1968年〜 大阪の会計機販売から情報処理サービスへの業態転換
- 1968年大阪市西区に株式会社大阪ビジネスを設立
- 1969年本店を大阪市東区常盤町に移転
- 1971年東京支店(現・東京本社)開設
- 1974年商号を株式会社オービックに変更し本店を大阪市南区塩町通に移転
- 1976年東京・大阪の2本社制実施、福岡支店開設
- 1980年株式会社オービックビジネスコンサルタント設立
- 1996年オービックオフィスオートメーション・中部が同名母体を吸収合併
オービックの業績推移:単体
出所:有価証券報告書等
中古会計機販売とオリックス・リース提携──負担を下げる販売モデル
1968年4月、野田順弘氏が大阪市西区阿波座南通に株式会社大阪ビジネスを設立した。野田氏は高校卒業後に近鉄百貨店で企業向け事務機器の販売に携わり、働きながら大学の夜間部で学んだが、営業成績を上げても夜学卒を理由に評価されない百貨店の体質に嫌気がさして退職、その後は海外事務機器メーカーの営業を経て独立に至った。中古会計機を関西の中小企業へ売り歩く小さな商店からの出発で、メーカーから新品を仕入れる代理店業ではなく、中古品を捌く流通業の体裁を取った。野田順弘氏は同年、オリックスとリース提携を結ぶ。中小企業がコンピュータ・事務機を導入する際の初期投資負担を月額のリース料へ分散させる仕組みで、これにより月数万円のリース料を払える企業層まで顧客を広げた。リース方式の比重は時間とともに上がり、1979年には販売額の9割がリースに乗る形まで広がった。1969年5月に本店を大阪市東区常盤町へ移転、1971年11月に東京支店を、1973年12月に名古屋支店を開設して三大都市圏の販売網を整えた。 [1][2][3][4][5]
- オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【沿革】
- [1]1968年4月 野田順弘氏が大阪市西区に株式会社大阪ビジネスを設立(中古会計機販売)
- [4]1969年5月 本店を大阪市東区常盤町へ移転
- [5]1971年11月 東京支店(現・東京本社)開設
- オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【役員の状況】
- [2]創業者は野田順弘氏
- 週刊東洋経済(2009年2月7日号)
- [3]野田氏の独立前の経歴──近鉄百貨店で企業向け事務機器販売、夜間大学で学ぶも夜学卒を理由に評価されず退職、海外事務機器メーカーの営業を経て1968年に独立
1974年1月、商号を株式会社オービックへ改め、本店を大阪市南区塩町通へ移した。事務機・会計機販売から情報処理サービス・自前開発ソフトウェアへの業態転換も、1974年の社名変更に合わせて動き出した。1976年1月に東京・大阪の二本社制を採り、福岡支店を開設、九州拠点まで網を伸ばした。1976年7月に株式会社オービックオフィスオートメーション、1980年12月に株式会社オービックビジネスコンサルタント、1981年9月に株式会社オービックビジネスソリューションと、機能別子会社を相次いで設立してグループ網を広げた。オービックビジネスコンサルタント(OBC)は、23歳で公認会計士2次試験に合格した和田成史氏がオービックの出資を受けて興した会社で、野田順弘氏とは家族ぐるみの付き合いを保ちながらも経営には互いに口を出さない独立関係を築いた。両社とも社長夫人が管理畑を統括する共通点を持ち、ビジネスパートナーというより兄弟姉妹のような間柄と評された。OBCは中小企業向け会計ソフト「奉行シリーズ」の母体となり、1995年のウィンドウズ95登場を追い風に95対応版をヒットさせて、1999年10月に株式を店頭公開し、後に独立して上場会社(4733)へ育つ別ブランド子会社となった。1982〜1983年には大阪・東京・名古屋にオービックシステムエンジニアリングを設立し、SE機能を地域別に分散配置した。 [6][7][8][9][10][11][12][13][14]
- オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【沿革】
