サントリーホールディングス の歴史

創業

1899年

創業者

鳥井信治郎

創業地

大阪市

直近売上高(2025/12)

34,325億円

長期業績と転換点(1996/12〜2025/12)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1976年に決算を公表しながら、株式は公開しなかったのか
A 決算公表の理由を、佐治敬三氏は理念ではなく実務で説明している。数字は「どこからともなく漏れましてね」という状態が続いており、「漏れた場合というのは、必ずしも正しい数字で漏れてはくれない」ためであった。一方で株式公開は見送った。当時の株式市場と配当のあり方が「少しゆがんでいるような気がする」という市場への不信に加え、そもそも資金需要が小さかったからである。「ウイスキーの商売は設備投資にそんなに金いりません」と佐治信忠氏は語っていた。創業家が9割を握る構造は続き、2025年12月期も寿不動産株式会社が89.50%を保有する
Q なぜ1963年に参入したビール事業を、40年以上赤字のまま続けたのか
A 参入時の売上高は約300億円で、大手ビール3社の売上高合計はその10倍近くあった。佐治敬三氏は動機を市場機会ではなく社内の状態に置き、自伝で「社内の空気をピンと緊張させるためにも、ひそかに暖めてきた最難関のビール事業に敢えて挑戦しようと決意した」と述べている。発売直後の品切れから悪循環に陥り、以後40年以上この事業は黒字にならなかった。撤退しなかった理由を、佐治信忠氏は「ビールを売る苦しみがわかるとウイスキーも殿様商売ではいかん」という効用で説明している。2008年、参入46年目で初の黒字となりシェアも業界3位に上がった
Q なぜ2014年に年間売上高へ迫る1兆6500億円で米ビームを買ったのか
A 直前に2つのことが起きていた。ひとつは国内再編の頓挫で、2010年2月にキリンとの統合交渉が破談した。統合比率はキリン1に対しサントリー0.5で、創業家が約9割を握る資本構成が折り合わなかった。もうひとつは資金の手当てで、2013年7月に子会社サントリー食品インターナショナルを上場させ、本体を非上場に保ったまま資金を得る形を作っている。佐治信忠氏は「30年分のグローバルな成長、この時間を買う」と述べている。のれんは約9000億円と推定され、ムーディーズ・ジャパンは投資格付けを格下げ方向で見直すと発表した

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1899年〜 甘味葡萄酒が生んだ現金で、資本の寝る酒を仕込む

  1. 1899年 鳥井信治郎が大阪で鳥井商店を創業
  2. 1902年 鳥井信治郎氏の個人経営で「赤玉ポートワイン」など洋酒類の製造に着手
  3. 1921年 個人経営・を経て寿屋を設立
  4. 1923年 資本が数年寝るのを承知で始めた本格ウイスキーの国産化 甘味葡萄酒で稼いだ現金を、出荷まで6年かかる酒に注ぎ込んだ鳥井信治郎の判断
  5. 1923年 山崎に蒸溜所を建設
  6. 1929年 国産第1号となる「サントリーウイスキー」を発売
  7. 1934年 寿屋麦酒部を東京麦酒として分離

赤玉ポートワインから株式会社寿屋へ

1899年、鳥井信治郎氏がブドウ酒の製造販売を手がける鳥井商店を大阪で創業した[1]。事業の軸が輸入品の販売から自社製造へ移ったのは1902年8月で、個人経営のまま[2]甘味葡萄酒「赤玉ポートワイン」をはじめとする洋酒類の製造に着手した[3]。鳥井家と佐治家は、この鳥井商店から数えて115年にわたり、サントリーの創業家として経営のバトンを引き継いできた[4]

  • 東洋経済 2014年9月26日号「深層リポート 新浪サントリーを待ち受ける荒波 外部から迎えられたプロ経営者の役割とは いまだに強い創業家の威力と重圧」
    • [1]1899年 鳥井信治郎が大阪でブドウ酒の製造販売を行う鳥井商店を創業
    • [4]鳥井家・佐治家が115年間にわたり経営を引き継いだ
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史「壽屋」
    • [2]八十年史の記述「当社は明治三十五年八月、現社長鳥井信治郎氏の個人経営によつて赤玉ポートワィンをはじめ洋酒類の製造に着手したのに始まる」
    • [3]1902年(明治35年)8月 個人経営により赤玉ポートワインをはじめ洋酒類の製造に着手

個人経営から合資会社の時代を経て、1921年12月1日、資本金200万円の株式会社寿屋が設立され、法人格に移行した[5]。本社は大阪市北区堂島浜通に設置された[6]。1934年には麦酒部を分離し[7]、ビール事業を担う東京麦酒株式会社[8]として独立させている。

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史「壽屋」
    • [5]1921年(大正10年)12月1日 合資会社時代を経て資本金200万円で株式会社寿屋を設立
    • [6]本社所在地は大阪市北区堂島浜通
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史「14_醸造 概説」
    • [7]1934年(昭和9年) 寿屋麦酒部を改組し東京麦酒とする
    • [8]八十年史は東京麦酒を「昭和九年寿屋麦酒部の改組された会社」と記述
  • 東洋経済 2014年9月26日号「深層リポート 新浪サントリーを待ち受ける荒波 外部から迎えられたプロ経営者の役割とは いまだに強い創業家の威力と重圧」
    • [1]1899年 鳥井信治郎が大阪でブドウ酒の製造販売を行う鳥井商店を創業
    • [4]鳥井家・佐治家が115年間にわたり経営を引き継いだ
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史「壽屋」
    • [2]八十年史の記述「当社は明治三十五年八月、現社長鳥井信治郎氏の個人経営によつて赤玉ポートワィンをはじめ洋酒類の製造に着手したのに始まる」
    • [3]1902年(明治35年)8月 個人経営により赤玉ポートワインをはじめ洋酒類の製造に着手
    • [5]1921年(大正10年)12月1日 合資会社時代を経て資本金200万円で株式会社寿屋を設立
    • [6]本社所在地は大阪市北区堂島浜通
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史「14_醸造 概説」
    • [7]1934年(昭和9年) 寿屋麦酒部を改組し東京麦酒とする
    • [8]八十年史は東京麦酒を「昭和九年寿屋麦酒部の改組された会社」と記述

資本が長期間固定する酒に手を出す

1923年、寿屋は本格ウイスキーの国産化に着手し[9]、大阪府三島郡に日本初のウイスキー製造所である山崎蒸溜所を開設した[10]。国内でウイスキーの本格醸造が手つかずだったのは、技術ではなく資本の性質に理由があった[11]。資本が長期間固定するため企業化が困難とみなされていた[12]うえ、永い伝統をもつイギリスの技術を取り入れるのも容易ではなかった[13]

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史「壽屋」
    • [9]1923年(大正12年) 本格ウイスキーの国産化に着手
    • [11]八十年史は国産化が不可能視された理由を「資本が長期間固定するため」と記述
  • 東洋経済 2011年7月9日号「特集 ニュースがわかる経営学(2)マーケティング 04 理論破りのサントリー ウイスキーを復活」
    • [10]1923年 大阪府三島郡に日本初のウイスキー製造所である山崎蒸溜所を開設
  • 日本産業史 第1巻(日本経済新聞社、1994年)「食品-戦火の陰に泣く」
    • [12]日本産業史の記述「本格的な蒸留ウイスキーの製造は資本を長期間寝かさなければならないため企業化が困難だった」
    • [13]日本産業史はもうひとつの障害として、永い伝統をもつイギリスの技術の導入が容易でなかったことを挙げる

技術を担ったのは、スコットランドで醸造を学んで帰国した竹鶴政孝氏[14]である。竹鶴氏はのちに、留学を実らせる場を与えたのが鳥井信治郎氏だった[15]と振り返り、「寿屋(サントリーの前名)の鳥井信治郎社長(故人)が洋酒の将来性を確信して、ウイスキーづくりに[16]」踏み切らなければ、自分を見習い技師として採用する工場があったかどうかは疑わしいと述べている。竹鶴氏はのちに寿屋をやめ、スコットランドに似た気候の余市でニッカウヰスキーを興した[17]。1929年には国産第1号となる「サントリーウイスキー」が発売され[18]、同社の洋酒の看板になった[19]。同社の海外展開は、1931年のサントリーウイスキーの輸出に始まっている[20]

  • 経済人11(日本経済新聞社、1980年)竹鶴政孝「私の履歴書」
    • [14]竹鶴政孝はスコットランドで醸造を学び帰国後に寿屋でウイスキー製造に従事
    • [15]竹鶴政孝の回想。留学を実らせる場を与えたのが鳥井信治郎だった
    • [16]竹鶴政孝の回想「寿屋(サントリーの前名)の鳥井信治郎社長(故人)が洋酒の将来性を確信して、ウイスキーづくりに」
  • 経済人11(日本経済新聞社、1980年)広瀬経一「私の履歴書」
    • [17]竹鶴政孝は寿屋をやめ、スコットランドに似た気候の余市でニッカウヰスキーを創業
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史「壽屋」
    • [18]1929年(昭和4年) 国産第1号のサントリーウイスキーを発売
    • [19]八十年史の記述「昭和四年ついにサントリーウィスキーの誕生をみ世界の銘酒として、寿屋の洋酒陣に光彩を添えた」
  • 東洋経済 2014年9月26日号「深層リポート 新浪サントリーを待ち受ける荒波 試されるのは国際展開 “売上高4兆円”への勝算」
    • [20]1931年 サントリーウイスキーの輸出により海外展開が始まる
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史「壽屋」
    • [9]1923年(大正12年) 本格ウイスキーの国産化に着手
    • [11]八十年史は国産化が不可能視された理由を「資本が長期間固定するため」と記述
    • [18]1929年(昭和4年) 国産第1号のサントリーウイスキーを発売
    • [19]八十年史の記述「昭和四年ついにサントリーウィスキーの誕生をみ世界の銘酒として、寿屋の洋酒陣に光彩を添えた」
  • 東洋経済 2011年7月9日号「特集 ニュースがわかる経営学(2)マーケティング 04 理論破りのサントリー ウイスキーを復活」
    • [10]1923年 大阪府三島郡に日本初のウイスキー製造所である山崎蒸溜所を開設
  • 日本産業史 第1巻(日本経済新聞社、1994年)「食品-戦火の陰に泣く」
    • [12]日本産業史の記述「本格的な蒸留ウイスキーの製造は資本を長期間寝かさなければならないため企業化が困難だった」
    • [13]日本産業史はもうひとつの障害として、永い伝統をもつイギリスの技術の導入が容易でなかったことを挙げる
  • 経済人11(日本経済新聞社、1980年)竹鶴政孝「私の履歴書」
    • [14]竹鶴政孝はスコットランドで醸造を学び帰国後に寿屋でウイスキー製造に従事
    • [15]竹鶴政孝の回想。留学を実らせる場を与えたのが鳥井信治郎だった
    • [16]竹鶴政孝の回想「寿屋(サントリーの前名)の鳥井信治郎社長(故人)が洋酒の将来性を確信して、ウイスキーづくりに」
  • 経済人11(日本経済新聞社、1980年)広瀬経一「私の履歴書」
    • [17]竹鶴政孝は寿屋をやめ、スコットランドに似た気候の余市でニッカウヰスキーを創業
  • 東洋経済 2014年9月26日号「深層リポート 新浪サントリーを待ち受ける荒波 試されるのは国際展開 “売上高4兆円”への勝算」
    • [20]1931年 サントリーウイスキーの輸出により海外展開が始まる

