The社史 — 上場企業の歴史的な意思決定を振り返る
日本の上場企業を中心とした116社の企業史・758回の経営判断をまとめた個人サイト。創業から現在に至る意思決定の軌跡を、財務データや業績推移とともに記録しています。
- レーザーテック — 1960年創業。X線テレビカメラの開発から出発し、下請けから脱却して1976年に世界初のフォトマスク欠陥検査装置を開発。半導体業界に不可欠な検査装置メーカーとしての地位を確立した。創業者の内山康が61歳で急逝する試練を経ながらも、位相シフト量測定装置やマスクブランクス検査装置で次々と世界初の製品を生み出した。2017年にはEUV光源を用いた検査装置を世界で初めて実用化し、最先端半導体の製造に不可欠な唯一のサプライヤーとなった。
- TDK — 1935年創業。東京工業大学で発明されたフェライトの工業化を目的に設立され、世界初のフェライトコア製品化に成功した。磁気テープで世界シェア首位を獲得し、VHSビデオテープの大増産で黄金期を築いたが、デジタル化の波で2002年に初の営業赤字に転落。ATL買収でリチウムイオン電池事業に参入し、EPCOS買収で受動部品を強化。磁気テープ事業から完全撤退する一方、電池と電子部品を新たな柱に据えて売上高2兆円超のメーカーに再成長した。
- アルプスアルパイン — 1948年創業。片岡勝太郎がラジオ用バリコンの製造で東京都大田区に片岡電気を設立し、テレビ用チューナーやタクトスイッチへと製品を拡大して電子部品の総合メーカーに成長した。1967年にモトローラとの合弁でカーオーディオ事業に参入しアルパインブランドを生み出したが、バブル崩壊後の大規模リストラやリーマンショックの営業赤字を経験。2019年にアルパインと経営統合してアルプスアルパインに改称し、車載・スマホ向け電子部品メーカーとして再出発した。
- 太陽誘電 — 1950年創業。チタン酸バリウムセラミックコンデンサの商品化から出発し、75年以上にわたり受動部品専業を貫く電子部品メーカー。高崎工場の新設とアジアでの海外生産で量産体制を構築し、1984年には世界初のニッケル電極大容量MLCCを商品化した。1988年にCD-Rを世界初商品化して光記録メディア事業に進出したが、市場縮小により2015年に撤退。エルナー子会社化でアルミ電解コンデンサにも展開し、MLCC世界シェア3位の地位を維持する。
- リコー — 1936年に理研感光紙部門から分離独立し、カメラ製造を開始。1950年代に複写機分野へ参入し、1977年にOAを提唱して事務機メーカーとしての地位を確立した。1980年代に自社ブランド輸出を本格化し海外市場を開拓。2000年代に入ると米IKON買収など大型M&Aを展開したが、2018年に減損1759億円を計上し事業の選択と集中を加速。近年はPFU買収や東芝テックとの合弁など複合機事業の再編を進めている。
- 信越化学工業 — 1926年設立。長野県の余剰電力を活用して石灰窒素の製造から出発し、肥料メーカーから脱却してシリコーン・塩化ビニル・半導体シリコンへ事業を転換した。1973年に米テキサスに設立した塩ビ子会社シンテックを、金川千尋の指揮のもと世界最大の塩ビメーカーに育成。フル生産・全量販売の方針を貫き、営業利益率30%超の高収益体制を確立した。半導体シリコンやマスクブランクスでも世界有数のシェアを持つ化学メーカー。
- オリエンタルランド — 1960年設立。京成電鉄主導で千葉県浦安沖の埋立事業として発足し、三井不動産の反対を退けてディズニー社との独占ライセンス契約を締結した。1983年に東京ディズニーランドを開業し、出資なし・ロイヤリティ方式という独自の契約形態のもとテーマパーク事業を拡大。2001年に東京ディズニーシーを開業して年間入園者数3000万人超を達成した。入園料の段階的値上げとファンタジースプリングスへの3200億円投資で成長を続ける。
- コスモス薬品 — 1973年創業。宇野正晃が宮崎県延岡市の薬局から出発し、小商圏型メガドラッグストアという独自業態を開発した。2000平米超の大型店をドミナント方式で多店舗展開し、EDLP戦略とポイント還元の廃止で低価格を徹底。九州を地盤に全国へ拡大し、2019年には首都圏にも進出した。M&Aを一切行わず自力出店のみで2025年に売上高1兆円を突破。JCSI顧客満足度ドラッグストア部門でも繰り返し1位を獲得している。
- 日本M&Aセンター — 1991年創業。分林保弘が日本オリベッティでの法人営業の経験を活かし、全国の会計事務所と地方銀行をネットワーク化してM&Aの情報基盤を構築した。中小企業の事業承継問題をビジネスとして体系化し、日経新聞の一面広告や書籍出版による市場啓蒙と営業力で案件を創出。全国金融M&A研究会やバンクオブザイヤー表彰で地銀との関係を深め、東証一部上場を果たしたが、2021年に不正会計が発覚して信頼が大きく揺らいだ。
- クックパッド — 1997年創業。佐野陽光が神奈川県藤沢市でレシピ検索サイトを個人開発し、ユーザー投稿型のテキストレシピ検索という日本初の市場を創出した。広告収入と有料課金の二本柱で収益化に成功し、従業員4名の零細企業から2015年には売上高100億円を突破する急成長を遂げた。しかし2016年に創業者の佐野氏が穐田社長を解任して社内が混乱し、動画レシピの台頭により有料会員が急速に流出。3期連続の営業赤字に転落した。
- DeNA — 1999年創業。南場智子がマッキンゼーからの転身でディー・エヌ・エーを設立し、オークション事業から携帯ゲームプラットフォームへと事業の軸を転換した。怪盗ロワイヤルの大ヒットとモバゲーの急成長で2013年に過去最高益を達成したが、コンプガチャ問題やWelQ事件など社会的批判にも直面。横浜ベイスターズ取得でスポーツ事業に参入し、ヘルスケア・タクシー配車など新規事業に挑むも、ゲーム依存からの脱却が課題。
- 任天堂 — 1889年に花札・トランプの製造で創業。1949年に山内溥が社長に就任し、プラスチック製トランプやディズニーとの提携で事業を拡大したが、食品・タクシーなど異業種参入は失敗に終わった。1977年にテレビゲームに参入し、1983年のファミリーコンピュータ発売で家庭用ゲーム市場を創出。以降はゲームボーイやDS、Wiiと革新的ハードを投入し続け、2017年発売のNintendo Switchが大ヒットを記録した。
- 伊藤忠商事 — 1858年に初代伊藤忠兵衛が麻布の持ち下り商いで個人創業。繊維商社として発展し、1949年に株式会社として再出発した。1960年代まで繊維主軸だったが、1977年の安宅産業救済合併で鉄鋼・機械の商権を獲得し総合商社化を加速。2000年に不良資産の一括処理で3950億円の特損を計上した。2010年以降は岡藤正広のもとで非資源分野に重点投資し、CITIC提携やファミリーマート出資などで収益基盤を多角化した。
- 東京エレクトロン — 1963年にカーラジオ輸出で創業し、1965年にフェアチャイルドとの代理店契約を機に半導体製造装置に参入。自社開発と海外技術の導入を組み合わせて製品群を拡充し、1989年に半導体製造装置メーカーで世界首位に到達した。1994年にグローバル直販体制へ移行し、取締役会改革など経営近代化も推進。2013年に米アプライドとの統合を発表するも撤回し、自主独立路線で研究開発投資を拡大。2023年に過去最高益を達成している。
- 住友商事 — 1945年に日本建設産業として発足し、住友グループの商社機能を担う。鉄鋼取引の拡大で金ヘン商社の異名をとり、1960年代に商品本部制を導入して総合商社化を推進した。1970年代には北米自動車販売やサウジ向け鋼管投資に着手する一方、情報サービスやリース事業にも参入。1996年に銅地金の不正取引が発覚し巨額損失を計上。2000年代以降は資源権益の取得を進めたが、ニッケルやタイトオイルの投資損失で2015年に最終赤字に転落した。
