企業一覧 — 640社 売上高・収益性・規模・資本効率で並び替え・絞り込みができるスクリーニング一覧。
640社
- 1331 ニチロ 2007年 上場廃止 カムチャッカ東海岸は紅鮭が多かったが、当時の日本で紅鮭は好まれず値も安かった。外国では喜ばれるので輸出用の缶詰にすればよいという助言を受け、堤商会は1910年にウス・カム漁場へ小さな工場を建てた。初年度の生産は四ダース入り704箱にとどまり、身の詰め方も揃わずに冷やかされる出来だった。隣接する露人デンビー商会の漁場はスウェーデン式の半自動機械を据え、生産能力は堤商会の五倍から十倍あった。この差を埋… 売上高 2,187億円 84/11 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 1332 ニッスイ 汽船トロール漁業は補助金と多額の資金を要する新技術で、田村市郎氏は父・久原庄三郎から分与された遺産をその元手にできたためである。明治政府は1897年に遠洋漁業奨励法を公布し、漁船・漁具・乗組員への補助金で沖合遠洋漁業への転換を促した。1908年に長崎の倉場富三郎氏が英国から日本初の鋼製トロール汽船「深江丸」を購入すると、ややおくれて田村市郎氏が国産第一号の鋼製トロール汽船「第一丸」(199総トン)… 売上高 9,313億円 26/3 営業利益率 4.3% 26/3 ROE 9.2% 26/3 自己資本比率 40.0% 26/3
- 1333 Umios 2007年10月、水産最大手のマルハグループ本社が業界三位のニチロを株式交換で完全子会社化し、マルハニチロホールディングスが発足した。2006年3月期の両社単純合計は売上高9,700億円・営業利益150億円で、新会社は2010年3月期までに営業利益を300億円へ引き上げる目標を掲げた。売上構成比は水産75%のマルハと加工食品61%のニチロで正反対にあり、統合は互いの薄い側を補い合う組み合わせだった… 売上高 1.1兆円 25/3 営業利益率 2.8% 25/3 ROE 10.1% 25/3 自己資本比率 33.7% 25/3
- 1414 ショーボンドホールディングス 当時の土木は新設が当たり前で、補修という市場そのものが存在しなかった。だれも手を付けていない空白を、官公庁を最初の顧客に押さえることで先行者として握れると読んだ判断にあった。1958年に上田昭氏が31歳で設立した昭和工業は、翌1959年に八久和ダムの排水路でエポキシ樹脂が補修に使える経験を得て自社接着剤を開発した。決定的だったのは1964年の新潟地震で、落橋した昭和大橋の床版補修に建設省土木研究所… 売上高 907億円 25/6 営業利益率 22.9% 25/6 ROE 14.3% 25/6 自己資本比率 81.4% 25/6
- 1419 タマホーム 低価格の量産注文住宅を選んだのは、家業で痛感した日米の住宅価格差を埋める手段だったからである。玉木康裕氏は、1992年には家業の筑後興産でローコスト住宅を開発し、注文住宅の相場が坪単価50万円以上だった時代に半額の25万円で販売を始めた。この6年間の事業を母体に、1998年6月、玉木康裕氏が48歳で福岡県筑後市にタマホーム株式会社を設立した。木造2階建てをパッケージ化して設計工数と材料調達を圧縮し… 売上高 2,008億円 25/5 営業利益率 2.0% 25/5 ROE 4.3% 25/5 自己資本比率 37.1% 25/5
- 1505 北海道炭礦汽船 1995年 上場廃止 創業の元手は、政府から払下げを受けた幌内炭山と小樽-幌内間の運炭鉄道だった。1889年11月18日に堀基氏が資本金650万円で創立した会社は、空知と夕張を開発して室蘭港まで線路を延ばし、北海道中央幹線を完成させている。掘る手段と運ぶ手段を同時に握る資産は、財閥にとって買う価値が高い。1899年、三井銀行が株式を大量に買い入れて経営権を掌握した。三井は幌内の掌握によって銀行・物産・鉱山の三位一体を完… 売上高 14億円 95/3 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 1518 三井松島ホールディングス 三井鉱山が松島を欲したのは、三池炭鉱だけでは賄えない長崎港経由の石炭船を確保するためである。石炭が一次エネルギーの主役だった1913年1月、三井鉱山は古賀鉱業合資の長崎県採掘権登録第326号鉱区を買収して松島炭鉱株式会社(資本金200万円)を設立し、採れた炭は三井物産が引き取って電力会社などへ販売した。三井鉱山の傍系会社として発足したこの炭鉱が、後の池島・豪州リデルへ続く石炭事業の出発である。 売上高 655億円 26/3 営業利益率 14.6% 26/3 ROE 12.1% 26/3 自己資本比率 43.5% 26/3
- 1605 INPEX 単独ではメジャー級の開発資金を調達できないという企業体力の制約と、政府の「日の丸石油会社」構想が同じ方向で重なったためである。国内供給を担う帝国石油と海外自主開発を担う国際石油開発の事業は補完関係にあり、国際石油開発が2002年に豪州で発見したイクシスの商業化には数兆円の資金と交渉力が要った。両社は2005年11月に経営統合へ合意し、2006年4月に国際石油開発帝石ホールディングスとして発足、東証… 売上高 2.0兆円 25/12 営業利益率 56.5% 25/12 ROE 8.8% 25/12 自己資本比率 57.8% 25/12
- 1662 石油資源開発 国内で見つかる油ガス田は規模が小さく、探鉱から生産までを一民間企業の採算事業として自立させるには足りなかった。このため市場の採算ではなく国策として資金を投じる主体が要り、政府が過半を出資する特殊会社という形がとられた。1955年12月、政府の石油資源総合開発五ヵ年計画に基づき前身の特殊会社「石油資源開発株式会社」が設立され、設立時に政府が約56%を出資した。戦後復興期の日本はエネルギー資源の8割超… 売上高 3,403億円 26/3 営業利益率 11.4% 26/3 ROE 8.5% 26/3 自己資本比率 72.8% 26/3
- 1719 安藤・間 官庁工事を原則一般競争入札に付す会計法の公布が、技術と見積もりで実績を競う余地を開いたためである。1889年、日本鉄道を辞した技術者・間猛馬氏は福岡県門司で間組を創業し、鉄道建設の請負を足がかりとした。土木は1案件が数十億円から数百億円規模に達し、地質と工法の読みが採算を左右する。ゆえに難工事を完遂する施工力そのものが信用となり、間組は次の難工事を呼び込み、1962年9月期の完成工事高では土木が6… 売上高 4,396億円 26/3 営業利益率 7.6% 26/3 ROE 14.3% 26/3 自己資本比率 50.6% 26/3
- 1721 コムシスホールディングス 戦後の電話網建設を一手に担う日本電信電話公社が、信頼できる指定工事会社に限って発注する制度をとったためである。実績を公社に認められなければ参入できず、新規参入は事実上閉ざされていた。1951年12月、経済界と電気通信設備工事業界の有力者21名の出資により、東京都に日本通信建設株式会社が設立された。翌1952年に電電公社から「総合1級業者」の認定を受け、指定工事会社として通信設備の建設を請け負う体制… 売上高 6,307億円 26/3 営業利益率 8.1% 26/3 ROE 9.1% 26/3 自己資本比率 70.9% 26/3
- 1801 大成建設 大倉喜八郎氏が単独で抱える大倉組商会では、近代国家の産業設備や公共施設をまとめて担う大資本・大組織には届かず、官需の拡大に応える施工体制を業界に欠いていたからである。大倉氏は大資本・大組織で新興日本の建設体制を整え業界の近代化をねらう構想を温め、これを渋沢栄一氏・藤田伝三郎氏ら明治財界の力と結びつけて、1887年に資本金200万円の有限責任日本土木会社として実らせた。渋沢氏が創立委員長、大倉氏が委… 売上高 2.1兆円 26/3 営業利益率 9.0% 26/3 ROE 17.9% 26/3 自己資本比率 34.9% 26/3
- 1802 大林組 建設は案件ごとに実績で受注を競う商売で、社内で施工できる工事の幅が広いほど、需要がどの分野へ動いても仕事を取り続けられる。大林組は1914年、首都の玄関となる東京中央停車場(東京駅丸の内本屋)と、当時東洋一・3,388メートルの生駒トンネルを同じ年に完工させ、駅舎と山岳トンネルという建築・土木の両極を社内に並立させた。とりわけ生駒トンネルは、発注者・大阪電気軌道の資本を上回る約820万円が投じられ… 売上高 2.6兆円 26/3 営業利益率 7.5% 26/3 ROE 13.8% 26/3 自己資本比率 40.0% 26/3
- 1803 清水建設 横浜開港で生まれた居留地の建築は、発注するのが官庁ではなく外国商人で、図面も代金も相手と直に詰めなければ成立しなかった。官公需に寄りかかる同業の大手と違い、初代清水喜助氏はここで、発注者と直接向き合って仕事を取る商いを身につけた。1859年に横浜店を開いて外国商館を手がけ、現場で洋風建築の技術を覚えたこの経験が、官需ではなく民間建築を主戦場とする経営路線を創業期に決めた。この民間建築重視は強みにな… 売上高 2.1兆円 26/3 営業利益率 5.8% 26/3 ROE 12.9% 26/3 自己資本比率 36.8% 26/3
- 1808 長谷工コーポレーション 木造請負の地方業者が全国市場へ出る手段を欠いていたからである。1950年に伊藤忠商事から鉄筋コンクリート造の芦屋打出荘アパートを請けたことで、当時扱える業者が乏しかった耐火構造の技術と設備を短期に整えた。用地と顧客を握る商社が仕事を運び、長谷工が施工で応える分業がここで成り立つ。自ら客を取りに歩かず外から持ち込まれる仕事を引き受け、競争入札の場に出ずに稼ぐという同社の原型が、この一件で定まった。後… 売上高 1.3兆円 26/3 営業利益率 7.8% 26/3 ROE 9.7% 26/3 自己資本比率 39.7% 26/3
- 1812 鹿島建設 開港直後の横浜に持ち込まれた洋風建築は、図面も工法も国内に前例がなく、外注できる職人もいなかった。鹿島は1860年、英国商社ジャーディン・マセソン商会の通称「英一番館」を、江戸屋敷で培った大工技術を頼りに自前で組み上げた。前例のない難工事を社内で引き受け、その難しさを技術として手元に残す。日本で最初期の洋風建築となったこの1棟が、先端技術を進んで取り込む後年の企業文化を形づくった。 売上高 3.1兆円 26/3 営業利益率 7.8% 26/3 ROE 12.5% 26/3 自己資本比率 39.0% 26/3
- 1878 大東建託 顧客は市街化区域内農地を持つ農家で、後継者不足や農地の宅地並み課税から所有地の有効利用を迫られながら、賃貸事業への不安から決断できずにいた。1974年6月、多田勝美氏が名古屋市千種区で大東産業を資本金100万円で設立し、土地所有者を対象とした工場・倉庫など事業用賃貸建物の建築を主業に据えた。農協や銀行の情報網を通すルート営業では地主が複数の業者を競わせて価格交渉に及ぶため、飛び込み営業に徹して建築… 売上高 2.0兆円 26/3 営業利益率 6.8% 26/3 ROE 20.0% 26/3 自己資本比率 36.3% 26/3
- 1911 住友林業 住友林業の始まりは、別子銅山に必要な木材を外から買わず自前で賄うという発想にある。1691年に開坑した別子銅山へ坑木と精錬燃料を供給するため、住友家は四国を中心に山林を植え継いできた。この山林資産が1948年の財閥解体で地域別6社へ分散させられたが、同源の事業を散らしたままにはせず、地域単位の中間統合を挟んで7年かけて合流させ、1955年2月に四国林業と東邦農林の合併で住友林業株式会社を発足させた… 売上高 2.3兆円 25/12 営業利益率 7.4% 25/12 ROE 10.6% 25/12 自己資本比率 39.0% 25/12
- 1925 大和ハウス工業 木材で家を造る常識を覆したのは、原材料が手に入らない現実を逆手に取る判断だった。戦後の乱伐で木材が不足し、復員兵や引き揚げ者が簡易住宅を求めるなか、石橋信夫氏は1955年4月に18人で大和ハウス工業を創業した。柱に鋼管を使う「パイプハウス」は当時の常識を覆す発想で、石橋氏は「丸太は空洞ではない。それならパイプだ、鉄パイプで家を造ったらいいと閃いた」と語っている。工場生産と短工期で需要に応え、プレハ… 売上高 5.6兆円 26/3 営業利益率 11.0% 26/3 ROE 12.1% 26/3 自己資本比率 34.4% 26/3
- 1928 積水ハウス 住宅という高額で一生に一度の買い物を代理店任せにすれば、顧客と直につながる接点も、現場の品質を確かめる手立ても社外に置いたままになる。プレハブを安物として売らずに済ませるにはその両方を社内へ抱えるほかないと田鍋健氏は見ていた。1963年6月、累積赤字9,000万円の積水ハウス産業の社長に積水化学工業専務から転じた田鍋健氏は、翌10月の商号変更とあわせ販売も施工も自社の社員が担う直接販売・責任施工へ… 売上高 4.2兆円 26/1 営業利益率 8.1% 26/1 ROE 10.8% 26/1 自己資本比率 42.7% 26/1
- 1942 関電工 戦時下では電気工事の人員と資材を分散したまま放置できず、政府は施工力を一社に束ねる必要があった。1944年9月、「電気工事業整備要綱」に基づき協立興業社ほか7社が統合され、これに送電を担う関東配電(戦後の東京電力)が参加して関東電気工事が設立された。発注者が施工会社の株主を兼ねる関係はここで生まれ、関電工は親会社の発注に乗って送配電工事を継続受注する出自を得た。創業から80年後の2024年も東京電… 売上高 7,420億円 26/3 営業利益率 11.2% 26/3 ROE 16.3% 26/3 自己資本比率 61.4% 26/3
- 1951 エクシオグループ 戦後の電話需要を国策で一気に整備するには工事の受け皿が足りず、発注者である電電公社の側が施工能力を確保する必要があったためである。1954年5月、日本電信電話公社の電気通信設備拡張計画に対応することを目的に、資本金3,100万円で協和電設株式会社が東京で設立された。設立直後の9月には共同工業株式会社(資本金1,300万円)と日本電話工業株式会社(資本金600万円)を吸収合併し、資本金は5,000万… 売上高 7,877億円 26/3 営業利益率 6.6% 26/3 ROE 9.1% 26/3 自己資本比率 49.5% 26/3
- 1959 クラフティア 戦時統制下で国策により生まれたクラフティア(旧 九州電気工事)には、自前で需要を掘り起こす営業基盤がなかった。そこで発注元の計画量を需要リスクなしに引き受ける道を選んだ。1947年6月、九州配電(現九州電力)と配電工事委託契約を締結し、電力会社一社の設備投資計画に受注を連動させる収益基盤を固めた。1951年の電気事業再編成で九州配電が九州電力へ移っても契約は引き継がれ、1953年に発電・変電・送電… 売上高 4,761億円 26/3 営業利益率 11.5% 26/3 ROE 11.5% 26/3 自己資本比率 66.4% 26/3
- 1963 日揮ホールディングス 製油所を建てる資本を欠いた以上、設備の代わりに技術と設計だけを売る道しか残されていなかった。実吉雅郎氏らが1928年10月に東京市麹町区へ設立した日本揮発油は、大津に予定した製油所が昭和恐慌の資金難で頓挫した。そこで設立翌月に米国ユニバーサル・オイル・プロダクツ社から得た石油精製特許の使用権を、日本石油など国内石油会社へ販売する「知恵を売る商売」へ転じた。設備を持たない身軽さが、投資余力を欠く石油… 売上高 7,453億円 26/3 営業利益率 4.7% 26/3 ROE 9.7% 26/3 自己資本比率 51.2% 26/3
- 1969 高砂熱学工業 暖房という一機能だけでは、冷房・熱源・超低温まで広がった需要に一社で応えられないと見たためである。高砂熱学工業は1923年11月に旧高砂工業の煖房工事部を継承して発足したが、翌1924年にはわが国の個人住宅冷房第1号といわれる邸宅の温湿度調整装置を施工し、1932年にはわが国最初のヒートポンプによる冷暖房設備を完成させている。1940年にはマイナス75度の超低温装置と超低温ターボ冷凍機を開発して納… 売上高 4,239億円 26/3 営業利益率 11.3% 26/3 ROE 17.9% 26/3 自己資本比率 55.0% 26/3
- 2001 ニップン 機械で挽いた粉は水車粉より純度が高い代わりに割高で、うどん用の在来市場では売れなかった。売り先は品質を求める陸海軍と、パンやビスケットという新しい用途に限られ、この細い需要をつかんだ工場だけが操業を続けられた。雨宮敬次郎氏が1880年ごろ東京・深川扇橋に構えた製粉所は休止し、官営工場から機械を引き継いだ会社も1891年に解散した。1893年に南条新六郎氏らが東京製粉合資会社として再興し、日清戦争の… 売上高 4,184億円 26/3 営業利益率 5.3% 26/3 ROE 7.7% 26/3 自己資本比率 59.2% 26/3
- 2002 日清製粉グループ本社 後発で参入する正田貞一郎氏にとって、伝統的な水車粉や輸入粉と同じ土俵で戦っても先発の地場業者に追いつけないと見たためである。1900年、機械製粉が消費の1割に満たない市場で、正田氏は米穀商と醤油醸造で蓄えた正田家の資本を米国製の機械式ローラーミルへ投じた。麦産地の上州・館林で挽いた小麦粉を、1907年の東武鉄道延伸で全国へ送り出し、稀少な機械化と規模で後発の不利を覆す道を選んだ。 売上高 8,650億円 26/3 営業利益率 5.4% 26/3 ROE 6.3% 26/3 自己資本比率 61.1% 26/3
- 2121 MIXI 求人サイト「Find Job !」の宣伝でヤフーへ資本金と同程度の広告費を毎月払い、認知獲得コストの高さを痛感したことが動機である。自前のメディアを持てば求人の宣伝費も広告収入もそこで賄えると考えた笠原健治氏は「メディアを持ちたい」と語るようになる。2003年にはインドネシア人留学生バタラ・ケスマ氏が留学生仲間ではやっていた米国のSNSを紹介し、現実の人間関係をネット上に持ち込む着想が固まった。約… 売上高 1,714億円 26/3 営業利益率 13.0% 26/3 ROE 9.5% 26/3 自己資本比率 65.0% 26/3
- 2124 ジェイエイシーリクルートメント 日系企業が海外へ送る駐在員と、本社へ戻る帰任者の転職は、本社人事部門が対価を払ってでも埋めたい空白でありながら、外資系コンサルの一部しか手がけないニッチに止まっていた。創業者の田崎忠良氏はロンドンで人材紹介を営みこの需要を掴み、1988年3月、東京都千代田区に株式会社ジェイ エイ シー ジャパンを設立した。1人のコンサルタントが企業と求職者の双方を担う英国流の両面型運営をそのまま東京へ持ち込み、新… 売上高 461億円 25/12 営業利益率 25.3% 25/12 ROE 37.6% 25/12 自己資本比率 72.3% 25/12
- 2127 日本M&Aセンター 中小企業のM&Aは案件情報が個々の会計事務所と地方銀行に散らばり、守秘義務ゆえに横断して持ち寄りにくい産業である。情報を一か所に集める仕組みがなければ仲介は成り立たない。そこで分林保弘氏はM&A実務未経験ながら、1991年に全国の会計事務所を出資者として束ね、情報を集める設計を最初から組み込んだ。翌1992年に日経新聞の一面へ出した「後継社を探します」という広告には約400社が反応し、潜んでいた承… 売上高 503億円 26/3 営業利益率 37.3% 26/3 ROE 24.9% 26/3 自己資本比率 75.8% 26/3
- 2154 オープンアップグループ 三栄商事氏が法定雇用率を満たすために設けた共生産業は独立した事業意思を持たず、上場や事業展開を視野に入れた会社ではなかった。事業の中身を持たない法人であったからこそ、外から買って丸ごと差し替えることができた。2004年に投資ファンドの㈱アミューズキャピタルが全株式を取得し、出口の取れる事業を乗せる狙いで2005年6月に技術者派遣の㈱トラスト・テックを買収、特例子会社の法人格に技術者派遣を載せ替えた… 売上高 1,880億円 25/6 営業利益率 8.6% 25/6 ROE 15.9% 25/6 自己資本比率 64.2% 25/6
- 2168 パソナグループ 1970年代半ばの日本では、労働力を業として供給する行為を職業安定法が原則禁じていた。南部靖之氏は1976年2月、結婚や出産で職場を離れた女性の事務職復帰という需要を見て、これを家事代行と事務作業を半日単位で請け負う家事サービスの契約形態に組み替え、大阪市でテンポラリーセンターを創業した。依頼企業から手数料を取り登録した主婦や学生へ時給を払う構造で、繁閑差を正社員で抱えたくない企業と再就職口を求め… 売上高 3,092億円 25/5 営業利益率 -0.4% 25/5 ROE -6.4% 25/5 自己資本比率 50.9% 25/5
- 2181 パーソルホールディングス 篠原欣子氏が1973年にテンプスタッフを起こしたのは、既婚女性が定型事務職にすら就けない当時の労働市場を、自らの就業体験から問題と見たためである。1971年に秘書として渡ったオーストラリアで男女が分け隔てなく働く現場と人材派遣の仕組みに触れ、帰国後の38歳で六本木のワンルームから創業した。職業安定法の解釈上グレーだった派遣を「事務処理請負」の体裁で企業に納め、眠っていた女性労働力を需要のある企業へ… 売上高 1.6兆円 26/3 営業利益率 4.3% 26/3 ROE 21.3% 26/3 自己資本比率 32.3% 26/3
- 2193 クックパッド 1998年に佐野陽光氏が始めたサービスは、料理本や企業が握っていた献立を生活者自身に投稿させる仕組みで、編集の人手を増やさずにレシピを量産させる狙いだった。投稿が増えるほど検索精度とSEO上の優位が高まり、体験が良くなるほど新たな投稿を呼ぶ循環が回る。佐野氏が一人で開発した零細企業のまま、人をほとんど足さずに数百万件のレシピを積み上げ、後発が追いつけない寡占を築いた。日本におけるUGC型サービスの… 売上高 53億円 25/12 営業利益率 5.0% 25/12 ROE 5.7% 25/12 自己資本比率 91.5% 25/12
- 2201 森永製菓 森永製菓が和菓子業者と分かれたのは、菓子を手で仕上げる工芸から、原料配合と機械を米国式の標準工程に乗せた量産業へ置き換えた点にある。森永太一郎氏は滞米11年で洋菓子製造法を修得して帰国し、1899年8月、東京・赤坂溜池の二坪の職場に森永西洋菓子製造所を構えた。当時の洋菓子は居留地向けの輸入品が中心で量産する作り手がほとんどおらず、国産化の余地が広く残されていた。1913年にはミルクキャラメルを発売… 売上高 2,367億円 26/3 営業利益率 9.5% 26/3 ROE 12.5% 26/3 自己資本比率 62.8% 26/3
- 2202 明治製菓 2009年 上場廃止 粗糖は、作っただけでは値がつかなかった。明治40年代前半、台湾の粗糖を内地で買う相手は事実上、大日本製糖1社に限られており、粗糖会社は個別に売り込めば買い叩かれる立場にあった。売り先を自ら持つほかなかった。1916年12月、明治製糖の相馬半治氏らが資本金150万円の大正製菓を設立する。ところがその2か月前、同じ事業を営む東京菓子が濱田録之助氏らによって東京で立ち上がっていた。両社は翌1917年3月… 売上高 4,110億円 10/3 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 2206 江崎グリコ 病気を治す薬が対象を病人に限るのに対し、健康な人が毎日口にする嗜好品に栄養を載せれば需要は広く、育ち盛りの子供へ継続して届く。江崎利一氏はこの理を見て、有明海の牡蠣の煮汁に多いグリコーゲンを薬ではなく菓子に用いる道を選んだ。1919年ごろ薬業雑誌の記事から着想し、九州帝国大学の分析で含有量36〜43%を確かめ、栄養学者の佐伯矩博士が学会でその価値を説いた時期に重ねた。1922年に大阪三越で売り出し… 売上高 3,614億円 25/12 営業利益率 2.4% 25/12 ROE 1.8% 25/12 自己資本比率 70.5% 25/12
- 2212 山崎製パン パンは種類が多く消費期限も短いため、欠品や返品が起きやすく、配送の効率がそのまま収益を左右する。山崎製パンは委託加工で創業した1948年以来、量産と自前配送を事業の型とし、物流を内製してこの難題を解いてきた。約5000台の営業車が多い店には一日に三回も配送し、鮮度と品揃えを自社で押さえた。同社のパンは小売の棚から外せない商品となり、値下げ圧力に対しても強い交渉力を保った。 売上高 1.3兆円 25/12 営業利益率 4.7% 25/12 ROE 8.9% 25/12 自己資本比率 49.3% 25/12
- 2220 亀田製菓 米菓は家内制手工業に近い作り方で各地に散っていた産業であり、量産設備と全国の販売網を先に持った者が一気に抜ける余地があった。後発の亀田製菓は旧来のやり方を守る理由がなく、そこへ迷わず投じた。始まりは1946年9月、新潟県中蒲原郡亀田町で農民が共同出資した亀田郷農民組合委託加工所で、水飴の委託加工から出発している。製造品目を米菓へ移し、1957年8月に古泉栄治氏を社長として株式会社となった。研究室で… 売上高 1,381億円 26/3 営業利益率 5.5% 26/3 ROE 23.9% 26/3 自己資本比率 54.7% 26/3
- 2222 寿スピリッツ 1952年の創業地・鳥取が当時人口約60万人と全国最少規模で、地元市場だけでは年商数億円を超える伸び代に乏しかったためである。河越諄一郎氏が米子で始めた飴菓子製造は地元卸への納入で成り立ったが、需要の薄さは創業期から構造的な制約となった。寿製菓は出荷先を県外に求め、1975年4月に鳥取支店等を別法人化して寿販売株式会社を、同年10月には山口の株式会社コトブキ屋を設立し、家業から複数法人を抱える企業… 売上高 788億円 26/3 営業利益率 23.6% 26/3 ROE 26.2% 26/3 自己資本比率 79.7% 26/3
- 2229 カルビー 全国流通網を持たない広島の地方メーカーが大手と同じ土俵で戦っても勝てず、新しい菓子カテゴリで足場を築くしかなかったためである。1949年に松尾孝氏が被爆4年後の広島で松尾糧食工業を設立し、1955年には安く大量に輸入されていた小麦粉から日本初の小麦あられ「かっぱあられ」を作った。1964年発売の「かっぱえびせん」はエビを練り込んだ新カテゴリのスナックで、定番商品として首都圏の問屋網に乗り、広島の地… 売上高 3,402億円 26/3 営業利益率 7.7% 26/3 ROE 8.2% 26/3 自己資本比率 64.3% 26/3
- 2261 明治乳業 2009年 上場廃止 明治グループが乳業を二つ抱えていたためである。1917年12月、馬越恭平氏を初代社長として資本金150万円で設立された極東煉乳は、静岡県三島町と札幌市に工場を置いて煉乳と育児用ミルクを作った。一方、のちの明治製菓にあたる東京菓子も1920年に房総煉乳を吸収して乳製品に入っている。1940年12月、この重複は極東煉乳の側へ寄せられた。新しい会社を作ったのではなく、極東煉乳が商号を明治乳業へ改め、明治… 売上高 7,075億円 11/3 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 2262 雪印乳業 2009年 上場廃止 練乳会社に原料乳の値段を握られる限り、増産しても酪農家の手取りは増えず経営は安定しない。この従属を断つには、加工と販売を生産者の側へ取り込むほかなかった。1925年、関東大震災後の恐慌で乳の買いたたきに苦しんだ北海道の酪農家が、宇都宮仙太郎氏と黒澤酉蔵氏を中心に有限責任北海道製酪販売組合を設立し、設立2カ月後にバターの製造を始めた。資本の側から生まれた乳業各社と違い、生産者自身が乳の値段と販路を握… 売上高 2,947億円 09/3 営業利益率 3.6% 09/3 ROE 11.2% 09/3 自己資本比率 34.4% 09/3
- 2264 森永乳業 菓子の原料に使う輸入練乳が為替変動と輸送遅延に振り回されるのを嫌い、原料の内製化を狙ったためである。森永製菓は1917年9月、千葉の愛国練乳合資会社を買収して傍系の日本煉乳を資本金30万円で設立し、最初の顧客を親会社の菓子工場に置いた。練乳を安定して自給できたからこそ事業が立ち上がり、この製造技術を土台に1919年の小缶煉乳、牛乳・チーズ・発酵乳へと品揃えを広げ、戦前のうちに乳製品をひと通り揃える… 売上高 5,715億円 26/3 営業利益率 6.0% 26/3 ROE 8.2% 26/3 自己資本比率 50.2% 26/3
- 2267 ヤクルト本社 設立の動機は、戦前に代田稔氏が培養した乳酸菌シロタ株という資産が、商標権を各地の業者が握ったまま600社超に乱立し、会社の体をなさない状態を一元化する必要があったからである。1955年4月、東京・西八丁堀に資本金200万円で本社を設立し、商標権と工業所有権を一手に握ったうえで、各業者へ原液製造権と販売権を与え、売上に応じてロイヤリティを取るフランチャイズ方式を敷いた。商品ではなく権利を統御する仕組… 売上高 4,864億円 26/3 営業利益率 9.3% 26/3 ROE 7.3% 26/3 自己資本比率 66.4% 26/3
- 2269 明治ホールディングス 1906年に台南で明治製糖を興した相馬半治氏は、砂糖が売り先を持って初めて事業になると見て、需要先を他社に委ねなかった。1916年の東京菓子(後の明治製菓)への参画を皮切りに、砂糖を大量に消費する菓子と乳業を自ら育て、1940年の明治乳業発足で製糖・製菓・乳業の三本柱が揃った。需要側を内製化するこの垂直統合の発想が、のちのグループの組織設計を貫いている。 売上高 1.2兆円 26/3 営業利益率 7.9% 26/3 ROE 4.5% 26/3 自己資本比率 61.2% 26/3
- 2270 雪印メグミルク 原料乳を買う資本系の乳業に値決めを握られる限り、豊作でも乳価は買いたたかれ、生産者に利益は残らない。加工から販売までを生産者自身が握れば、市況の混乱に左右されずに乳の値段と販路を自分で決められる。1925年、関東大震災後の恐慌で乳製品市況が崩れるなか、米国で酪農を学んだ宇都宮仙太郎氏と黒澤酉蔵氏らが札幌で有限責任北海道製酪販売組合を設立し、設立2カ月後には仮工場でバター製造を始めた。資本の側から生… 売上高 6,158億円 26/3 営業利益率 3.0% 26/3 ROE 13.8% 26/3 自己資本比率 55.7% 26/3
- 2282 日本ハム 1963年8月、徳島ハムは業界4位の鳥清ハムを吸収合併して日本ハムへ社名を変え、業界3位から一躍首位へ躍り出た。提案したのは旭化成工業の宮崎輝社長で、米スイフト社など欧米大手の日本進出を国内再編で防ぐ論理が背景にあった。直前の1962年にスイフト社からの資本提携を大社義規氏は断り、1969年に技術提携だけを結んでいる。資本は渡さず技術と市場を取り、追い風があれば一気に規模を広げる手法が、ここで首位… 売上高 1.5兆円 26/3 営業利益率 3.7% 26/3 ROE 6.7% 26/3 自己資本比率 52.4% 26/3
- 2292 S Foods 森島征夫氏が選んだのは、正肉商が扱わない安い部位に絞る道だった。1967年に尼崎で内臓肉専業のスタミナ食品を起こし、1972年からは米国で食用習慣のない不要部位を安く輸入して、国内産では作れない調達規模を確保した。その小腸から1982年に「こてっちゃん」が生まれ、内臓肉・米国産輸入肉という大手3社が手薄な領域で独自の地歩を築いた。米国の副産物を日本の需要に合わせて加工・輸出する経路の内製化が、後の… 売上高 4,723億円 26/2 営業利益率 2.2% 26/2 ROE 7.0% 26/2 自己資本比率 52.5% 26/2
- 2317 システナ 逸見愛親氏が最初に勤めた会社は、技術者を名古屋などへ次々に出向させる人材派遣に近い実態で、規模を追えば前職と変わらなくなると見たためである。逸見氏は社員を増やさず、舞い込む受注の7割を断りながら、外注スタッフと二人で「やりたい仕事だけ」を選ぶ小人数経営をとった。一人でも扱えるマイコンのソフトに活路を見て、汎用のシステムインテグレータをめざさず、組込み・通信に特化した技術者集団を育てた。この専門特化… 売上高 944億円 26/3 営業利益率 16.3% 26/3 ROE 28.6% 26/3 自己資本比率 64.9% 26/3
- 2327 日鉄ソリューションズ 1970年代後半の新日鉄の社内システムは、製鉄所の操業管理から受注・販売管理までを担い、国内屈指の規模に達していた。外部のSI業者が同等の技術を提供できる時代ではなく、内製機能をそのまま子会社へ移せば事業として成立し、親会社が確実な発注元となった。1980年10月、新日本製鐵は全額出資で「日鐵コンピュータシステム」(通称ニックス、資本金50百万円)を東京都千代田区に設立し、蓄えた技術を温存しながら… 売上高 3,813億円 26/3 営業利益率 11.6% 26/3 ROE 11.4% 26/3 自己資本比率 64.6% 26/3
- 2371 カカクコム 1997年12月に有限会社コアプライスを興した時点で、槙野光昭氏は5億円稼いだら辞めると終了基準を決めていた。事業そのものの永続より、価格比較という新規性の高い仕組みを早く現金化することが当初からの設計だったためである。家電量販店ごとの売価を消費者が横並びで見られるkakaku.comは在庫も店舗も持たず、掲載する店から手数料を取る身軽な構造で短期間に価値を高めた。2001年、槙野氏は28歳でこの… 売上高 941億円 26/3 営業利益率 28.9% 26/3 ROE 29.0% 26/3 自己資本比率 70.1% 26/3
- 2379 ディップ ディップは取り寄せる顧客行動がインターネットの広がりで細ると見切り、自前で求職者を集めて掲載料を取る広告モデルへ事業を組み替えた。各分野のカタログのうち人材派遣の反響が突出し、求職者が登録先の派遣会社を探していたためで、ある大手派遣会社から派遣会社のカタログより求める仕事情報を出すべきと助言を得る。1998年5月、本社を東京都渋谷区へ移し、同じコンビニ端末で「人材派遣お仕事情報サービス」を始めた。… 売上高 549億円 26/2 営業利益率 16.6% 26/2 ROE 16.0% 26/2 自己資本比率 74.4% 26/2
- 2384 SBSホールディングス 1987年12月、鎌田正彦氏が東京都江東区で関東即配を創業したのは、日本通運・ヤマト運輸・佐川急便が全国網で寡占する宅配市場では、後発の単独事業者が正面から競っても勝てないと見たからである。鎌田氏は関東圏に絞った軽貨物の即日配送という、大手が採算面で手を出しにくい小口領域に足場を築いた。1990年代は商号を二度変えながら、メーカーや小売の物流を一括受託する3PLへ業態を広げ、後発が独力で生き残る道… 売上高 4,903億円 25/12 営業利益率 4.3% 25/12 ROE 12.2% 25/12 自己資本比率 27.9% 25/12
- 2413 エムスリー 2000年9月の創業動機は、医師と製薬会社の双方が抱える情報流通の非効率を、コンサルでは解けない事業として自ら解くことにあった。谷村格氏はマッキンゼーのヘルスケア担当として、医師が薬効データを短時間で知りたいという声と、約5万5千人のMRが医師を訪ね歩く製薬側の重い面談コストを同時に見ていた。So-netの出資を受け品川区にソネット・エムスリーを設立し、翌月のMR君で、複数の製薬会社が一つのサイト… 売上高 3,514億円 26/3 営業利益率 20.9% 26/3 ROE 13.3% 26/3 自己資本比率 58.0% 26/3
- 2432 DeNA 創業事業の継続に固執せず素早く失敗を認められたのは、無借金で蓄えた資金が次の選択肢を残したからである。1999年にマッキンゼーを辞した南場智子氏が始めたオークション「ビッダーズ」は、ヤフオクのネットワーク効果に阻まれシェアを取れなかった。2000年3月の13億円など借入に頼らない資金調達で財務危機を避け、2003年の欠損補填で資本を取り崩した後も現預金約5億円を手元に残した。この余力が、PCを捨て… 売上高 1,477億円 26/3 営業利益率 12.7% 26/3 ROE 10.0% 25/3 自己資本比率 61.3% 25/3
- 2433 博報堂DYホールディングス 売上高 8,610億円 26/3 営業利益率 5.2% 26/3 ROE 4.3% 26/3 自己資本比率 36.0% 26/3
- 2501 サッポロビール 客に何を売るかより先に、国費で築いた工場と土地をどう活かすかを考える経営観が早期に定着したためである。1876年、殖産興業を急ぐ明治政府の北海道開拓使が札幌で官営事業として麦酒醸造所を開いた。村橋久成氏・中川清兵衛氏らが醸した麦酒は開拓地で売れ、官の事業として収益を立てた。商品で市場を取りにいくより、手元の固定資産を回して稼ぐこの発想は、後年の恵比寿工場跡地の長期保有にもつながった。 売上高 5,069億円 25/12 営業利益率 4.8% 25/12 ROE 9.0% 25/12 自己資本比率 33.3% 25/12
- 2502 アサヒグループHD 1949年9月の大日本麦酒の分割で、アサヒは吾妻橋・吹田・西宮・博多の四工場を引き継いだが生産能力は西日本3工場に厚く、首都圏の供給力も全国の販売網も持たないまま市場へ投じられた。守るべき地盤がないからこそ、巨額の設備投資で量を積み増す競争では分が悪く、外部の資産を取り込んで身軽に幅を広げる選択肢が残った。1954年のニッカウヰスキーへの資本参加は、自前のウイスキー工場を建てずに協業で酒類の幅を広… 売上高 2.9兆円 24/12 営業利益率 9.2% 24/12 ROE 7.2% 24/12 自己資本比率 49.3% 24/12
- 2503 キリンHD 1907年に外資系のジャパン・ブルーワリーを日本資本へ移したのは、品質本位で築いた高級銘柄を国内で自立させるためである。三菱・明治屋・日本郵船の人々が麒麟麦酒を設立し、明治21年発売の「キリンビール」とドイツ人技師の技術や明治屋の販路を一括で引き継いだ。1949年の集中排除法で大日本麦酒が二分された際、合同に加わらなかったキリンは分割を免れ、家庭用市場の拡大を背に1972年に国内シェア60.1%へ… 売上高 2.4兆円 25/12 営業利益率 8.6% 25/12 ROE 15.1% 25/12 自己資本比率 28.0% 25/12
- 2531 宝ホールディングス 1925年9月に株式会社化した寳酒造は、清酒の名産地・伏見にありながら単一品目の蔵元にならなかった。源流の四方家は味淋・白酒・焼酎を扱い、1916年に迎えた大宮庫吉氏が連続式蒸留の新式焼酎を主力に据えたためである。設立時の定款は「酒類、酒精、清涼飲料水、医薬用品、調味料」と多領域を掲げ、設立と同時に四方合名会社を吸収合併、1929年大正製酒、1947年日本酒精と買収で工場網を広げた。複数の地域・品… 売上高 3,943億円 26/3 営業利益率 4.3% 26/3 ROE 4.5% 26/3 自己資本比率 50.5% 26/3
- 2587 サントリービバレッジ&フード 国内市場の頭打ちが見え始めた2009年、サントリーは持株会社化と同時に飲料・食品事業をサントリー食品として切り出し、上場可能な独立事業会社に仕立てた。狙いは、清涼飲料の投資判断を洋酒・ビール本体から分け、海外飲料M&Aに必要な対外信用と資金を自前で持つことである。同年11月にオランジーナ・シュウェップスを約30億ユーロで取得、2014年にはLucozade/Ribenaを約13.5億ポンドで譲り受… 売上高 1.7兆円 25/12 営業利益率 8.7% 25/12 ROE 7.4% 25/12 自己資本比率 54.4% 25/12
- 2593 伊藤園 古い体質の茶業界で新参の製茶会社は既存の仕入れ先を持つ小売店に相手にされず、老舗の看板がなければ販路を開けなかった。本庄正則氏は1969年5月、上野の老舗から「伊藤園」の商号を200万円で買い取り、社員5人のバラックから再出発する。武器は、量り売りが常識だった茶葉をアルミ箔で密封した包装茶だった。湿気で3日ともたず茶葉を置けなかったスーパーの店頭を開拓し、産地直送・現金決済のルートセールスで量販に… 売上高 4,727億円 25/4 営業利益率 4.9% 25/4 ROE 8.1% 25/4 自己資本比率 50.6% 25/4
- 2607 不二製油 輸入カカオ脂を握る日清製油や豊年製油など戦前来の大手に最後発で対抗するには、同じ品目で競わず大手が持たない技術領域を取りに行くしかなかった。不二製油は1951年にコプラ・パーム核の国内初の圧抽式製油に成功し、1955年9月に大阪工場へ油脂溶剤分別装置を完成して我が国最初のハードバター(メラノバター)の製造を始めた。輸入カカオ脂に代わる植物性のチョコレート用油脂を製菓メーカーへ供給する独自市場を切り… 売上高 7,723億円 26/3 営業利益率 3.9% 26/3 ROE 5.0% 26/3 自己資本比率 38.8% 26/3
- 2670 ABCマート 1985年に国際貿易商事を立ち上げた三木正浩氏は、卸売業でありながら自社が小売に降りても既存取引先と衝突しない仕入れの形を求めた。そこで翌1986年、日本でまだ無名だった革靴ホーキンスのメーカーへロンドンで直接出向き、現地で実物を確かめたうえで国内独占販売権を取り付けた。無名のうちに押さえれば競合は同じ商品を扱えず、卸売と小売の両面で排他的な仕入れの優位を握れるからである。現地交渉で源流ブランドを… 売上高 3,786億円 26/2 営業利益率 16.7% 26/2 ROE 11.6% 26/2 自己資本比率 87.5% 26/2
- 2678 アスクル 1997年に独立資本へ転じたのは、文具メーカー資本のままでは他社製品まで束ねる中立的な調達代行業に徹しにくかったためである。1993年にプラスの社内事業部として始めたアスクルは、自社品に加えOA・生活・医療用品まで一括代行する翌日配送通販として伸びた。1997年5月、プラスから営業を譲り受け東京都文京区に本社を置く独立した株式会社として再起動し、2000年11月にはJASDAQへ上場、メーカー系列… 売上高 4,811億円 25/5 営業利益率 2.9% 25/5 ROE 11.7% 25/5 自己資本比率 34.2% 25/5
- 2685 アンドエスティHD 1973年3月の業態転換は、業界一般の流行ではなく中小小売の生き残り策だった。紳士服販売は規模で勝る大手に有利で中小には不利であり、しかも本拠の水戸ではメンズカジュアルの売り手がいない空白市場だった。二代目の福田三千男氏は稼ぎ頭の紳士服を捨て、大手と競合しない若年向けカジュアル衣料へ業態を移した。これが後のチェーン化とブランド多角化の出発点となった。 売上高 3,044億円 26/2 営業利益率 5.4% 26/2 ROE 11.7% 26/2 自己資本比率 58.3% 26/2
- 2702 日本マクドナルド 藤田田氏が破格の条件を引き出せたのは、本人の交渉力に加え、ハンバーガー事業を軽んじた日本の食品業界の無関心が重なったためである。1971年、先に交渉していたダイエーが出資51%に固執して破談し、手を挙げる食品企業も乏しかった。この空白が、藤田氏に通常5%のロイヤリティを1%へ、契約期間を30年へ抑える条件をもたらした。米本社への利益移転が薄い分、日本で稼いだ利益の大半を再投資へ回す自由度が開業時か… 売上高 4,166億円 25/12 営業利益率 12.8% 25/12 ROE 12.1% 25/12 自己資本比率 77.0% 25/12
- 2726 パルグループホールディングス 大丸や高島屋など百貨店が衣料流通の中心だった関西で、創業まもないパルには一等地の自社店舗を構える資力がなく、集客を他者の客足に頼る必要があったためである。1973年10月、井上英隆氏はスコッチ洋服店のカジュアル部門を分離してパルを設立し、同月、堺市のダイエー中百舌鳥店にジーンズショップ「パル青山」を開いた。総合スーパー内に若年層向けの専門店を構える立地から事業は始まった。 売上高 2,347億円 26/2 営業利益率 11.6% 26/2 ROE 21.2% 26/2 自己資本比率 50.8% 26/2
- 2730 エディオン 大型店を持つ量販と正面から安値を競えば、500平方メートル以下の小型店が大半だったデオデオは体力で押し切られる。そこで久保允誉社長は、壊れた家電へ即日駆けつけ、引き受けた修理をメーカーに回さず自社でこなす比率を約7割に保つ体制を敷き、価格だけでは崩れない顧客基盤で対抗した。1996年以降の広島家電戦争でヤマダ電機やベスト電器の攻勢を受けてもシェアを広島市54%まで高め、安さと安心を一つに束ねる流儀… 売上高 7,681億円 25/3 営業利益率 3.0% 25/3 ROE 6.3% 25/3 自己資本比率 51.2% 25/3
- 2760 東京エレクトロンデバイス 半導体製造機器メーカーとして急成長していた東京エレクトロン(TEL)が、グループ各社の機能分担を進めるなかで管理機能を外へ切り出したためである。1986年3月、TEL子会社で機器リースを営む株式会社テル・データ・システムが、資本金5百万円で東京都新宿区にテル管理サービス株式会社を設立した。当初の業務は建物および建物付属設備の保守管理というビルメンテナンスで、自前の事業も顧客も持たなかった。半導体と… 売上高 2,037億円 26/3 営業利益率 5.0% 26/3 ROE 14.8% 26/3 自己資本比率 32.6% 26/3
- 2767 円谷フィールズホールディングス 1988年6月の創業時に製鉄原料と遊技機販売を併走させたのは、性格の異なる二事業で商社の規律と消費市場の感度を同時に鍛えるためである。山本英俊氏は固定客と取引を積む産業財商社の仕事と、メーカーからホールへ機械を流す消費系の商売を約13年続けた。2001年10月、会社分割で製鉄原料部門を新設会社へ移し、本体をフィールズ株式会社へ改めて遊技機販売の単一事業へ集中、本社も名古屋から東京都港区へ移した。創… 売上高 1,741億円 26/3 営業利益率 10.0% 26/3 ROE 21.3% 26/3 自己資本比率 59.2% 26/3
- 2768 双日 双日はニチメンと日商岩井が2003年に共同持株会社をつくり、2004年に合併して生まれた総合商社である。統合を動かしたのは事業の重なりではなく、両社の命綱を握るUFJ銀行の都合であった。過剰債務とされる下位商社はいずれもUFJのメイン先で、金融庁の特別検査を控えた銀行は、引き当て強化の負担を避けるために融資先の再編を急いだ。2002年12月に統合方針が発表された時点では、株式移転比率も持株会社の社… 売上高 2.8兆円 26/3 営業利益率 4.2% 26/3 ROE 10.1% 26/3 自己資本比率 28.2% 26/3
- 2782 セリア 1997年、河合宏光氏は当時の100円ショップ業界が信じた「品数を増やせば売れる」という経験則に背き、勘ではなくデータで需要を読むしかないと判断したからである。価格を1円も動かせず売れ残りがそのまま在庫ロスになる業態では、限られた棚に何を置くかの命中率がすべてを決める。河合氏は中堅では異例の独自発注システム投資に踏み切り、2000年の取材に「思わぬ借金ができたりして金銭的にも精神的にも参っていた」… 売上高 2,557億円 26/3 営業利益率 8.2% 26/3 ROE — 自己資本比率 72.1% 26/3
- 2801 キッコーマン 1917年12月の野田醤油設立は、零細業者がひしめく市場で家業単位の分散生産を一つの会社へまとめる統合だった。茂木家と高梨家を中心とする一族八家の各造家が事業を合同して個人企業を会社組織へ改め、資本金700万円を全額払込で設立し、初代社長には茂木七郎右衛門氏が就いた。合同の直後から個人経営にありがちな旧弊の一掃に努めて諸般の改革を断行し、1926年3月に竣工した第17工場はわが国醤油業界における近… 売上高 7,455億円 26/3 営業利益率 10.2% 26/3 ROE 11.1% 26/3 自己資本比率 73.6% 26/3
- 2802 味の素 味の素が成り立ったのは、二代目鈴木三郎助氏が家業のヨード製薬を並走させ、不確実な新事業のリスクを切り分けたからである。1908年7月に東京帝国大学の池田菊苗博士が調味料グルタミン酸ソーダの製造法で特許を取得し、同年9月に鈴木三郎助氏がその商品化を引き受けて特許の共有者となった。鈴木三郎助氏はヨード事業の資金と技術を後ろ盾に1909年5月「味の素」を発売し、1914年に川崎工場で量産を確立した。家業… 売上高 1.6兆円 26/3 営業利益率 12.6% 26/3 ROE 9.4% 25/3 自己資本比率 43.4% 25/3