戦時に消えたビールと、洋酒の減産

戦前のビール業界は整理と統合が進み、1939年時点の内地のビール会社は大日本麦酒・麒麟麦酒・東京麦酒・桜麦酒の4社にまで絞られていた[21]。寿屋の系譜を引く東京麦酒は、その一角を占めている[22]。しかし1943年、戦時の企業整備によって東京麦酒は閉鎖された[23]。改組から9年での消滅であり[24]、寿屋が戦前に築いたビールの製造基盤はここで途切れる。戦後、大日本麦酒は過度経済力集中排除法および企業再建整備法に基づき、1949年9月に日本麦酒と朝日麦酒の2社へ分割された[25]。麒麟を加えた3社による寡占構造[26]が、以後の業界を形づくった。

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史「14_醸造 概説」
    • [21]昭和14年時点の内地ビール4社は大日本麦酒・麒麟麦酒・東京麦酒・桜麦酒
    • [22]寿屋の系譜を引く東京麦酒は内地4社の一角を占めた
    • [23]1943年(昭和18年) 企業整備により東京麦酒が閉鎖
    • [24]1934年の改組から1943年の閉鎖まで9年
    • [25]大日本麦酒は過度経済力集中排除法および企業再建整備法に基づき1949年9月に日本麦酒・朝日麦酒の2社に分割された
    • [26]分割後は麒麟とともに3社で業界を三分するかたちとなった

洋酒の側も平時ではなく、1934年から1950年までの16年、同社は台風などの災害と戦禍に続けて見舞われ[27]、それを克服して事業を保っている[28]。酒類は原料が主食と競合するため[29]、戦中戦後の食糧事情がそのまま減産に直結する業種でもある。国内の清酒生産高は戦前の年間400万石から450万石の水準にあったが、1948酒造年度には67万石まで落ち込んだ[30]。この環境を抜けて、寿屋は戦後の大衆酒市場に向き合った[31]

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史「壽屋」
    • [27]昭和9年から昭和25年(1934年から1950年)まで災害と戦禍が続いた
    • [28]八十年史の記述「九年より二十五年までの間は台風、戦禍等災害が相つづいたが、それを克服し」
    • [31]戦後の寿屋は大衆酒としてのトリスウイスキーを主力に据えた
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史「14_醸造 概説」
    • [29]酒類は原料が主食と競合するため戦中戦後の食糧事情が減産に直結した
    • [30]清酒は戦前年間400万石ないし450万石を製造していたが1948酒造年度には67万石に減少
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史「14_醸造 概説」
    • [21]昭和14年時点の内地ビール4社は大日本麦酒・麒麟麦酒・東京麦酒・桜麦酒
    • [22]寿屋の系譜を引く東京麦酒は内地4社の一角を占めた
    • [23]1943年(昭和18年) 企業整備により東京麦酒が閉鎖
    • [24]1934年の改組から1943年の閉鎖まで9年
    • [25]大日本麦酒は過度経済力集中排除法および企業再建整備法に基づき1949年9月に日本麦酒・朝日麦酒の2社に分割された
    • [26]分割後は麒麟とともに3社で業界を三分するかたちとなった
    • [29]酒類は原料が主食と競合するため戦中戦後の食糧事情が減産に直結した
    • [30]清酒は戦前年間400万石ないし450万石を製造していたが1948酒造年度には67万石に減少
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史「壽屋」
    • [27]昭和9年から昭和25年(1934年から1950年)まで災害と戦禍が続いた
    • [28]八十年史の記述「九年より二十五年までの間は台風、戦禍等災害が相つづいたが、それを克服し」
    • [31]戦後の寿屋は大衆酒としてのトリスウイスキーを主力に据えた

1946年〜 トリスバーへの追い討ちと、40年赤字のビール

  1. 1946年 「トリスウイスキー」を発売
  2. 1952年 資本金を4800万円に増資
  3. 1961年 佐治敬三氏が社長に就任
  4. 1963年 社名を寿屋からサントリーへ変更
  5. 1963年 主力が順風のうちに、勝てない市場へ出る 売上300億円の会社が10倍の市場へ挑み、黒字化まで46年を要したビール参入
  6. 1963年 「サントリービール」を発売
  7. 1981年 「サントリーウーロン茶」を発売した。これを機に清涼飲料事業を拡大

トリスバーと「追い討ちのマーケティング」

戦後の寿屋は低価格帯の主力として「トリスウイスキー」を投入し、1955年時点で製品は二十数種を数えた[32]。1952年2月には資本金を4800万円へ積み増し、大阪本社のほかに支店1・営業所3・工場10・農場1[33]と、販売網と生産拠点をあわせて広げている。洋酒のウイスキーにイメージが湧かない当時の消費者へ商品を浸透させるまでに、同社は48年を要した[34]。浸透を支えた販売チャネルが、大衆向けウイスキーを飲ませる「トリスバー」[35]である。ピーク時の1960年代には、全国に2万軒以上のトリスバーが軒を連ねた[36]

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史「壽屋」
    • [32]八十年史の記述「大衆酒としてのトリスウィスキーをはじめ製品は二十数種を数え、業界に不動の地盤を築くに至つた」
    • [33]1952年(昭和27年)2月 資本金4800万円。大阪本社のほか支店1・営業所3・工場10・農場1
  • 東洋経済 2011年7月9日号「特集 ニュースがわかる経営学(2)マーケティング 04 理論破りのサントリー ウイスキーを復活」
    • [34]洋酒のウイスキーにイメージが湧かない消費者へ商品を浸透させるのに費やした時間は48年間
    • [35]トリスバーは大衆向けウイスキーを飲ませる業態
    • [36]ピーク時の1960年代には全国に2万軒以上のトリスバーがあった

もっとも、この業態を設計したのは同社ではなく[37]、佐治敬三氏は1977年の取材で「うちにとって非常に大きな推進力になったトリスバーは、われわれのアイデアではなく、たまたま東京と大阪で同時にこういう店を始めたいんだとズブの素人の方がいうてきはりました[38]。この話を聞いて『こりゃ、いけるで』と追い討ちをかけたんです[39]」と明かしている。佐治信忠氏はこの型を「追い討ちのマーケティング」と呼び、「消費者ニーズの先取りなど、できまへん[40]」と言い切った。「変化しつつある消費者のニーズを先取りなんてできない相談ですから、なるべく早くつかまえる。芽を出すか出さないかというときにキャッチして、それに追い討ちをかける」というのがその中身である。同じ取材では「走ろうとする馬にムチをあてるのが追い討ちのマーケティング[42]」とも述べた。 [41]

  • 日経ビジネス 1977年3月14日号「ニーズの先取りなどできまへん 佐治敬三氏(サントリー社長)が語る“追い討ち”のマーケティング」
    • [37]トリスバーはサントリーの企画ではなく外部からの提案だった
    • [38]佐治敬三の証言。トリスバーは自社の発案ではなく外部の提案に「追い討ち」をかけたもの
    • [39]佐治敬三の証言「この話を聞いて『こりゃ、いけるで』と追い討ちをかけたんです」
    • [40]佐治敬三の証言「消費者ニーズの先取りなど、できまへん」
    • [41]佐治敬三の証言。芽の段階でつかまえ追い討ちをかけるという方法論
    • [42]佐治敬三の証言「走ろうとする馬にムチをあてるのが追い討ちのマーケティング」
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史「壽屋」
    • [32]八十年史の記述「大衆酒としてのトリスウィスキーをはじめ製品は二十数種を数え、業界に不動の地盤を築くに至つた」
    • [33]1952年(昭和27年)2月 資本金4800万円。大阪本社のほか支店1・営業所3・工場10・農場1
  • 東洋経済 2011年7月9日号「特集 ニュースがわかる経営学(2)マーケティング 04 理論破りのサントリー ウイスキーを復活」
    • [34]洋酒のウイスキーにイメージが湧かない消費者へ商品を浸透させるのに費やした時間は48年間
    • [35]トリスバーは大衆向けウイスキーを飲ませる業態
    • [36]ピーク時の1960年代には全国に2万軒以上のトリスバーがあった
  • 日経ビジネス 1977年3月14日号「ニーズの先取りなどできまへん 佐治敬三氏(サントリー社長)が語る“追い討ち”のマーケティング」
    • [37]トリスバーはサントリーの企画ではなく外部からの提案だった
    • [38]佐治敬三の証言。トリスバーは自社の発案ではなく外部の提案に「追い討ち」をかけたもの
    • [39]佐治敬三の証言「この話を聞いて『こりゃ、いけるで』と追い討ちをかけたんです」
    • [40]佐治敬三の証言「消費者ニーズの先取りなど、できまへん」
    • [41]佐治敬三の証言。芽の段階でつかまえ追い討ちをかけるという方法論
    • [42]佐治敬三の証言「走ろうとする馬にムチをあてるのが追い討ちのマーケティング」

10倍の相手がいる市場へ300億円で出る

1961年、創業者の次男である佐治敬三氏が社長に就任した[43]。その2年後の1963年4月、同社はビール事業に参入して「サントリービール」を発売し、同じ年に社名を寿屋からサントリー株式会社へ改めている[44]。横文字の社名に変えたのは、未知の領域だったビール事業と海外への挑戦を目指すという狙い[45]からであった。参入時の売上高は約300億円で、先行する大手ビール3社の売上高合計はその10倍近くに達し[46]、新規参入としては大きな規模の劣位を抱えた。鳥井信宏氏はのちに、この参入を「そんな巨大市場に小さな会社が突撃していった[47]」と表現した。佐治敬三氏はこのあと30年にわたって社長を務め、ビールへの挑戦を続けた[48]