- 三菱商事 — 1918年に三菱合資会社の営業部門を分離して設立。戦後の再編を経て1954年に再発足し、1968年にブルネイLNG開発への参画を皮切りに事業投資を本格化した。資源分野では豪州原料炭やチリ銅山に大型投資を展開し、非資源ではローソンとの提携やセルマック買収など消費財・食品を強化。2016年にチリ銅山関連の減損で最終赤字に転落したが、事業ポートフォリオの入れ替えと財務改善を進め総合商社の首位を維持している。
- 安宅産業 — 1909年に安宅商会として大阪で創業し、繊維・鉄鋼を柱に総合商社へ成長。官営八幡製鐵所との取引開始を足がかりに鉄鋼商権を拡大し、1956年に株式上場を果たした。安宅英一会長のもと積極拡大路線を推進したが、1973年にカナダの石油精製会社NRCとの総代理店契約を機に投機的取引が拡大。海外子会社の業績悪化が表面化し、1977年に経営破綻。伊藤忠商事による救済合併で消滅した総合商社の代表的な破綻事例となった。
- 旭化成 — 1931年設立。日本窒素の延岡工場を源流とし、繊維・火薬・食品から出発した。1961年に宮崎輝が社長に就任すると石油化学・住宅・医療機器への大胆な多角化を推進し、旭ダウ合弁やサランラップ製造で化学事業の基盤を築いた。後継経営陣は食品・酒類からの撤退やエチレンセンター停止など選択と集中を断行。米ZOLLやPolypore買収でメディカル・電池材料事業を強化し、マテリアル・住宅・ヘルスケアを柱とする総合化学企業に発展した。
- ホンダ — 1946年創業。本田宗一郎が自転車用補助エンジンの製造で個人創業し、藤沢武夫との二人三脚で経営基盤を築いた。スーパーカブで二輪車世界首位を確立し、四輪車にも参入してシビック・アコードで北米市場を開拓。低公害エンジンCVCCの開発でマスキー法に世界初で適合し、技術革新の象徴となった。F1参戦やASIMO開発で先端技術を追求する一方、近年は国内工場再編と欧州撤退で体制をスリム化。ホンダ・日産の経営統合協議で注目を集めている。
- ヤフー — 1996年設立。ソフトバンクと米Yahoo!の合弁でYahoo! JAPANを開設し、日本最大のポータルサイトに成長した。EC・オークション・ブロードバンドと事業を拡大し、爆速経営のもとアスクルや一休の買収でサービスを拡充。2018年にPayPay設立で決済事業に本格参入し、ZOZO買収でEC基盤を強化した。2019年にZホールディングスへ商号変更しLINEとの経営統合に合意。プラットフォーム経済圏の構築を推進している。
- ソニー — 1946年設立。井深大と盛田昭夫が東京通信工業として創業し、トランジスタラジオで世界市場に挑んだ。ウォークマンで携帯音楽文化を創造し、CBS Records・コロンビア映画の買収でエンタメ企業に変貌。PlayStationでゲーム市場にも参入し、CCDイメージセンサーの開発で半導体事業を本格化した。2003年のソニーショックや2012年の巨額赤字を乗り越え、イメージセンサー・ゲーム・エンタメ・金融を柱とする多角的経営で復活を遂げた。
- ファーストリテイリング(ユニクロ/GU) — 1949年に宇部市で小郡商事として創業。1984年に柳井正が社長に就任し、広島市内にユニクロ1号店を開業した。ロードサイド出店と中国メーカーからの調達を組み合わせたSPAモデルを構築し、1994年に100店舗を突破して広島証券取引所に上場。2000年のフリース旋風で全国的な知名度を獲得した。2006年にGUを設立しグローバル化を宣言、海外旗艦店の出店と物流投資を加速させ、世界有数のアパレル企業へと成長を遂げた。
- ニッスイ — 1911年創業。田村汽船漁業部として遠洋トロール漁業に参入し、日産財閥傘下を経て日本水産に改称。南氷洋捕鯨や北洋のサケマス・カニ漁業で戦後日本の食料供給を支えたが、1970年代の200海里規制を契機に遠洋漁業から段階的に撤退した。水産加工・冷凍食品へと事業の軸を移し、医薬品にも多角化。2000年代以降は海外買収によるグローバル展開と食品加工への集中投資で、遠洋漁業会社から総合食品企業へと変貌を遂げた。
- サッポロビール — 1906年設立。大日本麦酒の分割で日本麦酒として発足するも、サッポロブランドの不使用という判断で苦戦し、1957年にようやく商標を復活させた。1971年のヱビスビール復活でプレミアム路線を確立し、1994年に恵比寿ガーデンプレイスを開業して不動産事業にも進出。スティールパートナーズの買収提案を退けつつ、海外ではスリーマンやストーンの買収でグローバル展開を推進し、ポッカとの統合で飲料基盤も強化した。
- アサヒグループHD — 1949年設立。大日本麦酒の分割で朝日麦酒として発足するも、ビール市場でシェア3位に長く低迷した。住友銀行の経営支援を経て1987年にスーパードライを発売し、辛口ドライ旋風で業界の勢力図を塗り替えた。カルピス買収で飲料事業を拡大し、2016年のSABMiller欧州事業取得と2020年のAB InBev豪州事業買収で計2兆円超の大型M&Aを断行。国内ビール会社からグローバル飲料メーカーへと変貌した。
- キリンHD — 1907年設立。麒麟麦酒として創業し、戦後はビール国内シェア60%超を達成して長期間にわたり業界首位を維持した。しかし1989年以降のスーパードライ攻勢でシェアが急落し、2001年にトップの座を明け渡した。2008年の協和発酵買収で医薬事業を本格化し、持株会社制に移行後はビール・飲料・医薬の三本柱で経営を再構築。海外ではブラジルのシンカリオール買収やファンケル完全子会社化で事業ポートフォリオの転換を図る。
- SUBARU — 1953年設立。中島飛行機の後身である富士産業の分割会社を統合して富士重工業を設立し、航空機技術を自動車に転用してスバル360で大衆車市場に参入した。水平対向エンジンと四輪駆動を組み合わせた独自の走行性能でニッチ市場を開拓し、レガシィ以降は北米での支持を拡大。GM・日産との提携解消を経てトヨタ自動車と資本提携し、運転支援システム・アイサイトで安全技術でも差別化を実現。2017年にSUBARUへ商号変更。
- キッコーマン — 1917年設立。野田の醤油醸造家8家が合同して野田醤油を設立し、1928年の野田争議を経て近代的な経営体制を確立した。醤油国内シェア首位の地位を固め、1957年に米国法人を設立して海外進出に着手。1972年にウィスコンシン州で北米現地生産を開始し、醤油の国際ブランド化に成功した。デルモンテ商標の取得やコカ・コーラボトリング事業への参入で食品・飲料にも多角化し、グローバル調味料メーカーへと発展を遂げた。
- 味の素 — 1909年創業。池田菊苗博士のうま味発見を事業化し、調味料「味の素」の販売で食品化学の基盤を築いた。戦後は特約店網の全国整備とアミノ酸の発酵法開発で事業を拡大し、1960年代から東南アジアを皮切りに海外進出を本格化した。冷凍食品・医薬品・化成品にも多角化し、欧州のオニケム社やオルサン社の買収でグローバル体制を構築。飼料用アミノ酸の増産と価格改定で収益基盤を強化し、世界有数のアミノ酸企業に成長した。
- ニチレイ — 1942年設立。帝国水産統制株式会社として戦時統制のもと発足し、戦後は日本冷蔵に改称して冷蔵倉庫と水産加工を展開した。1980年代に水産部門の赤字を契機に家庭用冷凍食品のマーケティングを本格化し、唐揚げ原料の輸入調達切り替えや冷食ブランド開発で事業転換を推進。本格炒め炒飯・特からなどヒット商品を生み出し、低温物流事業との両輪でコールドチェーン総合企業に成長した。海外買収によるグローバル化も推進中。
