結果

セブン&アイHD(セブンイレブン・イトーヨーカ堂)の長期業績

2006年〜2024年
売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
114,717億円
売上高:2024/2
売上高_当期純利益率
○単体 | ○連結
4.4%
利益率:2024/2
CF

キャッシュフローの長期推移

連結優先
営業CF
単位:億円
投資CF
単位:億円
財務CF
単位:億円
PL

売上高の長期推移

売上高・売上収益ベース(連結優先)| 単位:億円
セグメント営業収益
2024/2 | 連結
国内コンビニエンスストア事業
セブンイブン
8882億円
海外コンビニエンスストア事業
米国セブンイレブン
88433億円
スーパーストア事業
イトーヨーカ堂
14446億円
金融関連事業
1648億円
その他事業
4696億円
PL

税引後利益の長期推移

税引後利益・当期純利益・当期利益ベース(連結優先)| 単位:億円
セグメント利益
2024/2 | 連結
国内コンビニエンスストア事業
2320億円
海外コンビニエンスストア事業
2897億円
スーパーストア事業
123億円
金融関連事業
371億円
その他事業
25億円
調整額
-673億円
1958
4月

株式会社ヨーカ堂を設立

洋品店時代の羊華堂の経営

1920年4月(大正9年)に吉川敏雄氏が浅草で洋品店「羊華堂」を創業。戦時中の1940年4月に暖簾分けによって伊藤譲氏が独立した。1945年の戦災によって店舗が焼失したことを受けて、1946年に店舗を北千住に移設した。この経緯から、終戦直後のヨーカ堂は北千住を基盤として小売業を展開した。

伊藤雅俊氏によるスーパーへの進出

1956年に伊藤譲氏が逝去したことを受けて、伊藤雅俊氏(イトーヨーカ堂・創業者)が事業を継承。欧米視察を通じてスーパーマーケットの将来性に着眼した。そこで、従来の小売業の形態を改めてスーパーマーケットによる大量販売を志向するために、1958年に株式会社ヨーカ堂を設立した。

北千住を軸にスーパーを多店舗展開

ヨーカ堂の設立とともに、伊藤雅俊氏は北千住の店舗の増築を実施。総合スーパーを志向することで、日用品・医薬品・化粧品・加工商品などの様々な商品を扱う小売業として販売を拡大した。

1961年には赤羽店を新設して関東圏を中心に多店舗展開を開始。多店舗展開によって大量仕入れを実現することで、安く商品を販売する体制を構築。1972年2月末時点で27店舗を展開した。地域別売上高は、東京都内が58%・埼玉県19%・千葉県11%であり、東京(北部)および埼玉県での店舗展開が中心であり、ドミナント展開を志向した。

1972年2月時点における売上高は477億円であり、1店舗あたりの売上高は9億円前後。いずれの店舗も大型店を志向することで、店舗の運営効率の向上を図った。商品別の売上構成比では、衣料品48%、食料品28%であり、普段着の販売が売上を支えた。販売品目は約10万店であり、満遍なく商品を販売した。

国内スーパーで売上高10位を確保

1972年2月期にイトーヨーカ堂は売上高477億円・当期利益7.4億円を達成。業績好調を受けて、1972年9月に東京証券取引所第2部に株式上場した。ただし、1972年度におけるスーパー業界の売上高ランキングにおいて、イトーヨーカ堂は10位の地位であった。

競争面においては、関東圏では西友、イトーヨーカ堂の2社が大手スーパーとして認知されたが、同時期にダイエーの関東進出が本格化するなど、スーパーマーケットを巡って熾烈な出店競争が発生していた。

なお、1970年前後にはスーパーの大量出店によって進出先の商店街が反発するなど、スーパーに対する大量出店に対する社会的な批判も強まりつつあった。このため、1970年代以降のスーパーの出店競争については、政治的な制約を伴うこととなった。

1920年
浅草で洋品店を創業
1946年
北千住に店舗移転
1958年
4月
株式会社ヨーカ堂を設立
1965年
4月
商号を伊藤ヨーカ堂に変更
1972年
4月
商号をイトーヨーカ堂に変更
1972年
9月
イトーヨーカ堂が東証第2部に株式上場
証言
伊藤雅俊(イトーヨーカ堂・創業者)

日本の小売業がアメリカと同じ道をたどるとはいえないが、現在、アメリカの方向に向かっていることは事実である。(略)私は昭和30年当時、まだ1店も出店していない時(注:北千住店のみで運営)に、1回アメリカに行った経験だけで、銀行の重役を集めてチェーン・ストアの話をし、融資を受けた。まさに「盲蛇に怖じず」である。

