The社史 — 上場企業の歴史を振り返る
日本の上場企業を中心とした253社の企業史をまとめた個人サイト。創業から現在に至る意思決定の軌跡を、財務データや業績推移とともに記録しています。
- ルネサスエレクトロニクス — 2010年の3社統合で日本最大の半導体会社が生まれたが、誕生と同時に東日本大震災で主力の那珂工場が被災し、3期で累計3,400億円超の純損失を計上した。2013年に産業革新機構・トヨタ・日産等が第三者割当を引き受けて実質的な公的救済に入り、車載マイコンという狭い一角に縮小均衡することで黒字を取り戻した。 2018年に就任した柴田英利CEOは「縮みっぱなしからの脱却」を掲げ、Intersil・IDT・Dialog・Altiumと立て続けに海外買収を重ねて車載一本足からアナログ・パワー・EDAへとポートフォリオを広げた。2022年には営業利益4,242億円という統合後最高益を記録するが、2025年にはSiC調達先Wolfspeedの破綻で2,376億円の減損を計上し、再び雇用構造改革に踏み切っている。
- セイコーエプソン — 1942年に信州諏訪でウオッチ部品加工会社として生まれた会社が、1964年の東京オリンピック公式計時用プリンターをきっかけにコンピュータ周辺機器に進出し、1985年には『EPSON』の名を冠した子会社を吸収合併してセイコーエプソンとなった。ドットマトリクスプリンター、インクジェット、液晶プロジェクターと、時計技術の応用で主力製品を次々に拡張した多角化の物語である。 しかし2000年代に入ると液晶・水晶デバイス事業が構造不況に陥り、2009年3月期には純損失1,113億円を計上した。電子デバイス事業の縮小とプリンティング事業への回帰を10年かけて実行した結果、現在は売上1.3兆円のうちプリンター・プロジェクター・産業印刷が中心の事業ポートフォリオに組み替わっている。
- カシオ計算機 — 1946年に樫尾4兄弟が東京三鷹で始めた製作所が、1957年に世界初の小型純電気式計算機14-Aを世に出してカシオ計算機となった。1972年の『カシオミニ』12,800円による電卓の大衆化、1983年のG-SHOCK登場、1980年の電子楽器カシオトーンと、「需要創造型のオンリーワン商品」を連発することで売上6,000億円超の総合電子機器メーカーに成長した。 ただし2000年代以降、デジタルカメラ・携帯電話・電子辞書といった多角化の各事業がスマートフォンの登場で軒並み縮小し、売上は半減した。残ったG-SHOCKと教育関数電卓の2本柱に経営資源を集中させる構造改革は、2022年就任の非創業家社長・増田裕一から2025年の高野晋体制へと受け継がれている。
- 村田製作所 — 電気の知識を持たない碍子屋の息子が始めた町工場は、セラミックスという焼き物技術を電子部品に転用することで、80年後に売上収益1兆7,000億円を超える企業へと育った。技術的参入障壁を武器に、村田は1979年に輸出の96%を円建てに統一するという、輸出企業としては逆張りの通貨戦略をやってのけた。 その強さはMLCCとセラミックフィルターの世界シェアが支えていたが、2010年代に入ると高周波モジュール、リチウムイオン二次電池、MEMSセンサという「第2の柱」への投資が相次ぎ挫折する。2022年買収のResonant社のれんは2026年2月に全額438億円の減損となり、コンポーネント主軸の強さと新事業育成の難しさが同時に表面化している。
- 日東電工 — 第一次世界大戦で電気絶縁材料の輸入が途絶した1918年、東京大崎で従業員14名で始まった日東電気工業は、1930年代に主要顧客の日立製作所自身による絶縁ワニス内製化で経営難に陥り、日立の100%子会社となって再建された。戦後に独立を回復したあとは、1961年に乾電池・磁気テープ事業をマクセルとして手放してBtoB特化へ舵を切り、1975年に始めた「三新活動」で過去3年以内の新製品が売上の30%を占める開発体制を定着させた。 液晶偏光板で世界シェア首位級に達した後、韓国・中国勢の台頭を受けて技術供与(2017年杭州錦江集団)と事業分散を進め、メディカル(2011年Avecia買収)・パーソナルケア(2022年Mondi事業買収)へ軸足を広げた。創業107年目の2025年3月期、連結売上収益は初めて1兆円を超え、営業利益1,857億円で過去最高を更新している。
- カナデビア — 1881年、英国人E.H.ハンターが大阪安治川岸に開いた大阪鉄工所は、明治初期の日本民間造船業の源流の一つとして出発した。1934年に日本産業、1936年に日立製作所の系列下へ移り、1943年に「日立造船」の社名を得る。そしてその社名は、2002年に造船事業をユニバーサル造船(現ジャパンマリンユナイテッド)へ営業譲渡した後も22年間使われ続け、「造船事業を持たない造船会社」という名実の乖離が長く残った。 2024年10月、同社はこの81年間の社名を「カナデビア」へ改めた。社名と事業実態の一致によって、環境プラント・エネルギー・水処理・産業機械を主軸とする新しい事業ポートフォリオが前面に出た形である。2025年3月期には連結売上収益6,105億円・営業利益269億円で過去最高を記録し、社名変更後の初年度を最高益で締めくくった。
- 良品計画 — 1980年に西友のPBとして始まった「無印良品」は、1989年に独立法人・良品計画に切り出されて以来、国内直営と海外展開の2軸で4961億円規模(2022年8月期)まで拡大した。その過程には、2020年8月期の純損失169億円という上場以来初の大幅赤字と、直後に訪れた社長交代という断層がある。 拡大期の良品計画はユニクロと並ぶ日本発のグローバル小売として語られた。だが2021年に就任した元ファーストリテイリングの堂前宣夫は「規模でトップは目指さない」と明言し、都心大型店から地方食品スーパー隣接の600坪店舗へと舵を切った。同じ思想系譜から来た経営者が、正反対の戦略を選んだことが2024年の売上高6616億円、2025年の7846億円という回復を生んでいる。
- シチズン時計 — クオーツ時計でセイコーに技術で先行されたシチズン時計は、1976年に「時計屋としては清水の舞台から飛び降りるような決断」でムーブメント(駆動部)の外販を始めた。心臓部を他社に売る禁じ手だったが、結果としてシチズンの駆動部が世界の低価格腕時計の事実上の標準となり、1986年度にはセイコーを抜いて腕時計生産量の世界シェア1位を確保した。 2000年代に多角化した電子デバイス事業は、2009年3月期の純損失258億円、2013年3月期の89億円と二度の大型減損で清算された。コロナ禍の2021年3月期にも純損失252億円を計上したが、2022年3月期以降は時計事業とスイス高級時計子会社、工作機械事業が揃って回復し、2025年には佐藤敏彦から大治良高へ社長交代して「時計事業の成長戦略を強力に推し進める」体制に入った。
- バンダイナムコHD — 玩具最大手のバンダイと業務用ゲーム大手のナムコが2005年に経営統合して発足した会社である。統合の直接のきっかけはプレイステーション2向け「機動戦士ガンダム」の共同開発で、物販に強いバンダイと施設・開発に強いナムコを組み合わせることで少子化が進む国内市場を越えた展開を狙った。 しかし統合の効果は一直線には出ず、発足5年目の2010年3月期には初の当期純損失299億円を計上した。そこから構造改革と、ガンダム・ドラゴンボール・ELDEN RINGといった強いIPを軸とする経営の徹底によって、統合20年目の2025年3月期には売上高1兆2,415億円、営業利益1,802億円まで到達した。
- TOPPAN(凸版印刷) — 1900年にヨーロッパの最新製版技術「エルヘート凸版法」を導入して創業した技術型ベンチャーが、有価証券や教科書の印刷で国内最大手の一角となり、やがて印刷技術の延長としてエレクトロニクスと軟包装を獲得した。しかし2008年3月期の売上高1兆6,704億円をピークに、紙媒体縮小の逆風が10年以上続いた。 この停滞を突破したのが麿秀晴体制だった。2023年10月、創業123年目にして「凸版印刷」の社名を捨てTOPPANホールディングスに移行。保有株式売却による特別利益で得た資金を北米軟包装と半導体フォトマスクに振り向け、2025年3月期に売上高1兆7,179億円で17年ぶりに過去最高を更新した。
- 大日本印刷 — 1876年に秀英舎として創業し、1935年に日清印刷との合併で当時日本最大の印刷会社となった。高度成長期以降は印刷の枠を越えてエレクトロニクスと包装に進出し、液晶カラーフィルタ・フォトマスク・メタルマスク・リチウムイオン電池パウチといった「印刷技術の延長線上にある製品」で半導体・ディスプレイ・EV市場に存在感を持つ企業に変貌していった。 2009年3月期に初の純損失209億円を計上し、2019年3月期にも構造改革に伴う356億円の純損失を経たが、2023年2月公表の経営基本方針でROE10%と5年3,000億円の自己株式取得を掲げ、特別利益と事業変革の両輪で2025年3月期の営業利益936億円まで回復した。印刷会社の財務・事業ポートフォリオの形を大きく書き換えた10年となった。
- 丸紅 — 近江商人の麻布行商から出発した店は、一度は伊藤忠と一体となり、戦時統合で三興・大建産業という巨大商社に姿を変え、財閥解体に似た分割で再び丸紅として独立した。同じ源流から生まれた伊藤忠との百年を超える併走は、総合商社という業態の来歴そのものを映している。 資源ブームで過去最高益を更新するたびに、次の価格下落局面で大型減損が襲う。2013年のガビロン買収、2020年のチリ銅減損、そして2025年の「時価総額10兆円」宣言と1.7兆円投資計画。丸紅の歴史は、資源への傾斜と非資源への揺り戻しを繰り返してきた総合商社の振り子の記録でもある。
- 豊田通商 — 豊田通商は、トヨタ自動車工業の自動車販売金融を目的に1936年に設立されたトヨタ金融を起点に、戦後商社として再編されてきた。トヨタグループの一角に連なりながら、2000年代以降は加商・トーメンとの連続合併で総合商社化し、2012年のCFAO買収でアフリカへ踏み込んだ。この一連の動きは、「トヨタの商社」という枠から「独自の個性を持つ総合商社」への移行の記録である。 資源価格下落で純損失437億円を計上した2016年3月期の直後、2017年3月期にIFRS適用で当期利益1079億円へとV字回復し、以降は売上10兆円・利益3600億円台の商社へ拡大した。2025年4月の新中期経営計画では2028年3月期の利益4500億円・ROE15%・総還元性向40%以上を掲げ、グループ内商社の枠を越えた資本政策転換を打ち出した。
- 三井物産 — 1876年に益田孝らが設立した旧三井物産は、日本の総合商社という業態の原型そのものだった。戦後の過度経済力集中排除法で解散させられ、数百社に分割された旧三井物産系商社が1959年に再統合して現在の三井物産となる。戦前商社の終焉と戦後商社の誕生を同じ看板の下で経験したことは、他の総合商社にはない来歴である。 2016年3月期に資源価格急落で当期純損失834億円を計上した直後の7年間で、三井物産は2023年3月期に24年ぶりの商社利益首位へ復帰した。鉄鉱石・LNG・ヘルスケア・モビリティを束ねる「3つの攻め筋」と、20年交渉を続けたRhodes Ridge鉄鉱石事業への8000億円投資、モザンビークLNGの4年越しの再開。三井物産の歴史は、長期資源プロジェクトで勝負し、価格変動で損失を吸収し、再び仕掛け直すというサイクルの連続である。
- 高島屋 — 1831年に京都の古着商として生まれた髙島屋は、2021年2月期に連結純損失340億円というグループ史上最悪級の赤字を出した。百貨店単体ではコロナ禍前の2019年2月期にすでに営業利益が前年比34%落ち込んでおり、店舗網の縮小と収益構造の歪みは感染症以前から進んでいた。 それでも2025年2月期には連結営業利益575億円・純利益395億円という過去最高水準に跳ね返っている。回復を押し上げたのは都心店のインバウンドだけではない。1963年に設立した東神開発がベトナムで不動産を運営し、商業開発業の営業利益127億円がグループ全体を下支えするようになっていたからである。
- クレディセゾン — 1951年に月賦百貨店「緑屋」として生まれた会社は、2009年3月期に連結純損失555億円という業界史に残る赤字を出した。貸金業法改正に伴う過払金返還とリーマンショックが重なり、カード事業の成熟と消費者信用ビジネスの構造問題が同時に噴き出した局面である。 そこから15年後の2025年3月期、クレディセゾンは連結事業利益936億円・過去最高益を計上した。押し上げたのは国内カードの量的拡大ではない。2018年に設立したCredit Saison Indiaの債権残高が3,000億円を超え、ポイント競争を避けたプレミアム戦略と法人カードが単価の高い顧客を取り込んだ結果である。
- イオン — 1758年に三重県四日市の呉服商「篠原屋」の暖簾分けとして生まれた家業は、2025年2月期に連結売上高10兆1,349億円という日本の小売業として初の大台を超えた。だがその直前の2021年2月期には連結純損失710億円という過去最大の赤字を出している。コロナ禍で客足が急減したとき、それまで23年の岡田元也体制が積み上げたM&Aの果実が、そのまま重い固定費負担として跳ね返った。 2020年6月に吉田昭夫が岡田から社長を引き継いだのは、この赤字と正面から向き合う役回りだった。吉田体制の4年間はダイエー・ウエルシア・マルエツ・カスミ・フジ・いなげやと積み上げた規模を統合し直す時期で、2025年までにトップバリュを1兆円ブランドに育て、イオンモール非上場化とプラットフォーム改革に踏み込んだ。
- あおぞら銀行 — 戦後復興期に不動産金融専業の政府系長信銀として生まれた同行は、40年後に破綻して国有化され、米系ファンド主導で再建され、2008年の金融危機で再び赤字に沈み、2015年にようやく公的資金を完済した。3度の崖を経てたどり着いたのは、メガでも地銀でもない独自のポジション ── LBOファイナンス・ベンチャーデット・環境ファイナンスといった国内ニッチ市場を草創期から深掘りするモデルだった。 その独自性は2023年度の純損失499億円で再び試されることになる。米国オフィス向けノンリコースローンと欧米金利上昇による有価証券評価損という2つの投資判断が同時に裏目に出た結果、同行は15年ぶりの経営陣刷新と大和証券グループ本社を引受先とする第三者割当増資519億円に踏み切る。投資銀行専業化への賭けの帰結は、2027年度純利益330億円という目標の実現可否でいま問われている。
- 三菱UFJフィナンシャル・グループ — 1656年の鴻池両替店、1870年の岩崎弥太郎の海運業、1919年の三菱銀行設立 ── いまの三菱UFJフィナンシャル・グループには、江戸初期から20世紀初頭まで異なる時代に起こった金融の流れが合流している。関東大震災で罹災銀行の金庫を開放し、金融恐慌で中小企業を救済し、戦後は千代田銀行と改名を強いられ、高度成長期には業界初のオンラインCDを設置した。 1996年に東京銀行と合併して資金量世界一となり、2005年にUFJと統合して国内最大の金融グループが誕生する。2008年のリーマン・ショックではモルガン・スタンレーに90億ドルを投じて米投資銀行を救済し、2022年には14年間保有した米ユニオンバンクの個人向け事業を手放してホールセールに資源を集中した。2024年度に過去最高益1兆8,629億円を計上した亀澤宏規CEOの体制下で、中長期ROE目標は7.5%から12%程度へと引き上げられた。
- りそなホールディングス — 1995年、大和銀行ニューヨーク支店で11億ドルの巨額損失事件が発覚し、同行は米国市場からの撤退を余儀なくされた。それから8年後の2003年5月、繰延税金資産の一部取り崩しで自己資本が不足したりそなホールディングスに、日本政府は預金保険法102条に基づく約1兆9,600億円の公的資金を注入する。戦後日本最大級の銀行救済劇だった。 外部から招かれた細谷英二(元JR東日本副社長)が、他のメガバンクと袂を分かって「ダントツのリテール銀行」路線を選んだ。2015年6月、12年かけて公的資金を完済し、2025年3月期には親会社株主純利益2,133億円の過去最高益を計上する。長らくマイナス金利下でROAが低下していたリテール特化モデルが、金利のある世界への回帰を追い風に結実した局面である。次期中期経営計画では中長期ROE目標10%超、OHR40%台への構造改革が進行中となる。
- 三井住友トラストグループ — わが国最初の信託会社として1924年に生まれた三井信託と、翌25年発足の住友信託は、戦後のGHQ方針で銀行業務兼営を認められ、1952年の貸付信託法施行を追い風に長期金融機関として電力・鉄鋼・不動産に資金を流し込んだ。高度成長期には証券代行、年金、土地信託と業務領域を広げ、戦前の信託会社7社が戦後信託銀行業界の骨格を形成した。 ところがバブル崩壊で両行とも不動産融資が巨額不良債権として跳ね返り、1994年度の三井信託は2000億円の償却を余儀なくされた。2011年、中央三井トラストHDと住友信託銀行が経営統合して三井住友トラストHDが発足、国内最大の専業信託グループが誕生した。以降、マイナス金利下で停滞した収益は、2020年就任の高倉透が掲げた政策保有株式ゼロ方針とプロダクト与信シフトで2024年度に経常利益3676億円まで回復した。
- 三井住友フィナンシャルグループ — 住友家が1670年に両替商を始めてから225年後の1895年、住友吉左衛門は資本金100万円の住友銀行を中之島で開業した。1916年には市中銀行のトップを切ってサンフランシスコに支店を出し、19年末には第一・三井に次ぐ全国3位の規模に躍り出た。効率経営と国際業務を2本柱としたこの位置取りは戦後も踏襲され、1980年代には平和相互銀行合併、ゴッタルド銀行買収、ゴールドマン・サックス出資で国内外に布石を打った。 ところがバブル崩壊後、イトマンなどへの融資が不良債権化し、1995年3月期に他都銀に先駆けて8000億円超を償却した。2001年のさくら銀行との合併、2002年の三井住友FG設立を経て国内2位メガバンクとして再出発。太田純が掲げた「脱金融」路線の下で政策保有株式削減と事業ポートフォリオ入替を加速し、2025年3月期には経常利益1兆7195億円・純利益1兆1780億円と過去最高水準に到達。2023年に急逝した太田の後を継いだ中島達は「国内ビジネスで本気でトップを目指す」と宣言するに至った。
- 千葉銀行 — 1878年設立の千葉第九十八国立銀行をルーツとし、1901年のピーク時に県内74行あった銀行群は金融恐慌と小銀行抑制策を経て1931年に6行にまで集約された。1943年3月、一県一行主義の国策により千葉合同銀行・第九十八銀行・小見川農商銀行の3行が合併し、資本金1000万円・70店舗の千葉銀行が発足。創立直後の敗戦・インフレ・預金封鎖、1950年代後半の融資問題と不正事件、銀行史上稀にみる労働争議を経て、1964年にバンクフラワー「ひまわり」でイメージを刷新、1970年に東証二部に上場した。 成長の原動力は千葉県の3つの発展期だった。京葉工業地帯の形成、県北西部のベッドタウン化、そして幕張・かずさ・成田の「千葉新産業三角構想」である。2009年就任の佐久間英利は12年の長期体制で業績を地銀上位級に引き上げ、2021年就任の米本努はDXを成長の柱に据えた。就任直後の2023年には仕組債販売をめぐる業務改善命令を受け、信頼回復が最優先課題となったが、2025年3月期には経常利益1075億円・純利益742億円と金利上昇下での収益拡大を実現した。
- ふくおかフィナンシャルグループ — 1945年、戦時の1県1行主義で4行が合併して生まれた福岡銀行は、発足時点で全国地銀預金高1位の巨艦だった。だが10年足らずで労使紛争と石炭産業の衰退に直面し、日銀から迎えた頭取のもとで立て直しを図ることになる。 半世紀後、今度は福岡銀行自身が広域再編の中心となり、2007年に熊本・長崎の地銀を束ねる持株会社を設立、2021年には国内初のデジタルネイティブバンク「みんなの銀行」を開業させる。石炭から半導体へ、紙通帳からアプリへ、地銀のかたちを問い続けてきた企業である。
- 日本取引所グループ — 1878年に免許を受けた東京・大阪の2つの株式取引所は、135年後の2013年、同じ持株会社のもとで経営統合した。この統合は、旧1部・2部・マザーズ・ジャスダックに分裂していた日本株市場の設計そのものを書き直す長い工事の出発点だった。 2022年4月、東証は60年続いた1部・2部制度を廃してプライム・スタンダード・グロースの3区分に再編し、2025年に発表された中計2027ではROE18%以上という単一指標だけを掲げる異例の形で、量ではなく質の取引所を目指す方針が制度化されている。
- 第一生命ホールディングス — 1902年、日本で最初の相互組織による生命保険会社として出発した第一生命は、2010年4月、108年間続いた相互会社形態を解いて株式会社化し東証1部に上場した。保険業法制定に関わった官僚・矢野恒太が立ち上げた合理主義の会社が、戦後の世界生保ランキング10位圏入りを経て、同業で最大規模の上場相互会社転換を選んだ道のりである。 2015年には米プロテクティブ生命を完全子会社化、2016年に持株会社へ移行、2024年にはベネフィット・ワンを買収して非保険サービスにも本格参入した。国内生保の成長天井を、米・豪・NZのM&Aと福利厚生・運用の横展開で超えていくのが、現在の第一生命HDが描く事業構造である。
- T&Dホールディングス — T&Dホールディングスは、明治期に別々の文脈で生まれた大同生命(1902)と太陽生命(1893)という2つの中堅生保が、2004年に共同持株会社として束ねられた企業である。乱立する生保の整理統合の象徴として誕生した大同と、短満期月掛け保険で戦後の庶民市場を開拓した太陽は、対照的な成り立ちを持ちながらも「企業市場特化」と「個人市場密着」という相補的な顧客基盤を育ててきた。 持株会社発足から20年、統合体は2021年3月期に過去最高水準の純利益1,623億円を計上した直後、2023年3月期には純損失1,321億円へ転落した。金融市場の急変が責任準備金と有価証券評価を直撃した形で、中堅生保3社連合が抱える金融リスクの大きさが一度に露呈した。黒字復帰と森山体制発足まで、わずか1年の出来事だった。
