況の谷でも利益を確保する収益構造への作り替えと、経費支出の段階管理の導入 2002年 ディスコ 精密切断装置としてレーザソーを開発・販売 2001年 ディスコ 非同族の溝呂木斉氏が社長に就任 1993年 ディスコ 賃金カット・残業規制・早期退職制度を導入 1992年 ディスコ 拡散炉事業の打ち切り:半導体拡散炉事業からの撤退と開発費約50億円の損失計上 1984年 ディスコ 産業用ダイヤモンド工具事業に参入 1975年 ディスコ ダイシングソーを自社開発:切断装置の自社開発と、砥石・装置・使い方を一社で担う体制への転換 1970年 ディスコ 精密切断装置を開発・販売開始 1968年 ディスコ 極薄砥石ミクロンカットの開発:注射針と万年筆で稼ぐ砥石屋が、まだ市場のない半導体用の薄さへ開発を向けた選択 1968年 ディスコ 半導体製造向け切断砥石の開発を開始 1958年 ディスコ 有限会社第一製砥所を株式会社に改組 1940年 ディスコ 第一製砥所に組織変更
- すかいらーくHD 2025年 すかいらーくHD Createries Consultancy Sdn.Bhd.等の株式取得により同社を子会社化 2024年 すかいらーくHD 資さんの株式取得により同社を子会社化 2016年 すかいらーくHD 持株会社体制へ移行 2014年 すかいらーくHD ベインキャピタル傘下で再上場:投資ファンド傘下で進めた経営再建と、八年ぶりの東証復帰 2011年 すかいらーくHD BCJHD6がすかいらーく株式を取得 2009年 すかいらーくHD ファミリーレストラン「すかいらーく」完全閉店 2006年 すかいらーくHD SNCインベストメントがMBO:創業家と投資ファンドによる総額2,700億円超のMBOと東証一部からの非上場化 2006年 すかいらーくHD すかいらーく株式が東京証券取引所市場第一部上場廃止 1992年 すかいらーくHD 「ガスト」へ全店転換:客単価760円の新業態への全店転換と、原点ブランド「すかいらーく」の廃止 1987年 すかいらーくHD 子会社としてバーミヤン設立(1999年7月、すかいらーくが合併) 1970年 すかいらーくHD 「すかいらーく」1号店開業:食料品店からファミリーレストランへの、業態そのものの転換 1962年 すかいらーくHD ことぶき食品を設立
- 東京建物 2025年 東京建物 小澤克人が代表取締役社長に就任 2024年 東京建物 「ONE DOJIMA PROJECT」(フォーシーズンズホテル大阪・Brillia Tower堂島)が竣工 2017年 東京建物 野村均が代表取締役社長に就任 2011年 東京建物 評価損の計上と引責辞任:出資SPCの評価損の一括計上による純損失717億円と、再開発・物件売却を両輪とする収益構造への組み替え 2011年 東京建物 日本パーキングを子会社化 2003年 東京建物 「Brillia」へブランド統一:郊外マンション分譲への参入と、市場別5ブランドの一本化 2000年 東京建物 東京リアルティ・インベストメント・マネジメントを設立 1998年 東京建物 高輪物件のSPC第1号登録:SPC法施行直後の国内第1号登録取得と、不動産証券化・資産運用事業への進出 1988年 東京建物 ホテル・レジーナ河口湖をオープン 1979年 東京建物 新宿センタービル竣工 1968年 東京建物 マンション分譲事業に参入 1959年 東京建物 湯河原で別荘地分譲を開始 1928年 東京建物 関口台町分譲地で宅地分譲事業に参入 1903年 東京建物 天津・京城への外地展開:租界地の払い下げを受けた支店開設と、漢口・満州へ広がる版図 1896年 東京建物 安田善次郎による設立:月賦建築請負・担保貸付・売買仲介を1社に束ねた不動産金融の始まり
- 参天製薬 2025年 参天製薬 Twenty Twenty Therapeutics LLCを清算配当の受領により持分法適用関連会社から除外 2023年 参天製薬 米州における医療用医薬品事業に係る一部製品をHarrow Health, Inc.へ資産譲渡 2020年 参天製薬 Eyevance Pharmaceuticals Holdings Inc.と事業会社を買収 2015年 参天製薬 抗リウマチ薬事業をあゆみ製薬へ承継 2014年 参天製薬 米メルクの眼科事業譲受:眼科用医薬品に加えた抗リウマチ薬事業の承継による製品群の拡張 2011年 参天製薬 眼科医薬品会社Novagali Pharma S.A.を買収 2001年 参天製薬 眼科医療機器会社Advanced Vision Science, Inc.を買収 2000年 参天製薬 異物混入脅迫による全品回収:脅迫を受けた一般用目薬24品目の全品回収 1997年 参天製薬 フィンランド社スター買収:眼科薬メーカーの取り込みによる欧州拠点の確保 1985年 参天製薬 能登工場を新設 1977年 参天製薬 東京証券取引所・大阪証券取引所の市場第一部に上場 1964年 参天製薬 東京証券取引所市場第二部に上場 1958年 参天製薬 新たに医療用医薬品発売を契機として商号を参天製薬と変更 1945年 参天製薬 営業内容を明確に表示するため商号に製薬の名称を入れ参天堂製薬に変更
- 伊藤忠エネクス 2024年 伊藤忠エネクス WECARSの株式取得により自動車ディーラー事業を拡大 2023年 伊藤忠エネクス ナルネットコミュニケーションズの株式取得により自動車アフターマーケット事業を拡大 2019年 伊藤忠エネクス エネクス・インフラ投資法人が東京証券取引所インフラファンド市場に上場 2014年 伊藤忠エネクス 大阪カーライフグループ買収:買収を足がかりとした、自動車ディーラー事業への本格参入 2012年 伊藤忠エネクス 東京都市サービスの株式取得により熱供給事業へ参入 2011年 伊藤忠エネクス アイピー・パワーシステムズへ出資し電力小売事業へ参入 2009年 伊藤忠エネクス 液化石油ガスのローリー卸売事業を譲渡しジャパンガスエナジーの株式取得 2001年 伊藤忠エネクス 伊藤忠エネクスへ改称:改称に合わせた、燃料商社からエネルギー商社への転換 2001年 伊藤忠エネクス ガス事業を承継し都市ガス事業へ参画 1990年 伊藤忠エネクス 伊藤忠オイルの営業権承継:グループ国内石油販売の一本化 1983年 伊藤忠エネクス 本店所在地を大阪から東京へ変更 1979年 伊藤忠エネクス 大阪・東京証券取引所 市場第1部銘柄に指定 1965年 伊藤忠エネクス 大分九石販売の株式取得
- FOOD&LIFECOMPANIES 2021年 FOOD&LIFECOMPANIES 京樽を子会社化 2015年 FOOD&LIFECOMPANIES 株式移転によりあきんどスシローHDを設立し持株会社体制へ移行 2011年 FOOD&LIFECOMPANIES SUSHIRO KOREA設立:韓国子会社の設立とソウル1号店の開業による海外展開の第一歩 2009年 FOOD&LIFECOMPANIES 東京証券取引所市場第二部を上場廃止 2008年 FOOD&LIFECOMPANIES ユニゾンキャピタルによる非公開化:公開買付けの受け入れによる東証2部からの上場廃止と資本の入れ替え 1999年 FOOD&LIFECOMPANIES 同名他社と合併し事業基盤を統合 1996年 FOOD&LIFECOMPANIES 高司店で1皿100円均一開始:兵庫県宝塚市の1店舗から始めた均一価格業態への全面移行 1991年 FOOD&LIFECOMPANIES 直営店主体に切り替え往復ベルトコンベア方式の第1号店を出店 1984年 FOOD&LIFECOMPANIES すし太郎を設立し1号店を出店
- 武富士 2017年 武富士 TFKの清算が結了し法人格が消滅 2012年 武富士 会社分割によりJトラストへ消費者金融事業を譲渡 2011年 武富士 東京地方裁判所が更生計画を認可 2010年 武富士 消費者金融事業のJトラスト譲渡:会社更生法の適用申請と、主力だった消費者金融事業の切り出し 2007年 武富士 2007年3月期に4813億円の当期純損失を計上 2006年 武富士 最高裁第二小法廷が期限の利益喪失特約下の支払いの任意性を否定し原判決を破棄・差戻 2004年 武富士 ゴールドマン・サックスの拒否:米投資銀行からの一族保有株買い取り提示を受け入れないという判断 1998年 武富士 170万円の貸付上限:無人契約機での1口座50万円上限の維持と、一人あたり 1995年 武富士 無人契約機「¥enむすび」を導入 1989年 武富士 低金利無担保の目的ローンを7種類(年利13.5%〜17.5%)発売 1977年 武富士 創業から11年で全国の主要地方を一巡 1968年 武富士 武富士商事を設立
- 帝人 2021年 帝人 武田薬品から4製品の販売権を買収 2015年 帝人 最終赤字に転落 2013年 帝人 持株会社体制へ移行 2011年 帝人 フェブリクの創製発売:化合物の創製から発売までを自社で手がける開発体制の確立 2003年 帝人 杏林製薬の買収を撤回 2002年 帝人 経営諮問委員会で長島徹選出:社外委員が社長候補を審査する後継者選抜システムの構築と長島徹社長の選出 2000年 帝人 アコーディス社のアラミド繊維事業を買収 1999年 帝人 アドバイザリーボードを導入 1980年 帝人 新薬「ベニロン」を発売 1978年 帝人 合繊不況下の2600人削減:減量経営による約2,600名の人員削減 1968年 帝人 未来事業本部を発足:繊維一本足からの脱却を掲げた新規事業探索の専門組織づくり 1957年 帝人 ポリエステルに参入 1927年 帝人 鈴木商店から独立
- ダイエー 2014年 ダイエー 株式が上場廃止 2013年 ダイエー イオンの完全子会社化:独立した上場企業としての歴史の終わりと、上場廃止の受け入れ 2004年 ダイエー 産業再生機構の支援:自力での再建を断念し、公的な枠組みに委ねた経営の立て直し 2002年 ダイエー 産業活力再生特別措置法(産業再生法)の適用を申請しリストラを推進 2001年 ダイエー 中内㓛氏が引責退任 1994年 ダイエー 忠実屋・ユニードダイエー・ダイナハを合併 1992年 ダイエー リクルートの株式の3分の1を取得し子会社化、役員を派遣 1988年 ダイエー プロ野球・南海ホークスを買収し「福岡ダイエーホークス」が発足 1975年 ダイエー ダイエーローソンを設立しコンビニエンスストア事業へ参入 1972年 ダイエー 三越を抜く価格破壊:安売りと多店舗チェーン化による小売業日本一の座の獲得 1969年 ダイエー トウキョウダイエー・フクオカダイエー・四国ダイエーを合併 1957年 ダイエー 大栄薬品工業として設立
- 安藤・間 2023年 安藤・間 3代社長に国谷一彦氏が就任 2018年 安藤・間 2代社長に福富正人氏が就任 2013年 安藤・間 安藤建設と合併:同業との一体化と、株式会社安藤・間としての再出発 2003年 安藤・間 会社分割で間組設立:建設事業の切り出しと承継会社への移管という組織再編 2003年 安藤・間 安藤建設と資本業務提携 2002年 安藤・間 旧ハザマ(間組の後身)の経営危機と事業再生 1997年 安藤・間 当時世界一の高さ・ペトロナスツインタワーが竣工 1989年 安藤・間 ガルガルダム(アルジェリア)と葛西臨海水族園が竣工 1974年 安藤・間 東京・大阪・名古屋証券取引所市場第一部に上場 1960年 安藤・間 戦後初の大型海外工事・ダニム第一発電所を受注 1956年 安藤・間 黒部川第四発電所(黒四)に着手 1953年 安藤・間 米アトキンソン社と共同企業体:米社との共同企業体を通じた機械化施工の導入 1945年 安藤・間 終戦と神部社長による間組再建
- 日清紡HD 2023年 日清紡HD ルクセンブルクTMD FRICTION GROUPの全株式を譲渡 2023年 日清紡HD HVJHDの全株式を取得し日立国際電気を子会社化 2018年 日清紡HD リコー電子デバイスの株式を取得 2017年 日清紡HD 日清紡ペーパー プロダクツ等の紙製品事業を譲渡 2011年 日清紡HD TMD Frictionの買収:欧州のブレーキ摩擦材大手の全株式取得と、その完全な傘下入り 2010年 日清紡HD 公開買付により日本無線を子会社化 2009年 日清紡HD 持株会社制に移行し日清紡HDに商号変更 2005年 日清紡HD 新日本無線の子会社化:公開買付による株式取得と、連結子会社としての取り込み 1999年 日清紡HD SAERON AUTOMOTIVE CORPORATIONを設立 1989年 日清紡HD KOHBUNSHI(THAILAND)LTD.を設立 1972年 日清紡HD NISSHINBO DO BRASIL INDUSTRIA TEXTIL LTDA.を設立 1966年 日清紡HD 藤枝工場を新設 1958年 日清紡HD 徳島工場を新設 1919年 日清紡HD 岡崎紡績を買収:宮島清次郎氏による同業紡績の連続買収と大規模工場の新設 1907年 日清紡HD 日清紡績を設立
- ゼンショーHD 2023年 ゼンショーHD SnowFox Topco Limitedの株式を取得 2018年 ゼンショーHD Advanced Fresh Concepts Corp.の株式を取得 2014年 ゼンショーHD すき家ワンオペ問題:過重労働の露呈と第三者委員会の設置による労務体制の見直し 2011年 ゼンショーHD 持株会社体制に移行し社名をゼンショーHDへ変更 2005年 ゼンショーHD MMD戦略の確立:M&Aによる多業態フードチェーンの構築 2002年 ゼンショーHD はま寿司を設立 1999年 ゼンショーHD 東京証券取引所第二部市場に上場 1982年 ゼンショーHD すき家(牛丼店)ビルイン1号店として生麦駅前店を開店
- Umios 2026年 Umios Umiosに商号変更 2023年 Umios 売上高が経営統合以来初めて1兆円を超える 2020年 Umios 池見賢氏が社長に就任 2018年 Umios 社名ロゴを刷新 2014年 Umios マルハニチロHDなど5社を吸収合併 2013年 Umios アクリフーズ事件と6社合併:農薬混入事件への危機対応と、グループ中核6社を1社へ統合する純粋持株会社体制の解消 2013年 Umios アクリフーズ製品の大規模な自主回収を実施 2008年 Umios 子会社の神港魚類による中国産ウナギの産地偽装が発覚 2007年 Umios マルハとニチロの経営統合:水産大手2社の一体化と、持株会社体制での再出発 2007年 Umios ニチロを株式交換により完全子会社化
- NTTドコモ 2020年 NTTドコモ 日本電信電話が公開買付けによる完全子会社化を発表 2020年 NTTドコモ 井伊基之氏が社長に就任 2018年 NTTドコモ 最大4000億円の顧客還元を発表 2015年 NTTドコモ 「NOTTV」からの撤退を決定 2013年 NTTドコモ iPhoneの取り扱い開始:自前の端末ラインアップで囲い込む方針を解き、AndroidとiOSの二本立てへ転じた 2013年 NTTドコモ iPhoneの取り扱いを開始 2010年 NTTドコモ LTEサービスを開始 2008年 NTTドコモ 地域ドコモ8社を吸収合併 2004年 NTTドコモ AT&T Wireless株を売却 2000年 NTTドコモ AT&T Wirelessへ出資:iモード・W-CDMAの世界展開を狙った海外通信事業者への約1.9兆円出資 1999年 NTTドコモ 「iモード」のサービスを開始 1999年 NTTドコモ 日本電信電話が純粋持株会社体制に移行
- アルバック 2018年 アルバック 愛発科成膜技術(合肥)有限公司を設立 2012年 アルバック 半導体・パネルに集約:純損失499億円を受けて踏み切った、創立以来初めての事業構造改革 2004年 アルバック 東証一部上場で資金調達:東証一部上場で集めた資本を半導体・FPD製造装置の生産能力へ積み増した資本政策 1998年 アルバック シンガポールCSセンター・台湾新竹R&Dセンターを開設 1987年 アルバック 西独にULVAC GmbHを設立 1975年 アルバック ULVAC North America Corp.を設立 1963年 アルバック 新生産業に吸収合併され日本真空技術に商号変更 1961年 アルバック 真空冶金事業に参入 1952年 アルバック 日本真空技術を創業
- 日本取引所G 2025年 日本取引所G FY24(2025年3月期)当期利益610億円で2期連続過去最高 2022年 日本取引所G 東京証券取引所の新市場区分開始 2019年 日本取引所G 東京商品取引所の公開買付完了 2012年 日本取引所G 大阪証券取引所との統合:国内2大市場の経営統合による日本取引所グループの発足 2007年 日本取引所G ジャスダックの子会社化:公開買付けによる傘下入れと、分立していた新興市場の統合 2001年 日本取引所G 東京証券取引所、会員組織からに組織変更 1999年 日本取引所G 東京証券取引所、株券売買立会場を閉場 1999年 日本取引所G 東京証券取引所、新興企業向け市場「マザーズ」を開設 1985年 日本取引所G 東京証券取引所、国債先物市場を開設 1969年 日本取引所G 東京証券取引所株価指数(TOPIX)算出開始 1956年 日本取引所G 債券市場を開設 1949年 日本取引所G 会員組織として東京・大阪証券取引所が設立
- ネクソン 2025年 ネクソン "マビノギモバイル"を配信開始 2024年 ネクソン イ・ジョンホンが代表取締役社長に就任 2019年 ネクソン Embark Studios AB(スウェーデン)を子会社化 2011年 ネクソン 東京証券取引所への上場:韓国発祥のオンラインゲーム会社としての資金調達基盤の獲得 2008年 ネクソン NEXON KoreaがNEOPLE INC.を買収し子会社化 2005年 ネクソン 親会社NXCを買収:子会社が親会社の中核事業を逆に取り込む形での資本関係の組み替え 2005年 ネクソン NEXON Koreaが"メイプルストーリー"をWizetから譲受
- アステラス製薬 2023年 アステラス製薬 IVERIC bio, Inc.を買収 2023年 アステラス製薬 FY23純利益が前年比83%減 2016年 アステラス製薬 オカタセラピューティクスInc.を買収 2016年 アステラス製薬 ガニメドファーマシューティカルズAGを買収 2010年 アステラス製薬 米OSIへの敵対的TOB:同意なき買付からの出発と、価格の引き上げによる合意への持ち込み 2005年 アステラス製薬 山之内製薬との合併:二社の対等合併に踏み切って生まれた新会社アステラス製薬の発足
- ローランド 2025年 ローランド DWがRoland Drum Corporationを吸収合併 2022年 ローランド ドラム開発・製造・販売会社(DW)を子会社化 2018年 ローランド ボスを吸収合併 2015年 ローランド ローランドを存続会社として、常若コーポレーションと合併 2014年 ローランド 常若コーポレーションの子会社化:創業者の反発の中でのMBOによる非公開化 2014年 ローランド 東京証券取引所市場第一部上場廃止 2004年 ローランド ベルギーとフランスの販売会社統合 1998年 ローランド プロデューサー制の導入:開発と生産を分け、製品企画に特化させる開発体制の改革 1996年 ローランド 檀克義氏が社長就任:技術先行の会社を営業出身のプロ経営者に託す第3代への交代 1989年 ローランド 大阪証券取引所市場第二部に上場 1973年 ローランド シンセサイザー、電子ピアノ発表
- 松井証券 2023年 松井証券 銀行サービス「MATSUI Bank」を開始 2020年 松井証券 和里田聰氏が社長に就任 2019年 松井証券 投資信託の販売手数料を完全無料化 2016年 松井証券 投資信託の取扱いとポートフォリオ提案「投信工房」を開始 2013年 松井証券 「一日信用取引」導入:デイトレード限定の商品投入による、委託手数料に依存しない収益構造への移行 2003年 松井証券 無期限信用取引を開始 2001年 松井証券 外国為替証拠金取引(FX)サービスを開始 1999年 松井証券 「ボックスレート」導入:定額制手数料への転換と、当初案7割引から9割引への引き下げ 1998年 松井証券 国内初の本格的インターネット取引「ネットストック」を開始 1995年 松井証券 外交営業の否定:広告・電話営業への転換、株式保護預り手数料の無料化 1949年 松井証券 東京証券取引所の正会員に加入 1918年 松井証券 松井房吉商店を創業
- レナウン 2020年 レナウン 東京地方裁判所から民事再生手続開始の決定(負債総額約138億円) 2019年 レナウン 山東如意の子会社向け売掛金に53億円の貸倒引当金を計上 2013年 レナウン 山東如意グループの持株比率が53%に上昇 2010年 レナウン 山東如意科技集団への増資:第三者割当増資の引き受けによる、中国資本の傘下への移行 2009年 レナウン 筆頭株主ネオラインの要求を受け取締役が総退陣 2008年 レナウン アクアスキュータムの売却を決定 1998年 レナウン アパレル不況下の全権委任:外様の会長への全権委任と、役員全員による辞職届の提出 1994年 レナウン 創業以来初の希望退職を募集 1990年 レナウン アクアスキュータムを買収:国内ライセンス権を欠いたまま踏み切った英国ブランドの取得 1985年 レナウン 稲川博通社長の「売り上げを伸ばせ」の号令で28の新ブランドを一挙に発売 1979年 レナウン 稲川博通氏が社長に就任 1969年 レナウン 「アーノルド・パーマー」を発売 1959年 レナウン 「暮しの肌着」を町の洋品屋に置くレナウン・チェーン・ストア計画を開始 1947年 レナウン 尾上清・本間良雄を中心に佐々木営業部が再発足
- 大東建託 2025年 大東建託 アスコット96.03%取得 2024年 大東建託 STASIA CAPITAL MANAGEMENT を取得 2017年 大東建託 グループ主要3社体制を始動 2011年 大東建託 ハウスコムの単独上場:賃貸仲介子会社の単独上場と、14年後の親子上場の解消 2007年 大東建託 連帯保証人不要サービスを開始 1999年 大東建託 賃貸建物管理業務を開始 1996年 大東建託 大東ファイナンス設立で垂直統合:賃貸経営に付随する仕事を外へ出さずグループ内へ抱え込む囲い込み 1988年 大東建託 大東建託へ社名変更:土地活用を軸とする事業モデルの確立と、それを掲げた社名への刷新 1978年 大東建託 商号を大東建設に変更
- MARUWA 2023年 MARUWA 瀬戸工場を新設 2012年 MARUWA ヤマギワ株式を取得:企業再生支援機構からの全株式7億円での引き受け 2003年 MARUWA 半導体製造関連に用いる石英ガラス事業に参入 1999年 MARUWA 積層セラミックコンデンサ(MLCC)等のEMC対策部品の生産を開始 1995年 MARUWA マレーシア第3工場建設:日本証券業協会への株式店頭登録と、増資資金による海外第3工場への増産投資 1989年 MARUWA 高周波部品分野に参入 1974年 MARUWA チップ抵抗器用セラミック基板の生産を開始 1960年 MARUWA 通信機器向け特殊磁器など電子部品分野に参入 1946年 MARUWA 神戸芳郎が丸和を設立
- ラウンドワン 2024年 ラウンドワン 持株会社体制に移行 2019年 ラウンドワン Round One Rus LLCを設立 2010年 ラウンドワン 米カリフォルニア初出店:海外第1号店の開設と、国内で育てたモール業態のそのままの移植 2009年 ラウンドワン Round One Entertainment Inc.を設立 1994年 ラウンドワン 杉野興産から商号変更:旧ラウンドワンの吸収合併と、それに合わせた社名の刷新 1990年 ラウンドワン 屋内型複合レジャー施設の石津店をオープン 1982年 ラウンドワン ボウリング場の経営を開始
- ヒロセ電機 2024年 ヒロセ電機 東北アドバンスト・テクノロジーセンターを設立 2019年 ヒロセ電機 ヒロセエレクトリックマーケティングマレーシアSdn Bhdを設立 2010年 ヒロセ電機 ヒロセコリアの完全子会社化:29年続いた韓国合弁の段階的な買い増しと、単独支配への移行 2007年 ヒロセ電機 広瀬電機(蘇州)有限公司を設立 1999年 ヒロセ電機 廣瀬香港有限公司を設立 1980年 ヒロセ電機 米国現地法人設立:北米を第一歩とする海外拠点網の構築による、国内中心の事業体制からの転換 1972年 ヒロセ電機 創業35年での株式上場:外資と組まない純国産コネクタ専業のまま東証二部へ上場 1967年 ヒロセ電機 菊名工場を新設 1954年 ヒロセ電機 下丸子工場を新設 1948年 ヒロセ電機 湯河原工場で丸形・角形・同軸コネクタの生産を開始
- ホリプロ 2014年 ホリプロ 持株会社ホリプロ・グループ・ホールディングスを設立 2012年 ホリプロ 東京証券取引所市場第一部の上場を廃止 2011年 ホリプロ 青春社のMBOで上場廃止:創業家の資産管理会社によるMBOと、東京証券取引所市場第一部の上場廃止 2006年 ホリプロ 天王洲に自社劇場「銀河劇場」を開場 1992年 ホリプロ 小売販売会社サクラヤ商事の株式を取得 1990年 ホリプロ 商号をホリプロダクションからホリプロに変更 1989年 ホリプロ 日本証券業協会東京地区協会に店頭銘柄として株式を登録 1987年 ホリプロ ホリミュージックほかグループ4社を吸収合併 1976年 ホリプロ タレントスカウトキャラバン創設:新人発掘の他社番組依存からの転換と、全国公募オーディションの創設 1969年 ホリプロ 映像の企画制作を担うホリ企画制作を設立 1965年 ホリプロ 東京音楽出版の設立:放送局系列の音楽出版会社への楽曲著作権譲渡の不採用 1963年 ホリプロ ホリプロダクションを設立
- 九州電力 2020年 九州電力 一般送配電事業等を九州電力送配電に承継 2015年 九州電力 玄海原子力発電所1号機運転終了 2013年 九州電力 川内1・2号機の再稼働申請:全原発停止下での家庭向け料金値上げと、原子力復帰を先頭に据えた収支の立て直し 2009年 九州電力 プルサーマル発電開始 2001年 九州電力 九州通信ネットワークを子会社化 1999年 九州電力 キューデン・インターナショナル設立 1989年 九州電力 松浦発電所1号機運転開始 1975年 九州電力 玄海1号機による電源多角化:石油に頼りきった発電構成から抜け出すための、原子力を先頭に据えた組み替え 1972年 九州電力 西日本共同火力と合併 1969年 九州電力 大分発電所1号機運転開始 1951年 九州電力 日本発送電の解体で発足:電気事業再編成令による九州一円の発送配電一貫会社としての設立
- 千葉銀行 2025年 千葉銀行 FY24経常利益1075億円、純利益742億円 2023年 千葉銀行 業務改善命令を受ける 2011年 千葉銀行 ちばぎん証券を完全子会社化:株式交換による証券子会社の取り込みと、証券業務の内製化 2009年 千葉銀行 FY08経常利益93億円(リーマンショック影響) 1998年 千葉銀行 中央証券株式取得で子会社化 1989年 千葉銀行 香港支店開設 1970年 千葉銀行 東証二部に株式上場:公開市場での資金調達への踏み出しと、翌年の第一部指定替え 1960年 千葉銀行 銀行史上稀にみる労働争議 1958年 千葉銀行 不正融資事件発生 1956年 千葉銀行 融資問題で信用低下・業績悪化 1948年 千葉銀行 金融機関再建整備法による最終処理で90%減資 1943年 千葉銀行 千葉合同ら3行合併:小見川農商・第九十八を交えた統合による千葉銀行の設立 1931年 千葉銀行 県内6行体制に整理統合
- 大同特殊鋼 2024年 大同特殊鋼 ピーアンドエムを子会社化 2019年 大同特殊鋼 下村工業グループ等を子会社化 2013年 大同特殊鋼 知多にアーク炉新設:150トン級の大型炉導入による、高付加価値鋼へ向けた設備の作り替え 2007年 大同特殊鋼 日本精線が大同ステンレスを吸収合併し子会社化 1996年 大同特殊鋼 大同テクノメタル・大同ピーディーエム合併で大同アミスターに 1988年 大同特殊鋼 OHIO STAR FORGE設立 1976年 大同特殊鋼 日本特殊鋼と3社合併:特殊製鋼を加えた3社の合流と、大同特殊鋼への商号変更 1964年 大同特殊鋼 関東製鋼を合併 1957年 大同特殊鋼 東京製鋼所を合併 1955年 大同特殊鋼 新理研工業を合併
- サントリーHD 2025年 サントリーHD サントリーシステムテクノロジーの事業を吸収合併により承継 2024年 サントリーHD Beam Suntory Inc.をSuntory Global Spirits Inc.に商号変更 2014年 サントリーHD 1兆円超で米ビーム買収:自前で育てれば30年かかる時間を、資金で一気に買い取る選択 2013年 サントリーHD サントリー食品インターナショナルが東京証券取引所市場第一部に上場 2010年 サントリーHD キリンHDとの経営統合交渉を断念 2009年 サントリーHD 株式移転によりサントリーHDを設立 2009年 サントリーHD Orangina Schweppes Holdingsを買収した。買収額は約3500億円 1999年 サントリーHD 佐治敬三氏が死去 1981年 サントリーHD 「サントリーウーロン茶」を発売した。これを機に清涼飲料事業を拡大 1976年 サントリーHD 未公開企業ながら決算数字を初めて公表 1963年 サントリーHD ビール市場への参入:主力が順風のうちに、勝ち目の薄い市場へあえて踏み出す選択 1952年 サントリーHD 資本金を4800万円に増資 1923年 サントリーHD 本格ウイスキーの国産化:資本が数年寝るのを承知で始めた 1902年 サントリーHD 鳥井信治郎氏の個人経営で「赤玉ポートワイン」など洋酒類の製造に着手 1899年 サントリーHD 鳥井信治郎が大阪で鳥井商店を創業