- JT — 1985年設立。日本専売公社の民営化により発足し、国内たばこ市場の縮小に対して海外M&Aで成長の活路を開いた。1999年にRJRナビスコの海外たばこ事業を買収して一気にグローバル化し、2007年のGallaher買収で欧州の製造・販売基盤も確立した。国内では希望退職の募集と不採算工場の大量閉鎖で徹底的な構造改革を断行。加ト吉買収で食品事業にも進出したが飲料からは撤退し、たばこ本社機能をジュネーブに統合した。
- 東洋紡 — 1882年設立。渋沢栄一らが主導した大阪紡績として日本の近代紡績業を切り開き、三重紡績との合併を経て東洋紡績として発展。レーヨン・アクリル・ポリエステルと合成繊維へ段階的に転換し、フィルム・バイオ・人工腎臓用中空糸膜など非繊維分野にも進出した。しかし繊維不況のたびに工場閉鎖と人員削減を繰り返し、国内十数工場を閉鎖。保護フィルムなど機能素材に経営資源を集中させ、機能素材メーカーへの変貌を図っている。
- 鐘紡 — 1887年創業。中上川彦次郎が紡績大合同論を主導し、明治期に日本最大の紡績会社に成長。1933年には日本企業で売上高1位に立ち、化粧品にも進出して総合企業を志向した。しかしグレーターカネボウ構想やペンタゴン経営など野心的な多角化は軌道に乗らず、繊維不況と過剰設備で収益が悪化した。無配転落から工場閉鎖を繰り返し、繊維事業をセーレンに、化粧品事業を花王に売却。2007年に会社解散という悲劇的な結末を迎えた。
- ユニチカ — 1889年設立。尼崎紡績として創業し、大日本紡績を経て1969年に日本レイヨンとの合併でユニチカに。ビニロン・PETフィルム・活性炭繊維など化学繊維に展開し、住宅・不動産事業や医療機器にも多角化を試みた。しかし繊維不況と過剰設備に苦しみ、1977年には三和銀行が経営に介入。資産売却と事業縮小を繰り返しながらナイロンやレーヨンから順次撤退し、2024年についに祖業の繊維事業から完全撤退するに至った。
- 東レ — 1926年設立。レーヨンメーカーの東洋レーヨンとして創業し、米デュポントからのナイロン技術導入と英ICIからのポリエステル技術導入で合繊大手に成長した。1971年に炭素繊維の生産を開始し、脱繊維を否定しながらも基礎研究と設備投資を継続。B777・B787向けの納入で航空機用炭素繊維の圧倒的シェアを確保し、Zoltek買収で自動車向けにも展開。先端材料メーカーとして世界の航空・自動車産業を支えている。
- 北越コーポレーション — 1907年設立。新潟県の製紙会社として創業し、幾多の経営危機や新潟地震・中越地震の被災を乗り越えて成長した。田村文吉ら経営者のもと品質向上と設備投資を推進し、洋紙で国内5位の地位を確保。2006年には王子製紙からの敵対的買収提案を日本製紙・三菱商事との連携で退け、独立を維持した。紀州製紙との経営統合で事業基盤を拡大し、段ボール原紙への製品転換と海外買収で総合製紙メーカーとしての地位を確立している。
- レンゴー — 1909年創業。井上貞治郎が国産初の段ボールを製造し、5社合併で聯合紙器を設立して日本の段ボール産業の礎を築いた。淀川工場の建設と地方工場の展開で段ボール・紙器の一貫生産体制を構築し、大坪清社長のもと業界再編を主導した。セッツの合併や朋和産業の子会社化で軟包装にも進出し、2016年のトライウォール買収では重包装分野でのグローバル展開を実現。独禁法違反を経験しつつも、100年以上にわたり段ボール業界を牽引する。
- 日産化学 — 1887年設立。東京人造肥料として日本初の化学肥料メーカーで創業し、日産財閥傘下を経て独立した。石油化学に進出するも1980年代に2期連続赤字を経験し、塩ビ・ポリエチレンから完全撤退して高機能材への集中投資に舵を切った。日本モンサントやDowAgroScienceからの農薬事業買収で農業化学を強化し、半導体材料・機能性材料にも展開。石油化学からの撤退と高付加価値品への転換で高収益体質を確立した化学メーカー。
- 協和キリン — 1936年設立。協和化学研究所として発酵技術を基盤に出発し、ストレプトマイシンやグルタミン酸ソーダの製造で成長した。医薬品・酒類・化学品・食品の4事業部体制で多角化を進めたが、2000年代以降は酒類をアサヒビールに、化学品を外部に相次いで売却し医薬品に集中。2008年にキリンHDの傘下に入り、協和キリンとして抗体医薬を軸にグローバルスペシャリティファーマへの転換を推進する。英国でのバイオ企業買収も積極化している。
- 花王 — 1887年創業。長瀬富郎が花王石鹸の製造販売で出発し、合成洗剤・紙おむつ・化粧品へと事業領域を拡大した。再販価格維持制度の導入と販社改革で強固な流通網を構築し、EVA経営やトータルコストリダクションなど独自の経営手法で高収益体質を維持。2006年のカネボウ化粧品買収で化粧品大手にも躍進した。中国でのメリーズ展開や海外ブランド買収でグローバル化を推進し、日用品・化学品の両面で事業基盤を強化している。
- 中外製薬 — 1925年創業。中外新薬商会として出発し、解毒剤グロンサンの販売で経営基盤を築いた。1984年に米Genetics Instituteへの資本参加でEPO製造販売権を取得し、バイオ医薬品への転換に着手。2002年にスイスのロシュと戦略提携を締結して研究開発力を飛躍的に強化し、国産初の抗体医薬品アクテムラや血友病治療薬ヘムライブラを生み出した。一般用医薬品事業の譲渡や研究所統合を経て、日本を代表するバイオ製薬企業に成長。
- 日本ペイント — 1881年創業。日本初の塗料メーカーとして光明社を設立し、経営危機を乗り越えて建築・自動車向け塗料に事業を拡大した。1962年にアジア合弁事業NIPSEAを開始し、シンガポールのウットラム家との協業で東南アジア・中国市場を開拓。2014年にウットラムHDからの第三者割当増資を受け入れてアジア合弁事業の連結化を進め、豪Dulux社やCromology HDの大型買収でグローバル展開を加速した。世界有数の総合塗料メーカーへと飛躍している。
- 富士フイルム — 1934年設立。写真フィルムの国産化を目指して創業し、戦前の量産失敗を乗り越えてフジカラーで国内シェア70%を獲得した。しかし2000年代のデジタル化で写真フィルム市場が消失し、古森重隆社長のもと医薬・化粧品・高機能材料への大胆な事業転換を断行。富山化学買収で医薬に参入し、バイオ医薬品製造受託やSonoSite買収でヘルスケアを強化した。富士ゼロックス完全子会社化でドキュメント事業も統合し、複合型企業に変貌。
- 三井金属鉱業 — 1892年設立。三井鉱山の製錬部門を母体に神岡鉱山の亜鉛・鉛精錬で成長した。ペルー・ワンサラ鉱山など海外権益も取得したが、1972年のイタイイタイ病補償で無配転落し、神岡鉱山の段階的縮小を余儀なくされた。1980年代の大規模な人員削減と再建計画を経て、銅箔・TABテープなど電子材料への事業転換を推進。自動車部品の海外生産にも進出し、排ガス浄化触媒の量産を開始。資源会社から先端電子材料メーカーへと変貌を遂げた。
- 三菱マテリアル — 1918年設立。三菱鉱業として非鉄金属・石炭から出発し、超硬工具への進出とセメント事業の統合で三菱マテリアルに改称。シリコンウエハー事業では住友金属と統合してSUMCOを生み出した。しかしアルミ機器・製缶事業での苦戦や品質不正の発覚が経営を揺さぶり、セメント事業はUBEとの統合に至った。事業ポートフォリオの入れ替えを続けながら、銅製錬・超硬工具・電子材料を軸に総合素材メーカーとしての再構築を図っている。