- [6]1974年1月 商号を株式会社オービックに変更し本店を大阪市南区塩町通へ移転
- [7]1976年1月 東京・大阪の二本社制実施・福岡支店開設
- [8]1976年7月 株式会社オービックオフィスオートメーション設立
- [9]1980年12月 株式会社オービックビジネスコンサルタント設立
- [10]1981年9月 株式会社オービックビジネスソリューション設立
- [11]オービックビジネスコンサルタントは会計ソフト「奉行シリーズ」の母体(別ブランド子会社)。後の独立上場(証券コード4733)は資産で未確認
- [14]1982〜1983年 オービックシステムエンジニアリングを大阪・東京・名古屋に設立
- 週刊東洋経済(2000年2月5日号)
- [12]OBCは23歳で公認会計士2次試験に合格した和田成史氏がオービックの出資を受けて設立、野田順弘氏とは家族ぐるみながら経営は独立、両社とも社長夫人が管理畑を統括する兄弟姉妹のような関係
- [13]OBCは1995年のWindows95登場を追い風に95対応版奉行シリーズをヒットさせ、1999年10月7日に株式を店頭公開した
- オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【沿革】
- [1]1968年4月 野田順弘氏が大阪市西区に株式会社大阪ビジネスを設立(中古会計機販売)
- [4]1969年5月 本店を大阪市東区常盤町へ移転
- [5]1971年11月 東京支店(現・東京本社)開設
- [6]1974年1月 商号を株式会社オービックに変更し本店を大阪市南区塩町通へ移転
- [7]1976年1月 東京・大阪の二本社制実施・福岡支店開設
- [8]1976年7月 株式会社オービックオフィスオートメーション設立
- [9]1980年12月 株式会社オービックビジネスコンサルタント設立
- [10]1981年9月 株式会社オービックビジネスソリューション設立
- [11]オービックビジネスコンサルタントは会計ソフト「奉行シリーズ」の母体(別ブランド子会社)。後の独立上場(証券コード4733)は資産で未確認
- [14]1982〜1983年 オービックシステムエンジニアリングを大阪・東京・名古屋に設立
- オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【役員の状況】
- [2]創業者は野田順弘氏
- 週刊東洋経済(2009年2月7日号)
- [3]野田氏の独立前の経歴──近鉄百貨店で企業向け事務機器販売、夜間大学で学ぶも夜学卒を理由に評価されず退職、海外事務機器メーカーの営業を経て1968年に独立
- 週刊東洋経済(2000年2月5日号)
- [12]OBCは23歳で公認会計士2次試験に合格した和田成史氏がオービックの出資を受けて設立、野田順弘氏とは家族ぐるみながら経営は独立、両社とも社長夫人が管理畑を統括する兄弟姉妹のような関係
- [13]OBCは1995年のWindows95登場を追い風に95対応版奉行シリーズをヒットさせ、1999年10月7日に株式を店頭公開した
現場主義とソフト志向──6人の技術集団から自社ブランドOFFICEへ
設立当初のオービックは6人程度の技術集団から出発し、専門技術者の集団という性格を創業以来変えなかった。野田順弘氏は「現場主義」を会社設立当初からの理念と位置づけ、ユーザーの現場に飛び込んで泥臭い悩みを失敗を重ねながら解決してこそ市場のニーズを捉えられると考えた。一般のディーラーがメーカーから供給されたハードをそのまま売るのに対し、オービックはメーカーから受け取ったハードにソフトウェアを載せ、ゴルフ場やホテルの予約システムのように業種ごとの業務そのものを商品として仕立てる売り方を取った。ハードは材料に過ぎず、ソフトの付加価値で稼ぐという発想である。ソフト開発そのものが利益源となったことで、1981年時点の売上高は80億円超・経常利益は10億円程度、グループ売上は100億円を超え、業界内で高い利益率を実現した。 [15][16][17][18]
- [15]「現場主義」は会社設立当初からの理念で、ユーザーの現場に入り込んで市場ニーズを捉える経営思想