- 住友ベークライト 2021年 住友ベークライト 医療機器事業を会社分割によりSBカワスミへ事業承継 2019年 住友ベークライト 川澄化学工業と資本業務提携 2014年 住友ベークライト 米Vaupellの買収:川澄化学工業の子会社化と併せた医療機器・航空機部品事業の構築 2000年 住友ベークライト 米国 Occidental Chemical Corporation のフェノール樹脂事業を買収 1998年 住友ベークライト 台湾住友培科股份有限公司を設立 1989年 住友ベークライト SumiDurez Singapore Pte. Ltd.に出資 1962年 住友ベークライト 中央研究所(基礎研究所)発足 1955年 住友ベークライト 日本ベークライトとの合併:住友化工材工業との合併と、住友化学傘下での新会社の発足 1932年 住友ベークライト 日本ベークライトを設立
- 日本冶金工業 2024年 日本冶金工業 川崎製造所新冷間圧延機稼働 2010年 日本冶金工業 川崎・大江山を吸収合併:川崎・大江山の分社実験と、2010年の本体一体運営への回帰 2001年 日本冶金工業 行川アイランド(遊園地)を閉園 1999年 日本冶金工業 金沢工場閉鎖しステンレス鋼鋳造品の生産販売より撤退 1983年 日本冶金工業 大江山ニッケルを合併し大江山製造所に 1975年 日本冶金工業 フェロニッケル製錬部門を分離し新設の大江山ニッケルへ譲渡 1968年 日本冶金工業 川崎製造所60屯電気炉稼動 1956年 日本冶金工業 金沢工場でステンレス鋼鋳造品の生産販売開始 1943年 日本冶金工業 大江山ニッケル工業合併:合併によって進めたニッケル原料の内製化と上流工程の取り込み 1942年 日本冶金工業 商号を日本冶金工業に商号変更し火薬火工部門を昭和火薬へ譲渡 1936年 日本冶金工業 ステンレスへ業態転換:消火器から火工品へ、さらに特殊鋼へと続いた二度の作り替え
- 住友金属鉱山 2024年 住友金属鉱山 コテ金鉱山で商業生産を開始 2016年 住友金属鉱山 シエラゴルダ銅鉱山で損失計上 2015年 住友金属鉱山 チリ・シエラゴルダ銅鉱山の生産を開始 2013年 住友金属鉱山 フィリピン・タガニートHPAL生産開始 2011年 住友金属鉱山 シエラゴルダ鉱山を譲渡:チリでの権益取得から、二度の減損を経た全持分の売却までの撤退 2005年 住友金属鉱山 フィリピン・コーラルベイHPAL生産開始 1992年 住友金属鉱山 チリ・カンデラリア銅鉱床の開発PJに参加 1985年 住友金属鉱山 菱刈鉱山を開山(鹿児島県) 1977年 住友金属鉱山 リードフレーム生産を開始 1973年 住友金属鉱山 別子鉱山を閉山 1967年 住友金属鉱山 青梅工場を新設(電子金属事業) 1956年 住友金属鉱山 子会社日向製錬所を設立 1927年 住友金属鉱山 住友別子鉱山を設立:住友家直営だった銅山と四阪島製錬所の切り出しによる会社組織への移行
- サントリービバレッジ&フード 2026年 サントリービバレッジ&フード 商号をサントリービバレッジ&フードに変更予定 2024年 サントリービバレッジ&フード サントリーフーズの自動販売機営業事業をサントリービバレッジソリューションへ承継 2015年 サントリービバレッジ&フード ジャパンビバレッジHDとジェイティエースターを子会社化 2014年 サントリービバレッジ&フード GlaxoSmithKline から「Lucozade」「Ribena」事業を譲受 2013年 サントリービバレッジ&フード 飲料子会社の単独上場:親会社を非公開に保ったまま、傘下の事業会社だけを東証一部へ送り出す形 2009年 サントリービバレッジ&フード サントリーの飲料・食品事業を吸収分割で承継 2009年 サントリービバレッジ&フード サントリーHDが Orangina Schweppes Holding S.à r.l. を子会社化 1997年 サントリービバレッジ&フード サントリーがペプシコから日本でのマスターフランチャイズ権を取得 1932年 サントリービバレッジ&フード 寿屋が清涼飲料の販売を開始
- アンドエスティHD 2024年 アンドエスティHD アダストリアが営むECモール運営事業を、アンドエスティへ承継させる吸収分割を実施 2022年 アンドエスティHD ゼットンを子会社化 2017年 アンドエスティHD Adastria USA,Inc.を通じて米国のVelvet,LLCを子会社化 2013年 アンドエスティHD アダストリアへの持株会社移行:複数ブランドを一つの傘に集めるマルチブランドSPAへの再編 2013年 アンドエスティHD トリニティアーツを株式交換により子会社化 2007年 アンドエスティHD 自社サイトでのEコマース事業に参入 1995年 アンドエスティHD 本部を移転 1988年 アンドエスティHD ベアーズファクトリーを設立 1973年 アンドエスティHD メンズカジュアルウェア小売業に参入 1953年 アンドエスティHD 福田屋洋服店(資本金1,000千円)を設立
- Sansan 2020年 Sansan 経理DXサービス「Bill One」の提供を開始 2019年 Sansan 東京証券取引所マザーズ市場に上場 2013年 Sansan 名刺管理サービスでCM放映:黒字経営から赤字を許す先行投資への転換と、市場そのものの創出 2012年 Sansan 個人向け名刺アプリ「Eight」の提供を開始 2007年 Sansan 三三を設立 2007年 Sansan 名刺管理サービス「Link Knowledge」の提供を開始
- 幻冬舎 2011年 幻冬舎 立花証券が議決権を行使せずMBOが成立 2010年 幻冬舎 TKHDによるMBO非公開化:1株当たり純資産を大きく下回る株価のもとでの株式公開買付けと、ジャスダック上場の廃止 2010年 幻冬舎 MBOによる上場廃止を表明 2006年 幻冬舎 新書17作品を皮切りに新書分野へ参入 2001年 幻冬舎 コミックス事業に参入 1997年 幻冬舎 文庫本分野に参入
- ライブドア 2010年 ライブドア ライブドアとエイシスの株式を譲渡 2006年 ライブドア マザーズ上場廃止後に現金化:上場廃止後の子会社売却による現金化と、解散を選ばなかった法人の存続 2005年 ライブドア ニッポン放送株を大量取得:時間外取引という抜け道を使った買い集めと、フジテレビジョンへの売却 2004年 ライブドア 株式100分割の実施:投資事業組合を用いた自社株売却益の営業利益計上 1999年 ライブドア 光通信とグッドウィル・コミュニケーションズに第三者割当増資 1996年 ライブドア 堀江貴文氏がオン・ザ・エッヂを設立
- メディパルHD 2023年 メディパルHD 住友ファーマフード&ケミカルを完全子会社化、商号をMP五協フード&ケミカルに変更 2016年 メディパルHD アステックを完全子会社化 2013年 メディパルHD メディエを完全子会社化 2009年 メディパルHD メディパルHDへ移行:会社分割による医薬品卸事業の切り出しと純粋持株会社への移行 2005年 メディパルHD パルタックの完全子会社化:日用品卸最大手を株式交換で取り込む医薬・日用品の二本柱化 2000年 メディパルHD 三社合併でクラヤ三星堂発足:医薬品卸3社の対等合併と、これに伴う本店の東京移転 1997年 メディパルHD 東京証券取引所・大阪証券取引所の各市場第一部に指定 1971年 メディパルHD 大阪支社の開設:38%を握った兵庫に留まらず、主戦場を大阪へ移した三星堂の府外進出 1946年 メディパルHD 地方開拓日誌と支店網の構築:得意先52軒から全県下へ売り歩き、復員者を全員迎えるために営業区域を拡げた三星堂の戦後 1931年 メディパルHD 熊田兄弟の退陣と武田長兵衛商店の救援:創業家を経営から外し、負債20万円の肩代わりを仰いだ再建 1898年 メディパルHD 三星堂の創業:同業と争わず店を移し、病院と官需の卸へ回った
- エディオン 2025年 エディオン ジャパンネクストリテイリングを子会社化 2024年 エディオン 麻布を子会社化 2019年 エディオン e-ロジの全株式を取得 2010年 エディオン エディオンEAST・エディオンWESTを吸収合併 2009年 エディオン デオデオがミドリ電化吸収合併:事業会社を東西2社へ集約後に持株会社が吸収合併、純粋持株会社体制から単一運営体制への移行 2005年 エディオン ミドリ電化の完全子会社化:近畿地盤の同業を株式交換で取り込み連結売上7,146億円へ 2002年 エディオン デオデオ・エイデンの株式移転:共同持株会社エディオンの設立と、三市場一部への上場
- MonotaRO 2025年 MonotaRO MONO1X TECHNOLOGIES(現MONOTARO TECHNOLOGIES INDIA PRIVATE LIMITED)を設立 2024年 MonotaRO 鈴木雅哉社長から田村咲耶社長へ交代 2018年 MonotaRO 卓易隆電子商務(上海)有限公司(ZORO Shanghai Co., Ltd.)を設立 2014年 MonotaRO 本社を移転 2009年 MonotaRO 親会社が米Graingerに交代:自己株式取得と公開買付を通じた、住友商事の傘からの離脱 2006年 MonotaRO 東証マザーズへ上場:「住商」「グレンジャー」を外した社名変更と、それに伴う株式公開 2000年 MonotaRO 米Graingerと合弁設立:住友商事との共同出資で立ち上げた住商グレンジャーの設立
- 東京センチュリー 2020年 東京センチュリー 日本電信電話と資本業務提携契約を締結し第三者割当増資を実施 2019年 東京センチュリー Aviation Capital Group LLCを完全子会社化 2017年 東京センチュリー Aviation Capital Group LLCの持分20%を取得し持分法適用関連会社化 2013年 東京センチュリー 日本カーソリューションズと東京オートリースが合併 2012年 東京センチュリー 京セラと太陽光発電事業会社である京セラTCLソーラーを設立 2009年 東京センチュリー 東京リースとの合併:リーマン破綻の2週間後に決めた 2005年 東京センチュリー NTTとの合弁会社化:自動車リース子会社を50対50の対等出資へ組み替える再編 2003年 東京センチュリー 東証二部上場:設立から34年を経ての株式公開と、市場からの資金調達への道筋づくり 1985年 東京センチュリー 自動車リース部門を分離しセンチュリー・オート・リースを設立 1969年 東京センチュリー センチュリー・リーシング・システムを設立
- 日本興亜損害保険 2010年 日本興亜損害保険 損害保険ジャパンとの共同株式移転によりNKSJHDが発足 2008年 日本興亜損害保険 サウスイースタンの反対:筆頭株主による社長再任反対と、経営統合をめぐるOB株主の反対 2003年 日本興亜損害保険 12日間の業務停止命令:代理店の違法な生保募集による代理店名の非公表 2001年 日本興亜損害保険 興亜火災海上保険との合併:三社統合構想の破談と、残る2社での合併による再出発 1999年 日本興亜損害保険 三井海上火災・日本火災海上・興亜火災海上の3社が経営統合を発表 1977年 日本興亜損害保険 興亜火災海上保険が英国ロンドンにKoa Insurance Company (U.K.) Limitedを設立 1961年 日本興亜損害保険 興亜火災海上保険が大阪証券取引所に上場 1954年 日本興亜損害保険 興亜海上火災運送保険が興亜火災海上保険に商号変更 1944年 日本興亜損害保険 辰馬海上火災・大北火災海上運送・神国海上火災・尼崎海上火災の4社が解散合併 1944年 日本興亜損害保険 日本火災海上保険と日本海上火災保険が解散合併
- グッドウィル・G 2007年 グッドウィル・G コムスン全介護事業を譲渡:指定取消相当の通知を受けての介護事業からの全面撤退 2006年 グッドウィル・G クリスタルグループ買収:事業領域の重なりを理由とした、売上が自社の3倍の請負最大手の借入による取り込み 2000年 グッドウィル・G コムスン1208カ所を同時開設:公的介護保険の開始に合わせた全国一斉のケアセンター展開と、2か月半後の4割統廃合 1997年 グッドウィル・G コムスンに資本参加し関連会社化
- ユニ・チャーム 2011年 ユニ・チャーム Diana Unicharm Joint Stock Companyの株式の95%を取得 2011年 ユニ・チャーム The Hartz Mountain Corporationの株式の51%を取得 2005年 ユニ・チャーム Unicharm Gulf Hygienic Industries Co. Ltd.を買収 2004年 ユニ・チャーム SAPS経営会議の導入:「脱・指示待ち」を掲げ、第2の創業と位置づけた組織改革 2001年 ユニ・チャーム 高原慶一朗氏の社長退任と高原豪久氏への継承:創業家二代目への引き継ぎと、指示待ちの組織風土からの脱却 1994年 ユニ・チャーム 「ムーニーマン」の開発:パンツ型紙おむつを短期間で世に出した開発体制の確立 1993年 ユニ・チャーム Uni.Charm Mölnlycke B.V.を設立 1985年 ユニ・チャーム 売上高3000億円構想:本業の外へ事業を広げる多角化を軸とした、長期の企業規模拡大構想の策定 1981年 ユニ・チャーム 幼児用紙おむつの販売を開始 1976年 ユニ・チャーム 東京証券取引所市場第二部に上場 1963年 ユニ・チャーム 衛生紙綿(生理用ナプキン)の製造、販売を開始
- クレディセゾン 2025年 クレディセゾン 連結事業利益936億円・過去最高益を更新 2023年 クレディセゾン スルガ銀行に資本参加(持分法適用会社化) 2019年 クレディセゾン 林野宏社長から山下昌宏COO体制へ移行 2014年 クレディセゾン Credit Saison Asia Pacific Pte. Ltd.を設立 2009年 クレディセゾン 連結純損失▲555億円に転落 2004年 クレディセゾン みずほと資本非関与提携:大手銀行の傘下に入らず、業務面の連携にとどめた独立路線の堅持 2004年 クレディセゾン 髙島屋とカード事業提携:系列の枠を越えて百貨店と組み、特定の資本系列に偏らない提携方針への転換 1997年 クレディセゾン セゾン・アメックス発行:提携カードの追加による、4大国際ブランドを揃えた体制の完成 1988年 クレディセゾン セゾンVISA・MasterCardインターナショナルカード発行 1982年 クレディセゾン 西武カード発行、セゾンカウンターの全国展開を開始 1976年 クレディセゾン 西武流通グループ入り:緑屋の西武百貨店との資本提携 1968年 クレディセゾン 東京証券取引所市場第一部に指定 1951年 クレディセゾン 緑屋を設立
- 王子HD 2025年 王子HD 中長期経営計画と連動し配当性向30%→50%へ引き上げ 2024年 王子HD Walkiグループ(フィンランド)の株式取得 2019年 王子HD 加来正年が代表取締役社長に就任 2014年 王子HD Carter Holt Harvey Pulp & Paperを取得 2012年 王子HD 持株会社制に移行し「王子HD」に商号変更 2009年 王子HD 初の純損失を計上 2007年 王子HD 南通への一貫生産工場建設:中国での一貫生産の立ち上げと、排水パイプライン計画の撤回 2006年 王子HD 北越製紙へ敵対的TOB:日本初の本格的な敵対的買収に踏み切った業界再編の仕掛け 1996年 王子HD 本州製紙との合併:かつて分かれた同根の会社との再統合と47年ぶりの旧名復帰 1993年 王子HD 神崎製紙と合併し「新王子製紙」に商号変更 1989年 王子HD 東洋パルプと合併 1979年 王子HD 日本パルプ工業と合併 1968年 王子HD 十條・本州合併の撤回:旧王子3社の合併覚書の取り下げと、同業を一社ずつ吸収する路線への転換 1958年 王子HD 王子労組が145日間のストライキに突入 1949年 王子HD 集中排除法により3分割、苫小牧製紙として再発足 1933年 王子HD 富士製紙・樺太工業を合併
- カゴメ 2024年 カゴメ Ingomar Packing Company, LLCの持分を追加取得し子会社化 2019年 カゴメ 国内食品メーカー5社で物流会社F-LINEを設立 2010年 カゴメ Kagome Australia Pty Ltd.と子会社2社を設立 2002年 カゴメ 商品開発体制の刷新:ヒット商品を連続して生み出すことをねらった、社内の進め方の作り替え 2001年 カゴメ 個人株主10万人構想:株主を「ファン」へ変えることによる、値動きで動かない持ち手の厚み付け 1998年 カゴメ 生鮮トマト事業への参入:「農業への原点回帰」の旗の下での、自社菜園の全国展開 1995年 カゴメ 野菜飲料「野菜生活100」を発売 1983年 カゴメ ブランドマークを に変更 1978年 カゴメ 名古屋証券取引所市場第一部に指定替 1967年 カゴメ 台湾可果美股份有限公司を合弁・設立、海外トマト原料調達に着手 1960年 カゴメ デルモンテとの提携拒否:合弁の申し出を退け、契約栽培で原料を握る国産・自主路線の選択 1949年 カゴメ 愛知トマト製造・愛知海産興業・滋賀罐詰・愛知商事・愛知罐詰興業の5社が合併 1933年 カゴメ トマトジュースを発売
- 三菱レイヨン 2017年 三菱レイヨン 三菱化学・三菱樹脂と統合し三菱ケミカルが発足 2010年 三菱レイヨン 三菱ケミカルHDが公開買付により三菱レイヨンを子会社化 2008年 三菱レイヨン 英ルーサイトを買収:買収によって一気に引き寄せた、MMA市場での世界首位の座 2006年 三菱レイヨン MMA基軸へ経営資源集中:初の非繊維出身社長の起用と、繊維以外へ軸足を移す判断 1998年 三菱レイヨン 日東化学工業を合併 1990年 三菱レイヨン コートルズ・グラフィル買収:炭素繊維での成形品重視の川下路線と、米プリプレグ・原糸2社の買収 1982年 三菱レイヨン イソブチレン直接酸化法によるMMAモノマー工場を大竹に建設 1976年 三菱レイヨン 第1次石油危機後の合繊の構造不況で無配に転落 1972年 三菱レイヨン 東洋紡とのトップ会談で全面的な事業提携に踏み切る 1968年 三菱レイヨン エンカ・インターナショナルからポリエステル長繊維の製造技術を導入 1957年 三菱レイヨン アクリル繊維事業に参入 1950年 三菱レイヨン 企業再建整備法により三菱化成工業が3社に分割され、新光レイヨンとして発足 1945年 三菱レイヨン 岐阜工場が空襲で焼失
- スカパーJSAT 2026年 スカパーJSAT スカパーJSATを吸収合併 2024年 スカパーJSAT スカパー・ピクチャーズを設立 2016年 スカパーJSAT CS放送の衛星一般放送業務をスカパー・エンターテイメントへ承継 2014年 スカパーJSAT スカパーJSATが、連結子会社であったオプティキャストを吸収合併 2008年 スカパーJSAT 株式取得により宇宙通信を子会社化 2007年 スカパーJSAT JSATとの経営統合:株式移転による衛星会社宇宙通信の子会社化 2000年 スカパーJSAT ディレクTVの救済統合:ライバル 東証マザーズ上場 1998年 スカパーJSAT スカイパーフェクTV発足:先行する2陣営の合併による衛星放送事業の一本化 1998年 スカパーJSAT 「スカイパーフェクTV」が発足
- ABCマート 2025年 ABCマート GS旗艦店を銀座に新規出店(予定) 2022年 ABCマート 「オッシュマンズ・ジャパン」を完全子会社化 2019年 ABCマート 国内1000店舗体制へ 2012年 ABCマート LaCrosseをTOBにて買収 2002年 ABCマート 韓国からアジアへ海外展開:自社で組み上げたSPA型小売モデルを国外へ持ち出す形での市場開拓 2002年 ABCマート ITCからABCマートへ改称:祖業である卸売を畳んでの小売専業への一本化と、業態そのものの転換 1999年 ABCマート ABCマートの積極出店を開始・SCに照準 1990年 ABCマート 韓国生産委託でSPA化:ライセンス取得を足がかりにしたカジュアルシューズの企画から販売までの一貫化 1990年 ABCマート ABCマート1号店を開業・小売業に参入 1986年 ABCマート ホーキンスの国内独占販売権を取得
- あいおい損害保険 2010年 あいおい損害保険 東京・大阪・名古屋の各証券取引所で上場廃止 2009年 あいおい損害保険 三井住友海上グループHDと株式交換契約を締結 2002年 あいおい損害保険 旧千代田火災の損失処理:米国再保険で生じた1300億円の損失処理と、旧2社の融和・システム統合による立て直し 2001年 あいおい損害保険 千代田火災海上保険と合併:三社連合案を退けての合併と、あいおい損害保険の発足 1997年 あいおい損害保険 GOA車専用保険の開発:自動車メーカーの依頼に応じた、メーカー主導の商品設計の受け入れ 1983年 あいおい損害保険 自動車研修所を開設 1952年 あいおい損害保険 大東京火災海上保険が東京証券取引所に株式を上場 1945年 あいおい損害保険 大倉火災海上と千代田火災が対等合併 1944年 あいおい損害保険 東京動産火災保険が東神火災保険を吸収合併
- 久光製薬 2026年 久光製薬 中冨一榮氏の資産管理会社・大洋興産がMBOを決議 2026年 久光製薬 MBOのTOBが成立(2026年2月20日)。5月ごろ上場廃止の見込み 2023年 久光製薬 通信販売事業を吸収分割により連結子会社の久光ウエルネスへ承継 2019年 久光製薬 連結子会社のヒサミツ イタリア S.r.l.を設立 2011年 久光製薬 連結子会社の久光製薬技術諮詢(北京)有限公司を設立 2009年 久光製薬 米ノーベンの完全子会社化:株式公開買付けを通じて進めた米国の医薬品会社の全株取得 2005年 久光製薬 エスエス製薬の事業承継:吸収分割による医療用医薬品事業の譲り受けと品ぞろえの拡充 1994年 久光製薬 ヒサミツ ベトナム ファーマシューティカル カンパニーリミテッドを設立 1981年 久光製薬 サロンパス軸へ資源集中:赤字決算を受けた経皮吸収型製剤への経営資源集中 1981年 久光製薬 経皮吸収型製剤(TTS)へ経営資源を集中 1975年 久光製薬 合弁会社のP.T.サロンパスインドネシアを設立 1966年 久光製薬 名古屋出張所を開設 1951年 久光製薬 三養基製薬など三社合併:三養基製薬・田代鉱機工業を含む合併による株式会社への改組 1948年 久光製薬 田代鉱機工業を設立
- ジェイテクト 2025年 ジェイテクト 欧州ニードル・ローラー・ベアリング(NRB)事業を譲渡完了 2024年 ジェイテクト 近藤禎人氏が社長に就任 2017年 ジェイテクト 富士機工を完全子会社化 2010年 ジェイテクト 2期連続純損失▲194億円、営業利益は4億円とほぼ消滅 2009年 ジェイテクト ティムケンのニードル軸受取得:2期連続赤字のさなかに踏み切った同業からの事業買収 2009年 ジェイテクト リーマン危機で純損失▲120億円に転落 2006年 ジェイテクト 光洋精工と豊田工機の合併:軸受と工作機械の統合による新会社ジェイテクトの誕生 1998年 ジェイテクト ルーマニアのRULMENTI ALEXANDRIAを取得 1980年 ジェイテクト トヨタ自動車工業へ支援要請:巨額赤字を背景にした第三者割当増資による資本関係の深化 1980年 ジェイテクト 減資(1980年7月末の資本の額を3/4減少) 1977年 ジェイテクト TOYODA MACHINERY USA CORPORATIONを設立 1968年 ジェイテクト 豊田工機が自動車用パワーステアリングの開発に成功し生産を開始 1949年 ジェイテクト 大阪・東京証券取引所に上場
- 伊藤園 2024年 伊藤園 「ITO EN Europe GmbH」を設立 2015年 伊藤園 「ITO EN(North America)INC.」が「Distant Lands Trading Co.」の株式を取得 2011年 伊藤園 「チチヤス」の株式を取得 2007年 伊藤園 優先株式の東証上場:議決権を持たない第1種株式を市場で売買させる資本政策 2006年 伊藤園 タリーズコーヒー日本を子会社化:運営会社フードエックス・グローブの株式取得による店舗網の取り込み 1999年 伊藤園 ロイヤルスペンサーが玄米屋を吸収合併 1989年 伊藤園 「お~いお茶」ブランドとして発売 1985年 伊藤園 緑茶飲料「缶入り煎茶」を全国販売開始 1981年 伊藤園 中国茶の独占輸入から缶入り化:無糖のウーロン飲料という新市場の開拓と、飲料業界への進出 1979年 伊藤園 日本初のウーロン茶輸入代理店契約を締結 1976年 伊藤園 茶産地育成事業の展開を開始 1966年 伊藤園 緑茶のルートセールスを開始
- BIPROGY 2022年 BIPROGY BIPROGYに商号変更し東京証券取引所プライム市場へ移行 2012年 BIPROGY 大日本印刷と業務提携 2012年 BIPROGY 三井物産保有の20,726,410株を大日本印刷へ譲渡 2007年 BIPROGY ケンブリッジの買収:ネットマークスへのTOBと合わせたサービス事業への転換 2006年 BIPROGY 米ユニシス株の全売却:保有株の全売却による日米合弁体制の解消と独立経営への移行 2006年 BIPROGY ケンブリッジ・テクノロジー・パートナーズを子会社化 1999年 BIPROGY ユニアデックスへハードウェア保守サービス事業を営業譲渡 1997年 BIPROGY ユニアデックスを設立 1988年 BIPROGY バロースの吸収合併:吸収合併にともなう日本ユニシスへの商号変更と体制の一本化 1970年 BIPROGY 本社を移転 1969年 BIPROGY 日本ユニバック総合研究所発足 1958年 BIPROGY スペリー・コーポレーションと第一物産の協定で日本レミントン・ユニバックを設立
- エバラ食品工業 2021年 エバラ食品工業 エバラCJフレッシュフーズの株式を譲渡 2018年 エバラ食品工業 EBARA SINGAPORE PTE. LTD.を設立 2011年 エバラ食品工業 エバラCJフレッシュフーズを合弁会社として設立 2006年 エバラ食品工業 日本冷食をサンマルコ食品へ譲渡:冷凍食品・広告代理店・物流へ広げた周辺事業からの全面撤退 2004年 エバラ食品工業 ジャスダックへ上場:店頭登録を経て取引所市場へ移った株式公開 2001年 エバラ食品工業 形式上の存続会社エバレイの商号をエバラ食品工業に変更し合併 1999年 エバラ食品工業 エバラコーポレーションを解散し外食事業から撤退 1988年 エバラ食品工業 エバラコーポレーション設立:米国法人の設立と外食チェーンへの進出、そして二つの撤退 1988年 エバラ食品工業 外食事業に参入 1975年 エバラ食品工業 本社を移転 1968年 エバラ食品工業 キンケイブランドをエバラブランドに変更 1958年 エバラ食品工業 荏原食品設立、キンケイブランドのソース・ケチャップ製造開始
- 阪急阪神HD 2024年 阪急阪神HD 北大阪急行電鉄南北線延伸線(千里中央〜箕面萱野間)営業開始(北大阪急行電鉄) 2018年 阪急阪神HD 阪急電鉄と阪神電気鉄道の不動産事業を阪急不動産に移管 2012年 阪急阪神HD 大阪梅田ツインタワーズ・ノース建替工事竣工(11月全面開業)(阪急電鉄) 2007年 阪急阪神HD 株式交換により阪神百貨店と阪急百貨店が経営統合 2006年 阪急阪神HD 阪神電気鉄道を完全子会社化:TOBと株式交換による経営統合と、阪急阪神ホールディングスへの商号変更 2005年 阪急阪神HD 阪急ホールディングスへ移行:会社分割による全事業の新設会社への移管と、純粋持株会社体制への移行 1995年 阪急阪神HD 阪神・淡路大震災により神戸本線など営業を一部休止 1988年 阪急阪神HD 球団をオリエント・リースへ譲渡:球団経営という本業外の資産の手放しと、プロ野球からの全面撤退 1978年 阪急阪神HD 宝塚バウホール開場 1969年 阪急阪神HD 阪急三番街開業 1959年 阪急阪神HD 大阪梅田〜十三間複線増設工事竣工による三複線開通 1943年 阪急阪神HD 京阪神急行電鉄に商号変更 1929年 阪急阪神HD 梅田阪急ビル第1期工事竣工、翌月阪急百貨店開業
- 損害保険ジャパン 2010年 損害保険ジャパン 日本興亜損害保険と株式移転によりNKSJHDを設立し上場廃止 2006年 損害保険ジャパン 保険金不払いで金融庁から業務停止命令 2002年 損害保険ジャパン 安田火災・日産火災の合併:大成火災を加えた三社統合による損害保険ジャパンの発足 2000年 損害保険ジャパン 第一生命との包括提携:生保営業職員を通じた損害保険販売という新たな販路の獲得 1999年 損害保険ジャパン 平野浩志氏が安田火災の社長に就任 1987年 損害保険ジャパン ゴッホ「ひまわり」落札:落札作品を自社美術館で一般公開する、文化事業としての位置づけ 1976年 損害保険ジャパン 本社を移転 1962年 損害保険ジャパン The Yasuda Fire & Marine Insurance Company of America を設立 1958年 損害保険ジャパン Yasuda Seguros S.A. を設立 1944年 損害保険ジャパン 東京火災・帝国海上・第一機罐の3社が合併し安田火災海上保険が発足 1893年 損害保険ジャパン 東京火災の経営に安田善次郎氏が参画