- 2804 ブルドックソース 1902年に小島仲三郎氏が東京で食品卸の三澤屋商店として創業し、1905年からウースターソースを範に日本人の味覚へ寄せた中濃ソースの製造販売に入ったのが原型である。明治屋やカゴメが先行する市場で、関東の好みに合わせた中濃という後発の棲み分けを選んだため、原料のたまねぎやりんごを関東近郊で調達し、東京・神奈川・埼玉・千葉の食卓へ届ける狭い地理圏で需要と供給が完結した。1935年新設の鳩ヶ谷一工場で単… 売上高 147億円 26/3 営業利益率 4.2% 26/3 ROE 9.7% 26/3 自己資本比率 67.7% 26/3
- 2809 キユーピー 作り手と売り手を分ければ、製造会社は生産と品質の改良に資源を集められ、販路の開拓や得意先との関係づくりは販売会社が引き受けられる。まだ家庭になじみの薄かったマヨネーズを世に広げるには、この分業が理にかなっていた。1918年に中島董一郎氏は缶詰販売の中島商店を興し、翌1919年には製造会社の食品工業を東京・中野に設けた。以後、販売は中島董商店、製造は食品工業という製販分離が1972年まで続いた。 売上高 5,134億円 25/11 営業利益率 6.7% 25/11 ROE 9.4% 25/11 自己資本比率 67.4% 25/11
- 2810 ハウス食品グループ本社 香辛料を扱う薬種問屋という出自が、製造業への投資を成り立たせたからである。1913年に浦上靖介氏が大阪で開いた薬種問屋は、漢方薬と並んで香辛料を商う業態であり、靖介氏はその商流のなかで、まだ家庭に縁の薄かったカレーの原料に目をつけた。問屋商売で蓄えた利益を製造設備へ振り替えられたため、1926年に個人経営のホーム食品を吸収し、カレー粉・胡椒の自社生産へ参入した。仕入れて売る側から、つくって売る側へ… 売上高 3,170億円 26/3 営業利益率 5.8% 26/3 ROE 2.5% 26/3 自己資本比率 67.0% 26/3
- 2811 カゴメ 生鮮のトマトが日本人の食生活になじまず、さっぱり売れなかったからである。蟹江一太郎氏は1899年に西洋野菜の栽培へ着手したものの、生のトマトには家庭料理の需要がなく、栽培しても捨てるほかなかった。保存と流通の利く加工品なら値が付くと見て、1903年にトマトソース、1908年にトマトケチャップの製造・販売へ回した。栽培者から加工業へ転じたこの判断が、原料生産から加工までを自社で抱えるカゴメの体質を決… 売上高 2,943億円 25/12 営業利益率 7.7% 25/12 ROE 8.9% 25/12 自己資本比率 44.2% 25/12
- 2815 アリアケジャパン アサリには漁獲の季節があり、年間を通して平準化された即席麺メーカーの生産計画と原料供給が噛み合わなかったためである。1966年に岡田甲子男氏が東京で有明特殊水産販売を設立し、アサリエキスを即席麺向けに卸す販売会社として始めたが、この原料の不安定さが転換を促した。豚・鶏・牛など畜肉に切り替えれば年間を通じて安定供給でき、岡田氏は自社でエキスを抽出する食品メーカーへ業態を組み替え、即席麺を主要顧客とす… 売上高 670億円 26/3 営業利益率 17.6% 26/3 ROE 7.1% 26/3 自己資本比率 88.3% 26/3
- 2819 エバラ食品工業 国夫氏がブルドックソースやカゴメの先行する業務用ソースで正面から戦わなかったのは、横浜の町工場が価格と規模で大手に勝てないと見切ったからである。1967年発売の「焼肉のたれ」を、大手が棚を握るスーパーではなく精肉店の肉売場へ、目立たぬ試食販売を重ねる「モグラ作戦」で潜り込ませた。自社の中華スープと販路が衝突せず、肉を買う客にその場でたれを勧められる。後発でありながら先発が手薄なカテゴリーで認知を先… 売上高 500億円 26/3 営業利益率 4.8% 26/3 ROE 4.9% 26/3 自己資本比率 71.0% 26/3
- 2831 はごろもフーズ 輸出が好調なほど米英の流通と為替に需要を握られ、独自商標を持たぬ集荷請負では値も売り先も他者が決めた。2代目後藤磯吉氏は1956年、メーカーとして自分の商標と販路を持つことを優先し、同業者が誰も向かわなかった国内販売へ主力を移した。同年に東京営業所を開き、大手問屋に断られると見て二次問屋を特約店として束ねた。1958年に「シーチキン」を商標登録し、原料魚は大手水産会社に頼りつつ、売り先と商標を自分… 売上高 751億円 26/3 営業利益率 4.2% 26/3 ROE 5.3% 26/3 自己資本比率 61.8% 26/3
- 2871 ニチレイ 拠点網が個社の投資ではなく国家の鮮魚需給を担うために与えられたため、特定の品目に縛られない汎用の設備として戦後も意味をもち続けたからである。1942年12月、日本水産や日魯漁業を含む大手水産会社18社の陸上部門が帝国水産統制へ集約され、全国約220か所の冷凍・製氷・冷蔵工場を一括継承した。1945年12月に日本冷蔵へ改称し1949年に上場して大株主との資本関係を整理した後も、分散立地そのものが冷凍… 売上高 7,161億円 26/3 営業利益率 5.4% 26/3 ROE 9.5% 26/3 自己資本比率 51.4% 26/3
- 2875 東洋水産 1953年に森和夫氏が築地で横須賀水産を興した狙いは、戦後の食糧難で乏しい動物性たんぱく源を魚で供給することにあった。その保管機能から1955年に冷蔵庫、1956年に魚肉ソーセージ、そして1961年に即席麺へと、たんぱく源を扱う商いを軸に隣の事業へ次々と手を広げた。即席麺は1958年の日清「チキンラーメン」に3年遅れた後発参入だったが、1962年に使い始めたマルちゃんマークは森氏の長女のあだ名に由… 売上高 5,366億円 26/3 営業利益率 16.0% 26/3 ROE 13.2% 26/3 自己資本比率 82.6% 26/3
- 2897 日清食品ホールディングス 1957年、理事長を務めた信用組合の破綻処理で安藤百福氏は全財産を失い、48歳で振り出しに戻った。多角商社の延長では再起の見込みが薄いと判断し、戦後の闇市でラーメン屋台に並ぶ長い行列に隠れた需要を見て、家庭で湯を注ぐだけで食べられる麺に活路を求めた。1958年8月、自宅裏の小屋で1年がかりの試行錯誤の末、麺を油で揚げて乾かす油熱乾燥法のチキンラーメンを開発した。乾めん20円の時代に35円の高価格で… 売上高 7,881億円 26/3 営業利益率 7.9% 26/3 ROE 9.6% 26/3 自己資本比率 48.4% 26/3
- 2914 JT 1949年6月に設立された日本専売公社は、国の専売事業の健全にして能率的な実施に当たることを目的とし、たばこ専売制度の実施主体としてたばこの安定的提供と財政収入の確保に貢献する役割を負った。専売の対象はたばこと塩で、国内の葉たばこ農家からは外国産の3倍から4倍の価格で全量を引き取る仕組みが長く続いた。買い手が競争を通じて選ぶ市場ではなく供給すれば売れる制度のもとで、価格や数量を競う経験を持たない組… 売上高 3.5兆円 25/12 営業利益率 25.0% 25/12 ROE 12.4% 25/12 自己資本比率 48.9% 25/12
- 2930 北の達人コーポレーション 2002年に木下勝寿氏が選んだのは、北海道の規格外農産物・水産物という仕入れた商品で勝負するECだった。リクルートで培ったネットの集客力を頼りに、北海道産メロン・カニ・じゃがいもなど贈答基準を満たさない品を「わけあり特産品」として割安に売り、SEO主体の低コスト運営で初期の収益を成り立たせた。だが2007年7月に「北海道わけあり市場」を本格開設して注目を集めると、差別化を商品側に持たない構造ゆえに… 売上高 112億円 26/2 営業利益率 8.9% 26/2 ROE 8.6% 26/2 自己資本比率 84.8% 26/2
- 3001 片倉工業 生糸は高級品で国内の消費量が限られ、収益を立てるには海外需要に頼るほかなかったためである。1873年に初代片倉兼太郎氏が長野県諏訪川岸村で座繰製糸の片倉組を起こすと、養蚕の盛んな信州で農家から繭を集め、製糸を米国の婦人靴下メーカーへ輸出する商いを据えた。米国市場では婦人用靴下の原料として生糸が大量に消費され、ドル建ての輸出売上が収益基盤を支えた。明治から大正にかけて全国へ製糸所を広げ、グンゼと並ぶ… 売上高 407億円 25/12 営業利益率 14.4% 25/12 ROE 5.9% 25/12 自己資本比率 63.8% 25/12
- 3003 ヒューリック 1957年、旧富士銀行が全国の店舗用地と社有不動産の賃貸・管理を本体に抱えず、関連会社の日本橋興業株式会社へ切り出したためである。銀行本体が不動産の運営業務を持たない体制を採った結果、顧客は事実上富士銀行1社、収入は支店ビルの家賃と店舗管理手数料に限られた。物件を奪い合わずに済む分だけ収益は安定したが、外部の物件を取りにいくことも自ら開発することもない発注者依存の事業が40年以上続き、独立した不動… 売上高 7,274億円 25/12 営業利益率 25.7% 25/12 ROE 12.5% 25/12 自己資本比率 26.1% 25/12
- 3038 神戸物産 大手チェーンが全国へ寡占を広げるなか、仕入れ価格でも店舗ブランドでも大手に勝てないと沼田昭二氏が見たからである。1981年4月、兵庫県加古川市で食品スーパー「フレッシュ石守」を個人創業した沼田氏は、品揃えや売り方で大手と競うのをやめ、食品の製造そのものを自社に取り込む道を選んだ。流通面の差別化ではなく食品製造の自社化を競争の軸に据えたと後年振り返っており、問屋から仕入れて売買差益を乗せる流通に頼ら… 売上高 5,517億円 25/10 営業利益率 7.2% 25/10 ROE 19.8% 25/10 自己資本比率 62.0% 25/10
- 3048 ビックカメラ 新井隆司氏が池袋を選んだのは、電気店の激戦区だった秋葉原や新宿西口で正面から競うより、巨大ターミナル駅でありながら需要が捌けきれていない池袋を取りに行くほうが勝てると見たためである。1968年に群馬県高崎市で高崎DPセンターを開いた新井隆司氏は、1978年に本拠を東京・池袋へ移し、写真機・カメラの量販店として再出発した。1980年に株式会社ビックカメラを設立し、駅前で量販する都心型の商いを固めた。 売上高 9,745億円 25/8 営業利益率 3.1% 25/8 ROE 10.4% 25/8 自己資本比率 34.2% 25/8
- 3050 DCMホールディングス ホームセンターは商圏を数万人単位で区切って店を置く商売で、薄く広げるより一つの地域で密度を上げるほうが物流費も広告費も軽い。北海道・四国・中部で別々に地域一番店になった3社が互いの商圏を侵さずに育ったのは、そのためである。石黒信市郎氏が1919年に北海道釧路市で開いた石黒金物店、鏡味順一郎氏が1947年に名古屋市で開いたかがみ薬局、大亀孝裕氏が1958年に松山市で開いた大亀商事が、それぞれホーマッ… 売上高 5,361億円 25/2 営業利益率 6.2% 25/2 ROE 6.5% 25/2 自己資本比率 40.8% 25/2
- 3064 MonotaRO 工場で使う消耗品・工具・安全用品は、事業者が不定期に少量ずつ多品種で買う市場で、紙カタログでは掲載点数も1件あたりの処理コストも合わず、中小事業者向けには採算が取れなかったためである。住友商事と1927年創業で米国最大の間接資材ディストリビュータW.W.Graingerは、2000年10月に資本金1億2千万円で住商グレンジャー株式会社を大阪市西区立売堀に設立した。商品を電子カタログ化し、住商の顧客… 売上高 3,339億円 25/12 営業利益率 13.8% 25/12 ROE 26.5% 25/12 自己資本比率 63.4% 25/12
- 3086 J.フロント リテイリング 縮む市場で規模を先に確保するための統合だった。国内の百貨店売上高は2006年まで9年連続で前年を下回り、都心の一等地に含み資産を抱えながら低収益にとどまる百貨店には買収の圧力も及んでいた。発端は2006年12月、松坂屋HDの茶村俊一社長が大丸の奥田務会長へ銀座店再開発の相談を持ち込んだことで、規模と収益力で勝る大丸が主導する形で交渉が進んだ。2007年9月に共同株式移転で持株会社Jフロントリテイリ… 売上高 4,451億円 26/2 営業利益率 11.0% 26/2 ROE 7.0% 26/2 自己資本比率 35.3% 26/2
- 3088 マツキヨココカラ&カンパニー 1987年7月にマツモトキヨシが出店した上野アメ横店は、それまでの千葉県内の主婦層と違い若い女性客が中心だった。明るい照明、入口ドアの撤去、化粧品テスター、定価をやめた一般化粧品が当たり、この一店だけで月商2億円を売り上げた。郊外の医薬品中心の薬局から「都心駅前×化粧品×若年女性」という型がここで実証され、1989年の株式公開で得た資金を渋谷・新宿など都心一等地の出店へ振り向けた。 売上高 1.1兆円 26/3 営業利益率 7.6% 26/3 ROE 10.3% 26/3 自己資本比率 71.9% 26/3
- 3092 ZOZO 1998年に300万円で創業した前澤友作氏は、株式の希薄化で経営権を失うことを避けたため、2002年に株式会社へ改めた際もベンチャーキャピタルからの増資を退けた。輸入CD・レコードの通信販売から始めた前澤氏は外部資本を入れず、借入と手元資金で事業を回した。その結果、自己資本比率は2006年03月期に11.8%という低水準にとどまったが、株式と意思決定を自ら握る体制を守り、2004年のZOZOTOW… 売上高 2,284億円 26/3 営業利益率 30.4% 26/3 ROE 44.9% 26/3 自己資本比率 53.9% 26/3
- 3099 三越伊勢丹ホールディングス 2008年4月に発足した三越伊勢丹ホールディングスが初年度の営業利益計画を340億円、前年度の両社見通し合計の82%にとどめたのは、統合の柱である情報システムの一本化が完了するのが2010年度で、それまでを基盤固めに充てる工程だったからである。統合発表時の目標は5年後に営業利益750億円だった。準備期間中も三越の2007年度営業利益は期初計画154億円から2度の下方修正を経て85億円へ落ち、両社の… 売上高 5,456億円 26/3 営業利益率 14.7% 26/3 ROE 12.3% 26/3 自己資本比率 50.8% 26/3
- 3101 東洋紡 1882年に官営紡績の7倍にあたる1万5000錘を据えられたのは、渋沢栄一が前田家・毛利家ら旧大名家の余剰資本を株式に集め、官営にない巨額の初期投資をまかなえたためである。出資者の38%を旧大名家の華族層が占めた。蒸気機関を動力源とする24時間連続操業で稼働率と生産性の両面で官営を上回り、職工数は1883年の293名から1909年に1万950名へ膨らんだ。民間紡績が商業として成り立つことを実証した… 売上高 4,216億円 26/3 営業利益率 6.6% 26/3 ROE 5.2% 26/3 自己資本比率 34.0% 26/3
- 3102 鐘紡 2005年 上場廃止 1887年に綿花輸入の仲介を担う商社として発足した東京綿商社は、取扱量が伸びず2年で行き詰まったため、自ら綿糸を紡いで売る製造業へ組み替えるほかなかった。英国製のリング式紡績機を鐘ヶ淵の3万錘工場へ据え、1889年8月に鐘ヶ淵紡績会社として再出発した。ただし大規模工場を扱える技術者が国内におらず操業直後から赤字が累積し、この人材不足が三井からの中上川彦次郎氏・武藤山治氏の派遣を呼び込んだ。外部経営… 売上高 68億円 07/3 営業利益率 -21.4% 07/3 ROE 29.5% 07/3 自己資本比率 91.7% 07/3
- 3103 ユニチカ 本業の綿紡績に損益が及ぶのを避けるためである。1918年に三大紡績の一つとなった大日本紡績は、成否の定まらないレーヨンを本体で抱える危険を嫌い、1926年に出資比率66%の子会社・日本レイヨンへ事業を分けた。不確実な新領域は別法人に預けて様子を見る資本配分の作法であり、この親会社と子会社を分ける選択は、1969年にニチボーと日本レイヨンが対等合併してユニチカが発足するまで尾を引き、綿紡と化繊の事業… 売上高 1,186億円 26/3 営業利益率 8.9% 26/3 ROE 33.8% 26/3 自己資本比率 35.7% 26/3
- 3104 富士紡ホールディングス 1896年3月、富田鉄之助・神知常らが発起人となり富田氏を会長に据えて富士紡績が設立されたのは、紡績の競争条件が動力源の自家確保にあったためである。狙いは静岡県駿東郡を流れる鮎沢川の水力2500馬力を動力源とする綿紡績で、1898年に小山工場が操業を始めた。1910年には電気事業の兼営認可を取得し、1914年に相模水力電気を合併、工場群への送電と外販電力を一体で運営した。 売上高 459億円 26/3 営業利益率 17.7% 26/3 ROE 10.9% 26/3 自己資本比率 72.0% 26/3
- 3105 日清紡ホールディングス 紡績で長年蓄えた糸づくりの技術が、石綿から摩擦材を作る工程にそのまま転用できたためである。村上雅洋氏は2021年2月の事業構想オンラインで「石綿から摩擦材を作る際に、紡績技術が転用できるというのが受注の理由でした」と語っている。1907年に綿糸・綿布の専業会社として東京・亀戸で生まれた日清紡績は、第一次石油危機後の繊維不況で「紡績だけでは将来がない」と見て、この技術系譜を足がかりに自動車ブレーキへ… 売上高 5,023億円 25/12 営業利益率 5.3% 25/12 ROE 4.8% 25/12 自己資本比率 43.0% 25/12
- 3106 倉敷紡績 創業初代の大原孝四郎氏が設備を抑えて株主へ厚く配当した倉敷紡績で、稼いだ資本を新事業へ振り向ける経営を広げたのが三男の大原孫三郎氏である。1906年に社長へ就いた大原孫三郎氏は、吉備紡績所の買収や1915年の万寿工場新設で綿紡績の規模を拡げる一方、商標統一・工手学校・分散式家族的寄宿舎・精紡機の単独運転など新機軸を次々に打ち出した。大原美術館・倉敷中央病院・大原社会問題研究所といった社会事業も岡山… 売上高 1,438億円 26/3 営業利益率 6.4% 26/3 ROE 9.7% 26/3 自己資本比率 65.5% 26/3
- 3107 ダイワボウホールディングス 1941年5月、大日本紡績聯合会の紡績ブロック結成案に従い、錦華紡績・日出紡織・出雲製織・和歌山紡織の4社が合併して大和紡績が発足した。戦時下に過当競争を統制し軍需綿布の供給力を束ねる国策の要請が合併の理由である。発足時から紡織16工場を抱える全国第4位の規模で、出雲製織と和歌山紡織は陸海軍指定業者として軍需綿布を担い、4社の地歩を引き継いで十大紡績の一角を占めた。 売上高 1.4兆円 26/3 営業利益率 3.3% 26/3 ROE 18.9% 26/3 自己資本比率 36.8% 26/3
- 3110 日東紡績 1923年に福島県内の絹糸紡績2社が合併して発足した日東紡績は、初代社長の片倉三平氏が祖業の絹糸を守らず、レーヨン・綿・無機素材へ扱う材料を入れ替え続ける経営を選んだ。その延長で1938年12月、片倉社長の主導により日本初のグラスファイバー工業化に成功した。米国オーエンスコーニング社が同時期に達成しており、日東紡は世界2番手として位置付けられる。翌1939年2月には富久山工場で量産を始めた。 売上高 1,182億円 26/3 営業利益率 17.6% 26/3 ROE 24.1% 26/3 自己資本比率 61.3% 26/3
- 3116 トヨタ紡織 1918年1月に愛知県で創立された豊田紡織は、自動織機の発明で知られる豊田佐吉氏の系列に連なる会社だった。織機メーカーが自前の紡織工場を抱えたのは、自社の織機の販路を社内に確保しつつ、紡績原料から綿糸・綿布までを一貫して織り上げて繊維問屋へ売り切るためである。1923年11月には刈谷工場を新設して生産能力を広げた。機械と素材を同じ手で握るこの垂直一貫の構えが、後の自動車部品事業を生む基盤となった。 売上高 2.0兆円 26/3 営業利益率 2.6% 26/3 ROE 5.3% 26/3 自己資本比率 37.3% 26/3
- 3132 マクニカホールディングス 当時の国内半導体商社は大手電機メーカー系の販売チャネルが主流で、独立系の小規模事業者が割り込む余地は乏しかった。神山治貴氏が選べる開拓先は、年商数十億円規模で大手商社が見向きもしない米国の小規模半導体メーカーに限られた。1972年、神山氏は26歳でジャパンマクニクスを設立し、この空白セグメントを狙った。仕様書を流すだけでは差別化できない商材であるため、技術者を顧客の設計現場へ常駐させ回路設計を一緒… 売上高 1.2兆円 26/3 営業利益率 3.5% 26/3 ROE 10.0% 26/3 自己資本比率 39.8% 26/3
- 3141 ウエルシアホールディングス 2025年 上場廃止 単独では全国規模の仕入れ・物流に見合う店舗網を持てず、イオンが束ねるドラッグ連合の資本と信用に連なることで規模の経済を得られると見たためである。イオンは2000年代に傘下・提携のドラッグストアを「イオン・ウエルシア・ストアーズ」で緩やかに束ねていた。2008年9月、埼玉のウエルシア関東と静岡の高田薬局が株式移転でグローウェルホールディングス株式会社を設立し、東京証券取引所市場第二部に上場した。連合… 売上高 1.3兆円 25/2 営業利益率 2.8% 25/2 ROE 6.0% 25/2 自己資本比率 42.9% 25/2
- 3148 クリエイトSDホールディングス 店を狭いエリアに高密度で構えるほど、配送距離が短く物流が効き、地域広告1回で全店をカバーでき、店舗の巡回や運営も短時間で回る。人口の多い神奈川は一県でも市場が大きいため、他県へ薄く広げるより県内の密度を上げるほうが、低価格と利益を両立しやすかった。山本久雄氏は1983年に横浜市緑区でドラッグストアを始め、特定の市区へまとめて出店して地元に知られてから隣接地へ広げる手順を重ねた。その結果、神奈川県の… 売上高 4,571億円 25/5 営業利益率 4.9% 25/5 ROE 11.0% 25/5 自己資本比率 60.3% 25/5
- 3186 ネクステージ 広田靖治氏が中古ボルボに取扱を絞ったのは、高校中退を理由に自動車販売会社への転職を断られ、競合の多い王道では勝てないと見たからである。1996年、23歳の広田氏は愛知県尾張旭市でオートステージヒロタを個人創業した。当時の中古車は買取をガリバーが全国展開する一方、販売は地域の小規模店が分散していた。広田氏は専門店化で全国からボルボ志望の客を集め、2000年12月に名古屋市名東区の1号店を約500坪で… 売上高 6,521億円 25/11 営業利益率 3.0% 25/11 ROE 16.2% 25/11 自己資本比率 34.9% 25/11
- 3197 すかいらーくホールディングス 生鮮を売る個人商店は、1960年代後半の大型スーパー台頭で価格競争にさらされ、食料品店のままでは成長の展望が描けなくなった。横川端氏ら四兄弟は米国で普及していたチェーンレストランに活路を求め、1969年7月にことぶき食品を有限会社から株式会社へ改組し、多店舗運営に耐える組織へ作り替えた。1970年7月には東京都府中市に郊外型ファミリーレストラン「すかいらーく」一号店を出し、広い駐車場と標準化した店… 売上高 4,578億円 25/12 営業利益率 6.5% 25/12 ROE 8.9% 25/12 自己資本比率 36.2% 25/12
- 3201 日本毛織 毛織物の本格メーカーが国内になく半製品を輸入に頼っていた神戸で、川西清兵衛が国産化の商機を見込んで1896年に創業したためである。だが加古川工場の赤毛布は欧米産に手触りが届かず、輸出も振るわず稼働から4年連続で赤字に沈んだ。これを救ったのが1905年に勃発した日露戦争で、軍に毛織物を納める販路を得て黒字へ転じ、「1割5分」の高配当を実現した。輸入品に代わって軍の制式需要を引き受けたことが、国産毛織… 売上高 1,194億円 25/11 営業利益率 10.0% 25/11 ROE 6.9% 25/11 自己資本比率 69.4% 25/11
- 3231 野村不動産ホールディングス 1957年に野村不動産が生まれたのは、全国へ支店網を広げる野村證券が、本社ビルの所有と維持管理という不動産機能を本体から切り出す必要があったからである。資本金1,000万円で東京・中央区に設立された当初の事業範囲は親会社1社の不動産需要に閉じ、外部市場で物件を取りに行く開発会社ではなかった。証券会社の発注に依存する管理会社という与件は、その後の持株会社時代まで残った。 売上高 9,425億円 26/3 営業利益率 14.7% 26/3 ROE 10.3% 26/3 自己資本比率 28.5% 26/3
- 3288 オープンハウスグループ 1990年代後半は住宅金融公庫融資の縮小と地価下落が重なり、財閥系大手やハウスメーカーは採算が読めない狭小地・三角地・線路際・墓地隣接の物件を見送った。荒井正昭氏は供給が細るこのニッチをあえて選び、競合不在のまま割安に仕入れる道を取ったからである。1997年9月に渋谷区で創業し、街頭で通行人に声をかけて現地へ誘導する源泉営業で売り切った。住み替え層の7〜8割が近隣で家を選ぶ行動を踏まえ、来店誘導型… 売上高 1.3兆円 25/9 営業利益率 10.9% 25/9 ROE 18.7% 25/9 自己資本比率 38.1% 25/9
- 3289 東急不動産ホールディングス 戦時統合で東京急行電鉄に組み込まれ休眠していた田園都市事業を、不動産専業として再び動かすためである。公職追放を解かれた五島慶太が会長へ復帰すると、1953年12月、資本金3億円で東急不動産が設立され、社長に五島昇が就いた。鉄道沿線の開発を本体に残しつつ、沿線外の宅地開発と不動産販売を切り出し、私鉄系ディベロッパーとして沿線資産の価値向上と郊外宅地開発を一体で担う原型をここで固めた。 売上高 1.2兆円 26/3 営業利益率 13.4% 26/3 ROE 10.8% 26/3 自己資本比率 26.3% 26/3
- 3291 飯田グループホールディングス 戸建分譲6社は首都圏で家を持てない層へ低価格の建売を量産する同じ商売を競い合い、用地仕入と建材調達のコストが各社単独では下げきれない採算上の負担となっていた。価格競争で消耗する代わりに規模で原価を押し下げるため、2013年11月、一建設・飯田産業・東栄住宅・タクトホーム・アーネストワン・アイディホームの6社が共同株式移転で飯田グループHDを設立した。合計年間約45,000戸を供給する6社を一つの傘… 売上高 1.5兆円 26/3 営業利益率 6.3% 26/3 ROE 6.2% 26/3 自己資本比率 50.8% 26/3
- 3302 帝国繊維 1907年7月、日露戦争後の不況で製麻各社が苦境に陥るなか、安田財閥の総帥・安田善次郎の提唱で日本製麻と北海道製麻が合併し、帝国製麻が東京に生まれたためである。原料の亜麻を北海道で栽培し、栃木県鹿沼で紡績から織物まで一貫して手がけ、輸入頼みだった麻織物を国産へ置き換える供給者として船出した。中心となった日本製麻が安田財閥系であったことから、系列の銀行が歴代社長を送る慣例がここで根づいた。 売上高 336億円 25/12 営業利益率 12.1% 25/12 ROE 5.2% 25/12 自己資本比率 79.2% 25/12
- 3349 コスモス薬品 創業から20年、宇野正晃は延岡市内に66平方メートルの薬局を数店構える個人事業主にとどまっていた。1993年12月、宮崎市に売場面積600平方メートルの浮之城店を開き、医薬品・化粧品に食品と日用雑貨まで取り揃え、小商圏のなかで日常消耗品を1か所でまとめて買える店舗という価値提案を示した。商圏人口の薄い郊外住宅地でも日用必需品をワンストップで賄える品揃えと面積を確保することが、多店舗展開の前提となっ… 売上高 1.0兆円 25/5 営業利益率 4.0% 25/5 ROE 12.0% 25/5 自己資本比率 49.1% 25/5
- 3360 シップヘルスケアホールディングス 病院の企画から建設・運営までを束ねられる事業者が乏しかったため、古川國久氏は助言と物販を病院という一つの顧客にまとめて届ける形を最初から狙った。1992年8月に大阪府吹田市でシップコーポレーションを創業して医療施設のコンサルを始め、3カ月後の同年11月に別法人グリーンホスピタルサプライを設立し、富士写真フイルム製のレントゲンフィルムを病院へ納めた。1994年に調剤、1995年にリースを加え、医療現… 売上高 7,182億円 26/3 営業利益率 3.4% 26/3 ROE 8.9% 26/3 自己資本比率 39.2% 26/3
- 3382 セブン&アイHD 利益でも時価総額でも子会社セブン-イレブン・ジャパンが親会社を上回るねじれを、資本の側で解消するためである。2004年度はセブンが連結営業利益の92%を稼ぎ、時価総額でもイトーヨーカ堂の1.46倍に達していた。2005年9月、3社共同の株式移転で持株会社セブン&アイ・ホールディングスが発足し、イトーヨーカ堂・セブン-イレブン・ジャパン・デニーズジャパンは上場を廃止した。合併ではなく持株会社を選んだ… 売上高 8.9兆円 26/2 営業利益率 4.8% 26/2 ROE 8.1% 26/2 自己資本比率 39.6% 26/2
- 3391 ツルハホールディングス 旭川を拠点とする北海道は人口が薄く一店ごとの商圏が狭いため、一店だけでは調達も人材も厚みが出ない。そこで複数店を束ねて仕入と在庫を集約する組織小売業を志向した。1985年3月に50店へ達した規模を支えるべく、1987年3月にEOSを、1989年7月に全店POSレジを導入して100店に到達し、単品単位で在庫・販売を把握する標準化された運営基盤を整えた。これはのちに各地で取得する店舗にも展開できる仕組… 売上高 1.5兆円 26/2 営業利益率 4.3% 26/2 ROE 4.9% 26/2 自己資本比率 53.1% 26/2
- 3397 トリドールホールディングス 店内で粉から麺を打つ実演と専門性が、低価格を保ったまま集客力と収益性を両立させたためである。集中調理のセントラルキッチンで効率を高める外食が主流だった2000年前後に、粟田貴也氏はあえて各店で製麺する逆の方式を選んだ。1985年に兵庫県加古川市の焼き鳥居酒屋「トリドール三番館」で創業した同社は、父の故郷である香川の讃岐うどんに着想し、2000年11月にセルフ式の「丸亀製麺 加古川店」を開いた。手仕… 売上高 2,682億円 25/3 営業利益率 3.2% 25/3 ROE 2.4% 25/3 自己資本比率 24.1% 25/3
- 3401 帝人 親会社を失っても祖業レーヨンが当時の成長市場だったため、後ろ盾なしでも事業として自立できたからである。1918年に鈴木商店の支援で米沢に設立された帝国人造絹糸は、輸入品が高い人絹市場で短期間に上位へ進んだ。1927年に鈴木商店が昭和金融恐慌で倒れた後も、株主異動で経営基盤を組み直して独立企業として残った。大屋晋三社長は後年、人絹隆盛期について「1931年までは帝人の実質利益は、他の人絹会社すべてを… 売上高 8,732億円 26/3 営業利益率 -8.1% 26/3 ROE -24.4% 26/3 自己資本比率 39.2% 26/3
- 3402 東レ 1926年1月、第一次大戦期に膨らんだ余剰資本の投資先を探していた三井物産が、人造絹糸レーヨンの需要拡大を見込んで子会社の東洋レーヨンを資本金1,000万円で設立した。社名を「東洋」と冠したのは、人絹生産がなお危うい新規事業であり、失敗しても三井家へ累を及ぼさないためだった。前田勝之助は後年「東レは今でいうベンチャービジネスだった」と振り返っている。国内20か所超で水質を調べ、製造に最も適う琵琶湖… 売上高 2.6兆円 26/3 営業利益率 3.8% 26/3 ROE 4.8% 26/3 自己資本比率 48.1% 26/3
- 3404 三菱レイヨン 2010年 上場廃止 主力になった事業は、繊維の副産物ではなく戦時の軍需に始まる。1943年11月、大竹工場に航空機の風防ガラス用としてメタアクリル樹脂の設備が建った。戦後この設備は民需に転換され、1955年には有機合成樹脂で業界首位に立つ。1973年にはMMA樹脂の生産量で世界2位につけ、1982年には原料の制約を外すためイソブチレン直接酸化法を世界に先がけて開発して大竹に年産4万トンの工場を建てた。繊維で稼いだ40… 売上高 4,569億円 13/3 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 3405 クラレ 1950年にビニロンを国産技術で工業化したのは、海外技術の導入に頼らず国産原料で独自の繊維を生産したいという第2代社長・大原總一郎氏の考えによる。1949年に商工省が倉敷レイヨンをビニロンの集中生産会社に選定したことも後押しとなり、石灰石・石炭・水という国産資源を原料に1950年に岡山工場で生産を始めた。当初は風合いと染色性で苦戦したが、1954年に高強力タイプを開発すると漁網やセメント補強材へ用… 売上高 8,084億円 25/12 営業利益率 7.3% 25/12 ROE 1.0% 25/12 自己資本比率 57.0% 25/12
- 3407 旭化成 1923年9月、化学肥料の国産化が国策となるなか、日本窒素肥料の野口遵氏は宮崎県延岡にカザレー式アンモニア合成工場を設け、五ヶ瀬川の水力発電で得た安価な電力で硫安を量産した。同じアンモニアと電力を元手に、すでに1922年に設けた旭絹織の人絹、火薬へと事業を派生させた。一つの原料と自社技術を別の事業へ転用して稼ぎ口を増やす発想が、延岡の現場で形を整えた。 売上高 3.1兆円 26/3 営業利益率 7.5% 26/3 ROE 7.6% 26/3 自己資本比率 50.5% 26/3
- 3415 TOKYO BASE 谷正人氏は、輸入品の権威性で各社が競う市場では後発が同じ土俵で勝てないと見て、業界の競争軸を逆に取った。2007年にデイトナ・インターナショナルで不採算店の再建を任された谷氏は、日本人デザイナーのブランドだけを編集する業態をMade in Japan専業として立て、2008年12月に株式会社STUDIOUSを設立した。値引き処分が常態だった業界で定価を貫き、感度の高い都市顧客に売り切ることで粗利率… 売上高 237億円 26/1 営業利益率 8.2% 26/1 ROE 19.3% 26/1 自己資本比率 42.2% 26/1
- 3436 SUMCO 三系列が並んで始まったのは、非鉄金属や素材製造を本業とする親会社が、その本業の延長で半導体用シリコンに参入したためである。1958年12月に新日本窒素肥料が日窒電子化学を、1959年10月に三菱金属鉱業等が日本電子金属を、1960年4月に小松製作所と石塚研究所が小松電子金属を設立した。トランジスタから集積回路へ需要が立ち上がる時代に、素材系の大手3資本が各自の子会社で同じ市場へ足場を築いた結果、国… 売上高 4,097億円 25/12 営業利益率 0.3% 25/12 ROE -2.0% 25/12 自己資本比率 51.3% 25/12
- 3465 ケイアイスター不動産 1994年2月、塙圭二氏は住宅建設機能を内製化するため株式会社グランビルホームを設立した。外注に頼れば原価と工期を他社に握られ、低価格の建売で利幅を残せない。土地仕入から建設、販売、メンテナンスまでを自前で持てば、原価を自社で管理でき、地方の薄い利幅でも採算が取れる。本庄市発の中小グループは、創業10年余でこの一貫体制を組み上げ、後の低価格分譲モデルの土台とした。 売上高 3,939億円 26/3 営業利益率 6.9% 26/3 ROE 20.9% 26/3 自己資本比率 20.6% 26/3
- 3549 クスリのアオキホールディングス 青木桂生氏は1869年創業の青木二階堂薬局の十六代目で、家業は調剤を中心とする個人薬局だった。1985年1月、青木桂生氏は資本金1,500万円で株式会社クスリのアオキを石川県金沢市泉野出町に設立した。同じ1985年に父の薬局から独立し、調剤中心の薬局から物販を併せ持つドラッグストア業態を始めた。既存の薬局を残したまま別会社を興したのは、薬種を売る業種にとどまらず、品揃えと売場を自分たちで設計できる… 売上高 5,015億円 25/5 営業利益率 5.3% 25/5 ROE 12.2% 25/5 自己資本比率 41.4% 25/5
- 3563 FOOD&LIFECOMPANIES 後発の小チェーンが先行各社と戦うには、寿司屋出身という出自を品質の差別化軸に変える必要があったためである。1996年9月、すし太郎は1皿100円均一の第1号店「高司店」を兵庫県宝塚市に出店した。創業者の清水義雄氏は寿司職人出身で、第3代社長の豊崎賢一氏は2014年の取材で当時の回転寿司が「安かろう悪かろう」の代名詞と見られていたと振り返った。低評価の100円寿司の領域へ職人品質を伴って参入すること… 売上高 4,296億円 25/9 営業利益率 8.4% 25/9 ROE 24.2% 25/9 自己資本比率 23.8% 25/9
- 3569 セーレン 1923年の発足は、輸出向け絹羽二重の品質低下で外貨獲得を急ぐ政府と福井県が県内精練業者の統合を主導した結果であり、需要を自ら起こすためではなかった。集約された福井精練加工が担ったのは織り上がった生地を染める後工程で、何を作るかは織物産地が、のちには出資する合繊メーカーが決めた。預かった生地を加工して料金を得る受け身の構造が、創業時から事業の性格を定めた。 売上高 1,718億円 26/3 営業利益率 12.1% 26/3 ROE 9.7% 26/3 自己資本比率 72.0% 26/3
- 3606 レナウン 2020年 上場廃止 衣料品を作る力ではなく、置く場所を押さえたからである。始まりは佐々木八十八氏が1902年に大阪で開いた繊維雑貨の卸商・佐々木営業部で、社名は1922年に英国皇太子を乗せて来日した巡洋戦艦レナウン号に由来する。1956年に五つの販売会社で全国網を組み、1959年のレナウン・チェーン・ストア計画では「暮しの肌着」をスチール製ケースごと町の洋品屋に置いて、商店街の店頭を組織した。売り場が広がる分だけ売上… 売上高 503億円 19/12 営業利益率 -15.9% 19/12 ROE -44.0% 19/12 自己資本比率 47.4% 19/12
- 3612 ワールド 1962年、ワールドの畑崎廣敏氏は、売れ残りを問屋が引き取る返品制では在庫リスクを自社が負い続けると見て、小売店に商品を買い取らせる買取制へ転じた。在庫リスクを小売へ移す代わりに、自社は売れる商品の企画開発に責任を負い、卸の競争を在庫を抱える財務力からヒット商品を当てる編集力へ反転させる狙いだった。1971年7月期に売上49億円・税込利益5.5億円だった単体は、1976年7月期に売上422億円・税… 売上高 2,840億円 26/2 営業利益率 5.6% 26/2 ROE 12.9% 26/2 自己資本比率 33.2% 26/2
- 3626 TIS 汎用機が1台数億〜十数億円を要した1970年前後、単独で保有するより複数企業で共同利用する方が経済合理性を持ったためである。1971年、三和銀行を中心とするグループ60社が資本金6億円を出資し、東洋情報システムを設立した。三和グループ向けの計算受託から事業を始めた同社は、系列の取引銀行が抱える顧客を初日から引き受け、銀行・カード・信販という金融系の顧客基盤の上に立つ独立系SIerとなった。 売上高 5,965億円 26/3 営業利益率 12.8% 26/3 ROE 14.4% 26/3 自己資本比率 58.9% 26/3
- 3635 コーエーテクモホールディングス 1978年に倒産した家業を再建する目的で染料問屋として光栄を創業した襟川陽一氏がゲーム会社へ転じたのは、1980年に妻の襟川恵子氏から贈られたパソコンMZ-80Cで自作した「川中島の合戦」が初年度に染料事業の3倍を売り上げ、無縁の問屋業より儲かると判明したためである。1981年発売のこの処女作を機に1983年「信長の野望」、1985年「三國志」と歴史シミュレーションを連発し、染料から撤退して借金の… 売上高 884億円 26/3 営業利益率 42.0% 26/3 ROE 15.7% 26/3 自己資本比率 86.9% 26/3
- 3659 ネクソン 日本子会社が韓国の親会社を飲み込んだのは、韓国発の事業を日本の法人格で束ねて国際展開するためである。2005年10月、韓国の親会社がPCオンライン事業を会社分割で新NEXON Corporation(現NEXON Korea)に切り出し、その全株式を日本法人へ譲渡した。子会社が事業中核を逆に取り込み、東京に事業持株会社、ソウルに開発会社という二極体制が定まった。創業家・金正宙氏の資産管理会社NXC… 売上高 4,751億円 25/12 営業利益率 26.1% 25/12 ROE 8.8% 25/12 自己資本比率 74.4% 25/12
- 3697 SHIFT 製造業コンサルだったSHIFTがソフトウェアテストへ業態を転換したのは、ある大手IT企業からテスト外注のコスト過多を相談されたことが出発点である。丹下大氏は製造業のプロセス分析手法を当てはめ、言い値で過剰に派遣されたエンジニアを精査し、年間コストを7億円から1億円へ圧縮した。テスト工程は当時、付加価値の低い下流作業と見られ専業も乏しかった。丹下氏は2009年11月にソフトウェアテスト事業部を設立し… 売上高 1,298億円 25/8 営業利益率 12.0% 25/8 ROE 21.8% 25/8 自己資本比率 53.3% 25/8
- 3765 ガンホー・オンライン・エンターテイメント 2002年8月、ガンホーが韓国Gravity開発のラグナロクオンライン国内運営権を取得して受託運営へ転じたのは、自前の事業で先行者に勝てなかった痛手が直接の理由である。前身オンセールは米OnSaleとソフトバンクの合弁で1998年にネットオークションを始めたが、検索流入と無料出品で先行したYahoo!オークションが2年でシェア9割を占め、2002年に撤退した。創業4年で原型事業を失い、他社が作った… 売上高 932億円 25/12 営業利益率 5.4% 25/12 ROE 1.1% 25/12 自己資本比率 72.6% 25/12
- 3769 GMOペイメントゲートウェイ ネット通販が年200億円規模にすぎなかった1995年にEC決済へ的を絞ったのは、加盟店ごとに専用端末を置く対面決済では後発が入る余地が乏しく、Web決済なら接続実績の蓄積で先行できると見たためである。同年3月、相浦一成氏は東京都渋谷区に資本金6,000万円でカード・コール・サービスを設立し、加盟店とイシュアの間でオーソリゼーション処理・売上集計・取引データ伝送を一括で代行する決済代行を専業とした。 売上高 825億円 25/9 営業利益率 38.0% 25/9 ROE 19.9% 25/9 自己資本比率 27.0% 25/9
- 3774 インターネットイニシアティブ 鈴木幸一氏が起業したのは、研究機関どうしの非営利接続しかなかったインターネットを、企業が金を払って使う商材に変えられると見込んだためである。1992年12月、千代田区に資本金1,800万円でインターネットイニシアティブ企画を設立した。「2000年頃には数千万人が利用する」と書いた事業計画書を銀行は相手にしなかったが、1993年7月に商用接続サービスを開始し、1994年2月に特別第二種電気通信事業者… 売上高 3,454億円 26/3 営業利益率 10.1% 26/3 ROE 15.5% 26/3 自己資本比率 45.1% 26/3
- 3778 さくらインターネット 買収と新規事業で売上は積み上がったが利益を伴わず、オンラインゲームのライセンス料や運営費が会員数の伸びに見合わず、本業のホスティングで稼いだ利益を吸い込む構造になっていた。2007年9月中間期にゲーム関連で3億9,100万円の減損損失を計上し、さくらインターネットは債務超過へ転落する。同年11月、業績不振の責任を取って笹田亮社長が辞任し、代表取締役副社長だった創業者の田中邦裕氏が社長に就いた。田中… 売上高 353億円 26/3 営業利益率 -1.1% 26/3 ROE 0.7% 26/3 自己資本比率 36.5% 26/3
- 3861 王子ホールディングス 1873年に渋沢栄一氏が抄紙会社を興したのは、洋紙が輸入頼みで、官庁と新聞という途切れない大口需要が国産品を待っていたからである。渋沢栄一氏は紙という単一品種に経営資源を集めて量産で採算を立てる稼ぎ方を選び、新聞用紙を主力に規模を伸ばした。1933年には富士製紙・樺太工業を合併して国内シェア8割・新聞用紙九割・34工場を握り、戦前の業界盟主となった。この品種集中のDNAが、戦後の苫小牧一極投資まで… 売上高 1.9兆円 26/3 営業利益率 1.9% 26/3 ROE 5.0% 26/3 自己資本比率 41.0% 26/3
- 3862 本州製紙 1996年 上場廃止 三社の分け方が響いた。本州製紙が引き継いだ社有林は1,204町余にとどまり、原木の半分を社外からの買入れに頼る条件で始まっている。そのうえ主力の上質紙は下落率が最も大きく、1953年10月にポンド当たり60円だったものが1954年8月には40円まで落ちた。原価が二割しか下がらないなかで売価が四割下がれば、上質紙に寄せた会社から先に傷む。1954年9月期に三社の較差が表面化し、配当は年2割から1割2… 売上高 — 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 3865 北越コーポレーション 1907年、紙の流通を握っていた紙商が製造で利を厚くできると見たためである。長岡随一の紙商・田村文四郎氏と書籍商・覚張治平氏ら143名が出資し、北越製紙を興した。田村家が長年かけて築いた販路に、信濃川の水力と新潟特産の稲藁という安価な原料を結びつけ、紙を売る側だった商人が川上の板紙製造へと進んだ。原料・販路・水力という製紙の3条件を地元で完結させ、利幅の薄い卸売から固定費の重い製造へ移った。 売上高 2,877億円 26/3 営業利益率 2.6% 26/3 ROE 2.9% 26/3 自己資本比率 59.9% 26/3
- 3867 神崎製紙 1993年 上場廃止 神崎製紙は旧王子製紙の神崎工場を継いだアート紙専業の会社である。1948年の年明けに、追放で隠棲していた元王子製紙社長の藤原銀次郎氏が、同じく追放された元副社長の加藤藤太郎氏に工場の引き受けを勧めた。同年9月20日に資本金1,000万円で設立登記が完了したが、払込資本金は全額が工場の代金に消え、手元に運転資金は残らなかった。原料でも原紙でもなく最終製品のアート紙から先につくったのは、集排法による王… 売上高 — 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 3923 ラクス 2000年の創業時に二本柱を選んだのは、月額課金のSaaSが単独では立ち上がりに時間を要し、先行投資を支える原資が要ったからである。中村崇則氏はNTTを離れ2000年11月に大阪でアイティーブーストを設立し、2001年4月に問い合わせメール共有「メールディーラー」を月額課金で売り出した。同時に2002年5月にはエンジニアを常駐派遣するIT人材事業を始め、人月で稼ぐSESの現金収入でSaaSの育成を… 売上高 603億円 26/3 営業利益率 28.8% 26/3 ROE 51.1% 26/3 自己資本比率 71.2% 26/3
- 3938 LINE 2020年 上場廃止 LINEは、韓国NHN(現NAVER)が2000年に全額出資で設立した日本子会社である。無料ゲームポータル「ハンゲーム」で10年稼いだが、2009年の日本語検索は利用者134万人で伸びず、2013年に撤退した。検索の見込みを断ったうえで、2011年の震災後に写真共有アプリを中止し、6月23日にメッセンジャー「LINE」を出した。1,000万ダウンロードまで6か月で、Facebookの約28か月を下… 売上高 2,275億円 19/12 営業利益率 -17.1% 19/12 ROE — 自己資本比率 —
- 3941 レンゴー 木箱に代わる軽い緩衝材を国内に普及させるには、呼び名すら無い輸送資材へ名称と製造技術を同時に与える必要があったためである。1909年8月、井上貞治郎氏は東京で三成社(当初は三盛舎)を起こし、仲御徒町でボール紙にシワを寄せる技術を自ら研究・開発した緩衝材を「段ボール」と名づけた。1968年刊の概略書によれば、このとき作られたわが国最初の段ボール第一号機はいまも王子の製紙博物館に保存されている。標準語… 売上高 1.0兆円 26/3 営業利益率 3.7% 26/3 ROE 4.3% 26/3 自己資本比率 37.3% 26/3
