創業1915年3月、名古屋の材木商の子・牧田茂三郎氏が21歳で父の資金を借り、経営不振の明治電気を引き取って牧田電機製作所を個人創業した。茂三郎氏のほか17歳の後藤十次郎氏(のちの2代目社長)、職人、小学校を出たばかりの少年の4名で始め、電灯器具・モーター・変圧器の販売と修理を主力とした。電機業界はまだ未成熟で、パナソニックの創業より3年早い参入である。配電インフラが地方都市まで届いた大正初期は、若い小規模事業者にも電動機器を売り、直す余地が残されていた。
決断戦後、財閥解体が中止されて松下電器や日立が事業を再開すると、汎用モーターでは中小に勝ち目がなくなった。1955年に2代目社長へ就いた後藤十次郎氏はこれを早く読み、1957年に「商売替え」を宣言する。翌1958年、国産第一号の携帯用電気カンナを発売し、職人が手で削っていた木材加工を電動化して、建設・木工の現場という限られた顧客に絞り込んだ。さらに1962年からは全国に直営の修理網を敷き、消耗品交換の多さを逆手に取って職人の指名買いを引き出す。売って直す一体の商いを、専業メーカーの強みへ作り変えた。
- 歴史詳細 3章・6,137字
メインコンテンツ。一次資料をベースに歴史を紐解く
- 沿革年表 68件
主要な出来事を重要度別に時系列で整理
- 長期業績 1967〜2025年(59カ年)
有価証券報告書などの公開データに基づく長期データ
- 直近の業績
業績推移と経営体制
- セグメント情報 2005〜2025年(21カ年)
各事業の売上・営業利益・利益率の推移
- 歴代社長 3名
代表取締役社長・CEO の在任期間・経歴・在任中の施策
- 取締役一覧 2018〜2025年(8カ年)
取締役の構成バランスと社外独立性
- 大株主・株主構成 2005〜2024年(20カ年)
上位10名の入れ替わりと所有者区分7区分の推移
- 組織と給料 2011〜2025年(15カ年)
連結/単体の年次変化と業界他社の平均給与比較
決断の理由 — クリティカルな歴史の転換点を読み解く
- Q なぜ1915年に21歳の牧田茂三郎氏は経営不振の電気会社を引き取って創業できたのか
- A 電機業界がまだ未成熟だった大正初期は、配電インフラが地方都市まで届いたばかりで、電灯器具やモーターを売り、壊れれば直す需要が大手のいない隙間に残されていた。資本も人手も乏しい若い小規模事業者にも参入の余地があったわけである。1915年3月、名古屋の材木商の子・牧田茂三郎氏は21歳で父の資金を借り、経営不振の明治電気を引き取って牧田電機製作所を個人創業した。茂三郎氏のほか17歳の後藤十次郎氏ら4名で始め、電灯会社・電鉄会社を主な得意先に、モーター・変圧器の販売と修理を業とした。売って直す一体の商いが、ここで根づいた。
- Q なぜ後藤十次郎社長は1957年に汎用モーターから電動工具への「商売替え」を決断したのか
- A 戦後、財閥解体が中止されて松下電器や日立が事業を再開すると、汎用モーターでは規模に勝る大手に中小は勝てず、価格で削り合うだけの先細りが見えた。そこで生き残る道を、大手が手薄な職人の現場に求めた。1955年に2代目社長へ就いた後藤十次郎氏は1957年に「商売替え」を宣言し、翌1958年1月に国産第一号の携帯用電気カンナを発売した。手で削っていた木材加工を電動化し、建設・木工という限られた顧客に絞り込むことで、大手モーター企業との正面衝突を避けた。汎用品の量産競争から、専業メーカーの製品で稼ぐ事業へ作り変えた決断であった。
- Q なぜ2022年にエンジン製品から撤退し、2025年にバランスシート経営へ切り替えたのか
- A 販売・修理一体の現場網は消耗品交換の多さがそのまま指名買いを生み、半世紀にわたり潤沢な手元資金を自前で稼ぎ出してきた。その資金の出どころと使い道を、後藤宗利社長は二度作り直している。一度目は2022年のエンジン製品撤退で、環境意識の高まりと充電式需要の伸びを見て、約100億円規模のエンジン事業をたたみコードレスへ経営資源を集中させた。二度目は2025年の資本政策で、バランスシート経営とキャッシュアロケーションを掲げ、総還元性向35%以上・年間配当の下限20円を定め、自己株式の取得と創業110周年の特別配当へためた資金を配り直した。