- 野村不動産HD 2024年 野村不動産HD 「UDS」「沖縄UDS」がグループ入り 2015年 野村不動産HD 3つのREITを統合し総合型「野村不動産マスターファンド投資法人」が上場 2013年 野村不動産HD 野村HDの連結子会社から除外 2008年 野村不動産HD 東芝不動産の株式取得:ジオ・アカマツの全株式と65%の持分取得による商業・賃貸ビル事業の拡張 2006年 野村不動産HD 東証一部に上場:独立した不動産持株会社としての船出と、株式公開による資本市場入り 2004年 野村不動産HD 野村不動産HDを設立 1991年 野村不動産HD 野村住宅管理を設立 1989年 野村不動産HD エヌ・エフ・クリエイトを設立 1970年 野村不動産HD 野村證券から不動産部門分離:不動産部門を二社に分けた末の、野村住宅産業(現・野村不動産)の設立 1963年 野村不動産HD マンション分譲事業に参入 1957年 野村不動産HD 野村不動産を設立
- TISインテック 2020年 TISインテック MFEC Public Company Limitedを公開買付により子会社化 2017年 TISインテック 2026年に目指す企業像「Create Exciting Future」を定めた新グループビジョンを策定 2011年 TISインテック TISがソラン・ユーフィットを吸収合併 2009年 TISインテック ソランへの公開買付で子会社化(議決権91.5%) 2008年 TISインテック インテックとの経営統合:共同株式移転による持株会社ITホールディングスの設立 2000年 TISインテック コマツソフトの取得:金融に偏重した顧客基盤の是正を目的とした事業の取り込み 1975年 TISインテック 東洋コンピュータサービス合併:合併による計算機の抱え込みと受託計算への主軸の移行
- 三和HD 2023年 三和HD Door Control, Inc.・Door Concepts, Inc.の株式を取得 2019年 三和HD Robust AB他4社の株式を取得し北欧・英国におけるヒンジドア事業を強化 2019年 三和HD LIXIL鈴木シャッター他2社の株式を取得し国内・アジアにおける事業基盤を強化 2011年 三和HD Automatic Door Enterprises他5社の自動ドア事業を取得 2009年 三和HD Overhead Door CorporationにおいてWayne Dalton Corporationのドア事業等を取得 2007年 三和HD 三和ホールディングス発足:事業を子会社へ移す会社分割と、純粋持株会社体制への移行 2003年 三和HD 欧州ノボフェルム買収:北米オーバーヘッドドアに続く買収による日米欧三極体制の確立 1996年 三和HD 持株会社Sanwa USA Inc.を設立しOverhead Door Corporationを買収 1982年 三和HD 24時間フルタイムサービス(FTS)を開始 1974年 三和HD 三和ドアー工業を合併:合併を機としたシャッター専業から建材総合メーカーへの脱皮 1968年 三和HD 大阪証券取引所市場第二部に上場 1956年 三和HD 三和シヤッター製作所を設立、シャッターの製作・販売を開始
- 新日本石油 2010年 新日本石油 新日鉱HDとの共同株式移転によりJXHDを設立 2009年 新日本石油 新日鉱HDとの間で、株式移転による経営統合契約を締結 2006年 新日本石油 石油化学製品へ生産転換:ガソリン依存からの脱却と、10年2000億円を投じる製油所改造 2005年 新日本石油 帝国石油株を買い増し:国際石油開発との経営統合案への反対と、20%超まで持分を高めた対抗 1999年 新日本石油 三菱石油を合併し日石三菱に商号変更 1999年 新日本石油 公開買付けにより興亜石油を子会社化 1984年 新日本石油 三菱石油と仕入・精製・物流・販売の分野で業務提携 1971年 新日本石油 喜入に原油中継基地建設:37万重量トン「日石丸」の就航に合わせた大型タンカー時代への備え 1969年 新日本石油 原油中継輸送基地(CTS)が完成 1955年 新日本石油 石油化学事業に参入 1951年 新日本石油 カルテックスとの折半出資で日本石油精製を設立 1942年 新日本石油 愛国石油を合併。国内精製能力の約8割、石油割当の約7割を占めるに至る 1921年 新日本石油 宝田石油を合併。日宝対立と呼ばれた民族系二社の並立が終わる
- ホシザキ 2025年 ホシザキ Structural Conceptsを完全子会社化 2023年 ホシザキ ホシザキ販売を新設分割で設立 2019年 ホシザキ トルコOztiryakilerを関連会社化 2013年 ホシザキ Western Refrigerationを買収 2008年 ホシザキ 東証・名証への同時上場:創業61年目にしての株式公開と、二つの市場への同時上場 2008年 ホシザキ デンマークGRAM COMMERCIALを完全子会社化 2006年 ホシザキ 米LANCER・GRAMの買収:二社同時買収による北米の飲料機器事業と欧州の冷蔵庫事業の取得 1999年 ホシザキ 子会社を設立 1989年 ホシザキ ホシザキ電機に商号変更 1972年 ホシザキ 冷蔵庫事業に参入 1970年 ホシザキ 生ビールディスペンサ事業に参入 1965年 ホシザキ 業務用製氷機への転換:ジュース自販機から直販販社網の構築 1957年 ホシザキ ジュース自動販売機事業に参入 1948年 ホシザキ 本社移転
- 鐘紡 2007年 鐘紡 花王へ化粧品事業譲渡:残る全事業の切り売りによる解体と、法人としての幕引き 2006年 鐘紡 化粧品事業を花王に売却 2004年 鐘紡 産業再生機構に支援要請:粉飾決算の発覚と、自主再建を断念して公的枠組みに委ねた選択 1996年 鐘紡 防府工場の閉鎖撤回 1982年 鐘紡 国内2工場を閉鎖 1975年 鐘紡 無配転落 1967年 鐘紡 ペンタゴン経営を提唱 1962年 鐘紡 化粧品事業に新規参入 1961年 鐘紡 ペンタゴン経営による多角化:グレーターカネボウ計画を掲げ、繊維・化粧品など5事業を柱に据える組み替え 1959年 鐘紡 博多工場・中津工場・中島工場を閉鎖 1949年 鐘紡 化学部門を分離・鐘淵化学工業を設立 1900年 鐘紡 紡績大合同論を提唱。企業買収を積極化
- 雪印メグミルク 2025年 雪印メグミルク 雪印メグミルク 創業100周年(有限責任 北海道製酪販売組合設立から) 2022年 雪印メグミルク プライム市場に移行 2018年 雪印メグミルク 家庭用マーガリン類で部分水素添加油脂を使用しない配合を実現 2011年 雪印メグミルク 日本ミルクコミュニティと雪印乳業を吸収合併 2009年 雪印メグミルク 日本ミルクコミュニティと統合:分かれていた乳業二社を一つにした雪印メグミルクの発足 2003年 雪印メグミルク 日本ミルクコミュニティを設立 2002年 雪印メグミルク 全農主導での再建受け入れ:市乳事業の切り離しと、農協系資本の下での経営の立て直し 1997年 雪印メグミルク 「北海道カマンベール 切れてるタイプ」発売 1987年 雪印メグミルク 「とろけるスライス」発売 1979年 雪印メグミルク プレーンヨーグルト「雪印ナチュレ」発売 1968年 雪印メグミルク 「雪印ネオ マーガリンソフト」発売 1950年 雪印メグミルク 雪印乳業の設立:過度経済力集中排除法による分割を受けた、新会社としての再出発 1926年 雪印メグミルク 「雪印」商標決定(「雪印北海道バター」誕生)
- はごろもフーズ 2022年 はごろもフーズ 東京証券取引所スタンダード市場に移行 2017年 はごろもフーズ マルアイを吸収合併 2010年 はごろもフーズ マルアイの販売部門をはごろもフーズとマルアイ商事に事業譲渡し販売体制を再編 2005年 はごろもフーズ マルアイなど3社を取得:乾物メーカー3社の全株式取得と、初めての連結決算 2000年 はごろもフーズ 東証2部へ上場:創業から69年を経て踏み切った株式公開と資本市場からの調達 1998年 はごろもフーズ 焼津プラント内にチルドプラントを新設 1988年 はごろもフーズ 焼津プラントを移転・新設 1978年 はごろもフーズ フィッシュエキス・フィッシュミール製造工場を新設 1969年 はごろもフーズ 商号をはごろも罐詰に変更 1958年 はごろもフーズ 鮪油漬缶詰類の製品名「シーチキン」を商標登録 1956年 はごろもフーズ 東京営業所開設で内需へ:輸出依存からの脱却と、国内市場向け自社ブランド缶詰への転換 1951年 はごろもフーズ 焼津食品・焼津水産缶詰を吸収合併、焼津プラントを新設 1948年 はごろもフーズ 商号を後藤物産罐詰に変更
- 伊勢丹 2008年 伊勢丹 三越との共同株式移転により三越伊勢丹HDを設立 2005年 伊勢丹 岩田屋をTOBで子会社化:議決権43.1%のまま実質支配で連結し、福証上場を残した子会社化 2003年 伊勢丹 メンズ館の全面改装:新宿本店ブランド区画の撤去、本館改装への150億円の投入 1997年 伊勢丹 ジェイアール京都伊勢丹を開店 1989年 伊勢丹 決算期を11月期から3月期に変更 1972年 伊勢丹 海外第一号店としてシンガポール伊勢丹を開店 1968年 伊勢丹 新宿店の新館を開設 1952年 伊勢丹 立川店を開店 1933年 伊勢丹 神田店を閉店:新宿本店への本拠の全面移転と、あわせて進めた株式組織への改組 1933年 伊勢丹 新宿に新店舗を開店 1924年 伊勢丹 百貨店形態の店舗を開設
- TBSHD 2023年 TBSHD やる気スイッチグループHDを子会社化 2018年 TBSHD 動画配信サービス「Paravi」を開始 2013年 TBSHD テレビ親局送信所を東京タワーから東京スカイツリーへ移転 2009年 TBSHD 楽天の統合提案拒否:異業種からの経営関与を退けたうえでの認定放送持株会社への移行 2008年 TBSHD 赤坂サカスの開業:赤坂再開発による不動産事業化 2002年 TBSHD 横浜ベイスターズを子会社化 1998年 TBSHD CS24時間ニュースチャンネル「JNNニュースバード」の放送を開始 1987年 TBSHD テレビの24時間放送を開始 1961年 TBSHD 赤坂に本社社屋が完成 1955年 TBSHD テレビ本放送を開始
- アコム 2022年 アコム エンベデッド・ファイナンスを推進する無担保ローン事業の「GeNiE」を設立 2019年 アコム PT. Bank Nusantara Parahyangan Tbk.がPT Bank Danamon Indonesia Tbk.と合併 2013年 アコム 信用保証事業のエム・ユー信用保証を設立 2008年 アコム 三菱UFJの連結子会社化:メガバンク傘下への移行と、それでも手放さなかった上場の維持 2007年 アコム グレーゾーン金利の消滅:過払金返還への対応——崩れた収益モデルの再建 2007年 アコム PT.Bank Nusantara Parahyangan Tbk.を買収 1999年 アコム クレジットカード事業に参入 1993年 アコム 業界初の自動契約機「むじんくん」を新宿と博多に設置 1983年 アコム 貸金業者として関東財務局に登録 1978年 アコム アコムを設立
- 電源開発 2024年 電源開発 GENEX POWER LTD.他を買収 2019年 電源開発 電源開発送変電ネットワーク(送電事業分割準備会社)を設立 2012年 電源開発 グリーンコール西海・ジェイウインドせたなを設立 2008年 電源開発 英TCIの買い増し阻止:外為法の中止命令と株主提案の否決による海外ファンドの排除 2004年 電源開発 東証一部上場で完全民営化:52年ぶりに国の後ろ盾を手放し、市場の評価に身を置く体制への移行 2004年 電源開発 J-POWER民営化ファンドが保有全株式を売却し親会社に非該当 1984年 電源開発 開発肥料を設立 1978年 電源開発 開発土木コンサルタントを設立 1967年 電源開発 開発電気を設立 1952年 電源開発 電源開発促進法に基づき政府出資のとして設立
- ニプロ 2026年 ニプロ ニプロアジアパシフィックグループ Pte Ltdを設立 2017年 ニプロ 田辺製薬販売(のちニプロESファーマ)を子会社化 2013年 ニプロ グッドマンを子会社とし循環器関連事業を強化 2011年 ニプロ アムコールから医療用硝子事業を取得 2006年 ニプロ ニッショー売却で小売撤退:スーパーマーケット・ドラッグストア子会社の譲渡 2000年 ニプロ アンプル生地管の独占販売:独占販売権を用いた輸入品の締め出しと、公正取引委員会の排除勧告 1997年 ニプロ ニッショーニプロアジアPTE LTDを設立 1988年 ニプロ 医薬品事業に参入 1977年 ニプロ 商号をニッショーに変更 1969年 ニプロ 富沢製作所を子会社とし医療機器の生産を開始 1965年 ニプロ 製薬会社向けに医療機器(輸液セット)の販売を手掛ける 1959年 ニプロ 本店を移転
- 高島屋 2025年 高島屋 連結営業利益575億円・当期純利益395億円を計上 2021年 高島屋 連結営業損失135億円・当期純損失340億円を計上 2019年 高島屋 村田善郎氏が社長に就任 2010年 高島屋 エイチ・ツー・オー リテイリングとの経営統合を白紙撤回 2008年 高島屋 エイチ・ツー・オー リテイリングと資本業務提携 2000年 高島屋 JR東海と名古屋出店:共同出資という形をとった出店と、初年度黒字という別解 1998年 高島屋 新宿店の売上高が計画を大きく下回る 1997年 高島屋 日高啓氏らの利益供与訴訟が和解:総会屋への利益供与と、株主代表訴訟を全面的に受け入れた和解 1991年 高島屋 新宿へ旗艦店出店:35年越しの悲願だった大型店の実現による、都心商圏での地歩固め 1989年 高島屋 TAKASHIMAYA SINGAPORE PTE.LTD.を設立 1969年 高島屋 玉川店を開設 1963年 高島屋 東神開発を設立 1958年 高島屋 ニューヨーク髙島屋を開設 1956年 高島屋 国鉄新宿駅ビルへの出店を断念 1949年 高島屋 日本初の転換社債を発行 1930年 高島屋 南海ビル内に南海店を開設 1831年 高島屋 京の古手・木綿商から創業:義父の屋号「高島屋」を継いでの、三都に広がる呉服系百貨店への成長
- ジャパンエナジー 2010年 ジャパンエナジー 新日本石油との共同株式移転によりJXHDを設立 2009年 ジャパンエナジー 新日本石油と株式移転による経営統合契約を締結 2002年 ジャパンエナジー 日鉱金属と持株会社設立:共同持株会社・新日鉱ホールディングスの傘下入りと、自社株式の上場廃止 1993年 ジャパンエナジー グールドを翌年3月までに解散すると発表 1992年 ジャパンエナジー 共同石油と合併:合併による石油精製・販売の一社化と、国内供給体制の再編 1992年 ジャパンエナジー 日鉱金属を分離設立:金属3部門を切り出しての新会社化と、東証一部への子会社上場 1988年 ジャパンエナジー 銅箔メーカー・グールドを10億5,000万ドルで買収 1979年 ジャパンエナジー 東亜共石の経営を譲り受け知多石油が発足 1966年 ジャパンエナジー 石油販売部門を共同石油へ集約 1965年 ジャパンエナジー アジア石油・東亜石油と24金融機関の出資により共同販売会社の共同石油を設立 1959年 ジャパンエナジー 中条油業所で天然ガスの供給を開始 1929年 ジャパンエナジー 日本産業の鉱山・製錬部門を分離独立させ、日本鉱業を設立
- ニッセイ同和損害保険 2010年 ニッセイ同和損害保険 MS&ADインシュアランスグループHDの完全子会社入り 2009年 ニッセイ同和損害保険 三井住友海上グループHD・あいおい損害保険と経営統合の協議に合意 2001年 ニッセイ同和損害保険 同和火災海上保険との合併:ニッセイ損害保険の吸収合併と、ニッセイ同和損害保険への商号変更 1998年 ニッセイ同和損害保険 「新創業運動」の展開:料率自由化を前にした支店制への移行と代理店網の選別 1997年 ニッセイ同和損害保険 ニッセイ損害保険が損害保険の販売を開始 1996年 ニッセイ同和損害保険 日本生命による設立:子会社ニッセイ損害保険の設立による損害保険業への新規参入 1954年 ニッセイ同和損害保険 1954年度の収入保険料59億円・純正味収入保険料36億6,000万円 1944年 ニッセイ同和損害保険 神戸海上火災・共同火災海上・朝日海上火災・横浜火災海上の4社が対等合併
- メイコー 2024年 メイコー 石巻工場を山形メイコーより分社し宮城メイコーとして法人化 2019年 メイコー EMS会社の出資持分を取得しMeiko Towada Vietnamとして子会社化 2014年 メイコー Meiko Electronics Thang Long Co. Ltd.を設立 2009年 メイコー ベトナムEMS工場稼働 2008年 メイコー ビクターのサーキット事業譲受:他社事業の譲り受けによる自前主義から外部成長への転換 2007年 メイコー Meiko Electronics Vietnam Co. Ltd.を設立 1998年 メイコー 中国広東省で海外生産:香港に置いた拠点を軸とした、国内生産から海外への生産移管 1980年 メイコー 多層プリント配線板へ進出:両面板専業からの脱却と、より高度な製品分野への軸足の移し替え 1978年 メイコー システム開発部を設置
- 赤井電機 2000年 赤井電機 セミ・テックの傘下入り:延命と、独立電機メーカーとしての終焉 2000年 赤井電機 1026億円の最終赤字を計上し債務超過に転落 1999年 赤井電機 香港グランデ・グループの子会社に 1995年 赤井電機 セミテックグループが経営支援 1990年 赤井電機 三菱電機と資本業務提携:筆頭株主として大手を迎え入れることで描いた経営再建の道筋 1989年 赤井電機 AV機器の北米向け輸出を停止 1985年 赤井電機 三菱電機との提携を全面強化 1975年 赤井電機 ビデオ参入とVHS後発合流:家庭用ビデオへの参入と、規格争いで後発として陣営に付く選択 1968年 赤井電機 東京証券取引所第2部に株式上場 1956年 赤井電機 縦型テープレコーダーで輸出:商社を通さぬ現地直販に着手した、輸出特化の事業モデルの確立 1954年 赤井電機 テープメカニズム AT-1 を発売 1948年 赤井電機 汎用モーター・電蓄用小型モーターの製造を開始
- 日本ビクター 2011年 日本ビクター 旧日本ビクター川崎本社工場を売却 2008年 日本ビクター モータ事業を日本産業パートナーズ設立の新会社へ譲渡 2008年 日本ビクター ケンウッドと共同で株式移転によりJVC・ケンウッド・HDを設立 2007年 日本ビクター ケンウッドと経営統合:松下電器の連結からの離脱と、共同株式移転による単独上場会社としての幕引き 1993年 日本ビクター 無配転落を受けたリストラ:上場以来初の無配に沈んだ経営再建と、単一規格に偏った体質の改造 1987年 日本ビクター S-VHSを発売 1976年 日本ビクター VHS開発で世界標準に:独自開発したVTR規格を他社へ広く供与して押し広げた標準化の戦い 1972年 日本ビクター 音楽事業部門をビクター音楽産業として分離独立 1968年 日本ビクター US JVC CORP.を設立 1954年 日本ビクター 松下電器産業の資本参加 1943年 日本ビクター 日本音響株式会社に商号変更(軍管理工場に指定) 1938年 日本ビクター RCAが資本撤収 1927年 日本ビクター 米ビクター日本法人として創業:外資の出先としての出発と、その後四度に及ぶ資本の移り変わり
- DOWA 2023年 DOWA 環境・リサイクル事業に参入 2019年 DOWA 亜鉛鉱山の操業開始(ロス・ガトス鉱山) 2011年 DOWA 熱処理事業を本格展開 2006年 DOWA 持株会社制への移行:5部門を10社へ分社し、事業運営の権限を事業会社へ移す再配置 2002年 DOWA 吉川廣和氏が社長就任・環境リサイクル事業に集中投資 1999年 DOWA 製錬赤字を受けた緊急対策:1999年の緊急対策に始まる事業構造改革と、ROAを物差しにした資産・人員の圧縮 1989年 DOWA 小坂製錬所を分離・小坂製錬を設立 1972年 DOWA 鉱山の規模縮小・人員削減を実施 1971年 DOWA 秋田製錬所を設立:臨海型の亜鉛拠点の新設と、自山鉱から輸入鉱への原料の切り替え 1965年 DOWA 電子材料事業に参入 1958年 DOWA 東京熱処理工業を子会社化し熱処理事業に参入 1919年 DOWA 豊崎圧延工場を新設し金属加工事業に参入 1915年 DOWA 国内で有力鉱山を買収 1884年 DOWA 小坂鉱山の払下げ:藤田組が官営鉱山を受け、黒鉱自溶製錬で果たした再生
- オービック 2023年 オービック オービーシステムの株式を東京証券取引所スタンダード市場に上場 2019年 オービック オービッククラウドサービスで「SOC1 Type2報告書」を受領 2012年 オービック オービックシステムエンジニアリングを吸収合併 2006年 オービック 野田順弘氏が社長就任:大企業向けERPと成果主義の見直しに向けた、創業者の現場復帰 1999年 オービック オービックビジネスコンサルタントの株式を店頭市場に公開 1998年 オービック 東証二部への新規上場:創業30年での東証二部上場と一度きりの公募増資、1年余りでの市場第一部指定 1980年 オービック オービックビジネスコンサルタント設立 1974年 オービック 自社開発ソフトへ転換:商号変更に合わせた会計機販売から情報処理サービスへの業態転換 1968年 オービック 大阪ビジネスを設立
- 三菱化学 2017年 三菱化学 三菱樹脂・三菱レイヨンと合併し三菱ケミカルが発足 2012年 三菱化学 直江津事業所、小田原事業所・松山工場を閉鎖 2007年 三菱化学 鹿島事業所の第2エチレンプラントで火災事故が発生 2005年 三菱化学 三菱ウェルファーマと共同で株式移転により三菱ケミカルHDを設立 2001年 三菱化学 昭和電工等と事業統合:合成樹脂5社によるポリエチレン・ポリプロピレン事業の統合 1999年 三菱化学 四日市事業所のエチレン生産停止を発表 1994年 三菱化学 三菱油化と合併 1991年 三菱化学 バーベイタムの買収:光磁気ディスクの量産設備の新設と米国の記録メディア大手の取り込み 1989年 三菱化学 松山化成を合併 1978年 三菱化学 ライフサイエンス分野へ再参入:生命科学の専門研究所の設立と、そこを起点とする研究体制の構築 1969年 三菱化学 坂出工場が操業を開始 1956年 三菱化学 三菱グループとシェル社グループの共同出資により三菱油化を設立 1950年 三菱化学 化学工業部門を継承し日本化成工業が発足 1944年 三菱化学 旭硝子を合併
- マルハ 2007年 マルハ マルハグループ本社とニチロが経営統合 2004年 マルハ 株式移転により完全親会社のマルハグループ本社を設立 2001年 マルハ ギル&ダファスの損失処理:本社ビル証券化による穴埋め 1993年 マルハ 中部家三代の同族経営終幕:三代続いた家業体制の幕引きと、それに合わせた社名の一新 1989年 マルハ ギル&ダファス社への資本参加により国際原糖事業へ参入 1987年 マルハ クロマグロの種苗開発チームを発足し養殖研究に着手 1977年 マルハ 二百カイリ後の加工食品転換:遠洋漁業に依存した主力事業からの撤退と養殖への軸足移動 1961年 マルハ 肥料・飼料事業を事業目的に追加 1953年 マルハ 二代社長の中部兼市氏の死去により中部謙吉氏が社長に就任 1947年 マルハ 公職追放により中部一族が退き株式を没収 1945年 マルハ 西大洋漁業を経て大洋漁業に商号変更
- セブンイレブン・ジャパン 2005年 セブンイレブン・ジャパン イトーヨーカ堂・デニーズジャパンと共同株式移転 2005年 セブンイレブン・ジャパン 持株会社セブン&アイ・HDが発足 2000年 セブンイレブン・ジャパン セブンドリーム・ドットコム設立:店舗網を電子商取引の受け渡し拠点へ転用する事業の立ち上げ 1991年 セブンイレブン・ジャパン 米サウスランド社の買収:ライセンス元であるイトーヨーカ堂との共同出資による再建の引き受け 1991年 セブンイレブン・ジャパン サウスランド社の出資比率70.2%を取得 1989年 セブンイレブン・ジャパン 共同配送と単品管理を組み合わせた鮮度重視の供給体制を確立 1988年 セブンイレブン・ジャパン 弁当の製造時間表示と実際の製造時刻のずれをテレビ番組が報道 1979年 セブンイレブン・ジャパン イトーヨーカ堂傘下で上場:親会社が過半を保有したままの東証二部上場、いわゆる親子上場の選択 1975年 セブンイレブン・ジャパン 店舗で24時間営業を開始 1974年 セブンイレブン・ジャパン 加盟店第1号を開業
- アマノ 2024年 アマノ ウェイトゥーテックを買収 2018年 アマノ アマノ マクギャンがService Tracking SystemsのValet Parking事業を譲受け 2014年 アマノ アマノ パイオニア エクリプスがNilfisk-Advanceの木材床研磨機器部門を譲受け 2007年 アマノ オムロンティー・エー・エスから駐車場・駐輪場機器販売事業を譲受け 2007年 アマノ テリー マクギャン&アソシエイツを買収しアマノ マクギャンに商号変更 2002年 アマノ オムロンから駐車場事業譲受:営業権の譲り受けという形での駐車場設備事業への進出 1991年 アマノ シンシナティ タイムを買収 1990年 アマノ パイオニアエクリプス買収:シンシナティ タイムを含む連続買収による北米基盤の確立 1989年 アマノ アマノ アメリカ マニュファクチュアリングがアマノ アメリカを吸収合併 1973年 アマノ 駐車場管理機器を発売 1968年 アマノ 「アレコデータ」の発売:コンピューター就業管理システム 1951年 アマノ 工業用真空掃除機等の研究・製造を開始 1945年 アマノ 横浜機器を設立しタイムレコーダー・タイムスタンプ製造を開始
- ニフコ 2013年 ニフコ KTS社・そのグループ会社を買収 2002年 ニフコ ITWとの提携解消:提携の完全な解消と、扱いを主力品目15種へ狭める絞り込み 2002年 ニフコ 主力品目を数百種から15種に統一 2001年 ニフコ アクリプラス・グループ4社(Nifco Products Espana, S.L.U.)を買収 1996年 ニフコ ジャパンタイムズの取得:シモンズを併せた取得で進めた、資本負担の軽い事業の多角化 1996年 ニフコ シモンズとSimmons Bedding & Furniture (HK) Limitedを子会社化 1988年 ニフコ バンコク市に合弁会社、Union Nifco Co., Ltd.を設立 1979年 ニフコ 東京証券取引所市場第2部に上場 1967年 ニフコ 米ITWとの合弁設立:日英物産との出資による日本工業ファスナーの立ち上げ 1967年 ニフコ ITWと技術援助契約を締結
- ペンタックス 2011年 ペンタックス HOYAが「ペンタックス」のデジタルカメラ事業をリコーへ譲渡と発表 2007年 ペンタックス HOYAとの合併撤回:白紙化に伴う社長の解職と、最後に受け入れることになったTOB 2006年 ペンタックス HOYAとの経営統合を発表。2007年10月の合併を予定 1993年 ペンタックス 1993年3月期に2期連続となる最終赤字93億5300万円を計上 1992年 ペンタックス 解雇に頼らぬ全社原価低減:再建組織委員会の設置と、人員削減によらない全社コストダウン、カメラ生産の海外移管 1992年 ペンタックス ハネウエル社との自動焦点カメラ特許訴訟が和解。和解金約28億円を負担 1986年 ペンタックス 日立製作所からのOEM供給を受け8ミリビデオカメラ事業に参入 1977年 ペンタックス 医療機器分野に参入 1972年 ペンタックス 眼鏡レンズ分野に参入 1969年 ペンタックス 工場を新設(1967年9月着工、総額30億円) 1959年 ペンタックス ハネウエル社と全米・メキシコに対する代理店契約を締結 1957年 ペンタックス アサヒペンタックスの開発:距離計連動式を採らない一眼レフカメラへの集中と、専業メーカーへの転換 1948年 ペンタックス カメラの試作に着手
- 住友金属工業 2012年 住友金属工業 新日本製鐵との合併により新日鐵住金が発足 2003年 住友金属工業 新日鉄と資本提携:神戸製鋼所を加えた三社での相互出資と、国内鉄鋼再編に向けた足場固め 2001年 住友金属工業 新日本製鐵との包括的提携に向けた交渉開始を発表 1999年 住友金属工業 和歌山製鉄所を再建:熱間圧延ラインの休止を含む、主力製鉄所の身の丈に合わせた立て直し 1992年 住友金属工業 日本ステンレスと合併 1987年 住友金属工業 鋼管製造所のシームレス鋼管工場と和歌山製鉄所の厚板工場を休止 1971年 住友金属工業 鹿島製鉄所の第1高炉に火入れ 1968年 住友金属工業 鹿島製鉄所が発足 1961年 住友金属工業 和歌山製鉄所第1高炉に火入れ 1953年 住友金属工業 小倉製鋼と合併:合併による銑鋼一貫体制の確立と、一貫メーカーとしての出発 1949年 住友金属工業 企業再建整備計画により第二会社の新扶桑金属工業を設立 1935年 住友金属工業 住友伸銅鋼管と住友製鋼所の合併により住友金属工業が発足
- ゴールドウイン 2025年 ゴールドウイン アルパインツアーサービスの株式取得 2023年 ゴールドウイン PLAY EARTH PARKを設立 2017年 ゴールドウイン ウールリッチジャパンを設立 2011年 ゴールドウイン ブラックアンドホワイトスポーツウェアの株式取得 2001年 ゴールドウイン カンタベリーオブニュージーランドジャパンの株式取得 2000年 ゴールドウイン 卸型ビジネスからの転換:多角化事業の整理と自主管理売場への切り替え 2000年 ゴールドウイン 自主管理売場の展開を本格化 1995年 ゴールドウイン ノース・フェイス商標取得:日本と韓国という二つの市場を対象とした商標権の確保 1988年 ゴールドウイン ゴールドウイン開発を設立 1979年 ゴールドウイン 生産事業をトヤマゴールドウインに営業譲渡 1963年 ゴールドウイン 本社を移転 1952年 ゴールドウイン 野球用品中心へ全面転換:一般メリヤス雑貨の生産をやめてのスポーツウエア専業への絞り込み