出所
参考文献
証券 24(9)(282), 1972/9
1972年9月
イトーヨーカ堂が東証第2部に株式上場
1973年5月
米デニーズと業務提携・レストラン事業に参入
1973年3月
ヨークベニマルと業務提携
1973年11月
米セブンイレブンと業務提携
証言
伊藤雅俊(イトーヨーカ堂・創業者)

先日、アメリカのセブン・イレブンのコンビニエンス・ストアの伸びを見たてみたら、昭和30年〜40年の間に500店から5,000店に伸びている。今の日本でのコンビニエンス・ストアはアメリカに約20年遅れている。またレストラン業も非常に注目されるところだが、これもアメリカからは20年遅れている。

出所
参考文献
セブンイレブンの奇蹟 : 6年で700店-小売業界に吹きまくる「台風の目」の秘密を探る, 1979/10
1974
5月

セブンイレブン1号店を豊洲に開業

山本茂商店が加盟に申し込み

1973年11月にイトーヨーカ堂のセブンイレブン係宛に、山本茂商店からFCの加盟に関する問い合わせが手紙であった。差出人は、山本憲司氏(当時24歳)であり、東京都江東区豊洲4-6-1で酒屋として「山本茂商店」を経営する2代目であった。セブンイレブンは日本国内における加盟店を募集していなかったが、山本氏は業界雑誌を通じて米国のセブンイレブンを知っていた。そこへ、イトーヨーカ堂が米セブンイレブンと提携したことを日経流通新聞の記事を通じて知り、自らフランチャイズへの加盟を申し出た。

日本国内のセブンイレブンでは、コンビニ出店にあたっての政策がまだ未決定の段階であった。そこで、1973年12月に岩国修一氏(セブンイレブン・取締役)は山本憲司氏を訪ねて、まだFCは計画段階であることを伝えた。だが、山本憲司氏はセブンイレブンの業態に転換することを望んでいた。最終的に1974年1月にセブンイレブンは、山本憲司氏の熱意を買い、山本茂商店をセブンイレブンの1号店として加盟することを認めた。

なお、山本茂商店は元々酒屋であり、酒類販売が可能なコンビニとして開業できた点で、品揃えの面で優位だったことも、1号店に選定された理由の一つであった。ただし、山本茂商店が存在する立地は豊洲であり、多少の団地が存在したものの、当時は工場が集積する地区であった。

セブンイレブン1号店の開業

1974年5月15日午前7時に東京都江東区豊洲にて、旧山本茂商店を改装する形で、セブンイレブン1号店(25坪)を開業。日本国内における1号店としてオープンした。1号店について、直営店ではなくフランチャイズを採用した理由は、難易度の高いFCで事業を軌道に乗せれば、ノウハウが蓄積されやすいと判断したことにあった。

セブンイレブンとしては、1号店の山本茂商店に対して、酒屋店時代の粗利額の最低保証、セブンイレブンの撤退時は復元および補償の実施を約束したという。

5年間で500店舗を展開

セブンイレブン1号店において、年商1.5億円を予想したが、実際には年商1.8億円を記録。立地条件が悪い中で売上を確保したことで、セブンイレブン1号店の滑り出しに注目が集まった。このため、各地からセブンイレブンへの加盟の問い合わせが相次いだ他という。

1974年からセブンイレブンは物流効率化のために、ドミナント展開による多店舗出店を本格化。酒販店および食料品店について、FC契約により、関東の特定地域における集中出店を志向した。

この結果、1978年度までに関東圏を中心に国内591店舗のセブンイレブンを出店した。国内セブンイレブンにおいて売上高725億円を確保し、コンビニ業態で業容を拡大した。

1973年
12月
山本茂商店が加盟を申し込み
1974年
1月
山本茂商店の加盟許可を決定
1974年
5月
セブンイレブン1号店を豊洲に開業(旧山本茂商店)
1976年
12月
国内100店舗を突破
1978年
12月
国内500店舗を突破
セブンイレブンの国内展開
年度 売上高 店舗数 備考
FY1974 7億円 15店 1号店を開業(豊洲)
FY1975 48億円 69店
FY1976 174億円 199店
FY1977 398億円 375店
FY1978 725億円 591店
出所:セブンイレブンの奇蹟 | 1979/10
証言
山本憲司氏(セブンイレブン1号店・オーナー)

