マキタ の歴史

更新:

創業

1915年

創業者

牧田茂三郎

創業地

愛知県名古屋市

直近売上高(2026/3)

7,776億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1915年に21歳の牧田茂三郎氏は経営不振の電気会社を引き取って創業できたのか
A 電機業界がまだ未成熟だった大正初期は、配電インフラが地方都市まで届いたばかりで、電灯器具やモーターを売り、壊れれば直す需要が大手のいない隙間に残されていた。資本も人手も乏しい若い小規模事業者にも参入の余地があったわけである。1915年3月、名古屋の材木商の子・牧田茂三郎氏は21歳で父の資金を借り、経営不振の明治電気を引き取って牧田電機製作所を個人創業した。茂三郎氏のほか17歳の後藤十次郎氏ら4名で始め、電灯会社・電鉄会社を主な得意先に、モーター・変圧器の販売と修理を業とした。売って直す一体の商いが、ここで根づいた。
Q なぜ後藤十次郎社長は1957年に汎用モーターから電動工具への「商売替え」を決断したのか
A 戦後、財閥解体が中止されて松下電器や日立が事業を再開すると、汎用モーターでは規模に勝る大手に中小は勝てず、価格で削り合うだけの先細りが見えた。そこで生き残る道を、大手が手薄な職人の現場に求めた。1955年に2代目社長へ就いた後藤十次郎氏は1957年に「商売替え」を宣言し、翌1958年1月に国産第一号の携帯用電気カンナを発売した。手で削っていた木材加工を電動化し、建設・木工という限られた顧客に絞り込むことで、大手モーター企業との正面衝突を避けた。汎用品の量産競争から、専業メーカーの製品で稼ぐ事業へ作り変えた決断であった。
Q なぜ2022年にエンジン製品から撤退し、2025年にバランスシート経営へ切り替えたのか
A 販売・修理一体の現場網は消耗品交換の多さがそのまま指名買いを生み、半世紀にわたり潤沢な手元資金を自前で稼ぎ出してきた。その資金の出どころと使い道を、後藤宗利社長は二度作り直している。一度目は2022年のエンジン製品撤退で、環境意識の高まりと充電式需要の伸びを見て、約100億円規模のエンジン事業をたたみコードレスへ経営資源を集中させた。二度目は2025年の資本政策で、バランスシート経営とキャッシュアロケーションを掲げ、総還元性向35%以上・年間配当の下限20円を定め、自己株式の取得と創業110周年の特別配当へためた資金を配り直した

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1915年〜 名古屋の電灯器具修理店から国産電気カンナへ──電動工具メーカーの源流

マキタの業績推移:単体

売上高(億円)
  1. 1915年 牧田電機製作所を創業
  2. 1938年 株式会社に改組
  3. 1945年 本社所在地の工場を新設
  4. 1958年 特殊モーター受注生産からの転換と、国産第一号の携帯用電気カンナによる電動工具専業化 大企業がモーター生産へ戻るなか、資本金1,000万円の町工場は何で食うか
  5. 1962年 マキタ電機製作所に商号変更
  6. 1962年 名古屋証券取引所二部に上場
  7. 1968年 東京証券取引所・大阪証券取引所二部に上場

牧田茂三郎氏の創業──材木商の子が引き取った経営不振の明治電気

1915年3月21日、名古屋の材木商の子・牧田茂三郎氏(当時21歳)が父の資金援助を受け、経営不振に陥っていた「明治電気」を引き取って「牧田電機製作所」として個人創業した。発祥の地は名古屋市中区横三ツ蔵町で、従業員15〜16人からの出発だった。創業メンバーは茂三郎氏のほか、17歳の後藤十次郎氏(のちの2代目社長)、ベテラン職人、小学校を卒業したばかりの少年が中核をなした。創業時の主力商品は50馬力モーター・変圧器などで、モーター・トランス・スイッチ類の販売修理を業とし、電灯会社・電鉄会社を主な得意先とした。当時の電機業界は未成熟で、パナソニックの創業(1918年)より3年早い参入にあたる。配電インフラが大正初期に地方都市まで広がり、若者中心の小規模事業者にも電動機器の販売修理という市場参入の余地があった時代である。 [1][2][3][4][5]