- 住友金属鉱山 — 1927年設立。住友別子鉱山を母体に、江戸時代から続く別子銅山の操業を近代化して非鉄金属製錬に展開した。1962年以降は国内鉱山の閉山を進め、1973年に別子銅山を閉山。1985年の菱刈金山開山と1986年の米モレンシー銅山権益取得で海外資源開発に軸足を移した。電子金属・機能性材料にも進出し、青海工場での電子材料製造や東予製錬所の新設で製錬技術を高度化。資源開発から先端材料まで一貫する非鉄金属の総合メーカー。
- DOWA — 1884年創業。藤田組が小坂鉱山を取得して製錬業に参入し、国内有力鉱山の買収で鉱業基盤を築いた。戦後は同和鉱業として非鉄金属製錬を展開したが、1970年代の鉱山規模縮小を契機に電子材料と環境リサイクルへ事業転換を開始。2002年に吉川廣和社長が就任すると環境リサイクル事業への集中投資を断行し、小坂製錬でのリサイクル炉新設や廃棄物処理事業の買収で業容を拡大した。鉱山会社から環境・リサイクル企業へと変貌を遂げている。
- SMC — 1959年設立。焼結金属工業として創業し、空気圧制御機器に特化して世界トップシェアを確立した。創業初期から全国に営業所・出張所を緻密に配置して即納体制を構築し、顧客囲い込みに成功。1987年の上場後も髙田芳行社長のもとで利益率を追求する経営を貫き、中国・米国での現地生産を拡大した。調査会社による会計疑義の指摘も退け、圧倒的な営業利益率と世界シェアを維持するFA向け空圧機器のグローバルリーダーとして成長を続ける。
- 日立製作所 — 1910年創業。日立鉱山の修理工場から出発し、モーター・タービン・鉄道車両を手がける総合電機メーカーに成長した。GEとの技術提携で外国技術を導入し、半導体・HDD・家電にも展開したが、2002年に最終赤字と2万人削減を経験。2009年の川村隆社長就任を機に社会インフラ・ITへの集中を断行し、非注力事業の売却を加速した。ABBパワーグリッド買収やGlobalLogic買収でデジタル・エネルギー企業に変貌し、構造改革の成功モデルとなった。
- 三菱重工業 — 1917年設立。三菱造船として長崎に創業し、海軍艦艇・航空機・タービンに多角化して日本有数の重工メーカーに成長した。戦後の財閥解体で3社に分割されるも1964年に再合併を果たし、戦闘機・原子力発電・宇宙ロケットで寡占的地位を築いた。一方でMU-300ビジネスジェットの商業的失敗や客船の納期遅れによる巨額損失、SpaceJetの開発断念など民間市場では撤退が相次いだ。防衛・エネルギー・宇宙を柱に2024年に過去最高益を達成。
- 川崎重工業 — 1878年創業。川崎築地造船所として出発し、川崎汽船の設立や航空機・鉄道車両への多角化で総合重工メーカーに発展した。軍縮による和議申請や財閥解体による3社分割を経験したが、1969年に川崎重工・川崎航空機・川崎車輛の3社合併で再統合。二輪車Kawasakiブランドの世界展開に成功し、産業用ロボットにも早期参入した。NY市向け地下鉄車両や防衛省向け哨戒機の製造で実績を積み、防衛・航空・二輪・ロボットを柱とする重工メーカーに。
- IHI — 1889年設立。石川島造船所として東京に創業し、航空機部門と自動車部門をそれぞれ立川飛行機・いすゞ自動車として分離した。1960年に播磨造船所を合併して石川島播磨重工業に改称し、造船・ジェットエンジン・プラントに事業を拡大。豊洲の造船所跡地再開発で不動産収益も確保した。2000年代に船舶海洋事業を分社化して造船から実質撤退し、IHIに商号変更。航空エンジン・ターボチャージャー・防衛を柱とする総合重工メーカーとして再出発した。
- 日産自動車 — 1933年設立。自動車製造株式会社として鮎川義介が日産財閥傘下に設立し、横浜工場での生産から出発した。戦後は英オースチンとの技術提携でブルーバードを生み出し、北米市場で急成長を遂げた。しかし1990年代の販売不振で赤字に転落し、1999年にルノーとの提携でカルロス・ゴーンが社長に就任。日産リバイバルプランで劇的な再建を果たしたが、2018年のゴーン逮捕で再び経営が混迷。ホンダとの経営統合協議など再建の模索が続いている。
- いすゞ自動車 — 1937年設立。石川島造船所の自動車部門を母体に東京自動車工業として発足し、ディーゼルエンジン技術で商用車メーカーの地位を築いた。日野自動車を分離し、小型トラック・エルフの投入で市場シェアを拡大。1971年にGMとの全面提携で乗用車ジェミニも手がけたが、1992年に乗用車から撤退して商用車に特化した。タイ現地法人の子会社化や東南アジアでのピックアップトラック展開でグローバル化を推進し、ボルボとの協業でUDトラックスも傘下に収めた。
- トヨタ自動車 — 1937年設立。豊田自動織機の自動車部を母体に豊田喜一郎が創業し、戦後の経営危機では人員削減と工販分離で再建を果たした。かんばん方式で生産革新の世界標準を生み出し、クラウン・カローラで国内市場を制覇。1984年のGMとのNUMMI合弁を皮切りに北米現地生産を本格化し、レクサスで高級車市場にも参入した。1997年のプリウス発売でハイブリッド技術を先導し、中国・欧州にも展開。世界最大級の自動車メーカーとして成長を続けている。
- 日野自動車 — 1942年設立。いすゞ自動車の完全子会社として日野重工業を設立し、ディーゼルエンジンとトラックの製造で出発した。1961年に小型乗用車コンテッサを投入したが、1966年にトヨタ自動車との業務提携で大型トラックに特化する方針に転換。大型トラックで国内トップシェアを確保し、フィリピン・インドネシア・北米で海外展開を拡大した。2001年にトヨタの子会社となったが、2022年に検査不正が発覚して赤字転落。三菱ふそうとの経営統合を模索する。
- 三菱自動車 — 1970年設立。三菱重工業の自動車部門を分離して発足し、クライスラーとの資本提携で海外展開の足がかりを得た。パジェロやランサーで海外市場を開拓し、東南アジアではタイ現地法人の子会社化で生産基盤を構築した。しかし2001年と2004年に二度のリコール隠しが発覚して経営危機に陥り、ダイムラークライスラーとの提携も解消。三菱グループの支援で存続し、2016年に日産自動車と戦略提携を締結してルノー・日産アライアンスに参画した。
- マツダ — 1920年創業。東洋コルク工業としてコルク製造から出発し、三輪トラックで自動車産業に参入した。1967年にロータリーエンジン搭載車を発売して世界に名を馳せたが、1975年の排ガス規制で赤字に転落し、米フォードとの資本提携で再建を図った。防府工場の新設と北米現地生産で事業を拡大したが、5チャンネル体制の失敗で再び業績が悪化。フォードの資本撤退後はトヨタと提携し、SKYACTIVテクノロジーで内燃機関の効率化を先導する独自路線を歩む。
- スズキ — 1909年創業。鈴木道雄が織機製造所として創業し、1952年に二輪車、1955年に軽自動車スズライトで四輪車に参入した。1978年に鈴木修が社長に就任すると、軽自動車アルトのヒットで国内市場を開拓。1982年にはインド国営企業マルチへの出資で新興国戦略の基盤を築き、マルチ・スズキをインド最大の自動車メーカーに育てた。GMやフォルクスワーゲンとの提携を経てトヨタ自動車と資本提携。軽自動車とインド市場を武器に独自の地位を確立する。
- ヤマハ発動機 — 1955年設立。ヤマハ発動機として楽器メーカー・ヤマハから二輪車製造部門を分離独立し、二輪車で世界第2位のシェアを確立した。1960年にマリン事業に参入して船外機でも世界トップクラスの地位を築き、1984年には産業用ロボットにも進出。HY戦争でホンダとの激しい二輪車競争を経験し、赤字転落からの再建も果たした。東南アジアやベトナムでの現地生産を拡大し、二輪車・マリン・ロボティクスの三本柱で感動創造企業を目指すモビリティメーカー。
