The社史 — 上場企業の歴史を振り返る
日本の上場企業を中心とした253社の企業史をまとめた個人サイト。創業から現在に至る意思決定の軌跡を、財務データや業績推移とともに記録しています。
- ヤオハン — 1930年創業。和田良平が「八百半」から暖簾分けする形で八百半熱海支店を発足、熱海の旅館向けに野菜を卸す商いから出発した。1955年に八百半食品デパートへ商号を変え、翌1956年に商業界の倉本長治の指導で現金正札廉価販売を採り入れ、旅館掛売を廃した。1962年に和田一夫が33歳で社長に就任、伊豆半島から神奈川へ店舗を広げ、1972年にグループ年商100億円を突破した。1971年9月にブラジル・サンパウロへ南米進出、1977年のブラジルヤオハン破綻にも引かず1974年にシンガポールへ出店して東南アジアへ店舗網を広げた。1990年にグループ本社を香港へ移し、李嘉誠ら華僑人脈を頼みに中国1000店構想を掲げた。1997年9月18日に負債総額約1,600億円で会社更生法を申請。ピーク時16カ国450店舗・年商5,000億円の国際流通67年は、地方の青果卸が国境を越えて規模を追った帰結である。
- サッポロビール — 1876年、明治政府の北海道開拓使が札幌に設けた麦酒醸造所を源流とする。村橋久成・中川清兵衛らが基盤を築き、札幌麦酒として民営化、1906年に三社合同で大日本麦酒となり国内シェア約77%の寡占企業となった。1949年に過度経済力集中排除法で朝日麦酒と日本麦酒へ分割、戦後再出発期に柴田清社長が「サッポロ」「ヱビス」を封印して新ブランド「ニッポンビール」に賭けた決定的な判断ミスで、キリンに家庭用市場を奪われて以後半世紀のシェア3位が固定化した。1986年の恵比寿工場閉鎖と1994年の恵比寿ガーデンプレイス開業で不動産を第二の柱に据え、本業ビールの劣勢を資産収益が覆い隠す構造が定着した。2007年のスティール・パートナーズと2023年の3D Investmentから同じ資本効率の問いを突きつけられ、2025年に事業持株会社体制移行と不動産事業への外部資本導入で資本構成の組み替えに着手した。
- 双日 — 1862年創業。岩井文助が大阪で雑貨舶来商として岩井文助商店を興し、1874年の鈴木商店、1892年の日本綿花を加えた三系譜を源流とする。1927年の鈴木商店破綻を受けて翌1928年に高畑誠一らが日商を再設立、1968年に岩井産業との合併で日商岩井が発足した。UFJ銀行の不良債権処理が促した統合で、2004年4月にニチメンと合併し双日となった。発足時の連結有利子負債は1兆5000億円超。同年7月に西村英俊社長が2500億円の損失処理と優先株増資を発表し、旧日商岩井の聖域だった航空機ファイナンスを撤退候補に据えた。2016年就任の藤本昌義社長が大手五社との正面競合を避ける差別化路線を敷き、副業解禁とジョブ型雇用を業界に先駆けて導入、FY22に純利益1112億円で最高益を更新した。2024年就任の植村幸祐社長のもと、外部金融事情で束ねられた三系譜が独自の収益構造を築けるかが問われる。
- レゾナックHD — 1908年、森矗昶が沃度製造の総房水産を創業。1934年に長野県大町でアルミ製錬の国産化に成功し、1939年に日本電気工業と昭和肥料が合併し昭和電工が誕生した。1957年に米フィリップス・ペトロリウムからポリエチレン技術を導入し石油化学へ転換、大分コンビナートを主力に据えた。しかし1986年、電力高騰で日本初のアルミ製錬を完全停止し、その後1988年BOC、2017年SGL買収で黒鉛電極世界トップへ躍り出た。2018年12月期に営業利益1800億円の最高益で得たキャッシュを軍資金に、2020年4月約9600億円で日立化成を買収し半導体後工程材料を新主力に据えた。こうして2023年1月、84年続いた昭和電工の社名を捨て持株会社レゾナック・ホールディングスへ移行し、総合化学から先端材料企業への変態を不可逆にした。
- JFEホールディングス — 1990年代の国内鉄鋼需要低迷と設備過剰に追い込まれた川崎製鉄と日本鋼管は、2002年9月に共同株式移転でJFEホールディングスを設立、翌年4月にスチール・エンジニアリング・都市開発・技研の4社へ再編した。統合比率は日本鋼管0.75対川鉄1.00で川鉄主導となり、国内高炉業界は新日鉄・JFE・神戸製鋼の三極体制へ集約される。延命策のはずの統合は、しかし中国粗鋼生産の爆発的拡大を追い風に、2006年3月期に過去最高益3259億円を計上した。その後はリーマンショック・中国の過剰供給・コロナ禍で2012年と2020年3月期に最終赤字、2023年9月には京浜地区上工程休止で高炉を8基から7基に縮小した。さらに2024年からは北野嘉久新体制のもと、国内縮小と印JSW合弁を軸とするインド拡張への組み換えに舵を切っている。
- SUBARU — 1917年創業。中島知久平が群馬県太田町で飛行機研究所を創設、1931年に中島飛行機製作所として発展、1941〜1945年に機体シェア28%の日本最大級メーカーに。1945年に富士産業へ改組、1950年の過度経済力集中排除法で12社に分割、うち5社が1953年に再結集して富士重工業が発足。1958年に百瀬晋六が「スバル360」を投入、独自のモノコック構造で「てんとう虫」の愛称に。1966年の初代スバル1000で水平対向と前輪駆動、1972年に世界初の市販乗用四輪駆動で「水平対向+AWD」を確立。1996年以降、日産→GM→トヨタと12年で3度大株主が交代。2014年に「アイサイト」第2世代を投入、北米SUV依存度70%超の構造を築き、2017年に社名をSUBARUへ変更。2026年3月期は米国追加関税下で営業利益1,000億円水準の確保を最優先課題に矢島工場でのBEV投資を進める。
- サンリオ — 1960年創業。山梨県庁職員だった辻信太郎が県知事や副知事を出資者に資本金100万円で山梨シルクセンターを設立、絹製品販売から出発した。1971年に新宿で直営「ギフトゲート」開店、1973年に株式会社サンリオへ商号変更、1974年に20代女性社員がハローキティを生み、1976年から自社IPのライセンス供与を始め、1982年に東証2部上場。1990年12月のサンリオピューロランド開園とバブル崩壊が重なり、1991年3月期から8期連続最終赤字、累計赤字1,010億円・自己資本比率3%まで低下した。1998年からのキティ再デザインで一時回復するも、単一キャラクター依存の脆さが2000年代に露呈、2009年から海外ライセンス強化と物販分離で構造を改革。2020年に孫の辻朋邦が35歳で社長に就任、複数IP経営でポートフォリオを分散、FY2024/3期に売上高は過去最高、時価総額は10倍超に拡大した。
- 大和証券グループ本社 — 1902年5月、大阪の米穀商藤本商店5代目藤本清兵衛が藤本ビルブローカーを開業、米穀流通の余技から金融業に進出した。1904年の日露戦争国庫債券ロンドン輸出は日本最初の国際証券取引、1933年に証券専業、1937年に日本最初の投資信託を発足させた。戦時統合下の1943年12月に日本信託銀行と合併し大和証券が誕生、1948年に初の転換社債、1954年に初の累積投資制度「積立オープン」で「商品開発で食う」社風を固めた。1971年のアジアダラー債、1977年のユーロ円債、1987年の世銀サムライ債で海外ブリッジ業務にも先行、1999年4月に業界初の純粋持株会社化で大和証券グループ本社へ移行した。三井住友FGとの合弁を2010年に解消、2011年に大和ネクスト銀行を発足。米穀商の余技から始まり業界2位の差別化軸として商品開発と国際業務を貫いた同社は、独立路線で総合金融の自立確保を急いでいる。
- T&Dホールディングス — 1902年、生保乱立整理で真宗・護国・北海の3社合併により大同生命保険が発足、初代社長に広岡久右衛門が就いた。社名は『春秋左氏伝』「小異を捨てて大同につく」から取り、企業市場に特化して契約の80.7%を企業から集めた。太陽生命は1893年に名古屋生命保険として創立、1908年に太陽生命保険へ改称、1968年の「ひまわり保険」で個人市場を押さえた。1947〜48年に大同・太陽がともに相互組織化を選んだ。2004年に大同・太陽・T&Dフィナンシャル生命が共同株式移転でT&Dホールディングスを設立、東証一部上場。販売基盤を分け経営資源を束ねる連邦型で、2021年3月期に純利益1623億円のピーク。2023年3月期は純損失1321億円と発足以降最大の赤字に転落。2023年就任の森山昌彦は「3社併存」から「3社一体」へ重心を移し、2025年3月期は純利益1264億円と過去最高水準へ戻した。
- ニッスイ — 1911年設立。久原財閥出身の田村市郎が下関で「田村汽船漁業部(日本水産)」を創業。英国製トロール船で遠洋漁業という市場を創出し、戦後は北洋漁業と南氷洋捕鯨で漁獲量首位を築いた。1943年の戦時統制で創業家経営は断絶し、戦後の財閥解体で所有と経営は分離したが、漁船集中投資による拡大という経営の型は引き継がれた。1977年の200カイリ規制で主力漁場の半分を失っても、労使関係を優先して漁労投資に固執したため、食品事業への構造転換は脱漁労を急いだ同業のニチロや極洋から半世紀分遅れた。2001年に米ゴートンズ(1.75億米ドル=当時約210億円)を買収して食品事業のグローバル展開を本格化、2022年には社名を「ニッスイ」に変更し、115年続いた水産会社からの脱皮を目指している。
- INPEX — 2006年発足。帝国石油(1941年設立)と国際石油開発(1966年設立)が、2003年石油審議会「日の丸石油会社」構想を受け統合に合意、INPEXが誕生した。経済産業大臣が普通株式の約2割と拒否権付黄金株1株を保有する半官半民の国内最大手E&P企業。国際石油開発は1998年に豪州WA-285-P鉱区を単独オペレーターで取得、2002年に約12億バレルのイクシスを発見、2010年8月に公募増資5,200億円、2012年12月に総事業費340億米ドルでFIDを決断、2018年7月に操業開始した。これによりアジア・オセアニア売上はFY17の916億円からFY18の2,409億円へ2.6倍に拡大した。2025年2月の『INPEX Vision 2035』ではCCS・水素・再エネ含む5分野へ投資領域を広げ、2035年までに営業CF60%増・GHG原単位60%削減を掲げた。
- コムシスホールディングス — 1951年創業。電気通信工事業界の有力者21名が出資し東京にて日本通信建設を設立。翌1952年8月に電電公社(現NTT)の総合1級業者認定を取得し、公社の5カ年計画に連動して受注を伸ばした。1959年に受注工事高100億円を突破、1972年に東証1部へ指定替え。1985年のNTT民営化後も売上の過半をNTTに依存する構造は変わらず、発注者1社依存が経営課題だった。2003年9月に三和エレック・東日本システム建設との株式移転で持株会社コムシスHDを設立、2010年のつうけん完全子会社化でM&A手順を蓄積した。2014〜17年に日本エコシステム・東京鋪装工業・カンドーを取り込み、再エネ・道路舗装・ガスへ事業領域を広げた。2018年10月のNDS・SYSKEN・北陸電話工事の株式交換で全国施工体制を完成、2025年3月期にはNTT関連比率が44%まで低下した。
- 大成建設 — 1873年創業。大倉喜八郎が大倉組商会を興し、機械輸入貿易と政府発注工事の請負を両輪に据えた。1887年に渋沢栄一・藤田伝三郎と日本初の法人建設会社「有限責任日本土木会社」を設立。1909年にフランスから鉄筋コンクリート工法を導入、1917年に大倉土木組として独立、1927年に日本初の地下鉄工事を完工した。1946年に「大成建設」へ改称、1949年に大倉家株を役員・従業員へ譲渡しサラリーマン経営へ移行、1957年東証上場、1987年度受注高1兆円超を達成した。リーマンショックでFY08は連結営業損失6億5,500万円・純損失244億円、2022年度の札幌超高層ビル鉄骨精度不良で240億円の損失を計上した。2023年12月のピーエス三菱子会社化から2025年9月の東洋建設TOB完了まで3か年で3,500億円の連続M&Aを進め、FY24連結売上高2兆1,542億円となった。
- 大林組 — 1892年創業。乾物問屋出身の大林芳五郎が大阪で土木建築請負業を興した。1914年に東京駅丸の内本屋と東洋一(3,388m)の生駒トンネルを同年完工させ、建築と土木を片方に絞らない流儀を示した。1936〜40年には施工高で業界1位となった。戦後は沖縄米軍基地でアメリカ式機械化工法を習得し、1958〜60年に大証・東証へ上場、1964年にバンコクへ業界初の海外常駐事務所を構え、1965年に清瀬技術研究所を設立した。1989年に大林家と血縁のない津室隆夫が4代目社長に就き脱同族化を完成させた。2018年就任の蓮輪賢治社長は脱請負型ゼネコン化を掲げ、北米でウェブコー・MWH・GCONなど4件のM&Aを重ね、2024年にはデータセンターへ10年1,000億円を投じるMiTASUNを設立した。2025年就任の佐藤俊美9代目社長はこの路線の加速方針を示す。
- 清水建設 — 1804年創業。越中富山出身の大工・清水喜助が江戸神田鍛冶町で開業した。1859年の横浜開港で居留地の外国商館を受注して洋風建築の技術を蓄えた。1887年に3代店主急逝を受けて相談役となった渋沢栄一が営業方針を「民間の建築工事」と定め、官公需依存の大手組と一線を画した。1937年に株式会社清水組へ改組、1948年に清水建設へ改称、1962年に東証一部上場。民間オフィス・工場を主要顧客とする堅実経営で1989年度に業界トップの業績を築いたが、資材高騰が重なった2024年3月期には、価格転嫁がきかない民間工事比率の高さが逆に働き、売上高2兆55億円で上場来初の営業赤字247億円を計上した。2022年に日本道路を連結子会社化し、建築・土木に続く第3の柱として道路舗装を据えた。
- 長谷工コーポレーション — 1937年創業。長谷川武彦が兵庫県尼崎市で「長谷川工務店」を起業し、1950年の芦屋打出荘アパートでRC造へ参入した。1957年の貸ビル業進出は昭和40年不況で一部ビルを手放す結果に終わり、1968年のマンション事業参入と1969年の日商岩井との業務提携で用地情報を取り込む特命受注モデルを骨格に据えた。1985年以降の「脱マンション」多角化でホテル・リゾートに1,000億円を投じ、不動産部門の売上比率を5年で11%から56%へ押し上げた。バブル崩壊で不動産含み損1,600億円・有利子負債1兆3,000億円を抱え、株価は1999年1月に13円まで下落した。合田耕平社長は1997年3月期に1,850億円の特別損失を一括計上し、マンション専業へ回帰した。特命受注85%の事業モデルで2018年3月期に経常利益1,005億円、累計施工は2023年に70万戸を超えた。
- 鹿島建設 — 1840年創業。鹿島岩吉が江戸で大工として独立、2代目岩蔵が1860年に横浜で「英一番館」を施工した。1880年に鹿島組を新設し鉄道専業へ転じ、3代目精一は1918年着工の丹那トンネルを16年かけて1934年完工した。1947年に「鹿島建設」と改称、1949年に業界初の技術研究所を設立、1957年東海村の日本原研第1号原子炉、1968年霞が関三井ビルを完工、1981年度受注高1兆円を達成した。1990年に鹿島家以外初の社長として宮崎明が就任し同族経営は終わったが、1993年のゼネコン汚職と過当競争で営業利益率1%前後が常態化、FY09には連結営業赤字68億円へ落ちた。2011年東日本大震災後の供給制約で選別受注が進み、2015年就任の押味至一社長は2018〜2020中計で開発事業に3年5,000億円を投じ、開発事業資産を2025年2月に約1兆2,000億円まで積み上げた。
- 大和ハウス工業 — 1955年創業。石橋信夫が大阪で18人の仲間と興し、鋼管柱の「パイプハウス」と1959年の価格11万円・施工3時間の「ミゼットハウス」でプレハブ住宅産業の起点を築いた。1964年に都市銀行から資金供給を止められた体験から石橋は無借金経営の信念を持った。1976年の流通店舗事業で土地情報と施工力を非住宅へ広げ、遊休地の地主と出店企業を結ぶマッチング事業へ育てた。しかしバブル期にワラント債・転換社債の大量発行で1994年3月期に有利子負債が3,877億円へ膨張、1997年3月期から毎期5割前後のペースで残高を削減した。2001年の大和団地合併では樋口武男が1,320億円の引継ぎ債務を1年で800億円削減した。2013年にフジタを子会社化し、2017年の米Stanley-Martin買収から2021年までに海外戸建3社を揃え、2025年3月期の連結売上高は5兆4,348億円に達した。
- 積水ハウス — 1960年創業。積水化学工業ハウス事業部を母体に資本金1億円で発足。1963年に社長就任した田鍋健が代理店制度を廃止して直接販売・責任施工方式を敷き、1979年1月期に売上3,040億円・15年連続増収増益を達成した。1973年の石油ショック時には業界初の自社ローンを創設し、1976年には積和不動産を設立して住み替え需要を新築受注に取り込んだ。1991年1月期には住宅業界初の売上1兆円を達成。2008年のリーマンショックで45年続いた無赤字決算が途切れ、請負依存の見直しを迫られた。2017年の米Woodside Homes買収を経て、2024年のMDC Holdings約49.4億米ドル取得で国際事業比率を16%から31%へ倍増させ、仲井嘉浩社長は2026年1月にビルダー4社統合「One Company」体制を始動させた。
- 日揮ホールディングス — 1928年創業。実吉雅郎が東京市麹町区で「日本揮発油」を設立した。予定の大津製油所建設は昭和恐慌で頓挫し、米UOP社提携の精製特許使用権販売と設計料収入で出発、1943年には設計料収入が特許使用権収入を逆転した。戦後は1952年のUOP再提携を起点に横浜工務部で国内製油所建設を積み上げ、1968年からアルジェリア・ブルネイ・シンガポールで200億円台の海外案件を連続受注した。1985年プラザ合意後の円高で1986年3月期から4期連続営業赤字に沈み、1988年就任の渡辺英二社長が海外調達比率を10〜20%から50%へ引き上げ、1991年3月期に5期ぶり営業黒字へ復帰した。2019年に「日揮ホールディングス」へ改組したが、2022年3月期のイクシスLNG案件で575億円特損と当期純損失356億円を計上し、量から質への選別受注へ転じている。
- 日清製粉グループ本社 — 1900年、正田貞一郎が群馬県館林で館林製粉を設立。米国製ローラーミルを輸入し、水車粉と輸入粉が9割を占めた国内市場へ機械式製粉で参入した。1908年に旧日清製粉を合併して社名を継承し、不況で経営難に陥る競合工場を次々と吸収しながら国内製粉シェアおよそ35%の業界首位を築いた。戦後は食糧管理制度下の需要拡大に乗り、1960年代以降は飼料・食品・医薬・エンジニアリングの5本柱で多角化を進め、1989年のカナダ・ロジャーズフーズ買収から海外製粉網の構築に入った。2019年の豪州アライド・ピナクル買収でのれん残高は427億円へ膨らんだが、コロナ禍と食糧インフレで2023年3月期に創立以来初の親会社純損失104億円を計上、2024年3月期には北米製粉の利益急伸で営業利益478億円まで戻した。2025年7月には小麦粉価格改定で人件費転嫁に踏み切り、国内値上げと海外再建という2つの経営課題を抱える。
- 日本M&Aセンター — 1991年、日本オリベッティ出身の分林保弘が大阪で日本エム・アンド・エー・センターを設立した。創業者が培った全国の会計事務所人脈を基盤に、会計事務所と地方銀行の二層ネットワークで案件情報を束ねる仲介モデルを築いた。1992年の日本経済新聞一面広告で「後継社」の概念を提示して約400社の問い合わせを獲得し、1999年の経営書出版と2000年の全国金融M&A研究会発足で地方銀行との関係を制度化、2006年に東証マザーズ、2007年に東証一部へ上場した。2016年以降はシンガポール・インドネシア・マレーシア・ベトナムで東南アジア拠点網を整備し、2021年10月に持株会社制へ移行した。しかし移行2か月後の2021年12月に不正会計が発覚し、2025年3月期は品質管理の厳格化による成約遅延と仲介業者約700社の乱立が重なって減収決算となった。
- クックパッド — 1997年創業。慶應義塾大学藤沢キャンパス出身の佐野陽光が神奈川県藤沢市で有限会社コインを設立し、翌1998年からインターネット上でレシピ投稿サイトの提供を始めた。ユーザー投稿によるUGC型モデルで日本最大のレシピプラットフォームに成長し、2009年に東証マザーズへ上場、2015年12月期には売上高100億円を突破した。2012年に穐田誉輝が社長に就いて多角化と海外買収を加速したが、2016年に議決権43.6%を握る創業者の佐野が穐田社長を解任し経営が混乱した。クラシルなどの短尺動画レシピの台頭でテキスト型UGCの優位性が崩れ、2021年から三期連続の営業赤字、従業員は409名から147名へ半減した。2023年10月に創業者が11年ぶりに社長復帰し、事業モデルの再定義を進めている。
- 明治ホールディングス — 1906年、糖業家の相馬半治が台湾台南に資本金500万円で明治製糖を設立した。砂糖消費を内製化する意図で1916年に東京菓子(後の明治製菓)、1940年に明治乳業を傘下へ取り込み、製糖・製菓・乳業の三本柱が揃った。1945年の敗戦で外地資産と資本関係をすべて失い、川崎工場の廃墟で1946年にペニシリン製造へ踏み切ったことで、菓子と医薬品という異質な二事業を同居させるポートフォリオが定まった。1980年3月期には食料部門が30億円の経常赤字、薬品部門が61億円の黒字と主役が交代し、1990年には米ボーデンとの20年提携を解消して自社ブランド路線へ舵を切った。2009年に明治製菓と明治乳業が103年ぶりに再合流して明治ホールディングスが発足、2018年のKMバイオロジクス買収や2024年のコスタイベ商業化を経て、2025年6月就任の松田克也社長のもと「食と医の融合」の再定義が進行している。
- 日本ハム — 1942年創業。大社義規が徳島市寺島本町で総勢7人の食肉加工場を興し、戦後の食生活洋風化を追い風に徳島ハムから全国企業へと育てた。1963年に旭化成・宮崎輝の提案で業界4位の鳥清ハムを吸収合併し社名を日本ハムに改め、3位から一躍首位に立った。1977年に米Day-Lee Foodsを買収して食肉企業として初の本格海外M&Aに踏み切り、1991年の牛肉輸入自由化に備えて豪州で垂直統合を築いた。しかし2002年の子会社・日本フードによる食肉偽装事件で創業者一族が退任し、海外事業本部の長期赤字と3度の下方修正を経て、2022年就任の井川伸久がウルグアイBPU売却と加工ライン20%削減に踏み切った。2026年3月期の事業利益見通しは640億円となり、中計2026の目標610億円を1年前倒しで超過する水準に到達している。
- エムスリー — 2000年9月創業。マッキンゼーで35歳のパートナーに昇格した谷村格が、コンサル時代に観察した製薬MRと医師のマッチング非効率を解くべく、ソニーコミュニケーションネットワーク(So-net)の出資で東京都品川区にて起業した。翌10月に立ち上げた「MR君」は複数の製薬会社が一つのプラットフォームを共有する世界的にも例のない設計で、2004年9月の東証マザーズ上場を経て医師ポータル「m3.com」を中核に成長した。2011年の英Doctors.net.uk買収を皮切りに現地ポータルを買い集めるM&Aモデルを確立し、コロナ禍のFY21には連結売上2,082億円・営業利益951億円・営業利益率45.7%という極端な山を築いた。反動で利益はピークから3割落ち込み、2022年の「ホワイト・ジャック・プロジェクト」以降は予防医療と患者サポートを次の柱に据え、医師軸から生活者側へ事業対象を広げた。
- DeNA — 1999年3月、南場智子が東京都渋谷区で株式会社ディー・エヌ・エーを設立した。オークション「ビッターズ」はヤフオクに敗れたが、2004年のモバオク投入と2005年の東証マザーズ上場で重心をモバイルへ移し、2009年の「怪盗ロワイヤル」を起点に広告から課金へと収益構造を転換、2013年3月期に過去最高益を計上した。2010年の米ngmoco買収(約4億ドル)は日米の開発文化の溝を埋められず2016年に解散、同年のWelQ問題で組織風土の歪みも露呈した。2018年以降はライブ配信・オートモーティブ・ヘルスケアへ80億円を分散投資したが、IRIAM(89億円)・アルム(247億円)はいずれも減損に至り、2024年3月期は287億円の最終赤字となった。2021年に岡村信悟へ社長交代し、成長偏重から資本効率重視へ運営を組み替えている。
- アサヒグループHD — 1949年9月、大日本麦酒の分割により朝日麦酒として発足した。吹田・西宮・博多の各工場を引き継いだが、首都圏の供給力と販売網の不足が長期の制約となり、シェアは最終的に9.6%まで落ち込んだ。メインバンクの住友銀行が村井勉・樋口廣太郎を連続して送り込み、1987年発売のアサヒスーパードライで市場の勢力図を塗り替え、2001年に業界首位に立った。2012年のカルピス買収(約920億円)で飲料事業の質を転換し、2016年の欧州事業取得(約1.2兆円)と2020年のCUB買収(約1.17兆円)で日本・欧州・豪州の三極体制を確立した。成長市場ではなく成熟市場を束ね、プレミアム化で収益性を高める経営スタイルが、現在のアサヒグループに確立されている。
- キリンHD — 1907年創業。外国人経営のJBCが大日本麦酒の合同提案を拒否し、明治屋と三菱系資本の出資で麒麟麦酒株式会社を設立した。戦後は家庭用市場の掌握と計画的な設備投資で1972年12月に国内ビールシェア60.1%を達成し業界首位となった。1987年スーパードライ発売後も主力ラガー維持を選び、1989年シェアは48.4%へ下落、2001年にはアサヒに首位を譲った。1982年設置の医薬開発研究所でバイオ医薬に参入し、1990年EPO製剤「エスポー」投入と2008年の協和発酵工業買収で第二の柱を育てた。2011年のスキンカリオール買収失敗と2015年の約1,400億円減損後に海外戦略を再定義し、2024年6月のファンケル完全子会社化でビール・飲料・ヘルスサイエンスの三事業体制へ組み替えている。
- ABCマート — 1985年創業。三木正浩が29歳で「国際貿易商事」を設立し欧米カジュアルウェアの輸入卸売業を興した。1986年に三木が直接ロンドンで取り付けた英ホーキンス社の国内独占販売権を起点に、1990年の韓国生産委託でブランド・生産・価格を自社へ集約し、1993年には販売価格を30%下げながら利益率24%を確保した。1995年の木村拓哉起用40億円TVCMでFY1996売上は268億円へ押し上がるが、ホーキンス需要を短期に消化し尽くしFY1998には177億円へ縮小、卸売単独の限界が表面化した。1999年に大店法改正の追い風に乗ってSC積極出店へ転じ、路面25店から全国チェーン化へ舵を切った。2019年に国内1,000店、2023年には韓国316店・台湾63店を重ね、営業利益率は10%超で推移している。2025年12月就任表明の服部喜一郎社長は海外展開の加速を方針として掲げる。
- 日本マクドナルド — 1971年創業。1969年の資本自由化を受けたファストフードの日本参入競争のなか、輸入雑貨商の藤田田は出資比率51%で譲らないダイエーとの破談を経て、米マクドナルドと折半出資で会社を設立し、ロイヤリティ1%・契約期間30年の破格条件で銀座三越に1号店を開いた。1972年にゼンチクとの専用調達と千葉工場新設で供給体制を整え、直営・都市圏ドミナントで店舗網を広げ、1984年に外食産業初の売上高1,000億円超を記録した。1990年代に都市圏の出店余地が飽和し、定価を1994年210円から2002年59円まで下げた値下げで2期連続最終赤字に陥った。2003年の藤田逝去で保有株は米本社へ移り、創業者個人に帰属した経営自由度は制度として継承されぬまま幕を閉じた。以降は米本社選任のプロ経営者が4〜6年周期で交代する体制となり、新興市場の先行者利得が剥落した後の競争障壁を再構築する作業が続いている。
- セリア — 1985年創業。河合宏光が岐阜県大垣市で催事場の移動販売業を始めた。1994年に常設店舗へ転換し、1997年に中堅規模で異例の独自発注システムを導入。2003年に「セリア」へ改称・ジャスダック上場し、2004年9月に直営全509店で業界初のリアルタイムPOSを直結方式で一斉稼働させた。2006年のSPI発注支援システムが2009年4月に全店利用率100%へ達し、同年3月期にキャンドゥを抜いて業界2位へ浮上、2011年3月期の営業利益は前期比53%増の約50億円となった。しかし2022年以降の円安で輸入雑貨の仕入原価が上昇、100円均一では価格転嫁が効かず、営業利益率は2021年3月期の10.6%から2023年3月期の7.3%へ低下した。2014年就任の河合映治2代目社長はダイソーの多価格化に対して100円堅持で「残存者利益」を取る方針を示している。
- キッコーマン — 1917年創業。千葉県野田の茂木家・高梨家を中心とする一族八家が野田醤油を設立し、約200の商標を「キッコーマン」へ集約した。1934年にシェア9.1%で国内首位となり、2位ヤマサ4.1%と倍以上の差を築いた。1957年に米国KIKKOMAN INTERNATIONALを設立し、売上14万米ドルに対し広告費11万米ドルを投じて照り焼きで醤油を汎用調味料として浸透させた。1972年には純利益2〜3年分の1,300万米ドルを茂木啓三郎社長がウィスコンシン州の現地工場へ投じ、稼働2年目に黒字化、4年目に累積赤字を解消した。海外食品卸売はFY09の852億円からFY22の3,435億円へ4倍に拡大した。1990年のデルモンテ商標取得、1996年の焼酎設備投資、1962年の利根コカ・コーラボトリングは2006年と2009年に整理され、北米醤油を軸とする選択と集中を進めている。