- 三井不動産 — 三井不動産は1941年、三井物産に吸収された三井合名会社の不動産を分離継承するかたちで三井11家全額出資の不動産管理会社として発足した。戦後のGHQ財閥解体で株式は一般公開され、1955年に江戸英雄が社長に就任した瞬間から、会社の性格は「三井家ゆかりの不動産を管理する会社」から「自ら土地を生み出し、街をつくる会社」へと切り替わっていく。千葉県市原の埋立と住宅造成という2つの賭けが、その転換の入口だった。 1968年のわが国初の超高層「霞が関ビル」から2024年の「& INNOVATION 2030」まで、同社の歴史は超高層・ミクストユース・海外旗艦物件という「大型・長期回収・規模優位」の連続として一貫している。2025年3月期の売上高2兆6,254億円・純利益2,488億円は過去最高を更新したが、同時に総資産9兆円台・有利子負債4兆円台というBS規模をどう運用するかが、植田俊体制の最大の問いとなっている。
- 東京建物 — 東京建物は1896年10月、初代安田善次郎の発起で設立された日本最古級の総合不動産会社である。明治期の住宅資金が個人金融業者頼みだった時代に、月賦建築請負と土地建物担保貸付を組み合わせた仕組みを法人事業として立ち上げたのが出発点で、今日の住宅ローンの原型はこの会社の定款から生まれている。資本金100万円の不動産金融会社が、関東大震災・財閥解体・バブル崩壊を経て総合デベロッパーへと姿を変えた歴史は、ほぼそのまま日本の不動産業の歴史と重なる。 2011年12月期、東京建物は経常損失▲108億円・純損失▲717億円という創業以来最大級の赤字を計上した。そこから10年あまりでマンションブランド「Brillia」・大手町タワー・八重洲再開発・池袋Harezaを積み上げ、2024年12月期には営業収益4,637億円・純利益658億円の過去最高に到達している。1896年の不動産担保金融から2024年の大阪・堂島複合開発まで、東京建物の130年はいつも「資金と土地をつなぐ仕組みを誰が設計するか」という問いで貫かれている。
- 住友不動産 — 財閥解体で東京に目ぼしい土地を持たなかった住友不動産は、三菱地所の丸の内、三井不動産の日本橋に対して後発だった。1974年に住友銀行出身の安藤太郎が社長に就任すると、大阪の大型開発から撤退し、東京都心のオフィスビルへ集中投資する方針に転換した。 1998年にバブル崩壊の後始末で特別損失681億円を計上した後も、同業他社がREITへの物件売却で資金を回収する中、住友不動産は賃貸ビルの自社保有・長期運用にこだわった。2025年3月期には経常利益2,683億円に達し、東京都心で230棟超のオフィスを運営する。借入金に依存した成長モデルから、営業キャッシュフローで投資と還元を賄えるステージへの移行が、現在の経営課題である。
- 東武鉄道 — 1897年に北関東への鉄道敷設を目的に設立された東武鉄道は、1905年に経営に参画した根津嘉一郎が利根川に549メートルの大鉄橋を架けるという決断で群馬・栃木へ路線を延ばし、関東最大の私鉄路線網(総営業キロ463キロメートル)を築いた。根津家は3世代・約120年にわたり経営を支配した。 2012年の東京スカイツリー開業は総額1,430億円の投資だったが、レジャー事業の利益率を大幅に改善し、鉄道以外の収益基盤を変えた。2021年3月期にはコロナ禍で純損失249億円に転落したが、2024年3月期に経常利益720億円で過去最高を更新。2023年には「根津家出身の社長は私が最後」と根津嘉澄が語り、創業家以外から初の社長が就任した。
- 東急 — 1922年に五島慶太が設立した目黒蒲田電鉄は、関東初の郊外電鉄として出発した。関東大震災で郊外への移住が急増したことで創業初期から好業績を収め、1942年には京浜・小田急・京王を合併して「大東急」を形成した。戦後に3社が再独立した後、五島が1953年に多摩丘陵の大規模宅地開発を構想し、55地区・総面積3,204ヘクタールの田園都市開発を約半世紀かけて実行した。 渋谷は東急の鉄道ターミナルであると同時に、再開発用地の供給源でもある。2013年に東横線渋谷駅を地下化して生まれた跡地に渋谷スクランブルスクエアを建設し、旧線路跡に渋谷ストリームを竣工させた。鉄道の線路付け替えがオフィスビルの用地を生む構造で、現在は渋谷3大プロジェクトに総額6,000億円を投じる計画が進行中である。2025年3月期の経常利益は1,077億円と過去最高を更新した。
- 小田急電鉄 — 1927年に新宿から小田原まで82.5kmを一挙に開業した小田急は、当時の日本最長の電気鉄道として箱根・湘南への交通を一変させた。しかし戦時統合で東急に吸収され、6年間にわたり「小田急」の名は消えた。1948年の再独立後は、箱根観光・百貨店・不動産と多角化を進めながら、半世紀をかけた複々線化工事に経営資源を投じ続けた。 1964年の都市計画決定から54年、2018年にようやく代々木上原〜登戸間の複々線が全面完成した。朝ラッシュ時の混雑率は一時250%を超えていたが、完成後は列車本数が27本から36本に増え、町田〜新宿間の所要時間は49分から37分に短縮された。この巨額インフラ投資の完了は、小田急を「鉄道投資の会社」から「沿線価値を活かす会社」へと転換させる転機となった。
- 京王電鉄 — 京王の名は「東京」と「八王子」の頭文字に由来する。1910年に路面電車として出発した京王電気軌道は、建設資金難で森村財閥の融資系列に入り、井上篤太郎のもとで新宿〜八王子間の全線直通を実現した。戦時統合で東急に吸収された4年間を経て、1948年に京王帝都電鉄として再独立し、京王線・井の頭線という2路線を基盤に沿線開発を進めた。 2021年3月期にCOVID-19で創業以来初の経常赤字▲180億円を計上した京王は、鉄道旅客収入がコロナ前比▲14%にとどまる現実を受け、不動産販売業・ファンドビジネスへの事業転換を加速している。2030年代には新宿駅西南口の再開発と笹塚〜仙川間7.2kmの連続立体交差事業という二大投資が控えており、この投資のピーク期にROE 7〜8%を維持できるかが、京王の次の10年を左右する。
- 京成電鉄 — 社名の「京成」は東京と成田の頭文字を取ったものである。1909年に設立された京成電気軌道は、成田山新勝寺への参詣客輸送を主目的に、押上から成田までを20年かけて結んだ。1960年にオリエンタルランドの設立に参画し、1978年に成田空港アクセス鉄道としてスカイライナーの運行を開始した。この2つの出来事が、京成の企業価値の構造を根本から変えた。 2025年3月期の連結純利益700億円のうち、オリエンタルランドからの持分法投資利益が大きな比重を占めており、鉄道事業の営業利益209億円を上回る。京成の時価総額よりも保有するOLC株の時価が大きいという「含み益のねじれ」は、アクティビストの関心を集めている。2024年11月にはOLCの自社株買いに応じて保有比率を約21%から約20%に引き下げたが、売却の本格化には至っていない。空港アクセスとOLC株という2つの資産をどう活かすかが、京成の経営の核心にある。
- 東日本旅客鉄道 — 年間2兆円の赤字と37兆円の累積債務を抱えた国鉄は、1987年の分割民営化で6つの旅客鉄道会社に解体された。最大の営業エリアを引き継いだJR東日本は、設立から6年で東証一部上場、15年で完全民営化を達成し、新幹線ネットワーク拡張と駅を起点とした不動産・流通事業で売上高3兆円の企業に成長した。 しかし2021年3月期、コロナ禍で運輸収入が4割減少し、発足以来初の純損失5779億円を計上した。この危機は鉄道一本足の収益構造の脆さを数字で突きつけた。「鉄道事業だけを主軸にすると脆弱」と語る現社長のもと、Suicaを軸にした生活サービスプラットフォームへの転換が進む。国鉄の遺産を乗り越える次の15年が始まっている。
- 西日本旅客鉄道 — JR西日本は首都圏の通勤需要を持たない。1987年の分割民営化で引き継いだ収益の柱は山陽新幹線と近畿圏在来線であり、1996年の上場、2004年の完全民営化と順調に歩を進めたが、2005年の福知山線脱線事故で107名が犠牲となり、安全管理体制が根底から問い直された。 2021年3月期にはコロナ禍で初の純損失2332億円を計上し、鉄道依存の構造が再び試された。この2つの危機を経て、現在はWESTER経済圏と大阪駅周辺のまちづくりを軸に、鉄道と「ライフデザイン」の2領域で収益を支える構造への転換を進めている。FY24は4期連続増収増益で営業利益1801億円に到達し、2025年の大阪・関西万博がその転換を加速させる。
- 東海旅客鉄道 — JR東海は東海道新幹線の会社である。1987年の分割民営化で世界初の高速鉄道を引き継ぎ、「のぞみ」の投入、品川駅の開業、N700系・N700Sへの車両更新を通じて、東京〜大阪間の1時間あたり最大12本、最高速度285km/hという輸送力を実現した。2019年3月期の営業収益は1兆8781億円、運輸業のセグメント利益は6648億円に達し、JR3社の中で最も運輸事業への依存度が高い構造を築いた。 その一極集中はコロナ禍で裏目に出た。2021年3月期に純損失2015億円を計上し、発足以来初の赤字を記録した。一方、JR東海は東海道新幹線の稼ぎをリニア中央新幹線の建設に注ぎ込む構造を自ら選んだ企業でもある。品川〜名古屋間の総工費は当初の7兆円から11兆円に膨張し、2027年の開業は不可能となった。東海道新幹線の収益力とリニアの巨額投資 ── その両立が今後数十年の経営を規定する。
- ヤマトホールディングス — 1976年1月20日、宅急便の初日に届いた荷物は11個だった。路線トラック事業で三番手に甘んじていた大和運輸は、この個人向け小口宅配に社運を賭け、10年で取扱個数を年間3億個超に伸ばして日本の物流を変えた。 40年後、EC市場の拡大で宅急便の取扱個数は18億個を超えたが、現場のドライバー不足と単価下落が同時に進み、2017年3月期に経常利益が半減する「宅配クライシス」を招いた。ヤマトは値上げと総量規制で収益を回復させたが、その先に選んだのはかつて最大の競合だった日本郵便との協業という構造転換だった。
- 日本郵船 — 1885年、明治政府の仲裁で三菱系の郵便汽船三菱会社と政府系の共同運輸会社が合併し、汽船58隻を擁する日本郵船が誕生した。以来140年、定期船・不定期専用船・物流という3つの事業軸で日本の貿易を支え、世界最大級の外航海運会社に成長した。 2017年3月期に純損失2657億円という上場来最大の赤字を出し、邦船3社のコンテナ船事業統合(ONE設立)に踏み切った日本郵船は、5年後のコロナ禍で経常利益1兆円を2期連続で記録する。赤字の底で切り離した定期船事業が、持分法適用会社として空前の利益をもたらすという逆説が、この会社の140年を象徴している。
- 商船三井 — 1964年、海運再建整備法のもとで大阪商船と三井船舶が合併し、大阪商船三井船舶が誕生した。沿岸・近海に強い大阪商船と外航に強い三井船舶の統合は、不定期専用船を軸に据えた事業構造を生み出し、以後60年にわたって商船三井の収益の基盤となった。 2008年3月期に経常利益3022億円を記録した不定期専用船はリーマンショックで暗転し、コンテナ船事業は2018年にONEとして切り離された。コロナ禍でONEが7000億円超の利益を生んだとき、出資比率31%の商船三井が選んだのは配当ではなく、LNG船・洋上風力・FSRUへの投資だった。「海運会社から社会インフラ企業へ」という経営計画BLUE ACTION 2035の方向性は、市況依存からの脱却という海運業の永続的な課題への回答である。
- 川崎汽船 — 1970年、川崎汽船は「自動車だけを積む船」���いう当時存在しなかった船種を世界で初めて実用化した。Pure Car Carrier(PCC)と名付けたその船型は、日本の自動車輸出の爆発的成長とともに業界標準となり、半世紀にわたり同社の収益を支え続ける。 一方、もう一つの柱だったコンテナ船事業は2010年代に累計3,000億円超の損失を生み、2017年に日本郵船・商船三井との3社統合でONEへ切り出された。邦船3社で最も小さく最も傷が深かった川崎汽船は、コンテナを手放したことで逆に「海運専業」という独自の立ち位置を得た。
- NIPPON EXPRESSホールディングス — 1937年、日中戦争下の日本で「日本通運株式会社法」に基づく国策会社が設立された。政府出資の半官半民企業は、戦後に民間会社として再出発し、鉄道貨物の発着端輸送から航空貨物、宅配便、国際フォワーディングへと事業を広げ、日本最大の総合物流企業に成長した。 しかし2010年に宅配便「ペリカン便」を日本郵便に統合して撤退した経験は、B2C市場で規模の競争に敗れた教訓を残した。2022年に持株会社体制へ移行し、2024年にはオーストリアのcargo-partnerを約1,267億円で買収。欧米メガフォワーダーとの差を縮めるため、M&Aによる海外拡大に舵を切った。
- 日本航空 — 2010年1月、負債総額2兆3,200億円を抱えた日本航空は会社更生法の適用を申請した。戦後最大の事業会社の経営破綻だった。だが破綻から2年8ヶ月後の2012年9月に再上場を果たし、再建初年度の経常利益は1,976億円と世界の航空会社の中で最高水準を記録した。 この落差の背景には、1953年の半官半民体制に始まる「国策会社」の体質がある。国際線独占、不採算路線の政治的維持、硬直的な労使関係を抱えたまま民営化され、日本エアシステムとの統合コストも重なった。稲盛和夫による再建は、その体質を根本から壊す改革だった。
- ANAホールディングス — 1952年にヘリコプター2機で始まった日本ヘリコプター輸送は、規制に阻まれて33年間国際定期便を飛ばせなかった。1986年の国際線参入後、スターアライアンス加盟と機材拡充で売上高は2兆円を超え、JALに並ぶ二大航空会社の一角を占めた。 2021年3月期、コロナ禍で売上高が前年比63%減の7,286億円に急落し、営業赤字4,647億円を計上。公募増資と劣後ローンで約1兆円を調達して存続を図った。そこから3年で営業利益2,079億円の過去最高益を記録し、有利子負債の圧縮と復配を同時に達成した。国内専業から国際線参入、コロナ危機から過去最高益への転換という2つの構造変化が、この企業の歴史を特徴づけている。
- 三菱倉庫 — 1887年に三菱為換店の倉庫業務を継承して設立された東京倉庫会社は、倉庫に預かった荷物を守るだけの事業から出発した。しかし1962年に自社の倉庫用地でビル賃貸を始めたことで、物流と不動産という二本柱の収益構造が生まれた。不動産事業の営業利益は物流事業を上回る年度も多く、「倉庫会社」の社名とは裏腹に利益の約半分を不動産が稼ぐ構造が半世紀以上続いてきた。 2025年に発表した経営計画では、M&A投資1,000億円以上、資産回転型ビジネスによる事業利益630億円という目標を掲げ、従来の安定経営路線からの転換を明示した。営業収益2,840億円の企業が6年間で1,000億円のM&Aを計画する規模感は、三菱倉庫の137年の歴史で類を見ない。倉庫用地の転用から始まった不動産事業を物流不動産へと再定義し、物流と不動産のシナジーを成長の源泉に据えようとしている。
- NTT — 1985年に電電公社の民営化で誕生したNTTは、日本の通信インフラの独占的な担い手から出発した。1999年の持株会社化で東西分割とドコモの分離が進み、分権型のグループ経営が30年近く続いた。その間、営業収益は10兆円台で安定推移したが、固定通信の縮小をモバイルとデータ通信が補う構造が定着し、グループ内の各社が個別に上場する体制は経営の一体性を制約した。 2020年にNTTドコモを約4兆2,500億円で完全子会社化し、グループ再統合に舵を切った。2025年にはNTTデータグループの完全子会社化(約2兆3,700億円)を発表し、分権から集権への転換は最終段階に入った。営業収益13兆7,000億円、従業員約19万人のグループが、IOWN構想の光電融合技術とNTT法改正による規制緩和を武器に、通信会社からグローバルIT企業への変態を目指している。
- ソフトバンク — 1986年に国鉄の通信網を引き継いだ固定電話会社は、英ボーダフォン傘下で携帯電話会社に転じたが、契約者数で3位に沈んだ。2006年、孫正義が1兆7500億円で買収し、価格破壊とiPhoneの独占販売で契約者数を急拡大させた。 2018年の再上場後、通信事業の利益を元手にヤフー・LINE・PayPayを次々と傘下に収め、売上高は6兆5443億円に達した。通信回線を売る会社から、検索・決済・コミュニケーションを束ねるプラットフォーム企業へ。3度のオーナー交代を経て法人格は同じまま、事業の中身は完全に入れ替わった。
- 東京電力ホールディングス — 1951年に9電力体制の一角として発足した東京電力は、首都圏3000万人超の電力供給を独占し、原子力17基を擁する世界有数の電力会社に成長した。しかし2011年3月、福島第一原発事故で純損失1兆2473億円を計上し、翌年に実質国有化された。 自己資本は7923億円まで毀損し、3期連続の赤字に沈んだ。火力発電を中部電力との合弁会社JERAに移管し、送配電・小売・原子力に分割する事業再編で経営を再構築した。2026年1月に柏崎刈羽原発6号機が15年ぶりに再稼働し、廃炉・賠償の負担を抱えながら、電力会社としての自律的な経営への復帰を目指している。
- 中部電力 — 1951年に9電力体制の一角として発足した中部電力は、東海地震の想定震源域に浜岡原子力発電所を建設した唯一の電力会社である。2011年5月、福島原発事故の直後に菅首相の要請で浜岡全号機が停止し、年間約2500億円の燃料費増が3期連続の赤字をもたらした。 原発停止後、東京電力との合弁会社JERAに火力発電事業を全面移管し、自社の発電所を持たない持株会社へと姿を変えた。林欣吾社長は「電力は数ある事業の1つでしかない」(日経ビジネス 2020/08/06)と語り、不動産デベロッパーの日本エスコンを子会社化するなど、電力会社の枠を超えた事業ポートフォリオへの転換を進めている。
- 関西電力 — 関西電力は9電力体制の一角として1951年に発足し、日本の電力会社で初めて原子力の商用運転を実現した。原発は関西電力の収益構造の核であり、7基が稼働すれば過去最高益、全基が停止すれば4期連続赤字という振れ幅を同社にもたらした。 2011年の福島第一原発事故後に全原発が停止し、累計で8000億円超の経常損失を計上した。2019年には旧経営幹部の金品受領問題が発覚し、ガバナンス体制の全面刷新を迫られた。原発7基のフル稼働を果たした2024年3月期には経常利益7660億円を記録し、原発依存型の収益構造が再び鮮明になっている。
- 東京ガス — 1885年に東京府の官営瓦斯局を払い下げて創業した東京ガスは、石炭ガスから石油系ガス、そしてLNGへと「何を燃やすか」を転換するたびに事業構造を作り替えてきた。1969年、アラスカからの日本初のLNG導入は、約400万世帯のガス機器を16年かけて交換するインフラ転換の出発点だった。 2016年の電力小売自由化では攻める側に回り、2023年3月期には経常利益4088億円の過去最高益を記録した。しかしこの利益の多くはLNG市場高騰という一過性要因に支えられていた。2023年末に約27億ドルで米国シェールガス企業を買収し、「量に依存しないビジネスモデル」への転換と北米上流統合という新たな賭けに踏み出している。
- 大阪ガス — 1897年に資本金35万円で設立された大阪ガスは、戦時中に神戸・京都など14社を合併して近畿2府4県をカバーする都市ガス会社となった。1972年のブルネイLNG導入から15年をかけた天然ガス転換、そして2009年の泉北天然ガス発電所稼働と、エネルギー源の転換を繰り返しながら事業領域を広げてきた。 海外事業では300億円超の損失を出したシェールガスの初期投資の失敗を経て、既存開発済み鉱区の買収に方針を転換したことで米国事業が収益化した。2025年3月期の海外エネルギーセグメントの営業利益は540億円に達し、国内ガス販売量の減少を補う成長エンジンに育っている。関西電力との激しい顧客争奪戦を戦いながら、米国シェールガス・IPP・フリーポートLNGの3本柱で海外収益を拡大する構図が大阪ガスの現在地である。
- 東宝 — 阪急電鉄の創業者・小林一三が1932年に東京の日比谷に設立した東京宝塚劇場は、劇場経営と映画製作を垂直統合し、不動産と興行の両輪で収益を上げるモデルを築いた。2000年代に入ると年間営業収入は2000億円前後で横ばいが続いたが、映画事業の利益率は低く、安定収益は不動産が担っていた。 その構造を変えたのが2010年代後半からのアニメIP事業である。2020年に「鬼滅の刃 無限列車編」が興行収入404億円で歴代1位を記録し、2023年には「ゴジラ-1.0」が北米興行収入5641万ドルと日本映画初のアカデミー賞視覚効果賞を獲得した。FY24の映画事業営業利益508億円は10年前の3.4倍に達し、東宝は配給手数料を受け取る会社から、自らリスクを取って製作しIPを育てる会社へと変わった。
- セコム — 1962年、飯田亮と戸田壽一は日本に「民間警備」という産業そのものを創出した。創業3年目で人手が足りないことに危機感を覚えた飯田は、1966年にオンライン安全システム「SPアラーム」を開発し、人が巡回する警備から機械が異常を検知するモデルへ転換した。この判断がセコムの収益構造の根幹となり、FY24には売上高1兆1999億円のうちセキュリティサービス事業が6333億円を占める。 1983年に「セコム」へ社名を変えた際、飯田は「警備業」ではなく「社会システム産業」を目指すと宣言した。以後、保険・医療・防災・データセンター・BPOと事業領域を拡大し、営業利益は1443億円に達した。セキュリティで培ったセンサー・通信・駆けつけのインフラを基盤に、安全と安心を多面的に提供する事業構造は、創業者の構想を60年かけて具現化した結果である。
- コナミグループ — 1969年に上月景正が大阪でジュークボックスの修理業として始めたコナミは、アーケードゲームから家庭用ゲーム、そしてモバイルゲームへと収益の軸を移すたびに、前のプラットフォームで築いたIPとノウハウを次の市場に転用してきた。「グラディウス」「悪魔城ドラキュラ」「メタルギアソリッド」で世界的ブランドを築き、2001年にはフィットネスクラブのピープルを買収して健康サービス事業にまで踏み込んだ。 2010年代にモバイルゲームへ舵を切ると、「実況パワフルプロ野球」「遊戯王」などの既存IPが基本無料・課金モデルで高い利益率を生んだ。FY24のデジタルエンタテインメント事業の事業利益882億円は連結利益の大半を占め、モバイル・家庭用・カジノ向けゲーミングの3本柱に加え、eスポーツという新たな領域を模索している。売上高4216億円、当期純利益746億円 ── アミューズメント機器の町工場は、IPの収益化を軸とする総合エンタテインメント企業となった。
