神戸製鋼所 の歴史

更新:

1905年、鈴木商店が小林製鋼所を買収して神戸で創業。灘浜高炉と加古川製鉄所による一貫体制、コベルコ建機、2017年の品質データ改ざんと再建までの沿革と経緯を執筆。

創業

1905年

母体

鈴木商店

創業地

兵庫県神戸市

直近売上高(2026/3)

24,366億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1911年の独立直後から「製鋼所」を名乗りつつ工具・機械・伸銅へ手を広げたのか
A 製鋼所を名乗りながら一つの素材に絞らなかったのは、母体が商社の鈴木商店で、輸入頼みだった切削工具や産業機械を国産で納めること自体が事業目的だったからである。1912年3月に日本初のドリル、1915年に機械製作、1916年に鋼材圧延、1917年に門司工場で伸銅品と、独立直後から複数の製品領域を同時に立ち上げた。第一次大戦期の国産化需要が、素材と機械を並行して抱える体質を出自から固めた
Q なぜ1927年の鈴木商店倒産が、神戸製鋼所を財閥系とは異なる独立系の複合素材企業に決めたのか
A 財閥系・国策系の保護枠の外で自前に事業を増やすほかなくなったからである。1927年4月、母体の鈴木商店が金融恐慌で倒産し、後ろ盾を失った本体は独立企業として存続した。三菱・三井・住友・日本製鐵とは出自が異なり、戦後は灘浜高炉と加古川製鉄所で鉄鋼の規模を取り、1983年のミドレックス買収と油谷重工への資本参加で機械・建設機械を取り込んだ。鉄鋼・アルミ銅・機械・溶接・建設機械の5事業をそろえたが、どの分野でも首位には届かないまま広がった
Q なぜ2017年のデータ改ざんを経た神戸製鋼所が、1983年に買ったミドレックスを脱炭素製鉄の柱に据え直したのか
A 寄せ集めと見られてきた複合経営を、脱炭素需要に応える資産と捉え直したからである。2017年10月のアルミ・銅の品質データ改ざんで技術への信頼が揺らいだ後、1983年に買った米ミドレックスの直接還元製鉄を中核に据えた。同社の工法は還元鉄プラントで世界シェア約8割を占め、2019年9月にはアルセロール・ミッタル社と水素還元の共同開発契約を結んだ。水素還元と組み合わせれば製鉄のCO2を2〜4割減らせるため、各国の鉄鋼会社が設備を引き合いに来る

API for AI Agents — 認証不要、URLをGETするだけで機械可読なJSONをトークン消費を抑えつつ取得できます。

1905年〜 鈴木商店の一工場から独立系の複合メーカーへ

  1. 1905年 鈴木商店が小林製鋼所を買収し神戸製鋼所として創業
  2. 1911年 神戸製鋼所として鈴木商店から分離独立
  3. 1912年 日本初のドリル生産を開始
  4. 1915年 機械製作分野に参入
  5. 1917年 伸銅品の生産を開始
  6. 1927年 母体の鈴木商店が金融恐慌の中で倒産
  7. 1937年 アルミ分野に参入

鈴木商店の一工場としての出発と分離独立

1905年9月、砂糖と樟脳を扱う神戸の商社・鈴木商店が、脇浜で小林清一郎氏が営む[1]小林製鋼所を買収し、神戸製鋼所と改称した[2]。買収を決めたのは、当主の鈴木岩治郎氏の没後によね未亡人を立てて経営を握った番頭の金子直吉氏[3]で、鈴木商店は大正期にわが国最大の商社へ成長している。日露戦争後には民間の鉄鋼業が相次いで興り、1907年には日本製鋼所と輸西製鉄所が設立された[4]。1911年6月、製鋼所は鈴木商店から分離し、資本金140万円の株式会社神戸製鋼所として設立された[5]。初代社長には海軍造船少将の黒川勇熊氏[6]を招いている。独立の翌1912年3月にはドリルの生産を始め[7]、全量を輸入に頼っていた切削工具の国産化に踏み込んだ。

  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【沿革】
    • [1]買収前の小林製鋼所の経営者 小林清一郎
    • [2]1905年9月 合名会社鈴木商店が神戸・脇浜の小林製鋼所を買収し神戸製鋼所と改称
    • [5]1911年6月 合名会社鈴木商店から分離し資本金140万円で株式会社神戸製鋼所を設立
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [3]鈴木商店は当主 鈴木岩治郎の没後によね未亡人を立て番頭の金子直吉が経営を掌握、大正期にわが国最大の商社へ成長
    • [6]初代社長 海軍造船少将 黒川勇熊
    • [7]1912年3月 ドリルの生産を開始し日本初の切削工具メーカーとなる
  • 会社銀行八十年史 2篇 日本会社史「鉄鋼」概説(東洋経済新報社, 1955)
    • [4]日露戦争後に民営鉄鋼業が興隆、明治40年に日本製鋼所・輸西製鉄所が設立

1913年に導入した1200トンプレス[8]は船舶用クランクシャフトなどの大型鍛造品を生み、1915年には魚雷用空気圧縮機の製作に成功して以後ほぼ海軍の全需要を満たした[9]。同じ1915年に機械製作の分野へ本格参入し[10]、1916年に鋼材圧延、1917年には門司工場で伸銅品の生産を始めている[11]。1921年には帝国汽船から鳥羽・播磨の造船所を買収し[12]、造船と電機にも手を広げた。1927年4月、母体の鈴木商店が金融恐慌のなかで倒産した[13]が、神戸製鋼所は独立した企業として存続している。第一次大戦後の反動不況と昭和恐慌で採算が悪化すると、1929年に播磨造船所を分離し、線材への進出と砕石機械・電気ショベルの開発で切り抜けた[14]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [8]大正2年導入の1200トンプレスが船舶用クランクシャフト等の大型鍛造品を生産
    • [9]大正4年 魚雷用空気圧縮機の製作に成功し以後ほぼ海軍の全需要を充足
    • [14]昭和4年 播磨造船所を分離し線材へ進出、砕石機械・電気ショベルを開発
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [10]1915年 機械製作分野に本格参入
    • [11]1916年 鋼材圧延を開始、1917年 門司工場で伸銅品の生産を開始
    • [12]1921年 帝国汽船から鳥羽・播磨の造船所を買収し造船・電機へ進出
    • [13]1927年4月 母体の鈴木商店が金融恐慌のなかで倒産(神戸製鋼所は独立企業として存続)
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【沿革】
    • [1]買収前の小林製鋼所の経営者 小林清一郎
    • [2]1905年9月 合名会社鈴木商店が神戸・脇浜の小林製鋼所を買収し神戸製鋼所と改称
    • [5]1911年6月 合名会社鈴木商店から分離し資本金140万円で株式会社神戸製鋼所を設立
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [3]鈴木商店は当主 鈴木岩治郎の没後によね未亡人を立て番頭の金子直吉が経営を掌握、大正期にわが国最大の商社へ成長
    • [6]初代社長 海軍造船少将 黒川勇熊
    • [7]1912年3月 ドリルの生産を開始し日本初の切削工具メーカーとなる
    • [10]1915年 機械製作分野に本格参入
    • [11]1916年 鋼材圧延を開始、1917年 門司工場で伸銅品の生産を開始
    • [12]1921年 帝国汽船から鳥羽・播磨の造船所を買収し造船・電機へ進出
    • [13]1927年4月 母体の鈴木商店が金融恐慌のなかで倒産(神戸製鋼所は独立企業として存続)
  • 会社銀行八十年史 2篇 日本会社史「鉄鋼」概説(東洋経済新報社, 1955)
    • [4]日露戦争後に民営鉄鋼業が興隆、明治40年に日本製鋼所・輸西製鉄所が設立
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [8]大正2年導入の1200トンプレスが船舶用クランクシャフト等の大型鍛造品を生産
    • [9]大正4年 魚雷用空気圧縮機の製作に成功し以後ほぼ海軍の全需要を充足
    • [14]昭和4年 播磨造船所を分離し線材へ進出、砕石機械・電気ショベルを開発

