1981年9月、24歳の孫正義氏は東京都千代田区四番町に日本ソフトバンクを設立し、パーソナルコンピューター用パッケージソフトの流通業を始めた。創業の地は福岡市である。孫氏は米国カリフォルニア大学バークレー校の在学中、事業資金を稼ぐ商品の案を1日1件考える日課を課し、1年で約250件を書き溜めた。そのうちの1件だった電訳機の試作機を1978年8月にシャープ副社長の佐々木正氏へ持ち込み、3日後に技術譲渡契約を結んで1億円を得ている。売り込みでは米国から40社余りへ手紙を出し、本命と定めたシャープを最後に回した。業種の選定では、大きな資本を要しないこと、成長性が高いこと、社会的に有意義であることを条件に数業種を選び、社員2人を雇って市場と技術を1年半調べたうえで、パソコンソフトの流通へ絞り込んでいる。
当時のパソコンソフト市場には、メーカーから小売店へ商品を届ける卸機能を担う専業者がほとんど存在せず、利用者は複数のマイコンショップを探し回らなければ目当てのソフトに辿り着けなかった。孫氏は書店で本を買うようにソフトを届ける中間流通として事業を設計している。ソフトメーカーの多くは社員数人規模の小さな会社で、全国を回る営業人員を抱えていなかった。小売店の側もパソコン本体や家電の販売と兼業する店がほとんどだったため、品揃えの選定から陳列方法までを代わりに引き受ける卸の存在は双方から歓迎された。創業時の社員は孫氏を含め3人で、販売網もブランドも持たない状態からの出発だった。中間マージンを得るには、メーカーからの仕入れ値を今までより下げさせ、小売店への卸値は逆に上げる必要があり、双方を説き伏せて取引の慣行そのものを変えさせなければならなかった。日本で最初のパッケージソフト専業の流通会社であった。
資金の調達は難航した。ソフトが担保にならないため創業時の流通業へ融資する銀行は無く、第一勧業銀行が相談に応じたものの行内の手続きが進まず、シャープの佐々木正氏らが個人的に保証する形でようやく実行に至っている。事業の側にも制約があった。創業当時すでに卸会社は2、3社あったが、そのすべてがパソコン関連雑誌の出版社の事業部門であり、日本ソフトバンクと取引したソフトメーカーは雑誌への広告掲載を拒まれた。広告を絶たれることはソフトメーカーにとって致命的で、放置すれば取引先ごと共倒れになる。流通に専念するかぎり、商品の供給元を競合の出版社に握られ続ける構造であった。
1982年5月、日本ソフトバンクは月刊"Oh! PC"と月刊"Oh! MZ"を創刊し、出版事業へ参入した。出版の経験は社内に無く、孫正義氏自身がソフトの営業の傍ら編集長を務め、記事と広告を集めて2か月で創刊号を出すという急造の体制であった。ほかのパソコン雑誌がいずれも10万部以上を売るなかで"Oh! PC"の実売は1万部そこそこにとどまり、毎号返本の山を築いて赤字が続いた。ソフトの卸売は順調に伸びており、収益だけで判じれば撤退すべき事業であった。だが取引先のソフトメーカーからは、広告掲載の道を確保するために大規模な出版を続けてほしいと要請されており、撤退は最初から選べなかった。
赤字の雑誌を立て直すために孫氏が選んだのは、さらに投資を重ねる道であり、その下準備として、毎号5,000〜6,000枚返ってくる読者はがきを一枚も漏らさず自分で読み、内容を分けて弱点に順位を付けた。記事を倍に増やし、表紙は専門家にデザインを任せ、テレビ広告も出すと決めたのは、知名度の低さが第一の弱点で、表紙の意匠と記事量の不足がそれに続くと分かったからである。赤字の雑誌に1億円近くを宣伝に使う計画は、ソフト部門が伸びている最中だったこともあって社内の強い反発を招き、孫氏の側近が業界団体の関係者のもとへ説得を頼みに行く騒ぎにまで発展した。広告費が最も安い2月を選び、6,000万円の半分をパソコンメーカーに負担させた。印刷した10万部は売り切れとなり、これを型に雑誌を増やして、出版はソフト流通と並ぶ収益の柱に育った。売上高は1982年12月期の23億円から1985年12月期の115億円へ、従業員は21人から210人へ増えた。
ステロイド離脱療法によって孫正義氏が回復するまでには、3年半の時間がかかった。発端は創業1年目の肝炎で、それ以後は体に無理がきかなくなった。都内の病院を渡り歩いて入院と退院を重ねるうち、経営は孫氏の手を離れかけた。見舞いの友人に見せた管理費のグラフでは、孫氏がいなかった時期に限って数字が一様に跳ね上がっていた。それでも病室にはパソコン、ファクシミリ、電話が持ち込まれ、孫氏は離れた場所から指示を送り続けた。読んだ本も3年で4,000冊に達し、分野は多岐にわたった。会社と距離を置いたこの期間に数値で経営をつかむ手法を覚えたと孫氏は後年振り返っており、第一線を離れていた時間が計数による経営の訓練を兼ねたといえる。
1983年3月、孫氏は会長へ退き、大森康彦氏を社長に迎えた。紹介したのは創業時に融資の保証人となったシャープの佐々木正氏で、孫氏を補佐するベテラン経営者が必要という判断からであった。迎え入れた当時の孫氏は過労で肝臓を痛めて入退院を繰り返しており、大森氏が着任するまでの経営には緩んだところもあったとされる。野村證券からセコムへ移り副社長を務めていた大森氏は、経営体質の改善を進め、業界関係者の言葉を借りれば大ナタを振るっている。この間に退職者が相当数出て、孫氏と苦楽を共にした社員も少なくなかった。急拡大した会社を管理の利く組織へ作り替える過程で生じた摩擦であり、その余熱は1987年の時点でもくすぶっていたとされる。
1986年、孫氏は社長へ復帰し、大森康彦氏が会長へ回った。病が癒えれば交代することは当初から2人の間で決めてあり、その約束を実行したものである。日常の経営業務は孫氏へ全面的に委ねられた一方、大森氏は孫氏をなお経営者として未熟な面があると評していた。会社の規模はすでに、起業の着想や個人の秀才さでは処理しきれず、組織の運営と管理を要する段階へ入っていた。数業種を比べて市場を選び、読者アンケートを順位へ直して広告を打つという、情報を数値へ落としてから動く型は創業期から一貫していた。孫氏は1億円を手にした時点で50年の事業計画を立てており、『20代で名乗りをあげ、30代で軍資金1000億円をためる。40代でひと勝負かけ、50代で完成、60代に次の世代へ継承する』という構想を描いていた。卸売と出版の2本柱は、その最初の10年にあたる。