- 日本電気硝子 — 1949年に日本電気(NEC)から分離独立した従業員90名の中小メーカーが、1965年にCRT専用工場を社運を賭けて滋賀県湖北に建設した。3代社長長崎準一の「やる以上はその性格にふさわしい規模でやる必要がある」という判断は、国内CRTガラスで旭硝子と並ぶ2社体制を築き、FY1981には売上の54%をCRTに依存する構造を生んだ。 1987年に始めたTFT液晶基板ガラスが2000年のオーバーフロー法採用で主力に育ち、FY07には売上3,683億円・営業利益1,009億円のピークに達した。しかし液晶基板の価格下落と韓国・台湾勢との競争で、14年後のFY14には売上が半減。2017年にPPGから買収した欧州ガラス繊維事業は2019年に減損、2023年には韓国拠点整理と純損失261億円、2025年には英国拠点を撤退 ── 主力交代の代償を繰り返し払いながら、半導体関連と超薄板ガラスへ重心を移している。
- 太平洋セメント — 1883年に官営工場を借り受けた浅野総一郎、1881年に山口小野田で創業した笠井順八、1923年の秩父セメント ── 明治期以来3つの系譜に分かれて競い合ったセメント会社は、1994年に小野田と秩父が、1998年に秩父小野田と日本セメントが合流し、1社に束ねられた。国内需要が2005年度の5,909万トンから2024年度3,266万トンへ45%減少した市場で、統合は延命ではなく選択肢だった。 統合後の太平洋セメントは1990年買収の米カルポルトランドを収益柱に育て、国内の需要縮小を海外と値上げで埋め合わせる構造を作った。しかしリーマンショック後のFY08は純損失353億円、2023年3月期もエネルギー高騰で純損失332億円、2026年3月期はフィリピン子会社で減損損失244億円 ── 統合で得た規模は、同じ規模の損失を周期的に受け止める器にもなっている。
- 東海カーボン — 1918年、名古屋電燈を経営していた福沢桃介は、木曽川水系に築いた水力発電所の余剰電力の出口を探していた。顧問技術者の寒川恒貞は電気製鋼を提案し、その電気製鋼所で消費される米アチソン社製黒鉛電極を国産化するため、資本金50万円の東海電極製造を設立した。電力の副産物として生まれた会社が、100年後に連結売上3,404億円の炭素専業メーカーに成長した出発点である。 電極とカーボンブラックの2枚看板で高度成長・自動車産業・プラザ合意後の円高を乗り越え、2017年には米SGL買収で電極事業のアジア・北米・欧州3極体制を実現。2018年の電極市況急騰で純利益734億円という過去最高益に達した。しかし7年後のFY24には特別損失769億円と純損失565億円を計上し、2025年6月に国内滋賀工場の電極生産中止と独Tokai Erftcarbonの譲渡を決定 ── 買収で掴んだ欧州拠点を自ら手放すことになった。
- TOTO — 1917年、小倉の丘に「東洋陶器」という会社が建った。洋風建築の便器を国産化するためだけの会社は、設立から数年赤字を続け、1923年には減資を迫られた。それを救ったのは皮肉にも関東大震災で、瓦礫の復興需要が衛生陶器市場を初めて作った。 その50年後、同じ会社が温水洗浄便座というまったく新しいカテゴリーを発明し、さらに45年後にはその商品名がオックスフォード英語辞典に載る。一方で進出40年の中国大陸では工場の4割を閉める。水回りの国産化から出発した企業が、世界と国内それぞれで生活文化を作り直している。
- 日本ガイシ — 1919年、日本陶器の碍子部門が愛知の名古屋で独立した。社名の「碍子」は高圧送電線を支える絶縁体を意味し、設立の目的も明確だった。それから106年後の2025年、その絶縁子製品は売上の1割以下になり、売上の7割以上が海外で稼がれ、社長は「2026年4月にNGKコーポレーションに社名変更する」と発表した。 この会社の歴史は、碍子という一製品から始まったセラミック技術が、時代ごとに用途を乗り換えてきた記録である。耐酸機器、排ガス浄化ハニカム、ベリリウム銅、NAS電池、半導体製造装置用部材。2025年にはNAS電池事業を23年で撤退する一方、ドイツの1837年創業の熱交換器メーカーを270百万ユーロで買収した。作るものが変わり続ける中で、セラミック技術だけが軸として残った。
- 神戸製鋼所 — 1905年、神戸の商社・鈴木商店の番頭・金子直吉は、艦船部品を国産化するために小林製鋼所という町工場を買収し、神戸製鋼所と改称した。その鈴木商店は1927年の金融恐慌で倒産し、親会社を失った神戸製鋼所は独立企業として戦中戦後を生き延びる。鉄鋼・アルミ・機械・溶接と、商材を次々に増やしていった。 2017年10月、長年にわたる製品検査データの改ざん問題が発覚し、信頼は地に落ちた。ところがその約8年後の2025年3月期、同社は創業120年目にして過去最高の当期純利益1201億円を記録する。鉄鋼市況に左右されない電力事業という第3の柱が、素材事業と機械事業の谷を埋めるようになっていた。
- JFEホールディングス — 1990年代の設備過剰と内需縮小に追い込まれた川崎製鉄と日本鋼管は、2002年に株式移転でJFEホールディングスをつくった。統合比率は日本鋼管0.75対川崎製鉄1.00。発足直後は「収益第一」以外の経営方針を持てないほど追い詰められていた。 しかし中国特需で2006年3月期に当期純利益3,259億円の過去最高益を計上し、その後リーマンショックと中国の過剰生産、コロナ禍で二度の大型赤字を経験する。2020年3月期の1,977億円の最終赤字を引き金に京浜地区上工程休止を決断し、国内縮小とインド拡張という地理的組み換えへと舵を切った。
- 日本製鋼所 — 1907年、北海道炭礦汽船と英アームストロング・ビッカースの3社が共同出資で、日本の民間兵器メーカーとして日本製鋼所を設立した。日英同盟下で軍艦の大砲・戦車・戦闘機の部品を作り、1938年には陸海軍の管理工場となる。 戦後は民需転換を迫られ、1961年にドイツ・アンケル社と提携して射出成形機事業に参入。油圧ショベルで失敗し、1980〜90年代は赤字と人員削減を繰り返した。2015〜17年に素形材事業の減損で3期連続赤字に沈んだのち、2020年にその事業を分社、産業機械と防衛関連機器を両輪に転換した結果、2025年3月期に過去最高益となる営業利益228億円を計上する構造転換に成功した。
- 古河電工 — 1896年、古河財閥は足尾銅山の銅を加工するために横浜電線製造を設立した。銅線・電線から出発した会社は、1990年代のネットバブル期に光ファイバを次の柱と定め、2001年11月に米ルーセントの光ファイバ部門(OFS)を約2,250億円で買収する。 直後のバブル崩壊で2003年3月期▲1,140億円、2004年3月期▲1,401億円と2期連続の巨額赤字を計上し、社長は責任を取って退任した。以後20年以上にわたり非コア事業を次々と切り出しながら構造改革を続け、2020年代にAI・データセンター需要が本格化すると、買収時に確保した光ファイバ技術群が生きた。2025年3月期は売上高1兆2,018億円・経常利益486億円まで回復している。
- 住友電工 — 1897年に住友本店が日本製銅を買収して開いた伸銅場が、銅から電線、電線から化合物半導体、光ファイバ、超硬工具、ワイヤーハーネスへと事業を枝分かれさせてきた。非鉄素材のメーカーが、自動車・通信・エネルギーという3つの巨大インフラ産業の部品供給者に変形していく過程である。 2009年3月期に営業利益が2,352億円から235億円へ1桁縮み、長く不採算だった情報通信セグメントも2010年代半ばまで赤字を抱えた。その情報通信が2024年度に生成AI向け光デバイス需要で黒字転換し、売上4兆6,798億円・営業利益3,207億円と過去最高を更新した。自動車偏重の収益が多極化に向かう転換点に、いま住友電工は立っている。
- フジクラ — 電線御三家の独立系一角として1910年に誕生したフジクラは、住友電工・古河電工に対し「技術のフジクラ」を旗印に、光ファイバと超多心光ケーブルに資源を寄せてきた。2005年に電力事業を古河電工と統合し、2013年に社内カンパニー制を敷き、2021年にそれを解体した、事業を組み替え続けた会社である。 2020年3月期、構造改革関連で特別損失307億円を計上して純損失は過去最大の385億円。4年後の2025年3月期には売上9,793億円、営業利益1,355億円、営業利益率13.8%と過去最高を更新した。生成AI向けデータセンターの高密度光ケーブル需要を捉えた結果で、1974年に光ファイバ事業に踏み込んだ独立系電線メーカーが半世紀後に業界の成長銘柄として急浮上する展開となった。
- しずおかフィナンシャルグループ — しずおかフィナンシャルグループは2022年10月に静岡銀行を完全子会社化して発足した若い持株会社だが、母体の静岡銀行は1943年の戦時金融統制下で静岡三十五銀行と遠州銀行が合併して誕生した古い地銀である。戦時の一県一行主義が残した地銀が、80年を経て証券・リース・不動産投資顧問を抱える連邦型グループに組み替えられた構図である。 「統合や提携は将来のビジネスモデルをどう創っていくか、そのための手段であって、目的ではありません」という柴田久社長の立場が、2020年の山梨中央銀行との静岡・山梨アライアンス、2022年の持株会社移行、2025年の八十二銀行を加えた富士山・アルプスアライアンスと形を変えて繰り返されてきた。経営統合ではなく資本関係を持たない広域連携で成長を取る──それがしずおかFGの選択である。
- オークマ — 1898年に製麺機の個人商会として名古屋で始まったオークマは、1904年に工作機械へ転じ、1966年にNC装置「OSP」を自社開発して機械と制御の両方を持つ稀有なメーカーとなった。1976年のオイルショック後と1993年のバブル崩壊後に2度の大規模リストラを経験し、2度目は定年引下げ撤回・社長引責辞任という経営トラウマを残した。 2009年のリーマン・ショックで売上は1,673億円から603億円へ3分の1に縮み、188億円の純損失を計上する。この危機を起点に「機電情知」一体の自動化戦略へ転換し、FY22に売上2,276億円と過去最高水準まで回復した。米中摩擦・中国市況悪化が繰り返し業績を揺らすなか、家城体制は現場適用できる自動化とAIに絞った差別化戦略で再び構造転換を進めている。
- アマダ — 1946年に東京の町工場として発足したアマダは、大手工作機械メーカーが見送った「金属用ハンドソー」という空白市場に着眼し、1955年にカタログ研究だけで国産1号機を完成させた。創業者・天田勇は「メーカーは営業力を持つべき」と確信し、1965年から代理店依存を捨てて直販網の構築に踏み切る。この「販売のアマダ」が、以後の急成長と業界再編の土台になった。 1971年の米国進出を皮切りに欧州・中国・東南アジアへ広がり、1973年の園池製作所・1978年のワシノ機械など経営不振の競合を次々買収して板金機械業界の再編者となった。2009年のリーマン・ショックで売上は半減し初の営業赤字に沈むが、「エンジニアリングのアマダ」への転換とレーザー・ソリューション路線で立て直し、FY23には売上4,035億円・営業利益565億円と過去最高益を更新。2025年にはエイチアンドエフを過去最大級のM&Aで取り込み、半導体・新素材加工への領域拡大に踏み込んでいる。
- ディスコ — 1937年に広島県呉の海軍工廠から独立した関家三男が砲弾研磨用の工業砥石で始めた町工場は、1965年のパイロット向け0.14mmレジノイド砥石、1968年のシリコンウエハー切断砥石と、他社が踏み込まなかった精密加工領域へ技術を伸ばし、1977年に「ディスコ」へ改称した。ダイシングソー世界シェアは1980年時点で約60%、2010年代には約70%に達し、半導体前工程のニッチトップ地位を固めていく。 しかしこの会社には「事業集中」を決定づけた失敗がある。1992年に半導体拡散炉事業から撤退し50億円の損失を計上、賃金カット・早期退職に追い込まれた。1997年に制定された「Disco Values」は事業領域を「切る・削る・磨く」の3つだけに限定する経営憲法であり、同時に社内通貨Willで経常利益を社員の経費権限に連動させる仕組みを組み込んだ。この自律経営体制のもとで、FY24(2025年3月期)は売上3,933億円・営業利益1,668億円・営業利益率42.4%という生成AI時代の象徴的な数字に到達している。
- 日本郵政 — 1871年に前島密が始めた郵便事業から数えて134年後、郵政事業は国営のまま日本最大の金融機関・保険会社・物流網を抱える巨大組織になっていた。小泉構造改革はこれを株式会社4社に分割し、2015年には3社同時上場という戦後最大級のIPOで仕上げた。 ところが上場直前に買収した豪Toll Holdingsは翌年に減損を余儀なくされ、その後もかんぽ不適切販売、日本郵便の点呼不備による認可取消と、民営化後の歴史は不祥事と減損の連続になった。公共性と株式会社性の両立は、20年経っても答えが出ていない。
- 住友重機械工業 — 別子銅山の機械工場として1888年に始まった住友機械は、1969年に浦賀重工業と合併して造船に踏み込んだ。大型タンカーの時代に追浜ドックを築き、50万トン級の船を造る重工業メーカーになったものの、船価低迷とプラザ合意後の円高で造船事業は1987年から繰り返しリストラの対象になり続けた。 合併から55年後の2024年、ついに新造船から撤退する。ところが置き土産は1983年に米Eatonと組んで始めた半導体イオン注入装置だった。祖業を捨てた会社が、傍流だった装置事業を骨太事業の筆頭に据え直す。造船会社から半導体装置メーカーへという重工業では珍しい転身が、今まさに進行している。
- 荏原製作所 — 東京帝大の井口在屋が渦巻ポンプ理論を発表した1905年、その弟子だった畠山一清は国友鉄工所の事業化失敗を見届けた上で1912年にゐのくち式機械事務所を起こす。輸入品が主流だった日本のポンプ市場で、東京市の入札から突破口を開き、昭和初期には国内シェア60%まで育てた。祖業のポンプは100年後も本業であり続けている。 ところが2003年のゴミ処理プラント工期遅延で285億円の赤字、2007年の副社長横領、同じ年に売却した羽田工場跡地は2019年にアスベスト訴訟で敗訴──と、2000年代は不祥事と特別損失の連続だった。この負債を抱えながら、1987年に藤沢工場で始めた半導体向け真空機器が2020年代に主力化し、2024年には売上収益8,667億円・営業利益980億円の過去最高を記録する。老舗ポンプ会社が半導体装置会社に姿を変える途上にある。
- 日本精工 — 日本で初めてベアリングを工業生産した会社が、100年かけてSKF、シェフラーに次ぐ世界3位の軸受メーカーに育った。だが売上の6割を占める自動車部品事業は、電動化とインフレの直撃で長く利益率を押し下げ、2023年には主力のステアリング事業を投資ファンドに預けるところまで追い込まれた。 一方で2021年に英BKV(ブリュエル・ケアー・バイブロ)を手に入れて始めたCMS事業は、産業機械事業を「売り切り型」から「状態監視まで含めた継続収益型」へと組み替える仕掛けになった。業界3位が軸受専業に戻りつつ、何で稼ぐ会社になるのかを問い直している。
- NTN — 三重県桑名の町工場が「NTN」の3文字ブランドを名乗ったのは1923年。それから100年かけて世界4位級の軸受メーカーに育ったが、2013年と2014年は欧米カルテル制裁金で2期連続の巨額損失、2020年3月期はコロナ前夜の需要減で純損失440億円という創業以来最大級の赤字を計上した。 主力だったはずの自動車軸受は、モデルライフが長いゆえに値上げが通らず赤字の温床になった。2024年、鵜飼社長は中期経営計画に「Final」の名を付け、過去の過大投資を3年間で一掃するとまで言い切る。NTNの歴史は、軸受とCVJで世界に打って出た挑戦と、その反動の繰り返しとして読める。
- ジェイテクト — 1921年に大阪で生まれた光洋精工と、1941年にトヨタ自動車から分離独立した豊田工機。軸受メーカーと工作機械メーカーという異なる出自の2社が、2006年にトヨタグループ部品再編の号令のもとで合併し、ジェイテクトが生まれた。ステアリング世界シェアNo.1とベアリング国内有力メーカーという2つの看板を同時に抱える珍しい企業として出発した。 合併から約20年を経た2024年、生産技術出身のプロパー社長・近藤禎人は「会社の価値や意義を表す一言が見つからなかった」と述べた。多様な技術を抱えすぎているがゆえに、一つの顔を作れない会社。ジェイテクトの歴史は、軸受・工作機械・ステアリングの3事業をどう一つの企業にまとめ上げるかという、20年越しの問いへの答えを探す過程として読める。
- ミネベアミツミ — 設立1年で経営危機に陥ったミニチュアベアリング専業メーカーが、1971年のニクソン・ショック後にシンガポールへ、1980年にタイへと生産を移し、1988年までにベアリング生産の99%を海外に置いた。国内銀行が尻込みした投資を外債で賄い、円高のたびに競合の価格競争力が削られる一方で同社の利益が厚みを増していった。 しかし1984年のDRAM参入や1985年の三協精機TOBなど多角化は迷走し、2008年までベアリング偏重の構造のまま20年が過ぎる。2017年のミツミ電機統合を起点とした貝沼由久の「部品のユニクロ」戦略で、売上は約6000億円から1.5兆円へと倍増した。
- 三菱電機 — 1921年に三菱造船神戸造船所の電機部門を継承して発足した会社は、変圧器と扇風機から始まり、戦前戦中に10以上の国内製作所を並べ、1959年には半導体量産専門工場を北伊丹に設けて重電とエレクトロニクスの両輪を持つ総合電機になった。2024年度の売上収益5兆5,217億円・営業利益3,918億円はいずれも過去最高である。 しかし2021年、長崎製作所での鉄道車両向け空調機器の架空検査が発覚して社長が辞任し、専務の漆間啓が緊急登板した。4年後、同社は1兆9,000億円を「価値再獲得事業」と括り、2,378人が応募した早期退職と1兆円のM&A枠を同時に動かしている。
- 富士電機 — 1923年、古河電気工業とドイツ・シーメンスが合弁で設立した富士電機は、資本金1,000万円のうちシーメンス分300万円が機械現物と技術供与の振替であったため、設立時点から現金不足を抱え、1923年度から1931年度までの9期中7期で最終赤字となる。名取和作社長は1931年に205名の人員削減と自らの引責辞任で責任を取った。 それから78年後の2009年3月期、同社はリーマン・ショックで純損失733億円・営業赤字188億円を計上する。北澤通宏が就任して始めたパワー半導体への集中が2024年3月期の営業利益1,060億円・EV向け牽引の過去最高益につながり、2024年11月にはデンソーと2,116億円の共同投資を決定した。
- 安川電機 — 創業から17年間赤字を垂れ流した九州の電機メーカーが、重電からの撤退と「安川のモートル」への特化で息を吹き返し、1964年には家電を避けて産業用モータという地味な領域に活路を見出した。この選択が、1977年のMOTOMAN開発とその後のサーボ・インバータ・ロボットという三本柱につながる。 2016年策定の「2025年ビジョン」で営業利益1,000億円を掲げたが、2025年に中国ローカル勢の台頭と半導体市況の読み違いで達成断念を迫られた。小川昌寛社長は量依存からROIC重視への転換を宣言し、NVIDIA・富士通との三社協業とヒューマノイド参入で次の跳躍先を探している。
- ソシオネクスト — 富士通とパナソニックが別々に抱えていたSoC事業を2015年3月に統合して誕生した会社は、当初は両社の汎用半導体の受け皿に過ぎなかった。しかし2018年、事業モデルをカスタムSoC設計専業へと絞り込んだ決断が、2024年3月期の営業利益355億円という統合後最高益を生んだ。 2022年10月の東証プライム上場から2年で、会社は別の局面に直面する。大型のデータセンター・車載カスタム商談は獲得できたものの、その量産立上げで原価率が悪化し、2025年10月に通期営業利益を下方修正した。成長ドライバーがそのまま利益圧迫要因になる構造への対処が、現経営陣の正念場となっている。
- オムロン — 1933年にレントゲン用タイマから始まった立石電機は、1960年代に無接点近接スイッチ・電子式信号機・無人駅システムと「世界初」を連発し、京都発の制御機器メーカーとして独自の地位を築いた。1955年に創業者の立石一真が考案した「プロデューサ・システム」と呼ぶ分権的な生産子会社方式は、後のカンパニー制や選択と分散の思想にまで一本の線でつながっている。 2009年3月期にリーマンショックで純損失291億円を出したオムロンは、以降ヘルスケア・車載・社会システムの切離しと、制御機器事業への集中投資を同時に進めた。2024年3月期にはFA市況低迷と中国減速で当期利益が81億円まで急減し、2022年に就任した辻永順太社長は創業以来最大規模の構造改革の舵取りを担っている。
- GSユアサ — 1999年3月期、日本電池は上場後初の35億円の最終赤字に沈んだ。シェア1位を取っていた国内自動車用鉛蓄電池の補修市場が、カー用品店とディーラー網の台頭で価格が10年で40%下落したためである。救済ではなく「減産統合」として2004年に湯浅と経営統合し、初年度に147億円の最終赤字を出して高槻工場閉鎖・496名の希望退職に踏み切った。 鉛蓄電池で削り取った体力を、リチウムイオン電池の合弁投資に振り向けた。2007年に三菱商事・三菱自動車とLEJ、2009年にホンダとBECを作り、車載LiB事業の種を撒く。投資は長く赤字と減損を生んだが、2024年にLEJを清算し2025年に連結営業利益500億円を記録した直後、次の中計では産業用LiBへの「攻め」を宣言した。
- 日本電気 — 2009年3月期、NECは2,966億円の最終赤字を計上した。リーマンショックで電機業界全体が沈んだ年だが、上場後最大のこの赤字は単なる一過性の落ち込みではなく、半導体・携帯電話・PCなど祖業の周辺で抱え続けた赤字事業の清算コストの集積だった。森田隆之は後に「倒産するかもしれないほどの経営危機」と振り返っている。 そこから10年以上、NECは「何を捨てるか」の繰り返しで身軽になってきた。2010年にNECエレクトロニクスをルネサスに統合、2013年にスマホから撤退、2014年にBIGLOBEを売却、2025年に従来型5G基地局事業を終息した。代わりに残した国内IT・セキュリティ・防衛に、2023年からBluStellar戦略で上積みを仕掛け、2025年3月期に連結営業利益2,565億円と過去最高水準を記録。同年10月には米CSGを約4,417億円で買収する攻めに転じた。