- 第一製薬 2005年 第一製薬 株式移転により第一三共を設立 2002年 第一製薬 第一サントリーファーマ設立:酒類大手の医薬品事業部門を分社化して受け止める共同出資会社の発足 2000年 第一製薬 営業所を108から71へ削減 1993年 第一製薬 クラビットの発売:自社開発の合成抗菌剤による、輸出を通じた海外売上の拡大 1986年 第一製薬 自社開発の合成抗菌剤タリビッドを発売 1974年 第一製薬 他社開発新薬の導入方針を提示 1967年 第一製薬 高脂血症治療薬を発売 1955年 第一製薬 結核治療薬ネオ・イスコチンを完成 1945年 第一製薬 戦災で本社と柳島・亀戸両工場が全焼、平井工場も半焼 1923年 第一製薬 震災損害の補填のため半額減資を行い、同時に京都分工場を新設 1915年 第一製薬 アーセミン商会の創立:匿名組合から出発してのサルバルサン国産化と、株式会社への改組
- 明治乳業 2009年 明治乳業 明治製菓との共同株式移転で明治HDの完全子会社入り 2002年 明治乳業 「明治おいしい牛乳」を全国発売 2000年 明治乳業 乳酸菌LG21ヨーグルト発売:味を競う商品から体への働きを売る商品へと訴求を移す転換 1990年 明治乳業 米ボーデンとの提携解消:事業運営の移管提案を拒み、20年続いた関係を断つ選択 1986年 明治乳業 医薬関連分野に参入 1976年 明治乳業 冷凍食品分野に参入 1973年 明治乳業 「明治ブルガリアヨーグルト」を発売 1969年 明治乳業 紙パック入り「明治牛乳ピュアパック」を発売 1955年 明治乳業 全国41の工場・牧場を擁し売上高43億5,000万円 1943年 明治乳業 明治製菓の乳製品部門を全面譲受 1941年 明治乳業 全工場を北海道興農公社へ現物出資 1940年 明治乳業 明治製菓乳製品部門の受任:極東煉乳から明治乳業への商号変更と、経営受任から全面譲受への移行
- イビデン 2024年 イビデン 河間事業所新棟を稼働 2018年 イビデン パッケージ基板への投資再開 2013年 イビデン DPF製造会社イビデンメキシコを設立 2008年 イビデン マレーシア新工場建設:2009年3月期の設備投資618億円を全額自己資金で賄った海外量産拠点の建設 1994年 イビデン インテル攻略へ資源集中:勝負どころを一顧客に絞り込んだプロジェクトへの経営資源の一点集中 1987年 イビデン プラスチックパッケージ基板の生産開始 1987年 イビデン ファインセラミックス製品の製造・販売開始 1976年 イビデン 緊急合理化対策を発表 1970年 イビデン プリント配線板に参入 1969年 イビデン 特殊炭素製品の製造・販売開始 1942年 イビデン 電力事業から撤退。カーバイドに業態転換
- SANKYO 2024年 SANKYO 営業本部に販売管理部を新設 2017年 SANKYO 商品本部に商品企画部を新設 2012年 SANKYO ジェイビーを買収 2008年 SANKYO 澤井明彦氏が社長就任:創業家・毒島家から生え抜きCEO・COO体制・執行役員制度の導入 1991年 SANKYO 商号をSANKYOに変更:三共産業を存続会社とする吸収合併にともなう社名の一新 1980年 SANKYO 超特電機フィーバーを発売 1975年 SANKYO 桐生工場を新設 1966年 SANKYO 中央製作所として設立し名古屋工場・東京/大阪支店・本社業務部を開設
- ジャックス 2024年 ジャックス ジャックス・ペイメント・ソリューションズを吸収合併 2017年 ジャックス PT Mitra Pinasthika Mustika Financeの株式を追加取得し連結子会社に 2010年 ジャックス JACCS International Vietnam Finance Co.,Ltd.を設立 2008年 ジャックス 三菱UFJの系列入り:20%出資の受け入れと、三菱UFJニコスの個品割賦承継 1998年 ジャックス リボルビング金利の先行値下げ:リボ払い金利を業界最低の16.8%へ——利息制限法を自ら割った先回りの値下げ 1982年 ジャックス 金融機関と提携しカードローンの保証業務を開始 1972年 ジャックス 損害保険会社との提携により住宅ローン業務を開始 1971年 ジャックス クーポン・信販小切手に替えてクレジットカード方式を採用 1965年 ジャックス 大手書籍出版販売会社と提携し個品割賦方式(個品あっせん)の取扱を開始 1959年 ジャックス 融資保証業務(消費者金融)・損保代理店業務を開始
- アンリツ 2022年 アンリツ 高砂製作所を買収 2015年 アンリツ 厚木本社地区内にグローバル本社棟を新設 2013年 アンリツ 郡山第二事業所を開設 2005年 アンリツ デンマークのNetTest A/Sを買収 2003年 アンリツ モバイル計測に先行投資:携帯通信の世代交代を先取りした、需要が立つ前からの資源投入 2002年 アンリツ 産業機械事業を会社分割でアンリツ産機システムへ承継 1990年 アンリツ 米Wiltron社を買収:米国拠点の取り込みによる計測器事業のグローバル化への踏み出し 1981年 アンリツ 世界初の光パルス試験器(OTDR)を開発 1979年 アンリツ 新本社ビルを新築し移転完了 1968年 アンリツ 光通信のキーパーツである半導体レーザーの開発に着手 1953年 アンリツ 6事業部体制で事業多角化を推進 1952年 アンリツ 通信計測器事業を確立 1914年 アンリツ 世界初の実用無線電話機「TYK式無線電話機」を実用化
- 田辺製薬 2007年 田辺製薬 三菱ウェルファーマとの合併により田辺三菱製薬が発足 2001年 田辺製薬 大正製薬との統合破談:共同持株会社の設立で合意しながら二か月半で至った白紙撤回 1998年 田辺製薬 非常事態宣言:全社員に向けた危機認識の共有と、構造改革委員会の設置による立て直し 1991年 田辺製薬 卸への仕切価格を全国統一 1989年 田辺製薬 千畑一郎氏が社長に就任 1972年 田辺製薬 ベルギー・ブリュッセルにタナベ ヨーロッパ社を設立 1962年 田辺製薬 台湾田辺製薬股份有限公司を設立 1953年 田辺製薬 チャールス・ファイザーとの折半出資でファイザー田辺を設立 1946年 田辺製薬 特別経理会社の指定を受ける(1948年9月に再建整備計画が認可され、11月に指定解除) 1945年 田辺製薬 戦災で中津工場が全焼し加島・本庄両工場も3割を焼失
- 大塚商会 2023年 大塚商会 中・長期経営方針を発表 2015年 大塚商会 OSK とアルファシステムを合併 2001年 大塚商会 大塚實氏の社長退任と大塚裕司氏への継承:創業者・大塚實から長男への世代交代と、データで判断する営業への移行 1999年 大塚商会 会員制通信販売「たのメール」販売開始 1993年 大塚商会 「大戦略」で顧客情報一元化:支店ごとに分かれていた情報の集約を軸とする経営刷新構想の策定 1990年 大塚商会 たよれーる保守サービス開始 1987年 大塚商会 ネットワーク事業に参入 1981年 大塚商会 パソコン・ワープロ専用機の販売開始 1979年 大塚商会 自社開発の業務用パッケージソフト「SMILE」販売開始 1970年 大塚商会 電算機事業に参入 1965年 大塚商会 大阪支店を開設
- 吉野家HD 2025年 吉野家HD キラメキノ未来の株式を取得 2021年 吉野家HD 京樽の全株式をFOOD & LIFE COMPANIESへ譲渡 2016年 吉野家HD せたが屋の株式を取得 2012年 吉野家HD はなまるを完全子会社化 2007年 吉野家HD 吉野家HDに商号変更 2004年 吉野家HD 米国産牛肉で牛丼販売休止:輸入停止を受けても代替調達に踏み切らず、主力商品を店頭から下げた選択 2004年 吉野家HD はなまるの株式を取得 1999年 吉野家HD 更生会社京樽の株式を取得 1998年 吉野家HD ダンキンドーナツ事業から撤退 1988年 吉野家HD ディーアンドシーの吸収合併:合併を通じた多角化と、京樽買収・東証一部上場への到達 1983年 吉野家HD 会社更生計画認可決定 1980年 吉野家HD 会社更生法の申請:不採算店閉鎖・生タレ復帰による再建 1977年 吉野家HD YOSHINOYA WEST,INC.を設立 1968年 吉野家HD 新橋に「吉野家」2号店を開店 1958年 吉野家HD 吉野家を設立
- 山崎製パン 2023年 山崎製パン 神戸屋から製パン事業のYKベーキングカンパニーの全株式を取得 2016年 山崎製パン ベイクワイズブランズ,Incの全株式を取得 2013年 山崎製パン デイリーヤマザキを吸収合併 2007年 山崎製パン 不二家の51%子会社化:二度重ねた第三者割当増資の引受と、菓子の老舗の再建の抱え込み 2006年 山崎製パン 東ハトの株式を取得し菓子事業を拡大 1993年 山崎製パン 阪南工場を新設して稼働 1982年 山崎製パン サンエブリーをデイリーヤマザキ化:自前のコンビニ網の構築による小売チャネルの内製化 1980年 山崎製パン サンデリカを設立しデリカ事業に参入 1977年 山崎製パン サンエブリーを設立しコンビニエンスストア事業に参入 1970年 山崎製パン 米ナビスコとの合弁進出:日綿実業を加えた合弁によるビスケット事業への進出 1967年 山崎製パン スーパーヤマザキを設立し流通事業に参入 1948年 山崎製パン 飯島藤十郎氏が山崎製パン所を開業
- 片倉工業 2025年 片倉工業 日機マギルス事業部を設置し高所作業車両等の販売・メンテナンス事業に参入 2023年 片倉工業 FPGテクノロジーの全株式を取得 2015年 片倉工業 コクーン2を新設 2013年 片倉工業 東京スクエアガーデンを竣工 2005年 片倉工業 富岡工場を富岡市へ寄付:建物の寄付と翌年の社有地売却による保有の終了 1999年 片倉工業 商業施設の宮之城片倉フィラチャーを新設 1988年 片倉工業 熊谷工場休止で蚕糸撤退:蚕糸事業を1製糸工場・1蚕種製造所へ集約し、製造業務から完全に撤退 1973年 片倉工業 取手ショッピングプラザ開業:製糸工場跡地を自社で商業施設へ組み替える不動産事業への転換 1967年 片倉工業 大宮ゴルフセンターを新設、旧製糸工場跡地等の開発事業に参入 1954年 片倉工業 片倉ハドソン靴下を設立、婦人靴下事業開始 1939年 片倉工業 1872年創設の旧官営富岡製糸場(富岡製糸所)を合併
- 古河機械金属 2022年 古河機械金属 東京証券取引所の市場区分見直しによりプライム市場へ移行 2013年 古河機械金属 トウペの株式を日本ゼオンへ譲渡し塗料事業から撤退 2005年 古河機械金属 日立古河建機を譲渡:建設機械事業からの撤退と、主要6事業の分社による体制再編 2004年 古河機械金属 日立古河建機の株式を日立建機へ譲渡し建設機械事業から撤退 2000年 古河機械金属 古河建機を日立建機との合弁会社化し日立古河建機に商号変更 1999年 古河機械金属 建機部門を分離し生産を古河建機、販売を古河建機販売へ移管 1989年 古河機械金属 商号を古河鉱業から古河機械金属に変更 1987年 古河機械金属 ユニックを買収:車載型クレーンを手がける会社の全株式取得と佐倉工場の開設 1973年 古河機械金属 足尾銅山を閉山:採掘事業の幕引きと、収益源の機械部門への移し替え 1970年 古河機械金属 下山田炭鉱を閉山し石炭採掘事業から撤退 1962年 古河機械金属 小山工場でクローラショベルの生産を開始 1956年 古河機械金属 足尾製錬所に日本初の自熔製錬設備が完成 1941年 古河機械金属 古河合名会社と合併し商号を古河鉱業に変更 1877年 古河機械金属 足尾銅山(栃木県)を譲り受け経営を開始
- スターツコーポレーション 2025年 スターツコーポレーション ピタットハウスがスターツグループ店113店舗・ネットワーク店518店舗に 2024年 スターツコーポレーション スターツ環境開発を設立 2018年 スターツコーポレーション 「ホテル エミオン プノンペン」を運営開始 2011年 スターツコーポレーション サンパウロにStarts Brasil Real Estate Ltd.を設立 2006年 スターツコーポレーション ブリッジポイント・ジャパン等を取得し総合ビル管理事業に参入 2005年 スターツコーポレーション ピタットハウス等4社へ分社:会社分割による持株会社への移行と、建設・仲介・分譲・法人の事業別分社 1999年 スターツコーポレーション スターツ証券を設立 1987年 スターツコーポレーション 千曲不動産からの商号変更:スターツへの改称と、関係会社の吸収合併による一体化 1975年 スターツコーポレーション 土地在庫のゼロ化:オイルショック下での保有用地の売り切りと、地価が下がりきるまでの建売停止 1975年 スターツコーポレーション 千曲建設を設立
- ユニー 2016年 ユニー ファミリーマートとの経営統合でユニー・ファミリーマートホールディングスが発足 2015年 ユニー 創業家出身で社長を長く務めた西川俊男氏が死去 2013年 ユニー 純粋持株会社ユニーグループ・ホールディングスへ移行 2012年 ユニー サークルKサンクスの完全子会社化を目的に株式公開買付けを実施 2009年 ユニー 伊藤忠商事から3%の出資を受け入れ、同社が実質的な筆頭株主に 2008年 ユニー ユーストアを吸収合併 2004年 ユニー サークルKとサンクス統合:2つのコンビニチェーンを1社にまとめる統合新会社の発足 1998年 ユニー サンクスアンドアソシエイツ株式の51%を400億円で公開買付け 1997年 ユニー 家田美智雄氏が会長に退き、佐々木孝治氏が社長に就任 1984年 ユニー サークルケイ・ジャパン設立:専業会社を立てる形をとったコンビニエンスストア事業への参入 1975年 ユニー 系列販売会社の関東ユニー、中部ユニー、東海ユニーを吸収合併 1975年 ユニー 郊外型大型店の一宮店を開店 1971年 ユニー 西川屋とほていや合併:合併によって生まれた新会社ユニーとしての新たな出発 1969年 ユニー 西川屋チエン、ほていや、タキヒヨーの共同出資で共同仕入会社ユニーを設立 1950年 ユニー 前身の一つであるほていやを設立(登記上の年月) 1949年 ユニー 前身の一つである西川屋を設立
- 東燃ゼネラル石油 2017年 東燃ゼネラル石油 JXHDの株式交換により完全子会社となり上場廃止 2016年 東燃ゼネラル石油 JXHDと経営統合契約を締結 2012年 東燃ゼネラル石油 EMGマーケティングの持分99.0%を取得 2002年 東燃ゼネラル石油 販売業務と管理統括業務をエクソンモービルへ委任 2000年 東燃ゼネラル石油 エクソンモービル傘下に編入:ゼネラル石油と東燃の合併による東燃ゼネラル石油の発足 2000年 東燃ゼネラル石油 エクソンモービルの間接子会社に 1998年 東燃ゼネラル石油 ゼネラル石油が決算期を毎年3月31日から毎年12月31日に変更 1986年 東燃ゼネラル石油 和歌山で電力卸売に参入:経営会議の組織風土の立て直しと、遊休地を収益源に変える新規事業の立ち上げ 1979年 東燃ゼネラル石油 エッソ・イースタンが第三者割当によりゼネラル石油の発行済株式数の49%を取得 1976年 東燃ゼネラル石油 石炭液化分野へ進出:石油精製専業からの多角化と、エンジニアリング事業の立ち上げ 1960年 東燃ゼネラル石油 東亜燃料工業が東燃石油化学を設立 1958年 東燃ゼネラル石油 ゼネラル物産と東亜燃料工業が折半出資でゼネラル石油を設立 1949年 東燃ゼネラル石油 東亜燃料工業がスタンダード・ヴァキューム社と資本業務提携
- 船井電機 2020年 船井電機 歯科用CT機器の開発・販売会社であるプレキシオンの全株式取得 2016年 船井電機 メキシコ ティファナに生産拠点としてFunai Manufacturing,S.A.DE C.V.を設立 2013年 船井電機 Lexmark International, Inc. からインクジェットプリンタ子会社の全株式を取得 2000年 船井電機 米エマーソン社ブランド取得:破綻した米社のブランド使用権を得て築くウォルマート専用の供給体制 1999年 船井電機 大阪証券取引所市場第二部に株式を上場 1987年 船井電機 国内市場参入:輸出専業からの転換——製パン器とVTR 1987年 船井電機 輸出専業から国内市場に参入 1973年 船井電機 ニクソンショック後の生産移転:変動相場制移行を機とした海外工場建設と生産の国外移転 1964年 船井電機 生産会社として中国船井電機を設立
- TDK 2025年 TDK 創業90周年、売上高2兆2,048億円 2023年 TDK 連結売上高2兆円を突破 2017年 TDK Qualcommと合弁RF360で高周波部品移管 2017年 TDK InvenSenseを約1,427億円で買収 2013年 TDK 磁気テープ事業からの撤退を発表 2008年 TDK 独EPCOSの買収:受動部品・センサー領域への事業補完 2007年 TDK TDKブランド記録メディア事業の売却と磁気テープ生産撤退 2005年 TDK リチウムイオン電池メーカーATLを買収 1997年 TDK 磁気ヘッドに集中投資 1986年 TDK SAE Magneticsを買収、HDD用ヘッド事業に参入 1982年 TDK グローバル部品メーカーへ転換:磁気テープ世界首位とニューヨーク上場を足がかりとした事業の組み替え 1979年 TDK 売上高営業利益率20.1%を記録 1966年 TDK フィリップスと特許契約:カセットテープ参入とSDカセットによる自社ブランドの世界展開 1952年 TDK 清水工場を新設・磁気テープ生産開始 1935年 TDK 世界初のフェライトで創業:資本金2万円と私財10万円による、大学発の新材料の工業化
- 住友重機械工業 2026年 住友重機械工業 500名規模の希望退職を実施方針 2024年 住友重機械工業 新造船事業からの撤退を発表 2019年 住友重機械工業 下村真司氏が社長に就任 2013年 住友重機械工業 別川俊介氏が社長に就任 2008年 住友重機械工業 独デマーグなど5社買収:欧州機械メーカーを続けて取り込む5社連続取得 2002年 住友重機械工業 1,000名削減・年収15%カットを実施 1987年 住友重機械工業 造船・製鉄機械部門の希望退職:主力2部門を対象とした1,700人の人員削減と事業規模の縮小 1983年 住友重機械工業 Eaton社と合弁で住友イートンノバを設立 1973年 住友重機械工業 愛媛製造所西条工場を新設 1969年 住友重機械工業 浦賀重工業を吸収合併:造船大手の取り込みによる重工業メーカーへの転換 1966年 住友重機械工業 射出成形機に参入 1954年 住友重機械工業 経営危機と鮫島龍雄社長引責辞任 1935年 住友重機械工業 サイクロ社と提携
- TKC 2019年 TKC 飯塚真規氏が社長に就任 2011年 TKC 角一幸氏が社長に就任 2008年 TKC 髙田順三氏が社長就任:創業家2代目から生え抜き 2003年 TKC 民間企業初のLGWAN-ASP接続資格審査に合格 1992年 TKC TKC判例検索サービスセンターを開設 1987年 TKC 会計事務所と自治体への集中:東証2部上場でも多角化せず、会計事務所と地方公共団体の二本柱へ専門特化 1978年 TKC TKCシステム開発研究所を新設 1966年 TKC 栃木県計算センター設立:会計事務所共同の計算センター構想によるTKC創業
- ヤクルト本社 2023年 ヤクルト本社 普通株式1株につき2株の割合で株式分割を実施 2016年 ヤクルト本社 7棟からなる新中央研究所が竣工 2013年 ヤクルト本社 ダノンとの戦略提携契約を終了 2005年 ヤクルト本社 ヤクルト事業を統括する中国ヤクルトを設立 2004年 ヤクルト本社 ダノンとの戦略提携:世界最大手の乳製品会社との連携と、16年後の資本関係の解消 1996年 ヤクルト本社 ヤクルト販売を統括するヨーロッパヤクルトを設立 1984年 ヤクルト本社 三菱商事との合弁リプソン設立:通信販売という新しい販路への進出と、それを畳む清算までの一巡 1978年 ヤクルト本社 シンガポールヤクルトを設立 1968年 ヤクルト本社 プラスチック容器への転換:瓶の廃止と全国の原液工場の統合による、本社集権体制への移行 1964年 ヤクルト本社 初の海外拠点として台湾ヤクルトを設立 1956年 ヤクルト本社 本社移転
- ダイフク 2024年 ダイフク 決算期を3月31日から12月31日に変更 2019年 ダイフク Scarabee Aviation Groupを買収 2013年 ダイフク Daifuku Webb HoldingがWynright Corporationを買収 2012年 ダイフク 日立プラントテクノロジーのエレクトロニクスクリーン搬送事業を譲受 2007年 ダイフク ジャービス・ビー・ウェブ買収:技術提携先の取り込みによる空港システム事業への参入 2004年 ダイフク キトーの物流システム事業を譲り受け 1999年 ダイフク 大阪工場の生産設備を滋賀事業所に集約 1983年 ダイフク Daifuku U.S.A.設立:現地法人を設立することによる北米市場への初めての自力進出 1975年 ダイフク コンテックを設立し日野工場を新設 1969年 ダイフク 東京・大阪・名古屋各証券取引所市場第一部に上場指定 1957年 ダイフク ビューラー社と技術提携:ジャービス・ビー・ウェブ社との提携も重ねた搬送機械への転換 1941年 ダイフク 兼松商店が経営に参加
- ニチアス 2025年 ニチアス 「ニチアスグループサステナビリティ方針」を制定 2021年 ニチアス 「ニチアスグループカーボンニュートラル宣言」を制定 2016年 ニチアス 自動車部品製造会社である日本ラインツの株式を取得 2014年 ニチアス イノクリートが井上冷熱からコールドエンジニアリング事業を譲受 2006年 ニチアス アスベスト製品を全廃:国内外での含有製品の製造・販売の全面終了 1999年 ニチアス 執行役員制を導入 1981年 ニチアス アスベストを社名から除外:主原料を代替素材へ切り替える転換の宣言 1974年 ニチアス 結城工場を新設 1968年 ニチアス 大阪証券取引所市場第一部上場銘柄に 1959年 ニチアス 祖岳製作所を合併:し竹鼻工場(現羽島工場)を岐阜の生産拠点として受け入れ 1930年 ニチアス 東京工場において最初の国産「ジョイントシートパッキング」を完成 1916年 ニチアス 東京工場を新設、石綿製品の製造を開始
- ニチレイ 2023年 ニチレイ 冷凍米飯工場を新設(福岡県) 2014年 ニチレイ 冷凍食品の強化 2005年 ニチレイ 持株会社化と五社分割:純粋持株会社体制への移行と五事業会社への再編 1994年 ニチレイ サクサクコロッケを開発 1989年 ニチレイ システム物流・3PLへ転換:冷蔵倉庫の保管業を脱し、物流を丸ごと請け負う側への業態転換 1980年 ニチレイ 水産部門で赤字転落 1970年 ニチレイ 設備投資を継続 1951年 ニチレイ コールド・ベルトによる総合食品化:冷蔵倉庫業から「冷力を核とする総合食品企業」への転換 1949年 ニチレイ 東京証券取引所に株式上場
- 日亜化学工業 2025年 日亜化学工業 アルパッドの吸収合併 2023年 日亜化学工業 アルパッドの全株式取得 2022年 日亜化学工業 信光社からのサファイア基板事業の譲受 2019年 日亜化学工業 波長280nmの深紫外LEDの量産化 2009年 日亜化学工業 車載用リチウムイオン電池向け正極材料の採用 2001年 日亜化学工業 青色LED特許の囲い込み:ライセンス供与の拒否、2001年の方針転換と発明対価訴訟の和解 2001年 日亜化学工業 青紫色レーザーダイオードの量産販売開始 1996年 日亜化学工業 白色LEDの開発に成功 1993年 日亜化学工業 高輝度青色LEDの開発に成功 1989年 日亜化学工業 青色LEDの開発着手:赤色系LEDの量産競争からの撤退と、窒化ガリウムという材料への賭け 1983年 日亜化学工業 赤外線LED用GaAlAsエピウエハの製造・販売開始 1977年 日亜化学工業 照明用三波長蛍光体の製造開始 1971年 日亜化学工業 カラーテレビ用蛍光体の製造開始 1966年 日亜化学工業 照明用蛍光体の製造開始 1956年 日亜化学工業 阿南市で蛍光体原料開発:塩化カルシウムを主原料とする蛍光灯用蛍光体原料の開発と、日亜化学工業の設立
- 日本ゼオン 2024年 日本ゼオン 住友化学とのS-SBR合弁を解消しZSエラストマーを吸収合併 2017年 日本ゼオン 住友化学とのS-SBR統合会社ZSエラストマーが営業開始 2015年 日本ゼオン 徳山工場にカーボンナノチューブ製造プラントが竣工 2013年 日本ゼオン トウペを公開買付けにより子会社化 2001年 日本ゼオン 光学フィルム工場としてオプテス高岡製造所が完成 2000年 日本ゼオン 新第一塩ビへ事業移管:水島工場での塩化ビニル生産の打ち切りによる祖業からの撤退 1995年 日本ゼオン 塩ビ事業を切離し新第一塩ビへ移管 1990年 日本ゼオン 水島工場でシクロオレフィンポリマーの生産開始 1989年 日本ゼオン 英BPケミカルズ特殊ゴム買収:米社の同事業取得と併せた日米欧3極生産体制の構築 1989年 日本ゼオン 英国BP Chemicalsのニトリルゴム部門を買収 1984年 日本ゼオン 高岡工場で水素化ニトリルゴムの生産開始 1971年 日本ゼオン 水島工場に自社技術GPI法のイソプレン抽出プラント完成 1965年 日本ゼオン 徳山工場完成、自社技術GPB法によるブタジエンの生産開始 1959年 日本ゼオン 川崎工場完成、合成ゴムの生産開始と中央研究所開設 1950年 日本ゼオン 米グッドリッチとの合弁設立:技術を持つ相手と組んで興した新会社による塩化ビニル樹脂の国産化
- 三越 2008年 三越 伊勢丹との共同株式移転により三越伊勢丹HDを設立 2007年 三越 伊勢丹との共同持株会社の設立に合意 2005年 三越 横浜など4店を閉鎖:大阪・枚方・倉敷を含む不採算店の整理と早期退職の実施、新設合併による連結欠損金の一掃 1999年 三越 子会社の累損引当などで364億円の特別損失を計上 1999年 三越 上場以来初の無配に転落 1988年 三越 580億円のゴルフ場開発:本業の外へ事業を広げる多角化路線の採用と、土地取得への巨額投入 1986年 三越 坂倉芳明氏が社長に就任 1982年 三越 岡田茂氏を社長から解任 1979年 三越 公正取引委員会から排除勧告 1973年 三越 三井グループの社長会「二木会」に加盟 1957年 三越 池袋店を開店 1945年 三越 銀座店・高松店・仙台店が空襲により焼失 1904年 三越 デパートメントストア宣言:座売りの全廃による陳列販売への転換 1683年 三越 「現銀掛値なし」の商法を開始
- 大和工業 2020年 大和工業 ポスコ・エスエス・ビナ・ジョイントストックカンパニー株式49%を取得 2020年 大和工業 ワイケー・スチールコーポレーションの株式を大韓製鋼社へ譲渡し持分法適用関連会社化 2013年 大和工業 ユナイテッド・スチールカンパニー(スルブ)BSC(c)がスルブカンパニーBSC(c)に商号変更 2007年 大和工業 サイアム・ヤマト・スチールカンパニーリミテッドを子会社化 2003年 大和工業 ヤマトスチールを設立:軌道用品・鉄鋼・重工加工品の各事業を分社し純粋持株会社へ移行 1992年 大和工業 サイアム・ヤマト・スチールカンパニーリミテッドを設立 1989年 大和工業 住友商事グループと合弁によるアーカンソー・スチール・アソシエイツLLCを設立 1987年 大和工業 米ニューコアとの合弁:現地合弁会社の設立を通じた北米H形鋼事業への進出 1978年 大和工業 2号連続鋳造設備稼働 1968年 大和工業 厚板生産を廃止し鍛造部門を強化 1956年 大和工業 須鎗航空兵器の跡地を買収し仁豊野工場として鋼塊製造を開始 1945年 大和工業 川西航空機から軌道用品へ:終戦にともなう軍需協力工場から国鉄・私鉄向け軌道用品事業への全面転換 1944年 大和工業 川西航空機の協力工場として創立
- 三菱樹脂 2017年 三菱樹脂 三菱化学・三菱レイヨンとの統合により三菱ケミカルが発足 2012年 三菱樹脂 創業以来の主力だった管材事業を積水化学工業へ譲渡 2008年 三菱樹脂 三菱化学の機能材料事業承継:グループ3社との合併を通じた機能材料への事業構成の寄せ 2008年 三菱樹脂 三菱化学の機能材料事業を会社分割により承継 2007年 三菱樹脂 三菱ケミカルHDが株式交換により三菱樹脂を完全子会社化 1997年 三菱樹脂 羽生プラスチックと虎姫プラスチックを子会社化 1989年 三菱樹脂 三菱商事と共同出資会社設立:光学式ビデオディスク事業への24億円投資と、新領域への足がかり 1976年 三菱樹脂 菱樹化工を設立 1966年 三菱樹脂 エンジニアリングプラスチック分野に参入 1958年 三菱樹脂 ゴム部門を完全に閉鎖して合成樹脂製品の専業となり、社名を長浜樹脂に変更 1948年 三菱樹脂 塩化ビニル樹脂の加工に着手 1946年 三菱樹脂 三菱化成工業から分離独立
- 三井化学 2026年 三井化学 市村聡氏が代表取締役社長に就任予定 2020年 三井化学 SKC Co. Ltd.とポリウレタン材料事業を統合 2018年 三井化学 Heraeus Kulzerの歯科材料事業を買収 2012年 三井化学 初の連結純損失計上 2005年 三井化学 出光興産とのJVプライムポリマーを設立 2003年 三井化学 住友化学との経営統合破談:業界再編を狙った合意の解消と、単独路線への引き返し 1997年 三井化学 三井東圧化学と合併し三井化学に商号変更 1985年 三井化学 浮島集約と超石化転換:エチレン生産の一極化と、汎用品からの脱却を掲げたビジョンの提示 1984年 三井化学 構造改革によりエチレン設備を大幅縮小 1976年 三井化学 独自触媒技術によるポリオレフィン技術を確立 1968年 三井化学 東洋高圧工業が三井化学工業を吸収合併し三井東圧化学に商号変更 1955年 三井化学 三井石油化学工業を設立 1941年 三井化学 三井化学工業設立
