オービック の歴史

創業

1968年

創業者

野田順弘

創業地

大阪府大阪市

直近売上高(2025/3)

1,212億円

長期業績と転換点(1996/3〜2025/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1968年に中古会計機の流通から事業を始めたのか
A 1968年4月、野田順弘氏が大阪市西区で株式会社大阪ビジネスを設立したのは、新品を仕入れる代理店ではなく、中古会計機を関西の地場零細企業へ売り歩く流通業から商機を取りに行ったためである。野田氏は近鉄百貨店での事務機器販売、海外事務機器メーカーの営業を経て独立した。同年に結んだオリックスとのリース提携が、新品には手が届かない企業の初期投資を月額のリース料へ均し、それまで導入をあきらめていた中小企業層まで顧客を広げた。1979年には販売額の9割がリースに乗った。
Q なぜ1973年に新卒採用一本主義へ転じたのか
A 事業構造が定まったのは1973年である。同業から中途で迎えた営業20名が入社直後にそろって独立し競合を立てたため、野田順弘氏は中途採用を断ち、新卒だけを社内で時間をかけて育てる人事へ転じた。あわせて社内開発・直販・低固定費の三原則を敷き、外から人も製品も買わずに完結させた。この内製の体制が業界別パッケージを磨く力を生み、1997年4月のOBIC7では中堅企業向けERPへの新規参入に至った
Q なぜ2013年にOBIC7をクラウド・SaaSへ転換したのか
A 2013年に橘昇一氏が二代目社長へ就いた直後に動いたのは、OBIC7をクラウドで売る方式への転換である。同年4月、マイクロソフトのAzureを基盤にオービッククラウドを始め、データセンターとサーバーの社内保有を抑えてOBIC7をSaaSとして配信する設計へ移した。新規構築のSI事業に偏った売り方を運用保守のSS事業による継続課金へ切り替え、入れ替えの難しい基幹システムの導入企業から毎月の収入を重ね、2019年に時価総額1兆円を超えた。

API for AI Agents — 認証不要、URLをGETするだけで機械可読なJSONをトークン消費を抑えつつ取得できます。

1968年〜 大阪の会計機販売から情報処理サービスへの業態転換

  1. 1968年大阪市西区に株式会社大阪ビジネスを設立
  2. 1969年本店を大阪市東区常盤町に移転
  3. 1971年東京支店(現・東京本社)開設
  4. 1974年商号を株式会社オービックに変更し本店を大阪市南区塩町通に移転
  5. 1976年東京・大阪の2本社制実施、福岡支店開設
  6. 1980年株式会社オービックビジネスコンサルタント設立
  7. 1996年オービックオフィスオートメーション・中部が同名母体を吸収合併

オービックの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

中古会計機販売とオリックス・リース提携──負担を下げる販売モデル

1968年4月、野田順弘氏が大阪市西区阿波座南通に株式会社大阪ビジネスを設立した。野田氏は高校卒業後に近鉄百貨店で企業向け事務機器の販売に携わり、働きながら大学の夜間部で学んだが、営業成績を上げても夜学卒を理由に評価されない百貨店の体質に嫌気がさして退職、その後は海外事務機器メーカーの営業を経て独立に至った。中古会計機を関西の中小企業へ売り歩く小さな商店からの出発で、メーカーから新品を仕入れる代理店業ではなく、中古品を捌く流通業の体裁を取った。野田順弘氏は同年、オリックスとリース提携を結ぶ。中小企業がコンピュータ・事務機を導入する際の初期投資負担を月額のリース料へ分散させる仕組みで、これにより月数万円のリース料を払える企業層まで顧客を広げた。リース方式の比重は時間とともに上がり、1979年には販売額の9割がリースに乗る形まで広がった。1969年5月に本店を大阪市東区常盤町へ移転、1971年11月に東京支店を、1973年12月に名古屋支店を開設して三大都市圏の販売網を整えた。 [1][2][3][4][5]

  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1968年4月 野田順弘氏が大阪市西区に株式会社大阪ビジネスを設立(中古会計機販売)
    • [4]1969年5月 本店を大阪市東区常盤町へ移転
    • [5]1971年11月 東京支店(現・東京本社)開設
  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【役員の状況】
    • [2]創業者は野田順弘氏
  • 週刊東洋経済(2009年2月7日号)
    • [3]野田氏の独立前の経歴──近鉄百貨店で企業向け事務機器販売、夜間大学で学ぶも夜学卒を理由に評価されず退職、海外事務機器メーカーの営業を経て1968年に独立

