The社史 — 上場企業の歴史を振り返る

日本の上場企業を中心とした501社の企業史をまとめた個人サイト。創業から現在に至る意思決定の軌跡を、財務データや業績推移とともに記録しています。

The社史

長期視点を普及する個人サイト

1993年 上場廃止
日活
1912年、活動写真が新興娯楽として有望視されるなか、横田商会・吉沢商店・福宝堂・エム・パテーの映画4商社が合同し、財界世話役の郷誠之助氏を創立委員長として資本金1000万円の日本活動写真株式会社が発足した。製作・配給・興行の統一を狙う日本初の映画トラストである。昭和恐慌期の倒産危機は、経営権を握った堀久作氏が役員会の反対を押し切った全作品のトーキー化と多摩川撮影所の新設で切り抜けた。 戦時統制で製作・配給機構を大映側へ移譲され、興行専業として終戦を迎えた。戦後は堀社長のもと劇場買収と日比谷の不動産で体力を蓄え、1954年に撮影所の竣工で製作を再開、『太陽の季節』と石原裕次郎氏の登場で「現代劇の日活」を確立する。だが観客がテレビへ流出しても堀社長は映画斜陽論を否定し、ホテルやボウリングへの拡張を続けた末に日比谷の日活国際会館を手放した。1971年、成人映画「日活ロマンポルノ」への転換で延命を選んだ。
売上高営業利益率
FY1970〜FY1985
1972年 上場廃止
汽車製造
1896年、鉄道資材の輸入一辺倒からの脱却を目指して、退官直後の鉄道局長・井上勝が大阪府西成郡川北村に資本金64万円で創立した。出資社員18人には岩崎久彌・住友吉左衛門・渋沢栄一・大倉喜八郎ら明治財界の中核と旧大藩諸侯が並び、創業からして国策会社の性格を帯びた。1901年8月に民間第1号機関車「1B1形」を完成させ、川崎造船所が参入する1911年まで国産機関車市場を独占した。 1949年に国鉄電化方針で蒸気機関車製造が中止されたのち、ボイラ・化工機・空調機・除雪機関車・新性能電車へ多角化を進め、1959年に車両事業80%を国鉄が占めた依存構造から、1964年には全社受注の国鉄比率が40%まで下がった。1962年に後藤悌次社長は「鉄道は斜陽産業」というアメリカ発の認識を引いて「改名議論」を語り、滋賀製作所の12〜13億円規模建設に踏み切った。多角化の方向性は正しかったが、いずれも競争優位性を持ち得なかった点に悲劇があった。
売上高営業利益率
FY1951〜FY1970
2011年 上場廃止
三洋電機
1947年、松下電器で約30年専務を務めた井植歳男氏が、GHQの財閥解体による公職追放を受けて独立し、大阪府守口で三洋電機製作所を創業した。松下から譲り受けた兵庫の北条工場で自転車用発電ランプを製造し、後発17社目でありながら松下仕込みの量産手法で1950年に国内シェア約7割を握った。義兄である松下幸之助氏と国内で正面から競わない配慮から、輸出と競合の薄い製品に活路を求めた。社名の三洋も太平洋・大西洋・印度洋に由来し、創業当初から海外へ目を向けていた。 1953年、各社が英フーバー社の特許を恐れて噴流式洗濯機への参入を控えるなか、国内で特許が成立しないと見切った同社は噴流式へ全面転換し、競合の約半額となる2万8000円で発売した。1961年に洗濯機国内首位を獲得すると、1976年には米シアーズの打診を受けてウォーイック社を31億円で取得し、アーカンソー州でカラーテレビの現地生産を始めた。1980年には年産96万台と松下やソニーを上回る北米生産体制を築き、誰も入っていない空白へ先回りする選び方が、家電から海外へと一貫した。
売上高営業利益率
FY1992〜FY2011
7974
任天堂
売上高11,649億円営業利益2,825億円
1889年、山内房治郎が京都の寺町通二条で花札の製造販売を始めた。山内家は既にセメント販売の灰孝本店を営んでおり、花札はあくまで副業だった。タバコを全国に売る村井兄弟商会の販路に相乗りし、購買層の重なる花札を一気に広げた。家内工業のまま西洋カルタにも手を伸ばし、商号を山内任天堂・丸福へと改めながら、京都の遊技具を作る小さな同業の一社として、外へ出ない経営が長く続いた。 1949年、山内積良の急逝で孫の山内溥が22歳で社長を継ぎ、下請けと人海戦術に頼る生産を本社工場へ集約して近代化した。1953年に国産初のプラスチック製トランプを量産し、ディズニー提携とテレビCMで国内シェア約80%を握る。だが1956年の渡米で全米最大手すら小さいトランプ市場の天井を見た溥は、タクシーや即席ライスへ多角化して全敗し、1966年「娯楽の外には出ない」と総合室内ゲーム企業へ絞り込んだ。
営業利益販管費売上原価営業利益率
FY2006〜FY2025
6758
ソニー
売上高120,349億円営業利益14,071億円
1946年、井深大と盛田昭夫が東京・日本橋の白木屋百貨店の焼け跡で、資本金19万円・従業員20人余りの東京通信工業を設立した。設備投資と販売網で大手が競う総合電機で、零細企業が技術だけで伍するのは難しい。最初の武器は技術ではなく特許で、1950年に安立電気とNECから高周波バイアス法特許を25万円で取得し、東芝・日立・松下のテープレコーダー参入を1960年まで封じた。この障壁の下で稼いだ10年が、技術と量産の力を蓄える時間になった。 1954年に井深はベル研のトランジスタ特許を900万円で導入し、テープレコーダーで蓄えた利益の大半を半導体に投じた。盛田はニューヨークに移り、米大手流通のOEM供給を断って自社「SONY」ブランドの輸出に賭けた。1968年のトリニトロン、1979年のウォークマンで世界の家電市場を定義する一方、同じ年に金融へ進み、ハード単品の脆さに備えた。1989年にはコロンビア映画を約48億ドルで買収し、ソフトとハードを自前で抱える垂直統合へ踏み込んだ。