- 富士通 — 1954年、富士通は日本初の商用リレー式自動計算機FACOM100を開発した。通信機メーカーとして出発した会社が、半世紀以上にわたり大型汎用機・サーバ・ミドルウェアというメインフレーム系の事業を祖業の一つとして抱え続けることになる起点である。池田敏雄が率いた1970年代のIBM互換戦略は富士通を世界有数のコンピュータメーカーに押し上げた。 そして2026年1月、富士通はそのメインフレーム販売を2030年度末で終了すると発表した。理由は「社会のインフラはオンクラウドであるべき」。2002年3月期の3,825億円の最終赤字を起点に、半導体・携帯・PC・HDDと捨て続けた20年の構造改革は、ついに祖業のハードウェア事業そのものに辿り着き、時田隆仁社長の「普通の会社=成長を目指す会社」という自己評価に変わろうとしている。
- オリックス — 1964年に三和銀行系の商社3社と銀行5行が共同でつくった資本金1億円のオリエント・リースは、アメリカで生まれたリースという新業態を日本に持ち込む実験会社だった。だが石油危機以降の競争激化を受けて物件多様化と海外進出を始め、1989年には社名を「オリックス」に変えてリース会社を名乗ることをやめた。 以後、生命保険、信託銀行、不動産、資産運用、空港運営、再生可能エネルギーへと業容を広げ、2025年3月期には総資産16.9兆円・純利益3,516億円の事業投資型グループへと姿を変えた。井上亮グループCEOが「目指すはブラックストーン」と公言する一方、2025年1月の社長交代では新社長の髙橋英丈が「投資しかしない会社は目指さない」と事業創造への揺り戻しを語っている。
- 大和証券グループ本社 — 大和証券の源流は、1902年に大阪の米穀商の若旦那が片手間に始めたコール市場の仲介業である。証券業の祖というより、商品流通の延長線上で生まれた金融業者だった。その「商品開発で食う」性格は120年後も変わらず、日本初の投資信託、転換社債、累積投資、ユーロ円債を次々と発明し、業界2位の座を支えた。 そのパイオニア気質は、1990年代の不況期と2010年代のリーマン後にそれぞれ営業赤字へと跳ね返った。三井住友フィナンシャルグループとの合弁を結び、解消し、自前で銀行を立ち上げ、再びあおぞら銀行と組む ── 振り子のように形を変える銀行戦略の根底には、業界1位の野村と異なる経路で生き残ろうとする独立系総合証券としての宿命がある。
- 野村ホールディングス — 1872年に大阪・農人橋詰町で両替商を始めた野村家は、1925年に証券業を分離独立させて野村證券を設立し、戦後の配電株公募で業界トップに躍り出た。1981年にニューヨーク証券取引所会員権、1986年にロンドン証券取引所会員資格を取得し、邦証券初のグローバル投資銀行候補となった。 しかし1991年の損失補塡問題と2008年のリーマン承継後に計上した▲7,082億円の純損失が示すように、海外で稼ぎたい野村と国内リテールでしか安定的に稼げない野村の二律背反は、100年経っても解けていない。2024年4月に営業部門を「ウェルス・マネジメント部門」に改称、2025年4月にはマッコーリー・グループのアセットマネジメント事業買収とバンキング部門新設を発表し、グローバル投資銀行への野心と国内基盤の折り合いを模索している。
- SOMPOホールディングス — 業界2位と4位の合併で2010年に発足したNKSJホールディングスは、初年度から129億円、翌年度には923億円の純損失を出した。事業会社の合併と社名統一には4年と2回の改名を要し、国内損保事業の統合効果は遅れた。 転機は2017年、約6,300億円を投じた米Endurance買収で海外保険事業の柱を立てたことにある。一方で本丸の損保ジャパンは2023年にビッグモーター不正請求問題で金融庁から業務改善命令を受け、政策株式の保有慣行まで指弾された。海外で稼ぎ、国内で謝る ── その落差が現在のSOMPOを形づくっている。
- MS&ADインシュアランスグループホールディングス — 1893年の大阪保険から数えて130年以上、この企業群は合併しても最後まで一つにならない選択を繰り返してきた。住友海上は1944年の戦時統合で生まれ、三井海上は財閥解体を経て1991年に本来の社名を取り戻した。両社が2001年に統合して三井住友海上が成立し、2010年にあいおいとニッセイ同和を取り込んでMS&ADが発足。それでも2013年の機能別再編では合併ではなく1グループ2社体制を選び、効率化だけを進めた。 2025年11月、その12年越しの中途半端さに終止符が打たれた。2027年4月にMSとADは合併し、グループ名も三井住友海上グループに改める。機能別再編で削り切れなかった本社部門の重複コストが1,500億円規模で削減される見通しだ。創業期から繰り返された「屋号は分けたまま機能だけ統合する」という慎重さが、政策株式売却益という二度目の追い風を受けて、ようやく解かれる。
- 東京海上ホールディングス — 1879年、渋沢栄一の主唱により日本初の海上保険専業会社として創業した東京海上保険会社が、129年後の2008年12月に米フィラデルフィア・コンソリデーテッドを約47億ドルで買収し、2015年10月にはHCCインシュアランスを約75億ドルで取得した。海運国家の貨物リスクを引き受けるために生まれた会社は、十数年間に積み重ねた海外M&Aで世界スペシャルティ保険のグループへと姿を変えた。 2025年3月期、東京海上ホールディングスの親会社株主帰属当期純利益は1兆552億円に達し、邦損保として初めての1兆円超えとなった。利益構造の組み替えが進む一方、2018年には西日本豪雨と台風21号で業界全体の自然災害保険金が1兆5000億円を超え、海上保険の祖である会社が今度は気候災害という大型リスクを引き受ける現実に直面している。
- 三菱ケミカルグループ — 2005年に三菱化学と三菱ウェルファーマの統合で発足した会社は、その後20年間で三菱樹脂・三菱レイヨン・大陽日酸・田辺三菱を次々と呑み込み、売上4兆円超の総合化学最大手に成長したが、取り込むことと一体化することは必ずしも同時には進まなかった。 2017年にようやく事業会社3社を統合してもなお、ERPは10種類以上が併存し、米国から日本の製品を発注できない状態が残った。外国人社長を招いた急進改革は経営と従業員の心の乖離を生んで頓挫し、2024年に生え抜き筑本学が「つなぐ」を旗印に現実路線へ揺り戻すことになった。
- UBE — 1897年に山口県宇部で資本金4.5万円の沖ノ山炭鉱として始まったUBEは、創業者・渡辺祐策が「炭を掘り尽くせば宇部の町は滅びる」と語った言葉のとおり、石炭が枯れる前に機械・セメント・化学へ多角化した。1942年に宇部発祥の4社を合併して宇部興産が誕生し、戦後はセメントと化学量産品を二本柱に総合素材企業へと拡大した。 ところが祖業を生んだ論理は、80年後に祖業そのものを切り離す論理に転じた。2022年4月、社名を80年使った宇部興産からUBEに変え、同時にセメント関連事業をUBE三菱セメントに承継して連結から外した。さらに2025年には1955年に始めたカプロラクタム、1968年に建てたアンモニア工業の国内停止を前倒しで決めた。「石炭が枯れる前に多角化する」は、「化学量産品が枯れる前にスペシャリティへ転換する」と形を変えて反復されている。
- 野村総合研究所 — 調査報告書を書く会社と、計算機を動かす会社。出自も商品も違う2社が1988年に合流して現在のNRIが生まれた。「リサーチとIT」という他のSIerが持たない二枚看板が、野村證券を起点とする金融機関の電算化と結びつき、上流のコンサルと下流の運用を1社で抱える独自モデルが定着した。 2001年の東証一部上場以降、収益の柱は研究レポートではなく金融ITの共同利用型運用へ移った。営業利益率は大企業向けSIerとして破格の15%超を維持し、2024年の社長交代後も国内DX投資の追い風で17%台に乗っている。一方で海外比率は16%前後に張り付いたままだ。
- 電通グループ — 1901年に通信社と広告代理店を抱き合わせで創業し、戦時統制で通信を失って広告専業に追い込まれた会社が、戦後70年かけて世界5位のメガ・エージェンシーへ駆け上がった。決定打となったのは2013年の英Aegis買収で、買収規模は約4,000億円、日本の広告会社が本気でグローバル化に踏み切る最初で最大の賭けだった。 そして2024年と2025年、その賭けの請求書が届く。海外のれんに2年連続で計6,300億円超の減損、最終赤字3,276億円、上場後初の無配。買収で手に入れた成長エンジンが収益を生まなくなり、社長五十嵐博は自社のM&A戦略を公式に否定する中期計画を出すに至った。100年以上にわたり広告で世界を追ってきた電通は、グローバル化の頓挫により厳しい局面に立たされている。
- 楽天グループ — 月額5万円の固定料金で13店から始めた仮想商店街は、ショッピング・旅行・金融を1つのIDとポイントで束ねる「楽天経済圏」へと姿を変えた。在庫を持たないノータッチモデルで業種をまたいでクロスユースを生み出す設計が、連結売上を2兆4965億円、総資産を28兆円まで押し上げた中核ロジックである。 その経済圏を毎月の通信契約という最強の接点で囲い込むため、2019年に第4のMNOとして自前基地局網に踏み出した。2020〜2022年の累計純損失は8400億円、有利子負債は3兆4000億円まで膨らんだ末、2025年3月期にモバイルEBITDAが黒字化し、契約1000万回線と2年連続の営業黒字に到達した。
- コニカミノルタ — 写真材料の老舗だった小西六が、デジタルカメラの普及で祖業を失ったあと、ミノルタとの経営統合で複写機メーカーに生まれ変わった。だが情報機器一本足の収益構造は2010年代に陰りはじめ、米遺伝子診断会社Ambry Geneticsへの大型M&Aで多角化を狙うも、巨額減損として跳ね返った。 2017年の買収から7年後の2024年、Ambryを売却し人員5,200名を削減して、ようやく構造改革を完遂した。FY24は営業損失640億円・当期損失475億円という「決算改革年度」と引き換えに、FY25第3四半期累計で事業貢献利益347億円まで回復している。
- 出光興産 — 1911年に門司で機械油販売から始まった出光は、国際メジャーと国の統制の双方に逆らう独立路線で戦後の石油業界を歩んだ。1953年には国際紛争下のイランから原油を運び出し、1963年には生産調整に反発して石油連盟を脱退し、2006年まで上場せず非公開の民族系最大手として異例の立ち位置を保った。 その反骨の独立路線は、2010年代の需要縮小と原油急落で転機を迎えた。2015年3月期には営業赤字1,048億円・純損失1,380億円を計上し、翌年には昭和シェル石油株31.3%を取得して創業家との対立を呼びながらも、4社体制を2社体制に塗り替える再編の主導者へ転じた。独立にこだわった会社が、業界全体の生存戦略を決める側に回るまでの約110年を追う。
- ENEOS HD — 1888年に内藤久寛らが新潟で創業した有限責任日本石油会社を源流とし、1999年の日本石油と三菱石油の合併、2010年の新日本石油と新日鉱ホールディングス統合によるJXホールディングス発足、2017年の東燃ゼネラル吸収による国内元売シェア50%超の寡占化と、石油業界の再編史そのものを体現してきた。 2015年3月期には資源価格下落で営業赤字2,189億円、純損失2,772億円を計上し、統合直後から市況耐性を問われる局面を迎えた。2020年のENEOSホールディングスへの商号変更と2025年のJX金属分離上場により、油とブランドと非鉄という三つの源流を、脱炭素時代に合わせて再び解きほぐす作業が進んでいる。
- 横浜ゴム — 電線会社の多角化として米B.F.グッドリッチ社と組んで生まれた合弁会社は、創業6年目で関東大震災により最初の工場を、終戦の年に2代目工場を空襲で失った。戦後は古河の手を離れて独立し、平塚8万坪に総合工場を構え直す。 ただし量産化ではブリヂストンに先を越され、国内3位の座が半世紀以上続いた。停滞を破ったのは2016年のAlliance Tire買収から始まる農機・産業用タイヤ(OHT)への大型M&A三連発で、2024年に売上1兆円を突破し2025年には1兆2200億円計画に到達した。
- AGC — 1907年に三菱の支援で板ガラスの国産化に挑んだ旭硝子は、1981年のグラバーベル買収で欧州・北米・アジアの三極体制を組み上げ、2009年にはスマートフォン向け化学強化ガラスを立ち上げてディスプレイ・電子部材の高付加価値路線へ舵を切った。素材を磨き上げて単価を取りにいくのが、この会社の本来の戦い方である。 その本業の上に2016年から積み上げたのがバイオ医薬品CDMOで、2018年の社名変更と並走して欧米三極を一気に揃えた新事業の柱だった。だが2024年12月期に同事業で1,248億円の減損を計上、2025年にはコロラド拠点から撤退してシングルユース技術へ絞り直す。本業のガラスは依然として稼ぐ一方、買収で築いた新事業には早くも課題が突き付けられている。
- みずほフィナンシャルグループ — 安田善次郎が1880年に興した合本安田銀行、1902年に特殊銀行として誕生した日本興業銀行、そして戦後の都市銀行を代表する第一勧業銀行。性格も顧客基盤も異なる三つの銀行が2000年に統合しみずほが生まれたが、発足直後の2002年にはATMが停止する大規模システム障害が発生し、金融庁から業務改善命令を受けた。 3行統合の積み残しは19年越しのシステム刷新プロジェクトMINORIとして清算されたが、稼働直後の2021年に再び8回の障害が連発し経営責任問題に発展した。木原正裕体制下でカルチャー改革と米州CIB拡大が進み、2025年3月期には純利益8854億円の過去最高益に達した。
- 東急不動産ホールディングス — 渋沢栄一らが1918年に立ち上げた田園都市株式会社は、田園調布で総面積の18%を道路と公園に充てる住環境を打ち出し、後の郊外住宅地のひな形となった。戦時統合で休眠したこの事業は、五島慶太の公職追放解除後、1953年に東急不動産として独立し、沿線型私鉄ディベロッパーの純粋形を担う会社として再出発した。 津田山ニュータウン、提携住宅ローン、東急ハンズと業態を増やし「デベロッパー東急」と呼ばれた同社は、バブル崩壊とリストラを経て2013年に持株会社化、東急コミュニティー・東急リバブルと統合した。FY23の営業利益は1,202億円、渋谷再開発と再エネを軸に2031/3期1,500億円目標を掲げる総合不動産HDへと姿を変えている。
- ネクソン — 韓国で生まれたオンラインゲーム会社が、日本に上場会社の本籍を置き、業績の8割以上を韓国・中国で稼ぐ。2002年に東京で設立された日本法人が、3年後に韓国の親会社からPCオンライン事業を会社分割で引き取り、グループの事業持株会社になった瞬間から、ネクソンの不思議な構造は始まった。 『メイプルストーリー』と『アラド戦記』という2本のIPだけで20年以上売上を作り続け、2024年には4,462億円と過去最高を更新。それでも経営トップは韓国系創業者から米国人プロ経営者、そしてふたたび韓国開発出身者へと交代し、その都度「IPに集中する」という同じ答えを別の言葉で語り直してきた会社である。
- 王子ホールディングス — 1949年、過度経済力集中排除法は国内シェア80%・新聞用紙95%を握っていた王子製紙を3つに割り、苫小牧の1工場だけを抱えた小さな会社に転落させた。資本金4億円・社員数千人で再出発した同社が、合併と海外M&Aを四半世紀ごとに重ねて再び業界の頂点に戻るまでの道筋は、戦後日本の独禁政策が生み落とした最も長い「復元」の物語である。 そして2024年、その王子は売上1兆8,493億円の半分近くを海外で稼ぐ多国籍企業となり、フィンランドのサステナブル包装会社Walkiを買収した。新聞用紙で築いた帝国を、欧州の脱プラ市場で組み直そうとしている。
- レゾナックHD — 1934年に日本で初めてアルミニウム製錬の工業化に成功した電気化学のパイオニアは、1957年にフィリップス・ペトロリウムからポリエチレン技術を導入して石油化学に転じ、2020年に約9600億円を投じて日立化成を買収し、2023年には84年続いた昭和電工の社名を捨ててレゾナックに変わった。 三度の業態転換はいずれも基幹事業の限界に直面した末の選択だった。電力高騰で国内アルミ製錬は1986年に消滅し、出自の石油化学事業は2025年に子会社へ承継され、会社はいま半導体後工程材料の世界トップ企業として自己定義を書き換えている。創業以来一貫しているのは、外部技術の導入と大型買収を恐れない経営姿勢である。
- 住友化学 — 1913年に別子銅山の煙害対策として亜硫酸ガスから硫酸を回収し肥料を作るために新居浜で始まった事業は、110年後の2024年3月期に営業赤字4,888億円・最終赤字3,118億円という戦後最大級の損失を計上した。煙害解決という出発点は、戦後アサハン・シンガポール・サウジラービグと続く国家プロジェクト型の海外石化に姿を変え、最後にその清算費用が経営を直撃した。 その110年の間に住友化学は1958年に他社に先駆けて石油化学へ進出し、農薬スミチオンとピレスロイド系殺虫剤で世界シェアを握り、住友製薬を分離独立させて医薬の柱を育て、韓国の東友ファインケムでディスプレイ材料の有力地位に就いた。多角化と縮みの判断は10年単位で振れ、その振幅の大きさが住友化学の歴史そのものになっている。
- 東ソー — 山口県の海辺で1935年にソーダ灰を焼き始めた1社1工場の会社が、35年後に四日市へ二本目の脚を伸ばし、55年後には合併で売上を3300億円規模へ押し上げた。三度の地理的・組織的ジャンプの度に、東ソーは「ソーダ専業」「総合化学」「機能商品メーカー」へと姿を変えてきた。 2025年3月期の連結売上高1兆633億円のうち、伝統のクロル・アルカリ事業の営業利益はほぼゼロに沈み、代わりに機能商品とエンジニアリングが利益の8割を稼ぎ出す構造となった。基盤事業が稼げない局面で会社を支える収益源を入れ替えてきた90年の歴史が、この姿に重なっている。
- トクヤマ — 1918年に輸入アルカリの国産化を旗印に山口の港町で生まれた日本曹達工業は、ソーダ灰の市況崩壊で発足直後から赤字続きとなり、1932年に苛性ソーダへ転換して延命した。徳山工場の副生石灰がセメントを呼び、コンビナートの塩素がポリプロと塩ビを呼び、化成品・セメント・樹脂の3本柱が積み上がっていった。 1984年に始めた多結晶シリコンと1978年に種を蒔いた歯科器材は、30年後にまったく違う表情で実を結ぶ。太陽電池向けに賭けたマレーシア工場は2016年に1006億円の純損失を出して事実上ゼロ円譲渡で撤退、一方で歯科のオムニクロマと半導体先端品向け多結晶シリコンは2020年代の再建を支える柱に育った。同じ「先端への賭け」が、なぜ片方では沈み、片方では浮いたのか。
- デンカ — 第1次大戦による石灰窒素の輸入途絶を機に、三井資本が一人の科学者の発明を引き取って1915年に立ち上げた電気化学工業は、カーバイドを起点に塩ビ・クロロプレン・セメント・石化・電子材料・医薬と110年で枝葉を増やし続けてきた。世界で3社目となるクロロプレンゴム企業化や、東芝から譲り受けた小さな医薬子会社が後のがん治療薬につながるなど、素材一筋の会社が偶然の選択で次の柱を引き当ててきた歴史でもある。 その結果が、2014年に三井物産と組んでDuPontから引き取った米国クロロプレンゴム拠点と、2025年に発表されたその暫定停止である。同じ年にセメント事業も72年の歴史を畳み、戦後初の純損失123億円を計上した。「日本になければ、つくればよい」を旗印にしてきた素材総合化学が、Mission2030という名のスペシャリティ集約計画の下で、自分たちが築いた事業の半分を意図的に手放しつつある。
- 三井化学 — 1955年の設立から70年、三井化学は石油化学産業の宿命である設備過剰と再編に直面し続けてきた。岩国大竹のエチレンを浮島化学に集約し、三菱化学発足の2年後に三井東圧と合併し、住友化学との統合は3年で撤回した。再編の波が来るたびに合従連衡の相手を変えながら、汎用品依存からの脱却を試みてきた70年史である。 リーマン後には3期連続の純損失を経験し、淡輪敏が構造改革で営業利益1021億円まで戻した。橋本修は石油化学と成長領域を「別の塊」と切り分け、千葉地区では出光興産との27年度クラッカー集約を進める。70年前に三井系8社で始めた共同事業が、いま業界数社への収斂を主導する立場へと回り始めている。
- エーザイ — エーザイは武田・三共・塩野義といった大手より一周り小さい中堅として、抗生物質の価格競争から距離を取り、競合の少ない循環器系と神経系に研究を絞ることで生き延びてきた。その絞り込みが1974年のノイキノン(世界初の代謝性強心剤)、1997年のアリセプト(世界初のアルツハイマー治療剤)、2023年のレケンビ(世界初の疾患修飾療法)と、ほぼ四半世紀おきの「世界初」として結実してきた。 特に認知症領域では、アリセプトで切り拓いた医師ネットワークと診断パスウェイを26年かけて磨き続け、レケンビ時代にそのまま参入障壁として効かせている。先発の大手が手を出しにくい領域を選び、そこで腰を据えて待ち続ける──エーザイの強さはこの一点に集約される。
- テルモ — 1921年、北里柴三郎ら医学者が国産体温計の自給を志して設立した「赤線検温器」が、テルモの出発点である。輸入依存だった医療現場に国産品を供給する「不足を埋める」事業から始まり、1963年のディスポーザブル注射筒で同社は供給者から市場創出者へと立場を変えた。 1971年の欧米拠点設置から半世紀、買収で取得した3M人工心肺・カリディアンBCT・ボルトンメディカル等を束ね、心臓血管・血液血漿・ホスピタルの3カンパニー体制を作り上げた。FY24売上収益は1兆361億円、営業利益1,576億円。検温器1本だった会社が、海外売上比率7割超の医療機器メーカーへと変質した過程は、買収と現地化の連続であった。
- 第一三共 — 2008年、第一三共はインドのランバクシーを約5000億円で買収し、新興国ジェネリックで世界に打って出ようとした。翌2009年3月期、同買収に伴う減損を主因に純損失2155億円を計上し、統合からわずか4年で巨額の穴を開ける。 しかし同じ時期に社内では15人規模の小さなチームがADC(抗体薬物複合体)の研究に着手していた。その技術が2020年に「エンハーツ」として結実し、2024年3月期には売上1.6兆円・営業利益2116億円、ADC関連売上だけで約4000億円へと拡大した。