- 味の素 — 1909年創業。二代目鈴木三郎助が1908年の池田菊苗によるグルタミン酸塩発見を家業のヨード製薬と切り離して引き受け、家庭用調味料「味の素」を発売した。1914年の川崎工場稼働と全国特約店網でMSG市場の独占的地位を築いた。しかし1956年の協和発酵工業による直接発酵法の発表で単一技術依存が露呈し、味の素は訴訟ではなく協和発酵のMSG全量買い取りで協調路線を選んだ。1963年のクノール食品設立を起点に総合食品化へ転じ、1998年設立の味の素ファインテクノが半導体用ABFで高収益の柱を育てた。2019年3月期の約312億円減損を機にROICを中核指標に据え、同年に50歳以上の管理職144名の希望退職を黒字下で断行した。2022年就任の藤江太郎は価格改定を重ね、調味料・食品の事業利益をFY19の816億円からFY24の1,139億円へ伸ばし、ABFはFY24営業利益率45.9%の柱となった。
- ニチレイ — 1942年創業。水産大手18社の陸上部門を戦時統制下で統合した帝国水産統制として発足し、資本金5000万円のうち4010万円は水産大手の現物出資であった。1945年に日本冷蔵へ改称し全国220か所の冷蔵・製氷工場を継承、1949年の東証上場で大株主との資本関係を整理して独立系首位を築いた。1951年就任の木村幸鉱二郎社長が水産・冷凍・煉製品・缶詰・畜産の5分野で総合食品メーカーへ転換を図り、1961年度の総合5カ年計画で累計170億円を投下したが、1980年3月期に水産部門が赤字に転落した。1985年の「ニチレイ」改称で倉庫会社から食品会社へ自己定義を書き換え、冷凍食品・システム物流・都心不動産の3本柱を築き、2005年に持株会社体制へ移行した。80年かけて事業の意味を組み替え続けた歩みは、低価格志向が常態化した冷凍食品市場での収益転換という試練に直面している。
- JT — 1949年創業。大蔵省専売局の解体で日本専売公社が発足し、たばこ・塩・樟脳の専売を担う国家の財政装置となった。1985年に日本たばこ産業として民営化されたが、円高・増税・関税撤廃で国内シェアは1985年度の97.6%から1987年度の90.2%へ落ちた。1992年の英マンチェスター・タバコ小規模買収でPMI経験を積み、1999年5月にはRJRナビスコの米国外たばこ事業を72億ドル(負債引受込み78億ドル)で取得、当時の日本企業による対外買収で過去最大規模となった。2007年には英Gallaherを約2兆2,500億円で取得、ロシア・カザフスタンを含む新興市場の基盤を取り込んだ。並行して2003年に4,000名規模の希望退職、2005年以降に20工場超の閉鎖を進めて国内生産能力を圧縮した。2022年1月にたばこ事業の本社機能をスイスのジュネーブへ統合し、利益の源泉を国内から海外へ移した。
- J.フロント リテイリング — 2007年創業。発端は2006年12月、採算改善の手が尽きた松坂屋銀座店の再開発相談を松坂屋HDの茶村俊一社長が大丸の奥田務社長へ持ち込んだことにある。2007年9月に共同株式移転で持株会社Jフロントリテイリングが発足し、奥田がCEOに就いた。発足直後は両社を別会社で並走させ、2010年3月に大丸松坂屋百貨店として1社に集約した。国内市場の縮小は止まらず、2012年のパルコ持分法適用化と、旧松坂屋銀座店跡地で2017年に開業したGINZA SIXで不動産・SC事業へ重心を移した。2020年3月のパルコ658億円完全子会社化はTOB完了と同月のコロナ禍に直撃され、FY20に上場来初の純損失261億円を計上した。三越伊勢丹が本業の純度を保つなか、定借化と不動産収益で縮小市場に備えた独自路線が、2023年就任の小野圭一社長のリテール回帰宣言で問い直されている。
- ZOZO — 1998年創業。前澤友作が千葉市で有限会社スタートトゥデイを興し、輸入CD・レコード通販から事業を始めた。2004年にECモール「ZOZOTOWN」を開設し、既存17ブランドを廃止して単一ドメインへ集約した。2005年のユナイテッドアローズ出店を起点にBEAMS・SHIPSが続き、2006年の習志野ZOZOBASE新設で物流を内製化した。撮影・在庫・発送を包括する自前オペレーションでテイクレートをFY2005の18.2%からFY2012の31.6%へ押し上げ、EC相場10%を超える手数料水準を実現した。しかし16年刷新されないVBScript基幹系の限界が露呈し、2019年にZHDが公開買付けで50.1%を取得、前澤氏は株式を処分して退任した。澤田宏太郎体制下では2021年に150億円規模のZOZOCOSMEを立ち上げ、LYST買収とMUSINSA出店でカテゴリーを広げている。
- 三越伊勢丹ホールディングス — 1673年創業。伊勢松阪出身の三井高利が江戸本町で呉服店越後屋を興し、現銀掛値なし・店前売り・切売りで江戸呉服流通を変えた。1904年のデパートメントストア宣言で百貨店三越へ転じ、1914年に日本橋本店を竣工。1886年創業の伊勢丹は1930年に二代目小菅丹治が新宿移転を決裁し鉄道ターミナル立地を確保した。両社は2008年4月に経営統合したが、直後のリーマンショックでFY09純損失635億円、百貨店セグメント売上は1年で1,200億円超が消えた。2012年就任の大西洋は自主編集売場路線を貫き、後任の杉江俊彦が基幹3店舗集中を掲げたが、2020年のコロナ禍でFY20営業赤字209億円・純損失411億円となった。2021年4月就任の細谷敏幸は識別顧客戦略と連邦戦略を二軸に据え、識別顧客数を200〜300万人から700万人超へ拡大、FY24営業利益763億円で過去最高を記録した。
- 東洋紡 — 1882年創業。渋沢栄一が大阪府に華族資本で大阪紡績会社を興し、1914年に三重紡績と合併して東洋紡績が発足、据付錘44万錘・綿糸2.8万梱で国内首位を獲得した。しかし1954年に英ICIのポリエステル技術提携を見送り、帝人・東レに8年遅れて1961年には合繊序列の業界下位まで後退した。1968年3月の化成品事業部発足で採算割れの犬山工場をパルプからフィルムへ転換、1971年に二軸延伸ポリエステルフィルム、1976年に二軸延伸ナイロンフィルムへ設備を組み替えた。50年の延伸技術蓄積が2013年開発のコスモシャインエスアールエフを生み、2024年までに大型液晶パネル向け世界シェア60%を獲得した。2022年4月に140年間本体中核だった繊維事業を分社し、フィルム・ライフサイエンス・環境機能材の三本柱へ再編、2021年就任の竹内郁夫社長は機能素材メーカーへの再定義を進めている。
- 鐘紡 — 1887年創業。三越・大丸ら五社出資で東京綿商社として発足し、1889年に鐘ヶ淵紡績へ転身した。中上川彦次郎と武藤山治が紡績大合同論のもと買収を重ね、1933年に全業種売上高首位の日本最大企業となった。1951年4月期は朝鮮特需で利益率24%を記録した。戦後はペンタゴン経営で化粧品・食品・住宅へ多角化したが、1962年買収の化粧品事業がチェーン店方式と100%直営販売子会社による直販網を築き、1976年には売上544億円・利益64億円と全社利益の過半を支える一方、繊維赤字の補填に回されて成長投資への再配分はなされなかった。1975年4月期の無配転落以降は販売子会社への押し込みと「低稼働」の不適切会計が常態化し、2003年9月の粉飾発覚で630億円の債務超過と産業再生機構の介入を招いた。2006年に化粧品を花王へ約4,100億円で譲渡、2007年2月に120年の歴史を閉じた。
- ユニチカ — 1889年創業。広岡信五郎が尼崎紡績会社を設立、1918年に大日本紡績、1964年にニチボーへ商号変更した。1926年に出資66%で別法人化した日本レイヨンと1969年10月に対等合併し、売上1,661億円・従業員22,000名でユニチカが発足、業界2位となった。しかし1人あたり売上は755万円で東レの1,221万円・帝人の963万円を下回り、旧二社で予算編成の尺度も揃わず投資配分の調整が長期化した。1975年3月期に経常赤字185億円を計上、名古屋・犬山・桐生の旧ニチボー系3工場を閉鎖し、1977年から三和銀行の経営関与が強まった。1980年にナイロン長繊維の二軸延伸技術を転用したPETフィルム参入で重心を高分子へ移したが、人員削減を53年反復した末、2024年11月に祖業の繊維事業から撤退しREVICへ870億円(うち債権放棄430億円)の金融支援を要請した。
- 東急不動産ホールディングス — 1918年創業。渋沢栄一・中野武営らが田園都市株式会社を設立し、1921年参画の五島慶太が田園調布で総面積18%を道路・公園に充てた。戦時休眠を経て1953年12月に資本金3億円の東急不動産として独立し、沿線開発を軸とする私鉄系ディベロッパーの原型を確立した。1961年に業界初の提携住宅ローンを発表し、1962年の津田山ニュータウン分譲、1970年の東急コミュニティー、1972年の東急リバブル、1976年の東急ハンズで開発・管理・仲介の3軸を揃えた。1988年の蓼科東急ハーヴェストクラブで会員制リゾート収益モデルを事業化、2013年9月に3社同時上場廃止で持株会社化した。2019年就任の西川弘典社長は再エネを長期収益資産と位置づけ、FY23営業収益1兆58億円・営業利益1,104億円を元手に広域渋谷圏と再エネへ重心を移している。
- コスモス薬品 — 1973年創業。宮崎県延岡市の薬剤師・宇野正晃が66平方メートルの個人薬局「宇野回天堂薬局」を開いた。1983年に有限会社コスモス薬品を設立し、1993年の宮崎市浮之城店で商圏人口1万〜2万人の地方郊外に売場600〜2,000平方メートルの大型店を置く小商圏型メガドラッグストアの原型を築いた。1994年に導入したポイント還元制度を2003年5月に全廃して毎日低価格販売へ転換、2004年11月に東証マザーズへ上場した。2004年3月の山口県進出以降は福岡県と地続きの隣接県を一県ずつ延伸する規律を守り、2005年四国・2010年関西・2015年中部・2018年北陸と物流圏を外縁に接続した。2018年就任の横山英昭社長下、2025年5月期にはM&Aゼロの自力出店のみで連結売上高1兆113億円・1,609店舗に到達した。
- セブン&アイHD — 1958年創業。伊藤雅俊が洋品店「羊華堂」を源流に株式会社ヨーカ堂を設立、関東ドミナントで総合スーパーを積み上げたが1972年時点で業界10位だった。1973年に米サウスランド社とロイヤリティ0.5%で提携し、1974年に豊洲の酒屋を1号店にセブンイレブンを開業、5年で591店へ急伸した。2005年に鈴木敏文設計の持株会社体制でコンビニ・スーパー・百貨店を束ね、2021年にスピードウェイを210億ドルで買収し世界最大のコンビニ網を築いた。2020年11月から始まった米バリューアクトとの対話は2023年3月に取締役4名退陣要求へ発展、否決後も2023年9月にそごう・西武を米フォートレスへ売却し1,296億円の譲渡関連損失、2024年11月にヨーカ堂33店舗閉鎖計画と続いた。2024年8月にはカナダのクシュタールから7兆円規模の買収提案が届き、買う側から買われる側へ立場が反転した。
- 帝人 — 1918年創業。鈴木商店の金子直吉が秦逸三と久村清太の人造絹糸研究を支援し、米沢で帝国人造絹糸を発足させた。1926年に岩国へ近代式工場を新設、1927年の昭和金融恐慌による鈴木商店倒産では株主異動で独立企業へ移行した。戦後の大屋晋三が1955年にアセテート量産を開始したが、東レのナイロン投資に出遅れ、1957年のICI提携で「テトロン」、1962年にナイロンへ参入し、1971年にレーヨン生産を打ち切って祖業を放棄した。1968年設立の未来事業本部は50超の事業に分散したが、1978年の名古屋工場閉鎖と約2,650名の人員削減で選別が進み、1980年のベニロン発売と2011年のフェブリク上市で医薬品を第二の柱に育てた。2000年のトワロン買収で高機能繊維世界上位に立ち、2017年のCSP買収で自動車部品にも進出した素材複合企業として、繊維で築いた競争優位の異種事業への転用が論点となる。
- 東レ — 1926年創業。三井物産の子会社として資本金1,000万円で滋賀県大津に東洋レーヨンを設立。人絹生産は当時リスク事業で、失敗時に三井家へ累を及ぼさぬ配慮から社名を「東洋」とした。1951年6月、田代茂樹社長が米デュポンとナイロン特許実施権契約を結び、前払い金300万ドル(10.8億円)を投じ合成繊維メーカーへ転換。1957年に英ICIからポリエステル技術を導入し帝人と「テトロン」販売開始。1971年の炭素繊維トレカは40年赤字を抱えながら撤退せず、藤吉次英社長は1975年12月「脱繊維」を否定、繊維技術から樹脂・フィルム・炭素繊維へ派生させた。2006年B787の主要構造材に全面採用。2014年Zoltek、2018年TenCate買収で産業用途へ拡張したが収益化は道半ばで、2024年「Dプロ」で資本効率経営へ転じた。規模を守る経営から事業別収益率を測る経営へ組み替えられるかが論点である。
- クラレ — 1926年創業。倉敷紡績社長・大原孫三郎が岡山県倉敷市にレーヨン子会社の倉敷絹織を興した。京都大学・桜田一郎らの研究を基に1950年に合成繊維ビニロンを工業化、1962年に中条でポバール、1964年に倉敷で人工皮革クラリーノ、1972年に岡山でガスバリア樹脂エバールと独自素材を連続で立ち上げた。1970年に倉敷レイヨンからクラレへ社名を改め、1983年米国エバール法人、1997年ベルギーEVAL Europeで三極体制を整えた。2001年2月に祖業レーヨンを停止、同年12月のスイスClariantからのポバール・PVB事業取得、2012年の米MonoSol買収、2014年の米DuPontビニルアセテート事業648億円取得でポバール世界首位を盤石にした。2018年の米Calgon Carbon買収1,234億円で活性炭事業へ参入し、連結売上高は8,000億円規模へ倍増した。
- 旭化成 — 1923年創業。野口遵が宮崎県延岡にカザレー式アンモニア合成工場を設け、水力発電と化学技術を起点に肥料・繊維・火薬を派生させた。1931年延岡アンモニア絹糸設立、1943年日本窒素火薬合併を経て戦前に多角化の形を整えた。1946年の財閥解体で旭化成工業として独立し、水俣をチッソが引き継いだことで後の水俣病賠償を結果的に免れた。1961年就任の宮崎輝は31年在任し、繊維合理化で得た年間約70億円を原資に新規事業の赤字を容認する方針を敷き、1968年に約1,000億円を水島コンビナートへ投じ、1974年に中空糸技術転用の人工腎臓で医療機器へ参入した。1992年の急逝後は山本一元が部門別バランスシートを導入してROE経営で食品・酒類・繊維を整理。2012年以降はZOLL・Polypore・Veloxis・Sage・Bionovaなど10年で約7,000億円のM&Aでヘルスケアへ軸を移した。
- SUMCO — 1999年創業。源流は1958年日窒電子化学・1959年日本電子金属・1960年小松電子金属で、住友・三菱・コマツが別々にシリコンへ参入した。1990年代後半の300mm化要請で単独投資の限界が露呈し、住友金属工業と三菱マテリアル系の共同出資で統合会社を発足、2002年に三社事業を統合。2005年にSUMCOへ商号変更し東証一部上場、2006年にコマツ電子金属を子会社化して信越化学と並ぶ日系2強となった。リーマン後のFY09に純損失1,004億円で3期連続赤字に沈み、2011年に住友系発祥の尼崎工場を閉鎖した。2011年就任の橋本眞幸が長期契約と300mm先端品集中で再建、FY22に売上4,410億円へ戻した。FY23設備投資3,154億円を機にFY25は純損失117億円へ再転落、66年続いた小径ウェーハから撤退するなど、投資先行と市況波動の挟撃が試される。
- ネクソン — 2002年創業。韓国NEXON Corporationが東京にネクソンジャパンを設立、2003年にソリッドネットワークスからオンラインゲーム事業を譲り受けた。2005年10月、韓国親会社がPCオンライン事業を新NEXON Corporation(現NEXON Korea)に切り出し全株式を日本法人へ譲渡。親子関係を反転させ事業持株会社となった。同年12月のWizet譲受で『メイプルストーリー』、2008年のNEOPLE買収で『アラド戦記』を取り込み、テンセント経由で中国に流す三カ国構成を組んだ。2009年に商号をネクソンへ変更、2011年12月に東証一部上場。創業者の崔承祐から2013年に米国人マホニー、2023年に韓国開発出身のイ・ジョンホンへ経営を繋いだ。本籍は日本、稼ぎ頭は韓国・中国というねじれのまま、IPの長寿運営で築いた競争優位を新規ジャンルへ転用する作業が経営の中心命題となっている。
- 王子ホールディングス — 1873年創業。渋沢栄一が抄紙会社を興し、1933年の三社合同で国内シェア80%・新聞用紙95%の34工場体制を築いた。1949年の集中排除法で苫小牧1工場・資本金4億円へ縮小されたが、初代社長中島慶次が1952年春日井でKP法・連続蒸解装置を稼働、1964年苫小牧に抄幅274インチの世界最大級抄紙機を据えた。1968年の旧3社合併覚書が公取委の壁で頓挫したのち、北日本製紙・日本パルプ工業・東洋パルプ・神崎製紙を順に吸収し、1996年の本州製紙合併で「王子製紙」の名を取り戻した。2012年に持株会社制へ移行。2014年Carter Holt Harveyで南半球の森林資源を束ね、2024年4月の欧州Walkiグループ買収で脱プラ素材メーカーへの再定義に乗り出した。戦後分割の巻き戻しで取り戻した規模を、紙という成熟品種の外で使い切る作業が経営の中心命題となっている。
- 北越コーポレーション — 1907年創業。長岡の紙卸商・田村文四郎らが稲藁と信濃川の水力を活かし板紙製造に進出した。戦後は抄紙機増設で1955年に洋紙生産国内5位へ躍り出て、新潟地震と中越地震の被災を経ながら設備投資を継続した。2006年の王子製紙による敵対的TOBを三菱商事への303億円の第三者割当増資で阻止し、24.09%の筆頭株主として系列下に置かれる13年間が始まった。2008年には三菱商事出身の岸本晢夫氏がCEOに就任、2009年に紀州製紙を完全子会社化、2012年には大王製紙株22.3%を取得したが2020年の敗訴で経営関与には至らず資本関係だけが宙に浮いた。2018年の商号変更で総合紙業へ軸を広げ、2019年に三菱商事との提携が解消された後も同体制が継続したため、2021年のオアシスによる「A Better Hokuetsu」キャンペーンで岸本社長体制に異議が申し立てられた。
- レンゴー — 1909年創業。大陸放浪から戻った井上貞治郎が上野公園で起業を決意し、翌1910年にボール紙へシワをつけた梱包材を段ボールと命名して国産化、同年8月に三盛社を設立した。第一次世界大戦期の東京電気のウラジオストク経由の電球輸出で需要が拡大、1920年に5社合併で聯合紙器を設立し、1923年の日本製紙吸収、1930年の淀川工場新設で原紙から加工まで一貫生産体制を築いた。1949年に大阪証券取引所上場、1968年に職工・工員制度を廃止して完全月給制へ移し、1972年に商号をレンゴーへ改めた。1999年のセッツ合併で住友商事と接近、2000年就任の大坪清は1998年朋和産業で軟包装、2016年トライウォール買収で重包装を取り込み、段ボール専業から総合パッケージング企業へ組み替えた。2012年6月には公取委立入検査と課徴金59億円も生じた。
- 住友化学 — 住友化学の起点は化学工業ではなく公害対策である。1913年、別子銅山の亜硫酸ガス被害に対処するため、住友総本店は新居浜でガスを硫酸に回収し肥料を製造する事業を立ち上げた。1934年に住友化学工業へ改称、アンモニア・染料・医薬・アルミと原料系列を下流へ広げ総合化学へ脱皮した。1958年には他社に先駆け愛媛工場でポリエチレンを工業化して石油化学へ参入、農薬スミチオンとピレスロイドで世界シェアを握り、住友製薬と韓国東友ファインケムでも有力地位を得た。しかしアサハン・シンガポール・サウジラービグの国家プロジェクト型海外石化と北米医薬への巨額投資が裏目に出て、2024年3月期は営業赤字4,888億円・最終赤字3,118億円という戦後最大級の損失を計上した。多角化と縮みの振幅こそが住友化学の歴史である。
- 日産化学 — 1887年、高峰譲吉・渋沢栄一・益田孝らが化学肥料の国産化を目指し東京人造肥料会社を設立、日本初の化学肥料メーカーとして出発。1923年の3社合併で業界再編を主導し、1937年に日産財閥傘下入りで日産化学工業へ改称、1949年上場。1965年に石油化学へ後発参入したが、1973年オイルショック後の構造不況で1982・83年と二期連続赤字に陥る。そこで1988年、中井武夫社長は塩ビを東ソー、高級アルコールを協和発酵、ポリエチを丸善石油化学へ売却し、類例なき石油化学全面撤退を断行。以降は農薬・医薬品・機能性材料の三本柱に集中し、サンマイト・リバロ・半導体コーティングや液晶配向膜で高付加価値路線を確立。その結果2024年3月期は営業利益率約17%に達したが、フルララネル独占契約満了後の利益構造再設計が次の課題である。
- 東ソー — 1935年、徳山曹達専務の岩瀬徳三郎が山口県富田町に東洋曹達工業を設立、翌年アンモニア法ソーダ灰の量産を開始、ソーダ専業の単一拠点として戦時下を乗り切った。しかし1946年のGHQ賠償指定で本業を4年奪われた間にセメントや有機薬品へ多角化、1964年の周南コンビナート参入で塩ビモノマー・低密度ポリエチレンへ進出。1969年に四日市へ第二拠点を伸ばし、1990年に新大協和石油化学を合併し総合化学会社へ脱皮。以後は半導体スパッタリングターゲット、ハイシリカゼオライト、ジルコニア、バイオサイエンス、水処理プラントなど機能商品・エンジニアリングを育て、2025年3月期は連結売上高1兆633億円。一方クロル・アルカリの営業利益はほぼゼロまで沈み、機能商品とエンジニアリングが営業利益の8割近くを稼ぐ構造へ役割交代している。
- トクヤマ — 1918年、岩井勝次郎が輸入アルカリの国産化を旗印に山口県徳山町で日本曹達工業を設立、アンモニア法ソーダ灰の生産を始めた。しかし市況崩壊で発足直後から赤字続きとなり、1932年に苛性ソーダへ転換し延命、1936年に徳山曹達へ改称、1949年東証上場。さらに1938年には副生炭酸石灰を起点にセメントへ、1964年の徳山コンビナート発足で塩素起点のポリプロや塩ビへ進出、化成品・セメント・樹脂の3本柱を1工場で組み上げた。1984年に始めた多結晶シリコンは太陽電池向けに賭けたマレーシア工場が2016年に1006億円の純損失でゼロ円譲渡撤退する一方、1978年種蒔きの歯科器材オムニクロマと半導体先端品向け多結晶シリコンはニッチ深掘りで2020年代の再建を支える柱に育ち、装置と立地と市場の組み合わせを組み直す試行が続く。
- デンカ — 1915年、第1次大戦で石灰窒素の輸入が途絶し、三井資本が藤山常一の北海カーバイド工場を引き取り苫小牧で電気化学工業を設立。青海で自家水力発電所と石灰石鉱山を垂直統合。戦後の食糧増産策と1951年からの40%高率配当の蓄積を原資に、1951年渋川で塩ビ、1953年青海でセメントへ進出、世界3社目のクロロプレンゴム企業化、東芝から譲り受けた医薬子会社が後のがん治療薬「デリタクト」を育て素材総合化学へ脱皮。2014年に三井物産と組み米DuPontからクロロプレンゴム拠点を取得。しかし2025年5月に同拠点の暫定停止を発表。同年セメント72年の歴史も畳み、その結果2025年3月期は戦後初の純損失123億円計上。こうしてMission2030の下、祖業連鎖を解体し電子・先端プロダクツとライフイノベーションへ重心を移す。
- イビデン — 1912年に立川勇次郎が大垣市で揖斐川電力を設立し、安価な水力電力で紡績工場を誘致する地域産業モデルから出発した。1917年にカーバイド製造で垂直統合を築いたが、戦時統制で1942年に売電を失い化学専業へ転じ、1960年のメラミン化粧板で蓄えたエッチング技術が1970年のプリント配線板参入を支えた。1991年に電気炉が消えカーバイドから撤退、1994年のインテル攻略で研究予算と40代エース50名を投入、1995年の素材転換と噛み合い1996年に大量受注を得た。しかし2017年に約600億円の構造改革費用で赤字転落しても無借金体質で翌年に投資再開、2022年3月期のインテル向け売上は約1736億円に達した。こうして直近はAIサーバー向けICパッケージ基板で7〜8割のシェアを握る先端半導体部材メーカーへ転身した。
- 信越化学工業 — 1926年に信濃電気の越寿三郎と日本窒素肥料の野口遵が信越窒素肥料を設立、長野の余剰電力を石灰窒素に変える構想で出発した。昭和恐慌で操業休止に陥るも1931年に小坂順造が再建、1940年に信越化学工業へ改称。1953年にGE契約でシリコーン量産、1957年に最後発で塩ビ参入、1967年にダウコーニングと信越半導体を合弁し素材メーカーへ脱皮。1973年にシンテックを合弁、1976年に小田切新太郎が優先交渉権で完全子会社化、1979年に信越半導体も取り込んだ。1978年就任の金川千尋は「フル生産・全量販売」と逆張りを50年貫き、その結果15期連続増益と時価総額22倍を達成、やがてシンテックは2001年に世界首位となった。2023年3月期に連結営業利益率35.5%、金川は96歳で逝去するも規律は斎藤恭彦に継承された。
- 日本触媒 — 1941年に八谷泰造がバナジウム触媒で無水フタル酸の工業化を目指しヲサメ合成化学工業を設立。1944年に吹田工場が稼働5日目で爆発・死亡者を出したが継続を決断、1949年に日本触媒化学工業へ改称。三井化学・ダイセル・旭化成が爆発リスクで撤退するなか1960年頃に国内シェア70%を握り、石油化学への原料転換とアクリル酸国産化に着手した。1985年に姫路工場で高吸水性樹脂(SAP)を後発参入、アクリル酸からの一貫体制とP&G獲得を武器に1年で国内首位に立った。やがて紙おむつ市場の拡大でSAP輸出比率は売上の8割、米欧・インドネシアへ拠点を広げた。しかし2019年発表の三洋化成との経営統合はコロナ禍と欧州SAPの119億円減損で2020年10月に白紙撤回。爆発リスクと原料一貫の構造優位を収益に結ぶ次の手が課題として残る。
- 協和キリン — 1936年に宝酒造・合同酒精・日本酒類の3社が幡ヶ谷に協和化学研究所を設立、加藤辨三郎が糖蜜からブタノール発酵で軍需転用に挑んだ。1949年に協和発酵工業として再出発、1951年にメルク提携でストレプトマイシン国内製造を始め医薬品参入。1960〜80年代は医薬品・酒類・化学品・食品の4事業部で発酵基盤の多角化経営を営み、1991年のコニールで循環器も拡げた。2001〜08年にヤンセン協和売却・酒類のアサヒ譲渡・化学品と食品の分社化を進め、2008年にキリンHDのTOBを受諾、キリンファーマと合併し協和発酵キリンへ。さらに2019年に協和発酵バイオを売却し医薬品単一会社へ純化、Crysvitaなど抗体医薬のスペシャリティファーマ化が進む。2025年の特別希望退職と韓中再編を経て次期中計の成長軌道に向き合う。
- 三井化学 — 源流は1933年大牟田の東洋高圧工業、1941年の三井化学工業、1955年に三井系7社と興亜石油が共同出資した三井石油化学工業で、1958年に岩国で日本最初期のエチレンコンビナートが稼働した。需要鈍化で過剰設備に直面し、岩国大竹エチレンを浮島石油化学に集約、1997年に三井東圧化学と対等合併し三井化学が発足。しかし住友化学との統合は3年足らずで撤回、リーマン後3期連続純損失に転落した。淡輪敏は構造改革で営業利益を2014年3月期420億円から2017年3月期1021億円に戻し、2018年に就任した橋本修は石化と成長領域を切り分け、千葉で出光と2027年度クラッカー集約、西日本もLLP連携を検討。ライフ&ヘルスケア・モビリティ・ICTと汎用石化を別論理で扱う二軸経営で産構法以来の過剰設備問題に三度向き合う。
- 三菱ケミカルグループ — 2005年に三菱化学と三菱ウェルファーマの株式移転で三菱ケミカルHDが発足、小林喜光の「KAITEKI経営」で三菱樹脂・三菱レイヨン・大陽日酸・田辺三菱を取り込み、2兆1894億円の売上は2025年3月期に4兆4074億円へ倍増し総合化学最大手となった。しかし持株会社下に事業会社が並ぶ構造は統合を10年以上低く保ち、化学・医薬・産業ガスをどう束ねるかが通奏低音となった。2017年に事業会社3社統合後もERPは10種類超併存、米国から日本製品を発注できない状態が続いた。だが2021年招聘のギルソンの急進改革は大量退職と現場乖離を生み頓挫、2024年に生え抜きの筑本学が「つなぐ」で現実路線へ揺り戻し、石化再編より自社の稼ぐ力を優先、混乱の自己総括から新中計を出発させた。20年を経ても寄せ集めの一体化は途上にある。
- UBE — 1897年、渡辺祐策ら宇部の地元有志が資本金4.5万円で沖ノ山炭鉱を設立。「炭を掘り尽くせば、また元の農漁村になってしまう」との危機感から、石炭が枯れる前に機械・セメント・化学を3年刻みで仕込み、1942年に宇部発祥4社の自己統合で宇部興産が発足した。戦後はカプロラクタム・アンモニアの量産化学品とセメントを軸とする総合素材企業へ拡大し、1957年から石炭部門7,000名を多角化事業に配転して炭鉱から撤退した。だが原料を輸入ナフサや海外資源に頼る構造は市況に翻弄され続け、2022年4月に社名をUBEへ改めると同時に祖業セメントをUBE三菱セメントへ承継して連結から外し、2025年にはカプロ・アンモニア国内生産停止を前倒しで決めた。こうして創業期の多角化の論理が、128年後に2度目の祖業転換として反復している。
- 野村総合研究所 — 1965年、野村證券が調査部門を分離して日本初の本格的民間シンクタンク野村総合研究所を設立し、1966年に証券電算化を担う野村電子計算センターも立ち上げた。やがて報告書を売る会社と計算機時間を売る会社が1988年1月に合併し、「リサーチ+IT」という他のSIerにない二枚看板を備えた現NRIへ合流した。金融機関向け共同利用型システムを起点にコンサルから運用まで1社で抱える独自モデルが定着し、2001年12月の東証一部上場で得た資金はデータセンターと運用基盤に振り向けられ、稼ぎ頭は金融IT運用へ移った。営業利益率は大企業向けSIerとして破格の15%超を維持し、2024年の社長交代後は17%台に乗せている。ただし海外比率は16%前後に張り付き、国内金融に深く差し込んだ強みがそのまま地理的拡張の遅さに反転している。