1974年1月、商号を株式会社オービックへ改め、本店を大阪市南区塩町通へ移した。事務機・会計機販売から情報処理サービス・自前開発ソフトウェアへの業態転換も、1974年の社名変更に合わせて動き出した。1976年1月に東京・大阪の二本社制を採り、福岡支店を開設、九州拠点まで網を伸ばした。1976年7月に株式会社オービックオフィスオートメーション、1980年12月に株式会社オービックビジネスコンサルタント、1981年9月に株式会社オービックビジネスソリューションと、機能別子会社を相次いで設立してグループ網を広げた。オービックビジネスコンサルタント(OBC)は、23歳で公認会計士2次試験に合格した和田成史氏がオービックの出資を受けて興した会社で、野田順弘氏とは家族ぐるみの付き合いを保ちながらも経営には互いに口を出さない独立関係を築いた。両社とも社長夫人が管理畑を統括する共通点を持ち、ビジネスパートナーというより兄弟姉妹のような間柄と評された。OBCは中小企業向け会計ソフト「奉行シリーズ」の母体となり、1995年のウィンドウズ95登場を追い風に95対応版をヒットさせて、1999年10月に株式を店頭公開し、後に独立して上場会社(4733)へ育つ別ブランド子会社となった。1982〜1983年には大阪・東京・名古屋にオービックシステムエンジニアリングを設立し、SE機能を地域別に分散配置した。 [6][7][8][9][10][11][12][13][14]

  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【沿革】
    • [6]1974年1月 商号を株式会社オービックに変更し本店を大阪市南区塩町通へ移転
    • [7]1976年1月 東京・大阪の二本社制実施・福岡支店開設
    • [8]1976年7月 株式会社オービックオフィスオートメーション設立
    • [9]1980年12月 株式会社オービックビジネスコンサルタント設立
    • [10]1981年9月 株式会社オービックビジネスソリューション設立
    • [11]オービックビジネスコンサルタントは会計ソフト「奉行シリーズ」の母体(別ブランド子会社)。後の独立上場(証券コード4733)は資産で未確認
    • [14]1982〜1983年 オービックシステムエンジニアリングを大阪・東京・名古屋に設立
  • 週刊東洋経済(2000年2月5日号)
    • [12]OBCは23歳で公認会計士2次試験に合格した和田成史氏がオービックの出資を受けて設立、野田順弘氏とは家族ぐるみながら経営は独立、両社とも社長夫人が管理畑を統括する兄弟姉妹のような関係
    • [13]OBCは1995年のWindows95登場を追い風に95対応版奉行シリーズをヒットさせ、1999年10月7日に株式を店頭公開した
  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1968年4月 野田順弘氏が大阪市西区に株式会社大阪ビジネスを設立(中古会計機販売)
    • [4]1969年5月 本店を大阪市東区常盤町へ移転
    • [5]1971年11月 東京支店(現・東京本社)開設
    • [6]1974年1月 商号を株式会社オービックに変更し本店を大阪市南区塩町通へ移転
    • [7]1976年1月 東京・大阪の二本社制実施・福岡支店開設
    • [8]1976年7月 株式会社オービックオフィスオートメーション設立
    • [9]1980年12月 株式会社オービックビジネスコンサルタント設立
    • [10]1981年9月 株式会社オービックビジネスソリューション設立
    • [11]オービックビジネスコンサルタントは会計ソフト「奉行シリーズ」の母体(別ブランド子会社)。後の独立上場(証券コード4733)は資産で未確認
    • [14]1982〜1983年 オービックシステムエンジニアリングを大阪・東京・名古屋に設立
  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【役員の状況】
    • [2]創業者は野田順弘氏
  • 週刊東洋経済(2009年2月7日号)
    • [3]野田氏の独立前の経歴──近鉄百貨店で企業向け事務機器販売、夜間大学で学ぶも夜学卒を理由に評価されず退職、海外事務機器メーカーの営業を経て1968年に独立
  • 週刊東洋経済(2000年2月5日号)
    • [12]OBCは23歳で公認会計士2次試験に合格した和田成史氏がオービックの出資を受けて設立、野田順弘氏とは家族ぐるみながら経営は独立、両社とも社長夫人が管理畑を統括する兄弟姉妹のような関係
    • [13]OBCは1995年のWindows95登場を追い風に95対応版奉行シリーズをヒットさせ、1999年10月7日に株式を店頭公開した

