1968年 |
設立
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1973年 | |
1980年 |
技術
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2010年 | |
1982年 | |
1998年 |
上場
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2001年 | |
2003年 |
異動
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2003年 |
技術
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2003年 | |
2006年 |
技術
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2006年 |
異動
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2013年 |
異動
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2015年 | |
2019年 |
会計機械を取り扱う東京オフィスマシンに勤務していた野田順弘氏が、独立して「大阪ビジネス」を設立。中古の会計機を関西の中小企業に販売する営業ビジネスを開始した。
オービックは業容を拡大するために、経営が悪化した同業他社から20名の中途社員(営業部隊)を採用。ところが、すぐに20名が独立してオービックの競合会社を立ち上げたため、野田順弘氏は大きな衝撃を受けるとともに、中途採用に対する不信感を抱く。この事件をきっかけに、オービックは新卒採用に特化する方針を決めた。
オービックはシステム開発を効率化するために、特定業界に特化したシステム開発を志向し、1980年代には消費者金融業界向けのシステム開発に重点を置く。以後、自動車教習所向け講習予約システム・銀行向け不動産担保評価システムなど、特定業界向けのシステムを横展開することでシェアを確保する。
2000年前後のオービックの業務フローについて。営業担当者は1日10〜15件を顧客訪問。見積もりは2過去の開発データを参考に、2〜3日で提示。内訳を詳細に提示すると値下げ交渉に巻き込まれるため、概算見積もりを提示。営業では技術的な話には立ち入らず。
営業体制を充実させるため、地方都市に営業所・支店を相次いで新設。この頃には自前のシステム開発体制を構築し、営業会社から「営業とシステム開発の会社」へと発展
相浦明氏は1974年に同志社大学・文学部を卒業し、オービックに入社した生え抜き社員
相浦明社長は競合の「ワークスアプリケーションズ」を意識し、年商1000億円前後の大企業向けのERPの開発・販売を決定。同時に、成果主義による評価制度を導入した。従来の中小企業向けに加え、大企業向けのシステム開発に参入しつつ、社風の一新を試みた。
ワークスの03年6月期決算は大変好調だと聞いています(連結売上高が56億円、経常利益が16億7800万円だった)。ここ2〜3年、ぶつかるケースが増えてきました。正直、ワークスに対しては甘く見ていたところがあります。ワークスの場合はカスタマイズを一切行わず、顧客の要望はバージョンアップ時に取り込むという考え方ですが、当社はカスタマイズで対応します。顧客数が増えたときに、ワークスのやり方でうまくいくのかは疑問です。ワークスに限らず世の中の人事・給与ソフトで一番いいものを追い越すためのプロジェクトを5月に発足させました。開発部門だけでなく、SE、営業、マーケティング推進の人を一緒にしてチームを作りました。
大企業向けERPの参入によってオービック社内では業務量が増大し、新卒採用だけに限る同社は中途採用による人材補填ができず、残業などが増大。この結果、納期の遅延が多発するなど、問題が生じた。そこで、オービックは大企業向けのシステム開発からの実質的な撤退を決めた。
大企業向けのシステム開発の頓挫により、創業者の野田順弘氏が社長に復帰。