1830年〜 大坂・坐摩前の古手屋から心斎橋の呉服店へ
- 1830年 そごう創業——大坂・坐摩神社前の古手屋「大和屋」から心斎橋の百貨店へ 新品呉服を三井越後屋系の老舗が握る大坂で、近江から出た初代十合伊兵衛氏はなぜ参入障壁の低い古手(古着)から店を興したか
- 1877年 十合呉服店に商号変更
- 1877年 心斎橋筋に店舗を新設
- 1885年 京都支店を設置
- 1897年 合名会社に改組
- 1899年 神戸支店を設置
大和屋伊兵衛の古着商と、呉服商への転進
1830年(天保元年)、奈良県磯城郡耳成村の絹屋徳兵衛氏の次男である伊兵衛氏[1]が、大坂の坐摩神社前に『大和屋伊兵衛』の商号を掲げて衣類小売商を創業[2]した。扱ったのは主として絹布および木綿の古着で、その後は新品も取り扱う[3]ようになった。屋号と古手商という業態は、初代から三代目までの伊兵衛氏が受け継いでいる[4]。社章の『マルチキリ』は明治初期に制定したもので、チキリとは機織機の部品を指し[5]、呉服商を源とすることにちなむ。開業の地は大坂の坐摩神社の隣り[6]にあたる。
- 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「十合」の項
- [1]初代十合=伊兵衛氏。奈良県磯城郡耳成村の絹屋徳兵衛氏の次男
- [2]1830年(天保元年) 大坂・坐摩前で衣類小売商を創業
- [3]主として絹布および木綿の古着を商い、のち新品も扱う
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)「十合」の項
- [4]屋号「大和屋」と古手商の業態を初代から三代目までが継承
- [5]社章「マルチキリ」は明治初期制定。チキリは機織機の部品
- [6]開業地は大坂・坐摩神社の隣り
維新後は安堂寺橋通りへ進出して呉服商へ転進し、さらに心斎橋通りへ店を移した[7]。1877年(明治10年)、二代伊兵衛氏ら一族が心斎橋筋に店舗を新設[8]している。取扱品も高級品から実用品に至るまであらゆる呉服類を網羅[9]し、名実ともに呉服店としてのスタートを切った。心斎橋進出後は短年月の間に確固たる社礎が築かれ[10]、十合の名声が広まっている。1885年(明治18年)7月には京都支店を設置[11]し、大坂の外へ初めて店を伸ばした。
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)「十合」の項
- [7]維新後 安堂寺橋通りへ進出し呉服商へ転進、のち心斎橋通りへ
- 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「十合」の項
- [8]1877年(明治10年) 二代伊兵衛氏ら一族が心斎橋筋に店舗を新設
- [9]高級品から実用品まで呉服類を網羅し呉服店として出発
- [10]心斎橋進出後、短年月で社礎を築き十合の名声が広まる
- [11]1885年(明治18年)7月 京都支店を設置
- 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「十合」の項
- [1]初代十合=伊兵衛氏。奈良県磯城郡耳成村の絹屋徳兵衛氏の次男
- [2]1830年(天保元年) 大坂・坐摩前で衣類小売商を創業
- [3]主として絹布および木綿の古着を商い、のち新品も扱う
- [8]1877年(明治10年) 二代伊兵衛氏ら一族が心斎橋筋に店舗を新設
- [9]高級品から実用品まで呉服類を網羅し呉服店として出発
- [10]心斎橋進出後、短年月で社礎を築き十合の名声が広まる
- [11]1885年(明治18年)7月 京都支店を設置
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)「十合」の項
- [4]屋号「大和屋」と古手商の業態を初代から三代目までが継承
- [5]社章「マルチキリ」は明治初期制定。チキリは機織機の部品
- [6]開業地は大坂・坐摩神社の隣り
- [7]維新後 安堂寺橋通りへ進出し呉服商へ転進、のち心斎橋通りへ
合名会社への改組と、百貨店としての形態を整えるまで
1897年(明治30年)5月、長年の個人企業から資本金15万円の合名会社十合呉服店として再出発[12]した。資本金はのちに50万円へ増資[13]している。1899年(明治32年)には神戸支店を設置[14]し、大坂・京都・神戸の三都に店を構える構成[15]となった。1885年に置いた京都店は現地仕入の拠点にあたり[16]、心斎橋筋の本店は1877年の新設以来[17]、大坂での商いの拠点であり続けた。
- 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「十合」の項
- [12]1897年(明治30年)5月 合名会社十合呉服店として再出発
- [13]合名会社の資本金15万円、のち50万円へ増資
- [14]1899年(明治32年) 神戸支店を設置
- [15]大坂・京都・神戸の三都に店を構える構成
- [17]心斎橋筋の本店は1877年の新設以来の拠点
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)「十合」の項
- [16]京都店は現地仕入の拠点
このころより取扱商品は従来の呉服専門から脱し、雑貨および美術品の一部をも加えて、百貨店としての形態を整える[18]に至った。神戸店の開設や大阪店の増改築とあわせ、取扱い品目を増やしながら百貨店経営を指向[19]している。合名会社十合呉服店の資本金は50万円まで積み上がり[20]、個人経営で古着を商った創業時とは規模が変わった。この体制のまま、そごうは1919年の株式会社設立[21]を迎えている。
- 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「十合」の項
- [18]呉服専門から雑貨・美術品の一部を加え百貨店の形態を整える
- [20]合名会社の資本金は50万円まで増資
- [21]1919年 株式会社を設立
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)「十合」の項
- [19]神戸店開設・大阪店増改築とあわせ品目を増やし百貨店経営を指向
- 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「十合」の項
- [12]1897年(明治30年)5月 合名会社十合呉服店として再出発
- [13]合名会社の資本金15万円、のち50万円へ増資
- [14]1899年(明治32年) 神戸支店を設置
- [15]大坂・京都・神戸の三都に店を構える構成
- [17]心斎橋筋の本店は1877年の新設以来の拠点
- [18]呉服専門から雑貨・美術品の一部を加え百貨店の形態を整える
- [20]合名会社の資本金は50万円まで増資
- [21]1919年 株式会社を設立
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)「十合」の項
- [16]京都店は現地仕入の拠点
- [19]神戸店開設・大阪店増改築とあわせ品目を増やし百貨店経営を指向