- 大塚HD — 1921年に徳島の塩田地帯で輸液工場として出発した大塚は、医薬品メーカーが酒販ルートでオロナミンCを売り、輸液の発想で「飲む点滴」ポカリスエットを作り、米国のサプリ会社を買ってネイチャーメイドを取り込み、自社創製の抗精神病薬エビリファイで世界の中枢神経市場に入り込んだ。普通は同居しない医薬と消費財を、100年かけて一つの工場リテラシーで束ね続けた会社である。 通底するのはリスクの取り方である。医薬メーカーが酒販ルートに踏み込むのも、国内にサプリ市場がない時代に米Pharmaviteを買うのも、競合の少ない中枢神経領域に開発資源を集中させるのも、すべて「外す時は大きく外す」賭け方だ。エビリファイ以後はその賭けが減損として周期的に顕在化し、FY23には1724億円の評価損を計上する。それでも事業利益は年率2桁で伸び、FY24は売上2.3兆円・営業利益3235億円と過去最高を更新した。
- トレンドマイクロ — 台湾発のアンチウイルスベンダーが、創業から8年足らずで本社機能を東京に移し、日米二重上場という当時のセキュリティ業界では異例の資本構成を手に入れた。PCを守る会社として出発した会社は、2016年のTippingPoint買収と2019年のCloud Conformity取得を経て、エンドポイント・ネットワーク・クラウドを串刺しにする多層プラットフォームへ姿を変える。 2020年代に入り、その多層化は「Vision One」という単一プラットフォームへ集約され、さらに自動車VicOneとWistronとの合弁を通じてAIインフラ・主権AIまで守備範囲を広げた。36年で守る対象は、ディスク上のファイルから国家のAIデータセンターへと動いている。
- エムスリー — マッキンゼーで35歳のパートナーになった谷村格は、ヘルスケアコンサルタントとして見続けた「製薬MR8万5千人と医師の非効率なマッチング」を、インターネットで解こうと2000年に独立した。最初の主力サービスMR君は、複数の製薬会社が1つのプラットフォームを共有する世界的にも例のない設計で、ネットを介したビジネス特許まで取得した。 そこから25年、エムスリーは日本の医師の半数以上を会員化した医師ポータルを軸に、治験・電子カルテ・人材・欧米の医薬品情報DBへと領域を広げ、コロナ禍では営業利益率45%という異常値をつけた。コロナ反動で利益が3割落ちた今、会社は予防医療と患者サポートに次の柱を求めて買収を続けている。
- 三越伊勢丹ホールディングス — 1673年に三井高利が江戸本町に呉服店「越後屋」を開き、1886年には小菅丹治が神田で「伊勢屋丹治呉服店」を構えた。300年以上の時を経た2008年、日本最古の呉服系百貨店と新興の対面型百貨店が経営統合し、初年度から純損失635億円を計上している。 統合後の17年間は120年続いた百貨店モデルからの脱却を模索する歴史であり、自主編集主義・構造改革優先・識別顧客戦略という3つの路線が衝突と修正を繰り返し、コロナ禍の営業赤字210億円を経て2024年度営業利益763億円という過去最高益にたどり着いた。
- SUMCO — SUMCOは1999年に住友金属工業と三菱マテリアル系が共同出資して生まれた統合会社で、シリコンウェーハ業界における日本側の最後の集約として登場した。2002年に三社の事業を束ねて発足し、わずか3年で東証一部上場まで駆け上がったが、その直後にリーマンショック後の半導体市況急落を受けて1,000億円超の純損失を計上した。 業績の回復を主導したのは2011年に就任した橋本眞幸で、長期契約による価格規律と300mm先端品集中の二つを軸に据え、AI需要が顕在化した2022年に売上4,410億円のピークを記録した。しかし年間3,000億円規模の設備投資を続けた結果、市況調整下のFY25は純損失に転落し、66年続けた小径ウェーハ事業からの撤退も決断した。
- アステラス製薬 — 1923年に大阪の薬種商として始まった山之内製薬は、戦後上場と国内工場拡張を経て1980年代に欧州へ進出、2005年に同じ大阪発の藤沢薬品工業と合併してアステラス製薬となった。合併の狙いは国内首位級の規模を背景に研究開発と海外販売を一気に世界水準へ引き上げることにあった。 転機は2010年のOSIファーマシューティカルズ約4000億円買収である。前立腺がん治療薬XTANDIの伸長で2015年3月期に売上1兆3727億円・純利益1936億円の最高益を出したが、2017年に就任した安川健司は「自前主義では勝てない」と外部導入路線を加速し、2023年のIVERIC bio約8000億円買収と相次ぐ開発中止が重なり2024年3月期の純利益は170億円まで落ち込んだ。
- 住友ファーマ — 道修町の薬種商21名が1897年に立ち上げた小さな製薬所は、108年後に住友グループの製薬部門と合併し、北米で26億ドルを投じてラツーダの国を作り上げた。だがその拡大の速度は、特許切れの崖を渡りきる足場を築く前に、自らの足元を崩した。 2024年3月期に計上した3,150億円の純損失は、2005年合併以降に積み上げた北米M&Aののれんを一気に焼き払う規模だった。1年後の2025年3月期、同社は236億円の黒字に戻り、アジア事業を720億円で売却して米日2拠点へ縮約した。拡大と清算が、ほぼ同じ20年間に同居している。
- 塩野義製薬 — 1878年に大阪・道修町の薬種問屋として始まった塩野義は、和漢薬から洋薬、自社製造、製薬専業へと業態を変えながら130年を生き延びた老舗である。その老舗が、2008年に研究開発出身の手代木功を社長に据えた瞬間から、疾患領域を感染症一本に絞るという異例の選択と集中に踏み切った。 ViiV社からのHIVロイヤリティで利益体質は一変し、2018年3月期に営業利益1,386億円・営業利益率38%に達した。2022年11月には国産初の経口COVID-19治療薬ゾコーバが緊急承認され、2023年3月期売上は4,267億円と20年越しに過去最高を更新。2025年3月期には総資産1兆5,353億円・自己資本1兆3,619億円まで膨らんだ。「感染症で世界と戦う」一本のテーマが、財務構造を作り変えた歴史である。
- 双日 — UFJ銀行の不良債権処理を契機に、明治期から独立して発展してきた三系統の商社が一つに束ねられた。旧日商岩井の「精神的支柱」だった航空機ファイナンス事業の撤退を含む2500億円規模の損失処理が断行され、合併直後から旧ニチメン系と旧日商岩井系の組織文化衝突が表面化し、2012年3月期には最終赤字36億円を記録した。 その制約が転換点となり、大手総合商社との正面競合を避け「双日らしさ」を打ち出した藤本路線は、副業解禁・ジョブ型雇用を商社業界に先行して導入し、ベトナム・省エネ・水産などの非資源分野への集中投資と組み合わせた。2023年3月期には純利益1112億円と双日発足以来の最高益を達成し、財務再建フェーズから収益拡大フェーズへの転換を数字で示した。
- J.フロント リテイリング — 松坂屋銀座店の再開発問題を契機に2007年、大丸と松坂屋HDが経営統合してJフロントリテイリングが発足した。以後17年で百貨店市場の縮小・パルコ傘下化・GINZA SIX開業・コロナ禍という四つの局面を経て、不動産・SC事業を軸とした多角化企業へと変容し続けた。 2021年2月期に261億円の最終赤字を計上したコロナの打撃は、2年間で1,038億円の有利子負債削減という財務構造改革を引き出した。インバウンド急回復と重なりFY24(2025年2月期)に事業利益520億円を達成、中計最終年度の目標を初年度で達成した。2024年就任の小野社長は「強みはリテールにある」と宣言し、業界が加速する「場所貸し」モデルへの逆張りとしてリテール本業回帰を選んでいる。
- コムシスホールディングス — 1951年、電気通信工事業界の有力者21名が出資して「日本通信建設」を設立した。電電公社の指定工事会社として受注の100%を1社に依存する構造は、1985年のNTT民営化を経ても根本的には変わらず、2003年に同業3社が統合してコムシスホールディングスを設立した後も、売上高の過半はNTTグループ向けだった。 この制約を解こうとする試みが、20年間のM&Aを貫く一本の線である。2010年のつうけん、2018年のNDS・SYSKEN・北陸電話工事の3社一括統合で通信工事の全国体制を完成させ、並行して再エネ・ガス・舗装と非通信領域にも進出した。2025/3期の計画でNTT関連売上比率は44%まで低下し、売上高6,146億円・営業利益460億円で過去最高を更新した。
- 大成建設 — 大成建設の歴史は、明治政府の建設需要を取り込んだ大倉組商会の創業から始まる。日本初の法人建設会社の設立、財閥解体後の「建設」社名採用、建設業界初の株式公開と、同社は繰り返し業界の制度的枠組みを先行して設定してきた。この「業界初」の蓄積が、のちに組織の大成と呼ばれる内部管理体制の磨き込みと結びつき、スーパーゼネコン5社の一角を占める規模を支えた。 しかし2009年のリーマン後初赤字以降、同社の軌跡は単純な成長物語ではなくなる。グループ子会社の相次ぐ完全子会社化、2022〜2023年の建築事業赤字・施工不良問題、そして2023年以降のM&A主導の業界再編路線という3つの転換が連続した。2025年9月にはスーパーゼネコン史上最大規模とされる東洋建設TOBが完了し、土木売上高で業界トップを射程に収める新局面に入っている。
- 大林組 — 1892年、乾物問屋出身の大林芳五郎が大阪で創業した大林組は、創業6年目に大阪市築港工事を受注し、1914年には東京中央停車場(東京駅)と生駒トンネルを同時に完工した。東西二大工事の完成で全国区のゼネコンに成長し、1936〜40年には施工高業界1位を記録。戦後は沖縄米軍基地工事でアメリカ式の機械化工法を習得し、1964年にバンコクへ業界初の常駐事務所を開設して海外進出を開始した。 2018年に就任した蓮輪賢治社長は、建設事業への依存を変えるため営業利益の3割以上を不動産・グリーンエネルギー・海外建設で稼ぐ目標を掲げた。北米ではM&A4件を重ねて事業領域を広げ、データセンター事業に10年間で1,000億円を投資する計画を発表。佐藤俊美社長(2025年就任)のもとで北米建設の1兆円規模拡大を視野に入れ、乾物問屋から始まった130年の建設請負業は複合事業体へと変わりつつある。
- 清水建設 — 1804年に越中富山の大工が江戸で開いた大工業は、渋沢栄一の30年にわたる経営指導のもとで「民間の建築工事」を主軸に据え、220年後もその路線を変えていない。民間建築への集中は、バブル期に首都圏の大型ビル需要を独占して業界トップの業績を生んだ。 しかし同じ構造が、資材価格の高騰と工期逼迫が重なった2024年3月期に上場来初の営業赤字247億円を生んだ。公共事業ならスライド条項で転嫁できるコスト上昇を、民間工事の多い清水建設は自ら吸収せざるを得なかった。好況期に最も恩恵を受け、不況期に最も痛む ── 「民間建築に強い堅実経営」の二面性が、この企業の歴史を貫いている。
- 長谷工コーポレーション — 1937年に尼崎の個人工務店として創業した長谷工は、1968年のマンション事業参入から5年で施工戸数業界1位に駆け上がった。首都圏シェア20%を握った1980年代、「脱マンション」を掲げてホテル・リゾートに1,000億円を投じたが、バブル崩壊で有利子負債は1兆3,000億円に膨張し、株価は13円まで下落した。 再建の柱は、多角化の全否定だった。1,850億円の特損を一括計上してマンション専業に回帰し、土地を自ら仕入れてデベロッパーに持ち込む「特命受注」の比率を85%まで高めた結果、2018年3月期には連結経常利益1,005億円に到達した。累計施工70万戸、日本の分譲マンションの約1割を建てた企業は、いま単体受注高7,000億円の規模にまで成長している。
- 鹿島建設 — 1860年、横浜で日本初の洋風建築「英一番館」を施工した鹿島は、以後160年以上にわたり各時代の先端技術を要する建造物を最初に手がけてきた。鉄道、ダム、原子炉、超高層ビル ── その都度「初めて」の施工実績が次の大型案件を呼び込み、1963年には年間受注高で世界一に達した。 しかし受注規模の大きさは収益力を意味しなかった。建設業界全体の過当競争構造の中で営業利益率1%未満が常態化し、2010年には初の営業赤字に転落した。転機は2011年以降の震災復興・五輪需要と技能労働者の減少が重なった供給制約で、選別受注が可能になったことだった。営業利益はFY14の127億円からFY16の1,554億円へ3年で12倍に跳ね上がり、「建てる技術」がようやく利益に変わる構造が生まれた。
- 積水ハウス — 1960年、積水化学工業のハウス事業部を母体に発足した積水ハウスは、プレハブが安物と見なされた時代に高級化路線へ舵を切り、自社ローンや売り建て方式など需要を自ら創り出す経営で15年連続増収増益を達成した。1991年に住宅業界初の売上高1兆円に到達し、業界首位を確立した。 リーマンショックで創業以来初の赤字に転落した経験から、請負型ビジネスへの依存を見直し、賃貸管理・リフォームなどストック型事業の比重を高めた。2017年以降は米国戸建住宅ビルダーの段階的買収に踏み切り、2024年にMDC Holdingsを約7,200億円で取得して売上高4兆円を突破。国内で磨いた住宅技術を米国に移植する「テクノロジー・トランスファー」戦略の成否が、次の成長を左右する。
- 日揮ホールディングス — 1928年に「日本揮発油」として創業した日揮は、製油所の建設を断念したことで逆に石油産業の「知恵」を売るビジネスモデルを見出し、特許収入からエンジニアリングへと事業を転換した。戦後は国内製油所建設で成長し、1968年から海外大型プラントへ軸足を移した。 1972年のアルジェリアで50億円の赤字を出しながらも海外受注をやめず、1976年には同じアルジェリアで1,450億円を受注した。1985年の円高では4期連続赤字に陥るが、当時の業界では異例だった海外調達比率50%への転換で黒字化し、競合を引き離した。この「大型ランプサム契約で攻め、損失も引き受ける」構造は2024年まで変わらず、イクシスLNG損失575億円を経て、選別受注への転換が進んでいる。
- 日清製粉グループ本社 — 1900年に正田家が群馬県館林で起こした機械式製粉会社は、不況のたびに競合工場を合併しながら国内製粉シェア約4割を築いた。食生活の洋風化が1960〜70年代の製粉需要を押し上げ、医薬・飼料・エンジニアリングへの多角化が製粉一本足のリスクを分散。1989年のカナダ買収を皮切りに3回の海外製粉大型M&Aを実行し、売上高は2001年の3,000億円台から2024年には8,500億円超へ拡大した。 転機は2019年の豪州最大手Allied Pinnacle買収だった。買収翌年にコロナが直撃し、ウクライナ情勢による食糧インフレが追い打ちをかけ、2023年3月期に創立以来初の純損失▲104億円を計上した。一方で北米製粉は同じ食糧インフレを販売マージンの改善機会として活かし、業績が急回復。FY23(2024年3月期)の連結営業利益は単年最高水準の478億円に達した。
- 明治ホールディングス — 1906年に台湾で誕生した製糖会社が、空襲で焼け落ちた工場でペニシリンを作り始めたとき、「食品製造」と「医薬品」を一つの企業に共存させる百年の歴史が動き出した。製糖・製菓・乳業という三事業に分裂したまま戦後を生き延びた明治グループは、103年後の2009年に統合という宿命を果たして売上1兆円超の食品・医薬コングロマリットとなった。 しかし「食と医の融合」という統合の本質的な価値は、持株会社化から16年が経った現在も実現しきれていない。コスタイベ(レプリコンワクチン)の風評被害による販売低迷と、工場閉鎖・人事制度改革という構造変革の課題が、現在の明治HDで並行して進んでいる。
- 日本ハム — 戦後の食生活洋風化という追い風に乗り、創業者・大社義規は「後退したことがない」と言い切りながら業界再編を主導して1963年に業界トップに立った。1973年の球団買収はブランドを全国に届けたが、1977年に始めた米国・豪州への食肉投資は30年近く収益を生まず、2002年の偽装事件では創業者一族が退いた。 信頼回復に10年を費やした後、2022年から構造改革を本格化させた第8代社長が不採算事業の整理と製造ライン削減を実行した。加工肉ではシャウエッセン、海外では食肉を中心に業容を安定化し、2026年3月期に事業利益640億円という過去最高益見通しへ。1977年に始めた海外投資が長い投資フェーズを経て、黒字事業として貢献するに至った。
- 東京エレクトロン — 東京エレクトロンは1963年、日商出身の久保徳雄と小高敏夫がTBSの出資を得て設立したエレクトロニクス商社を起源とする。創業翌年に米国フェアチャイルド社のICテスター輸入を開始し、日本のIC産業勃興の仕掛人となった。1970年代に売上の6割を占めた消費財輸出から撤退してIC製造装置に経営資源を集中、米国メーカーとの合弁を通じた国産化を経て商社からメーカーへと業態を転換した。 1994年に海外販売を代理店から直販に全面転換し、6年で海外売上比率を34%から70%へ引き上げてグローバル企業へ脱皮した。2013年に世界最大手Applied Materialsとの経営統合に合意したが独禁法の壁で頓挫し、以後は独自路線で成長を加速させた。2025年3月期には売上高2兆4316億円・営業利益率28.7%を達成。生成AI需要を追い風に売上高3兆円・営業利益率35%を目標に掲げる。
- 大和ハウス工業 — 大和ハウス工業は1955年、石橋信夫が大阪で創業した。戦後の木材不足と住宅難を背景に鋼管構造の「パイプハウス」で建築の工業化に先鞭をつけ、1959年発売の「ミゼットハウス」は3時間で建つ家として爆発的に売れ、日本のプレハブ住宅産業の礎を築いた。住宅事業で築いた顧客基盤と施工力を武器に、1976年には遊休地と出店企業をマッチングする流通店舗事業に参入し、住宅メーカーの枠を超える多角化の一歩を踏み出した。 創業者が貫いた無借金経営の信念のもとバブル崩壊後も財務健全性を維持し、2001年の大和団地合併でマンション事業を本体に統合、2013年のフジタ子会社化で売上高を一気に拡大した。2017年以降は米国住宅市場にも本格参入し、物流施設や半導体工場など事業施設の大型化も加速。2025年3月期の連結売上高は5兆4,348億円に達し、国内外でハウジングからビジネスまで幅広い領域を手がける総合不動産グループへと進化を遂げている。
- ニッスイ — ニッスイは1911年、田村市郎が下関で田村汽船漁業部を創業し遠洋トロール漁業に乗り出したことに始まる。戦後の1952年に魚肉ソーセージの本格生産を開始して食品メーカーへの転換を図り、1974年の米国・チリ進出を起点にグローバル水産食品企業へと成長した。2001年に北米家庭用水産冷凍食品の最大手ブランド「ゴートンズ」を買収して海外食品事業の柱を確立している。 2022年12月に「日本水産」から「ニッスイ」に社名を変更し、長期ビジョン「Good Foods 2030」のもとで水産・食品・ファインケミカルの三本柱による成長を目指す。2025年3月期には売上高8861億円・営業利益318億円を達成し、2026年1月にはチリのサーモン養殖会社PY社を完全子会社化して南米養殖事業の2030年8万トン体制を見据える。中期経営計画「Good Foods Recipe2」では2028年3月期に売上高9700億円・営業利益410億円を掲げ、売上高1兆円の射程圏に入った。
- 株式会社INPEX — INPEXは国際石油開発と帝国石油の経営統合によって誕生した日本最大の石油・天然ガス開発会社である。前身の国際石油開発が豪州沖で発見したイクシスガス田を軸に、日本企業として初めて大型LNGプロジェクトのオペレーターを務め、資源開発における日本の存在感を一変させた。 イクシスLNGプロジェクトは発見から操業開始まで約16年、総事業費約340億米ドルを投じた巨大事業であり、その成否がINPEXの企業価値そのものを左右してきた。2018年の操業開始以降は安定収益源として連結利益を支え、足元では脱炭素時代を見据えた水素・CCSへの投資と新規LNG開発を両輪で進めている。
- 株式会社クラレ — クラレは1926年に倉敷紡績の子会社「倉敷絹織」としてレーヨン生産を目的に創業した。1950年に日本初の国産技術による合成繊維ビニロンの工業化に成功し、1960年代から70年代にかけて人工皮革クラリーノ、ガスバリア樹脂エバール、イソプレンケミカルなど独自の高機能素材を連続的に開発。1970年に「クラレ」へ改称し、繊維メーカーから高機能素材メーカーへの転身を内外に宣言した。 2001年にレーヨン生産を停止して祖業と完全に決別し、同年のスイスClariantからのポバール事業買収を皮切りに、2012年の米MonoSol買収、2014年の米DuPontビニルアセテート事業買収でポバール世界シェア首位を確立した。2018年には米Calgon Carbon買収で活性炭事業にも進出し、売上高は3750億円から8000億円超へ倍増。「世のため人のため、他人のやれないことをやる」を企業理念に、ニッチ市場でグローバルトップを獲る戦略を一貫して追求してきた。
- ローム株式会社 — ロームは1954年に京都で創業した電子部品企業である。抵抗器メーカーとして出発し、1969年のIC参入で半導体メーカーへ転換。大手が避けるニッチ市場を狙うカスタムIC戦略と無借金経営で独自の地位を築いた。2009年以降はSiCパワー半導体に経営資源を集中し、ドイツのSiCウェハメーカー買収でサプライチェーンを垂直統合。2023年には東芝非公開化に3000億円を出資しパワー半導体の国内連携体制を構築したが、大型投資が重なり2025年3月期に大幅赤字へ転落した。2026年にはデンソーからの買収提案を受け、独立系半導体メーカーとしての存続が問われている。
- レーザーテック — 1960年、内山康が29歳でX線テレビカメラの開発会社として東京ITV研究所を設立。工場を持たないファブライト経営を創業時から貫き、1976年に世界初のフォトマスク欠陥検査装置を開発して半導体検査装置メーカーとしての地位を築いた。創業者の急逝後も5代にわたり技術者経営を継承し、2009年にFPD事業を縮小して半導体に集中。2017年にEUV検査装置を世界で初めて実用化し、EUVマスク検査の世界シェア100%を獲得した。2025年6月期の売上高は2,514億円、営業利益率48.8%に達している。
