サンリオの歴史

Last Updated: | Author: @yusugiura
歴史概要
ハロキティーを生み出す。日本企業としてはキャラクタービジネスの先駆者で、物販やライセンスが収益源
1960
山梨シルクセンターを創設
山梨県の職員であった辻信太郎は独立を決め、山梨シルクセンターを創業した。当初は地域の特産品である絹製品を取り扱ったが売れ行きが悪く、のちに苦境を打破する為にキャラクター商品の開発に転換する。
1974
ハローキティーを考案
本格的なキャラクタービジネスを展開する為に「ハローキティー」を考案し、映画を通じてキャラクターを普及させる作戦を実行した。
1977
急成長企業として脚光
ハローキティーの成功により、サンリオは売上高150億円を達成してキャラクタービジネスの大成功企業として注目を集めた。
1982
東証第2部に株式上場
ハローキティーの誕生から8年目で株式上場を果たす
1990
サンリオビューロランド
屋内のテーマパークとして東京の多摩地区に「サンリオビューロランド」を開園
1992
財テク失敗で265億円損失
サンリオはバブル崩壊直後も株価が持ち直すと考えて財テクを継続したが、結果として売りのタイミングを逃して巨額の負債を抱えてしまう。1992年に265億円の経常損失を計上し、274億円の最終赤字に転落した。
1995
265億円の最終赤字に転落
株価の下落に伴い、120億円の経常損失を計上。265億円の最終赤字に転落した。
1999
女子高生の間でキティーがブームに
ハローキティーの絵柄の改良によって、1990年代後半に女子高生の間でハローキティが爆発的なヒット商品となり、ハローキティーブームが巻き起こった。この結果、サンリオはハローキティー商品で売上高を拡大し、売上高約1500億円に対して経常利益約180億円を計上し、キャラクタービジネスの成功企業として脚光を浴びた。
2006
売上高2/3へ激減
ハローキティーブームの終焉によってサンリオの売上高は低迷期に突入。1999年3月期には約1500億円だった売上高は、2006年から2009年にかけて約1000億円を推移し、大幅な減収に見舞われた。
2008
鳩山怜人が入社
元三菱商事出身の鳩山怜人が、創業家の辻邦彦(副社長)からの誘いを受けてサンリオの米国事業のCOOとして入社。業績回復のためのビジネスの転換が期待された。なお、鳩山氏はハーバード大学でMBAを取得したエリートビジネスマンとして期待される立場であった。
2008
ライセンス事業の拡大
鳩山怜人はサンリオを再建するためにビジネスモデルの転換を率先する。従来のサンリオは商品の直販が基本であったが、鳩山怜人は商品のライセンス供与を積極化することでハローキティーというキャラクターを法人に売るBtoBに軸足をシフトさせた。
2013
V字回復に成功
従来の直販主体からライセンス重視へのシフトによって、サンリオは利益率のV字回復に成功する。国内は依然として物販が収入大半を占めていたが、おもに米国と欧州でライセンス収入を確保して利益率の改善を成し遂げた。だが、ライセンスによる収益確保は一時的なブームに終わる。
2016
鳩山氏が退社し、創業家の経営に回帰
サンリオの辻邦彦副社長が逝去したため、鳩山怜人は支持者を失い、欧米事業の不振が決定打となってサンリオを退職した。経営の実権を握る辻信太郎社長は、孫にあたる辻朋邦(27歳)を次期社長候補に据える。
2018
米国と欧州で不振
アジアでは順調に業容を拡大するが、米国欧州での収益低迷をカバーできず業績不振が続いた
2020
辻信太郎が社長退任
創業者の辻信太郎(92歳)は社長の退任を決め、後任に孫の辻朋邦(31歳)を指名。サンリオの創業社長の時代が幕を閉じたが、引き続き創業家がサンリオの経営を担う