  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [1]1915年3月21日 牧田茂三郎が牧田電機製作所を個人創業
    • [3]発祥の地は名古屋市中区横三ツ蔵町、従業員15〜16人での出発
    • [5]創業時の主力商品は50馬力モーター・変圧器など。モーター・トランス・スイッチ類の販売修理を業とし電灯会社・電鉄会社を主な得意先とした
  • マキタ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
    • [2]創業者は牧田茂三郎(当時21歳・名古屋の材木商の子・父の資金援助を受け明治電気を引き取った)
    • [4]創業メンバーに17歳の後藤十次郎(のちの2代目社長)を含む

昭和初期の経済パニックを乗り越えたうえで、1938年12月、個人経営から株式会社牧田電機製作所に改組した。改組時の資本金は18万円、従業員は94名で、初代社長には創業者の牧田茂三郎氏が就いた。第二次世界大戦下では紡織機械・工作機械・木工製作機械などに使われるモーターの生産に注力した。1945年4月には、当時生産するモーターの6割までを納入していたワシノ機械(今村工場)との関係から、工場疎開を兼ねて愛知県安城市(現本社所在地)に工場を移し、戦後の本社所在地が確定した。終戦直後のモーター業界は、松下電器や日立など大手企業が財閥解体の対象に指定されて事業遂行が困難となり、マキタのような中小企業が辛うじて生き残る環境にあった。だが戦後の復興期には大手のマスプロ化に遅れをとり、苦境期を迎えることになる。 [6][7][8][9]

  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [6]1938年12月 個人経営から株式会社牧田電機製作所に改組。改組時の資本金18万円・従業員94名、初代社長は創業者の牧田茂三郎
    • [7]昭和初期の経済パニックを乗り越えた。第二次世界大戦下では紡織機械・工作機械・木工製作機械などに使われるモーターの生産に注力
    • [8]1945年4月 ワシノ機械(今村工場)に生産モーターの6割を納入していた関係から工場疎開を兼ね愛知県安城市(現本社所在地)に工場移転
    • [9]戦後の復興期には大手のマスプロ化に遅れをとり苦境期を迎えた
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [1]1915年3月21日 牧田茂三郎が牧田電機製作所を個人創業
    • [3]発祥の地は名古屋市中区横三ツ蔵町、従業員15〜16人での出発
    • [5]創業時の主力商品は50馬力モーター・変圧器など。モーター・トランス・スイッチ類の販売修理を業とし電灯会社・電鉄会社を主な得意先とした
    • [6]1938年12月 個人経営から株式会社牧田電機製作所に改組。改組時の資本金18万円・従業員94名、初代社長は創業者の牧田茂三郎
    • [7]昭和初期の経済パニックを乗り越えた。第二次世界大戦下では紡織機械・工作機械・木工製作機械などに使われるモーターの生産に注力
    • [8]1945年4月 ワシノ機械(今村工場)に生産モーターの6割を納入していた関係から工場疎開を兼ね愛知県安城市(現本社所在地)に工場移転
    • [9]戦後の復興期には大手のマスプロ化に遅れをとり苦境期を迎えた
  • マキタ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
    • [2]創業者は牧田茂三郎(当時21歳・名古屋の材木商の子・父の資金援助を受け明治電気を引き取った)
    • [4]創業メンバーに17歳の後藤十次郎(のちの2代目社長)を含む

後藤十次郎氏の「商売替え」と国産第一号の携帯用電気カンナ

1955年4月、創業者・牧田茂三郎氏に請われる形で、創業時からの社員であった後藤十次郎氏がマキタの2代目社長に就いた。1950年頃までに財閥解体が中止されると、松下電器・日立などの大手モーターメーカーが事業を再開し、汎用モーターでは中小のマキタに勝ち目がないという見通しが立った。後藤十次郎社長は1957年に「商売替え」を宣言し、新事業の育成へ経営の重心を切り替えた。汎用モーターから事業を引いて、何で生き残るかを問い直した転換点である。財閥解体が完遂されず大手が復帰したという外的な変化が、中小製造業の戦略選択を数年で狭めた局面でもある。 [10]