1990年7月、日本ソフトバンクは商号をソフトバンク株式会社へ改めた。1994年7月には株式を日本証券業協会へ登録し、店頭公開を果たしている。公開の時点でソフトウェア事業の販売加盟店は2万店、扱い品目は約5万種類に達し、パソコン用ソフトの流通で首位を占めていた。ただしメーカーではないため粗利益率は10数%にとどまる。孫正義氏はこの構造を、販路が広く品目が多いために売上や利益が突然落ちることは無く、市場の成長に正比例して伸びる形だと説明した。1992年の時点で加盟ディーラーは1万5,000店、主力のパソコンソフトは国内販売の50%以上を供給していた。単体売上高は1992年3月期の438億円から1993年3月期に516億円、1994年3月期には640億円へ伸びている。
薄い利幅から利益を取り出すために、孫氏は経営の仕組みそのものを作った。1989年ごろから自ら開発した日次決算システムは、10人前後で構成する約60のチームのリーダーが毎日の業績をパソコンへ入力し、ネットワークで結んでチーム別の日次経常損益を算出するものである。運賃・家賃・金利の振り分けが難しく、1995年までに60回の改訂を重ねた。これと組み合わせたのがインセンティブ・プランで、売上高ではなく経常利益だけを評価の対象とし、利益を伸ばしたチームのリーダーへ報いる。年俸700万円ほどの30歳前後の社員に2,000万円から3,000万円が加わる例も少なくなかった。組織はチームリーダーの上に事業部長を置くだけで社長の下は3階層にとどまり、700人の社員は全員がパソコンを持って、孫氏は電子メールで指示を出していた。
ソフトバンクは店頭公開で得た資金を、卸売の販路ではなく他社の事業の取得へ振り向けた。1994年4月にNTTデータ通信とビデオ・オン・デマンド事業の共同出資会社を設立し、5月に監査法人トーマツとネットワーク関連ソフトの販売で提携、10月には日本シスコシステムズへ12%を出資している。11月には文教堂と組んで書店でのパソコンソフト販売を始め、同月パソナとパソコン人材研修の共同出資会社を設けた。孫氏はソフトバンクの事業全体をソフトのインフラ事業と位置づけ、卸売と出版は流通手段のひとつにすぎないと述べている。この時点で子会社・関連会社は14社を数え、連結の売上高と利益はいずれも単体を上回っていた。
1994年12月から、ソフトバンクは米国の展示会事業コムデックスとIT出版社ジフ・デービスの買収へ動いた。当初狙ったのはジフ・デービス本体であったが、最終段階で米投資会社との取得競争に敗れ、同社の展示会開催部門だけを取得している。買収資金は社債でまかない、1995年2月27日の第1回無担保普通社債100億円を皮切りに、1996年11月までに12本・合計2,200億円を発行した。1996年8月には米キングストン・テクノロジーの買収を1,628億円で決め、一連の買収へ投じた金額は約5,000億円に達した。相次ぐ大型買収を借入で重ねた結果、有利子負債は売上高を超える規模へ膨らんでいる。連結売上高は1995年3月期の968億円から1996年3月期に1,711億円、1997年3月期には3,597億円へ伸びた。
1996年1月11日、ソフトバンクは米ヤフーとの合弁で資本金2億円のヤフー株式会社を設立した。出資比率はソフトバンクが60%にあたる1億2,000万円、Yahoo Corporationが40%にあたる8,000万円で、代表取締役社長には孫正義氏自身が就任している。事業内容は日本国内における日本語対応の情報検索サービスの提供とミラー・サイトの運営で、ブランドと技術を米ヤフーから借り、資本と経営をソフトバンクが握る変則的な合弁であった。米ヤフーは、買収したジフ・デービスの情報網を通じて見つけた相手である。買った事業そのものが生む利益ではなく、そこから流れ込む情報と人脈に投資するという論理が、この時期に形を取った。
連続する買収に対しては財務体力の消耗を懸念する声が市場から上がり、1996年8月には相次ぐ買収に体力がもつのかという疑問が投げかけられた。1996年3月末の連結有利子負債は3,892億円で、同期の連結売上高1,711億円の倍を超えていた。孫正義氏は心配ないと応じ、買収は高い買物ではない、『浮利は追っていない』と反論している。事業会社というより投資会社ではないかという問いには、その指摘は光栄だと答え、欧米では優良企業ほど企業買収で事業を拡大していると述べた。1997年秋には買収した企業の業績悪化が表面化し、孫流の拡大路線に暗雲が差した。孫氏個人の会社を用いた買収の枠組みにも批判が集まったが、孫氏は『影の部分にも自分の責任はある』と述べつつ、買収は続けると明言した。同年11月の時点でも財務の工夫で当面を乗り切った状態で、買収先の業績悪化により予断を許さなかった。
ソフトバンクの上場時の発行済株式総数は1億241万9,683株で、うち孫正義氏が1997年3月末時点で43.3%を持っていた。株式が東京証券取引所市場第一部に上場されたのは1998年1月である。このとき会社が最重要の課題に据えたのは、パソコン用ソフト流通で首位を守ることではなかった。目標はデジタル情報産業で世界に圧倒的な第一位のインフラストラクチャー提供者になることだった。事業は流通・ネットワーク・メディア・テクノロジーサービス・展示会・インターネットの6分野に広がり、企業の買収や提携は、他を大きく引き離すシェアを手にするための方法のひとつとされた。1998年3月期の連結売上高は5,133億円に届いた。
1999年10月、ソフトバンクは純粋持株会社へ移行し、事業会社の株式を保有して統括する形へ組織を改めた。1999年3月期の連結売上高は5,281億円、当期純利益は375億円で、前期の103億円から3.6倍に増えている。この利益の伸びは商品を売って得たものではなく、保有する株式の価値の変動に左右される性格を強めていた。1981年に日本で最初のパッケージソフト専業流通会社として出発した会社は、1990年代の終わりに、商品の流通ではなく資本の配分を主たる仕事とする組織へ姿を変えた。創業から18年、店頭公開からは5年での転換であり、上場時に掲げた6分野のインフラ提供者という目標は、事業を営むことではなく事業を持つことによって追われることになる。
2000年3月期、ソフトバンクはインターネット産業へ経営資源を寄せ、純粋持株会社・事業統括会社・事業会社の3層構造を敷いた。米国で芽を出した事業モデルを合弁で各国へ移す手法を会社は「タイムマシーン経営」と名づけ、ファンドの投資先を含むグループは400社を超えた。2000年9月にはオリックスや東京海上火災保険と組み、日本債券信用銀行の48.9%を持つ最大株主となっている。ところが同じ2000年春に米ナスダック市場の調整が始まり、日本のネット関連株と事業環境にも波及した。会社自身も、事業モデルに難のある新興ネット企業は淘汰が進んでいると株主へ認めた。投資先の数で存在感を示す経営は、保有株式の値が崩れた時点で支えを失ったとみられる。
