大和工業 の歴史

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沿革

1944〜2026年 1944年に井上浅次氏が姫路で創立した川西航空機の協力工場が起源。戦後は軌道用品へ転じ、1987年に米ニューコアとの合弁でH形鋼の北米事業へ進出し、タイ・中東へ同じ合弁の形を重ねた。H形鋼を主力とする電炉メーカーで、海外が売上の6割を占め、利益の大半を合弁の持分法利益が生む。

沿革

1944年に井上浅次氏が姫路で創立した川西航空機の協力工場が起源。

戦後は軌道用品へ転じ、1987年に米ニューコアとの合弁でH形鋼の北米事業へ進出し、タイ・中東へ同じ合弁の形を重ねた。H形鋼を主力とする電炉メーカーで、海外が売上の6割を占め、利益の大半を合弁の持分法利益が生む。

1944年〜創業期川西航空機の協力工場の創立と軌道用品への転換

  1. 川西航空機の協力工場として創立
  2. 国鉄・各私鉄の軌道用品製作・修理事業に転換
  3. 東京営業所を開設
  4. 本社工場を移転増築
  5. 大阪営業所を開設
  6. 須鎗航空兵器の跡地を買収し仁豊野工場として鋼塊製造を開始
  7. 本社工場を移転
  8. 鋳鋼品の製造を仁豊野工場で開始
  9. 自社製エルー式15トン電気炉1基を仁豊野工場に増設
  10. 仁豊野工場に大形圧延工場が竣工
大和工業売上高

1961年〜安定成長期仁豊野・網干工場の電気炉による形鋼生産と株式上場

  1. 株式を東京・大阪・神戸証券取引所第二部に上場
  2. 網干工場で40トン電気炉1基稼働
  3. 厚板生産を廃止し鍛造部門を強化
  4. 大阪製鎖造機の分岐器部門の営業権を譲受
  5. 1号連続鋳造設備稼働
  6. 50トン電気炉1基稼働
  7. ユニバーサル・ミル圧延工場稼働
  8. 2号連続鋳造設備稼働
  9. ビームブランク製造を開始
大和工業売上高1984年10月期647億円

1987年〜急成長期ニューコア合弁による米国進出とサイアム・ヤマトの設立

  1. ヤマトHDコーポレーションを設立
  2. ニューコア社と合弁によるニューコア・ヤマト・スチールカンパニーを設立
  3. ヤマトコウギョウ(ユー・エス・エー)コーポレーションを設立
  4. 住友商事グループと合弁によるアーカンソー・スチール・アソシエイツLLCを設立
  5. 4ストランドBB/BL兼用型連続鋳造設備稼働
  6. サイアムセメント・三井物産・住友商事と合弁
  7. サイアム・ヤマト・スチールカンパニーリミテッドを設立
  8. 130トン直流電気炉設備1基稼働
  9. 軌道用品事業を分社分割し大和軌道製造を設立
  10. ヤマト・コリア・スチールコーポレーションが韓国企業韓宝釜山製鉄所の営業を譲受
  11. 鉄鋼事業と重工加工品事業を分社しヤマトスチールを設立
大和工業売上高2006年3月期993億円

2007年〜成熟期サイアム・ヤマトの子会社化とバーレーン・サウジでの合弁

  1. サイアム・ヤマト・スチールカンパニーリミテッドを子会社化
  2. フーラス社との合弁会社をバーレーンに設立
  3. サイアム・ヤマト・スチールカンパニーリミテッドにて第2工場稼働
  4. フーラス社との合弁会社をサウジアラビアに設立
  5. ユナイテッド・スルブカンパニー(サウジスルブ)LLCを設立
  6. ユナイテッド・スチールカンパニー(スルブ)BSC(c)がスルブカンパニーBSC(c)に商号変更
  7. ポスコ・エスエス・ビナ・ジョイントストックカンパニー株式49%を取得
  8. 棒鋼事業を会社分割により新ワイケー・スチールに承継
  9. ワイケー・スチールコーポレーションの株式を大韓製鋼社へ譲渡し持分法適用関連会社化
  10. PTヌサンタラ・バジャ・プロフィル社株式80%をサイアム・ヤマトで共同取得
  11. 米澤和己氏が代表取締役に就任
  12. 塚本一弘氏が代表取締役に就任
  13. バーレーンの中東事業から撤退方針を決定
  14. 投資有価証券の一部売却を決議
大和工業売上高2026年3月期1,604億円
長期業績の推移 1950〜2026年