歴史詳細 - 3つの時代区分で読み解く
1915年〜1969年 名古屋の電灯器具修理店から国産電気カンナへ──電動工具メーカーの源流
牧田茂三郎氏の創業──材木商の子が引き取った経営不振の明治電気
1915年3月21日、名古屋の材木商の子・牧田茂三郎氏(当時21歳)が父の資金援助を受け、経営不振に陥っていた「明治電気」を引き取って[2]「牧田電機製作所」として個人創業した[1]。発祥の地は名古屋市中区横三ツ蔵町で、従業員15〜16人からの出発だった[3]。創業メンバーは茂三郎氏のほか、17歳の後藤十次郎氏(のちの2代目社長)、ベテラン職人、小学校を卒業したばかりの少年が中核をなした[4]。創業時の主力商品は50馬力モーター・変圧器などで、モーター・トランス・スイッチ類の販売修理を業とし、電灯会社・電鉄会社を主な得意先とした[5]。当時の電機業界は未成熟で、パナソニックの創業(1918年)より3年早い参入にあたる。配電インフラが大正初期に地方都市まで広がり、若者中心の小規模事業者にも電動機器の販売修理という市場参入の余地があった時代である。
昭和初期の経済パニックを乗り越えたうえで、1938年12月、個人経営から株式会社牧田電機製作所に改組した。改組時の資本金は18万円、従業員は94名で、初代社長には創業者の牧田茂三郎氏が就いた[6]。第二次世界大戦下では紡織機械・工作機械・木工製作機械などに使われるモーターの生産に注力した[7]。1945年4月には、当時生産するモーターの6割までを納入していたワシノ機械(今村工場)との関係から、工場疎開を兼ねて愛知県安城市(現本社所在地)に工場を移し、戦後の本社所在地が確定した[8]。終戦直後のモーター業界は、松下電器や日立など大手企業が財閥解体の対象に指定されて事業遂行が困難となり、マキタのような中小企業が辛うじて生き残る環境にあった。だが戦後の復興期には大手のマスプロ化に遅れをとり、苦境期を迎えることになる[9]。
後藤十次郎氏の「商売替え」と国産第一号の携帯用電気カンナ
1955年4月、創業者・牧田茂三郎氏に請われる形で、創業時からの社員であった後藤十次郎氏がマキタの2代目社長に就いた[10]。1950年頃までに財閥解体が中止されると、松下電器・日立などの大手モーターメーカーが事業を再開し、汎用モーターでは中小のマキタに勝ち目がないという見通しが立った。後藤十次郎社長は1957年に「商売替え」を宣言し、新事業の育成へ経営の重心を切り替えた。汎用モーターから事業を引いて、何で生き残るかを問い直した転換点である。財閥解体が完遂されず大手が復帰したという外的な変化が、中小製造業の戦略選択を数年で狭めた局面でもある。
1958年1月、国産第一号の携帯用電気カンナを発売した[11]。建設・木工の現場で職人が手作業で行ってきた木材削りを電動化する商品で、当時の現場道具はアナログが主流、電動工具自体が普及していなかった。同年8月には電気ミゾキリを世に出し、相次ぐ新機種開発で電動工具界に新風を起こした[12]。マキタはこの一商品を起点に、ドリル・サンダー等の電動工具へラインナップを広げ、建築・木工・金属加工現場向けの専業メーカーへ主力を移した[13]。汎用モーターメーカーから電動工具メーカーへの転身は、商売替え宣言から1年での具体的な打ち手であった。職人の現場という限定された顧客層に絞り込むことで、大手モーター企業との直接競争を回避する選択である。