- オリンパス — 1919年に高千穂製作所として創業し、顕微鏡製造から出発。1950年に世界初の胃カメラを開発して医療機器に参入し、1960年代にはカメラのペンシリーズが爆発的にヒット。内視鏡事業を本格化させ、医療機器メーカーとしての地位を確立した。2011年に長年の不正会計が発覚し経営危機に陥るも、アクティビスト投資家の関与を経て医療分野への集中投資を決定。2020年にカメラ事業を売却し、医療機器専業へと転換を遂げた。
- サントリー — 1899年に鳥井信治郎が鳥井商店を個人創業し、1907年に赤玉ポートワインを発売。1923年にウイスキー製造に参入して国産洋酒の礎を築いた。1963年にビール事業への再参入を決断し、清涼飲料や健康食品にも事業領域を拡大。非上場を維持しながら積極投資を続け、2009年のオランジーナ買収、2014年の米ビーム買収で世界有数の蒸留酒メーカーへ躍進した。ウイスキー・ビール・清涼飲料の三本柱でグローバル展開を加速している。
- ABCマート — 1985年設立。韓国での靴生産と国内小売を組み合わせたSPAモデルで創業し、ホーキンスの独占販売権取得と木村拓哉起用のTVCMで知名度を獲得した。1999年からABCマートの積極出店をショッピングセンター中心に展開し、銀座に自社ビルを取得するなど都心部にも攻勢をかけた。韓国・台湾をはじめアジア各国への海外進出と旗艦店業態GRANDSTAGEの展開により、国内1000店舗を突破した靴専門チェーン最大手に成長。
- 日本マクドナルド — 1971年設立。藤田田が米マクドナルド社と合弁で日本マクドナルドを設立し、銀座三越に1号店を開業した。都市圏での積極的な多店舗展開と独自のマーケティングにより、1984年に外食産業で初の売上高1000億円を突破。1990年代に出店余地が飽和するとハンバーガーの大幅値下げに踏み切ったが低価格路線は行き詰まり、2003年に藤田家が経営権を喪失した。原田泳幸CEOの店舗運営改革で再建を図り、現在も業績改善が続く。
- セブン&アイHD — 1958年設立。伊藤雅俊がイトーヨーカ堂として小売業を拡大し、1974年に米セブンイレブンのフランチャイズで日本にコンビニ文化を創造した。鈴木敏文の指揮のもとPOS導入と高密度出店戦略を推進し、国内1万店・世界3万店超のコンビニ網を構築。7-Eleven米国法人の完全子会社化やSpeedway買収でグローバルコンビニ最大手に成長したが、百貨店・スーパー事業の不振が続き、アクティビストの圧力にも直面している。
- ロート製薬 — 1899年創業。信天堂山田安民薬房として胃腸薬の販売で出発し、1909年に点眼薬ロート目薬を発売して眼科領域に参入した。1975年に軟膏メンソレータムの商標使用権を取得し、1988年には米国メンソレータム社を買収してグローバルブランドを獲得。化粧品・スキンケアに本格投資し、東南アジアへの生産拠点展開も積極化した。副業容認制度の導入など独自の人事施策でも注目を集め、大衆薬メーカーから総合ヘルスケア企業へと進化を遂げた。
- コマツ — 1921年設立。石川県小松に創業し、国産ブルドーザーの試作に成功して建設機械メーカーとしての礎を築いた。戦後は米軍需砲弾の生産で経営を安定させ、全社的品質管理の推進とブルドーザーの量産投資で急成長。1998年に開発した機械稼働管理システムKomtraxで差別化を図り、IoTの先駆けとなった。脱建機路線のシリコンウエハー投資は撤退に終わったが、2017年の米ジョイグローバル買収でマイニング事業を強化し、世界第2位の建機メーカーの地位を固めた。
- 日立建機 — 1970年設立。日立製作所の建設機械部門を母体に製販統合で発足し、油圧ショベルを主力機種として成長した。米ジョン・ディア社向けのOEM輸出で北米市場を開拓し、アジアや欧州にも販売拠点を拡充。2009年のカナダ・ウェンコ社買収でマイニング分野にも進出した。2021年のディア社との合弁解消後は自社ブランドでの北米展開を加速し、筆頭株主が日立から投資会社に移るなど、独立した総合建設機械メーカーとしての道を歩んでいる。
- クボタ — 1890年創業。久保田権四郎が鋳鉄管の製造で起業し、耕うん機・トラクターで農機メーカーに転身した。1972年から欧米へのトラクター量産輸出を開始し、海外市場を開拓。2012年のノルウェーKverneland買収と2022年のインドEscorts買収でグローバル農機大手に成長した。一方で水道管カルテルの発覚やアスベスト問題にも直面。水環境インフラ事業でも世界展開を進め、農機と水の両輪で成長する総合機械メーカーへと発展した。
- ファナック — 1972年設立。富士通のNC装置部門を母体に稲葉清右衛門が設立し、NC・サーボモータ・ロボットの三本柱を早期に確立した。シーメンスとの技術協力やGMとのロボット合弁で国際展開を加速し、1985年にはNC世界シェア70%と売上高経常利益率36%を達成。山梨県忍野村に本社と工場を集約する独自の立地戦略を貫き、富士通の持株売却後も高収益体制を維持した。稲葉親子二代の経営のもと、工作機械の頭脳として世界の製造業を支え続ける。
- HOYA — 1941年に東洋光学硝子製造所として創業し、光学ガラスの製造から出発。戦後にクリスタルガラスへ参入し、1958年にメガネ事業、1974年に半導体用マスク基板の製造を開始するなど多角化を推進。1994年以降はROE重視の経営に転換し、不採算事業の撤退を進めた。2000年代に生産拠点を東南アジアへ移管し、眼鏡レンズ事業の買収を重ねてライフケア分野を強化。EUVマスクブランクスなど先端素材でも存在感を示す。
- キヤノン — 1933年に精機光学研究所として発足し、カメラ製造を開始。戦後は北米輸出を軸に成長したが、1957年のカメラ不況や1975年の無配転落など幾度かの経営危機を経験。1967年に右手にカメラ左手に事務機の方針を掲げて複写機・プリンター事業に進出し、二本柱の事業構造を確立した。1985年にHP社とLBPのOEM提携を結び事務機で躍進。2000年代以降は医療機器やネットワークカメラなどM&Aによる事業多角化を推進している。
- ヤマハ — 1897年に日本楽器製造として設立し、ピアノの製造から出発。1950年に川上源一が社長に就任して多角化を推進し、ヤマハ発動機の設立、音楽教室の組織化、エレクトーンやオーディオ機器、半導体など事業領域を大幅に拡大した。1983年の社長交代を機に事業部制を導入して経営を立て直したが、2000年に最終赤字407億円に転落。以降は多角事業の整理とヤマハ発動機の株式売却を進め、楽器・音響機器への回帰を図った。
- サンリオ — 1960年に山梨シルクセンターとして設立し、ギフト商品の販売から出発。1974年にハローキティを企画し、キャラクターのライセンス供与を主軸とするビジネスモデルを確立した。1990年にサンリオピューロランドを開園したが、バブル期の株式投資失敗で8期連続の最終赤字に陥り自己資本比率3%まで悪化。1999年に高校生の間でハローキティブームが到来し業績が回復。2009年以降は海外展開を加速し、テーマパークと物販の需要回復で再成長を果たした。
- そごう — 1830年に大和屋として開業し、1877年に十合呉服店へ改称、1919年に百貨店へ業態転換。1962年に水島廣雄が社長に就任し積極出店を推進、千葉・横浜・大宮など大型店を相次ぎ開業して1992年に百貨店業界で売上高首位に到達した。しかし過剰投資による負債の拡大が経営を圧迫し、1995年に水島社長が引責退任。2000年に東京店を閉鎖したのち民事再生法の適用を申請し、百貨店最大手の座から倒産に至った。