- ホクト 2024年 ホクト 柳原きのこセンターを閉鎖 2017年 ホクト サン・メディカとMushroom Wisdom,Inc.を完全子会社化 2013年 ホクト アーデンを完全子会社化 2011年 ホクト 台灣北斗生技股份有限公司を設立 2006年 ホクト HOKTO KINOKO COMPANYを設立 2004年 ホクト 化成品部門を分社化しホクト産業を設立 2001年 ホクト 雪国まいたけへ対抗参入:まいたけ市場への参入と、赤字を織り込んだ値下げの継続 1999年 ホクト エリンギ新品種ホクトPLE-2号を開発 1990年 ホクト ぶなしめじ新品種ホクト5号菌を開発 1989年 ホクト 柳原きのこセンター設置:きのこ栽培資材の供給から自社量産への転換と、消費地への生産センター開設 1986年 ホクト えのきたけ新品種ホクトM-50を開発 1983年 ホクト きのこ総合研究所を設置 1972年 ホクト ホクト産業に商号変更 1968年 ホクト きのこ栽培用ポリプロピレンビンの製造を開始
- 山水電気 2014年 山水電気 東京地方裁判所から破産手続開始の決定を受ける 2012年 山水電気 東京地方裁判所に民事再生法の適用を申請 2001年 山水電気 福島工場閉鎖し生産撤退:自社で作る体制を手放し、生産機能を持たない事業構造への転換 2001年 山水電気 香港・グランデ・グループの資本参加を受ける 2000年 山水電気 アカイHDが現地裁判所から清算決定 1992年 山水電気 セミ=テック・グループの資本参加を受ける 1989年 山水電気 英ポリーペックへ株式譲渡:株式51%の引き渡しによる経営権の移転と、外資傘下入り 1989年 山水電気 ポリーペック・インターナショナル・ピーエルシーの子会社に 1972年 山水電気 山水音響とサンスイ・ステレオを吸収合併 1968年 山水電気 サンスイ・トランスとサンスイ音響が合併し山水音響に 1954年 山水電気 ステレオアンプの生産を開始 1947年 山水電気 山水電気製作所を改組し山水電気を設立
- シスメックス 2023年 シスメックス 浅野薫氏が代表取締役社長CEOに就任、家次恒氏は代表取締役会長へ 2016年 シスメックス 理研ジェネシスを完全子会社化 2014年 シスメックス 理研ジェネシス資本参加、加古川アイ スクエアを開設 2001年 シスメックス 国際試薬を子会社化 2000年 シスメックス グローバル直販網の構築:血液検査・世界シェア3冠 1995年 シスメックス ドイツ代理店デジタナ社を子会社化 1985年 シスメックス 機器・試薬セット販売:装置単体ではなく「計数結果を売る会社」への業態の設計 1972年 シスメックス 東亞特殊電機の医用電子機器開発製造部門を譲受 1968年 シスメックス 東亞医用電子を神戸で設立
- 竹内製作所 2023年 竹内製作所 青木工場を新設 2018年 竹内製作所 撹拌機事業をエムケー精工へ譲渡 2002年 竹内製作所 JASDAQへの登録上場:登録上場による同族の非公開企業から公開企業への移行 1998年 竹内製作所 ISO9001の認証を取得(ショベル・クローラーキャリアの設計・製造) 1986年 竹内製作所 クローラーローダーを開発し生産を開始 1979年 竹内製作所 米国現地法人の設立:円高下でも引き揚げなかった北米残留 1978年 竹内製作所 ヤンマーOEMから直販転換:OEM供給依存から竹内ブランドでの直接販売への転換 1976年 竹内製作所 双信工業より営業譲渡を受け撹拌機事業に参入 1963年 竹内製作所 竹内製作所を設立し自動車部品下請を開始
- 日清食品HD 2017年 日清食品HD 日清食品有限公司が香港証券取引所メインボード市場に株式を上場 2014年 日清食品HD ぼんちに資本参加。(注1) 2008年 日清食品HD 持株会社制に移行 2006年 日清食品HD 明星食品の買収:スティール・パートナーズの敵対的TOBに対する、ホワイトナイトとしての介入 1994年 日清食品HD 中国内の第一号の生産基地として、珠海市金海岸永南食品有限公司が操業開始。(注1) 1989年 日清食品HD ベアトリースフーズCo.,(HK)Ltd.に資本参加。(注1) 1971年 日清食品HD カップヌードルの発売:発売を機に始まった、即席麺という商品そのものの再発明 1970年 日清食品HD カリフォルニア州ガーデナ市にニッシンフーズ(U.S.A.)Co.,Inc.を設立。(注1) 1962年 日清食品HD チキンラーメンの発明:製法特許を武器とした、即席麺市場の主導権の掌握 1962年 日清食品HD エース食品に証拠保全を申請 1958年 日清食品HD 瞬間油熱乾燥法の即席袋めん(「チキンラーメン」)を開発 1949年 日清食品HD サンシー殖産に商号変更、本店を移転
- 日本軽金属HD 2026年 日本軽金属HD 朝来野修一氏が社長に就任 2024年 日本軽金属HD 箔事業の経営統合を中止し統合基本契約を解約 2023年 日本軽金属HD 品質不適切行為に関する特別調査委員会の報告書を公表 2012年 日本軽金属HD 株式移転により日本軽金属ホールディングスを設立し上場 2010年 日本軽金属HD 新日軽の全株式を住生活グループへ譲渡 2002年 日本軽金属HD 事業の一部を日軽金アクトなど3社へ営業譲渡・承継 2001年 日本軽金属HD 横串チームと商品化戦略室:横串チームの設置と、事業部の縦割りからグループ横断の開発体制への転換 2000年 日本軽金属HD 新日軽を株式交換により完全子会社化 1999年 日本軽金属HD 東洋アルミニウムを吸収合併 1996年 日本軽金属HD 東洋アルミニウム株式を追加取得し関連会社化 1989年 日本軽金属HD 苫小牧の製錬工場をすべて休止 1985年 日本軽金属HD 苫小牧工場のアルミニウム生産を全面停止 1978年 日本軽金属HD 日軽圧延を吸収合併 1975年 日本軽金属HD 日軽アルミ吸収で垂直統合:アルミ製錬の拡張計画の撤回と、減量経営・垂直統合への転換 1974年 日本軽金属HD 日軽アルミを吸収合併 1968年 日本軽金属HD 北海道苫小牧にアルミニウム製錬工場を着工 1963年 日本軽金属HD いすゞ自動車との折半出資で日本フルハーフを設立 1952年 日本軽金属HD アルミニウム社と資本提携:カナダ大手との技術援助契約の締結と、増資新株の引き受けによる資本の受け入れ 1941年 日本軽金属HD 清水工場でアルミナの生産開始 1939年 日本軽金属HD 古河電気工業と東京電燈の共同出資により日本軽金属を設立
- 三井金属 2025年 三井金属 商号を三井金属に変更 2021年 三井金属 チリ・カセロネス銅鉱山の権益を譲渡 2014年 三井金属 チリ・カセロネス銅鉱山が本格操業開始 2001年 三井金属 神岡鉱山を止め電子材料へ:鉱山の段階的縮小と、銅箔・TABを柱とする事業への転換 2000年 三井金属 日鉱金属と共同でパンパシフィック・カッパーを設立 1999年 三井金属 本社を移転 1989年 三井金属 半導体向けTABテープの製造子会社を設立 1978年 三井金属 神岡鉱山で段階的に規模縮小 1972年 三井金属 イタイイタイ病賠償受諾:控訴審敗訴を受けた責任の全面的な引き受けと、公害防止協定・土壌復元の締結 1968年 三井金属 日比共同製錬を設立 1950年 三井金属 神岡鉱業として独立:三井鉱山からの金属部門の切り離しと、東京証券取引所への上場 1943年 三井金属 昭和鉱業から日比製煉工場・竹原電煉工場を買収 1928年 三井金属 鈴木商店経営の彦島亜鉛製煉工場を買収
- シチズン時計 2025年 シチズン時計 大治良高が代表取締役社長に就任 2021年 シチズン時計 営業損失▲96億円・純損失▲252億円 2019年 シチズン時計 佐藤敏彦が代表取締役社長に就任 2013年 シチズン時計 純損失▲89億円(デバイス事業減損) 2009年 シチズン時計 純損失▲258億円に転落 2008年 シチズン時計 Bulova Corporationの株式を取得 2007年 シチズン時計 電子デバイス事業から撤退:携帯電話向けカメラ部品と小型液晶パネルを切り離す選択と集中 1986年 シチズン時計 腕時計の生産量で世界シェア1位 1976年 シチズン時計 ムーブメントの外販開始:腕時計の心臓部を他社へも売り、量産で世界一を取る戦略への転換 1964年 シチズン時計 事務用機器の生産を開始 1959年 シチズン時計 御代田精密を設立 1946年 シチズン時計 腕時計専業への復帰:軍需会社からの再転換とミシン・農具案の不採用 1946年 シチズン時計 腕時計専業へ復帰 1945年 シチズン時計 初代社長の中島与三郎氏が任期満了で辞任
- 三菱鉛筆 2025年 三菱鉛筆 インドに UNI LINC INDIA を設立 2024年 三菱鉛筆 ドイツの筆記具メーカー C. Josef Lamy を買収 2019年 三菱鉛筆 北米に uni Mitsubishi Pencil North America を設立 2014年 三菱鉛筆 三菱鉛筆関西販売が岡山香川販売を合併 2006年 三菱鉛筆 ジェットストリームの発売:摩擦を半減させた油性ボールペンの発売と、芯を固定した軸展開によるシリーズ化 2002年 三菱鉛筆 英国 ROYAL SOVEREIGN を売却 1990年 三菱鉛筆 英国 ROYAL SOVEREIGN を買収 1986年 三菱鉛筆 創業100年 1973年 三菱鉛筆 ROYALSOVEREIGN買収:手芸用品・粘着テープ・化粧品・印章への多角化と、英企業の買収・売却 1967年 三菱鉛筆 大阪支店を設置 1952年 三菱鉛筆 商品名にそろえ社名を三菱鉛筆へ変更 1925年 三菱鉛筆 大和鉛筆と合併し眞崎大和鉛筆を設立 1903年 三菱鉛筆 逓信省指定の局用鉛筆の商標として「三菱」のマークを登録 1887年 三菱鉛筆 眞崎鉛筆製造所の創業:輸入品を使う逓信省への納入・三菱マークの商標登録
- ニチロ 2007年 ニチロ マルハグループ本社と経営統合 2003年 ニチロ 冷凍食品製造販売のアクリフーズを子会社化 2001年 ニチロ そばめしで冷凍食品へ集中:家庭用・業務用の調理冷凍食品への集中と、ライン直結の商品開発体制への移行 1990年 ニチロ 商号をニチロに変更 1988年 ニチロ 母船式サケ・マス事業八社共同経営による一船団出漁 1979年 ニチロ 米国のピーターパン・シーフーズを子会社化 1977年 ニチロ 北洋漁業の縮小で陸上転換:二百カイリ規制を受けた漁労依存からの脱却と、加工・畜産事業への軸足移動 1968年 ニチロ 宮畜産を子会社化 1952年 ニチロ 北洋母船式サケ・マス漁業を再開 1945年 ニチロ 終戦により在外全資産を喪失 1921年 ニチロ 輸出食品・勘察加漁業・日魯漁業の三社が合併 1914年 ニチロ 北洋サケ・マス漁場取得:米国式缶詰機械の導入によるサケ缶詰の量産化への踏み切り
- ツガミ 2024年 ツガミ 津上精密机床(浙江)有限公司が中津精密机床(浙江)有限公司を吸収合併 2010年 ツガミ TSUGAMI KOREA CO.,LTD.を設立 2003年 ツガミ 中国に津上精密机床設立:浙江省を拠点にした量産移管と、国内一本の生産体制からの脱却 1991年 ツガミ 工作機械製造会社ウェルドン社を買収(WMTコーポレーションに商号変更) 1989年 ツガミ TSUGAMI(THAI)CO.,LTD.を設立 1975年 ツガミ 茨城工場を閉鎖・売却 1961年 ツガミ 東洋精機を吸収合併:三井へ手放した初代の後身を茨城工場として取り込む再統合 1954年 ツガミ 和議法による再建:会社更生法の申立て棄却を受けた和議法への切替え 1945年 ツガミ 津上精密工学工業を吸収合併し信州工場に
- 三機工業 2025年 三機工業 創立100周年、経営ビジョン"MIRAI 2030"と中期経営計画2027を発表 2022年 三機工業 東京証券取引所プライム市場へ移行 2019年 三機工業 機械システム事業の主力生産拠点「大和プロダクトセンター」を本格稼働 2011年 三機工業 東京都中央区明石町に本店を移転 2007年 三機工業 採算重視受注へ転換:規模を超える受注拡大策の撤回と、身の丈に見合った量への引き下げ 2006年 三機工業 オーストリアの散気装置製造・販売会社AQUACONSULT Anlagenbau GmbHの経営権を取得 1990年 三機工業 環境システム子会社サンキ環境サービスを設立 1982年 三機工業 神奈川県大和市に技術研究所を建設 1973年 三機工業 三井軽金属加工に窓枠部門の営業を譲渡 1960年 三機工業 鋼管株を富士製鉄へ売却:合弁で持った製造部門の切り離しと、本業への経営資源の集中 1958年 三機工業 資本金が10億円を超える 1949年 三機工業 企業再建整備法に基づき旧三機工業の第二会社として設立 1933年 三機工業 日本鋼材の経営権掌握:三建工業との合併による鋼材事業の本体への取り込み 1925年 三機工業 旧三井物産機械部を母体に三機工業を創立(資本金50万円、従業員12名)
- ふくおかFG 2023年 ふくおかFG 福岡中央銀行との株式交換を行い、福岡中央銀行を完全子会社化 2021年 ふくおかFG みんなの銀行開業 2019年 ふくおかFG 十八銀行との株式交換を行い、十八銀行を完全子会社化 2017年 ふくおかFG 純損失▲543億円に転落 2014年 ふくおかFG 柴戸隆成氏が社長に就任 2007年 ふくおかFG 親和銀行を完全子会社化:共同株式移転による持株会社の設立と、その傘下への複数地銀の集約 2007年 ふくおかFG 親和銀行を完全子会社化する経営統合を実施 2006年 ふくおかFG 福岡銀行と熊本ファミリー銀行が業務・資本提携の基本合意書を締結 1995年 ふくおかFG プレミアム金利付き定期預金「OH!ホークス」発売 1986年 ふくおかFG ニューヨーク駐在員事務所開設 1978年 ふくおかFG 東京証券取引所・大阪証券取引所第2部に上場 1967年 ふくおかFG 第3次長期計画開始 1955年 ふくおかFG 蟻川五二郎氏が頭取就任:日銀考査役を迎え入れ、4代続くこととなった中央銀行出身のトップ体制 1945年 ふくおかFG 十七・筑邦ら4行の合併:一県一行主義に沿った県内各行の新立合併による地盤の一本化
- YKK 2003年 YKK 非上場と社員持株の継続:株式を公開せず、社員が株主であり続ける資本政策 2002年 YKK 株式交換によるYKK APの完全子会社化 1994年 YKK YKKに商号変更 1991年 YKK アジア子会社を統括するYKKホールディング・アジアを設立 1988年 YKK 欧州子会社を統括するYKKヨーロッパを設立 1987年 YKK 米国子会社を統括するYKKコーポレーションを設立 1979年 YKK 豪州のアルミ製錬事業ボインスメルターズへ参画 1961年 YKK 生地工場でアルミ建材の製造を開始 1959年 YKK アルミサッシへの参入:余ったアルミ合金の使い道として選んだ新分野への進出 1959年 YKK ニュージーランドに初の海外子会社を設立 1957年 YKK 販売会社の吉田商事(現YKK AP)を設立 1949年 YKK チェーンマシーン4台の輸入:資本金の60倍を投じた設備投資 1946年 YKK 商標YKKの制定 1934年 YKK 吉田忠雄氏がファスナーを商うサンエス商会を東京日本橋に創業
- アズビル 2025年 アズビル アズビルベトナムプロダクションを設立 2024年 アズビル アズビルテルスターを Syntegon へ譲渡 2019年 アズビル 湘南工場に新生産棟稼働、首都圏生産機能を集約 2012年 アズビル アズビルに商号変更 2008年 アズビル 金門製作所を株式交換で完全子会社化 2002年 アズビル ハネウエルとの資本解消:保有株1,099万株の自己株式取得による、49年続いた提携の終幕 1990年 アズビル ハネウエルの出資比率が50%から24.15%へ低下 1974年 アズビル 太信に出資 1963年 アズビル 山武計装を設立、空調計装工事事業に参入 1953年 アズビル 米ハネウエルと資本提携:50対50の折半出資と、工業計器・空調制御機器・マイクロスイッチの包括的な技術導入 1949年 アズビル 企業再建整備法により山武計器を新設 1933年 アズビル 大森で計器メーカーへ転換:輸入商から自社製造へ踏み出した製作所の開設と、商いから工業への軸足移動 1932年 アズビル 山武商会を株式会社に改組、工業計器の組立開始
- ブルドックソース 2025年 ブルドックソース 鳩ケ谷工場売却 2023年 ブルドックソース 鳩ケ谷工場生産終了 2019年 ブルドックソース サンフーズを子会社化 2007年 ブルドックソース スティールへの買収防衛策:TOBに対する新株予約権無償割当の実施と、経営権を守る姿勢の明示 2005年 ブルドックソース イカリソースが更生会社イカリソースの営業を譲受 1998年 ブルドックソース 館林工場を新設(第1期工事) 1985年 ブルドックソース 子会社サンワフーズを設立 1976年 ブルドックソース 本社社屋新築 1962年 ブルドックソース 社名をブルドックソースに商号変更 1954年 ブルドックソース 会社更生法による再建:法的整理による立て直しと、無借金・手元流動性を守る体質の定着 1905年 ブルドックソース ソースの製造販売を開始
- パイロットコーポレーション 2023年 パイロットコーポレーション マークスグループ・HD・子会社マークスを子会社化 2021年 パイロットコーポレーション パイロットインキの玩具事業を会社分割により承継 2019年 パイロットコーポレーション 本社ビルを建替え 2003年 パイロットコーポレーション パイロットを吸収合併し社名をパイロットコーポレーションに商号変更 2002年 パイロットコーポレーション 持株会社の設立と3社統合:3社共同の株式移転による事業会社の吸収合併によるグループ一体化 1999年 パイロットコーポレーション パイロット伊勢崎第二工場を新設 1989年 パイロットコーポレーション パイロット萬年筆をパイロットに商号変更 1972年 パイロットコーポレーション 貴金属・宝飾品類製造・販売開始 1961年 パイロットコーポレーション ボールペン製造・販売開始 1950年 パイロットコーポレーション パイロットインキの設立:名古屋のインキ工場を本体から切り出し、別会社として独立させる分離 1927年 パイロットコーポレーション シャープペンシル製造・販売開始
- 明治HD 2025年 明治HD 松田克也氏が社長に就任 2024年 明治HD コスタイベ(レプリコンワクチン)の風評被害が顕在化 2018年 明治HD KMバイオロジクスを子会社化 2011年 明治HD グループ再編完了・明治製菓がMeiji Seikaファルマに商号変更 2008年 明治HD 明治製菓・明治乳業の統合:取得企業を置かない共同株式移転と、菓子・乳業から食品・医薬品への事業区分の引き直し 1990年 明治HD ボーデンとの20年間の提携を解消 1980年 明治HD 菓子部門が初の大幅赤字を計上 1975年 明治HD きのこの山を発売 1968年 明治HD スナック菓子「カール」を発売 1958年 明治HD カナマイシンを発売 1946年 明治HD ペニシリンの製造を開始 1940年 明治HD 明治乳業を発足
- ダイセル 2020年 ダイセル ポリプラスチックスを完全子会社化 2018年 ダイセル Daicel Safety Systems India Pvt. Ltd.を設立 2012年 ダイセル Special Devices, Inc.を買収 2008年 ダイセル 生産革新SPSの確立:自社で作り上げた生産方式の全社展開と、現場運営の作り替え 1990年 ダイセル 網干工場で液晶用フィルム酢酸セルロース・アセテートトウの製造を開始 1989年 ダイセル Daicel Chemical (Asia) Pte. Ltd.(現Daicel (Asia) Pte. Ltd.)設立 1979年 ダイセル 商号をダイセル化学工業に商号変更 1964年 ダイセル Celanese Corporationとの合弁でポリプラスチックスを設立 1958年 ダイセル 堺工場(大阪府、2008年3月廃止)において、アセテート・トウの製造開始 1934年 ダイセル 写真フィルム部を分離、富士写真フイルム設立 1919年 ダイセル 大日本セルロイドとして創立
- セーレン 2022年 セーレン 東京証券取引所プライム市場に移行 2019年 セーレン ケイ・エス・ティ・ワールドを子会社化 2014年 セーレン Viscotec Mexico S.A. de C.V.を設立 2005年 セーレン KBセーレンを設立しカネボウ繊維事業の営業を譲受 2003年 セーレン 自社製品への転換:下請け染色からの脱却と、自動車内装材・一貫生産への業態転換 2001年 セーレン Viscotec Automotive Products LLCを設立 1998年 セーレン Viscotec U.S.A. LLCを設立 1989年 セーレン デプロを設立 1970年 セーレン セーレン電子を設立 1969年 セーレン 東京証券取引所市場第二部に上場 1923年 セーレン 前身5社の統合により福井精練加工を設立
- 日鉄ソリューションズ 2024年 日鉄ソリューションズ テックスエンジソリューションズを完全子会社化 2019年 日鉄ソリューションズ 社名を「日鉄ソリューションズ」に変更 2012年 日鉄ソリューションズ 新日鐵住金の発足に合わせ、社名を「新日鉄住金ソリューションズ」に変更 2008年 日鉄ソリューションズ 金融エンジニアリング・グループの全株式を取得 2001年 日鉄ソリューションズ 新日本製鐵の事業譲受:本体エレクトロニクス・情報通信事業部の営業譲受によるIT機能の一社集約と、東証一部への上場 1995年 日鉄ソリューションズ 通商産業省「特定システムオペレーション企業」に認定 1988年 日鉄ソリューションズ 新日本製鐵の情報通信システム部門の事業を譲受
- NSD 2023年 NSD アートHDを子会社化 2019年 NSD NSD‐DXテクノロジーを設立 2012年 NSD NSD International, Inc.を米国・ニューヨーク州に設立 2001年 NSD 福島総合計算センターの子会社化:地域の計算センターの取り込みと、運用受託部門の切り出し 1999年 NSD 東京証券取引所市場第一部に上場 1988年 NSD 大阪証券取引所市場第二部に上場 1977年 NSD 営業所を開設 1969年 NSD 日本システムディベロップメントとして設立
- ヤオハン 2019年 ヤオハン 創業家の和田一夫氏が逝去 2002年 ヤオハン マックスバリュ東海に商号変更 2000年 ヤオハン ヤオハンに商号変更 1997年 ヤオハン 長銀・東海の支援途絶で更生法申請:転換社債の自力償還が行き詰まり、1997年9月の会社更生法申請へ——上場大手小売の破綻 1997年 ヤオハン ダイエーへ主力店売却:資金繰り危機下で主力16店、熱海の高収益店まで含めた稼ぎ頭の手放し 1997年 ヤオハン ジャスコの支援受け入れ:会社更生下で競合を再建スポンサーに迎え、主力店を手放した末の存続策 1989年 ヤオハン 海外店舗が22店に到達 1986年 ヤオハン ワラント債・転換社債による資金調達を開始 1977年 ヤオハン ブラジルヤオハンが破綻 1974年 ヤオハン 1号店を開店 1962年 ヤオハン 和田一夫氏が社長に就任 1956年 ヤオハン 現金正札廉価販売を導入 1930年 ヤオハン 八百半熱海支店を創業
- KDD 2000年 KDD 第二電電・日本移動通信と合併して解散 1998年 KDD 国際電信電話法の廃止:根拠法の消滅に伴う特殊会社の立場からの離脱と一民間企業への移行 1998年 KDD テレウェイの吸収合併:同業他社の吸収と商号のKDD株式会社への変更 1997年 KDD ルートKDDの国内延伸:企業向け国内電話への参入と、列島周回海底ケーブルの敷設 1980年 KDD 山一証券取締役相談役だった日高輝氏が会長に就任 1979年 KDD 貴金属の密輸と過剰接待が発覚(KDD事件) 1953年 KDD 国際電信電話が発足
- キーエンス 2025年 キーエンス 中野鉄也氏が代表取締役社長に就任 2023年 キーエンス 過去最高益を達成 2019年 キーエンス 中田有氏が代表取締役社長に就任 2010年 キーエンス 山本晃則氏が代表取締役社長に就任。グローバル展開を本格化 2009年 キーエンス ジャストシステムの株式取得 1995年 キーエンス 直販とファブレスの両立:自社工場も代理店も持たない構造による高粗利モデルの確立 1995年 キーエンス 直販とファブレスによる高粗利モデルを説明 1991年 キーエンス 月次の利益分配制度:営業利益を厚く社員へ還元する高給の人事 1989年 キーエンス 自動線材切断機を譲渡:利益率2割の事業も捨てた高付加価値への集中 1982年 キーエンス センサに集中投資。切断機から事業撤退 1973年 キーエンス 交流磁界センサに参入 1972年 キーエンス 滝崎武光氏が創業:創業——リード電機の自動線材切断機から付加価値価格のセンサー専業
- 日本移動通信 2000年 日本移動通信 第二電電に吸収合併され解散 1999年 日本移動通信 cdmaOneへの転換:DDIセルラーグループとの「au」へのブランド統一と、通信方式の一本化 1998年 日本移動通信 トヨタ自動車が増資を引き受けて子会社化 1997年 日本移動通信 DDIセルラーグループとの提携:次世代携帯電話でのCDMA方式の共同採用と、陣営づくりへの全面的な踏み込み 1989年 日本移動通信 日米電気通信交渉を受けてモトローラ方式の首都圏導入を引き受ける 1988年 日本移動通信 NTT大容量方式の採用:開業時の無線方式へのTACS方式の不採用 1987年 日本移動通信 日本移動通信を設立
- アスキー 2002年 アスキー 90パーセント減資とユニゾン・キャピタルへの第三者割当増資により上場廃止 2001年 アスキー 西和彦氏が取締役を退任し特別顧問に就任 1998年 アスキー CSKからの出資受け入れ:95億円の第三者割当増資の引き受けによるグループ傘下入り 1998年 アスキー 特別損失455億円を計上し132億円の債務超過に転落 1991年 アスキー 映画・地域含む拡大路線採用:創業メンバー2名の退任と引き換えに選んだ多角化への傾斜 1987年 アスキー 西和彦氏が社長に就任 1986年 アスキー マイクロソフトとの極東総代理店契約を解消 1983年 アスキー MSX規格提唱で国産結集:メーカー各社を一つのパソコン統一規格へまとめる旗振り役の獲得 1977年 アスキー 西和彦氏ら3名がアスキー出版を設立
- 三洋証券 2009年 三洋証券 3月25日、破産手続が終結し法人が消滅 1999年 三洋証券 12月28日、破産宣告を受ける 1997年 三洋証券 会社更生法の適用申請:救済合併にも自主廃業にも拠らない法的再建の選択 1994年 三洋証券 野村證券グループの支援:系列ノンバンクの債務保証を抱えたままの、増資と劣後ローンによる延命 1988年 三洋証券 世界最大の取引フロア建設:資本金に匹敵する300億円を投じる、自社史上最大の設備投資 1973年 三洋証券 総合証券会社に転換 1971年 三洋証券 江口證券と大一呉証券を吸収合併 1954年 三洋証券 野村證券との提携を強化 1949年 三洋証券 東京証券取引所の正会員に
- 第二電電 2000年 第二電電 KDD・日本移動通信と合併 2000年 第二電電 日本イリジウムが事業から撤退 1999年 第二電電 ツーカーセルラー東京・東海・ツーカーホン関西を子会社化 1994年 第二電電 PHS事業への参入:地域別9社によるポケット電話会社の設立 1993年 第二電電 日本イリジウムの設立:米本社への218億円の出資と、2000年に終わった事業からの撤退 1987年 第二電電 関西セルラー電話を設立:全国8地域への分散設立による移動体通信への参入と、首都圏・中部圏の割り当ての譲歩 1987年 第二電電 一般の市外電話サービスの営業を開始 1984年 第二電電 第二電電企画を設立
- キッコーマン 2024年 キッコーマン 理研ビタミンとの資本・業務提携を解消 2018年 キッコーマン グローバルビジョン2030を策定 2006年 キッコーマン 焼酎事業をサッポロビールに譲渡 1996年 キッコーマン プロダクトマネジャー制導入:商品ごとに責任者を置く体制づくりを通じた、事業運営の方針転換 1995年 キッコーマン トップダウン経営への転換:米国流を持ち込んだ、意思決定の様式そのものの作り替え 1990年 キッコーマン デルモンテ商標の使用権を取得 1986年 キッコーマン 千歳工場を新設 1973年 キッコーマン 米ウィスコンシンで工場建設:輸出頼みから現地生産への切り替えと、海外での醤油づくりの開始 1969年 キッコーマン JFCに経営参加 1962年 キッコーマン 利根コカ・コーラボトリングを設立 1957年 キッコーマン KIKKOMAN INTERNATIONAL, INC. を設立 1928年 キッコーマン 野田争議・解雇で収束 1917年 キッコーマン 野田醤油を設立