軍需下での製品領域の拡大と敗戦による断絶

1933年4月、第2線材工場を完成させて高級特殊鋼線材の生産に入り、全国の線材生産量の30%以上を占める[15]までになった。1937年にはアルミの分野へ参入し[16]、1940年には日本で初めて溶接棒の生産を始めている[17]。生産拠点も広げ、1939年10月に長府工場[18]、1942年4月に大久保工場を新設した[19]。大久保工場はのちのコベルコ建機にあたり[20]、建設機械の拠点として今も残っている。1937年以降は神戸工場の埋立地区に小型内燃機・火砲・弾丸・戦車の工場を建て、日本で最初の鉄帽や戦車・火砲用の防弾鋼板も手がけている[21]。1943年3月には数次の増資を経て資本金が1億8270万円に達した[22]。工具・鍛鋼・線材・アルミ・溶接材料と、軍需の拡大に合わせて製品の幅は増え続けた[23]

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [15]1933年4月 第2線材工場を完成し高級特殊鋼線材を生産、全国線材生産量の30%以上を占める
    • [16]1937年 アルミ分野に参入
    • [17]1940年 溶接棒の生産を開始(日本初)
    • [23]軍需拡大に伴い工具・鍛鋼・線材・アルミ・溶接材料へ製品領域を拡大
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1939年10月 長府工場(現・長府製造所)を新設
    • [19]1942年4月 大久保工場を新設(現在のコベルコ建機)
    • [20]大久保工場は現在のコベルコ建機
  • 会社銀行八十年史 2篇 日本会社史「神戸製鋼所」(東洋経済新報社, 1955)
    • [21]昭和12年以来 神戸工場の埋立地区に小型内燃機・火砲・弾丸・戦車の工場を建設、日本最初の鉄帽と戦車・火砲用防弾鋼板を製造
    • [22]昭和18年3月 数次の増資を経て資本金1億8270万円

太平洋戦争の末期には国内外に22カ所の拠点と約7万人の従業員を抱える[24]までに膨らんだが、ほとんどの工場が空襲を受けたまま敗戦を迎えた。終戦時に16あった工場を12へ縮小して再建に着手し[25]、1945年11月には業界に先駆けて出銑し、線材の生産を再開している[26]。機械部門は鋳物やタバコ機械といった民需製品で再出発[27]した。1948年には設備の合理化へ入り、1949年の運搬設備の近代化に続いて平炉の改造と酸素製鋼法を実施した[28]

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [24]太平洋戦争末期に国内外22カ所・従業員約7万人
    • [26]1945年11月 業界に先駆けて出銑し線材生産を再開
    • [27]機械部門は鋳物・タバコ機械などの民需製品で再出発
  • 会社銀行八十年史 2篇 日本会社史「神戸製鋼所」(東洋経済新報社, 1955)
    • [25]終戦時の16工場を12工場に縮小して再建に着手
    • [28]昭和23年 設備合理化に着手、24年 運搬設備の近代化、次いで平炉の改造と酸素製鋼法を実施
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [15]1933年4月 第2線材工場を完成し高級特殊鋼線材を生産、全国線材生産量の30%以上を占める
    • [16]1937年 アルミ分野に参入
    • [17]1940年 溶接棒の生産を開始(日本初)
    • [23]軍需拡大に伴い工具・鍛鋼・線材・アルミ・溶接材料へ製品領域を拡大
    • [24]太平洋戦争末期に国内外22カ所・従業員約7万人
    • [26]1945年11月 業界に先駆けて出銑し線材生産を再開
    • [27]機械部門は鋳物・タバコ機械などの民需製品で再出発
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1939年10月 長府工場(現・長府製造所)を新設
    • [19]1942年4月 大久保工場を新設(現在のコベルコ建機)
    • [20]大久保工場は現在のコベルコ建機
  • 会社銀行八十年史 2篇 日本会社史「神戸製鋼所」(東洋経済新報社, 1955)
    • [21]昭和12年以来 神戸工場の埋立地区に小型内燃機・火砲・弾丸・戦車の工場を建設、日本最初の鉄帽と戦車・火砲用防弾鋼板を製造
    • [22]昭和18年3月 数次の増資を経て資本金1億8270万円
    • [25]終戦時の16工場を12工場に縮小して再建に着手
    • [28]昭和23年 設備合理化に着手、24年 運搬設備の近代化、次いで平炉の改造と酸素製鋼法を実施

1946年〜 高炉なき加工メーカーからの銑鋼一貫への転換

神戸製鋼所の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1949年 東京・大阪・名古屋の各証券取引所に株式上場
  2. 1949年 神鋼金属工業・神鋼電機の2社を分社
  3. 1953年 高砂工場を新設
  4. 1958年 日本初のプラント輸出商談が成約
  5. 1959年 灘浜1号高炉の火入れで鉄鋼一貫体制を確立
  6. 1965年 尼崎製鉄を吸収合併
  7. 1970年 灘浜での自社高炉の建設、尼崎製鉄の吸収合併、加古川製鉄所の新設 銑鉄を買い続ける加工メーカーでいるか、資本を投じて銑鋼一貫へ移るか

上場と分社による再出発、そして高炉なき弱み

1949年5月、同社は東京・大阪・名古屋の各証券取引所へ株式を上場した[29]。同年8月には非鉄合金の2工場と電機の5工場を現物出資して神鋼金属工業と神鋼電機の2社を設立し[30]、本体を本社・名古屋・大久保・日高・尼崎・能登・高知の各工場で立て直している。1953年11月には機械部門の基幹となる高砂工場を新設した[31]。1954年6月には米ファウドラー社との共同出資で神鋼フアウドラーを設立し[32]、1955年7月には日本高周波鋼業へ資本参加している[33]。1957年1月には神鋼金属工業を合金事業部として吸収し[34]、いったん切り離した非鉄を本体へ戻した。

  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【沿革】
    • [29]1949年5月 東京・大阪・名古屋の各証券取引所に株式上場
    • [31]1953年11月 高砂工場(現・高砂製作所)を新設
    • [32]1954年6月 ファウドラー社との共同出資により神鋼フアウドラーを設立
    • [33]1955年7月 日本高周波鋼業に資本参加
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [30]1949年8月 非鉄合金2工場・電機5工場を現物出資し神鋼金属工業と神鋼電機を設立
    • [34]1957年1月 神鋼金属工業を合金事業部として吸収復帰

事業の幅は戻ったものの、鉄鋼では転炉法の登場で銑鉄から鋼材までを一社で作る銑鋼一貫メーカーが圧倒的に有利になった[35]のに対し、同社は自社の高炉を持たず、銑鉄の供給を尼崎製鉄に頼っていた[36]。大手6社のうち熱間圧延設備を持たないのも同社だけだ[37]った。1954年に尼崎製鉄へ資本参加した[38]のは、この供給関係を確かなものにするためでもある。線材と鋳鍛鋼の加工メーカーにとどまる限り、成長する鋼板市場には手が届かなかった[39]