- 3994 マネーフォワード 他人の資産運用を見せ合う米国流のサービスは、家計の内訳を人に見せることへの抵抗が強い日本では友人などを除き50人も使われず、事業として成り立たなかった。辻庸介氏は初代プロダクトを2〜3か月で閉じ、2012年12月に商号をマネーフォワードへ改めて家計簿サービスへ切り替えている。利用者に代わって銀行やカード会社へログインし残高と明細を自動で集めるアカウントアグリゲーションを自前開発し、この接続技術がの… 売上高 503億円 25/11 営業利益率 -5.3% 25/11 ROE 3.6% 25/11 自己資本比率 34.4% 25/11
- 4004 レゾナックHD 森矗昶は、資源の乏しい日本で唯一豊富な水を電力へ変え、輸入依存だったアルミ・化学肥料を国産へ置き換える事業哲学を持っていた。この発想のもとで沃度から出発した日本沃度(後の日本電気工業)と昭和肥料を別法人として並走させ、1934年に大町工場で日本初のアルミ製錬工業化、1931年に川崎工場で日本初の国産法硫安製造を実現した。電力を基礎に輸入代替を束ねる二社は同じ経営思想で運営されており、1939年6月… 売上高 1.3兆円 25/12 営業利益率 3.5% 25/12 ROE 4.3% 25/12 自己資本比率 31.8% 25/12
- 4005 住友化学 1913年に住友化学が肥料事業を始めたのは、別子銅山の製錬所が出す亜硫酸ガスが周辺の農地を傷め、住友総本店が煙害への対応を迫られたためである。回収したガスを硫酸にし、過燐酸石灰として農家へ売れば、公害処理と新事業を一体で立ち上げられる。輸入特許や輸入原料から始まった他の化学各社と違い、住友化学は自社銅山の副産物を原料に据えた。1925年に資本金300万円の住友肥料製造所として独立した。 売上高 2.3兆円 26/3 営業利益率 6.5% 26/3 ROE 7.8% 26/3 自己資本比率 22.9% 26/3
- 4010 三菱化学 2005年 上場廃止 出発点の石炭化学と肥料が、次の投資を賄う収益源として先に育っていたためである。1934年8月、三菱鉱業と旭硝子が折半出資して日本タール工業を設立し、黒崎工場でコークス副産物の化学を始めた。1953年に東邦化学工業を合併して四日市でカーバイド化学へ、1964年7月に水島で石油化学へ進んでいる。常務取締役の藤井芳郎は1976年の講演で、石炭化学と肥料というすでに収益期にあった二つの事業が、その後の石油… 売上高 1.9兆円 15/3 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 4021 日産化学 1887年に同社が興ったのは、輸入肥料に頼る日本農業を国産で支える殖産興業の課題に応えるためである。高峰譲吉氏・渋沢栄一氏・益田孝氏ら財界人が東京人造肥料会社を設立し、硫酸と過リン酸石灰を国産肥料として農家へ供給した。明治後期に肥料会社が乱立すると、1923年に東京人造肥料・関東酸曹・日本化学肥料の3社合併を自ら主導し、国産肥料の先頭集団に立った。やがて肥料から農業用・工業用の薬剤へ製品を広げ、化… 売上高 2,796億円 26/3 営業利益率 22.7% 26/3 ROE 19.5% 26/3 自己資本比率 71.9% 26/3
- 4042 東ソー 岩瀬徳三郎が独立を選んだのは、レーヨン・スフの量産でソーダ需要が急膨張すると読み、古巣の供給力では満たせない市場を自前で取りに行くと判断したためである。1935年2月、徳山曹達の専務だった岩瀬は「理想的アンモニア法ソーダ工場」を掲げて山口県富田町(現周南市)に東洋曹達工業を設立した。塩・電力・石灰石を大量に消費するクロル・アルカリの立地条件を満たす南陽1拠点に設備を集め、翌1936年5月にアンモニ… 売上高 1.0兆円 26/3 営業利益率 9.4% 26/3 ROE 5.0% 26/3 自己資本比率 59.0% 26/3
- 4043 トクヤマ 1918年に岩井勝次郎が日本曹達工業を徳山町に設けたのは、板ガラスや石鹸の原料でありながら輸入に頼っていたアルカリを国産化するためだった。石灰石・塩・用水・港湾の揃う徳山にアンモニア法ソーダ灰の設備を据えた。ところが海外勢のダンピングで採算が崩れ、1932年頃にソーダ灰から退き、同じ製塩設備を苛性ソーダへ振り向けて人絹向け需要を取り込み持ち直した。1931年には13年ぶりに5分配当を復活させている… 売上高 3,495億円 26/3 営業利益率 10.6% 26/3 ROE 7.8% 26/3 自己資本比率 50.8% 26/3
- 4061 デンカ 第1次大戦で欧州からの石灰窒素輸入が途絶し、輸入肥料に代わる国産肥料の増産が国策上の急務となったためである。三井合名は化学工業への進出先を探しており、苫小牧で藤山常一氏が個人で立ち上げた北海カーバイド工場に石灰石と電源が揃う条件が、輸入途絶の時勢と重なった。1915年5月、牧田環氏ら三井系21人が資金を出し、資本金500万円で電気化学工業を設立した。社名はカーバイド製造が電気による化学反応に基づく… 売上高 3,842億円 26/3 営業利益率 6.8% 26/3 ROE 5.1% 26/3 自己資本比率 45.6% 26/3
- 4062 イビデン 揖斐川電力が発電と需要創出を一体で設計したのは、当時の大垣周辺に電力を使う産業がほとんど無く、発電所を建てるだけでは電気が売れなかったからである。1912年11月、立川勇次郎氏が岐阜県大垣市で揖斐川の水力電源を開発したとき、他地域より安価な電力を武器に大日本紡績ら紡績工場を大垣周辺に誘致し、電力の買い手そのものを呼び込んだ。電力を売るのでなく需要を自ら作るこの発想が、のちに事業を次々と転換するイビ… 売上高 4,162億円 26/3 営業利益率 14.9% 26/3 ROE 11.6% 26/3 自己資本比率 57.3% 26/3
- 4063 信越化学工業 1953年に肥料メーカーが米ゼネラル・エレクトリック社からシリコーン技術を導入したのは、石灰窒素の過当競争で1931年に操業休止へ追い込まれた単一事業の脆さを、隣接素材への多角化で克服するためである。副社長の小坂徳三郎氏は、シリコーンを盆栽に終わらせず大木に育てると宣言した。企業化後5年間は商品と言えない不採算が続いたが、規律ある先行投資として塩ビ・半導体シリコンへと技術を継いだ。 売上高 2.6兆円 26/3 営業利益率 24.7% 26/3 ROE 10.6% 26/3 自己資本比率 78.9% 26/3
- 4088 エア・ウォーター 当時の北海道では鉄工・造船・建築の現場が酸素を本州から取り寄せており、地元供給の空白が事業機会だったからである。1929年9月、空気から取り出した酸素を地元の現場へ届ける地場専業として、北海酸素が札幌市白石区菊水で資本金15万円をもって設立された。戦後は1952年に溶解アセチレン、1955年にLPガスへ商品を広げ、配送と充填所の網を北海道全域に張った。本州の大手が届きにくい遠隔市場で、物流ごと需要… 売上高 1.1兆円 25/3 営業利益率 7.0% 25/3 ROE 9.9% 25/3 自己資本比率 39.8% 25/3
- 4091 日本酸素ホールディングス 酸素を工業的に量産する深冷分離は当時の国内に技術がなく、設備を据えれば溶接・切断用の酸素を求める造船・鉄工業へ継続供給できると見たためである。1910年10月、在日米国人技師の持つ製造技術を取り込み、邦人実業家と日本酸素合資会社を東京で創立、翌1911年5月に大崎へ酸素の製造・充填工場を新設した。顧客プラントに空気分離設備を併設するオンサイト型と、ボンベを広域配送するローカル型で需要を取り込み、一… 売上高 1.4兆円 26/3 営業利益率 14.6% 26/3 ROE 10.6% 26/3 自己資本比率 42.4% 26/3
- 4114 日本触媒 1944年3月、稼働まもない吹田工場のプラントが大爆発を起こし死亡者まで出したが、八谷泰造は撤退ではなく再建を選んだ。先に事故を経験して原料の仕込み量制御や反応器の冷却・安全弁といった工程管理のノウハウを積み上げたためである。1950年代に三井化学・ダイセル・旭化成が無水フタル酸へ参入したが爆発リスクから順に撤退し、1960年頃には日本触媒が国内シェア70%を握った。事故を越えた工程管理の蓄積が残… 売上高 3,999億円 26/3 営業利益率 4.4% 26/3 ROE 4.3% 26/3 自己資本比率 66.7% 26/3
- 4118 カネカ 引き受けたのは繊維を除く全事業で、か性ソーダから搾油、石鹸、洋紙、化粧品まで散らばり、どれも会社の中核になりえなかった。塩素を自前で作るソーダ設備と、戦時中に軍の要請で進めた合成ゴム研究の蓄積が残っていたことが重なり、遊休設備の上に塩化ビニールを組み立てられた。1949年9月1日に鐘淵紡績の企業再建整備計画に基づき資本金2億円で大阪に発足した鐘淵化学工業は、翌1950年7月、日本で初めて塩化ビニー… 売上高 8,116億円 26/3 営業利益率 5.0% 25/3 ROE 5.4% 25/3 自己資本比率 51.3% 25/3
- 4151 協和キリン 1936年7月の設立は、酒造業界のカルテル組織である協和会の発酵技術を軍需へ転用するためであった。日中戦争下で航空機燃料の国産化が急務となり、宝酒造・合同酒精・日本酒類の3社は東京渋谷の幡ヶ谷に協和化学研究所を共同出資で設けた。派遣された宝酒造の加藤辨三郎氏は、糖蜜を発酵させてブタノールを得る技術を燃料へ振り向けた。だが南方からの糖蜜輸送が途絶して量産に届かず、終戦時に残ったのは発酵技術と、その応… 売上高 4,968億円 25/12 営業利益率 17.6% 25/12 ROE 7.5% 25/12 自己資本比率 80.6% 25/12
- 4182 三菱瓦斯化学 異なる二系統の原料を一社に束ねるためである。1971年10月、石油化学のC2-C4を扱う三菱江戸川化学(1944年発足)と、天然ガス由来のC1を扱う日本瓦斯化学工業(1951年設立)が合併して三菱瓦斯化学が発足した。日本瓦斯化学工業は1952年に榎工場でメタノール製造を始め、メタンから合成するC1ケミストリーを蓄えていた。性質の違う二系統の原料を併せ持つ構えは三菱グループの化学事業では珍しく、汎用… 売上高 7,382億円 26/3 営業利益率 6.1% 26/3 ROE -6.2% 26/3 自己資本比率 58.1% 26/3
- 4183 三井化学 単独で世界水準の石油化学に挑む資本力が当時の国内化学各社になく、後発の日本が一気に大型コンビナートを築くには三井系の資金を束ねるほかなかったからである。1955年7月、三井グループ7社と興亜石油の共同出資で三井石油化学工業が設立され、1958年に岩国でエチレン年産2万トンの量産が始まった。1967年の千葉工場のエチレン12万トンも日本石油化学との折半出資で増強し、相手と分け合って汎用石化を担う行動… 売上高 1.7兆円 26/3 営業利益率 4.4% 26/3 ROE 4.6% 26/3 自己資本比率 34.4% 26/3
- 4185 JSR 2024年 上場廃止 汎用の合成ゴムは原料市況や為替に業績が左右され、規模を拡げても安定した収益に結びつきにくい構造的な弱さを抱えていた。1978年から82年の第2次石油危機で1982年3月期の営業利益は前期比65%落ち込み、1985年のプラザ合意による円高はタイヤ向け合成ゴムの販売を直撃した。この限界を前に、合成ゴムで培った高分子の合成・精製技術を応用できるフォトレジストへ活路を求め、1979年4月に半導体材料へ参入… 売上高 4,046億円 24/3 営業利益率 0.9% 24/3 ROE -1.6% 24/3 自己資本比率 45.3% 24/3
- 4186 東京応化工業 東京応化はもともと、炭鉱の採掘照明用安全灯に使うアルカリ電池の電解剤となる精製水酸化カリウム(苛性カリ)の生産を目的に、向井繁正が1936年に興した東京応化研究所を起源とする(1940年10月法人化)。感光材料メーカーとしてではなく苛性カリの専業として出発し、1955年のオーカシール・1964年のTPR開発を経て、1972年に国産初の半導体用ポジ型フォトレジストを実用化した。 売上高 2,370億円 25/12 営業利益率 20.0% 25/12 ROE 14.6% 25/12 自己資本比率 67.9% 25/12
- 4188 三菱ケミカルグループ 2005年10月、合従連衡の進む総合化学で景気変動の大きい汎用化学だけに依存しない収益基盤を求めたためである。三菱化学と三菱ウェルファーマが株式移転で三菱ケミカルホールディングスを設立し、東証・大証に上場した。発足時の売上高は2兆1894億円。シクリカルな汎用化学と研究開発型の医薬という性格の異なる事業を同一資本の下に束ねつつ、事業運営は旧2社のまま分けて残す設計であった。枠組みを先に組み、中身の… 売上高 3.7兆円 26/3 営業利益率 0.8% 26/3 ROE 1.1% 26/3 自己資本比率 18.9% 26/3
- 4194 ビジョナル 自身の転職活動で、30代のプロフェッショナル向け転職サイトが日本に無いと気づいたためである。モルガン・スタンレー証券と楽天イーグルス球団創設を経た南壮一郎氏は、2007年8月に東京都港区で株式会社ビズリーチを設立し、2009年4月にBizReachを開始した。求人を年収1,000万円以上、求職者を年収750万円以上に絞り、企業やヘッドハンターに加え求職者からも課金して登録者の質を担保した。無料が当… 売上高 802億円 25/7 営業利益率 26.7% 25/7 ROE 23.6% 25/7 自己資本比率 70.7% 25/7
- 4202 ダイセル 1919年9月、大日本セルロイドは中小メーカーが乱立し過当競争で消耗していたセルロイド業界の主要8社を合同して生まれた。個々の中小メーカーが海外勢と戦っても規模で届かないため、束ねて生産規模と価格交渉力を確保する業界再編だった。複数社の寄せ集めとして発足したため一つの製品に依存せず、セルロイド・写真フィルムベース等を並行して抱える総合化学加工メーカーとして始まった。1934年に写真フィルム部を富士… 売上高 5,796億円 26/3 営業利益率 7.3% 26/3 ROE 2.9% 26/3 自己資本比率 42.6% 26/3
- 4203 住友ベークライト 住友ベークライトが素材そのものでなく用途で稼ぐ性格をもったのは、引き継いだフェノール樹脂が原料の安い汎用素材で、素材を作るだけでは値崩れに巻き込まれたからである。1932年1月、電気・自動車産業が拡大するなか、三共からフェノール系合成樹脂事業を分離独立させて日本ベークライト株式会社が設立された。レオ・ベークランド氏の特許は当時失効に近く同種樹脂は各社が手がけたため、配電盤・電話機の絶縁材など産業ご… 売上高 3,199億円 26/3 営業利益率 11.1% 26/3 ROE 8.2% 26/3 自己資本比率 71.0% 26/3
- 4204 積水化学工業 原料を持たない加工屋として出発したのは、設立そのものが事業の理想ではなく引揚者救済を目的としたからである。1947年3月、日本窒素肥料の一部従業員が、敗戦で朝鮮半島の工場を失った本体で吸収しきれない余剰人員の受け皿の一つとして積水産業を設けた。資本金は10万円にすぎず、石油化学から多角化する総合化学会社と違い原料を持たなかった。それゆえ樹脂を何の用途に当てるかという用途開発で品種を増やすほかなく、… 売上高 1.3兆円 26/3 営業利益率 8.1% 26/3 ROE 8.8% 26/3 自己資本比率 59.6% 26/3
- 4208 UBE 1897年、明治の殖産興業が地方へ及ぶなか、渡辺祐策ら宇部の地元有志は財閥や外部資本を一切入れず、資本金4.5万円を出し合って沖ノ山炭鉱を匿名組合として起こした。出資者と従業員と地域住民がほぼ重なる村ぐるみの共同経営とした理由は、渡辺が好況期から鉱脈の枯渇を見ていたことにある。炭を掘り尽くせば元の農漁村に戻ると説き、外部資本の論理ではなく地域に利益を残し次の事業を仕込む発想を、出資構造そのものへ組… 売上高 4,623億円 26/3 営業利益率 4.1% 26/3 ROE 5.5% 26/3 自己資本比率 46.2% 26/3
- 4213 三菱樹脂 2007年 上場廃止 原料を自社で持たない加工専業だったことが、かえって早さを生んだ。三菱化成工業が1943年9月に滋賀県長浜市の縮緬工場を買収して開いた長浜工場が操業の始まりで、1946年2月には原料天然ゴムの配給枠を確保するため、同社が全株式を持つ亀戸ゴム工業を長浜へ移して分離独立させ、長浜ゴム工業が発足した。この会社は1948年4月、本邦初の試みとして塩化ビニル樹脂の加工に着手する。塩ビ樹脂の国産量産は日本ゼオン… 売上高 4,537億円 15/3 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 4217 日立化成 2020年 上場廃止 1962年に日立製作所が分離したのは赤字の化学品事業部であり、親会社の庇護だけでは立ち行かないため、日立という大口需要家を足がかりに外部の多様な産業へ材料を売る道を選んだ。絶縁ワニス、積層板、絶縁ガイシ、カーボンブラシという四つの源流製品に加え、独立初期はプラスチック浴槽や家庭用浄化槽など住宅設備機器が収益を支えた。1970年から翌1971年にかけて東京・大阪両証券取引所へ上場し、日立ブランドを享… 売上高 6,314億円 20/3 営業利益率 3.7% 20/3 ROE 4.0% 20/3 自己資本比率 58.8% 20/3
- 4307 野村総合研究所 1965年、野村證券が調査部門を証券本体ではなく別法人として切り出したのは、産業界に知識サービスを売る新事業を、本体の業務規制や利益相反から切り離して育てるためである。日本初の本格的な民間シンクタンクとして産業調査と経済予測を法人向けに提供し、翌1966年には証券業務の電算化を担う野村電子計算センターを別に設けた。紙の知識を売る会社と計算機の時間を売る会社が同じ親会社のもとで並走し、後年「リサーチ… 売上高 8,147億円 26/3 営業利益率 7.2% 26/3 ROE 3.5% 26/3 自己資本比率 44.8% 26/3
- 4324 電通グループ 広告枠の仕入れ先である新聞社に対して価格交渉の主導権を握るためである。1901年7月に光永星郎が東京で日本広告株式会社を起こした4ヶ月後の11月、同じ社屋に電報通信社を併設した。新聞社へ通信記事を売り、その見返りに広告枠を引き受けるという二重の関係を結び、枠を右から左へ流すだけの取次とは違う立場を取った。1907年に両社を合併し資本金を26万円へ増やして通信と広告を1社に束ね、昭和初期には国内新聞… 売上高 1.4兆円 25/12 営業利益率 -20.2% 25/12 ROE -108.6% 25/12 自己資本比率 9.4% 25/12
- 4329 ワークスアプリケーションズ 2011年 上場廃止 1996年に埼玉県与野市で設立されたワークスアプリケーションズは、大企業向けの人事・給与パッケージソフト「COMPANY」を最初の製品に選んだ。有価証券報告書はこの領域を「他社との差別化が不要な非競争領域」と位置づけた。競争の種にならない業務なら企業ごとに作り分ける理由がないのに、日本の大企業は海外製パッケージを買ったうえで大幅に作り替えていた。同社が製品に課した条件は、日本独自の業務と文化を網羅… 売上高 111億円 25/6 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 4385 メルカリ スマートフォンが個人の主デバイスになり始めた2013年に、PC前提のオークション型は出品や入札の手間でCtoC取引を慣れた利用者に閉じ込めていたためである。山田進太郎氏はウノウの設立・売却を経て同年2月に株式会社コウゾウを設立し、即決価格を基本に出品から決済・配送までをスマホ一台で完結させる設計を選んだ。4月には開発中のコードを廃棄してネイティブへ切り替え、7月にメルカリを投入し、個人間取引に加わ… 売上高 1,926億円 25/6 営業利益率 14.5% 25/6 ROE 26.4% 25/6 自己資本比率 33.0% 16/6
- 4401 ADEKA 第一次大戦で輸入が途絶えた苛性ソーダを国内で賄う必要が生じたためである。1917年1月、古河合名会社系の東京電化工業所を改組し、電解法による苛性ソーダの製造を目的として旭電化工業株式会社が資本金100万円で創立された。古河合名会社は古河鉱業・古河電工等を擁する古河財閥の中核で、旭電化はその化学部門を担った。電線用の樹脂や絶縁材料を財閥内へ納める引き取り手が当初から定まっており、電解で得た高純度の化… 売上高 4,166億円 26/3 営業利益率 10.0% 26/3 ROE 8.9% 26/3 自己資本比率 56.0% 26/3
- 4403 日油 日油の前身(旧)日本油脂は、1937年に日産財閥のもとで油脂・石鹸・塗料・火薬を別々の源流から束ねて生まれた多角化学会社であった。一社で複数事業を抱える形が戦後にそのまま引き継がれたのは、財閥解体と企業再建整備法による再編の結果である。1945年に日産化学工業へ改称した母体から、1949年7月に油脂・塗料・火薬・溶接棒の4事業を継承する第二会社として分離独立し、旧名称を踏襲した日本油脂が再設立され… 売上高 2,580億円 26/3 営業利益率 18.4% 26/3 ROE 13.7% 26/3 自己資本比率 74.0% 26/3
- 4443 Sansan 名刺は毎年大量にやり取りされながら、受け取った個人の引き出しに溜まるだけで会社の資産にならない。社内の誰がいつ誰と会ったのかも分からず、営業の接点は属人的に消えていく。Sansanはこの不便を事業にした会社である。寺田親弘氏は三井物産の情報産業部門に籍を置き、米国でベンチャー企業の日本向け事業展開を支援したのち、2007年6月に東京都新宿区市谷田町で三三株式会社を設立した。世界に100億枚あるとい… 売上高 432億円 25/5 営業利益率 6.5% 25/5 ROE 2.7% 25/5 自己資本比率 33.2% 25/5
- 4452 花王 製造より先に流通に立ったことで、舶来の高級品と粗製の国産品に二極化した石鹸市場の空白を、需要側から正確に読めたからである。岐阜中津川の酒造家出身の長瀬富郎氏は、1887年に東京日本橋馬喰町で洋紙と輸入石鹸を扱う小売を開き、仕入れと販売のやりとりから価格と品質評価を先に掴んだ。そのうえで1890年、価格と品質の中間にあたる桐箱入りの「花王石鹸」を自社で製造し、空白の領域へ商品を置いた。需要を読んでか… 売上高 1.7兆円 25/12 営業利益率 9.7% 25/12 ROE 11.6% 25/12 自己資本比率 55.1% 25/12
- 4478 freee 経理の手間は、記帳という作業よりも、日々の業務と帳簿が切れていることから生まれる。事業者は請求も入金も決済も別々に処理し、あとから帳簿へ写す。同じ数字に二度触る作業が残る。佐々木大輔氏はこの順序を逆にした。2012年7月、東京都港区にCFO株式会社(現・フリー株式会社)を資本金100万円で設立し、翌2013年3月、日々の業務をこなすだけで帳簿ができあがる統合型のクラウド会計ソフトfreeeを公開し… 売上高 333億円 25/6 営業利益率 1.8% 25/6 ROE 7.0% 25/6 自己資本比率 37.4% 25/6
- 4501 三共 2005年 上場廃止 高峰譲吉が発見したタカヂアスターゼの試売を委嘱され、その一手販売権を足場にできたためである。1899年、横浜で絹物業を営んでいた塩原又策は西村庄太郎、福井源次郎とはかって資本金3000円の匿名組合を組み、三人共同にちなんで三共商店と名づけた。武田、田辺、塩野義といった大阪道修町の問屋仲間が薬種商から製薬業を兼ねたのに対し、塩原には既存の販路も暖簾もない。1905年に日本橋箱崎町へ製薬工場を開いて自… 売上高 2,431億円 85/3 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 4502 武田薬品工業 1781年6月、初代武田長兵衛氏が大坂道修町で薬種商を開いて以来、武田は当主が「武田長兵衛」を代々襲名する慣行を守った。道修町の薬種商は株仲間として相互の信用で取引したため、個人ではなく屋号に信用を蓄え次代へ渡す必要があったからである。仲買の信用は長い取引でしか育たず、襲名はその時間資本を屋号ごと引き継ぐ仕組みだった。1871年には西洋薬の輸入も始め、環境が変われば業態を捨て川上へ移る癖がここで身… 売上高 4.5兆円 26/3 営業利益率 0.1% 26/3 ROE 1.6% 25/3 自己資本比率 48.7% 25/3
- 4503 アステラス製薬 自社研究だけでは新薬の切れ目を埋められなかったためである。2010年6月に米OSIファーマシューティカルズを約4000億円で買収して前立腺がん治療薬XTANDIを取り込み、2016年3月期に純利益1936億円の最高益を記録した。だが1剤で売上の3割を占める依存が明らかになると、オカタ・ガニメド・オジェダ・オーデンテス・IVERIC bioと買収を重ね、細胞医療・抗体医薬・遺伝子治療・眼科へ広げた。… 売上高 2.1兆円 26/3 営業利益率 17.9% 26/3 ROE 16.0% 26/3 自己資本比率 51.2% 26/3
- 4505 第一製薬 2005年 上場廃止 第一次世界大戦でドイツからの医薬品輸入が途絶え、梅毒治療剤サルバルサンが国内で手に入らなくなったためである。1915年7月に薬学博士の慶松勝左衛門氏がサルバルサンの製造に成功し、その工業化を目的として同年10月1日に匿名組合アーセミン商会が創立された。政府も同年6月に染料医薬品製造奨励法を公布し、条件に適合する会社へ10年間、年8分の配当を保証している。商会は国産駆梅剤「ネオ・ネオアーセミン」を売… 売上高 — 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 4506 住友ファーマ 一社では引き受けきれない製造投資を分担するためである。輸入薬が国産化へ動く明治期の大阪・道修町では、製薬の独立と品質改善のために工場を持つ必要があったが、単独の薬種商では工場新設の負担に耐えられなかった。そこで有力薬業家21名が1897年5月に資本金10万円を出し合って大阪製薬を設立し、翌1898年に大日本製薬合資会社を買収して大日本製薬へ改めた。規模で大手に劣るぶん、外と組んで足りない力を補う体… 売上高 4,533億円 26/3 営業利益率 23.7% 26/3 ROE 36.5% 26/3 自己資本比率 36.4% 26/3
- 4507 塩野義製薬 1878年に大阪・道修町で創業した塩野義三郎は、当初の和漢薬から1886年に洋薬へ取扱品を移し、欧米商社との直取引に転じた。西洋医学の制度化が進む明治期に、医薬の需要が漢方から洋薬へ移ると読んだための転換である。道修町は和漢薬の集散地で卸の本流もそこにあったが、塩野は古い取引網を捨て、洋薬を扱う過程で蓄えた成分分析の知識を1910年の塩野製薬所建設へつなぎ、問屋の販売力に自社製造を積み上げた。 売上高 4,997億円 26/3 営業利益率 33.4% 26/3 ROE 12.2% 26/3 自己資本比率 65.4% 26/3
- 4508 田辺製薬 2007年 上場廃止 田辺製薬は1678年に田邊屋五兵衞が大坂・土佐堀で創業した薬種商を始まりとし、明治中ごろは海外の医薬品を輸入して紹介する商いを営んでいた。転換を起こしたのは自社の計画ではなく、供給の断絶である。1914年に第一次世界大戦が始まると海外薬品の輸入が途絶え、輸入して売る商いが成り立たなくなった。1916年5月に大阪市北区へ本庄工場を建てて各種薬品の国産化に乗り出し、1925年8月には小野田工場でサリチ… 売上高 1,775億円 07/3 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 4511 藤沢薬品工業 2005年 上場廃止 1961年3月期・半期の藤沢薬品工業は、ビタミン剤・ホルモン剤28.7%、神経系薬剤23.6%、抗生物質・化学療法剤23.5%という構成で、特定の薬効に寄りかからない品目分散をとっていた。これを変えたのが1971年8月に発売した抗生物質セファメジンで、発売年度に37億円、1976年度には年商300億円を超えた。1977年3月期の薬効分類別では抗生物質が40.9%を占め、神経系薬剤の25.7%と合わ… 売上高 — 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 4516 日本新薬 京都新薬堂が扱った薬の多くが高価な輸入品で、その筆頭が回虫駆除薬サントニンだったからである。市野瀬潜は輸入特効薬の国産化を見据え、海外の薬を医家や薬種商へ流す商店から自ら薬を創る製薬会社へ向かうため、1919年10月に内貴清兵衛らと法人化して日本新薬とした。帝国大学を擁する学術都市・京都の立地が、輸入卸から研究志向の製薬業へ転じる土壌になった。 売上高 1,708億円 26/3 営業利益率 20.8% 26/3 ROE 10.2% 26/3 自己資本比率 84.1% 26/3
- 4519 中外製薬 単一製品への依存が業績の振れをそのまま会社へ及ぼしたためである。解毒剤グロンサンが売上の柱に育つ一方、1966年3月期には販売不振で無配へ転落し、早期退職者420名の募集に追い込まれた。外部の学術成果を製品化する手法では製品の幅を広げられないと判明し、1960年に新設した総合研究所を足場に、1971年の臨床検査薬参入など自前の研究から次の軸を生む動きを進めた。1970年代半ばに始めたバイオ研究は、… 売上高 1.3兆円 25/12 営業利益率 47.6% 25/12 ROE 21.4% 25/12 自己資本比率 82.1% 25/12
- 4523 エーザイ 内藤豊次氏が本業を抜けてまで研究所を持ったのは、欧米視察で先進国の研究機関の厚みを見て、自前の研究所がなければ国産新薬は作れないと判断したからである。1936年11月、東京田辺製薬の常務取締役新薬部長だった豊次は、田辺商店の経営陣がソロバンを理由に容れない中、東京三河島に合資会社桜ヶ丘研究所を私的人脈で設けた。毎週木曜の晩だけ顔を出す副業として始め、1938年に研究所発のユベラとサンプーンが東京田… 売上高 8,254億円 26/3 営業利益率 5.3% 26/3 ROE 4.4% 26/3 自己資本比率 60.2% 26/3
- 4527 ロート製薬 ロート製薬が創業以来主力二品に絞り込めたのは、外部資本を避け山田家が大株主を占める同族経営が、銘柄を増やさず利益を厚くする独立した判断を許したからである。1899年に山田安民氏が大阪で信天堂山田安民薬房を創業し胃腸薬「胃活」を発売、二代目の山田輝郎氏は品目を絞り良い製品を安く大衆に届ける少品種多量生産を社内に徹底した。胃腸薬と目薬でそれぞれ国内シェア40%を確保し、広告を限られた銘柄に集中させる手… 売上高 3,437億円 26/3 営業利益率 12.0% 26/3 ROE 11.3% 26/3 自己資本比率 62.1% 26/3
- 4528 小野薬品工業 1948年の社名統一と製造販売一本化は、流通商として薬を選び届けてきた小野家が、自ら薬をつくる側へ立つ決定だった。背景には、輸入唐薬を卸す仲買業では戦後の医薬市場で独自の収益源を持てないという制約がある。1947年に製造部門の日本有機化工と硝子資材の日本理化学工業を設立し、1948年に前者を小野薬品工業へ改称、1949年に小野市兵衛商店を吸収合併して製販を単線化した。1968年の中央研究所完成とプ… 売上高 5,158億円 26/3 営業利益率 17.9% 26/3 ROE 8.3% 26/3 自己資本比率 76.3% 26/3
- 4530 久光製薬 配置売薬の里・田代で膏薬を貼って売る商いを重ねた久光にとって、看板の朝日万金膏が抱える黒い膏体が肌に残る難点の解決こそが次の成長の条件だった。この課題を、ゴムを基剤とする白色貼付剤の開発で解いた成果が、1934年発売のサロンパスである。名称は主成分サリチル酸メチルと剤型プラスターから採り、1936年からは後に社長となる中冨正義氏が銭湯で入浴客に貼って回る実物宣伝で全国へ浸透させた。貼り薬で稼ぐとい… 売上高 1,560億円 25/2 営業利益率 12.1% 25/2 ROE 7.9% 25/2 自己資本比率 80.7% 25/2
- 4536 参天製薬 大衆薬はブランドと価格の競争に晒され、規模で劣る売薬商が全国大手と正面から張り合うのは難しい。医師が処方する眼科という狭くとも専門性で参入障壁が高い領域に絞れば、規模の不利を専門性で覆せると見込めた。1958年6月、医療用医薬品の発売を機に商号を参天製薬へ改め、1962年にはロシュ社から散瞳薬ミドリンPの国内販売権を得て眼科医療の現場に食い込んだ。処方薬と大衆薬の両輪で目の分野に資源を集めるこの路… 売上高 2,916億円 26/3 営業利益率 16.4% 26/3 ROE 12.5% 26/3 自己資本比率 70.4% 26/3
- 4540 ツムラ 良い製品なら時代を超えて支持され、もうけ主義に走れば長続きしないという創業者以来の信念が、目先の増収より漢方研究への投資を優先させた。2代目津村重舎氏は高度成長期にヒットしたバスクリンの利益を、1924年開設の津村研究所とその拡大に投じ続けた。「研究所は社長の道楽」という社内の反対は相当だったと本人が振り返るが、この収益構造が、漢方薬を売上の8割以上を占める柱に育てる土壌となった。 売上高 1,926億円 26/3 営業利益率 22.2% 25/3 ROE 10.8% 25/3 自己資本比率 64.7% 25/3
- 4543 テルモ 第一次世界大戦でドイツからの体温計輸入が途絶え、医療現場が国産品を求めたためである。1921年9月、北里柴三郎ら医学者の後ろ盾を得て東京市下谷区に赤線検温器株式会社が設立され、翌1922年2月に体温計を発売した。医学者の信用と輸入代替の外需に支えられ製品は医療現場へ広がったが、自前で新製品を生む技術は薄く、戦中戦後の統制下では検温器を作るほかなかった。単一製品の量産に頼る体質が創業から40年以上残… 売上高 1.1兆円 26/3 営業利益率 15.6% 26/3 ROE 8.6% 26/3 自己資本比率 68.5% 26/3
- 4568 第一三共 2006年に米国でメバロチンの特許切れを控え、単独では新薬の開発費も世界の販売網も抱えきれないとの危機感があった。そこで2005年9月、三共と第一製薬は株式移転で共同持株会社「第一三共」を設立し、2007年4月に両社を吸収合併した。初代社長の庄田隆氏は、旧三共の高血圧薬オルメサルタンを欧米で自前販売する構想を統合の表看板に掲げた。だが同じ合併で、旧三共の抗体研究と旧第一製薬の薬物DX-8951とい… 売上高 2.1兆円 26/3 営業利益率 10.8% 26/3 ROE 15.6% 26/3 自己資本比率 41.5% 26/3
- 4578 大塚HD 大塚武三郎が1921年9月に鳴門を選んだのは、製塩で生じる苦汁を原料に使えたからである。鳴門は製塩業の中心地で、塩から化学品を取り出す技術が土地に根付いていた。武三郎はその苦汁を原料に塩化マグネシウムや病院向けの輸液を作る大塚製薬工場を興した。輸液は大量の水と塩、厳格な品質管理を要する基幹医療品であり、水・塩・電解質を扱う化学プラント型の工場運営がここで鍛えられ、のちに医薬と消費財を同じ製造技術で… 売上高 2.5兆円 25/12 営業利益率 19.4% 25/12 ROE 12.2% 25/12 自己資本比率 70.7% 25/12
- 4587 ペプチドリーム 研究と経営を同じ人間が兼ねると、発明者が事業判断に縛られて技術が偏ると窪田規一氏が考えたためである。2006年7月、東京大学先端科学技術研究センター教授の菅裕明氏が技術を、日産自動車・JGSを経た窪田氏が事業を担う分業で創業した。菅氏はフレキシザイムの開発と学術発信に専念し、窪田氏は最初の標的探索と臨床試験を製薬会社に任せ、候補化合物の創出と最適化だけに事業を絞った。自社で薬を売らず基盤を貸して稼… 売上高 185億円 25/12 営業利益率 -27.1% 25/12 ROE -7.3% 25/12 自己資本比率 66.9% 25/12
- 4612 日本ペイント 1881年に開成学校で化学を学んだ茂木重次郎がワグネルから技術を習得して国産洋式ペイント第一号を世に出したのは、外国依存からの脱却をめざす殖産興業期の国産化事業だったからである。だが製品を納めた相手は海軍ほぼ一社で、塗料の民需が建築用途へ広がるのは大正期を待った。技術が先行し需要が薄いまま、自前の販路を持たず技術と資本だけで市場に関わる経営が創業時から続いた。 売上高 1.8兆円 25/12 営業利益率 14.5% 25/12 ROE 10.1% 25/12 自己資本比率 44.4% 25/12
- 4613 関西ペイント 1917年に塗料を起こした玉水弘氏が翌1918年に岩井商店(現・双日)の出資を受け入れたのは、技術だけでは量で売り切る塗料事業を全国へ広げられなかったためである。日本ペイント・東亜ペイントなど先行メーカーが市場を握るなか、岩井勝次郎の総合商社が資本と西日本・アジア向けの流通網を提供した。岩井商店常務の安野譲氏が社長を兼ね、玉水氏は専務兼技師長として技術を受け持つ二頭体制をとり、商社の信用と販路を内… 売上高 5,898億円 26/3 営業利益率 8.4% 26/3 ROE 10.5% 26/3 自己資本比率 37.4% 26/3
- 4626 太陽ホールディングス 1953年に印刷用インキで出発した太陽インキ製造が電子材料へ移れたのは、樹脂・顔料・分散という基盤技術が印刷用途に閉じず別の素材へ転用できたためである。1970年にプリント基板用部材の販売を始め、1973年にエポキシ樹脂系熱硬化型、1984年に微細パターンを描ける現像型のソルダーレジストインキを開発し、1993年の基本特許成立で世界シェア首位の根拠を固めた。半田の保護膜という用途に技術を振り向けた… 売上高 1,379億円 26/3 営業利益率 23.6% 26/3 ROE 20.7% 26/3 自己資本比率 57.3% 26/3
- 4631 DIC インキの発色と原価を決めるのは顔料であり、それを輸入に頼るかぎり、製品の性能も価格も他社の技術に握られる。自給できれば色を自分で設計できる。1908年2月、川村喜十郎氏が東京・本所にインキロール三台を据えて川村インキ製造所を創業し、1925年に国内で有機顔料の自社生産に成功した。以後の多角化は、顔料と、顔料を分散させる樹脂という二つの技術から派生している。社名からインキの三文字が消えてDICとなっ… 売上高 1.1兆円 25/12 営業利益率 5.0% 25/12 ROE 6.9% 25/12 自己資本比率 37.0% 25/12
- 4661 オリエンタルランド 京成電鉄社長の川崎千春氏が描いたのは私鉄の沿線開発であり、東京近郊にまとまった用地を先に確保しなければディズニー誘致は成り立たないと見たためである。1960年7月、京成電鉄36%・三井不動産32%・朝日土地興業32%の出資で設立したオリエンタルランドは、上野の京成本社5階に机3つ・役職員3人という規模で、専務の高橋政知氏が漁業補償交渉に4年、埋立に11年をかけ、1975年に約84万坪を造成した。集… 売上高 7,045億円 26/3 営業利益率 23.9% 26/3 ROE 11.1% 26/3 自己資本比率 67.5% 26/3
- 4666 パーク24 1971年8月に脱サラで興した株式会社ニシカワ商会は駐禁看板を売っていたが、看板はコンクリート土台を伴う重量物で運送費がかさみ、数を売っても利益が伸びなかった。そこで西川清氏は日本信号の無人ロック機器パークロックの販売権を取り、無料ゆえ不法駐車で埋まる病院に目をつけ、聖路加国際病院から、不法駐車の解消と駐車場収入を同時に渡す形で主要病院へ広げた。設立3年目に年商1.3億円を確保し、物を売る商いから… 売上高 4,062億円 25/10 営業利益率 9.2% 25/10 ROE 16.2% 25/10 自己資本比率 27.7% 25/10
- 4676 フジ・メディア・ホールディングス 売上高 5,519億円 26/3 営業利益率 -1.6% 26/3 ROE 1.2% 26/3 自己資本比率 37.3% 26/3
- 4680 ラウンドワン 1980年に杉野公彦氏が選んだのは、一つの遊びではなく複数の遊びを一拠点に集める形だった。天候や年齢に左右されにくく滞在時間と回転がそのまま売上に積み上がるためである。同年に大阪府泉大津市でローラースケート場にゲームコーナーを併設して開き、1982年7月には同じ泉大津店にボウリング16レーンを足した。1990年12月の堺市・石津店で屋内型・複数業態併設・大規模という業態の基本形を固め、家族や友人を… 売上高 1,895億円 26/3 営業利益率 15.2% 26/3 ROE 20.1% 26/3 自己資本比率 26.7% 26/3
- 4681 リゾートトラスト 観光需要の波に揺れる通常のホテル業を避けるためである。1973年4月に宝塚エンタープライズを創業した伊藤與朗氏は、不動産業の出自から土地取得費と建設費の重さを知っており、1974年12月開業の第1号「サンメンバーズひるがの」で利用権を買う会員からの前受金により初期投資を先に回収する仕組みを組んだ。固定客が投資を肩代わりするため、収益は観光需要に左右されず先に確定する。創業期からこの会員制モデルに賭… 売上高 2,630億円 26/3 営業利益率 11.1% 26/3 ROE 13.0% 26/3 自己資本比率 30.5% 26/3
- 4684 オービック 1968年4月、野田順弘氏が大阪市西区で株式会社大阪ビジネスを設立したのは、新品を仕入れる代理店ではなく、中古会計機を関西の地場零細企業へ売り歩く流通業から商機を取りに行ったためである。野田氏は近鉄百貨店での事務機器販売、海外事務機器メーカーの営業を経て独立した。同年に結んだオリックスとのリース提携が、新品には手が届かない企業の初期投資を月額のリース料へ均し、それまで導入をあきらめていた中小企業層… 売上高 1,352億円 26/3 営業利益率 65.7% 26/3 ROE 14.6% 26/3 自己資本比率 83.4% 26/3
- 4686 ジャストシステム 英語圏の大手が手を伸ばしにくい日本語入力という難題を、地方の小資本でも開拓できる余地と読んだためである。浮川和宣・初子夫妻は1979年7月に徳島市でジャストシステムを創業し、人材も資本も東京に集まるなか、英文ワープロにはない日本固有の課題に経営資源を絞った。1982年10月の日本語処理システムKTIS(後のATOK)、1985年8月発売の日本語ワープロ一太郎が官公庁・教育機関の事実上の標準として採… 売上高 515億円 26/3 営業利益率 43.7% 26/3 ROE 12.7% 26/3 自己資本比率 87.0% 26/3
- 4689 LINEヤフー 商用インターネットの黎明期に、米Yahooのブランドと検索の信用を借りれば事業を一気に立ち上げられたためである。1996年1月、ソフトバンク60%・米Yahoo40%でヤフー株式会社を設立し、同年4月にYahoo! JAPANを開始した。「Yahoo!」商標は米国から独占使用権を得て継続的にロイヤルティを払う一方、資本の過半と日常の経営はソフトバンク側が握った。ブランドは借り、運営は自前という設計… 売上高 2.0兆円 26/3 営業利益率 16.8% 26/3 ROE 8.5% 26/3 自己資本比率 20.4% 26/3
- 4704 トレンドマイクロ 台湾と米国で生まれた技術を、東京の連結決算と資本政策の下に置くためである。1992年に親会社が台湾Trend Micro Incorporatedへ移った後、1996年10〜11月に台湾本社の株主から台湾・米国・韓国・ドイツ・イタリアの関係会社全株式を取得し、日本法人をグループ持株会社に据えた。研究開発は台湾、販売は各国の現地法人、上場と資本政策は東京と分け、日本の資本市場で調達した資金を各国へ回… 売上高 2,760億円 25/12 営業利益率 20.9% 25/12 ROE 27.1% 25/12 自己資本比率 30.2% 25/12
- 4716 日本オラクル 米Oracleが日本に開発機能を置かなかったのは、本社のリレーショナルデータベース製品をそのまま国内へ供給する販売窓口を求めたからである。1985年10月、米Oracle Corporationが全額出資し、東京都新宿区に資本金1,000千円で日本オラクルを設立した。日本IBM・富士通・NECが基幹データベースで競う市場へ、リレーショナルデータベースの優位を頼りに参入し、1990年10月から本格的… 売上高 2,635億円 25/5 営業利益率 33.0% 25/5 ROE — 自己資本比率 51.7% 25/5
- 4722 フューチャー 当時の日本のSI業界では、メーカー系列の下請けが業務要件を考える人とプログラムを書く人を分断し、IT投資が経営の成果に結びつきにくかった。金丸恭文氏はこの分断こそが障害だと捉え、業務改革とシステム実装を同じチームが一気通貫で担う独立系を選んだ。1989年11月、神戸大学工学部を卒業しTKC・ロジック・システムズ・インターナショナルで実務を積んだ35歳の金丸氏が、鹿児島県鹿児島市にフューチャーシステ… 売上高 760億円 25/12 営業利益率 21.3% 25/12 ROE 18.7% 25/12 自己資本比率 64.4% 25/12
- 4723 グッドウィル・グループ 2009年 上場廃止 グッドウィル・グループは1995年2月に軽作業の請負業として設立された。創業者の折口雅博は1997年3月にコムスンへ資本参加し、1999年7月に子会社化した。参入の根拠は市場規模の試算だった。1999年7月の講演で折口は、通商産業省の試算を引いて人材ビジネス・アウトソーシング・医療福祉の3領域が2010年に128兆円へ達し、うち医療福祉が91兆円で最大でありながら1兆円企業が1社もないと述べている… 売上高 3,126億円 09/6 営業利益率 0.6% 09/6 ROE 80.6% 09/6 自己資本比率 -18.6% 09/6
- 4732 ユー・エス・エス 1980年10月、中古車市場は粗悪品が混在し、相場・決済・引き渡しの基準が業者間で揃わず、ディーラー同士の個別取引には取引リスクが乗っていた。そこで服部太氏ら愛知の中古車業者は、売り手と買い手を一会場へ集めて競り、価格決定から決済・名義変更・引き渡しまでを会場が引き受ける愛知自動車総合サービスを設立した。信用基準の揃わない同業者間でも、第三者の会場が相場と決済を保証して初めて売買が成立する仕組みを… 売上高 1,139億円 26/3 営業利益率 52.6% 26/3 ROE 19.9% 26/3 自己資本比率 76.8% 26/3
- 4751 サイバーエージェント 1998年3月に24歳の藤田晋氏が自社プロダクトを持たず始めたのは、開発力ではなく売る力で稼ぐ分業が最も早く利益を生むと判断したからである。設立直後はWebMoneyの営業代行で対価を得て、同年7月にクリック保証型広告へ転換した後も、システム開発はオン・ザ・エッヂへ外注し、自社は営業と顧客折衝に資源を寄せた。商品を持たず販売網で稼ぐ設計が、創業期の売上拡大を支えた。 売上高 8,740億円 25/9 営業利益率 8.2% 25/9 ROE 17.2% 25/9 自己資本比率 33.0% 25/9
- 4753 ライブドア 2006年 上場廃止 受託制作の会社には自社の製品も課金する会員も無く、世に知られる手段を持たなかった。2002年11月、経営に行き詰まった無料プロバイダー株式会社ライブドアから営業の全部を譲り受けたとき、手に入ったのは会員100万人規模の接続サービスと、日本最大の無料接続業者として知られた名前であった。2003年4月にエッジ株式会社へ、2004年2月に株式会社ライブドアへと二度社名を変え、買った名を看板に据えた。集客… 売上高 268億円 10/3 営業利益率 — ROE -19.1% 10/3 自己資本比率 49.6% 10/3
- 4755 楽天グループ 1997年、日本興業銀行出身の三木谷浩史氏が在庫も物流も持たない場所貸しを選んだのは、企業価値はROEで決まるとの考えから、資産を抱えずに高い資本効率で稼ぐ事業を望んだためである。同年5月、百貨店系モールが月100万円単位の出店料を取る市場へ、月額5万円の固定料金で楽天市場を開いた。納める相手は大手小売ではなくネットに不慣れな個人商店主であり、編集ツールRMSで出店の敷居を下げた。三木谷氏は「在庫… 売上高 2.5兆円 25/12 営業利益率 0.6% 25/12 ROE -28.2% 25/12 自己資本比率 2.2% 25/12