現場主義とソフト志向──6人の技術集団から自社ブランドOFFICEへ

設立当初のオービックは6人程度の技術集団から出発し、専門技術者の集団という性格を創業以来変えなかった。野田順弘氏は「現場主義」を会社設立当初からの理念と位置づけ、ユーザーの現場に飛び込んで泥臭い悩みを失敗を重ねながら解決してこそ市場のニーズを捉えられると考えた。一般のディーラーがメーカーから供給されたハードをそのまま売るのに対し、オービックはメーカーから受け取ったハードにソフトウェアを載せ、ゴルフ場やホテルの予約システムのように業種ごとの業務そのものを商品として仕立てる売り方を取った。ハードは材料に過ぎず、ソフトの付加価値で稼ぐという発想である。ソフト開発そのものが利益源となったことで、1981年時点の売上高は80億円超・経常利益は10億円程度、グループ売上は100億円を超え、業界内で高い利益率を実現した。 [15][16][17][18]

    • [15]「現場主義」は会社設立当初からの理念で、ユーザーの現場に入り込んで市場ニーズを捉える経営思想
    • [16]設立当初は6人程度の技術集団から出発した
    • [17]ハードにソフトを載せ業種ごとの業務を商品化する、ソフトの付加価値で稼ぐ販売モデル
    • [18]1981年時点で売上高80億円超・経常利益10億円程度・グループ売上100億円超

1978年ごろに始めた社内のソフト資産共有システム「フレックス・ライブラリー」で各技術者のノウハウを会社の共有財産として蓄積し、開発と教育の時間を短縮した。1980年には過去に販売したオフコン用ソフトを集大成した自社ブランド「OFFICE」を、翌1981年には日本語対応の「OFFICE 0」を投入している。三菱電機のMELCOMシリーズを主力ハードに据え、1981年中には受注累計5,000台の達成を見込むトップディーラーへ育った。グループとしては横浜・京都・北九州に地域密着型の独立法人を設け、各地域の現場に密着したきめ細かな体制を築いた。 [19][20][21][22]

    • [19]社内ソフト資産共有システム「フレックス・ライブラリー」(1978年ごろ開始)で技術者のノウハウを共有財産化
    • [20]1980年に自社ブランド「OFFICE」、1981年に日本語対応「OFFICE 0」を投入
    • [21]三菱電機MELCOMシリーズを主力ハードとし、1981年中に受注累計5,000台達成を見込んだ
    • [22]横浜・京都・北九州に地域密着型の独立法人を設立
    • [15]「現場主義」は会社設立当初からの理念で、ユーザーの現場に入り込んで市場ニーズを捉える経営思想
    • [16]設立当初は6人程度の技術集団から出発した
    • [17]ハードにソフトを載せ業種ごとの業務を商品化する、ソフトの付加価値で稼ぐ販売モデル
    • [18]1981年時点で売上高80億円超・経常利益10億円程度・グループ売上100億円超
    • [19]社内ソフト資産共有システム「フレックス・ライブラリー」(1978年ごろ開始)で技術者のノウハウを共有財産化
    • [20]1980年に自社ブランド「OFFICE」、1981年に日本語対応「OFFICE 0」を投入
    • [21]三菱電機MELCOMシリーズを主力ハードとし、1981年中に受注累計5,000台達成を見込んだ
    • [22]横浜・京都・北九州に地域密着型の独立法人を設立

中途20名独立事件と新卒採用一本主義への転換、特定業界への新規参入

1973年、オービックは同業他社から営業部隊20名を中途で採用した。入社直後にこの20名がそろって独立、オービックの競合会社を立ち上げてしまい、野田順弘氏は中途人材への不信を強めた。事件を受けて新卒採用一本主義へ切り替え、創業者が自ら面接で選考し、入社後に時間をかけて社内で育てる人事へ転じた。採用と教育に最も力を入れ、1980年度は約3,200名の応募に対して70名近くを採用、入社後も繰り返し教育を重ねて一人ひとりにノウハウを蓄積させる方針を取った。1979年の売上高は60億円、従業員数は310名、人員構成は営業50名・残り260名がシステム・技術部隊という極端な技術寄りで、ハードウェアでなくソフトウェアの利用価値で稼ぐ方針が人員配置に表れた。 [23]