  • 証券アナリストジャーナル 1964年 第2巻第7号(湊静男 常務取締役)
    • [35]転炉法の登場で銑鋼一貫メーカーが圧倒的に有利となった
    • [36]神戸製鋼所は自社高炉を持たず銑鉄を尼崎製鉄からの供給に依存
    • [37]大手6社のうち熱間圧延設備を持たないのは神戸製鋼所だけ
    • [39]線材・棒鋼中心の加工メーカーであり鋼板を生産していなかった
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [38]1954年 尼崎製鉄に資本参加
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【沿革】
    • [29]1949年5月 東京・大阪・名古屋の各証券取引所に株式上場
    • [31]1953年11月 高砂工場(現・高砂製作所)を新設
    • [32]1954年6月 ファウドラー社との共同出資により神鋼フアウドラーを設立
    • [33]1955年7月 日本高周波鋼業に資本参加
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [30]1949年8月 非鉄合金2工場・電機5工場を現物出資し神鋼金属工業と神鋼電機を設立
    • [34]1957年1月 神鋼金属工業を合金事業部として吸収復帰
    • [38]1954年 尼崎製鉄に資本参加
  • 証券アナリストジャーナル 1964年 第2巻第7号(湊静男 常務取締役)
    • [35]転炉法の登場で銑鋼一貫メーカーが圧倒的に有利となった
    • [36]神戸製鋼所は自社高炉を持たず銑鉄を尼崎製鉄からの供給に依存
    • [37]大手6社のうち熱間圧延設備を持たないのは神戸製鋼所だけ
    • [39]線材・棒鋼中心の加工メーカーであり鋼板を生産していなかった

灘浜の高炉、尼崎製鉄の合併、加古川製鉄所

1957年、同社は灘浜の埋め立てに着手した[40]。1962年までに総額370億円を投じ、公称600トンの第1号高炉と1,000トンの第2号高炉を建設している[41]。1959年1月の灘浜1号高炉の火入れによって、鉄鉱石から鋼材までを社内で作る銑鋼一貫メーカーとなった[42]。1905年の小さな鋳鍛鋼工場から数えて54年目の到達点[43]にあたる。並行して機械部門も伸び、1958年5月には東パキスタン向け肥料工場を受注してわが国初のプラント輸出を成約させた[44]

  • 神戸製鋼所「銑鋼一貫生産体制確立50周年について」(2009年12月)
    • [40]1957年 灘浜の埋め立てに着手
    • [43]1905年の創業から銑鋼一貫達成まで54年
  • 証券アナリストジャーナル 1964年 第2巻第7号(湊静男 常務取締役)
    • [41]1957年から1962年にかけ灘浜に総額370億円を投じ第1号高炉(公称600トン)と第2号高炉(同1,000トン)を建設
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【沿革】
    • [42]1959年1月 灘浜工場を新設し灘浜1号高炉の火入れにより銑鋼一貫メーカーとなる
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [44]1958年5月 東パキスタン向け肥料工場を受注しわが国初のプラント輸出を成約

高炉を得ても、線材と棒鋼だけでは総合鉄鋼メーカーに届かなかった[45]。1965年4月、同社は高炉2基を持つ尼崎製鉄を吸収合併し[46]、粗鋼の基盤を広げている。続いて埋め立てた加古川に新鋭の一貫製鉄所を建て、1970年3月に鉄鋼一貫生産を開始した[47]。加古川では高炉に加えて厚板・熱延・冷延の各設備を順次立ち上げ、1973年の2号高炉稼働で年産能力を600万トンへ引き上げた[48]。線材・棒鋼に鋼板類が加わり、同社は総合鉄鋼メーカーへ姿を変えた[49]

  • 証券アナリストジャーナル 1964年 第2巻第7号(湊静男 常務取締役)
    • [45]高炉取得後も線材・棒鋼が主力で鋼板を持たなかった
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【沿革】
    • [46]1965年4月 高炉2基を持つ尼崎製鉄と合併
    • [47]1970年3月 加古川製鉄所を新設し鉄鋼一貫生産を開始
    • [49]線材・棒鋼に加え鋼板類も生産する総合鉄鋼メーカーとなった
  • 証券アナリストジャーナル 1974年 第12巻第12号(井上浩三郎 専務取締役)
    • [48]加古川で厚板・熱延・冷延を順次立ち上げ1973年の2号高炉で年産600万トン体制
  • 神戸製鋼所「銑鋼一貫生産体制確立50周年について」(2009年12月)
    • [40]1957年 灘浜の埋め立てに着手
    • [43]1905年の創業から銑鋼一貫達成まで54年
  • 証券アナリストジャーナル 1964年 第2巻第7号(湊静男 常務取締役)
    • [41]1957年から1962年にかけ灘浜に総額370億円を投じ第1号高炉(公称600トン)と第2号高炉(同1,000トン)を建設
    • [45]高炉取得後も線材・棒鋼が主力で鋼板を持たなかった
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【沿革】
    • [42]1959年1月 灘浜工場を新設し灘浜1号高炉の火入れにより銑鋼一貫メーカーとなる
    • [46]1965年4月 高炉2基を持つ尼崎製鉄と合併
    • [47]1970年3月 加古川製鉄所を新設し鉄鋼一貫生産を開始
    • [49]線材・棒鋼に加え鋼板類も生産する総合鉄鋼メーカーとなった
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [44]1958年5月 東パキスタン向け肥料工場を受注しわが国初のプラント輸出を成約
  • 証券アナリストジャーナル 1974年 第12巻第12号(井上浩三郎 専務取締役)
    • [48]加古川で厚板・熱延・冷延を順次立ち上げ1973年の2号高炉で年産600万トン体制

拠点網の拡張とエンジニアリングの台頭

鉄鋼の一貫化と並行して非鉄と溶接の拠点も広がり、1960年9月にニューヨーク事務所を開き[50]、1961年3月に藤沢工場、同年10月に茨木工場を設けている[51]。1969年8月にはアルミ分野の基幹となる真岡工場を稼働させた[52]。加古川が動き出した1970年7月には西条工場、1975年9月には福知山工場を新設し[53]、アルミ銅と溶接の最新鋭工場を揃えている。1979年6月には神戸環境分析センターを設立した[54]。のちのコベルコ科研にあ[55]たる。

  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【沿革】
    • [50]1960年9月 ニューヨーク事務所を開設
    • [51]1961年3月 藤沢工場、1961年10月 茨木工場を新設
    • [52]1969年8月 真岡工場(現・真岡製造所)を新設
    • [53]1970年7月 西条工場、1975年9月 福知山工場を新設
    • [54]1979年6月 神戸環境分析センター(現・コベルコ科研)を設立
    • [55]神戸環境分析センターは現在のコベルコ科研

1970年代に入ると石油危機で鉄鋼の需要が細り、業績は伸び悩んだ[56]。鉄鋼各社はエンジニアリングなど本業の外へ拡大を求め[57]、同社も1980年度にはエンジニアリング事業が全社売上の10%を超えている[58]。1978年にカタール・スチールの製鉄所を建設した際、エンジニアリング部門は米ミドレックス社の直接還元製鉄法を採用した[59]。1974年時点の同社は鉄鋼・重機械・非鉄の三部門を並立させる複合経営を掲げており[60]、天然ガスで鉄鉱石を還元するこの製法[61]の優秀さが1983年の買収につながった。

