【筆者所感】 JTの源流は、1949年に大蔵省専売局を解体する形で設立された日本専売公社にあり、たばこ・塩・樟脳の専売を担う国家の財政装置として戦後長く機能した。たばこ事業は政治と財政が深く絡む独特な業界であり、JTの歴史はその構造との折り合いを付け続けてきた歴史でもある。1985年4月に日本たばこ産業株式会社法のもとで民営化され日本たばこ産業が発足したが、その直後からプラザ合意後の円高、たばこ増税、輸入関税撤廃という三つの環境変化が同時に重なり、国内シェアは1985年度の97.6%から1987年度の90.2%へ落ち込んだ。多角化と構造改革が経営の中心課題に浮上し、1994年の株式公開を経て、JTは市場競争の主体としての性格を強めた。
1999年にRJRナビスコの米国外たばこ事業を72億ドルで買収して世界シェア3位の座を獲得し、2007年には英国Gallaherを約2兆2,500億円で取得して、欧州たばこ業界で過去最大規模のM&Aを成立させた。国内では希望退職と20工場超の閉鎖を含む構造改革を並行して進め、利益の源泉そのものを国内から海外へ移し替えた。2018年に加熱式たばこ市場へ後発参入し、2022年にはたばこ事業の本社機能をスイスのジュネーブへ統合してグローバル経営体制を整えた。民営化からおよそ40年、国家の財政装置として出発した会社が、市場の隣に意思決定の拠点を置くまでの道のりだった。2023年度以降は、価格改定効果の逓減とロシア事業の地政学リスクが経営の前面に立ち上がっている。
歴史概略
1949年〜1990年専売公社体制から民営化と国内構造変化への移行期
専売公社体制という国家財政装置の特異な設計
1949年、GHQの方針のもとで戦前の大蔵省専売局を解体する形で日本専売公社が設立された。たばこ・塩・樟脳の専売は国家から切り離された独立の法人へ正式に移管されたが、専売権そのものは公社に引き継がれ、財政収入の連続性は制度として温存された。戦後復興期の財政基盤を担う重要な制度として、たばこ専売は国家の側からも手放しにくいものだった。公社の職員は国家公務員の身分を離れて民間職員となったが、争議権は認められないままであり、予算や投資計画は国会の承認を必須の要件としていた。経営の裁量を強く限定しながら労働不安の抑制を優先するという、折衷的でやや矛盾を抱えた制度設計が選ばれた格好だった。
国内の葉たばこ農家から原料を全量買い取る仕組みは長く堅持され、需給の変動に関わらず取引の価格は政治的に調整される構造が定着した。消費者ではなく大蔵省、国税当局、自民党内のたばこ族議員が事実上の強い影響力を持ち、日本専売公社は市場競争の主体というよりも、政治と財政を媒介するための巨大な装置として機能した側面が長年色濃く残った。たばこ事業は税収の安定した柱であり、農村票とも深く結び付いていたため、改革は政治的にも経済的にも先送りされ続けた。短期的には安定した設計だったが、民間企業としての機動的な意思決定を構造的に縛り続けた点は、後の民営化議論の出発点として長く尾を引いた。
- 有価証券報告書
- 日本専売公社史
- 日経新聞 1987/6/22
- 日経新聞 1993/11/25
民営化と国内たばこ市場の急速な構造変化
1984年に日本たばこ産業株式会社法が国会で成立し、1985年4月に日本たばこ産業として正式に発足した。発足時点では大蔵大臣が全株式を単独で保有する形を取りつつ、段階的な株式売却を前提とした長期的な制度設計が採用されていた。株式会社化により予算の国会承認への過度な依存はようやく緩和され、事業ポートフォリオの再構築が経営自身の裁量として初めて可能になった。同年には事業開発本部が新設され、たばこ単一事業への依存を長期的に下げるための多角化の試みが、組織として本格的に始まった。専売公社時代から積み上げた巨大な販売網と財務基盤は強みであった一方、競争の経験を持たない組織を市場のなかへ放り出すという危うさも同時に抱えていた。
しかし発足直後から、プラザ合意後の円高、たばこ増税、輸入関税の撤廃という三つの環境変化が短期間に相次いで重なった。1987年4月の関税撤廃後に海外大手は本格攻勢を仕掛け、長岡實社長が民営化移行時に示した「5年後には輸入たばこのシェアは5%位までにはなるだろう」(1987/6/22)との見通しは、早い段階で外れた。1985年度に97.6%を誇っていた国内シェアは1987年度には90.2%へ落ち込み、海外大手は日本市場を成長余地のある有望地と位置付けてブランド広告と販売網へ投資を拡大した。1990年代にかけて医薬・食品への参入が組織的に進んだが、売上規模や利益率でたばこ事業を代替できる水準には届かず、1993年には成人男性の喫煙率が1965年の調査開始以来初めて60%を割り込み(1993/11/25)、国内市場の構造的な縮小も鮮明になった。安定したキャッシュを生む国内たばこ事業の裏側で、市場縮小という重い宿題が経営の中心に居座った。