- 4768 大塚商会 資金力のある大企業は競合の商社が押さえており、後発で資本も乏しい大塚商会が割って入る余地は乏しかったためである。大塚實氏は理研光学工業(現リコー)で創業社長・市村清氏への退陣要求運動を主導して敗れ退社した後、設立した理研紙工業、続いて資金を投じたルミナ閃光電球も相次いで倒産し、複写機用品販売会社・山本商会勤務を経て、1961年7月、退職金と生命保険の解約分など30万円ほどを元手に38歳で創業した。… 売上高 1.3兆円 25/12 営業利益率 6.8% 25/12 ROE 16.3% 25/12 自己資本比率 54.1% 25/12
- 4812 電通総研 自前の技術ではなく、電通の広告主企業が抱える情報処理需要を外販事業として取り込むため、米国ゼネラル・エレクトリックの汎用ホストによるタイムシェアリングを日本に取り次ぐ輸入代理の形で発足した。1975年12月、電通とGEがほぼ折半の合弁で東京都中央区に電通国際情報サービス(ISID)を設立し、顧客も収益も電通グループとその広告主に寄りかかって開業した。海外拠点も日本企業の海外システム支援を担う電通系… 売上高 1,649億円 25/12 営業利益率 13.9% 25/12 ROE 16.3% 25/12 自己資本比率 60.7% 25/12
- 4816 東映アニメーション 1956年7月に邦画大手の東映が日動映画を買収したのは、ディズニーに対抗する長編劇場アニメを自社系列で量産する製作部門が欲しかったからである。東映の大川博社長は、買収した東映動画を日本初の本格アニメ専属スタジオに据え、配給は親会社の東映が握り、東映動画は製作を請け負って対価を受け取る受託スタジオとした。1958年10月に長編「白蛇伝」を完成させたが、稼ぎの源泉は発注元の親会社にあった。 売上高 937億円 26/3 営業利益率 33.1% 26/3 ROE 14.7% 26/3 自己資本比率 84.6% 26/3
- 4901 富士フイルム 1934年1月、写真フィルムを米コダックや独アグファからの輸入に頼り国防上の弱みとされたため、国産化を国策として担う形で大日本セルロイドから富士写真フイルムが分離設立された。輸入停止の国策と資本金の4割に及ぶ助成金が需要と資金を保証したが、銀塩フィルムは乳剤の化学制御と精密塗布を要し、1936年には量産に失敗して累積36万円の赤字を出した。それでも国内市場に守られる間に、乳剤の化学と精密製造という… 売上高 3.4兆円 26/3 営業利益率 10.9% 26/3 ROE 7.2% 26/3 自己資本比率 63.4% 26/3
- 4902 コニカミノルタ 統合後に誰が何を決めるかを、統合の前に固めるためである。コニカは2003年4月に全事業・機能を4事業会社・2共通機能会社へ分社して純粋持株会社制へ移り、同年6月には委員会等設置会社へ移行して監査・指名・報酬の3委員会を置き、いずれも社外取締役が過半数を占め委員長も務める形にした。ミノルタを株式交換で迎えたのは、この枠組みが動き出した後の2003年8月である。統合後の取締役会は旧コニカ・旧ミノルタ・… 売上高 1.1兆円 26/3 営業利益率 4.6% 26/3 ROE 5.8% 26/3 自己資本比率 42.4% 26/3
- 4911 資生堂 医薬品の調剤で品質を保証する立場を取ったことが、化粧品参入時の差別化の素地になったためである。1872年9月、薬剤師免許第一号の福原有信氏は商業の中心である銀座に資生堂薬局を開き、医師の処方に基づく調剤を主業として医師の信頼を得た。1897年1月には化粧水「オイデルミン」を発売し、医薬品で培った成分管理の知見を製品設計へ移して輸入品と競った。薬局からメーカーへ主業が移る出発点に、銀座という立地と医… 売上高 9,700億円 25/12 営業利益率 -3.0% 25/12 ROE -7.0% 25/12 自己資本比率 45.8% 25/12
- 4912 ライオン 1896年7月に売り出した粉ハミガキを「獅子印ライオン歯磨」と名づけたのは、当時の鹿印・象印など獣の名を商品名に冠する流行に乗りつつ、歯牙が強く純白の獅子が歯磨の印象に合うと見たためである。初代小林富次郎が東京・神田柳原河岸で1891年に開いた商店は石鹸・燐寸の原料商から出発したが、この一商品の評判が社名・ブランドへ広がり、「強くて頼もしいライオン」の名が日用品全体を束ねる看板となった。 売上高 4,221億円 25/12 営業利益率 8.6% 25/12 ROE 9.3% 25/12 自己資本比率 56.2% 25/12
- 4922 コーセーホールディングス 小売店から先に協約金を受け取ってから商品を配給する協約販売制度をつくり、運転資金を売り手の側から集めたためである。創業者の小林孝三郎氏は全国の小売店に声をかけて回り、わずかな商品でも荷づくりして運賃を負担し、物資のない地方の小売店へ1軒ずつ送った。敗戦の焦土で国民が生活不安に怯えていた時期に、小林氏は化粧品が人々の心を明るくし、復興の一助を担うと考えて創業している。この積み重ねが取引先の信頼を生み… 売上高 3,302億円 25/12 営業利益率 5.6% 25/12 ROE 5.3% 25/12 自己資本比率 72.2% 25/12
- 4927 ポーラ・オルビスホールディングス 1929年の化粧品は店頭に並べて客を待つ対面販売が主流で、その売り方では誰の肌に何を売ったかを把握できなかった。鈴木忍氏はこの点を不利と見て、静岡市で個人事業を興した際に販売員が顧客の自宅を訪ね、肌質や年齢を見て製品を選んで届ける訪問販売を流通の中心に据えた。店頭に並べて待つのではなく、顧客台帳そのものを資産として積み上げるこの方式が、のちのポーラの収益を支える原型になった。 売上高 1,703億円 25/12 営業利益率 9.2% 25/12 ROE 5.8% 25/12 自己資本比率 82.4% 25/12
- 4967 小林製薬 塗る消炎鎮痛薬や水回りの芳香洗浄剤は、内服薬や貼付薬が主流の家庭薬市場で各社が見落としていた生活者の細かな不便だったからである。1967年3月にアンメルツ、1969年6月にブルーレットを投入し、効能と用途を製品名で言い切る売り方を確立した。市場規模の大きいカテゴリで体力勝負を挑むのではなく、不便を一つずつ製品化してニッチを積み重ねる手法を、創業家3代目以降の小林家経営陣が継承した。 売上高 1,657億円 25/12 営業利益率 9.0% 25/12 ROE 1.7% 25/12 自己資本比率 76.6% 25/12
- 4980 デクセリアルズ 世界市場へ出ようとするソニーが、基礎部材を輸入に頼ったままでは量産と品質を両立できなかったためである。1962年3月、東京都品川区に「ソニーケミカル」を設立し、プリント基板用の接着剤付き銅箔をソニーのラジオやテレビ向けに納めて事業が立った。最初の客は親会社で、部材を自前で作り込むことが親の世界進出を支える条件だった。親が先端デバイスを売ったぶん子会社の素材技術も育ち、1977年に量産化した異方性導… 売上高 1,138億円 26/3 営業利益率 33.5% 26/3 ROE 25.6% 26/3 自己資本比率 66.2% 26/3
- 5001 新日本石油 2010年 上場廃止 新潟で石油が採れることは古くから知られ、明治の初めには個人経営の手掘りが各地に広がっていた。問題は深さだった。手掘りで届く浅い油層は尽き、機械掘りに移らなければ産出量は増えない。鑿井機械は米国から輸入するほかなく、個人の元手では届かなかった。内藤久寛氏と山口権三郎氏らが1888年5月に新潟県刈羽郡石地で有限責任日本石油会社を創立したのは、この資本を集めるためであろう。同社は綱索式鑿井機械を輸入し、… 売上高 7.4兆円 09/3 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 5004 三菱石油 1999年 上場廃止 石油精製は設備と技術を外から持ち込まねば始められず、資本を折半すれば技術も原油も入り続ける。三菱商事は1924年に米アソシエイテッド石油会社製品の一手販売権を得たが、原油を輸入して国内で精製するほうが有利だと見た。ただし国内の精製技術は幼稚で、設備と技術ごと入れる必要があった。1929年、三菱本社・三菱鉱業・三菱商事の3社は同社との間で、出資でも経営支配でも完全に平等とする基本契約を結び、1931… 売上高 — 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 5012 東燃ゼネラル石油 2017年 上場廃止 敗戦後の日本の製油所は賠償指定とスクラップ化の対象に挙げられ、1946年9月からは操業そのものが止められていた。原油も船も装置を直す技術も、当時の日本には自前で調達する手立てが無かった。1949年2月に結んだスタンダード・ヴァキューム社との基本契約は、株式51%の譲渡と引き換えに原油の確保・製品の販売・技術の援助を得るものであった。同じ年、日本石油はカルテックスと、三菱石油はタイドウォーターと提携… 売上高 2.1兆円 16/12 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 5014 ジャパンエナジー 2002年 上場廃止 久原鉱業は1905年に久原房之助氏が赤沢銅山を買って始めた銅山会社である。地下資源を掘る技術は鉱山でも油田でも変わらないという理屈から、日本鉱業は1933年9月に秋田県の雄物川油田で出油に成功し、1939年に船川の製油工場を買収して採油から精製までを自社に揃えた。1942年に石油鉱業部門を帝国石油へ譲渡して採油は抜けたが、1961年6月の水島製油所で精製から入り直す。1955年3月期の総売上高11… 売上高 3.2兆円 10/3 営業利益率 1.4% 10/3 ROE — 自己資本比率 —
- 5019 出光興産 国際メジャーを通さず原油を自前で調達できれば、産地と末端を運賃と税の差だけで結べると出光佐三氏が見たためである。1953年5月、英国とイランの石油国有化紛争のさなか、出光は自社タンカー日章丸二世をイランへ派遣し、メジャーの圧力を押し切って原油を直接輸入した。出光佐三氏は「石油は世界的商品だから常にその水準相場がある。これに差をつけるのは、運賃と税金だ」と記し、世界市場と直結する合理性を主張した。事… 売上高 8.1兆円 26/3 営業利益率 2.6% 26/3 ROE 9.0% 26/3 自己資本比率 36.0% 26/3
- 5020 ENEOS HD 2010年4月、新日本石油と新日鉱ホールディングスが株式移転でJXホールディングス(現ENEOSホールディングス)を設立し、両社は完全子会社となった。リーマンショック直後の原油価格急落が重なるなか、成熟した石油精製販売だけでは価格変動を吸収できず、伸びる上流開発と非鉄金属へ資金を振り向ける必要があると両社の経営陣が判断したためである。初代社長には旧新日鉱ホールディングス社長の高萩光紀氏が就き、石油… 売上高 11.8兆円 26/3 営業利益率 4.0% 26/3 ROE 8.7% 26/3 自己資本比率 32.8% 26/3
- 5021 コスモエネルギーホールディングス 1939年に大協石油が生まれたのは、戦時下の石油統制で国が新潟県下の中小精油業者8社を束ね、精製能力を確保しようとしたからである。本社を東京、主力工場を1943年完成の四日市製油所に置き、1949年8月に一般石油製品元売業の登録を受けて、原油の精製から製品の販売までを一貫して担う元売資格を得た。地方の寄せ集めという出自ながら、戦後復興で需要が伸びる首都圏向け供給を握る独立系元売として再出発した。 売上高 2.7兆円 26/3 営業利益率 5.4% 26/3 ROE 12.2% 26/3 自己資本比率 27.6% 26/3
- 5032 ANYCOLOR 守るべき顧客も設備も無い学生創業ゆえに、事業を入れ替える身軽さを最初から持てると見たためである。田角陸氏は早稲田大学在学中の2017年5月、東京都新宿区に「いちから株式会社」を資本金100万円・社員1名で設立した。在学前にガイアックスでマーケティングのインターンを経験し起業に向かった経緯で、初代事業はVR元年と呼ばれた当時のVR・MRアプリ開発だった。抱えるのは社員1名と100万円だけで、本店も創… 売上高 429億円 25/4 営業利益率 38.0% 25/4 ROE — 自己資本比率 75.4% 25/4
- 5076 インフロニア・ホールディングス 1919年、前田又兵衞氏が東京で前田事務所を発足させたのは、第一次大戦後の工業化で逼迫した電力を水力発電で補う電源開発が、山間部のダム・水路という変動の大きい土木需要を生んでいたからである。前田事務所は大手の飛島組傘下で高瀬川発電所工事などを請け、発電所建設の山岳土木に実績を重ねた。福井の一土木業者として出発した同社は、電力会社の発注に施工力で応える専業集団となり、この出自が以後1世紀の受注構造を… 売上高 1.1兆円 26/3 営業利益率 6.7% 26/3 ROE 13.3% 26/3 自己資本比率 28.5% 26/3
- 5101 横浜ゴム 横浜ゴムは、輸入に頼っていた高級ゴム製品を国産で置き換えるために生まれた会社である。電線被膜用ゴムを手掛けた横浜電線製造(現古河電気工業)の中川末吉氏は、ベルト・ホース・タイヤといった工業用ゴムの需要が急増しながら大半を輸入に依存する状況に商機を見出し、東洋での生産拠点を求めていた米B.F.グッドリッチと利害を一致させた。1917年10月、両社は折半出資・資本金250万円で横濱護謨製造を設立し、技… 売上高 1.2兆円 25/12 営業利益率 12.4% 25/12 ROE 10.3% 25/12 自己資本比率 51.1% 25/12
- 5105 TOYOTIRE 繊維商社・東洋紡績の系列ゴム会社として、ベルト・ホース・履物を束ねる総合メーカーで出発したため、タイヤは当初事業の一部に過ぎなかった。乗用車保有が約11万台と現在の100分の1にも満たない1953年7月、兵庫県伊丹市に伊丹工場を開いてタイヤの本格生産に踏み切ったのは、来たる自動車普及を見越した先行投資である。創業者経営陣はゴム加工技術を核に、自動車産業の勃興に合わせてタイヤを主力へ育てる布石を打っ… 売上高 5,949億円 25/12 営業利益率 16.4% 25/12 ROE 12.2% 25/12 自己資本比率 69.4% 25/12
- 5108 ブリヂストン 石橋正二郎氏が日本足袋で蓄えた加硫技術を持っていたため、外国製が独占する自動車タイヤへ国産で挑めると判断したからである。1931年3月、福岡県久留米市に石橋家100%出資のブリッヂストンタイヤを設立し、外国製が1本100円台のところを50円で売った。初期不良が3年続いたが原料配合と加硫工程を見直し、1932年に優良国産品の認定を受けて日本フォード社などへの納入が始まり、国産タイヤとして成立した。 売上高 4.4兆円 25/12 営業利益率 8.6% 25/12 ROE 9.1% 25/12 自己資本比率 62.7% 25/12
- 5201 AGC 輸入に頼っていた窓ガラスを国産化し、価格競争に耐える供給を自前で握るためである。1907年9月、三菱財閥の支援を受けた岩崎俊弥が資本金100万円で兵庫県尼崎に旭硝子を設立し、1909年にベルギー式手吹法で日本初の板ガラス工業生産を実現した。さらに1916年から耐火煉瓦、1917年からソーダ灰を内製し、原料から製品までを自社で賄った。この副資材内製の自前主義が、後年のセラミックス・化学品へ枝分かれす… 売上高 2.1兆円 25/12 営業利益率 6.2% 25/12 ROE 5.6% 25/12 自己資本比率 42.0% 25/12
- 5202 日本板硝子 当時の国内では板ガラスの工業化が明治期を通じて失敗を重ねており、機械製法を持てるかどうかが事業の成否を分けていた。しかしリビー・オーエンス社が求めた特許権料400万円は、創立資本金300万円で半額払込という新会社が現金で払える額ではない。そこで特許を現物出資として受け取り、対価に新会社株式2万株と10万ドルを渡す形をとった。社名を日米板硝子としたのも、この関係を対外的に示すためであった。 売上高 8,795億円 26/3 営業利益率 3.3% 26/3 ROE 3.8% 26/3 自己資本比率 10.5% 26/3
- 5214 日本電気硝子 1949年の独立後、日本電気硝子が建築・自動車・瓶ガラスの大市場ではなく、競合の少ない特殊ガラスの隙間市場を選んだのは、もとが大手電機NECの一部門でありながら、独立時の従業員90名という中小の規模で外販を前提とする経営に転じたためである。大手が居並ぶ大市場では戦えず、技術難度が高く参入者の少ない領域に活路を求めた。1951年に管ガラスの自動管引で蛍光灯用ガラスを量産化し、1962年には手吹きが主… 売上高 3,114億円 25/12 営業利益率 11.0% 25/12 ROE 6.0% 25/12 自己資本比率 70.2% 25/12
- 5231 日本セメント 1998年 上場廃止 日本セメントは、1883年に東京・深川の官営セメント工場の貸下げを受けた浅野総一郎氏の浅野工場を前身とする。払下げを望む者は多く、三井は倉庫として利用するために、三菱は別荘を建てるために、この工場敷地へ目をつけていた。浅野氏は横浜瓦斯局払下げのコークスを深川工場へ納める得意先であり、渋沢栄一氏は当初セメントより紡績を勧めたものの、その熱意に折れて工部卿の山尾庸三氏らに払下げを口添えした。工部省が選… 売上高 1,589億円 84/4 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 5232 住友大阪セメント 磐城セメントは1907年、広瀬金七氏と岩崎清七氏が福島県の八茎鉱山に積まれた石灰石を当てに横浜で設立し、四倉町に最初の工場を建てた会社である。1963年3月期の売上高は319億9,280万円、配当は30%で、月産能力では業界3位にあった。それでも斎藤次郎社長は、住友石炭鉱業のセメント進出で三菱・三井・住友が並び立てば業界が混乱すると読み、自分は磐城セメントを身内に渡すほどの資本家ではないとして、住… 売上高 2,195億円 25/3 営業利益率 4.3% 25/3 ROE 4.7% 25/3 自己資本比率 54.1% 25/3
- 5233 太平洋セメント セメントは当時もっぱら輸入に頼り、深川の官営工場が国内唯一の製造拠点だった。これを国産で量産する道を開いたのが、山口県で勧業を担った笠井順八である。1881年、笠井は秩禄処分で生活の糧を失った旧士族38名を集め、金禄公債を担保に資金を起こして小野田の地にセメント製造会社を興した。士族授産と国産化という二つの目的を、地元美祢の石灰石を使う一貫生産で結びつけた。これが太平洋セメントの最古の源流である。 売上高 8,984億円 26/3 営業利益率 8.3% 26/3 ROE 3.7% 26/3 自己資本比率 46.0% 26/3
- 5236 秩父セメント 1994年 上場廃止 秩父セメントは1923年1月30日、諸井恒平氏を発起人総代として資本金500万円で創立された。当時のセメント工場は海運の便を取り入れた臨海立地が定型で、関東の奥地に大工場を建てる構想には同業から批判も寄せられた。それでも変えなかったのは数字に根拠があったためである。全国生産1,000万樽のうち九州が4割5分を占めるのに対し、東京は第1位の消費地でありながら1割5分7厘にとどまり、移入には1樽1円以… 売上高 717億円 84/5 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 5238 三菱鉱業セメント 1990年 上場廃止 1950年4月の過度経済力集中排除法で金属部門が太平鉱業として分離され、三菱鉱業には石炭だけが残った。収益をむしろ支えてきたのは金属だったため、代わりの事業が要る。1952年2月に置いた調査部は肥料・海運・ガス・コークス・セメントを比べ、三菱グループ各社と競合せず保有技術を応用でき、石炭の安定した需要先にもなるセメントを選んだ。直営を避けたのは、工場建設に必要な10数億円を石炭不況下の三菱鉱業が独… 売上高 2,161億円 85/3 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 5301 東海カーボン 電気製鋼所の操業に欠かせない黒鉛電極は米アチソン社の輸入に頼り高コストで、国産化が福沢桃介氏と寒川恒貞氏にとっての課題だった。これを製鋼所の一部門にすれば、電極の需要は親会社の製鋼量に縛られる。そこで1918年4月、資本金50万円で本社を東京・工場を名古屋に置く独立した東海電極製造を興し、関連業界の電極需要に広く応える形をとった。電極に閉じず炭素製品やカーボンブラックへ広がる余地は、この別会社化の… 売上高 3,230億円 25/12 営業利益率 8.0% 25/12 ROE 6.3% 25/12 自己資本比率 47.9% 25/12
- 5332 TOTO なぜ需要すら存在しない衛生陶器の国産化に挑んだのか。森村組の大倉和親は、兄弟会社の日本陶器が米国食器市場を狙ったのに対し、中国大陸・東南アジアという「東洋市場」開拓の願望を社名に込め、1917年5月に小倉で東洋陶器を設立した。洋風便器の国産品を売る市場は当時の日本になく、第一次大戦後の不況で赤字が続いて1923年には減資した。事業が軌道に乗ったのは同年9月の関東大震災後の復興需要であり、需要を生む… 売上高 7,374億円 26/3 営業利益率 7.3% 26/3 ROE 7.6% 26/3 自己資本比率 63.8% 26/3
- 5333 日本ガイシ 電力会社1社だけが顧客では、売上が送電インフラ投資の増減に縛られる。この依存から抜けるため、日本碍子は1964年発足の第1次長期経営計画で売上構成を碍子6・非碍子4とする6:4構想を掲げた。熱田・小牧両工場の完成で碍子生産が世界的水準に達したとの認識に立ち、碍子で磨いたセラミック技術を上下水処理や化学工業機器など別の用途へ移す方針を組織に根づかせた。創業から45年で、一製品一顧客の会社が多角化企業… 売上高 6,701億円 26/3 営業利益率 14.2% 26/3 ROE 7.4% 26/3 自己資本比率 65.1% 26/3
- 5334 日本特殊陶業 終戦で航空機向け軍需が消え、1945年11月に従業員2,000名を解雇した日本特殊陶業がそれでも点火プラグに残ったのは、新車に一度載るだけの部品ではなく、自動車が走り続ける限り消耗品として買い替えられる読みがあったからである。母体の日本碍子から受け継いだセラミック焼結技術はプラグの絶縁体に直結し、1937年から自社ブランドNGKでの量産を始めていた。新車装着と補修用の二重需要に賭ける選択が、戦後再… 売上高 7,312億円 26/3 営業利益率 18.9% 26/3 ROE 14.8% 26/3 自己資本比率 62.5% 26/3
- 5344 MARUWA 固定抵抗器用セラミックスで出発した丸和は、同業七社のうち四〜五番手で販売が伸び悩んだ。社長・神戸誠氏によれば、その時期に得意先からチップ抵抗器用基板を提案され、碁盤の目状の基板を均一に割る量産技術を磨いて電子回路用セラミックスの主力商品へ育てた。これが評価を呼んで「チップの丸和」と呼ばれ、大手を含む各社から注文を集めた。1995年3月期には電子回路用が品目別販売の58.8%を占める稼ぎ頭となり、固… 売上高 745億円 26/3 営業利益率 33.5% 26/3 ROE 12.3% 26/3 自己資本比率 90.5% 26/3
- 5393 ニチアス 商社の身軽さよりも顧客の工場に食い込む継続契約を選んだためである。1896年4月に大阪市福島区で輸入石綿を扱う日本アスベスト株式会社として創業し、同年8月には大阪工場で石綿製品の自社製造に着手した。1916年9月には東京都品川区に東京工場を設け、1930年12月には国産初のジョイントシートパッキングを完成させて、輸入素材を売る業者から断熱材・シール材を自製する素材メーカーへ事業の性格を変えた。 売上高 2,519億円 26/3 営業利益率 14.7% 26/3 ROE 13.3% 26/3 自己資本比率 77.7% 26/3
- 5401 日本製鉄 1970年3月の再統合は、戦後の集中排除法で旧日本製鐵が八幡製鐵と富士製鐵に割られた寡占の歪みを、四半世紀を経て逆転で解消するためだった。通商産業省の後押しを受けた両社合併で粗鋼生産は世界最大級へ達し、翌1971年6月稼働の大分製鉄所は臨海立地と連続鋳造を備え、伸びる自動車・建設の内需へ高付加価値鋼板を供給した。内陸の老朽設備と硬直した労使に苦しむ米鉄鋼業を生産性で追い越し、国内の高炉で高級鋼を磨… 売上高 10.1兆円 26/3 営業利益率 2.4% 26/3 ROE 0.3% 26/3 自己資本比率 34.4% 26/3
- 5403 川崎製鉄 2002年 上場廃止 薄鋼板で全国首位に立っていても、銑鉄を他社から買う平炉メーカーである限り、原価の主導権は持てない。1950年8月に川崎重工業から製鉄部門を分離して神戸市で発足した川崎製鉄は、資本金5億円・年産33万トンの規模でありながら、翌1951年2月に千葉市の埋立地で銑鋼一貫製鉄所の建設に着手した。初代社長の西山弥太郎氏は日本銀行の一万田尚登総裁の反対を押し切り、1953年6月に第1高炉へ火入れしている。 売上高 1.2兆円 85/3 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 5404 日本鋼管 2002年 上場廃止 1934年1月に半官半民の日本製鉄が発足した際、日本鋼管にも合同への参加要請が届いたが、創業社長の白石元治郎氏はこれを断った。避けたのは競争の消滅だった。「製鉄業は、政府の一企業として競争のない温室育ちの事業ではいかぬ。あくまでも民間企業として競争しながら発展すべきだ」というのが本人の言葉である。合同後の鋼塊生産は日本製鉄が51%、日本鋼管が12%で、規模で並ぶ相手ではない。独立の代償は販売に出た… 売上高 — 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 5405 住友金属工業 2012年 上場廃止 住友金属工業は、住友家が1897年4月に大阪市安治川へ開いた住友伸銅場を出発点とし、2012年に新日本製鐵と合併するまで115年続いた鉄鋼メーカーである。最初に扱ったのは別子銅山の銅で、翌1898年にはわが国民間で最初の軽金属加工としてアルミニウム板を製作した。1901年6月に開いた住友鋳鋼場が製鋼の系譜となり、1935年9月に両社が合併して住友金属工業が発足する。鉄へ寄ったのは戦後で、1953年… 売上高 1.5兆円 12/3 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 5406 神戸製鋼所 製鋼所を名乗りながら一つの素材に絞らなかったのは、母体が商社の鈴木商店で、輸入頼みだった切削工具や産業機械を国産で納めること自体が事業目的だったからである。1912年3月に日本初のドリル、1915年に機械製作、1916年に鋼材圧延、1917年に門司工場で伸銅品と、独立直後から複数の製品領域を同時に立ち上げた。第一次大戦期の国産化需要が、素材と機械を並行して抱える体質を出自から固めた。 売上高 2.4兆円 26/3 営業利益率 5.3% 26/3 ROE 7.4% 26/3 自己資本比率 44.0% 26/3
- 5411 JFEホールディングス 2002年9月、両社が選んだのは対等合併ではなく共同株式移転による持株会社の設立だった。国内需要の低迷と設備過剰のなか、存続会社を立てずに両社を持株会社の傘下へ並べれば、経営権を一度そこへ集約したうえで翌2003年4月に事業会社へ会社分割する段取りが取りやすい。統合比率は日本鋼管0.75対川崎製鉄1.00とされ、財務体質が相対的に良好だった川鉄が経営の実権を握った。この統合は1970年の新日鉄誕生… 売上高 4.5兆円 26/3 営業利益率 2.5% 26/3 ROE 2.7% 26/3 自己資本比率 43.4% 26/3
- 5423 東京製鐵 創業家・池谷家が鉄鋼業界の系列商流に乗らなかったのは、鉄屑を溶かして鋼材へ戻す電炉鋼が、高炉メーカーの量産品とは別の出自を持つ事業だったからである。1934年11月に岡田菊治郎氏が東京都足立区で創業し、戦後に継いだ池谷太郎氏は通産省主導の鉄鋼共同販売にも鉄屑カルテルにも加わらず、自社価格を独自に発表して需要家へ直接売った。系列に頼らず自ら値付けして売り切るこの独立独歩が、後に「鉄鋼業界の暴れん坊」… 売上高 2,681億円 26/3 営業利益率 2.7% 26/3 ROE — 自己資本比率 75.8% 26/3
- 5444 大和工業 事業の前身が戦時下の軍需協力工場だったためである。1944年11月に川西航空機の協力工場として発足した大和工業は、終戦の翌1945年8月に軍需の行き先を失い、国鉄と各私鉄の軌道用品の製作と修理へ全面転換した。鉄道網の復旧需要を取り込んで軌道用品メーカーとして成り立ち、1959年11月には自社製エルー式15トン電気炉を仁豊野工場に増設し、素材を内製する電炉鋼へ移った。 売上高 1,604億円 26/3 営業利益率 2.8% 26/3 ROE 11.5% 26/3 自己資本比率 85.5% 26/3
- 5471 大同特殊鋼 1950年2月、財閥解体と産業設備の戦時動員という二つの整理が重なる戦後再建のなかで、企業再建整備法に基づき旧大同製鋼を分社し新大同製鋼として再出発したためである。系譜は1916年名古屋創業の電気製鋼所に遡る。高炉一貫の普通鋼大手とは経済性の異なる電炉特殊鋼を専業とし、鋼種ごとに材料設計が違い小ロットになる制約を抱えつつ、自動車・産業機械・工具・電機メーカーへ仕様どおりの鋼を納める立場で出発した。 売上高 5,781億円 26/3 営業利益率 7.3% 26/3 ROE 7.6% 26/3 自己資本比率 50.4% 26/3
- 5480 日本冶金工業 消火器も火薬・火工品も納め先が狭く、単体では事業規模が伸び悩んだためである。1925年8月に服部時計店系の出資で発足した中央理化工業は、1928年に火薬・火工品へ、1936年2月には特殊鋼・ステンレスへと主力を移し、わずか11年で二度業態を替えた。1930年代の重工業化で軍艦・航空機向け特殊鋼の需要が拡大しており、火工品で培った爆発物製造の冶金技術を転用してこの成長市場へ参入した。川崎製造所は現在… 売上高 1,509億円 26/3 営業利益率 7.3% 26/3 ROE 7.1% 26/3 自己資本比率 46.1% 26/3
- 5631 日本製鋼所 国産の大砲と砲弾を急ぐ政府にとって、技術も資本も国内だけでは足りなかったからである。1907年11月、日本製鋼所は北海道炭礦汽船と英アームストロング・ビッカースの3社合弁で室蘭に設立された。砲熕技術を持つ英国二社と艦艇拡張を進める帝国海軍を、出資と技術指導で同時に引き込む形である。買い手は海軍ただ一者で、官の発注があって初めて回る事業だった。室蘭で鋳鍛鋼と砲身を鍛え、広島で砲弾を作る重量物の受注生… 売上高 2,749億円 26/3 営業利益率 9.2% 26/3 ROE 9.1% 26/3 自己資本比率 49.4% 26/3
- 5703 日本軽金属ホールディングス 日本軽金属は1939年3月、古河電気工業と東京電燈の共同出資により設立された。古河電工は電線材料としてのアルミニウムを求め、東京電燈は電力の大口消費者を探していた。両者の利害は、日華事変の長期化で枯渇する国内非鉄金属資源に代わる低廉なアルミニウムを供給するという国家の要請と重なった。1938年11月に下付された設立認可書は、政府が準国策会社として援助と特典を与える一方で相当な義務を負わせると規定し… 売上高 5,855億円 26/3 営業利益率 4.4% 26/3 ROE 6.3% 26/3 自己資本比率 44.7% 26/3
- 5706 三井金属鉱業 1874年に三井組が神岡鉱山の払い下げを受けたのは、明治政府の殖産興業政策のもとで官需と財閥の販路を後ろ盾に、国内最大の亜鉛を産出する鉱山を財閥鉱業部門の収益の柱に据えるためである。神岡で採掘した亜鉛精鉱を、1913年に新設した大牟田の製錬工場で電気亜鉛地金まで仕上げる垂直統合を築いた。この川上から川中までを社内で握る一貫体制が、戦後の財閥解体で1950年に分離発足した三井金属鉱業へそのまま受け継… 売上高 7,585億円 26/3 営業利益率 17.3% 26/3 ROE 22.1% 26/3 自己資本比率 59.1% 26/3
- 5711 三菱マテリアル 1873年の参入は個人の判断ではなく、明治政府が官営鉱山を民間へ払い下げる政策の流れを取り込んだ動きだった。三菱商会は同年に岡山県の吉岡鉱山を買収して金属鉱山経営に着手し、以後1887年に尾去沢、1896年に生野・明延を傘下に収めた。産出した非鉄金属と石炭を軍需と産業の素材として国家の資源供給に組み込み、1918年には鉱業部門を三菱鉱業として分離独立させた。資源を握る財閥資源会社という性格が、その… 売上高 1.8兆円 26/3 営業利益率 3.3% 26/3 ROE 5.5% 26/3 自己資本比率 24.5% 26/3
- 5713 住友金属鉱山 採掘そのものが現金収入と技術を生み、その元手が住友の各事業へ配られたからである。住友家は十六世紀末に京都で銅製錬を始め、元禄三年(1690年)に別子銅山を発見し、1691年に愛媛で採掘を開始した。以後およそ200年以上にわたり別子の銅は、住友化学・住友電工・住友林業・住友銀行など住友系事業群の資本供給源となり、一つの鉱山が複合企業体の形成と維持を基礎から支えた。1927年7月には住友本社が236年… 売上高 1.7兆円 26/3 営業利益率 14.7% 26/3 ROE 9.5% 26/3 自己資本比率 52.2% 26/3
- 5714 DOWA 小坂が産したのは金・銀・銅・亜鉛・鉛が混じる黒鉱で、各成分を分離できなければ他社は手を出せず、藤田組はこの難物を技術で握れば独占できると見た。1884年の払い下げ後、製錬技術が確立できず赤字が十年続き融資元の毛利家から閉山指示が出たが、久原房之助氏が井上馨の支持で撤回を勝ち取る。1902年に黒鉱自溶製錬を完成させ、1906年に小坂を国内産出額一位へ押し上げた。他社が扱えない混合鉱を技術で握る事業観… 売上高 7,454億円 26/3 営業利益率 4.6% 26/3 ROE 13.7% 26/3 自己資本比率 57.3% 26/3
- 5801 古河電工 足尾銅山が産む銅の使い道を社内で確保するためである。1896年6月、古河市兵衛氏の財閥は鉱山から仕入れた銅を電線に加工し、通信・電力事業者へ納める垂直統合の会社として横浜電線製造を設立した。1920年4月には古河鉱業から日光電気精銅所を取得して電気銅の生産から電線製造までを一貫させ、古河電気工業へ改称した。上流の素材と下流の加工を同じ会社で抱える事業構造が、創業時から定まった。 売上高 1.3兆円 26/3 営業利益率 4.9% 26/3 ROE 17.4% 26/3 自己資本比率 39.1% 26/3
- 5802 住友電工 別子銅山で掘った銅を地金のまま売らず、国内で電線・通信ケーブルへ加工して付加価値を取り込むためである。1897年、住友本店は経営難の日本製銅を買収し、大阪市北区安治川上通に住友伸銅場を開いて伸銅製品を製造し、その一環として裸銅線の製造を始めた。地金を伸ばす伸銅と、それを巻く電線ケーブルが同じ屋根の下から出発し、この素材と加工の近接が後の事業構成を決めた。 売上高 5.1兆円 26/3 営業利益率 8.2% 26/3 ROE 13.5% 26/3 自己資本比率 56.9% 26/3
- 5803 フジクラ 1910年に藤倉電線護謨合名から電線部門を分離して発足したフジクラは、住友・古河という財閥系2社と並ぶ電線御三家の一角でありながら、ただ一社だけ後ろ盾を持たない独立系だった。価格と量産規模で財閥系に並べない以上、生き残りは技術で差をつけるしかない。この制約が、戦後の電力9社の送電網と電電公社の通信網へケーブルを納めて稼ぎつつ、その原資を独自技術に振り向ける価値観を当初から経営に植えつけた。光ファイ… 売上高 1.2兆円 26/3 営業利益率 16.0% 26/3 ROE 28.0% 26/3 自己資本比率 57.8% 26/3
- 5805 SWCC 親会社の東京電気から電線事業だけを切り出して発足したため、独立した時点で上位三社のような自前の鉱山・伸銅から一貫した銅調達基盤を持たなかったことが大きい。1936年に資本金100万円で川崎に設立され、翌1937年に裸銅線の製造を始めて送配電向け電線を供給したが、すでに古河電工・住友電工・藤倉電線が上位を占めていた。1949年に全国へ販売網を敷いて復興需要を下支えしながらも、規模で三社に追いつく手立… 売上高 2,777億円 26/3 営業利益率 9.8% 26/3 ROE 19.1% 26/3 自己資本比率 47.6% 26/3
- 5831 しずおかフィナンシャルグループ 1943年3月、戦時金融統制下の一県一行主義に沿って静岡三十五銀行と遠州銀行が合併し、静岡銀行が発足したことが優等生地銀の素地を作った。県内地銀を束ねる行政方針が、東海道沿いの製造業、県西部の自動車・楽器、県東部の観光・食品まで多様な産業の預金と貸出を一手に取り込む地盤を与えたためである。借り手と預け手を県全体から確保でき、1961年10月には東京証券取引所市場第一部へ上場、厚い自己資本と高格付け… 売上高 4,385億円 26/3 営業利益率 29.7% 26/3 ROE 7.3% 26/3 自己資本比率 7.7% 26/3
- 5857 AREホールディングス 廃液から銀を回収する事業は、廃液を引き取る廃棄物処理と回収した銀地金を売る金属取引の双方にまたがり、零細業者が分散して担う未整理の市場だった。そこで朝日化学研究所は両工程を一つのグループに収め、1970年に施行された廃棄物処理法体系のもとで1975年2月に神戸市から産業廃棄物処理業の許可を写真関係業者として全国で初めて取得した。許可制への対応は後発が同事業へ参入する際の規制コストを引き上げ、許認可… 売上高 5,700億円 26/3 営業利益率 6.5% 26/3 ROE 10.6% 26/3 自己資本比率 37.5% 26/3
- 5929 三和ホールディングス 戦後復興から高度成長へ向かう時期に、建物が建つ数だけ防火・防犯のためのシャッター需要が積み上がり、納める先が増え続ける専業品として商いが成り立ったためである。1956年4月、髙山萬司氏が兵庫県尼崎市で資本金1百万円・社員数名の株式会社三和シヤッター製作所を創業した。商業ビルや工場・倉庫の鋼製シャッターを手がけ、1963年9月に創業7年で東証二部、1970年7月に創業14年で東証・大証の一部銘柄へ指… 売上高 6,607億円 26/3 営業利益率 12.0% 26/3 ROE 17.1% 26/3 自己資本比率 63.6% 26/3
- 5938 LIXIL 全国の中小工務店は木造着工の半分近くを占めながら、設計力や提案力、価格の透明性に弱みを抱え、メーカーの営業支援に頼らざるを得なかった。トーヨーサッシはこの弱みを営業で補い、販売店を通じて現場見学会の旗やパンフレット、設計事務所の紹介、CAD機器の設置、与信管理の指導までを提供し、年に一棟しか建てない零細な工務店まで取引先に取り込んだ。全国の中小工務店の半数程度と関係を結ぶ模倣しにくい販売網の厚みが… 売上高 1.5兆円 25/3 営業利益率 2.0% 25/3 ROE 0.3% 25/3 自己資本比率 33.6% 25/3
- 5947 リンナイ リンナイが二つの創業家の共同体として立ったのは、技術と経営の役割を初めから分けて持たせる狙いがあったからである。1950年9月、内藤秀次郎氏と林兼吉氏が名古屋市中川区福住町で株式会社林内製作所を資本金100万円で設立し、両者の姓を一字ずつ取って商号「林内」とした。内藤氏が燃焼技術の開発を、林兼吉氏が生産と経営を担う分担をそのまま社名に刻み、戦後復興期のガス機器需要に燃焼器具の専業として参入した。 売上高 4,704億円 26/3 営業利益率 10.7% 26/3 ROE 8.3% 26/3 自己資本比率 67.3% 26/3
- 5991 日本発條 日本発條が小型・高精度ばねの技術を抱えたのは、自動車向け板ばねの量産能力だけでは戦時統制下の軍需に応えきれなかったためである。1936年に芝浦で鉄道車両用板ばねから出発した同社は、1940年に横浜で懸架ばねの量産へ進んだが、1943年12月に長野・伊那で時計・計測機器・通信機器向けの精密ばね生産を始めた。この戦時期に蓄えた数十μm級の薄板ばね技術が、半世紀後のHDDサスペンション事業の技術的源流と… 売上高 8,169億円 26/3 営業利益率 5.6% 26/3 ROE 6.4% 26/3 自己資本比率 59.3% 26/3
- 6005 三浦工業 丸ボイラが主流の市場で小型貫流ボイラが「特殊な代物」と見られたのは、扱いにくさの裏返しで、省スペースかつ短時間で蒸気を立ち上げられる利点を持つからである。大手が本気で手がけないニッチであれば、松山の零細工場でも価格と性能で割って入れる余地があった。三浦保は1959年に法人化した翌1960年10月、精麦・精米機からこの小型貫流ボイラの製造へ事業を移し、会社の生存を一製品に賭けた。三浦保は1983年の… 売上高 2,687億円 26/3 営業利益率 11.5% 26/3 ROE 11.4% 26/3 自己資本比率 50.7% 26/3
- 6028 テクノプロ・ホールディングス 2025年 上場廃止 偽装請負や日雇い派遣という不祥事が製造請負を潰す一方、自社雇用のエンジニアを研究開発現場へ送る技術者派遣は相対的に付加価値が高く、投資ファンドがこの中核だけを切り出せたためである。源流は1974年設立のクリスタルグループにあり、業務請負最大手だった同社を2006年にグッドウィルが883億円で連結子会社化した。折口雅博会長のグッドウィルは日雇い派遣の社会問題で解体され、技術者派遣事業は投資ファンドの… 売上高 2,390億円 25/6 営業利益率 10.0% 25/6 ROE 20.4% 25/6 自己資本比率 53.7% 25/6
- 6098 リクルートHD 広告主を開拓する営業と誌面材料を集める作業を同じ部隊が兼ねると、客先で採用戦略や社風を聞き取るほど誌面が厚くなり、その誌面が次の広告主を呼ぶため、営業を広げるほど媒体が良くなる循環が回った。1960年に東京大学を出た江副浩正氏が大学新聞広告社を個人創業し、1962年に就職情報誌「企業への招待」を創刊して、1日12社を訪問し成約率10%という訪問件数勝負の営業で広告主を開拓した。掲載企業の採用情報を… 売上高 3.7兆円 26/3 営業利益率 17.1% 26/3 ROE 31.6% 26/3 自己資本比率 56.4% 26/3
- 6101 ツガミ 精密機械は兵器ではなく平和産業のために伸ばすべきだとする信念と、軍需の比重を高めたい三井の方針が両立しなくなったためである。1934年に三井物産の資本参加で蒲田区下丸子へ移ってからは海軍の酸素魚雷用ジャイロや深度計の試作にも応じ、軍需が膨らんでいた。1936年、津上退助氏は方針対立から経営を退いて下丸子を去り、旧津上製作所は三井のもとに残って翌1937年2月に東洋精機へ商号を改めた。退助氏は争って… 売上高 1,291億円 26/3 営業利益率 28.0% 26/3 ROE 31.2% 26/3 自己資本比率 34.9% 26/3
- 6103 オークマ 旋盤やフライス盤を海外製の輸入に頼っていた当時、国内で供給できれば食い込める余地が広く、製麺機で磨いた切削と駆動機構の設計をそのまま転用できる勝算があった。大隈栄一氏は1898年1月に名古屋・石町で大隈麺機商会を個人創業し製麺機械を製造していたが、日露戦争を前に機械需要が立ち上がると、1904年2月に各種工作機械の製造へ踏み込んだ。製麺機械から工作機械への転換が、以後の同社の主軸を定めた。 売上高 2,359億円 26/3 営業利益率 6.6% 26/3 ROE 5.1% 26/3 自己資本比率 72.0% 26/3
- 6113 アマダ 金属用の帯鋸盤は市場が小さく、大手工作機械メーカーが採算を見込めずに参入を見送っていた。資金のない町工場でも空白市場なら食い込む余地があると天田勇氏は読み、輸入機を買えない制約を逆手に取って、海外カタログと特許資料の読み替えで独自設計に挑んだ。「町工場で金がないんですから、研究用の輸入機械を買うわけにはいかない。カタログとか色々なものを集めて研究した」(商工経済 1963/3)と語るとおり、195… 売上高 4,374億円 26/3 営業利益率 10.2% 26/3 ROE 5.8% 26/3 自己資本比率 68.7% 26/3
- 6134 FUJI 富士機械製造の創業者・坂上守氏は、前職の菅鉄工所で単能機を独自に開発し本格生産を進言したが容れられず、自ら会社を起こした。この原体験から、汎用機ではなく顧客の量産工程に合わせて精度を作り込む専用機を出発点に据えた。1959年4月に名古屋市中川区昭和橋通で富士機械製造を設立し、トヨタ自動車・本田技研・三菱・いすゞといった中部の自動車関連企業へ自動旋盤を納め、トヨタでは旋盤ラインの7割以上を同社の機械… 売上高 1,806億円 26/3 営業利益率 16.2% 26/3 ROE 6.8% 26/3 自己資本比率 83.5% 26/3
- 6141 DMG森精機 戦後復興期に外貨を稼いだ繊維工業は、合成繊維への移行と海外への生産シフトで1950年代後半に国内需要が細り、繊維機械メーカーは行き先を失いつつあった。先細る本業を抱え込む前に入れ替える判断で、1958年5月に繊維機械の製造を中止し工作機械へ全面転換した。機種に普通旋盤を選んだのは、工作機械の中でも汎用性が高く需要が多いため見込み生産が可能で、製造工程の合理化も利く読みからであり、低コスト大量生産を… 売上高 5,150億円 25/12 営業利益率 3.7% 25/12 ROE 7.1% 25/12 自己資本比率 39.0% 25/12
- 6146 ディスコ 砥石だけを売ろうとしても、それを使いこなす切断装置が市場になければ商いにならない。関家憲一氏によれば、ディスコは1969年にジャパックスの米国販売会社と組んでシリコン切断用の合弁をサンフランシスコ郊外に設けたが、砥石を生かす機械がなく撤退した。この挫折から砥石・装置・その応用の3つを1社で抱えざるをえず、他社が容易に真似できない一貫体制を得た。社名ロゴの3本線が示す三位一体である。1970年に精密… 売上高 4,369億円 26/3 営業利益率 42.3% 26/3 ROE 23.1% 26/3 自己資本比率 79.1% 26/3
- 6178 日本郵政 同じ料金で全国どこへでも手紙が届くと約束すれば、料金そのものが地域を分け隔てなく結ぶ国家統合の手段になる。近代国家の建設を急ぐ明治政府にとって、情報を全国に行き渡らせることは富国強兵と表裏であり、採算より統合が優先された。前島密の建議で1871年に始まった新式郵便は、翌1872年に全国実施、1873年に郵便料金の全国均一制を実施した。離島や僻地でも都市部と同じ料金で届けるこの原則は、採算の合わない… 売上高 11.4兆円 26/3 営業利益率 9.4% 26/3 ROE 3.9% 26/3 自己資本比率 3.4% 26/3
- 6201 豊田自動織機 2026年 上場廃止 自動車製造事業法で製造が許可制となった戦時体制のもと、織機本体の中に置いたままでは業界再編に巻き込まれ、軍用トラック量産に伴う巨額の設備投資リスクも本体の財務へ直接のしかかる。これを避けるための切り離しである。豊田喜一郎氏は国産乗用車の研究を喜一郎氏個人の極秘研究として工場の片隅で進め、1929年に英プラット社へ供与したG型自動織機の特許代金が研究資金を潤沢にした。1933年に新設した自動車部を、… 売上高 4.1兆円 25/3 営業利益率 5.4% 25/3 ROE 5.5% 25/3 自己資本比率 51.0% 25/3
- 6254 野村マイクロ・サイエンス ろ過膜を一回売り切るだけでは、半導体や製薬の工場が稼働を続けても次の取引が生まれない。だが装置に組み込んで納めれば、フィルターやイオン交換樹脂は使うほど交換需要が続き、装置を入れた後も継続して稼げる。1969年に米ゼネラル・エレクトリック社の超精密ろ過膜を輸入販売する商社として設立された野村マイクロ・サイエンスは、1974年1月に米アクアメディア社の超純水技術を導入して超純水製造システム事業に参入… 売上高 562億円 26/3 営業利益率 11.9% 26/3 ROE 9.6% 26/3 自己資本比率 36.1% 26/3