  • 日経ビジネス 1977年3月14日号「ニーズの先取りなどできまへん 佐治敬三氏(サントリー社長)が語る“追い討ち”のマーケティング」
    • [43]1961年(昭和36年) 佐治敬三氏が社長に就任
  • 東洋経済 2023年5月27日号「スペシャルインタビュー サントリー 鳥井信宏社長 サントリー創業家が抱く「酒類日本一」の野望」
    • [44]1963年(昭和38年)4月 ビール事業に参入しサントリービールを発売、同年に社名を寿屋からサントリーへ改称
    • [46]参入時の売上高は約300億円、大手ビール3社の売上高合計はその10倍近く
    • [47]鳥井信宏の評「そんな巨大市場に小さな会社が突撃していった」
  • 東洋経済 2022年8月27日号「ニュース最前線 03 サントリーが柱事業を再編 創業家御曹司が抱く危機感」
    • [45]横文字の社名への改称にはビール事業と海外への挑戦という狙いがあった
  • 東洋経済 1999年11月13日号「訃報 生活文化産業を唱導した陽気な財界ガキ大将 サントリー佐治会長逝く」
    • [48]佐治敬三は1961年から30年にわたる社長時代にビールへの挑戦を続けた

参入の理由を、佐治信忠氏は事業機会ではなく社内の緊張に置き、自伝『へんこつなんこつ』[49]でこう述べている。「ウイスキー事業は、オールド、トリスを基軸に順風に恵まれていた。しかし、このままでは会社の将来が不安だ。社内の空気をピンと緊張させるためにも、ひそかに暖めてきた最難関のビール事業に敢えて挑戦しようと決意した」。目標は「5年間に1割のシェア確保」[51]であった。佐治信忠氏は1977年の取材でこの数字を振り返り、大阪や東京の雑踏で10人のうち1人がいつどんな場所でもサントリービールを飲まなければシェア1割にならない[52]と述べ、「1割という数字はゴッツイ数字やと思うたですなあ[53]」と語った。 [50]

  • 東洋経済 2006年12月9日号「プレミアムモルツに懸けるビール事業の赤字に終止符? サントリー、44年目の悲願」
    • [49]佐治敬三はビール参入の理由を事業機会ではなく社内の緊張に置いた
    • [50]佐治敬三の自伝『へんこつなんこつ』でのビール参入の動機説明
  • 日経ビジネス 1977年3月14日号「ニーズの先取りなどできまへん 佐治敬三氏(サントリー社長)が語る“追い討ち”のマーケティング」
    • [51]参入時の目標は5年間に1割のシェア確保
    • [52]佐治敬三の証言。10人に1人が常時サントリービールを飲まなければシェア1割にならないという実感
    • [53]佐治敬三の証言「1割という数字はゴッツイ数字やと思うたですなあ」

1963年4月27日、ゴールデンウイークを狙って発売されたサントリービールは、前評判が需要予測を上回り、供給が追いつかずに品切れを起こした[54]。消費者が酒屋へ行っても、肝心の商品がない[55]。その結果「サントリーは宣伝だけで肝心のビールがない[56]」というレッテルを張られた。製造担当者はのちにこの状態を「デビルズサイクルです。ビールは鮮度が命なのに、店頭に売れ残ると劣化して味が落ちる。そしてますます売れなくなるという悪循環でした」と総括している。ウイスキーの側は好調が続き、1968年には飲食店でのサントリーオールドのキープが始まった[58]。ニッカの500円ウイスキー「ハイニッカ」に対抗する「レッド」も投入され[59]、両社の販売合戦を通じて、ウイスキーは家庭消費という市場を得た。 [57]

  • 東洋経済 2006年12月9日号「プレミアムモルツに懸けるビール事業の赤字に終止符? サントリー、44年目の悲願」
    • [54]1963年4月27日発売のサントリービールは前評判が効きすぎて品切れを起こした
    • [55]消費者が酒屋に行っても肝心の商品がない状態となった
    • [56]当時のレッテル「サントリーは宣伝だけで肝心のビールがない」
    • [57]製造担当者の総括「デビルズサイクルです。ビールは鮮度が命なのに、店頭に売れ残ると劣化して味が落ちる。そしてますます売れなくなるという悪循環でした」
  • 日本産業史 第3巻(日本経済新聞社、1994年)「食品-量から質へ」
    • [58]昭和43年(1968年) 飲食店でのサントリーオールドのキープが始まる
    • [59]ニッカの500円ウイスキー「ハイニッカ」に対抗してサントリーが「レッド」を発売、販売合戦を通じてウイスキーが家庭消費の市場を獲得した
  • 日経ビジネス 1977年3月14日号「ニーズの先取りなどできまへん 佐治敬三氏(サントリー社長)が語る“追い討ち”のマーケティング」
    • [43]1961年(昭和36年) 佐治敬三氏が社長に就任
    • [51]参入時の目標は5年間に1割のシェア確保
    • [52]佐治敬三の証言。10人に1人が常時サントリービールを飲まなければシェア1割にならないという実感
    • [53]佐治敬三の証言「1割という数字はゴッツイ数字やと思うたですなあ」
  • 東洋経済 2023年5月27日号「スペシャルインタビュー サントリー 鳥井信宏社長 サントリー創業家が抱く「酒類日本一」の野望」
    • [44]1963年(昭和38年)4月 ビール事業に参入しサントリービールを発売、同年に社名を寿屋からサントリーへ改称
    • [46]参入時の売上高は約300億円、大手ビール3社の売上高合計はその10倍近く
    • [47]鳥井信宏の評「そんな巨大市場に小さな会社が突撃していった」
  • 東洋経済 2022年8月27日号「ニュース最前線 03 サントリーが柱事業を再編 創業家御曹司が抱く危機感」
    • [45]横文字の社名への改称にはビール事業と海外への挑戦という狙いがあった
  • 東洋経済 1999年11月13日号「訃報 生活文化産業を唱導した陽気な財界ガキ大将 サントリー佐治会長逝く」
    • [48]佐治敬三は1961年から30年にわたる社長時代にビールへの挑戦を続けた
  • 東洋経済 2006年12月9日号「プレミアムモルツに懸けるビール事業の赤字に終止符? サントリー、44年目の悲願」
    • [49]佐治敬三はビール参入の理由を事業機会ではなく社内の緊張に置いた
    • [50]佐治敬三の自伝『へんこつなんこつ』でのビール参入の動機説明
    • [54]1963年4月27日発売のサントリービールは前評判が効きすぎて品切れを起こした
    • [55]消費者が酒屋に行っても肝心の商品がない状態となった
    • [56]当時のレッテル「サントリーは宣伝だけで肝心のビールがない」
    • [57]製造担当者の総括「デビルズサイクルです。ビールは鮮度が命なのに、店頭に売れ残ると劣化して味が落ちる。そしてますます売れなくなるという悪循環でした」
  • 日本産業史 第3巻(日本経済新聞社、1994年)「食品-量から質へ」
    • [58]昭和43年(1968年) 飲食店でのサントリーオールドのキープが始まる
    • [59]ニッカの500円ウイスキー「ハイニッカ」に対抗してサントリーが「レッド」を発売、販売合戦を通じてウイスキーが家庭消費の市場を獲得した

非上場のまま資金をどう回してきたか

1976年、サントリーは未公開企業でありながら決算数字を公表した[60]。動機は情報公開の理念ではなく、その逆にある[61]。「もともと、全部秘密にしといたわけじゃないんで。どこからともなく漏れましてね。そういう状況が2〜3年続いたもんですから。おまけに漏れた場合というのは、必ずしも正しい数字で漏れてはくれない。それなら責任ある数字を責任ある場所で公表した方が誤解がなくていいだろう」というのが佐治信忠氏の説明である。取材者から「こんなに儲かってたのか、という声もあったようですね」と問われると、佐治信忠氏は「若干それもあったかも知れませんね[63]」と応じた。 [62]

  • 日経ビジネス 1977年3月14日号「ニーズの先取りなどできまへん 佐治敬三氏(サントリー社長)が語る“追い討ち”のマーケティング」
    • [60]1976年 未公開企業でありながら初めて決算数字を公表
    • [61]決算公表の動機は情報公開の理念ではなく、数字が不正確な形で漏れることへの対処だった
    • [62]佐治敬三による決算公表の理由説明
    • [63]佐治敬三の応答「若干それもあったかも知れませんね」

一方で株式公開には踏み切らず、その理由の第一は市場への不信[64]であった。佐治信忠氏は「現在の株式市場と、それを受けた配当のあり方、これが少しゆがんでいるような気がする[65]」と述べている。「法人が持ってれば金利は費用で落ちる。配当は別途に入ってくるから個人で持つのとは全然利回りが違う」とも語り、法人株主に偏った市場では個人株主の立場が成り立たないことを問題にした。第二の理由は、資金を自己金融でまかなえており、そもそも公開する必要がなかった[67]ことにある。「ウイスキーの商売は設備投資にそんなに金いりませんし、貯蔵分にしても年々増えるその分だけ資金調達すればいいんです。幸いにして今までのところは、早く言えば儲かってますし、それプラス借入金で十分まかなえるわけです」。当時の社員持株は5〜6%あり[69]佐治信忠氏は「日本の株式市場もそうした方向に向かっていく目安がつけば公開してもいいと思っておるんです[70]」と含みを残していた。 [66][68]

  • 日経ビジネス 1977年3月14日号「ニーズの先取りなどできまへん 佐治敬三氏(サントリー社長)が語る“追い討ち”のマーケティング」
    • [64]株式公開は見送られ、第一の理由は当時の株式市場への不信だった
    • [65]佐治敬三が株式公開を見送る理由として当時の株式市場と配当のあり方を挙げた
    • [66]佐治敬三の証言。法人株主と個人株主で利回りが異なるという指摘
    • [67]第二の理由は資金需要が小さく公開する必要がなかったこと
    • [68]ウイスキー事業は設備投資負担が軽く、内部資金と借入で資金需要をまかなえた
    • [69]1977年時点の社員持株は5〜6%
    • [70]佐治敬三は株式公開を将来の選択肢として残していた

赤字のビールを抱え続けた理由を、佐治信忠氏は損得ではなく効用で説明し[71]、1977年の取材ではこう答えた。「結局ビールをやることでウイスキーの商売もバイタライズされたんですね。ビールを売る苦しみがわかるとウイスキーも殿様商売ではいかんということで営業部門全体が原点に帰れたと思うんです」。同じ取材で「苦労のタネがなくなると、生きてる甲斐がなくなると違いますか[73]」とも語り、ビールがまだ赤字であることを自ら認めていた。海外の側では、1980年に佐治信忠氏が米国現地法人の社長として初の海外大型案件をまとめている[74]。ペプシ系ボトラーの米ペプコムを約200億円で買収したもので、この販社は以後も業績に寄与[75]し続けた。 [72]

