鈴木博章

神戸製鋼所・元取締役社長

Suzuki Hiroaki(敬称略)

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社長就任 1974年11月
生年月日 —
学歴 京都帝国大学法学部政治学科
出自 —
社長就任までの出自
出自

1941年に京都帝国大学の法学部を出て、1943年に神戸製鋼所へ入った。工場でも研究でもなく、総務の職を重ねた事務系である。1964年2月に東京支社総務部長兼大阪事務所長、1968年1月に大阪支社総務部長、1969年1月に総務部長と進み、同年5月に取締役へ就任した。1970年11月に常務取締役、1972年11月に専務取締役、1974年5月に取締役副社長と、役員に入ってから5年半で社長まで上がっている。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1974年11月、井上義海氏が会長へ移り、副社長から社長へ上がった。石油危機の直後で、神戸製鋼所の単体経常利益は1974年3月期の309億円から就任年度の1975年3月期に215億円へ減っている。副社長には1973年5月に就任した杉澤英男氏が先に並んでいたが、取締役就任が1965年5月の杉澤氏に対し1969年5月の鈴木氏が先に社長へ座った。生産の拡張から需要の後退へ振れる時期に、総務を歩いた事務系を充てた人事とみられる。

在任中の主な施策
施策

在任は1974年11月から1976年9月までの1年10か月である。1973年の加古川2号高炉で年産600万トン体制を構築した直後に、石油危機後の減産期が重なった。単体売上高は1975年3月期の7,687億円から1976年3月期に7,362億円へ減り、当期純利益は103億円から32億円へ減少している。この間に増やした拠点は1975年9月の福知山工場にとどまり、加古川で膨らんだ設備を抱えたまま需要の谷を渡す期間となった。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1943〜1976年
在任中の業績
就任前(FY73)6,124億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 1件

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