安藤・間佐久間ダム工事での米アトキンソン社との共同企業体結成と機械化施工の導入
- 概要
- 1953年、間組は天竜川中流の佐久間ダム工事をめぐる国際入札に、熊谷組と米ガイ・F・アトキンソン社を加えた共同企業体で臨み、発電所と堰堤あわせて約85億円で施工を引き受けた。
- 背景
- 高さ150メートル級のダムを築く構想は昭和初期からあったが、あばれ川と呼ばれた天竜川の工事条件に手が出ないままだった。発注者である電源開発株式会社の高碕達之助総裁は、在来工法では早期完成が無理だと判断し、みずから渡米して機械輸入と技術者援助を取り決めた。
- 内容
- 電源開発は借入と機械導入の事情からジョイント・ベンチャーによる国際入札の形をとり、3組が競った。間組・熊谷組・アトキンソン社の組が落札し、ワゴンドリル、バッチャープラント、骨材プラント、ケーブルクレーン、ダンプトラックなどを主軸とする現場編成に切り替えた。
- 含意
- 佐久間で組み上げた施工体系は、黒部川第四発電所、御母衣ロックフィルダム、井川発電所へと引き継がれた。日本の土木事業に機械の導入が本格化する契機ともなり、間組はダム工事に定評のある土木のトップクラスという評価を固めた。
筆者の見解
借りた体系を自社の技術に変えるまで
技術提携という言葉から思い浮かぶのは、図面や特許のやり取りかもしれない。だが佐久間で間組が受け取ったのは、ワゴンドリルからケーブルクレーンに至る機械群と、それを動かす現場の編成そのものであった。人力とモッコとトロッコで組み上げてきた段取りを、約85億円の工事を抱えたまま入れ替える。
もっとも、この提携を構想したのは間組ではなかった。渡米してパインフラットダムを見比べ、450万ドルの機械輸入と技術者援助を取り決めたのは、発注者である電源開発の高碕達之助総裁である。間組はその枠組みに乗って入札を争った側であり、機械も資金も外から来ていた。借りた体系を自社の技術に変えられたかどうかは、御母衣で再びアトキンソン社の技術を導入し、黒部第四や井川へ型式を広げた歩みが示している。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
同じ問いに直面した会社
- 有沢広巳監修『日本産業史 2』(日経文庫, 日本経済新聞社, 1994)「建設-新工法・新技術相次ぐ」「建設-巨大工事にいどむ」
- 高碕達之助「私の履歴書」(日本経済新聞社編『私の履歴書 経済人1』日本経済新聞社, 1980 所収)
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
- 経済時代(経済時代社, 1954)
- 経済時代(経済時代社, 1972)
- 安藤ハザマ 会社沿革(公式サイト)