  • 日経ビジネス 1977年3月14日号「ニーズの先取りなどできまへん 佐治敬三氏(サントリー社長)が語る“追い討ち”のマーケティング」
    • [71]佐治敬三は赤字のビール事業を抱え続けた理由を損得ではなく効用で説明した
    • [72]佐治敬三の証言。ビール参入がウイスキー事業の営業を立て直したという総括
    • [73]佐治敬三の証言「苦労のタネがなくなると、生きてる甲斐がなくなると違いますか」。1977年時点でビールは赤字
  • 東洋経済 2014年9月26日号「深層リポート 新浪サントリーを待ち受ける荒波 試されるのは国際展開 “売上高4兆円”への勝算」
    • [74]1980年 佐治信忠が米国現地法人社長として初の海外大型案件である米ペプコム買収をまとめた
  • 東洋経済 2001年3月24日号「加速 4代目社長登板のサントリー 好調な清涼飲料をバックにビール・発泡酒で大攻勢へ」
    • [75]米州のペプシ系ボトラー買収額は約200億円で、同販社は業績に寄与し続けた
  • 日経ビジネス 1977年3月14日号「ニーズの先取りなどできまへん 佐治敬三氏(サントリー社長)が語る“追い討ち”のマーケティング」
    • [60]1976年 未公開企業でありながら初めて決算数字を公表
    • [61]決算公表の動機は情報公開の理念ではなく、数字が不正確な形で漏れることへの対処だった
    • [62]佐治敬三による決算公表の理由説明
    • [63]佐治敬三の応答「若干それもあったかも知れませんね」
    • [64]株式公開は見送られ、第一の理由は当時の株式市場への不信だった
    • [65]佐治敬三が株式公開を見送る理由として当時の株式市場と配当のあり方を挙げた
    • [66]佐治敬三の証言。法人株主と個人株主で利回りが異なるという指摘
    • [67]第二の理由は資金需要が小さく公開する必要がなかったこと
    • [68]ウイスキー事業は設備投資負担が軽く、内部資金と借入で資金需要をまかなえた
    • [69]1977年時点の社員持株は5〜6%
    • [70]佐治敬三は株式公開を将来の選択肢として残していた
    • [71]佐治敬三は赤字のビール事業を抱え続けた理由を損得ではなく効用で説明した
    • [72]佐治敬三の証言。ビール参入がウイスキー事業の営業を立て直したという総括
    • [73]佐治敬三の証言「苦労のタネがなくなると、生きてる甲斐がなくなると違いますか」。1977年時点でビールは赤字
  • 東洋経済 2014年9月26日号「深層リポート 新浪サントリーを待ち受ける荒波 試されるのは国際展開 “売上高4兆円”への勝算」
    • [74]1980年 佐治信忠が米国現地法人社長として初の海外大型案件である米ペプコム買収をまとめた
  • 東洋経済 2001年3月24日号「加速 4代目社長登板のサントリー 好調な清涼飲料をバックにビール・発泡酒で大攻勢へ」
    • [75]米州のペプシ系ボトラー買収額は約200億円で、同販社は業績に寄与し続けた

1991年〜 主力の交代と、統合破談が閉ざした国内再編の道

サントリーホールディングスの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1992年 缶コーヒー「BOSS」を発売
  2. 1994年 国内初の発泡酒「ホップス」を発売
  3. 1999年 佐治敬三氏が死去
  4. 2001年 佐治信忠氏が社長に就任
  5. 2009年 株式移転によりサントリーHDを設立
  6. 2009年 Orangina Schweppes Holdingsを買収した。買収額は約3500億円
  7. 2010年 キリンHDとの経営統合交渉を断念

ウイスキーが縮み、清涼飲料が代わりに立つ

ウイスキーは1983年に出荷のピークを迎え、そのときの売上高はサントリー全体の7割近く[76]、利益の大半を占める主力事業であった。ウイスキー部長の田中嗣浩氏は「当時、安価なトリスや角瓶、特に大衆のあこがれだったオールドが市場を大きく牽引した[77]」と語っている。しかし1983年以降の成熟期はわずか5年間の短命に終わり、1988年以降のウイスキー市場は縮小に歯止めがかからなくなった[78]。主力の「オールド」の販売本数は、最盛期の1240万ケースから4分の1程度まで落ち込む[79]。1990年に代表権を持つ副社長へ就いた佐治信忠氏は、この収益源の目減りを埋めるべくチューハイ・焼酎事業へ参入[80]した。

  • 東洋経済 2011年7月9日号「特集 ニュースがわかる経営学(2)マーケティング 04 理論破りのサントリー ウイスキーを復活」
    • [76]1983年のウイスキー売上高はサントリー全体の売上高の7割近く、利益の大半を占めた
    • [77]サントリー酒類ウイスキー部長 田中嗣浩の証言「当時、安価なトリスや角瓶、特に大衆のあこがれだったオールドが市場を大きく牽引した」
    • [78]1983年以降の成熟期は5年間で終わり、1988年以降のウイスキー市場は縮小に歯止めがかからなくなった
  • 東洋経済 2014年7月4日号「巻頭特集 名門はプロ社長に頼った サントリー 創業116年目の決断」
    • [79]オールドの販売本数は最盛期の1240万ケースから4分の1程度に落ち込んだ
    • [80]1990年に佐治信忠が代表権を持つ副社長に就任し、チューハイ・焼酎事業に参入した

縮小分を埋めて事業の柱となったのは清涼飲料で、1981年に発売した「サントリーウーロン茶」を足がかりに[81]、1992年の缶コーヒー「BOSS」、1994年の「C.C.レモン」、1998年の「なっちゃん」と当たりが続いた[82]。清涼飲料を主体とする食品部門は営業利益の7割を稼ぎ、国内では首位のコカ・コーラに次ぐシェアを占めた[83]。売上高が1兆円を超えたのは1991年のことだが、その後20年弱は日本経済の低迷とともに1兆円台前半で推移[84]した。2000年12月期の連結売上高1兆4000億円はアサヒビールと同規模で、営業利益963億円はアサヒとキリンを上回っている[85]

  • 東洋経済 2006年12月9日号「プレミアムモルツに懸けるビール事業の赤字に終止符? サントリー、44年目の悲願」
    • [81]1981年 サントリーウーロン茶を発売し清涼飲料事業を拡大
  • 東洋経済 2014年7月4日号「巻頭特集 名門はプロ社長に頼った サントリー 創業116年目の決断」
    • [82]1992年 缶コーヒーBOSS、1994年 C.C.レモン、1998年 なっちゃんを発売
  • 東洋経済 2001年3月24日号「加速 4代目社長登板のサントリー 好調な清涼飲料をバックにビール・発泡酒で大攻勢へ」
    • [83]清涼飲料主体の食品部門が営業利益の7割を稼ぎ、国内シェアは首位のコカ・コーラに次ぐ
    • [85]2000年12月期の連結売上高1兆4000億円・営業利益963億円
  • 東洋経済 2014年9月26日号「深層リポート 新浪サントリーを待ち受ける荒波 試されるのは国際展開 “売上高4兆円”への勝算」
    • [84]1991年に売上高1兆円を突破、その後20年弱は1兆円台前半で推移

酒類でも1994年に国内初の発泡酒「ホップス」を出した[86]が、他社の追随で競争は激化した。1999年発売の発泡酒「マグナムドライ」は爆発的にヒットし、ビール市場では「モルツ」も健闘して、2000年度には黒字化寸前[87]までこぎ着ける。2001年3月27日、鳥井信一郎氏が会長に退き、佐治信忠氏が4代目社長に昇格[88]した。佐治信忠氏は会見で「食品、酒、その他で各1兆円の事業規模にしたい」と述べ、「五年でビール・発泡酒事業のシェアを二〇%[90]」にする目標を掲げている。前年度のビール・発泡酒シェアは10%[91]であった。 [89]

  • 東洋経済 2006年12月9日号「プレミアムモルツに懸けるビール事業の赤字に終止符? サントリー、44年目の悲願」
    • [86]1994年 国内初の発泡酒ホップスを発売
  • 東洋経済 2001年3月24日号「加速 4代目社長登板のサントリー 好調な清涼飲料をバックにビール・発泡酒で大攻勢へ」
    • [87]1999年発売の発泡酒マグナムドライが爆発的にヒットし、モルツも健闘して2000年度に黒字化寸前まで到達
    • [88]2001年3月27日 鳥井信一郎が会長、佐治信忠が4代目社長に就任
    • [89]佐治信忠の発言「食品、酒、その他で各一兆円の事業規模にしたい」
    • [90]佐治信忠の発言「五年でビール・発泡酒事業のシェアを二〇%(昨年度は一〇%)にしたい」
    • [91]2000年度のビール・発泡酒シェアは10%
  • 東洋経済 2011年7月9日号「特集 ニュースがわかる経営学(2)マーケティング 04 理論破りのサントリー ウイスキーを復活」
    • [76]1983年のウイスキー売上高はサントリー全体の売上高の7割近く、利益の大半を占めた
    • [77]サントリー酒類ウイスキー部長 田中嗣浩の証言「当時、安価なトリスや角瓶、特に大衆のあこがれだったオールドが市場を大きく牽引した」
    • [78]1983年以降の成熟期は5年間で終わり、1988年以降のウイスキー市場は縮小に歯止めがかからなくなった
  • 東洋経済 2014年7月4日号「巻頭特集 名門はプロ社長に頼った サントリー 創業116年目の決断」
    • [79]オールドの販売本数は最盛期の1240万ケースから4分の1程度に落ち込んだ
    • [80]1990年に佐治信忠が代表権を持つ副社長に就任し、チューハイ・焼酎事業に参入した
    • [82]1992年 缶コーヒーBOSS、1994年 C.C.レモン、1998年 なっちゃんを発売
  • 東洋経済 2006年12月9日号「プレミアムモルツに懸けるビール事業の赤字に終止符? サントリー、44年目の悲願」
    • [81]1981年 サントリーウーロン茶を発売し清涼飲料事業を拡大
    • [86]1994年 国内初の発泡酒ホップスを発売
  • 東洋経済 2001年3月24日号「加速 4代目社長登板のサントリー 好調な清涼飲料をバックにビール・発泡酒で大攻勢へ」
    • [83]清涼飲料主体の食品部門が営業利益の7割を稼ぎ、国内シェアは首位のコカ・コーラに次ぐ
    • [85]2000年12月期の連結売上高1兆4000億円・営業利益963億円
    • [87]1999年発売の発泡酒マグナムドライが爆発的にヒットし、モルツも健闘して2000年度に黒字化寸前まで到達
    • [88]2001年3月27日 鳥井信一郎が会長、佐治信忠が4代目社長に就任
    • [89]佐治信忠の発言「食品、酒、その他で各一兆円の事業規模にしたい」
    • [90]佐治信忠の発言「五年でビール・発泡酒事業のシェアを二〇%(昨年度は一〇%)にしたい」
    • [91]2000年度のビール・発泡酒シェアは10%
  • 東洋経済 2014年9月26日号「深層リポート 新浪サントリーを待ち受ける荒波 試されるのは国際展開 “売上高4兆円”への勝算」
    • [84]1991年に売上高1兆円を突破、その後20年弱は1兆円台前半で推移