次の収益源として、ソフトバンクは2001年6月にヤフーと組んでADSLの常時接続サービスへの参入を決め、同年9月に商用サービスを始めた。社長の孫正義氏は、日本でネットの普及が遅れた原因を通信速度の遅さ・料金の高さ・常時接続の欠如に求めた。そのうえで、規制緩和と2005年までに4,000万世帯をブロードバンド化する政府目標によって、環境は好転すると見込んだ。人口あたりの普及率で韓国が短期間に米国を抜いたことも、日本で急拡大が起こりうる根拠に挙げている。孫氏はジフ・デービス買収のころのネットへの懐疑を引き、同じ転換がブロードバンドで起こるとして経営資源を集めた。出資を主業としてきた会社が、回線と設備を自ら抱える事業会社へ転じる判断であった。
参入の代償は連結損益にすぐ表れ、営業損益は2001年3月期の164億円の黒字から、2003年3月期には919億円の赤字へ転じた。当期純損失も2002年3月期887億円、2003年3月期999億円、2004年3月期1,070億円と3期続いた。会社はブロードバンド・インフラ事業を除けば営業損益は黒字だと示し、赤字の出どころを一つの事業の先行投資に限って説明した。投資の中身は、未使用の光ファイバーを借りて全国に張ったIPの基幹網で、敷設工事を省いて料金を低く抑える設計であった。同事業の営業赤字は2003年度に800億円を超えており、利益より先に回線数を取りにいく順序が意図して選ばれていた。
ADSLの次に向かったのは法人と固定電話であった。2004年7月30日、ソフトバンクは日本テレコムの発行済普通株式の100%を取得し、それまで個人中心だったインフラ事業に法人部門を加えた。この連結で連結総資産は5,408億円増えて約2兆円となった。2005年2月にはケーブル・アンド・ワイヤレス・アイディーシーも買い、グループ通信3社の回線数は約1,100万に届いた。一方のYahoo! BBは、2004年度第4四半期にサービス開始から3年半余りで営業黒字へ達している。2005年5月の決算説明会で会社は、ADSLを投資回収期、2004年12月に始めた直収型固定電話「おとくライン」を先行投資段階と位置づけた。回収に入った事業の資金で次の赤字事業を支える循環が、この時点で組まれたといえる。
2004年10月18日、ソフトバンクは福岡ダイエーホークスの買収希望を表明し、取得に伴って連結調整勘定が40億5,400万円増えた。孫氏は野球をブロードバンドの主力コンテンツと位置づけた。球団を持つ狙いについては、新規参入で終わらせず『球界の歴史を変える、そこで何か1つ貢献できればというのが我々の思いですね』と語っている。球団の試合は、パソコン向け動画配信の実験サービスにも専用チャンネルとして載せた。この間に損益は好転し、2006年3月期の連結売上高は1兆1,086億円と初めて1兆円を超え、営業利益は創業来最高の622億円となった。当期純損益も前期の598億円の損失から575億円の黒字へ転じている。黒字化の翌期を待たずに、会社はさらに大きな買収へ進んだ。
2006年3月17日、ソフトバンクはボーダフォン株式会社の株式97.7%を子会社経由で取得する最終契約を結んだ。相手は2006年2月時点で1,514万回線を持つ携帯電話会社であった。株式価値は約1.75兆円で、うち1.1兆〜1.2兆円を買収先の資産を担保とするLBOの銀行借入でまかなった。借入は親会社の信用に頼らないノンリコース型で、返済原資は年3,000億円規模のボーダフォンのEBITDAに限った。孫氏は固定のブロードバンドで得た技術とノウハウを携帯へ移すと述べた。ADSL参入を振り返っては『ブロードバンド・インフラ事業を開始したときは、まさにゼロからの出発でした』とし、今度は実績と経験があると違いを示した。移動体通信の顧客基盤を借入で一挙に買う判断は、その経験への自信を前提にしていた。
2007年5月の決算説明会で会社は買収前の懸念に対し、1.45兆円の借り換え完了、前年の約1.8倍の営業利益、約4倍の年間純増数を示した。2007年3月期の連結売上高は2兆5,442億円、営業利益は2,710億円に伸びた。国内携帯電話の純増数に占めるシェアは、2005年度の3.5%から2006年度に14.2%へ上がった。孫氏はこの伸びを『決してボーダフォンの経営数値が単純に上乗せされただけではありません』と説明した。3Gの基地局は買収前の2倍以上となる46,000局まで増やす計画を立て、端末の割賦販売で端末代を通信料から切り離した。買った顧客基盤の上に、設備と料金の差別化を重ねる手順であった。
2008年7月、ソフトバンクモバイルはアップル社製の「iPhone 3G」を日本で発売した。前年の2007年度には純増数で首位に立ち、有利子負債のEBITDA倍率は2004年度末の19.4倍から4.0倍へ下がっていた。2009年度の連結営業利益は4,658億円で5期続けて最高益となり、会社はiPhoneによる市場開拓を増益の要因に挙げた。同年度には3,908億円のフリー・キャッシュ・フローを生み、純有利子負債を4,384億円減らした。孫氏は純有利子負債を2011年度末までに2008年度末の半分に、2014年度末にはゼロにする目標を掲げた。成長の旗を降ろさずに返済の期限を自ら区切ったのは、LBOへの疑念に数字で答えるためであったのだろう。
純有利子負債は、ボーダフォン買収時の2兆3,870億円から2010年12月末に1兆4,299億円まで減った。2011年7月、ソフトバンクモバイルの金利約5%の借入6,539億円を、本体の無担保・金利約1.4%の借入5,500億円へ移す案を示した。東日本大震災では翌朝に3,786局の基地局が止まり、4月14日にほぼ震災前の範囲までサービスを戻した。孫氏は株主へ、『ソフトバンクグループのネットワークの災害時の耐久性・信頼性が必ずしも十分なものではなかった』と認めた。同じ7月の説明会で孫氏は、2006年3月の買収会見での『通信会社になったとか、言わないでいただきたい』という発言を示し直した。流通から携帯電話までの全事業は、インターネットで首位に立つための手段とされた。通信会社の規模を得た後も、会社は自らをインターネットの会社と定義した。