- 6269 三井海洋開発 親会社の解散で会社が生まれたため、需要も資本も自社の外で決まる体質を最初から抱えた。1968年に三井造船と三井物産が合弁で立てた旧三井海洋開発が1988年12月に解散し、その海洋プラント事業と全株式を1987年設立の子会社モデックが引継いだ。株式は三井造船と三井物産が折半で引取り、商号も2003年に旧社名へ復活させた。みずから市場を開いたのではなく、親会社の事業を譲り受けて独立法人として再構築され… 売上高 7,171億円 25/12 営業利益率 9.6% 25/12 ROE 24.8% 25/12 自己資本比率 30.5% 25/12
- 6273 SMC 空気圧制御は油圧や電気制御に比べて技術的な参入障壁が低く、個々の製品では差がつきにくい領域である。SMCの顧客だった工作機械・自動車メーカーの要求仕様は多岐にわたり、個別部品の寄せ集めでは応えきれなかった。そこでSMCは、空気圧制御の全工程を自社製品でまかなうラインナップの広さを差別化の軸に据えた。1959年に焼結濾過体フィルターで創業し、補助機器の完成品を皮切りに圧縮空気浄化機器・シリンダー・方… 売上高 8,425億円 26/3 営業利益率 22.6% 26/3 ROE 7.9% 26/3 自己資本比率 91.5% 26/3
- 6278 ユニオンツール 大手工具メーカーから依頼された試作を、設計から製造まで自分の手で仕上げて納められたことが出発点である。1960年12月に片山一郎氏が東京都大田区で「ユニオン化学研究所」を設立し、テレビ・電卓など電子機器の量産が立ち上がる時代に、基板へ穴をあける超硬ドリル(PCBドリル)を自ら開発した。社長になってからも社長室に設計机を置いて現場に身を置く技術者経営が、ここで同社の流儀になった。 売上高 402億円 25/12 営業利益率 21.7% 25/12 ROE 7.6% 25/12 自己資本比率 90.7% 25/12
- 6301 コマツ 砲弾は米軍の発注が消えれば成り立たない事業であり、売上の72%をそこに置く構造は発注次第で浮き沈みする危うさを抱えていた。コマツが3年で建機メーカーへ移れたのは、需要が細ってから新事業を探したのではなく、1947年のD50完成以降、D80・D30と毎年のように新型ブルドーザーを投入して開発実績を積んでいたためである。1953年に休戦した朝鮮戦争の特需が縮小すると、1956年に大阪工場の生産を砲弾か… 売上高 4.1兆円 26/3 営業利益率 13.0% 26/3 ROE 10.7% 26/3 自己資本比率 54.7% 26/3
- 6302 住友重機械工業 外に売る発想が育たなかったためである。1888年に別子銅山で発足した住友別子鉱業所工作方は、鉱山経営に必要な機械を内製で賄うための部門で、グループの注文を請ければよく、製品を絞らず何でも作るゼネラリスト体質を抱えたまま戦後を迎えた。終戦と財閥解体でグループ発注の理由が消えると、外販競争に晒された機械部門は1955年3月期に最終赤字6.9億円を計上し、当時の資本金2.7億円を上回る破綻寸前まで追い込… 売上高 1.1兆円 25/12 営業利益率 4.8% 25/12 ROE 4.5% 25/12 自己資本比率 51.6% 25/12
- 6305 日立建機 総合電機・機械メーカーの一部門のままでは、建設機械に固有のアフターサービスや割賦販売、需要変動への機動的な対応が利きにくいためである。製造から販売・保守までを専業組織に委ね、製販一体で素早く意思決定する体制を求めた。日立製作所は1955年にアフターサービス専門の日立建設機械サービスを設け、1965年に販売の(旧)日立建機を、1969年に製造の日立建設機械製造を分けたうえで、1970年10月に両社を… 売上高 1.4兆円 26/3 営業利益率 9.3% 26/3 ROE 8.7% 26/3 自己資本比率 45.5% 26/3
- 6323 ローツェ 競合のいない無塵搬送のニッチへ、崎谷文雄氏の横断的な技術と「世界的にニュースとなる製品のみを商品化する」という創業の方針を集中させたからである。崎谷氏は太洋無線で電子回路を磨き、8回の転職で半導体の前工程・後工程を一通り経験していた。1986年12月のクリーンロボットは、自社のドライバとコントローラを他社品の20分の1に収め、磁性流体シールで発塵を抑えて平均故障間隔8年超の評価を得た。「占有率50… 売上高 1,288億円 26/2 営業利益率 24.2% 26/2 ROE 14.6% 26/2 自己資本比率 66.0% 26/2
- 6326 クボタ 水道インフラに欠かせない鋳鉄管は需要が確実でありながら、当時は輸入に依存して国産の量産技術が空白だった。技術の粋を集めた日本鋳鉄合資会社さえ国産化に挑んで破綻し、世間が不可能と見限ったその空白地帯に、久保田権四郎氏は逆に商機を見た。零細な鋳物屋ゆえに失う設備も小さく、寝食を忘れる試作を長く続けられたことが、1900年の丸吹堅込法による量産技術の確立につながった。これにより、1910年代には国内シェ… 売上高 3.0兆円 25/12 営業利益率 8.8% 25/12 ROE 7.9% 25/12 自己資本比率 38.2% 25/12
- 6361 荏原製作所 大学発の理論を機械に落とす段で先行者が資金繰りに行き詰まるのを見たからである。師の井口在屋が1905年に世界初の渦巻ポンプ理論を発表したのち、その実用化を担った国友鉄工所は明治末に経営が立ちいかず閉鎖された。畠山一清はこの失敗を間近で見ていたため、1912年に東京日暮里でゐのくち式機械事務所を起こした際、設計から製造、販売までを切り離さず自前で抱える体制を整えた。理論と実機を一人で架橋するこの一貫… 売上高 9,583億円 25/12 営業利益率 11.9% 25/12 ROE 15.4% 25/12 自己資本比率 45.8% 25/12
- 6367 ダイキン 金属加工と化学プラントは技術もノウハウも別物で、砲弾メーカーが自前で踏み込む理由は本来ない。きっかけは技術顧問の人脈がもたらした情報優位にあった。1933年、退役海軍少将で技術顧問の太田十男氏が、米海軍の潜水艦に新冷媒フレオンガスが採用されたという新聞記事に着目し、フロン研究を進言した。海軍人脈から得たこの情報を山田晃氏が採り上げ、約2年の研究を経て1935年末に国内初のフロン生産に成功した。砲弾… 売上高 5.0兆円 26/3 営業利益率 8.3% 26/3 ROE 8.5% 26/3 自己資本比率 56.0% 26/3
- 6368 オルガノ 樹脂だけ渡しても顧客は純水という結果を得られず、値打ちは樹脂を充填した装置を設計・据付して純水を出すところにあり、そこを一貫で請け負える技術企業の需要が立ち上がっていた。陸軍軍医学校で研究を続けた丸山正武氏は1945年10月に三菱化成工業の樹脂を買い取って研究を再開し、1946年2月に毎時40リットルの脱塩水製造装置を完成させ、同年5月に長野県諏訪で日本オルガノ商会を発足させた。1951年に昭和電… 売上高 1,777億円 26/3 営業利益率 21.2% 26/3 ROE 19.9% 26/3 自己資本比率 63.6% 26/3
- 6370 栗田工業 装置は売り切りで景気に振られるのに対し、水処理薬品は客先の設備が動く限り繰り返し売れる継続取引であり、この収益が混乱のさなかも会社の底を支えたためである。1949年に栗田春生氏が神戸で清缶剤の製造から始め、1951年に汽缶給水研究所、1954年に水処理装置へと薬品と装置の二本柱を早くに揃えていた。上場から間もない不祥事だったが、公害防止ブームで鹿島や大分のコンビナートから大型装置を受注し、伊藤忠商… 売上高 4,089億円 25/3 営業利益率 7.6% 25/3 ROE 6.1% 25/3 自己資本比率 60.8% 25/3
- 6383 ダイフク 戦後の累積赤字で不渡り寸前まで追い込まれ、親会社の兼松からも追加の資金を断たれた大福機工にとって、生き残る道は、汎用の機械加工から抜け出して独自の製品分野を持つことだった。1952年にスイスのビューラー社からばら物搬送のバルクベヤを、1957年に米ジャービス・ビー・ウェブ社からチェン・コンベヤを技術導入し、トヨタ自動車の量産ラインへ納めた。自動車の大量生産という伸びる市場に製品を合わせたことで、専… 売上高 6,607億円 25/12 営業利益率 15.3% 25/12 ROE 17.3% 25/12 自己資本比率 59.9% 25/12
- 6395 タダノ 企画より先に、客の困りごとがあった。多田野益雄氏が1948年に香川県高松市で設立した多田野鉄工所は、修理と受託加工で始まった。運送会社に頼まれて中古トラックの荷台へ荷役用クレーンを付けたところ、その一社が全国の営業所で採用し、注文が続いた。荷役の機械化という需要を先に掴んだ会社が、建設機械雑誌をヒントに1955年、日本初の油圧式トラッククレーンOC-2型を作った。日本初という一点で全国から注文が殺… 売上高 3,495億円 25/12 営業利益率 5.3% 25/12 ROE 8.9% 25/12 自己資本比率 44.9% 25/12
- 6417 SANKYO パチンコ機の販売はホールオーナーとの一対一の直接取引が中心で、地域ごとに営業が出向かなければ受注も納品も回らない。地場の手仕事に対し、全国に拠点を置いて営業と生産を標準化できれば、需要を面で押さえて量産の利を取れる。毒島邦雄氏は1966年4月に名古屋市で中央製作所を設立し、本社・名古屋工場と東京・大阪支店を当初から構えた。1968年11月の福岡を皮切りに、創業5年で札幌・広島・仙台・桐生・名古屋へ… 売上高 1,792億円 26/3 営業利益率 34.9% 26/3 ROE 18.7% 26/3 自己資本比率 87.0% 26/3
- 6432 竹内製作所 竹内製作所が世界初のカテゴリーを単独で育てられたのは、大手が小型機を「おもちゃ」と侮って参入しなかったからである。大型ショベルの入れない狭所で使える機械が欲しいという土木会社の相談に応え、竹内明雄氏は都筑製作所で14年培ったもの造りを土台に、油圧ショベルを小型化して1971年に世界初のミニショベルを出した。世になく、よく壊れる機械を粘り強く直し続けた末、塗装が乾く前に出荷するほど売れたという逸話も… 売上高 2,253億円 26/2 営業利益率 16.7% 26/2 ROE 15.1% 26/2 自己資本比率 83.0% 26/2
- 6436 アマノ 創業者の天野修一氏は、海軍技師として原価計算や規格・能率の改善に取り組むなかで精密機械の技術を培い、それを時間記録という一分野に閉じ込めなかった。横浜機器が1945年にタイムレコーダー製造で発足したのち、1951年には工業用真空掃除機の研究・製造に着手し、1973年には駐車場管理機器を発売した。いずれも精密機械という共通の技術を隣接領域へ広げる動きで、創業30年弱でタイム情報・パーキング・環境機器… 売上高 1,765億円 26/3 営業利益率 12.8% 26/3 ROE 14.5% 26/3 自己資本比率 71.8% 26/3
- 6448 ブラザー工業 ミシン本体を作る前に加工装置から内製したのは、当時の日本に精密加工の蓄積がなく、機械を買おうにも資金を貸す銀行がなかったからである。技師あがりの安井正義氏は、買えないなら自前の技術で作るほかないと考え、1928年に部品加工用のエキセン旋盤を自作した。この加工装置を握ったことで、シンガー社が約9割を占める市場へ1932年に家庭用ミシン15種70型で参入し、1934年に日本ミシン製造を設立できた。 売上高 8,935億円 26/3 営業利益率 8.7% 26/3 ROE 8.9% 26/3 自己資本比率 74.5% 26/3
- 6460 セガサミーホールディングス 統合の核は、稼ぐ事業と投資する事業を1つの資本でつなぐことにあった。遊技機はメーカー出荷時点で売上が立ち粗利が高くキャッシュを生むが、市場成熟と規制で先細りが見えていた。ゲームは開発投資が先行しヒットの出方で業績が振れる。セガは2001年に家庭用ハードから撤退してソフトメーカーへの転身途上にあり、開発を支える安定資金を欠いていた。里見治氏は遊技機の資金でセガのコンテンツと技術資産を再構築する構図を… 売上高 4,875億円 26/3 営業利益率 9.7% 26/3 ROE -1.6% 26/3 自己資本比率 56.6% 26/3
- 6465 ホシザキ 自社に固有の市場を持たない新興企業にとって、大手がまだ手をつけていない隙間こそ少ない資本で食い込める余地だった。坂本薫俊氏は1947年2月にブラザー工業を辞めて名古屋市瑞穂区で星崎電機を資本金18万円で立ち上げ、当初は古巣向けのミシン部品下請けで食いつないだ。独立翌月には計算尺「BANTO」を投入し、1957年には米国視察で見たウォータークーラーを手がかりに「名古屋まつり」向けの製造依頼からジュー… 売上高 4,859億円 25/12 営業利益率 10.7% 25/12 ROE 9.7% 25/12 自己資本比率 68.2% 25/12
- 6471 日本精工 軸受は鉄道・工作機械・自動車といった動力を伝える機械が回るかぎり必ず要る部品でありながら、当時の日本には量産技術が根付いておらず、ほぼすべてを欧州からの輸入に頼っていた。輸入が途絶えれば機械産業全体が止まる弱みを、第一次大戦による欧州からの供給細りが突きつけた。国産化できれば機械産業の精度と信頼性を自前で支えられるため、山口武彦は1916年11月、資本金35万円で東京都品川区に日本精工を設立し、国… 売上高 9,116億円 26/3 営業利益率 4.3% 26/3 ROE 3.5% 26/3 自己資本比率 52.6% 26/3
- 6472 NTN 軸受は精密な熱処理と研削の設備が要る装置産業で、当時の日本は大半を欧州からの輸入に頼っていた。設備投資を単独で抱えきれない三重県桑名の西園鉄工所が、外貨を稼ぐ輸入代替に食い込むには、販路を持つ商社と組む以外に現実解がなかった。1923年5月、商社の巴商会と西園鉄工所が提携し、「NTN」の3文字商標で国産軸受の製造販売を始めた。製造と販売を別々の主体が担う分業を前提に、欧州勢が寡占する市場へ後発で挑… 売上高 8,263億円 26/3 営業利益率 3.8% 26/3 ROE 4.3% 26/3 自己資本比率 33.8% 26/3
- 6473 ジェイテクト 2社の進み方を決めたのは、誰が受注を握っていたかである。光洋精工は親会社を持たない独立系の軸受専業として始まり、次の市場を自力で探すしかなかったため、1960年に国分工場でステアリングの試作へ自ら踏み込んだ。これに対し豊田工機は、自動車量産に欠かせない専用工作機械をトヨタが自前で確保するために1941年に分離独立した会社で、最初から親会社の生産計画に発注を握られていた。同じステアリングへ向かいなが… 売上高 1.9兆円 26/3 営業利益率 1.3% 26/3 ROE 1.6% 26/3 自己資本比率 47.9% 26/3
- 6479 ミネベアミツミ 戦後復興期に量産技術の確立していない極小ベアリングを国産化する難題は、設立1年での資金繰り危機として表に出た。実績のない精密部品メーカーへ銀行が融資をためらうなか、日産財閥創業者の鮎川義介氏が取引先の高橋精一郎氏に再建を託す。高橋氏は1952年に200万円を出資して筆頭株主となり、私財を注いで会社を立て直した。銀行や外部資本ではなく個人の資金力で危機を切り抜けたこの成立事情が、銀行関係に頼らない資… 売上高 1.7兆円 26/3 営業利益率 6.2% 26/3 ROE 11.2% 26/3 自己資本比率 48.9% 26/3
- 6481 THK 既にある市場で大手と競うより、世になかった部品の需要を自分で起こすほうが、一度失った信用と限られた資金のもとでも独自の競争力を築けたからである。寺町博氏は独自のニードルベアリングで日本トムソンを上場企業に育てたが、1970年の商品相場の失敗で社長を退いた。翌1971年に47歳で東邦精工を設立し、回転運動では普及していたベアリングを直線運動に応用したLMガイドを開発する。鋼球を線接触させて高荷重に耐… 売上高 2,404億円 25/12 営業利益率 6.0% 25/12 ROE -27.2% 25/12 自己資本比率 54.3% 25/12
- 6501 日立製作所 当時の電機は外国製を輸入するか海外企業と提携するのが常道で、輸入電機には高額のロイヤリティが付いて回った。同じ金を外国へ払い続けるより自前の研究に投じれば技術が社内に残り、海外への依存からも抜けられる。久原房之助氏の日立鉱山で輸入電機の修理を担っていた技術者・小平浪平氏は、その費用を自社開発に向け替えるべきだと考え、鉱山付属の修理工場で1910年に5馬力の誘導電動機を国産で完成させた。財閥資本と外… 売上高 10.6兆円 26/3 営業利益率 12.0% 26/3 ROE 12.6% 26/3 自己資本比率 42.3% 26/3
- 6502 東芝 2023年 上場廃止 重電を担う芝浦製作所と、電球から真空管・通信機へ広がる弱電を担う東京電気が、それぞれ事業を広げるなかで補完関係を深めていたため、両社を束ねれば発電から家庭電器まで一社で供給できると見込んだためである。芝浦製作所は田中久重氏の電信機工場を、東京電気は藤岡市助氏の白熱舎を源流とする。1939年9月、二つの流れは合併して東京芝浦電気となり、強電と弱電を併せ持つ日本で数少ない総合電機の担い手が生まれた。多… 売上高 3.4兆円 23/3 営業利益率 5.6% 23/3 ROE 10.1% 23/3 自己資本比率 35.2% 23/3
- 6503 三菱電機 外に市場を切り拓く新興企業として生まれたのではなく、三菱財閥の重電部門として親会社の需要を最初から抱えて発足したため、新領域は既存事業を整理せずに足していけばよかった。1921年に三菱造船神戸造船所の電機製作所を継承して創立し、神戸で変圧器・電動機・扇風機を手がけ、1923年に長崎でタービン発電機など重電機器、1924年に名古屋で家庭用電気機器へと拠点ごとに事業を広げた。財閥本体が需要を保証するな… 売上高 5.9兆円 26/3 営業利益率 7.3% 26/3 ROE 9.4% 26/3 自己資本比率 59.0% 26/3
- 6504 富士電機 出資の体裁が整っても現金が入らなければ、後発の会社は設備も増産も自前の資金では賄えず、外部の技術・資本・販路を借りて埋め合わせるほかない。1923年8月に古河電気工業とドイツ・シーメンスの合弁で発足した富士電機製造は、資本金1,000万円のうちシーメンス引受の300万円が機械の現物と技術報償金で振り替えられ、現金は入らなかった。日立・三菱・明電舎が先行する重電市場へ技術だけを持って参入したため、1… 売上高 1.2兆円 26/3 営業利益率 11.1% 26/3 ROE 12.3% 26/3 自己資本比率 56.9% 26/3
- 6506 安川電機 1915年に安川財閥の安川敬一郎が息子の清三郎・第五郎兄弟に勧めて興した安川電機は、発電機から変圧器まで手がける総合重電を狙ったが、先発の日立や芝浦製作所(東芝)に技術でもコストでも歯が立たず、1932年までの17年間を赤字と無配で過ごした。長く赤字を許容できたのは、父・敬一郎と安川財閥の中核である明治鉱業が減資・増資で支えたからである。1930年の昭和恐慌で約400名のうち200名を整理した安川… 売上高 5,421億円 26/2 営業利益率 8.7% 26/2 ROE 7.4% 26/2 自己資本比率 58.3% 26/2
- 6525 KOKUSAIエレクトリック 変動の大きい半導体製造装置は、安定を求める親会社の経営とは相性が必ずしも良くなく、専業として切り出したほうが事業の価値を伸ばしやすいという判断があった。日立製作所はかつて約20社を数えた上場子会社を絞り込み、2017年に日立国際電気をKKRへ売却する。半導体が業績を支えつつシリコンサイクルで揺れる構図を、佐久間嘉一郎社長は日立とのシナジーは乏しかったと振り返っている。2018年、装置事業はKKR傘… 売上高 2,351億円 26/3 営業利益率 17.8% 26/3 ROE 13.7% 26/3 自己資本比率 61.0% 26/3
- 6526 ソシオネクスト 設計から製造まで自社の系列で抱える日本の大手電機は、先端プロセスの巨額投資を単独でまかなえず、汎用半導体で台湾・韓国勢に押されていた。富士通とパナソニックのSoC部門も同じ事情を抱え、片方だけでは先端設計を続ける体力を欠いていた。エルピーダメモリの破綻、ルネサスの公的再建、東芝メモリの分社化と国内の半導体再編が相次ぐなか、2014年9月に受け皿の準備会社を横浜市に置き、翌2015年3月の会社分割で… 売上高 2,008億円 26/3 営業利益率 6.2% 26/3 ROE 6.6% 26/3 自己資本比率 79.4% 26/3
- 6532 ベイカレント 構築や運用保守の受託は、大手SIerが価格と人員で押さえる領域で、小規模事業者には単価も伸びしろも限られる。利益率の高い戦略・業務改善という上の工程へ寄れば、人手の規模で劣っても付加価値で稼げる余地が開ける。江口新氏は2002年に大手企業向けのコンサル専任部署を設けて主力を構築より上へ移し、2006年12月には商号をピーシーワークスからベイカレント・コンサルティングへ改めて、ITを基盤にした上流コ… 売上高 1,483億円 26/2 営業利益率 34.3% 26/2 ROE 32.3% 26/2 自己資本比率 74.3% 26/2
- 6544 ジャパンエレベーターサービスホールディングス エレベーター本体の開発・製造を持たない独立系は、その分の費用を抱えないため、メーカー系より低い保守料金を出せる余地がある。設置メーカーの保守は契約満了まで動かしにくいが、満了を迎えれば乗り換えが起きる。石田克史氏はこの一点を突いた。1994年10月、28歳で東京都千代田区にジャパンエレベーターサービスを設立し、メーカー系より2〜3割安い料金と現場対応の柔軟さを武器に、契約満了のビルを一台ずつ切り替… 売上高 576億円 26/3 営業利益率 19.1% 26/3 ROE 29.8% 26/3 自己資本比率 61.3% 26/3
- 6586 マキタ 電機業界がまだ未成熟だった大正初期は、配電インフラが地方都市まで届いたばかりで、電灯器具やモーターを売り、壊れれば直す需要が大手のいない隙間に残されていた。資本も人手も乏しい若い小規模事業者にも参入の余地があったわけである。1915年3月、名古屋の材木商の子・牧田茂三郎氏は21歳で父の資金を借り、経営不振の明治電気を引き取って牧田電機製作所を個人創業した。茂三郎氏のほか17歳の後藤十次郎氏ら4名で… 売上高 7,776億円 26/3 営業利益率 13.5% 26/3 ROE 8.0% 26/3 自己資本比率 83.8% 26/3
- 6590 芝浦メカトロニクス 親会社の発注で売上が立つ会社には、自前で顧客を開拓する動機が乏しい。芝浦メカトロニクスは1939年10月、東京芝浦電気が機械・兵器部門を切り出す形で株式会社芝浦京町製作所として設立され、東芝が98%を出資する実質100%子会社として出発した。鶴見工場の建物と設備を借り、従業員600名も東芝から引き継ぎ、同年12月に芝浦製作所へ改めた。創業者個人を持たず東芝の発注に応える受託加工が中核だったため、外… 売上高 880億円 26/3 営業利益率 17.3% 26/3 ROE 20.1% 26/3 自己資本比率 55.1% 26/3
- 6594 ニデック 創業まもない会社には実績も信用もなく、製品の良し悪しより企業の歴史と規模で取引相手を選ぶ国内市場では受注が取れなかった。性能と価格だけで判断する米国なら、若さも資金不足も問われない。1973年に日本電産を興した永守重信氏は精密小型モータを国内大手へ売り込んだが「若すぎる、信用がない」と門前払いが続き、渡米して3Mから受注を得た。IBMにも採用が広がって輸出比率は95%に達し、その米国実績が逆輸入の… 売上高 2.6兆円 25/3 営業利益率 9.1% 25/3 ROE 9.7% 25/3 自己資本比率 51.0% 25/3
- 6628 オンキヨー 2021年 上場廃止 音響機器の国内出荷額は1988年の6620億円を頂点に下降へ入り、バブル崩壊で本体の家電が痛んだ東芝にとって、縮む市場の専業子会社を抱え続ける理由は薄れていた。当時のオンキヨーは年商450億円で3期連続の赤字に沈んでいる。M&A仲介の野村企業情報の後藤光男社長は、東芝から売却先の相談を受けて「これは大朏以外にない」と即断した。買い手の大朏直人氏は丸八工業を10カ月、新白砂電機を1年で黒字に戻した実… 売上高 89億円 21/3 営業利益率 -44.2% 21/3 ROE 239.4% 21/3 自己資本比率 -39.5% 21/3
- 6632 JVCケンウッド 1990年代末まで日本勢が握った家電市場は、中国・韓国メーカーの低価格攻勢でコスト競争に転じ、中堅単独では規模も収益も保ちにくくなった。日本ビクターはかつての親会社パナソニックの傘下に残るより独立を選び、ケンウッドは音響・カーエレクトロニクス単独での競争力維持を断念した。どちらも単独では生き残れないという判断が重なり、2008年10月、株式移転で共同持株会社JVC・ケンウッド・ホールディングスが東… 売上高 3,569億円 26/3 営業利益率 5.8% 26/3 ROE 12.2% 26/3 自己資本比率 39.7% 26/3
- 6645 オムロン レントゲン撮影用タイマーで最初の市場をつかみ損ね、保護継電器という単品への依存と、戦災で社員が33人まで減る谷を経験したことが下敷きにある。立石一真氏は、他社が追随する前に独占できる市場を求めた。1952年に能率学の権威・上野陽一氏から米国の無人工場の話を聞き、日本にまだ言葉すらなかったオートメーションを将来有望なマーケットと見定める。1955年、すでに55歳、社員110人・年商2億4000万円の… 売上高 7,674億円 26/3 営業利益率 6.9% 26/3 ROE 3.4% 26/3 自己資本比率 55.1% 26/3
- 6665 エルピーダメモリ 2012年 上場廃止 DRAMは、微細化への投資を止めた期に原価で負ける装置産業である。総合電機の一事業として社内の投資枠を他部門と奪い合う限り、集中投資を続ける韓国勢には追いつけない。日本電気と日立製作所は、その判断から自社のDRAM事業を切り出した。1999年12月、東京都中央区八重洲にNEC日立メモリ株式会社を設立し、翌2000年5月にエルピーダメモリへ商号を改めている。2003年3月には三菱電機のDRAM事業も… 売上高 5,143億円 11/3 営業利益率 7.0% 11/3 ROE 0.7% 11/3 自己資本比率 32.5% 11/3
- 6670 MCJ 2026年 上場廃止 受注生産は、前払いでなければ事業が回らない資金繰りの制約から選んだ販売手法である。社員数名・資本金300万円の規模では部品を先に仕入れる現金がなく、家電量販店の棚も取りに行けない。そこで髙島勇二氏は注文を受けてから組み立てて代金を先に受け取る直販BTOを中心に据えた。部品在庫を抱えず、値下がりに合わせて毎月価格を改定できる機敏さが、結果として量販ブランドにない強みになった。1994年に「マウスコン… 売上高 2,072億円 25/3 営業利益率 9.4% 25/3 ROE 15.7% 25/3 自己資本比率 66.6% 25/3
- 6674 GSユアサ 鉛蓄電池は重量と物流費の比率が高く消耗品でもあるため、需要が伸びる限り地域ごとに供給拠点を持つ二社が併存しても採算が成り立った。京都の日本電池は1917年に島津製作所の蓄電池工場が独立して設立され、初代社長は島津源蔵が務めた。翌1918年には大阪で湯浅七左衛門が湯浅蓄電池製造所を創業し、両社は当初から海軍省・鉄道省などの官公需と自動車需要を奪い合った。戦後の自動車普及が需要を底上げし、1967年に… 売上高 6,090億円 26/3 営業利益率 9.9% 26/3 ROE 10.6% 26/3 自己資本比率 53.3% 26/3
- 6701 NEC 電話交換機や通信機は大量生産のノウハウと特許網が競争を左右する産業であり、量産技術の蓄積が乏しかった国内では、欧米資本と組んで技術を取り込むほうが独力で築くより速く確実だった。1899年7月、米ウェスタン・エレクトリック社との合弁により日本電気株式会社が設立され、日本初の外資系合弁メーカーとして電話交換機と通信機の製造から始まった。後年、小林宏治氏は当時を「特許の面では、9割までが外国特許であった… 売上高 3.6兆円 26/3 営業利益率 10.0% 26/3 ROE 12.8% 26/3 自己資本比率 47.3% 26/3
- 6702 富士通 米IBMが日本市場へ攻めてくるなか、電算機を国産で押さえる国策の圧力が富士電機系の通信機メーカーに向いたためである。欧州由来の通信技術で出発した富士通には1954年のFACOM100という計算機の足場があり、通信投資で稼ぎながら計算機を本業へ据え直す余地があった。1959年に読売新聞がIBMの日本進出計画と国産化への協力を促す論調を伝え、1967年6月に社名から「通信機」を外して自らをコンピュータ… 売上高 3.5兆円 26/3 営業利益率 9.9% 26/3 ROE 22.4% 26/3 自己資本比率 59.0% 26/3
- 6703 沖電気工業 電電公社という官需に受注量を預ける事業構成そのものが、高い利潤率を許さなかった。1969年3月、専務取締役の山本正明氏は証券アナリスト協会の講演で、公共的色彩の濃い機種や合理化目的の機種が多いため高い利潤率は期待しがたいと事業構成に由来する制約を認めた。電電公社への依存率は33〜45%の間を往復し、1963年度上期から6年で売上は倍増以上になったのに利益は23%増にとどまった。過去3回の長期計画は… 売上高 4,525億円 25/3 営業利益率 4.1% 25/3 ROE 8.6% 25/3 自己資本比率 35.4% 25/3
- 6707 サンケン電気 研究機関の後継というサンケン電気の出自は、量産設備も顧客基盤も乏しい一方で、新材料を見極める研究力を残した。後発でゲルマニウムを追うより、次に主流となる材料へ先回りするほうが、研究力を量産で活かせると小谷銕治氏は読んだ。1952〜53年のゲルマニウム整流器登場に際し「セレンからシリコンに代わる一過程に過ぎない」と見切り、他社に先がけてシリコン開発に専念した。1958年に国産初の拡散型シリコン整流素… 売上高 802億円 26/3 営業利益率 -5.9% 26/3 ROE -8.2% 26/3 自己資本比率 50.1% 26/3
- 6723 ルネサスエレクトロニクス 電機大手が自社のバランスシートから半導体を切り離す整理の一環として生まれたため、独立した事業会社としての設計図を欠いたまま走り出した。2002年11月、日本電気は汎用DRAMを除く半導体事業を会社分割し、川崎市にNECエレクトロニクスを設立した。海外勢が設計と製造を分けるファブライトへ移っていた時期に、自前の製造拠点と高い固定費を背負ったまま独立を迫られ、上場後の数年はほぼ毎期赤字が続いた。市況悪… 売上高 1.3兆円 25/12 営業利益率 15.2% 25/12 ROE -2.1% 25/12 自己資本比率 58.4% 25/12
- 6724 セイコーエプソン 別々の会社が同じ製品で競い合う遠心力が、エレクトロニクス不況で重荷に変わったためである。諏訪精工舎と服部セイコーは液晶カラーテレビを「テレビアン」「マイチャンネル」として正面からぶつけ合うほど分散しており、不況下では人も物も金も二重投資になった。1975年に非時計分野のブランドとして制定した『EPSON』と独自の販売網で突出していたエプソンを、1985年11月に諏訪精工舎が吸収してセイコーエプソン… 売上高 1.4兆円 26/3 営業利益率 3.5% 26/3 ROE 2.1% 26/3 自己資本比率 55.6% 26/3
- 6728 アルバック 真空装置は研究室ごとに用途も仕様も異なり、輸入品をそのまま納めるだけでは注文に合わせきれず、保守も部品供給も海外任せでは専業として商いが続かない。1952年8月、米国NRC Equipment Corporationとの総代理店契約で各種真空装置の輸入販売から事業を起こした日本真空技術は、設計・製造を自前で持たねば専業メーカーとして立てないと見た。1955年に大森工場で国産装置の製造に着手し、翌年… 売上高 2,512億円 25/6 営業利益率 10.6% 25/6 ROE 7.5% 25/6 自己資本比率 59.6% 25/6
- 6752 パナソニック 生活に欠かせない物資を安く大量に供給できれば、無名でも数の力で問屋や小売店を動かせる。9歳で丁稚奉公に出て大阪電灯で配線工事に従事した松下幸之助氏は、安く役立つ物が広く売れる現場を体で知っていた。1923年の砲弾型電池式ランプは無名ゆえ問屋に相手にされず、全国の小売店へ無償配布して性能を示すことで販路を開いた。1927年に統一商標「ナショナル」を制定して新製品ごとに既存の信頼を転用し、1932年に… 売上高 8.0兆円 26/3 営業利益率 2.9% 26/3 ROE 3.8% 26/3 自己資本比率 49.6% 26/3
- 6753 シャープ 輸入品の半額や大手の半値で先に売り出すほど、まだ参入者の少ない新技術の市場をいち早く押さえられ、価格に敏感な大衆層を取り込める。設備も販路も乏しい中堅にとって、規模ではなく先行と低価格でしか大手と戦えなかった。早川徳次氏は1923年9月の関東大震災で東京の文具下請け11年分の事業基盤を一瞬で失い、特許を譲って大阪へ移った。再起の地・阿倍野で1925年に国内初の鉱石ラジオ受信機を開発し、輸入品の半額… 売上高 1.9兆円 26/3 営業利益率 2.6% 26/3 ROE 16.8% 26/3 自己資本比率 19.7% 26/3
- 6754 アンリツ 計測機器の系譜は、官需に通信機器を納める供給者だった出自から育った。共立電機は逓信省・陸軍省・鉄道省の指定工場として有線通信機を、安中電機製作所は無線通信機をつくり、規格どおりに動くかを自ら測る試験技術を社内に抱えていた。1931年に両社が合併して安立電気が生まれ、戦後は電電公社の通信網投資に連動して機器を納めるうちに、つくる機器より、それを評価する計測機器のほうへ需要の重みが移った。官需向け通信… 売上高 1,175億円 26/3 営業利益率 12.6% 26/3 ROE 8.8% 26/3 自己資本比率 76.6% 26/3
- 6758 ソニー 設備投資と全国の販売網で大手が競う総合電機で、資本金19万円の零細企業が性能だけで勝つのは難しい。そこで井深大氏は、競争を時間ごと封じる法的な壁を先に押さえた。1950年に安立電気とNECから高周波バイアス法の特許を25万円で取得し、この特許が切れる1960年まで東芝・日立・松下電器のテープレコーダー参入を実質的に阻んだ。守られた10年のあいだに量産技術と資金を蓄え、次のトランジスタラジオへの跳躍… 売上高 12.5兆円 26/3 営業利益率 11.6% 26/3 ROE -4.2% 26/3 自己資本比率 49.3% 26/3
- 6762 TDK 大学で生まれた新素材フェライトには量産技術も明確な用途もなく、リスクを取って事業化する大手はどこも現れなかった。空白を埋める担い手が一人いれば先行者になれる領域だったといえる。連続起業家の齋藤憲三氏は、加藤与五郎博士の「独創性のある工業こそが工業だ」という理念に共鳴し、1935年12月7日に資本金2万円で東京電気化学工業を設立した。製造設備に必要な10万円は会社の資金では賄えず、鐘淵紡績の津田信吾… 売上高 2.5兆円 26/3 営業利益率 10.9% 26/3 ROE 9.0% 26/3 自己資本比率 49.2% 26/3
- 6764 三洋電機 2011年 上場廃止 義兄の松下幸之助氏と同じ家電を国内で奪い合えば、松下電器で約30年専務を務めた井植歳男氏が独立した意味が薄れる。身内の本拠地を避け、競争の重なりにくい輸出と製品で自社の領域を確保する必要があった。1947年に大阪府守口で三洋電機製作所を創業した井植氏は、松下から譲り受けた北条工場で自転車用発電ランプを量産し、1950年に国内シェア約7割を握ると、インドネシアや台湾への輸出に活路を求めた。太平洋・大… 売上高 1.5兆円 11/3 営業利益率 2.3% 11/3 ROE -54.9% 11/3 自己資本比率 5.7% 11/3
- 6770 アルプスアルパイン 自前の素材も技術もない一介の技術者が市場へ食い込むには、誰も手当てしていない品質の隙間を突くほかなかった。片岡勝太郎氏は東芝を退いて神田でジャンク屋を営むなか、出回る可変蓄電器に良品が乏しいことに気づき、1948年に資本金50万円・従業員23名で片岡電気を設立して「アルプス」ブランドの高品質バリコンを秋葉原で売った。1950年の朝鮮動乱で部品特需が来ても量より質を貫き、休戦後の倒産ラッシュを品質だ… 売上高 1.0兆円 26/3 営業利益率 4.1% 26/3 ROE 6.0% 26/3 自己資本比率 57.1% 26/3
- 6773 パイオニア 資金力で総合家電大手に並べない以上、量販流通で台数を競う土俵では勝てないと松本望氏は認めた。そこで競合の少ない高品位オーディオに技術と品質を集め、家電量販ではなく音響専門店を主戦場に据える独自の販路を選んだ。1955年に参入したテレビはシャープや松下電器に資金力で敗れて撤退し、1962年には世界初のセパレートステレオを発表して音響専業の立ち位置を固めた。同業メーカーが現れては消えるなか、20年を生… 売上高 2,698億円 22/3 営業利益率 0.3% 18/3 ROE -8.8% 18/3 自己資本比率 28.0% 18/3
- 6787 メイコー 一つの部品に絞れば、家電が高性能化するたびに同じ基板を作り込む技術が深まり、品種が変わっても蓄積が効く。名屋佑一郎氏は昭和無線工業の技術者として基板開発に携わるなかで、今後より高性能なプリント配線板が要ると見て、当時の先端品だった両面基板の需要拡大に商機を見出した。1974年に自宅の庭の約10坪の小屋で基板のパターン設計と製造を始め、翌1975年11月に神奈川県綾瀬市で名幸電子工業を設立、設立目的… 売上高 2,406億円 26/3 営業利益率 10.2% 26/3 ROE 14.5% 26/3 自己資本比率 40.6% 26/3
- 6792 日本ビクター 2008年 上場廃止 親会社が頻繁に替わり、どの株主も腰を据えて研究開発まで握る余裕を持たなかったため、技術と製品を自前で組み立てる癖が組織に残った。1927年9月に米ビクタートーキングマシンが横浜で日本ビクター蓄音器を設立してから、1938年にRCAが資本を引き揚げ、1943年に戦時統制で東京芝浦電気の傘下に移り、1954年に経営難で松下電器産業の資本参加を受けるまで、16年で資本の主体が三度替わった。所有が定まらな… 売上高 4,621億円 09/3 営業利益率 -0.2% 09/3 ROE -27.6% 09/3 自己資本比率 34.2% 09/3
- 6793 山水電気 2012年 上場廃止 創業は1944年12月、東京都渋谷区でのトランス生産である。1954年8月にステレオアンプへ移った転換に無理はなかった。真空管式アンプの音質を左右するのは出力トランスであり、10年分の巻線技術がそのまま完成品の中核に置けたためである。売り先は初めから海外にあり、事典は製品の90%以上を日本国外で販売したと記す。1970年代にはチューナーのトリオ、アンプの山水電気、スピーカーのパイオニアがオーディオ… 売上高 0億円 10/12 営業利益率 — ROE -12.6% 10/12 自己資本比率 98.1% 10/12
- 6802 赤井電機 フォノモーターは精密機構の塊でありながら汎用部品ゆえに買い手が価格で選ぶため、松下電器など量産で勝る大手が入ると単体では利益が残らない。そこで赤井三郎氏は、同じ精密駆動技術を活かせて完成品として値づけできるテープレコーダーへ移し、価格で消耗しない最終製品の領域を取りにいった。1948年に電蓄用小型モーターで国内市場を一時席巻したものの大手参入で採算が悪化し、1951年にテープレコーダーへ参入する判… 売上高 801億円 84/11 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 6806 ヒロセ電機 工場を地方へ移したのは空襲と物資統制を避けるためだったが、結果として湯河原工場は戦火を免れ、終戦後すぐ稼働できる数少ない生産設備として残った。ラジオ・テレビ受信機が普及する戦後の電子機器産業では、機器どうしをつなぐコネクタが標準部品として需要を伸ばし、残った設備を活かす先になった。1937年に広瀬銈三氏が東京・赤坂で創業した広瀬商会は電気絶縁物と陸海軍向け通信機部品を作る零細メーカーだったが、19… 売上高 2,113億円 26/3 営業利益率 20.4% 26/3 ROE 8.8% 26/3 自己資本比率 87.7% 26/3
- 6807 日本航空電子工業 米軍機の修理受託は、そのまま最新の電子技術を習得する手段でもあった。会社はそこで得た知識をもとに航空電子機器内のコネクタの将来性に着目し、米国キャノン・エレクトリック社との技術援助契約で輸入販売を経てから、1955年8月に自社製造へ移った。初代社長の沼本實氏がトランス1個5ドルの修理から興した会社は、防衛需要で技術を確立し民需で数量を稼ぐ型を創業の10年で身につけ、この1955年のコネクタが70年… 売上高 2,279億円 26/3 営業利益率 3.9% 26/3 ROE 4.9% 26/3 自己資本比率 62.2% 26/3
- 6839 船井電機 2021年 上場廃止 ドル建て輸出はコスト以外に武器がなく、円高が進むたびに利益が消えるため、日々の現場改善で原価を削り続ける仕組みそのものが生き残りの条件だった。1971年のニクソンショックによる円高が輸出依存の船井電機を直撃し、1976年、約100人の幹部社員をトヨタグループの工場へ3カ月間の研修に送った。ここからかんばん方式を改良した独自の生産方式FPS(フナイ・プロダクション・システム)が生まれ、ラインの速度を… 売上高 804億円 21/3 営業利益率 -0.4% 21/3 ROE 0.0% 21/3 自己資本比率 70.3% 21/3
- 6841 横河電機 横河民輔は本業の建築設計に加えて、橋梁と電気計器という別々の技術を事業にした人物であり、計器づくりそのものは民輔の専業ではなかった。各社へ技術者を配して独立して運営させる設計の一環として、計器も次世代へ委ねるのが理にかなっていた。1915年に東京渋谷で電気計器研究所を個人創業し、計器開発は甥の横河一郎や青木晋ら20代の技術者に託した。1917年に電流計・電圧計・電力計の国産化を実現すると、1920… 売上高 6,048億円 26/3 営業利益率 13.6% 26/3 ROE 11.2% 26/3 自己資本比率 65.4% 26/3
- 6845 アズビル 為替の下落で輸入機械が割高になり、欧米製品を仕入れて売る商社のままでは利が細ったためである。山武商会は割高な輸入品の国産化に乗り出し、米ブラウン・インストルメント・カンパニーの計器を未完成品で輸入して国内で組み立てる方式をとった。1932年7月の株式会社改組とほぼ同時に八重洲ビルで組立を始め、1933年4月には大森に計器製作所を設けて、輸入の現場で蓄えた製造ノウハウを自前化する形で計測機器メーカー… 売上高 2,989億円 26/3 営業利益率 15.8% 26/3 ROE 15.3% 26/3 自己資本比率 76.1% 26/3
- 6849 日本光電工業 創業者の荻野義夫氏が掲げた「医学と工学の結合」は、市場がまだ小さい医用電子機器だけでは、資本に乏しい新興企業がすぐに食べていける事業ではなかった。そこで1949年制定の身体障害者福祉法で国庫補助のつく補聴器を糊口の手段に選び、その稼ぎで本来の目的である脳波計や血圧計の開発を進めた。設立4か月後の1951年12月には、世界初の8チャンネル全交流直記式脳波装置ME-1Dを完成させている。 売上高 2,351億円 26/3 営業利益率 8.0% 26/3 ROE 8.1% 26/3 自己資本比率 70.1% 26/3
- 6856 堀場製作所 中堅の計測専業が大企業と伍していくには、限られた人材と資金を得意分野へ集中し、不得意な領域は外部に委ねる分業が合理的だった。創業者の堀場雅夫氏は中小企業が生き残る道は専門分野への特化にあると考え、1959年に日立製作所と対等な連名ブランド「日立-堀場」で業務・技術提携を結んだ。堀場製作所は分析・計測機器の開発に特化し、製造は協力工場、販売は日立系の日製産業のルートに委ねることで、研究投資を計測技術… 売上高 3,331億円 25/12 営業利益率 15.9% 25/12 ROE 10.6% 25/12 自己資本比率 67.3% 25/12
- 6857 アドバンテスト 大手と同じ土俵で量産品を競えば、資本も販路も持たない零細企業に勝ち目はない。代替品のない独自製品なら値引き競争を避けて高い利益率を取れるため、武田郁夫氏は日立や三菱が手がけない電子計測器に的を絞った。1954年に通信省電気試験所の技官だった同氏は30歳で独立し、愛知県豊橋市にタケダ理研工業を興した。技術で稼ぐ路線は米GE副社長が豊橋本社を訪ねるほど評価された一方、原価計算すら持たず機種ごとの採算を… 売上高 1.1兆円 26/3 営業利益率 44.2% 26/3 ROE 47.2% 26/3 自己資本比率 67.9% 26/3
- 6861 キーエンス 二度起こした会社をいずれも倒産で失った経験が、収益と財務に厳しく構える判断軸を滝崎武光氏に与えた。資金が尽きれば事業は終わるため、規模を追うより一台ごとに利益を残す設計を優先した。1972年に27歳で兵庫県伊丹市に起こしたリード電機では、電線メーカー向けの地味な自動線材切断機でも営業利益率2割前後を取り、翌年トヨタ自動車向けに開発した金型保護のセンサーでは、原価ではなく顧客が現場で得る効果を基準に… 売上高 1.2兆円 26/3 営業利益率 51.0% 26/3 ROE 12.8% 26/3 自己資本比率 94.6% 26/3
- 6869 シスメックス 他社の製品を売る販社のままでは、機器の利益の大半が製造元の親会社に落ち、手元には薄い販売手数料しか残らない。自動化検査機器の市場が広がるほど、自社で機器と試薬を握らなければ拡大する需要を収益に変えられないと早くに見切った。1968年2月に東亞特殊電機が製造する血球計数装置の販社として神戸で出発した東亞医用電子は、1972年2月に親会社の医用電子機器開発製造部門を譲り受け、機器設計から試薬開発まで自… 売上高 5,000億円 26/3 営業利益率 10.4% 26/3 ROE 7.0% 26/3 自己資本比率 71.3% 26/3
- 6902 デンソー 戦後の金融引き締めで経営危機に陥ったトヨタ自動車は、再建のため不採算の電装品部門を切り離す必要に迫られた。倒産しても本体のブランドへ傷がつかないよう距離を置くのが親会社の狙いであり、1949年12月に設立された日本電装には社名へ「トヨタ」を冠することが許されず、ラジエータ部門の累積赤字1.4億円を借入金として継承させられた。資本金1,500万円に対し自己資本比率5%という財務で発足し、独立というよ… 売上高 7.5兆円 26/3 営業利益率 7.3% 26/3 ROE 8.4% 26/3 自己資本比率 60.4% 26/3
- 6920 レーザーテック 設計と現場が近い少人数の組織なら顧客の要望に即応でき、大企業が2年かける開発を半年で仕上げられる。そこへ資金の乏しさが重なり、製造設備を自前で抱える余裕がなかったため、研究開発に資源を集め製造は協力会社に委ねる分業を最初から採った。1960年7月、内山康氏は松下通信工業を出て29歳で東京都目黒区に東京ITV研究所を設立した。資金制約から生まれたこの選択は、製造設備を持たないがゆえに事業を畳むときの… 売上高 2,515億円 25/6 営業利益率 48.8% 25/6 ROE 40.3% 25/6 自己資本比率 63.7% 25/6
- 6951 日本電子 電子顕微鏡は光学顕微鏡では届かないナノ領域を観察できる先端計測機器でありながら、当時はドイツのジーメンスや米国のRCAなど欧米数社しか作れず、占領下の日本では輸入を含め入手が難しかった。科学振興と工業立国に日本再建の道を見た風戸健二氏を中心とするグループは、ないなら自ら作るほかないと考えた。1946年5月に千葉県茂原市で研究開発へ着手し、約1年半の試作を経て、1949年5月に総員13名・資本金50… 売上高 1,794億円 26/3 営業利益率 14.5% 26/3 ROE 15.3% 26/3 自己資本比率 59.9% 26/3