参入46年目に届いたビールの黒字

ビール事業は参入から40年以上、一度も営業黒字に届かなかった[92]。2005年度のビール事業の売上高は2078億円で、2桁台の営業赤字[93]を出している。同じ年のアサヒビールはビール事業だけで売上高9195億円、営業利益700億円超[94]であり、規模の差は開いたままだった。転機は高価格帯への移行にあり、2003年には上位メーカーとの差別化と単価引き上げを狙って「ザ・プレミアム・モルツ」を発売し[95]、既存の主力「モルツ」との共食いを承知でプレモルへマーケティング資源を集中した。2005年にはプレミアム戦略部を設置し、鳥井信宏氏が陣頭指揮を執った[96]

  • 東洋経済 2006年12月9日号「プレミアムモルツに懸けるビール事業の赤字に終止符? サントリー、44年目の悲願」
    • [92]ビール事業は参入から40年以上黒字にならなかった
    • [93]2005年度のビール事業売上高2078億円・2桁台の営業赤字
    • [94]2005年度のアサヒビールはビール事業で売上高9195億円・営業利益700億円超
  • 東洋経済 2014年7月4日号「巻頭特集 名門はプロ社長に頼った サントリー 創業116年目の決断」
    • [95]2003年 ザ・プレミアム・モルツを発売し、モルツを犠牲にしてマーケティングを集中
    • [96]2005年 プレミアム戦略部を設置し鳥井信宏が陣頭指揮を執った

2007年度のビール系飲料のシェアはサッポロの13.1%に対しサントリーは11.4%だった[97]が、2008年上期にサッポロを抜いて3位へ浮上することがほぼ確実となった[98]。その背景には価格政策の差があり、2月にキリンビール、3月にアサヒビール、4月にサッポロが原材料高を理由にビール類を3〜5%値上げしたのに対し、サントリーは4月に業務用ビールを値上げしただけで家庭用は9月まで据え置いている[99]。業界全体の出荷数量が1〜3月に前期比97.4%まで落ち込むなか、サントリーだけは109%[100]と伸びた。2007年度に8割だったビール工場の稼働率も、2008年1〜6月には9割まで改善[101]している。こうして2008年、ビール事業は参入46年目にして初の黒字となり、シェアも業界3位に上がった[102]

  • 東洋経済 2008年7月12日号「ニュース最前線01 ビール独走サントリー ビール3位浮上 夏商戦の裏舞台」
    • [97]2007年度のシェアはサッポロ13.1%に対しサントリー11.4%
    • [98]2008年上期にサッポロを抜きシェア3位に浮上することがほぼ確実となった
    • [99]2008年2月キリン、3月アサヒ、4月サッポロがビール類を3〜5%値上げしたのに対し、サントリーは業務用のみ値上げし家庭用は9月まで据え置いた
    • [100]業界全体の出荷数量が1〜3月に前期比97.4%まで落ち込むなかサントリーは109%
    • [101]ビール工場の稼働率は2007年度の8割から2008年1〜6月に9割へ改善
  • 東洋経済 2014年7月4日号「巻頭特集 名門はプロ社長に頼った サントリー 創業116年目の決断」
    • [102]2008年 ビール事業が参入46年目で初の黒字、シェアも業界3位に
  • 東洋経済 2006年12月9日号「プレミアムモルツに懸けるビール事業の赤字に終止符? サントリー、44年目の悲願」
    • [92]ビール事業は参入から40年以上黒字にならなかった
    • [93]2005年度のビール事業売上高2078億円・2桁台の営業赤字
    • [94]2005年度のアサヒビールはビール事業で売上高9195億円・営業利益700億円超
  • 東洋経済 2014年7月4日号「巻頭特集 名門はプロ社長に頼った サントリー 創業116年目の決断」
    • [95]2003年 ザ・プレミアム・モルツを発売し、モルツを犠牲にしてマーケティングを集中
    • [96]2005年 プレミアム戦略部を設置し鳥井信宏が陣頭指揮を執った
    • [102]2008年 ビール事業が参入46年目で初の黒字、シェアも業界3位に
  • 東洋経済 2008年7月12日号「ニュース最前線01 ビール独走サントリー ビール3位浮上 夏商戦の裏舞台」
    • [97]2007年度のシェアはサッポロ13.1%に対しサントリー11.4%
    • [98]2008年上期にサッポロを抜きシェア3位に浮上することがほぼ確実となった
    • [99]2008年2月キリン、3月アサヒ、4月サッポロがビール類を3〜5%値上げしたのに対し、サントリーは業務用のみ値上げし家庭用は9月まで据え置いた
    • [100]業界全体の出荷数量が1〜3月に前期比97.4%まで落ち込むなかサントリーは109%
    • [101]ビール工場の稼働率は2007年度の8割から2008年1〜6月に9割へ改善

統合比率0.5で終わった強者連合

2009年2月、サントリー株式会社は株式移転によりサントリーホールディングス株式会社を設立した[103]。同年4月には事業の一部をサントリー食品・サントリーワインインターナショナル・サントリープロダクツなどへ会社分割で承継させ、純粋持株会社制へ移行した[104]。このときサントリー株式会社の商号はサントリー酒類株式会社に変更された[105]。同じ年の11月には、欧州のOrangina Schweppes Holdingsを買収する[106]。買収額は約3500億円である[107]。当時の同社には、中期的に「4000〜5000億円の(資金)余力はある[108]」と財務担当者が説明するだけのM&A余力があった。

  • サントリーホールディングス 有価証券報告書 第17期(2025年12月期)【沿革】
    • [103]2009年2月 サントリー株式会社の株式移転によりサントリーホールディングスを設立
    • [104]2009年4月 事業を分割承継し純粋持株会社制へ移行
    • [105]2009年4月 サントリー株式会社の商号をサントリー酒類株式会社に変更
    • [106]2009年11月 欧州のOrangina Schweppes Holdingsを買収
  • 東洋経済 2012年12月23日号「NEWS&REPORT 02 子会社上場に動くサントリーの思惑」
    • [107]Orangina Schweppes Holdingsの買収額は約3500億円
  • 東洋経済 2010年2月20日号「NEWS TOP4 01 食品 キリン・サントリー「強者連合」決裂の余波」
    • [108]サントリー財務担当者の説明。中期的に4000〜5000億円の資金余力があるとした

2009年から2010年にかけて、サントリーはキリンホールディングスとの経営統合を交渉した[109]。統合が実現していれば、売上高4兆円に迫る国内最大級の食品メーカーが誕生するはずだった[110]。動機は海外展開だけでなく収益性の格差にもあり、ビール世界最大手アンハイザー・ブッシュ・インベブの営業利益率27.8%に対し、キリンは5.6%、酒税を除いても6.6%[111]にとどまっていた。佐治信忠氏も「日本のビール会社は営業利益率が低すぎる。せめて10%くらいに上げていかないといけない」と述べている。キリンは営業利益の7割強、サントリーは8割強を国内で稼いでおり、国内飲料市場は参入企業が多く商品数も膨大[113]であった。 [112]

  • 東洋経済 2010年4月24日号「特集 経済超入門 ニュースの深層(2) キリンとサントリー統合はなぜ実現できなかったのか」
    • [109]2009年から2010年にかけてキリンホールディングスとの経営統合を交渉した
    • [111]ビール世界最大手アンハイザー・ブッシュ・インベブの営業利益率27.8%に対しキリンは5.6%(酒税抜き6.6%)
    • [112]佐治信忠の発言「日本のビール会社は営業利益率が低すぎる。せめて10%くらいに上げていかないといけない」
    • [113]キリンは営業利益の7割強、サントリーは8割強を国内で稼ぎ、国内飲料市場は参入企業が多く商品数も膨大だった
  • 東洋経済 2010年2月20日号「NEWS TOP4 01 食品 キリン・サントリー「強者連合」決裂の余波」
    • [110]統合が実現していれば売上高4兆円に迫る国内最大級の食品メーカーとなるはずだった

2010年2月8日、交渉開始から約8カ月で両社は統合交渉の終了を発表した[114]。会見で佐治信忠氏は「理由は、統合比率[115]」と述べ、キリンの加藤壹康社長は「統合比率の話にすら至っていない[116]」と述べており、両社の説明は食い違っている。当初1対1での統合を主張していたサントリーに対し、2009年11月にキリンが提示した比率は1対0.5[117]だった。その後、差は0.8程度まで詰まったとされるが合意には至らず、8日午前のトップ会談は物別れに終わっている[118]。最大のネックは、サントリー株式の約9割を握る創業家の存在にあった[119]。寿不動産が統合会社の3分の1以上の株式を保有すれば大株主として重要事項に対する拒否権を持つことになり、キリンはそれを受け入れなかった[120]

  • 東洋経済 2010年2月20日号「NEWS TOP4 01 食品 キリン・サントリー「強者連合」決裂の余波」
    • [114]2010年2月8日 交渉開始から約8カ月でキリンとの統合交渉の終了を発表
    • [115]佐治信忠の会見発言「理由は、統合比率」
    • [117]サントリーは当初1対1を主張、2009年11月にキリンが提示した比率は1対0.5
    • [118]その後の差は0.8程度まで詰まったが合意に至らず、2月8日午前のトップ会談は物別れに終わった
    • [119]最大のネックはサントリー株式の約9割を握る創業家の存在だった
  • 東洋経済 2010年4月24日号「特集 経済超入門 ニュースの深層(2) キリンとサントリー統合はなぜ実現できなかったのか」
    • [116]キリン前社長 加藤壹康の発言「統合比率の話にすら至っていない」
  • 東洋経済 2014年9月26日号「深層リポート 新浪サントリーを待ち受ける荒波 外部から迎えられたプロ経営者の役割とは いまだに強い創業家の威力と重圧」
    • [120]寿不動産が統合会社の3分の1以上を保有すれば重要事項への拒否権を持つため、キリンは受け入れなかった
  • サントリーホールディングス 有価証券報告書 第17期(2025年12月期)【沿革】
    • [103]2009年2月 サントリー株式会社の株式移転によりサントリーホールディングスを設立
    • [104]2009年4月 事業を分割承継し純粋持株会社制へ移行
    • [105]2009年4月 サントリー株式会社の商号をサントリー酒類株式会社に変更
    • [106]2009年11月 欧州のOrangina Schweppes Holdingsを買収
  • 東洋経済 2012年12月23日号「NEWS&REPORT 02 子会社上場に動くサントリーの思惑」
    • [107]Orangina Schweppes Holdingsの買収額は約3500億円
  • 東洋経済 2010年2月20日号「NEWS TOP4 01 食品 キリン・サントリー「強者連合」決裂の余波」
    • [108]サントリー財務担当者の説明。中期的に4000〜5000億円の資金余力があるとした
    • [110]統合が実現していれば売上高4兆円に迫る国内最大級の食品メーカーとなるはずだった
    • [114]2010年2月8日 交渉開始から約8カ月でキリンとの統合交渉の終了を発表
    • [115]佐治信忠の会見発言「理由は、統合比率」
    • [117]サントリーは当初1対1を主張、2009年11月にキリンが提示した比率は1対0.5
    • [118]その後の差は0.8程度まで詰まったが合意に至らず、2月8日午前のトップ会談は物別れに終わった
    • [119]最大のネックはサントリー株式の約9割を握る創業家の存在だった
  • 東洋経済 2010年4月24日号「特集 経済超入門 ニュースの深層(2) キリンとサントリー統合はなぜ実現できなかったのか」
    • [109]2009年から2010年にかけてキリンホールディングスとの経営統合を交渉した
    • [111]ビール世界最大手アンハイザー・ブッシュ・インベブの営業利益率27.8%に対しキリンは5.6%(酒税抜き6.6%)
    • [112]佐治信忠の発言「日本のビール会社は営業利益率が低すぎる。せめて10%くらいに上げていかないといけない」
    • [113]キリンは営業利益の7割強、サントリーは8割強を国内で稼ぎ、国内飲料市場は参入企業が多く商品数も膨大だった
    • [116]キリン前社長 加藤壹康の発言「統合比率の話にすら至っていない」
  • 東洋経済 2014年9月26日号「深層リポート 新浪サントリーを待ち受ける荒波 外部から迎えられたプロ経営者の役割とは いまだに強い創業家の威力と重圧」
    • [120]寿不動産が統合会社の3分の1以上を保有すれば重要事項への拒否権を持つため、キリンは受け入れなかった

