決断
職人の腕で立てた組を、学校出の技術者に託して次の代へ渡した会社である。初代戸田利兵衛氏は慎重な仕事ぶりで腕の立つ幹部を集め、屋号を戸田組に改めて現場を幹部に分けて任せた。大正の初めには曾禰中條建築事務所など第一線の設計者の建物を請け、慶應義塾の記念図書館を竣工させた。子の無かった初代は1913年12月、東京帝大建築学科を出た富田繁秋氏を養子に迎え、1917年1月に店の経営をすべて委ねた。その結果、博覧会の仮設工事で名を上げた組が恒久の大建築へ移る転換を、大学出の技術者が担うことになった。
職人の腕で立てた組を、学校出の技術者に託して次の代へ渡した会社である。初代戸田利兵衛氏は慎重な仕事ぶりで腕の立つ幹部を集め、屋号を戸田組に改めて現場を幹部に分けて任せた。大正の初めには曾禰中條建築事務所など第一線の設計者の建物を請け、慶應義塾の記念図書館を竣工させた。子の無かった初代は1913年12月、東京帝大建築学科を出た富田繁秋氏を養子に迎え、1917年1月に店の経営をすべて委ねた。その結果、博覧会の仮設工事で名を上げた組が恒久の大建築へ移る転換を、大学出の技術者が担うことになった。
免責事項およびポリシー