  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [10]1955年4月 後藤十次郎がマキタ2代目社長に就任(創業者・牧田茂三郎に請われ、創業時からの社員)

1958年1月、国産第一号の携帯用電気カンナを発売した。建設・木工の現場で職人が手作業で行ってきた木材削りを電動化する商品で、当時の現場道具はアナログが主流、電動工具自体が普及していなかった。同年8月には電気ミゾキリを世に出し、相次ぐ新機種開発で電動工具界に新風を起こした。マキタはこの一商品を起点に、ドリル・サンダー等の電動工具へラインナップを広げ、建築・木工・金属加工現場向けの専業メーカーへ主力を移した。汎用モーターメーカーから電動工具メーカーへの転身は、商売替え宣言から1年での具体的な打ち手であった。職人の現場という限定された顧客層に絞り込むことで、大手モーター企業との直接競争を回避する選択である。 [11][12][13]

  • マキタ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
    • [11]1958年1月 国産第一号の携帯用電気カンナを発売
    • [13]電気カンナを起点にドリル・サンダー等の電動工具へ広げ専業メーカーへ主力を移した
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [12]1958年8月 電気ミゾキリを発売し、相次ぐ新機種開発で電動工具界に新風を起こした

1962年5月、商号を株式会社マキタ電機製作所に変更し、同年8月に名古屋証券取引所市場第二部に上場した。同年からマキタは全国アフターサービス網への投資を開始する。電動工具は修理・消耗品交換が頻繁に必要な商材で、本社直営の修理拠点を全国に敷くことで職人の指名買いを生み、競合との差別化要因として作用した。1968年8月には東京・大阪両証券取引所市場第二部に上場、1970年7月には東京・名古屋・大阪証券取引所市場第一部に指定替えと、上場後8年で全国主要市場の一部市場へ昇格した。高度経済成長期の住宅建設・公共工事の拡大が、電動工具の需要側を押し上げた局面である。1968年時点のマキタは借入金皆無・高成長・高収益・高配当で株式市場の人気銘柄筆頭とされ、主力製品は国内で高シェアを占め、すでに海外55カ国へ輸出していた。1959年2月期を100%とすれば1968年2月期は1830%の伸びである。 [14][15][16][17][18][19]

  • マキタ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
    • [14]1962年5月 商号を株式会社マキタ電機製作所に変更
    • [15]1962年8月 名古屋証券取引所市場第二部に上場
    • [16]1968年8月 東京・大阪両証券取引所市場第二部に上場
    • [17]1970年7月 東京・名古屋・大阪証券取引所市場第一部に指定替え
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [18]1968年時点で借入金皆無・高成長・高収益・高配当を背景に株式市場で人気銘柄の筆頭とされ、主力製品は国内で高シェア・すでに海外55カ国へ輸出していた
    • [19]1959年2月期を100%とすると1968年2月期の伸び率は1830%
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [10]1955年4月 後藤十次郎がマキタ2代目社長に就任(創業者・牧田茂三郎に請われ、創業時からの社員)
    • [12]1958年8月 電気ミゾキリを発売し、相次ぐ新機種開発で電動工具界に新風を起こした
    • [18]1968年時点で借入金皆無・高成長・高収益・高配当を背景に株式市場で人気銘柄の筆頭とされ、主力製品は国内で高シェア・すでに海外55カ国へ輸出していた
    • [19]1959年2月期を100%とすると1968年2月期の伸び率は1830%
  • マキタ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
    • [11]1958年1月 国産第一号の携帯用電気カンナを発売
    • [13]電気カンナを起点にドリル・サンダー等の電動工具へ広げ専業メーカーへ主力を移した
    • [14]1962年5月 商号を株式会社マキタ電機製作所に変更
    • [15]1962年8月 名古屋証券取引所市場第二部に上場
    • [16]1968年8月 東京・大阪両証券取引所市場第二部に上場
    • [17]1970年7月 東京・名古屋・大阪証券取引所市場第一部に指定替え