- 電通グループ — 1901年7月、光永星郎が資本金10万円で広告会社を東京に起こし、4ヶ月後に電報通信社を併設。1906年に日本電報通信社を設立、翌年に日本広告と合併し、新聞社に通信配信と広告枠を抱き合わせる交渉力で昭和初期まで首位を保った。だが戦時統制で通信を失い広告専業に追い込まれ、戦後70年で世界5位のメガ・エージェンシーへ駆け上がる。決定打は2013年の英Aegis買収(約4,000億円)で、海外売上比率を一桁台から過半へ押し上げ、米Merkle買収でCRM・データにも足場を築いた。しかし2024〜2025年に海外のれん減損6,300億円超、最終赤字3,276億円、上場後初の無配を計上し、五十嵐博社長はAegis以来の海外膨張路線の否定を中計で宣言。こうして創業125年目の電通は、日本資本のまま欧米で生き残る道を模索している。
- メルカリ — 2013年2月、ウノウの設立・売却を経験した山田進太郎が株式会社コウゾウを設立し、7月にスマホ完結型フリマアプリ「メルカリ」を投入。PC前提のオークション型では拾えなかった個人間取引の摩擦を即決価格で取り除き、テレビCMと累計100億円超の資金調達で日本のCtoC市場を創出した。2018年6月に東証マザーズへ上場し時価総額は一時7,000億円超に達したが、株価は3分の1まで暴落、米国子会社では累計181億円の減損や不正決済に直面した。一方2017年設立のメルペイで決済領域に進出し、フリマ売上金を決済原資に回す独自の資金循環を築いたが、あと払い拡大で2023年6月期末には貸倒引当金54億円・未収入金前年比353億円増、営業CFはマイナスへ転じた。こうして国内で勝ち海外で負け、テックと金融両方のリスクを抱える事業体に変貌している。
- 花王 — 1887年6月、岐阜の酒造家出身・長瀬富郎が東京日本橋馬喰町で石鹸と輸入文具の小売を開業。1890年に桐箱入り「花王石鹸」の自社製造へ転じ、流通から製造へ事業を広げた。1925年法人化、1940年に日本有機を設立して原料・量産・流通の三層を社内に抱え、戦時期に蓄えた高級アルコール・油脂化学の技術は1957年の和歌山工場での合成洗剤量産投資に活かされた。1964年には全国27万件の小売との再販契約で問屋を介さない販社網を築き、日次販売データが新製品開発と価格管理を支える仕組みへ発展。やがて1985年参入のフロッピーディスク事業は売上800億円規模に達したが1998年撤退、後藤社長は役員降格と賞与カットで決着した。こうして1999年のEVA経営から2023年中計K27のROIC経営へ指標を組み替え、選別を進めている。
- 武田薬品工業 — 1781年6月、初代武田長兵衛が大阪道修町で薬種商として創業し、和漢薬仲買を130年以上営んだ。1914年第一次大戦でドイツからの医薬品輸入が途絶え、1915年に武田製薬所を新設し自社製造へ転じた。戦後はアリナミンで国民的ブランドを築き、抗がん剤リュープリンの米国展開で創薬を軸とする国際企業へ転換。1993年社長就任の武田國男はキノホルム薬害引当を片付け、非医薬の多角化を手放し医薬専業へ舵を切った。だが2010年代以降は買収で時間を買う路線へ転じ、2019年のShire買収(約6.2兆円)で世界トップ10入りを果たしたが、買収プレミアム回収と巨額有利子負債、アリナミン売却、グローバル経営人材の内部育成が課題として残った。こうして240年事業の重心を川上へ移し続けた末、武田の次の成長は「買う力」で描けるかが論点となる。
- アステラス製薬 — 1923年に山内健二が大阪・道修町で創業した山之内薬品商会を起点に、1985年のH2ブロッカー「ガスター」で欧米へ技術輸出した中堅が、2005年に大阪発の藤沢薬品工業と対等合併しアステラス製薬となった。武田に次ぐ国内2位級メガファーマで、2008年に開発本社を米国に置く。その後2010年のOSI約4000億円買収で前立腺がん薬XTANDIが世界標準治療となり、2016年3月期は売上1兆3727億円・純利益1936億円の最高益を記録。だが2017年就任の安川健司が「自前主義では勝てない」と外部導入を加速したため、2020年オーデンテスのAT132開発遅延、2023年IVERIC bio約8000億円買収と中止が相次ぎ、その結果2024年3月期純利益は170億円へ急落。岡村直樹体制は量から質への転換で立て直しを図る。
- 住友ファーマ — 1897年に大阪・道修町の薬種商21名が共同出資した大日本製薬は、108年の独立中堅期を経て2005年に住友製薬と合併し大日本住友製薬となった。2009年のSepracor約26億ドル買収でラツーダを米国精神科の柱に据え、FY17営業利益881億円の最高益。さらに2019年Sumitovant約30億ドル買収でオルゴビクス等3製品を取得しFY21売上は5,600億円へ膨らんだ。だが2022年に住友ファーマへ商号変更した直後、ラツーダ米国独占終了とキンモビ減損が重なり、その結果FY23は基幹3製品の計画崩れでのれんを一括清算、純損失約3,150億円を計上。野村博から木村徹へ社長交代し、北米1,000人削減を断行。FY24は当期利益236億円へV字回復、アジア事業を丸紅へ720億円で譲渡し米日2拠点へ縮約する。
- 塩野義製薬 — 1878年に大阪・道修町で塩野義三郎が薬種問屋として創業、洋薬へ業態転換のうえ1910年に塩野製薬所を設立し1949年に上場した中堅は、2008年就任の手代木功のもとで疾患領域を感染症一本に絞る選択と集中に踏み切った。武田・アステラス・第一三共が大型M&Aで欧米メガファーマ化するなか、領域を削り自社販売可能な規模に留める逆張りで、自社創出のインテグラーゼ阻害薬ドルテグラビルをGSKとの合弁ViiVで世界展開した。その結果2019年3月期は営業利益率38.1%、有利子負債は10年で社債9億円まで圧縮。さらに2022年11月には国産初の経口COVID-19治療薬ゾコーバが緊急承認され、2023年3月期売上は4,267億円と20年越しの過去最高を更新。問屋出自の中堅が領域絞り込みとロイヤリティ経営で財務構造を変えた。
- 中外製薬 — 1925年に上野十蔵が中外新薬商会として創業、ドイツ薬品の輸入代理から注射薬製造へ進出した。戦後は解毒剤グロンサンで基盤を築いたが単一製品依存が響き、1966年に無配転落と早期退職420名募集に追い込まれた。1970年代からバイオ研究に着手、さらに1991年のノイトロジン上市で遺伝子組換え技術を蓄積し抗体医薬の土台とした。2002年、スイスのロシュと戦略提携を結び過半出資を受け入れ、創薬と初期開発に特化し後期臨床と海外販売はロシュ網に委ねるモデルへ移行。資本の過半を外国企業に預けつつ上場と経営自主性を保つ前例のない契約で、投資規模と海外販売網の壁を一度に解いた。その結果アクテムラやヘムライブラを世界展開、2023年12月期は売上1兆1114億円・営業利益4392億円、グローバル創薬企業へ転換した。
- エーザイ — 1936年に田辺製薬常務の内藤豊次が東京三河島に副業で立てた桜ヶ丘研究所が起源。1955年にエーザイへ改称、1961年に東証一部上場した中堅は、抗生物質の価格競争を演じる武田・三共・塩野義から距離を取り、競争の薄い循環器系に絞った。1974年に世界初の代謝性強心剤ノイキノン、1997年にアルツハイマー治療剤アリセプト、2023年に疾患修飾療法レケンビと、四半世紀おきに「世界初」を重ねた。やがて2008年のMGIファーマ4137億円買収では財務規律を曲げ借入に頼ったが、そこから生まれた抗がん剤レンビマがメルク提携で2023年度2976億円まで伸び、レケンビ投資の原資となった。こうしてアリセプトで26年磨いた米国の認知症専門医ネットワークが参入障壁として効き、絞り込みと長期の待ちが大手と衝突しない経路を築いた。
- ロート製薬 — 1899年に山田安民が信天堂山田安民薬房として創業、胃腸薬「胃活」で出発し1909年に「ロート目薬」を発売、胃腸薬と目薬の二本柱で国内大衆薬シェア首位を築いた。少品種超量産と広告一点集中で40%シェアと高回転収益を取ったが、1983年に胃腸薬首位を譲り、症状別細分化への対応遅れが露呈。1975年に近江兄弟社倒産で宙に浮いたメンソレータム商標使用権を取得、1988年に米メンソレータム社を買収して所有型へ切り替え、軟膏を第三の収益源に据えた。さらに1991年の中国合弁を起点にアジア事業を構築し、アジア売上比率は6%から32%へ上昇。2001年から皮膚科学を生かしたスキンケアに本格投資し「肌ラボ」が第四の柱に育った。こうして山田家5代の同族経営のもと、大衆薬メーカーから総合ヘルスケア企業への転換を進める。
- テルモ — 1921年、北里柴三郎ら医学者が国産体温計の自給を志して赤線検温器を設立した。第一次大戦でドイツ輸入が途絶した医療現場への国産供給から出発し、1963年のディスポーザブル注射筒で消耗品メーカーへ事業構造を組み替えた。その後、1971年の欧米拠点設置を起点に海外展開を進め、1999年の3M人工心肺、2011年のカリディアンBCT、2016〜17年のボルトンメディカル等を取得して心臓血管・血液血漿・ホスピタルの3カンパニー体制を構築した。しかし買収事業の収益化に10年近くを要し、血液システム事業はFY15・FY16に赤字へ沈んだのちFY17以降に回復、FY24は売上収益1兆361億円・営業利益1,576億円、海外売上比率7割超に達した。こうして自前開発では届かない治療領域を買収で順に補完する経営パターンが定着した。
- 第一三共 — 2005年に三共と第一製薬の経営統合で発足した。2008年にインドのランバクシーを約5000億円で買収し新興国ジェネリック市場へ打って出るが、翌2009年3月期に同買収の減損を主因に純損失2155億円を計上、統合4年で巨額の穴を開けた。狙いだったオルメサルタン世界展開も誤算に飲まれて崩れる一方、社内では15人規模のチームが大手が次々に断念した抗体薬物複合体(ADC)の研究に着手していた。やがてその技術が2020年に抗がん剤エンハーツとして結実、FY24に売上収益1兆6016億円・営業利益2116億円へ拡大し、FY25は1兆8863億円のうちエンハーツが5528億円(約29%)を占めるまでに成長した。つまり後発薬で外した穴を、統合時に偶然結合した自前技術を15年温め続けて埋め切る経路を歩んだ会社である。
- 大塚HD — 1921年、徳島の塩田地帯で輸液工場として出発した。医薬品メーカーが酒販ルートでオロナミンCを売り、輸液の発想でポカリスエットを作り、米Pharmaviteを買収してネイチャーメイドを取り込み、自社創製の抗精神病薬エビリファイで世界の中枢神経市場に入り込んだ。こうして普通は同居しない医薬と消費財を、鳴門の塩田由来の化学プラント的工場運営で100年束ね続けた異色の企業である。リスクの取り方は一貫して「外す時は大きく外す」賭け方で、エビリファイ以後はその賭けが減損として周期的に顕在化、FY23には1724億円の評価損を計上した。それでもFY24は売上2.3兆円・営業利益3235億円の最高益を更新し、ニュートラシューティカルズが消費財として医薬の波を吸収する二階建て構造が中枢神経領域への賭けを財務面から支えている。
- 日本ペイント — 1881年、開成学校で化学を学んだ茂木重次郎がドイツ人化学者ワグネルから塗料製造技術を習得し、東京芝区に共同組合「光明社」を創業した。日本初の洋式ペイント国産化を果たしたが、唯一の顧客は海軍で需要構造の脆弱さが戦前経営を制約した。1898年に日本ペイント製造を設立し小畑家が約60年経営を担い、戦後は自動車需要で関西ペイントと二社寡占を形成した。1962年シンガポールでの合弁が長期的転機となり、ウットラム社がNIPSEAを形成、2014年の第三者割当でアジア事業を連結化、2021年の1.3兆円増資で出資が過半に達し資本逆転が完了した。こうして豪Dulux・欧Cromology HDなど買収を重ねてグローバル塗料企業へ転換し、2025年は中国弱含み下でプレミアム戦略と地域別差別化で利益成長を追っている。
- オリエンタルランド — 1960年、京成電鉄社長の川崎千春が渡米時にディズニーランドを訪れ日本誘致を構想した。私鉄経営の延長で浦安沖を埋め立てる計画が立案され、漁業補償4年・埋立工事11年を費やし京成の経営危機や三井不動産の撤回要請を越えて1979年にディズニー社と独占ライセンスのロイヤリティ契約を結んだ。こうして1983年開業の東京ディズニーランドは初年度から993万人を集め、アトラクション投資でリピーター比率約90%の集客循環を生んだ。しかし1パーク体制打開へ約3,350億円を投じ1996年に東証一部上場、2001年に東京ディズニーシーを開業し入園者2,500万人を超えた。2010年代以降は値上げと変動価格制で客単価を引き上げ、2024年ファンタジースプリングス開業を経てFY25は売上6,794億円・営業利益1,721億円の最高益となった。
- ヤフー — 1996年、ソフトバンクと米Yahooの合弁で設立された。ディレクトリ型検索を起点に日本最大のポータルへ成長し、Yahoo!オークションでCtoCを事実上独占してPC時代の象徴となったが、井上雅博社長16年の長期政権で組織慣性が強まりスマホ移行を読み違えた。しかし2012年の「爆速経営」で執行役員をほぼ総入れ替え、川邊健太郎ら旧電脳隊出身者を中核へ据え、Yahoo!ショッピング出店料無料化、アスクル・ZOZO買収、ソフトバンクとPayPay設立で広告・商取引・決済を束ねる経済圏づくりに着手した。さらに2019年に米Yahoo株を買い戻して資本独立した。だが、2021年LINEとの経営統合と2023年LINEヤフー再合併を経て主導権はLINE側に移り、ヤフーがLINEを取り込む当初構図は逆転、組織一体化は道半ばにある。
- トレンドマイクロ — 1988年に米国で創業した台湾発のアンチウイルスベンダーが、1996年に持株会社を東京に据え、1999年NASDAQ・2000年東証一部の二重上場という異例の資本構成を整えた。研究を台湾、販売を各国現地法人、資本を東京に分けるグループ分業でPC向け対策で成長したが、FY07の営業利益率34%をピークに成熟期へ入った。しかし2016年TippingPoint買収で連結のれんが183億円へ跳ね、ネットワーク・サーバ・クラウドを束ねる多層防御へ転換、さらに2019年Cloud Conformity取得で設定監査、2022年VicOne設立で車載領域も取り込んだ。こうしてFY25は売上2,759億円・営業利益577億円まで戻し、Vision OneのARRを軸に、PC防御からAIインフラを守る側へ立ち位置を移している。
- サイバーエージェント — 1998年、24歳の藤田晋がネット広告の営業代行で創業し、クリック保証型「サイバークリック」で広告会社へ転換。2000年東証マザーズ上場で207億円を調達したがITバブル崩壊で評価損が膨らみ、2001年には村上ファンドの株主提案も受ける。しかし2003年終身雇用宣言で人材を束ね、2004年投資有価証券売却で黒字化し基盤を整えた。さらに2011年スマホシフト宣言でモバイルゲームを柱にし、2015年テレ朝とAbemaTVを設立、累計1000億円超でネットTVへ参入。ウマ娘ヒットでFY21は売上6,664億円・営業利益1,043億円と最高益。一方、AbemaTV投資負担で2019年12月総会の社長選任賛成率は57.56%まで低下し、2025年12月、藤田は創業以来初の交代で山内隆裕に引き継ぎポスト創業者時代へ入った。
- 楽天グループ — 1997年、三木谷浩史が月額5万円の固定料金で13店から仮想商店街「楽天市場」を始めた。百貨店系モールが月100万円の出店料を取る時代に敷居を一桁下げて商店主を取り込み、2002年固定料金制を廃し売上連動型へ転換、さらに2003年に旅行・証券を取得し三領域を整えた。こうして在庫を持たずクロスユースを生み、ID・ポイントで束ねる「楽天経済圏」は連結売上2兆4965億円、総資産28兆円まで膨らむ。2019年第4の携帯事業者として自前基地局網の構築に乗り出し、2020〜2022年の累計純損失8400億円、有利子負債3兆4000億円に達したが、FY25にモバイルEBITDAが黒字化し契約1000万回線と営業黒字に到達。仮想化ネットワーク外販、みずほとの金融連合、自社LLMを並走させ、経済圏を通信とAIで拡張する局面に入った。
- 富士フイルム — 1934年、写真フィルム国産化を掲げ大日本セルロイドから富士写真フイルムを分離設立。1936年量産失敗で36万円の累積赤字を出すが、1938年小田原工場で立て直し、戦後は4大特約店体制で国内を押さえた。1962年富士ゼロックスで複写機参入、1977年F-II 400でコダックに技術優位を確立、1981年FCRで医療画像へ進み、1985年国内シェア70%超に達した。しかし2000年代デジカメ急成長で本業が消失する局面で、古森重隆下で持株会社化、富山化学買収、Merck CDMO取得、SonoSite買収を連鎖。さらに2019年富士ゼロックスを完全子会社化、バイオCDMOと日立画像診断取得でヘルスケアを強化。こうして後藤禎一体制のFY26はEMとバイオCDMOを成長エンジンに据え、複合テクノロジー企業の姿を固めている。
- コニカミノルタ — 1873年東京麹町で開業した小西屋六兵衛店を起点に、1929年フィルム製造、1949年東証上場を経て写真材料の老舗を築いた。1971年電子複写機事業で情報機器へ重心を移し、1987年コニカへ改称、2003年ミノルタと株式交換で統合、持株会社体制へ移った。デジタル化で祖業を失った後は複写機で再生したが、情報機器一本足の構造は2010年代に陰り、2017年米Ambry Genetics買収も統合難航と市況悪化で減損となった。その結果2024年AmbryをTempus AIへ6億ドルで売却、約5,200名削減、FY24は営業損失640億円・当期損失475億円を集中計上。しかしFY25Q3累計は営業利益333億円・当期利益214億円に戻し、社外取締役過半の体制下で半導体装置向け光学部品や機能材料を次の柱に据えている。
- 資生堂 — 1872年、薬剤師免許第一号の福原有信が東京銀座で資生堂薬局を開き、1897年「オイデルミン」で化粧品メーカーへ業態転換。1923年関東大震災後の流通混乱を機に問屋を販売会社化するチェインストア方式を発明、1952年躍進五ヵ年計画で販売・広告・製造に集中投資、1964年国内シェア首位へ到達。しかし1997年の再販価格維持撤廃で前提が崩れ、ドラッグストアとネット口コミにチャネルを侵食。2005年から前田新造のメガブランド戦略、2014年に魚谷雅彦がVISION 2020で海外プレステージへ舵、2019年Drunk Elephant買収、さらに2021年パーソナルケア売却と米3ブランド譲渡で低価格帯から退く。2025年CEO藤原下のFY25はコア営業利益445億円・利益率4.6%、プレステージ作り替えの途上にある。
- 出光興産 — 1911年6月、出光佐三が福岡県門司で出光商会を興し機械油販売から事業を始めた。1940年3月に出光興産として法人化、1953年の日章丸事件ではイランへ自社タンカーを派遣し原油を直接輸入、1957年の徳山製油所竣工で元売から精製まで一貫体制を築いた。1963年には生産調整に反発して石油連盟を脱退、2006年10月の東証一部上場まで約40年、民族系最大手として独立路線を貫いた。しかし2010年代の需要縮小と原油急落で2015年3月期に純損失1,380億円を計上、2016年12月に昭和シェル株31.3%を取得し2019年4月に完全子会社化、業界4社体制を実質2社体制へ塗り替えた。こうして独立にこだわった会社が業界再編の主導者へ転じ、2023〜2030年度のカーボンニュートラル投資約8,000億円を掲げるまでに至っている。
- ENEOS HD — 1888年5月、内藤久寛らが新潟で日本石油会社を創業、1894年に日本石油株式会社へ改称し、1921年宝田石油・1941年小倉石油の合併で民族資本集約を主導した。戦後は外資・共同石油系と並立する分散構造を経て、1999年4月に三菱石油と合併、2010年4月の新日鉱HD統合でJXホールディングスが発足した。しかし2015年3月期に原油急落で純損失2,772億円、翌期も連続赤字となり再編の必然が露わになった。その結果、2017年4月の東燃ゼネラル吸収で国内元売シェア50%超を築き、2020年6月にENEOS HDへ商号変更、2023年10月の和歌山製油所停止で精製能力を193万から164万B/Dへ削減、2025年3月にはJX金属を分離上場した。油・ブランド・非鉄の三源流を脱炭素時代に解きほぐす段階に入っている。
- 横浜ゴム — 1917年10月、横浜電線製造と米B.F.グッドリッチの折半出資で横濱護謨製造を設立、電線会社の多角化として国産タイヤを生んだ。1923年震災と1945年空襲で平沼・鶴見・海外5工場を失う二度の危機を経て、1950年に東京・大阪両証取一部へ上場、1952年平塚へ集約し再建を果たした。しかし1960年代の量産投資でブリヂストンに首位を譲り、1978年連続赤字を機にADVANで性能差別化へ転換、住友ゴムの伸長で2000年代には三位へ後退し半世紀の踊り場が続いた。停滞を破ったのが2016年Alliance Tire買収以降の農機・産業用M&Aで、2023年Trelleborg・2025年Goodyear OTRを経てFY24売上は1兆円を突破した。こうして乗用車からオフハイウェイ領域へ利益源を移す第二の創業期に入っている。
- ブリヂストン — 1931年3月、石橋正二郎が日本足袋から独立、久留米にブリッヂストンタイヤを設立した。地下足袋のゴム加硫技術をタイヤへ転用、戦後モータリゼーションで成長し、1961年10月の上場まで30年非上場を貫いた。1960年の東京工場新設で2工場集中体制を組み単独首位を固めた。1988年5月にはピレリとの対抗TOBで総額26億ドルの米ファイアストンを買収、米欧11工場を獲得し世界有数の地位へ飛躍した。しかし統合は難航し、2000年に米650万本自主回収(損失818億円)の品質危機に直面した。その結果、四極体制と2007年バンダグ買収を経て、2019年トムトムテレマティクス買収以降は「ブリヂストン3.0」のもとモビリティソリューション企業への転換を進めている。
- AGC — 1907年、岩崎俊弥が板ガラス国産化のため旭硝子を設立、1909年尼崎工場で日本初の工業生産にこぎつけた。1944年戦時統制で三菱化成へ統合され旭硝子の名は消えたが、1950年の財閥解体で三分割・旧名で再発足、同年上場した。1981年グラバーベル買収で欧州・北米・アジアの三極体制を組み、2009年にはスマホ向け化学強化ガラスで電子部材へ重心を移した。さらに2016年以降はバイオCDMOを買収で積み上げ、2018年に社名をAGCへ変更しガラスとライフサイエンスの二軸経営を打ち出した。しかし2024年12月期にCDMOで1,248億円の減損を計上、2025年に米コロラド撤退とシングルユース絞り込みを決め、2026年利益目標を2,000億円から1,800億円へ下方修正、ポートフォリオ再点検を迫られている。
- 日本電気硝子 — 1944年、NECが真空管用ガラス内製化のため設立、1949年12月に従業員90名で独立し特殊ガラスメーカーとして再出発した。1965年には資本金3億円の会社が約20億円を投じ滋賀・高月にCRT専用工場を建設、旭硝子独占市場に第二供給者として食い込み、FY81には売上の54%をCRTに依存する基幹部材供給者へ躍進した。1987年にTFT液晶基板ガラスを立ち上げ、2000年オーバーフロー法でFY07に売上3,683億円・営業利益1,009億円のピークへ到達した。しかし韓国・台湾勢の追い上げでFY14売上は半減、2017年買収の欧州PPG事業は2019年に減損、2023年韓国整理で純損失262億円、2025年英国撤退と代償を繰り返し払う展開となった。その結果、EGP2028のもと半導体関連と超薄板ガラスへ重心を移している。
- 太平洋セメント — 1881年創業の小野田、1883年に浅野総一郎が官営工場を借り受けた浅野系、1923年の秩父 ── 明治以来3系譜のセメント会社は、1994年に小野田と秩父が、1998年に秩父小野田と日本セメントが合流して太平洋セメントとなり、国内シェア首位に立った。背景には国内需要のピークアウトがあり、2005年度5,909万トンから2024年度3,266万トンへ45%減少した市場で、1990年買収の米カルポルトランドを北米収益柱に育て、海外と値上げで縮小を埋めた。しかしリーマンショック後のFY08は純損失353億円、エネルギー高騰のFY22も純損失332億円、FY25はフィリピン子会社で減損244億円。その結果、統合で得た規模は同規模の損失を周期的に受け止める器となり、田浦体制下で値上げ浸透と原価改善に重心を置いている。
- 東海カーボン — 1918年、名古屋電燈の福沢桃介は木曽川水力発電の余剰電力の出口を探し、顧問技師・寒川恒貞の提案で電気製鋼所が消費する米アチソン製黒鉛電極を国産化するため、資本金50万円で東海電極製造を設立した。電力の副産物として生まれた会社は、電極とカーボンブラックの2枚看板で高度成長と円高を乗り越え、1992年の東洋カーボン合併で国内首位、2017年の米SGL買収でアジア・北米・欧州3極体制を築いた。その結果、中国環境規制と電炉鉄鋼需要急増が重なったFY18は売上2,313億円・純利益734億円の過去最高益に達した。しかし7年後のFY24は特別損失769億円・純損失565億円を計上し、2025年6月に滋賀工場の電極生産中止と独Tokai Erftcarbon譲渡を決定 ── 買収で掴んだ欧州拠点を自ら手放すことになった。
- TOTO — 1917年、森村組の大倉和親は「東洋市場」を狙って小倉に資本金100万円で東洋陶器を設立し、洋風建築便器の国産化に挑んだ。一次大戦後の不況で1923年に減資を迫られたが、皮肉にも同年の関東大震災が衛生陶器市場を初めて作った。つまり水回り国産化は震災と都市インフラ整備という外部ショックを触媒に成立した。戦後は団地・五輪需要に乗り、1969年に商標「TOTO」を統一、1970年に東陶機器へ社名変更、1980年に温水洗浄便座「ウォシュレット」を発売して家電製品を量産する業態へ脱皮した。1990年代に米国・中国・東南アジアへ拠点を分散配置し、2007年にTOTO株式会社へ商号変更。リーマンショックで純損失262億円を出したが、喜多村円体制下のリモデル経済化で立て直し、現在は中国不動産変調と国内リモデル深耕を並走させている。
- 日本ガイシ — 1919年5月、森村組系の日本陶器が碍子部門を分離し、資本金200万円で日本碍子が名古屋に設立された。「碍子」は高圧送電線の絶縁体を意味し、創業時の顧客は電力会社に限られた。1936年に点火プラグ部門を日本特殊陶業として分離独立、戦後の電源開発と朝鮮戦争で碍子需要が急増した。1964年の「6:4構想」で多角化に舵を切り、1976年フォード向けハニカム担体納入で自動車排ガス浄化セラミックスを収益柱に育て、1986年に漢字「日本碍子」を片仮名「日本ガイシ」へ変更。2002年のNAS電池量産化、2010年代の半導体装置用部材へとセラミック技術の用途を広げた。しかし2025年にはNAS電池を23年で撤退する一方、独1837年創業の熱交換器メーカーを270百万ユーロで買収し、2026年4月にNGKコーポレーションへ社名変更する方針を発表した。
- 日本特殊陶業 — 1936年10月、日本碍子のセラミック技術を基盤に日本特殊陶業が名古屋で設立され、スパークプラグ国産化を掲げて創業した。戦時中は航空機向け点火プラグで軍需に応えたが、終戦で軍需が消滅し1945年11月に2,000名を解雇、創業10年で存続が焦点の転機を迎えた。しかし戦後は自動車再建で需要が回復、1956年米国視察後の生産改善を経て1966年に国内シェア70%でデンソーを引き離した。その後は1959年ブラジル現地生産から海外展開を進め、1967年セラミックICパッケージ、1982年酸素センサーへ用途を広げた。リーマンショックでFY09は最終赤字に転落したが、2013年に10億本計画を打ち出して補修用主軸モデルを世界に拡張。2023年に英文商号をNiterraへ変更し、川合尊体制下で「セラミックスのその先へ」を掲げる。
- 日本製鉄 — 源流は1934年設立の旧日本製鐵で、戦後の集中排除法で八幡製鐵と富士製鐵に強制分割された。1970年3月、両社は再合併して新日本製鐵を発足、粗鋼生産量で世界最大級に到達し、翌71年稼働の大分製鉄所を主力に米鉄鋼業を追い越した。しかし1973年石油危機で構造不況に転じ、1978〜1987年に4次合理化、1988年釜石高炉停止。並行して1984年に半導体・シリコンウエハーへ多角化したが、20年の試行は失敗、1999年LSI事業部廃止で本業回帰となった。その後2012年に住金と統合し新日鉄住金、2017年に日新製鋼を完全子会社化、2019年日本製鉄へ商号変更。2023年12月にUSスチール買収計画を公表、2025年6月のクロージングを経て、2030年までに粗鋼能力の6割超を海外で賄う体制へ転換している。
- 神戸製鋼所 — 1905年、鈴木商店の番頭・金子直吉が艦船部品の国産化を狙って神戸の小林製鋼所を買収し神戸製鋼所と改称、1911年に独立した。1927年に母体の鈴木商店が金融恐慌で倒産しても本体は生き残り、鉄鋼・アルミ・銅・機械・溶接・建設機械を並立させる独立系の複合素材メーカーへ育つ。しかし複合経営はどの分野でも首位を取れない中途半端さを抱え、2009年以降4度も純損失を計上、2017年10月にはアルミ・銅製品の検査データ改ざんが発覚し信頼は地に落ちた。その後、2002年に副業として始めた神戸発電所IPP事業を山口貢体制で主力化し、2023年までに神戸4基+真岡2基の6基体制へ拡張した結果、2025年3月期には創業120年で過去最高の純利益1201億円を記録、鉄鋼市況に依存しない第3の柱を育てる局面に入っている。