1962年5月、商号を株式会社マキタ電機製作所に変更し、[14]同年8月に名古屋証券取引所市場第二部に上場した[15]。同年からマキタは全国アフターサービス網への投資を開始する。電動工具は修理・消耗品交換が頻繁に必要な商材で、本社直営の修理拠点を全国に敷くことで職人の指名買いを生み、競合との差別化要因として作用した。1968年8月には東京・大阪両証券取引所市場第二部に上場、[16]1970年7月には東京・名古屋・大阪証券取引所市場第一部に指定替えと、[17]上場後8年で全国主要市場の一部市場へ昇格した。高度経済成長期の住宅建設・公共工事の拡大が、電動工具の需要側を押し上げた局面である。1968年時点のマキタは借入金皆無・高成長・高収益・高配当で株式市場の人気銘柄筆頭とされ、主力製品は国内で高シェアを占め、すでに海外55カ国へ輸出していた[18]。1959年2月期を100%とすれば1968年2月期は1830%の伸びである[19]。
海外進出の起点──マキタUSA設立と欧州・オセアニア展開
1970年7月、米国にマキタUSA Inc.を設立し、北米市場参入の起点をつくった[20]。同月、愛知県岡崎市に岡崎工場を新設し、[21]国内生産能力の増強と海外初拠点設立を同時実行した。1971年9月にはマキタ・フランスSA(フランス)、1972年12月にはマキタ・エレクトリック(UK)(英国)、1973年5月にはマキタ・オーストラリアPty Ltd(オーストラリア)と、欧州・オセアニア各国に販売子会社を順次設立した[22]。1973年6月にはアムステルダム証券取引所に大陸預託証券CDR形式で上場し、[23]欧州資本市場での資金調達手段を獲得した。1977年2月には米国預託証券ADR発行に伴いナスダックで取引開始し、[24]北米資本市場へのアクセスも整えた。
1974年5月にはマキタ・ベネルックス(オランダ)、同年6月にはマキタSpA(イタリア)、[25]1977年4月にはマキタ・ヴェルクツォイクGmbH(ドイツ)、[26]1981年6月にはマキタ・ド・ブラジル(ブラジル)、1981年9月にはオーストリア子会社、1983年4月にはマキタ・パワー・ツールズ・シンガポール、1984年9月にはマキタ・コーポレーション・オブ・アメリカ(米国統括会社)と、[27]1970年代後半から1980年代前半に欧州・米州・東南アジアの主要国に販売子会社を立て続けに設立した。創業60年目の1975年前後から始まる10年間で、国内電動工具メーカーから世界10カ国超に販売拠点を持つ国際企業への転身を果たした。
1970年〜2016年 海外売上比率8割超への国際化と電動化シフト──世界55カ国販売網の構築
後藤昌彦体制の発足と1991年商号変更──マキタへ
1989年5月、後藤昌彦氏(1971年3月マキタ入社、1984年5月取締役総合企画室長、1987年7月常務取締役管理本部長)が代表取締役社長に就任した[28]。同年同月、決算期を2月20日から3月31日に変更し、[29]会計年度を一般的な日本企業基準に合わせた。1989年12月には英国にマキタ・マニュファクチュアリング・ヨーロッパLtdを設立して欧州生産拠点を構築、[30]1991年1月にはチェーンソーメーカーのザックス・ドルマーGmbH(ドイツ)を買収してドルマーGmbHに改称、[31]欧州チェーンソー事業を取り込んだ。1991年4月、商号を「株式会社マキタ」に変更し、[32]創業76年目で現在の社名が確定した。商号変更と同時期の海外生産・買収による事業拡張は、後藤昌彦社長在任中の国際化加速の起点である。
1992年7月の香港子会社設立、1993年11月のニュージーランド子会社設立、1993年12月の牧田(中国)有限公司設立(中国生産拠点)、1994年7月のポーランド子会社設立、1994年11月のメキシコ子会社設立と、[33]1990年代前半に中国・東欧・中南米へ販売・生産拠点を拡張した。1995年4月には英国にマキタ・インターナショナル・ヨーロッパLtdとオランダにユーロ・マキタ・コーポレーションBVを設立し、[34]欧州統括体制と物流体制を整備した。後藤昌彦社長就任の最初の5年間で、東アジア・東欧・中南米の3地域に販売・生産拠点を展開し、世界各地域への直接アクセス体制を整えた。
海外売上比率8割超──電動工具世界トップ3への接近