- 有価証券報告書
- 日本専売公社史
- 日経新聞 1987/6/22
- 日経新聞 1993/11/25
1991年〜2015年海外大型M&Aと国内構造改革によるグローバル化
72億ドルの賭け、RJRナビスコ買収による世界3位への跳躍
1999年5月にJTはRJRナビスコの米国外たばこ事業を72億ドルで買収した。負債引受を含めた総額78億ドルは当時の日本企業による対外買収で過去最大の規模であり、国際再編の流れに乗り遅れないための生き残り策として日経新聞の一面で扱われた。突発的な決断ではなく、1980年代末の買収打診をあえて見送りつつ、対象企業の情報収集を10年近く続けた経緯があった。1992年には英国のマンチェスター・タバコを小規模ながら買収し、デューデリジェンスの実施やPMIの実務経験を積み重ねたうえでの本格的な大型M&Aだった。買収金額を正当化する経営側の論拠は明快で、JT経営陣は「先進国の需要は頭打ちですが、これから所得水準が上がる途上国では逆に需要が伸びます。だから国際的に見れば、たばこ事業は成長の余地が大きい。たばこ事業を中核としていく限り、国際化は避けて通れません」(1999/4/19)と語った。
RJRナビスコの海外事業は70以上の国と地域にまたがるブランド群と販売網を抱え、自前では届かないブランド資産を一括取得する手段として選ばれた。買収完了によりJTは世界シェア3位の地位を獲得し、国内市場依存からの構造的な脱却が前進した。ただし買収直後の報道では、農林族議員の政治圧力と生産独占に守られてきた同社が公社体質のまま未体験のグローバル競争へ乗り出す危険が指摘され、バブル期の日本企業による対外買収の失敗を10年遅れでなぞりかねないという警戒感が業界で共有された(1999/3/11)。RJRナビスコの海外事業は買収前から減収減益の傾向にあり、ブランドへの継続投資や流通網の再編成を含む再構築は、買収後の重い経営課題として長く残った。海外進出の成功と被買収企業の立て直しは別の問題であり、その難しさをJTはこの後に身をもって知る。
- 有価証券報告書
- 決算説明会 FY15
- 日経新聞朝刊 1999/3/10
- 日経産業新聞 1999/3/11
- 日経ビジネス 1999/4/19
- 週刊東洋経済 2006/1/28
- 日経新聞 2014/2/2
- 東洋経済オンライン 2015/1
海外で攻めながら国内で縮む、二正面構造改革の代償
2007年にJTは英国のたばこ企業Gallaherを約2兆2,500億円という巨額で買収した。欧州たばこ業界で過去最大規模のM&Aとして注目を集めたが、Gallaherはロシアやカザフスタンといった成長著しい新興市場に強固な事業基盤を持ち、その取得で事業の地理的分散がさらに前進した。RJRナビスコ買収は当初、無謀な1兆円投資と揶揄されたものの、2006年3月期の海外たばこ営業利益は前期比42%増の660億円の見込みとなり、ロシア単独で利益100億円を稼ぐ水準に到達していた(2006/1/28)。批判の根拠を数字が塗り替えていたタイミングで、2003年策定の中期経営計画「JT PLAN-V」を通じて工場の統廃合や人員の再編成で国内の利益基盤を引き上げ、海外投資に耐え得るキャッシュ創出力を確保したうえでの用意周到な実行だった。攻めの海外と守りの国内を一つの計画で結び付ける構図が浮かび上がる。
国内では海外買収と並行して構造改革が容赦なく進められた。2003年に希望退職の募集を通じて4,000名規模の人員削減を実施し、2005年には国内8工場の閉鎖に踏み込んだ。その後も2011年の小田原工場、2012年の防府工場の閉鎖が続き、2013年にはさらに1,600名の人員削減と不採算工場の閉鎖が重なった。2014年には過去最高益の更新と並走した大規模リストラが異例として報じられ(2014/2/2)、利益を出し続けるためにリストラを繰り返す会社というレッテルを甘受せざるを得ないという辛口の見立ても業界評価のなかで流通した(2006/1/28)。国内たばこ事業の縮小分を海外事業の利益で補い、利益の源泉を国内から海外へ移し替える構造が、2000年代を通じて浮かび上がった。長く政治と結びついてきた葉たばこ農家や工場立地の地元社会との調整は容易ではなく、改革の重さはそのまま組織の負荷として残った。