2011年〜 子会社上場と1兆6500億円の買収、そして創業家への回帰

サントリーホールディングスの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2013年 サントリー食品インターナショナルが東京証券取引所市場第一部に上場
  2. 2013年 サントリー食品インターナショナルがグラクソ・スミスクラインの飲料事業を買収
  3. 2014年 1兆6500億円で「30年分の時間」を買う 年間売上高に迫る額を投じ、蒸留酒で世界3位に立った非上場企業の買収
  4. 2014年 新浪剛史氏が社長に就任
  5. 2022年 サントリー食品インターナショナルがジャパンビバレッジHDを買収
  6. 2022年 自動販売機事業を統合
  7. 2022年 サントリースピリッツがサントリーBWSなど4社を吸収合併

本体は非上場のまま、子会社を上場させる

破談の直後、佐治信忠氏は「パブリックカンパニー(上場企業)は難しい。やはりプライベートがいい」と漏らしている。とはいえ資金の制約は残り、2011年末の有利子負債は6600億円と自己資本を上回って[122]、財務レバレッジを示すD/Eレシオは1.28倍に達している。競合のアサヒグループホールディングスの有利子負債は3900億円、D/Eレシオは0.6倍にとどまっている[123]。手元の現金および現金同等物は2881億円で、佐治信忠氏がかねて必要と語っていた3000億〜4000億円規模のM&Aを続けるには足りない[124]。良い海外案件ほど、資本力のある海外飲料大手や外資系ファンドとの競争になる[125][121]

  • 東洋経済 2012年12月23日号「NEWS&REPORT 02 子会社上場に動くサントリーの思惑」
    • [121]統合協議決裂直後の佐治信忠の発言「パブリックカンパニー(上場企業)は難しい。やはりプライベートがいい」
    • [122]2011年の有利子負債6600億円・D/Eレシオ1.28倍
    • [123]アサヒグループホールディングスの有利子負債は3900億円・D/Eレシオ0.6倍
    • [124]現金および現金同等物は2881億円で、3000億〜4000億円規模のM&Aには不足
    • [125]良い海外案件ほど資本力のある海外飲料大手や外資系ファンドとの競争になる

2013年7月、サントリーはホールディングス本体ではなく、飲料・食品事業を担う子会社サントリー食品インターナショナルを東京証券取引所市場第一部に上場させた[126]。上場時の時価総額は1兆円規模とみられ、前年に国内最高額で上場した日本航空を上回る見込み[127]だった。同年9月には、その子会社が英グラクソ・スミスクラインの飲料事業を約2100億円で買収する[128]。「Lucozade」「Ribena」の製造・販売事業は、2014年1月からLucozade Ribena Suntory Limitedにおいて開始された[129]。この構成に批判がなかったわけではなく、東京証券取引所は2007年に子会社上場について「必ずしも望ましい資本政策とはいえない」との見解を示し、少数株主の権利への一層の配慮を求めていた[130]

  • サントリーホールディングス 有価証券報告書 第17期(2025年12月期)【沿革】
    • [126]2013年7月 サントリー食品インターナショナルが東京証券取引所市場第一部に上場
    • [129]2014年1月 Lucozade・Ribenaの製造・販売事業をLucozade Ribena Suntory Limitedで開始
  • 東洋経済 2012年12月23日号「NEWS&REPORT 02 子会社上場に動くサントリーの思惑」
    • [127]上場時の時価総額は1兆円規模とみられ、前年に国内最高額で上場した日本航空を上回る見込みだった
    • [130]東京証券取引所は2007年に子会社上場を「必ずしも望ましい資本政策とはいえない」とし、少数株主の権利への一層の配慮を求めた
  • 東洋経済 2014年7月4日号「巻頭特集 名門はプロ社長に頼った サントリー 創業116年目の決断」
    • [128]2013年9月 サントリー食品インターナショナルが英グラクソ・スミスクラインの飲料事業を約2100億円で買収
  • 東洋経済 2012年12月23日号「NEWS&REPORT 02 子会社上場に動くサントリーの思惑」
    • [121]統合協議決裂直後の佐治信忠の発言「パブリックカンパニー(上場企業)は難しい。やはりプライベートがいい」
    • [122]2011年の有利子負債6600億円・D/Eレシオ1.28倍
    • [123]アサヒグループホールディングスの有利子負債は3900億円・D/Eレシオ0.6倍
    • [124]現金および現金同等物は2881億円で、3000億〜4000億円規模のM&Aには不足
    • [125]良い海外案件ほど資本力のある海外飲料大手や外資系ファンドとの競争になる
    • [127]上場時の時価総額は1兆円規模とみられ、前年に国内最高額で上場した日本航空を上回る見込みだった
    • [130]東京証券取引所は2007年に子会社上場を「必ずしも望ましい資本政策とはいえない」とし、少数株主の権利への一層の配慮を求めた
  • サントリーホールディングス 有価証券報告書 第17期(2025年12月期)【沿革】
    • [126]2013年7月 サントリー食品インターナショナルが東京証券取引所市場第一部に上場
    • [129]2014年1月 Lucozade・Ribenaの製造・販売事業をLucozade Ribena Suntory Limitedで開始
  • 東洋経済 2014年7月4日号「巻頭特集 名門はプロ社長に頼った サントリー 創業116年目の決断」
    • [128]2013年9月 サントリー食品インターナショナルが英グラクソ・スミスクラインの飲料事業を約2100億円で買収

1兆6500億円で30年分の時間を買う

2014年1月、サントリーホールディングスは米蒸留酒大手Beam Inc.の買収を発表し[131]、同年5月に買収を完了した[132]。買収額は160億ドル、日本円で約1兆6500億円にのぼる[133]。2013年度の売上高は2兆402億円で、同社が初めて2兆円を超えた年[134]でもあった。ビームは「ジムビーム」「メーカーズマーク」を抱えるバーボンの大手で、この買収によりサントリーは蒸留酒メーカーとして世界3位に浮上する[135]。買収から5年後、ビームサントリーは米国や欧州など主要市場で存在感を増し、その販路を使って「山崎」などサントリーの国産ブランドも展開された[136]

  • 東洋経済 2014年3月28日号「カンパニー&ビジネス サントリーHD 蒸留酒市場で世界3位へ ビーム社巨額買収の勝算」
    • [131]2014年1月 Beam Inc.の買収を発表
    • [133]買収額160億ドル・約1兆6500億円
    • [135]ビームは「ジムビーム」「メーカーズマーク」を持ち、買収によりサントリーは蒸留酒メーカー世界3位となった
  • サントリーホールディングス 有価証券報告書 第17期(2025年12月期)【沿革】
    • [132]2014年5月 米国のBeam Inc.(現Suntory Global Spirits Inc.)を買収
  • 東洋経済 2014年9月26日号「深層リポート 新浪サントリーを待ち受ける荒波 試されるのは国際展開 “売上高4兆円”への勝算」
    • [134]2013年度の売上高2兆402億円で初めて2兆円を突破
  • 東洋経済 2019年10月19日号「第2特集 激突! アサヒVS.キリン 海外でも「やってみなはれ」 中国、インドに打って出るサントリーの大胆な賭け」
    • [136]買収から5年でビームサントリーは主要市場で存在感を増し、販路を通じて山崎など国産ブランドを展開した

交渉でサントリーは足元を見られており、2013年11月にビームのマシュー・J・シャトックCEOが来日して佐治信忠氏と会談し[137]佐治信忠氏は正式に買収の意思を伝えたうえで翌日に取締役会へ書簡を送った[138]。ビーム側は書簡を受け取ってから1週間以内に別の大手海外酒類メーカーへ買収の意思を打診し、そのうえでサントリーの初期提案を拒否する[139]。2カ月の交渉で、サントリーは二度の増額を経て1株83.5ドルで合意した[140]。初期提案より総額で1000億円弱高い金額[141]である。佐治信忠氏はこの額を「1兆7000億円という額は、確かに高いっちゃ高い。だが、30年分のグローバルな成長、この時間を買うと考えれば、高い買い物ではない」と述べている。 [142]

  • 東洋経済 2014年3月28日号「カンパニー&ビジネス サントリーHD 蒸留酒市場で世界3位へ ビーム社巨額買収の勝算」
    • [137]2013年11月にビームのシャトックCEOが来日して佐治信忠と会談し、翌日に取締役会へ書簡を送った
    • [138]佐治信忠は正式に買収の意思を伝えたうえで翌日に取締役会へ書簡を送った
    • [139]ビームは書簡受領後1週間以内に他の大手海外酒類メーカーへ打診し、サントリーの初期提案を拒否した
    • [140]2カ月の交渉で二度の増額を経て1株83.5ドルで合意
    • [141]初期提案より総額1000億円弱高い金額となった
    • [142]佐治信忠の発言「1兆7000億円という額は、確かに高いっちゃ高い。だが、30年分のグローバルな成長、この時間を買うと考えれば、高い買い物ではない」