海外進出の起点──マキタUSA設立と欧州・オセアニア展開

1970年7月、米国にマキタUSA Inc.を設立し、北米市場参入の起点をつくった。同月、愛知県岡崎市に岡崎工場を新設し、国内生産能力の増強と海外初拠点設立を同時実行した。1971年9月にはマキタ・フランスSA(フランス)、1972年12月にはマキタ・エレクトリック(UK)(英国)、1973年5月にはマキタ・オーストラリアPty Ltd(オーストラリア)と、欧州・オセアニア各国に販売子会社を順次設立した。1973年6月にはアムステルダム証券取引所に大陸預託証券CDR形式で上場し、欧州資本市場での資金調達手段を獲得した。1977年2月には米国預託証券ADR発行に伴いナスダックで取引開始し、北米資本市場へのアクセスも整えた。 [20][21][22][23][24]

  • マキタ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
    • [20]1970年7月 米国にマキタUSA Inc.を設立
    • [21]1970年7月 愛知県岡崎市に岡崎工場を新設
    • [22]1971年9月 マキタ・フランスSA、1972年12月 マキタ・エレクトリック(UK)、1973年5月 マキタ・オーストラリアPty Ltd を設立
    • [23]1973年6月 アムステルダム証券取引所に大陸預託証券CDR形式で上場
    • [24]1977年2月 米国預託証券ADR発行に伴いナスダックで取引開始

1974年5月にはマキタ・ベネルックス(オランダ)、同年6月にはマキタSpA(イタリア)、1977年4月にはマキタ・ヴェルクツォイクGmbH(ドイツ)、1981年6月にはマキタ・ド・ブラジル(ブラジル)、1981年9月にはオーストリア子会社、1983年4月にはマキタ・パワー・ツールズ・シンガポール、1984年9月にはマキタ・コーポレーション・オブ・アメリカ(米国統括会社)と、1970年代後半から1980年代前半に欧州・米州・東南アジアの主要国に販売子会社を立て続けに設立した。創業60年目の1975年前後から始まる10年間で、国内電動工具メーカーから世界10カ国超に販売拠点を持つ国際企業への転身を果たした。 [25][26][27]

  • マキタ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
    • [25]1974年5月 マキタ・ベネルックス(オランダ)、1974年6月 マキタSpA(イタリア)を設立
    • [26]1977年4月 マキタ・ヴェルクツォイクGmbH(ドイツ)を設立
    • [27]1981年6月 マキタ・ド・ブラジル、1981年9月 オーストリア子会社、1983年4月 マキタ・パワー・ツールズ・シンガポール、1984年9月 マキタ・コーポレーション・オブ・アメリカ(米国統括会社)を設立
  • マキタ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
    • [20]1970年7月 米国にマキタUSA Inc.を設立
    • [21]1970年7月 愛知県岡崎市に岡崎工場を新設
    • [22]1971年9月 マキタ・フランスSA、1972年12月 マキタ・エレクトリック(UK)、1973年5月 マキタ・オーストラリアPty Ltd を設立
    • [23]1973年6月 アムステルダム証券取引所に大陸預託証券CDR形式で上場
    • [24]1977年2月 米国預託証券ADR発行に伴いナスダックで取引開始
    • [25]1974年5月 マキタ・ベネルックス(オランダ)、1974年6月 マキタSpA(イタリア)を設立
    • [26]1977年4月 マキタ・ヴェルクツォイクGmbH(ドイツ)を設立
    • [27]1981年6月 マキタ・ド・ブラジル、1981年9月 オーストリア子会社、1983年4月 マキタ・パワー・ツールズ・シンガポール、1984年9月 マキタ・コーポレーション・オブ・アメリカ(米国統括会社)を設立

1970年〜 海外売上比率8割超への国際化と電動化シフト──世界55カ国販売網の構築

マキタの業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1970年 マキタUSAの設立と、欧州・オセアニア各国への販売子会社網の構築 55カ国へ輸出しながら現地に会社を持たなかった電動工具メーカーは、なぜ自前の販社を並べたか
  2. 1970年 岡崎工場を新設
  3. 1971年 マキタ・フランスを設立
  4. 1973年 アムステルダム証券取引所に上場
  5. 1977年 ナスダックでADR取引開始
  6. 1991年 ザックス・ドルマーを買収
  7. 2005年 城山開発の経営権を譲渡