業績

大和工業:歴代社長と長期業績の推移売上高(億円)純利益率(%)
1970年10月期〜2026年3月期

第1章 1944年〜 川西航空機の協力工場の創立と軌道用品への転換

1944年〜川西航空機の姫路協力工場と、資本金19万8000円で始めた軌道用品

井上浅次氏は1944年11月8日、兵庫県飾磨郡御国野村(現姫路市)で大和工業を設立した。資本金は19万8000円で、川西航空機の姫路地区協力工場としての出発。発足と同時に定めた社章は、創業者である井上浅次氏の家紋「丸に横もっこ」を模した意匠だった。紋の外形を社名「大和」の大の字に見立て、内側の和の字には和の精神という意味を持たせた。設立時の大和工業は航空機メーカー1社に部品を納める協力工場で、自社の製品名を掲げた事業はまだ持っていなかった。軍用機の増産を急ぐ川西航空機が姫路周辺で部品の外注先を広げ、井上浅次氏はその需要に応じて法人を起こしたとみられる。

  • 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「大和工業」(1968年)
    • [1]1944年(昭和19年)11月8日設立。社章は創業者の家紋「丸に横もっこ」を模し、大は大和、和は和の精神を表す
    • [3]1944年(昭和19年)11月8日設立。社章は創業者の家紋「丸に横もっこ」を模し、大は大和、和は和の精神を表す
    • [4]1944年(昭和19年)11月8日設立。社章は創業者の家紋「丸に横もっこ」を模し、大は大和、和は和の精神を表す
  • 大和工業 有価証券報告書 第106期(2025年3月期)【沿革】
    • [2]1944年11月、兵庫県飾磨郡御国野村で井上浅次が資本金19万8千円で川西航空機の姫路地区協力工場として創立
    • [5]1944年11月、兵庫県飾磨郡御国野村で井上浅次が資本金19万8千円で川西航空機の姫路地区協力工場として創立

1945年8月の終戦で、川西航空機の協力工場としての仕事は設立から9か月で途絶えた。井上浅次氏は事業を国鉄と各私鉄向けの軌道用品に切り替え、その製作と修理を請け負った。軌道用品の中心は、線路の分岐に据えるポイント、クロッシング、ガードといった分岐器の部材である。1968年の時点でも大和工業は転轍器・轍叉・護輪器を事業の筆頭に掲げており、終戦直後の転換がその後の主力事業を決めた。転換後の仕事は新しい軌道用品の製作に加え、既に敷かれた軌道用品の修理も請け負う内容だった。戦時中の酷使で傷んだ線路の補修は敗戦後も止められず、国鉄と私鉄は軍需に代わる数少ない安定した発注元だったと考えられる。