- セコム 2023年 セコム アルテリア・ネットワークスに資本参加 2019年 セコム 尾関一郎が代表取締役社長に就任 2012年 セコム アット東京を子会社化 2006年 セコム 能美防災を子会社化 1998年 セコム 東洋火災海上保険に資本参加 1994年 セコム セコム在宅医療システム設立:在宅医療への参入と、医療機関の経営を切り分ける議論への一石 1992年 セコム 事業5分野への対等分割:会長個人への経営依存を解くための、専任役員制の導入と権限の分散 1981年 セコム 日本初の家庭用安全システム「マイアラーム」を発売 1975年 セコム 世界初のコンピュータ安全システムCSSを確立 1966年 セコム 「SPアラーム」の開発:人海警備から機械警備へ、日本初のオンライン安全システムによる転換 1962年 セコム 日本警備保障を設立:創業——巡回ガードマンから日本初のオンライン警備「SPアラーム」
- 日商岩井 2003年 日商岩井 株式移転でニチメン・日商岩井HDの完全子会社へ 1999年 日商岩井 三和銀行8行の融資枠受入:6000億円の有利子負債1兆円の圧縮 1998年 日商岩井 エヌ・アイ・ファイナンス整理:金融子会社の切り離しと、特別損失1,610億円の計上 1998年 日商岩井 8金融機関が6000億円の協調融資枠を供与 1983年 日商岩井 1983年3月期の売上高が8兆168億円に到達 1977年 日商岩井 辻良雄氏の後を継ぎ植田三男氏が社長に就任 1969年 日商岩井 西川政一氏の後を継ぎ辻良雄氏が社長に就任 1968年 日商岩井 日商と岩井産業の合併:対等合併による日商岩井の発足 1959年 日商岩井 米ボーイング社と日本総代理店契約を締結 1958年 日商岩井 落合豊一社長の死去により西川政一氏が社長に就任 1948年 日商岩井 日商が過度経済力集中排除法の適用対象に指定 1928年 日商岩井 鈴木商店の中堅社員39人が日商を設立 1862年 日商岩井 岩井文助商店の創業:1862年の鈴木商店系・日商との合併による日商岩井の発足
- 山一證券 2005年 山一證券 破産手続が終了し法人が消滅 1998年 山一證券 全社員を解雇して営業を停止 1997年 山一證券 自主廃業による事業終了:会社更生法による再建を選ばず、営業停止に踏み切った清算の道 1991年 山一證券 含み損の簿外飛ばし:営業特金で生じた損失を連結対象外の会社へ移した損益の先送り 1986年 山一證券 三菱重工業の転換社債をめぐる問題が社会問題化 1974年 山一證券 東京証券取引所第一部に指定替え 1966年 山一證券 新旧勘定分離により新会社を設立 1965年 山一證券 日銀特融の受け入れ:日本銀行法二十五条による特別融資の受け入れと、新旧勘定分離による再建 1964年 山一證券 1964年9月期決算で約34億5000万円の赤字を計上 1951年 山一證券 投資信託業務に参入 1943年 山一證券 小池証券と合併し新・山一證券が発足 1938年 山一證券 太田収氏が鐘淵紡績株の投機失敗で社長を辞任
- さくら銀行 2001年 さくら銀行 住友銀行と合併 1999年 さくら銀行 公的資金8000億円の注入を受け入れ 1998年 さくら銀行 三井物産・トヨタへ増資要請:三井グループ各社への総額約 1990年 さくら銀行 太陽神戸銀行と合併:対等の立場での合併と、さくら銀行への商号変更による新体制の発足 1986年 さくら銀行 審査・業務・国際・証券経理の4本部制を解体 1973年 さくら銀行 神戸銀行と太陽銀行が合併し太陽神戸銀行が発足した(のちの合併相手方) 1968年 さくら銀行 東都銀行を合併 1954年 さくら銀行 三井銀行に商号変更 1948年 さくら銀行 帝国銀行が第一銀行系の営業を分割譲渡して解散 1943年 さくら銀行 第一銀行との対等合併により帝国銀行が発足 1673年 さくら銀行 越後屋から私立銀行第一号:創業——三井高利氏の「現銀掛値なし」から1876年の三井銀行への系譜
- 三菱石油 1999年 三菱石油 日本石油に吸収合併され解散、日石三菱が発足 1997年 三菱石油 泉井事件で会長辞任:山田菊男会長の引責と泉谷良彦社長の続投という責任の分け方 1994年 三菱石油 ベトナムで原油探鉱に進出:南部沖「15-2」鉱区の取得と、自社オペレーターとしての操業への転換 1984年 三菱石油 三菱グループがゲッティ保有の三菱石油株50%を買い戻すことで合意 1984年 三菱石油 日本石油と業務提携を発表。元売13社が7グループ11社に集約された業界再編の一環 1954年 三菱石油 川崎製油所に溶剤脱蝋装置・溶剤精製装置・プラットフォーミング装置を導入 1949年 三菱石油 タイドウォーター・アソシエイテッド石油会社と外資提携契約を締結 1931年 三菱石油 米アソシエイテッド石油と合弁設立:外資との折半出資による三菱石油の設立と、川崎製油所の建設 1929年 三菱石油 三菱3社と米アソシエイテッド石油会社が対等出資の会社設立基本契約を締結
- 横浜FG 2025年 横浜FG L&Fアセットファイナンスを子会社化 2023年 横浜FG 横浜銀行が神奈川銀行を子会社化 2016年 横浜FG コンコルディア・フィナンシャルグループ設立 2014年 横浜FG 横浜銀行と東日本銀行が経営統合に基本合意 2004年 横浜FG 公的資金2200億円を完済 1999年 横浜FG 優先株式1000億円を発行 1996年 横浜FG 26エリア戦略の導入:都銀に対抗する地理情報システムを用いた営業網の組み替え 1991年 横浜FG リテール重視への転換:国際・証券部門の不振を受けた海外展開の縮小と地元市場への回帰 1989年 横浜FG 第3次オンラインシステム操業開始 1979年 横浜FG 第2次オンラインシステム操業開始 1969年 横浜FG 地方銀行の預金量で全国首位に 1957年 横浜FG 横浜銀行に行名変更 1941年 横浜FG 県内6行と一挙に合同 1927年 横浜FG 左右田銀行と合同
- 東京応化工業 2025年 東京応化工業 micro resist technology GmbHを完全子会社化 2023年 東京応化工業 装置事業をAIメカテックに譲渡 2014年 東京応化工業 台湾東應化社銅鑼(トンロー)工場を新設 2006年 東京応化工業 OHKA AMERICA, INC.の社名をTOKYO OHKA KOGYO AMERICA, INC.に変更 1992年 東京応化工業 オーカ・アメリカへ統合:米国現地法人の設立と1992年の二社統合による北米供給体制の構築 1986年 東京応化工業 フォトレジスト事業で上場:東証二部への株式上場と生産能力投資の資金基盤の確保 1984年 東京応化工業 フォトレジストへ資源集中:塩化ビニールなど大型市場への不参入と、狭い分野への資源の絞り込み 1972年 東京応化工業 OFPR-2(国産初の半導体用ポジ型フォトレジスト)を開発 1962年 東京応化工業 TPR(プリント基板用フォトレジスト)の製造を開始 1936年 東京応化工業 東京市品川区に東京応化研究所を設立し精製水酸化カリウムの製造を開始
- 山之内製薬 2005年 山之内製薬 藤沢薬品工業と合併しアステラス製薬が発足 1991年 山之内製薬 アイルランドへの生産拠点設置:欧州の生産販売網の自前構築 1989年 山之内製薬 筑波研究センターの開設:バイオテクノロジーを用いた医薬品への投資 1989年 山之内製薬 シャクリーを子会社化 1985年 山之内製薬 米メルクへの技術輸出:自社創製のH2ブロッカー「ガスター」の発売と、技術を海外へ売る側への転換 1974年 山之内製薬 高萩工場(合成工場)が完成 1968年 山之内製薬 焼津工場(製剤工場)が完成 1950年 山之内製薬 ロシュと業務提携 1937年 山之内製薬 日本初のスルファミン製剤ゲリゾン・アルバジルの製造に成功 1923年 山之内製薬 山内健二が大阪市で山之内薬品商会を創立
- 藤沢薬品工業 2005年 藤沢薬品工業 山之内製薬との合併によりアステラス製薬が発足 1998年 藤沢薬品工業 ライフォメッドの売却:米国後発医薬品事業の売却と、新薬子会社への集約 1993年 藤沢薬品工業 1993年3月期に連結で初の赤字に転落 1993年 藤沢薬品工業 免疫抑制剤プログラフを日本で発売 1985年 藤沢薬品工業 ピコレットなどライオンへ譲渡:トイレ用芳香剤を含む家庭用品20品目の一括での切り離し 1977年 藤沢薬品工業 セファメジンへ集中投資:主力薬効を抗生物質と神経系へ絞り込む事業構成の組み替え 1971年 藤沢薬品工業 抗生物質セファメジンを発売 1961年 藤沢薬品工業 非医薬品事業に参入 1958年 藤沢薬品工業 チオクト酸を日本で初めて治療薬として開発 1945年 藤沢薬品工業 敗戦により満州・朝鮮・中国の事業基盤を一挙に失う 1899年 藤沢薬品工業 仕入販売から製造へ移行
- 第一勧業銀行 2000年 第一勧業銀行 富士銀行・日本興業銀行との株式移転でみずほHDを設立 1997年 第一勧業銀行 総会屋融資の隠蔽発覚:大蔵省検査を機に迫られた経営陣の総退陣と、総務部そのものの廃止 1997年 第一勧業銀行 近藤克彦氏と奥田正司氏が退任を表明 1988年 第一勧業銀行 麹町支店の不正融資事件が発覚 1985年 第一勧業銀行 総務部が元出版社社長の紹介で小池嘉矩への融資を始める 1984年 第一勧業銀行 ハートファイナンス設立:都市銀行初となる消費者金融専門会社の設立と、取引先企業との提携ローンの導入 1971年 第一勧業銀行 第一・勧業銀行の合併:都市銀行と特殊銀行系の一体化による新銀行の成立 1969年 第一勧業銀行 三菱銀行との合併構想が表面化し1月13日に白紙還元 1952年 第一勧業銀行 日本勧業銀行が債券発行業務を停止 1948年 第一勧業銀行 帝国銀行から分離し第一銀行として再発足 1943年 第一勧業銀行 三井銀行と対等合併し帝国銀行が発足
- 住友銀行 2001年 住友銀行 さくら銀行と合併し三井住友銀行が発足 1999年 住友銀行 公的資金5010億円の注入を受ける。1998年度の不良債権処理額は1兆500億円 1998年 住友銀行 大和証券と業務提携で基本合意 1995年 住友銀行 8000億円の不良債権償却:1995年3月期での一括処理に踏み切った結果としての、都市銀行初の経常赤字の計上 1986年 住友銀行 平和相互銀行を吸収合併:同業行の吸収合併によって一挙に手に入れた首都圏の店舗網 1986年 住友銀行 ゴールドマン・サックスに出資(1999年時点の出資比率は10%強) 1984年 住友銀行 スイスのゴッタルド銀行を買収 1977年 住友銀行 安宅産業支援の全額償却:救済で背負った1132億円を先送りせず一度に処理する道の選択 1968年 住友銀行 金融界で最初の総合オンライン化に着手 1952年 住友銀行 ニューヨーク支店を再開 1949年 住友銀行 東京・大阪の両証券取引所に上場
- 靴のマルトミ 2000年 靴のマルトミ 民事再生法の適用申請 1994年 靴のマルトミ 不採算店の一括閉鎖:180店の即時整理を含む、3年で380店を減らす経営改善計画 1987年 靴のマルトミ オーナーシステムの導入:直営店を独立採算の販売委託店へ切り替える運営方式への転換 1985年 靴のマルトミ 郊外おもちゃ専門店「BANBAN」の展開開始 1980年 靴のマルトミ 靴流通センターを全国展開 1975年 靴のマルトミ 郊外ロードサイド店への転換:都心100店のうち60店の閉鎖と、駐車場付き 1965年 靴のマルトミ 従業員の不正が発覚 1950年 靴のマルトミ 丸富靴店を開業
- イトーヨーカ堂 2005年 イトーヨーカ堂 3社共同株式移転によりセブン&アイ・HDを設立 2001年 イトーヨーカ堂 アイワイバンク銀行を設立 1992年 イトーヨーカ堂 エクイティファイナンス見送り:バブル期の不動産投資に乗らず、手元現金を積み増した守りの選択 1992年 イトーヨーカ堂 総会屋への利益供与事件の責任をとり伊藤雅俊氏が社長を辞任 1991年 イトーヨーカ堂 セブン-イレブン・ジャパンとともに7-Eleven, Inc.に資本参加 1982年 イトーヨーカ堂 セブンーイレブン方式導入:業務改革(業革)の開始と、単品管理・仮説検証の本体への持ち込み 1973年 イトーヨーカ堂 THE SOUTHLAND CORPORATIONと業務提携 1973年 イトーヨーカ堂 ヨークセブンを設立 1972年 イトーヨーカ堂 坪20〜30万円で出店:商圏規模に比例させた店舗規模と、坪二十万〜三十万円の立地への出店 1967年 イトーヨーカ堂 本店を移転 1958年 イトーヨーカ堂 ヨーカ堂を設立 1948年 イトーヨーカ堂 伊藤譲を代表者として法人組織の羊華堂を設立
- カネカ 2024年 カネカ 北海道苫東工場を新設 2016年 カネカ セメダインを公開買付けによる株式取得により子会社化 2013年 カネカ 食品事業部門の販売会社4社をカネカ食品に再編 2009年 カネカ サンビックに追加出資し子会社化 1999年 カネカ 薄膜シリコン太陽電池事業に参入 1998年 カネカ カネカソーラーテック設立:専業子会社の設立と、薄膜シリコンへの100億円超の投資 1985年 カネカ フォンテーヌをアデランスへ譲渡:女性かつら直営事業の手放しと、人工毛カネカロンの素材供給への専念 1979年 カネカ 変成シリコーンポリマーの製造を開始 1977年 カネカ 医薬品バルク ユビデカレノン(コエンザイムQ10)の製造を開始 1967年 カネカ 高砂に新製法設備建設:塩ビモノマー原料のカーバイド法からオキシクロリネーション法への切り替え 1957年 カネカ アクリル系合成繊維「カネカロン」の製造を開始 1953年 カネカ 食品事業に参入 1949年 カネカ 鐘淵紡績から繊維部門以外の全事業を譲り受けて設立
- 三菱地所 2023年 三菱地所 吉田淳一社長が退任し会長へ、中島篤が代表執行役執行役社長に就任 2017年 三菱地所 吉田淳一が代表執行役執行役社長に就任 2013年 三菱地所 グランフロント大阪を開業 2009年 三菱地所 藤和不動産を完全子会社化 2008年 三菱地所 サンシャインシティ株式のTOBで子会社化 1995年 三菱地所 ロックフェラーセンター投資事業から撤退 1995年 三菱地所 初代丸ビルの建て替え計画を発表 1990年 三菱地所 米ロックフェラーグループへ出資:米国の象徴的物件への資本参加と、5年後の投資事業からの撤退 1989年 三菱地所 商業施設事業に参入 1988年 三菱地所 「丸の内マンハッタン化計画」:構想発表と、初代丸ビルの建て替えによる複合都市への転換 1983年 三菱地所 ホテル事業に参入 1973年 三菱地所 札幌・仙台・名古屋・大阪の4支店を開設 1968年 三菱地所 住宅供給事業に参入 1959年 三菱地所 丸ノ内総合改造計画:策定と、赤煉瓦街から9階建てビル街への建て替え 1953年 三菱地所 陽和不動産・開東不動産を合併:財閥解体で3分割された丸ノ内を、3年後に1社へ束ね直す再統合 1950年 三菱地所 財閥解体により陽和・開東の2社を分離 1890年 三菱地所 丸ノ内の入札ゼロ買収:創業——誰も手を挙げなかった土地の引き受けから始まる日本最大の不動産会社
- 日本長期信用銀行 2000年 日本長期信用銀行 新生銀行へ行名を変更 1999年 日本長期信用銀行 リップルウッド陣営への譲渡が決定 1998年 日本長期信用銀行 特別公的管理により一時国有化 1997年 日本長期信用銀行 スイス銀行との資本提携:業務・資本の両面で組む投資銀行への転換と、住友信託銀行への合併申し入れ 1989年 日本長期信用銀行 堀江鐵彌氏が頭取に就任 1987年 日本長期信用銀行 ムーディーズが長期債格付けを2段階引き下げ 1986年 日本長期信用銀行 イ・アイ・イへの支援打ち切り:取引開始から深入りし、1993年に至って関係を断つまでの経緯 1971年 日本長期信用銀行 杉浦敏介氏が頭取に就任し「三つのV」を掲げる 1967年 日本長期信用銀行 債券発行残高が1兆円を突破し10番目の一兆円銀行へ 1961年 日本長期信用銀行 政府保有の優先株式を利益消却で全額消却 1957年 日本長期信用銀行 債券一人一枚消化運動と割引債の販路拡大 1952年 日本長期信用銀行 川崎製鉄・トヨタへ融資:電力・鉄鋼・海運・石炭へ貸出の5割を振り向ける配分と、後発企業への肩入れ 1952年 日本長期信用銀行 長期信用銀行法にもとづき資本金7億5000万円で設立
- ダイワボウHD 2024年 ダイワボウHD 繊維事業(大和紡績)の株式の85.0%をアスパラントグループSPC11号へ譲渡 2011年 ダイワボウHD 関連会社のオーエム製作所を公開買付により子会社化 2008年 ダイワボウHD 関連会社のダイワボウ情報システムを公開買付により子会社化 2006年 ダイワボウHD 会社分割により全事業部門を4子会社に承継し純粋持株会社体制へ移行 1997年 ダイワボウHD ダイワボウ情報システム上場:子会社の東証2部上場と、そこから生じた親子上場のねじれ 1982年 ダイワボウHD ダイワボウ情報システム設立:繊維不況を抜け出す策としての新会社設立と、情報分野への進出 1982年 ダイワボウHD 情報産業に参入 1971年 ダイワボウHD GKBIと合弁でP.T.Primatexco Indonesiaを設立 1952年 ダイワボウHD 本社を移転 1949年 ダイワボウHD 大和機械工業を設立 1941年 ダイワボウHD 大和紡績を設立:紡績ブロック結成案に応じて4社が1社に合わさる統合
- 三共 2005年 三共 株式移転により第一製薬との共同持株会社 第一三共を設立 2000年 三共 河村喜典氏が長男の脅迫事件で引責辞任 1997年 三共 ノスカールの国際展開:糖尿病薬の海外展開が新たな収益源に育たず終わった戦略の挫折 1997年 三共 ノスカールの販売を自主停止 1989年 三共 メバロチンの発売:青かびの一株から18年をかけて実らせた自社創薬の事業化 1975年 三共 河村喜典氏が社長に就任 1961年 三共 上位株主が三菱信託銀行を筆頭とする信託銀行4行に入れ替わる 1953年 三共 東西両代理店制から直売制へ切替 1950年 三共 日本曹達の医薬品部門を全面的に継承 1949年 三共 企業合理化により人員整理と体温計事業の分離を断行 1905年 三共 自家生産に着手 1899年 三共 タカヂアスターゼの試売:引き受けを機とした、薬種問屋によらない新薬販売への踏み出し
- ミノルタ 2003年 ミノルタ コニカと経営統合しコニカミノルタHDが発足 2001年 ミノルタ 繰越損失215億円・有利子負債2,500億円弱を計上 1992年 ミノルタ ハネウェルとの特許和解:陪審評決を受けて控訴を見送り、1億2,750万ドルを支払う決着 1987年 ミノルタ ハネウェルからオートフォーカス特許の侵害で提訴 1985年 ミノルタ α-7000の発売:オートフォーカス一眼レフへの賭けと、通常の4倍にあたる初回投入 1979年 ミノルタ 普通紙複写機の分野に本格参入 1965年 ミノルタ 一眼レフへの転換の遅れで二年連続の無配 1960年 ミノルタ 事務機分野に参入 1958年 ミノルタ 三十二年不況で初の無配に転落 1949年 ミノルタ 9割減資 1928年 ミノルタ 田嶋一雄氏の創業:日独写真機商店としての旗揚げと、カメラの国産化への挑戦
- DMG森精機 2025年 DMG森精機 太陽工機の株式を100%まで追加取得 2024年 DMG森精機 倉敷機械の発行済株式を100%取得 2015年 DMG森精機 DMG MORI AGを連結対象会社化(議決権比率現89.6%) 2013年 DMG森精機 商号をDMG森精機へ変更 2009年 DMG森精機 GILDEMEISTER AGとの業務・資本提携に合意 2002年 DMG森精機 日立精機・日立精機サービスより営業の一部を譲受 1999年 DMG森精機 森幸男氏の社長退任と森雅彦氏への継承:予定を3年前倒しにした社長交代 1987年 DMG森精機 伊賀工場を新設し生産方式を転換:量産方式の限界に直面した末の、一台ごとに作り込む方式への回帰 1979年 DMG森精機 大阪証券取引所市場第二部に上場 1968年 DMG森精機 数値制御装置付旋盤の製造販売を開始 1958年 DMG森精機 繊維機械の製造を中止し工作機械(高速精密旋盤)の製造販売を開始 1948年 DMG森精機 森精機製作所を設立し繊維機械の製造販売を開始
- 長谷工コーポレーション 2025年 長谷工コーポレーション 海外事業で約230億円の特別損失を計上 2022年 長谷工コーポレーション 私募REIT「長谷工レジデンシャルプライベート投資法人」の運用開始 2015年 長谷工コーポレーション 総合地所を子会社化 2014年 長谷工コーポレーション 辻範明氏が第7代社長に就任 2009年 長谷工コーポレーション 長谷工リフォームを設立 1996年 長谷工コーポレーション 不良資産1,850億円の一括処理:「毎年赤字より一回ドカンと出す」──1,850億円を一度に落とし、含み損を後年へ残さない決着 1988年 長谷工コーポレーション 京都ブライトンホテル開業:本業の外へ1,000億円を投じたホテル・リゾートへの多角化 1978年 長谷工コーポレーション 長谷工コミュニティを設立 1968年 長谷工コーポレーション 自社マンション第1号を着工しマンション事業に参入 1959年 長谷工コーポレーション 不動産売買業を開始 1946年 長谷工コーポレーション 長谷川工務店を設立
- 東京製鐵 2024年 東京製鐵 低CO2鋼材ブランド「ほぼゼロ」発表 2017年 東京製鐵 長期環境ビジョン「Tokyo Steel EcoVision 2050」策定 2012年 東京製鐵 高松工場生産停止 2009年 東京製鐵 田原工場熱延広幅帯鋼圧延工場が竣工・ホットコイル生産開始 1992年 東京製鐵 岡山工場熱延広幅帯鋼製鋼工場(150トン直流電気炉)完成 1991年 東京製鐵 岡山工場で熱延帯鋼へ参入:高炉独占品種だった熱延広幅帯鋼への電炉メーカーとしての量産参入 1989年 東京製鐵 九州工場130トン直流電気炉完成・操業開始 1978年 東京製鐵 江戸川工場閉鎖と電炉化:岡山工場の平炉停止とあわせて進めた電炉一貫体制への移行 1975年 東京製鐵 土佐電気製鋼所を吸収合併し高松工場として生産開始 1971年 東京製鐵 大丸製鋼を吸収合併:全株式を取得済みだった子会社の取り込みと、九州工場の開設 1969年 東京製鐵 岡山工場大形圧延工場が竣工・H形鋼の生産開始 1953年 東京製鐵 東亜鋼管工業を吸収合併 1934年 東京製鐵 各種鋼材の製造販売を目的として設立
- 日本アイ・ビー・エム 2026年 日本アイ・ビー・エム 村田将輝氏が社長に就任 2021年 日本アイ・ビー・エム マネージド・インフラ事業をキンドリルとして分社化 2019年 日本アイ・ビー・エム 山口明夫氏が社長に就任 2014年 日本アイ・ビー・エム System xサーバー事業のレノボへの譲渡 2012年 日本アイ・ビー・エム 56年ぶりの外国人社長としてマーティン・イェッター氏が就任 2007年 日本アイ・ビー・エム IBMアジア・パシフィックから分離し米本社の直属に移行 2005年 日本アイ・ビー・エム パソコン事業のレノボへの売却 1995年 日本アイ・ビー・エム 分社した3社の再統合 1993年 日本アイ・ビー・エム 初の赤字とリストラ:三次にわたる人員と事業の絞り込みによる収益構造の立て直し 1993年 日本アイ・ビー・エム 北城恪太郎氏が社長に就任 1987年 日本アイ・ビー・エム 売上高が1兆円を突破 1983年 日本アイ・ビー・エム マルチステーション5550の発表 1979年 日本アイ・ビー・エム 富士通が売上高で日本IBMを抜き国内首位に 1975年 日本アイ・ビー・エム 日本化路線の採用:外資の現地法人を国内企業と同等に位置づけて売り込む構え 1973年 日本アイ・ビー・エム 貸借対照表を初めて社外に公表 1963年 日本アイ・ビー・エム 千鳥町工場でIBM1440の国内生産を開始 1960年 日本アイ・ビー・エム 特許公開で千鳥町工場生産へ:特許の公開と引き換えに国内生産の認可を得た三者合意 1959年 日本アイ・ビー・エム 日本アイ・ビー・エムへの商号変更と千鳥町工場の竣工 1950年 日本アイ・ビー・エム 日本インターナショナル・ビジネス・マシーンズとして業務再開 1949年 日本アイ・ビー・エム GHQ指令による資産凍結の解除 1937年 日本アイ・ビー・エム 日本ワットソン統計会計機械を横浜山下町に設立
- 北海道炭礦汽船 1995年 北海道炭礦汽船 空知炭鉱と本体の更生法申請:106年の会社をどう畳むかという選択 1981年 北海道炭礦汽船 北炭夕張新炭鉱でガス突出事故が発生し93人が死亡 1978年 北海道炭礦汽船 炭鉱を持たない委託販売会社へ転換 1971年 北海道炭礦汽船 夕張新炭鉱の開発費負担により債務超過に転落 1970年 北海道炭礦汽船 夕張新炭鉱へ投資:石炭の斜陽を15年前に予言しながら新鉱開発へ社運を賭けた判断 1969年 北海道炭礦汽船 夕張新炭鉱の開発構想を打ち出す 1955年 北海道炭礦汽船 東京瓦斯・富士製鉄と長期契約:石炭が上向いていた1955年に、萩原吉太郎氏が炭価を自ら抑えた判断 1952年 北海道炭礦汽船 企業合理化実施要綱により4,551人を解雇 1910年 北海道炭礦汽船 創業以来の連続配当が途切れて無配に転落 1906年 北海道炭礦汽船 社有鉄道が国有化され、社名を北海道炭礦汽船に商号変更
- 日東紡績 2023年 日東紡績 ニットービバレッジの全株式をライフドリンクカンパニーに譲渡 2019年 日東紡績 Baotek Industrial Materials Ltd.を子会社化 2010年 日東紡績 不燃吸音天井板事業を撤収 2008年 日東紡績 住友ベークライトとの合弁を解消しメラミン化粧板事業を撤収 1998年 日東紡績 泊工場の綿紡績終了:祖業の綿紡績からの撤退と、ガラス繊維専業への転換 1993年 日東紡績 富久山事業センターでの合繊紡績の操業を終了 1986年 日東紡績 レーヨンステープル・化繊糸の事業を撤収 1979年 日東紡績 特化作戦による事業絞込:「特化作戦」による多角化からの絞り込みと品質重視への転換 1969年 日東紡績 グラスファイバー織物工場(福島)を新設 1958年 日東紡績 合繊紡績の生産(富久山)を開始 1938年 日東紡績 グラスファイバーの工業化に成功 1923年 日東紡績 日東紡績を創立
- ユニオンツール 2024年 ユニオンツール 見附第三工場を新設 2017年 ユニオンツール 長岡工場敷地内に事業所内保育園を開設 2012年 ユニオンツール ダイヤモンドコーティングエンドミルUDCシリーズを開発 2005年 ユニオンツール US UNION TOOLのPCBドリル現地生産を中止 1999年 ユニオンツール 超硬エンドミルUTドライを開発・生産開始 1996年 ユニオンツール 東証二部に上場:店頭登録から2年後の一部指定へ進む資本市場での歩みと香港子会社の設立 1989年 ユニオンツール 日本証券業協会に店頭登録 1976年 ユニオンツール 新潟県長岡に拠点集約:本社工場の機能を新設工場へ移し切る生産体制の一本化 1970年 ユニオンツール 本社工場を新設しPCBドリルの生産開始 1960年 ユニオンツール ユニオン化学研究所として創業
- 飯野海運 2022年 飯野海運 オレゴン州ポートランド市の再開発事業「Press Blockプロジェクト」へ参画 2019年 飯野海運 上海駐在員事務所を開設 2011年 飯野海運 飯野ビルディング開業し本社事務所を移転 2007年 飯野海運 小型ガスタンカー部門をイイノガストランスポートに分社 1993年 飯野海運 カタールLNGに参画:インドネシアを含む複数プロジェクトへの参画による、液化天然ガス輸送への進出 1993年 飯野海運 LNG船10隻を共有船主として保有 1986年 飯野海運 有償第三者割当増資を実施しに 1979年 飯野海運 泰邦商事を設立 1964年 飯野海運 川崎汽船へ定期航路を移管:海運集約での定期航路部門の譲渡とタンカー専業体制への転換 1955年 飯野海運 千代田土地建物を買収:一社を丸ごと取り込むかたちで踏み出した不動産事業への進出 1929年 飯野海運 最初のタンカー第一鷹取丸が竣工
- 日本興業銀行 2000年 日本興業銀行 第一勧業銀行・富士銀行と共同持株会社のもとで経営統合 1999年 日本興業銀行 約6000億円の公的資金を申請する方針を決定 1998年 日本興業銀行 西村正雄氏が非常事態宣言を発表 1991年 日本興業銀行 東洋信金事件の焦げ付き:架空の預金証書を担保とした料亭経営者への2400億円融資 1985年 日本興業銀行 経常収益1兆5890億円を計上 1970年 日本興業銀行 八幡製鉄と富士製鉄の合併を仲介 1965年 日本興業銀行 山一証券の再建引受:日高輝氏を送り込む形での、主力3行による再建責任の分担 1965年 日本興業銀行 富士銀行・三菱銀行とともに山一証券再建の主力3行に 1961年 日本興業銀行 中山素平氏が頭取に就任 1955年 日本興業銀行 債券発行残高が1587億円に到達 1952年 日本興業銀行 長期信用銀行へ移行:興銀法の廃止に伴う普通銀行への転換と、長期資金供給への特化 1950年 日本興業銀行 普通銀行に転換 1948年 日本興業銀行 長期金融機関としての存続をGHQが承認 1948年 日本興業銀行 金融機関再建整備法により特別損失を整理
- 日本鋼管 2002年 日本鋼管 川崎製鉄との共同株式移転によりJFEHDを設立 1998年 日本鋼管 トーア・スチールを清算:上場子会社の任意清算と、エヌケーケー条鋼への条鋼事業の承継 1998年 日本鋼管 メモリー事業からの撤退を決定 1986年 日本鋼管 6,200人の人員削減を含む5ヵ年合理化計画に着手 1979年 日本鋼管 造船と重工の2部門を重工事業部に統合 1969年 日本鋼管 京浜製鉄所を沖合の扇島へ移転する計画を決定 1966年 日本鋼管 福山製鉄所の第一高炉に火入れし第1期計画が完成 1962年 日本鋼管 福山に総合製鉄所建設:第4の総合製鉄所への約2,500億円の投入と、粗鋼年産600万トン計画の遂行 1958年 日本鋼管 純酸素転炉(LD転炉)の技術導入交渉を開始 1949年 日本鋼管 過度経済力集中排除法の適用を受けるも製鉄・造船を分割せず存続 1934年 日本鋼管 製鉄合同への参加を拒否 1912年 日本鋼管 横浜で継目無鋼管専業創業:白石元治郎氏による日本鋼管の設立と、継目無鋼管専業での発足