- 日本製鋼所 — 1907年11月、北海道炭礦汽船と英アームストロング・ビッカースの日英三社共同出資で、民間兵器メーカー・日本製鋼所が室蘭に設立された。日英同盟と帝国海軍の軍拡が需要を生み、室蘭は砲身、広島は砲弾、武蔵は戦車という分担で戦時下に売上首位の兵器メーカーへ拡大。しかし戦後は兵器生産を停止し民需転換を迫られ、1950年に過度経済力集中排除法で解散・再設立、1961年に独アンケル社提携で射出成形機に参入する。油圧ショベルは小松・日立建機に敗れ1986年撤退、80〜90年代は赤字と人員削減が続き、2015〜17年3月期は風力発電機部品の不具合と室蘭減損で3期連続赤字に陥った。その結果、2020年4月に素形材・エンジニアリングをM&Eへ分社化、本体を産業機械・防衛機器へ転換、2025年3月期は過去最高益228億円で30年超の改革が実を結んだ。
- 三井金属鉱業 — 1874年、三井組が明治政府から神岡鉱山の払い下げを受け、1892年に三井鉱山合資会社を設立して三井財閥の非鉄部門を築いた。国内最大の亜鉛産出を誇る神岡を核に採掘から製錬まで一貫体制を構築、財閥解体で1950年に独立、高度成長期の需要で多角化を進める。しかし1971年ニクソンショック以降の円高と72年表面化のイタイイタイ病補償が直撃、1981年の再建計画から始まる鉱山縮小は2001年神岡採掘中止まで23年続いた。その間に銅箔やTABテープ等への転換を進め、2001年中計「MAP500」で電子材料をコアに据え、資源会社から先端材料メーカーへ自己定義を更新した。その結果2020年代は非鉄市況高騰とAIサーバー向け銅箔需要拡大で過去最高益に到達、25年度新中計のもと機能材料・金属両軸で構造改革と成長投資を進めている。
- 三菱マテリアル — 1873年、三菱合資会社が吉岡鉱山を取得、尾去沢・細倉・生野・明延を順次取得し1918年に鉱業部門を分離して三菱鉱業を設立した。戦前は財閥の鉱山・炭鉱を担う資源企業として国家供給を支え、戦後の過度経済力集中排除法で非鉄部門が太平鉱業として分離、後に三菱金属へ商号変更する。しかし1971年以降の円高と品位低下で国内鉱山閉鎖を強いられ、1987年までに主要鉱山整理を終えた。その結果1990年に三菱金属と三菱鉱業セメントが合併し三菱マテリアルが発足、精錬・セメント・超硬工具を3本柱とする総合素材メーカーへ転じる。2017年12月のグループ品質不正で絞り込みへ動き、2022年UBE三菱セメント設立でセメントを切り離し、銅製錬と超硬工具を軸に再構築を進めている。市況追い風で2026年3月期は過去最高水準が見込まれる。
- 住友金属鉱山 — 1691年、住友家が愛媛の別子銅山採掘を開始し、約230年にわたり直営する日本屈指の銅山として育てた。別子の銅は住友機械・化学・電工・林業・銀行など財閥事業群の資本供給源となり、明治期は広瀬宰平の機械化投資で近代鉱山へ生まれ変わる。1927年に直営から住友別子鉱山株式会社へ法人化、戦後の財閥解体で1950年に金属部門が住友金属鉱山として独立した。1960年代以降は競争力低下と円高で国内鉱山の閉山が進み、1973年には原点の別子銅山も閉山となる。しかし1985年に鹿児島・菱刈鉱区で国内唯一の商業生産金山・菱刈鉱山を開山、米モレンシー・インドネシアのニッケル・チリのケブラダブランカ・カナダのコテ金鉱山など海外案件と電池材料(Ni系正極材)でEV時代に備えた。2025年は財務戦略見直しで資本効率重視へ転じている。
- DOWA — 1884年、藤田組が官営小坂鉱山の払い下げを受けて参入した。金・銀・銅・亜鉛・鉛が混じる黒鉱の製錬が難航し閉山指示まで受けたが、久原房之助が1902年に黒鉱自溶製錬を確立、1906年に国内産出額一位となった。1916年以降は花岡・柵原を加えて鉱種と地理を分散し、1945年に同和鉱業へ改称した。しかし1971年のニクソンショックと硫化鉱悪化で全鉱山が圧迫され、一万名の従業員を三千名へ縮める縮小均衡が続いた。2002年に吉川廣和が社長就任、市場性・競争力・社員のやる気の三基準で18事業を整理する「雑木林経営」を断行、環境・リサイクルへ転換し2007年3月期に過去最高益263億円を計上した。2006年にDOWAホールディングスへ移行、現在は環境・製錬・電子材料・金属加工・熱処理の五本柱で海外展開と複合コンビナート再構築を進めている。
- 古河電工 — 1896年、古河財閥は足尾銅山の銅加工のため横浜電線製造を設立、1920年に古河電気工業へ改称、戦後は電池・金属・アルミを束ね非鉄総合メーカーへ成長した。1990年合弁のJDSU株で2兆円規模の含み益を抱え、これを原資に2001年11月、古河潤之助社長は米ルーセントの光ファイバ部門OFSを約2,250億円で買収、光への転換に賭けた。しかし直後のITバブル崩壊で2003・2004年3月期に計2,541億円の赤字を出して潤之助は辞任、その後20年で非コアを切り離し情報通信・電装・機能製品の3セグメントへ収斂した。2020年代のAI需要で買収時の光ファイバ特許が生き、2025年3月期は売上1兆2,018億円・経常利益486億円まで回復、同年4月にLighteraで再出発し24年越しの回収段階に立っている。
- 住友電工 — 1897年、住友本店が経営難の日本製銅を買収して大阪に住友伸銅場を開き、銅電線と伸銅製品を始めた。1911年に電線部門を分離し1939年に住友電気工業へ改称、1931年イゲタロイ、1949年ハーネス、1974年光ファイバ立ち上げを経て自動車・通信・エネルギーの部品供給者へ姿を変えた。2006年の独ハーネス買収と2007年の住友電装子会社化で2008年3月期に営業利益1,489億円まで膨らんだが、翌期リーマンショックで235億円へ縮んだ。一方、長く赤字の情報通信が2024年度に生成AI光デバイス需要で黒字転換、売上4兆6,798億円・営業利益3,207億円と過去最高を更新した。2025年10月には住友電設売却と住友理工完全子会社化を公表し、自動車偏重から情報通信・環境エネルギーを含む多極化への転換点に立っている。
- フジクラ — 1910年3月、藤倉電線護謨合名から電線部門を分離して藤倉電線が誕生した。財閥の後ろ盾なき独立系として住友電工・古河電工と並ぶ「電線御三家」の一角を占め、「技術のフジクラ」を旗印に光ファイバ・光ケーブル・融着接続機へ資源を寄せ、1949年東証上場、1992年フジクラへ改称した。2005年に電力事業を古河電工合弁ビスキャスへ譲渡、2013年4カンパニー制でも収益は改善せず、その結果2020年3月期に自動車電装の構造改革で過去最大の純損失385億円を出した。2021年4月にカンパニー制を廃止し選択と集中へ戻し、2022年3月期に純利益391億円でV字回復した。さらに生成AI光ケーブル需要で2025年3月期は売上9,793億円・営業利益1,355億円・純利益911億円と過去最高、株価は5年で約50倍に跳ね上がった。
- しずおかフィナンシャルグループ — 母体の静岡銀行は1943年3月、戦時統制下で静岡三十五銀行と遠州銀行の合併で誕生した一県一行主義由来の地銀である。1961年東証一部上場、1974年葵リースを皮切りに証券・キャピタルを束ね、バブル崩壊後も公的資金に頼らず不良債権処理を完遂、2005年就任の中西勝則頭取がBPR・マーケットイン改革で組織文化を組み替えた。しかし2016年のマイナス金利で預貸金モデルが圧迫され、2020年4月に山梨中央銀行と「静岡・山梨アライアンス」を開始、経営統合でなく広域連携で収益を狙う柴田久社長の方針が形となった。さらに2022年10月に持株会社しずおかFGへ移行、2025年6月に八十二銀行を加えた「富士山・アルプスアライアンス」へ拡張、2025年3月期は連結純利益746億円・ROE目標8.5%で次の成長曲線を描いている。
- リクルートHD — 1960年に江副浩正が創業した大学新聞広告社が源流で、1962年の「企業への招待」創刊から訪問件数勝負の営業文化を組織の背骨に据えた。1976年の住宅情報誌、2001年のホットペッパーで多角化する一方、子会社リクルートコスモスの未公開株譲渡が1988年のリクルート事件に発展、江副は1989年逮捕された。バブル崩壊で1995年3月期末の有利子負債は約1.4兆円に膨張、ダイエー売却・買戻しを経て1997年就任の河野栄子のもと12年で返済を完遂した。2012年、出木場久征が約1000億円でIndeedを買収、2014年10月に時価総額1.82兆円で東証上場、2018年Glassdoor買収でHRテクノロジーを連結の主役に据えた。2025年度通期は売上収益3兆6647億円・EBITDA+S 7638億円の最高益見込みで、国内情報誌企業から米国HRプラットフォーム企業への変態を不可逆にした。
- オークマ — 1898年創業。大隈栄一が名古屋で大隈麺機商会を創業、1904年に工作機械へ転じ、1916年に大隈鐵工所へ改称、1918年に株式会社化。1966年に数値制御装置「OSP」を自社開発し、機械と制御を併せ持つメーカーとなった。1973年のオイルショック後、1976年に380名(約20%)の希望退職、1980年に経常利益55億円で再建。1991年に社名をオークマへ改め、1993年末のバブル崩壊後は676名の希望退職と定年引下げを打ち出すも、労働省の異例の説明要請で撤回し前田豊社長が引責辞任。2009年のリーマン・ショックで売上1,673億円から603億円、純損失188億円。2008年就任の花木義麿は2013年からドリームサイト群を新設し機電情知一体の統合設計を具現化、FY22は売上2,276億円まで回復。2018年就任の家城淳が「令和は自動化の時代」を掲げる。
- アマダ — 1946年、天田勇が東京都豊島区で天田製作所を創業、修理業の町工場として出発した。大手が市場の小ささを理由に見送った金属用ハンドソーに着眼し独自設計を進め、1955年に国産1号機を完成させた。1965年から商社代理店依存を捨て自社直販網を構築、分割払いで中小板金業者を開拓、1961年東証2部、1969年東証一部に昇格した。1971年の米シアトル進出を皮切りに欧州・中国へ販売網を広げ、1973年の園池製作所、1978年のワシノ機械、1986年の仏プロメカムなど競合を取り込み、板金機械業界の再編者となった。2009年のリーマン・ショックで売上1360億円・営業損失96億円と創業以来初の赤字に沈んだが、2003年就任の岡本満夫がエンジニアリング路線とレーザー加工機投資で立て直し、FY23は売上4035億円・営業利益565億円と最高益を更新、2025年にエイチアンドエフを取り込んだ。
- ディスコ — 1937年5月、広島県呉の海軍工廠で働いていた関家三男が独立、砲弾研磨用砥石を製造する第一製砥所を創業した。戦後は積算電力計用磁石の切断砥石へ舵を切り、1958年11月株式会社化、1968年にシリコンウエハー切断砥石に参入、1969年米国DISCO ABRASIVE SYSTEMSを設立、1975年ダイシングソー販売を開始、1977年4月「ディスコ」へ商号変更し1980年に世界シェア約60%へ届いた。1992年の半導体拡散炉撤退で50億円損失、1997年「切る・削る・磨く」へ事業を絞るDisco Valuesを制定、社内通貨Willで経常利益と社員の経費権限を連動させた。1999年12月東証一部上場、2008年から3代目関家一馬が自律経営を運用、ダイシングソー世界シェアは2010年代に約70%へ広がった。砥石屋から専業へ自己定義を絞った通史の試金石は、生成AI時代に障壁を維持できるかにある。
- 日本郵政 — 1871年に前島密の建議で新式郵便が始まり、1873年料金全国均一制、1875年郵便為替・郵便貯金、1916年簡易生命保険と複合窓口へ拡張、郵便局は手紙・貯蓄・保険を一括する全国網となった。1980年代末に郵便貯金残高が民間都市銀行を上回ったが、民業圧迫論が1990年代の行革で焦点となり、小泉構造改革で2007年10月4社分割民営化、2015年11月の3社同時上場という戦後最大級のIPOで仕上げた。上場直前に約6200億円で買収した豪Tollは2017年3月期にのれん減損で連結純損失290億円、2019年にはかんぽ生命の不適切販売が数十万件単位で発覚、2021年3月に楽天グループへ1500億円を出資。2024年10月30年ぶり郵便料金改定、2025年4月トナミHD子会社化、6月鈴木康雄体制で総合物流企業へ転換した。郵政三事業から始まる150年の通史は、公共性と株式会社性の両立を問われる。
- 豊田自動織機 — 1926年創業。豊田佐吉のG型自動織機を量産するため豊田紡織の子会社として愛知県刈谷町に豊田自動織機製作所が設立。英プラット社に特許実施権を供与する技術水準を誇り、1933年に自動車部を設置、1937年にトヨタ自動車工業として分離独立。1951年の朝鮮特需終焉で繊維機械需要は低迷へ、石田退三は1,600名の余剰人員を雇用維持のためトヨタ向けOEMへ振り向け、1952年S型エンジン、1953年車両組立、1956年フォークリフト自社生産で国内シェア首位を取った。1967年の長草工場で車両受託を拡大、織機メーカーからトヨタの中核部品・車両受託会社へ実態を変えた。2017年に蘭Vanderlandeを約1,400億円で買収し物流事業で世界4位へ。2025年6月にトヨタが1株16,300円でTOBを予告、米エリオットが7%超を積み増し価格の過小さを指摘、親子構造に資本市場から異議が突きつけられた。
- SMC — 1959年創業。東京タングステン出身の大村進が東京・千代田で焼結金属工業を設立、空気圧機器向けフィルターから出発した。1960年に補助機器の完成品製造へ進出、1971年までにコンプレッサーを除く主要機構を一貫生産化。代理店の在庫保有を禁じて品目24万点を本社集中、1983年のオンライン受発注で平均48時間以内の即納体制を築き、在庫リスクを自社が引き受けて数理統計で需要を読む設計が高利益率モデルとなった。1987年東証2部上場、1989年昇格の髙田芳行が年200億円規模の海外投資を継続、2000年のSMC北京製造以降、海外売上比率は7割を超えた。2016年に海外調査会社の会計疑義で株価が一時35%下落するも収益構造は揺るがず、2021年に長男の髙田芳樹へ世襲、2024年3月期は連結売上高7,768億円・当期純利益1,783億円で空気圧機器の世界首位である。
- コマツ — 1921年創業。竹内鉱業の機械部門が独立し石川県小松に小松製作所が設立、鉱山機械・採掘機械・電気鋳鋼を初期事業として出発。1931年にトラクター製造を開始、終戦後の発注白紙撤回で経営危機、100日ストを経て就任した河合良成社長は1949年から米軍向け砲弾生産で経営を安定させた。1956年にブルドーザーへ全面転換、1947年のD50試作以来の技術が量産体制へ。1960年の資本自由化大綱でキャタピラー三菱が設立されると全社的品質管理と米カミンズ製エンジンで品質防衛、1968年に油圧ショベルへ後発参入、650拠点の直販網で1976年に国内シェア首位。1998年のKomtraxは建機のデジタル化を実用化、2017年のジョイグローバル買収で鉱山機械をフルライン化、2022年3月期は連結売上高2兆8,023億円・当期純利益2,372億円。近年は2ラインモデル戦略で電動化・自動化対応を進める。
- 住友重機械工業 — 1888年創業。愛媛県新居浜の別子銅山で発足した住友別子鉱業所工作方が源流、1934年に住友機械製作所として独立法人化。戦後の財閥解体で発注を失い、1955年3月期は資本金2.7億円を上回る6.9億円の損失で鮫島竜雄社長が引責辞任。1969年に浦賀重工業と合併し住友重機械工業が発足、1972年に追浜の50万トンドックで重工業メーカーに。1985年プラザ合意後の造船不況で1987年と2001〜2002年に2度の1,000名規模の希望退職、2008年以降はSHI Demag・Hansenら欧州M&Aで造船依存から脱却。2024年2月に新造船事業から撤退、1983年に米Eatonと組んだ半導体イオン注入装置事業(2009年完全子会社化)が筆頭事業となる。2025年12月就任の渡部敏朗社長CEOは500名規模の希望退職と新日本造機の149億円事業譲渡を発表、造船から半導体装置メーカーへ転身する。
- 日立建機 — 1948年創業。建設省が日立製作所へパワーショベル2台を発注したのが源流、戦時中の車両・起重機・戦車技術を民需へ転用して事業を始めた。1955年に日立建設機械サービスを設立、1960年代の割賦販売で借入金は134億円。1970年に新生日立建機を発足、1971〜72年の2期連続経常赤字で累計28.1億円の損失、自己資本比率1.8%。1974年に足立工場閉鎖、土浦工場へ135億円で一貫生産体制、1981年上場。1983年から米ディア、1986年から伊フィアットとOEM提携、2001年にフィアット提携解消しアムステルダム工場を新設、2007年度に欧州売上1,672億円。2009年のカナダ・ウェンコ買収で鉱山機械へ進出、2021年にディアとの北米提携を解消、2022年1月に日立製作所が保有株式約26%を伊藤忠らのHCJIへ売却し筆頭株主が交代、2026年に社名を「LANDCROS」へ一新する。
- クボタ — 1890年、19歳の久保田権四郎が大阪で鋳物屋「大手鋳物」を創業、1897年に「合わせ型斜吹鋳造法」を独力で開発、国産鋳鉄管の量産技術を日本で初実装。1900年代に国内シェア60%の鋳鉄管メーカーとして戦前の水道インフラを担う。1947年に発動機設備を耕うん機へ転用し農機へ参入、1961年の農業基本法下で国内農機の地歩を築いた。1972年に廣慶太郎社長が米国クボタトラクターCorp.を設立、ジョンディアを避け小型トラクタで北米へ食い込む。1999年に公取委が鋳鉄管ヤミカルテルで3社を刑事告発、2005年に神崎工場の石綿被害報道で2006年3月期に救済金33億円、二度の危機で社長交代。2012年にKverneland ASA、2022年にインドEscortsを買収、2023年に連結売上3兆円・営業利益3000億円規模に到達。2025年は北米トラクタ縮小と相互関税で量からROIC重視へ向かう。
- 荏原製作所 — 1905年に東京帝大の井口在屋が世界初の渦巻ポンプ理論を発表し、弟子の畠山一清が1912年に東京日暮里で機械事務所を起こした。1920年に株式会社荏原製作所を品川で設立、東京市入札を突破口に昭和初期に国内シェア60%を握った。1956年の荏原インフィルコで水処理、1965年の藤沢工場で標準ポンプ量産へ領域を広げた。2003年3月期はガス化溶融炉工期遅延で285億円の最終赤字、2007年に副社長横領で社長交代、2019年羽田工場跡地アスベスト訴訟敗訴と、2000年代は不祥事が続く。一方で1987年藤沢で始めた半導体向け真空機器が2001年の熊本CMP装置を経て育ち、2018年浅見正男体制下で精密・電子事業が主力へ昇格。2024年12月期は売上8,667億円・営業利益980億円の過去最高、2025年就任の細田修吾は売上1兆円を公約にポンプ会社から半導体装置会社への転換を進めている。
- ダイキン — 1924年、大阪砲兵工廠出身の山田晃が大阪・難波新川に合資会社大阪金属工業所を設立、飛行機用ラジエーターチューブから出発。陸軍指定工場として砲弾製造で急成長した軍需ベンチャーは、1933年に技術顧問の太田十男の進言でフレオンガス研究に踏み切り、1935年に国内初のフロン生産に成功した。戦後は朝鮮戦争の81ミリ迫撃砲弾特需で危機を切り抜け、得た資金を冷凍機とフロンへ再投資、砲弾メーカーから空調メーカーへ転換。1995年の中国進出は業務用空調を官公庁・オフィスに絞る高収益モデル、1998年から欧州はローカル販社買収で販路を広げた。2006年マレーシアOYL社を約2,460億円、2012年米Goodman社を約2,950億円で買収、2014年から十河政則社長と井上礼之会長の二人三脚で運営。砲弾と冷媒の二度の転換で企業性格を書き換えた同社の次の論点は、北米首位と資本効率改善の同時達成にある。
- 日本精工 — 1916年創業。資本金35万円で東京都品川区に日本精工が設立、軸受を輸入から国産へ置き換える専業メーカーとして出発した。1962年の米NSK設立を皮切りに米欧・アジアへ拠点を積み上げ、1990年に英UPIを買収、SKF・シェフラーに次ぐ世界3位の座を築いた。売上の6割を占める自動車部品は電動化とインフレで利益率が低下、2023年に主力のステアリング事業を投資ファンドJISへ預けた。2021年に英BKVを買って始めたCMS事業は、産業機械を売り切り型から状態監視の継続収益型へ組み替える仕掛け。2025年3月期はJIS主導の改革でステアリングが90億円赤字から43億円利益へ反転し買戻しに合意、連結営業利益は285億円(利益率3.6%)。市井明俊体制は欧州工場再編とDX1,000億円投資、電動油圧ブレーキ用ボールねじの拡販を並走させ、軸受専業回帰とCMS転換の同時達成を再定義する。
- NTN — 1923年創業。三重県桑名の町工場が「NTN」を名乗り、100年かけて世界4位級の軸受メーカーへ育った。SKFやシェフラーと国内首位のNSKに挟まれ、欧州・北米への現地生産投資を重ね2000年代にフランスの老舗を子会社化。2013・2014年は欧米カルテル制裁金で2期連続の巨額損失、2020年3月期はコロナ前夜の需要減で純損失440億円の創業以来最大級の赤字、自動車軸受は採算上の負担となった。2024年、鵜飼英一社長は中期経営計画に「Final」と名付け、過去の過大投資を3年で一掃すると宣言、構造改革費用350億円を3年累計で積む計画。FY24は構造改革費189億円を先行計上し純損失238億円、FY25 1Hは売上4,023億円・営業利益129億円と減収増益で通期予想を上方修正。風力センサー、航空機向け軸受、インドのCVJ倍増を成長軸に、桑名集約と海外拠点再編で採算上の負担を解消する。
- ジェイテクト — 1921年大阪で創業の光洋精工と、1941年にトヨタ自動車から分離独立した豊田工機が、2006年のトヨタグループ部品再編で合併しジェイテクトが誕生した。ステアリング世界首位、ベアリング国内3強、工作機械の3事業を抱えるが、合併直後のリーマン・ショックで2期連続赤字となり、3事業を一社へ束ねる課題を残したまま約20年が経過した。2024年に生産技術出身のプロパー社長・近藤禎人が就任、北米のロスコスト約80億円に対し3チームの北米タスクフォースを投入、FY25 2Q時点で価格適正化50億円・生産性改善15億円の効果を出して上期黒字化を達成した。2025年8月には欧州ニードル・ローラー・ベアリング事業の譲渡を完了、合併以来の欧米事業再建に道筋をつけた。近藤は「能動型」ビジネスへの転換を掲げ、ソリューション共創センターと統合制御ソフト「Pairdriver®」で一社としての再定義に挑む。
- ミネベアミツミ — 1951年7月、東京都板橋区で日本ミネチュアベアリング設立。1年で経営危機となり、1952年鮎川義介の仲介で高橋精一郎が筆頭株主に立って再建。1966年社長就任の高橋高見は1971年のニクソン・ショック後にシンガポール、1980年タイへ生産を移し、1988年までに生産の99%を海外へ置いた。国内銀行が拒んだ投資はスイス外債で賄い、円高のたび利益が厚みを増す立地を作った。1971年に東証一部上場と米SKF社REED工場買収を重ねた。1984年のDRAM参入や三協精機TOBは不発で、ベアリング偏重のまま20年停滞。2008年就任の貝沼由久は独myonicを皮切りに中小M&Aを連打、2017年のミツミ電機統合では「部品のユニクロ」と称する垂直統合を掲げ、ユーシン・エイブリック・ホンダロックを取り込んだ。為替先回りで生きた専業が、買収連打で総合部品メーカーへ自己定義を書き換える歴史を歩んだ。
- 日立製作所 — 1910年、小平浪平が久原鉱業所日立鉱山の修理工場で5馬力誘導電動機の国産化に成功した。輸入電機のロイヤリティ負担を嫌い外国提携を避ける国産技術主義を掲げ、1920年に株式会社日立製作所として独立、1921年に笠戸造船所を譲受して鉄道車両に進出、1949年に東証上場した。戦後は1952〜54年にRCA・GE・WEと提携してテレビ・発電機・半導体に同時参入、非電機事業を子会社化して上場させる親子上場構造でグループを拡大した。2009年3月期に製造業最大の7,880億円最終赤字を計上、川村隆が構造改革を断行しテレビ自社生産やHDDから撤退、2020年スイスABBパワーグリッド約7,200億円、2021年米GlobalLogic約1兆円の買収で社会インフラとデジタルの融合企業に転換した。2024年4月就任の徳永俊昭体制下でLumadaを軸に親子上場依存からの脱却が課題である。
- 三菱電機 — 1921年創業。三菱造船神戸造船所の電機製作所を継承し三菱電機が発足、神戸製作所での変圧器・電動機・扇風機から事業を始めた。1923年に長崎、1924年に名古屋と拠点を広げ、戦時期に10以上の国内製作所を擁する重電メーカーへ成長。1949年東証上場、戦後は静岡・北伊丹・鎌倉と重電にエレクトロニクス・半導体・家電を重ねた。1977年の4事業本部制から1993年の9事業本部体制まで総合電機の典型を形づくり、2001年の「Changes for the Better」と2003年の委員会等設置会社移行で選択集中、2016年にデルクリマを子会社化。2021年の長崎製作所で鉄道車両向け空調機器の架空検査が発覚、杉山武史社長辞任、漆間啓が緊急登板。2025年は2,378人応募のネクストステージ支援制度と3年で1兆円のM&A投資枠を動かし、2025年3月期の連結営業利益は過去最高水準3,918億円となった。
- 富士電機 — 1923年8月、古河電気工業とドイツ・シーメンスの合弁で富士電機製造を設立、社名は「古河(富)」「シーメンス(士)」に由来する。シーメンス分300万円が現物・技術供与の振替で設立時から現金不足を抱え、川崎工場新設は借入依存、日立・三菱・明電舎が先行する重電市場で4期連続減収となった。1931年に名取和作社長は205名削減と引責辞任、合弁出自の資金制約が戦前期の収益力を縛った。1949年東証上場、1953年半導体、1969年自販機と隣接領域へ横展開、1984年「富士電機」へ商号変更。2009年3月期はリーマン・ショックで純損失733億円、同年6月就任の北澤通宏はパワー半導体への集中を選択、SiCモジュール開発と松本工場の増産で2024年11月にデンソーと総額2,116億円の共同投資を決めた。後発合弁出自が領域絞り込みで競争優位を組み直す通史は、SiC量産を超過利潤へ翻訳しうるかを問われる。
- 安川電機 — 1915年、九州で安川電機が創業、17年の赤字を経て重電撤退と「安川のモートル」特化で復活した。1964年に家電を避け産業用モータに活路を見出し、1977年のMOTOMAN開発とサーボ・インバータ・ロボットの三本柱に結びついた。日本初の工業用ロボット量産拠点として半導体・自動車・電子部品の自動化に食い込み、内製主義で世界市場の一角を取った。2016年策定の「2025年ビジョン」の営業利益1,000億円・利益率15%目標は、中国勢の台頭と半導体市況の読み違いで2025年に達成断念に至った。2024年度は売上5,376億円・営業利益501億円、小川昌寛社長は「市場環境に対して読みが楽観的過ぎた」(決算説明会 2025/4/9)と認めた。安川は量依存からROIC重視への転換を宣言、代理店経由からアカウントベース営業に切り替え、2025年10月にNVIDIA・富士通との三社協業を発表した。
- ソシオネクスト — 2014年9月、富士通とパナソニックの受け皿として準備会社が横浜に設立され、2015年3月の会社分割で両社のSoC事業を統合し発足した。汎用品とカスタム設計受託を抱えた混成会社として船出、2016年に米Bayside Designを取得して北米設計力を補強、2018年4月に汎用品延命を断念しSolution SoC専業へ転じた。2022年10月に東証プライムへ上場、富士通・パナソニック・日本政策投資銀行からの資本独立を果たし、2024年3月期に売上高2212億円・営業利益355億円・営業利益率16.0%の最高業績へ到達した。しかし2025年3月期は中国通信機器向け在庫調整長期化で初の減収減益(売上1885億円・営業利益250億円)に転じ、2025年10月には中国車載向け新規量産品の原価率悪化で通期予想を下方修正した。成長品が短期利益を押し下げる逆説の解消が、肥塚雅博体制の中心命題である。
- ニデック — 1973年7月、27歳の永守重信が京都市西京区で資本金200万円の日本電産を創業した。国内では「若すぎる」と門前払いされ、渡米して3Mから5億円の注文を取り、海外実績を国内信用の梃子に変える営業の型を固めた。1979年にHDD向けスピンドルモータの開発に着手、1989年に世界シェア72.2%、同年信濃特機買収で約88.7%の独占体制を築いた。1995年3月期にHDD需要急減で25億円の最終赤字に転落、永守はM&A主軸の多角化へ転じ、三協精機・日本サーボ・エマソン・エンブラコ・三菱重工工作機械・TAKISAWAなど累計60社超で車載・家電・産業用へ広げた。2023年4月、創立50周年で商号をニデックへ変更、2024年2月に岸田光哉が社長就任し並走体制が発足した。2024年3月期の連結売上高は2兆3471億円に達し、HDDモータ一本足の零細企業から半世紀で総合モータメーカーへ変態した。
- オムロン — 1933年5月、立石一真が大阪市都島区でレントゲン用タイマの立石電機製作所を創業、1945年に戦災疎開で京都へ移った。1955年に販売・研究・生産を分社運営する「プロデューサ・システム」を考案、カンパニー制と分散経営の原型を据えた。1959年「OMRON」を商標化、無接点近接スイッチ・電子式信号機・阪急北千里駅の無人駅システムと1960年代に「世界初」を連発、FA・社会システム・ヘルスケアの三本柱を整え1990年にオムロン株式会社へ社名変更した。2009年3月期にリーマンショックで純損失291億円を計上後、車載電装・ATM・MEMS切離しと制御機器集中を並行、2015年Adept、2017年MicroscanでFAロボティクスへ参入。2022年就任の辻永順太社長CEOはJMDC子会社化でデータヘルス事業に参入した。「世界初を分権で生む」流儀は、選択と分散の経営に組み替わった先で試される。