  • 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「大和工業」(1968年)
    • [6]1945年(昭和20年)8月終戦により国鉄・各私鉄の軌道用品の製作・修理事業へ転換。1968年の事業は転轍器・轍叉・護輪器・保線保安軌道用品ほか
    • [9]1945年(昭和20年)8月終戦により国鉄・各私鉄の軌道用品の製作・修理事業へ転換。1968年の事業は転轍器・轍叉・護輪器・保線保安軌道用品ほか
  • 大和工業 有価証券報告書 第106期(2025年3月期)【沿革】
    • [7]1945年8月、国鉄・各私鉄の軌道用品製作並びに修理事業に転換
    • [10]1945年8月、国鉄・各私鉄の軌道用品製作並びに修理事業に転換
  • 日本企業要覧 1973年版「大和工業」
    • [8]1973年時点の軌道用品は分岐器(ポイント・クロッシング・ガード)・継目板・伸縮継目など
参考文献[1]-[10]
  • 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「大和工業」(1968年)
    • [1]1944年(昭和19年)11月8日設立。社章は創業者の家紋「丸に横もっこ」を模し、大は大和、和は和の精神を表す
    • [3]1944年(昭和19年)11月8日設立。社章は創業者の家紋「丸に横もっこ」を模し、大は大和、和は和の精神を表す
    • [4]1944年(昭和19年)11月8日設立。社章は創業者の家紋「丸に横もっこ」を模し、大は大和、和は和の精神を表す
    • [6]1945年(昭和20年)8月終戦により国鉄・各私鉄の軌道用品の製作・修理事業へ転換。1968年の事業は転轍器・轍叉・護輪器・保線保安軌道用品ほか
    • [9]1945年(昭和20年)8月終戦により国鉄・各私鉄の軌道用品の製作・修理事業へ転換。1968年の事業は転轍器・轍叉・護輪器・保線保安軌道用品ほか
  • 大和工業 有価証券報告書 第106期(2025年3月期)【沿革】
    • [2]1944年11月、兵庫県飾磨郡御国野村で井上浅次が資本金19万8千円で川西航空機の姫路地区協力工場として創立
    • [5]1944年11月、兵庫県飾磨郡御国野村で井上浅次が資本金19万8千円で川西航空機の姫路地区協力工場として創立
    • [7]1945年8月、国鉄・各私鉄の軌道用品製作並びに修理事業に転換
    • [10]1945年8月、国鉄・各私鉄の軌道用品製作並びに修理事業に転換
  • 日本企業要覧 1973年版「大和工業」
    • [8]1973年時点の軌道用品は分岐器(ポイント・クロッシング・ガード)・継目板・伸縮継目など

1948年〜東京・大阪の営業所と、JIS表示許可を得た継目板ボルト

大和工業は1948年1月、資本金を19万8000円から100万円へ増資した。設立から3年2か月で、資本金は約5倍に膨らんだ計算になる。翌2月には東京営業所を開設し、姫路の工場の外に初めて営業の拠点を置いた。東京営業所は大阪営業所より3年3か月早く開設され、大和工業にとって最初の営業所となった。1945年8月の転換以来、大和工業の顧客は国鉄と各私鉄の鉄道事業者だった。国鉄の調達を決める本社は東京にあり、井上浅次氏は増資資金の一部を国鉄向けの販路づくりに充当したようだ。

  • 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「大和工業」(1968年)
    • [11]1948年(昭和23年)1月に資本金を19万8000円から100万円へ増資し、翌2月に東京営業所を開設
    • [12]1948年(昭和23年)1月に資本金を19万8000円から100万円へ増資し、翌2月に東京営業所を開設
  • 大和工業 有価証券報告書 第106期(2025年3月期)【沿革】
    • [13]1948年2月東京営業所開設、1951年5月大阪営業所開設。1945年8月に国鉄・各私鉄の軌道用品へ転換
    • [14]1948年2月東京営業所開設、1951年5月大阪営業所開設。1945年8月に国鉄・各私鉄の軌道用品へ転換
    • [15]1948年2月東京営業所開設、1951年5月大阪営業所開設。1945年8月に国鉄・各私鉄の軌道用品へ転換

大和工業は1949年9月、本社工場を姫路市日出町3丁目37番地へ移し、建屋を増築した。資本金は1950年5月に200万円、1951年4月に500万円へと段階的に増額。1948年1月の100万円から数えると、3年3か月で5倍の規模である。500万円への増資の翌月にあたる1951年5月、大和工業は大阪営業所を開設した。これで営業所は東京と大阪の2か所となり、本社工場のある姫路を両側から支える配置が整った。関西には路線を持つ私鉄が多く、大阪営業所はその各社との取引を姫路から近い距離で受け持つために置かれたと推察される。

  • 大和工業 有価証券報告書 第106期(2025年3月期)【沿革】
    • [16]1949年9月本社工場を姫路市日出町3丁目37番地に移転増築、1951年5月大阪営業所を開設
    • [19]1949年9月本社工場を姫路市日出町3丁目37番地に移転増築、1951年5月大阪営業所を開設
    • [20]1949年9月本社工場を姫路市日出町3丁目37番地に移転増築、1951年5月大阪営業所を開設
  • 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「大和工業」(1968年)
    • [17]1950年5月に資本金200万円、1951年4月に500万円へ増資
    • [18]1950年5月に資本金200万円、1951年4月に500万円へ増資