- 兼松 2023年 兼松 兼松エレクトロニクスを完全子会社化 2017年 兼松 兼松コミュニケーションズがダイヤモンドテレコムを吸収合併 2014年 兼松 兼松日産農林の株式の過半数を取得 2005年 兼松 新東亜交易の株式の過半数を取得 1999年 兼松 総合商社からの撤退:1,500億円の債権放棄を伴う「構造改革計画」 1987年 兼松 兼松エレクトロニクスが東京証券取引所市場第二部に上場 1975年 兼松 Kanematsu-Gosho (Hong Kong) Ltd.(現 Kanematsu (Hong Kong) Ltd.)を設立 1968年 兼松 兼松電子サービスを設立 1967年 兼松 江商との合併:規模を求めた同業との統合と、両社名を並べた新商号での再出発 1957年 兼松 F.Kanematsu & Co.,GmbHを設立 1943年 兼松 商号を「兼松」に商号変更
- 日活 2009年 日活 株式異動により日本テレビ放送網が筆頭株主に 1997年 日活 ナムコから資本を受け入れ同社の子会社に 1993年 日活 ゴルフ場投資の破綻と更生法申請:ゴルフ場3カ所への80億円投資の行き詰まり 1988年 日活 ロマンポルノ路線に終止符を打ち「ロッポニカ」ブランドで一般映画へ路線転換 1978年 日活 第三者割当増資と減資による資本再構成を実施 1971年 日活 「日活ロマンポルノ」第1作を公開 1961年 日活 ホテル・不動産への多角化:映画斜陽論を退けた堀久作社長による本業外への資産拡大 1954年 日活 調布・多摩川畔の日活撮影所が一部竣工し14年ぶりに映画製作を再開 1947年 日活 東京・日比谷の米軍資材置き場跡地を買収し日活国際会館の建設を決断 1942年 日活 戦時統制により製作部門を大日本映画製作(後の大映)へ配給部門を映画配給社へ移譲
- 大丸 2007年 大丸 松坂屋HDと株式移転で持株会社J.フロント リテイリングを設立 1999年 大丸 売上至上主義から利益第一主義へ経営方針を転換 1998年 大丸 香港・タイ・フランスの海外百貨店から撤退 1997年 大丸 利益第一主義への転換:売上至上主義から海外百貨店からの撤退・売場業務の再設計 1983年 大丸 大阪・梅田に梅田店を開店 1982年 大丸 1982年度決算が梅田店の開業負担で大幅減益となり、八王子大丸を閉鎖 1977年 大丸 神戸・新長田に新長田店を開店 1960年 大丸 大丸ピーコック第1号店を枚方市・香里に開店 1954年 大丸 東京駅八重洲へ出店:駅舎に民間資本を入れる「民衆駅」への大口賃借と、東京店の開設 1950年 大丸 非百貨店部門の分離独立:人員整理によらない事業の存廃決定 1948年 大丸 総合商社部門を「大丸興業」として分離独立 1910年 大丸 販売方法を座売式から陳列式へ変更
- ニチメン 2003年 ニチメン 株式移転によりニチメン・日商岩井ホールディングスの完全子会社へ 2001年 ニチメン トーメンの農薬事業と統合し合弁会社を設立 1999年 ニチメン 融通手形損失と事業仕分けそうや:最大100億円の穴埋めを機に踏み切った、採算による選別とカンパニー制の導入 1982年 ニチメン ニチメンに商号変更 1968年 ニチメン 非繊維の取扱比率が65%を占め総合商社化が進展 1964年 ニチメン 3商社5銀行の出資でオリエントリース(現オリックス)を設立 1954年 ニチメン 丸永の吸収合併:繊維商社・資本金4億3000万円への増強 1945年 ニチメン 敗戦により在外資産の全てを喪失 1943年 ニチメン 日綿實業に商号変更 1892年 ニチメン 日本綿花の設立:外商依存から脱するための綿花直輸入機関
- 松坂屋 2007年 松坂屋 大丸と共同持株会社J.フロント リテイリングを設立 2006年 松坂屋 松坂屋HDを設立し持株会社体制へ移行 1998年 松坂屋 1975年に出店した香港から撤退 1997年 松坂屋 利益供与事件での引責退陣:総会屋への利益供与事件を受けた経営陣の退任と、不採算店舗の閉鎖・人員削減 1985年 松坂屋 鈴木正雄会長が伊藤洋太郎社長を解任 1979年 松坂屋 高槻店を開店 1966年 松坂屋 大阪店を京橋に移転 1957年 松坂屋 上野店の全館が完成 1941年 松坂屋 名古屋店の価格統制令違反で伊藤次郎左衛門社長が引責辞任 1924年 松坂屋 銀座へ新規出店:関東大震災で焼失した上野店の復旧と、都心繁華街への進出 1910年 松坂屋 名古屋で百貨店開業:株式会社いとう呉服店への改組と、座売りを廃した陳列方式への切り替え
- 富士銀行 2000年 富士銀行 株式移転により共同持株会社みずほHDを設立し上場廃止 1999年 富士銀行 第一勧業銀行・日本興業銀行との全面的な経営統合で合意 1998年 富士銀行 第一勧業富士信託に譲渡:会社分割による財産管理3部門の切り出しと、その営業譲渡 1997年 富士銀行 メインバンクの山一証券が自主廃業を決定 1984年 富士銀行 ヘラー社を子会社化 1977年 富士銀行 三和銀行との合併構想が立ち消え 1960年 富士銀行 日本初のクレジットカード業務を開始 1959年 富士銀行 事務処理の合理化のためコンピュータを導入 1948年 富士銀行 富士銀行に改称:安田の名を手放した改称と、商号解禁後も旧称号へ戻らないという選択 1923年 富士銀行 保善銀行を母体に安田系11行が合同し安田銀行が発足
- テルモ 2025年 テルモ WuXi Biologicsの独レバークーゼン充填工場を買収 2024年 テルモ 鮫島光が代表取締役社長CEOに就任 2017年 テルモ セント・ジュード/アボットから止血デバイス事業等を買収 2017年 テルモ ボルトンメディカル社を買収 2011年 テルモ カリディアンBCT社を買収 2006年 テルモ マイクロベンション社を買収 2005年 テルモ 米国ミッションメディカル社を買収 1999年 テルモ 米国3M社から人工心肺事業を買収 1995年 テルモ TBU導入と企業風土改革:テルモ・ビジネス・ユニットの導入を軸とした企業風土の立て直し 1989年 テルモ 研究開発センターを開設 1974年 テルモ テルモに商号変更 1963年 テルモ プラスチック製注射筒を発売 1921年 テルモ 赤線検温器として設立:創業——独製体温計の輸入途絶に医学者と実業家が組んだ検温器国産化の受け皿会社
- 清水建設 2025年 清水建設 新村達也が第10代社長に就任 2024年 清水建設 初の連結営業損失を計上 2022年 清水建設 日本道路を株式公開買付けにより子会社化 2010年 清水建設 初の連結純損失を計上 2009年 清水建設 国際支店開設 1991年 清水建設 SHIMZ-21で本業回帰:多角化路線の撤回と本業回帰 1989年 清水建設 業界トップの業績を回復 1978年 清水建設 EC化(エンジニアリング・コンストラクター化)を決定 1966年 清水建設 非同族社長の就任 1954年 清水建設 土木部門を強化 1887年 清水建設 渋沢栄一を相談役に迎え民間建築方針を確定 1804年 清水建設 神田鍛冶町で創業:絵草紙屋の裏店からの創業と、渋沢栄一氏による民間建築工事への事業展開
- AREHD 2024年 AREHD 株式交換によりジャパンウェイストをレナタスの完全子会社に 2015年 AREHD アサヒアメリカHDがAsahi Refining Holdings 3社を子会社化 2014年 AREHD アサヒアメリカHDを設立 2009年 AREHD 共同株式移転によりアサヒHDを設立 1999年 AREHD 株式店頭公開:貴金属リサイクル専業の姿のままでの、外部資本への門戸開放 1997年 AREHD 九州アサヒ・四国アサヒ・北陸アサヒ・佐藤貴金属・ボンアンジュを吸収合併 1984年 AREHD 東京金取引所の会員として認可を受ける 1975年 AREHD 神戸市から産業廃棄物処理業の許可を写真関係業者として全国で初めて取得 1964年 AREHD 朝日化学研究所を設立
- しずおかFG 2025年 しずおかFG 八十二銀行を加えた富士山・アルプスアライアンスを締結 2022年 しずおかFG しずおかフィナンシャルグループ発足、静岡銀行を完全子会社化 2020年 しずおかFG 山梨中央銀行との静岡・山梨アライアンスを発足 2019年 しずおかFG しずぎんハートフル設立(2020年5月 特例子会社の認定を取得) 2014年 しずおかFG Shizuoka Liquidity Reserve Limited設立 2006年 しずおかFG 銀行本体発行クレジットカード取扱を開始 1997年 しずおかFG 自己株式の取得消却:邦銀で初めて踏み切った資本の払い戻しと、発行済み株数の圧縮 1993年 しずおかFG 信託業務取扱を開始 1989年 しずおかFG ニューヨーク支店開設 1979年 しずおかFG 静銀ビジネス・サービスを設立 1961年 しずおかFG 東京証券取引所市場第一部に上場 1950年 しずおかFG 外国為替業務取扱開始 1943年 しずおかFG 静岡三十五銀行と遠州銀行が合併し静岡銀行が発足
- 三井ハイテック 2024年 三井ハイテック ミツイ・ハイテック ドイチュランドを設立 2018年 三井ハイテック ポーランドにミツイ・ハイテック(ヨーロッパ)を設立 2013年 三井ハイテック Magnet Mold®の商標登録 2007年 三井ハイテック 門司税関から特定輸出業者として認定 1997年 三井ハイテック 荒川勇二の社外監査役招へい:型破りな社外監査役を招いた取締役会改革 1994年 三井ハイテック 取締役会改革に着手 1984年 三井ハイテック IC組立事業に参入 1979年 三井ハイテック ICリードフレームのめっき事業に参入 1974年 三井ハイテック MACシステム(積層鉄芯金型内自動結束装置)を開発 1969年 三井ハイテック ICリードフレームの製造販売を開始 1959年 三井ハイテック モーターコア用タングステンカーバイド精密順送り金型の製造販売を開始 1958年 三井ハイテック タングステンカーバイド金型(ノッチング型)を開発 1949年 三井ハイテック 創業者三井孝昭が金型の製造販売業を開始
- コロワイド 2026年 コロワイド コロワイドMDがC-Unitedを子会社化 2020年 コロワイド 公開買付けにより大戸屋HDを子会社化 2016年 コロワイド レインズインターナショナルがフレッシュネスを子会社化 2014年 コロワイド カッパ・クリエイトHDを子会社化 2012年 コロワイド レックス・HDを子会社化 2005年 コロワイド アトムを子会社化 2004年 コロワイド 持株会社制に移行 1994年 コロワイド 鎌倉キッチンの新設:逗子工場の閉鎖と、配送センターを備えたセントラルキッチン網の構築 1987年 コロワイド 新業態「日本料理 三間堂」(串焼きと釜飯)を開店 1977年 コロワイド 「甘太郎食堂」を「手作り居酒屋 甘太郎」に業態変更 1968年 コロワイド 本社を移転
- 朝日インテック 2025年 朝日インテック ニッタモールド・NITTA M&T (THAILAND) CO.LTD.を子会社化 2021年 朝日インテック A-Tractionを子会社化 2018年 朝日インテック RetroVascular Inc.を子会社化 2013年 朝日インテック トヨフレックス・TOYOFLEX CEBU CORPORATIONを子会社化 2006年 朝日インテック コンパスメッドインテグレーションを設立 1992年 朝日インテック PCIガイドワイヤーの国産化:極細ステンレスワイヤー販売から医療カテーテル製造業への転換 1992年 朝日インテック 国内初のPTCAガイドワイヤーとガイディングカテーテルを製品化 1989年 朝日インテック ASAHI INTECC THAILAND CO.LTD.を設立 1976年 朝日インテック 朝日ミニロープ販売を設立
- 東京エレクトロンデバイス 2025年 東京エレクトロンデバイス ファーストを吸収合併 2024年 東京エレクトロンデバイス 本社を移転 2018年 東京エレクトロンデバイス ファーストの株式取得により同社を子会社化 2014年 東京エレクトロンデバイス 株式売出しにより東京エレクトロンが親会社からその他の関係会社に変更 2006年 東京エレクトロンデバイス 東京エレクトロンから吸収分割によりコンピュータ・ネットワーク事業を承継 1998年 東京エレクトロンデバイス 東京エレクトロンから電子部品部門に関する事業を全て譲受け 1991年 東京エレクトロンデバイス 東京エレクトロンがテル・データ・システムから株式をすべて取得 1990年 東京エレクトロンデバイス テル管理サービスの転換:建物保守管理業務のグループ他社への移管と、外国製半導体販売への業態転換 1986年 東京エレクトロンデバイス テル・データ・システムがテル管理サービスを設立
- 日本国有鉄道 1985年 日本国有鉄道 分割民営化でJRへ移行:旅客6社・貨物1社に分ける案の提言と、一体経営の終幕 1985年 日本国有鉄道 旅客販売総合システムMARS 301の使用を開始 1982年 日本国有鉄道 三塚委員会への情報提供:国鉄内部の改革派の形成と、臨調 1979年 日本国有鉄道 「日本国有鉄道の再建について」を閣議了解 1975年 日本国有鉄道 スト権奪還ストの中止要請:条件付きで争議権を認める案の表明と、実力行使への歯止め 1970年 日本国有鉄道 生産性向上運動の中止:全国展開した労使協調路線の、不当労働行為認定による撤回 1969年 日本国有鉄道 財政再建10年計画の策定:特別措置法に基づく設備投資3兆7000億円・要員約6万人縮減 1968年 日本国有鉄道 赤字ローカル線の廃止見送り:輸送需要によるA・B・C線区の3分類 1967年 日本国有鉄道 第3次長期計画の1人乗務化:5万人合理化計画の提示と、電気機関車・ディーゼル 1959年 日本国有鉄道 東海道新幹線の建設:在来線の改良でしのぐ案を退け、広軌の別線に投じる選択 1955年 日本国有鉄道 資産再評価による減価償却費増で営業損失を計上 1949年 日本国有鉄道 人員整理と下山・三鷹・松川事件:行政機関職員定員法にもとづく9万5018人の人員整理 1949年 日本国有鉄道 日本国有鉄道法により運輸省から独立し公共企業体として発足
- コニカ 2003年 コニカ ミノルタと株式交換で経営統合 2003年 コニカ 純粋持株会社制へ移行し4事業会社・2共通機能会社に分社 1992年 コニカ アナログ複写機の開発を打ち切りデジタル高速機に集中 1987年 コニカ コニカへの商号変更:輸出ブランドを社名に据え、「写真工業」を外した商号の一新 1986年 コニカ 米ロイヤル社の子会社化:北米の事務機販売網を自前で持つための完全子会社化 1971年 コニカ U-Bixで事務機参入:電子複写機の投入に合わせた八王子工場のカメラからの転換 1968年 コニカ 西村龍介氏が社長に就任 1956年 コニカ Konica Photo Corporationを設立 1929年 コニカ 国産初の写真用フィルム「さくらフヰルム」を発売 1882年 コニカ カメラ・台紙・石版器材の自社製造販売を開始
- 日産化学 2024年 日産化学 日本ポリテックを子会社化 2019年 日産化学 Corteva社より殺菌剤「キノキシフェイン」事業を買収 2013年 日産化学 Thin Materials GmbHを買収 2008年 日産化学 木下小次郎氏が代表取締役社長に就任 1996年 日産化学 Nissan Chemical Houston Corporation を米国に設立 1989年 日産化学 中期5カ年計画の始動:農薬・機能性材料への集中投資による高収益経営の確立 1988年 日産化学 ポリエチレンなど3事業の譲渡:石油化学からの完全撤退と、農薬・機能性材料への事業転換 1983年 日産化学 2期連続の最終赤字に転落 1969年 日産化学 王子工場の閉鎖・袖ヶ浦工場の新設 1965年 日産化学 日産化学石油を設立 1943年 日産化学 日本鉱業と合併、化学部門に 1887年 日産化学 東京人造肥料会社を設立
- 日揮HD 2025年 日揮HD 損失案件の消化が進み営業赤字が縮小 2022年 日揮HD イクシスLNG案件で巨額損失計上・純損失▲356億円 2019年 日揮HD 持株会社体制に移行・日揮HDに商号変更 2017年 日揮HD 資源価格低迷を受け大幅営業赤字に転落 2013年 日揮HD アルジェリア人質事件が発生 2008年 日揮HD 日揮触媒化成が発足 1998年 日揮HD 2期連続最終赤字に転落 1989年 日揮HD 海外調達50%へ転換:円高危機で傷んだ収益の立て直しを狙った仕入れ先の組み替え 1986年 日揮HD プラザ合意後の円高で4期連続営業赤字に転落 1976年 日揮HD 日揮へ商号変更:海外プラント受注の拡大への傾斜と、それに合わせた社名の刷新 1972年 日揮HD アルジェリアで巨額損失:大赤字を機とするコスト・プラス・フィー方式への転換 1968年 日揮HD 海外大型プラントPJの積極受注を開始 1958年 日揮HD 触媒化成工業を設立 1928年 日揮HD UOP社と業務提携を締結
- 三菱瓦斯化学 2022年 三菱瓦斯化学 プライム市場に移行 2018年 三菱瓦斯化学 三菱ガス化学トレーディング設立 2013年 三菱瓦斯化学 CARIBBEAN GAS CHEMICAL LIMITED設立 2009年 三菱瓦斯化学 菱優工程塑料(上海)有限公司(現・三菱瓦斯化学工程塑料(上海)有限公司)を設立 1994年 三菱瓦斯化学 三菱化成と合弁で三菱エンジニアリングプラスチックスを設立 1985年 三菱瓦斯化学 BT樹脂で機能化学品へ転換:汎用化学品から機能化学品・電子材料への主力事業の転換 1979年 三菱瓦斯化学 日本・サウジアラビアメタノール設立 1971年 三菱瓦斯化学 日本瓦斯化学工業との合併:三菱江戸川化学との合併で生まれた新会社の発足と事業基盤の一本化 1971年 三菱瓦斯化学 三菱瓦斯化学に商号変更 1968年 三菱瓦斯化学 水島工場にて技術開発によるキシレン分離異性化装置の操業を開始 1957年 三菱瓦斯化学 日本尿素工業を吸収合併
- 上村工業 2024年 上村工業 子会社サミックスを吸収合併 2019年 上村工業 名古屋支店の新社屋が完成 2013年 上村工業 枚方市に新中央研究所が竣工 2007年 上村工業 東京支社を東京都台東区から中央区へ移転 1997年 上村工業 上村寛也氏が代表取締役社長に就任 1986年 上村工業 香港に合弁で上村旭光有限公司を設立 1985年 上村工業 プラザ合意後の10か国展開:顧客の海外移転に追随した10か国への拠点設置と、地域完結型の営業体制の構築 1983年 上村工業 デグサ社と技術提携しアルミ真空蒸着加工技術を導入 1975年 上村工業 西独デグサ社と販売提携し金めっき浴を発売 1968年 上村工業 枚方に中央研究所建設:めっき用化学品製造部門の移転を伴う研究開発拠点の集約 1960年 上村工業 機械事業部を設置し表面処理用機械の製作を開始 1957年 上村工業 めっき用化学品の製造開始:本社に薬品部を置いての、自社での薬品づくりへの踏み出し 1949年 上村工業 大阪市阿倍野区に住吉工場を設置し塩化ビニールシートの製造を開始 1933年 上村工業 研磨材と工業用化学品を扱う上村長兵衞商店を設立
- 川崎製鉄 2002年 川崎製鉄 NKKとの共同株式移転でJFEHDを設立 1995年 川崎製鉄 赤字下で千葉製鉄所の大改造に踏み切り、薄板の生産体制を強化 1987年 川崎製鉄 厚板工場・製鋼工場の休止を含む合理化計画を発表 1985年 川崎製鉄 川崎マイクロエレクトロニクス分社:LSI事業推進部の発足によるASIC事業への参入と、独立会社への切り出し 1977年 川崎製鉄 岩村英郎氏が社長に就任 1961年 川崎製鉄 水島製鉄所を建設:岡山県倉敷市への第2の一貫製鉄所の建設と、千葉と並ぶ二極体制への移行 1956年 川崎製鉄 世界銀行と2,000万ドルの借款契約を締結 1953年 川崎製鉄 千葉製鉄所の第1高炉に火入れ 1951年 川崎製鉄 千葉製鉄所を建設:製鉄所の新設による、平炉メーカーから銑鋼一貫メーカーへの転換
- 明治製糖 1984年 明治製糖 明糖産業へ営業譲渡:三菱商事全額出資の受け皿への全営業譲渡と、旧会社の解散 1984年 明治製糖 受け皿会社として明糖産業を設立 1984年 明治製糖 清算結了により法人格が消滅 1973年 明治製糖 経常赤字が拡大 1971年 明治製糖 三菱商事・大日本製糖と東日本製糖を設立 1969年 明治製糖 精糖工業会への3割削減案:精製糖業界への設備能力3割削減案の提出と、任意・補償方式への後退 1952年 明治製糖 明治製糖に商号変更 1951年 明治製糖 川崎工場復旧で復帰:倉庫業と製薬業でつないだ操業の空白と、精製糖業への復帰 1950年 明治製糖 内地資産の現物出資で第二会社の明糖を設立 1945年 明治製糖 終戦で台湾など外地資産の全てを喪失 1906年 明治製糖 相馬半治氏らが台南で明治製糖を創立
- SMC 2025年 SMC 本社を移転 2022年 SMC 東京証券取引所プライム市場に移行 2016年 SMC 調査会社がSMCの会計上の疑義を表明 2014年 SMC SMCベトナム製造を設立 2000年 SMC 現地生産を本格化 1996年 SMC 海外生産比率10%を目標設定 1987年 SMC 東証二部での株式公開:東京証券取引所市場第二部への株式上場と社名のSMCへの変更 1970年 SMC 駆動機器(エアシリンダ)の製造・販売開始 1961年 SMC エア三点セット製造へ転換:焼結フィルターから空気圧補助機器の製造への転換と、主要機構の内製化 1959年 SMC 焼結金属工業を設立
- 大日本製糖 1993年 大日本製糖 清算が結了 1984年 大日本製糖 ニットーへ営業譲渡:負債を残した営業全部の譲り渡しと、会社の解散 1984年 大日本製糖 ニットーを設立 1979年 大日本製糖 株式の上場を廃止 1974年 大日本製糖 横浜工場を閉鎖 1968年 大日本製糖 本別製糖所を北海道糖業に譲渡 1956年 大日本製糖 ポリエチレン袋入り砂糖を発売 1950年 大日本製糖 門司工場ひとつでの再起:日糖興業の内地財産だけを承継した第二会社の設立と、門司一工場からの再出発 1947年 大日本製糖 藤山愛一郎氏が公職追放の指定を受領 1927年 大日本製糖 台湾第二位の製糖会社である東洋製糖を合併 1909年 大日本製糖 日糖疑獄事件が発覚:関税還付の期限延長を狙った代議士買収と粉飾の露見、全重役の辞職と藤山雷太氏の招聘
- 明治製菓 2009年 明治製菓 明治乳業との共同株式移転により明治HDを設立 1998年 明治製菓 高カカオチョコレート「チョコレート効果」を発売 1980年 明治製菓 薬品部門への経営資源集中:不採算な菓子工場の閉鎖による食品事業の構造改善と主力の入れ替え 1975年 明治製菓 きのこの山を発売 1968年 明治製菓 スナック菓子「カール」を発売 1958年 明治製菓 カナマイシンの工業化:梅沢浜夫博士が発見した抗生物質を、菌の培養から原末・製剤まで一貫して作る体制へ 1954年 明治製菓 制がん剤ザルコマイシンを発売 1950年 明治製菓 ストレプトマイシンの製造を開始 1946年 明治製菓 ペニシリン製造の開始:抗生物質の原末まで自前で作る体制の構築と、戦災を受けた川崎工場の再起 1945年 明治製菓 川崎工場が空襲で全焼・海外資産を喪失 1943年 明治製菓 乳業部門の全事業所を明治乳業へ譲渡
- 本州製紙 1996年 本州製紙 新王子製紙と合併し王子製紙が発足 1991年 本州製紙 仕手集団による株式の買い集めが表面化 1988年 本州製紙 釧路工場の子会社譲渡:主力拠点の売却代金1,198億円の借入金返済への充当 1983年 本州製紙 福岡製紙・東信製紙を合併 1974年 本州製紙 釧路工場第四期工事が完成し日産2,000トン体制へ 1969年 本州製紙 カナダの合弁パルプ会社クレストブルックが操業開始 1968年 本州製紙 王子製紙・十條製紙との3社合併覚書に調印 1959年 本州製紙 国内初のクラフトライナー工場として釧路工場が竣工 1958年 本州製紙 江戸川工場の排水に抗議した漁民が工場へ侵入 1957年 本州製紙 釧路の段ボール原紙工場新設:第一次・第二次の合理化工事と一体で進めた生産体制の立て直し 1949年 本州製紙 過度経済力集中排除法による王子製紙の3分割で発足
- 小糸製作所 2025年 小糸製作所 セプトンテクノロジーズインク等7社を子会社化 2024年 小糸製作所 インディアジャパンライティングプライベートリミテッド グジャラート工場を新設 2015年 小糸製作所 創業100周年を迎える 2011年 小糸製作所 小糸工業の航空機シート事業以外を会社分割でコイト電工に承継 2007年 小糸製作所 世界初のLEDヘッドランプ生産・販売開始 1998年 小糸製作所 タイコイトカンパニーリミテッドを子会社化 1989年 小糸製作所 ピケンズの株式大量取得:米投資家が突きつけた取締役選任・増配要求への対応 1989年 小糸製作所 上海小糸車灯有限公司設立 1978年 小糸製作所 ハロゲンヘッドランプ生産・販売開始 1968年 小糸製作所 シカゴ事務所開設 1957年 小糸製作所 オールグラス・シールドビームヘッドランプ生産・販売開始 1949年 小糸製作所 株式を東京、大阪両証券取引所に上場
- オカムラ 2021年 オカムラ 株式の取得によりDB&B Holdings Pte.Ltdを子会社化 2018年 オカムラ 商号をオカムラに変更 2013年 オカムラ 現地企業との共同出資で杭州岡村伝動有限公司を設立 2009年 オカムラ 株式の取得によりセックを子会社化 1997年 オカムラ 中井事業所を開設 1988年 オカムラ JTとの合弁設立:たばこ工場を机の工場へ転用した、異業種同士の組み合わせによる生産の立ち上げ 1974年 オカムラ 木製家具の生産を開始 1972年 オカムラ 冷凍冷蔵ショーケースの生産を開始 1961年 オカムラ 株式を東京証券取引所市場第二部に上場 1950年 オカムラ 横浜工場を新設し鋼製家具の生産を開始 1948年 オカムラ 株式会社に改組
- カシオ計算機 2025年 カシオ計算機 社長交代(増田裕一→高野晋) 2024年 カシオ計算機 ランサムウェア攻撃でサプライチェーンが一時停止 2018年 カシオ計算機 デジタルカメラ事業から撤退 2010年 カシオ計算機 営業赤字▲293億円・純損失▲210億円 2010年 カシオ計算機 TFT液晶ディスプレイ事業を凸版印刷との共同出資のオルタステクノロジーに移管 2009年 カシオ計算機 当期純損失▲231億円 1998年 カシオ計算機 本店を新宿から渋谷へ移転 1983年 カシオ計算機 耐衝撃腕時計"G-SHOCK"DW-5000Cを発売 1974年 カシオ計算機 「カシオトロン」発売:デジタル電子腕時計での時計事業への参入と、事業領域の拡大 1972年 カシオ計算機 電卓「カシオミニ」発売:12,800円という個人が買える価格の設定と、電卓の大衆化 1965年 カシオ計算機 電子式卓上計算機発売 1957年 カシオ計算機 計算機「14-A」の商品化:世界初の小型純電気式カシオ計算機の設立 1946年 カシオ計算機 三鷹の町工場で創業:下請けからの脱却と、世界初の小型純電気式計算機14-Aの実現
- 北海道電力 2025年 北海道電力 北海道再エネアグリゲーションを設立 2020年 北海道電力 北海道電力の一般送配電事業を会社分割により北海道電力ネットワークへ承継 2019年 北海道電力 北海道電力送配電事業分割準備を設立 2018年 北海道電力 石狩LNG桟橋を設立 2002年 北海道電力 苫小牧共同発電と北海道プラントサービスが合併 1993年 北海道電力 北海電気工事の株式を札幌証券取引所に上場 1989年 北海道電力 北海道総合通信網を設立 1978年 北海道電力 泊村での立地決定:道内初の原子力発電所をめぐる内陸型から海側への計画変更 1974年 北海道電力 苫東の石油火力構想を撤回:600万kW級の大型計画を取り下げ、石炭を軸に据えた電源構成への組み替え 1968年 北海道電力 苫小牧共同発電を設立 1951年 北海道電力 北海道電力を設立
- 三菱鉱業セメント 1990年 三菱鉱業セメント 三菱金属との合併と三菱マテリアルの発足 1981年 三菱鉱業セメント 売上高2465億円の記録と以後4期連続の減収 1977年 三菱鉱業セメント セメント年産930万トン・シェア11.8%で業界3位 1973年 三菱鉱業セメント 豊国セメントと合併:三菱セメントを加えた3社の一体化と、三菱鉱業セメントへの商号変更 1971年 三菱鉱業セメント 9年ぶりとなる年6分の復配 1969年 三菱鉱業セメント 三菱高島炭砿を設立:石炭生産部門の分離と、三菱大夕張炭砿など採炭子会社への切り出し 1969年 三菱鉱業セメント 三菱高島炭砿・三菱大夕張炭砿の営業開始と本店機構の改廃 1968年 三菱鉱業セメント 大槻文平社長の石炭協会会長への就任 1954年 三菱鉱業セメント 三菱系各社の共同出資による三菱セメントの設立(資本金6億円) 1953年 三菱鉱業セメント 三菱セメントを設立:石炭に代わる事業の選定と、系列各社の共同出資による別会社方式での参入 1952年 三菱鉱業セメント 高木作太社長の提唱による調査部の設置と多角化の検討開始 1920年 三菱鉱業セメント 資本金1億円への倍額増資と分系会社で初の株式公開 1918年 三菱鉱業セメント 三菱合資の鉱山部と炭坑部を継承し資本金5000万円で設立