- TDK — 1935年、東京工業大学で発明されたフェライトの工業化を目的に齋藤憲三が東京電気化学工業を設立。世界初のフェライトコア製品化に成功し、磁気テープで世界シェア首位を獲得してからは、VHSビデオテープの大増産で黄金期を築いた。デジタル化の波で2002年に上場来初の営業赤字に転落したが、2005年のATL買収でリチウムイオン電池事業に参入し、記録メディアから完全撤退する一方で電池と電子部品を柱に据え、売上高2兆円超の電子部品メーカーに変貌した。
- アルプスアルパイン — 1948年、片岡勝太郎が東京都大田区にラジオ用バリコンの製造会社・片岡電気を設立。テレビ用チューナーやタクトスイッチなど製品を拡大して「部品の総合デパート」と称される電子部品メーカーに成長した。1967年にモトローラとの合弁でカーオーディオ事業に参入しアルパインブランドを確立したが、バブル崩壊後の5期連続減収と大規模リストラ、リーマンショック後の265億円赤字を経験。2019年にアルパインと経営統合しアルプスアルパインに改称し、車載・スマホ向け電子部品メーカーとして再出発した。
- 太陽誘電 — 1950年、誘電体セラミックスの研究者・佐藤彦八が東京都杉並区に太陽誘電を設立。「素材の開発から出発して製品化を行う」という創業者の信条のもと、半導体には一切参入せず受動部品専業を75年以上にわたり貫いてきた。1984年に世界初のニッケル電極大容量MLCCを商品化し、1988年にはCD-Rを世界初商品化して光記録メディア事業に進出。市場縮小により2015年に記録メディアから撤退し、現在はMLCC世界シェア3位の受動部品専業メーカーとして車載・AIサーバー向けの高付加価値製品に注力する。
- リコー — 1936年、理研コンツェルンの感光紙部門が分離独立し、市村清が経営を任されて理研感光紙を設立。カメラ製造から複写機へと事業の軸足を移し、1977年にOAを世界で初めて提唱して事務機メーカーとしての地位を確立した。直系販売会社・専門商社・文具問屋による三層構造の販売網で中小企業市場を面で押さえ、「販売のリコー」と称されたが、1965年・1992年・2018年と3度の経営危機を経験。近年はPFU買収や東芝テックとの合弁を通じ、「デジタルサービスの会社」への転換を推進している。
- 信越化学工業 — 1926年設立。信濃電気と日本窒素肥料の共同出資により、長野県の余剰電力を石灰窒素に転換する化学事業として発足した。昭和恐慌で操業休止に追い込まれた後、小坂家の経営のもとで再建を果たし、シリコーン・塩化ビニル・半導体シリコンへと事業を転換。1973年に米テキサスに設立した塩ビ子会社シンテックを、金川千尋の「フル生産、全量販売」方針のもとで50年かけて世界最大の塩ビメーカーに育て、営業利益率30%超の高収益体制を築いた。
- オリエンタルランド — 1960年設立。京成電鉄社長の川崎千春がディズニーランド誘致を構想し、浦安沖の漁場埋立から事業を開始した。15年の用地造成と三井不動産の反対を経てディズニー社との独占ライセンス契約を締結し、1983年に東京ディズニーランドを開業。出資なしのロイヤリティ方式という世界唯一の契約形態のもと、2001年の東京ディズニーシー開業で2パーク体制を確立し、入園料の段階的値上げと大型投資で収益を拡大し続けている。
- コスモス薬品 — 1973年創業。薬剤師の宇野正晃が宮崎県延岡市の個人薬局から出発し、20年の助走期間を経て小商圏型メガドラッグストアという独自業態を確立した。商圏人口1万〜2万人のエリアに2,000平方メートル超の大型店をドミナント出店し、医薬品の高粗利を原資に食品を低価格で販売するEDLP戦略を徹底。九州から地続きで全国へ拡大し、M&Aを52年間一度も行わず全店舗を自力出店のみで展開して2025年に売上高1兆円を突破した。
- 日本M&Aセンター — 1991年設立。創業者の分林保弘が日本オリベッティ時代に築いた会計事務所との人脈を起点に、全国の会計事務所と地方銀行をネットワーク化し、中小企業の事業承継を仲介するビジネスモデルを構築した。日経新聞への広告出稿や書籍出版で市場を啓蒙しつつ、全国金融研究会やバンクオブザイヤー表彰制度で地銀との関係を制度化し、東証一部上場を果たした。しかし2021年の不正会計発覚で信頼基盤が毀損し、競合の急増とともに転換期を迎えている。
- クックパッド — 1997年に佐野陽光が神奈川県藤沢市で有限会社コインを設立し、翌年レシピ投稿サイトを開始した。ユーザー投稿型テキストレシピという独自のUGCモデルで日本最大のレシピプラットフォームに成長し、広告と有料課金の二本柱で2015年に売上高100億円を突破した。しかし2016年の社長解任劇を契機に経営が混乱し、動画レシピの台頭で有料会員が流出。3期連続の営業赤字に転落し、従業員は半減した。
- DeNA — 1999年、南場智子がマッキンゼーを退職して東京都渋谷区に設立した。オークション事業「ビッターズ」でヤフオクに敗れた後、2004年にモバイル領域へ転換し、2009年のモバゲータウンを起点にソーシャルゲームで急成長を遂げた。2011年にプロ野球球団を取得し、2013年に売上高2,024億円・過去最高益を記録したが、米ngmoco買収の失敗やキュレーションメディア問題を経て成長の踊り場に入った。ゲーム事業への収益依存からの脱却が経営課題として続いている。
- 任天堂 — 1889年に山内房治郎が京都で花札の製造を始めたことに遡る。1949年に22歳で社長に就任した山内溥がプラスチックトランプの量産やディズニー提携で事業を拡大したが、食品・タクシーなど畑違いの多角化はいずれも撤退に終わった。1983年のファミリーコンピュータ発売で家庭用ゲーム市場を自ら形成し、以後はゲームボーイ、DS、Wii、Nintendo Switchと約10年周期でハードウェアを刷新しながら自社IPを軸にした独自の事業構造を維持。京都発祥の世界的なグローバル企業に発展した。
- 伊藤忠商事 — 1858年に初代伊藤忠兵衛が近江商人として麻布の行商を開始し、繊維商社として発展した。1977年の安宅産業救済合併で鉄鋼など非繊維商権を取得し総合商社化を加速したが、石油事業で約1300億円の累計損失を被った。2000年に丹羽宇一郎のもとで3950億円の特損を一括計上してバブルの負の遺産を清算し、2010年代以降はファミリーマートやCITIC提携を軸に非資源分野の収益基盤を構築している。
- 住友商事 — 1945年、住友財閥が25年間維持した「商社設立禁止」の方針を撤回し、日本建設産業として大阪で発足した。鉄鋼取引の拡大で「金ヘン商社」と呼ばれ、商品本部制の導入により総合商社への転換を進めた。リスク回避を経営原則としてきたが、2000年代に方針を転換して資源投資に踏み込み、2015年にニッケル・タイトオイル等で3,103億円の減損を計上して最終赤字に転落した。以後は非資源分野への利益分散と事業ポートフォリオの再構成を進めている。
- 三菱商事 — 1918年に三菱合資会社の営業部門を分離して設立された三菱商事は、財閥解体を経て1954年に4社合同で再発足した。鉄鋼・非鉄・機械を主軸とする商品構成で出発し、1968年のブルネイLNG開発参画を皮切りにトレーディングから事業投資型への転換を進めた。豪州原料炭やチリ銅山への大型資源投資を展開する一方、ローソンやセルマック買収など非資源分野も拡充。2016年にチリ銅山関連で最終赤字に転落したが、2020年代にはバークシャー・ハサウェイの出資を背景に事業ポートフォリオの入れ替えを本格化し、日本KFC売却やローソン連結除外など資産効率重視の経営に舵を切っている。
- 安宅産業 — 1909年に安宅弥吉が大阪で創業した安宅商会は、地金輸入を足がかりに国内メーカーとの取引網を構築し、八幡製鐵所の指定商として鉄鋼商権を獲得した。1956年に株式上場を果たして十大商社の一角に数えられたが、創業家の安宅英一が持株比率2.29%で経営を実質支配する統治構造のもとで、NRCプロジェクトへの傾斜投資と国内不動産投資の焦げ付きが重なり、1977年に不良債権2000億円超を抱えて経営破綻。伊藤忠商事に吸収合併され、68年の歴史に幕を閉じた。
- 旭化成 — 日本窒素コンツェルンの延岡工場を源流とし、1931年に延岡アンモニア絹糸として設立された。アンモニア合成技術を起点に繊維・火薬へ展開し、戦後に旭化成として独立。1961年に就任した宮崎輝社長のもとで石油化学・住宅・医療機器への多角化を推進し、「健全な赤字部門」の方針で新事業を育成した。1992年の宮崎氏急逝後は食品・酒類・化学繊維からの段階的撤退を進め、2012年以降は米ZOLL・Polypore・Veloxisなど大型M&Aでヘルスケア・電池材料を強化。マテリアル・住宅・ヘルスケアの三本柱体制に移行している。
- ホンダ — 1946年に本田宗一郎が浜松で個人創業し、自転車用補助エンジンの製造から出発した。藤沢武夫との二人体制で経営基盤を築き、資本金の7.5倍に相当する工作機械への投資で量産体制を確立。二輪車で世界首位を獲得した後、四輪車に参入してCVCCエンジンで技術力を示した。1978年に日本メーカーとして初めて北米現地生産に踏み切り、アコードは1989年に米国で最も売れた乗用車となった。2010年代以降は国内工場再編と欧州撤退で体制をスリム化し、2024年には日産・三菱自動車との経営統合協議を開始した。
- ヤフー — 1996年にソフトバンクと米Yahooの合弁で設立され、ディレクトリ型検索をもとに日本最大のポータルサイトへ成長した。PV最大化による広告モデルで高収益を実現し、Yahoo!オークションでCtoC市場を寡占したが、スマートフォン対応の遅れで2008年以降は成長が鈍化した。2012年の爆速経営で世代交代を断行し、EC無料化やPayPay設立、ZOZO・LINE統合を通じてプラットフォーム経済圏の再構築を推進している。
- ソニー — 1946年に井深大と盛田昭夫が東京通信工業を設立し、特許買収によるテープレコーダー製造から事業を開始した。トランジスタラジオとウォークマンで世界市場を開拓し、CBS Records・コロンビア映画の買収でエンタメ企業に変貌した。PlayStationでゲーム市場に参入しCCDイメージセンサーで半導体事業を本格化したが、2000年代にはエレクトロニクス事業の不振で6年間に5期の最終赤字を計上した。平井一夫体制でVAIO・電池事業を売却し、ゲーム・音楽・映画・センサーに集中する事業再編を経て、売上高13兆円の多角的経営体制を確立した。
- ファーストリテイリング(ユニクロ/GU) — 1949年に柳井等が山口県宇部市の商店街で紳士服店を開業し、1984年に柳井正が社長就任と同時にユニクロ1号店を開業した。ロードサイド出店とGAPを参照したSPAモデルの構築で急成長し、1994年に広島証券取引所に上場、2000年のフリース旋風で全国的知名度を獲得した。2006年のグローバル化宣言以降は一等地への旗艦店出店とGU設立で多角化を進め、売上高2兆7665億円の世界有数のアパレル企業へと成長した。
- サッポロビール — 明治期のビール三社合同により大日本麦酒として発足し、戦後の分割で日本麦酒として再出発した。ブランド封印の失策でシェア3位が定着した後、ヱビス復活と恵比寿ガーデンプレイス開業で不動産事業にも進出。スティールパートナーズの買収提案を退けつつ、ポッカ買収や海外ビール会社取得でポートフォリオ拡大を図るが、資本効率への問いは16年越しで繰り返されている。
- アサヒグループHD — 1949年、大日本麦酒の分割により朝日麦酒として発足し、西日本を地盤に再出発した。長期のシェア低迷を経て住友銀行主導の経営刷新を受け、1987年のスーパードライ発売でビール市場の勢力図を塗り替えた。国内成熟市場での反転経験を原型に、2016年以降は欧州・豪州で計2兆円超の大型買収を断行し、プレミアムビールを軸にしたグローバル三極体制を構築した。
- キリンHD — 1907年、外国人経営のビール会社を三菱系資本と明治屋の出資で株式会社化し、麒麟麦酒として独立した。戦後は家庭用市場の掌握と計画的な設備投資によりシェア60%超を達成して業界首位を長期間維持したが、1987年のスーパードライ攻勢でシェアが急落した。その後は医薬品事業やファンケル完全子会社化など事業ポートフォリオの転換を図り、ビール・飲料・ヘルスサイエンスの三本柱で経営を再構築している。
- キッコーマン — 1917年、千葉県野田の醤油醸造家八家が合同して野田醤油を設立し、200を超える商標を「キッコーマン」に集約した。野田争議を経て近代的経営体制を確立し、醤油国内シェア首位の地位を固めた。1957年の米国法人設立から1972年のウィスコンシン州現地生産開始に至る北米展開は、発酵食品の海外量産という参入障壁を築き、グローバル調味料ブランドの基盤を形成した。
- 味の素 — 1888年のヨード製造に端を発し、1909年に池田菊苗のうま味発見を事業化して調味料「味の素」の販売を開始した。全国特約店網と川崎工場の量産体制でMSG市場を支配したが、協和発酵の直接発酵法登場を契機に総合食品化と海外展開を加速した。飼料用アミノ酸の増産と海外食品事業への拡大を経て、2019年のROIC導入により資本効率を重視する経営管理へ転換し、半導体材料ABFという高収益事業も育成している。
- ニチレイ — 1942年、戦時統制のもと帝国水産統制株式会社として設立され、全国約220か所の冷蔵・製氷工場を継承した。戦後は日本冷蔵に改称し冷蔵倉庫業と水産加工を主業としたが、1980年代に水産部門の赤字を契機に冷凍食品と低温物流への事業転換を推進。1985年の商号変更で食品メーカーとしての認知を確立し、本格炒め炒飯や特からなどのヒット商品を生み出した。2010年代以降は欧州での低温物流買収や品質重視の商品開発でコールドチェーン総合企業としての地位を固めている。
- JT — 1949年に日本専売公社として設立され、1985年の民営化で日本たばこ産業として発足した。国内たばこ市場の構造的縮小に対し、1999年のRJRナビスコ海外事業買収と2007年のGallaher買収という二度の大型M&Aで世界3位のたばこ企業に成長。国内では希望退職の募集と20工場超の閉鎖で徹底的な構造改革を実行し、2022年にはたばこ事業の本社機能をジュネーブに統合してグローバル経営体制を確立した。
- 東洋紡 — 1882年、渋沢栄一らが主導した大阪紡績会社として設立され、三重紡績との合併を経て1914年に東洋紡績として発足した。紡績業界で国内首位の規模を誇ったが、合成繊維の時代にはポリエステル技術の導入で帝人・東レに後れを取り、レーヨン・アクリルからフィルム・バイオへと事業転換を模索した。1984年以降40年間にわたり10か所以上の国内工場を閉鎖しながら、犬山工場発のフィルム事業で液晶偏光子保護フィルム世界シェア60%を獲得。機能素材メーカーへの転身を図っている。
- 鐘紡 — 1887年に東京綿商社として創業し、1889年に鐘ヶ淵紡績として紡績業に転じた。中上川彦次郎・武藤山治のもとで紡績大合同論を推進し、1933年には全業種の売上高ランキングで日本企業1位に立った。戦後は化粧品事業で高収益を確保したが、繊維事業の構造的赤字をペンタゴン経営の名のもとに延命し続け、1975年に無配転落。2003年に粉飾決算の露呈で630億円の債務超過に陥り、化粧品を花王へ、繊維をセーレンへ売却した末に2007年に会社解散を決議した。
- ユニチカ — 1889年に尼崎紡績会社として兵庫県尼崎に設立され、大日本紡績を経て1969年に日本レイヨンとの合併でユニチカが発足した。ビニロン・ナイロン・PETフィルムなど多方面に展開したが、合併後は繊維事業の低収益と固定費負担に苦しみ、1977年には三和銀行が経営に介入した。1971年の資産売却に始まる53年間の段階的縮小を経て、2024年に祖業の繊維事業からの撤退とREVICへの金融支援要請に至った。
- 東レ — 1926年に三井物産の子会社・東洋レーヨンとして滋賀県大津で設立され、レーヨン製造から出発した。1951年にデュポンからナイロン技術を導入し、資本金を上回る10.8億円の投資で合成繊維メーカーへ転換。1957年にはICIからポリエステル技術を導入し帝人との二社体制を確立した。1971年に炭素繊維「トレカ」の販売を開始し、約40年の赤字を許容しながらB767・B777・B787と航空機向け供給実績を積み上げてシェアを確立。Zoltek・TenCate買収で産業用途にも拡大し、先端材料メーカーとしての地位を固めている。
- 北越コーポレーション — 新潟県長岡市の紙卸商・田村文四郎らが北越製紙を設立し、信濃川流域の水力と稲藁を活かした板紙製造から出発した。戦後復興期に洋紙生産で国内五位の地位を確保し、新潟地震・中越地震の被災を乗り越えながら設備投資を継続した。二〇〇六年の王子製紙による敵対的買収を三菱商事との連携で退けたが、その代償として系列化と経営体制の長期固定化を招き、大王製紙の株式取得やオアシスとの株主対立という新たな緊張を抱えている。
- レンゴー — 井上貞治郎が国産初の段ボールを製造し「段ボール」の名称を生んだ創業者である。五社合併による聯合紙器の設立を経て日本の段ボール産業の基礎を築き、淀川工場の建設と地方工場展開で一貫生産体制を確立した。大坪清社長のもとでセッツの合併や朋和産業の子会社化、トライウォール買収など業界再編と多角化を推進し、段ボール業界を百年以上にわたり牽引している。
- 日産化学 — 高峰譲吉・渋沢栄一らが東京人造肥料会社として設立し、日本初の化学肥料メーカーとして出発した。日産財閥傘下を経て戦後に独立し、一九六五年に石油化学に進出したが二期連続赤字を経験して一九八八年に完全撤退した。撤退後は農薬・医薬品・機能性材料への集中投資に転換し、インテル向け半導体材料や液晶配向膜材料で高収益体質を確立した化学メーカーである。
- 協和キリン — 酒造三社のカルテル「協和会」から生まれた研究所を母体に、発酵技術を基盤として出発した。戦後に協和発酵工業として独立し、ストレプトマイシンの製造で医薬品事業に参入した。医薬品・酒類・化学品・食品の四事業部体制を経て、二〇〇八年にキリンHDの傘下に入り非医薬品事業を相次いで売却した。抗体医薬を軸にグローバルスペシャリティファーマへの転換を進めている。
- 花王 — 長瀬富郎が東京日本橋で石鹸と輸入文具の小売業として創業し、流通から製造へと事業領域を拡大した。合成洗剤への転換と販社改革で強固な流通網と情報基盤を構築し、紙おむつ・化粧品・化学品へと多角化を進めた。EVA経営やトータルコストリダクションなど独自の経営手法で高収益体質を維持し、二〇〇六年のカネボウ化粧品買収で化粧品大手にも躍進した日用品・化学品メーカーである。
- 中外製薬 — 1925年、上野十蔵が中外新薬商会として創業し、ドイツ製薬品の輸入代理から注射薬の自社製造へ転換した。戦後は解毒剤グロンサンで経営基盤を築いたが単一製品依存により1966年に無配転落を経験。1970年代からバイオ研究に着手し、1991年のノイトロジン上市で遺伝子組換え製剤の技術を蓄積した。2002年にスイス・ロシュと戦略提携を締結して過半出資を受け入れ、創薬と初期開発に特化する事業モデルを構築。アクテムラやヘムライブラなどの抗体医薬品を世界市場に送り出し、バイオ製薬企業への転換を果たした。
- 日本ペイント — 1881年、茂木重次郎が日本初の塗料メーカーとして光明社を創業し、海軍向け塗料の製造販売で事業基盤を築いた。1917年の経営危機を経て小畑家が約60年にわたり経営を担い、自動車向け塗料で関西ペイントとの二社寡占を形成した。1962年にシンガポールで合弁事業NIPSEAを開始し、ウットラム家との協業で東南アジア・中国市場を開拓。2014年にウットラムの第三者割当増資を受け入れてアジア合弁事業の連結化を進め、2021年の増資で同社の出資比率は過半に達した。豪Dulux社やCromology HDの大型買収を経て、国内塗料メーカーからグローバル塗料企業への構造転換が進行している。
- 富士フイルム — 1934年、写真フィルムの国産化を目指して富士写真フイルムとして設立された。戦前の量産失敗を乗り越え、フジカラーで国内フィルムシェア70%を獲得したが、2000年代のデジタル化で写真フィルム市場が消失した。富山化学買収で医薬に参入し、バイオ医薬品製造受託やSonoSite買収でヘルスケアを強化。富士ゼロックスの完全子会社化でドキュメント事業も統合し、写真フィルムメーカーから複合型テクノロジー企業への転換を果たした。
- 三井金属鉱業 — 三井金属鉱業は三井鉱山の非鉄金属部門を母体に1950年に発足した。岐阜県の神岡鉱山から産出される亜鉛・鉛を主力とし、高度経済成長期には海外鉱山の権益取得や製錬事業の拡充で成長を遂げた。しかし円高の進行と国内鉱山の競争力低下により神岡鉱山の段階的縮小を余儀なくされ、1980年代には大規模な人員削減と再建計画を経て、銅箔やTABテープなど電子材料への事業転換を推進した。資源会社から先端電子材料メーカーへと変貌を遂げ、自動車部品や排ガス浄化触媒にも進出している。
- 三菱マテリアル — 三菱マテリアルは1918年に三菱鉱業として発足し、三菱財閥の非鉄金属鉱山と炭鉱を一手に担った。戦後の財閥解体で石炭と非鉄金属に分離されたが、1990年に三菱鉱業セメントとの合併で再合同を果たし、売上高約1兆円の総合素材メーカーとなった。超硬工具やシリコンウエハー事業に進出する一方、品質不正の発覚を契機に事業ポートフォリオの絞り込みに踏み切り、セメント事業をUBEとの統合で切り離した。銅製錬と超硬工具を軸とした再構築を図っている。
- 住友金属鉱山 — 住友金属鉱山は1927年に住友別子鉱山として設立された。元禄期から236年にわたり住友本社が直営してきた別子銅山の事業を法人化したもので、住友財閥の原点事業を担った。戦後は国内鉱山の閉山を進め、1985年の菱刈金山開山と海外資源開発で成長路線に転じた。電子材料やニッケル系正極材にも展開し、資源開発から先端材料まで一貫する非鉄金属の総合メーカーとして事業を拡大している。
- DOWA — DOWAホールディングスは1884年に藤田組が官営小坂鉱山を取得したことに始まる。黒鉱自溶製錬の技術を確立して国内最大の鉱山に育て、花岡鉱山や柵原鉱山の取得で鉱山群を拡充した。戦後は同和鉱業として非鉄金属製錬を展開したが、1970年代の鉱山規模縮小を経て、2002年に吉川廣和社長が環境リサイクル事業への集中投資を断行し、鉱山会社から環境・リサイクル企業へと事業構造を転換した。
- SMC — SMCは1959年に焼結金属工業として東京都千代田区に設立され、空気圧機器向けフィルター部品の製造を祖業とした。創業からわずか12年で空気圧制御の主要機構を内製化し、全国に営業所・出張所を緻密に配置して代理店の在庫保有を禁止する独自の流通設計で即納体制を構築した。1987年の上場後も髙田芳行社長のもとで利益率を追求する経営を貫き、中国・米国での現地生産を拡大しながら空圧機器のグローバルリーダーとしての地位を確立している。