大和工業は1953年10月、JIS表示許可工場の認定を受けた。あわせてJISの登録を受けたのは、黒皮ボールトと継目板ボールトの2品目である。認定は、東京と大阪の2営業所体制が整った1951年5月から2年5か月後のことだった。翌1954年3月には資本金を500万円から1500万円へ増やし、3倍にした。登録の2品目はいずれもボールトで、継目板ボールトはレールの継ぎ目を締結する部品にあたる。規格への適合を表示で示せる工場の製品は国鉄や私鉄の受入検査を通しやすく、JISの取得は姫路の工場が販路を固める手段だった可能性が高い。

  • 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「大和工業」(1968年)
    • [21]1953年(昭和28年)10月JIS表示許可工場となり黒皮ボールト・継目板ボールトの登録を受ける。1954年3月資本金1500万円
    • [22]1953年(昭和28年)10月JIS表示許可工場となり黒皮ボールト・継目板ボールトの登録を受ける。1954年3月資本金1500万円
    • [24]1953年(昭和28年)10月JIS表示許可工場となり黒皮ボールト・継目板ボールトの登録を受ける。1954年3月資本金1500万円
    • [25]1953年(昭和28年)10月JIS表示許可工場となり黒皮ボールト・継目板ボールトの登録を受ける。1954年3月資本金1500万円
  • 大和工業 有価証券報告書 第106期(2025年3月期)【沿革】
    • [23]1951年5月大阪営業所を開設
参考文献[11]-[25]
  • 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「大和工業」(1968年)
    • [11]1948年(昭和23年)1月に資本金を19万8000円から100万円へ増資し、翌2月に東京営業所を開設
    • [12]1948年(昭和23年)1月に資本金を19万8000円から100万円へ増資し、翌2月に東京営業所を開設
    • [17]1950年5月に資本金200万円、1951年4月に500万円へ増資
    • [18]1950年5月に資本金200万円、1951年4月に500万円へ増資
    • [21]1953年(昭和28年)10月JIS表示許可工場となり黒皮ボールト・継目板ボールトの登録を受ける。1954年3月資本金1500万円
    • [22]1953年(昭和28年)10月JIS表示許可工場となり黒皮ボールト・継目板ボールトの登録を受ける。1954年3月資本金1500万円
    • [24]1953年(昭和28年)10月JIS表示許可工場となり黒皮ボールト・継目板ボールトの登録を受ける。1954年3月資本金1500万円
    • [25]1953年(昭和28年)10月JIS表示許可工場となり黒皮ボールト・継目板ボールトの登録を受ける。1954年3月資本金1500万円
  • 大和工業 有価証券報告書 第106期(2025年3月期)【沿革】
    • [13]1948年2月東京営業所開設、1951年5月大阪営業所開設。1945年8月に国鉄・各私鉄の軌道用品へ転換
    • [14]1948年2月東京営業所開設、1951年5月大阪営業所開設。1945年8月に国鉄・各私鉄の軌道用品へ転換
    • [15]1948年2月東京営業所開設、1951年5月大阪営業所開設。1945年8月に国鉄・各私鉄の軌道用品へ転換
    • [16]1949年9月本社工場を姫路市日出町3丁目37番地に移転増築、1951年5月大阪営業所を開設
    • [19]1949年9月本社工場を姫路市日出町3丁目37番地に移転増築、1951年5月大阪営業所を開設
    • [20]1949年9月本社工場を姫路市日出町3丁目37番地に移転増築、1951年5月大阪営業所を開設
    • [23]1951年5月大阪営業所を開設

1956年〜須鎗航空兵器を買収した仁豊野工場と、自社製15トン電気炉の一貫生産

大和工業は1956年7月、姫路市仁豊野900番地にあった須鎗航空兵器を買収し、その工場を仁豊野工場とした。仁豊野工場では、同じ時期に鋼塊の製造を始めた。設立の次に沿革へ刻まれた出来事が、この買収だった。翌1957年4月には本社工場を日出町から仁豊野へ移し、生産の中心を新しい工場に置いた。1958年6月には資本金を1500万円から2000万円へ増やした。軌道用品の素材を外部から調達していては価格と数量を自社で決められず、鋼塊の内製はその依存を断つ判断だったのではないか。