2012年2月、ソフトバンクは2016年度に連結営業利益1兆円を上げるという目標を掲げた。直前の2011年度は営業利益6,752億円で、売上高・営業利益・当期純利益のすべてが過去最高を更新していた。代表取締役社長の孫正義氏は、こうした成長の源泉を、先に高い目標を置いてそこから打つ手を割り出す経営にあると位置づけた。目標の裏づけは財務の立て直しにあり、2008年度末に1.9兆円あった純有利子負債は2011年度末に5,472億円まで減り、3年で半減させるという公約を大きく超えた。同じ3年間のフリー・キャッシュ・フローは累計1.3兆円で、1兆円の目標を上回っていた。ボーダフォン日本法人の買収で負った借入の返済にめどが付いたことが、次の大型投資へ踏み出す余地を生んだと推察される。
2012年度、ソフトバンクはイー・アクセスとスプリントの買収を相次いで決めた。イー・アクセスはデータ通信に強く1.7GHz帯の周波数を持ち、ネットワーク分野を中心に総額約3,600億円のシナジーを見込んだ。スプリントとは2012年10月15日に合併契約を結んだ。孫氏は米国を選んだ理由として、経済規模が世界一で携帯市場の規模と伸びが大きいこと、スマートフォンとLTEの普及で日本と条件が近いことを挙げた。手続きの途中で米DISHが対抗提案を出すと、ソフトバンクは2013年4月の説明会で、シナジーを織り込んだ1株当たり価値は自社案の7.65ドルに対しDISH案が6.31ドルにとどまると反論した。2013年6月11日には投資総額を約201億米ドルから約216億米ドルへ引き上げることで合意した。
2013年7月10日、ソフトバンクはスプリントの支配を獲得し、完全希薄化ベースで株式の約78%を持つ親会社となった。取得原価は2兆1,886億円で、そのうち現金が1兆8,751億円を占めた。買収に伴い、IFRSで見た純有利子負債は2012年度末の2兆2,578億円から2013年度末の7兆593億円へ膨らんだ。格付け各社は買収の発表を受け、格下げの方向で見直しに入っていた。それでも孫氏は『転落の一途を辿っていたボーダフォン日本法人を買収したときよりも、今回のほうが成功の自信があります。』と語り、端末と通信機器の共同調達などで2014年度から2017年度まで年平均20億米ドルのコスト削減を見込んだ。日本で成功した再建の手順を、競争相手の違う市場へ持ち込めるという前提に立った買収であった。
スプリントの取得と同じ2013年度に、ソフトバンクはガンホー・オンライン・エンターテイメントとフィンランドのスーパーセルを相次いで子会社化し、サービスの柱としてモバイルゲームを強めた。2013年のiOSとGoogle Playを合わせた売上順位では、ガンホーの「パズル&ドラゴンズ」が1位、スーパーセルの「Clash of Clans」と「Hay Day」が3位と4位を占め、会社別でも両社が1位と2位に並んだ。ガンホーはそれまで持分法適用関連会社で、孫氏は子会社化に伴う既存持分の再測定で約1,500億円の利益が出ると説明していた。2013年度の決算では、ガンホーとウィルコムの子会社化による一時益2,539億円を計上した。ゲームへの出資は、事業の育成と同時に持分の評価替えで利益を押し上げる効果も持った。
2012年3月期末の時点で、ソフトバンクはAlibaba Group Holding Limitedの議決権の31.9%を持ち、持分法適用関連会社としていた。孫氏は、ライフサイクルの短いサービスの分野で成功する少数の企業を早く見つけて育てる役割を投資に与え、傘下のTaobao Marketplaceの取扱高が1兆元に達して米国のアマゾンやイーベイを上回った点を挙げていた。2014年9月、アリババはニューヨーク証券取引所に上場した。2014年度の親会社の所有者に帰属する当期純利益は前年度比28.5%増の6,684億円となり、翌2015年度の減益について会社は、前年度にアリババ上場の一時益があったためと説明した。通信の外で持つ株式の値動きが、連結の損益を大きく動かす構図がここで表に出た。
スプリントの連結で2013年度の売上高は前年度比108.2%増の6兆6,667億円となったが、営業利益率は25.0%から16.3%へ下がり、会社はその主な要因をスプリントの子会社化に求めた。立て直しに向け、ソフトバンクは2014年8月、携帯端末流通のブライトスターを創業したマルセロ・クラウレ氏をスプリントのPresident and CEOに任命した。クラウレ氏は乗り換え客の料金を半額にする施策と経費の削減を進め、2015年度の営業費用を前年度より13億米ドル減らした。スプリントは2015年度に過去9年で初めて営業黒字を計上し、ポストペイド携帯電話の純増も3年ぶりに達成した。黒字化まで支配の獲得から2年半以上を要し、買収時の自信との隔たりは小さくなかった。
2014年9月、孫氏はGoogleで最高事業責任者を務めたニケシュ・アローラ氏をソフトバンクに迎え、のちに代表取締役副社長に据えた。孫氏は招いた理由を、テクノロジー企業に共通する問題として『多くのテクノロジー企業には共通の問題点があります。それは、テクノロジーやビジネスモデルの陳腐化、創業者への過度な依存などにより、30年周期で事業の衰退局面に直面するという問題点です。』と述べ、既存事業の変革に加えて起業家を支える仕組みが要るとした。アローラ氏も自らの役割を『私の最終目標は、当社の数百年先の未来のために、孫さんの天賦の才を“瓶詰め”にする方法を探ることです。』と説明した。2015年7月には商号をソフトバンクグループ株式会社へ改め、純粋持株会社としての位置づけを明確にした。創業者の勘に頼らない投資の仕組みを外から招いた経営者に作らせ、社名もそれに合わせたのである。
2016年6月、アローラ氏は任期満了を迎えて代表取締役副社長の職を離れた。孫氏は60歳となる2017年8月に同氏へ経営を託すつもりだったが、考えを改めた理由を『情報産業で本格的な変革が始まろうとしている今日、自身が成さなくてはいけないことがまだまだたくさん残されていることに気付かされました。』と語り、この先5年から10年は最低でも自分が経営の先頭に立つと述べた。売却の対象はアリババ株の一部、ガンホー株の大半、スーパーセル株の全量で、決定は同じ2016年度に入ってからの財務戦略の一環だった。スーパーセルとガンホーは、いずれも2013年度に子会社となって日の浅い会社だった。後継者の擁立とゲーム事業の保有という、2年前に打った二つの手がほぼ同時に巻き戻された。