- 日立製作所 — 1910年に小平浪平が日立鉱山の修理工場で5馬力モーターを国産化したことに始まる。外国技術に依存しない自前主義を40年間貫いたのち、1953年のGE技術提携で方針を転換し、テレビ・発電機・半導体へ事業を拡大した。非電機事業を子会社化して上場させる「親子上場」構造を60年以上維持したが、2009年の7880億円赤字を機に川村隆社長が構造改革を断行し、テレビ撤退や上場子会社の売却を推進。ABBパワーグリッド買収やGlobalLogic買収を経て社会インフラ・デジタル企業へ転換した。
- 三菱重工業 — 1887年に三菱財閥が長崎の官営造船所を買収して造船事業に参入し、1917年に三菱造船として株式会社化された。海軍艦艇・航空機・タービンに多角化して日本有数の重工メーカーに成長したが、戦後の財閥解体で3社に分割された。1964年の再合併後は防衛・エネルギー・宇宙で寡占的地位を築く一方、MU-300・客船・SpaceJetなど民間向け大型プロジェクトでは撤退判断の遅れが繰り返された。防衛・GTCC・原子力を牽引役に2024年に過去最高益を達成した。
- 川崎重工業 — 1878年に川崎正蔵が東京築地に造船所を創業し、官営兵庫造船所の払い下げで神戸に移転して三菱に次ぐ造船所に成長した。海軍依存の事業構造は軍縮期に経営危機を招き、1931年に和議を申請したが政府融資で存続を果たした。戦後の財閥解体で分離された川崎航空機・川崎車輛と1969年に再合併し、二輪車Kawasakiブランドの世界展開と産業ロボットへの早期参入で事業の多角化を実現した。防衛・航空・二輪・ロボットを柱とする総合重工メーカーとして存続している。
- IHI — 1889年に渋沢栄一の経営参画のもと有限責任石川島造船所として設立。1960年に播磨造船所を合併して石川島播磨重工業となり、造船・ジェットエンジン・プラント・タービンへと事業領域を拡大した。2000年代に造船事業を段階的に分社化し、豊洲の造船所跡地を不動産として再開発。2007年にIHIへ商号変更し、航空エンジン・ターボチャージャー・防衛を収益の柱とする総合重工メーカーとして事業構造を転換した。
- 日産自動車 — 1933年に鮎川義介が日産財閥の資本力を背景に自動車製造株式会社として設立。戦後は英オースチンとの技術提携で乗用車技術を導入し、ブルーバード・サニーなどの量産車で国内第2位の地位を確立した。1990年代に販売不振で経営危機に陥り、1999年にルノーとの提携でカルロス・ゴーンが就任。日産リバイバルプランで再建を果たしたが、2018年のゴーン逮捕後に再び業績が悪化し、ホンダとの経営統合協議など再建の模索が続く。
- いすゞ自動車 — 1937年に東京自動車工業として国策統合により発足。石川島造船所の自動車部門を母体にディーゼルエンジン技術を蓄積し、戦後はいすゞ自動車に改称して商用車メーカーの地位を築いた。1971年にGMと全面提携し乗用車ジェミニも展開したが、1992年に乗用車から撤退して商用車に特化。タイ現地法人の子会社化やボルボとの協業によるUDトラックスの取得でグローバルな商用車専業メーカーとしての事業基盤を拡充している。
- トヨタ自動車 — 1933年に豊田自動織機の自動車部として豊田喜一郎が創業し、1937年にトヨタ自動車工業として独立。戦後の経営危機では人員削減と工販分離で再建し、かんばん方式で生産革新の世界標準を築いた。カローラで国内シェア首位を確立し、1986年のケンタッキー単独工場を皮切りに北米現地生産を本格化。1997年のプリウス発売でハイブリッド技術を先導し、2024年3月期に売上高45兆円・純利益約5兆円を計上する世界最大級の自動車メーカーに成長した。
- 日野自動車 — 1942年にいすゞ自動車の日野製造所を分離して日野重工業として設立。戦車製造の軍需工場として発足したが、終戦で全社員を解雇し300名体制で商用車メーカーに転換した。1966年にトヨタとの業務提携で大型トラックに特化し、国内シェアトップを確保。2001年にトヨタの子会社となったが、2022年にエンジン認証の不正が発覚し経営危機に陥り、三菱ふそうとの経営統合を模索している。
- 三菱自動車 — 1970年に三菱重工業の自動車部門を分離して設立。クライスラーとの資本提携で海外展開の足がかりを得たが、北米販売の制約を受け、パジェロやランサーで独自の海外市場を開拓した。2000年代に二度のリコール隠しが発覚して経営危機に陥り、三菱グループの支援で存続。2016年に日産自動車と戦略提携を締結しルノー・日産アライアンスに参画したが、東南アジア偏重の収益構造と度重なる不祥事が経営の安定を阻んでいる。
- マツダ — 1920年に東洋コルク工業としてコルク製造から出発し、1931年に三輪トラック「マツダ号」で自動車産業に参入した。1967年にロータリーエンジン搭載車を世界で初めて量産したが、オイルショックで赤字に転落し1979年に米フォードと資本提携。フォード傘下で北米現地生産や5チャンネル体制を展開したが業績は安定せず、2015年のフォード撤退後はトヨタと提携。SKYACTIVテクノロジーで独自路線を追求する。
- スズキ — 1909年に鈴木道雄が浜松で織機製作所として創業。1952年に二輪車、1955年に軽自動車で四輪車に参入した。1978年に鈴木修が社長就任後、47万円のアルトで2台目需要を開拓し、1982年にインド国営企業マルチへ出資して新興国戦略の基盤を築いた。GMやフォルクスワーゲンとの提携と決別を経て、2019年にトヨタと資本提携。軽自動車とインド市場を武器に独自の地位を確立している。
- SUBARU — 中島飛行機の後身企業群を統合して1953年に富士重工業として設立され、航空機技術を自動車に転用してスバル360で大衆車市場に参入した。水平対向エンジンと四輪駆動を組み合わせた独自技術で4WD市場のシェア首位を確保し、いすゞとの合弁で北米現地生産にも踏み出した。日産・GM・トヨタと大株主が3度変わる資本遍歴を経て、北米SUV市場とアイサイトを軸にニッチ集中戦略を貫いている。
- ヤマハ発動機 — 1955年に楽器メーカー・ヤマハから二輪車製造部門を分離して設立。戦時に蓄積した工作機械約1,000台を二輪車製造に転用し、後発ながら量産体制で国内シェア2位を確立した。1960年にマリン事業、1984年に産業用ロボットへと多角化を進め、HY戦争でのホンダとの競争や二度の赤字転落を経て事業構造を再編。東南アジアでの現地生産を拡大し、二輪車・マリン・ロボティクスを柱とするモビリティメーカーとして独自の地位を築く。
- オリンパス — 1919年に山下長が高千穂製作所を設立し、顕微鏡の国産化から出発した。体温計事業の売却や森下仁丹との訴訟など創業期から経営の動揺を経験したが、1950年に世界初の胃カメラを開発して医療機器に参入。1961年にペンEEが爆発的にヒットし、1969年に第三事業部を新設して内視鏡事業を本格化させた。2011年に長年の不正会計が発覚し経営危機に陥るも、医療事業への集中を進め、2020年にカメラ事業を売却して医療機器専業へと転換した。
- ABCマート — 1985年、三木正浩が29歳で設立した輸入卸売会社を起源とし、ホーキンスの独占販売権取得と韓国での生産体制構築によりSPA型の靴卸売業を確立した。1990年に小売業ABCマートを開始し、1999年以降はショッピングセンターへの積極出店で全国チェーン化を加速。創業者退任後も漸進型経営のもとで国内1000店舗を突破し、韓国・台湾を含むアジア展開を推進する靴専門チェーン最大手に成長した。
- 日本マクドナルド — 1971年、輸入雑貨商の藤田田が米マクドナルドと合弁で日本マクドナルドを設立し、銀座三越に1号店を開業した。ロイヤリティ1%・契約期間30年という破格の条件のもと都市圏ドミナント戦略で急成長し、1984年に外食産業初の売上高1000億円を突破した。出店余地の飽和後は低価格路線で客数維持を図ったが客単価の毀損を招き、藤田体制の終焉を経て米本社主導の経営へと移行した。
- セブン&アイHD — 1958年に伊藤雅俊氏が株式会社ヨーカ堂を設立し、北千住を基盤とするスーパーマーケットとして出発した。1974年に米セブンイレブンのフランチャイズで日本にコンビニエンスストアを導入し、ドミナント戦略とPOS活用で国内最大のコンビニチェーンに成長した。2005年にセブン&アイ・ホールディングスを設立して経営統合し、米国7-Elevenの完全子会社化やSpeedway買収でグローバルコンビニ最大手に躍進した。百貨店・スーパー事業の不振とアクティビストの圧力を受け、事業再編が進行中である。
- ロート製薬 — 1899年、山田安民が信天堂山田安民薬房として創業し、胃腸薬「胃活」の製造販売で出発した。1909年に点眼薬「ロート目薬」を発売して眼科領域に参入し、胃腸薬と目薬の二本柱で国内大衆薬市場のシェア首位を確立した。1975年にメンソレータムの商標使用権を取得して第三の収益源を獲得し、1988年には米メンソレータム社を買収してブランド主権を掌握。2001年以降はスキンケアに本格投資し、東南アジア・中国への生産拠点展開を進めた。創業家・山田家5代にわたる同族経営のもと、大衆薬メーカーから総合ヘルスケア企業への転換を推進している。
- コマツ — コマツは1921年に竹内鉱業の機械部門が独立して設立された。戦後の混乱期を経て米軍向け砲弾で経営を安定させたが、売上高の72%を砲弾に依存する危うい構造であった。1956年に大阪工場の生産をブルドーザーに転換して建機メーカーへ業態転換し、キャタピラー社の日本進出に対しては品質改善に一点集中する防衛戦略で国内シェア60%超を維持した。油圧ショベルへの後発参入も既存の直販網を活用して8年で首位を獲得し、世界第2位の建設機械メーカーの地位を固めた。
- 日立建機 — 日立建機は日立製作所の建設機械部門を母体に1970年に製販統合で発足した。発足時の自己資本比率は6.4%と脆弱であったが、油圧ショベルを主力機種として事業基盤を固めた。米ディア社とのOEM提携で北米を、フィアット社との提携で欧州を開拓し、経営体力が整った段階で自社ブランドに切り替える二段階戦略で海外を展開した。2022年に筆頭株主が日立から投資会社に異動し、独立した総合建設機械メーカーとしての道を歩んでいる。
- クボタ — 1890年に久保田権四郎が大阪で鋳物屋を創業し、7年の試行錯誤を経て鋳鉄管の量産技術を独力で確立した。鋳鉄管で国内シェア60%を獲得したのち、戦後は耕うん機・トラクターで農機メーカーへ転身し、1972年から北米・欧州へ小型農機の輸出を本格化させた。2012年のノルウェーKverneland買収、2022年のインドEscorts買収を経てグローバル農機大手に成長する一方、水道管カルテルの発覚やアスベスト問題にも直面し、コンプライアンス体制の再構築を迫られた。
- ファナック — 1956年に富士通の社内プロジェクトとしてNC装置の研究開発が始まり、稲葉清右衛門が技術リーダーとして電気圧パルスモーターを発明した。約10年の赤字を経て1972年に富士通ファナックとして分離独立し、汎用NC装置への集中で国内シェア70%・売上高経常利益率36.6%を達成した。山梨県忍野村に本社と工場を集約する独自の立地戦略を貫き、2010年代にはiPhone向けロボドリルで急成長したが、特定製品への需要集中は6割減益をも招いた。
- HOYA — 1941年に山中正一と山中茂の兄弟が東京都保谷町で東洋光学硝子製造所を創業し、軍需向け光学ガラスの製造から出発した。終戦による需要消滅後、クリスタルガラスに転じたが為替変動で経営危機に陥る。1957年に鈴木哲夫が社長に就任し、直販体制とシェア戦略で高収益体質を構築。1974年に半導体用マスクサブストレートに参入し、1990年代以降はROE経営への転換と不採算事業の整理を進めた。
- キヤノン — 1933年に精機光学研究所として六本木のアパートで発足し、産婦人科医の御手洗毅の出資でカメラの国産化に着手した。戦後に御手洗が経営に専念し、英マセソン社との提携で北米輸出を本格化。資本金の10倍を投じた下丸子工場で量産体制を確立し、高級カメラのグローバルブランドを築いた。1967年に事務機への多角化を打ち出し、1985年のHP社との提携でLBP事業が急成長、連結売上高1兆円を突破した。
- ヤマハ — 1897年に山葉寅楠が日本楽器製造を設立し、オルガンとピアノの国産化から出発した。1950年に川上源一が社長に就任してヤマハ音楽教室を組織化し、教育による需要創出でピアノの国内シェア60〜70%を確立した。海外は商社を排して自社ブランドで直接販売し、1970年に世界シェア約30%を獲得。多角化でリゾートや半導体にも進出したが、2000年に最終赤字407億円を計上し、以降は楽器と音響への回帰を進めた。
- サンリオ — 1960年に山梨県庁出身の辻信太郎が山梨シルクセンターを設立し、絹製品の販売から出発した。創業直後の不渡りを百貨店前の路上販売で乗り越え、ギフト商品の企画へ転換。1974年にハローキティを企画し、キャラクターのライセンス供与を主軸とするビジネスモデルを確立した。1990年にピューロランドを開園したが、バブル期の財テク失敗で8期連続の最終赤字に陥り、自己資本比率は3%まで悪化した。
- そごう — 1830年に大坂で古着商「大和屋」として開業し、1877年に十合呉服店へ改称、1919年に株式会社化して百貨店へ転換した。1962年に社長に就任した水島廣雄のもと、銀行借入と別会社方式を組み合わせた出店モデルで千葉・横浜・広島など全国に大型店を展開し、1992年にグループ売上高1.4兆円・国内外35店舗で百貨店業界の売上高首位に到達した。しかしバブル崩壊後の地価下落と消費低迷により負債が重荷となり、2000年7月に負債総額約1兆8700億円で民事再生法を申請、国内小売業最大の経営破綻に至った。
- 丸井 — 1931年に青井忠治が東京・中野で月賦販売商として創業し、1937年に株式会社丸井を設立した。中央線沿線の小規模店から都心部の大型店へと業態を転換し、1960年に店舗専用クレジットカードを発行、1974年の店舗即時発行の実現とDCブランドの分割払いを組み合わせた独自モデルで26期連続増収増益を達成した。1981年にキャッシング事業に参入し収益を拡大したが、2006年の改正貸金業法で15年累計1247億円の利息返還損失を計上する経営危機に陥った。VISAと提携したエポスカードへの転換と対話型経営の導入により金融事業の収益構造を再設計し、11年連続増益を達成して再建を果たした。
- 三菱地所 — 1890年に三菱財閥が明治政府から丸ノ内の土地を一括買収し、30年の歳月をかけて荒地をオフィス街に転換した。1937年に三菱地所を設立し、戦後の財閥解体と再統合を経て1959年に丸ノ内総合改造計画を策定、赤レンガ街を近代的な31mのオフィスビル群に一新した。1990年にロックフェラーグループへの出資で海外展開を試みたが撤退、2002年には築70年の初代丸ビルを超高層の複合ビルに建て替えて丸ノ内を複合都市として再定義した。2010年代以降は住宅分譲のザ・パークハウスや大手町・常盤橋の大型再開発を推進し、130年超にわたる丸ノ内の開発者としての地位を維持している。
- 横河電機 — 1915年に建築家・横河民輔が東京渋谷に電気計器研究所を個人創業し、1920年に株式会社化した。欧米製に依存していた精密電気計器の国産化を実現し、フォックスボロ社との技術提携やヒューレットパッカードとの合弁で計測器事業の幅を広げた。1975年の制御システムCENTUM発表と1983年の北辰電機との合併を経て、プラント向け制御システムメーカーとしての地位を確立。HP合弁の解消やGE合弁の縮小を経験しつつも、産業オートメーションを軸に事業を再構築した。
- イビデン — 立川勇次郎が揖斐川の水力資源を活用して揖斐川電力を設立し、水力発電とカーバイド製造から出発した。戦時の電力統制でカーバイド専業に転換し、建材を経てプリント配線板に参入した。一九九四年のインテル攻略プロジェクトでパッケージ基板のトップサプライヤーに躍進し、フィリピン・マレーシアでの海外量産体制を構築した。電力会社から先端半導体部材メーカーへという異色の事業転換を遂げた大垣の名門企業である。
- ニデック — 1973年に永守重信が京都で資本金200万円の日本電産を創業し、国内で門前払いを受けた精密小型モータを米国市場経由で販売に漕ぎつけた。HDD用スピンドルモータで世界シェア80%超を確保したのち、1995年の赤字転落を契機にM&Aを主軸としたHDD依存からの脱却に着手した。累計60社超の買収で車載・家電・産業用モータへ事業を多角化し、2024年に創立50周年を機に商号をニデックに変更した。
- 赤井電機 — 1924年に赤井舛吉が東京港区でソケットラジオ部品の製造を開始し、戦後に赤井三郎が再興してテープレコーダーの輸出特化型メーカーに転換した。輸出比率95%・売上高純利益率12.8%の高収益で1968年に東証二部に上場したが、1973年の創業者急逝とビデオ参入の出遅れ、プラザ合意後の円高が重なり採算が崩壊。三菱銀行やセミテックの経営支援も奏効せず、2000年に民事再生法の適用を申請して倒産した。
- アドバンテスト — 1954年に通信省出身の武田郁夫が愛知県豊橋市でタケダ理研工業を創業し、大手が手がけない電子計測器のニッチ市場に特化した。研究開発偏重で経営管理を欠いたまま国産初のICテスタを開発したが、1975年に赤字転落と社内クーデターで創業者が失脚。富士通の救済支援のもとICテスタに集中し、1996年に半導体検査装置で世界シェア約40%を確保した。顧客の半導体投資サイクルに業績が連動する構造のもと、赤字と最高益の振幅を繰り返している。
- 京セラ — 1959年に稲盛和夫が京都市に京都セラミックを設立し、松風工業時代に培ったセラミック技術を基盤に電子部品メーカーとして出発した。創業3年目から米国市場を開拓し、1966年にIBMからIC用基板を受注して半導体パッケージ市場に参入。需要が不透明な段階で鹿児島に量産工場を先行建設し、世界シェア約70%を確保した。買収による多角化で事務機器・通信機器に事業を拡大したが、セラミックの素材転換で苦戦し、祖業の黒字で多角化事業を支える構造が形成された。
- ニコン — 1917年に三菱合資会社の出資で日本光学工業を設立し、軍需光学機器の製造から出発した。光学ガラスの量産化に10年を要し、終戦時には従業員2万5000名の軍事企業に膨張したが、民需転換で2万名を整理解雇した。戦後はカメラとレンズで国際的評価を確立し、1980年にステッパーに参入して二本柱体制を構築。しかし1999年に顧客転換の失敗で赤字に転落し、2016年の構造改革を経て事業の再定義を模索している。
- SCREEN HD — 1868年に石田才次郎が京都で銅版印刷の石田旭山印刷所を個人創業し、1943年に株式会社大日本スクリーン製造所として法人化した。写真製版用ガラススクリーンの国産化から出発し、精密エッチング技術を軸に1975年から半導体製造装置に参入。1994年に電子工業向け機器が印刷関連を上回り業態転換を達成した。不況期の300mmウエハ対応投資で競合を脱落させ、2022年にウエハ洗浄装置で世界シェア首位を獲得した。
- ヤオハン — 1930年に和田良平が八百半熱海支店として創業し、旅館向けの野菜卸から出発した。1956年に現金正札廉価販売を導入して近代的な小売業に転換し、1962年に和田一夫が社長に就任して伊豆半島から全国への店舗展開を進めた。1971年にブラジル、1974年にシンガポールに出店して海外展開に着手し、1990年に香港へグループ本社を移転。しかし国内店舗の過剰投資と有利子負債の膨張、粉飾決算の発覚が重なり、1997年に会社更生法の適用を申請して倒産した。
- ZOZO — 1998年に前澤友作氏が有限会社スタートトゥデイを設立し、CD・レコードの通信販売から出発した。2004年にファッション特化型ECモール「ZOZOTOWN」を開設し、ユナイテッドアローズなど有力セレクトショップの出店獲得を契機に国内最大級のファッションECプラットフォームへ成長した。物流の内製化と高速オペレーションを競争力の源泉とし、受託販売モデルで高いテイクレートを実現。2019年にZホールディングス傘下に入り、創業者退任後は組織経営への移行を進めている。
- メルカリ — 山田進太郎がスマートフォン特化型のフリマアプリ「メルカリ」を開発し、テレビCMと大型資金調達で急成長して日本のCtoC市場を開拓した。二〇一八年に東証マザーズに上場したが、米国子会社での累計百八十一億円の減損や不正決済問題にも直面した。メルペイの設立で決済領域に進出し、あと払いサービスの拡大でプラットフォームの金融化を進めている。
- リクルートHD — リクルートは1960年に江副浩正が大学新聞の広告取次として個人創業した。就職情報誌「企業への招待」から住宅情報・旅行・結婚など生活領域の情報メディアを次々と展開し、営業主導の組織文化で急成長を遂げた。1988年のリクルート事件で経営危機に陥り、バブル崩壊後には有利子負債が1.4兆円に達したが、本業のキャッシュ創出力で12年間かけて返済を完了した。2012年のIndeed買収でHRテクノロジー企業へ転換し、2014年の上場を経てグローバル人材マッチング市場を牽引している。
- ダイキン — 1924年に大阪砲兵工廠出身の山田晃が大阪で金属加工業を創業し、軍の指定工場として砲弾製造で急成長した。1935年に国内初のフロン生産に成功して空調領域に参入し、戦後は朝鮮戦争の砲弾特需で得た資金を冷凍機・フロンに再投資して空調メーカーへ転身した。1990年代から中国・欧州へ本格進出し、2006年のOYL社買収、2012年の米Goodman買収を経て世界最大級の空調専業メーカーに成長した。
- パナソニック — 1918年に松下幸之助が大阪で電気器具製作所を個人創業し、自転車用ランプとナショナルブランドで事業を拡大した。水道哲学と事業部制を経営の基盤に据え、戦後は三種の神器への同時参入で総合家電メーカーの地位を確立した。1990年のMCA買収は5年で撤退し、2005年からのプラズマテレビへの6000億円投資も巨額損失に帰結した。三洋電機の統合を経て2022年に持株会社制へ移行し、EV向け電池への集中投資と不採算事業の売却を進めている。