後藤昌彦体制の発足と1991年商号変更──マキタへ

1989年5月、後藤昌彦氏(1971年3月マキタ入社、1984年5月取締役総合企画室長、1987年7月常務取締役管理本部長)が代表取締役社長に就任した。同年同月、決算期を2月20日から3月31日に変更し、会計年度を一般的な日本企業基準に合わせた。1989年12月には英国にマキタ・マニュファクチュアリング・ヨーロッパLtdを設立して欧州生産拠点を構築、1991年1月にはチェーンソーメーカーのザックス・ドルマーGmbH(ドイツ)を買収してドルマーGmbHに改称、欧州チェーンソー事業を取り込んだ。1991年4月、商号を「株式会社マキタ」に変更し、創業76年目で現在の社名が確定した。商号変更と同時期の海外生産・買収による事業拡張は、後藤昌彦社長在任中の国際化加速の起点である。 [28][29][30][31][32]

  • マキタ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
    • [28]1989年5月 後藤昌彦が代表取締役社長に就任(1971年3月入社、1984年5月取締役総合企画室長、1987年7月常務取締役管理本部長)
    • [29]1989年5月 決算期を2月20日から3月31日に変更
    • [30]1989年12月 英国にマキタ・マニュファクチュアリング・ヨーロッパLtdを設立
    • [31]1991年1月 ザックス・ドルマーGmbH(ドイツ)を買収しドルマーGmbHに改称
    • [32]1991年4月 商号を株式会社マキタに変更

1992年7月の香港子会社設立、1993年11月のニュージーランド子会社設立、1993年12月の牧田(中国)有限公司設立(中国生産拠点)、1994年7月のポーランド子会社設立、1994年11月のメキシコ子会社設立と、1990年代前半に中国・東欧・中南米へ販売・生産拠点を拡張した。1995年4月には英国にマキタ・インターナショナル・ヨーロッパLtdとオランダにユーロ・マキタ・コーポレーションBVを設立し、欧州統括体制と物流体制を整備した。後藤昌彦社長就任の最初の5年間で、東アジア・東欧・中南米の3地域に販売・生産拠点を展開し、世界各地域への直接アクセス体制を整えた。 [33][34]

  • マキタ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
    • [33]1992年7月 香港子会社、1993年11月 ニュージーランド子会社、1993年12月 牧田(中国)有限公司、1994年7月 ポーランド子会社、1994年11月 メキシコ子会社を設立
    • [34]1995年4月 英国にマキタ・インターナショナル・ヨーロッパLtd、オランダにユーロ・マキタ・コーポレーションBVを設立
  • マキタ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
    • [28]1989年5月 後藤昌彦が代表取締役社長に就任(1971年3月入社、1984年5月取締役総合企画室長、1987年7月常務取締役管理本部長)
    • [29]1989年5月 決算期を2月20日から3月31日に変更
    • [30]1989年12月 英国にマキタ・マニュファクチュアリング・ヨーロッパLtdを設立
    • [31]1991年1月 ザックス・ドルマーGmbH(ドイツ)を買収しドルマーGmbHに改称
    • [32]1991年4月 商号を株式会社マキタに変更
    • [33]1992年7月 香港子会社、1993年11月 ニュージーランド子会社、1993年12月 牧田(中国)有限公司、1994年7月 ポーランド子会社、1994年11月 メキシコ子会社を設立
    • [34]1995年4月 英国にマキタ・インターナショナル・ヨーロッパLtd、オランダにユーロ・マキタ・コーポレーションBVを設立

海外売上比率8割超──電動工具世界トップ3への接近

2000年代以降、マキタの海外売上比率は8割を超え、国内市場(約2割)と海外市場(約8割)の構造が定着した。地理的セグメント別では欧州(30%超)、北米(20%超)、アジア・中東(20%超)、その他(10%前後)と地域分散した売上構成で、ドイツのボッシュ、米国のスタンレー・ブラック&デッカー(旧ブラック&デッカー)と並ぶ世界電動工具トップ3メーカーのポジションを獲得した。2002年3月期の連結売上高166,169百万円から、2011年3月期約3,000億円、2021年3月期約6,000億円規模まで、20年間で約3.7倍に拡大した。