- 丸井 — 1937年に設立し、月賦販売を主力に成長。1960年に店舗専用クレジットカードを発行し、都心部への大型店集約とヤング向けファッションへの転換で独自の小売モデルを構築した。1981年にキャッシング事業に参入して収益を拡大したが、2006年の改正貸金業法で財務体質が悪化。2005年に青井浩が社長に就任し、不採算店舗の整理とカード事業の強化を断行。VISAと提携したエポスカードを軸に11年連続増益を達成した。
- 三菱地所 — 1890年に三菱財閥が丸ノ内を一括買収し、1894年の三菱1号館竣工で赤レンガ街の開発を開始。1937年に三菱地所を設立し、戦後は丸ノ内ビルヂングや大手町ビルの建設でオフィス街を形成した。1959年に丸ノ内総合改造計画を策定し、以後60年以上にわたり同地区の再開発を主導。1990年のロックフェラーグループ出資で国際展開にも着手し、丸ビル・新丸ビルの建て替えや虎ノ門ヒルズなど大型再開発を推進している。
- アドビ — 1982年にジョン・ワーノックとチャールズ・ゲシキがAdobe Systemsを設立。1985年にAppleへPostScriptを販売しDTP革命の基盤を築き、IllustratorやPhotoshopでクリエイティブツールの業界標準を確立した。1993年にPDFを開発して文書フォーマットの標準化を主導。2005年のMacromedia買収を経て、2013年にCreative Cloudでサブスクリプションモデルへ転換し、デジタルマーケティング領域のM&Aも積極化した。
- 横河電機 — 1920年設立。横河電機製作所として計測器の製造から出発し、米フォックスボロ社との技術提携で工業計測の基盤を築いた。1963年にはヒューレットパッカードとの合弁で電子計測器にも進出。1975年に総合制御システムCENTUMを発表して産業オートメーション事業に本格参入し、1983年の北辰電機との合併で制御・計測技術を統合した。HP合弁の解消やGE合弁の終了を経て、プラント向けデジタルトランスフォーメーションを推進する制御システムメーカーに。
- 森ビル — 1955年に森不動産を設立し、東京都港区でナンバービルの建設を開始。1974年に六本木赤坂地区の再開発構想を公表し、1985年にアークヒルズを竣工させて大規模複合開発の先駆けとなった。創業者の森泰吉郎が1993年に逝去した後も開発路線を継続し、2003年に六本木ヒルズ、2014年に虎ノ門ヒルズを相次ぎ竣工。2023年には総事業費5800億円の麻布台ヒルズを完成させ、港区を中心とした都市再開発を一貫して主導している。
- イビデン — 1912年設立。揖斐川電力として水力発電とカーバイド製造から出発し、電力事業の国家統制を機にカーバイド専業に転換した。1970年代にプリント配線板に参入し、1994年のインテル攻略プロジェクトでパッケージ基板のトップサプライヤーに躍進。フィリピン・マレーシアでの海外量産体制を構築し、DPFでは自動車排ガス浄化市場にも参入した。電力会社から先端半導体部材・自動車部品メーカーへという異色の事業転換を遂げている。
- ニデック — 1973年設立。永守重信が京都で日本電産を創業し、直流ブラシレスモータの製造から出発した。HDD用スピンドルモータで世界シェアを獲得し、流体動圧軸受技術で競合を圧倒。1994年以降は買収を積極化してHDD依存からの脱却を図り、三協精機やエンブラコなど世界各地のモータメーカーを傘下に収めた。車載・産業用モータへの事業転換を推進し、オムロンのオートモーティブ事業買収も断行。精密小型から総合モーターメーカーへと飛躍した。
- 赤井電機 — 1924年創業。赤井三郎がテープレコーダーの製造で起業し、高品質な音響機器の輸出で海外市場を開拓した。国内での販売に頼らず輸出に特化するビジネスモデルで成長し、1968年に東証二部上場を果たした。しかし1973年に創業者が社長在任中に急逝すると経営が混乱し、ビデオ参入と円高ドル安の直撃で収益性が悪化。三菱銀行の経営支援やセミテックグループの支援も効果を上げられず、2000年に民事再生法の適用を申請して倒産した。
- アドバンテスト — 1954年設立。タケダ理研工業として電子計測器の開発で創業し、国産初のICテスタで半導体検査装置に転換した。コンピュータ計測事業の失敗で創業者が解任される社内クーデターを経験したが、富士通の救済支援を受けてICテスタに経営資源を集中。100MHzテストシステムの開発で技術的優位を確立し、1996年に半導体検査装置で世界シェア約40%を獲得した。半導体市況の波で赤字と好況を繰り返しながら、検査装置の世界的リーダーに成長。
- 京セラ — 1959年設立。稲盛和夫が京都で京都セラミックを創業し、IC向けセラミック基板をIBMに納入して半導体パッケージで世界シェア70%を獲得した。積層パッケージの量産投資で急成長し、買収による多角化で事務機器・通信機器・電子部品に事業を拡大。1984年には第二電電企画の設立に参画し、通信事業にも進出した。セラミックパッケージの素材転換失敗で利益率が低下する局面もあったが、稲盛和夫の経営哲学で知られる総合電子部品メーカーとして発展。
- ニコン — 1917年に三菱合資会社の出資で日本光学工業を設立し、光学ガラスの量産化に成功。軍需生産の拡大を経て戦後はカメラ・レンズの民需転換を推進し、高級カメラで国際的な評価を確立した。1980年に半導体露光装置ステッパーに参入して二本柱体制を構築したが、1999年に顧客転換の失敗で赤字に転落。カメラ生産のタイ・中国への移管が進み、近年は眼底カメラや3Dプリンターへの参入で新たな事業領域の拡大を模索している。
- SCREEN HD — 1868年に石田旭山印刷所として創業。1943年に大日本スクリーン製造所を設立し、印刷関連機器の製造を主力とした。1975年に半導体製造装置のエッチング分野に参入し、1985年にウエハ洗浄装置の生産拠点として洛西工場を新設。1994年に電子工業向け機器が印刷関連を上回り事業構成が逆転した。2000年代に印刷事業を分割し半導体洗浄装置に経営資源を集中、2022年にウエハ洗浄装置で世界シェア首位を獲得した。
- ヤオハン — 1930年に八百半熱海支店として創業し、1962年に和田一夫が33歳で社長に就任。現金正札廉価販売を武器に静岡県内で多店舗展開を進め、1971年にブラジル、1974年にシンガポールへ出店するなど早くから海外展開に着手した。1990年に香港へグループ本社を移転し国際流通グループを志向したが、国内店舗の過剰投資と有利子負債の膨張が経営を圧迫。粉飾決算も発覚し、1997年に会社更生法の適用を申請して倒産に至った。
- ZOZO — 1998年設立。前澤友作がCD・レコードのECサイトから出発し、2004年にZOZOTOWNを開設してファッション通販事業に転換した。ユナイテッドアローズなど有力セレクトショップの出店を獲得し、日本最大級のファッションECプラットフォームに成長。ツケ払いサービスの導入やZOZOBASEへの大規模物流投資で事業基盤を強化した。2019年にZホールディングス傘下に入り、ペイペイモールとの連携で新たな成長を模索する。
- メルカリ — 2013年設立。山田進太郎がスマホアプリ「メルカリ」をリリースし、日本のC2C市場を開拓した。テレビCMと大型資金調達で急成長し、ヤマト運輸との提携で物流基盤を整備。2018年に東証マザーズに上場したが、米国子会社での巨額減損や情報漏洩・不正決済の問題にも直面した。メルペイの設立で決済領域に進出しOrigamiを買収するなどフィンテック展開も推進。鹿島アントラーズの株式取得でスポーツ事業にも参入している。