- シャープ — 1912年に早川徳次が東京で金属加工業を個人創業し、シャープペンシルの開発で製造業に転じた。関東大震災で全てを失い大阪で再起し、ラジオの国産化で電機メーカーへ転身した。半導体の内製化と液晶技術の蓄積で独自の地位を築き、液晶テレビAQUOSで一世を風靡したが、亀山・堺工場への巨額投資が裏目に出て経営危機に陥り、2016年に鴻海精密工業の出資を受け入れて台湾企業の傘下で再建を図ることとなった。
- 三洋電機 — 1947年に松下電器の重役だった井植歳男が公職追放を機に大阪で創業し、自転車ランプで国内シェア70%を確保した。噴流式洗濯機で日本の洗濯機の標準仕様を確立し、カラーテレビの北米輸出と現地生産で急成長を遂げた。1990年以降は二次電池への傾斜投資でリチウムイオン電池の競争力を獲得したが、有機ELへの巨額投資失敗と財務悪化が重なり、2011年にパナソニックに完全子会社化される結末を迎えた。
- パイオニア — 1938年に松本望が東京でスピーカー専業の福音商会電気製作所を創業した。ダイナミック・スピーカーで東京市場を独占し、戦後はセパレートステレオやレーザーディスクプレーヤーで音響分野に独自の地位を築いた。1990年代にプラズマディスプレイに巨額投資したが液晶の台頭で裏目に出て1万名削減に追い込まれ、カーオーディオに集中投資するも財務回復に至らず、2019年に上場廃止。投資ファンドを経て台湾企業の傘下に入った。
- 日本ビクター — 1927年に米ビクターの日本法人として蓄音機製造で出発し、日産財閥・東芝・松下電器と親会社が変遷した。1976年に松下電器がVHS規格を採用したことでビデオ戦争に勝利し、VHSテープの大増産で売上高7000億円超に急成長した。しかしVHS需要の消失とデジタル化への対応遅れで1993年に最終赤字430億円を計上し、業績回復を果たせないまま2008年にJVCケンウッドとの経営統合で独立企業としての歴史を閉じた。
- キーエンス — 1972年に滝崎武光が兵庫県伊丹市でリード電機を個人創業し、2度の倒産を経た3度目の起業で自動線材切断機の製造を開始した。トヨタ自動車向け磁気センサの開発を契機にセンサー事業に転換し、営業利益率20%の祖業を売却して利益率40%のセンサーに経営資源を集中した。直販体制・標準品特化・付加価値ベースの価格設定という原則を創業期に確立し、営業利益率50%超と平均年収2000万円を両立する企業に成長した。
- 光通信 — 1988年に重田康光が23歳で設立し、NTT民営化に伴う通信自由化を背景にホームテレホンの訪問販売から事業を開始した。1994年に携帯電話販売店HITSHOPを展開し、FC方式で全国1816店まで急拡大したが、2000年に架空契約問題が発覚して時価総額3兆円から株価が100分の1に暴落した。2600店の閉鎖と有利子負債の圧縮を経て、複写機を中心とする法人向け訪問販売に原点回帰し、2004年に黒字転換を達成した。以降はウォーターサーバー・電力・保険など販売品目を拡大しつつ、大量採用と接触回数を武器とする営業モデルを維持し、2018年に時価総額1兆円を突破、2024年3月期に過去最高益を達成した。
- 日本触媒 — 八谷泰造がバナジウム触媒による無水フタル酸の工業化に成功し、ヲサメ合成化学工業として創業した。爆発事故を乗り越えて国内シェア七〇パーセントを確保し、石油化学への原料転換とアクリル酸の国産化を経て、一九八五年に高吸水性樹脂の製造に参入した。紙おむつ市場の拡大に乗りグローバルなシェアを獲得したが、三洋化成との経営統合は業績格差の拡大により白紙撤回された。触媒技術を基盤に化学品と機能性材料を展開する。
- サイバーエージェント — 1998年、24歳の藤田晋がインターネット広告の営業代行で創業し、クリック保証型広告「サイバークリック」で広告会社への転換を果たした。2000年に東証マザーズに上場して207億円を調達したが、ITバブル崩壊後は赤字が続き、村上ファンドの株主提案や終身雇用宣言など独自の経営判断で局面を打開した。2011年のスマホシフト宣言でモバイル対応を断行し、ゲーム事業を急拡大。2015年にはAbemaTVを設立してインターネットテレビに巨額投資を継続し、広告・ゲーム・メディアの三本柱で事業を構成している。
- 豊田自動織機 — 豊田自動織機は1926年に豊田佐吉がG型自動織機の製造を目的に設立した。1933年に社内に自動車部を新設してトヨタ自動車の源流となり、戦後はフォークリフト・カーエアコン用コンプレッサーに多角化した。トヨタ自動車向けの受託生産が売上の過半を占める構造が半世紀以上にわたって定着し、フォークリフトで世界首位を確保する一方、2017年のVanderlande買収で物流ソリューション事業にも進出した。社名に「織機」を残しながら実態は物流・自動車の企業である。
- セリア — 1985年に岐阜県大垣市で移動販売業として創業し、1994年に100円ショップの常設店舗展開に転換した。業界の常識に反してリアルタイムPOSと独自の発注支援システムを全店導入し、データに基づく品揃え最適化で高収益体制を確立。新店舗ブランド「Color the days」で雑貨比率を急上昇させ、2009年にキャンドゥを抜いて業界2位に浮上した。2代目社長のもとでIT経営を深化させている。
- 靴のマルトミ — 1950年に冨永光行が名古屋市内に丸富靴店を開業し、既製靴の低価格販売という当時としては革新的な手法で靴を日常消費財に転換した。1975年に郊外型店舗へシフトし、1980年から「靴流通センター」を全国展開、1983年の全店オンライン化や1986年の国内シェア首位獲得を経て急成長を遂げた。1985年には玩具店BANBANの展開も開始し、1993年に1700店舗を突破して売上高は約1717億円に達した。しかし1994年に17期ぶりの減益に転じて180店舗を閉鎖、大店法の規制緩和と郊外型ショッピングセンターの台頭により小型ロードサイド店モデルは競争劣位に転落し、2000年12月に負債総額761億円で民事再生法の適用を申請した。
- 武田薬品工業 — 初代武田長兵衛が大阪道修町で薬種商として創業し、和漢薬の仲買を百三十年以上にわたり営んだ。第一次世界大戦での輸入途絶を機に自社製造に転じ、大衆薬アリナミンで国民的ブランドを確立した。リュープリンの成功で創薬型国際企業への転換を果たし、武田國男社長の多角化事業売却を経て、二〇一九年のShire買収で世界トップ十入りを実現した。希少疾患・血漿分画製剤を中核とするグローバル製薬企業である。
- 帝人 — 1918年に鈴木商店の金子直吉の支援のもと帝国人造絹糸として米沢で設立され、レーヨン製造から出発した。鈴木商店の破綻を経て独立し、戦後は大屋晋三社長のもとでアセテート・ポリエステル・ナイロンと合成繊維に多角化、1971年にはレーヨンから完全撤退した。未来事業本部による新規事業探索を経て医薬品と高機能素材に軸足を移し、ベニロンやフェブリクで医薬品事業を確立。2000年のアラミド繊維事業買収でグローバル特殊繊維に進出し、素材・医薬・自動車部品の複合企業として事業ポートフォリオの再構成を続けている。
- デンソー — 1949年にトヨタ自動車の電装品部門を分離する形で日本電装として設立された。自己資本比率5%・負債1.5億円の脆弱な財務で発足し、設立3か月で473名を解雇するなど前途多難な船出であったが、朝鮮特需で業績が好転した。1953年のロバートボシュとの技術提携を契機にカーヒーター・噴射ポンプ・カーエアコンへ製品を拡充し、1982年の売上高1兆円計画でグローバル展開を加速させた。トヨタ向け売上比率50%の構造は40年を経ても変化していない。
- 日本製鉄 — 1970年、八幡製鐵と富士製鐵の合併により新日本製鐵として発足し、粗鋼生産で世界最大級の鉄鋼メーカーとなった。大分製鉄所の新設で生産体制を拡充する一方、鉄鋼不況のもと4次にわたる合理化で釜石の高炉停止など国内生産体制を大幅に再編した。半導体やエレクトロニクスへの多角化は撤退に至った。2012年に住友金属工業と経営統合し、日新製鋼買収やUSスチール買収計画などグローバル鉄鋼再編を主導している。
- ブリヂストン — 1931年、石橋正二郎が日本足袋の事業部からタイヤ製造を独立させ、福岡県久留米市にブリッヂストンタイヤ株式会社を設立した。地下足袋で培ったゴム技術を自動車用タイヤに転用し、戦後のモータリゼーションに乗じて国内シェアを拡大。1961年の上場まで30年間非上場を維持し、石橋家は富裕税納付で日本1位となった。1988年に米ファイアストンを買収して世界有数のタイヤメーカーに躍進し、品質問題やリストラを乗り越えてグローバル経営体制を構築した。
- 資生堂 — 1872年、福原有信が東京銀座に資生堂薬局を開業し、調剤事業から化粧品へ参入した。1923年にチェインストア方式を導入して全国販売網を組織化し、花椿ブランドの確立と躍進五ヵ年計画により1964年に国内化粧品シェア首位を獲得した。1986年の仏カリタ社買収を皮切りに海外M&Aを積極化し、1997年の再販価格維持撤廃で流通構造が変化した。2000年代にはメガブランド戦略で国内事業を再建し、米Drunk Elephant買収でグローバルプレステージを強化。近年はパーソナルケア事業の売却とスキンケア集中で事業構造の転換を進めている。
- 日本特殊陶業 — 1936年、日本碍子の技術を基盤にスパークプラグの製造で創業した。終戦後の2000名解雇を経て生産改善と海外展開を推進し、1966年に点火プラグの国内シェア70%を確保した。補修用市場での高収益体制を築きながら、1967年にはセラミックICパッケージにも参入して半導体向け事業を開拓。ブラジル・東南アジア・欧米に生産拠点を展開し、スパークプラグ10億本生産を掲げる自動車点火プラグの世界的メーカーに成長した。
- ニトリ — 1967年に似鳥昭雄が札幌市内で似鳥家具店を創業し、1972年の渡米視察で米国との価格差に衝撃を受けて「日本の住まいを豊かにする」を経営理念に据えた。1978年にチェーン化構想を発表してドミナント展開で北海道の基盤を固め、1987年にはプラザ合意後の円高を追い風にインドネシア・ベトナムでの海外生産と独自物流網を構築し、製造から小売までを一貫して手がけるSPA型モデルを確立した。2002年に東証一部上場、2020年に時価総額2兆円を突破し36期連続増収増益を達成したが、円安の進行が「円高前提のSPA」を直撃し、2024年3月期に記録が途絶えた。
- ソフトバンクグループ — 1981年に孫正義が24歳で日本ソフトバンクを設立し、パソコンソフトウェアの卸売流通から事業を開始した。1994年の株式公開を転機に企業買収とベンチャー投資へ軸足を移し、1996年にヤフー日本法人を設立してインターネット事業に参入した。2001年にADSLサービスYahoo!BBで通信事業に進出し、2006年には1.7兆円のLBOでボーダフォンを買収して携帯キャリアに参入した。2014年のアリババ上場で巨額の含み益を獲得し、2016年に英ARMを約3.3兆円で買収、2017年にサウジアラビアなどの出資を得てソフトバンク・ビジョン・ファンドを組成し、投資持株会社への転換を鮮明にした。
- KDDI — 1984年に京セラの稲盛和夫が主導して第二電電企画を設立し、通信自由化を機に長距離電話事業に参入した。1987年にセルラー子会社を通じて携帯電話事業にも進出し、2000年にDDI・KDD・IDOの三社合併でKDDIが発足、auブランドを立ち上げた。CDMA方式への一本化と着うたなどの独自サービスによりドコモを追撃し、2004年には携帯電話の年間契約純増数で首位を獲得した。2010年代以降はau経済圏の構想のもと金融・JCOM・ローソンなど通信以外の事業領域を拡大し、通信インフラから生活基盤企業への転換を進めている。
- サイゼリヤ — 1967年に理系出身の正垣泰彦が千葉県本八幡で飲食店を個人開業し、翌年イタリア料理店サイゼリヤに転換した。全メニュー半額化で繁盛店に転じ、悪立地と低価格と素材重視を経営の原則に据えた。投資リターン20%を基準に全国展開を推進し、広告宣伝費を売上高比0.3%に抑えて食材原価に集中投資するモデルを確立。1998年に株式上場を果たし、2003年から中国市場にも進出した。
- 横浜フィナンシャルグループ
The社史
ビジネスパーソンに長期視点を普及するため、1人で創っています
AIエージェント向けアクセス情報2002年
創業
ルネサスエレクトロニクス
NEW売上高
13,212億円
2025/12
営業利益
2,011億円
2025/12
2010年の3社統合で日本最大の半導体会社が生まれたが、誕生と同時に東日本大震災で主力の那珂工場が被災し、3期で累計3,400億円超の純損失を計上した。2013年に産業革新機構・トヨタ・日産等が第三者割当を引き受けて実質的な公的救済に入り、車載マイコンという狭い一角に縮小均衡することで黒字を取り戻した。
2018年に就任した柴田英利CEOは「縮みっぱなしからの脱却」を掲げ、Intersil・IDT・Dialog・Altiumと立て続けに海外買収を重ねて車載一本足からアナログ・パワー・EDAへとポートフォリオを広げた。2022年には営業利益4,242億円という統合後最高益を記録するが、2025年にはSiC調達先Wolfspeedの破綻で2,376億円の減損を計上し、再び雇用構造改革に踏み切っている。
売上高(2012〜2025)
1942年
創業
セイコーエプソン
NEW売上高
13,629億円
2025/03
営業利益
751億円
2025/03
1942年に信州諏訪でウオッチ部品加工会社として生まれた会社が、1964年の東京オリンピック公式計時用プリンターをきっかけにコンピュータ周辺機器に進出し、1985年には『EPSON』の名を冠した子会社を吸収合併してセイコーエプソンとなった。ドットマトリクスプリンター、インクジェット、液晶プロジェクターと、時計技術の応用で主力製品を次々に拡張した多角化の物語である。
しかし2000年代に入ると液晶・水晶デバイス事業が構造不況に陥り、2009年3月期には純損失1,113億円を計上した。電子デバイス事業の縮小とプリンティング事業への回帰を10年かけて実行した結果、現在は売上1.3兆円のうちプリンター・プロジェクター・産業印刷が中心の事業ポートフォリオに組み替わっている。
売上高(2011〜2025)
1946年
創業
カシオ計算機
NEW売上高
2,617億円
2025/03
営業利益
142億円
2025/03
1946年に樫尾4兄弟が東京三鷹で始めた製作所が、1957年に世界初の小型純電気式計算機14-Aを世に出してカシオ計算機となった。1972年の『カシオミニ』12,800円による電卓の大衆化、1983年のG-SHOCK登場、1980年の電子楽器カシオトーンと、「需要創造型のオンリーワン商品」を連発することで売上6,000億円超の総合電子機器メーカーに成長した。
ただし2000年代以降、デジタルカメラ・携帯電話・電子辞書といった多角化の各事業がスマートフォンの登場で軒並み縮小し、売上は半減した。残ったG-SHOCKと教育関数電卓の2本柱に経営資源を集中させる構造改革は、2022年就任の非創業家社長・増田裕一から2025年の高野晋体制へと受け継がれている。
売上高(2011〜2025)
化学・素材21社調査済
- 株式会社INPEX粗利率57.0%(FY25)
- 日産化学粗利率46.4%(FY24)
- 日本ペイント粗利率42.3%(FY25)
- 富士フイルム粗利率40.7%(FY24)
- 日東電工粗利率39.0%(FY24)
- 信越化学工業粗利率38.4%(FY24)
- トクヤマ粗利率31.5%(FY24)
- 株式会社クラレ粗利率30.5%(FY25)
- 三菱ケミカルグループ粗利率29.0%(FY24)
- 住友化学粗利率27.8%(FY24)
- 東ソー粗利率24.4%(FY24)
- レゾナックHD粗利率24.0%(FY25)
- 北越コーポレーション粗利率22.5%(FY24)
- 三井化学粗利率21.5%(FY24)
- デンカ粗利率21.1%(FY24)
- 王子ホールディングス粗利率18.9%(FY24)
- UBE粗利率18.7%(FY24)
- レンゴー粗利率18.3%(FY24)
- 日本触媒粗利率17.2%(FY24)
- ENEOS HD粗利率9.0%(FY24)
- 出光興産粗利率7.5%(FY24)
医薬品・医療機器12社調査済
食品・飲料11社調査済
外食2社調査済
繊維6社調査済
アパレル・日用品8社調査済
鉄鋼・非鉄15社調査済
機械・重工21社調査済
- 横河電機粗利率47.6%(FY24)
- SMC粗利率45.8%(FY24)
- アマダ粗利率43.5%(FY24)
- ヤマハ粗利率38.1%(FY24)
- ファナック粗利率37.0%(FY24)
- 横浜ゴム粗利率36.2%(FY25)
- 安川電機粗利率35.6%(FY24)
- ダイキン粗利率34.2%(FY24)
- コマツ粗利率32.2%(FY24)
- オークマ粗利率31.7%(FY24)
- 日立建機粗利率31.3%(FY24)
- クボタ粗利率29.3%(FY25)
- 日本製鋼所粗利率24.5%(FY24)
- 住友重機械工業粗利率24.5%(FY25)
- IHI粗利率23.0%(FY24)
- 三菱重工業粗利率20.5%(FY24)
- 川崎重工業粗利率20.3%(FY24)
- カナデビア粗利率18.7%(FY24)
- アルプスアルパイン粗利率17.7%(FY24)
- 日揮ホールディングス粗利率2.2%(FY24)
- オムロン純利益率2.0%(FY24)
総合電機・OA17社調査済
- レーザーテック粗利率59.0%(FY24)
- キヤノン粗利率46.7%(FY25)
- リコー粗利率34.4%(FY24)
- ソニー粗利率34.4%(FY24)
- 日本ビクター粗利率33.2%(FY08)
- パナソニック粗利率31.1%(FY24)
- 日本電気粗利率31.0%(FY24)
- 日立製作所粗利率28.8%(FY24)
- 富士電機粗利率28.3%(FY24)
- TOPPAN(凸版印刷)粗利率24.0%(FY24)
- GSユアサ粗利率24.0%(FY24)
- 大日本印刷粗利率23.2%(FY24)
- シャープ粗利率18.8%(FY24)
- パイオニア粗利率17.9%(FY17)
- 三菱電機営業利益率7.1%(FY24)
- 三洋電機純利益率-2.4%(FY10)
- 赤井電機
半導体11社調査済
精密機器8社調査済
自動車・部品18社調査済
- 日本特殊陶業粗利率39.5%(FY24)
- ブリヂストン粗利率38.5%(FY25)
- ヤマハ発動機粗利率31.0%(FY25)
- スズキ粗利率26.9%(FY24)
- 豊田自動織機粗利率23.3%(FY24)
- 日本精工粗利率21.7%(FY24)
- ホンダ粗利率21.5%(FY24)
- マツダ粗利率21.5%(FY24)
- SUBARU粗利率20.9%(FY24)
- いすゞ自動車粗利率20.5%(FY24)
- トヨタ自動車粗利率19.9%(FY24)
- 三菱自動車粗利率19.2%(FY24)
- 住友電工粗利率18.8%(FY24)
- 日野自動車粗利率17.4%(FY24)
- NTN粗利率17.1%(FY24)
- デンソー粗利率15.4%(FY24)
- ジェイテクト粗利率14.9%(FY24)
- 日産自動車粗利率13.4%(FY24)
建設6社調査済
鉄道・不動産16社調査済
- 東海旅客鉄道粗利率49.3%(FY24)
- 東日本旅客鉄道粗利率35.7%(FY24)
- 東急粗利率31.7%(FY24)
- 東武鉄道粗利率31.3%(FY24)
- 小田急電鉄粗利率29.8%(FY24)
- 京成電鉄粗利率27.8%(FY24)
- 住友不動産経常利益率26.5%(FY24)
- 三菱地所粗利率26.5%(FY24)
- 京王電鉄粗利率25.0%(FY24)
- 西日本旅客鉄道粗利率24.5%(FY24)
- 東急不動産ホールディングス粗利率21.3%(FY24)
- 大和ハウス工業粗利率20.3%(FY24)
- 積水ハウス粗利率19.4%(FY24)
- 東京建物経常利益率16.5%(FY25)
- 三井不動産経常利益率11.1%(FY24)
- 三菱倉庫経常利益率6.6%(FY24)
海運・物流8社調査済
電力・インフラ5社調査済
総合商社8社調査済
小売9社調査済
娯楽6社調査済
IT・通信17社調査済
- クックパッド粗利率98.6%(FY25)
- ZOZO粗利率93.0%(FY24)
- トレンドマイクロ粗利率76.9%(FY25)
- ヤフー粗利率72.4%(FY24)
- メルカリ粗利率71.8%(FY24)
- ネクソン粗利率59.4%(FY25)
- DeNA粗利率56.5%(FY24)
- エムスリー粗利率54.2%(FY24)
- ソフトバンクグループ粗利率51.8%(FY24)
- ソフトバンク粗利率48.3%(FY24)
- KDDI粗利率42.4%(FY24)
- 野村総合研究所粗利率36.0%(FY24)
- 富士通粗利率32.9%(FY24)
- サイバーエージェント粗利率30.2%(FY25)
- クレディセゾン営業利益率22.1%(FY24)
- NTT純利益率7.3%(FY24)
- 楽天グループ営業利益率0.6%(FY25)
金融19社調査済
- 日本取引所グループ営業利益率55.6%(FY24)
- しずおかフィナンシャルグループ経常利益率29.9%(FY24)
- 千葉銀行経常利益率29.7%(FY24)
- りそなホールディングス経常利益率26.1%(FY24)
- 野村ホールディングス経常利益率24.9%(FY24)
- ふくおかフィナンシャルグループ経常利益率22.7%(FY24)
- 三菱UFJフィナンシャル・グループ経常利益率19.6%(FY24)
- 東京海上ホールディングス経常利益率17.3%(FY24)
- 三井住友フィナンシャルグループ経常利益率16.9%(FY24)
- オリックス経常利益率16.7%(FY24)
- 大和証券グループ本社経常利益率16.4%(FY24)
- MS&ADインシュアランスグループホールディングス経常利益率13.9%(FY24)
- みずほフィナンシャルグループ経常利益率12.9%(FY24)
- 三井住友トラストグループ経常利益率12.6%(FY24)
- あおぞら銀行経常利益率7.6%(FY24)
- 第一生命ホールディングス経常利益率7.3%(FY24)
- SOMPOホールディングス経常利益率6.5%(FY24)
- T&Dホールディングス経常利益率5.3%(FY24)
- 横浜フィナンシャルグループ