- 6952 カシオ計算機 既存品を改良して奪い合うより、まだ誰も使っていない計算手段を商品にして需要そのものを生み出すほうが、後発でも市場を取れる。1957年に世界初の小型純電気式計算機「14-A」を量産した会社にとって、電卓は8桁以上の事務用で3万円以上という常識は壊す対象でしかなかった。1972年8月、表示を6桁に割り切ったカシオミニを12,800円で発売し、社内外の「おもちゃみたいな電卓が作れるか」という批判を押し切… 売上高 2,763億円 26/3 営業利益率 8.4% 26/3 ROE 7.8% 26/3 自己資本比率 66.9% 26/3
- 6954 ファナック 数値制御(NC)装置は参入から約十年間赤字が続き、富士通社内で「神代の時代」と呼ばれた。それでも開発を貫けたのは、母体である富士通の体力がその赤字を吸収できたからである。1956年、富士通常務の尾見半左右氏が掲げた「3C構想」の制御担当として、稲葉清右衛門氏がNC研究に着手した。事業は1965年にようやく初の黒字へ転換し、競合が耐えられない長期投資を大企業の懐が支えた構図が、1972年の独立後にフ… 売上高 8,578億円 26/3 営業利益率 21.4% 26/3 ROE 8.9% 26/3 自己資本比率 89.2% 26/3
- 6963 ローム 抵抗器で資本も技術も大手に劣る後発が、巨額の開発投資を要する最先端の汎用品で正面から戦えば消耗するだけである。そこでロームは大手が手を抜く領域を選んだ。1969年にICへ参入すると、日立や東芝が汎用DRAMへ集中投資する横で、オーディオ向けカスタムICや旧世代のSRAMに絞る「3番手戦略」を採り、米国のデザインハウスから回路図を購入して開発費を抑えた。佐藤研一郎氏は「白紙の状態から開発するのに比べ… 売上高 4,811億円 26/3 営業利益率 2.3% 26/3 ROE -20.9% 26/3 自己資本比率 59.1% 26/3
- 6965 浜松ホトニクス 性能が一段抜ければ高く売れる先端技術の領域であり、量産では大手電機メーカーの下請けに沈むと読んだためである。創業者の堀内平八郎氏は、日本で初めてテレビの映像受信に成功した高柳健次郎氏の助手として、光を電気信号へ変える光電変換管の開発を担っていた。1948年に堀内氏が東海電子研究所を構え、1953年9月に浜松テレビを設立した際、堀内氏から経営を託された晝馬輝夫氏は、いま存在しない技術を追う高柳氏の思… 売上高 2,121億円 25/9 営業利益率 7.6% 25/9 ROE 4.4% 25/9 自己資本比率 70.7% 25/9
- 6966 三井ハイテック 金型そのものは安く、価値を生むのはそれが打ち抜く部品の精度と耐久だった。エアコンや冷蔵庫のモーター鉄心は珪素鋼板を寸分たがわず大量に抜き続ける必要があり、わずかな金型の摩耗が不良率を押し上げる。そこへ精度を売る余地があった。三井孝昭は安川電機で身につけたモーター向け金型の技術を持って1949年に福岡県八幡市で独立し、八幡製鐵所のおひざ元という鋼材の集積地に拠った。1958年には1億枚の打抜きに耐え… 売上高 2,183億円 26/1 営業利益率 5.8% 26/1 ROE 2.8% 26/1 自己資本比率 47.0% 26/1
- 6971 京セラ 技術はあっても信用も資本もない27歳の技術者が、京都の財界人の出資で会社を興した以上、所有では主導権を持てなかった。そこで稲盛和夫氏は、先に量産実績で稼ぎを立てて発言力を得る順序を選んだ。1959年に宮木電機の宮木男也氏ら京都財界人の出資で京都セラミックを設立したとき、稲盛氏の持株は3,500株で出資者に次ぐ第4位にとどまった。ところがブラウン管テレビ用絶縁部品「U字ケルシマ」を松下電子工業向けに… 売上高 2.1兆円 26/3 営業利益率 5.7% 26/3 ROE 4.3% 26/3 自己資本比率 71.3% 26/3
- 6976 太陽誘電 材料研究を出発点に置き、誘電体の粒子径から焼成条件、電極との整合までを自社で握る垂直統合にこそ競争力の源泉があると佐藤彦八は見ていた。半導体は別の技術体系であり、研究者出身の佐藤氏は自らが材料から握れる受動部品へ資源を絞る方が技術で差をつけやすいと判断した。1950年に東京都杉並区で太陽誘電を設立し、同年チタン酸バリウムのセラミックコンデンサを商品化、全社員約1150名のうち1割超を研究部門に置い… 売上高 3,553億円 26/3 営業利益率 5.6% 26/3 ROE 4.3% 26/3 自己資本比率 56.0% 26/3
- 6981 村田製作所 焼き物しか知らない零細な町工場が、唯一の取引先だった大企業と取引を続けるには、同業より安く売るのではなく、他社が作れないものを品質で通すしかなかった。村田昭氏は京都の碍子屋に生まれ、1944年に京都市中京区で村田製作所を創業し、三菱電機伊丹製作所向けのチタン酸化物セラミックコンデンサを3カ月で完成させて取引を開いた。「生まれつき、人と競争するのがいやだったから、一歩、人の先を行くようになった」と昭… 売上高 1.8兆円 26/3 営業利益率 15.4% 26/3 ROE 8.6% 26/3 自己資本比率 85.0% 26/3
- 6988 日東電工 第一次世界大戦で欧州からの絶縁材料の輸入が途絶えたことが設立の動機であり、日東電工は輸入が止まった重電機メーカー向けの絶縁材料を埋める供給者として生まれた。つまり需要そのものが特定顧客への密着を前提にしており、単品を狭い相手へ納める構造を最初から抱えていた。1918年に稲村藤太郎が東京・大崎で従業員14名で起こした会社の主要顧客は日立製作所などで、その日立が1930年頃にワニスの内製化へ動くと受注… 売上高 1.0兆円 26/3 営業利益率 17.9% 26/3 ROE 11.6% 26/3 自己資本比率 79.6% 26/3
- 7003 三井E&S 1923年の関東大震災が転機となった。関東の造船所が壊滅して関西へ修繕船が殺到し、救援・復興物資の輸送で船腹需要も急増したため、造船部は輸入古船の修繕28隻と震災で焼失した船の代替建造114隻を受注した。それまで毎期の欠損が続き、三井物産の首脳部には造船部廃止論が強かったが、この震災特需による活況で廃止論は立ち消えとなった。船舶部はこれを機に古船輸入の方針をあらため、経済的な優秀船の建造へ転換し、… 売上高 3,532億円 26/3 営業利益率 10.7% 26/3 ROE 16.8% 26/3 自己資本比率 46.3% 26/3
- 7004 カナデビア 社名が刻むのは事業の中身ではなく、その時々の出資者だった。1881年に英国人E.H.ハンターが大阪安治川岸へ起こした大阪鉄工所は、創業家が早くに持株を手放し、株主が大阪商船・久原鉱業と移ろう。1934年に鮎川義介率いる日産コンツェルンが全株を取得し、1936年にはその持株を日立製作所が肩代わりして系列下に入った。戦時統合のさなかの1943年、親会社の名を冠して日立造船へ改称し、外資創業の造船所は日… 売上高 6,452億円 26/3 営業利益率 1.9% 26/3 ROE 5.7% 26/3 自己資本比率 27.4% 26/3
- 7011 三菱重工業 自社の海運で使う船舶の修繕をわざわざ英国まで持ち出す非効率を解消するには、国内に自前の造船所を抱えるほうが速く安く済む。岩崎弥太郎氏以来の垂直統合の発想がここに働いた。1887年に三菱財閥が明治政府から長崎熔鉄所の払い下げを受け、最初から最大の顧客が自社グループという閉じた取引で造船事業を始めた。やがて海軍向け艦艇という別の身内顧客が加わり、限られた相手と深く長く組む取引の型が、戦前のうちに定着し… 売上高 5.0兆円 26/3 営業利益率 9.5% 26/3 ROE 11.3% 26/3 自己資本比率 35.7% 26/3
- 7012 川崎重工業 造船は受注できる場所に近いほど強く、立地が受注力を直接左右する。東京築地は敷地拡張に限界がある一方、海運の中心は東京から神戸へ移りつつあり、関西に拠点を構えるほうが将来の船舶需要を取り込みやすかった。そこで川崎正蔵氏は、1881年に兵庫東出町へ第二拠点を設けたうえで、1886年に官営兵庫造船所を借り受けて併合し、商号を川崎造船所と改めて事業一切を神戸へ移した。この立地の選び直しが、後年に三菱と並ぶ… 売上高 2.3兆円 26/3 営業利益率 6.3% 26/3 ROE 13.4% 26/3 自己資本比率 24.3% 26/3
- 7013 IHI 財閥の収益を機械部門に投じられる三井・三菱・住友と違い、後ろ盾のない石川島は素材から部品まで一切を自給せざるを得ず、その過程で扱う機械の幅が広がった。1853年にペリー来航を受けて幕府が隅田川河口の石川島に設けた造船所を源流とし、1876年に機関技師の平野富二氏が個人経営として民営化した後、平野氏は日本最初の蒸汽船からボイラ・製糸機械・鉄橋・エレベーターまで国産化を重ねた。財閥系でないこの形成過程… 売上高 1.6兆円 26/3 営業利益率 10.1% 26/3 ROE 25.8% 26/3 自己資本比率 25.7% 26/3
- 7014 名村造船所 創業の流儀が、家が代々持ち続けても揺らがない財務体質を支えたためである。父・源兵衛の築港事業失敗で田畑を失った名村源之助は、借入による過剰投資を避ける「堅実経営」と、取引先に迷惑をかけない「信用第一主義」を商売の柱に据えた。1911年に大阪・安治川河口で個人創業した名村造船鉄工所は、1931年に旧村尾造船所の施設を買い取って株式会社へ改め、1949年に大阪証券取引所へ上場する。資本市場へ出てなお、… 売上高 1,590億円 26/3 営業利益率 17.7% 26/3 ROE 15.8% 26/3 自己資本比率 51.5% 26/3
- 7105 三菱ロジスネクスト 2026年 上場廃止 倉庫や工場の構内では排気ガスを出せず、狭い通路で小回りの利く動力が求められる。この用途に電池駆動の電動車が合致した。日本輸送機は1937年に蓄電池式の機関車・運搬車で創業し、1958年には日本初のリーチ式バッテリーフォークリフトを世に出して屋内物流の需要をつかんだ。エンジン式が量で先行するなか、国内の屋内という土俵に絞って電動車専業の立ち位置を固めたことが、後年に海外・エンジン車で強い三菱重工業と… 売上高 6,656億円 25/3 営業利益率 3.1% 25/3 ROE 7.0% 25/3 自己資本比率 24.2% 25/3
- 7148 FPG 大手金融機関や証券会社がひしめく分野で正面から競っても勝ち目は薄く、誰も占めていない隙間を選ぶほうが少人数のベンチャーには分があった。谷村尚永氏は「競争の激しいところにいくのではなく、人と違うことをやりたい」と語っている。2001年11月、ITバブル崩壊後の停滞期に東京都世田谷区で有限会社ファイナンシャル・プロダクト・グループを設立し、海上コンテナや航空機のオペレーティングリースを匿名組合で組成し… 売上高 1,298億円 25/9 営業利益率 19.6% 25/9 ROE 31.8% 25/9 自己資本比率 45.0% 25/9
- 7157 ライフネット生命保険 護送船団方式のもとで独立系の新規参入には前例がなく、2006年当時は誰に相談しても無理だと言われた。日本生命で大蔵省との交渉役を務めた出口治明氏は、過去5年分の金融庁の通達と金融審議会保険部会の記録をすべて読み、当局がむしろ競争の促進を求めていると読み取った。既存の生命保険会社を株主に迎えれば免許は取りやすくなると知りながら、自由度を保つためにあえて生保を株主にしないと決めている。8社のうち1社に… 売上高 344億円 26/3 営業利益率 33.1% 26/3 ROE 8.4% 26/3 自己資本比率 78.5% 26/3
- 7164 全国保証 信用保証は、保証先の金融機関がどこか一行の系列に属すると、その親銀行と競合する他行からは取引相手として敬遠されやすい。どの銀行系列にも属さない中立な立場であればこそ、業態や系列を越えて幅広い金融機関と並列で組める。全国保証は1981年2月に東京都千代田区大手町で資本金50百万円の信用保証専業会社として設立され、同年4月の厚生年金転貸住宅融資の保証を出発点に据えた。住宅金融公庫が住宅資金の中核を担っ… 売上高 587億円 26/3 営業利益率 70.5% 26/3 ROE 13.3% 26/3 自己資本比率 48.9% 26/3
- 7167 めぶきフィナンシャルグループ 預金者保護と地域金融の維持を優先するなら、債務超過の銀行を退場させるより、いったん国が抱えて再建し民間へ戻すほうが地域経済への打撃が小さかった。1895年創業の足利銀行は栃木県の融資中核を担ったが、バブル期の不動産・建設業向け融資の処理が遅れ、2003年9月期に連結最終損失5,178億円を出して自己資本比率がマイナスに転落した。同年11月、預金保険機構が全株式を取得して完全国有化し、5年がかりで財… 売上高 4,433億円 26/3 営業利益率 26.1% 26/3 ROE 7.8% 26/3 自己資本比率 5.1% 26/3
- 7186 横浜フィナンシャルグループ 破綻処理と預金者保護を同時に担う仕事は通常の営業収益だけでは成り立たず、外部の信用補完を前提とせざるをえない。そこで政府・日本銀行が特別融資1,600万円を出し、役員無報酬・株式無配当という条件で支える形をとった。第一次世界大戦後の反動恐慌で横浜最大の七十四銀行と横浜貯蓄銀行が相次いで休業し、横浜の金融秩序が崩れた直後の1920年12月、地元財界はこの異例の銀行として横浜興信銀行を開業させ、破綻両… 売上高 4,907億円 26/3 営業利益率 31.6% 26/3 ROE 7.6% 26/3 自己資本比率 5.5% 26/3
- 7201 日産自動車 自動車は年に500台や1,000台では研究にしかならず、量産してこそ輸入車の価格に対抗できると鮎川義介氏は見ていた。米フォードとGMの輸入車が国内市場を握るなか、量産の単価でしか勝てないと読み、規模を先に決めて設備と提携を逆算する順序を選んだ。莫大な投資は、傘下に好業績の企業群を抱える日産コンツェルンの収益を自動車へ振り向ける持株会社の構えで支えられた。1933年12月に自動車製造株式会社を設立し… 売上高 12.0兆円 26/3 営業利益率 0.5% 26/3 ROE -11.1% 26/3 自己資本比率 24.2% 26/3
- 7202 いすゞ自動車 戦時下の国策で東京瓦斯電気と合同して発足した会社にとって、日野はもともと陸軍直轄の戦車工場として抱え込んだ部門にすぎず、商工省管轄の本体とは管轄が異なり組織内の軋轢も深かった。1942年に日野製造所を日野重工業として切り離したのはその二重管轄を解く処置であり、続く財閥解体期にいすゞは継承した日野株式の全面売却を求められた。国策で一度束ねられた両社は、こうして同じ国産ディーゼル商用車を主戦場とする宿… 売上高 3.5兆円 26/3 営業利益率 5.9% 26/3 ROE 10.4% 26/3 自己資本比率 35.4% 26/3
- 7203 トヨタ自動車 需要が確実になってから設備を増強したのでは、量産効果による原価低減で他社に先行され、供給力でも見劣りする。英二専務は月産1万台規模の乗用車専門工場を提案したが、石田退三社長は月産5000台の設備投資にとどめつつ、建屋だけは将来の月産1万台に対応する規模で設計させた。1959年8月に着工から11カ月で竣工した元町工場は、同年12月に目標の月産1万台を達成した。数年遅れて1962年に完成した日産自動車… 売上高 50.7兆円 26/3 営業利益率 7.4% 26/3 ROE 9.9% 26/3 自己資本比率 36.8% 26/3
- 7205 日野自動車 2026年 上場廃止 戦車量産で蓄えたディーゼルエンジンと車体の設計生産技術が、重量物を運ぶ大型トラックにそのまま使える資産だったためである。1942年に陸軍向け戦車を主力として東京自動車工業から分離した日野重工業は、終戦で戦車製造が全面停止し、約7000名へ解雇通告が出る危機に陥った。翌月に残留300名が日野産業として再出発し、軍需で磨いた技術を民生トラックへ転用した。乗用車量産の系譜を持たず、最初から大型商用車を母… 売上高 1.7兆円 25/3 営業利益率 3.4% 25/3 ROE -122.0% 25/3 自己資本比率 12.1% 25/3
- 7211 三菱自動車 三菱重工業から分かれて発足した三菱自動車は、乗用車でトヨタや日産に引き離されており、単独で北米を開拓する販売網も資本も持たなかった。米国進出を求めるクライスラーの販路と資本に頼れば、不足を一気に埋められる計算が立つ。1971年にクライスラーが株式15%を取得して日米資本のメーカーとなったが、同時に結んだ合衆国流通契約は、北米を2ドア車に限り、しかもクライスラーの独占販売とし、自社販売網の構築を禁じ… 売上高 2.9兆円 26/3 営業利益率 2.6% 26/3 ROE 1.1% 26/3 自己資本比率 38.0% 26/3
- 7238 曙ブレーキ工業 どの完成車メーカーの系列にも属さないほうが、全ての自動車メーカーへ納入でき摩擦材の高シェアを保てる。特定資本の傘下に入れば納入先が競合系列に狭まるためである。曙ブレーキ工業は1968年にトヨタ自動車工業などと豊生ブレーキ工業を設立した際、曙35%・トヨタ35%の出資構成に「トヨタに身売りしたのではないか」と非難を浴びたが、信元安貞社長は日産との関係はむしろ良くなったと反論した。日産・トヨタ・いすゞ… 売上高 1,601億円 26/3 営業利益率 1.9% 25/3 ROE 3.2% 26/3 自己資本比率 44.7% 26/3
- 7259 アイシン 戦後の航空機製造禁止と軍需停止で本業をまるごと失ったため、設備と人を遊ばせないかぎり会社が立ち行かなかった。1943年にトヨタ自動車工業と川崎航空機の共同出資で設立された東海飛行機は、終戦で軍需を断たれ、1947年から1948年にかけてミシン・自動車部品の製造へ転換した。1949年6月、企業再建整備法に基づき資本金15百万円で愛知工業株式会社として再発足し、トヨタ系部品メーカーの源流が、航空機メー… 売上高 5.1兆円 26/3 営業利益率 4.5% 26/3 ROE 9.0% 26/3 自己資本比率 42.2% 26/3
- 7261 マツダ 当てにしていた外部市場が消えたとき、設備や部品を他社から調達できない以上、自前で機械から作り直して別の市場を開くしか道がなかった。第一次世界大戦の終結でコルク代替需要が縮小すると、松田重次郎氏は工作機械の内製と自動車事業への転身を決断し、1929年に工作機械、1931年には四輪トラックより安価な三輪トラック「マツダ号DA型」の生産を始めた。エンジンなど内燃機関も内製化して技術を蓄え、需要が消えたら… 売上高 4.9兆円 26/3 営業利益率 1.0% 26/3 ROE 1.8% 26/3 自己資本比率 42.5% 26/3
- 7262 ダイハツ工業 2016年 上場廃止 1907年に設立された発動機製造は吸入ガス機関を主力とする内燃機関メーカーで、昭和初期に流行していた三輪車向けにガソリンエンジンの国産化を進めていた。ところが当時の三輪車組立業者は輸入エンジンに慣れており、国産エンジンを採用しなかった。エンジンを供給する道が閉ざされたため、同社は自ら完成車を作る側へ回り、1930年12月に500型ダイハツ三輪一号車HA型を完成させた。初めて国産エンジンを積んだ三輪… 売上高 1.7兆円 16/3 営業利益率 4.9% 16/3 ROE — 自己資本比率 —
- 7267 ホンダ 当時のホンダは数多い中小二輪メーカーの一つにすぎず、横並びを抜け出すには他社の追随を許さない量産能力を一気に握るしかなかった。本田宗一郎氏は、世界の進歩から取り残されて自滅するか危険を冒して新鋭機械を入れて勝負するかの二択で後者を選び、資本金6,000万円の会社でありながらストロームの自動旋盤をはじめとする工作機械をスイス・アメリカ・ドイツから4億円も輸入した。本田氏は社内月報で「国のドルを用いて… 売上高 21.8兆円 26/3 営業利益率 -1.9% 26/3 ROE -3.7% 26/3 自己資本比率 34.3% 26/3
- 7269 スズキ 戦後の綿紡績業が朝鮮戦争特需の終焉で縮み、織機市場そのものが細っていくなか、本業のままでは食えなくなると見たためである。鈴木道雄氏は1952年に原動機付自転車パワーフリー号を投入し、1954年に鈴木自動車工業へ改称して稼ぎ口を移した。この転業には各界の名士や銀行団から反対や翻意の忠告が寄せられたが、それを押し切った。本田技研やヤマハ発動機を生んだ浜松の独立系メーカーの地で、外から止められても業態を… 売上高 6.3兆円 26/3 営業利益率 9.9% 26/3 ROE 16.8% 26/3 自己資本比率 39.3% 26/3
- 7270 SUBARU 航空機を奪われても、機体を軽く強く造る設計技術と量産の現場は技術者の手に残った。ゆえに自動車という未経験の事業へ移っても、その技術を製品に転用できた。1953年7月に旧中島飛行機系の富士工業・富士自動車工業・大宮富士工業・宇都宮車輌・東京富士産業の5社が再結集して富士重工業を発足させ、1958年の軽自動車スバル360では、ジュラルミンの薄板にリベットを打つ航空機の造り方を応用したモノコックボディで… 売上高 4.8兆円 26/3 営業利益率 0.8% 26/3 ROE 3.3% 26/3 自己資本比率 50.6% 26/3
- 7272 ヤマハ発動機 後発で30数社が乱立する業界に割り込む以上、先行各社と同じ土俵では勝てず、技術と新分野の開拓で差別化するしかなかった。日本楽器製造には戦時中の軍需用プロペラ製造のため導入した約1,000台の工作機械が遊休資産として残り、楽器づくりだけでは使いきれない。1955年7月、その転用先として二輪車製造部門を分離独立させ、川上源一氏が初代社長に就いた。同年市販の初号機YA-1「赤トンボ」に続き、1957年に… 売上高 2.5兆円 25/12 営業利益率 5.0% 25/12 ROE 1.5% 25/12 自己資本比率 36.7% 25/12
- 7276 小糸製作所 鉄道信号灯用のフレネルレンズは外国製への依存が強く、輸入で利幅を取れても供給と価格を外国メーカーに握られたままでは事業の主導権を持てない。そこで小糸源六郎は、輸入で売りながら国産化と自社製造を創業時から方針に掲げた。1915年4月に東京・京橋でレンズと色硝子の販売を始め、1923年の関東大震災で月島工場を焼失すると大崎の工場を買収して操業を続け、1929年の月島移転と同時に商号を小糸製作所と改めて… 売上高 9,476億円 26/3 営業利益率 5.4% 26/3 ROE 2.7% 26/3 自己資本比率 68.1% 26/3
- 7282 豊田合成 第二会社として資本は親会社から切り離されたが、需要はトヨタの自動車生産にほぼ一本化されていたため、独立して独自市場を開拓するより、トヨタの台数拡大に合わせてゴム部品の内製拠点を担うほうが事業として成立した。1949年6月、企業再建整備法に基づき国華工業の第二会社として名古屋ゴム株式会社が分離独立し、戦後復興期に拡大するトヨタ向けのゴム部品供給を主軸事業に据えた。1973年8月には合成樹脂・ウレタン… 売上高 1.1兆円 26/3 営業利益率 6.9% 26/3 ROE 11.9% 26/3 自己資本比率 52.6% 26/3
- 7309 シマノ 自転車が盛んな堺では誰もが作れる部品で安く競うより、難しい部品で品質に勝るほうが模倣されにくく値崩れもしにくい。フリーホイールはペダルを止めても後輪が空転する基幹部品で、当時はベルギーやドイツの輸入品が主流を占め、内製は難しく品質改善の余地が大きかった。島野庄三郎氏は1921年に堺で機械修繕の島野鉄工所を起こし、翌1922年にこの一点へ絞って国産代替の品質を磨いた。1960年に冷間鍛造を内製化し、… 売上高 4,662億円 25/12 営業利益率 11.1% 25/12 ROE 3.9% 25/12 自己資本比率 92.5% 25/12
- 7312 タカタ 2017年 上場廃止 人命を支える紐という一点で、製品が変わっても技術は連続していた。1933年に高田武三氏が滋賀県彦根市で興した織物業は、繊維技術を船舶用の救命ロープへ広げている。戦後に渡米した武三氏はパラシュートの研究を視察し、自動車用シートベルトの開発が米国で始まっていることを知った。1956年11月、自動車用乗員拘束装置と農工業用灌漑ホース等の製造販売を目的として、資本金1千万円で株式会社高田工場を設立する。国… 売上高 6,625億円 17/3 営業利益率 5.9% 17/3 ROE -240.1% 17/3 自己資本比率 7.7% 17/3
- 7419 ノジマ 特定メーカーの系列に属さない地場の家電店にとって、ヤマダ電機が広告と出店量で押し下げる安売り競争に同じ土俵で付き合えば、規模で劣る分だけ消耗するだけだった。そこでノジマは神奈川・東京の首都圏に出店域を絞り、店員に売上ノルマを課さず客の用途を聞いて選ぶコンサルティングセールスで差をつける方針を採った。野島廣司氏は「ノルマは一切設けず」接客で選ばれる店を志向し、価格訴求の量販とは別の客層を確保した。こ… 売上高 9,828億円 26/3 営業利益率 5.9% 26/3 ROE 15.9% 26/3 自己資本比率 41.3% 26/3
- 7453 良品計画 無印良品が西友の店内PBにとどまるかぎり、独自の単品管理も自前の出店も海外展開も母体小売チェーンの都合に縛られる。そこで3機能を母体の制約から外して組み立てるため、西友は事業を別法人へ切り出した。1980年に「しるしのない良い品」として始まった無印は、過剰包装とブランド志向への反発という時代潮流に乗って西友グループ内で突出した売れ筋に育ち、流通紙が「これに続く第二、第三のPBが育たない」と書くほど… 売上高 7,846億円 25/8 営業利益率 9.4% 25/8 ROE 15.3% 25/8 自己資本比率 59.0% 25/8
- 7459 メディパルホールディングス 医薬品卸の収益は、メーカーから仕入れる仕切価格と医療機関へ納める納入価格の差、いわゆる薬価差から生まれる。神戸は神戸税関を通じて横浜・大阪と並ぶ洋薬の集散地で、輸入薬を仕入れて関西の医療機関へ流すほど差益が積み上がる立地であった。1898年に神戸で創業した三星堂は、1923年に資本金20万円で法人化し、この薬価差を主収益源とする地域卸として、戦中戦後の医薬品統制経済を関西圏で越えた。創業者の氏名は… 売上高 3.8兆円 26/3 営業利益率 1.4% 26/3 ROE 6.5% 26/3 自己資本比率 33.9% 26/3
- 7532 パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス 売れ筋を読み切れない雑貨卸が在庫を抱えるより、安く仕入れた雑多な品を一店で売り切るほうが資金が回りやすい。安田隆夫氏は、前身店の閉店後に明かりをつけて陳列していたところ営業中と勘違いした客が次々訪れた経験から、他店が閉まる夜の需要を見つけた。1989年3月に開いたドン・キホーテ府中店では、商品を床から天井まで積み上げる圧縮陳列で狭い売場の効率を上げ、深夜営業で空いた時間帯の客をつかんだ。さらに売場… 売上高 2.2兆円 25/6 営業利益率 7.2% 25/6 ROE 14.9% 25/6 自己資本比率 40.2% 25/6
- 7550 ゼンショーホールディングス 安くて安全な食を量で売るには、仕入れ・加工・物流・販売を他社任せにせず自社で握り、各工程の原価と品質を自分で詰めるほかなかった。牛丼を米国のハンバーガーに並ぶ商品にすると見た小川賢太郎氏は、1982年に横浜市鶴見区でゼンショーを設立し、肉・カレー・漬物などの自前4工場と全店直営をそろえた。買い付けから販売までを一貫して企画・運営するこの仕組みは、後にMMDと呼ばれ、ゼンショー躍進の原動力に据えられ… 売上高 1.3兆円 26/3 営業利益率 6.4% 26/3 ROE 13.4% 26/3 自己資本比率 35.5% 26/3
- 7564 ワークマン 加盟店が儲からなければ全国の店舗網は維持できず、フランチャイズ専業の本社は店舗を直接動かせない。そこで運営や品揃えを本部が標準化し、加盟店主に裁量で迷わせない設計が要となった。1982年8月、ベイシアグループ創業者の土屋嘉雄氏は、職人の指名買いが効いて競合チェーンのいない作業着市場に有望性を見て、いせやの1店舗として開いたワークマン業態を株式会社化した。仕入れから店舗運営まで徹底してマニュアル化し… 売上高 1,609億円 26/3 営業利益率 18.4% 26/3 ROE — 自己資本比率 82.8% 26/3
- 7581 サイゼリヤ 客が来ない原因を物理学の発想で原因と結果に切り分けると、立地と料理人の腕という二つの変数は動かせず、残る変数は価格だけだった。ゆえに味の改良ではなく値下げが唯一の打ち手になる。開業から約5年、青果店2階の店は1日の売上高が3万円前後にとどまり給与もほぼ出なかった。正垣泰彦氏は1975年頃に全メニューを6〜7割引へ下げ、スパゲティが400〜600円の時代に「ミラノ風ドリア」を304円で出して繁盛店へ… 売上高 2,567億円 25/8 営業利益率 6.0% 25/8 ROE 9.5% 25/8 自己資本比率 65.3% 25/8
- 7599 IDOM 中古車流通を内側から知らない人間だったからこそ、販売店を経由するのが当たり前という前提そのものを疑えた。羽鳥兼市氏は1976年の事業倒産で多額の負債を抱えた後に中古車販売を経て創業に至っており、既存の商習慣に縛られない発想で参入した。1994年10月、福島県郡山市に株式会社ガリバーインターナショナル・コーポレーションを設立し、消費者から直接車両を買い取って業者間オークションで売り切る独立買取専業の… 売上高 5,628億円 26/2 営業利益率 3.6% 26/2 ROE 13.5% 26/2 自己資本比率 33.4% 26/2
- 7606 ユナイテッドアローズ 既製の卸売品を仕入れて並べるだけでは同業と品ぞろえが重なり、粗利も薄くなる。自ら編集した輸入品と自主企画品で売場を構成すれば、他店と異なる品ぞろえを保ちつつ利益率を管理できた。1989年10月、ビームスの立ち上げに携わった重松理氏は、アパレル大手のワールドを出資者に迎え、東京都渋谷区でユナイテッドアローズを設立した。自主企画商品を売上の5割以上に据える「セレクト編集型SPA」を業態の核に掲げ、高い… 売上高 1,646億円 26/3 営業利益率 5.5% 26/3 ROE 14.5% 26/3 自己資本比率 58.9% 26/3
- 7616 コロワイド 一つの業態を広域へ薄く広げるフランチャイズは看板を貸すだけで運営や品質を自社で握りにくい。一地域に複数の自社業態を集めて幅広い客層をつかみ、直営で店を持てば、業態の開発も食材の均質供給も自前で回せた。当時社長の蔵人金男氏は1977年9月に逗子で「甘太郎食堂」を「手作り居酒屋 甘太郎」へ転換し、1981年の大船1号店から直営のみの多店舗展開を進めた。蔵人氏はこの方針を、一業態を広域に展開するチェーン… 売上高 3,001億円 26/3 営業利益率 3.1% 26/3 ROE 3.0% 26/3 自己資本比率 21.3% 26/3
- 7630 壱番屋 加盟店が売上を伸ばすほど本部への支払いが増える仕組みでは加盟店の事業意欲が失われる、という宗次徳二氏の考えが設計の核にある。壱番屋は1981年発足の社員のれん分け制度「ブルームシステム」で、直営店やオーナー店で修業した正社員に夫婦での独立を認め、加盟店から売上高に連動するロイヤルティーは取らず本部はルウや食材の販売で利益を得る形にした。加盟店の採算が値引き競争に追われないため接客の質で客をつなぎ、… 売上高 655億円 26/2 営業利益率 7.2% 26/2 ROE 7.9% 26/2 自己資本比率 67.0% 26/2
- 7649 スギホールディングス 杉浦広一氏は1974年に岐阜薬科大学を卒業して鬼頭天昌堂薬局に入社し、そのわずか2年後、26歳での独立だった。妻・杉浦昭子氏も薬学部出身の薬剤師であり、夫妻は自らの資格を足場に、医薬品・健康食品・化粧品・日用品の販売と処方せん調剤を1店舗で併せ持つ調剤併設型の小型店として出発した。「物販で薬を売るだけでなく医療に役立ちたい」という思いから、創業当初より処方せん調剤を経営の柱に据えた。利益の出にくい… 売上高 1.0兆円 26/2 営業利益率 4.8% 26/2 ROE 15.5% 26/2 自己資本比率 47.3% 26/2
- 7701 島津製作所 明治政府が殖産興業で近代科学の導入を急いだため、学校や研究機関が使う物理・化学の実験器械に需要が生まれたが、その多くは高価な輸入品に頼っていた。京都には金属加工・ガラス細工・木工といった在来の工芸技術が集まっており、これらを組み合わせれば輸入品を置き換える器械を仕立てられた。初代・島津源蔵は1875年に木屋町二条で鍛冶屋を営むかたわら理化学器械の修理・製造を始め、創業期は京都舎密局や学校用品の修理… 売上高 5,607億円 26/3 営業利益率 13.1% 26/3 ROE 10.7% 26/3 自己資本比率 76.6% 26/3
- 7716 ナカニシ 歯科器械を幅広く手掛けるより、高速回転機器という一点を極めるほうが、精度でも収益でも他社と差をつけやすい。回転数が高いほど切削は速く患者の負担も小さくなり、毎分40万回転のタービン先端のカートリッジは1年ほどで消耗する買い替え需要の絶えない部品となる。中西治雄氏が1930年に鹿沼で興した歯科器械専業は、1971年に毎分40万回転のタービン製造を始め、宅配便で送れる小型の高付加価値品に特化することで… 売上高 812億円 25/12 営業利益率 17.4% 25/12 ROE -2.1% 25/12 自己資本比率 71.2% 25/12
- 7729 東京精密 切削工具をつくる会社の品質は削った寸法の精度で決まるが、その寸法を測る装置は外部の測定機に頼るほかなかった。測る側を自前で押さえれば、加工と検査を一社で完結でき製品の格が一段上がる。東京精密工具は1953年1月に高圧流量式空気マイクロメータを日本で初めて工業化し、学術研究にとどまっていた非接触の寸法測定を商業ベースに乗せた。1957年10月の差動変圧式電気マイクロメータでも日本初の量産に成功し、工… 売上高 1,668億円 26/3 営業利益率 20.2% 26/3 ROE 12.9% 26/3 自己資本比率 76.5% 26/3
- 7731 ニコン 第一次世界大戦でドイツ製光学機器の輸入が途絶し、軍艦の測距儀や潜望鏡を自前で賄えなくなった海軍が、国産化を強く求めたことが出発点である。要請を受けた三菱財閥の岩崎小弥太氏は、自前に精密光学の知見がなかったため、藤井レンズ製造所を買収し東京計器や岩城硝子の光学部門を統合して、1917年に日本光学工業を一から組み上げた。供給を保証する相手が海軍しかいない以上、需要は軍需へ偏らざるをえなかった。1927… 売上高 6,772億円 26/3 営業利益率 -16.6% 26/3 ROE -14.7% 26/3 自己資本比率 54.5% 26/3
- 7733 オリンパス 世界大戦でドイツ製光学機器の輸入が途絶した好機をつかんだものの、創業期のオリンパスは体温計と顕微鏡という収益化の遠い二事業を同時に抱え、資本金30万円とほぼ同額の開発費が3年で先行して財務を圧迫した。両立する資金的余裕を失ったため、消費者向けで広告費がかさみ販売競争も激しい体温計を切り、研究投資の成果が見込める顕微鏡へ資源を寄せる判断に至る。山下長氏は1923年に体温計事業を後のテルモへ売却し、負… 売上高 1.0兆円 26/3 営業利益率 9.6% 26/3 ROE 8.4% 26/3 自己資本比率 52.8% 26/3
- 7735 SCREEN HD 写真印刷が普及すれば手仕事の銅版彫刻は需要を失うと読み、設備を磨くより技術を入れ替えるほうが家業を残せると見たためである。石田敬三氏は全量を輸入に頼っていたガラススクリーンの国産化に挑んだが、印刷面に求められるエッチングの精度は当時の国内技術を上回り、試行錯誤が長く続いた。1934年に「写真製版用網目スクリーンの蝕刻法」を独自開発し、1943年に大日本スクリーン製造所を設立した。精密な図版を化学的… 売上高 6,057億円 26/3 営業利益率 20.2% 26/3 ROE 18.9% 26/3 自己資本比率 67.4% 26/3
- 7740 タムロン カメラ本体を持たない独立系のレンズ専業が成り立ったのは、レンズ側のマウントを交換すれば一本を各社のカメラに装着できる仕組みを早くに握ったからである。1952年に資本金250万円で泰成光学工業として埼玉浦和で出発した同社は、1957年に世界初のマウント交換式「Tマウント」を開発し、ニコン・キヤノンなど約200種の一眼レフへ一つのレンズを使い回せるようにした。本体を作らずとも各社の純正を補う交換レンズ… 売上高 851億円 25/12 営業利益率 19.6% 25/12 ROE 13.7% 25/12 自己資本比率 81.0% 25/12
- 7741 HOYA 一つの市場に深く依存して稼ぐほど、その市場が崩れたとき会社全体が同時に倒れる。HOYAはこの危うさを戦略として選ぶ前に痛みとして二度味わった。1941年に光学ガラスで創業した山中正一・茂兄弟は、1943年に「保谷BK7」へ到達して海軍管理工場の指定を受けたが、1945年の終戦で軍需が消えて売上はほぼゼロになった。戦後はクリスタル食器の北米輸出に売上の約9割を寄せたものの、1949年の単一為替「1ド… 売上高 9,477億円 26/3 営業利益率 34.6% 26/3 ROE 25.2% 26/3 自己資本比率 77.3% 26/3
- 7744 ノーリツ鋼機 現像の処理時間を縮めるほど一日にさばける枚数が増え、写真店の利益に直結する。創業者・西本貫一氏は終戦直後の進駐軍向けの仕事でこの理屈を体得していた。1976年に店内45分で現像からプリントまで終える「QSS-1型ミニラボ」を完成させたとき、米国は受け付けたフィルムを飛行機で集中ラボへ送り返す手間のかかる仕組みに頼っていた。店頭で即日仕上がる機械はその仕組みを覆せると見て、1978年末にロサンゼルス… 売上高 1,192億円 25/12 営業利益率 17.5% 25/12 ROE 6.8% 25/12 自己資本比率 75.7% 25/12
- 7747 朝日インテック 取引先と競合せず自社の極細素材技術を生かせ、なお伸びる分野を探すなかで、宮田尚彦氏は患者の負担が軽い低侵襲治療がやがて主流になると読んだ。OA機器や自動車の動力伝達に使ってきた極細ステンレスワイヤーは、詰まった血管へ通すガイドワイヤーへほぼそのまま応用できた。1976年に名古屋で始めた朝日ミニロープ販売は、1988年に朝日インテックへ商号を改めて製造業へ進み、1992年3月に医療用具製造業の許可を… 売上高 1,200億円 25/6 営業利益率 25.1% 25/6 ROE 8.5% 25/6 自己資本比率 77.9% 25/6
- 7750 ペンタックス 2008年 上場廃止 工場も製品も焼け、1919年以来のレンズ研磨技術だけが残ったためである。1948年9月に輸出向けの双眼鏡と望遠鏡で食いつなぎつつカメラの試作に着手し、1951年5月にわが国初の一眼レフの試作に成功した。1954年にはミラーが戻らない難点を解くクイックリターン装置を世界に先がけて開発した。1970年6月期は売上135億円の96.2%を一眼レフと付属品が占め、カメラ以外の光学製品で売上の20〜50%を… 売上高 1,573億円 07/3 営業利益率 3.6% 07/3 ROE 8.5% 07/3 自己資本比率 28.6% 07/3
- 7751 キヤノン 御手洗毅氏は、外国品に対抗できる国産カメラを大成させることを会社の使命と公言し、量産で品質を担保するには規模の先行が不可欠と見ていた。ゆえに採算が読める前でも大口投資に踏み切れた。1951年に英ジャーデンマセソン社と5ヵ年の輸出販売契約を結び、その履行のため資本金2000万円の10倍にあたる2億円を東京大田区下丸子の本社工場へ投じた。高級カメラへの特化で売上高利益率10%超を保ち、この投資は3年で… 売上高 4.6兆円 25/12 営業利益率 10.4% 25/12 ROE 9.5% 25/12 自己資本比率 56.9% 25/12
- 7752 リコー 既存技術を商品化し営業で売り切る感覚を持つ人材を一企業の長に据えれば、製造の常識に縛られず市場へ機敏に動ける。理研コンツェルンは発明の工業化を目的とした事業群で、傍系会社を切り出して独立採算で走らせる体質があった。総帥の大河内正敏博士は、感光紙部門長に抜擢された保険セールスマン出身の市村清氏が古参社員と衝突し製造装置を壊しても処分せず、1936年2月に感光紙部門を分離して資本金35万円・従業員33… 売上高 2.6兆円 26/3 営業利益率 3.5% 26/3 ROE 4.9% 26/3 自己資本比率 44.3% 26/3
- 7753 ミノルタ 2003年 上場廃止 値の通らない商いから抜け出すには、加工度が高く他社がまねしにくい製品をつくるほかない。1927年からの外遊でこの結論に達した田嶋一雄氏は、パリで日本軍向けの測距儀を見て光学機器に引きつけられた。当時の日本で写真機の国産大手は小西六の一社だけで、市場の大半は欧米からの輸入品が占めていた。田嶋氏は父の反対を押し切り、1928年11月、兵庫県武庫郡鳴尾村に個人経営「日独写真機商店」を開いた。土地300坪… 売上高 1,504億円 85/3 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 7762 シチズン時計 良い時計を作る技術があっても、時計は量産規模とブランドで値段が決まる商品だった。後発の「シチズン」は先行する「セイコー」の商標に対し量産でもコストでも及ばず、安売りを強いられて創業者の山崎亀吉氏は私財を注いだ末に行き詰まった。閉鎖された工場は1930年に資本金20万円で再発足してシチズンと名乗り、戦後は軍需から時計専業へ戻して、量産で価格を下げる道に活路を求めた。技術ではなく量産と価格の競争に賭け… 売上高 3,468億円 26/3 営業利益率 8.7% 26/3 ROE 10.6% 26/3 自己資本比率 62.6% 26/3
- 7832 バンダイナムコHD 同じIPを玩具とゲームの双方で売れば一方の弱みを他方が補えると、両社は前年の協業で確かめていた。きっかけは2004年から共同開発したPS2向け「機動戦士ガンダム1年戦争」で、外注頼みだったバンダイのソフト開発をナムコの内製力が支え、物販に乏しいナムコのアーケード網にバンダイのIP商品が乗った。少子化で国内の玩具・アーケード市場が縮むなか単独では規模を確保できず、バンダイの髙須武男社長がナムコの中村… 売上高 1.3兆円 26/3 営業利益率 14.1% 26/3 ROE 16.3% 26/3 自己資本比率 72.3% 26/3
- 7843 幻冬舎 2011年 上場廃止 1993年、角川春樹社長(当時)をめぐる一連の事件が角川書店を揺らし、見城徹氏ほか5名が退社した。出版で価値を生むのは編集者と作家の個人的な関係であり、その関係は会社ではなく人に付く。『月刊カドカワ』編集長として五木寛之氏や村上龍氏と築いた縁も、見城氏とともに新会社へ移った。同年11月、東京都新宿区三栄町に資本金1000万円で幻冬舎を設立し、翌年3月に単行本6作品で書籍事業へ参入している。創業から… 売上高 132億円 10/3 営業利益率 12.7% 10/3 ROE 9.5% 10/3 自己資本比率 64.9% 10/3
- 7846 パイロットコーポレーション 小さな町工場が舶来品に価格で勝てたのは、流通の中抜きと量産で安く優れた製品を市場へ送り出せたからである。並木良輔氏は1918年に東京で並木製作所を設立し、使う者・売る者・造る者の共存共栄を掲げる三者鼎立を経営の基本方針に据えた。問屋を介さず小売店へ直接届ける流通網と量産能力を組み合わせ、低コストで品質に優れた製品を供給することで、戦後の普及期に国内市場で金額シェア約50%を占めてパイロットは万年筆… 売上高 1,264億円 25/12 営業利益率 13.2% 25/12 ROE 8.3% 25/12 自己資本比率 80.8% 25/12
- 7867 タカラトミー 自社開発のプラレール・トミカに頼るだけでは、ヒットの当たり外れに業績が左右されやすい。そこで世界で売れる完成済みのキャラクター商品を国内で独占して扱う第二の収益源を、自前の商品開発と並べて持つ道を選んだ。1997年9月に株式を店頭登録したトミーは、1998年11月に米ハスブロ社からトランスフォーマー等の日本における独占的販売権を取得し、2000年12月にウォルト・ディズニー・インターナショナル・ジ… 売上高 2,705億円 26/3 営業利益率 9.0% 26/3 ROE 10.5% 26/3 自己資本比率 68.1% 26/3
- 7906 ヨネックス 戦後の合成樹脂普及で漁具用の木製浮きは需要が消え、米山稔氏は得意の木工技術を活かせる新事業を探さざるをえなかった。そこで広がりつつあったバドミントンのラケットへ後発参入し、1958年6月に米山製作所を設立する。当初は英国・米国向けOEMで他社銘柄の木製ラケットを量産したが、主要取引先サンバタの倒産で連鎖倒産の危機に直面した。他社の名に乗るかぎり取引先の盛衰に運命を握られると痛感し、外国銘柄での受託… 売上高 1,636億円 26/3 営業利益率 10.1% 26/3 ROE 15.0% 26/3 自己資本比率 62.6% 26/3
- 7911 TOPPAN(凸版印刷) 偽造を許さない印刷は、価格より確実性が問われる官公庁や金融機関の需要をつかめば、参入障壁の高い安定市場になる。内閣印刷局出身の技術者たちは、その有価証券分野を狙って凸版印刷合資会社を1900年に創業した。彫刻と高級凸版印刷術に、当時欧州で最先端のエルヘート凸版法を輸入して高精細表現を加え、活版や石版では届かない株券や紙幣類の偽造防止印刷で信頼を得た。国内で流通する紙幣を民間で初めて刷ったのも同社で… 売上高 1.8兆円 26/3 営業利益率 3.7% 26/3 ROE 4.8% 26/3 自己資本比率 52.3% 26/3
- 7912 大日本印刷 秀英舎は1876年、佐久間貞一・大内青巒・宏仏海らが東京府下京橋区で創業した活版印刷会社で、活字書体(秀英体)まで自前で設計する技術型企業だった。だが新聞・雑誌・教科書の需要が膨らむと、書体という印刷の中身だけでは全国規模の大量印刷に応えきれない。そこで1934年11月、秀英舎の専務青木弘と日清印刷の専務平野登美夫が対等合併に調印し、1935年2月に資本金600万円の大日本印刷が発足、初代社長に増… 売上高 1.5兆円 26/3 営業利益率 6.7% 26/3 ROE 8.7% 26/3 自己資本比率 58.5% 26/3
- 7915 NISSHA 活字を組んで刷る出版印刷は参入しやすく価格で競い合うため、後発の小所帯では抜け出しにくい。そこで他社が手を出さない難度の高い領域へ技を尖らせ、競争のない場所で値を取る道を選んだ。1929年、鈴木家初代が京都で似玉堂を創業し、西陣織や寺社仏閣の美術品を題材に、写真製版という熟練工に頼る一手を磨いた。この「他社の手がけない高級印刷をやろう」という創業の理念が、のちに印刷の枠を超えて技術を移し替える発想… 売上高 1,949億円 25/12 営業利益率 2.1% 25/12 ROE 0.9% 25/12 自己資本比率 45.1% 25/12
- 7936 アシックス 空襲で焼けた神戸では身寄りを失った青少年が非行に走っており、まっすぐ育てるにはスポーツを盛んにするのが最も有効だと考えたためである。陸軍時代の先輩で兵庫県教育委員会保健体育課長の堀公平氏に「君は靴屋になれ、青少年がスポーツに打ち込めるよい靴をつくれ」と勧められ、鬼塚喜八郎氏は1949年に神戸で鬼塚商会を起こした。死んでいった戦友に報いるため青少年の育成へ生涯を捧げるという動機が、のちにラテン語「健… 売上高 8,109億円 25/12 営業利益率 17.6% 25/12 ROE 36.3% 25/12 自己資本比率 46.3% 25/12
- 7944 ローランド ローランドの強みは、既存の需要を奪い合うより、新しい商品で需要そのものを起こす発想にあった。梯郁太郎氏は前身のエース電子工業で電子オルガンを手がけた技術を引き継ぎ、1972年4月の設立後すぐ第1号のリズムマシンを発表すると、シンセサイザー・電子ピアノ・ギターアンプ・エフェクターと主要カテゴリを創業2年でほぼ揃えた。市場が育つのを待つのではなく自ら市場を作る発想が、1985年のセット式電子ドラム、の… 売上高 1,010億円 25/12 営業利益率 9.3% 25/12 ROE 5.3% 25/12 自己資本比率 49.2% 25/12