- リクルートHD — 1960年創業。江副浩正が大学新聞の広告取次として個人創業し、就職情報誌から住宅・旅行・結婚など生活領域の情報メディアを次々と創刊した。1988年のリクルート事件で経営危機に陥るも、ダイエーの資本参加を受けて再建。ホットペッパーやリクナビのネット移行で収益基盤を強化し、2012年のIndeed買収でHRテクノロジー企業に転換した。2014年の上場後はGlassDoor買収など海外投資を加速し、グローバル人材マッチング市場を牽引する。
- ダイキン — 1924年設立。大阪金属工業所として創業し、住友との資本提携を経てフロンの国産化に成功した。戦後は軍需からの転換で苦しんだが、1958年のルームエアコン参入で空調事業に本格進出。ココム違反問題を乗り越え、新冷媒HFC32の開発で環境対応を先導した。2006年のOYL社買収と2012年の米Goodman買収でグローバル空調メーカーの地位を確立し、R32冷媒の採用推進で業界の脱フロン化を牽引する世界最大級の空調専業メーカーに成長。
- パナソニック — 1918年創業。松下幸之助が電気器具製作所として個人創業し、自転車用ランプとナショナルブランドで事業を拡大した。水道哲学を掲げて事業部制を採用し、戦後は家電量産で日本の家電王国を築いた。フィリップスとの技術提携やMCA買収で国際化を進めたが、プラズマテレビの失敗で2012年に巨額赤字に転落。三洋電機・パナソニック電工の統合を経て、テスラ向け電池や車載事業に注力する持株会社制に移行し、構造改革を推進している。
- シャープ — 1912年創業。早川徳次が金属加工の個人事業で起業し、関東大震災で工場を失い大阪に移転。電卓CS-10Aの開発で電子機器メーカーに転身し、液晶技術の蓄積で独自の地位を築いた。2004年の亀山工場新設で液晶パネルの大型投資に踏み切り、液晶テレビAQUOSで一世を風靡。しかし堺工場への追加投資が裏目に出て巨額赤字に転落し、2016年に鴻海精密工業の出資を受け入れて台湾企業傘下で再建を図ることとなった。
- 三洋電機 — 1947年創業。井植歳男が松下電器から独立し、プラスチックラジオや噴流式洗濯機で成長した。1960年代にはカラーテレビの量産投資と海外展開を推進し、北米でのテレビ現地生産にも着手。1990年以降は二次電池への傾斜投資で技術力を蓄積し、リチウムイオン電池で世界的な競争力を獲得した。しかし井植家による同族経営の弊害が表面化し、有機ELへの巨額投資失敗と財務悪化が重なって2011年にパナソニックに完全子会社化される結末を迎えた。
- パイオニア — 1938年創業。福音商会電気製作所としてスピーカー専業で出発し、世界初のセパレートステレオ、家庭用レーザーディスクプレーヤー、GPSカーナビゲーションと約10年周期で事業の柱を転換した。LDカラオケでの成功やカーナビでの先行で一時代を築いたが、2000年代にプラズマディスプレイへの巨額投資が液晶テレビの台頭で裏目に出て1万人削減に追い込まれた。カーオーディオに集中投資するも財務毀損は回復せず、2019年に上場廃止。
- 日本ビクター — 1927年設立。米ビクターの日本法人として蓄音機製造で出発し、日産財閥・東芝・松下電器と親会社が変遷した。1976年に松下電器がVHS規格を採用したことでビデオ戦争に勝利し、VHSテープの大増産で売上高7000億円超に急成長。S-VHSの投入で技術的優位を維持したが、VHS需要の消失とデジタル化への対応遅れで1993年に最終赤字430億円を計上。業績回復を果たせないまま2008年にJVCケンウッドとの経営統合に至った。
- キーエンス — 1972年創業。滝崎武光がリード電機を設立し、切断機事業からの撤退を経てセンサーに集中投資する決断を下した。光学センサー・半導体レーザーセンサー・プログラマブルコントローラと製品ラインを拡大し、直接販売と高付加価値戦略で営業利益率50%超を実現。営業利益を賞与で還元する独自の報酬体系で優秀な人材を確保し、グローバル展開も加速させた。情報開示に消極的との批判を受けつつも、日本屈指の高収益企業として成長を続ける。
- 光通信 — 1988年に設立し、携帯電話の回線販売事業で急成長。1996年に株式を店頭公開、1999年に東証1部上場を果たしたが、2000年にHITSHOP問題で架空契約が発覚し経営危機に陥った。有利子負債の圧縮と複写機営業の強化で2004年に黒字転換し、以降はウォーターサーバーや電力事業など販売品目を拡大。営業職の大量採用による訪問販売モデルを基盤に、2018年に時価総額1兆円を突破し2024年に過去最高益を達成した。
- 日本触媒 — 1941年設立。ヲサメ合成化学工業として創業し、空襲で本社を焼失する苦難を経て日本触媒化学工業に改称。無水マレイン酸の製造から出発し、酸化エチレン・アクリル酸へと主力製品を転換した。1985年に高吸水性樹脂SAPの製造を開始し、紙おむつ市場の拡大に乗って世界的シェアを獲得。米国・欧州・インドネシアに製造拠点を展開し、住友化学との事業交換でアクリル酸事業を強化。姫路での爆発事故も経験した触媒技術基盤の化学メーカー。
- サイバーエージェント — 1998年設立。藤田晋がインターネット広告代理事業で創業し、渋谷に本拠を構えてネット広告市場の拡大とともに成長。村上ファンドの株主提案や終身雇用宣言など独自の経営判断で話題を集めた。2005年にアメーバ事業に参入し、2011年のスマホシフト宣言で業界に先駆けてモバイル対応を断行。2015年にはAbemaTVを設立してインターネットテレビに巨額投資を継続し、広告・ゲーム・メディアの三本柱で成長を続ける。
- 豊田自動織機 — 1926年設立。豊田佐吉がG型自動織機の特許収入を元手に設立し、1933年に自動車部を新設してトヨタ自動車の源流となった。戦後はフォークリフト・カーエアコン・繊維機械に多角化し、トヨタグループの中核企業として受託生産車種を拡大。BTインダストリーズやVanderlande買収で物流機器のグローバル展開も進めた。メキシコ事業での失敗やリーマンショックの赤字を乗り越え、多角的な事業基盤でトヨタグループを支えている。
- セリア — 1985年創業。岐阜県大垣市で移動販売業から出発し、1994年に100円ショップの常設店舗展開に業態を転換した。独自開発のPOSシステムと発注支援システムを全店に導入して高収益体制を構築し、業界上位に躍進。2003年に商号をセリアに変更してブランドを刷新し、新店舗コンセプトで店舗イメージを一新した。首都圏進出と積極出店で成長を加速させ、巣ごもり特需で最高益を達成。円安による仕入コスト増が足元の課題。
- 靴のマルトミ — 1950年に丸富靴店として開業し、1957年に合資会社化。1965年に掛け売り禁止の方針を打ち出し、1975年に郊外型店舗へシフトして靴流通センターの全国展開を推進した。1983年に全店オンライン化、1986年に国内シェア首位を獲得。バブル期には玩具店BANBANの多角展開にも着手し、1990年に株式上場、1993年に1700店舗を突破した。しかし1994年に17期ぶりの減益へ転じ大量閉店を実施、2000年に民事再生法を申請して倒産した。
- 武田薬品工業 — 1781年創業。薬種商として近江屋で開業し、武田製薬所の設立を経て近代製薬企業に転換した。大衆薬アリナミンの大ヒットで知名度を高め、リュープリン・タケプロン・プログラフなど大型新薬を次々と輩出。2000年代以降は非注力事業の売却を進め、ミレニアム・ナイコメッド・ARIADの買収で海外パイプラインを獲得した。2019年のShire買収で世界トップ10入りを果たし、希少疾患・血漿分画製剤を中核とするグローバル製薬企業に変貌。
