創業地-
創業年0
上場年-
創業者-
現代表成田裕
従業員数29,254

1955年、戦前に医学博士の代田稔氏が開発した乳酸菌「シロタ株」を背景に、東京都中央区西八丁堀で資本金200万円の株式会社ヤクルト本社が設立された。戦後復興期に商標権を握る販売業者は600社を超え、製造・販売業者たちは会社やグループの様をなさない状態にあった。本社はフランチャイズ方式でロイヤリティを徴収する仕組みで、地方乱立を本社主導に再統合する苦闘から事業は始まった。

1968年、松園尚巳氏が瓶からプラスチック容器への切り替えとヤクルトレディの全国網拡大を提案、社内分裂で一時追放されながらもプラ容器化を完遂し1970年に社長就任。1973年に全国8社のヤクルト原液工場買収を完了し本社主導の直営体制を確立した。1980年に二部上場、1981年に一部昇格。1984年の三菱商事との通販合弁リプソンは1988年に累計損失50億円で清算され、1998年には財テク損失1075億円の特別損失を計上した。

1996年の堀澄也体制から2011年の根岸孝成体制を経て、2021年6月に成田裕氏が第7代社長に就任した。本業の乳酸菌飲料は1990年代から国内が頭打ちで、収益柱はインドネシア・中国を中心とするアジア事業に移った。Yakult1000ブームでFY22期に売上4831億円・経常利益780億円の最高益を達成したが、ブーム終焉でFY24期は売上4997億円・営業利益554億円と調整局面に入っている。2030年のヘルスケアカンパニーへの進化と2035年の創業100周年に向けて、国内訪問販売チャネルの収益再建と海外直営網の二段階拡張という二正面の論点に直面している。

ヤクルト本社:売上高の内訳と営業利益率(PL 分解 × 営業利益率)
売上高(億円)営業利益(億円)販管費(億円)売上原価(億円)営業利益率(%)
歴代社長
FY01
FY02
FY03
FY04
FY05
FY06
FY07
FY08
FY09
FY10
FY11
FY12
FY13
FY14
FY15
FY16
FY17
FY18
FY19
FY20
FY21
FY22
FY23
FY24
FY25
FY26
FY27
FY28
FY29
FY30
成田裕
代..
歴代社長
FY24
成田裕
代表取締役社長
ヤクルト本社:投資CF(M&A・設備投資ほか/事業施策と紐付き)
投資CF(億円)
東京証券取引所の市場区分の見直しにより市場第一部からプライム市場へ移行。2022
東京都港区海岸1丁目10番30号に本店移転。2020
本社乳製品工場の組織再編に伴い、福島、茨城、富士裾野、兵庫三木、佐賀の5工場体制に 変更。2013

API for AI Agents— 静的アセットのJSONで取得可能。API実行の認証不要

MethodPath概要ヤクルト本社(証券コード2267)のURL文字数API仕様書
GET/api-manifest.jsonAPIマニフェストopenapi.yaml
GET/companies.json全社一覧openapi.yaml
GET/api/{stock_code}/manifest.jsonリソース一覧openapi.yaml
GET/api/{stock_code}/history.json歴史概略5,539openapi.yaml
GET/api/{stock_code}/current.json直近の動向と展望openapi.yaml
GET/api/{stock_code}/data.json財務(PL/BS/CF・セグメント)54,708openapi.yaml
GET/api/{stock_code}/timeline.json沿革8,228openapi.yaml
GET/api/{stock_code}/executive.json役員・歴代経営者47,657openapi.yaml
GET/api/{stock_code}/shareholder.json大株主29,381openapi.yaml