- 7951 ヤマハ ピアノは高価で、そもそも家庭に「弾きたい」という需要が育っていなかったため、需要を待つのではなく教育で弾き手を育てて市場そのものを作る道を選んだ。川上源一氏は1953年の欧米視察で幼少期の音楽教育が家庭の楽器購入につながる構造を確認し、1954年に生徒150名・8教室で音楽教室を始めた。教室で育った生徒がそのまま購入層に重なる「教育→体験→購入」の導線が全国の楽器店を通じて回り、1963年には生徒… 売上高 4,653億円 26/3 営業利益率 6.3% 26/3 ROE 5.0% 26/3 自己資本比率 77.2% 26/3
- 7965 象印マホービン 中びん専業のうちは商標が要らなかった。1918年に電球職人の市川金三郎氏が兄の銀三郎氏と魔法瓶の中びん製造で創立し、1923年に稲荷町へ組立工場を設けて問屋の側に回ったことで、自社ブランドを掲げる必要が生じた。銀三郎氏が家族と相談して選んだのが象である。おとなしいが力は強く、頭が良く家族愛も強い、生命力が強く寿命も長いという象のイメージが魔法瓶にふさわしいと考えられたうえ、業界でまだ使われていない… 売上高 912億円 25/11 営業利益率 8.2% 25/11 ROE 6.7% 25/11 自己資本比率 75.0% 25/11
- 7974 任天堂 花札やトランプは品質が均質で安定供給できれば売れる商品であり、自社で製造設備を内製化すれば、家内工業の同業零細を仕入と品質で引き離せる。ゆえに山内溥氏は、社長を継ぐとまず法人形態を整理し、製造の機械化と量産へ舵を切った。1949年に山内積良氏の急逝で22歳・早稲田大学在学中に社長を継いだ山内氏は、就任後に法人形態を整理して合名会社山内任天堂からかるたの製造業務を継承し、1953年には国産初のプラス… 売上高 2.3兆円 26/3 営業利益率 15.6% 26/3 ROE 14.4% 26/3 自己資本比率 77.6% 26/3
- 7988 ニフコ 小笠原敏晶氏にはプラスチック製ファスナーの技術がなく、量産品で先行する米国ITWの特許を借りる以外に新市場へ入る手立てがなかった。技術と引き換えに地域の制約を呑む取引だった。1967年2月、貿易商社・日英物産とITWの合弁で日本工業ファスナーが設立され、出資60%で日英物産が主導権を握る一方、活動地域は日本を含む極東に限られ、ITWの工業ファスナー部門の日本法人という位置づけとなった。1970年に… 売上高 3,527億円 26/3 営業利益率 13.6% 26/3 ROE 11.5% 26/3 自己資本比率 75.3% 26/3
- 7994 オカムラ 工場も資本も外から買えない以上、職を失った航空機技術者が手元の貯金や退職金と各自の腕を出し合うほかなかった。所有も技術も最初から分け持つ形で始まったため、創業の理念は協力と実力第一主義を中心に据えた。1945年10月、吉原謙二郎は同僚や部下とともに日本飛行機の岡村分工場を借り受け、鉄やアルミの厨房品と在日米軍向けスチール家具から事業を起こした。社是に「創造・協力・節約・貯蓄・奉仕」を掲げ、年齢や学… 売上高 3,290億円 26/3 営業利益率 7.3% 26/3 ROE 11.0% 26/3 自己資本比率 67.6% 26/3
- 8001 伊藤忠商事 一つの商いに固執するより、利が薄くなれば次の商いへ移るほうが生き残りやすい。それが近江商人の身の処し方だった。明治維新後に蒸気船と鉄道が普及して仲介業者の入る余地が縮むと、初代伊藤忠兵衛は行商に見切りをつけ、1872年に大阪本町で紅忠を開いて店舗商売へ移り、対米貿易、上海での綿糸輸入へと次々に業態を替えた。売り手・買い手・世間の三方よしを説く近江の商道のもと、時代に合わせて商いを組み替える適応の習… 売上高 14.8兆円 26/3 営業利益率 8.1% 26/3 ROE 15.0% 26/3 自己資本比率 35.8% 26/3
- 8002 丸紅 二つに割れたのは経営の対立ではなく、近江商人の家業を株式会社制度へ載せ替える継承方法の選択だった。1858年に初代伊藤忠兵衛が大阪で始めた麻布の持下り商いを源流とし、1872年に「紅忠」が呉服太物卸として店を構えた。家業の規模が個人商から法人化を要する段階に達した1918年、二代伊藤忠兵衛のもとで伊藤忠商事と丸紅商店に分離し、同じ出自の商号が二つに分かれた。繊維卸を軸とする貿易商社として独自の道を… 売上高 8.3兆円 26/3 営業利益率 8.0% 26/3 ROE 12.9% 26/3 自己資本比率 40.0% 26/3
- 8004 ニチメン 2003年 上場廃止 原料綿の輸入を神戸在留の外国商に握られ、その値決めに従うほかなかったためである。1883年に発足した大阪紡績会社の成功に続いて大規模紡績が相次いで生まれると、外商依存から脱して日本人自らの手で直輸入したいという要望が強まった。摂津・平野・尼崎・天満の四紡績を中心に、綿花商など有力財界人25名が発起人となり、1892年11月10日に創立総会を開いて公称資本金100万円の日本綿花が設立された。設立から… 売上高 — 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 8011 三陽商会 戦後の繊維配給制度のもとで衣料は国内需要と外貨節約の双方が見込め、雨具としてのゴム引きレインコートは日本ゴム工業が国内で唯一生産していた。希少な供給元の販売権を押さえれば、自前で工場を持たずとも独占的に売れる。そこで三陽商会は1949年9月、日本ゴム工業と一手発売元の特約を結び、レインコートを百貨店ルートで高級衣料として売った。これにより、メーカー直販ではなく百貨店経由で他社製品を卸す稼ぎ方が創業… 売上高 584億円 26/2 営業利益率 2.2% 26/2 ROE 10.1% 26/2 自己資本比率 68.3% 26/2
- 8015 豊田通商 豊田通商は、トヨタ車を買う客に代金の分割払いを付けるための金融会社として生まれたため、会社が成り立つ理由そのものがトヨタの販売量に結びついていた。1936年10月、トヨタ自動車工業が試作した純国産車の販売金融を目的に、資本金100万円のトヨタ金融として設立された。戦後の財閥解体で持株会社に指定され1948年7月に解散すると、その商事部門を継いだ日新通商が再出発し、1956年7月に豐田通商へ改称した… 売上高 11.6兆円 26/3 営業利益率 4.7% 26/3 ROE 12.3% 26/3 自己資本比率 35.4% 26/3
- 8020 兼松 明治中期の日本の貿易は9割近くを横浜・神戸の外国商館が握り、輸出入の利は外国人の手に落ちていた。仲介を外して日本人が直に仕入れれば、その利を自社に取り込める。兼松房治郎氏は世界一の羊毛産出国だった豪州に着目し、毛織物の需要が伸びる日本で羊毛を直輸入する日本人はまだいないと見て、1887年に自らシドニーを視察したうえで1889年に神戸で豪州貿易兼松房治郎商店を開いた。翌1890年にはシドニーに支店を… 売上高 1.1兆円 26/3 営業利益率 4.6% 26/3 ROE 16.8% 26/3 自己資本比率 26.4% 26/3
- 8031 三井物産 一つの商品の市況に経営を預ければ、その品目の不振がそのまま会社の浮沈を決めてしまう。そこで益田孝氏は、扱う品目を増やして一品目の不調を他で補い、各地に張った取引網と信用を共有させるほうが商社として強いと考えた。1876年に官営三池炭の一手販売権を握って上海・香港・シンガポールへ輸出し、その足がかりから綿花・機械・鉱産物・絹織物へ取扱を広げる。明治後期には扱う品目が数百種に及び、取扱高は日本の貿易総… 売上高 14.0兆円 26/3 営業利益率 7.8% 26/3 ROE 9.8% 26/3 自己資本比率 40.9% 26/3
- 8032 日本紙パルプ商事 洋紙は当初まったく売れない商材で、扱えば在庫を抱える側に回る。それでも参入できたのは、京都府が販路開拓の担い手を探しており、その要請に応じる形で参入コストを官が肩代わりしたからである。1876年1月、京都府知事の槇村正直氏は梅津パピール・ファブリックの製品を売り広げるため、中井三郎兵衛氏ら5人の紙商に「京都府御用掛梅津製紙売捌人」の辞令を出した。準判任官の資格で月5円の手当てが付き、公認の洋紙販売… 売上高 6,068億円 26/3 営業利益率 1.8% 26/3 ROE 3.7% 26/3 自己資本比率 32.7% 26/3
- 8035 東京エレクトロン 装置を実際に動かして見せなければ、ICの工業化に懐疑的な日本の半導体メーカーは前例のない高額装置を買えなかった。代理店として在庫を持たずに紹介するだけでは、性能を疑う顧客を動かせない。そこで小高敏夫氏らは1964年、米フェアチャイルド社のICテスターを1台4,000万円でデモ用に自費購入し、各社の開発責任者を米国工場まで案内して売り込んだ。第1号機は日本電気に納まり、技術者を米国へ送ってアフターサ… 売上高 2.4兆円 26/3 営業利益率 25.6% 26/3 ROE 27.8% 26/3 自己資本比率 72.4% 26/3
- 8050 セイコーグループ 舶来の時計は高級な輸入品で、供給も価格も外国のメーカーに握られていた。国内で量産できれば供給と品質を自ら押さえられると服部金太郎氏は読んだ。中古時計の売買と修繕で時計の構造を知り抜いた金太郎氏は、1881年に開いた服部時計店で蓄えた信用と資金を元手に、1892年に製造工場の精工舎を設立し、掛時計から目覚時計、懐中時計へと国産の量産を広げた。輸入品に頼っていた国内需要を自前の生産で置き換える技術志向… 売上高 3,047億円 25/3 営業利益率 7.0% 25/3 ROE 8.5% 25/3 自己資本比率 42.2% 25/3
- 8053 住友商事 終戦で軍需が消え、復員した社員の生活基盤を確保する必要に迫られたからである。鉱工業だけでは雇用を吸収しきれず、新たな事業領域の開拓が避けられなかった。住友財閥は1920年に総理事の鈴木馬左也氏が「商社設立禁止宣言」を発令し、25年にわたり商社を持たなかったが、1945年8月の終戦を受けて古田俊之助総理事がこの禁令を撤回し、同年11月に日本建設産業を商事会社として発足させた。禁じ手を破って生まれた以… 売上高 7.3兆円 26/3 営業利益率 9.6% 26/3 ROE 13.3% 26/3 自己資本比率 33.2% 26/3
- 8056 BIPROGY 製品も価格も米スペリーが握る代理店では、官公庁や製造業を抑える国産勢の牙城を技術で崩すのは難しく、勝てる場所を持ち込めるチャネルに頼るほかなかった。1958年に米スペリー(Univac事業部)と第一物産が出資して設立された日本レミントン・ユニバックは、市場シェア3〜5%前後にとどまる劣勢のなか、出資元である三井物産の販売網と取引関係を頼って金融機関を攻めた。1965年に三井銀行の本支店オンラインシ… 売上高 4,337億円 26/3 営業利益率 9.8% 26/3 ROE 17.6% 26/3 自己資本比率 46.5% 26/3
- 8058 三菱商事 権益の重さを決めたのは採掘技術ではなく、長期の買い手を確保できる力だった。三菱商事は東京電力・東京瓦斯・大阪瓦斯への販路を持ち、生産を担うシェルと国内需要家の間に立って交渉した。1969年12月に出資比率をシェル45%・三菱商事45%・ブルネイ政府10%とする合弁契約が結ばれ、年間365万トン・20年の長期供給契約が成立する。販路が大型権益を呼び込み、その配当が次の資源投資の原資となる循環が、事業… 売上高 18.9兆円 26/3 営業利益率 5.8% 26/3 ROE 9.3% 26/3 自己資本比率 35.7% 26/3
- 8060 安宅産業 指定商は本来、海外貿易を主軸に据える三井物産・三菱商事など大手財閥系に限られた特権だった。安宅商会が割って入れた理由は、財閥系が海外取引に向かうなかで、国内の製造現場との直取引に賭けて信頼を積んだ点にある。創業の1909年から鉛・亜鉛・錫・銅など非鉄地金の輸入に商品を絞り、住友電線・川崎造船所・八幡製鐵所といった有力メーカーへ直に納め、大阪の商人の間で「地金の安宅」と呼ばれる地歩を固めた。この製造… 売上高 1.5兆円 77/3 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 8063 日商岩井 2003年 上場廃止 1927年4月に鈴木商店が倒れたあとも、海外の取引先とそれを扱える人は残った。海外駐在員を含めた本社の社員約1000人の大部分は神戸製鋼所や帝国人造絹糸へ移り、数十人が再起を期して残った。大口債権者は金子直吉氏の復帰と鈴木の名による再建に反対したため、残った社員は直系子会社の日本商業を改組する形をとった。1928年2月8日に発足した日商の資本金100万円のうち、39人が拠出したのは18万5000円… 売上高 — 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 8078 阪和興業 財閥にもメーカーにも属さない独立系には系列の後ろ盾がなく、価格交渉力と営業の人材だけが頼みだったため、人を育てる仕組みを商売の前提に組み込む必要があった。創業者の北二郎氏は1957年、資本金1億円のうち1,000万円を投じて財団法人阪和育英会を設立し、初代理事長に就いた。経済的理由で進学を断念する学生を給付型奨学金で助ける事業で、創業から10年の若い会社が社外の人材育成まで制度に据えた。系列を持た… 売上高 2.7兆円 26/3 営業利益率 2.2% 26/3 ROE 9.0% 26/3 自己資本比率 35.3% 26/3
- 8086 ニプロ 医薬品ではなく医療用具を選んだのは、得意先を敵に回さないためである。アンプル管の販売で製薬会社と取引があり、そこへ薬を売れば競合になる。佐野實氏は、製薬会社は得意先であるから得意先と競合するような製薬事業でなく医療用具をやっていこうと決断したと述べている。1965年4月に製薬会社向けの輸液セット販売から入り、1969年8月には富沢製作所を子会社として注射針の生産を始めた。硝子の加工技術で安く大量に… 売上高 6,605億円 26/3 営業利益率 5.7% 26/3 ROE 4.9% 26/3 自己資本比率 22.6% 26/3
- 8088 岩谷産業 ガスを商う店主にとって、価値がつかずに大気へ逃がされている気体は、集めて流せばそのまま売り物になる原資である。硬化油脂工場では自家使用ぶんを超えた副生水素が工程上ほぼ全量放出されていた一方、原子水素溶接機の輸入が広がって需要は出始めていたが、流通の担い手はほぼ存在しなかった。岩谷直治氏は1941年、その無駄を「もったいない」と捉え、工場から余る水素を引き取って売る事業を立ち上げた。酸素・カーバイド… 売上高 9,085億円 26/3 営業利益率 4.2% 26/3 ROE 10.9% 26/3 自己資本比率 48.6% 26/3
- 8098 稲畑産業 当時の染色業者は欧州の染料を商社経由で仕入れるのが普通で、買い手は薬品の中身も使い方も売り手任せだった。稲畑勝太郎氏はリヨン留学で染色技術そのものを身につけており、技術を解さない仲介商では埋められない領域で稼げると見た。1890年に京都市三条大橋東で稲畑染料店を開き、フランス留学時代の人脈を生かして高級合成染料を直輸入し、最新の染色法を講習しながら売る方法で顧客を広げた。欧州メーカーと直接結びつき… 売上高 8,327億円 26/3 営業利益率 3.1% 26/3 ROE 8.8% 26/3 自己資本比率 47.3% 26/3
- 8111 ゴールドウイン 肌着メリヤスは富山県内に同業が密集して値崩れが続き、編み方も配色も画一的で技術投資の見返りが乏しかった。一方、立ち上がりつつあった野球やスキーの競技用ニットは、編み・縫製・染色を組み合わせる余地が広く、学校制服で蓄えた地場の縫製技術が競技用ユニフォームの精度要求にそのまま転用できた。西田東作氏は1951年12月に株式会社津沢メリヤス製造所を設立すると、わずか半年後の1952年7月に野球ストッキング… 売上高 1,375億円 26/3 営業利益率 18.8% 26/3 ROE 18.6% 26/3 自己資本比率 76.9% 26/3
- 8113 ユニ・チャーム 既存の販路は先発に押さえられており、同じ土俵で戦えば後発に勝ち目はないが、流通そのものが変わる端境期なら、まだ誰も握っていない新業態が次の主役になる。高原慶一朗氏は1962年の渡米でスーパーの棚に生理用品が並ぶ光景を見て、米国で起きた変化が日本でも来ると読んだ。当時のアンネは医薬問屋経由で全国の薬局を押さえ、1964年にシェア75%を握っていた。そこで高原氏は問屋ルートを迂回し、勃興期のスーパーと… 売上高 9,453億円 25/12 営業利益率 11.1% 25/12 ROE 9.3% 25/12 自己資本比率 57.1% 25/12
- 8130 サンゲツ 先発の有力卸がいない未成熟市場へ最初に専業卸として入れば、メーカーの販路を押さえて全国網を築き、後発の参入余地を狭められる。戦後の住宅様式が洋風化し新築需要が伸びるなか、襖や掛軸を表装する家業を続けるより新興商材へ移るほうが商機が大きかった。日比弥助氏が1849年に名古屋で興した山月堂は、1953年に法人化したのち1960年4月に壁紙販売部を設けて塩化ビニル製壁紙へ切り替えた。1965年には日比賢… 売上高 2,064億円 26/3 営業利益率 9.4% 26/3 ROE 12.0% 26/3 自己資本比率 64.3% 26/3
- 8133 伊藤忠エネクス 1961年の設立は、戦後に各鉱業会社が太平洋岸の臨海部へ製油所を相次いで建て、系列ごとの販売会社が地域の需要家に石油を届ける業界構造のなかで起きた。伊藤忠商事と日本鉱業が岡山県水島に設けた製油所の石油を売りさばく出口として、伊藤忠商事は子会社・伊藤忠石油を分割して伊藤忠燃料を立ち上げた。出発点から仕入れも販売委託も親会社に依拠したため、伊藤忠商事の発注計画が会社の事業規模をそのまま規定する関係が、… 売上高 8,512億円 26/3 営業利益率 2.8% 26/3 ROE 10.5% 26/3 自己資本比率 33.8% 26/3
- 8136 サンリオ 設立直後に韓国向け絹輸出で資本金の5倍にあたる500万円の不渡りを掴み、百貨店の入口で雑貨を直接売って3カ月で返したとき、辻信太郎氏は商品そのものより売り方と売り場が利益を生むこと、贈り物には付加価値が乗ることを学んだ。利益の源泉が商品ではなく権利と売場にあるなら、自社で握れるキャラクターを持つほど取り分が増す。1960年に山梨シルクセンターとして始めた会社は、絹からギフト雑貨へ移り、米国スヌーピ… 売上高 1,941億円 26/3 営業利益率 40.1% 26/3 ROE 35.1% 26/3 自己資本比率 66.4% 26/3
- 8153 モスフードサービス 開店資金を全て負担する家族経営の加盟店に対し、本部はロイヤルティーを売上の1%に抑えて食材供給で稼ぐため、資金の乏しいオーナーの立地は自然と賃料の安い二等地に絞られた。客足の弱い立地を埋めるには価格ではなく独自商品が要り、注文を受けてから作る調理と、1973年発売のテリヤキバーガーのような看板商品が欠かせなくなる。この制約こそが、マクドナルドの逆を行くモスの商品力を鍛えた。 売上高 962億円 25/3 営業利益率 5.4% 25/3 ROE 5.8% 25/3 自己資本比率 67.1% 25/3
- 8154 加賀電子 資金も借入力もないまま部品商社を始めたため、現金取引を求める仕入先への支払いを、顧客からの前払いで賄うしかなかった。塚本勲氏は顧客に事情を説明して代金を前払いで受け取り、注文を受けてから部品メーカーを選んで同業者に発注し、回収を経て仕入先へ支払う受発注方式を編み出した。在庫を持たず借入もしないこの型は、創業期の制約が生んだ必要から定まり、後年まで「在庫は罪の子」という規律として組織に根付いた。 売上高 6,589億円 26/3 営業利益率 4.2% 26/3 ROE 16.9% 26/3 自己資本比率 45.5% 26/3
- 8174 日本瓦斯 産業用LPガスを軸に商社へ伸びる岩谷産業の本業と、各戸へ機器を売りガス工事を施し団地へ一括供給する家庭用の営業は、扱う相手も現場の手間も異なる。普及率がまだ数%で先行投資の重い家庭用市場を本業の片手間ではなく専業会社に任せるほうが、組織として伸ばしやすかった。1955年7月、岩谷産業創業者・岩谷直治氏の長男にあたる岩谷徹郎氏が、家庭用LPガスの普及と機器販売・ガス工事を担う日本瓦斯を東京で設立し、… 売上高 2,085億円 26/3 営業利益率 10.2% 26/3 ROE 22.1% 26/3 自己資本比率 40.9% 26/3
- 8179 ロイヤルホールディングス 賃料の高い繁華街で手ごろな価格の料理を出すには、仕込みを店の外へ移して一本化するほかなかった。1962年4月に福岡市天神の福岡ビルへ出店するにあたり、ロイヤルは店舗と別の場所で下ごしらえと加工調理をまとめて行う方式を採った。同年には業務用冷凍料理の製造にも着手している。料理を科学的に処理することへの反発は強く、コックの半数が会社を去ったと荒木茂専務が振り返っている。それでも江頭匡一氏が譲らなかった… 売上高 1,655億円 25/12 営業利益率 4.6% 25/12 ROE 10.3% 25/12 自己資本比率 39.2% 25/12
- 8183 セブンイレブン・ジャパン 2005年 上場廃止 出発点は新業態への意欲ではなく、本業の出店障害であった。1970年から1971年にかけて、イトーヨーカ堂は大型店の出店に苦しんでいた。地元商店街に共存共栄を申し入れるには、相手の商売の先行きを示さねばならない。学者やコンサルタントの多くは「中小小売店がもっと整理された後でないとだめだ」と反対したが、鈴木敏文氏はこれを現象面のとらえ方だと退けている。小売業の生産性の低さが議論に入っていないというのが… 売上高 2.4兆円 05/2 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 8194 ライフコーポレーション 衣料や住居関連まで間口を広げる総合スーパーは広い売場と多額の在庫を抱える一方、食品と日用必需品は景気に左右されにくく来店頻度も高いため、品揃えを絞れば一店あたりの投資を抑えつつ反復需要を取り込めた。清水信次氏は欧米視察で見たセルフサービス方式を1961年に大阪府豊中市のライフ豊中店へ持ち帰り、売場面積2,500平方メートル前後の中型店という型を定めた。総合スーパーが衣料・住居へ広げた1970〜80… 売上高 8,486億円 26/2 営業利益率 3.1% 26/2 ROE 12.1% 26/2 自己資本比率 46.4% 26/2
- 8198 ヤオハン 1997年 上場廃止 旅館への掛売が常態化すると現金収入は乏しく、売掛金の回収が滞れば仕入資金が圧迫されて廉価販売を続ける余力が出ない。値札を付けて現金決済を原則にすれば、回収の不確実さが消えて仕入の回転が速まり、安く売っても利益が残る。1956年、八百半食品デパートは商業界の倉本長治氏の指導でこの方式を導入した。和田良平氏は大口取引先である旅館の離反を覚悟しつつ掛売を全廃し、誰に対しても同じ価格を示す近代的な小売業へ… 売上高 1,568億円 97/3 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 63.7% 26/2
- 8219 青山商事 完全買取仕入と価格破壊で紳士服を売り、無借金で潤沢な手元資金を抱えた青山商事は、その余剰資金を高利回りの外国債運用へ振り向けた。タックスヘイブンに設けた特別目的会社を通じ、ロシアなどカントリーリスクの高い国のドル建て国債を組み合わせて買う仕組みで、有価証券報告書には実際の銘柄ではなくファンド名しか載らず中身は外から見えなかった。1998年9月にロシア投資の失敗が噂されて株価はストップ安をつけ、4フ… 売上高 1,890億円 26/3 営業利益率 6.5% 25/3 ROE 5.3% 25/3 自己資本比率 55.8% 25/3
- 8227 しまむら 対面で反物を売る呉服店は一点ずつ接客に手間がかかり、売れ残りを抱えやすかった。人口の薄い地方の小さな商圏でも衣料を安く回すには、客が自ら値札を見て選ぶ売り方へ反転させ、回転の速い商品を厚く置くほうが理にかなっていた。島村恒俊氏は1953年に埼玉県小川町で家業の呉服店を株式会社にして既製服へ広げ、1957年に「商品回転率を基準に品揃えを考える」方針のもとセルフサービスの総合衣料量販店へ転換した。 売上高 7,000億円 26/2 営業利益率 8.8% 26/2 ROE 9.1% 26/2 自己資本比率 88.1% 26/2
- 8231 三越 2008年 上場廃止 三越が1904年12月の「デパートメントストア宣言」より先に売り方を変えていたのは、陳列販売でなければ不特定多数の客をさばけなかったからである。明治28年11月に本店階上を陳列場へ改築し、33年10月には全階を陳列場として座売りを全廃した。座売りは一人の客に一人の店員が張り付く売り方で、扱う品目を増やすほど人が足りなくなる。宣言は改革の開始ではなく、すでに終えた改革の対外的な確認だった。 売上高 7,740億円 08/2 営業利益率 1.1% 08/2 ROE 2.8% 08/2 自己資本比率 27.8% 08/2
- 8233 高島屋 百貨店は売場の集客力を地代に転嫁できる立地産業であり、館全体の運営とテナント賃料、買い物客への信用供与を自前で握れば、本業の集客がそのまま不動産益と金融益に回る。外部の開発業者や金融機関へ渡せば、その利ざやは社外へ流れていく。高島屋は1963年12月に東神開発を設けて玉川店の開発運営から商業施設の運営ノウハウを蓄え、1986年8月には髙島屋クレジットを設立して百貨店売上に直結するカード会員基盤を内… 売上高 4,020億円 26/2 営業利益率 13.3% 26/2 ROE -1.8% 26/2 自己資本比率 33.4% 26/2
- 8234 大丸 2007年 上場廃止 大丸は享保2年(1717年)に下村彦右衛門正啓氏が京都伏見で開いた呉服店を起源とし、大阪・名古屋・京都・江戸大伝馬町の四都に店を構えた。明治末に東京と名古屋を畳んで関西へ主力を移したが、1951年1月から7月までの百貨店売上高では三越・高島屋・松坂屋に次ぐ4位にとどまっていた。戦後の過剰人員の受け皿を求めた北沢敬二郎氏が1954年10月に東京駅八重洲口の民衆駅へ東京店を開き、全国での位置が変わる。… 売上高 8,370億円 07/2 営業利益率 4.1% 07/2 ROE 16.4% 07/2 自己資本比率 28.1% 07/2
- 8235 松坂屋 2007年 上場廃止 当主が外国で見た売り方を、支店で試してから本店に持ち込んだためである。15代伊藤次郎左衛門祐民は1909年8月に渡米実業団の一員として約3か月アメリカを回り、そこで初めて外国の百貨店を見た。父の祐昌は反対したが、祐民は上野で試して成功を確かめてから名古屋へ持ち込んだ。1910年2月、300年にわたる営業の一切を継承して資本金50万円の株式会社いとう呉服店が設立され、名古屋・栄町に座売りを廃した陳列… 売上高 3,439億円 06/2 営業利益率 2.1% 06/2 ROE — 自己資本比率 —
- 8238 伊勢丹 2008年 上場廃止 伊勢丹が震災後に再建した神田店を9年で閉じたのは、その店の立地が悪く、次の進出地を探し続けていたからである。『会社銀行八十年史』は「翌十三年四月復興再建したが地の利が悪く」と記す。新宿もと三福の地で借地権買収が成立すると、伊勢丹は昭和5年9月に株式組織へ改組して資本金50万円で新発足した。会社の形を変えた理由が新店舗の用地取得だった点に、この判断の順序が出ている。 売上高 7,858億円 08/3 営業利益率 4.3% 08/3 ROE 6.8% 08/3 自己資本比率 43.6% 08/3
- 8243 そごう 古着から呉服、呉服から百貨店へと業態を広げる過程で拡張投資が膨らみ、自己資金では賄いきれなくなったためである。1830年に伊兵衛氏が大坂で古着商「大和屋」を開き、1877年に十合呉服店へ改称、1919年の株式会社化で百貨店へ転じた。だが1930年の心斎橋本店新築と1933年の神戸店開業が重なって建築費と土地取得の負担が財務を圧迫し、借入と増資に依存した調達が行き詰まった。1935年に十合家は保有株… 売上高 1,571億円 00/2 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 8251 パルコ 2020年 上場廃止 小売業は商品・サービス・建物のどれを直しても、客がその店に抱いた印象までは覆せない。改善すべき変数が多いうえ、最後の一つが自社の手の外にある。再建を託された増田通二氏の診断はそこにあった。直すべきは個々の売場ではなく、稼ぎ方そのものであった。1966年に西武百貨店へ買収された時点で東京丸物は累積赤字18億円を抱え、月々2億円の赤字を出す月もあった。増田氏は商品を仕入れて売る立場を捨て、専門店に場所… 売上高 900億円 19/2 営業利益率 — ROE 2.7% 19/2 自己資本比率 46.1% 19/2
- 8252 丸井 集金人が中央線沿線を歩いて台帳で回収する月賦は、店を増やすほど巡回と帳簿の人手が重くなり、回収の手間そのものが成長の制約となる事業である。1952年に渡米した青井忠治は、米国でコンピューターを使ったカード決済が現金集金を置き換える光景に触れ、台帳と集金をシステムへ移せば回収を機械化できると見た。1960年1月に「月賦」を「クレジット」へ呼称を改め、3月に店舗専用カードを発行、初年度に5万枚を出した… 売上高 2,769億円 26/3 営業利益率 18.1% 26/3 ROE 11.7% 26/3 自己資本比率 21.4% 26/3
- 8253 クレディセゾン 月賦百貨店は店頭で月々の返済を受ける、小売と消費者金融が一体の業態であり、客と対面して与信する仕組みをもともと抱えていた。ショッピングセンターと量販店の台頭で月賦百貨店が頭打ちになると、1976年3月に西武百貨店と資本提携してセゾングループの金融中核となり、1980年に西武クレジットへ商号を改めた。1982年8月に発行した西武カードは、西武百貨店やPARCOに併設したセゾンカウンターでその場で審査… 売上高 5,463億円 26/3 営業利益率 16.5% 26/3 ROE 8.3% 26/3 自己資本比率 15.1% 26/3
- 8263 ダイエー 2015年 上場廃止 戦後の物不足と高い物価に苦しむ家庭にとって、安さは何よりの魅力だった。中内㓛氏は、値段はメーカーが決め小売はそれに従うという当時の常識に挑み、消費者の側に立って値段を下げること自体を事業の存在意義に据えた。1957年に大阪市旭区の千林商店街で「主婦の店ダイエー薬局」を開き、日用品を大量に仕入れて安く売り、100グラム100円が相場だった牛肉を39円まで下げて客を集めた。中内氏はこの値下げを「価格破… 売上高 7,565億円 14/2 営業利益率 — ROE -22.3% 14/2 自己資本比率 33.6% 14/2
- 8264 イトーヨーカ堂 2005年 上場廃止 大量販売方式のため1958年に設立された株式会社ヨーカ堂は、1960年に10億円だった売上高を1976年度に3,200億円へ伸ばした。支えたのは二つの出店基準である。ひとつは店舗規模を商圏に比例させ、過大投資を避けること。もうひとつが低地価政策で、衣料品の専門店が坪当り200万円以上の売上を必要とした時代に、坪当り20万円から30万円の土地へ大型店を建てて採算を作った。狙いは首都圏郊外の31歳前後… 売上高 1.7兆円 08/2 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 8267 イオン 小売は地域産業であり、地元の信頼・人材・出店時の調整は土地ごとに事情が異なる。地元の社長と店名を残し本部機能だけを被せるほうが、現地の経営者の能力を引き出せ、出店でも地元の反対を受けにくいと岡田卓也氏は読んだ。1969年に岡田屋・フタギ・シロが共同仕入会社を設け、翌1970年3月の5社合併でジャスコが発足する。山陽ジャスコ・福岡ジャスコなど地域会社を各地に置き、地方の経営者に責任を持たせた。売上を… 売上高 9.4兆円 26/2 営業利益率 2.9% 26/2 ROE 6.0% 26/2 自己資本比率 7.9% 26/2
- 8302 日本興業銀行 2000年 上場廃止 日清戦争のあと近代工業が立ち上がり、設備を据えるための資金需要は巨額に達して金融は逼迫した。政府はフランスの動産銀行制度にならい、1900年3月に日本興業銀行法を公布する。1902年3月に発足した興銀は、預金ではなく興業債券によって内外から資金を調達し、証券投資を通じて事業へ長期の資金を流す機関として設計された。特定の財閥系列に属さないという条件が、外資導入の窓口としても、複数の資本系列にまたがる… 売上高 1.6兆円 85/3 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 8304 あおぞら銀行 戦後復興期の長期設備資金需要を、興銀・長銀が担う純粋産業金融とは別の経路で受け止める銀行が要ったためである。1957年4月、長期信用銀行法に基づき日本不動産銀行が資本金10億円で設立された。金融債発行で中長期資金を集め、不動産担保を中核に据えた企業向け長期貸出を本業とする設計で、長信銀3行のなかで不動産金融に比重を置いた点が他2行と異なった。担保アセットの市況に業績が左右されやすい体質をこの時点で… 売上高 2,423億円 26/3 営業利益率 11.2% 26/3 ROE 5.4% 26/3 自己資本比率 5.6% 26/3
- 8306 三菱UFJフィナンシャル・グループ 銀行業は預金と貸出の量がそのまま資金力・信用力に直結するため、規模の確保が競争上の生命線となる。大阪を地盤とする鴻池・山口・三十四の3行は、地盤を共有するがゆえに過当競争を避ける必要があり、1933年12月に合併して三和銀行となり、第1回決算で預金高10億円を超えて国内普通銀行の首位に立った。三菱の系譜も1929年の森村銀行から1943年の第百銀行まで買収を重ね、関東大震災と金融恐慌で罹災銀行を救… 売上高 14.6兆円 26/3 営業利益率 23.3% 26/3 ROE 10.9% 26/3 自己資本比率 5.2% 26/3
- 8308 りそなホールディングス 商業銀行と信託を1つの組織で運営すれば、預金・融資の顧客に資産運用や有価証券の機能まで同じ窓口で届けられ、グループの収益源を分散できる。1918年5月に野村徳七が大阪野村銀行として設立した同行は、1925年7月から信託業務を兼営し、戦前の都銀では珍しい一体運営を始めた。1966年4月の金融制度改正で信託の信託銀行分離が一般化したなかでも、大和銀行だけは兼営を維持して特殊な位置に留まった。リテール顧… 売上高 1.4兆円 26/3 営業利益率 28.8% 26/3 ROE 8.9% 26/3 自己資本比率 3.8% 26/3
- 8309 三井住友トラストグループ 信託は委託者が財産を預けて運用を任せる仕組みであり、預ける側が運用者を信用できなければ成り立たない。米山梅吉氏は三井銀行常務として三井財閥の信用を背負い、米国で信託業務を調査して制度設計の見識も備えていたため、震災後で他社の参入が難しい時期にも財産を集められた。1922年4月の信託業法公布を受けて構想し、関東大震災で計画は難航したが押し通して1924年3月に三井信託を成立させた。三井財閥の信用を後… 売上高 3.0兆円 26/3 営業利益率 13.5% 26/3 ROE 8.9% 26/3 自己資本比率 4.3% 26/3
- 8311 第一勧業銀行 2000年 上場廃止 一つの家の資金ではなく多くの出資者から資本を集める合本組織を、渋沢栄一氏は近代産業の条件と考えていた。第一勧業銀行の源流である第一国立銀行は、1873年6月に東京兜町で資本金244万円で設立された国立銀行条例によるわが国最初の銀行で、資本金の大半は三井組と小野組が出したうえで、渋沢栄一氏が総監役に就いている。渋沢栄一氏は生涯に多くの企業の設立を導きながら自らは財閥を築かず、その中立性が銀行にも残っ… 売上高 — 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 8314 さくら銀行 2001年 上場廃止 三井組は1871年に自前の銀行の許可を得ながら、政府が国立銀行制度へ方針を変えたため計画を止め、1873年には小野組と第一国立銀行を設立して建物まで譲っている。それでも単独設立を諦めず、1876年3月に認可を得た。『会社銀行八十年史』は「三井は明治維新以来、明治政府に対する軍資金の調達、献金、紙幣発行などの点で多大の功績をあげているので、とくに三井銀行の設立は許可されることになつた」と記す。ただし… 売上高 — 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 8316 三井住友フィナンシャルグループ 株価下落で有価証券の含み損が膨らみ、時価会計の下で配当に回せる利益は消えかけていた。公的資金の配当が滞れば優先株に議決権が生じ、国の経営介入を招く。商法上、消滅会社の剰余金は存続会社へそのまま引き継げる一方、資本金と資本準備金は含み損の処理に充てられる。この合併会計を使うため三井住友銀行は2003年3月、全額出資子会社の第二地方銀行・わかしお銀行に吸収される道を選び、剰余金7500億円を減らさずに… 売上高 10.8兆円 26/3 営業利益率 21.3% 26/3 ROE 10.0% 26/3 自己資本比率 4.8% 26/3
- 8317 富士銀行 2000年 上場廃止 1948年10月の改称そのものは占領下で強いられたものだった。再建された財閥系銀行は財閥の名称を使うことを許されず、三菱は千代田、住友は大阪、野村は大和と看板を変えている。分かれ目は1952年の平和条約発効後にあった。住友・三菱・三井の三行が旧称に復するなか、富士銀行は戻らなかった。『日本産業史』は、総合的なコンツェルンを形成した三行と違い、金融閥として発展した安田は戦後経済の変貌に応じて新しいイ… 売上高 — 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 8318 住友銀行 2001年 上場廃止 住友家は明治初年の銀行設立ブームに加わっていない。国立銀行条例のころ勧誘を受けながら「住友家では手を鉱山業以外に拡げる余裕がなく、時機尚早と認めた」として固辞している。それでも倉庫業の付帯業務として米や雑穀を担保に貸し付け、1875年には並合業という本格的な貸付・金融業へ進んだ。その貸出残高が大阪の主要銀行に対抗できる水準まで伸びた結果、1895年11月、住友吉左衞門氏を行主とする資本金100万円… 売上高 2.1兆円 85/3 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 8331 千葉銀行 競争で勝ち取った地位ではなく、国策で与えられた地位だったため、参入の脅威がほとんどない県内独占が制度として固定されたことが大きい。明治期に74行を数えた県内の地場銀行群は金融恐慌と政府の統合圧力で1931年までに6行へ集約され、1943年3月31日、一県一行主義に従い千葉合同銀行・小見川農商銀行・第九十八銀行の3行が合併して千葉銀行が発足した。翌1944年に千葉貯蓄銀行を合併し県内唯一の本店銀行と… 売上高 4,450億円 26/3 営業利益率 31.2% 26/3 ROE 7.5% 26/3 自己資本比率 5.9% 26/3
- 8354 ふくおかフィナンシャルグループ 政府が一県に銀行を一行へ束ねる1県1行主義を戦時統制として進めたため、県内有力行は経営判断ではなく国策によって合併させられた。福岡銀行は1945年3月、十七・筑邦・嘉穂・福岡貯蓄の4行が新立合併して発足し、資本金2500万円・店舗131カ店で船出しながら、九州最大であるだけでなく全国地方銀行の預金高でも第1位という規模を最初から負った。鉄鋼と石炭という戦後復興の主役産業を地盤としたことが預金量を押… 売上高 6,212億円 26/3 営業利益率 19.4% 26/3 ROE 7.9% 26/3 自己資本比率 3.2% 26/3
- 8410 セブン銀行 提携金融機関は自前でATM網を持てば設置・現金補充・保守の費用を抱え込むが、セブン銀行のATMに乗れば顧客サービスを保ったままその費用を外せる。利用者が払う手数料は提携先の収入に残し、セブン銀行は1件当たりの受入手数料だけを受け取る分配にしたため、預金や貸出で競う相手ではなく費用を肩代わりする協力先として迎えられた。鈴木敏文氏は「素人が銀行を始めても失敗する」という否定論に対し、セブン-イレブンの… 売上高 2,200億円 26/3 営業利益率 13.7% 26/3 ROE 4.8% 26/3 自己資本比率 18.1% 26/3
- 8411 みずほフィナンシャルグループ 一行ずつでは生き残れなくなったからである。バブル崩壊後の不良債権に加え、興銀が拠る長期信用銀行モデルは金利自由化で調達コストが上がり、1998年の長銀・日債銀の破綻で限界が露わになった。産業金融の興銀、公金・大衆預金の富士、戦後最大の店舗網を持つ第一勧銀を束ね、2000年9月に株式移転で持株会社みずほホールディングスを設立し、総資産約140兆円という世界最大級の規模を得た。もっとも3行合計の業務純… 売上高 9.1兆円 26/3 営業利益率 17.3% 26/3 ROE 11.0% 26/3 自己資本比率 3.7% 26/3
- 8424 芙蓉総合リース 高度成長期の製造業や流通業は設備投資需要が旺盛だったが、銀行融資中心の資金繰りでは設備の所有と減価償却の負担が企業に残った。米国式リースは、その所有と償却を肩代わりして設備だけを使わせる新しい資金調達手段として広がりつつあった。富士銀行系の芙蓉グループは、グループ各社の法人需要を取り込む受け皿として、1969年5月に丸紅飯田と富士銀行を中心とする6社で資本金1億円の芙蓉総合リースを設立した。富士銀… 売上高 7,887億円 26/3 営業利益率 5.1% 26/3 ROE 4.3% 26/3 自己資本比率 13.1% 26/3
- 8425 みずほリース 出資者の幅広さは、そのまま取引先の幅広さに直結する。1社の銀行が抱える顧客は限られるが、産業界を代表する事業会社と生命保険会社を相乗りさせれば、各株主の取引網がそのまま案件発掘の入口になり、一行に縛られない顧客基盤を最初から内に持てる。日本興業銀行は1969年12月、計16社で資本金5億円を出し合い株式会社パシフィック・リースを東京に設立した。1964年設立のオリエント・リースが普及を先導していた… 売上高 9,216億円 26/3 営業利益率 4.8% 26/3 ROE 11.1% 26/3 自己資本比率 10.3% 26/3
- 8439 東京センチュリー リースには物件を調達する力と借り手の信用を見極める与信の力の両方が要る。商社は物件と販路を、銀行は与信と資金を持つため、両者を1社で結べば単独の親会社では取れない案件を組成できた。1969年7月、設備投資が膨らむ高度成長期に伊藤忠商事・第一銀行・日本生命保険・朝日生命保険の4社が資本金500百万円でセンチュリー・リーシング・システムを設立した。設立から1980年代まで、伊藤忠の物件供給と第一勧業銀… 売上高 1.5兆円 26/3 営業利益率 10.2% 26/3 ROE 9.9% 26/3 自己資本比率 15.6% 26/3
- 8473 SBIホールディングス ベンチャー・キャピタルの収益は投資先のIPO益とファンド組成手数料に限られ、相場が上向くときに伸び下落時に落ち込む。この振れを和らげるには、口座数に比例して積み上がるストック性の収益源が要った。北尾吉孝氏は2001年のITバブル崩壊で投資収益の変動が経営を揺らすのを見て、2003年に同じグループのイー・トレードを吸収合併し、低手数料で口座を増やすネット証券を取り込んだ。続いて住信SBIネット銀行と… 売上高 1.9兆円 26/3 営業利益率 27.2% 26/3 ROE 36.3% 26/3 自己資本比率 3.1% 26/3
- 8564 武富士 2010年 上場廃止 銀行は担保も保証人も取らずに小額を貸さず、従業員30人以下の企業に勤める人が全労働者の7割を占めていた。この層はどこからも借りられないまま残っており、武井保雄氏は1966年1月、東京都板橋区でその需要を引き受けた。強みは金利の高さではなく費用の管理にある。広告宣伝費を営業収益の5%以内、人件費を13〜14%に抑え、給料の差し押さえのような取り立てを避けることで、評判の悪化と広告費の増加をまとめて防… 売上高 1,203億円 10/3 営業利益率 — ROE 3.0% 10/3 自己資本比率 21.9% 10/3
- 8572 アコム 戦後の神戸は戦災で物資が逼迫し現金需要が膨らむ一方、銀行が融資する相手は法人と富裕層に限られていた。だれも貸さない庶民の小口需要を、質草という担保で受け止められたのが質屋だった。創業者・木下政雄氏は1936年に開いた丸糸呉服店の灘支店を1948年に質屋へ転じ、1960年には神戸元町で物を取らず給与という将来収入を担保に貸す「サラリーマン金融」を試した。扱う対象は反物から質草へ、そして形のない信用へ… 売上高 3,177億円 25/3 営業利益率 18.4% 25/3 ROE 11.1% 26/3 自己資本比率 44.5% 26/3
- 8584 ジャックス 信用情報の蓄積も全国の加盟店網も持たない後発が、業界大手の日本信販と正面で競えば、与信の精度でも仕入条件でも歯が立たない。そこで競合の手が届かない隙間に的を絞る方針を採った。1954年に伊部政治郎氏ら3名が函館で設立したデパート信用販売は、地元百貨店の棒二森屋を最初の加盟店に確保し、1969年にはソニー商事と組んで高額家電の分割払いを、1974年からはトヨタや日産の系列が扱わない輸入車と中古車のオ… 売上高 1,923億円 26/3 営業利益率 10.6% 26/3 ROE 5.2% 26/3 自己資本比率 7.9% 26/3
- 8591 オリックス リースは物件を抱えて長期に貸す業態で、資金を厚く調達する力と、貸す相手を見つける販路の双方を要し、片方だけでは成り立たない。総合商社化を急ぐ日綿実業は機械部門の強化を狙い、海外統括課の宮内義彦氏を米国U.S.リーシング社へ派遣してノウハウを学ばせた。だが日本にリースという概念がなく自社単独では資金が足りず、資金を出す三和銀行ら五銀行と、販路を持つ日商・岩井産業を加えた八社合弁で、1964年4月に資… 売上高 3.3兆円 26/3 営業利益率 20.8% 26/3 ROE 10.0% 26/3 自己資本比率 24.9% 26/3
- 8593 三菱HCキャピタル 商社・銀行・信託がそれぞれ単独でリース会社を構えるより、グループ各社が1社に相乗りするほうが、調達した資金の信用力も顧客基盤も厚くなる。1971年4月、設備投資が拡大する時期に、三菱銀行・三菱商事・三菱信託銀行を軸とする三菱グループ11社へ日本生命・第一生命と米チェース系3社を加えた16社が、資本金10億円でダイヤモンドリースを共同設立した。三菱商事の輸入機械、三菱銀行の取引先の設備投資、三菱信託… 売上高 2.2兆円 26/3 営業利益率 10.9% 26/3 ROE 8.1% 26/3 自己資本比率 15.2% 26/3
- 8601 大和証券グループ本社 同社は証券会社として生まれたのではなく、大阪有数の米穀商が金融業へ業態を広げる過程で証券を扱い始めた。米相場で磨いた商品流通の感覚があったため、国家的な資金需要が外貨で立ったとき、海外の発行体と国内の投資家をつなぐ仕事へ自然に向かった。1902年に藤本商店5代目の藤本清兵衛氏が大阪でコール市場の担い手として藤本ビルブローカーを開き、1904年の日露戦争開戦に伴い国庫債券を買い入れてロンドンへ輸出し… 売上高 1.5兆円 26/3 営業利益率 14.1% 26/3 ROE 9.9% 26/3 自己資本比率 4.6% 26/3
- 8602 山一證券 1997年 上場廃止 扱う仕事が個人の信用で足りる範囲を超えたためである。株式仲買は個人の信用で客を集める商いだが、1907年に小池合資会社へ改組して踏み込んだ公社債の引受は、発行者と投資家の間に立って残高を抱える仕事であり、個人商店の身丈では受けきれない。1917年4月に小池合資会社を解散して山一合資会社を設立し、杉野喜精氏が社長に就いた。屋号を社名にしたことで、創業者が退いたあとも同じ看板で商いを続けられるようにな… 売上高 2,139億円 84/9 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 8604 野村ホールディングス 公社債を売る商売は、金利と景気の読みが当たらなければ成り立たない。相場観を支える経済分析と、外債を扱う海外の窓口こそが、店頭での売買力以上に効く差別化だった。現にこの会社は、1925年に大阪野村銀行から証券部を切り出して資本金500万円で発足すると、翌1926年6月に調査誌『財界研究』を創刊し、1927年3月にはニューヨーク駐在員事務所を開いた。同業が国内の店頭売買に専念していた時期に、調査と海外… 売上高 4.8兆円 26/3 営業利益率 11.3% 26/3 ROE 9.5% 25/3 自己資本比率 6.3% 25/3