1980年代前半は急成長中の消費者金融(サラ金)業界向けシステムで業績を伸ばしたが、1983年成立・1985年改正の貸金業法施行でサラ金業者が次々に経営難に陥り、消費者金融向けの売り先を失った。1985年5月以降、オービックは消費者金融向けで蓄えた業界別パッケージのノウハウを、自動車教習所向け講習予約・銀行向け不動産担保評価など他の特定業界へ横転用した。子会社を通じた内製にこだわり、品質と納期を社内で握る体制で業界別パッケージのシェアを取りに行く構造である。1988年10月には地方都市に営業所・支店を相次いで新設、営業会社から「営業とシステム開発の会社」へ自己定義を改めた。1997年4月、中堅企業向けERP「OBIC7シリーズ」の提供を開始し、生産・販売・会計・人事・給与の業務別パッケージをCD-R形式で配り、業界を問わない汎用業務へ商材を組み替えた。

1998年〜 上場と直販モデルの確立、大企業向けERP失敗と創業者の社長復帰

  1. 1998年東京証券取引所市場第二部に株式を上場
  2. 1999年オービックビジネスコンサルタントの株式を店頭市場に公開
  3. 2000年東京証券取引所市場第一部に指定
  4. 2003年SE子会社3社(大阪・東京・名古屋)を合併し株式会社オービックシステムエンジニアリングに統合
  5. 2005年東京新本社ビル竣工により本店を東京都中央区京橋に移転
  6. 2006年創業者の野田順弘氏が代表取締役会長兼社長に就任(社長復帰)
  7. 2012年連結子会社のオービックシステムエンジニアリング・オービックビジネスソリューションを吸収合併

オービックの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

東証2部上場・1年強で東証1部へ──直販と内製で生む高利益率

1998年12月、創業から30年目で東京証券取引所市場第二部に株式を上場した。野田順弘氏は社内開発・直販・低固定費の三原則を上場後も堅持し、外部資金調達に頼らず利益剰余金で成長する経営方針を継続することを公にした。折しも1998年に登場したウィンドウズ98はハードメーカー間の互換性を高め、それまでNECのPC-9800が牙城としてきた市場でどのメーカーでも同一ソフトが動くようになった。オービックはこれを機に企業ごとの個別開発に依存しない業務用パッケージソフトの開発へ踏み込み、「ほとんど利益がなかった」ソフト販売を高利益体質へ転換させた。1999年10月、関連会社のオービックビジネスコンサルタントを店頭市場に公開、グループ親子上場の枠組みを敷いた。2000年3月、東証2部上場から1年強で東京証券取引所市場第一部に指定された。直販と内製で生む高い営業利益率と外部負債のない財務体質を市場が評価した結果である。 [24][25][26][27]

  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【沿革】
    • [24]1998年12月 創業(1968年)から30年目で東京証券取引所市場第二部に上場
    • [26]1999年10月 関連会社オービックビジネスコンサルタントの株式を店頭市場に公開(親子上場)
    • [27]2000年3月 二部上場から1年強で東京証券取引所市場第一部に指定
  • 週刊東洋経済(2009年2月7日号)
    • [25]1998年のウィンドウズ98登場でハードメーカー間の互換性が向上(従来はNECのPC-9800が牙城)、業務用パッケージソフトの開発により高利益体質へ転換

2003年10月、SE機能の地域別子会社(大阪・東京・名古屋)3社をオービックシステムエンジニアリングへ統合、SE機能を集約した。2004年3月にはオービックビジネスコンサルタントが東証一部へ昇格、グループの親子上場体制が整った。2005年1月、東京新本社ビル竣工により本店を東京都中央区京橋へ移し、東京本社拠点をオービックの保有物件へ切り替えた。1968年のオリックスとのリース提携で初期投資負担を月額化し、1973年の中途20名独立事件で新卒一本主義へ転じ、1985年の貸金業法ショックで特定業界向けの展開へ切り替えた歴史を、上場後の30年もオービックは同じ三原則で支えた構造が、東証1部・本社ビル保有・親子上場の枠組みの完成へつながった。 [28][29][30]