- GSユアサ — 1917年創業。島津製作所の蓄電池工場が日本電池として独立し、1918年創業の湯浅蓄電池製造所と並ぶ国内鉛蓄電池の二強を80年以上担った。1967年に自動車用鉛蓄電池の国内シェア36%で1位、補修市場の優位がGSブランドの収益源だった。1990年代にカー用品店とディーラー網の台頭で補修単価が10年で約40%下落、1999年3月期に上場後初の最終赤字35億円を計上。2004年に日本電池とユアサが「減産のための統合」としてジーエス・ユアサコーポレーションを発足させ、初年度に147億円の最終赤字と高槻工場閉鎖・496名の希望退職を実施した。鉛で稼いだキャッシュを2007年の三菱商事・三菱自との合弁LEJ、2009年のホンダとの合弁ブルーエナジーに振り向け、2024年にLEJを直営化、2025年3月期に連結営業利益500億円を記録。鉛と車載LiBの二本柱化が阿部貴志社長の第七次中計の論点である。
- NEC — 1899年創業。米ウェスタン・エレクトリックとの合弁で日本電気として発足、日本初の外資系メーカーとして電話交換機を祖業に据えた。1978年に小林宏治会長が「C&C」を提唱、PC-9800とDRAM世界首位で1980年代の主力に育てたが、韓国・台湾勢台頭とDOS/V普及で1999年3月期に当時過去最大1,500億円の赤字へ沈んだ。2002年に半導体を分社、2009年3月期は上場後最大2,966億円の最終赤字を計上した。2010年に半導体をルネサスへ統合、2013年にスマホ撤退、2014年にBIGLOBEを約700億円で売却し、祖業周辺を切り離す10年が続いた。2020年就任の森田隆之社長は2023年4月にBluStellar戦略を始動、1万点の製品を500商材30シナリオへ整理した。外資合弁で出発したNECの126年は、捨て続けた局面から残した事業モデルを書き換える段階へ移った。
- 富士通 — 1935年創業。富士電機製造の電話部が分離独立して富士通信機製造として発足、母体が古河電工と独シーメンスの合弁だった経緯から欧州系通信機メーカーの性格を帯びた。1954年に日本初の商用リレー式自動計算機FACOM100を開発、1967年に富士通へ改称、池田敏雄主導のIBM互換戦略で1980年に国内売上で日本IBMを抜いた。1990年に英ICLを80%出資で買収、1997年に米Amdahlを完全子会社化、欧州・北米・日本の3極でメインフレームを抱えた。2002年3月期にITバブル崩壊と通信不況の直撃で連結最終赤字3,825億円を計上、以後20年で半導体・携帯・PC・HDDを次々と切り離した。2019年6月にSE出身初の時田隆仁が社長に就き、2021年10月に業種横断オファリングのFujitsu Uvanceを発表した。
- ルネサスエレクトロニクス — 2002年11月に日本電気が半導体事業を切り出してNECエレクトロニクスを設立し、2010年4月に日立・三菱系ルネサステクノロジと合併してルネサスエレクトロニクスが発足、車載マイコン世界首位の地位を得た。しかし2011年3月の東日本大震災で那珂工場が被災、3期累計3400億円超の純損失を計上し、2013年9月に産業革新機構・トヨタ・日産などの第三者割当で実質公的救済を受け入れた。車載マイコン集中による縮小均衡で黒字を回復した後、2017年米Intersil、2019年米IDT、2021年英Dialog、2024年8月の豪Altium取得でEDA上流まで領域を広げた。電機3社の半導体部門を束ねた組織が、自前主義から外部調達と買収による拡張へどこまで体質を組み替えられるか——これが次代経営の構造命題である。
- セイコーエプソン — 1942年創業。長野県諏訪で時計部品加工の有限会社大和工業として創業、1959年にセイコー系の諏訪精工舎へ商号変更、1961年に子会社の信州精器(後のエプソン)を設立。1964年の東京オリンピックで世界初の水晶式ポータブルプリンターを公式計時用に提供、コンピュータ周辺機器への進出契機となった。1975年に「EPSON」をブランド化、水晶振動子・液晶・LSIの3基盤技術をMX-80・インクジェット・液晶プロジェクターへ横展開、1985年に諏訪精工舎がエプソンを吸収合併しセイコーエプソンとなる。2009年3月期は液晶・水晶の供給過剰で純損失1,113億円、碓井稔がプリンティング集中の構造改革を進め、2017年にエプソンイメージングデバイスを吸収合併。2018年に小川恭範へ社長交代、2024年12月に米Fiery, LLCを完全子会社化、印刷ソリューション上流への転換を進める。
- パナソニック — 1918年、松下幸之助が松下電気器具製作所を創業、1927年に統一商標「ナショナル」を制定し廉価大量供給を掲げた。1952年のフィリップス技術提携、1957年のナショナル店会、1976年以降の子会社独立採算で垂直統合体制を築いた。しかし1990年約7800億円で買収した米MCAは5年で実質撤退、累計5000億円超のプラズマテレビも液晶に敗れ、2009年約4000億円の三洋電機統合費用も重なり2012〜2013年3月期に合計1兆5000億円超の純損失を計上した。2012年津賀一宏が社長就任、プラズマ撤退と事業整理を断行しテスラ向け車載電池でBtoB転換を進め、2021年就任の楠見雄規は8633億円で米ブルーヨンダーを買収、2022年4月に持株会社体制へ移行した。2025年3月期は売上8兆4582億円・営業利益率5.0%、約1万人規模の構造改革で収益体質の組み替えが進行中である。
- シャープ — 1912年創業。早川徳次が東京市本所で金属加工業を起こし、1915年「早川式繰出鉛筆(シャープペンシル)」開発で自社製品メーカーへ転身した。1923年の関東大震災で妻子・工場・特許を失い、特許を譲って大阪へ転居、1924年阿倍野で早川金属工業所として再起した。1925年国内初の鉱石ラジオを輸入品の半額で投入、1953年白黒テレビで4年連続国内シェア1位、1964年世界初オールトランジスタ電卓を開発。1970年に大阪万博出展を見送り資本金の7割75億円を半導体内製化へ振り向け「液晶のシャープ」の基盤を据えた。2001年町田勝彦社長がAQUOSを投入、2004年亀山・2009年堺の累計1兆円規模の液晶投資は韓国・台湾勢と円高で採算が崩れ、2013年3月期に最終赤字5,453億円に沈んだ。2016年8月に台湾鴻海精密工業の3,888億円出資を受け入れ、戦後初めて大手電機が海外資本傘下に入った。
- ソニー — 1946年、井深大と盛田昭夫が東京・日本橋で資本金19万円の東京通信工業を設立、1950年に高周波バイアス法特許で大手10年を封じた。1955年トランジスタラジオで「SONY」ブランドを米国に立て、1968年トリニトロン、1979年ウォークマンで家電市場を定義。1989年コロンビア映画約48億ドル買収でエンタメへ転身し1994年約2,700億円の減損を計上。2003年ソニーショック以降テレビ8年連続赤字、FY11は純損失4,567億円。2012年就任の平井一夫はVAIO・電池を手放しPlayStationとCMOSへ集中、2018年就任の吉田憲一郎は2020年9月ソニーフィナンシャルを約3,955億円で完全子会社化、2021年4月ソニーグループへ社名変更し持株会社体制を完成。FY24は売上12兆9,571億円・営業利益1兆4,072億円の最高益、CMOSは世界シェア約5割。
- TDK — 1935年創業。東京工業大学の加藤与五郎・武井武が発明したフェライトの工業化を志し、齋藤憲三が資本金2万円で東京電気化学工業を設立した。1937年に蒲田工場でフェライトコアの製品化に世界で初めて成功し、戦後はGHQのスーパーヘテロダイン令でラジオ部品メーカーとして伸び、1952年に磁気録音テープ生産を始めた。1977年4月に松下寿電子からビデオテープ5万巻の緊急受注を月産3千巻の能力で引き受け、大歳寛専務の「責任はオレがとる」の決断で4年連続倍増の増産を遂げ、1982年に磁気テープ世界シェア3割強で首位に立った。1983年に社名をTDKへ改め、2005年に香港ATLを約87億円で買収、電池キャッシュを原資に2008年に独EPCOSを約1,700億円で取得した。フェライト・磁気テープ・電池と主力を入れ替えてきたポートフォリオの作り替え能力こそが、創業90年のTDKを貫く経営の中核に据わる。
- 三洋電機 — 1947年創業。松下電器の専務を約30年務めた井植歳男が、戦後の公職追放で独立し大阪府守口で三洋電機製作所を発足、松下から譲り受けた兵庫の北条工場で自転車用発電ランプを生産した。1953年に英フーバー方式を模した噴流式洗濯機を半額の2万8,000円で発売、1961年に洗濯機国内首位に立った。1976年にウォーイック社を買収しアーカンソー州でカラーテレビ現地生産を始め、1980年に年産96万台で日本企業最大の北米生産体制を築いた。2001年の米コダックとの有機EL合弁は320億円を投じて巨額損失に終わり、2009年にパナソニックが株式公開買付で連結子会社化、2011年に完全子会社化した。同族経営64年の独立企業の歴史は、義兄・松下との棲み分けという出自そのものに帰着する。
- アルプスアルパイン — 1948年、東芝出身の片岡勝太郎が東京・大田区で従業員23名の片岡電気を設立、可変蓄電器「アルプス」を販売。1961年東証二部上場、1964年アルプス電気へ改称。1967年に米モトローラとの合弁を設立、1978年に完全子会社化しアルパインへ改称、北米向け高価格帯カーオーディオを主軸に据えた。1991年3月期売上3,500億円ピーク後5期連続減収、1993年に1,300名希望退職、品種を12万から8万へ削減。2012年に創業家外初の社長として栗山年弘が就任、車載・スマホへの集中で営業利益を約9倍に戻し、2019年アルパインと統合、アルプスアルパインへ改称。素材も独自工法も持たぬ「部品の総合デパート」が「何を捨てるか」を選別できるかが、創業家経営の遺産を超える試金石である。
- パイオニア — 1938年創業。松本望が東京市文京区で福音商会電気製作所を創業、電気動力式スピーカー製造を始めた。1947年に福音電機として法人化、1950年の永久磁石型「PE-8」で音響総合メーカーへ脱皮、1962年に世界初のセパレートステレオを発表。1971年に外部から石塚庸三を社長に迎え専門経営者路線を敷いた。1980年に家庭用LDプレーヤー「VP-1000」を発表、特許収入を軸に世界シェア約50%・売上700億円規模の高収益構造を築き、1990年に世界初のGPS民生用カーナビで車載機器の柱を仕込んだ。だがLD技術を転用したプラズマDPへ巨額投資するも液晶の画面拡大とコスト低減で市場縮小、2008年に映像DP事業から撤退、1万名規模の人員削減を実施。2018年に香港系BPEA(現EQT)が全株式取得で合意、2019年に希望退職3,000名・東証上場廃止、2025年に台湾イノラックス傘下となった。
- 日本ビクター — 1927年創業。米ビクタートーキングマシンが横浜で日本ビクター蓄音機を設立、蓄音機製造を開始した。1928年に日産財閥、1943年に東芝、1954年に松下電器と親会社が四度変遷、1945年に日本ビクターへ改称、1960年に東証上場。松下傘下でも保たれた研究開発の独立性を武器にVHS方式を独自開発、1976年に松下のVHS採用決定を勝ち取り、ベータマックスとの規格競争は1980年代半ばにVHS陣営の勝利で決着、売上高7,000億円規模に到達した。1987年のS-VHS投入後も価格下落とライセンス料率引き下げが続き、1993年3月期に最終赤字430億円、2008年3月期は売上6,600億円・最終赤字475億円で単独経営は限界に達した。2008年にケンウッドと経営統合し持株会社JVCケンウッドを設立、80年余の独立企業の歴史に幕を下ろし、JVCブランドは車載音響・映像機器を軸にグループ内で残る。
- 赤井電機 — 1924年、赤井舛吉が東京でソケットラジオ部品の製造を始め、戦時統合で一度消滅、1947年に子の赤井三郎が小型フォノモーター製造で再興した。1951年に縦型テープレコーダーで大手と差別化、1956年に自ら渡米し米ロバーツとの契約で現地直販の独自輸出モデルを築いた。1965年以降は170店の代理店網で欧州・中東へ拡大、1968年の東証二部上場時に輸出比率約9割・売上高純利益率12.8%で「猛烈高収益会社」と呼ばれた。1973年に実質創業者の赤井三郎が急逝、後継争いで経営が迷走、1981年に最終赤字へ転落、1995年には香港系セミテックが支援した。VHS対ベータマックス規格争いで乗り遅れライセンス収入を逸し、ビデオ事業は売上半数を占めるが低収益で財務を蝕んだ。2000年11月に民事再生法を申請、76年の独立メーカー史に幕を下ろし、「アカイ」ブランドは現在も海外でプロ向けサンプラーに残る。
- 横河電機 — 1915年創業。建築家・横河民輔が電気計器の国産化を目的に東京渋谷で電気計器研究所を個人創業、甥の横河一郎ら20代の技術者に開発を託した。1917年に精密電気計器の国産化を実現、1920年に株式会社横河電機製作所として法人化。戦時中は高射砲算定器を生産、終戦で4工場を閉鎖し1万名以上を解雇、1,200名体制で再出発。1955年に米フォックスボロと技術提携、1963年に米HPと合弁YHPを設立、1975年にCENTUMでプラント制御メーカーへ転換、1983年に北辰電機と合併。1999年にHPとの合弁を解消し電子計測器事業を喪失、2015年に1,105名の希望退職と事業構造改善費166億円の改革を断行。2016年に英KBCを約279億円で買収、2024年以降はBaxEnergyら欧州SaaSを連続買収、重野社長は中計GS2028でデジタルソリューション企業への転換を進める。
- アドバンテスト — 1954年、武田郁夫がタケダ理研工業を豊橋市に設立、電機大手が避ける電子計測器のニッチで独自製品を高価格販売した。1972年にICテストシステムT320を発売したが、1975年のオイルショックで売上80億円・有利子負債50億円の危機に陥り、社内クーデターで武田は社長を追われた。武田は富士通社長の清宮博に救済を直訴し出資を取り付けた。1976年就任の海輪利正は機種別原価管理を導入しICテスタへ集中投資、新製品比率を1976年4%から1981年45%へ伸ばした。1983年に東証2部上場、1985年にアドバンテストへ商号変更、1996年に半導体検査装置の世界シェア約40%に達した。2017年に富士通が全株式を530億円で売却し約40年の資本関係に終止符を打った。HPC/AIとHBM需要で2023年3月期は純利益1,712億円、独自製品志向が独立後の世界シェアに転化した。
- キーエンス — 1972年創業。二度の起業失敗を経た滝崎武光が27歳で兵庫県伊丹市にリード電機を個人創業、自動線材切断機の製造を始めた。1973年にトヨタの金型保護用に金属二枚送り検出器を開発、顧客の導入効果で8万5,000円と値付ける付加価値価格と直販体制を採用。1982年に祖業・線材切断機を売却し粗利率4割超のセンサー事業へ集中、創業10年で安定収益を手放す決断。1986年にキーエンスへ商号変更、1987年に大証二部上場、公募増資200億円で自己資本比率は62.6%から90.3%へ。直販・標準品特化・付加価値価格の三原則と営業利益連動給与が高収益と人材獲得の好循環を生み、2017年度に平均給与2,000万円を突破。2014年度に海外売上比率5割を突破、2021年に滝崎は個人資産4兆円規模で日本一の資産家、2025年10月に44歳の中野鉄也が5代目社長に昇格、利益率至上経営の継続性が次の論点となる。
- デンソー — 1949年12月、トヨタ自動車が経営危機の事業再編で電装品部門を切り出し、初代社長に林虎雄を据えて日本電装を設立した。資本金1,500万円、自己資本比率5%という脆弱財務で出発、設立3か月後の473名解雇を朝鮮戦争特需で乗り越えた。1953年に独ボシュ社と業務資本提携、株10%付与の対価で技術全面公開を獲得、カーヒーター・噴射ポンプ・スパークプラグ・カーエアコンへ4年で領域を広げ1961年に機械工業初のデミング賞を受賞。1982年に売上1兆円計画でトヨタ依存脱却・海外進出・エレクトロニクスの三本柱を掲げ、1996年にデンソーへ社名変更した。しかし2019年の燃料ポンプリコールで製品保証引当金2,148億円を計上、トヨタ向け売上比率約50%は40年経ても変わらず、2017年の長期ビジョン2030で電動化に舵を切り、4,500億円規模の自社株買いと先進安全運転支援システムの外販拡大に着手した。
- レーザーテック — 1960年、松下通信工業出身の内山康が29歳で東京目黒区に東京ITV研究所を設立、工場を持たず研究開発に集中するファブライト経営を選んだ。1975年にLSI用フォトマスク欠陥検査装置を世界初開発、1980年に自社製品100%で下請けを脱し、1986年にレーザーテックへ改称、1990年に株式店頭公開。1992年の創業者急逝後も技術者出身の内部昇格承継が定着した。2009年6月期は液晶事業の価格競争で赤字転落・売上86億円。同年7月就任の岡林理は液晶縮小と半導体集中を断行、2017年に「アビックスイー120」を世界初実用化、TSMC・サムスン・インテルの供給元となった。EUV独占で超過利潤を得た同社にとって、3社依存の非対称性を抱え直せるかが障壁の持続性を決める。
- カシオ計算機 — 1946年4月、樫尾4兄弟が東京都三鷹市に樫尾製作所を設立、1957年6月に世界初の小型純電気式計算機「14-A」を商品化しカシオ計算機を設立した。1972年8月の「カシオミニ」12,800円は個人向け電卓市場を生み、特注LSIを選んだ判断が時計・楽器・電子辞書への横展開を可能にし、1974年の電子腕時計、1980年のカシオトーン、1983年のG-SHOCKと需要を創造する商品を投入、6000億円規模に育った。2001年3月期にITバブル崩壊で純損失249億円、2010年以降デジタルカメラ・携帯・液晶・半導体を順次整理、2018年にコンパクトデジカメも撤退した。2022年6月に非創業家初の社長として増田裕一が就いたが約2年半で交代、2025年4月に高野晋へ引き継いだ。創業80年を迎えるカシオの中心命題は、需要創造DNAを2本柱に絞った先で超過利潤を生む障壁を再構築することにある。
- ファナック — 1956年、富士通常務・尾見半左右が制御担当に稲葉清右衛門を指名、稲葉はNC装置開発に着手し1959年に電気圧パルスモーターを特許取得した。10年の赤字期を経て1972年に富士通から分離独立し富士通ファナックが設立された。1975年に独シーメンスと相互援助契約、1980年に本社・工場を山梨県忍野村へ全面移転、汎用NC一点集中で国内シェア7割を確保、1985年には売上高経常利益率36.6%で全上場企業日本一に達した。1983年に東証一部上場、2000年代から富士通保有株を段階売却し経営自立を完成。2010年頃からiPhone筐体切削のロボドリルが普及しFY2014アジア向け売上3915億円へ跳ねたが、FY2019は純利益734億円に半減、汎用NCと特定製品連動の二面構造が露わになった。2019年に非創業家の山口賢治が社長就任、2020年に稲葉清右衛門が逝去し64年の創業者時代が終わった。
- ローム — 1954年、佐藤研一郎が京都市上京区で東洋電具製作所を創業、炭素皮膜固定抵抗器メーカーとして出発した。1969年にIC開発へ転じ、カスタムICを狙う3番手戦略で大手のシェアを侵食した。1981年にロームへ商号変更、1989年に東証一部上場。1991年の株主総会で取締役5人を更迭し値上げ交渉を断行、1992年3月期に過去最高益140億円、自己資本比率80%超の無借金経営を築いた。2008年に沖電気の半導体事業を買収、翌2009年に佐藤が退任して54年のオーナー経営が幕を閉じた。同年独サイクリスタルを買収してSiCウェハ垂直統合へ進み、2012年にSiC製MOSFETを世界初量産、2023年に東芝非公開化へ約3000億円を出資。EV需要鈍化で2025年3月期は純損失501億円と12年ぶり赤字、2026年3月にデンソーから株式取得提案を受領し、独立系存続か車載Tier1傘下入りかの岐路に立つ。
- 京セラ — 1959年、松風工業でアルミナ磁器を担当した稲盛和夫が27歳で独立、宮木電機の宮木男也らの出資で京都セラミックを設立。ブラウン管TV用「U字ケルシマ」を松下電器向け月産20万本で量産し、翌年から黒字となった。1966年に米IBMからIC用アルミナ基板を受注し半導体パッケージへ参入、1969年に川内工場を建設、1983年にICパッケージ世界シェア約7割を得た。1971年上場後は買収で光学精密・電子機器へ広げ、1984年に第二電電企画へ発起人出資、1990年に米AVXを子会社化。1990年代に半導体パッケージ素材の樹脂転換でイビデンに後れを取り祖業シェアを失い、2008年に三洋から約500億円で買収した携帯事業もスマホ普及で市場が消えた。2024年度ROE0.7%まで沈み、2025年に谷本秀夫から作島弘文への社長交代、監査等委員会設置会社へ移行、KDDI株売却と自社株買いで資本効率改善が進む。
- 太陽誘電 — 1950年、佐藤彦八が東京都杉並区で太陽誘電を創業、同年にチタン酸バリウムセラミックコンデンサを商品化した。半導体に参入しない方針で受動部品専業を貫き、1970年東証二部上場時に固定磁器コンデンサで国内シェア約20%の業界首位、1973年にチップ型MLCCを本格量産した。1984年にニッケル電極の大容量MLCC、1988年にCD-R、1998年DVD-R、2008年LTHブルーレイと光メディア3世代で先行した。HDD大容量化とクラウド普及で需要が縮小、2011年3月期に記録メディアで70.3億円の減損、2015年にThat'sブランドを撤退した。2018年にエルナーを子会社化、2023年に転換社債500億円をMLCC増産投資に充当。中計2025は売上目標4000億円に対し2025年3月期実績3414億円・純利益23億円で未達、次期中計はAIサーバー向けMLCCで開発主導型への回帰を狙う。
- 村田製作所 — 1944年10月、京都の碍子屋に生まれた村田昭が京都市中京区で村田製作所を個人創業し、三菱電機伊丹製作所向けチタン酸化物セラミックコンデンサ(チタコン)を試作した。終戦後はラジオ向け民需を取り込み、1950年12月に株式会社化、京都大学の田中哲郎教授との産学連携でチタン酸バリウムを実用化した。1959年大宮技術研究所で「ポジスタ」とセラミックフィルターを世界初商品化、1963年大証二部、1970年東証一部に指定替えた。1965年に米国販社、1980年3月にカナダのエリー社を取得して北米・欧州拠点を得、1979年には輸出の96%を円建てに統一する逆張りの通貨戦略をとった。1991年に2代目村田泰隆、2006年に村田恒夫、2019年に創業家外の中島規巨が社長に就任した。碍子屋の工場から始まった80年は、単品部品のシェアを保ったまま、モジュールとセンサ・電池への第2の柱転換に挑んでいる。
- 日東電工 — 1918年、第一次大戦による電気絶縁材料の輸入途絶を受け、稲村藤太郎の日東電気工業が東京・大崎で設立。1937年に日立製作所が株式100%を取得し子会社化、1948年に独立を回復。1951年に国内初のビニルテープを開発、1961年に乾電池・磁気テープ部門をマクセル電気工業として分離売却しBtoB専業となった。1975年頃から土方三郎社長が「三新活動」を開始、新製品売上比30%と研究開発費5%を制度化、1978年に4領域(電子・医療・防食・膜)を据え、1988年に日東電工へ改称。1999年に尾道事業所で液晶偏光板を量産し世界シェア首位級となった。2011年に米Aveciaを買収し核酸医薬CDMOへ参入、2017年に杭州錦江集団へ偏光板技術を供与しコモディティから撤退、2022年にMondi plcのパーソナルケア事業を買収。2025年3月期は売上収益1兆139億円と初の1兆円超となった。
- カナデビア — 1881年4月、英国人E.H.ハンターが大阪安治川岸に大阪鉄工所を創立、関西民間造船業の源流となった。1934年に日産コンツェルン傘下、1936年に日立系列へ移り、1943年に「日立造船」へ社名を改めた。1947年の財閥解体で日立との資本関係は切れ、独立系造船として外航船受注を伸ばしたが、1977年のアタカ工業系列化を起点に環境・水処理プラントを柱へ組み入れた。韓国・中国勢の台頭で造船採算が悪化、2002年10月に造船事業をユニバーサル造船(現JMU)へ営業譲渡、社名の核「造船」が消えた。2014年スイスAE&E Inova、2018年豪Osmoflo、2022年独Steinmüllerの買収で欧州環境プラントへ拡張、2024年10月に81年ぶり「カナデビア」へ社名変更した。外資創業・財閥系列・独立造船・環境プラントと主体を組み替えてきた歴史が、社名と実態を一致させた地点で次の問いを抱える。
- 三菱重工業 — 1887年、三菱財閥が長崎熔鉄所の払い下げを明治政府から受け、船舶修繕の垂直統合から造船事業を始めた。1917年三菱造船が独立、1934年三菱航空機との合併で三菱重工業が発足、1938年の戦艦武蔵竣工と零戦量産で日本最大級の軍需企業となった。戦後の財閥解体で三社に強制分割、15年の別会社運営を経て1964年再合併、売上3,000億円規模で復活した。1953年F-86Fライセンス生産から戦闘機の二社寡占、1970年美浜原発1号機以降は原子力で顧客囲い込み型モデルを敷いた。しかしMU-300・欧州客船で約2,500億円、SpaceJet(旧MRJ)で累計1兆円規模の損失を出し2023年に開発中止、技術完成主義が撤退判断を遅らせる組織課題が繰り返し露呈した。民間整理を終え、2024年3月期は売上4兆6,571億円・純利益2,220億円の最高益、防衛・GTCC・原子力に資源を集中させた。
- 川崎重工業 — 1878年創業。貿易商の川崎正蔵が東京築地に川崎築地造船所を発足、富国強兵下の海運近代化に商機を見出した。1887年に明治政府から官営兵庫造船所の払い下げを50年分割払いで取得して神戸へ移り、三菱に次ぐ国内第二位の造船所へ成長した。1896年に株式会社川崎造船所として法人化、松方正義の三男・幸次郎が初代社長に就任し海軍艦艇の主力供給企業となったが、1922年のワシントン軍縮条約と昭和恐慌の二重逆風で1931年に和議を申請、3,000名の人員整理に踏み切った。1939年に川崎重工業へ商号変更、戦後は財閥解体で5事業に分離された。1969年に川崎重工・川崎航空機・川崎車輛の三社が再合併、総合重工として復活した。2013年6月、三井造船統合を巡り長谷川聰社長は取締役会で解任された。軍需依存と祖業造船を同時に抱えた重工メーカーが事業ポートフォリオを束ねる困難が、この一件に集約されている。
- IHI — 1853年のペリー来航を契機に江戸幕府が石川島に設けた洋式造船所が源流。明治政府の払い下げを受けた平野富二が運営、1889年に渋沢栄一の参画を得て1890年株式会社東京石川島造船所へ改組、渋沢が初代会長。1929年に航空機部門を立川飛行機、自動車部門をいすゞ自動車の前身として分離、1945年石川島重工業へ商号変更、戦後は陸上部門が売上8割の機械メーカーへ変容。1960年12月、播磨造船所と合併し石川島播磨重工業として発足、土光敏夫社長が相生のドックでタンカー建造に参入。オイルショックで造船需要が減退、2002年住友重機械との統合で造船を分社化、航空エンジン・ターボチャージャー・防衛・社会インフラの4領域へ集中。2007年7月にIHIへ商号変更、2021年航空エンジン検査問題で682億円の最終赤字、2026年5月から井手社長体制で航空エンジンと原子力を中核に新中計策定に着手。
- 横浜フィナンシャルグループ — 1920年創業。第一次大戦後の反動恐慌で横浜最大の七十四銀行と横浜貯蓄銀行が同時破綻し、預金者救済のため政府・日銀の特別融資1,600万円を原資に横浜興信銀行が開業、役員無報酬・株式無配当で発足した。1927年の左右田銀行、1928年の第二銀行、1932年の関東興信銀行を吸収、1941年に一県一行主義で県内6行を合併、1945年には神奈川県唯一の本店銀行となった。1957年に「横浜銀行」へ改称、京浜工業地帯の集積で1969年に地方銀行の預金量で全国首位。1998〜1999年に2,200億円の公的資金を受け入れ、2004年8月に1年半前倒しで完済。2016年に東日本銀行と統合してコンコルディアFGを設立、2023年に神奈川銀行を完全子会社化、2025年10月に横浜フィナンシャルグループへ商号変更、FY24は連結純利益828億円・連結総資産約24.8兆円である。
- 日産自動車 — 1933年創業。日産財閥の鮎川義介が自動車製造株式会社を設立、戸畑鋳物の小型車ダットサン事業を足がかりに1934年に日産自動車へ商号変更、横浜工場で量産を開始。1936年に自動車製造事業法の指定会社となり国策メーカーとなる。戦後は1952年に英オースチンと技術提携、1966年にプリンス自動車を吸収合併し国内第二位。設備投資でトヨタに1年半遅れる構造は埋まらず1993年3月期に経常赤字。1999年にルノーと資本提携、カルロス・ゴーンが社長就任、リバイバルプランで国内5工場閉鎖と約2万1,000名の人員削減、2000年3月期に6,843億円の最終赤字を計上、翌期で黒字化。2018年のゴーン逮捕以降は求心力を失い、2024年11月にグローバル9,000名の人員削減、同年12月にホンダ・三菱との3社統合協議が公表、エスピノーサ新社長は「Re:Nissan」改革を1年で集中実施する。
- いすゞ自動車 — 1916年創業。東京石川島造船所の自動車製造を源流とし、1937年に東京瓦斯電気工業の自動車部門とダット自動車製造が合同して東京自動車工業が発足、1941年にヂーゼル自動車工業へ改称。1942年に日野重工業を分離、戦後の商用車市場で日野という競合を自ら生んだ。1949年にいすゞ自動車へ改称、1959年の「エルフ」で国産ディーゼル小型商用車の支配的地位を築いた。1971年に米GMと提携しGMが株式34%を取得、1982年のRカー20万台構想は対米輸出規制で頓挫、1993年に乗用車事業から撤退。2006年にGMが全株売却、トヨタが約5.9%を取得し商用車専業に。2019年12月にボルボから傘下のUDトラックスを2,500億円で取得し、日野分離以来の競争構図を書き換えた。2026年に重トラック生産をUD上尾工場に約400億円で集約、2027年3月期は営業利益で過去最高益を更新する見通しである。