  • 大和工業 有価証券報告書 第106期(2025年3月期)【沿革】
    • [26]1956年7月姫路市仁豊野900番地のもと須鎗航空兵器㈱を買収し仁豊野工場として鋼塊製造開始、1957年4月本社工場を仁豊野へ移転
    • [29]1956年7月姫路市仁豊野900番地のもと須鎗航空兵器㈱を買収し仁豊野工場として鋼塊製造開始、1957年4月本社工場を仁豊野へ移転
  • 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「大和工業」(1968年)
    • [27]1956年(昭和31年)7月、仁豊野の須鎗航空兵器を買収して仁豊野工場とし鋼塊の製造を開始。1958年6月資本金2000万円
    • [30]1956年(昭和31年)7月、仁豊野の須鎗航空兵器を買収して仁豊野工場とし鋼塊の製造を開始。1958年6月資本金2000万円
  • 日本企業要覧 1973年版「大和工業」
    • [28]沿革は1944年11月設立の次に1956年7月の須鎗航空(仁豊野工場)買収を記す

大和工業は1958年9月、仁豊野工場で鋳鋼品の製造を始めた。鋼塊に続き、素材から形をつくる製品がもう1つ加わった。1959年8月には資本金を2500万円に増やした。同じ1959年11月には、エルー式15トン電気炉1基を仁豊野工場に増設。この電気炉は外部から購入した設備ではなく、大和工業が自ら製作したものだった。1964年時点で仁豊野工場が手がけた品目は、鋼塊・軌道用品・鋳鋼品の3つである。鋼を溶かす炉を自前で持てば鋼塊と鋳鋼品に使う溶鋼を社内で賄えるので、井上浅次氏は炉の製作まで社内で手がけたのだろう。

  • 大和工業 有価証券報告書 第106期(2025年3月期)【沿革】
    • [31]1958年9月仁豊野工場で鋳鋼品の製造開始、1959年11月当社製エルー式15トン電気炉1基を仁豊野工場に増設
    • [34]1958年9月仁豊野工場で鋳鋼品の製造開始、1959年11月当社製エルー式15トン電気炉1基を仁豊野工場に増設
  • 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「大和工業」(1968年)
    • [32]1958年(昭和33年)9月鋳鋼品の製造開始、1959年8月資本金2500万円、1959年11月自社製エルー式15トン電気炉1基を増設
    • [33]1958年(昭和33年)9月鋳鋼品の製造開始、1959年8月資本金2500万円、1959年11月自社製エルー式15トン電気炉1基を増設
    • [35]1958年(昭和33年)9月鋳鋼品の製造開始、1959年8月資本金2500万円、1959年11月自社製エルー式15トン電気炉1基を増設
  • 株式会社年鑑 1964年版「大和工業」
    • [36]1964年時点で仁豊野工場(姫路市仁豊野900)の品目は鋼塊・軌道用品・鋳鋼品

大和工業は1960年4月、仁豊野工場に大形圧延工場を完成させた。これで鋼塊の製造から圧延、軌道用品への加工までを1社で通す体制が整った。軌道附属品を一貫して造るメーカーは、当時の国内で大和工業だけだった。1956年7月に仁豊野工場を取得してから3年9か月で、製鋼・鋳鋼・圧延の工程をそろえた。資本金は1960年5月に5000万円、同年11月に1億円へ増やした。1958年6月の2000万円と比べると、2年5か月で5倍の規模にあたる。工程をそろえるほど設備の資金は膨らみ、相次ぐ増資はその負担を株主資本で賄うための手当てだったと思われる。