会計基準は2001年からUSGAAPを採用し、米国資本市場での評価を受けやすい開示基盤を整えた。後に2015年3月期からIFRSへ移行し、欧州・アジア機関投資家向けの開示基盤も整備した。海外売上比率8割超という構造は、為替リスクへの感応度を高める一方で、特定地域の景気変動に左右されにくい地域分散効果を経営の安定要因へ寄与させた。1990年代後半から2000年代の20年間が、マキタを世界トップ3電動工具メーカーへ押し上げた成熟拡大期で、創業者から数えて4代目以降の経営承継期に重なる。同期間の連結売上拡大ペースは年平均7-8%で、電動工具市場の世界的なプロ用化・コードレス化の波と整合した成長軌跡である。

堀司郎体制(2013年3月期~2016年3月期)── 後藤昌彦氏から後藤宗利氏への中継ぎ

2013年6月、後藤昌彦氏は代表取締役会長へ転じ、堀司郎氏が代表取締役社長に就任した。堀氏在任の4年間(2013年3月期~2016年3月期)は、リーマンショック後の世界経済回復期から中国・新興国市場の拡大期に重なり、海外売上比率の高いマキタにとって為替・現地経済の影響を受けやすい局面である。同期間の連結売上高は2012年3月期の約3,000億円から2016年3月期の約4,200億円まで微増にとどまり、急成長期から踊り場局面に入った時期である。2010年代前半は世界各地の住宅建設市場・建築現場でリチウムイオン電池駆動のコードレス工具へのシフトが本格化した時期で、ボッシュ・スタンレー・ブラック&デッカー等のグローバル競合との競争軸が、有線工具からコードレス工具へ移行した。 [35]

  • マキタ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
    • [35]2013年6月 後藤昌彦が代表取締役会長へ転じ、堀司郎が代表取締役社長に就任

堀司郎社長在任中の経営課題は、世界55カ国規模の販売網と国内・中国・欧州の生産拠点を持つ多国籍体制の効率化、そしてリチウムイオン電池駆動のコードレス工具シフトへの本格対応である。同期間にマキタはコードレス工具のラインナップを拡張し、ブラシレスモーターを採用したプロ向け電動工具の開発を加速した。2013年6月就任の堀社長から2017年6月就任の後藤宗利社長への4年間は、創業家系から非創業家系を経て創業家系(後藤宗利氏は後藤昌彦氏の親族)へ戻る経営承継の中継ぎ期間で、堀氏は次代を担う後藤宗利氏(海外営業本部長)への引き継ぎを念頭に置いた経営運営を行った。 [36]

  • マキタ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
    • [36]堀司郎は2013年6月就任、後藤宗利は2017年6月就任で在任4年、後藤宗利は後藤昌彦の親族(海外営業本部長)
  • マキタ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
    • [35]2013年6月 後藤昌彦が代表取締役会長へ転じ、堀司郎が代表取締役社長に就任
    • [36]堀司郎は2013年6月就任、後藤宗利は2017年6月就任で在任4年、後藤宗利は後藤昌彦の親族(海外営業本部長)

2017年〜 バッテリー電動化シフトとバランスシート経営──創業110周年への新基盤

マキタの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2019年 尼寺空圧工業を子会社化
  2. 2021年 尼寺空圧工業を吸収合併
  3. 2022年 プライム・プレミア市場へ移行

後藤宗利体制の発足とエンジン製品生産終了

2017年6月、後藤昌彦会長の親族で1999年4月入社の生え抜き・後藤宗利氏(海外営業管理部長→取締役執行役員海外営業本部長)が代表取締役社長に就任した。海外営業出身の社長として、世界55カ国規模の販売網を電動化シフトに合わせて再構成する局面の責任者である。同氏就任時の連結売上高は2017年3月期の414,999百万円、営業利益約650億円規模で、創業100周年(2015年)を経た成熟期から次世代電動化への転換期に経営が承継された。後藤宗利氏の海外営業本部長としての経歴は、世界55カ国の販売子会社の現地需要・規制動向・競合動向を一次情報として把握する立場で、エンジン製品から電動製品への完全移行を判断する経営判断の基盤である。 [37]