  • 日本産業史 第3巻 エネルギー・資源(日本経済新聞社、1994年)「大きかった石油ショックの後遺症」
    • [56]石油危機で鉄鋼需要が縮小し業績が悪化
    • [57]第一次石油ショック後に鉄鋼各社がエンジニアリング等の新規事業拡大へ動いた
  • 証券アナリストジャーナル 1974年 第12巻第12号(井上浩三郎 専務取締役)
    • [58]1980年度 エンジニアリング事業が全社売上の10%超
    • [60]1974年時点で鉄鋼・重機械・非鉄の三部門による複合経営
  • 週刊東洋経済 2005年6月4日号
    • [59]1978年 カタール・スチールの製鉄所建設でミドレックス社の還元製鉄法を採用
  • 週刊東洋経済 2022年11月19日号
    • [61]ミドレックス法は天然ガスで鉄鉱石を還元する製法
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【沿革】
    • [50]1960年9月 ニューヨーク事務所を開設
    • [51]1961年3月 藤沢工場、1961年10月 茨木工場を新設
    • [52]1969年8月 真岡工場(現・真岡製造所)を新設
    • [53]1970年7月 西条工場、1975年9月 福知山工場を新設
    • [54]1979年6月 神戸環境分析センター(現・コベルコ科研)を設立
    • [55]神戸環境分析センターは現在のコベルコ科研
  • 日本産業史 第3巻 エネルギー・資源(日本経済新聞社、1994年)「大きかった石油ショックの後遺症」
    • [56]石油危機で鉄鋼需要が縮小し業績が悪化
    • [57]第一次石油ショック後に鉄鋼各社がエンジニアリング等の新規事業拡大へ動いた
  • 証券アナリストジャーナル 1974年 第12巻第12号(井上浩三郎 専務取締役)
    • [58]1980年度 エンジニアリング事業が全社売上の10%超
    • [60]1974年時点で鉄鋼・重機械・非鉄の三部門による複合経営
  • 週刊東洋経済 2005年6月4日号
    • [59]1978年 カタール・スチールの製鉄所建設でミドレックス社の還元製鉄法を採用
  • 週刊東洋経済 2022年11月19日号
    • [61]ミドレックス法は天然ガスで鉄鉱石を還元する製法

1976年〜 複合経営の拡張と合併を退けた自主独立の選択

神戸製鋼所の業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1983年 米ミドレックス社の買収と、天然ガス直接還元製鉄技術の取得 自社の高炉では使わない製鉄技術を、国内に需要がないまま抱え続けるか
  2. 1988年 ニューヨークに米国総合統括会社Kobe Steel USAを設立
  3. 1989年 USX社との合弁により米国で鉄鋼一貫生産を開始
  4. 1990年 TI社と合弁で半導体製造開始
  5. 1995年 阪神・淡路大震災で神戸・加古川両製鉄所が甚大被害
  6. 1999年 コベルコ建機に建設機械事業を一元化
  7. 2000年 テキサス・インスツルメンツ社との半導体合弁の設立と、マイクロン・テクノロジー社への全株式譲渡 鉄鋼の外に第四の柱は作れるか——下請けから入った半導体を十年で手放すまで

ミドレックス買収と建設機械への足掛かり

1983年7月、同社は経営不振に陥っていた米ミドレックス社を傘下に収め、天然ガスによる直接還元製鉄の技術を取得した[62]。自社の高炉一貫とは別系統の製法で、当時の用途は電炉向けの鉄源に限られていた[63]。同じ1983年7月には油谷重工へ資本・経営参加し[64]、建設機械事業への足掛かりを得ている。1986年4月には神鋼コベルコ建機を設立した[65]。買収後は一般炭を還元剤とするファストメット法、粉鉱石を使うSPIREX法へと技術を広げている[66]

  • 週刊東洋経済 2022年11月19日号
    • [62]1983年7月 米ミドレックス社を買収し天然ガス直接還元製鉄技術を取得
  • 週刊東洋経済 2005年6月4日号
    • [63]買収当時のミドレックス法の用途は電炉向け鉄源に限られていた
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【沿革】
    • [64]1983年7月 油谷重工(現・コベルコ建機)に資本・経営参加
    • [65]1986年4月 神鋼コベルコ建機を設立
  • 週刊東洋経済 1997年1月18日号
    • [66]買収後にファストメット法・SPIREX法へ技術を拡張

1985年9月のプラザ合意後の円高とアジアNIESの追い上げ[67]で、日本の素材産業は構造転換を迫られた。同社は1986年末に不採算部門の縮小・統廃合を柱とするリストラ計画を打ち出し、1989年には成長分野の拡大・新生産体制の構築・グローバル化という積極策へ転じている[68]。1987年10月には神戸総合技術研究所の第Ⅰ期工事を終えた[69]。1988年4月にはニューヨークに米国総合統括会社Kobe Steel USAを設立し[70]、1989年7月には米USX社との合弁USS・KOBE社が棒鋼・線材の現地生産に入っている[71]。1990年には米アルコア社とアルミ圧延品で、米テキサス・インスツルメンツ社と半導体製造で提携を結んだ[72]

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [67]1985年9月 プラザ合意を境に円高が深刻化
    • [68]1986年末にリストラ計画、1989年に成長分野拡大・新生産体制構築・グローバル化の積極策
    • [72]1990年 米アルコア社とアルミ、米テキサス・インスツルメンツ社と半導体で提携
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【沿革】
    • [69]1987年10月 神戸総合技術研究所 第Ⅰ期工事が完了
    • [70]1988年4月 ニューヨークに米国総合統括会社 Kobe Steel USA Inc. を設立
  • 週刊東洋経済 2000年3月11日号
    • [71]1989年 USX社ロレイン製鉄所に折半出資でUSS/コウベ・スチール社を設立し線材・棒鋼を生産
  • 週刊東洋経済 2022年11月19日号
    • [62]1983年7月 米ミドレックス社を買収し天然ガス直接還元製鉄技術を取得
  • 週刊東洋経済 2005年6月4日号
    • [63]買収当時のミドレックス法の用途は電炉向け鉄源に限られていた
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【沿革】
    • [64]1983年7月 油谷重工(現・コベルコ建機)に資本・経営参加
    • [65]1986年4月 神鋼コベルコ建機を設立
    • [69]1987年10月 神戸総合技術研究所 第Ⅰ期工事が完了
    • [70]1988年4月 ニューヨークに米国総合統括会社 Kobe Steel USA Inc. を設立
  • 週刊東洋経済 1997年1月18日号
    • [66]買収後にファストメット法・SPIREX法へ技術を拡張
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [67]1985年9月 プラザ合意を境に円高が深刻化
    • [68]1986年末にリストラ計画、1989年に成長分野拡大・新生産体制構築・グローバル化の積極策
    • [72]1990年 米アルコア社とアルミ、米テキサス・インスツルメンツ社と半導体で提携
  • 週刊東洋経済 2000年3月11日号
    • [71]1989年 USX社ロレイン製鉄所に折半出資でUSS/コウベ・スチール社を設立し線材・棒鋼を生産

阪神・淡路大震災と半導体事業の誤算

1992年3月に神戸総合技術研究所の第Ⅱ期工事、1993年3月に高砂製作所の産業機械工場、1993年9月に大安工場を相次いで立ち上げた[73]。1995年1月17日の阪神・淡路大震災では、神戸製鉄所の第七線材工場や製鋼工場、本社ビルが被害を受け、社員3名が亡くなっている[74]。被害総額は1096億円、同期の累積損失は857億円に膨らんだが、両製鉄所は同年8月までに復旧を終えた[75]。累積損失を消すには二年を要し、五年ぶりの復配は1997年度になった[76]