営業利益その他販管費売上原価営業利益率
FY2006〜FY2025
7203
トヨタ自動車
売上高480,367億円営業利益47,955億円
1933年9月、豊田自動織機製作所の豊田喜一郎が社内に自動車部を設置し、織機特許のイギリス売却益を自動車研究の原資に充てた。本業の織機で稼いだ利益を、先行きの見えない自動車に注ぐことには社内の反発もあったが、社長の豊田利三郎がグループの利益を惜しまず投じて支えた。1935年にG1型トラックを完成させ、1937年にトヨタ自動車工業として独立。翌1938年に挙母町へ竣工した本社工場は刈谷組立工場の約50倍に達し、需要の確証を待たず量産設備を先に整えた。 1949年、ドッジ・ラインの緊縮で自動車需要が急減し、月賦販売の回収停滞が製造の資金繰りを圧迫した。トヨタは1600名の希望退職と製販分離で再建し、喜一郎は退任、住友銀行に融資を断られた経験が自己資金中心の財務体質を社内に根づかせた。人員を増やさず稼働率を高める制約から、大野耐一が標準化を浸透させて1963年にかんばん方式を全社導入する。1959年元町、1966年高岡と需要に先んじて量産拠点を建て、日産との競争を販売力から設備投資の規模と速度の勝負へ変えた。
営業利益販管費売上原価営業利益率
FY2006〜FY2025
9983
ファーストリテイリング
売上高34,005億円営業利益5,642億円
1949年3月、柳井等が山口県宇部市の宇部新川駅前で紳士服店メンズショップ小郡商事を開いた。宇部興産の石炭採掘を基幹とする企業城下町の商店街で、工員や職員の日常消費に支えられた零細店にとどまった。1972年に長男の柳井正がイトーヨーカ堂を経て家業に入り、10年余り店頭と仕入れを学ぶ間に宇部興産のリストラとモータリゼーションで商店街が衰え、先代から継いだ商圏の限界を見た。1984年6月の社長就任と同時に、広島の繁華街でユニクロ一号店を開いた。 広島繁華街の一号店は賃料と原価率が想定を超えて赤字となり、柳井正は1985年に下関の幹線道路沿いへロードサイド型を移し、車を持つ家族客に安い普段着を届けるモデルへ組み替えた。1991年9月の社名変更を機に長銀広島支店の融資で年30店へ出店を加速し、全店POSと毎週の売価変更会議で在庫をトップが直接握り、1994年7月の広島証取上場で約130億円を調達して、中国沿海部4社との委託生産で製造小売業を仕上げた。
営業利益販管費売上原価営業利益率
FY2006〜FY2025
6861
キーエンス
売上高10,591億円営業利益5,497億円
1972年、二度の起業に失敗した滝崎武光が、27歳で兵庫県伊丹市にリード電機を起こし、電線メーカー向けの自動線材切断機を作り始めた。倒産の経験から、売上の規模より利益率を先に置く判断軸を早くから持ち、地味な産業機械でも営業利益率2割を取った。翌年トヨタ向けに開発した金型保護のセンサーでは、原価ではなく顧客が現場で得る効果を基準に値付けし、代理店を通さず自社営業が製造現場へ直接通う直販を掲げた。 1982年、滝崎は営業利益率2割の祖業だった線材切断機事業を、まだ利益を出している段階で他社に売却し、粗利率4割を超えるセンサーへ経営資源を移した。既存事業が稼げているうちに手放す判断は、当時の中小製造業では異例だった。さらに営業利益の一部を毎月の給与へ直接加算する報酬の仕組みを創業3年目から運用し、利益率の高さが社員の収入に直結する構造を組織に組み込んだ。付加価値価格・直販・標準品特化の三原則を、創業者個人の判断から会社のルールへと移していった。
営業利益販管費売上原価営業利益率
FY2006〜FY2025
9435
光通信
売上高6,865億円営業利益1,050億円
1988年、NTT民営化で新電電各社が自前の販売網を持たず代理店へ販売を委ねた時期、日大を中退した重田康光氏が23歳で東京都豊島区に光通信を設立した。ホームテレホンの訪問販売から始め、半年後に第二電電と代理店契約を結んだ。1990年には事務機で大手に劣るシャープのOA機器を扱い、NTTタウンページに載る約530万社をアタックリストに、片端から電話して訪問で売る営業を組織化した。誰でも見えるが誰も手を付けない分散市場を、商品差別化ではなく営業の量で押さえた。 1994年に携帯電話専門店HITSHOPを開き、1998年のFC方式転換で1816店まで広げ、東証一部上場で時価総額は一時3兆円を超えた。だがFCに課した過酷な獲得ノルマが「寝かせ」と呼ぶ架空契約を生み、2000年の発覚で株価は約100分の1へ暴落、特別損失685億円をバブル期に持っていたソフトバンク株の売却益800億円で穴埋めして生き延びた。重田氏はHITSHOPを縮小し、複写機のストック収入と年1500名の大量採用営業で創業期の法人営業へ回帰した。
営業利益販管費売上原価営業利益率
FY2006〜FY2025