価格の妥当性については当時から評価が割れており[143]、M&Aに詳しい一橋大学大学院の服部暢達客員教授は「上場企業のM&Aは、株価に30〜50%のプレミアムがつくのが一般的。今回の25%は決して高くない」と述べる一方、「ビーム社の直近の業績では売上高の成長が鈍化しているうえ、肝心の新興国が伸び悩んでいる[145]」とも指摘した。会計面の負担も重く、買収で発生するのれんは約9000億円と推定され、最長20年で償却しても年450億円[146]、買収に伴う利息増が年100億円規模で見込まれた。ビームの営業利益は2013年度で約630億円[147]だった。実質無借金だった有利子負債は1兆円以上に膨らみ、信用力の低下を受けてムーディーズ・ジャパンはサントリーHDの格付けをA3からBaa2へ2段階引き下げた[148][144]

  • 東洋経済 2014年3月28日号「カンパニー&ビジネス サントリーHD 蒸留酒市場で世界3位へ ビーム社巨額買収の勝算」
    • [143]ビーム買収の価格の妥当性については当時から評価が割れた
    • [144]服部暢達客員教授の評価「上場企業のM&Aは、株価に30〜50%のプレミアムがつくのが一般的。今回の25%は決して高くない」
    • [145]服部暢達客員教授の指摘「ビーム社の直近の業績では売上高の成長が鈍化しているうえ、肝心の新興国が伸び悩んでいる」
    • [146]のれん約9000億円(最長20年償却で年450億円)、利息負担増が年100億円規模
    • [147]ビームの2013年度営業利益は約630億円
  • 東洋経済 2014年9月26日号「深層リポート 新浪サントリーを待ち受ける荒波 試されるのは国際展開 “売上高4兆円”への勝算」
    • [148]実質無借金だった有利子負債が1兆円以上膨らみ、ムーディーズ・ジャパンは格付けをA3からBaa2へ2段階引き下げた
  • 東洋経済 2014年3月28日号「カンパニー&ビジネス サントリーHD 蒸留酒市場で世界3位へ ビーム社巨額買収の勝算」
    • [131]2014年1月 Beam Inc.の買収を発表
    • [133]買収額160億ドル・約1兆6500億円
    • [135]ビームは「ジムビーム」「メーカーズマーク」を持ち、買収によりサントリーは蒸留酒メーカー世界3位となった
    • [137]2013年11月にビームのシャトックCEOが来日して佐治信忠と会談し、翌日に取締役会へ書簡を送った
    • [138]佐治信忠は正式に買収の意思を伝えたうえで翌日に取締役会へ書簡を送った
    • [139]ビームは書簡受領後1週間以内に他の大手海外酒類メーカーへ打診し、サントリーの初期提案を拒否した
    • [140]2カ月の交渉で二度の増額を経て1株83.5ドルで合意
    • [141]初期提案より総額1000億円弱高い金額となった
    • [142]佐治信忠の発言「1兆7000億円という額は、確かに高いっちゃ高い。だが、30年分のグローバルな成長、この時間を買うと考えれば、高い買い物ではない」
    • [143]ビーム買収の価格の妥当性については当時から評価が割れた
    • [144]服部暢達客員教授の評価「上場企業のM&Aは、株価に30〜50%のプレミアムがつくのが一般的。今回の25%は決して高くない」
    • [145]服部暢達客員教授の指摘「ビーム社の直近の業績では売上高の成長が鈍化しているうえ、肝心の新興国が伸び悩んでいる」
    • [146]のれん約9000億円(最長20年償却で年450億円)、利息負担増が年100億円規模
    • [147]ビームの2013年度営業利益は約630億円
  • サントリーホールディングス 有価証券報告書 第17期(2025年12月期)【沿革】
    • [132]2014年5月 米国のBeam Inc.(現Suntory Global Spirits Inc.)を買収
  • 東洋経済 2014年9月26日号「深層リポート 新浪サントリーを待ち受ける荒波 試されるのは国際展開 “売上高4兆円”への勝算」
    • [134]2013年度の売上高2兆402億円で初めて2兆円を突破
    • [148]実質無借金だった有利子負債が1兆円以上膨らみ、ムーディーズ・ジャパンは格付けをA3からBaa2へ2段階引き下げた
  • 東洋経済 2019年10月19日号「第2特集 激突! アサヒVS.キリン 海外でも「やってみなはれ」 中国、インドに打って出るサントリーの大胆な賭け」
    • [136]買収から5年でビームサントリーは主要市場で存在感を増し、販路を通じて山崎など国産ブランドを展開した

創業家以外の社長と、その10年後

2014年7月1日、サントリーホールディングスはローソン会長兼社長だった新浪剛史氏を社長に迎えた[149]。創業家以外から社長を出すのは創業以来初めて[150]になる。佐治信忠氏は会長へ退き、社長交代会見で「私は会長、オーナーとして、グループ全体のバランスを見ていく。海外事業の成功に向け、新浪氏には最大限の力を発揮してもらいたい」と述べた。資本の構造は動いておらず、同社の株式は約9割を鳥井家・佐治家の資産管理会社である寿不動産が保有している[152]。寿不動産の株式は、両家の親族8人が約5%ずつを持つ[153]佐治信忠氏は記者会見で、小売業からの起用について「たまたまローソンの人だっただけ[154]」ともかわしている。新浪剛史氏が引き受けたのは、2020年にグループ売上高4兆円という目標[155]であった。 [151]

  • 東洋経済 2014年7月4日号「巻頭特集 名門はプロ社長に頼った サントリー 創業116年目の決断」
    • [149]2014年7月1日 ローソン会長兼社長だった新浪剛史が社長に就任
    • [150]創業家以外から社長を出すのは創業以来初めて
    • [154]佐治信忠の発言「たまたまローソンの人だっただけ」
  • 東洋経済 2014年9月26日号「深層リポート 新浪サントリーを待ち受ける荒波 外部から迎えられたプロ経営者の役割とは いまだに強い創業家の威力と重圧」
    • [151]佐治信忠の発言「私は会長、オーナーとして、グループ全体のバランスを見ていく。海外事業の成功に向け、新浪氏には最大限の力を発揮してもらいたい」
    • [152]サントリーホールディングス株式の約9割を鳥井家・佐治家の資産管理会社である寿不動産が保有
    • [153]寿不動産の株式は鳥井家・佐治家の親族8人が約5%ずつ保有
  • 東洋経済 2014年9月26日号「深層リポート 新浪サントリーを待ち受ける荒波 試されるのは国際展開 “売上高4兆円”への勝算」
    • [155]2020年にグループ売上高4兆円という目標を掲げていた

売上高に占める海外比率は、新浪剛史氏の就任前である2013年12月期に約25%、ビーム買収の効果が乗った2014年12月期に約36%だった[156]。会計基準の違いはあるものの、2024年12月期にはそれが約50%まで上昇している[157]。国内では2022年7月、ビール・ワイン・スピリッツ・営業と分かれていた酒類事業を新設のサントリー株式会社へ集約し[158]、創業者鳥井信治郎氏のひ孫にあたる鳥井信宏氏が社長に就いた[159]。この社名は、持株会社制を導入した2009年まで50年弱にわたって同社が掲げていた[160]ものである。当時の国内ビール市場におけるサントリーのシェアは17%程度とみられ、決起集会では25%が目標に掲げられた[161]鳥井信宏氏は「今後10年以内にサントリーを日本で1番の総合酒類メーカーにしたい[162]」とも述べている。

  • 東洋経済 2025年9月27日号「ニュース&トピックス最前線 03 新浪氏が去ったサントリー 創業家にのしかかる重圧」
    • [156]海外売上比率は2013年12月期に約25%、2014年12月期に約36%
    • [157]2024年12月期の海外売上比率は約50%
  • サントリーホールディングス 有価証券報告書 第17期(2025年12月期)【沿革】
    • [158]2022年7月 サントリースピリッツがサントリーBWS・サントリービール・サントリーワインインターナショナル・サントリー酒類の事業を吸収合併しサントリーに商号変更
  • 東洋経済 2022年8月27日号「ニュース最前線 03 サントリーが柱事業を再編 創業家御曹司が抱く危機感」
    • [159]鳥井信宏は創業者鳥井信治郎のひ孫にあたり、2022年7月1日付でサントリー株式会社の社長に就任
    • [160]サントリー株式会社の社名は持株会社制を導入した2009年まで50年弱にわたって使われていた
    • [161]国内ビール市場のサントリーのシェアは17%程度、決起集会ではシェア25%が目標とされた
  • 東洋経済 2023年5月27日号「スペシャルインタビュー サントリー 鳥井信宏社長 サントリー創業家が抱く「酒類日本一」の野望」
    • [162]鳥井信宏の発言「今後10年以内にサントリーを日本で1番の総合酒類メーカーにしたい」

2024年12月、同社は社長交代を発表し、2025年3月に社長を10年務めた新浪剛史氏が会長へ、副社長だった鳥井信宏氏が社長へ昇格[163]した。ところが新体制の船出から半年後の2025年9月1日、新浪剛史氏は違法の疑いがあるサプリメントを入手して警察の捜査を受けたことを理由に会長を辞任した[164]。同社は新浪剛史氏が経営者としての適性を欠き要職に堪えないと判断し、鳥井社長ら経営幹部の意向に沿う形で辞任が決まった[165]。2026年4月15日には、健康領域の開拓を狙って第一三共ヘルスケアを約2400億円で買収すると発表している[166]。2025年12月期の売上収益は3兆4325億円、営業利益は2212億円、当期利益は866億円[167]で、連結従業員数は41,628人[168]、提出会社の平均年間給与は1176万円だった[169]。株主構成は寿不動産株式会社が89.50%、サントリー持株会が5.07%[170]で、以下は三菱UFJ銀行など4者が各1.00%と続く[171]

