創業1915年3月、名古屋の材木商の子・牧田茂三郎氏(当時21歳)が父の資金で経営不振の明治電気を引き取り、「牧田電機製作所」として個人創業した。創業メンバーは茂三郎氏、17歳の後藤十次郎氏(のちの2代目社長)、ベテラン職人、小学校を卒業したばかりの少年の4名で、電灯器具・モーター・変圧器の販売修理を主力とした。電機業界はまだ未成熟で、パナソニック創業(1918年)より3年早い参入である。1945年4月に戦時疎開で愛知県安城市(現本社所在地)へ工場を移した。
決断1955年に後藤十次郎氏が2代目社長へ就き、1957年に「商売替え」を宣言した。財閥解体中止で松下電器・日立など大手モーターメーカーが復帰、汎用モーターでは中小に勝ち目がなくなった環境への対応である。1958年1月に国産第一号の携帯用電気カンナを発売、手作業の木材削りを電動化する新市場を開いた。1962年から全国アフターサービス網に投資し、修理・消耗品交換の頻度を逆手に取って職人の指名買いを生む基盤を築いた。1991年1月のザックス・ドルマー(独)買収で欧州チェーンソー事業を取り込んだ。
課題2022年にエンジン製品の生産を終え、リチウムイオン電池駆動のコードレス工具へ完全移行した。FY24(2025年3月期)連結売上753,130百万円・営業利益107,038百万円・営業利益率14.2%と2期で10ポイント以上の回復、世界55カ国販売網と海外売上比率8割超の構造が温存された。2025年7月の統合報告書でバランスシート経営・総還元性向35%以上・2030年度GHG排出量半減(2020年度比)の3軸を提示、ボッシュ・スタンレーとの技術競争のなかで電動化シフトを完遂できるかが直近の主題である。
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歴史概略
1915年〜1969年名古屋の電灯器具修理店から国産電気カンナへ──電動工具メーカーの源流
牧田茂三郎の創業──材木商の子が引き取った経営不振の明治電気
1915年3月、名古屋の材木商の子・牧田茂三郎氏(当時21歳)が父の資金援助を受け、経営不振に陥っていた「明治電気」を引き取って「牧田電機製作所」として個人創業した。創業メンバーは茂三郎氏のほか、17歳の後藤十次郎氏(のちの2代目社長)、ベテラン職人、小学校を卒業したばかりの少年の計4名である。創業時の主力商品は50馬力モーター・変圧器などで、電灯器具・モーターの販売修理を併営した。当時の電機業界は未成熟で、パナソニックの創業(1918年)より3年早い参入にあたる。配電インフラが大正初期に地方都市まで広がり、若者中心の小規模事業者にも電動機器の販売修理という市場参入の余地があった時代である。
1938年12月、個人経営から株式会社牧田電機製作所に改組した。1945年4月には戦時疎開を兼ねて愛知県安城市住吉町(現本社所在地)に工場を移し、戦後の本社所在地が確定した。終戦直後のモーター業界は、松下電器や日立など大手企業が財閥解体の対象に指定されて事業遂行が困難となり、マキタのような中小企業が辛うじて生き残る環境にあった。戦後復興期の住宅建設・公共インフラ復旧工事が電気機器の販売修理需要を中部圏全域で押し上げ、マキタは安城市を本拠とする中部圏の地場電機業者の地位を保った。だがこの環境は長く続かない構造的な脆さを内包していた。
後藤十次郎の「商売替え」と国産第一号の携帯用電気カンナ
1955年、創業者・牧田茂三郎氏に請われる形で、創業時からの社員であった後藤十次郎氏がマキタの2代目社長に就いた。1950年頃までに財閥解体が中止されると、松下電器・日立などの大手モーターメーカーが事業を再開し、汎用モーターでは中小のマキタに勝ち目がないという見通しが立った。後藤十次郎社長は1957年に「商売替え」を宣言し、新事業の育成へ経営の重心を切り替えた。汎用モーターから事業を引いて、何で生き残るかを問い直した転換点である。財閥解体が完遂されず大手が復帰したという外的な変化が、中小製造業の戦略選択を数年で狭めた局面でもある。
1958年1月、国産第一号の携帯用電気カンナを発売した。建設・木工の現場で職人が手作業で行ってきた木材削りを電動化する商品で、当時の現場道具はアナログが主流、電動工具自体が普及していなかった。マキタはこの一商品を起点に、ドリル・サンダー等の電動工具へラインナップを広げ、建築・木工・金属加工現場向けの専業メーカーへ事業の重心を移した。汎用モーターメーカーから電動工具メーカーへの転身は、商売替え宣言から1年での具体的な打ち手であった。職人の現場という限定された顧客層に絞り込むことで、大手モーター企業との直接競争を回避する選択である。
1962年5月、商号を株式会社マキタ電機製作所に変更し、同年8月に名古屋証券取引所市場第二部に上場した。同年からマキタは全国アフターサービス網への投資を開始する。電動工具は修理・消耗品交換が頻繁に必要な商材で、本社直営の修理拠点を全国に敷くことで職人の指名買いを生み、競合との差別化要因として作用した。1968年8月には東京・大阪両証券取引所市場第二部に上場、1970年7月には東京・名古屋・大阪証券取引所市場第一部に指定替えと、上場後8年で全国主要市場の一部市場へ昇格した。高度経済成長期の住宅建設・公共工事の拡大が、電動工具の需要側を押し上げた局面である。
海外進出の起点──マキタUSA設立と欧州・オセアニア展開
1970年7月、米国にマキタUSA Inc.を設立し、北米市場参入の起点をつくった。同月、愛知県岡崎市に岡崎工場を新設し、国内生産能力の増強と海外初拠点設立を同時実行した。1971年9月にはマキタ・フランスSA(フランス)、1972年12月にはマキタ・エレクトリック(UK)(英国)、1973年5月にはマキタ・オーストラリアPty Ltd(オーストラリア)と、欧州・オセアニア各国に販売子会社を順次設立した。1973年6月にはアムステルダム証券取引所に大陸預託証券CDR形式で上場し、欧州資本市場での資金調達手段を獲得した。1977年2月には米国預託証券ADR発行に伴いナスダックで取引開始し、北米資本市場へのアクセスも整えた。
1974年5月にはマキタ・ベネルックス(オランダ)、同年6月にはマキタSpA(イタリア)、1977年4月にはマキタ・ヴェルクツォイクGmbH(ドイツ)、1981年6月にはマキタ・ド・ブラジル(ブラジル)、1981年9月にはオーストリア子会社、1983年4月にはマキタ・パワー・ツールズ・シンガポール、1984年9月にはマキタ・コーポレーション・オブ・アメリカ(米国統括会社)と、1970年代後半から1980年代前半に欧州・米州・東南アジアの主要国に販売子会社を立て続けに設立した。創業60年目の1975年前後から始まる10年間で、国内電動工具メーカーから世界10カ国超に販売拠点を持つ国際企業への転身を果たした。
以降は執筆中