  • マキタ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
    • [37]2017年6月 後藤宗利が代表取締役社長に就任(後藤昌彦会長の親族・1999年4月入社の生え抜き・海外営業管理部長→海外営業本部長)

2022年、マキタはエンジン製品の生産を終了した。それまでチェーンソー・刈払機・ブロワー等の屋外作業用機器でガソリンエンジン製品を展開していたが、リチウムイオン電池駆動のコードレス工具への完全移行を決断した。背景には、欧州各国のエンジン製品規制強化(特に都市部での騒音・排ガス規制)、リチウムイオン電池技術の進化による出力向上、そしてマキタ・ボッシュ・スタンレー連合が形成する電動工具業界全体のコードレス化加速がある。後藤宗利社長の就任から5年で、創業以来の電動の系譜にエンジン製品を含めない事業領域の絞り込みを実行した。 [38][39]

    • [38]2022年 マキタはエンジン製品の生産を終了
    • [39]従来チェーンソー・刈払機・ブロワー等の屋外作業用機器でガソリンエンジン製品を展開、リチウムイオン電池駆動のコードレス工具へ完全移行
  • マキタ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
    • [37]2017年6月 後藤宗利が代表取締役社長に就任(後藤昌彦会長の親族・1999年4月入社の生え抜き・海外営業管理部長→海外営業本部長)
    • [38]2022年 マキタはエンジン製品の生産を終了
    • [39]従来チェーンソー・刈払機・ブロワー等の屋外作業用機器でガソリンエンジン製品を展開、リチウムイオン電池駆動のコードレス工具へ完全移行

コードレス電動化シフトの収益効果

FY22(2023年3月期)以降、コードレス工具・電動草刈機・電動チェーンソー等の電動屋外作業用機器が成長軸である。FY22の連結売上高は764,702百万円、営業利益28,246百万円・営業利益率3.7%と、原材料費高騰と為替変動による収益圧迫局面である。FY23(2024年3月期)は売上741,391百万円・営業利益66,169百万円・営業利益率8.9%、FY24(2025年3月期)は売上753,130百万円・営業利益107,038百万円・営業利益率14.2%と、2期で営業利益率を10ポイント以上回復した。

エンジン製品撤退後の収益正常化は、コードレス工具シフトの効果として表面化した。リチウムイオン電池の標準化(同一バッテリープラットフォームを多製品で共用)、コードレス工具の高出力化(DCブラシレスモーターの普及)、欧州都市部の排ガス・騒音規制が押し上げる電動屋外機器の需要拡大という3要因が組み合わさり、世界55カ国の販売網全体で電動化の収益が顕在化した期間である。コードレス工具は1台当たりの単価が有線工具より高く、バッテリーやチャージャー等の周辺製品も同時購入される傾向があり、ストック型の収益構造に近い形でリピート購入を促す。 [40]

バランスシート経営と総還元性向35%以上の方針

2025年7月発行の統合報告書「マキタレポート2025」で、後藤宗利社長はバランスシート経営の重要性を明示した。あるべき適切なキャッシュ水準を実現するためのキャッシュアロケーション設計を経営方針の中軸に据え、成長投資・株主還元・利益剰余金のバランスを定期的に議論する体制を提示した。株主還元では年間配当金20円を下限とし、総還元性向35%以上を方針として明確化、2025年3月期の総還元性向は37.3%、創業110周年記念の6円特別配当を含む1株当たり年間配当金110円(中間20円・期末90円)を実施した。 [41][42]

    • [41]2025年7月 統合報告書「マキタレポート2025」で後藤宗利社長がバランスシート経営の重要性を明示
    • [42]年間配当金20円を下限・総還元性向35%以上を方針化、2025年3月期の総還元性向37.3%、6円特別配当を含む1株当たり年間配当金110円(中間20円・期末90円)