2016年7月18日、ソフトバンクグループは英ARMホールディングスの全株式を総額約240億ポンドで買い付ける条件に合意し、9月5日に支配を獲得した。取得原価は3兆3,670億円で、スプリントの2兆1,886億円を上回った。アームの設計技術はスマートフォン用メインチップの95%以上に採用され、2016年度にはその技術を含むチップが177億個出荷された。孫氏は取得に至る思いを『このテクノロジー業界の秘宝を喉から手が出るほど欲しいと10年以上も思い続けてきましたが、ようやく2016年9月に同社を買収することができました。』と振り返った。2016年度の営業利益は1.0兆円となり、2012年に掲げた目標に年限どおり届いた。ゲーム株の売却と前後してアームを買ったことで、グループの資産の重心は半導体の設計へ移ったとみられる。
2017年5月20日、ソフトバンクグループはソフトバンク・ビジョン・ファンド(SVF)の初回クロージングを終えた。集めた出資コミットメントは930億ドル超(10.4兆円)で、うち自社の拠出は280億ドル(3.1兆円)にとどまった。残りはサウジアラビアの公共投資ファンド(PIF)、アブダビのムバダラ開発公社、アップルなどが約束した。2016年の1年間に世界のベンチャー・キャピタルが調達した総額は640億ドルで、SVFは単独でその額を上回った。翌年、孫正義会長兼社長は設立の理由を『従来式の一歩一歩手順を踏んでいくようなやり方では、とても間に合わない』と語った。外部資金を主軸に据えたのは、自己資本だけでは届かない投資の規模と速度を手に入れるためだったとみられる。
孫氏はSVFを投資会社への転身とは位置づけず、出資先の持株比率を20%から40%程度に抑えて多数の企業と結ぶ群戦略の手段とした。2017年6月には、スプリント、SVF、アームの各責任者3名を取締役に迎えた。PIFで投資を統括するヤシル・アルルマヤン氏も社外取締役に加わった。ファンドの発表直後、市場にはベンチャー企業の評価額が高くなりすぎ、投資額も大きすぎるとの見方があった。過去18年間に44%前後あった投資のIRRを大きく下回るという予想である。2018年11月の説明会で孫氏は、SVFを加えたことで利益の加速が始まったと反論した。投資家の懸念と経営者の自負は、この時点で正面から食い違っていた。
2018年12月、国内通信子会社のソフトバンクが東京証券取引所市場第一部に上場した。ソフトバンクグループが得た調達資金は2.0兆円で、成長投資7,000億円、負債返済7,000億円、自社株買い6,000億円に振り分けた。公開価格は1株1,500円であったが、上場後の株価はこれを下回って推移した。2019年2月の説明会では、子会社の株主を犠牲にして親会社の自社株買いの資金を作ったのではないかとの質問が出た。孫氏は、価格は証券会社や子会社の経営陣と協議して決めたと答えた。そのうえで、純利益約4,000億円に対しフリー・キャッシュ・フローが5,000億円を超えるとして、配当性向85%の持続性を説いた。通信事業が生む現金を投資の原資へ回す資本の流れが、ここで形を持ったといえる。
2019年11月6日の決算説明会は、7〜9月期の大幅な赤字の説明から始まった。前年上期に黒字をけん引したSVFが逆回転し、前年の営業利益と同じ規模の営業赤字を計上した。最大の要因はWeWorkで、SVFから30億ドル、本体から追加で45億ドルを投じていた。本体はこの四半期に47億ドルの評価損を営業外損失として計上した。孫氏は冒頭で、投資戦略はすべて失敗だとする報道にも正しい面があると認めた。そのうえで『これは私自身の投資判断がいろんな意味でまずかったと大いに反省しています』と述べた。赤字の額より先に自らの判断の誤りを認めることで、投資家の信認をつなぎとめる狙いがあったのだろう。
質疑では、創業者を見て投資先を選ぶはずの孫氏が、なぜWeWork創業者のアダム・ニューマン氏を見誤ったのかが問われた。孫氏は長所の価値を高く見過ぎたと認め、『マイナス部分の多くについては目をつぶってしまった』と答えた。反省点として挙げたのは評価額の高さとガバナンスの2つである。前者には、新たな財務支援で本体の株式取得価格をおよそ4分の1に下げて対処した。後者では、1株10票の議決権が上場後に20票へ増える仕組みを、取締役1枠しか持たないまま止められなかった。支援後は取締役10枠のうち5枠をソフトバンクグループとSVFが押さえ、ニューマン氏の権利を剥奪した。SVFのIRRが40%超から20%前後へ半減したことも、孫氏はこの場で認めた。
2020年5月18日に公表した2020年3月期決算で、連結の営業損失は1,364,633百万円となった。主因は、SVFなどのファンドが抱える投資の未実現評価損失1.9兆円であった。親会社の所有者に帰属する当期損失は961,576百万円である。2019年10月に始動した2号ファンド(SVF2)には、予定していた外部の出資者が集まらなかった。2020年2月時点で孫氏は、本体の自己資金で投資を続けていると説明した。5月の質疑では、投資先88社のうち15社ほどは倒産し、別の15社ほどが価値の9割を生むとの見通しを示した。他人資本をてこにする設計は、評価損が重なった局面で出資者の側から揺らいだといえる。
2020年2月の質疑では、米投資ファンドのエリオット・マネジメントが求める2兆円の自社株買いと社外取締役の増員が問われた。孫氏は、エリオットの経営陣と会ったのは10日から2週間ほど前だと明かした。資金に余裕が出れば自社株買いをするという考えは自身の方針と一致するとし、6月の定時株主総会で社外役員を増やす準備も始めていると答えた。3月には新型コロナウイルスの感染拡大が世界の経済を揺さぶった。3月23日、ソフトバンクグループは保有資産から最大4.5兆円を資金化し、自社株買いと負債の削減に充てる計画を公表した。自社株買いは先行分の5,000億円を含めて2.5兆円の規模となった。
財務の目安とする純有利子負債と保有株式価値の比率(LTV)は、内規で平常時25%未満としているところ、5月時点で14%まで下がっていた。資金化の第一弾はアリババ株を用いた先渡契約・フロア契約・カラー契約で、これにより1.25兆円を調達し、孫氏によれば2〜3週間のうちにアリババ株価をほぼ動かさずに現金へ換えられたという。4月1日にスプリントとTモバイルの合併が完了すると、Tモバイル株やソフトバンク株の一部も売っていった。過去の危機と比べてどうかと問われた孫氏の答えは『今回は余裕で崖の下を覗いているという状況じゃないかなと思います』であった。8月11日の説明会では、1年で4.5兆円という計画に対し、4.5カ月で4.3兆円を資金化したと報告した。