2000年代以降、マキタの海外売上比率は8割を超え、国内市場(約2割)と海外市場(約8割)の構造が定着した。地理的セグメント別では欧州(30%超)、北米(20%超)、アジア・中東(20%超)、その他(10%前後)と地域分散した売上構成で、ドイツのボッシュ、米国のスタンレー・ブラック&デッカー(旧ブラック&デッカー)と並ぶ世界電動工具トップ3メーカーのポジションを獲得した。FY01(2002年3月期)の連結売上高166,169百万円から、FY10(2011年3月期)約3,000億円、FY20(2021年3月期)約7,000億円規模まで、20年間で約4倍に拡大した。
会計基準は2001年からUSGAAPを採用し、米国資本市場での評価を受けやすい開示基盤を整えた。後に2017年からIFRSへ移行し、欧州・アジア機関投資家向けの開示基盤も整備した。海外売上比率8割超という構造は、為替リスクへの感応度を高める一方で、特定地域の景気変動に左右されにくい地域分散効果を経営の安定要因へ寄与させた。1990年代後半から2000年代の20年間が、マキタを世界トップ3電動工具メーカーへ押し上げた成熟拡大期で、創業者から数えて4代目以降の経営承継期に重なる。同期間の連結売上拡大ペースは年平均7-8%で、電動工具市場の世界的なプロ用化・コードレス化の波と整合した成長軌跡である。
堀司郎体制(FY12-FY15)── 後藤昌彦氏から後藤宗利氏への中継ぎ
2013年6月、後藤昌彦氏は代表取締役会長へ転じ、堀司郎氏が代表取締役社長に就任した[35]。堀氏在任の4年間(FY12-FY15)は、リーマンショック後の世界経済回復期から中国・新興国市場の拡大期に重なり、海外売上比率の高いマキタにとって為替・現地経済の影響を受けやすい局面である。同期間の連結売上高はFY11(2012年3月期)約3,000億円からFY15(2016年3月期)約3,800億円まで微増にとどまり、急成長期から踊り場局面に入った時期である。2010年代前半は世界各地の住宅建設市場・建築現場でリチウムイオン電池駆動のコードレス工具へのシフトが本格化した時期で、ボッシュ・スタンレー・ブラック&デッカー等のグローバル競合との競争軸が、有線工具からコードレス工具へ移行した。
堀司郎社長在任中の経営課題は、世界55カ国規模の販売網と国内・中国・欧州の生産拠点を持つ多国籍体制の効率化、そしてリチウムイオン電池駆動のコードレス工具シフトへの本格対応である。同期間にマキタはコードレス工具のラインナップを拡張し、ブラシレスモーターを採用したプロ向け電動工具の開発を加速した。2013年6月就任の堀社長から2017年6月就任の後藤宗利社長への4年間は、創業家系から非創業家系を経て創業家系(後藤宗利氏は後藤昌彦氏の親族)へ戻る経営承継の中継ぎ期間で、[36]堀氏は次代を担う後藤宗利氏(海外営業本部長)への引き継ぎを念頭に置いた経営運営を行った。
2017年〜2025年 バッテリー電動化シフトとバランスシート経営──創業110周年への新基盤
後藤宗利体制の発足とエンジン製品生産終了
2017年6月、後藤昌彦会長の親族で1999年4月入社の生え抜き・後藤宗利氏(海外営業管理部長→取締役執行役員海外営業本部長)が代表取締役社長に就任した[37]。海外営業出身の社長として、世界55カ国規模の販売網を電動化シフトに合わせて再構成する局面の責任者である。同氏就任時の連結売上高はFY16(2017年3月期)363,949百万円、営業利益約450億円規模で、創業100周年(2015年)を経た成熟期から次世代電動化への転換期に経営が承継された。後藤宗利氏の海外営業本部長としての経歴は、世界55カ国の販売子会社の現地需要・規制動向・競合動向を一次情報として把握する立場で、エンジン製品から電動製品への完全移行を判断する経営判断の基盤である。
