外島健吉

神戸製鋼所・元取締役社長

Toshima Kenkichi(敬称略)

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社長就任 1958年11月
生年月日 —
学歴 京都帝国大学工学部
出自 —
社長就任までの出自
出自

1927年3月に京都帝国大学工学部の冶金科を出て、1932年11月に神戸製鋼所へ入った。1949年8月に取締役、1953年11月に常務取締役、1956年11月に専務取締役と昇り、入社から26年で社長に届いている。当時の同社は線材と鋳鍛鋼を主力とする加工メーカーで、自社の高炉を持たず銑鉄を尼崎製鉄からの供給に頼っていた。冶金の技術者が、その体質を変える側に立った。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1958年11月、浅田長平氏が会長へ移り、専務取締役から社長へ上がった。就任の2か月後、1959年1月に灘浜1号高炉へ火が入り、鉄鉱石から鋼材までを社内でつくる体制が立ち上がる。1957年に着手した灘浜の埋め立てには1962年までに370億円を投じており、単体売上高は1958年3月期の426億円から1959年3月期に384億円へ減っていた。投資の重みと需要の減少が重なる時期に、高炉を扱える技術者へ経営を渡した人事とみられる。

在任中の主な施策
施策

高炉を得ても線材と棒鋼が主力で、鋼板がなかった。1965年4月に高炉2基を持つ尼崎製鉄を吸収合併し、埋め立てた加古川に新鋭の一貫製鉄所を建設して1970年3月に鉄鋼一貫生産へ入っている。並行して1960年9月にニューヨーク事務所、1961年に藤沢・茨木の両工場、1969年8月にアルミの真岡工場を置いた。単体売上高は就任前年度の1958年3月期426億円から、退任年度の1972年3月期に3,721億円へ増えた。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1932〜1974年
在任中の業績
就任前(FY57)426億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 2件

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