  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【沿革】
    • [28]2003年10月 SE機能の地域別子会社(大阪・東京・名古屋)3社をオービックシステムエンジニアリングへ統合
    • [29]2004年3月 オービックビジネスコンサルタントが東証一部へ昇格(親子上場体制)
    • [30]2005年1月 東京新本社ビル竣工により本店を東京都中央区京橋へ移転(自社所有化)
  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【沿革】
    • [24]1998年12月 創業(1968年)から30年目で東京証券取引所市場第二部に上場
    • [26]1999年10月 関連会社オービックビジネスコンサルタントの株式を店頭市場に公開(親子上場)
    • [27]2000年3月 二部上場から1年強で東京証券取引所市場第一部に指定
    • [28]2003年10月 SE機能の地域別子会社(大阪・東京・名古屋)3社をオービックシステムエンジニアリングへ統合
    • [29]2004年3月 オービックビジネスコンサルタントが東証一部へ昇格(親子上場体制)
    • [30]2005年1月 東京新本社ビル竣工により本店を東京都中央区京橋へ移転(自社所有化)
  • 週刊東洋経済(2009年2月7日号)
    • [25]1998年のウィンドウズ98登場でハードメーカー間の互換性が向上(従来はNECのPC-9800が牙城)、業務用パッケージソフトの開発により高利益体質へ転換

大企業向けERPの挫折と橘昇一の製販一体立て直し

2003年、野田順弘氏が会長へ移り、後任の社長として相浦明氏が就いた。1974年同志社大学文学部卒・新卒入社の生え抜き社員である。新社長は業績拡大を狙って成果主義を導入し、社員評価を従来の1年単位から四半期ごとの数字を重視する形へ変えた。あわせて競合のワークスアプリケーションズを意識し、年商1,000億円前後の大企業向けERPの開発・販売へ参入を決めた。中小企業向けで磨いた業界別パッケージのノウハウを、人事制度の刷新で大企業向けへ持ち込もうという狙いである。だが、新卒採用一本主義で年数十名規模に絞った人員制約は、大企業向けERPに必要な工数を吸収しきれず、中途採用で人員を補填する道も野田順弘氏以来の方針で閉ざされていた。四半期の数値目標に追われた営業は赤字になりそうな案件でも受注し、SEは無理な受注で残業を強いられ、消化できない分の外部委託が増える悪循環が表面化した。 [31]

  • 週刊東洋経済(2009年2月7日号)
    • [31]新社長が成果主義を導入し社員評価を1年単位から四半期ごとの数字重視へ変更、赤字案件の受注・SE残業・外注委託増という悪循環が生じた

危機感を強めた野田会長は2005年、13年連続で営業成績1位を続けた名物社員で当時は横浜支店長だった橘昇一氏を東京へ呼び寄せた。橘氏は、それまで別フロアで作業していた営業とSEを同じフロアに机を並べる製販一体体制へ切り替え、両輪が緊密に連携することで無理な納期や受注を避けられるようにした。不採算案件は7〜8割も減り、伸び悩んでいた営業利益率は少しずつ上向き、上がっていた離職率も低下に転じた。100%直販という特色のもと、営業とSEが一体で顧客をフォローする体制は、システム障害時の対応を速め、現場の不満や要望を直接パッケージの改良へ反映する回路にもなった。野田会長が毎日全フロアを巡回して社員一人ひとりに声をかける「お散歩」や、橘副社長が本社横のスターバックスで出勤する社員を毎朝観察し1日200人以上に声をかける習慣は、こうした対話重視の企業文化として定着し、入社3年以内の離職率4%という高い定着率を支えた。一方で「即戦力の中途を採らず成長が遅い」「M&Aが進まない」というアナリストの批判もあり、大企業向けが主戦場だったSAPや日本オラクルが中堅・中小市場に攻め込む構えを見せるなか、純血主義を貫く同社の競争力が問われ始めていた。 [32][33][34][35]

