- 創業
- 1905年9月、神戸の商社・鈴木商店が小林清一郎氏の小林製鋼所を買収して神戸製鋼所と改称した。買収を決めたのは番頭の金子直吉氏である。1911年6月に鈴木商店から分離独立した際は、海軍造船少将の黒川勇熊氏を初代社長に招いた。母体は1927年に倒産しており、創業家が社長を出した時期は一度もない。
- 登用
- 直近20年の5人は全員が新卒入社の生え抜きで、入社から社長就任まで33年から39年、いずれも副社長か専務からの昇格である。出身部門は鉄鋼営業・材料研究・機械と分かれるが、直近2代はどちらも経営企画を通っている。官庁から転じた井上義海氏が1972年に就いて以来、社外の経歴を持つトップは出ていない。
- 任期
- 「中興の祖」と呼ばれる浅田長平氏は、公職追放を挟んで二度社長に就いた。最長は灘浜の高炉と加古川製鉄所を立ち上げた外島健吉氏の13年半で、亀高素吉氏の9年が続く。1996年以降は4年から6年で代わる型に落ち着き、直近3代も川崎博也氏が5年、山口貢氏が6年、勝川四志彦氏が2024年4月から在任中である。
- 含意
- 1999年の総会屋への利益供与から2017年の品質データ改ざんまで不祥事が続き、2009年と2018年には社長が引責辞任している。それでも後任は毎回、生え抜きの副社長から出た。指名・報酬委員会ができたのは改ざん公表の翌2018年で、委員長も取締役会議長も社外だが、委員3名には社長本人が座る。
1946〜1951年・6年/生え抜き
1952〜1957年・6年/生え抜き
1958〜1970年・13年/生え抜き
1971〜1973年・3年/外部出身
1974〜1975年・2年/生え抜き
1976〜1976年・1年/生え抜き
1977〜1981年・5年/生え抜き
1982〜1985年・4年/生え抜き
1986〜1994年・9年/生え抜き
1995〜1997年・3年/生え抜き
1998〜2002年・5年/生え抜き
2003〜2007年・5年/生え抜き
2008〜2011年・4年/生え抜き
2012〜2016年・5年/生え抜き
2017〜2022年・6年/生え抜き
勝川四志彦現任
2023年〜現在・4年/生え抜き
勝川四志彦
かつかわ よしひこ
生え抜き(1985年入社)。入社後6年は機械部門の営業、その後は機械部門と本社部門で企画・管理畑を歩み、副社長から社長へ
山口貢
やまぐち みつぐ
生え抜き(1981年入社)。経営企画などの事務畑を歩み、機械事業部門長を務める副社長から社長へ。品質データ改ざん問題を受けた経営体制の刷新で登板した
川崎博也
かわさき ひろや
生え抜き(1980年入社)。鉄鋼の生産設備や電力事業を担当し、経営企画担当役員を経て社長へ
佐藤廣士
さとう ひろし
生え抜き(1970年入社)。材料研究所長・開発企画部長・技術開発本部長を歴任した技術系で、工学博士
犬伏泰夫
いぬぶし やすお
生え抜き(1967年入社)。北米駐在8年を含む鉄鋼営業畑を歩み、鉄鋼部門長を務める副社長から社長へ。阪神・淡路大震災では営業総括部長として顧客対応にあたった
水越浩士
みずこし こうし
生え抜き(1961年入社)。鉄鋼事業本部企画管理部長から常務・専務・副社長へ進み、カンパニー制の導入と「選択と集中」による事業整理を主導した
熊本昌弘
くまもと まさひろ
生え抜き(1960年入社)。神戸製鉄所の原料担当や本社総務課長を経て1987年に取締役、1993年に副社長。「全員参加」を掲げる協調型の経営者と評された
亀高素吉
かめたか そきち
生え抜き(1950年入社)。鉱石購買・原料畑から総務部長を経て取締役となり、副社長から社長へ
牧冬彦
まき ふゆひこ
生え抜き(1948年入社)。学徒出陣とシベリア抑留を経て入社し、人事・労務など管理畑を歩んだ
高橋孝吉
たかはし こうきち
生え抜き(1938年入社)。長府北工場長・神戸工場長・溶接棒事業部長と現場を歴任した技術系で、工学博士
杉澤英男
すぎさわ ひでお
生え抜き(1938年入社)。技術系。社長就任から約1年で病気により退任した
鈴木博章
すずき ひろあき
生え抜き(1943年入社)。旧香春鉱業を経て入社し、神鋼金属工業への出向で営業を経験した後は秘書役・総務部長と総務畑を歩んだ。1969年の取締役就任から5年半で社長へ昇格
井上義海
いのうえ よしみ
外部出身(1957年入社)。大蔵省に入省し印刷局長を務めた後に転じ、取締役・副社長を経て社長へ
外島健吉
としま けんきち
生え抜き(1932年入社)。1949年に取締役、常務・専務を経て社長へ。在任13年半で鉄鋼業界初のプラント輸出と同社初の海外事務所開設を進めた
浅田長平
あさだ ちょうへい
生え抜き(1911年入社)。1945年9月に社長へ就くも翌年12月に公職追放で辞任、追放解除後の1952年11月に社長へ復帰した。「神鋼中興の祖」と呼ばれる
町永三郎
まちなが さぶろう
生え抜き(1913年入社)。機械畑を歩み1944年に取締役。公職追放で辞任した浅田長平の後任として社長に就き、浅田の復帰後は副社長に退いて尼崎製鋼所・尼崎製鉄の社長を務めた