- トヨタ自動車 — 1933年9月、豊田自動織機製作所の豊田喜一郎が社内に自動車部を設置、1935年G1型トラックを完成、1937年8月にトヨタ自動車工業として分離独立した。1949年ドッジ・ライン下で資金繰り破綻、1600名の希望退職と製販分離で再建、喜一郎は退任した。この痛みが稼働率を高める思想を生み、1963年に大野耐一のかんばん方式として全社導入された。1955年初代クラウン、1959年元町、1966年高岡工場で月産2万台体制を築き、競争を設備投資の勝負に変えた。1984年GM合弁NUMMI、1986年ケンタッキーTMMで北米現地生産を立ち上げ、1997年10月に世界初の量産ハイブリッド乗用車プリウスを発売した。リーマン・ショックで創業以来初の営業赤字を出したが研究開発費を温存して再建した。だが2022年以降、日野・ダイハツ・豊田自動織機で認証不正が相次ぎ、量産思想とガバナンス両立の再構築に取り組む。
- 日野自動車 — 1910年創業。東京瓦斯工業を源流とし、1937年に東京自動車工業へ統合、1941年にヂーゼル自動車工業へ改称、1942年に日野製造所が分離独立して日野重工業として発足。戦車製造の軍需工場として出発したが終戦で約7,000名に解雇通告、残留300名で日野産業として民生品トラック生産へ転じた。1949年に東証上場、1961年の「コンテッサ」で乗用車参入したが苦戦、1966年にトヨタと業務提携し乗用車撤退、トラック専業へ。1974年の「D号作戦」で普通トラック国内シェア首位、2001年にトヨタ連結子会社。2017年に本社工場を閉鎖し500億円を投じた茨城県古河工場へ集約。2003年から20年のエンジン認証不正が2022年3月に発覚、3期連続の最終赤字でトヨタは経営支援を中止。2023年5月に三菱ふそうとの経営統合構想が公表されたが2024年2月に無期限延期、独立経営の維持が現在の焦点である。
- 三菱自動車 — 1970年創業。三菱重工業の全額出資で三菱自動車工業が設立、名古屋・水島・京都など計4製作所を譲り受けて営業開始。1971年に米クライスラーが株式15%を取得、同時の「合衆国流通契約」は北米で2ドア車限定かつクライスラー独占販売を強い、主力の4ドア小型車輸出と自社販売網構築を封じた。1982年発売のSUV「パジェロ」とパリ・ダカールラリーで海外知名度を確立、1988年上場。2000年にダイムラークライスラーが34%を取得、2001年と2004年の二度のリコール隠しで自己資本比率は1.4%まで低下、2005年にダイムラーが全株式を売却し提携解消。2016年に日産と戦略提携を結びルノー・日産アライアンスに参画、2021年3月期は国内6拠点の減損1,179億円を含む特別損失2,982億円を計上、2024年12月に日産・ホンダ・三菱の3社経営統合協議の開始が公表された。
- マツダ — 1920年創業。松田重次郎が広島でコルクの国産化を目指し東洋コルク工業を設立。1927年に東洋工業へ改名、工作機械とオート三輪へ転身、1931年に「マツダ号DA型」を投入。1945年の原爆投下で本社工場の被害は軽微、12月に三輪生産を再開、1949年上場。1960年に軽乗用車R360クーペを30万円で投入、独NSUからロータリー特許譲受、1967年にコスモスポーツで世界初の実用量産化。1973年のオイルショックでロータリーの燃費が露呈、1975年3月期に戦後初の営業赤字。1979年に米フォードと資本提携で規模拡大に舵を切ったが、5チャンネル販売網過剰とフォード撤退で2008年3月期から4期連続赤字。SKYACTIVと魂動デザインで再生、2017年にトヨタと対等資本提携、米アラバマ合弁工場を2021年9月稼働、2026年は毛籠勝弘社長のもと2,000億円の原価低減と新型CX-5投入を進める。
- ホンダ — 1946年、本田宗一郎が浜松市に本田技術研究所を設立、自転車用補助エンジンから事業を起こした。1948年に本田技研工業として法人化、1949年から藤沢武夫が参画し「技術の宗一郎、経営の藤沢」の二人三脚が成立した。1952年、資本金6,000万円に対し4億5,000万円の投資で米国製工作機械を輸入、1958年発売のスーパーカブで世界累計1億台を突破、1961年のマン島TT完全制覇で技術力を示した。1972年に米マスキー法を克服したCVCCをシビックに搭載し自前主義を決定づけた。1982年に米メアリズビル工場で四輪生産開始、1989年にアコードが米国乗用車販売1位。2018年に英スウィンドン工場閉鎖で欧州完成車から撤退、2021年に狭山工場も終了。2024年12月の日産・三菱との3社経営統合協議は2025年2月に決裂、2040年全面EV目標を修正しICE・HEVへ軸足を戻している。
- スズキ — 1909年創業。鈴木道雄が静岡県浜松市に鈴木式織機製作所を開業、国産織機から始めた。戦後の綿紡績業衰退で1952年に原動機付自転車「パワーフリー号」を投入、1954年に鈴木自動車工業へ社名変更、1955年10月に「スズライトSS」で軽四輪の先駆けとなった。1978年6月に鈴木道雄の娘婿として鈴木修が社長に就任、1979年5月に軽商用車「アルト」を業界初の50万円割れ47万円で投入し主婦の二台目需要を掘り起こした。1982年4月にインド政府系マルチ・ウドヨグ社と合弁契約を結び、1983年12月発売の初代「マルチ800」が以後40年の主力収益源となった。2009年に独VWと包括提携を結ぶも対立、2015年8月の国際商業会議所仲裁で勝訴し約4,602億円分の株式買戻しを命じられた。織機屋として出発した独立系メーカーがGM・VWとの提携と訣別を経てインドに賭ける軌跡が、スズキの経営の輪郭である。
- ヤマハ発動機 — 1955年7月、日本楽器製造から二輪部門を分離独立させ静岡県浜松市にヤマハ発動機を設立。戦時中の軍需プロペラ用に導入した約1,000台の工作機械の転用先が二輪参入であった。川上源一社長のもと初号機「YA-1」が1955年の浅間高原・富士登山レースで優勝。1960年小型船外機へ進出、1970年代に北米で有力地位を握り、二輪とマリンの二本柱を据えた。1979〜1983年の「HY戦争」でホンダとの過剰競争に敗れ、1982年戦後初の営業赤字、1984年▲350億円の赤字を経て経営陣を刷新。1984年産業用ロボット、2001年ゴルフカーで多角化、2010年柳弘之が「感動創造企業」理念でプレミアム戦略へ転換、2025年2月就任の設楽元文は米トランプ関税の逆風下で事業ポートフォリオ再整理に着手。中心命題は二輪・マリンの障壁を超過利潤に翻訳できるかにある。
- 良品計画 — 1980年、西友のPBとして「しるしのない良い品」を掲げ無印良品が登場、ナチュラル志向と過剰包装への反発に乗り西友内で突出した売上を記録。1989年に西友がこの事業を切り出し良品計画を設立、1990年の営業譲渡で卸売PBから直営小売へ転換。1991年に英国リバティ社提携でロンドン出店、2000年に東証一部上場。2001年に品揃え拡張で死に筋と在庫が膨らみ、ユニクロや青山商事の価格破壊で独立後初の業績調整に入る。松井忠三が衣料品デザインをヨウジヤマモトに全面委託、MUJI(HONG KONG)から直営方式へ転換、2018年2月期に売上高3788億円・純利益301億円の最高益。2020年8月期はコロナ禍で純損失169億円。2021年就任の堂前宣夫は「規模でトップは目指さない」を掲げ、ローソン全店展開と600坪中型店で生活圏密着モデルへ転換、2025年8月期は売上7846億円・営業利益738億円。
- サイゼリヤ — 1967年、正垣泰彦が千葉県市川市本八幡で「レストラン・サイゼリヤ」を開いた。1968年に店舗全焼を経て本八幡でイタリア料理店「サイゼリヤ」1号店として再出発。1975年頃に正垣は全メニューを6〜7割引まで下げ、看板の「ミラノ風ドリア」を304円で売り出して繁盛店へ転じた。1973年にマリアーヌ商会として法人化、1977年から多店舗化を始め、自己資本の3倍を借入で調達し投資リターン20%を確保するドミナント戦略で全国へ広げた。広告宣伝費を売上高比0.3%に抑え原資を食材原価に回すモデルを固め、1998年店頭登録、2000年東証一部指定。2003年に上海薩莉亜餐飲有限公司を設立し中国本土へ進出、2022年東証プライム移行、2023年に海外500店を突破した。2025年5〜10月にベトナム・豪州・武漢・広東・マレーシアの5カ国・地域で新会社を集中設立、東南アジアから南半球へ広げる段階に入った。
- ニコン — 1917年、第一次大戦による光学機器の輸入途絶を受け、岩崎小弥太の三菱財閥が日本光学工業を設立。1918年に大井工場で光学ガラス国産化に着手、1927年に安定量産した。戦時中は従業員2万5000名へ膨張したが、1945年の終戦で需要を失い、19工場閉鎖・約2万名の整理解雇で1724名へ縮小。1948年にカメラとレンズの量産を開始、進駐軍に認められた品質で高級カメラメーカーとなった。1980年にNSR-1010Gでステッパー事業に参入、1983年に世界シェア首位となりカメラと露光装置の二本柱となった。1990年代後半に半導体産業の重心が台湾・韓国へ移行する過程でASMLに後れを取り、FY1998・FY2001・02に最終赤字を計上。カメラもミラーレス移行で苦戦し、2026年3月期第3四半期にデジタルマニュファクチャリング事業で925億円の減損、業務用動画機・次世代露光装置へ投資を再配分する。
- オリンパス — 1919年、第一次大戦のドイツ光学機器輸入途絶を受け、山下長が東京渋谷区で高千穂製作所を設立、翌1920年に国産顕微鏡「旭号」を完成させた。1923年に体温計事業をテルモへ売却し顕微鏡に集中、1949年に上場。1950年に世界初の胃カメラ開発に着手、1955年に全国胃カメラ研究会の事務局を引き受け消化器科医ネットワークを取り込んだ。1987年からの金融資産運用でバブル崩壊後の約950億円の含み損を先送り、2008年の英Gyrus Group2597億円買収のFA報酬問題が2011年に表面化、約1000億円の損失隠しがガバナンス論議の焦点となった。バリューアクト関与で医療集中を加速、2020年に101年のカメラ事業を日本産業パートナーズへ売却し医療機器専業へ転換。FY2024/3期は売上9362億円・当期利益2426億円、2023年以降のFDA警告書対応でElevate変革を続ける。
- SCREEN HD — 1868年、石田才次郎が京都で銅版印刷の石田旭山印刷所を個人創業。2代目石田敬三が1934年に「写真製版用網目スクリーンの蝕刻法」を独自開発、1943年に大日本スクリーン製造所を設立。1962年大証2部上場、1963年にソニーと共同でシャドーマスクを開発しエッチング技術の応用先を広げた。1975年にウエハー腐食機を独自開発し半導体装置へ業態転換、1994年に電子工業向け売上が印刷関連を上回った。1997年に石田明社長が設備投資184億円で多賀事業所を新設、FY1998に営業赤字131億円を出しても300mmウエハ対応投資を継続、2001年に彦根Fab.FC-1で量産を開始、中堅競合が脱落し寡占構造が固定化した。2014年にSCREENホールディングスへ商号変更、2022年でバッチ式48%・枚葉式33%の世界シェア。2025年度にニコンからLeVina直描露光機等を譲受し後工程へ進出する。
- HOYA — 1941年、山中正一・山中茂兄弟が東京府保谷町で東洋光学硝子製造所を創業、軍需用光学ガラス国産化に参入。1943年に「保谷BK7」の溶融に到達した。1945年の終戦で軍需は消滅、クリスタル食器北米輸出も1949年「1ドル360円」で採算崩壊、1950年に従業員550名の大半を解雇し再起した。創業9年で2度の危機が分散志向の原点となった。1957年社長就任の鈴木哲夫は系列3社合併・事業部制・直販網整備を実施、シェアを「資産」と定義し、1987年に眼鏡レンズ36%・クリスタル食器65%・光学レンズ60%・マスクブランクス世界75%に達した。1990年のコンタクトレンズ全量回収でシェアが15%から1.3%へ急落、39億円の損失を計上、ROE経営へ転換した。2007年にペンタックスを買収しEUVマスクブランクスで独占的地位を固め、FY2025/3期は売上8,660億円・営業利益2,600億円。
- キヤノン — 1933年、吉田五郎と内田三郎が東京六本木に精機光学研究所を創立、出資者は産婦人科医の御手洗毅。1935年にカメラ国産化に成功し「Canon」に改名、1937年に精機光学工業として設立された。1947年にキヤノンカメラへ社名変更。1951年に2億円を投じ大田区下丸子に本社工場を新設、高級カメラ特化で売上高利益率10%超を維持し3年で投資回収した。1967年「右手にカメラ、左手に事務機」の多角化を掲げたが電卓価格競争で1975年に無配転落、1977年に賀来龍三郎が社長に抜擢された。1985年に米HPとLBPのOEM契約を締結、LBPは1990年に世界シェア70%。1990年にBJ-10vでインクジェット二大ブランドとなり連結売上1兆円突破。2015年にアクシス、2016年に東芝メディカルシステムズを約6,655億円で買収、2026年3月期に小川新社長へ交代する。
- リコー — 1936年2月、理研コンツェルンの感光紙部門が分離され、市村清を経営者とする理研感光紙が設立された。市村は古参社員と衝突して製造装置をハンマーで破壊した経緯があったが、総帥大河内正敏は処分せず経営を一任した。1938年に理研光学工業へ改称しカメラ製造に進出、1950年のリコーフレックスは朝鮮戦争特需で月産1万台を記録した。1955年の卓上型複写機「リコピー101」で事務機市場に参入、1965年3月期に無配転落、「電子リコピーBS2」で2年半で復配した。1977年にハノーバーメッセでOAコンセプトを提唱、大塚商会との三層販売網で1989年3月期に経常利益219億円を記録した。1991年に浜田広社長がCRP、2008年10月に北米IKONを買収、2017年4月に山下良則が就任した。感光紙の分離会社から始まった90年の中心命題は、紙基盤の事業群を超えてデジタルサービス企業へ再定義することにある。
- シチズン時計 — 1918年設立の尚工舎時計研究所を源流とし、1930年に東京でシチズン時計を設立、腕時計の製造・販売を開始。1941年日東精機合併で工作機械にも入る。1949年東証上場、クオーツでは1969年世界初商品化のセイコーに後れを取った。1976年に腕時計ムーブメントの外販を実行、香港経由の10ドル級腕時計が欧米に広がり、1986年度に腕時計生産量世界シェア1位をセイコーから奪取。2000年代の電子デバイス多角化は、2009年3月期純損失258億円、2013年3月期89億円の減損を経て清算。2008年Bulova、2012年La Joux-Perret、2016年Frederique Constantを取得、同年に持株会社体制を解消し時計と工作機械の二軸へ回帰。2021年3月期にコロナ禍で252億円の上場後最大の赤字。2025年6月に佐藤敏彦から大治良高へ交代、中計2027で時計の成長路線へ入る。
- バンダイナムコHD — 2005年9月、玩具最大手のバンダイと業務用ゲーム大手のナムコが株式移転で共同持株会社バンダイナムコHDを設立し東証一部に上場した。統合の発端はPS2向け「機動戦士ガンダム1年戦争」の共同開発で、初代社長はバンダイ出身の髙須武男。2010年3月期はリーマン後の需要減退と施設減損で初の純損失299億円を計上。以後ガンダム、ドラゴンボール、ELDEN RINGなど主要IPを玩具・ゲーム・映像で同時展開する方針を徹底、2018年4月にハイターゲット事業をBANDAI SPIRITSへ承継し主力を大人コア層に移した。2022年3月期に売上8,892億円・営業利益1,254億円の最高益を更新。2025年に財務出身の浅古有寿が5代目社長に就き「360投資」を掲げ、同期は売上1兆2,415億円・営業利益1,802億円。玩具・ゲームの寄せ集めからIP同時展開モデルへ転じた20年である。
- TOPPAN(凸版印刷) — 1900年1月、東京市下谷区二長町で欧州製版技術「エルヘート凸版法」を導入した技術型ベンチャーとして凸版印刷合資会社が設立された。有価証券・教科書印刷で全国最大手となり、1965年カナダMooreと合弁でビジネスフォーム、1973年朝霞精密工場でフォトマスク生産へ進出した。2008年3月期に売上1兆6,704億円のピーク後、2009年3月期に純損失77億円の初赤字、10年超の踊り場が続いた。2022年6月就任の麿秀晴は「印刷の殻脱ぎ」で2021年米InterFlex買収・フォトマスク分社を布石に、2023年10月に123年続いた「凸版印刷」の看板を外しTOPPAN HDに移行。政策保有株売却益を北米軟包装と半導体フォトマスクに投じ、2025年4月米Sonoco軟包装事業を取得、6月に大矢諭が社長を継いだ。「海外技術と高精細製版で稼ぐ」凸版法以来の流儀が、紙以外の基材と海外市場で問われる。
- 大日本印刷 — 1876年10月、佐久間貞一らが東京府下京橋区で秀英舎を創業し、活版印刷から出発した。1935年2月に日清印刷を合併して大日本印刷へ商号変更、当時日本最大の印刷会社となった。1966年7月の中央研究所設置を起点に、高精度パターン転写技術をフォトマスク・カラーフィルタなど半導体・ディスプレイ部材へ応用した。2008年3月期に売上1兆6,160億円のピーク後、リーマンショックと丸善・ジュンク堂買収の重さで2009年3月期に純損失209億円、2019年3月期にも▲356億円の赤字を計上。2018年6月就任の北島義斉はDX・SXを軸に体質転換を進め、2021年に鶴瀬工場でリチウムイオン電池パウチ量産を開始、2023年2月の経営基本方針でROE10%・5年3,000億円の自己株式取得を掲げた。活版由来の転写技術を紙以外の基材事業群へ束ね直せるかが、印刷会社の名を残したまま問われる構造命題である。
- ヤマハ — 1889年、山葉寅楠が浜松の小学校のオルガン修理から山葉風琴製造所を開業した。1897年10月に日本楽器製造株式会社へ改組、1899年ピアノ、1915年ハーモニカと商品群を広げ総合楽器メーカーへ育った。大戦後の不況で1926年に105日間のストライキが起き、住友財閥出身の川上嘉市が招聘され川上家支配が始まった。1950年に川上源一が社長に就任、翌年ヤマハ音楽教室を組織化、国内ピアノシェア60〜70%を獲得。1960年のロサンゼルス現地法人設立で商社を排した直販を貫き、1970年には世界シェア約30%へ達した。累計約350億円のリゾート投資やFRPスポーツの多角化は採算上の負担となり、1992年に川上家は退場、2000年3月期に最終赤字407億円。2013年に事業部制を廃止し「音」を軸に楽器・音響へ回帰、2018年に時価総額1兆円を突破。多角化から中核への絞り込みを済ませた。
- 任天堂 — 1889年創業。山内房治郎が京都・寺町通二条で花札の製造販売を始め、村井兄弟商会のタバコ販路に相乗りして全国へ広げた。1949年に山内積良の急逝で孫・山内溥が22歳で社長を継ぎ、家内工業から脱却して1953年に国産初プラスチック製トランプを量産、1959年のディズニー提携と全国テレビCMで国内シェア約80%を握り1962年に大阪・京都の証券取引所へ上場した。タクシー・即席ライス・ラブホテルなど多角化に全敗した経験から「娯楽専業」を選び取り、1983年7月に14,800円の家庭用ファミリーコンピュータを発売、ハードを薄利で広げソフトで長期回収する事業モデルを敷いた。2002年に岩田聡が創業家外初の社長に就任、DS・Wiiで2009年3月期に売上1.8兆円を記録した。京都の家業として始まった任天堂の135年は、家内工業からの脱却と娯楽専業への絞り込みという二度の自己定義の組み替えに帰着する。
- 伊藤忠商事 — 1858年、15歳の初代伊藤忠兵衛が近江国豊郷村から麻布の行商を始め、1872年に大阪本町で「紅忠」を開き呉服太物に転じた。1885年に対米貿易へ参入、神戸とサンフランシスコに拠点を置き、1895年に上海で中国産綿糸輸入を始め関西紡績群への販売で繊維商社の型を固めた。第一次大戦期に拡大した反動で1920年に赤字転落、丸紅商店分離と大同貿易切離しで延命、戦時統合と財閥解体を経て1949年12月に伊藤忠商事として再出発。1965年に越後正一が東亜石油株38.5%を取得し「和製メジャー」構想に乗り出したが、累計約1,300億円の損失を抱え1985年に撤退、1977年には住友銀行の要請で安宅産業を救済合併し非繊維化に着手した。2000年3月期に丹羽宇一郎が特損3,950億円を一括処理、CTC上場益で相殺し再生した。ファミリーマート完全子会社化とCITICへの6,890億円出資で非資源を厚くした。
- 丸紅 — 1858年創業。初代伊藤忠兵衛が大阪で始めた麻布の持下り商いを源流に、1872年「紅忠」開店、1918年に二代忠兵衛が伊藤忠商事と丸紅商店を分けた。1941年に岸本商店・伊藤忠と合併して三興、1944年に大建産業へ改称、1949年12月に過度経済力集中排除法の分割で丸紅株式会社として再独立した。分割交渉で綿のれんを伊藤忠に譲って綿以外を背負い、1955年2月に高島屋飯田を吸収して機械・金属を取り込み、1961年に非繊維売上で伊藤忠に半期400億円差をつけた。1976年のロッキード事件で商社ガバナンスの弱点を晒し、エネルギー部門の出遅れと不良資産処理の遅延で1998年以降に伊藤忠との差を広げた。2013年の米穀物大手ガビロン約27億ドル買収は穀価下落で2016年3月期純利益622億円へ沈んだ。綿外を背負った再独立から70余年、丸紅は他社の後追いを吸収合併で埋めてきた商社の輪郭を引き継ぐ。
- 豊田通商 — 1936年創業。トヨタ自動車工業の販売金融を目的に資本金100万円のトヨタ金融として発足し、1942年に豐田産業へ改称、1948年の解散を経て商事部門を継承した日新通商が名古屋に再出発、1956年に豐田通商へ商号を改めた。1961年に名証、1977年に東証へ上場し、トヨタ向け物流商社として中堅の位置を保った。2000年の加商、2006年の経営再建中トーメンとの連続合併で総合商社へ転じ、2012年には仏パリ上場のアフリカ流通大手CFAOを約23億ユーロで買収、自動車・医薬品・消費財の現地流通網を抱え込んだ。2025年4月就任の今井斗志光社長は新中計で利益4,500億円・ROE15%以上・総還元性向40%以上を掲げ、トヨタグループ内商社の自己定義を組み替えにかかっている。
- 三井物産 — 1876年創業。益田孝らが旧三井物産会社を設立し、三井財閥の石炭販売受託から綿花・機械・鉱産物へ取扱を広げて日本初の総合商社の原型を築いた。1909年に株式会社三井物産へ改組し戦前期の対外取引中核を担ったが、1947年に過度経済力集中排除法のもとGHQ指導で解散、数百社へ分散した。1959年2月に旧三井物産系商社が再統合され現在の三井物産が発足、戦前に手放した海外拠点網を取り戻した。1976年の創業100周年に総額5,000億円のイラン石油化学プロジェクト(IJPC)に着手したが、1978年のイラン革命と1980年のイラン・イラク戦争で頓挫、約2,500億円の損失を負った。2020年就任の堀健一社長は安永竜夫が持ち込んだ「基礎収益力」概念を引き継ぎ、戦前から続く資源依存の総合商社という性格を、組織横断で稼ぐ構造へ作り替える経営課題に向き合っている。
- 東京エレクトロン — 1963年創業。日商出身の久保徳雄と小高敏夫がTBSから資本金500万円の出資を受け東京都港区に東京エレクトロン研究所を発足させ、VTRやカーラジオの輸出入から出発した。翌1964年に小高が渡米し米サームコの拡散炉と米フェアチャイルドのICテスター代理店契約を獲得、1台4,000万円のテスターを自費購入する賭けで日本電気を皮切りに国内ICメーカーへ納入し、IC産業勃興の仕掛人となった。1974年の石油ショックで売上6割を占めた消費財輸出からの撤退を決め、1978年までに止めて7つの商品選定基準でIC装置へ集中した。1984年の米サームコ合弁買収などで商社からメーカーへ業態を変え、1994年10月に海外を直販へ全面転換した。2013年合意の米Applied Materialsとの経営統合は2015年に独禁法の壁で頓挫し、以後は単独で前工程ニッチを束ねる独自路線が同社の自己定義の中核に据わる。
- 住友商事 — 1945年11月、住友財閥が1920年に鈴木馬左也総理事の「商社設立禁止宣言」で25年封じた商社事業を、終戦で古田俊之助総理事が撤回し大阪で日本建設産業として発足したのが源流である。1952年に住友商事へ改称、住友金属工業・住友金属鉱山の販売機能を担う「金ヘン商社」として地歩を築いた。1981年就任の植村光雄は「10年以上の長期プロジェクトには手を出さない」と明言、堅実経営で財務を蓄えた。1996年に浜中泰男の10年に及ぶ簿外取引が発覚、1997年3月期に銅地金関連損2,852億円を計上した。1988年表明の「総合事業会社構想」のもと2005年アンバトビー、2010年ウジミナスへ投資したが、2015年3月期に合計3,103億円を一括減損した。「浮利を追わず」の祖訓を破った後発商社は、植村路線の禁欲を手放した代償を抱え堅実経営の遺産再構築を急いでいる。
- 三菱商事 — 1954年再発足。GHQの財閥解体で1947年に解散した旧三菱商事を、和光実業・不二商事・東京貿易・東西交易の四社合同で再発足。鉄鋼・非鉄・機械を主軸とする事業構成を初期条件とし、1968年に藤野忠次郎社長がブルネイLNG開発にシェル45%・三菱商事45%・政府10%で参画、約421億円の投資で年間約200億円の安定配当を得た。1985年に諸橋晋六が「Kプラン」で資源依存を警告するも、2011年のチリAAS約4,200億円取得で資源投資が積み上がり、2016年3月期はAAS減損2,712億円で連結最終赤字1,493億円。小林健は「掘れば売れるは終わり」と宣言、2020年に蘭Encoを約4,885億円で買収。2022年就任の中西勝也は日本KFC売却・ローソン連結除外・LNGカナダ運開・米シェールAethon参画を進め、経営戦略2027で連結純利益1.2兆円・ROE12%以上を掲げる。
- 安宅産業 — 1909年7月、安宅弥吉が大阪市船越町で従業員10名の安宅商会を個人創業、非鉄地金輸入で「地金の安宅」を築いた。1919年株式会社化、1926年八幡製鐵所の指定商となり鉄鋼流通中枢に食い込み、1943年「安宅産業」へ商号変更、1956年大証上場、十大商社の一角となった。1955年会長就任の安宅英一が持株比率2%余で22年「安宅ファミリー」を通じ人事を掌握、1966年住友商事との合併構想を破談、1969年越田左多男社長を解任した。後任市川政夫は売上1兆円を掲げ借入依存の積極投資へ舵を切り、1973年カナダNRCと総代理店契約でBPから10年中東原油の買い切り義務を負ったが、同年10月のオイルショックでNRC破綻、1976年度最終赤字1,330億円・不良債権2,000億円超で、1977年10月伊藤忠へ吸収合併、68年の歴史を閉じた。創業者一族の私的支配が戦略選択を歪めうるかという命題を残した。
- 高島屋 — 1831年、京都烏丸松原で飯田新七が古着・木綿の店を構えたのが起点で、屋号は妻の父の出身地・近江国高島郡から取った。1919年髙島屋呉服店へ改組、1930年「髙島屋」へ商号変更し大阪南海店を開設、1933年東京店を日本橋へ移し両取引所へ上場。1944年に本店を大阪難波へ移し、1957年から地域子会社方式で全国網を築いた。1956年の新宿駅ビル進出は商店街に阻まれ、首都圏旗艦は1991年の新宿店公表まで35年先送りとなった。1963年設立の東神開発で商業施設運営を内製化し、1989年シンガポール以降は上海・ホーチミン・バンコクへ広げ、店舗と施設開発を一体化した。2021年2月期コロナ禍で連結純損失340億円、2024年4月ROIC経営導入と東神開発への機能集約に着手した。呉服商から派生した不動産機能が本業を補う構造へ移行、「百貨店企業」の自己定義を問い直している。
- そごう — 1830年創業。伊兵衛が大坂の坐摩神社近くで古着商「大和屋」を開業。1877年に「十合呉服店」へ改称、1919年に株式会社化し百貨店へ移行。1933年の神戸店など拡張の代償で1935年に十合家が株式を売却、板谷家へ経営権が移った。1957年の有楽町東京店も賃料負担で3期連続赤字、大和銀行主導で日銀出身の水島廣雄が副社長に就任。1962年に水島が社長就任、各店舗を別会社化し現地資本との共同出資と銀行借入で出店モデルを敷いた。1967年の千葉そごう以降、横浜・広島・船橋・八王子へ展開、1992年にグループ売上1.4兆円・国内外35店舗で業界売上首位に。バブル崩壊で地価下落・郊外SC台頭・百貨店成長停止が反転、1995年に水島が代表権を返上、2000年3月に6,390億円の債権放棄を要請したが世論の反発で頓挫、同年7月に負債1兆8,700億円で民事再生法を申請、国内小売業最大の経営破綻となった。
- 丸井 — 1931年創業。富山県出身27歳の青井忠治が東京・中野で月賦販売商・丸二商会の中野店を買い取って独立。中央線沿線の集約出店モデルを築き、1937年に株式会社丸井を設立。1960年に店舗専用クレジットカードを発行、1962年に新宿店を開業、1970年に緑屋を抜いて月賦百貨店売上首位。1974年のオンライン信用照会と1975年の店舗即時発行で若者の高額DCブランド購買を分割払いで支える独自モデルを完成、1988年にカード会員1,000万人を突破。1981年参入のキャッシング事業は2006年の最高裁違法認定と改正貸金業法施行で15年累計1,247億円の利息返還が発生。2005年就任の青井浩は2006年にエポスカードを発行、汎用カード化とテナント収入主体の小売への転換で2010年代に11年連続増益。2025年5月の新中計で「フィンテック中心」へ戦略転換、2031年3月期ROE15%以上を掲げる。