  • 東洋経済 2025年9月27日号「ニュース&トピックス最前線 03 新浪氏が去ったサントリー 創業家にのしかかる重圧」
    • [163]2024年12月に社長交代を発表し、2025年3月に新浪剛史が会長、鳥井信宏が社長へ昇格
    • [164]2025年9月1日 新浪剛史が会長を辞任。違法の疑いがあるサプリメント入手で警察の捜査を受けたことが理由
    • [165]サントリーは新浪剛史氏が経営者としての適性を欠き要職に堪えないと判断し、鳥井社長ら経営幹部の意向に沿う形で辞任が決まった
  • 東洋経済 2026年5月2日号「ニュース&トピックス最前線 02 第一三共の市販薬事業 サントリーに売却の深層」
    • [166]2026年4月15日 第一三共ヘルスケアを約2400億円で買収すると発表
  • サントリーホールディングス 有価証券報告書 第17期(2025年12月期)
    • [167]2025年12月期 売上収益3兆4325億円・営業利益2212億円・当期利益866億円
  • サントリーホールディングス 有価証券報告書 第17期(2025年12月期)【従業員の状況】
    • [168]2025年12月期の連結従業員数41,628人
    • [169]提出会社の平均年間給与11,762,284円
  • サントリーホールディングス 有価証券報告書 第17期(2025年12月期)【大株主の状況】
    • [170]大株主は寿不動産株式会社89.50%、サントリー持株会5.07%
    • [171]三菱UFJ銀行・三井住友銀行・三井住友信託銀行・日本生命保険が各1.00%を保有
  • 東洋経済 2014年7月4日号「巻頭特集 名門はプロ社長に頼った サントリー 創業116年目の決断」
    • [149]2014年7月1日 ローソン会長兼社長だった新浪剛史が社長に就任
    • [150]創業家以外から社長を出すのは創業以来初めて
    • [154]佐治信忠の発言「たまたまローソンの人だっただけ」
  • 東洋経済 2014年9月26日号「深層リポート 新浪サントリーを待ち受ける荒波 外部から迎えられたプロ経営者の役割とは いまだに強い創業家の威力と重圧」
    • [151]佐治信忠の発言「私は会長、オーナーとして、グループ全体のバランスを見ていく。海外事業の成功に向け、新浪氏には最大限の力を発揮してもらいたい」
    • [152]サントリーホールディングス株式の約9割を鳥井家・佐治家の資産管理会社である寿不動産が保有
    • [153]寿不動産の株式は鳥井家・佐治家の親族8人が約5%ずつ保有
  • 東洋経済 2014年9月26日号「深層リポート 新浪サントリーを待ち受ける荒波 試されるのは国際展開 “売上高4兆円”への勝算」
    • [155]2020年にグループ売上高4兆円という目標を掲げていた
  • 東洋経済 2025年9月27日号「ニュース&トピックス最前線 03 新浪氏が去ったサントリー 創業家にのしかかる重圧」
    • [156]海外売上比率は2013年12月期に約25%、2014年12月期に約36%
    • [157]2024年12月期の海外売上比率は約50%
    • [163]2024年12月に社長交代を発表し、2025年3月に新浪剛史が会長、鳥井信宏が社長へ昇格
    • [164]2025年9月1日 新浪剛史が会長を辞任。違法の疑いがあるサプリメント入手で警察の捜査を受けたことが理由
    • [165]サントリーは新浪剛史氏が経営者としての適性を欠き要職に堪えないと判断し、鳥井社長ら経営幹部の意向に沿う形で辞任が決まった
  • サントリーホールディングス 有価証券報告書 第17期(2025年12月期)【沿革】
    • [158]2022年7月 サントリースピリッツがサントリーBWS・サントリービール・サントリーワインインターナショナル・サントリー酒類の事業を吸収合併しサントリーに商号変更
  • 東洋経済 2022年8月27日号「ニュース最前線 03 サントリーが柱事業を再編 創業家御曹司が抱く危機感」
    • [159]鳥井信宏は創業者鳥井信治郎のひ孫にあたり、2022年7月1日付でサントリー株式会社の社長に就任
    • [160]サントリー株式会社の社名は持株会社制を導入した2009年まで50年弱にわたって使われていた
    • [161]国内ビール市場のサントリーのシェアは17%程度、決起集会ではシェア25%が目標とされた
  • 東洋経済 2023年5月27日号「スペシャルインタビュー サントリー 鳥井信宏社長 サントリー創業家が抱く「酒類日本一」の野望」
    • [162]鳥井信宏の発言「今後10年以内にサントリーを日本で1番の総合酒類メーカーにしたい」
  • 東洋経済 2026年5月2日号「ニュース&トピックス最前線 02 第一三共の市販薬事業 サントリーに売却の深層」
    • [166]2026年4月15日 第一三共ヘルスケアを約2400億円で買収すると発表
  • サントリーホールディングス 有価証券報告書 第17期(2025年12月期)
    • [167]2025年12月期 売上収益3兆4325億円・営業利益2212億円・当期利益866億円
  • サントリーホールディングス 有価証券報告書 第17期(2025年12月期)【従業員の状況】
    • [168]2025年12月期の連結従業員数41,628人
    • [169]提出会社の平均年間給与11,762,284円
  • サントリーホールディングス 有価証券報告書 第17期(2025年12月期)【大株主の状況】
    • [170]大株主は寿不動産株式会社89.50%、サントリー持株会5.07%
    • [171]三菱UFJ銀行・三井住友銀行・三井住友信託銀行・日本生命保険が各1.00%を保有

サントリーホールディングスの沿革1899〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
鳥井信治郎が大阪で鳥井商店を創業★★
鳥井信治郎氏の個人経営で「赤玉ポートワイン」など洋酒類の製造に着手★★
個人経営・を経て寿屋を設立
資本が数年寝るのを承知で始めた本格ウイスキーの国産化甘味葡萄酒で稼いだ現金を、出荷まで6年かかる酒に注ぎ込んだ鳥井信治郎の判断 詳細を読む★★★
山崎に蒸溜所を建設
国産第1号となる「サントリーウイスキー」を発売
寿屋麦酒部を東京麦酒として分離
「サントリーウイスキー12年(角瓶)」を発売
「トリスウイスキー」を発売
資本金を4800万円に増資
佐治敬三氏が社長に就任
社名を寿屋からサントリーへ変更
主力が順風のうちに、勝てない市場へ出る売上300億円の会社が10倍の市場へ挑み、黒字化まで46年を要したビール参入 詳細を読む★★★
「サントリービール」を発売
未公開企業ながら決算数字を初めて公表
「サントリーウーロン茶」を発売した。これを機に清涼飲料事業を拡大★★
ウイスキー市場がピークを迎え以後縮小
Cerebos Pacific Limitedを子会社化
缶コーヒー「BOSS」を発売
国内初の発泡酒「ホップス」を発売
佐治敬三氏が死去
佐治信忠佐治信忠氏が社長に就任
佐治信忠「ザ・プレミアム・モルツ」を発売
佐治信忠ビール事業が参入46年目で初の黒字
佐治信忠ビールシェアが業界3位に浮上
佐治信忠株式移転によりサントリーHDを設立★★
佐治信忠純粋持株会社制に移行
佐治信忠Orangina Schweppes Holdingsを買収した。買収額は約3500億円★★
佐治信忠キリンHDとの経営統合交渉を断念★★
佐治信忠サントリー食品インターナショナルが東京証券取引所市場第一部に上場★★
佐治信忠サントリー食品インターナショナルがグラクソ・スミスクラインの飲料事業を買収
新浪剛史1兆6500億円で「30年分の時間」を買う年間売上高に迫る額を投じ、蒸留酒で世界3位に立った非上場企業の買収 詳細を読む★★★
新浪剛史新浪剛史氏が社長に就任
新浪剛史サントリー食品インターナショナルがジャパンビバレッジHDを買収
新浪剛史自動販売機事業を統合
新浪剛史サントリースピリッツがサントリーBWSなど4社を吸収合併
新浪剛史サントリーに商号変更
鳥井信宏Beam Suntory Inc.をSuntory Global Spirits Inc.に商号変更
鳥井信宏サントリーシステムテクノロジーの事業を吸収合併により承継
出典・参考
  • 東洋経済 2014年9月26日号「深層リポート 新浪サントリーを待ち受ける荒波 外部から迎えられたプロ経営者の役割とは いまだに強い創業家の威力と重圧」
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史「壽屋」
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史「14_醸造 概説」
  • 東洋経済 2011年7月9日号「特集 ニュースがわかる経営学(2)マーケティング 04 理論破りのサントリー ウイスキーを復活」
  • 日本産業史 第1巻(日本経済新聞社、1994年)「食品-戦火の陰に泣く」
  • 経済人11(日本経済新聞社、1980年)竹鶴政孝「私の履歴書」
  • 経済人11(日本経済新聞社、1980年)広瀬経一「私の履歴書」
  • 東洋経済 2014年9月26日号「深層リポート 新浪サントリーを待ち受ける荒波 試されるのは国際展開 “売上高4兆円”への勝算」
  • 日経ビジネス 1977年3月14日号「ニーズの先取りなどできまへん 佐治敬三氏(サントリー社長)が語る“追い討ち”のマーケティング」
  • 東洋経済 2023年5月27日号「スペシャルインタビュー サントリー 鳥井信宏社長 サントリー創業家が抱く「酒類日本一」の野望」
  • 東洋経済 2022年8月27日号「ニュース最前線 03 サントリーが柱事業を再編 創業家御曹司が抱く危機感」
  • 東洋経済 1999年11月13日号「訃報 生活文化産業を唱導した陽気な財界ガキ大将 サントリー佐治会長逝く」
  • 東洋経済 2006年12月9日号「プレミアムモルツに懸けるビール事業の赤字に終止符? サントリー、44年目の悲願」
  • 日本産業史 第3巻(日本経済新聞社、1994年)「食品-量から質へ」
  • 東洋経済 2001年3月24日号「加速 4代目社長登板のサントリー 好調な清涼飲料をバックにビール・発泡酒で大攻勢へ」
  • 東洋経済 2014年7月4日号「巻頭特集 名門はプロ社長に頼った サントリー 創業116年目の決断」
  • 東洋経済 2008年7月12日号「ニュース最前線01 ビール独走サントリー ビール3位浮上 夏商戦の裏舞台」
  • サントリーホールディングス 有価証券報告書 第17期(2025年12月期)【沿革】
  • 東洋経済 2012年12月23日号「NEWS&REPORT 02 子会社上場に動くサントリーの思惑」
  • 東洋経済 2010年2月20日号「NEWS TOP4 01 食品 キリン・サントリー「強者連合」決裂の余波」
  • 東洋経済 2010年4月24日号「特集 経済超入門 ニュースの深層(2) キリンとサントリー統合はなぜ実現できなかったのか」
  • 東洋経済 2014年3月28日号「カンパニー&ビジネス サントリーHD 蒸留酒市場で世界3位へ ビーム社巨額買収の勝算」
  • 東洋経済 2019年10月19日号「第2特集 激突! アサヒVS.キリン 海外でも「やってみなはれ」 中国、インドに打って出るサントリーの大胆な賭け」
  • 東洋経済 2025年9月27日号「ニュース&トピックス最前線 03 新浪氏が去ったサントリー 創業家にのしかかる重圧」
  • 東洋経済 2026年5月2日号「ニュース&トピックス最前線 02 第一三共の市販薬事業 サントリーに売却の深層」
  • サントリーホールディングス 有価証券報告書 第17期(2025年12月期)
  • サントリーホールディングス 有価証券報告書 第17期(2025年12月期)【従業員の状況】
  • サントリーホールディングス 有価証券報告書 第17期(2025年12月期)【大株主の状況】

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