2022年、マキタはエンジン製品の生産を終了した[38]。それまでチェーンソー・刈払機・ブロワー等の屋外作業用機器でガソリンエンジン製品を展開していたが、リチウムイオン電池駆動のコードレス工具への完全移行を決断した[39]。背景には、欧州各国のエンジン製品規制強化(特に都市部での騒音・排ガス規制)、リチウムイオン電池技術の進化による出力向上、そしてマキタ・ボッシュ・スタンレー連合が形成する電動工具業界全体のコードレス化加速がある。後藤宗利社長の就任から5年で、創業以来の電動の系譜にエンジン製品を含めない事業領域の絞り込みを実行した。
コードレス電動化シフトの収益効果
FY22(2023年3月期)以降、コードレス工具・電動草刈機・電動チェーンソー等の電動屋外作業用機器が成長軸である。FY22の連結売上高は764,702百万円、営業利益28,246百万円・営業利益率3.7%と、原材料費高騰と為替変動による収益圧迫局面である。FY23(2024年3月期)は売上741,391百万円・営業利益66,169百万円・営業利益率8.9%、FY24(2025年3月期)は売上753,130百万円・営業利益107,038百万円・営業利益率14.2%と、2期で営業利益率を10ポイント以上回復した。
エンジン製品撤退後の収益正常化は、コードレス工具シフトの効果として表面化した。リチウムイオン電池の標準化(同一バッテリープラットフォームを多製品で共用)、コードレス工具の高出力化(DCブラシレスモーターの普及)、欧州都市部の排ガス・騒音規制が押し上げる電動屋外機器の需要拡大という3要因が組み合わさり、世界55カ国の販売網全体で電動化の収益が顕在化した期間である[40]。コードレス工具は1台当たりの単価が有線工具より高く、バッテリーやチャージャー等の周辺製品も同時購入される傾向があり、ストック型の収益構造に近い形でリピート購入を促す。
バランスシート経営と総還元性向35%以上の方針
2025年7月発行の統合報告書「マキタレポート2025」で、後藤宗利社長はバランスシート経営の重要性を明示した[41]。あるべき適切なキャッシュ水準を実現するためのキャッシュアロケーション設計を経営方針の中軸に据え、成長投資・株主還元・利益剰余金のバランスを定期的に議論する体制を提示した。株主還元では年間配当金20円を下限とし、総還元性向35%以上を方針として明確化、2025年3月期の総還元性向は37.3%、創業110周年記念の6円特別配当を含む1株当たり年間配当金110円(中間20円・期末90円)を実施した[42]。
2025年4月28日付で自己株式の取得も発表し、財務政策の柔軟性を高めた[43]。成長投資は電動工具を軸とした中長期的な成長を見据え、倉庫スペース拡張投資と既存工場への設備導入を優先する配分方針を提示した。創業110周年(2025年)の節目で、世界55カ国の販売網と国内・海外の生産拠点を活かしたコードレス工具・電動屋外作業用機器の事業基盤を、バランスシート経営の枠組みで再整理する局面に入った。自社レポート2025では、2030年度(2031年3月期)までに2020年度比でGHG排出量を半減することを中期目標として設定した[44]。電動工具・電動屋外作業用機器のメーカーとして、自社製品の使用段階でのGHG削減(コードレス化によるエンジン排ガス削減)と、自社操業(生産・物流)におけるエネルギー源転換の両軸で対応する方針である。
創業110年の節目で、後藤宗利社長在任中のマキタは「コードレス電動工具メーカーとしての世界トップ3ポジション維持」と「バランスシート経営によるキャッシュ水準最適化」と「2030年度GHG排出量半減」の3軸を同時並行で経営課題に据える。創業者・牧田茂三郎氏が1915年に名古屋で立ち上げた電灯器具修理店から、世界55カ国販売網を持つコードレス電動工具メーカーへの転身を、[45]創業家系の経営承継のもとで継続する局面である。気候変動リスクの分析では、暑熱環境下における作業環境改善のための製品需要増加(短〜中期)と、自宅で過ごす時間の長期化によるDIY需要増加(短〜中期)を機会要因に位置付ける。