- [16]設立当初は6人程度の技術集団から出発した
- [17]ハードにソフトを載せ業種ごとの業務を商品化する、ソフトの付加価値で稼ぐ販売モデル
- [18]1981年時点で売上高80億円超・経常利益10億円程度・グループ売上100億円超
1978年ごろに始めた社内のソフト資産共有システム「フレックス・ライブラリー」で各技術者のノウハウを会社の共有財産として蓄積し、開発と教育の時間を短縮した。1980年には過去に販売したオフコン用ソフトを集大成した自社ブランド「OFFICE」を、翌1981年には日本語対応の「OFFICE 0」を投入している。三菱電機のMELCOMシリーズを主力ハードに据え、1981年中には受注累計5,000台の達成を見込むトップディーラーへ育った。グループとしては横浜・京都・北九州に地域密着型の独立法人を設け、各地域の現場に密着したきめ細かな体制を築いた。 [19][20][21][22]
- [19]社内ソフト資産共有システム「フレックス・ライブラリー」(1978年ごろ開始)で技術者のノウハウを共有財産化
- [20]1980年に自社ブランド「OFFICE」、1981年に日本語対応「OFFICE 0」を投入
- [21]三菱電機MELCOMシリーズを主力ハードとし、1981年中に受注累計5,000台達成を見込んだ
- [22]横浜・京都・北九州に地域密着型の独立法人を設立
- [15]「現場主義」は会社設立当初からの理念で、ユーザーの現場に入り込んで市場ニーズを捉える経営思想
- [16]設立当初は6人程度の技術集団から出発した
- [17]ハードにソフトを載せ業種ごとの業務を商品化する、ソフトの付加価値で稼ぐ販売モデル
- [18]1981年時点で売上高80億円超・経常利益10億円程度・グループ売上100億円超
- [19]社内ソフト資産共有システム「フレックス・ライブラリー」(1978年ごろ開始)で技術者のノウハウを共有財産化
- [20]1980年に自社ブランド「OFFICE」、1981年に日本語対応「OFFICE 0」を投入
- [21]三菱電機MELCOMシリーズを主力ハードとし、1981年中に受注累計5,000台達成を見込んだ
- [22]横浜・京都・北九州に地域密着型の独立法人を設立
中途20名独立事件と新卒採用一本主義への転換、特定業界への新規参入
1973年、オービックは同業他社から営業部隊20名を中途で採用した。入社直後にこの20名がそろって独立、オービックの競合会社を立ち上げてしまい、野田順弘氏は中途人材への不信を強めた。事件を受けて新卒採用一本主義へ切り替え、創業者が自ら面接で選考し、入社後に時間をかけて社内で育てる人事へ転じた。採用と教育に最も力を入れ、1980年度は約3,200名の応募に対して70名近くを採用、入社後も繰り返し教育を重ねて一人ひとりにノウハウを蓄積させる方針を取った。1979年の売上高は60億円、従業員数は310名、人員構成は営業50名・残り260名がシステム・技術部隊という極端な技術寄りで、ハードウェアでなくソフトウェアの利用価値で稼ぐ方針が人員配置に表れた。 [23]
- [23]1980年度は約3,200名の応募に対して70名近くを採用(採用・教育重視)
1980年代前半は急成長中の消費者金融(サラ金)業界向けシステムで業績を伸ばしたが、1983年成立・1985年改正の貸金業法施行でサラ金業者が次々に経営難に陥り、消費者金融向けの売り先を失った。1985年5月以降、オービックは消費者金融向けで蓄えた業界別パッケージのノウハウを、自動車教習所向け講習予約・銀行向け不動産担保評価など他の特定業界へ横転用した。子会社を通じた内製にこだわり、品質と納期を社内で握る体制で業界別パッケージのシェアを取りに行く構造である。1988年10月には地方都市に営業所・支店を相次いで新設、営業会社から「営業とシステム開発の会社」へ自己定義を改めた。1997年4月、中堅企業向けERP「OBIC7シリーズ」の提供を開始し、生産・販売・会計・人事・給与の業務別パッケージをCD-R形式で配り、業界を問わない汎用業務へ商材を組み替えた。
- [23]1980年度は約3,200名の応募に対して70名近くを採用(採用・教育重視)