- トヨタ紡織 2022年 トヨタ紡織 東京証券取引所プライム市場に移行 2016年 トヨタ紡織 欧州3子会社の全株式を Megatech Industries AG へ譲渡 2011年 トヨタ紡織 POLYTEC Holding AGの内装事業を取得 2004年 トヨタ紡織 アラコ(内装事業)・タカニチと合併しトヨタ紡織に商号変更 1999年 トヨタ紡織 オイルフィルターの製造を開始 1985年 トヨタ紡織 エアフィルターの製造を開始 1972年 トヨタ紡織 自動車部品メーカーへ転換:定款への製造品目追加と、紡織を本業とする会社であることの返上 1967年 トヨタ紡織 豊田紡織への社名変更:石田退三氏の会長就任と、名を改めての立て直しの着手 1967年 トヨタ紡織 経営の立て直しに着手 1950年 トヨタ紡織 民成紡績として分離独立:戦時にトヨタ自工へ吸収された紡織事業の別法人としての切り出し 1943年 トヨタ紡織 トヨタ自動車工業に合併 1942年 トヨタ紡織 内海紡織・中央紡織・協和紡績・豊田押切紡織の4社と合併し中央紡績を設立
- クラフティア 2025年 クラフティア 商号をクラフティアへ変更 2021年 クラフティア セントラル総合開発と資本業務提携契約を締結 2018年 クラフティア エルゴテックの株式の一部を取得 2013年 クラフティア シンガポールASIA PROJECTS ENGINEERING PTE. LTD.の株式の一部を取得 2008年 クラフティア 東京本社設置 1999年 クラフティア 技術研究所を新設 1989年 クラフティア 九電工に商号変更 1972年 クラフティア 東証一部へ指定替え:大証二部・福証への上場から4年での最上位市場への昇格 1971年 クラフティア 水処理工事の営業開始 1964年 クラフティア 九州電工ホーム設立で総合設備化:空調・管工事と水処理工事への参入による総合設備工事会社への転換 1954年 クラフティア 昭電社を設立 1947年 クラフティア 九州配電と配電工事委託契約を締結 1945年 クラフティア 九州電業社他3社を第2次統合 1944年 クラフティア 九州電気工事として発足:電気工事業整備要綱に基づく九州19社の三次統合による一社化
- オークマ 2025年 オークマ FY24、中国市況悪化で減益 2023年 オークマ 群馬工場を新設 2019年 オークマ 可児工場にドリームサイト3(DS3)を新設 2010年 オークマ FY09にリーマン・ショックで過去最大級の赤字 2006年 オークマ 持株会社体制を解消し事業会社オークマに復帰 2005年 オークマ 持株会社オークマHDに移行 1997年 オークマ 大同大隈股份有限公司を合弁設立 1988年 オークマ 松谷昭が代表取締役社長に就任(第5代) 1978年 オークマ 経営情報の開示で再建:大隈孝一社長の引責退陣と、大隈武雄社長への交代 1963年 オークマ NC装置「OSP」開発:制御装置の内製化による、機械と制御を一体で設計する体制の構築 1955年 オークマ 大隈鋳造を設立 1904年 オークマ 工作機械の製造を開始
- 安宅産業 1977年 安宅産業 NRC製油所への投資破綻:単一事業への傾斜投資が招いた、戦後最大級の商社破綻 1977年 安宅産業 協調融資団6銀行の頭取が対策会議を開催 1975年 安宅産業 NRC向け債権の焦げ付きで経営危機が表面化 1969年 安宅産業 住友商事との合併撤回:人事を通じて創業家の支配を残したことによる独立路線の選択 1969年 安宅産業 越田左多男氏が社長退任 1966年 安宅産業 住友商事との合併撤回 1958年 安宅産業 安宅ドイツを会社設立 1926年 安宅産業 官営八幡製鐵所と取引開始
- 汽車製造 1972年 汽車製造 川崎重工業への救済合併:7年に及ぶ累積粉飾の発覚を受けた、単独での存続の断念 1970年 汽車製造 7年間にわたる粉飾決算が発覚 1969年 汽車製造 経営不振が顕在化・無配転落 1962年 汽車製造 滋賀製作所の建設と多角化:車両専業という立ち位置からの脱却と、事業多角化への転換 1950年 汽車製造 ディーゼル機関車製造を再開 1949年 汽車製造 蒸気機関車製造を中止・佐々木社長逝去・玉置善雄社長就任 1906年 汽車製造 鉄道国有法公布により顧客激減
- 積水化学工業 2025年 積水化学工業 ペロブスカイト太陽電池事業の運営を開始 2022年 積水化学工業 プライム市場に移行 2019年 積水化学工業 AIM Aerospaceを買収 2012年 積水化学工業 三菱樹脂の管材事業を買収 2006年 積水化学工業 第一化学薬品を子会社化 1997年 積水化学工業 小松化成を子会社化 1987年 積水化学工業 応用電子研究所を新設 1971年 積水化学工業 セキスイハイムで住宅参入:鉄骨系ユニット住宅を武器にした新しい主力事業の立ち上げ 1971年 積水化学工業 住宅事業に参入 1963年 積水化学工業 新素材の紙で北米進出:新素材にかけた海外展開の挫折と、成長会社からの転落 1963年 積水化学工業 1965年に赤字計上と社長更迭 1956年 積水化学工業 中央研究所を新設 1948年 積水化学工業 プラスチック自動射出成型事業に参入 1947年 積水化学工業 積水産業として発足
- 日本光電工業 2023年 日本光電工業 子会社を再編、持株会社体制に移行 2017年 日本光電工業 国内販売子会社11社を吸収合併 2012年 日本光電工業 デフィブテックを買収 2008年 日本光電工業 日本バイオテスト研究所を子会社化 1999年 日本光電工業 NKUSラボを設立 1985年 日本光電工業 子会社(日本光電ヨーロッパ)を設立 1974年 日本光電工業 危機突破2-4作戦:無配転落下での減量経営「」と、復配目標「0、1、2、3計画」の設定 1962年 日本光電工業 富岡工場を設立 1958年 日本光電工業 トランジスタへの転換:主要部品を真空管から置き換えることによる小型ME機器への移行
- マキタ 2022年 マキタ プライム・プレミア市場へ移行 2019年 マキタ 尼寺空圧工業を子会社化 2013年 マキタ マキタ沼津を吸収合併 2005年 マキタ 城山開発の経営権を譲渡 1991年 マキタ ザックス・ドルマーを買収 1989年 マキタ マキタ・マニュファクチュアリング・ヨーロッパを設立 1970年 マキタ マキタUSAの設立:欧州・オセアニア各国への販売子会社網の構築 1968年 マキタ 東京証券取引所・大阪証券取引所二部に上場 1957年 マキタ 電気カンナで電動工具化:特殊モーター受注生産からの脱却と、国産第一号の完成品を持つ専業化 1915年 マキタ 牧田電機製作所を創業
- 秩父セメント 1994年 秩父セメント 小野田セメントとの合併による秩父小野田の発足 1986年 秩父セメント 諸井虔社長の会長就任と野坂和彦氏の社長就任 1976年 秩父セメント 諸井虔取締役の社長就任 1972年 秩父セメント SF式焼成法を開発:小型テスト窯を飛ばして実用窯で挑んだ新焼成法の開発 1972年 秩父セメント 業界に先がけた営業オンラインシステムの実施 1968年 秩父セメント 諸井貫一社長の会長就任と大友恒夫専務の社長就任 1967年 秩父セメント 熊谷工場第2期工事の完成、月産能力55万トン 1958年 秩父セメント 秩父第二工場第2期工事の完成、回転窯4基・月産能力10万トン 1956年 秩父セメント 秩父第二工場の第1号回転窯火入れ、全長170mの湿式ロングキルン 1949年 秩父セメント 秩父工場の若返り選択:常務会が決めた新工場建設案を翌日に覆しての、既設設備の刷新 1948年 秩父セメント 大友幸助社長の不慮の事故による急逝 1923年 秩父セメント 武甲山麓に工場建設:臨海立地という定型を破り、原料山の足元に置いた内陸型セメント生産の始まり
- 日本セメント 1998年 日本セメント 秩父小野田との合併による太平洋セメントの発足 1997年 日本セメント 秩父小野田との合併の発表 1983年 日本セメント 創立100周年と中央研究所の新築 1982年 日本セメント 原島保社長の会長就任と北岡徹氏の社長就任 1974年 日本セメント 武安千春社長の会長就任と原島保氏の第6代社長就任 1972年 日本セメント 明星セメントの全株式取得 1970年 日本セメント 大型工場へ生産集約:小規模工場を関連製品で自立させる第1次体質強化策の実行 1968年 日本セメント 第一セメントとのセメント受託販売契約の締結 1966年 日本セメント 井上英煕社長の会長就任と武安千春副社長の社長就任 1953年 日本セメント 豪雨による門司工場の被災と従業員・家族29名の死亡 1951年 日本セメント アサノコンクリートの設立による生コンクリート事業への参入 1947年 日本セメント 浅野一族が役員退任:財閥解体に伴う創業家の経営からの退場と、社名を変更した新体制への移行 1946年 日本セメント 浅野総一郎社長の辞任と徳根吉郎常務の社長就任 1924年 日本セメント セメント連合会を創設:生産・販売数量と最低価格を業界で取り決める協定の主導
- アシックス 2023年 アシックス ホグロフスABの株式譲渡を実行 2022年 アシックス 日本テレビHDと共同でアールビーズを子会社化 2016年 アシックス フィットネスキーパー Inc.を完全子会社化 2014年 アシックス 公開買付け・株式交換により、アシックス商事・子会社を完全子会社化 2010年 アシックス スウェーデンのホグロフスHDAB・子会社を子会社化 2009年 アシックス アシックススカンジナビアASを子会社化 1998年 アシックス 宮崎アシックス工業をアシックスアパレル工業に商号変更 1986年 アシックス アシックスタイガーオセアニアPTY.LTD.を設立 1977年 アシックス オニツカなど3社合併:ジィティオ・ジェレンクとの合併によるアシックスの発足 1977年 アシックス ジィティオ・ジェレンクと合併し7工場とジェレンクU.S.A.,Inc.を継承 1969年 アシックス スポーツシューズの生産工場として、鳥取オニツカ(のちに山陰アシックス工業)を設立 1958年 アシックス 鬼塚と東京鬼塚を吸収合併 1949年 アシックス 鬼塚商会の創業:焼野原の神戸でスポーツシューズを専業とした 1949年 アシックス バスケットボールシューズなどスポーツシューズの生産・販売を開始
- シマノ 2025年 シマノ 本社新社屋竣工 2022年 シマノ プライム市場に移行 2018年 シマノ Shimano Europe Holdingが欧州各社を吸収合併しShimano Europe B.V.に統合 2014年 シマノ 本社新工場が竣工 2009年 シマノ シマノ臨海をシマノセールスに商号変更 1997年 シマノ Shimano Europe Holding B.V.を設立 1989年 シマノ Ultegra Nederland B.V.を設立 1978年 シマノ 部品の高付加価値化で円高対応:値引きを拒み、高付加価値部品と海外直販で輸出採算を守る道の選択 1970年 シマノ 釣用リールの製造を開始 1965年 シマノ ニューヨークにShimano American Corporationを設立 1960年 シマノ 冷間鍛造を開始 1951年 シマノ 島野自転車を吸収合併しに増資、社名を島野工業に変更 1921年 シマノ 翌年に自転車部品のフリーホイール製造を開始
- 住友林業 2025年 住友林業 Brightland HomesグループをDRBグループへ再編 2024年 住友林業 Metriconグループの持分を取得し子会社化 2017年 住友林業 熊谷組の持分を取得し持分法適用関連会社化 2014年 住友林業 Gehan Homesグループの持分を取得し子会社化 2009年 住友林業 Henleyグループの持分を取得し持分法適用関連会社化 1995年 住友林業 イノスグループ事業開始 1988年 住友林業 スミリンメンテナンスを設立 1976年 住友林業 クタイ・ティンバー設立:インドネシアでの合板現地生産に踏み切る海外生産拠点の設立 1975年 住友林業 スミリン住宅販売を東京と大阪に設立し注文住宅事業を開始 1964年 住友林業 分譲住宅事業に参入 1956年 住友林業 外材の輸入業務に着手 1948年 住友林業 林業所を分割
- 野村マイクロ・サイエンス 2025年 野村マイクロ・サイエンス 上海野村水処理工程有限公司が野村(上海)水処理工程技術有限公司を吸収合併 2024年 野村マイクロ・サイエンス 野村マイクロ・サイエンスSingaporeを設立(出資100%) 2018年 野村マイクロ・サイエンス 野村マイクロ・サイエンスVietnamを設立(出資100%・2021年3月清算決議) 2013年 野村マイクロ・サイエンス 上海野村水処理工程有限公司が広州支店を開設 2008年 野村マイクロ・サイエンス クラレとの合弁でクラレアクアを設立(出資45%・2012年3月合弁解消) 1999年 野村マイクロ・サイエンス ナムテックを100%子会社化 1983年 野村マイクロ・サイエンス 韓国三星半導体通信に超純水装置を輸出 1974年 野村マイクロ・サイエンス アクアメディア社から技術導入:米GE製ろ過膜の輸入販売から超純水製造システムへの転換 1974年 野村マイクロ・サイエンス 超純水製造システム事業に参入 1969年 野村マイクロ・サイエンス 東京都中央区日本橋本石町で設立
- 日本電子 2025年 日本電子 ジャパンスーパーコンダクタテクノロジーを買収 2021年 日本電子 武蔵村山製作所を開所 2019年 日本電子 JEOL KOREAを100%子会社化 2011年 日本電子 JEOL RESONANCE を分社新設 2009年 日本電子 日本電子データム・アクティブを吸収合併 1999年 日本電子 子会社を設立 1984年 日本電子 子会社を設立 1973年 日本電子 常務会の廃止と合議制の導入:経営機構改革と三事業部制への移行 1972年 日本電子 医用機器分野に参入 1964年 日本電子 JEOLCO(FRANCE)を設立 1956年 日本電子 分析機器分野に参入 1952年 日本電子 産業機器分野に参入 1949年 日本電子 日本電子光学研究所を三鷹市に設立、電子顕微鏡の製造販売を開始
- 三浦工業 2024年 三浦工業 CERTUSS GmbH(独)を子会社化 2024年 三浦工業 CBE ENTERPRISES, INC.とThe Cleaver-Brooks Companyを子会社化 2017年 三浦工業 MLEがアイナックス稲本HD・アイナックス稲本を子会社化 2014年 三浦工業 MIURA NETHERLANDS B.V.を設立 2008年 三浦工業 MIURA MANUFACTURING AMERICAを設立 1995年 三浦工業 三浦マニファクチャリング・三浦マシンを設立 1989年 三浦工業 オンラインメンテナンス業務を開始 1986年 三浦工業 食品加工機器の販売を開始 1978年 三浦工業 メディカル機器の製造を開始 1972年 三浦工業 EH型発売とメンテ有料化:機器の売り切りから、保守料を積み上げる継続収益モデルへの転換 1960年 三浦工業 小型貫流ボイラの製造を開始 1959年 三浦工業 三浦製作所を法人化 1927年 三浦工業 精麦・精米機の製造販売のため三浦製作所を創業
- ケンコーマヨネーズ 2023年 ケンコーマヨネーズ 島本国一氏が社長に就任 2015年 ケンコーマヨネーズ 頂可(香港)控股股份有限公司の全持分を譲渡 2014年 ケンコーマヨネーズ 静岡富士山工場が竣工 2005年 ケンコーマヨネーズ サラダカフェを設立 2000年 ケンコーマヨネーズ 炭井孝志氏が社長に就任 1990年 ケンコーマヨネーズ 九州ダイエットクックを子会社化 1986年 ケンコーマヨネーズ 業務用「ごぼうサラダ」を発売 1977年 ケンコーマヨネーズ ロングライフサラダ「ファッションデリカフーズ」を発売 1970年 ケンコーマヨネーズ 業務用マヨネーズ専業による再建:家庭用の売り場を大手2社に委ねた業務筋への絞り込みと、キユーピー出身の工場次長による再建の引き受け 1970年 ケンコーマヨネーズ 業務用マヨネーズ専門メーカーに転換 1961年 ケンコーマヨネーズ 業務用サラダ向け「ケンコーマヨネーズAS」を発売 1961年 ケンコーマヨネーズ 食用油販売を中止 1958年 ケンコーマヨネーズ 森本油脂を設立 1952年 ケンコーマヨネーズ 前身の森本商店を設立
- 日本紙パルプ商事 2024年 日本紙パルプ商事 Inapa France S.A.S.とその子会社を子会社化 2017年 日本紙パルプ商事 Ball & Doggett Group Pty Ltdとその子会社を子会社化 2010年 日本紙パルプ商事 米国大手紙商Gould Paper Corporation・その子会社を子会社化 2003年 日本紙パルプ商事 トーメンより紙パルプ事業の営業権を譲り受ける 1998年 日本紙パルプ商事 Safeshredをグループ会社化 1985年 日本紙パルプ商事 全額出資によりジェーピーホームサプライを設立 1970年 日本紙パルプ商事 中井・富士洋紙店合併:二社対等の立場での統合と、日本紙パルプ商事への商号変更 1969年 日本紙パルプ商事 富士洋紙店と対等合併契約に調印 1955年 日本紙パルプ商事 香港事務所を開設 1946年 日本紙パルプ商事 王子製紙の代行販売店として10月21日より活動を開始。同月30日に紙統制会社が解散 1944年 日本紙パルプ商事 元売業務を紙統制会社に接収され、業務は大幅に縮小
- 日本特殊陶業 2025年 日本特殊陶業 東芝マテリアルを完全子会社化 2023年 日本特殊陶業 英文商号をNGK SPARK PLUG CO., LTD.からNiterra Co., Ltd.に変更 2018年 日本特殊陶業 CAIRE Inc.を買収 2013年 日本特殊陶業 スパークプラグ10億本生産計画を公表 2009年 日本特殊陶業 最終赤字に転落・セラミックICパッケージの再編 1998年 日本特殊陶業 インテル向けの樹脂PKGの量産を本格化 1997年 日本特殊陶業 NGKイリジウムプラグを発売 1982年 日本特殊陶業 自動車用酸素センサの製造を開始(ジルコニア型・チタニア型) 1975年 日本特殊陶業 欧・米・豪で販売拠点を拡充 1967年 日本特殊陶業 セラミックICパッケージ発売:自社技術を電子部品へ広げる非自動車領域への多角化 1959年 日本特殊陶業 ブラジル特殊陶業を設立:点火プラグの海外現地生産へ踏み出す第一歩 1949年 日本特殊陶業 全従業員782名の43%にあたる336名の希望退職を募集 1945年 日本特殊陶業 終戦により2000名を解雇 1936年 日本特殊陶業 日本碍子から分離独立:点火プラグ・濾過器・耐酸モルタル三部門を引き継いだ独立会社の発足
- 堀場製作所 2025年 堀場製作所 EtaMaxを買収 2023年 堀場製作所 Process Instruments社を買収 2015年 堀場製作所 MIRAより自動車開発エンジニアリング事業を買収 2013年 堀場製作所 キャメロンより計測事業部門を買収 2005年 堀場製作所 シェンク・ペガサス(独・米・韓・日)を買収(自動車テスト事業を取得) 1998年 堀場製作所 愛宕物産(堀場ジョバンイボン)を買収 1996年 堀場製作所 ABX社を買収 1988年 堀場製作所 子会社(ホリバ・コリア)を設立 1973年 堀場製作所 ホリバ・インスツルメンツ社を設立 1965年 堀場製作所 排ガス測定装置の事業化:自動車から出る気体を測る装置の製品化と、世への送り出し 1950年 堀場製作所 国産初のpHメータ開発:ガラス電極式の製品化を足がかりとした計測器専業への転換 1945年 堀場製作所 京都の無線研究所で創業:創業した研究所の株式会社への改組と、製作所としての再出発
- 明治鉱業 1969年 明治鉱業 新明治鉱業へ移管解散:会社更生法によらない解散と、企業ぐるみの閉山 1969年 明治鉱業 北海道の昭和炭砿を閉山 1962年 明治鉱業 本岐鉱で国内初の水力採炭による開発と採掘を開始 1950年 明治鉱業 企業再建整備計画により資本金1億円に増資 1945年 明治鉱業 終戦により在外事業場を喪失 1944年 明治鉱業 石炭の販売統制により営業部を廃止 1908年 明治鉱業 明治鉱業の設立:大爆発を起こした豊国炭砿の引き受けと、3炭砿を1社にまとめる統合
- 日油 2024年 日油 北海道日油を日本工機に吸収合併 2014年 日油 NOF EUROPE GmbHを設立 2001年 日油 「DDS事業開発部」を新設 2000年 日油 タセトへ溶接事業を譲渡し溶接事業部廃止・神明工場閉鎖 1999年 日油 日本工機の発行済株式95%を取得 1988年 日油 決算期日を11月30日から3月31日に変更 1970年 日油 帝国火工品製造を吸収合併 1961年 日油 川崎・千鳥工場で石化進出:連続赤字下で踏み切った新工場の建設と主力事業の入れ替え 1961年 日油 石油化学事業に参入 1949年 日油 東京証券取引所へ上場:企業再建整備法に基づく第二会社としての分離独立と、日本油脂の再設立 1937年 日油 日本油脂の発足(合同油脂・ベルベット石鹸・国産工業不二塗料製造所等の合併)
- 芙蓉総合リース 2025年 芙蓉総合リース CBHDの株式を100%取得し子会社化 2023年 芙蓉総合リース Pacific Rim Capital, Inc.を子会社化 2017年 芙蓉総合リース アクリーティブの株式を公開買付けで51%取得し子会社化 2014年 芙蓉総合リース ALM 2010 Limited(Fuyo Aviation Capital Europe)の全株式を取得 2008年 芙蓉総合リース シャープファイナンスの株式を65%取得し子会社化 2002年 芙蓉総合リース 安田リースと合併・芙蓉総合開発のリース金融事業を分割承継 1999年 芙蓉総合リース アイルランドにFGL Aircraft Ireland Limitedを設立 1988年 芙蓉総合リース Fuyo General Lease(USA) Inc.を設立 1973年 芙蓉総合リース 千代田エンタープライズを設立 1969年 芙蓉総合リース 芙蓉グループ6社による共同設立:丸紅飯田と富士銀行を軸とする共同出資による総合リース会社の設立
- 神崎製紙 1993年 神崎製紙 王子製紙との合併による新王子製紙の発足と45年の歴史の幕 1993年 神崎製紙 王子製紙との合併の発表 1981年 神崎製紙 王子系4社による副社長会の設置 1969年 神崎製紙 米USPC社とのパルプ・製材15年長期輸入契約の締結 1968年 神崎製紙 第3工場1号抄紙機の完成 1959年 神崎製紙 富岡工場1号抄紙機の稼働開始 1957年 神崎製紙 チャンピオン社の技術導入:キャスト・コーティングでの自社方式から相手方式への全面切替 1956年 神崎製紙 阿南に富岡工場建設:広葉樹100%のパルプから加工紙までの一貫生産への移行 1949年 神崎製紙 2号抄紙機の稼働によるアート原紙の自給着手 1948年 神崎製紙 神崎製紙を設立し資本金1,000万円で神崎工場を継承
- リンナイ 2022年 リンナイ 家庭用給湯器において世界で初めて水素100%燃焼の技術開発に成功 2016年 リンナイ ガスターに追加出資、子会社化 2013年 リンナイ 暁工場を新設 1999年 リンナイ ガスターに出資 給湯機器の開発、生産、営業、メンテナンスの分野において業務提携 1988年 リンナイ リンナイインドネシアを設立 1979年 リンナイ 名古屋証券取引所(市場第二部)に上場 1967年 リンナイ 技術センターを新設 1957年 リンナイ 赤外線ガスバーナー参入:独シュバンク社との技術提携を足がかりとした新分野への進出 1957年 リンナイ 赤外線ガスバーナーの製造販売を開始 1950年 リンナイ 各種燃焼器具の製造販売を目的として林内製作所を設立
- 東京精密 2023年 東京精密 飯能工場が竣工 2019年 東京精密 富士通テレコムネットワークス福島の株式取得で子会社化 2019年 東京精密 SCHMITT INDUSTRIES INC.のバランサ事業を買収 2012年 東京精密 精密切断ブレード事業を事業譲受により開始 2008年 東京精密 子会社東精エンジニアリングの土浦半導体工場が竣工 1992年 東京精密 SILICON TECHNOLOGY CORPORATIONを買収 1989年 東京精密 ドイツにTOKYO SEIMITSU EUROPE GmbHを設立 1971年 東京精密 八王子工場本館完成 1969年 東京精密 アフターサービス担当の東精エンジニアリングサービスを設立 1957年 東京精密 差動変圧式電気マイクロメータの日本初工業化に成功 1953年 東京精密 空気マイクロメータの工業化:日本初の工業化と、切削工具から精密測定機器への主力の移し替え 1949年 東京精密 前身の東京精密工具を設立
- オルガノ 2024年 オルガノ オルガノエコテクノを吸収合併 2014年 オルガノ 地域販社7社(北海道・東北・東京・中部・関西・九州・山下薬品)を吸収合併 2009年 オルガノ オルガノエコテクノを設立 1997年 オルガノ 本社移転 1989年 オルガノ オルガノ(タイランド)を設立 1974年 オルガノ 丸栄工業に資本参加しオルガノ工事に商号変更 1966年 オルガノ 商号をオルガノに変更 1951年 オルガノ ローム・アンド・ハースと提携:イオン交換樹脂アンバーライトの日本総代理店化 1946年 オルガノ 山梨化学工業を日本オルガノ商会に商号変更し諏訪市で創業
- 南満洲鉄道 1945年 南満洲鉄道 ソ連軍管理の受け入れ:終戦後の全社員の職場確守と全事業財産の管理・使用権の引渡し 1937年 南満洲鉄道 昭和製鋼所株の譲渡:保有株75%など重工業持分1億890万円の満州国政府への譲渡 1933年 南満洲鉄道 満洲国鉄道の受託経営:奉天に鉄路総局を置き、国有線を一元運営する体制への移行
- 雪印乳業 2011年 雪印乳業 雪印乳業が解散・消滅 2009年 雪印乳業 日本ミルクコミュニティと経営統合し共同持株会社「雪印メグミルク」を設立 2003年 雪印乳業 全国農協直販・ジャパンミルクネットと統合し日本ミルクコミュニティを設立 1980年 雪印乳業 「ストリングチーズ」発売 1979年 雪印乳業 プレーンヨーグルト「雪印ナチュレ」発売 1968年 雪印乳業 「雪印ネオ マーガリンソフト」発売 1955年 雪印乳業 八雲工場製造の脱脂粉乳による学校給食集団食中毒事件 1949年 雪印乳業 雪印乳業と北海道バターに分割:集中排除法による会社分割指令への抵抗と、裏金を拒んだ指定解除運動 1941年 雪印乳業 北海道興農公社の設立:酪連と森永・明治・極東の道内乳業を一つに束ねた統合体の発足 1932年 雪印乳業 廉売合戦への不追従:値下げ競争に乗らず、空売りで相場水準を引き戻す構え
- 小野田セメント 1994年 小野田セメント 秩父セメントとの合併により秩父小野田が発足 1985年 小野田セメント 売上高2027億円、セメント比率77%で多角化が業界最先行 1977年 小野田セメント 連結決算の開始 1964年 小野田セメント 金融難と7期の無配・労働争議が続く戦後最大の経営難 1950年 小野田セメント 企業再建整備計画の実行を完了 1934年 小野田セメント セメント聯合会への不参加:第3次関東州・朝鮮への別法人設立 1901年 小野田セメント 三井物産との一手販売契約:販売機能を自前で持たず外部へ全面的に委ねる体制への切り替え 1881年 小野田セメント 金禄公債を担保に設立:株主が差し出した公債を元手とするセメント製造業の立ち上げ
- 安川電機 2025年 安川電機 2025年ビジョンの中期経営計画目標を実質下方修正 2024年 安川電機 NVIDIAとのパートナー連携でMOTOMAN NEXT展開を表明 2018年 安川電機 シーメンスからドライブ合弁を完全子会社化 2010年 安川電機 営業赤字・最終赤字転落 2002年 安川電機 最終赤字転落 2000年 安川電機 中・大型回転機部門を分社縮小 1999年 安川電機 シーメンスとの合弁でドライブ事業に参入 1983年 安川電機 ACサーボモータの本格展開 1977年 安川電機 産業用ロボット「MOTOMAN-L10」を開発 1977年 安川電機 希望退職者募集を検討し経営再建へ 1964年 安川電機 東京工場を新設しDCサーボモータ量産開始 1932年 安川電機 モートル事業へ集中:配電盤と変圧器の切り捨てと、単一製品への絞り込み 1915年 安川電機 安川敬一郎の電機国産化:安川財閥の石炭資本を電機国産化へ投じた創業
- レンゴー 2024年 レンゴー 愛媛東温工場を新設(投資額140億円) 2017年 レンゴー 原紙生産体制を再編・淀川工場での生産終了 2016年 レンゴー トライウォールを買収・重包装事業でグローバル展開へ 2012年 レンゴー 独占禁止法に違反・公正取引委員会が立ち入り検査 2011年 レンゴー 板紙・段ボールを値上げ(+10%) 2006年 レンゴー 日本製紙・住友商事・レンゴーの3社で戦略提携を締結(のちに解消) 2000年 レンゴー 住友商事元副社長・大坪清氏が社長就任 1999年 レンゴー セッツを合併 1985年 レンゴー 千葉工場を新設 1975年 レンゴー 不況対策第8項目を発表・半期赤字に転落 1968年 レンゴー 三カ年計画を策定 1923年 レンゴー 日本製紙(大阪市西淀川本社)を吸収合併 1920年 レンゴー 聯合紙器の設立:法人化と同業の統合による原紙から製品までの一社への束ね 1909年 レンゴー 井上貞治郎の三成社創業:「段ボール」の命名と国産化に踏み出した事業の立ち上げ
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