  • 大和工業 有価証券報告書 第106期(2025年3月期)【沿革】
    • [37]1960年4月仁豊野工場に大形圧延工場完成、本邦唯一の軌道付属品一貫メーカーとなる
    • [39]1960年4月仁豊野工場に大形圧延工場完成、本邦唯一の軌道付属品一貫メーカーとなる
    • [40]1960年4月仁豊野工場に大形圧延工場完成、本邦唯一の軌道付属品一貫メーカーとなる
  • 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「大和工業」(1968年)
    • [38]1960年(昭和35年)4月大形圧延工場を完成し国内唯一の軌道附属品一貫メーカーに。1960年5月資本金5000万円、同年11月1億円
    • [41]1960年(昭和35年)4月大形圧延工場を完成し国内唯一の軌道附属品一貫メーカーに。1960年5月資本金5000万円、同年11月1億円
    • [42]1960年(昭和35年)4月大形圧延工場を完成し国内唯一の軌道附属品一貫メーカーに。1960年5月資本金5000万円、同年11月1億円
参考文献[26]-[42]
  • 大和工業 有価証券報告書 第106期(2025年3月期)【沿革】
    • [26]1956年7月姫路市仁豊野900番地のもと須鎗航空兵器㈱を買収し仁豊野工場として鋼塊製造開始、1957年4月本社工場を仁豊野へ移転
    • [29]1956年7月姫路市仁豊野900番地のもと須鎗航空兵器㈱を買収し仁豊野工場として鋼塊製造開始、1957年4月本社工場を仁豊野へ移転
    • [31]1958年9月仁豊野工場で鋳鋼品の製造開始、1959年11月当社製エルー式15トン電気炉1基を仁豊野工場に増設
    • [34]1958年9月仁豊野工場で鋳鋼品の製造開始、1959年11月当社製エルー式15トン電気炉1基を仁豊野工場に増設
    • [37]1960年4月仁豊野工場に大形圧延工場完成、本邦唯一の軌道付属品一貫メーカーとなる
    • [39]1960年4月仁豊野工場に大形圧延工場完成、本邦唯一の軌道付属品一貫メーカーとなる
    • [40]1960年4月仁豊野工場に大形圧延工場完成、本邦唯一の軌道付属品一貫メーカーとなる
  • 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「大和工業」(1968年)
    • [27]1956年(昭和31年)7月、仁豊野の須鎗航空兵器を買収して仁豊野工場とし鋼塊の製造を開始。1958年6月資本金2000万円
    • [30]1956年(昭和31年)7月、仁豊野の須鎗航空兵器を買収して仁豊野工場とし鋼塊の製造を開始。1958年6月資本金2000万円
    • [32]1958年(昭和33年)9月鋳鋼品の製造開始、1959年8月資本金2500万円、1959年11月自社製エルー式15トン電気炉1基を増設
    • [33]1958年(昭和33年)9月鋳鋼品の製造開始、1959年8月資本金2500万円、1959年11月自社製エルー式15トン電気炉1基を増設
    • [35]1958年(昭和33年)9月鋳鋼品の製造開始、1959年8月資本金2500万円、1959年11月自社製エルー式15トン電気炉1基を増設
    • [38]1960年(昭和35年)4月大形圧延工場を完成し国内唯一の軌道附属品一貫メーカーに。1960年5月資本金5000万円、同年11月1億円
    • [41]1960年(昭和35年)4月大形圧延工場を完成し国内唯一の軌道附属品一貫メーカーに。1960年5月資本金5000万円、同年11月1億円
    • [42]1960年(昭和35年)4月大形圧延工場を完成し国内唯一の軌道附属品一貫メーカーに。1960年5月資本金5000万円、同年11月1億円
  • 日本企業要覧 1973年版「大和工業」
    • [28]沿革は1944年11月設立の次に1956年7月の須鎗航空(仁豊野工場)買収を記す
  • 株式会社年鑑 1964年版「大和工業」
    • [36]1964年時点で仁豊野工場(姫路市仁豊野900)の品目は鋼塊・軌道用品・鋳鋼品

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出典・参考 4件
出典・参考
  • 大和工業 有価証券報告書 第106期(2025年3月期)【沿革】
  • 株式会社年鑑 1964年版「大和工業」
  • 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「大和工業」(1968年)
  • 日本企業要覧 1973年版「大和工業」

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