  • 週刊東洋経済(2009年2月7日号)
    • [32]2005年 野田会長が13年連続営業成績1位・横浜支店長の橘昇一氏を東京へ呼び寄せ、営業とSEを同一フロアに集約する製販一体体制へ変更、不採算案件を7〜8割削減して立て直した
    • [33]100%直販のもと営業とSEが一体で顧客をフォローし、障害対応の迅速化と要望のパッケージ改良への反映を実現
    • [34]野田会長の「お散歩」(全フロア巡回)と橘副社長のスターバックスでの社員観察(1日200人以上に声かけ)という対話重視の文化、入社3年以内離職率4%
    • [35]純血主義への批判(即戦力の中途を採らず成長が遅い・M&Aが進まない)と、SAP・日本オラクルの中堅中小市場参入という競争環境

2006年、オービックは大企業向けERPからの実質撤退を決め、相浦明社長が退任、創業者の野田順弘氏が社長へ復帰した。新卒主義・内製・直販・低固定費という創業期からの原則は、大企業向けの工数構造とは噛み合わず、原則を緩めれば利益率が崩れるという因果が3年で表面化した形である。2010年3月期はリーマンショックによるIT投資の冷え込みと中堅企業向けERP需要の一巡で減収となり、OBIC7一本足の事業構造の振幅も浮かんだ。2012年10月、連結子会社のオービックシステムエンジニアリングとオービックビジネスソリューションの2社を吸収合併、機能別子会社の集約で意思決定の速さと利益率の改善を取りに行った。 [36]

  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【沿革】
    • [36]2012年10月 連結子会社オービックシステムエンジニアリングとオービックビジネスソリューションの2社を吸収合併
  • 週刊東洋経済(2009年2月7日号)
    • [31]新社長が成果主義を導入し社員評価を1年単位から四半期ごとの数字重視へ変更、赤字案件の受注・SE残業・外注委託増という悪循環が生じた
    • [32]2005年 野田会長が13年連続営業成績1位・横浜支店長の橘昇一氏を東京へ呼び寄せ、営業とSEを同一フロアに集約する製販一体体制へ変更、不採算案件を7〜8割削減して立て直した
    • [33]100%直販のもと営業とSEが一体で顧客をフォローし、障害対応の迅速化と要望のパッケージ改良への反映を実現
    • [34]野田会長の「お散歩」(全フロア巡回)と橘副社長のスターバックスでの社員観察(1日200人以上に声かけ)という対話重視の文化、入社3年以内離職率4%
    • [35]純血主義への批判(即戦力の中途を採らず成長が遅い・M&Aが進まない)と、SAP・日本オラクルの中堅中小市場参入という競争環境
  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【沿革】
    • [36]2012年10月 連結子会社オービックシステムエンジニアリングとオービックビジネスソリューションの2社を吸収合併

2013年〜 クラウド転換と時価総額1兆円、創業家ガバナンスへの株主の問い(2013〜現在)

  1. 2019年オービッククラウドサービスで「SOC1 Type2報告書」を受領
  2. 2020年大阪新本社ビル竣工により大阪本社を大阪市中央区平野町に移転
  3. 2022年東京証券取引所の市場区分見直しによりプライム市場へ移行
  4. 2023年株式会社オービーシステムの株式を東京証券取引所スタンダード市場に上場

オービックの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

橘昇一社長への承継とオービッククラウド・SaaS収益基盤の拡張

2013年、野田順弘氏が代表取締役会長へ、二代目社長として橘昇一氏が就任した。創業から45年での社長交代で、創業家から非同族への承継となった。野田順弘氏は会長として在任を続け、創業期の三原則の継承役を担う構造である。同年4月、マイクロソフトのAzureを下回りに敷いたオービッククラウドの提供を始めた。データセンター・サーバーの社内保有を最小限に抑え、Azureの基盤上でOBIC7をSaaSとして提供する設計で、社内開発・直販・低固定費の原則をクラウド時代の収益モデルへ移植する試みである。2015年にはマイナンバー対応の無償提供を発表、中堅企業向けの追加開発負担を会社側で負って囲い込む対応を取った。