歴史概略

1955年〜1969地方フランチャイズの統合と松園尚巳によるプラ容器革命

600業者の乱立を一元管理するためのヤクルト本社設立

1935年に医学博士の代田稔氏が乳酸菌「シロタ株」を強化培養し、福岡で「ヤクルト」を発売したのが事業の起点である。だが商標権は無秩序のまま全国各地の販売店が獲得し、戦後復興期に一時は販売権を持つ業者が600社を超え、製造・販売業者たちは会社やグループの様をなさない状態にあった。販売体制の混乱を収拾するために、1955年4月、東京都中央区西八丁堀に資本金200万円で株式会社ヤクルト本社が設立された。本社は商標権と工業所有権を一元管理し、各地の業者に原液製造権と販売権を与え、売上高に応じてロイヤリティを徴収するフランチャイズ方式を採用した。

ところが本社設立後も内部対立は止まなかった。利害がからむと本社内部でも激しい対立が生まれ、バラバラという有様で、本社の発言力は皆無に等しかった。誰が本社を運営すべきかという論点に対し、最終的に長崎地区の販売権を持つ松園尚巳氏が中心人物として浮上する。松園氏は戦後にヤクルトを知り、1953年に200万円という大金を投じて長崎地区販売権を取得し、長崎で基盤を固めた後に首都圏進出を狙って藤沢に関東ヤクルトを設立していた。関東ヤクルトの営業苦戦に対し松園氏は婦人配達員という業界初の販売方式を打ち出し、設立わずか5年で全国150業者のトップの売上を達成して本社での発言権を獲得した。これが後にヤクルトレディと呼ばれる訪問販売部隊の出発点である。

販売現場の労働は過酷を極めた。何も知らない家庭の主婦に商品を売ろうとしても80%までは外交員というだけで門前払い、話は聞いてもどうせインチキだと思うのが残りの大半、100軒歩いても1軒とれるかどうかという勝負の世界だった。それでも松園氏は全国の販売業者に対し、ヤクルトが全体として飛躍するためには今のような乱立状態ではダメだ、小さい田舎会社では社員も誇りを持てないし優秀な人材も集まらない、目先の利益にこだわらず将来に目を開いて協力していこうではないかと粘り強く説き続けた。1963年、松園氏は本社専務に就任して実質的に経営権を握り、ヤクルトレディの全国導入を指揮する立場に立った。

プラ容器移行を巡る社内分裂と松園氏の社長就任

1968年、松園氏は「配達労働の革命」を提唱した。瓶容器からプラスチック容器への切り替えで生産・配達コストを下げ、ヤクルトレディの報酬を2倍にする破格の提案だったが、地方瓶工場を傘下に持つ既得権層が真っ向から反対した。ある役員はナンセンスな提案だ、こんな人間が専務をしていることこそ問題だ、即刻追放を要求すると緊急動議を起こし、松園氏はヤクルト本社から一時追放される事態にまで発展した。反対派の論拠はプラスチックになれば全国160のびん工場は60まで集約可能となる、100工場のスクラップ費用が300億円、プラスチック容器のための新たな機械投資が180億円、計480億円、今の状態でも十分に儲かっているのに、なぜ好んで各地の業者が損をかぶらなければいけないのかというものだった。

最終的にプラ容器移行案は通過したが、この騒動で全事業者の4分の1がヤクルトから脱退した。松園氏はヤクルトをひっかき回す男、気違い専務と揶揄されながらもプラ容器化を完遂し、1970年にヤクルト本社の社長に就任した。1969年には株式会社サンケイアトムズ(現ヤクルト球団)の株式を取得してプロ野球興行事業に参入し、ヤクルトスワローズはのちに全国的なブランド認知の柱となった。1970年2月には各地のヤクルト製造会社の合理化・統廃合に伴い当社初の製造部門として藤沢工場を設置し、創業期の地方乱立状態を本社主導の体制へ刷新する作業を進めた。