  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【沿革】
    • [73]1992年3月 神戸総合技術研究所 第Ⅱ期工事完了、1993年3月 高砂製作所内に産業機械工場、1993年9月 大安工場を新設
  • 週刊東洋経済 2000年3月11日号
    • [74]1995年1月17日の阪神・淡路大震災で本社ビルが全壊、神戸製鉄所の第七線材工場・製鋼工場が被災、社員3名が死亡
    • [76]累損一掃に二年を要し1997年度に五年ぶりの復配
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [75]阪神・淡路大震災の被害総額1096億円・1995年3月期の累積損失857億円、両製鉄所は同年8月までに復旧

半導体では1990年に米テキサス・インスツルメンツ社との合弁KTIセミコンダクターを設立し、兵庫県西脇の工場で汎用DRAMを手がけた[77]。1996年度以降のDRAM価格急落で打撃を受け、1997年度には大きな赤字を出している[78]。同社は撤退せず、1998年6月に合弁相手を米マイクロン・テクノロジーへ替える道を選んだ[79]。既存設備を使い切る相手だったため投資額は当初の470億円程度から200億円に圧縮され、線幅は0.28ミクロンから0.18ミクロンへ置き換わっている[80]。それでも電子・情報部門は1998年度に93億円の営業赤字を計上し[81]、同年度の全社は233億円の赤字で無配へ転落した[82]

  • 週刊東洋経済 2000年8月26日号
    • [77]1990年発足のKTIセミコンダクターは米テキサス・インスツルメンツ(25%出資)との合弁で兵庫県西脇工場を持つ
    • [78]1996年度以降のDRAM急落で打撃、1997年度に大幅赤字
    • [79]1998年6月 半導体合弁の相手をテキサス・インスツルメンツから米マイクロン・テクノロジーへ変更
    • [80]設備投資は当初予定の470億円程度から200億円へ圧縮、線幅は0.28ミクロンから0.18ミクロンへ全量置換
  • 週刊東洋経済 2000年3月11日号
    • [81]1998年度 電子・情報部門が93億円の営業赤字
  • 週刊東洋経済 1999年11月6日号
    • [82]1998年度 233億円の赤字で無配に転落
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【沿革】
    • [73]1992年3月 神戸総合技術研究所 第Ⅱ期工事完了、1993年3月 高砂製作所内に産業機械工場、1993年9月 大安工場を新設
  • 週刊東洋経済 2000年3月11日号
    • [74]1995年1月17日の阪神・淡路大震災で本社ビルが全壊、神戸製鉄所の第七線材工場・製鋼工場が被災、社員3名が死亡
    • [76]累損一掃に二年を要し1997年度に五年ぶりの復配
    • [81]1998年度 電子・情報部門が93億円の営業赤字
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [75]阪神・淡路大震災の被害総額1096億円・1995年3月期の累積損失857億円、両製鉄所は同年8月までに復旧
  • 週刊東洋経済 2000年8月26日号
    • [77]1990年発足のKTIセミコンダクターは米テキサス・インスツルメンツ(25%出資)との合弁で兵庫県西脇工場を持つ
    • [78]1996年度以降のDRAM急落で打撃、1997年度に大幅赤字
    • [79]1998年6月 半導体合弁の相手をテキサス・インスツルメンツから米マイクロン・テクノロジーへ変更
    • [80]設備投資は当初予定の470億円程度から200億円へ圧縮、線幅は0.28ミクロンから0.18ミクロンへ全量置換
  • 週刊東洋経済 1999年11月6日号
    • [82]1998年度 233億円の赤字で無配に転落

高炉五社再編論のなかでの自主独立の選択

1999年4月、水越浩士氏が第17代社長に就任し、在任二年10カ月の熊本昌弘氏は会長へ回った[83]。同時にカンパニー制を導入して[84]いる。水越氏はコア事業へ集中し、不採算の周辺事業とシナジーのない事業を売却する方針を掲げ、これを「テン・プロジェクト」と名づけて1999年度中の完遂を表明した[85]。大阪製鎖造機、神鋼コベルコツール、サイバネットシステムを売却し[86]、1999年10月には建設機械カンパニーと油谷重工、神鋼コベルコ建機を統合して製造・販売をコベルコ建機へ一元化している[87]。米国では1999年8月にUSS・KOBE社の棒鋼・線材部門を他社2社と合併させてリパブリック・テクノロジース・インターナショナルを設立し、出資比率を15%まで下げて連結から外した[88]

  • 週刊東洋経済 1999年11月6日号
    • [83]1999年4月1日 水越浩士が第17代社長に就任、在任2年10カ月の熊本昌弘が会長へ
    • [85]「コア事業は集中し強化する。周辺事業で不採算のものは整理、売却。シナジー効果のないものは売却する」を10の課題(テン・プロジェクト)として1999年度中の完遂を表明
    • [86]大阪製鎖造機・神鋼コベルコツール・サイバネットシステムを売却
  • 週刊東洋経済 2000年3月11日号
    • [84]1999年4月 カンパニー制を導入
    • [88]1999年8月 USS/コウベ・スチール社の棒鋼・線材部門を米投資グループ傘下2社と合併しリパブリック・テクノロジース・インターナショナルを設立、出資比率15%で連結対象外に
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【沿革】
    • [87]1999年10月 建設機械カンパニーと油谷重工・神鋼コベルコ建機を統合し製造販売をコベルコ建機へ一元化

この時期、高炉大手五社は多すぎるという再編論が業界を覆っていた[89]。水越氏は合併を一種の流行と退け、加古川と神戸の一体運営による600万トン規模で規模の劣位はないと述べて自主独立を通している[90]。実際、鉄鋼部門の連結営業利益率は7%台と高炉五社で最も高く、ステンレス・シームレスパイプ・H形鋼という当時の赤字三品種を持たない強みもあった[91]。線材の国内シェアは25%弱で首位に[92]ある。合併を退けた選択は、鉄鋼市況の振れをそのまま業績で受け止めることと引き換えだった[93]

  • 週刊東洋経済 2000年3月11日号
    • [89]「日本の高炉大手五社は多すぎる。欧州並みの再編が必要」との再編論が業界にあった
    • [91]鉄鋼部門の連結営業利益率7%台で高炉五社中最高、赤字三品種(ステンレス・シームレスパイプ・H形鋼)を持たない
    • [92]線材の国内シェアは首位の25%弱
  • 週刊東洋経済 1999年11月6日号
    • [90]「合併なんて一種のファッション」「加古川-神戸の一体運営で六〇〇万トン規模と、他社とのビハインドは全然ない」(水越浩士社長)
  • 週刊東洋経済 2001年9月22日号
    • [93]合併を退けた選択は鉄鋼市況の振れをそのまま業績で受け止めることを意味した
  • 週刊東洋経済 1999年11月6日号
    • [83]1999年4月1日 水越浩士が第17代社長に就任、在任2年10カ月の熊本昌弘が会長へ
    • [85]「コア事業は集中し強化する。周辺事業で不採算のものは整理、売却。シナジー効果のないものは売却する」を10の課題(テン・プロジェクト)として1999年度中の完遂を表明
    • [86]大阪製鎖造機・神鋼コベルコツール・サイバネットシステムを売却
    • [90]「合併なんて一種のファッション」「加古川-神戸の一体運営で六〇〇万トン規模と、他社とのビハインドは全然ない」(水越浩士社長)
  • 週刊東洋経済 2000年3月11日号
    • [84]1999年4月 カンパニー制を導入
    • [88]1999年8月 USS/コウベ・スチール社の棒鋼・線材部門を米投資グループ傘下2社と合併しリパブリック・テクノロジース・インターナショナルを設立、出資比率15%で連結対象外に
    • [89]「日本の高炉大手五社は多すぎる。欧州並みの再編が必要」との再編論が業界にあった
    • [91]鉄鋼部門の連結営業利益率7%台で高炉五社中最高、赤字三品種(ステンレス・シームレスパイプ・H形鋼)を持たない
    • [92]線材の国内シェアは首位の25%弱
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【沿革】
    • [87]1999年10月 建設機械カンパニーと油谷重工・神鋼コベルコ建機を統合し製造販売をコベルコ建機へ一元化
  • 週刊東洋経済 2001年9月22日号
    • [93]合併を退けた選択は鉄鋼市況の振れをそのまま業績で受け止めることを意味した

