1830

そごう(大和屋)を開業

初代十合伊兵衛が創業

江戸時代後期に「初代十合伊兵衛」が大阪本町にて「大和屋」を開業。古着を扱う商家であり、1935年までは十合家によって経営された

大阪心斎橋に店舗移転

転換点は、1877年に大阪の繁華街である心斎橋に移転して「十合呉服店」として開業したことにある。

以後、そごうは心斎橋が繁華街として発展する歩調に合わせて業容を拡大。1919年には株式会社に組織変更。さらに業態を百貨店に転換して旧来の商家スタイルから脱却した。

神戸三宮に出店

1933年には神戸の三宮地区に「そごう」の出店を決断。当時の三宮地区は国鉄駅が存在しない商業の空白地帯であったが、国鉄・阪神・阪急の3社が三宮駅への乗り入れを行ったことで商業地として発展。戦後のそごうの経営を支える基幹店舗となった

1830年
初代十合伊兵衛が大阪に「大和屋」を開業
1877年
大阪心斎橋に店舗移転。十合呉服店に名称変更
1919年
株式会社十合呉服店を設立。百貨店に業態転換
1933年
神戸三宮に神戸店を出店
1935年
資金繰り悪化。創業家が株式売却

1930年代を通じてそごうは百貨店の店舗新設(神戸店の開業・心斎橋店の改装)を試みるが、新設にあたって資金繰りが悪化。創業家である十合家は株式を売却する形で経営を失い、地方財閥の板谷家がそごうの経営権を握った。以後、そごうの経営は迷走へ。

1946年5月
心斎橋本店の一時接収

終戦によりGHQが本店(大阪・心斎橋)を7ヵ年にわたり接収。戦後復興に遅れ

1945年
心斎橋本店を米軍が接収
1951年
株式の買い占め疑惑
1952年
1月
心斎橋本店の接収解除
1952年
7月
心斎橋本店の再開業
1967年
千葉そごうを開業。以後、子会社を通じて地方都市に本格進出

都心郊外や地方都市に百貨店を新設する道を選択。郊外店と地方店がグループの売上増大に寄与

1967年
千葉そごうを開業
1967年
いよてつそごうを開業(愛媛県松山市)
1973年
柏そごうを開業
1974年
広島そごうを開業(広島市紙屋町)
1981年
船橋そごうを開業
1983年
八王子そごうを開業
1987年
大宮そごうを開業
1988年
豊田そごうを開業
1989年
多摩そごうを開業
1990年
西神そごうを開業(神戸西神)
決算
そごうの業績
1968年2月期(単体)
売上高
300
億円
当期純利益
1.71
億円
1987年
日本一の売り場面積・横浜そごうを開業

そごうは横浜駅西口付近に「横浜そごう」を開業した。横浜そごうは日本一の売り場面積の百貨店として大きな話題となり、開業直後の日曜日には18万人を集客する。横浜駅前には、そごうに加えて高島屋が既に存在しており「横浜戦争」とも形容された。

決算
そごうの業績
1988年2月期(単体)
売上高
2453
億円
当期純利益
31
億円
1992年
百貨店業界で売上高No.1へ

バブル期の「横浜そごう」の開業をはじめとする大量出店によって、1992年時点でそごうは国内外で35店舗を展開する日本最大の百貨店へと変貌した。そごうのグループ売上高は1.4兆円(1991年度・連結ベース)を記録し、百貨店業界では日本一となった。

決算
そごうの業績
1993年2月期(単体)
売上高
2800
億円
当期純利益
15
億円
1995年2月
最終赤字に転落。水島社長が退任

1990年代を通じて郊外ではショッピングセンター、都心部ではユニクロなどの専門店が台頭したため、百貨店という業態が時代にそぐわなくなった。このため、そごうの業績が悪化し、店舗新設のために借り入れた有利子負債が大きな負担となった。この結果、水島社長は経営責任をとって退任する。

決算
そごうの業績
1995年2月期(単体)
売上高
2326
億円
当期純利益
-369
億円
2000年
東京店(有楽町)を閉鎖

業績の悪化に伴い、東京進出のシンボルであった東京店(有楽町駅前)を閉鎖。そごうが入居したビル「読売会館」にはビックカメラが入居し、百貨店から専門店への時代の流れを象徴した。

2000年
民事再生法を申請。負債総額1.8兆円で経営破綻

百貨店の経営不振によって巨額の負債を返済できる見通しが立たなくなったことから、そごうは負債総額1.8兆円を抱えて破綻。大手百貨店の経営破綻として、日本経済界のバブル崩壊を象徴する事件として話題となった。