1973年「大政奉還」と早すぎる多角化の予兆

松園社長は1973年に全国8社のヤクルト原液工場の買収を完了し、ヤクルト本社の「大政奉還」を果たした。フランチャイズ各社が握っていた製造機能を本社が一括統合する体制が、創業から18年を経てようやく整った。1971年に化粧品の本格販売を開始、1975年に医薬品の本格販売を開始し、乳製品単品依存からの脱却を試みた。だが1973年の段階で日経ビジネスはすでに、ヤクルトの販売本数の伸びがやや頭打ちとなっている現状では多角化は至上命題と指摘していた。乳酸菌飲料という創業商品の市場が日本国内では飽和に向かう兆候は、上場前から見えていた。

1964年3月、ヤクルトグループ初の海外事業所として台湾ヤクルトが営業を開始した。1978年8月にはシンガポールヤクルト、1990年2月にインドネシアヤクルト、1992年6月にオーストラリアヤクルト、1996年3月にヨーロッパヤクルトと、海外事業所の設立は計画的に積み上がっていった。創業期の地方乱立を本社主導で再統合した松園体制は、その同じフランチャイズ統合の論理を海外展開へ転用し始めていた。国内が飽和に向かうほど、海外で同じ訪問販売モデルを移植する以外に成長の余地は残されていない構造が、この時点で既に組み込まれていた。

以降は執筆中

参考文献・数字根拠

参考文献

有価証券報告書
日経ビジネス 1985/07/08「石と呼ばれた男」松園尚巳・ヤクルト本社社長
日経ビジネス 1988/10/24「敗軍の将
兵を語る」熊谷直樹
日経ビジネス 1997/06/02
ヤクルト本社IRトップメッセージ
日経ビジネス 1985/07/08
日経ビジネス 1983/04/04「松園尚巳が語る他人の道を行かぬ経営」
日経ビジネス 1973/02/05「上々で試される独創的大企業」
日経ビジネス 1988/10/24
読売新聞 1985/07/14「カタログ販売全盛」
日経新聞 2013/02/26「ヤクルト
アジア稼ぎ頭に」
ヤクルト本社統合報告書2024
決算説明会 FY24・FY25
ヤクルト本社統合報告書2025
決算説明会 FY24・FY25・FY26
日経ビジネス

数字根拠

設立時資本金

200万円

有価証券報告書

設立年月

1955年4月

有価証券報告書

松園尚巳氏の長崎販売権取得額

200万円

日経ビジネス 1985/07/08

創業期の販売業者数

600社超

日経ビジネス 1985/07/08

関東ヤクルト設立後5年での全国順位

150業者の首位

日経ビジネス 1985/07/08

プラ容器化反対派の試算(スクラップ+投資)

計480億円

日経ビジネス 1985/07/08

プラ容器移行で脱退した業者比率

全事業者の4分の1

日経ビジネス 1985/07/08

二部上場

1980年1月

有価証券報告書

一部昇格

1981年7月

有価証券報告書

リプソン累計損失

50億6500万円

日経ビジネス 1988/10/24

リプソン計画(1989年度売上目標)

1000億円

日経ビジネス 1988/10/24

カタログ配布対象の販売員数

約6万人

日経ビジネス 1988/10/24

1990年代の販売本数

1日1100万本(10年以上横ばい)

日経ビジネス 1997/06/02

財テク特別損失(1998年)

1075億円

有価証券報告書

ダノン戦略提携契約締結

2004年3月

有価証券報告書

中国ヤクルト株式会社設立

2005年4月

有価証券報告書

インドヤクルト・ダノン合弁設立

2005年10月

有価証券報告書

新中央研究所完成

2016年4月

有価証券報告書

売上高(FY18)

4070億円

有価証券報告書

売上高(FY22)

4831億円

有価証券報告書

売上高(FY23)

5031億円

有価証券報告書

売上高(FY24)

4997億円

有価証券報告書

営業利益(FY22)

661億円

有価証券報告書

営業利益(FY23)

634億円

有価証券報告書

営業利益(FY24)

554億円

有価証券報告書

経常利益(FY22)

780億円

有価証券報告書

当期純利益(FY24)

455億円

有価証券報告書

株式分割(2023年10月)

1株→2株

有価証券報告書