2019年3月、オービッククラウドサービスでSSAE18準拠の「SOC1 Type2報告書」を受領、クラウド事業の内部統制水準を引き上げて大手顧客の採用障壁を下げた。同2019年、時価総額1兆円を突破した。SI事業(システム新規構築)でなくSS事業(システム・サポート)による運用保守がストック収益として積み上がり、リプレイスが困難な基幹システムの導入企業からの継続収入が時価総額の押し上げに寄与した。2020年2月、大阪新本社ビル(オービック御堂筋ビル)が竣工、大阪本社を大阪市中央区平野町へ移し、東西両本社をオービック自身の保有ビルに揃えた。2022年3月、潤沢な現預金を運用に回す方針でFY21に投資有価証券321億円を取得、国内上場企業株式を中心に余資運用を始めた。 [37][38]

  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【沿革】
    • [37]2019年3月 オービッククラウドサービスでSSAE18準拠の「SOC1 Type2報告書」を受領
    • [38]2020年2月 大阪新本社ビル(オービック御堂筋ビル)竣工により大阪本社を大阪市中央区平野町へ移転
  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【沿革】
    • [37]2019年3月 オービッククラウドサービスでSSAE18準拠の「SOC1 Type2報告書」を受領
    • [38]2020年2月 大阪新本社ビル(オービック御堂筋ビル)竣工により大阪本社を大阪市中央区平野町へ移転

プライム移行と創業家ガバナンスへの問い

2022年4月、東証の市場区分見直しでプライム市場へ移行、流通株式比率と時価総額の双方で要件を充足した。2023年3月期は売上高_当期純利益率50%を突破、リプレイスが困難なシステムの展開で高利益率を維持した。2023年6月には連結子会社の株式会社オービーシステムを東証スタンダード市場へ上場、グループ親子上場体制を追加した。2025年3月期の業績は売上1,212億円・営業利益784億円・営業利益率64.6%で、国内ソフトウェア業界で突出した収益体質を維持している。 [39][40][41]

  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【沿革】
    • [39]2022年4月 東証の市場区分見直しでプライム市場へ移行
    • [40]2023年6月 連結子会社の株式会社オービーシステムを東証スタンダード市場へ上場
  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)
    • [41]2025年3月期(連結)は売上高1,212億円(121,240百万円)・営業利益784億円(78,378百万円)・営業利益率64.6%

この高収益体質の中身は、外注をほとんど使わず中途採用も行わない「逆張り経営」にある。新卒を育てて営業から導入コンサルティング、保守までをワンストップで担い、システム開発の大半を内製する。業界・業種ごとに要件を標準化して受注時の曖昧さを排し、セキュリティ診断まで内製化したことで、経営企画室が「競合他社では1年かかるシステムを当社なら半年で構築できる」と語る短納期を実現した。一般的なSI企業の営業利益率が10%程度であるのに対し、オービックは60%を超え、2023年3月期上期末には62.6%へさらに上昇、上期決算は売上高490億円(前年同期比12.7%増)・営業利益307億円(同16.5%増)と2桁増収増益を続けた。システムインテグレーション事業は契約金額ベースで9割がクラウド版となり、2025年までに全面クラウド移行を予定する。売上高1,000億円を超える大企業からの受注も増え、東京・大阪・名古屋の「オービッククラウドアカデミー」で顧客のシステム担当者を集中研修する体制のもと、大企業の顧客比率は22%程度まで上昇した。自己資本比率90%超・現預金1,500億円近く・28期連続増益という財務を築きながら、橘昇一社長は「当社の経営はまだまだ1合目」と述べ、独SAPや米オラクルという桁違いの規模のライバルと同じ山を登る道のりを見据える。 [42][43][44][45]

  • 週刊東洋経済(2022年12月3日号)
    • [42]外注をほぼ使わず中途採用もせず新卒育成・内製化を貫く「逆張り経営」、要件標準化とセキュリティ診断内製化で競合の半分の納期を実現
    • [43]営業利益率は一般的SIの10%程度に対し60%超、2023年3月期上期末62.6%、上期売上490億円(+12.7%)・営業利益307億円(+16.5%)
    • [44]SI事業は契約金額ベースで9割がクラウド版、2025年までに全面クラウド移行予定。大企業の顧客比率は22%程度まで上昇
    • [45]自己資本比率90%超・現預金1,500億円近く・28期連続増益、ライバルは独SAP・米オラクル、橘社長は「まだ1合目」と表現