API for AI Agents — 静的アセットのJSONで取得可能。API実行の認証不要

Method Path 概要 API仕様書
GET https://the-shashi.com/api/companies.json 全社一覧 + 公開エンドポイント目録 openapi.yaml
GET https://the-shashi.com/api/{stock_code}/manifest.json リソース目録 + プロファイル openapi.yaml
GET https://the-shashi.com/api/{stock_code}/history.json 歴史概略 openapi.yaml
GET https://the-shashi.com/api/{stock_code}/timeline.json 沿革 openapi.yaml
GET https://the-shashi.com/api/{stock_code}/executives.json 役員 openapi.yaml
GET https://the-shashi.com/api/{stock_code}/shareholders.json 大株主 openapi.yaml
GET https://the-shashi.com/api/{stock_code}/financials.json 財務三表 openapi.yaml
GET https://the-shashi.com/api/{stock_code}/financials-longterm.json 長期業績 openapi.yaml
GET https://the-shashi.com/api/{stock_code}/segments.json 事業セグメント openapi.yaml
GET https://the-shashi.com/api/{stock_code}/regions.json 地域別売上 openapi.yaml
GET https://the-shashi.com/api/{stock_code}/workforce.json 従業員 openapi.yaml

鉄鋼3調査済

鉄鋼業界の歴史を読む →

石油4調査済

石油業界の歴史を読む →

建設・不動産33調査済

食品・飲料30調査済

化学・素材42調査済

医薬品・医療17調査済

鉄鋼・非鉄18調査済

重工9調査済

機械・精密45調査済

電機・事務機34調査済

半導体・部品13調査済

自動車・部品20調査済

インフラ・運輸34調査済

IT・通信39調査済

総合商社8調査済

小売・日用品42調査済

金融33調査済

サービス・外食28調査済