2002年〜 電力事業の育成と品質データ改ざんからの再建

電力卸供給事業への傾斜と神戸発電所

鉄鋼市況に振られない収益源として選ばれたのが電力だ[94]った。1996年3月、同社は関西電力の電力卸供給入札への応募を決め[95]、神戸製鉄所の構内に石炭火力発電所を建てる計画を進めた。総額約2000億円のうち1650億円をプロジェクト・ファイナンスで調達し、2001年9月に全額出資の神鋼神戸発電所を設立している[96]。第一勧業・三和・日本興業・三井住友・日本政策投資の5行が中核となり、調達先は15社に及んだ[97]。2002年4月に1号機、2004年4月に2号機が営業運転へ入り[98]、発電規模は約140万キロワットとなっている[99]

  • 週刊東洋経済 2001年9月22日号
    • [94]鉄鋼市況の振れを受け止める構造に対し電力を安定収益源として位置づけた
    • [96]総額約2000億円のうち1650億円をプロジェクト・ファイナンスで調達、2001年9月に全額出資の神鋼神戸発電所(資本金30億円)を設立
    • [97]プロジェクト・ファイナンスの中核は第一勧業・三和・日本興業・三井住友・日本政策投資の5行、調達先は15社
  • 神戸製鋼所「電力卸供給事業について」(1996年3月19日)
    • [95]1996年3月19日 電力卸供給事業への応募を公表
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【沿革】
    • [98]2002年4月 神戸発電所1号機、2004年4月 2号機の営業運転を開始
  • 神戸製鋼所「神戸発電所の概要」(公式サイト)
    • [99]神戸発電所の総発電規模は約140万キロワット

2000年代半ばは中国向け需要と世界的な好景気で業績が伸び、2008年3月期に売上高2兆1324億円・営業利益2024億円のピークを付けた[100]。だが2009年3月期はリーマン・ショックによる需要急減で純損失314億円に転落している[101]。2011年1月には上海に中国統括会社の神鋼投資有限公司を設立した[102]。鉄鋼事業は2009年度以降の5年間で累計1200億円程度の損失を出し[103]、粗鋼生産量は2013年度で761万トンと新日鉄住金の6分の1にとどまっている[104]

  • 神戸製鋼所 有価証券報告書(連結・米国基準)
    • [100]2008年3月期 売上高2兆1324億円・営業利益2024億円
    • [101]2009年3月期 純損失314億円
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【沿革】
    • [102]2011年1月 上海に中国統括会社(神鋼投資有限公司)を設立
  • 週刊東洋経済 2014年5月9日号
    • [103]鉄鋼事業は2009年度以降5年間累計で1200億円程度の損失
    • [104]2013年度の粗鋼生産量761万トンは新日鉄住金の6分の1・世界51位
  • 週刊東洋経済 2001年9月22日号
    • [94]鉄鋼市況の振れを受け止める構造に対し電力を安定収益源として位置づけた
    • [96]総額約2000億円のうち1650億円をプロジェクト・ファイナンスで調達、2001年9月に全額出資の神鋼神戸発電所(資本金30億円)を設立
    • [97]プロジェクト・ファイナンスの中核は第一勧業・三和・日本興業・三井住友・日本政策投資の5行、調達先は15社
  • 神戸製鋼所「電力卸供給事業について」(1996年3月19日)
    • [95]1996年3月19日 電力卸供給事業への応募を公表
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【沿革】
    • [98]2002年4月 神戸発電所1号機、2004年4月 2号機の営業運転を開始
    • [102]2011年1月 上海に中国統括会社(神鋼投資有限公司)を設立
  • 神戸製鋼所「神戸発電所の概要」(公式サイト)
    • [99]神戸発電所の総発電規模は約140万キロワット
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書(連結・米国基準)
    • [100]2008年3月期 売上高2兆1324億円・営業利益2024億円
    • [101]2009年3月期 純損失314億円
  • 週刊東洋経済 2014年5月9日号
    • [103]鉄鋼事業は2009年度以降5年間累計で1200億円程度の損失
    • [104]2013年度の粗鋼生産量761万トンは新日鉄住金の6分の1・世界51位

神戸製鉄所の高炉休止と品質データ改ざん

2013年3月期は純損失270億円、2016年3月期も純損失216億円[105]と赤字が続き、1993年3月期からの25期のうち12期が最終赤字だった[106]。2013年4月、佐藤廣士氏から川崎博也氏へ社長が交代した[107]。同年5月に「経営基盤の再構築」を掲げる中期経営計画を発表し、2013年度に181億円の赤字だった経常損益を2015年度に800億〜1000億円の黒字へ戻す目標を置いている[108]。柱に据えたのは神戸製鉄所の高炉休止で、1959年に稼働した第1号の高炉を止め、鉄鋼の生産を2017年度までに加古川製鉄所へ集約することで、年750億円のコスト削減を狙っている[109]。有利子負債の重さからD/Eレシオは2倍以上が続いており、2013年度の黒字化を受けて公募増資で831億円を調達した[110]

  • 神戸製鋼所 有価証券報告書(連結・米国基準)
    • [105]2013年3月期 純損失270億円、2016年3月期 純損失216億円
  • 週刊東洋経済 2017年12月2日号
    • [106]1993年3月期から2017年3月期までの連結25期のうち12期が最終赤字
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【役員の状況】
    • [107]2013年4月 佐藤廣士から川崎博也へ社長交代
  • 週刊東洋経済 2014年5月9日号
    • [108]2013年5月の中期経営計画で2013年度181億円の経常赤字を2015年度に800億〜1000億円の黒字へ戻す目標
    • [109]1959年稼働の神戸製鉄所第1号高炉を休止し2017年度までに加古川製鉄所へ集約、年750億円のコスト削減
    • [110]D/Eレシオ2倍以上が継続、2013年度の黒字化を受け公募増資で831億円を調達

発覚の端緒は2016年6月、持分法適用会社である神鋼鋼線工業のステンレス子会社でJIS法違反が判明した[111]ことにあった。自主点検を進めるなかで2017年8月末、真岡製造所・長府製造所・大安工場とコベルコマテリアル銅管秦野工場の4事業所で検査データの書き換えが行われていた[112]ことが明らかになった。2017年10月8日、同社は契約仕様に適合しない製品を適合品として出荷していたと公表した[113]。対象はアルミの板材・押出品・鋳鍛造品と銅製品で、当該部門の年間出荷量の約4%にあたる130億円分[114]に及んでいる。株価は公表後の4日間で43%下落し、不正品の納入先は525社に達した[115]

  • 週刊東洋経済 2017年12月2日号
    • [111]2016年6月 持分法対象の神鋼鋼線工業のステンレス子会社でJIS法違反が発覚
    • [112]2017年8月末 真岡製造所・長府製造所・大安工場・コベルコマテリアル銅管秦野工場の4事業所で改ざんが判明
    • [113]2017年10月8日 顧客と契約した仕様に適合しない製品を適合品として出荷していたと公表
    • [114]対象はアルミ板材・押出品・鋳鍛造品と銅製品で当該部門の年間出荷量の約4%(130億円分)
    • [115]公表後4日間で株価43%下落、不正品の納入先525社