2020年9月14日、ソフトバンクグループは子会社アームの全株式を米エヌビディアへ売却する契約を発表した。11月の質疑で孫氏は、アーム売却を含め約10兆円の資金化にめどが立ったとし、守りと攻めを同時に進めると語った。2021年3月期の親会社の所有者に帰属する当期利益は4兆9,879億円に達し、1年前の赤字から反転した。孫氏自身も、一時益と株高が重なった利益だという見方を否定しなかった。2021年のアニュアルレポートで孫氏は、自社を情報革命の資本家と定義し直した。最重要の指標とした時価純資産(NAV)は、3月末で26兆円であった。『投資家にとって最も重要なゴールはお金を作ることですが、資本家にとって最も重要なゴールは未来を創ることです』という一文は、純利益で測られることを退ける投資持株会社の自己規定であった。
孫正義氏(代表取締役会長兼社長執行役員)は6月の株主総会で、アームの売却契約を結んだころを振り返った。コロナ禍で資金が細り、売るほかに手はないと考えていたという。アームの全株式をエヌビディアへ譲渡するその取り決めは2022年2月8日に解消が発表され、ソフトバンクグループはアームを上場させる方向へ切り替えて、2022年度の上場を目標に据えた。アームではレネ・ハース氏がCEO、インダー・シン氏がCFOとなる新体制が始まった。米国や欧州などの当局は、半導体で存在感を増すエヌビディアがアームを握れば強くなりすぎるとして承認しなかった。孫氏はそのうえで、『言い訳抜きに許認可が下りなくて良かったな、アームが手元に戻ってきて良かったと正直に思っています』と語った。阻まれた売却を中核資産の回復と語り直した点が、以後の打ち手の起点であったとみられる。
2022年3月期の純損失は1兆7,080億円に達した。続く2022年4〜6月期の赤字は約3兆円に上り、前の四半期と合わせて約5兆円に達した。孫氏は8月の決算説明会で、大きな赤字が2四半期続くのは創業以来初めてだと認め、前年度の利益が帳消しになったと説明した。4〜6月期の損失はSVFの約2.3兆円に為替差損8,200億円が重なったもので、時価総額約9兆円に対して3分の1の規模であった。孫氏は新規投資を絞る理由に全滅の危険を挙げ、『全滅だけは絶対に避けなければいけないと思っています』と述べた。LTVは14.5%まで下がり、手元の現金は2年分の社債償還額の倍を超えていた。同年のCFOメッセージも、当面は守りに徹すると掲げた。
守りの財源となったのは、2000年に出資したアリババの株式であった。取締役専務執行役員CFOの後藤芳光氏は2022年11月、アリババ株のマージンローンを返済し、デリバティブ取引へ切り替えたと明かした。売却を先物で確定させながら、資金調達も続けられる点を理由に挙げている。2023年5月には、残る株式もほぼすべてを1〜2年後に決済する先渡取引に充てたと説明した。2023年3月期は先渡売買契約の現物決済で、持株会社投資事業が4兆5,606億円の投資利益を計上した。それでもSVF事業の損失が響き、純損失は9,701億円となった。3月末のLTVは11%、手元流動性は5.1兆円で、2年分の社債償還資金1.5兆円を大きく上回った。20年余り抱えた含み益資産を、守りの原資へ振り替えた2年間であった。
孫氏はここ2年ほど、決算発表や顧客への対応を後藤氏らに預け、自らはアームの仕事に絞って取り組んでいた。2023年6月の株主総会では会社側が、2022年度は他に先駆けて守りを固め、資金化と負債削減を進めて投資を大きく絞ったと振り返り、2023年度は財務方針を崩さずに、守りにも攻めにも動ける財務運営へ移ると述べた。孫氏も同じ場で、アームの力を軸にAI関連の発明に没頭していることを明かし、深夜にしたためた発明ノートを写真で送れば、3交代制の社長室が土日を問わず5分以内に手続きへ移る体制を取っていたと語った。大赤字を恥じて表に出ないという見方を否定したうえで、孫氏は『そろそろ反転攻勢の時期がやってきそうだ』と語った。2期続いた守りの局面に区切りを付ける合図として置かれた発言であったと推察される。
アームは2023年9月、米国のNasdaq Global Select Marketに上場した。会社側はこれを半導体業界で史上最大規模の上場と位置づけている。ソフトバンクグループはSVF1からアーム株式の25%分を買い取っており、対価は4回に分けて払い、残る3回を2年のうちに払う取り決めであった。上場で保有株式に占める上場株の比率は6割を超えた。後藤氏はこれを格付機関にとって好材料のはずだとし、格上げに動かない判断を不合理だと批判した。アームの2023年度の売上高は32億ドルと過去最高に達した。2024年3月期の純損失は2,276億円まで縮まり、3月末のLTVは8.4%であった。
2024年6月の株主総会で孫氏は、株主価値が1年で20兆円増えた理由をアームの一語で説明した。2016年に3.3兆円で買った際には、4割のプレミアムを払い過ぎだとの批判を浴びていた会社である。同じ場で孫氏は、グループの使命を人類の進化と定め、その中身をASI(人工超知能)の実現だと表明した。この使命を決めたのは2023年6月11日で、公表までの1年をその問いだけに費やしたという。同年の統合報告書のトップメッセージでは、本業を変えたことは一度も無く、技術の進化に合わせて手段を変えてきたにすぎないと位置づけ直している。投資会社としての看板を、ASIという一つの目的へ束ね直した宣言であり、次の年の資本配分の向きはここで決まったとみられる。
2025年1月21日、米国のホワイトハウスでStargate Projectが発表された。米国内にAIインフラを築く計画で、ソフトバンクグループとOpenAIを軸に、OracleとアブダビのMGXを加えた4社で始まった。後藤氏は2月の決算説明会で、孫氏がChairmanを務め、運営と技術はOpenAI、財務はソフトバンクグループが主導すると説明した。投資は4年間で5,000億ドルを計画し、まず1,000億ドルから着手するとした。資金は自らの資産や現金で積み上げず、案件ごとに貸し手と出資者を募って賄う方針も示した。同日の電話会議では、出資比率は協議中で未開示としつつ、ソフトバンクグループとOpenAIの2社が中心になると答えた。自己資金を細らせない設計は、LTVの上限を前提に組まれたと考えられる。