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- 決算説明会 FY15
- 日経新聞朝刊 1999/3/10
- 日経産業新聞 1999/3/11
- 日経ビジネス 1999/4/19
- 週刊東洋経済 2006/1/28
- 日経新聞 2014/2/2
- 東洋経済オンライン 2015/1
飲料撤退とアメリカン・スピリット、ポートフォリオ選別の方向転換
2008年に加ト吉へのTOBで食品事業への本格参入に踏み込んだが、2015年12月には飲料事業からの撤退を最終的に決めた。自社の自動販売機網を通じた販売経路を持ちながらも、大手飲料メーカーとの激しい競争のなかで、収益性の継続的な改善は難しいという判断が下された。多角化を闇雲に広げるのではなく、勝てる土俵を選び直すという経営姿勢への転換が、この決断には鮮明に表れていた。以降のJTは事業の選択と集中を進め、たばこ以外の領域では食品と医薬の二つの分野にのみ経営資源を絞り込む方針を、長期ポートフォリオの中核として固めた。専売公社時代から続く「何でも手掛けてよい」という組織の感覚が、ここで一度区切られた格好でもある。
2015年9月にはレイノルズ・アメリカンから「ナチュラル・アメリカン・スピリット」の米国外事業を約6,000億円で取得することを正式に決定した。買収の対象は商標権と米国外の子会社9社であり、米国内での事業については訴訟リスクを考慮した結果として最終的に除外する判断が取られた。無添加を強く訴求する同ブランドは20代から30代の若年層を中心に支持を広げており、数量の成長ではなく価格の帯とブランドの特性を重視する投資姿勢が、はっきりと打ち出された。当時社長だった小泉光臣は「完全民営化されても何の心配もない。短期的な数量ベースのシェアにこだわるつもりはない。付加価値商品で売上金額ベースの市場シェアを上げる」(2015/1)と語り、価格ミックス改善で稼ぐ方針を対外的に宣言した。市場全体が縮むなかで、この長期戦略を補強する実利ある一手だった。
- 有価証券報告書
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- 日経産業新聞 1999/3/11
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- 東洋経済オンライン 2015/1
2016年〜2022年加熱式たばこ参入と経営体制のグローバル化への本格完成
IQOSに後れを取った加熱式たばこ後発参入の判断
2018年にJTは加熱式たばこ市場へ本格参入した。フィリップ・モリス・インターナショナルのIQOSが先行する状況下の後発参入であり、新カテゴリーの立ち上がりに対して商品ラインナップの欠落を作れないという経営判断に基づいた一手だった。紙巻きから次世代たばこへの移行の速度と規模は、業界全体にとって2016年時点でなお先行きを見定めきれない論点だった(2016/12/28)。加熱式は従来の紙巻きに比べて健康リスクが相対的に低いとされる新製品として消費者の注目を集め、国内たばこ市場の構造的変化への対応の必要性は年を追って高まっていた。同年に社長へ就任した寺畠正道は「最も必要なのはRRP(加熱式たばこ)。この分野が大きく伸びてくる」(2021/8)と公言し、経営資源の傾斜配分を明言した。先に動いた競合の足跡をなぞる後発参入には、最初から厳しさが付きまとっていた。
加熱式たばこ市場での本格的な巻き返しには、想定をはるかに超える時間とコストがかかった。既存の紙巻きたばこが持つ高収益な利益構造との丁寧な両立のなかで、どの程度の経営資源を新しいカテゴリーに集中的に投下するかという難しい判断が、経営陣に対して重く突きつけられた。国内の紙巻きたばこ市場そのものが年率で数%単位の縮小を続けるなかで、加熱式への消費者の移行がどの程度の速度と規模で実際に進むのかを正確に見極めることが、国内たばこ事業における最大の論点として、中心の座を占め続けた。利益を生む既存事業を細らせながら、まだ収益化していない新事業へ資源を移すという二重の苦しさが、ここに集約されていた。
- 有価証券報告書
- 統合報告書 2024
- 日経産業新聞 2016/12/28
- テレ東プラス 2021/8
ジュネーブ本社統合、意思決定を市場の隣に置くという結論