(注:セブンイレブン宛の手紙の要旨)私は江東区豊洲で酒屋をやっているものですが、これからセブンイレブンのコンビニエンスストアをやりたいと思います。私と私の家族は商売好きです。果たしてやれるかやれないか、わかりませんが、セブンイレブンがフランチャイズチェーンをおやりになるということでしたら、せひ資料を送ってください

出所
参考文献
セブンイレブンの奇蹟 : 6年で700店-小売業界に吹きまくる「台風の目」の秘密を探る, 1979/10
1979年
セブンイレブンが東証2部に株式上場
1983年
ヨーカ堂グループでPOS導入を開始
1986年7月
米セブンイレブンに資本参加
2003年12月
セブンイレブン1万店舗を突破
2005年9月
セブン&アイを設立(経営統合)
2005年
4月
イトーヨーカ堂・セブンイレブンジャパン・デニーズジャパンが経営統合を発表
2005年
8月
セブンイレブンジャパンが上場廃止
2005年
9月
セブン&アイを設立
決算
セブン&アイHD(セブンイレブン・イトーヨーカ堂)の業績
2006年2月期(連結)
売上高
38957
億円
当期純利益
879
億円
従業員数
52954
営業CF
2173
億円
投資CF
-3880
億円
財務CF
1030
億円
2005年11月
7-Elevent, Inc.を完全子会社化(TOB)
決算
セブン&アイHD(セブンイレブン・イトーヨーカ堂)の業績
2006年2月期(連結)
売上高
38957
億円
当期純利益
879
億円
従業員数
52954
営業CF
2173
億円
投資CF
-3880
億円
財務CF
1030
億円
2005年11月
ミレニアムリテイリングを買収(そごう・西武百貨店等)
決算
セブン&アイHD(セブンイレブン・イトーヨーカ堂)の業績
2006年2月期(連結)
売上高
38957
億円
当期純利益
879
億円
従業員数
52954
営業CF
2173
億円
投資CF
-3880
億円
財務CF
1030
億円
2006年9月
ヨークベニマルを完全子会社化
決算
セブン&アイHD(セブンイレブン・イトーヨーカ堂)の業績
2007年2月期(連結)
売上高
53378
億円
当期純利益
1334
億円
従業員数
54088
営業CF
1572
億円
投資CF
-2359
億円
財務CF
372
億円
2007年1月
レストラン事業を1社に集約
決算
セブン&アイHD(セブンイレブン・イトーヨーカ堂)の業績
2007年2月期(連結)
売上高
53378
億円
当期純利益
1334
億円
従業員数
54088
営業CF
1572
億円
投資CF
-2359
億円
財務CF
372
億円
2007年6月
セブンイレブン3万店舗を突破
決算
セブン&アイHD(セブンイレブン・イトーヨーカ堂)の業績
2008年2月期(連結)
売上高
57523
億円
当期純利益
1306
億円
従業員数
55815
営業CF
4653
億円
投資CF
-2371
億円
財務CF
-1301
億円
2008年1月
セブン&アイ・フィナンシャル・グループを設立
2008年
1月
セブン&アイ・フィナンシャル・グループを設立
2008年
2月
セブン銀行がジャスダック証券取引所に上場
2008年
2月
セブン銀行が東証第1部に上場
決算
セブン&アイHD(セブンイレブン・イトーヨーカ堂)の業績
2008年2月期(連結)
売上高
57523
億円
当期純利益
1306
億円
従業員数
55815
営業CF
4653
億円
投資CF
-2371
億円
財務CF
-1301
億円
2009年8月
百貨店事業を統合
2009年
8月
株式会社そごう・西武を設立
決算
セブン&アイHD(セブンイレブン・イトーヨーカ堂)の業績
2010年2月期(連結)
売上高
51112
億円
当期純利益
448
億円
従業員数
52814
営業CF
3222
億円
投資CF
-1151
億円
財務CF
-1567
億円
2014年1月
ニッセンHDを買収(TOB)
2014年
1月
ニッセンHDを買収(TOB)
2016年
11月
ニッセンHDを完全子会社化
決算
セブン&アイHD(セブンイレブン・イトーヨーカ堂)の業績
2014年2月期(連結)
売上高
56318
億円
当期純利益
1756
億円
従業員数
55364
営業CF
4543
億円
投資CF
-2866
億円
財務CF
-552
億円
2016年
鈴木敏文氏がCEO退任
決算
セブン&アイHD(セブンイレブン・イトーヨーカ堂)の業績
2017年2月期(連結)
売上高
58356
億円
当期純利益
967
億円
従業員数
54448
営業CF
5125
億円
投資CF
-3716
億円
財務CF
-781
億円
2021年5月
米Speedwayを買収