- クレディセゾン — 1951年5月、岡本虎二郎が東京で月賦百貨店「緑屋」を設立し、戦後の耐久消費財普及を担った。1963年東証二部、1968年一部を経て、1976年に西武百貨店と資本提携しセゾングループのクレジット基幹会社となった。1980年に西武クレジットへ商号変更、1982年発行の西武カードはセゾンカウンターでの店頭即時発行で、郵送発行が常識だった業界慣行を覆した。1989年クレディセゾンへ商号変更、1988〜1997年に4大国際ブランドを扱う唯一のカード会社となり、2006年にみずほ系ユーシーカードを吸収合併して業界再編の主役を担った。だが貸金業法改正の過払金返還とリーマンショックが重なり、2009年3月期に上場以来最大の赤字を計上した。以降は2014年シンガポール、2018年インドの拠点設立で海外レンディングを主力に据え直した。流通系で始まった会社が、ポイント経済圏競争の外で独自路線を確かめている。
- イオン — 1758年創業。三重県四日市の呉服商「篠原屋」から暖簾分けした岡田屋を源流とし、1926年に岡田屋呉服店として法人化、1959年に岡田屋へ商号変更。1969年に兵庫のフタギ、大阪のシロと共同出資で(旧)ジャスコを設立、1970年に4社合併でジャスコが発足、岡田卓也が「連邦経営」を旗印に地域スーパーを次々吸収。1989年にグループ名称を「イオン」へ統一、2001年にイオン株式会社へ社名変更。2003年のマイカル、2013年のダイエーをはじめウエルシア・マルエツ・カスミ・フジ・いなげやと連続買収を重ねた。2020年に岡田元也から吉田昭夫へ社長交代、2021年2月期はコロナ禍と減損で連結純損失710億円の過去最大赤字。PB「トップバリュ」を1兆円規模に育て、イオンモール・イオンディライトの非上場化を進め、2025年2月期は連結売上10兆1,349億円と日本の小売業で初めて10兆円台に乗せた。
- あおぞら銀行 — 1957年、長期信用銀行法のもと日本不動産銀行が資本金10億円で設立。1977年に日本債券信用銀行へ改称したが、バブル崩壊後の不良債権処理に行き詰まり、1998年12月に金融再生法による特別公的管理で国有化された。2000年にソフトバンク・オリックス・東京海上連合の買い取りで再民営化、2001年にあおぞら銀行へ改称、2003年にサーベラスがソフトバンク株式を取得し収益重視のガバナンスを導入した。2006年に長信銀免許を返上して普通銀行へ転換、東証一部へ再上場したが、2009年3月期にサブプライム関連減損で純損失2,425億円を計上、2015年に公的資金を完済した。2023年度には米国オフィス向けノンリコースローンと外債評価損で純損失499億円を再び計上、2024年7月に大和証券グループ本社を引受先とする519億円の第三者割当増資を実行、大見秀人社長のもと投資銀行型モデルの再構成へ向かう。
- 三菱UFJフィナンシャル・グループ — 1656年に初代鴻池善右衛門が大阪で開いた両替店、1870年岩崎弥太郎の海運業、1919年分離独立の三菱銀行の3系譜が源流である。1933年12月、鴻池・山口・三十四の3行合併で三和銀行を創立し預金10億円超で国内首位。1971年に業界初オンラインCD、1984年6月の米BoC買収、1996年4月の三菱銀行・東京銀行合併で東京三菱銀行が発足し資金量世界一となった。2001年発足の旧UFJの経営難を受け、2005年10月のUFJ統合で三菱UFJ FGが誕生、4メガ首位を占めた。2008年のモルガン・スタンレーへの約90億ドル出資と米ユニオンバンク完全子会社化で邦銀異例の米州2軸を敷いた。2022年12月にはMUB個人事業をUSバンコープへ約80億ドルで売却しホールセール集中へ回帰、亀澤宏規CEOのもと2025年3月期は親会社株主純利益1兆8,629億円の過去最高益を記録した。
- りそなホールディングス — 1918年創業。野村徳七が大阪野村銀行として設立、1925年から信託業務を兼営、商業銀行と信託の一体運営を始めた。1943年に大和銀行へ改称、関西基盤と信託兼営を維持。関東側では協和と埼玉の2行が1991年に合併、1992年にあさひ銀行へ改称。1995年に大和銀行NY支店で簿外損失約11億ドル発覚、1996年に米国から全面撤退。2001年に大和銀行HDが発足、2002年にあさひが加わりりそなHDへ改称、2003年3月にりそな銀行が発足。2003年5月、繰延税金資産取り崩しで自己資本不足、政府は約1兆9,600億円の公的資金を注入、戦後最大級の救済となった。同年6月、細谷英二が会長に外部招聘され「リテール銀行」を旗印に4大メガと別路線を貫いた。2015年に12年越しで公的資金を完済、南昌宏CEOのもと2025年3月期は親会社株主純利益2,133億円の過去最高益、中長期ROE10%超を掲げる。
- 三井住友トラストグループ — 1922年の信託業法公布を受け、米山梅吉が團琢磨の支持で準備、1924年3月に最初の信託会社・三井信託を設立。1925年に住友信託が創立、戦前の信託業を牽引。1948年に東京信託銀行・富士信託銀行へ改称し財閥色を払拭。1952年の貸付信託法施行で住友信託が第1号募集、長期資金で戦後復興と高度成長を支えた。1984年に住友信託が本邦第1号の土地信託を受託。バブル崩壊で1994年度に三井信託は2,000億円を償却、2001年度に経常損失3,300億円、2008年度に1,169億円の損失。2011年に中央三井トラストHDと住友信託銀行の統合で三井住友トラストHDが発足、国内最大の専業信託グループに。2020年就任の高倉透がROE10%超を掲げ2021年に政策保有株ゼロを公表、2024年度に経常利益3,676億円・純利益2,576億円まで戻し、2025年就任の大山一也が預金から運用・信託へ移す。
- 三井住友フィナンシャルグループ — 1670年に住友家が両替商「泉屋」を始め、1895年11月に住友吉左衛門が住友銀行を大阪・中之島で開業した。1916年に市中銀行で先んじてサンフランシスコ支店を開設し、別子銅山由来の自己資本と国際志向で1929年末に普通銀行中首位となる。1948年に大阪銀行へ改称、1952年に住友銀行へ復帰した。堀田庄三の合理主義経営で人員生産性を高め、1977年の安宅産業1,132億円処理、1995年3月期のイトマン関連8,000億円超処理と他都銀に先駆け不良債権処理を実施した。2001年4月にさくら銀行と合併し三井住友銀行が発足、2002年12月に持株会社三井住友FGが国内2位メガバンクとして発足、2002〜05年の不良債権集中処理で公的資金を返済した。2019年就任の太田純CEOは「脱金融」を掲げ政策保有株削減と事業入替に着手、2023年11月急逝後を継いだ中島達CEOもこの路線を引き継いだ。
- 千葉銀行 — 1878年11月設立の千葉第九十八国立銀行を源流に、1943年3月の1県1行主義で千葉合同・小見川・野田商誘の3行合併により資本金1,000万円・70店舗の千葉銀行が発足した。翌1944年に千葉貯蓄銀行を合併し県内唯一の本店銀行となる。1948年の90%減資、1958年の不正融資事件、1960年代初頭の労働争議を経て、1964年にバンクフラワー「ひまわり」で企業イメージを刷新、1971年8月に東証1部へ指定替えし、京葉工業地帯と県北西部ベッドタウン化を取り込んで地銀上位行の地位を固めた。1987年ニューヨーク・1989年ロンドン・1991年香港と海外3極を整え、2009年就任の佐久間英利は2015年発足のTSUBASAアライアンスで第四北越・中国・伊予などとのシステム共同化を組んだ。2021年交代の米本努はDXを掲げたが、2023年6月の仕組債不適切販売で金融庁から業務改善命令を受けた。
- ふくおかフィナンシャルグループ — 1945年創業。戦時下の1県1行主義で十七・筑邦・嘉穂・福岡貯蓄の4行が新立合併し、資本金2,500万円・店舗131カ店の福岡銀行が誕生、全国地方銀行の預金高第1位の船出となった。1953年のストライキとエネルギー革命による石炭産業の衰退で預金高首位を失い、1955年に日銀考査役の蟻川五二郎が頭取に迎えられ以後4代続く日銀出身頭取で再建。1980年に東証一部へ昇格。2007年4月に福岡銀行・熊本ファミリー銀行・親和銀行を束ねる持株会社としてふくおかFGが発足、初代谷正明が広域統合モデルを示し、2014年に柴戸隆成が継いだ。2021年5月に日本初のデジタルネイティブバンク「みんなの銀行」を開業、2022年就任の五島久が事業ポートフォリオを再定義。2025年3月期は連結経常収益4,557億円・純利益721億円、2027年度純利益1,000億円を目標に投資を続ける。
- みずほフィナンシャルグループ — 2000年創業。安田善次郎が1880年に興した富士銀行、1902年発足の日本興業銀行、1971年発足の第一勧業銀行の3行が、2000年に共同持株会社みずほホールディングスを設立、総資産世界最大級のメガバンクが誕生。2002年4月、勘定系切替でATM停止と二重引落が発生し金融庁から業務改善命令、2011年3月の震災義援金処理でも同様の障害が繰り返された。2013年7月にみずほ銀行とみずほコーポレート銀行を合併しOne Bank化、勘定系も4,000億円超・延べ35万人月を投じた次期基盤MINORIへ2019年に全面移行。だが2021年2月から再びシステム障害が8回連発、2022年就任の木原正裕は風土・人事・業務プロセスの三位一体改革と新人事制度〈かなで〉、米州CIB拡大を進め、2023年に米Greenhillを買収。2025年3月期は経常収益9兆303億円・純利益8,854億円である。
- オリックス — 1964年4月、三商社と五銀行が資本金1億円で大阪市高麗橋にオリエント・リースを設立、米国生まれのリース業を日本に持ち込んだ。1970年大証2部上場、1980年就任の宮内義彦は20年の長期政権で多角的金融サービス企業への脱皮を掲げ、1986年大阪市岡証券への資本参加、1988年阪急ブレーブス取得で異業種に進出した。1989年4月の創立25周年に「オリックス」へ商号変更してリース会社の看板を下ろし、1991年生命保険、1998年4月山一信託買収、同年9月NYSE上場で総合金融サービス企業へ変身した。2011年就任の井上亮は2013年Robeco、2014年弥生、2015年関西エアポートで事業投資型M&Aを主軸に据え、2025年1月に髙橋英丈へ社長交代した。リース業の草分けが事業投資会社へと自己定義を書き換えてきた60年の通史は、規模の拡大を超過利潤へ翻訳できるかという問いに向き合う。
- 野村ホールディングス — 1872年創業。初代野村徳七が大阪・農人橋詰町で両替商「野村徳七商店」を開いた。2代目徳七が1919年に大阪野村銀行を設立、1925年に証券部を分離独立させて野村證券を創設。1927年にNY駐在員事務所を開設。1947〜48年の配電株公募で業界最大の販売実績、1951年に戦後第1回投資信託、1961年に3取引所上場し業界首位。1981年に邦証券初のNYSE会員権、1986年にロンドン証取会員資格を得た。1991年の損失補塡問題と2008年のリーマン破綻に伴うアジア・欧州・中東部門承継で、2009年3月期に▲7,082億円、2019年3月期に▲1,004億円の純損失。2020年就任の奥田健太郎は2025年4月にマッコーリーのアセットマネジメント事業買収とバンキング部門新設を発表、2025年3月期は連結収益1兆8,925億円・純利益3,407億円である。
- SOMPOホールディングス — 2010年4月、業界2位の損保ジャパンと4位の日本興亜が共同株式移転で持株会社NKSJを設立、東京海上HD・MS&ADと並ぶ3メガ損保体制が整った。だが初年度から純損失、翌2012年3月期はタイ洪水と東日本大震災が重なり赤字が膨らんだ。事業会社の一本化は2014年9月、持株会社も2016年10月に「SOMPOホールディングス」へ商号変更された。2012年就任の櫻田謙悟は2015年12月にワタミの介護を取得して介護を第二の柱に据え、2017年3月にバミューダの再保険会社Enduranceを買収しSompo International傘下に置いた。だが2023年、損保ジャパンはビッグモーターの保険金不正請求問題で金融庁から業務改善命令を受け、政策株式保有慣行まで指弾された。商号を3度書き換えた合併会社は、海外で攻めながら本丸の営業文化を温存した均衡の組み直しを進めている。
- 日本取引所グループ — 1878年5月に東京株式取引所、6月に大阪株式取引所が設立免許を取得、近代日本の資本市場は東西別々に歩み出した。戦時統制を経て1949年に会員組織で再設立、1969年TOPIX算出、1988年株価指数先物開設、1999年立会場を閉じ電子取引へ移行した。2001年に両取引所は株式会社化、2007年に東京証券取引所グループを設立、2012年に大証をTOBで取得、2013年1月に合併で日本取引所グループへ商号変更し同日東証一部に上場した。初代CEO斉藤惇のもと現物は東証、デリバティブは大阪取引所と分担、2019年に東京商品取引所を子会社化し総合取引所化に着手した。2015年就任の清田瞭はガバナンス改革を主導、2022年4月に1部・2部制度を廃して3区分へ再編した。135年別個に歩んだ二つの取引所が一つの上場持株会社に束ねられ、市場の番人自身が市場で問われる存在へと自己定義を変える歩みである。
- MS&ADインシュアランスグループホールディングス — 1918年、三井物産常務小田柿拾郎の発案で大正海上火災保険が設立された。1893年大阪保険を源流とする住友系と並走し、1944年に大阪海上と住友海上が合併して大阪住友海上火災保険が発足。三井系は1991年に三井海上火災保険へ改称し、2001年に住友海上と合併して三井住友海上火災保険となった。2010年4月にあいおい損害保険とニッセイ同和損害保険を株式交換で取り込みMS&ADインシュアランスグループHDが発足。ただし2013年以降は1グループ2社体制が12年続き、2016年のAmlin約6300億円買収は2020年に売却した。2024年の保険料調整問題で公取から13億円の課徴金を受け、政策株式は2024年3月末3.6兆円から2025年9月末2.3兆円へ売却を加速。2025年11月、2027年4月の三井住友海上とあいおいニッセイ同和損保の正式合併が決定し、中間解が単一会社体制へ収束する。
- 第一生命ホールディングス — 1902年9月、保険業法立案者で農商務省初代保険課長の矢野恒太が第一生命保険相互会社を設立、日本初の相互組織の生保会社として基金20万円で発足した。代理店を置かず営業コストを削る合理的経営と高料高配主義を掲げ、1932年8月に保有契約高10億円で業界第2位に並んだ。戦後は1963年に企業年金保険を発売、1970年に保有契約高10兆円で世界生保ベストテン入りした。2010年4月、108年続いた相互会社形態を解いて株式会社へ組織変更し東証第一部に上場、2015年に米Protective Lifeを完全子会社化、2016年に持株会社体制へ移行した。だが2018〜2021年に営業職員の巨額金銭詐取事件が表面化、稲垣精二は販売品質の再構築に追われた。2022年就任の菊田徹也は2024年3月にベネフィット・ワンを買収し非保険サービスへ参入。相互扶助で出発した会社が、保険外領域への横断戦略を確かめている。
- 東京海上ホールディングス — 1879年、渋沢栄一の主唱と岩崎弥太郎の出資で日本初の海上保険専業会社として東京海上保険会社が創業、初代頭取に蜂須賀茂韶が就いた。1890年以降のイギリス事業で巨額損失を出したが、1894年に各務鎌吉をロンドンに派遣し半額減資で立て直した。1914年に国内初の自動車保険を引き受け、1944年の3社合併で東京海上火災保険が発足。1974年に業界初の自動車保険オンラインで電算化を先導した。2002年にミレアホールディングスを設立、2008年に東京海上ホールディングスへ商号変更し、同年に米フィラデルフィアを約47億ドル、2015年に米HCCを約75億ドル、2020年に米PUREを約31億ドルで買収した。2024年に政策株式3.5兆円の2030年3月末全売却を決議。2025年3月期は親会社株主帰属当期純利益1兆552億円と邦損保初の1兆円超え、海外保険の経常収益が国内を上回る収益構造へ転換した。
- 三井不動産 — 1941年7月、三井物産から不動産部門の分離継承を受けて発足した。1914年の三井合名会社内「不動産課」を源流とする三井11家出資の同族管理会社だった。戦後はGHQ財閥解体で株式が放出され、1949年5月に東証上場、1956年10月に清算中の三井本社を吸収合併した。1955年就任の江戸英雄は1957年に千葉県市原の埋立事業に着手、海面から土地を生み出す手法を全国へ広げた。1968年の霞が関ビルディング、1974年の新宿三井ビルで容積率を起点とする事業設計を業界へ持ち込み、1981年「ららぽーと船橋」、2005年日本橋三井タワー、2007年東京ミッドタウンで都心ミクストユース戦略の型を固めた。2010年代後半からニューヨーク・ハドソンヤードへ集中投資した。2023年就任の植田俊は「街づくりから産業づくりへ」を掲げ、管理会社から産業デベロッパーへの転換を急いでいる。
- 三菱地所 — 1890年3月、三菱財閥の岩崎弥之助が明治政府から丸ノ内の陸軍用地を128万円で買収、草原の荒地に「竹を植えて虎でも飼うさ」と応じた。1894年三菱1号館以降、1918年までに19棟の赤レンガ・RC建築で「一丁倫敦」を成立させ、1923年丸ノ内ビルヂングを竣工した。1937年5月に三菱合資会社から地所課を切り出し三菱地所が設立、戦後の財閥解体で1950年に3社へ分割されたが1953年に再合併した。1952年就任の渡辺武次郎は1959年「丸の内総合改造計画」で赤レンガ街を31m統一のビル群へ建て替えたが、皇居美観配慮で超高層化を退け、1968年霞ヶ関ビル以降は他社に後れた。1995年にロックフェラーセンターが連邦破産法を申請し1000億円の固定資産除却損を計上、2002年の丸ビル建て替えで都心ミクストユース戦略を始めた。岩崎の荒地買収から始まった会社は丸ノ内一極集中の体質を組み直している。
- 東京建物 — 1896年、初代安田善次郎らの発起で資本金100万円により東京日本橋に設立、月賦建築請負・土地建物担保貸付・販売仲介の3事業を法人で立ち上げた。住宅ローンも公庫も存在しない時代に、その原型を定款に同居させた設計だった。戦時下に旧安田系の不動産・倉庫機能を吸収、戦後はGHQの財閥解体で制限会社に指定された。1968年に藤沢市マンション分譲、1979年に新宿センタービル竣工、1998年にSPC法第1号登録、2003年にマンションブランドを「Brillia」へ統一した。2011年12月期に純損失717億円と創業以来最大級の赤字を計上、長期保有資産の含み損が表面化した。2016年就任の野村均は都心再開発で大手町タワー・Brillia Tower池袋・Hareza Towerを竣工させた。2024年12月期は経常利益717億円・純利益658億円と最高、2025年1月就任の小澤克人体制へ継承された。
- 住友不動産 — 1949年、財閥解体で住友本社の不動産部門を継承する泉不動産として設立、三菱地所・三井不動産に対し都心一等地を持たない後発として出発。1957年に住友不動産へ商号変更、1970年に東証・大証一部上場。1974年に安藤太郎が社長就任、1976年に大阪ビジネスパーク開発から撤退し東京都心オフィスビル賃貸に経営資源を集中。1982年の新宿NSビル竣工時点で首都圏賃貸ビル12棟・年間101億円を確保、以後30年の基本路線を固めた。1998年3月期にバブル後の特別損失681億円で株価206円まで沈んだ後も、同業がJ-REITで売却するなか自社保有・長期運用を貫いた。不動産賃貸営業利益は2012年3月期の896億円から2020年3月期に1694億円へ倍増、2019年にインドGoisu Realtyを設立し総投資額約1兆円のインド事業を立ち上げた。仁島浩順体制で借入主導から営業CF主導へ移行する。
- 東武鉄道 — 1897年、北関東への鉄道敷設を目的に資本金265万円で東武鉄道が設立、初代社長は末延道成。1899年に伊勢崎線北千住〜久喜間で営業開始したが振るわず、1905年に相場師・根津嘉一郎が経営参画、利根川に549m鉄橋を架設し群馬・栃木方面へ延伸した。1910年に伊勢崎線全通、1929年に日光線全通で100km超の長距離電車運転を私鉄初で開始した。1937年の上州鉄道、1944年の総武鉄道吸収などでJRを除く関東最大の路線網463.3kmを築いた。1962年の日比谷線、1987年の有楽町線と相互乗入れを拡大、自社路線を延ばさず他社結節で沿線価値を高める手法を固めた。2012年に約1430億円を投じた東京スカイツリーが開業、レジャー事業利益はFY11の赤字6.2億円からFY13の105.9億円へ回復した。2023年6月に根津嘉澄から都筑豊へ社長交代し120年の創業家支配が終わった。
- 東急 — 1922年、五島慶太が目黒蒲田電鉄を設立、関東初の阪急モデル郊外電鉄として出発した。1923年の関東大震災で郊外移住需要が拡大、1928年に渋沢栄一の田園都市株式会社を合併し田園調布を取得、1932年に東横線が全通した。1942〜44年の戦時統合で京浜電鉄・小田急・京王を合併し大東急が出現、1948年の再編成で3社が再独立し東急は東横線と渋谷を軸に再出発した。1953年から多摩丘陵で55地区・3204haの区画整理を約40年続け、田園都市線は1984年に中央林間まで全通した。バブル期のリゾート・百貨店の不振で1995年3月期に特別損失429億円を計上し非中核事業整理に転じた。2013年の東横線渋谷駅地下化を起点に渋谷再開発を進め、2019年に持株会社体制へ移行。2025年3月期は営業収益1兆549億円・経常利益1077億円と過去最高、渋谷3大プロジェクトに6000億円の投資が進む。
- 小田急電鉄 — 1923年、利光鶴松らが小田原急行鉄道を資本金1350万円で設立、1927年に新宿〜小田原82.5kmを全線開業し当時の日本最長の電気鉄道となった。1942年に戦時統合で東京急行電鉄に吸収、1948年に資本金1億円で再独立、戦後はバス・百貨店・不動産・箱根観光を取り込み新宿ターミナルと沿線の二本柱を整えた。1961年の小田急百貨店、1964年の小田急不動産設立で多角化を進める一方、朝の混雑率250%超に対し1964年に都市計画決定された複々線化は用地調整が長引き、代々木上原〜登戸の全面完成は2018年、総事業費約3100億円を要した。2021年3月期にはコロナ禍で創業以来初の連結赤字を計上、不動産売却で有利子負債を1262億円圧縮した。2024年就任の鈴木滋社長は2025年3月期から交通・不動産・生活サービスの3区分に再編、不動産を収益の第1の柱に置く事業構造への転換を図る。
- 京王電鉄 — 1910年9月、京王電気軌道が資本金125万円で設立、1913年4月に路面電車として笹塚〜調布約12kmで開業。資金難で森村財閥融資系列に入り、1914年富士瓦斯紡績の井上篤太郎が専務就任、1926年玉南電気鉄道合併で八王子方面を取り込み、1928年新宿〜東八王子直通を始めた。1934年帝都電鉄が渋谷〜吉祥寺全通、戦時統合で承継、1944年東急に吸収、1948年6月再独立で京王線・井の頭線、バス3営業所を継いだ。1971年6月新宿西口に日本初の超高層ホテル京王プラザ開業、1980年3月都営新宿線直通、1990年3月相模原線全通で多摩ニュータウン需要を取り込んだ。1998年7月に京王電鉄へ改名。2021年3月期はコロナ禍で創業以来初の経常赤字180億円、賃貸中心の不動産を販売・ファンドへ転換。郊外放射と都市内横断の戦前来の二路線構造は、新宿西南口再開発で試される。
- 京成電鉄 — 1909年、本多貞次郎らが京成電気軌道を設立、成田山新勝寺への参詣客輸送を目的に1912年押上〜市川で開業。1930年に成田全通、1933年の日暮里〜上野公園開業で京成上野駅が誕生、後の空港アクセス基盤となった。1945年京成電鉄へ商号変更、1949年東証上場、1960年に都営浅草線との相互乗り入れで国鉄並走の不利を埋めた。同年、三井不動産らとオリエンタルランドを設立、京成出資は当初約52%。1978年の成田空港開港でスカイライナーを開始、空港線7.1km未稼働と土地投資金利で1977年は経営危機。1983年のTDL開業で浦安の価値が一変、2010年の成田スカイアクセス線で日暮里〜成田空港を最速36分で結ぶ。2025年3月期連結純利益約700億円の大半をOLC持分法利益が占め、2024年9月末に約21%保有のOLC株時価が京成の時価総額を上回り、英パリサー等のアクティビストが関心を寄せる。
- 東日本旅客鉄道 — 1987年4月、累積債務約37兆円の日本国有鉄道の分割民営化で発足。関東・東北・甲信越の在来線と東北・上越新幹線を引き継ぎ、首都圏通勤輸送という本州3社で最も厚い基盤を抱えた。1990年に東京圏駅ビル開発(現アトレ)を設立して駅ナカ商業の原型を築き、1991年東京駅乗り入れ、1992年山形・1997年秋田・北陸新幹線で新幹線網を広げた。1993年上場、2002年完全民営化。2001年11月にSuicaを首都圏424駅で導入、2004年の電子マネー化で改札機の技術を駅外決済へ拡張した。2021年3月期はコロナ禍で発足以来初の純損失5,779億円を計上、首都圏通勤の右肩上がりという前提が崩れた。2024年就任の喜勢陽一は「2軸の経営」を掲げ、Suica経済圏創出を軸に新ビジョン「勇翔2034」へ移行した。駅空間の収益化を積んだ発足以来の蓄積を、鉄道母屋を相対化する構造改革で組み直している。
- 西日本旅客鉄道 — 1987年、国鉄分割民営化でJR西日本が発足、山陽新幹線と近畿圏在来線網を引き継いだ。首都圏通勤需要を持たない西の鉄道として出発、1991年に山陽新幹線を保有機構から譲り受け自社保有へ移行。1996年東京・大阪証取上場、2004年完全民営化。1年後の2005年4月25日、福知山線で快速が制限70km/hの右カーブに約116km/hで進入しマンションに激突、107名死亡・562名負傷のJR発足後最悪の事故。日勤教育と過密ダイヤの安全管理が問い直され、以後の経営は利益の前に安全を置いた。2011年大阪ステーションシティ、2013年グランフロント大阪で駅資産を第二の収益源に据え、2019年3月期経常利益1838億円、2021年3月期はコロナ禍で純損失2332億円。長谷川一明社長は風土改革に着手、4期連続増収増益で2025年3月期営業利益1801億円、中計2025はライフデザイン比率4割を掲げる。
- 東海旅客鉄道 — 1987年4月の国鉄分割民営化で東海道新幹線を引き継ぎ東海旅客鉄道が設立された。前史は1939年の鉄道幹線調査会答申「弾丸列車」に遡り、1955年に国鉄総裁十河信二が広軌新幹線建設に踏み切った。建設費は当初予算1972億円から3800億円へ膨張し十河は退任、1964年10月1日に東海道新幹線が東京〜新大阪間515.4kmで開業した。発足時の同社は東海道新幹線価格を上回る5.1兆円の債務を背負ったが、1991年10月に新幹線施設をリースから自社保有へ移行、1992年3月に「のぞみ」を300系で運転開始した。1997年10月証取上場、2003年10月品川駅開業、2006年4月完全民営化、2014年10月に品川〜名古屋間リニア中央新幹線が全額自己負担で着工した。東京〜大阪を1本の軸で結ぶ国家計画を引き継いだ歩みは、いまリニア静岡工区の遅延を抱え、自己負担で第二軸を作る構造命題に立たされている。
- ヤマトホールディングス — 1919年、小倉康臣が東京市京橋区で大和運輸を創立、車両4台で三越呉服店や日本橋魚河岸の商業貨物輸送から基盤を固めた。1929年に東京-横浜間で日本初の路線トラック定期便を開始したが、1960年代の長距離路線参入では日本通運や西濃運輸の後塵を拝し三番手に甘んじた。1971年就任の2代目小倉昌男は法人大口を諦め、1976年1月20日に宅急便を開始、初日11個から10年で年間3億個へ伸ばし運輸省と訴訟も辞さず全国網を築いた。1996年クール宅急便、2003年小笠原諸島でネットワークを完成、2005年持株会社化しヤマトHDへ移行。EC拡大で個数増と単価下落が同時進行し2017年3月期に経常利益が694億円から348億円へ半減、27年ぶりの全面値上げと総量規制に踏み切った。2023年6月に日本郵便と協業合意、自社は法人向けへ寄せ、FY25売上1兆7626億円で多角化の途上である。
- 日本郵船 — 1885年創業。明治政府の仲裁で岩崎弥太郎の郵便汽船三菱会社と政府系の共同運輸会社が合併し、資本金1,100万円・汽船58隻の日本郵船が発足、白地に二引の旗章を掲げた。1893年にボンベイ航路で日本初の遠洋定期航路を実現、1896年に欧州・北米シアトル・豪州航路へ参入し、欧州勢が独占したアジア幹線へ食い込んだ。第二次大戦で185隻・113万総トンを失い終戦時37隻まで減船したが、1949年に東証上場、1968年に日本初のコンテナ船「箱根丸II」を北米航路へ就航させ、1983年にLNG船で総合海運へ脱皮した。リーマン後の構造不況で2017年3月期に上場来最大の純損失2,657億円を計上、邦船3社で定期コンテナ船事業を統合し2017年7月にONEを設立して長年の主力を切り離した。国策海運として出発した140年の経営は、自前で抱える事業と外に切り出す事業の組み替えに直面する。
- 商船三井 — 1884年5月、関西の船主93名が大同合併して大阪商船を設立。同社と1942年に三井物産船舶部から独立した三井船舶が、1964年4月の海運再建整備臨時措置法のもと対等合併し大阪商船三井船舶が発足。邦船大手6社体制の一角を占め、ドライバルクとエネルギー輸送が収益の柱となった。1999年4月にナビックスラインを吸収し商船三井へ商号変更、2004年にダイビル子会社化で安定収益源を取り込んだ。2008年3月期は資源バブルで経常利益3022億円の最高益。リーマン後にコンテナ船事業が構造的赤字へ転落、2017年7月に邦船3社でONEを設立、出資31%で持分法へ移管した。コロナ禍の運賃急騰で2022年3月期に経常利益7217億円と前期から7倍に膨らんだ。2021年4月就任の橋本剛は2023年4月にBLUE ACTION 2035を策定、LNG船・洋上風力へ1兆2000億円の投資枠を設定した。