2025年3月31日、ソフトバンクグループはOpenAIへ最大400億ドル、5兆9,808億円を追加出資することで最終合意した。うち100億ドルは外部投資家へ割り当てる予定で、実質の出資額は最大300億ドルとなる見込みであった。目的は、ASIの実現を使命とするなかで、AGIに最も近いとみられるOpenAIを最重要の相手に据えることにあった。同じ3月には、データセンター向け半導体の設計企業である米Ampere Computingの65億ドルでの買収も発表している。孫氏は6月の株主総会で、10年後の会社の姿として『ASIの世界最大、世界No.1のプラットフォーマーになりたい』と語った。2025年3月期の純利益は1兆1,533億円で、4年ぶりに黒字へ戻っていた。
払い込みの資金は保有株の売却と借入で賄い、2025年6月から9月にTモバイル株4,020万株を91.7億ドルで売った。10月にはNVIDIA株3,210万株を58.3億ドルで全て手放した。OpenAIへの初回払い込みでは85億ドルをブリッジローンで借り、11月にはアーム株担保のローン枠を200億ドルへ広げた。後藤氏は同月、すべて借入で賄えばLTVが悪化すると説明し、『既存の資産を売却して新たな投資に振り向けることも重要なテーマです』と語った。OpenAIへの累計投資額は2026年10月に646億ドルとなる見込みである。2026年3月期の純利益は5兆23億円と過去最高に達した。かつてのアームの売却先の株を売り、AIモデルの会社へ資金を移した点に、4年間の転回が表れていた。
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|---|---|---|---|---|
| 1981〜1989年卸機能の創出と出版への多角化 | 孫正義 | 日本ソフトバンクの創業 1981年9月、米国留学から帰った孫正義氏が福岡市で株式会社日本ソフトバンクを設立し、パソコン用パッケージソフトの卸売業に乗り出した経営判断。書籍取次に相当する卸機能の空白を突き、ソフトハウス・小売店・ユーザを1社で結ぶ流通を設計した。 詳細を読む | ★★★ | |
| 孫正義 | 月刊「Oh! PC」・月刊「Oh! MZ」を創刊 | ★★ | ||
| 大森康彦 | 大森康彦氏が社長に就任 | ★★ | ||
| 大森康彦 | 売上高115億円を計上 | ★ | ||
| 孫正義 | 孫正義氏が社長に復帰 | ★★ | ||
| 1990〜1999年流通業から投資会社への転換 | 孫正義 | ソフトバンクに商号変更 | ★★ | |
| 孫正義 | 日本証券業協会に株式を店頭登録 | ★★ | ||
| 孫正義 | 第1回無担保普通社債を発行 | ★ | ||
| 孫正義 | 米国企業との共同出資による国内法人の設立と日本での事業展開 1996年1月、ソフトバンクが米ヤフーとの合弁で日本法人"ヤフー株式会社"を設立し、日本の検索ポータルに最先発で参入した経営判断。ソフトバンク60%・米ヤフー40%の出資で日本法人を握り、同年4月には米ヤフー本体へ35%・100億円を追加出資して創業者を上回る筆頭株主となった。社員数名のベンチャーへの出資が、のちにグループ最大級の含み資産へ育った。 詳細を読む | ★★ | ||
| 孫正義 | キングストンテクノロジーを買収 | ★ | ||
| 孫正義 | 相次ぐ買収による急膨張と、それに向けられた市場の視線 1994年の株式公開を機に、ソフトバンクがソフトウェア流通・出版から企業買収と投資へ軸を移し、米ジフ・デービスやコムデックスなどを相次いで買収した経営判断。1996〜1997年には、売上を超える有利子負債を抱えた連続買収に市場の懸念が高まったが、孫正義氏は『買収はやり続ける』と拡大の継続を明言した。 詳細を読む | ★★ | ||
| 孫正義 | 東京証券取引所市場第一部に上場 | ★ | ||
| 孫正義 | 純粋持株会社に移行 | ★★ | ||
| 2000〜2011年ブロードバンド参入とボーダフォン日本法人の買収による通信事業化 | 孫正義 | ネットバブル崩壊下の資産圧縮と銀行取得 2000年、米ナスダック発のネットバブル崩壊のなかで、ソフトバンクが保有する投資先株式を選別して売却し、有利子負債の圧縮と事業の整理を進めた経営判断。同じ2000年には、批判を受けながら破綻・国有化されていた日本債券信用銀行(のちのあおぞら銀行)を買収し、金融へ関与した。 詳細を読む | ★★ | |
| 孫正義 | Alibaba.com Corporationに出資し関連会社化 | ★★ | ||
| 孫正義 | 日本債券信用銀行を買収 | ★★ | ||
| 孫正義 | 自前の通信インフラ事業への参入と、それが招いた経営の危機 2001年、ソフトバンクが"Yahoo!BB"ブランドでADSLに参入し、モデムの無料配布などの莫大な先行投資でシェアを取りにいった経営判断。参入直後の2002年度はブロードバンド事業が売上を超える巨額の赤字を計上し、事業売却=解体しかないとまで報じられたが、孫正義氏は投資を続け、参入5年目に黒字転換した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 孫正義 | ブロードバンド事業で営業損失179億円を計上 | ★ | ||
| 孫正義 | ブロードバンド事業の営業損失が962億円に拡大 | ★ | ||
| 孫正義 | 固定・携帯通信への布石 2004年7月、ソフトバンクが固定通信事業者の日本テレコムを約3,400億円で買収した経営判断。法人向け固定通信の顧客基盤600万ユーザーと光ファイバー事業を確保し、Yahoo!BBで築いた先行投資型の消費者事業モデルを法人・通信領域へ広げるとともに、携帯電話への参入をにらんだ足場とした。 詳細を読む | ★★ | ||
| 孫正義 | 球団保有への進出 2004年秋、ソフトバンクが福岡ダイエーホークスの買収に名乗りを上げ、球団の興行権を丸ごと買い取る形で交渉を進めた経営判断。当初は本命視されなかったが交渉をまとめ、2005年に福岡ソフトバンクホークスとして球団を保有した。消費者向けブランドYahoo!BBの知名度づくりに、プロ野球という露出装置を組み込む一手であった。 詳細を読む | ★★ | ||
| 孫正義 | ブロードバンド事業が黒字転換 | ★ | ||
| 孫正義 | ボーダフォンの日本法人を子会社化 | ★★★ | ||
| 孫正義 | 「ソフトバンク新30年ビジョン」を発表 | ★★ | ||
| 孫正義 | 携帯基地局の整備・増強に2500億円を投資 | ★ | ||