2022年1月、JTはたばこ事業の本社機能をスイスのジュネーブへ全面的に統合する決定を実行に移した。海外事業の規模が拡大する一方で、東京本社はあくまで国内事業を前提として長らく設計されてきた組織であり、海外の規制環境や競合企業の動向を直接的に把握できる立場には構造的に立てないという本質的な課題が、長年にわたってJTの経営内部で意識されてきた。1999年のRJRI買収の直後から顕在化していた統治上の摩擦を解消するために、意思決定の拠点そのものを主要な海外市場の隣に置くという判断が、ついに2022年に下された。日本企業がグローバル化を語る際にしばしば残しがちな本社の重みを、JTは制度として手放したと言える。
ジュネーブへの本社機能統合は、グローバルたばこ企業としての経営体制の実質的完成を意味する組織再編だった。海外たばこ事業の戦略意思決定を現地の市場環境と連動させる体制が、JT内部に根付き始めた。寺畠正道は「グローバルに一体化することはJTが真のグローバル企業になること。若い人が日本ローカルから一気にグローバルにフィールドを広げられる」(2021/8)と語り、統合の眼目が人材の一体化にもあると示した。東京本社は国内たばこ事業と食品・医薬事業の統括機能を担い、グローバルたばこ事業と国内事業という二層構造が制度として整理された。民営化以来およそ37年続いたグローバル化の軌跡が、組織の上で一つの到達点に達した節目でもあった。日本本社中心の発想を捨てて市場の側から組織を組み直す転換が、ここに結実している。
- 有価証券報告書
- 統合報告書 2024
- 日経産業新聞 2016/12/28
- テレ東プラス 2021/8
直近の動向と展望
価格改定効果の逓減と地政学リスクへの対応
2023年度から2024年度にかけてのJTの連結業績では、海外たばこ事業における価格改定の効果が依然として主要な利益成長の牽引役だった。資本市場の関係者の間では、価格改定効果が次第に逓減することへの構造的な懸念が広がり、純粋な数量ベースでの持続的な成長を今後どう実現するのかという長期の経営課題が、投資家説明会の場で繰り返し重要な論点として取り上げられている。ロシアの事業については引き続き現地での稼働を継続しているものの、地政学的なリスクの顕在化と将来の不確実性が、経営の前面へ立ち上がりつつある。価格と数量、収益性と安定性のせめぎ合いが、いまの経営の最前線に並んでいる。
国内たばこ事業については、加熱式と紙巻きの長期的な共存を前提にしながら、紙巻きから加熱式への構造的な移行を進める方針が継続している。2024年度以降は新製品の投入や販売網の再構築を通じた加熱式でのシェア回復が、経営の中心的な課題として位置づけられた。食品事業と医薬事業のそれぞれの成長戦略については、引き続きたばこ本業の補完的な位置づけにとどまり、連結業績全体に対して与える影響は限定的な水準である。事業ポートフォリオの再定義が将来の重要な課題として残されているのが、現在のJTの置かれた状況だ。長く依存してきたたばこという稼ぎ頭をどう次の柱と接続するかが、次の10年の問いになる。
- 決算説明会 FY24
- 統合報告書 2024
- 日経ビジネス 2024/5
株主還元の強化と長期的な資本配分方針
JTは2020年代に入って以降、株主還元の継続的な強化を経営の重要な方針として掲げた。配当性向の引き上げや自己株式取得の機動的な実施を通じて、資本市場の投資家からの評価を中長期的に回復させる取り組みが進められている。寺畠正道は「経営会議を廃止した。目標を上から割り当てると『やらされた感』が強くなる。スタッフが自ら目標設定することが重要」(2024/5)と語り、グローバル組織を前提とした意思決定の現場分権を進める姿勢を示した。長期的な資本配分方針は、海外たばこ事業の成長投資を最優先としつつ、将来の大型買収に備えた財務余力の確保を並行して進める保守的で慎重な姿勢が繰り返し示されている。手厚い株主還元と次の成長投資の両立は、巨大なキャッシュ創出力を持つたばこ企業ならではの難題でもある。
中期的な経営課題としては、海外たばこ事業の持続的な成長性の確保、国内たばこ事業の加熱式領域における本格的な巻き返し、食品事業と医薬事業の収益性の改善という三つの軸が並び立つ形で存在している。それぞれの課題に対する経営資源の最適な配分が、長期経営計画における中心的な論点として意識されるようになってきた。民営化から既に40年あまりを経たJTは、国家の財政装置から出発して世界シェア3位のグローバルたばこ企業へと変貌を遂げ、現在は次の長期成長の姿をどう描くかという、長い歴史のなかでも重要な戦略的な転換点に差しかかっている。出発点が国家であった会社が、市場に問われる立場としての将来像をどう描き直すか、その答えはまだ書かれていない。
- 決算説明会 FY24
- 統合報告書 2024
- 日経ビジネス 2024/5