一方、2023年7月の定時株主総会では、創業者で89歳の野田会長について取締役選任の賛成比率が83%、反対比率17%まで支持を下げた。創業家による長期保有と利益剰余金の積み増し方針(FY21の投資有価証券321億円取得、現預金の運用余資化など)への評価が、機関投資家の側で割れ始めた局面である。橘昇一社長はOBIC7のクラウド型導入を中堅企業中心に広げ、サブスクリプション収益でストック比率を引き上げる方向を取る一方、創業家の議決権基盤と非同族の業務責任者の役割分担をどう設計し直すかは未決のままで、1968年の中古会計機販売・オリックス提携で始まった「初期投資負担を下げる」販売モデルが、SaaS時代の長期契約と継続課金の世界でどこまで通用する範囲を広げられるかが、創業から57年を経たオービックの直近の論点となる。

  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【沿革】
    • [39]2022年4月 東証の市場区分見直しでプライム市場へ移行
    • [40]2023年6月 連結子会社の株式会社オービーシステムを東証スタンダード市場へ上場
  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)
    • [41]2025年3月期(連結)は売上高1,212億円(121,240百万円)・営業利益784億円(78,378百万円)・営業利益率64.6%
  • 週刊東洋経済(2022年12月3日号)
    • [42]外注をほぼ使わず中途採用もせず新卒育成・内製化を貫く「逆張り経営」、要件標準化とセキュリティ診断内製化で競合の半分の納期を実現
    • [43]営業利益率は一般的SIの10%程度に対し60%超、2023年3月期上期末62.6%、上期売上490億円(+12.7%)・営業利益307億円(+16.5%)
    • [44]SI事業は契約金額ベースで9割がクラウド版、2025年までに全面クラウド移行予定。大企業の顧客比率は22%程度まで上昇
    • [45]自己資本比率90%超・現預金1,500億円近く・28期連続増益、ライバルは独SAP・米オラクル、橘社長は「まだ1合目」と表現

オービックの沿革1968〜2023年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
野田順弘大阪市西区に株式会社大阪ビジネスを設立★★★
野田順弘本店を大阪市東区常盤町に移転
野田順弘東京支店(現・東京本社)開設
野田順弘株式会社オービーシステム設立
野田順弘商号を株式会社オービックに変更し本店を大阪市南区塩町通に移転★★★
野田順弘東京・大阪の2本社制実施、福岡支店開設★★
野田順弘株式会社オービックオフィスオートメーション設立
野田順弘株式会社オービックオフィスオートメーション・中部設立
野田順弘株式会社オービックビジネスコンサルタント設立★★
野田順弘株式会社オービックビジネスソリューション設立
野田順弘株式会社オービックシステムエンジニアリング(大阪)設立、静岡営業所・広島サービスセンター開設
野田順弘株式会社オービックシステムエンジニアリング(東京)設立
野田順弘株式会社オービックシステムエンジニアリング(名古屋)設立
野田順弘株式会社新潟オービックシステムエンジニアリング設立
野田順弘横浜支店開設
野田順弘合区実施による区変更のため本店所在地を大阪市中央区南船場に変更
野田順弘本店を大阪市中央区博労町に移転
野田順弘オービックオフィスオートメーション・中部が同名母体を吸収合併★★
野田順弘本店を東京都中央区日本橋本町に移転
野田順弘東京証券取引所市場第二部に株式を上場★★★
野田順弘オービックビジネスコンサルタントの株式を店頭市場に公開★★
野田順弘東京証券取引所市場第一部に指定★★★
野田順弘SE子会社3社(大阪・東京・名古屋)を合併し株式会社オービックシステムエンジニアリングに統合★★
野田順弘オービックビジネスコンサルタントの株式を東京証券取引所市場第一部に上場
野田順弘東京新本社ビル竣工により本店を東京都中央区京橋に移転★★
野田順弘創業者の野田順弘氏が代表取締役会長兼社長に就任(社長復帰)★★★
橘昇一連結子会社のオービックシステムエンジニアリング・オービックビジネスソリューションを吸収合併★★
橘昇一オービッククラウドサービスで「SOC1 Type2報告書」を受領
橘昇一大阪新本社ビル竣工により大阪本社を大阪市中央区平野町に移転★★
橘昇一東京証券取引所の市場区分見直しによりプライム市場へ移行★★
橘昇一株式会社オービーシステムの株式を東京証券取引所スタンダード市場に上場
出典・参考

免責事項およびポリシー