| 2012〜2016年スプリント買収とアリババ上場、ソフトバンクグループへの改称とアーム買収 | 孫正義 | 営業利益6752億円を計上 | ★ | |
| 孫正義 | スプリント株の70%取得を発表 | ★★ | ||
| 孫正義 | スプリントの買収総額を216億ドルへ引き上げ | ★ | ||
| 孫正義 | 大型買収を足がかりとした北米携帯市場への進出と海外展開の本格化 ソフトバンクが2012年10月15日にスプリントとの合併契約を締結し、2013年7月10日に支配を獲得した買収。投資総額は約216億米ドルで、取得原価は2兆1,886億円、取得した持分は完全希薄化ベースで約78%であった。国内キャリアから北米の巨大市場へ進出した経営判断である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 孫正義 | アリババがニューヨーク証券取引所に上場 | ★ | ||
| 孫正義 | 国内通信4社が合併 | ★ | ||
| 孫正義 | ソフトバンクグループに商号変更 | ★★ | ||
| 孫正義 | アリババ株の一部を売却 | ★★ | ||
| 孫正義 | アームの買収を発表 | ★★ | ||
| 孫正義 | IoT・AI時代を見据えた3.3兆円という過去最大規模の投資 2016年7月18日、ソフトバンクグループがARMホールディングスの発行済株式および発行予定株式の全部を総額約240億ポンド(約3.3兆円)の現金で買い付ける条件に合意し、同年9月5日に支配を獲得して完全子会社とした経営判断。連結上の取得原価は3兆3,670億円で、同社にとって過去最大規模の買収であった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 2017〜2021年ビジョン・ファンドの始動とエリオットの要求、4.5兆円の資産売却 | 孫正義 | 巨大ファンドによる投資会社への転身 2017年5月、ソフトバンクグループが運用総額986億ドル(約10兆円)のソフトバンク・ビジョン・ファンド(SVF1)を組成し、サウジアラビアのPIFを中心とする外部資金でUber・WeWorkなど大型ベンチャーへ1社数十億ドルを投じた経営判断。自己資金331億ドルに対し外部資金655億ドルをてこにする構造で、事業会社から投資会社への傾斜を決定づけた。 詳細を読む | ★★★ | |
| 孫正義 | ソフトバンクが東京証券取引所市場第一部に上場 | ★★ | ||
| 孫正義 | ソフトバンク・ビジョン・ファンド2が活動を開始 | ★★ | ||
| 孫正義 | エリオット・マネジメントが自社株買いを要求 | ★★ | ||
| 孫正義 | 株価が1日で17%強下落 | ★ | ||
| 孫正義 | 4.5兆円資産売却・2.5兆円自社株買い 2020年3月、ソフトバンクグループが最大4.5兆円(410億ドル)の保有資産を売却・資金化し、最大2兆円の追加自社株買いと有利子負債の圧縮に充てると発表した経営判断。同月13日に公表した5,000億円分と合わせ、自社株買いは計2.5兆円規模となった。この発表は、物言う株主エリオット・マネジメントが大規模な株主還元とガバナンス改善を求めた直後に置かれた。 詳細を読む | ★★ | ||
| 孫正義 | 親会社の所有者に帰属する純損失9615億円を計上 | ★★ | ||
| 孫正義 | スプリントが子会社から除外 | ★★ | ||
| 孫正義 | 米——最大400億ドルの契約と、規制が壊した世紀のディール 2020年9月14日、ソフトバンクグループが、2016年に約3.3兆円で買収した英半導体設計アームの全株式を、米エヌビディアへ最大400億ドル(約4.2兆円)で売却する契約を発表した経営判断。英国・中国・EU・米国の規制当局の承認を得られず、2022年2月8日に契約解消(破談)となった。 詳細を読む | ★★ | ||
| 孫正義 | 自社株買い1.5兆円を実施 | ★ | ||
| 孫正義 | 本社を移転 | ★ | ||
| 孫正義 | 親会社の所有者に帰属する純利益4兆9880億円を計上 | ★★ | ||
| 孫正義 | 米連邦取引委員会がアーム買収の差し止めを求めて提訴 | ★★ | ||
| 2022〜2026年アーム売却の破談と巨額損失、アームのナスダック上場とStargate Project | 孫正義 | アームの売却契約の解消で合意 | ★★ | |
| 孫正義 | 親会社の所有者に帰属する純損失1兆7080億円を計上 | ★★ | ||
| 孫正義 | プライム市場に移行 | ★ | ||
| 孫正義 | アリババが関連会社から除外 | ★★ | ||
| 孫正義 | 親会社の所有者に帰属する純損失9701億円を計上 | ★ | ||
| 孫正義 | アームがナスダックに上場 | ★★ | ||
| 孫正義 | 親会社の所有者に帰属する純損失2276億円を計上 | ★ | ||
| 孫正義 | エリオット・マネジメントが再び自社株買いを要求 | ★ | ||
| 孫正義 | アームの時価総額が約25兆円に到達 | ★ | ||
| 孫正義 | AIインフラ「スターゲート」 2025年1月、ソフトバンクグループが米国のAIインフラに今後4年で5000億ドルを投じる新会社Stargateの設立に加わり、3月にはOpenAIへ最大400億ドル(約5.98兆円、実質最大300億ドル)の追加出資で合意した投資判断。段階的に払い込みを進め、2026年2月にはさらに300億ドルの追加出資で合意し、累計646億ドル・持分約13%まで積み増した。 詳細を読む | ★★ | ||
| 孫正義 | 米国の半導体設計会社を65億ドルで取り込む事業基盤の強化 2025年3月、ソフトバンクグループが100%子会社を通じて、Armコンピュートプラットフォームに基づくAIコンピューティング特化の半導体設計企業である米Ampere Computingの全持分を総額65億米ドルで取得することに合意した経営判断。主な売主はCarlyle、Oracle、Armで、2025年11月25日に買収取引が完了し、Ampereは完全子会社となった。 詳細を読む | ★★ | ||
| 孫正義 | 親会社の所有者に帰属する純利益1兆1533億円を計上 | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(ソフトバンクグループ)