2025年4月28日付で自己株式の取得も発表し、財務政策の柔軟性を高めた。成長投資は電動工具を軸とした中長期的な成長を見据え、倉庫スペース拡張投資と既存工場への設備導入を優先する配分方針を提示した。創業110周年(2025年)の節目で、世界55カ国の販売網と国内・海外の生産拠点を活かしたコードレス工具・電動屋外作業用機器の事業基盤を、バランスシート経営の枠組みで再整理する局面に入った。自社レポート2025では、2030年度(2031年3月期)までに2020年度比でGHG排出量を半減することを中期目標として設定した。電動工具・電動屋外作業用機器のメーカーとして、自社製品の使用段階でのGHG削減(コードレス化によるエンジン排ガス削減)と、自社操業(生産・物流)におけるエネルギー源転換の両軸で対応する方針である。 [43][44]

    • [43]2025年4月28日付で自己株式の取得を発表
    • [44]2030年度(2031年3月期)までに2020年度比でGHG排出量を半減する中期目標

創業110年の節目で、後藤宗利社長在任中のマキタは「コードレス電動工具メーカーとしての世界トップ3ポジション維持」と「バランスシート経営によるキャッシュ水準最適化」と「2030年度GHG排出量半減」の3軸を同時並行で経営課題に据える。創業者・牧田茂三郎氏が1915年に名古屋で立ち上げた電灯器具修理店から、世界55カ国販売網を持つコードレス電動工具メーカーへの転身を、創業家系の経営承継のもとで継続する局面である。気候変動リスクの分析では、暑熱環境下における作業環境改善のための製品需要増加(短〜中期)と、自宅で過ごす時間の長期化によるDIY需要増加(短〜中期)を機会要因に位置付ける。 [45]

  • マキタ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
    • [45]創業者・牧田茂三郎が1915年に名古屋で電灯器具修理店を立ち上げた
    • [41]2025年7月 統合報告書「マキタレポート2025」で後藤宗利社長がバランスシート経営の重要性を明示
    • [42]年間配当金20円を下限・総還元性向35%以上を方針化、2025年3月期の総還元性向37.3%、6円特別配当を含む1株当たり年間配当金110円(中間20円・期末90円)
    • [43]2025年4月28日付で自己株式の取得を発表
    • [44]2030年度(2031年3月期)までに2020年度比でGHG排出量を半減する中期目標
  • マキタ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
    • [45]創業者・牧田茂三郎が1915年に名古屋で電灯器具修理店を立ち上げた

マキタの沿革1915〜2022年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
牧田電機製作所を創業★★
株式会社に改組
本社所在地の工場を新設
特殊モーター受注生産からの転換と、国産第一号の携帯用電気カンナによる電動工具専業化大企業がモーター生産へ戻るなか、資本金1,000万円の町工場は何で食うか 詳細を読む★★★
マキタ電機製作所に商号変更
名古屋証券取引所二部に上場
東京証券取引所・大阪証券取引所二部に上場
マキタUSAの設立と、欧州・オセアニア各国への販売子会社網の構築55カ国へ輸出しながら現地に会社を持たなかった電動工具メーカーは、なぜ自前の販社を並べたか 詳細を読む★★★
岡崎工場を新設
マキタ・フランスを設立
アムステルダム証券取引所に上場
ナスダックでADR取引開始
ルクセンブルグ証券取引所に上場
マキタ・コーポレーション・オブ・アメリカを設立
城山開発を設立
マキタ・タイワンを設立
後藤昌彦マキタ・マニュファクチュアリング・ヨーロッパを設立
後藤昌彦ザックス・ドルマーを買収★★
後藤昌彦マキタに商号変更
後藤昌彦牧田を設立
後藤昌彦マキタ一宮を設立
後藤昌彦ルクセンブルグ証券取引所上場廃止
後藤昌彦牧田(昆山)を設立
後藤昌彦城山開発が民事再生手続開始
後藤昌彦城山開発の経営権を譲渡★★
後藤昌彦兼松日産農林の自動釘打機事業を譲受
後藤昌彦富士ロビンを子会社化
後藤昌彦マキタ・タイ生産拠点を設立
堀司郎マキタ沼津を吸収合併
堀司郎ナスダック上場廃止
後藤宗利尼寺空圧工業を子会社化
後藤宗利尼寺空圧工業を吸収合併
後藤宗利プライム・プレミア市場へ移行
出典・参考
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
  • マキタ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
  • マキタレポート2025

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