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オービックの歴史

創業年
-
株式上場
-
1968年
野田順弘氏が「株式会社大阪ビジネス」を設立
1973年
中途採用20名が離職。新卒採用重視に方針転換
1980年頃
特定業界向けのシステム開発に注力
2010年
memo
1982年
地方営業所を拡充
1998年
東京証券取引所第2部に株式上場
2001年
東京証券取引所第1部に指定
2003年
野田順弘が会長就任。後任に相浦明氏が社長就任。
2003年
大企業向けシステム開発に参入
2003年
相浦明社長の発言
2006年
大企業向けシステム開発から撤退
2006年
野田順弘が社長復帰。相浦明氏が社長退任
2013年
橘昇一氏が社長就任。野田順弘氏は会長就任
2015年
マイナンバーの無償対応を発表
2019年
時価総額1兆円を突破
オービック創業者・野田順弘
オービック創業者・野田順弘
illustration by @yusugiura
1968年

野田順弘氏が「株式会社大阪ビジネス」を設立

会計機械を取り扱う東京オフィスマシンに勤務していた野田順弘氏が、独立して「大阪ビジネス」を設立。中古の会計機を関西の中小企業に販売する営業ビジネスを開始した。

1973年

中途採用20名が離職。新卒採用重視に方針転換

オービックは業容を拡大するために、経営が悪化した同業他社から20名の中途社員(営業部隊)を採用。ところが、すぐに20名が独立してオービックの競合会社を立ち上げたため、野田順弘氏は大きな衝撃を受けるとともに、中途採用に対する不信感を抱く。この事件をきっかけに、オービックは新卒採用に特化する方針を決めた。

野田順弘の回想
野田順弘の回想

彼らのほとんどが3ヶ月もたたずに辞めてしまった。聞けば、当社に移籍する前から、自分たちで会社を立ち上げるつもりでいたとのことでした。こちらは冬のボーナスを支払い、予定していた翌年の定期採用を注視していたので、悔しい思いでいっぱいでした。けれども、よく考えてみると、その20人の移籍組は自分が汗水流して探し出し、自らの思いを伝え、苦労して育て上げた人たちではありません。結局、必要な人材は多少時間がかかっても自分で育てるしかない。苦い経験をきっかけにそう確信した私は以降、直接面接して先行した新卒社員だけをゼロから育て上げる育成手法を取ることに決めました。

2015/9/7日経ビジネス「有訓無訓・野田順弘」
1980年頃

特定業界向けのシステム開発に注力

オービックはシステム開発を効率化するために、特定業界に特化したシステム開発を志向し、1980年代には消費者金融業界向けのシステム開発に重点を置く。以後、自動車教習所向け講習予約システム・銀行向け不動産担保評価システムなど、特定業界向けのシステムを横展開することでシェアを確保する。

2010年

memo

2000年前後のオービックの業務フローについて。営業担当者は1日10〜15件を顧客訪問。見積もりは2過去の開発データを参考に、2〜3日で提示。内訳を詳細に提示すると値下げ交渉に巻き込まれるため、概算見積もりを提示。営業では技術的な話には立ち入らず。

1982年

地方営業所を拡充

営業体制を充実させるため、地方都市に営業所・支店を相次いで新設。この頃には自前のシステム開発体制を構築し、営業会社から「営業とシステム開発の会社」へと発展

野田順弘の回想
野田順弘の回想

日本の産業構造は、メーカーがあり、商社や卸があり、メーカーの下には多数の下請けがあるわけですが、仮に製品に何か問題が起こったとき、消費者はどこへ問い合わせたらいいのかわからないことが多い。企業は規格量産型で生産性を上げるのに必死で、顧客満足度を追求する体制がなかったんですね。企業の情報システムを構築するオービックは、コンサルティングから情報システム設計、サポートサービス、教育まで、全部含めてやっています。日本の産業の80%は中有小企業ですが、中小企業に足りないのは人・モノ・金。それを情報により補う。つまり情報システムを共有化し、生産性を上げ、企業の競争力をつけていく。そして何か起きたとき、一括して解決し、お客様にサービスする。この考え方が「ワンストップソリューションサービス」。つまり問題点のたらい回しをしないということです

2007/11関西大学ニュースレター「独自性を発揮し、満足度を高める時代」
1998年

東京証券取引所第2部に株式上場

2001年

東京証券取引所第1部に指定

2003年

野田順弘が会長就任。後任に相浦明氏が社長就任。

相浦明氏は1974年に同志社大学・文学部を卒業し、オービックに入社した生え抜き社員

2003年

大企業向けシステム開発に参入

相浦明社長は競合の「ワークスアプリケーションズ」を意識し、年商1000億円前後の大企業向けのERPの開発・販売を決定。同時に、成果主義による評価制度を導入した。従来の中小企業向けに加え、大企業向けのシステム開発に参入しつつ、社風の一新を試みた。

2003年

相浦明社長の発言

ワークスの03年6月期決算は大変好調だと聞いています(連結売上高が56億円、経常利益が16億7800万円だった)。ここ2〜3年、ぶつかるケースが増えてきました。正直、ワークスに対しては甘く見ていたところがあります。ワークスの場合はカスタマイズを一切行わず、顧客の要望はバージョンアップ時に取り込むという考え方ですが、当社はカスタマイズで対応します。顧客数が増えたときに、ワークスのやり方でうまくいくのかは疑問です。ワークスに限らず世の中の人事・給与ソフトで一番いいものを追い越すためのプロジェクトを5月に発足させました。開発部門だけでなく、SE、営業、マーケティング推進の人を一緒にしてチームを作りました。

2006年

大企業向けシステム開発から撤退

大企業向けERPの参入によってオービック社内では業務量が増大し、新卒採用だけに限る同社は中途採用による人材補填ができず、残業などが増大。この結果、納期の遅延が多発するなど、問題が生じた。そこで、オービックは大企業向けのシステム開発からの実質的な撤退を決めた。

2006年

野田順弘が社長復帰。相浦明氏が社長退任

大企業向けのシステム開発の頓挫により、創業者の野田順弘氏が社長に復帰。

2013年

橘昇一氏が社長就任。野田順弘氏は会長就任

2015年

マイナンバーの無償対応を発表

2019年

時価総額1兆円を突破