北米におけるコンビニおよびガソリン給油事業を強化するため、Speedwayブランドを展開するSpeedway LLCの買収を決断。株式100%の取得で完全子会社化し、取得価額は2.3兆円。セブン&アイは、買収による「のれん」として1.3兆円を計上した。セブン&アイHDとして2兆円を超える大型買収となった。

Speedwayの買収によって、北米におけるコンビニブランドは「7-Eleven」と「Speedway」の2つを展開する形となった。買収によって商品の相互供給などにより、販売拡大を目指す計画。

決算
セブン&アイHD(セブンイレブン・イトーヨーカ堂)の業績
2022年2月期(連結)
売上高
87497
億円
当期純利益
3585
億円
従業員数
83635
営業CF
7364
億円
投資CF
-25055
億円
財務CF
9370
億円
2023
3月

バリューアクトが社長退陣を提案

バリューアクトによる株主提案

2020年11月からバリューアクトは、セブン&アイHDとの対話を開始。2023年までに約30回に及ぶ意見交換を実施した。セブン&アイHDとしては、2021年12月の取締役会においてバリューアクトと対話する場を設けるなどして対応した。

この過程でバリューアクトはセブン&アイHDにおける不採算事業(スーパーストアおよび百貨店)の存在を問題視。2022年5月にはセブン&アイHDに関する経営上の問題点を指摘した資料(スライド75枚)を公表するなど、公開討論の形で経営改善を要求するに至った。

ところが、セブン&アイHDの経営陣はバリューアクトの提案を否定。バリューアクトの行動について「同社が関心を有するのは、堅実な価値創造を犠牲にした上での短期的な株価上昇だけであるということです」(2023/4/25:セブン&アイHD開示)として否定。この結果、セブン&アイHDの経営陣とバリューアクトは対立するに至った。

バリューアクトによる退陣要求

セブン&アイの大株主である米系ファンド(バリューアクト)は、株主提案を通じて井坂社長を含めた4名の取締役の退陣を要求した。

バリューアクトは、セブン&アイHDにおいて、収益性の低いスーパーストア(旧イトーヨーカ堂)や百貨店(旧そごう・西武)事業を継続していることを問題視し、高収益のコンビニ事業(セブンイレブン)に集中することで企業価値が向上すると判断していた。ところが、セブン&アイHDの経営陣は不採算事業からの撤退を決断できず、時間が経過していた。

このため、バリューアクトはコンビニ事業への集中に踏み切れないセブン&アイの経営陣に対して、退陣を要求した。

井坂社長の続投

2023年5月のセブン&アイHDの定時株主総会において、井坂社長の取締役選任が決定。賛成比率は76.36%であり低水準での社長続投が決定した。なお、株主提案による取締役4名の選任については賛成比率30%台により否決された。

この結果、セブン&アイの取締役については、会社提案が通過する形となった。

2020年
11月
バリューアクトがセブン&アイに接触開始
2021年
12月
セブン&アイHDの取締役会にバリューアクトが参加
2022年
5月
バリューアクトが不採算事業の撤退を要請(資料公開)
2023年
3月
バリューアクトが社長退陣を要請
2023年
5月
井坂社長の続投決定
選任賛成比率 76.3 %
決算
セブン&アイHD(セブンイレブン・イトーヨーカ堂)の業績
2024年2月期(連結)
売上高
114717
億円
当期純利益
5070
億円
従業員数
77902
営業CF
6730
億円
投資CF
-4318
億円
財務CF
-3770
億円
出所
参考文献
Valuact Capital: セブン&アイホールディングス・グローバルチャンピオンとしての7-Elevenの変革, 2022/5
セブン&アイHD:バリューアクトによる4月20日レターに対する当社取締役会の見解, 2023/4/25
セブン&アイHD:臨時報告書, 2023/5/26
2023年9月
そごう・西武を事業売却

セブン&アイは不採算事業である百貨店(株式会社そごう・西武)事業の売却を決定。

証言

決算
セブン&アイHD(セブンイレブン・イトーヨーカ堂)の業績
2024年2月期(連結)
売上高
114717
億円
当期純利益
5070
億円
従業員数
77902
営業CF
6730
億円
投資CF
-4318
億円
財務CF
-3770
億円
2024年8月
アリマンタシォンがセブン&アイに買収提案
2024年11月
ヨーカ堂を33店舗閉鎖計画
2024年11月
創業家がセブン&アイの対抗的買収を計画
内容の正確性、完全性および適時性を保証しません