- 川崎汽船 — 1919年4月、川崎造船所が保有汽船11隻を現物出資し資本金2,000万円で川崎汽船を設立、神戸を拠点に外航海運会社として出発。同年に川崎造船所・國際汽船との3社提携でKラインを結成、1950年に海運民営還元で上場した。1964年飯野汽船を吸収し6大グループ入り、1970年の第十とよた丸でPCC(自動車専用船)を世界初実用化、1983年に邦船初のLNG運搬船尾州丸を竣工。2010年代にコンテナ船事業の累計損失3,000億円超、FY16に純損失1,394億円。2017年7月に日本郵船・商船三井とONEを設立、2018年4月にコンテナ船自社運航を終了した。2019年就任の明珍幸一は海運専業を選び、コロナ禍の運賃高騰でFY21に純利益6,424億円の過去最高益、自己資本は5年で約16倍の1兆6,484億円へ回復。2025年4月就任の五十嵐誠は自動車船・LNG船・鉄鋼原料の3事業集中体制を続ける。
- NIPPON EXPRESSホールディングス — 1872年、飛脚問屋・和泉屋支配人の佐々木荘助らが陸運元会社を設立、1875年に内国通運へ改称、鉄道駅頭集配の通運業の原型を築いた。1937年10月、日中戦争下の「日本通運株式会社法」で国策会社として日本通運が発足、1941年に東京合同運送ほか56社を吸収し全国通運業者を一元化した。1950年に通運事業法施行で民営化し東証上場、1977年にペリカン便を開始。ヤマト・佐川との競争で劣勢、2009年に日本郵便とJPエクスプレスを設立したが累損681億円を出し、2010年7月にペリカン便を廃止した。以後B2B専門物流に資源集中、2022年1月に持株会社化しNIPPON EXPRESSホールディングスへ移行。2023年5月にオーストリアのcargo-partnerを約1267億円で過去最大買収、経営計画2028で売上3兆円・海外比率40%を掲げ、欧米メガフォワーダーへの追走中である。
- 日本航空 — 1951年8月、戦後初の民間航空会社として日本航空が設立、1953年10月に「日本航空株式会社法」で政府との折半出資の半官半民会社へ改組、本邦唯一の国際線免許会社となった。1954年東京〜サンフランシスコ線開設、1970年747運航、1983年にIATAで旅客・貨物輸送世界一となった。1987年11月の完全民営化後も、8つに分かれた労組や不採算路線維持など国策の体質は残った。2002年日本エアシステム統合、2004年の分社でも赤字体質は温存された。リーマンショックが追い打ちとなり、2010年1月に負債2兆3200億円で会社更生法を申請、戦後最大の事業会社破綻となった。同年2月に稲盛和夫が無報酬で会長就任、アメーバ経営とJALフィロソフィを持ち込み、約16000人削減・45路線廃止を断行、2012年9月に再上場した。半官半民で築いた体質を一度壊し直した会社が、次の構造転換を進めている。
- ANAホールディングス — 1952年12月、定期航空再興を目指し資本金1.5億円で日本ヘリコプター輸送を設立、1953年2月ヘリで営業を始めた。1955年DC-3で固定翼旅客へ移行、1957年全日本空輸に社名変更、1958年極東航空合併、1965年727でジェット化。だが1970年閣議了解と1972年通達の「45/47体制」が国際線をJALに独占させ、全日空は国内専業に33年閉じ込められた。1985年中曽根内閣の複数社制転換で1986年3月東京-グアム線就航、1999年スターアライアンス加盟、2011年に世界初の787商業運航を始めた。2013年持株会社化、2017年Peach連結子会社化。コロナ禍は劣後ローンと公募増資で約1兆円を調達し凌ぎ、2024年AirJapan、2025年NCAで3ブランド・貨物を整えた。規制で国内専業に閉じ込められた挑戦者が国際線・LCC・貨物を組み込み事業構造を再設計する歴史である。
- 三菱倉庫 — 1887年創業。三菱為換店の倉庫業務を継承し、東京・深川に有限責任東京倉庫会社として設立。1907年に神戸港で海陸一貫取扱施設、1918年に三菱倉庫へ商号変更、1931年に日本初のトランクルームを開始。1946年の財閥解体で三菱本社から独立、1949年に東証上場、1962年に深川で複合賃貸ビルを建設し不動産事業へ参入、1971年に航空貨物まで広げた。1984年のシンガポール以降、東南アジア拠点を広げ、不動産利益が物流の3倍以上を稼ぐ構造が定着、2010年の富士物流TOB(最大104億円)で3PLを強化。2022年就任の斉藤秀親は2023年にCavalier Logistics(米英4社)を買収。経営計画[2025-2030]はM&A投資1,000億円以上・2030年度事業利益630億円・ROE10%を掲げ、政策保有株1,000億円売却と総還元性向60%で資本効率改善を進める。
- NTT — 1952年8月発足の日本電信電話公社が1985年4月1日に民営化、日本電信電話(NTT)が誕生。1986年2月東証上場、売出価格119万7千円のNTT株は個人投資家ブームの象徴となった。1991年NTTドコモ、1992年NTTデータを分離、1999年持株会社化で東西・コミュニケーションズへ分割、上場子会社並立の分権体制が固まった。固定通信の縮小をモバイル・データが補う構造で連結営業収益は10兆円台に安定、2010年NTTデータが南アDimension Data買収で海外展開を試みた。だが2019年のIOWN構想は分散経営と矛盾し、2020年にドコモを約4.25兆円で完全子会社化、2025年NTTデータへ約2.37兆円のTOBを発表。2022年就任の島田明は「普通の会社になりたい」と掲げ、2024年改正NTT法で研究成果開示義務を撤廃、電電公社の系譜が自らの制度を書き換える歴史を歩んだ。
- KDDI — 1984年、京セラ稲盛和夫が第二電電企画を設立、京セラ・セコム・ソニー・三菱商事など25社の連合出資で電電公社民営化を控えた通信市場に参入した。1986年サービス開始、1987年に全国セルラー子会社で携帯に進出、1993年東証二部上場。1999年のドコモiモード投入で規模確保が急務となり、2000年に長距離DDI・国際KDD・携帯IDOが合併しKDDIが発足、auブランドを設けた。2002年にCDMA一本化と着うた投入で若年層を獲得し、2004年3月期に携帯純増数でドコモを抜き首位に立った。2016年に「au経済圏の最大化」を掲げJCOM・ビッグローブ・auじぶん銀行・au PAYを束ね、2024年に三菱商事と共同でローソンをTOBし約1.4万店舗の物理接点を取得した。2026年1月にビッグローブで架空循環取引が発覚、売上取消2461億円が判明、松田浩路社長下でガバナンス再構築が課題である。
- ボーダフォン(現ソフトバンク) — 1986年創業。国鉄分割民営化を控え鉄道通信が設立、旧国鉄の基幹光ファイバー網を承継し1989年に日本テレコムへ商号変更、第3固定通信事業者となった。1991年に東京デジタルホンで携帯事業へ参入、2000年に世界初のカメラ付き携帯J-SH04で写メールを普及させた。2001年に英ボーダフォン・グループが公開買付で66.7%を取得、2004年にボーダフォンへ商号変更。「Vodafone 3G」が日本のフィーチャーフォン文化に合わず契約者は純減、2005年に上場廃止。2006年に孫正義が1兆7,500億円のLBOで買収、月額980円のホワイトプランと2008年のiPhone 3G独占販売で巻き返した。2018年に東証一部再上場、2019年ヤフー、2021年LINE、2022年PayPayを子会社化、2023年LINEヤフー発足、FY24は売上6兆5,443億円・純利益5,261億円である。
- 光通信 — 1988年2月、日本大学を中退した重田康光が23歳で東京都豊島区に光通信を設立、ホームテレホンの訪問販売で創業し同年8月に第二電電と代理店契約を結んだ。1990年からシャープ製OA機器を扱い、NTTタウンページ掲載の約530万社を組織的にアタックする中小企業営業モデルをつくった。1994年に携帯電話専門店HITSHOPを開設、1998年FC化、1999年東証一部上場でネットバブル下に時価総額3兆円を超えた。2000年に架空契約「寝かせ」が発覚し株価は約100分の1へ暴落、ソフトバンク株売却益で特別損失を相殺して辛うじて生き延びた。重田はHITSHOPを縮小し法人向け訪問販売へ原点回帰、複写機のストック収入と大量採用営業で再建。以後ウォーターサーバー・電力・保険と営業チャネルに商材を載せ替え、バブル期の虚像から泥臭い営業の積み上げで成る二度目の兆円企業へ経営の型を作り替える歴史を歩んだ。
- 東京電力ホールディングス — 1951年創業。GHQの電力再編成令で関東配電と日本発送電の設備を引き継ぎ東京電力が発足、9電力体制の一角として首都圏3,000万人超の供給を独占した。1971年にBWR1号機が運開、福島第一6・福島第二4・柏崎刈羽7の計17基体制を構築、1985年運開の柏崎刈羽は7基821万kWの世界最大級サイト。2011年3月11日の東日本大震災で福島第一1〜4号機が炉心損傷・水素爆発、レベル7事故で住民約16万人が避難、FY10は純損失1兆2,473億円。2012年5月に原子力損害賠償支援機構が1兆円出資し戦後初の民間電力実質国有化、自己資本は2兆7,797億円から7,923億円まで毀損。2015年に中部電力との合弁JERAへ火力を移管、2016年に東京電力HDへ商号変更し4社分割、FY24は売上6兆8,103億円・純利益1,612億円、2026年1月に柏崎刈羽6号機が約15年ぶりに再稼働した。
- 中部電力 — 1951年、電気事業再編成令で中部配電と日本発送電を引き継ぎ中部電力が設立、愛知・岐阜・三重・静岡・長野5県を供給エリアとした。トヨタなど中京工業地帯の電力需要を担い、東電・関電に次ぐ中堅電力となった。1976年に浜岡原発1号機が運開し5基体制になったが、東海地震想定震源域の真上で当否が問われ続け、2005年に1・2号機の廃炉を決定した。2011年3月の福島事故2か月後、菅直人首相の要請で浜岡全号機停止を決断、年約2500億円の代替燃料費が膨張、FY11は純損失921億円。2015年に東電との合弁JERAを設立、2019年までに国内火力を全面移管し自社発電所を持たない電力会社となり、2020年に持株会社体制へ移行、林欣吾社長が「電力は数ある事業の一つでしかない」と表明した。2021年に日本エスコン、2024年にジェネックス取得で再エネを拡大、FY23は純利益4031億円。
- 関西電力 — 1951年、電気事業再編成令で関西配電と日本発送電を引き継ぎ関西電力が設立、水力113万kW・火力115万kWで出発した。1950年代は黒部川第四発電所など水力開発に注力、1970年の大阪万博に合わせ美浜1号機が国内電力会社初の商用原発を稼働させた。高浜・大飯と若狭湾沿岸に集中立地、2010年に原子力比率5割で国内最も原発依存度の高い電力会社となった。2011年の福島事故で全原発停止、4期連続赤字で経常損失累計8431億円。2016年に高浜3・4号機、2018年に大飯3・4号機が再稼働し業績は反転した。2019年に旧経営幹部75名が高浜町元助役から総額約3億6000万円の金品を受領していた事実が発覚、2020年に指名委員会等設置会社へ移行。2022年就任の森望下で2023年末に全7基658万kWがフル稼働、FY24は純利益4419億円、データセンターへ10年1兆円超を表明した。
- 東京ガス — 1885年10月、東京府の官営瓦斯局の払い下げを受け、渋沢栄一らが関与して東京瓦斯会社が創立、石炭ガス灯で首都の夜を照らした。1944年に関東瓦斯ほか19社を合併吸収して首都圏全域へ広げ、1949年に東証上場した。1969年11月、LNG船「ポーラ・アラスカ号」が根岸基地へ日本初のLNGを運び、1972年から約400万世帯のガス機器を交換する天然ガス転換事業を1988年10月に完遂した。1998年扇島、2016年日立LNG基地を稼働させ、関東1都6県を首都圏最大の都市ガス会社として供給した。2016年4月電力、2017年4月ガス自由化で攻守二正面に置かれ、2022年4月に東京ガスネットワークへ導管を分社化、2023年12月に米ロッククリフ・エナジーを約27億ドルで取得した。140年続いた首都圏ガス独占供給者は、自由化と上流統合の二軸でエネルギー商社への定義変更を進めている。
- 大阪ガス — 1897年に大阪瓦斯が設立され、1905年に大阪市内で石炭ガス供給を開始した。1945年の戦時統合で神戸ガス・京都ガスなど14社を吸収合併し、近畿2府4県をカバーする国内第2位の都市ガス会社となった。1972年に日本2社目のLNG導入を実現、1975年からの天然ガス転換事業を1990年に完遂。2016年の電力自由化と2017年のガス自由化で関西電力との顧客争奪戦に入った。海外エネルギー事業は2014〜15年3月期に赤字計上、未開発鉱区の探鉱で300億円超の損失を出した案件もあり、開発済み鉱区を買う方針へ転換した。2019年に米サビン・オイル・アンド・ガスを日本企業初の米シェール開発買収として取得、同年フリーポートLNG液化が商業運転を開始してシェール・LNG液化・IPPの3本柱を整えた。2022年に大阪ガスネットワークへ導管を分社化し、海外を含む複合エネルギー事業者へ重心が移った。
- 東宝 — 1932年8月、阪急電鉄の小林一三が東京日比谷に東京宝塚劇場を設立、阪急が大阪で築いた沿線に劇場・百貨店を置くモデルを東京へ移植した。1934年元旦の劇場開場で松竹との興行戦が始まり、1937年に写真化学研究所・JOスタジオなど4社を統合して東宝映画を設立、1943年の合併で東宝株式会社が発足し、製作・配給・興行・演劇を一体運用する垂直統合を固めた。1948年の人員整理で第三次東宝争議、1949年に三都証取へ上場、1954年公開の「ゴジラ」第1作は観客動員961万人を記録した。1960年代以降のテレビ普及で映画観客は急減したが、日比谷・有楽町・新宿の一等地不動産が利益を支え、1987年にマリオン竣工、2003年4月のヴァージン・シネマズ買収でTOHOシネマズに改称した。鉄道沿線型の興行不動産複合体として始まった90年は、地代と自社製作IPの両輪のうち後者を太らせる段階である。
- セコム — 1962年7月、29歳の飯田亮と戸田壽一が東京で日本警備保障を設立、「安全はタダ」とされた社会で民間警備の業態を作った。1964年の東京五輪選手村警備を単独受注、1966年6月に日本初のオンライン安全システム「SPアラーム」を開発、巡回警備から機械警備モデルへ転じた。1968年12月の3億円事件で批判もあったが、飯田は1969年に「今後は無人警備以外の注文をとるな」と指示、1974年6月東証二部、1978年5月一部指定。1983年12月にセコムへ社名変更し「社会システム産業」を宣言、1991年に在宅医療、2001年に日本初の自由診療保険「メディコム」を発売。2006年に能美防災、2012年にニッタン・アット東京、2017年にTMJ、2023年にアルテリア・ネットワークスへ資本参加、2024年4月に吉田保幸が社長就任。機械警備の独占構造を医療・防災・通信へ広げる段階である。
- コナミグループ — 1969年3月、上月景正が大阪でジュークボックス修理業を創業し、1973年にコナミ工業を設立してアミューズメント機器に乗り出した。1981年「スクランブル」が北米でヒットし、1984年大阪証取新二部、1988年東証・大証一部指定を受けた。1985年「グラディウス」、1998年「メタルギアソリッド」(小島秀夫監督)が世界累計700万本超を売り国際的IPメーカーへ転じた。1991年コナミへ商号変更、1997年ラスベガスでKonami Gaming設立、2001年2月にピープル(現コナミスポーツ)を子会社化、2006年3月に持株会社化した。2010年代前半にモバイルF2Pへ収益軸を移し、2012年6月に上月拓也が社長就任、2022年7月にコナミグループへ商号変更した。アーケードから家庭用、モバイル、カジノへと媒体を広げた半世紀を経て、単一IPを複数媒体で運用する企業へ転じている。
- ニトリ — 1967年、似鳥昭雄が札幌で「似鳥家具店」を開業、1972年に法人化。同年の渡米視察で米国家具価格が日本の3分の1と知り、製造から小売までを一貫するSPA構想を据えた。1978年に札幌でチェーン化を開始、1989年に札幌証取上場。1994年インドネシアで海外生産、2004年にベトナム完全子会社工場と中国・平湖物流拠点を立ち上げSPA型サプライチェーンを完成。2002年に東証一部上場、リーマン後は値下げ攻勢で「お、ねだん以上。」を浸透させた。2010年に持株会社化しニトリホールディングスへ商号変更、2016年に白井俊之が社長就任、36期連続増収増益で2020年に時価総額2兆円を突破した。2021年の島忠TOBは異業態統合に苦戦し減損94億円、円安進行が円高前提のSPAを揺らし2024年3月期に増収増益記録が途絶えた。同年2月に似鳥が社長兼務へ復帰、為替反転下のSPAモデル再構成に挑む。
- 靴のマルトミ — 1950年、冨永光行が名古屋で「丸富靴店」を開業、靴工場に流れ作業の既製靴量産を提案、製造原価600円を1足1000円で販売、靴を耐久財から日常消耗品へ変えた。1957年に合資会社靴のマルトミ設立、1973年に株式会社へ改組。1975年に郊外ロードサイドへ出店軸を転換、大店法の出店規制の隙を突いて小型専門店を量産する戦略を固めた。1980年前後に「靴流通センター」の全国展開、1986年に靴小売業国内シェア首位、1990年に名古屋証取上場、1993年に1700店超・売上高約1717億円に到達。1994年2月期に17期ぶり減益、大店法運用緩和で郊外SCが台頭し小型店は劣後、1994〜95年に約180店を閉鎖。1999年に3年で380店閉鎖計画を発表したが損失拡大、2000年12月に手形決済資金が確保できず負債約761億円で民事再生申請。大店法の規制に依存した多店舗展開の脆弱性が露出した。
- ファーストリテイリング(ユニクロ/GU) — 1949年3月、柳井等が山口県宇部市で紳士服店小郡商事を開業、企業城下町商圏に依存する地方商店だった。1972年にイトーヨーカ堂修業を経た長男の柳井正が入社、1984年6月の社長就任と同時に広島繁華街にユニクロ一号店を開いた。翌1985年に下関市郊外の山の田店でロードサイド型へ転換、自動車保有層への低価格普段着でモデルを固めた。1991年9月にファーストリテイリングへ商号変更、長銀広島支店の融資で年30店出店と全店POSを整えた。1994年7月の広島証取上場で約130億円を調達、中国沿海部4社との委託でSPAを仕上げた。2000年秋の原宿店発のフリース旋風で全国知名度を得て、2005年に200坪フォーマットを撤廃、2006年11月NYソーホーで1000坪旗艦店を開き、同年3月にGUを設立した。失敗ごとに仮説を組み替えてきた経営手法を、北米加速と中国減速の同時進行下で再調整している。
- ソフトバンクグループ — 1981年9月、24歳の孫正義が福岡市で日本ソフトバンクを設立し、シャープや日本電気と独占販売契約を結びパソコン用ソフト卸売網を作った。1990年にソフトバンクへ商号変更、1994年7月の店頭登録後、米コムデックスとジフ・デービスを買収した。1996年1月に米ヤフーとの合弁でヤフー株式会社を設立、社債で売上を超える資金を集める財務手法を定着させた。2001年6月のADSL「Yahoo!BB」で先行投資し5年目に黒字化、2006年4月に英ボーダフォン日本事業を約1兆7500億円のLBOで買収し携帯キャリアへ転身、2013年7月に米スプリント、2016年9月に英ARMを取得した。2017年5月にサウジPIFと運用額986億ドルのSVF1を組成、業績は投資先株価と連動する体質となった。自己資金を超える外部資金を梃子に投資規模を広げる型を維持し、通信から投資持株会社への転身を進めている。
The社史(カバレッジ253社)
ビジネスパーソンに長期視点を普及するため、1人で創っています
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ヤオハン
1930年創業。和田良平が「八百半」から暖簾分けする形で八百半熱海支店を発足、熱海の旅館向けに野菜を卸す商いから出発した。1955年に八百半食品デパートへ商号を変え、翌1956年に商業界の倉本長治の指導で現金正札廉価販売を採り入れ、旅館掛売を廃した。1962年に和田一夫が33歳で社長に就任、伊豆半島から神奈川へ店舗を広げ、1972年にグループ年商100億円を突破した。1971年9月にブラジル・サンパウロへ南米進出、1977年のブラジルヤオハン破綻にも引かず1974年にシンガポールへ出店して東南アジアへ店舗網を広げた。1990年にグループ本社を香港へ移し、李嘉誠ら華僑人脈を頼みに中国1000店構想を掲げた。1997年9月18日に負債総額約1,600億円で会社更生法を申請。ピーク時16カ国450店舗・年商5,000億円の国際流通67年は、地方の青果卸が国境を越えて規模を追った帰結である。
売上高営業利益率
FY1978〜FY1997
2501
サッポロビール
売上高5,068億円営業利益244億円
1876年、明治政府の北海道開拓使が札幌に設けた麦酒醸造所を源流とする。村橋久成・中川清兵衛らが基盤を築き、札幌麦酒として民営化、1906年に三社合同で大日本麦酒となり国内シェア約77%の寡占企業となった。1949年に過度経済力集中排除法で朝日麦酒と日本麦酒へ分割、戦後再出発期に柴田清社長が「サッポロ」「ヱビス」を封印して新ブランド「ニッポンビール」に賭けた決定的な判断ミスで、キリンに家庭用市場を奪われて以後半世紀のシェア3位が固定化した。1986年の恵比寿工場閉鎖と1994年の恵比寿ガーデンプレイス開業で不動産を第二の柱に据え、本業ビールの劣勢を資産収益が覆い隠す構造が定着した。2007年のスティール・パートナーズと2023年の3D Investmentから同じ資本効率の問いを突きつけられ、2025年に事業持株会社体制移行と不動産事業への外部資本導入で資本構成の組み替えに着手した。
営業利益その他販管費売上原価営業利益率
FY2006〜FY2025
2768
双日
売上高25,097億円営業利益1,353億円
1862年創業。岩井文助が大阪で雑貨舶来商として岩井文助商店を興し、1874年の鈴木商店、1892年の日本綿花を加えた三系譜を源流とする。1927年の鈴木商店破綻を受けて翌1928年に高畑誠一らが日商を再設立、1968年に岩井産業との合併で日商岩井が発足した。UFJ銀行の不良債権処理が促した統合で、2004年4月にニチメンと合併し双日となった。発足時の連結有利子負債は1兆5000億円超。同年7月に西村英俊社長が2500億円の損失処理と優先株増資を発表し、旧日商岩井の聖域だった航空機ファイナンスを撤退候補に据えた。2016年就任の藤本昌義社長が大手五社との正面競合を避ける差別化路線を敷き、副業解禁とジョブ型雇用を業界に先駆けて導入、FY22に純利益1112億円で最高益を更新した。2024年就任の植村幸祐社長のもと、外部金融事情で束ねられた三系譜が独自の収益構造を築けるかが問われる。
営業利益販管費売上原価営業利益率
FY2006〜FY2025
建設・不動産13社調査済
食品・飲料11社調査済
化学・素材27社調査済
- INPEX粗利率57.0%(FY25)
- 日産化学粗利率46.4%(FY24)
- 日本ペイント粗利率42.3%(FY25)
- 富士フイルム粗利率40.7%(FY24)
- 日東電工粗利率39.0%(FY24)
- 信越化学工業粗利率38.4%(FY24)
- 旭化成粗利率31.5%(FY24)
- トクヤマ粗利率31.5%(FY24)
- クラレ粗利率30.5%(FY25)
- 三菱ケミカルグループ粗利率29.0%(FY24)
- 住友化学粗利率27.8%(FY24)
- 東ソー粗利率24.4%(FY24)
- レゾナックHD粗利率24.0%(FY25)
- 東洋紡粗利率23.0%(FY24)
- 北越コーポレーション粗利率22.5%(FY24)
- 三井化学粗利率21.5%(FY24)
- デンカ粗利率21.1%(FY24)
- ユニチカ粗利率20.3%(FY24)
- 東レ粗利率19.7%(FY24)
- 王子ホールディングス粗利率18.9%(FY24)
- UBE粗利率18.7%(FY24)
- レンゴー粗利率18.3%(FY24)
- 帝人粗利率18.2%(FY24)
- 日本触媒粗利率17.2%(FY24)
- ENEOS HD粗利率9.0%(FY24)
- 出光興産粗利率7.5%(FY24)
- 鐘紡
医薬品・医療13社調査済
鉄鋼・非鉄15社調査済
重工7社調査済
機械・精密22社調査済
- ディスコ粗利率70.6%(FY24)
- 横河電機粗利率47.6%(FY24)
- SMC粗利率45.8%(FY24)
- アマダ粗利率43.5%(FY24)
- コニカミノルタ粗利率42.5%(FY24)
- シチズン時計粗利率42.5%(FY24)
- 村田製作所粗利率41.2%(FY24)
- ファナック粗利率37.0%(FY24)
- 横浜ゴム粗利率36.2%(FY25)
- セイコーエプソン粗利率36.2%(FY24)
- 安川電機粗利率35.6%(FY24)
- ダイキン粗利率34.2%(FY24)
- 荏原製作所粗利率32.6%(FY25)
- コマツ粗利率32.2%(FY24)
- オークマ粗利率31.7%(FY24)
- 日立建機粗利率31.3%(FY24)
- TDK粗利率31.2%(FY24)
- クボタ粗利率29.3%(FY25)
- 太陽誘電粗利率21.0%(FY24)
- ミネベアミツミ粗利率17.8%(FY24)
- アルプスアルパイン粗利率17.7%(FY24)
- オムロン営業利益率3.6%(FY24)
電機・事務機18社調査済
半導体・部品12社調査済
自動車・部品18社調査済
- 日本特殊陶業粗利率39.5%(FY24)
- ブリヂストン粗利率38.5%(FY25)
- ヤマハ発動機粗利率31.0%(FY25)
- スズキ粗利率26.8%(FY24)
- トヨタ自動車粗利率26.1%(FY24)
- 豊田自動織機粗利率23.3%(FY24)
- 日本精工粗利率21.7%(FY24)
- マツダ粗利率21.5%(FY24)
- ホンダ粗利率21.5%(FY24)
- SUBARU粗利率20.9%(FY24)
- いすゞ自動車粗利率20.6%(FY24)
- 三菱自動車粗利率19.2%(FY24)
- 住友電工粗利率18.8%(FY24)
- 日野自動車粗利率17.4%(FY24)
- NTN粗利率17.1%(FY24)
- デンソー粗利率15.4%(FY24)
- ジェイテクト粗利率14.9%(FY24)
- 日産自動車粗利率13.4%(FY24)
インフラ・運輸22社調査済
- 東海旅客鉄道粗利率49.3%(FY24)
- 東日本旅客鉄道粗利率35.7%(FY24)
- 東急粗利率31.7%(FY24)
- 東武鉄道粗利率31.3%(FY24)
- 小田急電鉄粗利率29.8%(FY24)
- 京成電鉄粗利率27.8%(FY24)
- 京王電鉄粗利率25.0%(FY24)
- 西日本旅客鉄道粗利率24.5%(FY24)
- 大阪ガス粗利率19.6%(FY24)
- ANAホールディングス粗利率18.5%(FY24)
- 日本郵船粗利率18.1%(FY24)
- 商船三井粗利率17.9%(FY24)
- 川崎汽船粗利率17.4%(FY24)
- 東京ガス粗利率15.4%(FY24)
- 三菱倉庫粗利率12.8%(FY24)
- 関西電力粗利率10.8%(FY24)
- NIPPON EXPRESSホールディングス粗利率9.3%(FY25)
- 日本航空営業利益率9.1%(FY24)
- 日本郵政粗利率7.1%(FY24)
- 中部電力粗利率6.6%(FY24)
- ヤマトホールディングス粗利率4.0%(FY24)
- 東京電力ホールディングス粗利率3.4%(FY24)
IT・通信16社調査済
- クックパッド粗利率98.6%(FY25)
- ZOZO粗利率93.0%(FY24)
- クレディセゾン粗利率85.9%(FY24)
- トレンドマイクロ粗利率76.9%(FY25)
- メルカリ粗利率71.8%(FY24)
- ネクソン粗利率59.4%(FY25)
- DeNA粗利率56.5%(FY24)
- ソフトバンクグループ粗利率51.8%(FY24)
- ボーダフォン(現ソフトバンク)粗利率48.3%(FY24)
- KDDI粗利率42.4%(FY24)
- 野村総合研究所粗利率36.0%(FY24)
- 富士通粗利率32.9%(FY24)
- サイバーエージェント粗利率30.2%(FY25)
- NTT営業利益率12.0%(FY24)
- 楽天グループ営業利益率0.6%(FY25)
- ヤフー
総合商社8社調査済
小売・日用品17社調査済
金融19社調査済
- 大和証券グループ本社粗利率56.0%(FY24)
- 日本取引所グループ営業利益率54.9%(FY24)
- 横浜フィナンシャルグループ粗利率30.8%(FY24)
- しずおかフィナンシャルグループ粗利率29.9%(FY24)
- 千葉銀行粗利率29.7%(FY24)
- りそなホールディングス粗利率26.1%(FY24)
- ふくおかフィナンシャルグループ粗利率22.7%(FY24)
- 三菱UFJフィナンシャル・グループ粗利率19.6%(FY24)
- 東京海上ホールディングス粗利率17.3%(FY24)
- 三井住友フィナンシャルグループ粗利率16.9%(FY24)
- オリックス営業利益率16.7%(FY24)
- みずほフィナンシャルグループ粗利率12.9%(FY24)
- 三井住友トラストグループ粗利率12.6%(FY24)
- 野村ホールディングス営業利益率10.0%(FY24)
- あおぞら銀行粗利率7.6%(FY24)
- 第一生命ホールディングス粗利率7.3%(FY24)
- SOMPOホールディングス営業利益率6.2%(FY24)
- T&Dホールディングス粗利率5.3%(FY24)
- MS&ADインシュアランスグループホールディングス粗利率-8.5%(FY24)