- 帝人 — 1918年設立。帝国人絹としてレーヨン製造から出発し、鈴木商店傘下で成長。戦後は大屋晋三社長のもとアセテート・ポリエステル・ナイロンと合繊に多角化し、祖業のレーヨンから完全脱却した。医薬品ではベニロンやフェブリクを生み出し、IT分野にも進出。2000年のアコーディス社アラミド繊維事業買収でグローバル特殊繊維に進出し、杏林製薬買収の撤回やポリエステルフィルム譲渡を経て素材・医薬複合企業へと変貌した。
- RJRナビスコ — 1898年にNational Biscuit Companyとして発足し、オレオやリッツなど定番ビスケットを生み出した。1941年にナビスコに改称し海外展開と多角化を推進。1985年にたばこ大手RJレイノルズとの合併でRJRナビスコが誕生したが、1989年にKKRによる史上最大規模のLBOで買収された。ガースナーCEOが経営再建を主導し事業売却と人員削減を断行。1999年にたばこ事業をJTに売却後、2000年にフィリップモリスに買収され消滅した。
- デンソー — 1949年設立。トヨタ自動車の電装部品部門を分離して日本電装として独立し、朝鮮特需を機に業績を安定させた。ロバートボシュとの技術提携でエンジン制御技術を獲得し、カーエアコン・エレクトロニクス・安全システムへと事業領域を拡大した。売上高1兆円計画を掲げて国内外に製作所を新設し、北米・中国・東南アジアでグローバル生産体制を構築。ADAS・電動化技術への投資を加速させ、モビリティ社会の変革を牽引するグローバルサプライヤーに成長した。
- 日本製鉄 — 1970年設立。八幡製鐵と富士製鐵の合併により新日本製鐵として発足し、粗鋼生産で世界最大級の鉄鋼メーカーとなった。大分製鉄所の新設で生産体制を拡充する一方、鉄鋼不況のもと4次にわたる合理化で釜石の高炉停止など国内生産体制を大幅に再編。半導体やエレクトロニクスへの多角化は撤退に至った。2012年に住友金属工業と経営統合して日本製鉄に改称し、日新製鋼買収やUSスチール買収計画などグローバル鉄鋼再編を主導する。
- ブリヂストン — 1931年設立。石橋正二郎が日本足袋の事業部からタイヤ製造を独立させ、石橋家100%出資の同族企業として創業した。地下足袋で培ったゴム技術を自動車用タイヤに転用し、戦後のモータリゼーションに乗って国内シェアを拡大。1961年の上場まで30年間非上場を維持し、石橋家は富裕税日本1位の蓄財に至った。1988年の米ファイアストン買収で世界最大級のタイヤメーカーに躍進し、品質問題を乗り越えてグローバル経営体制を確立した。
- 資生堂 — 1872年創業。東京銀座の薬局から化粧品に参入し、チェインストア方式と花椿ブランドの確立で国内シェア首位を獲得した。戦後は五ヵ年計画で成長基盤を整え、掛川・久喜への工場新設で生産体制を拡充。1986年の仏カリタ社買収を皮切りに海外M&Aを積極化し、米ベアエッセンシャルやDrunk Elephant買収でグローバルビューティー企業を志向した。近年はパーソナルケア事業の売却やスキンケア・プレステージへの集中で構造改革を推進する。
- 日本特殊陶業 — 1936年設立。日本碍子の技術を基盤にスパークプラグの製造で創業し、戦後の生産改善と積極的な海外展開で点火プラグの国内シェア70%を確保した。補修用市場での高収益体制を築きながら、1967年にはセラミックICパッケージにも参入して半導体向け事業を開拓。ブラジル・東南アジア・欧米に生産拠点を展開し、インテル向け樹脂パッケージの量産も手がけた。スパークプラグ10億本生産を掲げる自動車点火プラグの世界的メーカー。
- ニトリ — 1967年に札幌市内で似鳥家具店として創業。1978年にチェーン化構想を打ち出し、ドミナント展開で北海道内の基盤を固めた。1989年に札幌証券取引所へ上場後、1993年に本州進出を開始。インドネシアやベトナムでの海外生産と独自の物流網を構築し、製造から小売までを一貫して手がけるSPA型モデルを確立した。2002年に東証1部上場、2020年に時価総額2兆円を突破したが、2024年に36期連続の増収増益記録が途絶えた。
- ソフトバンクグループ — 1981年に孫正義が日本ソフトバンクを設立し、ソフトウェア流通から出発。1996年にヤフー設立やテレビ朝日株取得などインターネット関連投資を矢継ぎ早に展開した。2001年にADSL参入でブロードバンド事業に進出し、2006年のボーダフォン買収で携帯キャリアに参入。2014年のアリババ上場で巨額の含み益を獲得し、2016年に英ARMを約3.3兆円で買収。2017年にビジョン・ファンドを組成し投資持株会社への転換を鮮明にした。
- KDDI — 1984年に京セラ稲盛和夫の主導で第二電電企画を設立し、通信自由化を機に長距離電話に参入。1987年にセルラー子会社を通じて携帯電話事業にも進出した。2000年にDDI・KDD・IDOの三社合併でKDDIが発足しauブランドを立ち上げ。CDMA方式への一本化や着うたなど独自サービスで契約者数を伸ばした。2010年代以降はJCOMへの資本参加や金融事業の展開でau経済圏の拡大を推進し、2024年にはローソンへのTOBを実施した。
- サイゼリヤ — 1967年に理系出身の正垣泰彦が千葉県本八幡で飲食店を個人開業。1968年にイタリア料理店サイゼリヤへ転換し、全メニュー半額化で繁盛店に転じた。悪立地・低価格・素材重視を経営の三原則に掲げ、投資リターン20%を基準に全国展開を推進。広告宣伝費を売上高比0.3%に抑え食材原価に集中投資するモデルを確立し、オーストラリアの自社工場など供給網を内製化。1998年に株式上場、2000年に東証1部へ移行した。
ビジネスパーソンに長期視点を普及するため、1人で開発・執筆・運営をしています。
約100社の歴史と経営判断を、創業から現在まで業績データとともに時系列で記録し、日々のニュースや決算だけでは見えない、企業の本質的な強さと経営課題をたどります。
The社史
116社の歴史・758回の経営判断
1960年
創業
レーザーテック
NEW売上高
2,514億円
2025/06
当期純利益
846億円
2025/06
1960年創業。X線テレビカメラの開発から出発し、下請けから脱却して1976年に世界初のフォトマスク欠陥検査装置を開発。半導体業界に不可欠な検査装置メーカーとしての地位を確立した。創業者の内山康が61歳で急逝する試練を経ながらも、位相シフト量測定装置やマスクブランクス検査装置で次々と世界初の製品を生み出した。2017年にはEUV光源を用いた検査装置を世界で初めて実用化し、最先端半導体の製造に不可欠な唯一のサプライヤーとなった。
1930年
創業
TDK
NEW売上高
19,021億円
2022/03
当期純利益
1,836億円
2022/03
1935年創業。東京工業大学で発明されたフェライトの工業化を目的に設立され、世界初のフェライトコア製品化に成功した。磁気テープで世界シェア首位を獲得し、VHSビデオテープの大増産で黄金期を築いたが、デジタル化の波で2002年に初の営業赤字に転落。ATL買収でリチウムイオン電池事業に参入し、EPCOS買収で受動部品を強化。磁気テープ事業から完全撤退する一方、電池と電子部品を新たな柱に据えて売上高2兆円超のメーカーに再成長した。
1948年
創業
アルプスアルパイン
NEW売上高
9,640億円
2024/03
当期純利益
-298億円
2024/03
1948年創業。片岡勝太郎がラジオ用バリコンの製造で東京都大田区に片岡電気を設立し、テレビ用チューナーやタクトスイッチへと製品を拡大して電子部品の総合メーカーに成長した。1967年にモトローラとの合弁でカーオーディオ事業に参入しアルパインブランドを生み出したが、バブル崩壊後の大規模リストラやリーマンショックの営業赤字を経験。2019年にアルパインと経営統合してアルプスアルパインに改称し、車載・スマホ向け電子部品メーカーとして再出発した。