2017年11月10日に公表した再発防止策の会見で、川崎博也会長兼社長は「各事業部門の収益がどうかだけを見ていて、品質管理など工場の生産活動に関する諸問題を把握できていなかった」と原因を述べた[116]。同社は1999年の総会屋への利益供与、2006年の煤煙データ改ざんと不祥事を重ねており[117]、事業部門の収益を最優先する体質は繰り返し問われてきた。2018年3月には外部調査委員会の調査で新たな不正が判明して出荷先は600社超に膨らみ、社長・副社長の辞任と管理職数十人の処分が決まった[118]。同年4月に山口貢氏が社長へ就いている[119]。2019年3月には立川簡裁が不正競争防止法違反で罰金1億円の判決を出し[120]、同年7月には米司法省による調査が終了した[121]

  • 週刊東洋経済 2017年12月2日号
    • [116]2017年11月10日の再発防止策会見で川崎博也会長兼社長が「各事業部門の収益がどうかだけを見ていて、品質管理など工場の生産活動に関する諸問題を把握できていなかった」と述べた
    • [117]1999年の総会屋への利益供与、2006年の煤煙データ改ざんなど不祥事を繰り返した
  • 日本経済新聞(2018年3月6日)
    • [118]2018年3月6日 外部調査委員会の報告で新たな不正が判明し不正品の出荷先が合計600社超に増加、社長・副社長が辞任し管理職数十人を処分
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【役員の状況】
    • [119]2018年4月 山口貢が社長に就任
  • 日本経済新聞(2019年3月13日)
    • [120]2019年3月13日 立川簡裁が不正競争防止法違反で罰金1億円の判決
  • 日本経済新聞(2019年7月18日)
    • [121]2019年7月 米司法省による品質不正の調査が終了
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書(連結・米国基準)
    • [105]2013年3月期 純損失270億円、2016年3月期 純損失216億円
  • 週刊東洋経済 2017年12月2日号
    • [106]1993年3月期から2017年3月期までの連結25期のうち12期が最終赤字
    • [111]2016年6月 持分法対象の神鋼鋼線工業のステンレス子会社でJIS法違反が発覚
    • [112]2017年8月末 真岡製造所・長府製造所・大安工場・コベルコマテリアル銅管秦野工場の4事業所で改ざんが判明
    • [113]2017年10月8日 顧客と契約した仕様に適合しない製品を適合品として出荷していたと公表
    • [114]対象はアルミ板材・押出品・鋳鍛造品と銅製品で当該部門の年間出荷量の約4%(130億円分)
    • [115]公表後4日間で株価43%下落、不正品の納入先525社
    • [116]2017年11月10日の再発防止策会見で川崎博也会長兼社長が「各事業部門の収益がどうかだけを見ていて、品質管理など工場の生産活動に関する諸問題を把握できていなかった」と述べた
    • [117]1999年の総会屋への利益供与、2006年の煤煙データ改ざんなど不祥事を繰り返した
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【役員の状況】
    • [107]2013年4月 佐藤廣士から川崎博也へ社長交代
    • [119]2018年4月 山口貢が社長に就任
  • 週刊東洋経済 2014年5月9日号
    • [108]2013年5月の中期経営計画で2013年度181億円の経常赤字を2015年度に800億〜1000億円の黒字へ戻す目標
    • [109]1959年稼働の神戸製鉄所第1号高炉を休止し2017年度までに加古川製鉄所へ集約、年750億円のコスト削減
    • [110]D/Eレシオ2倍以上が継続、2013年度の黒字化を受け公募増資で831億円を調達
  • 日本経済新聞(2018年3月6日)
    • [118]2018年3月6日 外部調査委員会の報告で新たな不正が判明し不正品の出荷先が合計600社超に増加、社長・副社長が辞任し管理職数十人を処分
  • 日本経済新聞(2019年3月13日)
    • [120]2019年3月13日 立川簡裁が不正競争防止法違反で罰金1億円の判決
  • 日本経済新聞(2019年7月18日)
    • [121]2019年7月 米司法省による品質不正の調査が終了

電力6基体制と水素還元製鉄への広がり

品質問題の収束と並行して地域統括と電力の整備も進み、2017年6月にバンコクへ東南アジア・南アジア地域統括会社を[122]、2019年7月にミュンヘンへ欧州・中東地域統括会社を設立している[123]。発電では2019年10月に真岡発電所1号機、2020年3月に2号機が営業運転へ入った[124]。2020年3月期はコロナ禍と構造改革費用により特別損失651億円を計上し、純損失は680億円に達している[125]。2022年2月に神戸発電所3号機、2023年2月に4号機が加わり[126]、電力は神戸4基と真岡2基の計6基となった[127]

  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【沿革】
    • [122]2017年6月 バンコクに東南アジア及び南アジア地域統括会社(Kobelco South East Asia Ltd.)を設立
    • [123]2019年7月 ミュンヘンに欧州及び中東地域統括会社(Kobelco Europe GmbH)を設立
    • [124]2019年10月 真岡発電所1号機、2020年3月 2号機の営業運転を開始
    • [126]2022年2月 神戸発電所3号機、2023年2月 4号機の営業運転を開始
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書(連結・日本基準)
    • [125]2020年3月期 特別損失651億円・純損失680億円
  • 神戸製鋼所 2024年度 決算説明資料(2025年5月12日)
    • [127]神戸4基・真岡2基の計6基体制、総出力270万キロワット

1983年に買収した技術が表に出たのは、脱炭素が課題になってからだった[128]。ミドレックス法は還元鉄の製法別シェアで常時6割を占め[129]、2019年9月にはアルセロール・ミッタル社と水素を活用した直接還元製鉄法の共同開発契約を結んでいる[130]。2022年10月、ミドレックス社はスウェーデンのH2グリーンスチールから世界初の商業用100%水素還元製鉄プラントを受注した[131]。同社は還元ガス中の水素濃度75%での商業機の実績を持ち、研究所レベルでは100%水素還元を確認している[132]。業績は2018年3月期に純利益632億円まで戻り[133]、2022年3月期は売上高2兆826億円・純利益601億円、2023年3月期は売上高2兆4725億円・純利益726億円と回復した[134]。2024年3月期は売上高2兆5431億円・純利益1096億円[135]へ伸び、同年4月に山口貢氏から勝川四志彦氏へ社長が交代した[136]

  • 週刊東洋経済 2022年11月19日号
    • [128]1983年買収のミドレックス技術が脱炭素の課題化により活用局面を迎えた
    • [131]2022年10月12日 米子会社ミドレックス社がH2グリーンスチールから世界初の商業用100%水素還元製鉄プラントを受注
    • [132]還元ガス中の水素濃度75%での商業機実績があり研究所レベルで100%水素還元を確認
  • 週刊東洋経済 2009年10月24日号
    • [129]ミドレックス法は還元鉄の製鉄法別シェアで常時6割を占める
  • 神戸製鋼所「Midrex社:水素を活用した直接還元製鉄法に関する共同開発契約をアルセロール・ミッタル社と締結」(2019年9月17日)
    • [130]2019年9月17日 Midrex社がアルセロール・ミッタル社と水素を活用した直接還元製鉄法の共同開発契約を締結
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書(連結・日本基準)
    • [133]2018年3月期 純利益632億円
    • [134]2022年3月期 売上高2兆826億円・純利益601億円、2023年3月期 売上高2兆4725億円・純利益726億円
    • [135]2024年3月期 売上高2兆5431億円・純利益1096億円
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【役員の状況】
    • [136]2024年4月 山口貢から勝川四志彦へ社長交代
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【沿革】
    • [122]2017年6月 バンコクに東南アジア及び南アジア地域統括会社(Kobelco South East Asia Ltd.)を設立
    • [123]2019年7月 ミュンヘンに欧州及び中東地域統括会社(Kobelco Europe GmbH)を設立
    • [124]2019年10月 真岡発電所1号機、2020年3月 2号機の営業運転を開始
    • [126]2022年2月 神戸発電所3号機、2023年2月 4号機の営業運転を開始
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書(連結・日本基準)
    • [125]2020年3月期 特別損失651億円・純損失680億円
    • [133]2018年3月期 純利益632億円
    • [134]2022年3月期 売上高2兆826億円・純利益601億円、2023年3月期 売上高2兆4725億円・純利益726億円
    • [135]2024年3月期 売上高2兆5431億円・純利益1096億円
  • 神戸製鋼所 2024年度 決算説明資料(2025年5月12日)
    • [127]神戸4基・真岡2基の計6基体制、総出力270万キロワット
  • 週刊東洋経済 2022年11月19日号
    • [128]1983年買収のミドレックス技術が脱炭素の課題化により活用局面を迎えた
    • [131]2022年10月12日 米子会社ミドレックス社がH2グリーンスチールから世界初の商業用100%水素還元製鉄プラントを受注
    • [132]還元ガス中の水素濃度75%での商業機実績があり研究所レベルで100%水素還元を確認
  • 週刊東洋経済 2009年10月24日号
    • [129]ミドレックス法は還元鉄の製鉄法別シェアで常時6割を占める
  • 神戸製鋼所「Midrex社:水素を活用した直接還元製鉄法に関する共同開発契約をアルセロール・ミッタル社と締結」(2019年9月17日)
    • [130]2019年9月17日 Midrex社がアルセロール・ミッタル社と水素を活用した直接還元製鉄法の共同開発契約を締結
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【役員の状況】
    • [136]2024年4月 山口貢から勝川四志彦へ社長交代

神戸製鋼所の沿革1905〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
鈴木商店が小林製鋼所を買収し神戸製鋼所として創業
神戸製鋼所として鈴木商店から分離独立★★
日本初のドリル生産を開始
機械製作分野に参入
伸銅品の生産を開始
母体の鈴木商店が金融恐慌の中で倒産★★
アルミ分野に参入★★
溶接棒の生産を開始(日本初)
町永三郎東京・大阪・名古屋の各証券取引所に株式上場
町永三郎神鋼金属工業・神鋼電機の2社を分社
浅田長平高砂工場を新設
外島健吉日本初のプラント輸出商談が成約
外島健吉灘浜1号高炉の火入れで鉄鋼一貫体制を確立★★
外島健吉尼崎製鉄を吸収合併★★
外島健吉真岡工場を新設
外島健吉灘浜での自社高炉の建設、尼崎製鉄の吸収合併、加古川製鉄所の新設銑鉄を買い続ける加工メーカーでいるか、資本を投じて銑鋼一貫へ移るか 詳細を読む★★★
牧冬彦米ミドレックス社の買収と、天然ガス直接還元製鉄技術の取得自社の高炉では使わない製鉄技術を、国内に需要がないまま抱え続けるか 詳細を読む★★★
亀高素吉ニューヨークに米国総合統括会社Kobe Steel USAを設立
亀高素吉USX社との合弁により米国で鉄鋼一貫生産を開始★★
亀高素吉TI社と合弁で半導体製造開始
亀高素吉阪神・淡路大震災で神戸・加古川両製鉄所が甚大被害★★
水越浩士コベルコ建機に建設機械事業を一元化★★
水越浩士テキサス・インスツルメンツ社との半導体合弁の設立と、マイクロン・テクノロジー社への全株式譲渡鉄鋼の外に第四の柱は作れるか——下請けから入った半導体を十年で手放すまで 詳細を読む★★★
水越浩士電力卸供給事業への参入と、神戸製鉄所構内での石炭火力発電所の建設鉄鋼市況の振れをどこで吸収するか——合併に加わらない会社が選んだ第三の収益源 詳細を読む★★★
水越浩士新日本製鐵・住友金属工業との相互出資の開始と、23年後の解消合併に加わらない会社が独立を保つために何を差し出すか——資本を交わすという提携の形 詳細を読む★★★
犬伏泰夫神戸発電所2号機の営業運転開始
佐藤廣士2009年3月期親会社株主に帰属する当期純損失▲314億円を計上
佐藤廣士佐藤廣士氏が社長に就任
川崎博也2013年3月期純損失▲270億円、経常損失▲181億円
川崎博也川崎博也氏が社長に就任
川崎博也神戸製鉄所の上工程休止と、加古川製鉄所への一貫工程の集約二拠点に分かれた上工程を残すか、加古川へ一本化するか——再編に乗り遅れた三番手が選んだ合理化 詳細を読む★★★
川崎博也品質データ改ざんの公表と経営刷新——名門・神戸製鋼の信頼失墜と再建「メイキング」と呼ばれた全社的な検査データ偽装を、どう決着させ品質保証体制をどう作り替えるか 詳細を読む★★★
山口貢2018年3月期純利益632億円に回復
山口貢山口貢氏が社長に就任
山口貢2020年3月期純損失▲680億円、特別損失651億円
山口貢神戸発電所3号機の営業運転開始
勝川四志彦勝川四志彦氏が社長に就任
勝川四志彦2025年3月期当期純利益1201億円(過去最高更新)
出典・参考
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【沿革】
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
  • 会社銀行八十年史 2篇 日本会社史「鉄鋼」概説(東洋経済新報社, 1955)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
  • 会社銀行八十年史 2篇 日本会社史「神戸製鋼所」(東洋経済新報社, 1955)
  • 証券アナリストジャーナル 1964年 第2巻第7号(湊静男 常務取締役)
  • 神戸製鋼所「銑鋼一貫生産体制確立50周年について」(2009年12月)
  • 証券アナリストジャーナル 1974年 第12巻第12号(井上浩三郎 専務取締役)
  • 日本産業史 第3巻 エネルギー・資源(日本経済新聞社、1994年)「大きかった石油ショックの後遺症」
  • 週刊東洋経済 2005年6月4日号
  • 週刊東洋経済 2022年11月19日号
  • 週刊東洋経済 1997年1月18日号
  • 週刊東洋経済 2000年3月11日号
  • 週刊東洋経済 2000年8月26日号
  • 週刊東洋経済 1999年11月6日号
  • 週刊東洋経済 2001年9月22日号
  • 神戸製鋼所「電力卸供給事業について」(1996年3月19日)
  • 神戸製鋼所「神戸発電所の概要」(公式サイト)
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書(連結・米国基準)
  • 週刊東洋経済 2014年5月9日号
  • 週刊東洋経済 2017年12月2日号
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書【役員の状況】
  • 日本経済新聞(2018年3月6日)
  • 日本経済新聞(2019年3月13日)
  • 日本経済新聞(2019年7月18日)
  • 神戸製鋼所 有価証券報告書(連結・日本基準)
  • 神戸製鋼所 2024年度 決算説明資料(2025年5月12日)
  • 週刊東洋経済 2009年10月24日号
  • 神戸製鋼所「Midrex社:水素を活用した直接還元製鉄法に関する共同開発契約をアルセロール・ミッタル社と締結」(2019年9月17日)

免責事項およびポリシー