- 8605 三洋証券 1997年 上場廃止 合併を重ねるたびに、どちらの家の名でもない社名が必要になったためである。1906年に土屋鋭太郎氏が東京・兜町で開いた土屋鋭太郎商店は、先代の死去にともない陽三郎氏が跡を継ぎ、1943年9月に資本金100万円の土屋證券として株式会社に改組した。翌1944年3月には戦時の企業統合で角〆証券を併合して日東証券となる。1971年10月には大阪・北浜の江口證券と大一呉証券を吸収して江口日東証券に改め、197… 売上高 585億円 84/9 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 8609 岡三証券グループ 支店を新設すれば顧客は一から集めるほかないが、他店の営業権を買えば店と客がそのまま手に入る。三重県の地場業者だった岡三証券は、この買い方で全国へ広がった。1923年4月、加藤清治氏は三重県津市京口町の元宿屋・若林亭の八畳間で岡三商店を開業した。1949年10月に本店を大阪市東区北浜へ移して同年12月に鈴木証券を吸収合併し、1956年からは東京の吉村証券、京都の中屋証券、広島の興隆証券、神戸の三宝証… 売上高 956億円 26/3 営業利益率 19.6% 26/3 ROE 9.2% 26/3 自己資本比率 16.5% 26/3
- 8628 松井証券 松井証券が1996年4月に株式保護預かり料を無料にした背景には、その10年前の営業部隊の崩壊がある。1986年ごろに人件費を抑えるため歩合給を圧縮したところ、反発した営業幹部五人が退社して顧客も離れ、営業部隊が壊滅した。売り込む人間を失った松井証券は新聞広告で顧客を集める形に移り、対面営業を前提とする業界慣行から先に離れていた。日本証券業協会は当初これを許可しなかったが、1996年2月に3年間10… 売上高 527億円 26/3 営業利益率 44.6% 26/3 ROE 5.6% 12/3 自己資本比率 6.1% 26/3
- 8630 SOMPOホールディングス 規模で勝るほど仕入れ条件にあたる再保険手配やシステムの単位コストが下がり、伸び悩む国内損保市場でも合併で規模とコスト競争力を確保できると見たためである。だが業界2位の損保ジャパンと4位の日本興亜という不揃いな組み合わせで、対等性への配慮が商品・システム・人事の意思決定を引き延ばした。2010年4月に持株会社NKSJを設立したものの、損保事業会社が「損害保険ジャパン日本興亜」として一本化されたのは2… 売上高 5.6兆円 26/3 営業利益率 15.1% 26/3 ROE 12.7% 26/3 自己資本比率 27.1% 26/3
- 8697 日本取引所グループ 東京と大阪は、それぞれ地場の発行体と投資家を抱える別個の資本市場として1878年に出発したため、当初から一本化の必然がなかった。1878年5月に東京株式取引所、翌6月に大阪株式取引所がそれぞれ設立免許を取得し、戦時統制を経て1949年に会員組織で再設立された。会員の利害を映す組織形態のもとでは、東西いずれも自地域の市場の中立性と信用を守ることが優先され、債券・市場第二部・TOPIX・国債先物・株価… 売上高 1,991億円 26/3 営業利益率 58.4% 26/3 ROE 23.8% 26/3 自己資本比率 0.5% 26/3
- 8698 マネックスグループ 手数料の自由化と個人のインターネット利用が同じ年に立ち上がる状況は、店舗も既存顧客も持たない参入者の負担がもっとも軽い。既存の証券会社は店舗と対面営業の費用を抱えたまま価格競争へ入るほかないからである。松本大氏は1998年にゴールドマン・サックス証券へ個人向けネット証券取引の事業化を提案して却下され、上場を半年後に控えた同社を退いた。1999年4月、ソニーと資本金5,000万円を折半で出資し、東京… 売上高 836億円 26/3 営業利益率 18.8% 26/3 ROE 8.6% 26/3 自己資本比率 16.9% 26/3
- 8725 MS&ADインシュアランスグループホールディングス 設立時は三井財閥の影響力が強く、損害保険という事業の先行きも世間の見方が定まっておらず、不確かな事業に三井の屋号を背負わせる危険を避けたためである。1918年10月、三井物産常務の小田柿拾郎の発案で資本金50万円の大正海上火災保険が設立されたとき、社名にはあえて三井を冠さず、大正という元号に由来する無難な名が採用された。その後も改称が遅れたのは、戦中の財閥批判と戦後の財閥解体という二つの断絶を挟ん… 売上高 6.4兆円 26/3 営業利益率 10.9% 26/3 ROE 16.5% 26/3 自己資本比率 16.6% 26/3
- 8729 ソニーフィナンシャルホールディングス 人がやらない領域に挑むのがソニー金融の出発点であり、対面のライフプランナー・ダイレクト型損保・ネット銀行という主流から外れた後発3社は、業法も自己資本規制も別個に縛られて資本配分と健全性管理が分散しやすかった。そこで2004年4月、ソニー本体からの会社分割でソニーフィナンシャルホールディングスを設け、傘下に1979年の合弁生まれのソニー生命、1998年のソニー損保、2001年のソニー銀行を集約し、… 売上高 2.9兆円 26/3 営業利益率 2.9% 26/3 ROE 8.8% 26/3 自己資本比率 2.6% 26/3
- 8750 第一生命ホールディングス 明治期の生保は加入者への保険金不払いや会社の倒産が頻発し、業界の信頼そのものが揺らいでいた。倒産会社からの加入者保護を目的に保険業法が立案されると、その立案に農商務省側で関わり初代保険課長を務めた矢野恒太氏が退官し、1902年9月、池田謙三氏や岡野敬次郎氏の後援のもと第一生命保険相互会社を基金20万円で設立した。利益を株主でなく加入者へ配分する相互組織と、代理店を置かず営業費を削る合理的経営は、業… 売上高 11.3兆円 26/3 営業利益率 6.7% 26/3 ROE 10.3% 26/3 自己資本比率 5.7% 26/3
- 8754 日本興亜損害保険 2010年 上場廃止 日本興亜損害保険は、1944年の戦時統合で生まれた日本火災海上保険と興亜火災海上保険が2001年4月に合併してできた損害保険会社である。1999年10月に三井海上火災を加えた3社が統合を発表したが、三井海上が新会社を三井グループに属させることを条件に出して離脱し、首位を上回る規模という目的は消えた。2社が合併へ進んだのは、1998年7月の料率自由化で収入保険料の小さい会社ほど営業経費率で不利になり… 売上高 9,031億円 10/3 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 8755 損害保険ジャパン 2010年 上場廃止 火災保険は、大火が一度起きれば支払いが保険料を上回る事業であり、契約が十分に積み上がるまで経営は安定しない。1887年7月に柳川清助氏ら5人の発起人が東京で設立した有限責任東京火災保険会社は、保険思想が普及していない時代に各地の大火が重なり、経営に行き詰まった。これを引き受けたのが安田善次郎氏で、1893年6月に経営へ参画し、株式組織へ改組して建て直した。同氏は同年9月に帝国海上も設立している。こ… 売上高 1.8兆円 10/3 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 8759 ニッセイ同和損害保険 2010年 上場廃止 戦時下の企業整備による。1923年の関東大震災と不況で各社は弱り、業界の払込資本金は1931年までに1億44万円から6,990万円へ減った。太平洋戦争に入ると統合は加速し、1944年3月23日、神戸海上火災・共同火災海上・朝日海上火災・横浜火災海上の4社が大阪で対等合併して同和火災海上保険が生まれた。50社を超えていた損保会社は終戦時に16社まで減っている。創業の年を1897年としたのは、最も古い… 売上高 3,127億円 10/3 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 8761 あいおい損害保険 2010年 上場廃止 2000年初頭の損保再編で最も積極的に動いたのは業界5位の大東京火災で、瀬下明社長は7社から8社と交渉している。住友海上に日動火災を加えた三社連合ならシェア22%弱で首位という構想もあった。大東京火災が選んだのは業界8位の千代田火災だった。瀬下社長は大手と一緒になれば系列色が強まり「経営者のロマンを捨てることになりかねない」と述べている。福田耕治社長には、トヨタが3割のカーユーザーの支持を得ている… 売上高 1.0兆円 10/3 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 8766 東京海上ホールディングス 邦資本初の海上保険会社が陥った危機の根は、英系保険会社が長年かけて蓄えた統計とブローカー網であり、外から条件を交渉するだけでは解けず、運営手法そのものを現地で内部に取り込むほかなかった。1890年以降のイギリス事業で多額の損失を出し、創業から十年余で存続が危ぶまれた東京海上は、1894年7月に26歳の各務鎌吉氏を派遣し、会計方式の切り替えと半額減資で窮地を脱した。海外市場の壁に現地で学び直して応え… 売上高 8.4兆円 25/3 営業利益率 17.3% 25/3 ROE 18.3% 26/3 自己資本比率 16.8% 26/3
- 8795 T&Dホールディングス 明治期の生保は小規模各社が乱立して過当競争に陥り、破綻や不健全経営が常態化していた。監督当局はこれを整理統合で立て直そうとし、農商務省商工局初代保険課長の矢野恒太氏(のちの第一生命創立者)が業界粛正に動いた。その流れを最も早く受け止めたのが1902年7月の合併である。真宗生命・護国生命・北海生命の3社が一つになって大同生命保険が発足し、初代社長には朝日生命社長で加島銀行を率いた広岡久右衛門氏が就い… 売上高 3.5兆円 26/3 営業利益率 7.4% 26/3 ROE 8.6% 26/3 自己資本比率 9.3% 26/3
- 8801 三井不動産 戦時下の経済統制で財閥の組織再編が進むなか、三井物産が1940年に三井合名会社を吸収し、そこへ含まれていた不動産を独立して管理する受け皿が要った。資本金300万円を三井11家が全額出資し、社長を置かず株式公開も前提としない閉じた設計には、三井家の内部だけで意思決定を完結させる狙いがあった。継承したのは東京・大阪のビル群と約59万平方メートルの土地で、運用や販売に回せる持ち分は乏しく、与えられた資産… 売上高 2.7兆円 26/3 営業利益率 14.7% 26/3 ROE 8.5% 26/3 自己資本比率 32.4% 26/3
- 8802 三菱地所 採算で見れば買う理由のない土地だった。それでも三菱財閥の岩崎弥之助氏が引き受けたのは、明治政府との長期的な関係を保つことを優先したからである。1889年に陸軍用地の丸ノ内が売りに出されたが、東京市予算3年分という価格と交通の悪さで入札に応じる者は現れなかった。蔵相・松方正義の打診を受けた岩崎氏は1890年3月に128万円で買収を決め、社内の批判に「竹を植えて虎でも飼うさ」と応じたと伝わる。草原は1… 売上高 1.7兆円 26/3 営業利益率 18.9% 26/3 ROE 8.3% 26/3 自己資本比率 31.4% 26/3
- 8804 東京建物 個人金融業者に頼るしかなかった明治期の住宅資金事情を埋めるには、貸す機能だけでも建てる機能だけでも足りなかった。初代安田善次郎は、月賦で住宅を建てる請負、土地建物を担保にした貸付、不動産の売買仲介を一つの定款に並べ、客が土地を担保に資金を借りて住まいを建て、それを売買できる流れを一社で完結させた。1896年10月、日清戦争後の都市膨張のさなか資本金100万円で設立された会社は、住宅金融公庫も銀行ロ… 売上高 4,746億円 25/12 営業利益率 20.2% 25/12 ROE 10.0% 25/12 自己資本比率 26.0% 25/12
- 8830 住友不動産 後発で財務基盤の弱い会社が三菱地所・三井不動産と同じ土俵で一等地を奪い合うのは難しく、持てる物件を都心で深く運用するほかなかった。1949年に財閥解体後の住友本社不動産部門を継ぐ第二会社・泉不動産として設立されたが、丸の内は三菱地所、日本橋は三井不動産がすでに押さえ、引き継げたのは大阪の住友本社ビルを中心とする物件群にとどまった。1957年に住友不動産へ改称し、1970年の東証一部上場で資金調達力… 売上高 1.1兆円 26/3 営業利益率 28.3% 26/3 ROE 8.6% 26/3 自己資本比率 34.4% 26/3
- 8848 レオパレス21 相続税対策で土地を活かしたい地主と、都市へ流入する単身者の住宅需要は本来は別々の相手である。両者を一本の取引でつなげば、地主には30年一括借上げで安心を売り、入居者には敷金不要の規格化された部屋を売れるため、建てるたびに建築請負と賃料の双方が同社へ落ちる仕組みになる。深山祐助氏は1985年に都市型アパート「レオパレス21」の販売を始め、翌1986年に賃貸事業部を設けて一括借上げ型のサブリースに踏み… 売上高 4,448億円 26/3 営業利益率 8.1% 26/3 ROE 36.7% 26/3 自己資本比率 23.0% 26/3
- 8850 スターツコーポレーション 仲介で受けた土地活用の相談に施工まで自社で応え、完成後の管理手数料を毎月積み上げるためである。村石久二氏は、工事の利益は完成時の一度きりだが管理手数料は毎月入るストック収入を「銀行員的な発想」と呼んだ。1975年に千曲建設を設けて建設へ進み、1985年には千曲管理サービスを設けて管理を専業化、1986年に管理物件約6,000件でオンライン管理に着手した。仲介で顧客と接し、建設で受注し、管理で長期に… 売上高 2,519億円 26/3 営業利益率 14.4% 26/3 ROE 13.4% 26/3 自己資本比率 53.5% 26/3
- 8876 リログループ 賃貸管理業者には割に合わない空家の換気・清掃・郵便物転送・近隣対応を、転勤者本人と家族・企業人事部の三者を媒介する役務として束ね、企業に費用を払わせる先がなかったからである。山陰の建設業者だった日本住建は、1978年9月に三井物産株式会社の社宅・寮等の営繕の指定業者となり、翌1979年10月には三井物産の国内・海外転勤者の留守宅管理を開始した。転勤で空家になった社員宅を企業の費用で第三者に管理させ… 売上高 1,511億円 26/3 営業利益率 20.4% 26/3 ROE 25.0% 26/3 自己資本比率 25.5% 26/3
- 8919 カチタス 1996年改正・1998年施行の改正民事執行法で不動産競売の手続が短期化・透明化され、個人投資家以外も競売市場へ入りやすくなったため、地場の不動産業者だったやすらぎは安く物件を仕込む手段を得た。1978年に須田忠雄氏が群馬県桐生市で石材業として創業した同社は、墓石・建材販売から不動産業へ本業を入れ替えており、制度変更を受けて桐生市に営業店舗を開き、地方圏の戸建中古住宅を低コストで取得してリフォーム… 売上高 1,519億円 26/3 営業利益率 12.0% 26/3 ROE 23.5% 26/3 自己資本比率 56.9% 26/3
- 8923 トーセイ 借入で動く不動産業は、個社の堅実さと無関係に、信用が収縮すれば行き詰まる。それを父の会社の倒産で見たことが、山口誠一郎社長の事業観を決めた。父・山口誠氏の東誠商事は投機を避けて中小ビルの開発・賃貸に徹した堅実な会社だったが、バブル崩壊後の信用収縮から逃れられず1993年に事実上倒産した。翌1994年、山口社長は別法人の建物管理会社・東誠ビルディングをMBOで取得し、市況は崩れる前提で事業を設計して… 売上高 947億円 25/11 営業利益率 23.6% 25/11 ROE 13.2% 18/11 自己資本比率 37.5% 18/11
- 9001 東武鉄道 開業直後の東武鉄道が振るわなかったのは、伊勢崎線が利根川で分断され、群馬・栃木の集客圏まで線路が届かなかったためである。山梨出身の相場師・実業家である根津嘉一郎は1905年に株式を取得して経営へ参画すると、社内の冗費を削る一方、利根川に約40万円を投じて549メートルの大鉄橋を架けた。当時として異例の規模の橋に資金を集中し、路線を北関東へ延ばして集客圏を一気に広げた。この判断が東武鉄道の規模を決め… 売上高 6,554億円 26/3 営業利益率 11.0% 26/3 ROE 9.0% 26/3 自己資本比率 33.0% 26/3
- 9005 東急 関西の阪急電鉄が示した「鉄道が乗客を生む」郊外電鉄を関東で実践できる事業者がいなかったため、五島慶太氏は手つかずの市場とみて参入した。1922年9月に資本金350万円で目黒蒲田電鉄を設立すると、翌1923年9月の関東大震災で都心から郊外への移住需要が拡大し、沿線に学校と住宅が集まった。1928年には渋沢栄一が設立した田園都市株式会社を合併して田園調布の高級住宅地開発を取り込み、鉄道を敷いて沿線に住… 売上高 1.1兆円 26/3 営業利益率 9.5% 26/3 ROE 9.5% 26/3 自己資本比率 31.2% 26/3
- 9006 京浜急行電鉄 寺社という人の集まる場所は、需要が読みやすく短い区間でも採算が立つため、新規参入の足場になりやすい。立川勇次郎氏らはまず川崎大師の参詣客に的を絞り、1899年1月に六郷橋〜大師間で関東初の電車営業を始めた。しかし参詣需要だけでは伸びしろが乏しく、同年4月には商号を大師電気鉄道から京浜電気鉄道へ改め、東京と横浜を結ぶ都市間輸送を前提とする会社に組み替えた。社名が示すとおり京浜間の直結を狙い、1905… 売上高 3,042億円 26/3 営業利益率 11.0% 26/3 ROE 7.1% 26/3 自己資本比率 34.4% 26/3
- 9007 小田急電鉄 原野に長い高速電気鉄道を一挙に通せたのは、利光鶴松が1910年設立の鬼怒川水力電気を親会社に持ち、余剰電力を消費する大口需要として鉄道を構想したためである。利光は起業目論見書で東海道本線の混雑緩和と所要時間短縮を訴え、箱根・湘南の行楽と東京近郊輸送の両取りを狙った。1927年4月に新宿から小田原まで82.5kmを当時の日本最長の電気鉄道として全線一挙開業したが、沿線の多くは無人の原野で、需要は構想… 売上高 4,187億円 26/3 営業利益率 12.6% 26/3 ROE 7.4% 26/3 自己資本比率 36.4% 26/3
- 9008 京王電鉄 都心と郊外を結ぶ幹線鉄道は認可の手続きが重く資金も要したのに対し、軌道条例に基づく路面電車なら東京府の認可が通りやすく、乏しい資金でも開業にこぎつけられた。京王電気軌道は1910年に資本金125万円で設立されたが建設資金に窮し、森村財閥の融資系列に入って1914年に富士瓦斯紡績の井上篤太郎氏を専務に迎える。1913年に笹塚〜調布で電車営業を始めた滑り出しは慎ましく、八王子方面への本筋は自前の延伸で… 売上高 4,969億円 26/3 営業利益率 10.5% 26/3 ROE 9.7% 26/3 自己資本比率 37.0% 26/3
- 9009 京成電鉄 押上から延びる京成本線は国鉄総武線と並走し、都心へは遠回りになるため、運賃も時間も国鉄に劣後した。鉄道単独では戦えない立地だったので、別の稼ぎで本業の弱さを補う必要があった。京成電気軌道は1932年にバス事業を直営化し、1933年に不動産業へ広げ、千葉県東葛飾郡24町村を独占供給区域とする電灯電力業も兼営した。川崎千春社長は1959年に鉄道事業を「非常に悪い立地条件におかれています。というのは、国… 売上高 3,324億円 26/3 営業利益率 10.2% 26/3 ROE 8.6% 26/3 自己資本比率 47.2% 26/3
- 9020 東日本旅客鉄道 分割民営化で首都圏通勤という本州3社で最も厚い収益基盤を得た一方、新幹線施設は新幹線鉄道保有機構からのリース方式で、自社所有の土地さえ清算事業団との関係で簡単には動かせなかった。経営の自由裁量が狭く、手が届く資産は駅周辺に限られた。住田正二初代社長は1987年に「唯一、自由にできるのは主要駅の上空や、高架下などだろう」と語り、自社を「日本最大の含資産保有会社」と位置づけて、1988年に開発事業本部… 売上高 3.1兆円 26/3 営業利益率 13.4% 26/3 ROE 8.1% 26/3 自己資本比率 28.2% 26/3
- 9021 西日本旅客鉄道 同じ日に分割された旅客6社は地理で割られたため、首都圏という巨大で安定した通勤の市場はそのままJR東日本のものになった。JR西日本に割り当てられた北陸から北九州までの2府16県には、毎日決まって人が乗る同規模の通勤大動脈がない。1987年4月に発足したJR西日本が引き継いだのは、出張と観光に左右される山陽新幹線と、関西経済の浮き沈みに揺れる近畿圏在来線という、需要が振れる二本の収益源だった。日々の… 売上高 1.8兆円 26/3 営業利益率 10.7% 26/3 ROE 10.6% 26/3 自己資本比率 30.3% 26/3
- 9022 東海旅客鉄道 東海道新幹線という単一路線で安定して稼ぐ力があったからこそ、政府は重い国鉄債務を負わせられると見込んだ。国鉄全線の100分の3の東海道線が全国の旅客貨物輸送量の4分の1を運ぶ高収益路線が、JR東海の中核に据えられた。一方で割り当てられた国鉄債務は5.1兆円に上り、後に葛西敬之氏は東海道新幹線の譲渡価格を2兆円以上も上回る過重な負担だったと振り返った。収益と負担が相反する遺産を抱えての出発だった。 売上高 2.0兆円 26/3 営業利益率 41.4% 26/3 ROE 10.9% 26/3 自己資本比率 46.6% 26/3
- 9024 西武ホールディングス 鉄道そのもので稼ぐためではなく、沿線に箱根土地が抱える土地の含み価値を、線路の延伸と宅地開発で押し上げるためである。郊外電鉄を同じ手に置けば、開発で得る利益と運賃収入を二重に取り込める。1932年、堤康次郎氏は隠れ債務を抱えて株価が暴落した武蔵野鉄道の株式を買い集め、和議に持ち込んで経営権を握った。沿線には箱根土地が保有する約100万坪の土地があり、土地会社が鉄道を傘下に置く順序で垂直統合した郊外… 売上高 5,133億円 26/3 営業利益率 8.9% 26/3 ROE 6.8% 26/3 自己資本比率 32.9% 26/3
- 9041 近鉄グループホールディングス 鉄道は線路・駅・車両に巨額の固定費を抱える装置産業であり、線を敷いただけでは資産が遊ぶ。そこで沿線そのものを需要源に変えるべく、人を運ぶ路線の両側へ宅地と商業地を、行き先には行楽地を据える発想が早くから根づいた。1910年に奈良軌道として大阪で設立された会社は、1914年に生駒トンネルで大阪・奈良を直結すると、1924年に不動産、1929年にバスと生駒山上遊園地、1936年に大軌百貨店を加えた。客… 売上高 1.8兆円 26/3 営業利益率 5.1% 26/3 ROE 8.8% 26/3 自己資本比率 23.6% 26/3
- 9042 阪急阪神ホールディングス 田舎電車は開業しても乗る人がいなければ立ち行かない。ならば沿線に人を住まわせ、電車に乗る理由そのものを会社が作ればよい、という逆転の発想である。三井銀行を退いた小林一三氏は1907年に箕面有馬電気軌道を興し、1910年に宝塚線が開業すると池田室町で宅地を月賦で分譲した。翌1911年に宝塚新温泉、1914年に少女歌劇を設け、1929年には梅田駅上に日本初のターミナルデパート阪急百貨店を開く。鉄道・住… 売上高 1.1兆円 25/3 営業利益率 10.0% 25/3 ROE 6.5% 25/3 自己資本比率 31.5% 25/3
- 9048 名古屋鉄道 中京圏では名古屋・岐阜方面を押さえた名岐系と、豊橋方面に強い愛電系が別々に路線を敷いており、都市間を一貫して結ぶには両系統を一社にまとめる必要があった。1935年8月に名岐鉄道が愛知電気鉄道を合併して商号を名古屋鉄道へ改め、東西の幹線がひとつの会社に束ねられて現在の名鉄が成立した。以後も瀬戸電気鉄道・三河鉄道・知多鉄道といった中小私鉄を吸収し、名古屋を中心に東西南北へ延びる路線網を組み上げた。 売上高 6,916億円 26/3 営業利益率 5.2% 26/3 ROE 4.7% 26/3 自己資本比率 30.6% 26/3
- 9064 ヤマトホールディングス 路線トラックは参入順に主要荷主を押さえた会社が有利な構造であり、1960年代の長距離参入で5年出遅れた後発の大和運輸が大口の法人荷主を奪うのは難しかった。そこで小倉昌男氏は、誰も手をつけていない個人の小口に活路を求めた。1973年のニューヨーク視察でUPSの緻密な集配を見て、個人間の宅配需要は2倍止まりで設備過剰に悩まされないと読み、需要の平準化に採算の見込みを得た。1976年1月20日に「電話1… 売上高 1.9兆円 26/3 営業利益率 1.5% 26/3 ROE 2.4% 26/3 自己資本比率 44.6% 26/3
- 9065 山九 発注者である製鐵所の操業が拡大すれば荷役量と作業員規模もそれに連れて決まるため、特定の発注者の構内に張り付くほど仕事が安定して積み上がる関係にあった。1918年、中村精七郎氏は福岡県門司で磯部組を買収し、官営八幡製鐵所の構内荷役を引き継いだ。地域名の「山」「九」に英語の感謝表現「Thank You」を掛けた社名のとおり、発注者への帰属を理念に据え、その生産現場へ作業員を常駐させて労務を請け負う型が… 売上高 6,316億円 26/3 営業利益率 6.8% 26/3 ROE 10.4% 26/3 自己資本比率 54.2% 26/3
- 9069 センコーグループホールディングス 戦前の専属物流から独立して以来、運送だけでは荷主の生産量や景気にそのまま収益が左右され、荷主を自前で開拓し続けねばならない弱さが残っていた。そこで輸送・保管・流通加工を一拠点で完結させる総合物流へ業態を組み替える方針を、まず社名で予告した。1973年10月、扇興運輸はセンコー株式会社へ改名し、福田泰久社長は2025年版統合報告書で「これは『運輸だけにこだわらない』という当社の事業多角化への意志を明… 売上高 8,996億円 26/3 営業利益率 4.1% 26/3 ROE 8.5% 26/3 自己資本比率 27.7% 26/3
- 9090 AZ-COM丸和ホールディングス 多頻度小口の店舗配送では、運ぶ仕事だけを請けるより、センターでの仕分けと配送をまとめて握るほうが小売の欠品と物流コストを同時に抑えられ、荷主が他社へ切り替えにくくなる。総合スーパーが店舗網を急拡大していた1990年、和佐見勝氏の丸和運輸機関はイトーヨーカ堂向けに店舗別配送センターの運営を受注し、単純な貨物運送からセンター運営と配送を一体で担う立場へ移った。外資が先行していた市場に、地場運送会社が小… 売上高 2,305億円 26/3 営業利益率 5.1% 26/3 ROE 11.9% 26/3 自己資本比率 40.1% 26/3
- 9101 日本郵船 郵便汽船三菱会社と共同運輸会社は、航路ごとの運賃の値下げ合戦で互いの経営体力を削り合っていた。一民間の消耗戦に任せれば、欧州勢が独占する遠洋航路に対抗する日本の外航海運が育たないと見た明治政府が、両社の合併を仲裁した。1885年9月、岩崎弥太郎氏が興した三菱系と政府が後押しした共同運輸が一体となって日本郵船会社が設立され、資本金1100万円・所有船舶69隻で10月に創業した。値下げ合戦を終わらせて… 売上高 2.4兆円 26/3 営業利益率 5.7% 26/3 ROE 6.9% 26/3 自己資本比率 59.1% 26/3
- 9104 商船三井 海運は船腹需給と運賃に利益が左右される市況産業であり、その振れに賭ければ経営は安定しない。そこで荷主と長く結ぶ長期契約を営業の中心に据えた。沿岸・近海を主戦場とする大阪商船と外航を柱とする三井船舶は航路の重複が少なく、補完関係のまま並走できる二系統だった。1964年4月、海運再建整備臨時措置法のもとで両社は対等合併し、資本金131億円・所有船舶86隻127万重量トンの大阪商船三井船舶が発足した。こ… 売上高 1.8兆円 26/3 営業利益率 7.0% 26/3 ROE 7.4% 26/3 自己資本比率 48.2% 26/3
- 9107 川崎汽船 終戦で建造船を抱え込んだ造船所にとって、余剰船を投げ売りするより、運航する別会社へ移して稼がせる方が損失を避けられた。第一次大戦中の船舶需要に乗って多くの船を造った川崎造船所は、終戦による海運市況の急落で建造船が余ってしまう。そこで保有する汽船11隻を現物出資し、資本金2,000万円で1919年4月に川崎汽船を神戸に設立した。造船所が建てた船をそのまま運ぶ造船所系資本の海運という出自が、ここで定ま… 売上高 1.0兆円 26/3 営業利益率 8.3% 26/3 ROE 7.4% 26/3 自己資本比率 76.9% 26/3
- 9110 NSユナイテッド海運 日本製鉄の解体で分かれた同社は、現物出資4,000万円と譲受資産1億7,100万円余を継承し、1950年4月に社船24隻・52,426重量トンで発足した。内航は八幡・富士両製鉄の鋼材と石炭を運んだが、船隊の主力は外航にあり、1955年3月末には外航8隻が保有船腹の82%を占めた。その外航船は川崎汽船と組んで北米・南阿一周航路に就航し、北米の穀物、キューバの砂糖、ゴアや香港で引き受けた鉱石を運ぶ不定… 売上高 2,298億円 26/3 営業利益率 8.9% 26/3 ROE 12.9% 26/3 自己資本比率 63.2% 26/3
- 9119 飯野海運 海軍が艦艇の燃料を石炭から重油へ切り替える時期にあたり、舞鶴で海軍向け石炭運送に育った飯野商事には、続く重油の海上輸送を担う必然があった。原油・重油は当時まだ缶詰やドラム缶で運ぶのが中心で、専用船型を先に握れば後発を引き離せる。そこで1929年2月に国内で建造実績の乏しいタンカー第一鷹取丸(1,266重量トン)を投入し、1931年8月には日本船籍最大級の初代富士山丸(13,586重量トン)を就航さ… 売上高 1,273億円 26/3 営業利益率 10.6% 26/3 ROE 9.7% 26/3 自己資本比率 45.6% 26/3
- 9142 九州旅客鉄道 九州は島内の人口が薄く過疎化も進む沿線が多いため、運賃収入だけでは線路や車両の維持費を賄えず、鉄道事業単体での黒字化が当初から見込めなかった。そこで国は鉄道の赤字を金融収益で埋める設計を採り、1987年4月の発足時、約300億円の鉄道営業損失に対し経営安定基金3,877億円を出資した。想定利率7.3%で運用すれば年約300億円の運用益が生まれ、損失を相殺できるという計算である。鉄道で赤字を出し運用… 売上高 5,004億円 26/3 営業利益率 14.8% 26/3 ROE 9.2% 26/3 自己資本比率 40.4% 26/3
- 9143 SGホールディングス 効率の悪い小口荷物は採算が合わず、当時は国鉄や郵便局が運んでは配送遅延や紛失を頻発させ、運送各社も大企業向けの大口定期便に集中して手薄に放置していた。そのため、確実な納期に金を払う法人需要が手つかずで残り、相場より高くても引き受ければ専有できる空白だった。創業者の佐川清氏は飛脚由来の小口配送を企業向けに高めの料金で請け負う方針を選び、ヤマト運輸が個人向け宅急便を発明する1976年まで、この法人小口… 売上高 1.6兆円 26/3 営業利益率 5.5% 26/3 ROE 10.8% 26/3 自己資本比率 44.4% 26/3
- 9147 NIPPON EXPRESSホールディングス 戦時下の物資輸送には全国の駅頭で荷を集めて配る組織が要り、零細な通運業者が乱立する状態では統制が利かなかった。そこで政府は1937年10月、日本通運株式会社法に基づき国際通運へ同業6社の資産を集めて国策会社を立ち上げ、1941年には東京合同運送ほか56社を吸収して全国の通運業を一社に束ねた。鉄道網と一体で駅から届け先までを押さえるこの集配網を、戦後の民営化後もそのまま継いだ。競合が一から全国網を敷… 売上高 2.6兆円 25/12 営業利益率 2.0% 25/12 ROE 0.3% 25/12 自己資本比率 33.5% 25/12
- 9201 日本航空 国が株式の半分を持ち、本邦唯一の国際線免許を1社に集中させれば、海外勢の参入を排して需要を独占でき、戦後復興期に乏しかった外貨と航空主権を国の管理下で守れた。1953年10月、日本航空株式会社法により旧会社と政府の折半出資で資本金20億円の新会社が設立され、本邦唯一の国際線定期免許会社として発足した。守られた独占のもとで1983年にはIATA統計の旅客・貨物輸送実績が世界一となり1987年まで5年… 売上高 2.0兆円 26/3 営業利益率 10.3% 26/3 ROE 11.1% 26/3 自己資本比率 38.9% 26/3
- 9202 ANAホールディングス 戦後7年の航空禁止が解けて各社が一斉に発着し始めた時期に、後発で資本も薄い会社が単価の安いローカル線で利益を出すのは難しく、旅客が太く採算の立つ幹線に資源を絞るほうが、機材投資の回収が速かった。政府資本で先発する日本航空への対抗心が原点にあり、美土路昌一初代社長の「現在窮乏、将来有望」、社員から生まれた「追いつけ、追いこせ」の合言葉が、後発の劣等感を前進の力に変えていく。資本金1億5千万円・ヘリコ… 売上高 2.5兆円 26/3 営業利益率 8.6% 26/3 ROE 11.3% 26/3 自己資本比率 37.7% 26/3
- 9229 サンウェルズ 腎臓病で長期入院し25歳まで社会に出られなかった苗代亮達氏は、体力的に勤め人を続けられず、1人でも回せて他社と競合しない事業を探す必要があった。2000年4月の介護保険で要介護高齢者の手すり設置などに国が9割を給付する仕組みが整った一方、給付対象工事の上限は20万円と小さく、施工単価4〜5万円の小口工事は採算が薄いと既存の工務店が敬遠していた。その競合空白に専業で入れば、案件件数で稼ぐ事業として成… 売上高 281億円 26/3 営業利益率 -4.3% 26/3 ROE — 自己資本比率 15.3% 26/3
- 9278 ブックオフグループホールディングス 初版や装丁の状態を目利きが1冊ずつ鑑定する古書店の慣行では、買取も販売も経験を積んだ専門家しか担えず、店を増やすほど人材の壁にぶつかって全国チェーンにできなかった。そこで坂本孝氏は本の中身ではなく汚れ具合で値を決める方式をとり、定価の10%で買い取り50%で売る、磨き直して新刊同様に整える、売れ残りは百円棚で回す、という3つの原則だけで運営した。査定をアルバイトでも担える作業に変えたことが、199… 売上高 1,192億円 25/5 営業利益率 2.9% 25/5 ROE 11.3% 25/5 自己資本比率 32.5% 25/5
- 9301 三菱倉庫 三菱グループの海運・貿易そのものが、運ぶ荷の保管需要を絶えず供給したためである。荷を自ら集めねばならない独立系の倉庫業者と違い、グループの取引が保管する荷を生む構図だった。1887年、海運貿易が拡大する明治期に三菱為換店の倉庫業務を継承し、東京・深川に有限責任東京倉庫会社として発足した。深川は隅田川と運河が交わる水運の要衝で、1907年には神戸港で荷揚げから保管までを一貫して扱う海陸一貫施設を整え… 売上高 2,734億円 26/3 営業利益率 5.8% 26/3 ROE 14.4% 26/3 自己資本比率 59.3% 26/3
- 9302 三井倉庫ホールディングス 倉庫の多くは商取引や海運貨物の集散から生まれたが、三井倉庫の前身は銀行が貸付の担保として預かる荷物を確実に管理する金融付随の機能から出発したため、保管の信頼性をなにより重んじる性格を初めから帯びた。1909年10月に三井銀行倉庫部から東神倉庫株式会社として分離独立し、東京・神戸・門司に拠点を構えた。担保物を確実に守る本分を持ちながら、1917年に神戸桟橋会社の海上業務を買収して港湾運送へ広げ、荷を… 売上高 2,995億円 26/3 営業利益率 7.4% 26/3 ROE 7.8% 26/3 自己資本比率 45.7% 26/3
- 9401 TBSホールディングス 1950年の電波三法で民間放送に道が開かれると、東京地区では20数社が放送局の免許を申請して競合した。単独では免許を得にくく、最有力だった毎日・朝日・電通・読売の4陣営が大同団結し、その受け皿としてラジオ東京が設立された。初代社長には元王子製紙社長の足立正氏が就いている。番組を運ぶ電波と広告を集める営業網が最初から結びつき、商業放送は第一年目から利益をあげ、1955年3月の聴取率調査では日本放送協… 売上高 4,249億円 26/3 営業利益率 5.8% 26/3 ROE 4.6% 26/3 自己資本比率 69.3% 26/3
- 9404 日本テレビホールディングス テレビ受像機がなお高価で家庭への普及に時間を要したため、広告価値を家庭の受信機数で測る当時の常識では、営業開始早々に広告収入を立てるのは難しかった。そこで創業者の正力松太郎氏は繁華街に大型受像機を据え、相撲やレスリングの中継で群衆を集め、家庭普及を待たずに視聴者数をつくった。数年は赤字が常識とされた放送事業で、開局から7か月目に償却前の黒字を計上している。 売上高 4,619億円 25/3 営業利益率 11.9% 25/3 ROE 4.8% 25/3 自己資本比率 77.9% 25/3
- 9412 スカパーJSAT 衛星は打ち上げてしまえば長く使い続ける設備であり、中継器の空きを埋められなければ採算に乗らない。1985年に日本通信衛星など三社が需要より先に設備を抱えて生まれたため、放送という大口の需要を自ら作る必要があった。空き中継器を埋める答えが多チャンネル有料放送で、1994年設立のディーエムシー企画がのちの日本デジタル放送サービスとなり、1996年10月にデジタルCS放送パーフェクTVを始めた。JCSA… 売上高 1,276億円 26/3 営業利益率 27.6% 26/3 ROE 7.7% 26/3 自己資本比率 74.4% 26/3
- 9418 U-NEXT HOLDINGS 有線放送はネットワークを広げるほど新譜を最速・最広域で流せるスケールメリットの事業で、先に放送所網を敷いた者が優位を握る。ゆえに宇野元忠氏は「先手必勝」を掲げ、人口1万の都市にも先行投資的に放送所を量産し、開業から1か月で100軒、1966年には1万軒へ加入を伸ばした。電柱に無断でケーブルを張る違法工法は、この全国網を最速で築くための対価で、1985年の逮捕で総延長2万4000km・240万本の無… 売上高 3,904億円 25/8 営業利益率 8.1% 25/8 ROE 18.9% 25/8 自己資本比率 37.6% 25/8
- 9431 KDD 2000年 上場廃止 国際通信は相手国の事業者と設備や費用を突き合わせて成り立ち、国の会計と人事では相手に合わせて動けない。戦前も日本無線電信と国際電話という民間会社に設備の建設と保守を担わせた前例があった。1952年の国際電信電話株式会社法にもとづき、翌1953年に日本電信電話公社の国際部門が資本金33億円で分離し、東京都千代田区大手町に国際電信電話株式会社が発足した。初代社長は渋沢敬三氏。ただし国際通信を担う事業者… 売上高 — 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 9432 NTT 全国一律料金で固定電話を普及させた電電公社の網は、すでに国民生活の基盤であり、民営化しても放任はできなかった。政府は通信市場に競争を入れて料金とサービスを改善する狙いから、1984年12月の電電改革三法でNTTを株式会社にし、同時にDDI(現KDDI)などの新規参入を認めた。ただし基盤の公共性ゆえにNTT法が研究成果の開示義務や事業範囲を縛り、競争を担う私企業でありながら国の規律を負う二重の立場で… 売上高 14.4兆円 26/3 営業利益率 11.8% 26/3 ROE 11.2% 26/3 自己資本比率 19.8% 26/3
- 9433 KDDI KDDIは2000年10月、長距離電話の第二電電(DDI)、国際通信のKDD、関東甲信と東海の携帯電話会社である日本移動通信(IDO)が合併して発足した。促したのは免許の数である。2001年開始の次世代携帯電話で郵政省は3グループにしか免許を与えず、1枠はNTTドコモ、1枠は日本テレコム陣営とみられていた。残る1枠を得るには、営業区域の分かれたIDOとDDI系セルラーが一体になるほかない。DDIは… 売上高 6.1兆円 26/3 営業利益率 18.1% 26/3 ROE 15.5% 26/3 自己資本比率 23.9% 26/3
- 9434 ボーダフォン(現ソフトバンク) 国鉄が分割民営化を控え、線路沿いに張り巡らせた基幹通信網を引き継げる受け皿を必要としたため、その担い手として鉄道通信が生まれた。1986年12月に資本金32億円で設立され、翌1987年4月に旧国鉄の基幹通信網を承継して第一種電気通信事業者となった。新電電各社が一から長距離回線を敷くなか、既存の鉄道沿線網を使える立地は設備投資の負担を抑え、NTTの全国網に対抗する基盤となった。固定の物理網に1991… 売上高 7.0兆円 26/3 営業利益率 14.8% 26/3 ROE 44.2% 26/3 自己資本比率 6.7% 26/3
- 9435 光通信 商品の性能で勝てないなら、誰も手を付けない顧客を片端から訪ねる量で勝つほかなかった。1990年に扱った複写機は事務機市場でリコー・キヤノン・富士ゼロックスより下位のシャープ製で、製品差では大手に届かない。だが大手は1社あたりの売上が小さい中小企業を個別に回るコストが見合わず手薄だった。重田康光氏は、NTTの電話帳タウンページに載る約530万社という公開リストへ片端から電話し訪問で売る営業を組織化し… 売上高 7,348億円 26/3 営業利益率 15.9% 26/3 ROE 13.1% 26/3 自己資本比率 40.4% 26/3
- 9437 NTTドコモ 2020年 上場廃止 回線を貸すだけの事業者に留まれば、通信網は差別化を失い価格勝負に陥る。コンテンツと課金の場を自社で握れば、通信の上に継続して稼げる層を作れる。この読みから1999年2月にiモードを始めた。携帯電話網とインターネット網の接続点にゲートウェイを置いて方式を変換し、端末からネットへつないだ。担当部門はリクルートなどから採った「外人部隊」と呼ばれ、公社体質の営業部隊と対照的だった。企画室長の松永真理氏らが… 売上高 4.7兆円 20/3 営業利益率 18.4% 20/3 ROE 11.3% 20/3 自己資本比率 69.4% 20/3
- 9449 GMOインターネットグループ 手続きに数週間かかり分単位課金もなかった当時のインターネット接続では、ダイヤルQ2の決済機能を流用すれば即時に客を取り込めた。設備を自前で抱えると全国展開に資金が要るため、加盟企業に拠点運営を委ねるフランチャイズ型のISP網で固定費を抑えながら広げた。1991年に熊谷正寿氏がボイスメディアとして音声情報事業で創業し、1995年にインターキューへ転業して「interQ」を1分20円で売り出すと、1か… 売上高 2,856億円 25/12 営業利益率 20.7% 25/12 ROE 18.2% 25/12 自己資本比率 3.9% 25/12
- 9468 KADOKAWA 創業者・角川源義氏が国文学者であり、出版による日本文化の再建を志したためである。1945年11月の創業以来、国史・国文の学術書や辞典・教科書という歳月と資本を要する堅い出版に徹し、「おカタい本屋さん」と呼ばれる信用を築いた。1949年創刊の角川文庫はこの堅さに大衆性を接いだ低価格の叢書であり、のちに角川春樹氏が映画連動の娯楽路線へ転じる際の元手になった。 売上高 2,829億円 26/3 営業利益率 2.9% 26/3 ROE 0.5% 26/3 自己資本比率 62.8% 26/3
- 9501 東京電力ホールディングス 設備投資の額をそのまま料金原価へ算入できる総括原価方式のもとでは、建設費が重く運転時の燃料費が低い電源ほど経営合理性が高い。管内に水力の適地が乏しく、石油危機で火力の燃料費の先行きも不透明だった東京電力にとって、原子力はこの計算に最も合う電源だった。1966年に着工した福島第一は1971年に1号機が運開し、福島第二4基・柏崎刈羽7基を加えて17基体制を組んだ。柏崎刈羽は7基合計821万kWで世界最… 売上高 6.3兆円 26/3 営業利益率 5.3% 26/3 ROE -13.4% 26/3 自己資本比率 21.8% 26/3
- 9502 中部電力 一県でも市場が大きい都市圏を持たない中京の電力会社にとって、地域独占と総括原価方式は、安定して稼げる代わりに事業を電気の外へ広げる動機を与えない仕組みだった。電気事業再編成令を受けて1951年に中部配電と日本発送電の設備を引き継いで発足した中部電力は、愛知・岐阜・三重・静岡・長野の5県を独占し、トヨタ自動車をはじめとする中京工業地帯の産業用電力需要を主な収益源とした。原価に報酬を上乗せして料金を回… 売上高 3.5兆円 26/3 営業利益率 6.5% 26/3 ROE 7.3% 26/3 自己資本比率 41.0% 26/3
- 9503 関西電力 1950年代の関西は供給力不足が慢性化し、燃料を輸入に頼る火力は調達価格の変動が収益を揺らした。そこで燃料費の影響を受けにくい原子力をベースロード電源に据え、製造業需要を安定して賄う道を選んだ。広い用地が取りやすく自然災害の少ない若狭湾沿岸が立地に選ばれ、1962年に福井県美浜町を建設地と決めた。1970年に美浜発電所1号機が日本の電力会社で初の商用運転に入り、続けて高浜・大飯を同じ湾沿いに並べる… 売上高 4.1兆円 26/3 営業利益率 10.8% 26/3 ROE 11.0% 26/3 自己資本比率 35.1% 26/3
- 9506 東北電力 設備投資が確実に料金で回収できる制度に支えられていたためである。1951年5月、GHQの電気事業再編成令で日本発送電と東北配電の設備を引き継ぎ、東北6県と新潟を供給区域とする東北電力が宮城県仙台市に発足した。料金は費用に適正利潤を上乗せして決める総括原価方式で定まり、需要が伸びれば設備投資を料金へ転嫁して回収できる。同年10月の東証一部上場で株式と社債による調達経路も得て、奥只見・田子倉など出力数… 売上高 2.4兆円 26/3 営業利益率 6.8% 26/3 ROE 7.6% 26/3 自己資本比率 19.4% 26/3
- 9507 四国電力 戦後の電力供給は、戦時統合で全国を束ねた日本発送電1社に集中していた。GHQはこれを地域ごとに割り、供給責任の所在を明確にするため、全国を9つの民営会社に分ける再編を進めた。四国電力は1951年5月、電気事業再編成令により日本発送電と四国配電を引き継いで香川県高松市で発足し、四国4県を独占的に担う一般電気事業者となった。一県では市場が小さく発電所建設の負担も重いため、4県をまとめて一社で抱え、発電… 売上高 7,619億円 26/3 営業利益率 8.9% 26/3 ROE 10.7% 26/3 自己資本比率 27.4% 26/3
- 9508 九州電力 数百億円から数千億円におよぶ電源開発を回収するには、需要と料金の予見性が要る。事業者選択の余地を制度として閉ざし、必要経費と適正利潤を料金へ転嫁できる総括原価方式と組み合わせれば、長期の巨額投資を回収できる見通しが立つ。1951年5月、電気事業再編成令で日本発送電と九州配電が解体され、九州電力は資本金7億6,000万円で発足した。発電から送配電・小売までを一社で担う垂直統合の地域独占企業として、急… 売上高 2.2兆円 26/3 営業利益率 10.0% 26/3 ROE 13.0% 26/3 自己資本比率 19.9% 26/3
- 9509 北海道電力 他の8社が本州側で隣接電力会社と送電線でつながり相互に電気を融通できたのに対し、北海道は青函海峡に隔てられ本州を結ぶ送電線がほぼなかったため、域内の需給を一社で完結させるほかなかった。1951年5月、GHQ主導の電気事業再編成令により日本発送電札幌支店と北海道配電の設備を継承し、北海道全域を供給区域とする地域独占の事業者として発足した。本州と結ぶ北本連系設備(60万kW)が動く1979年まで、北海… 売上高 8,560億円 26/3 営業利益率 8.6% 26/3 ROE 9.6% 26/3 自己資本比率 18.5% 26/3
- 9513 電源開発 戦後復興期の電力需要拡大に、地域別に分割された9電力の資本力が追い付かず、回収に長い年月を要するダムや広域送電に各社が単独で投資判断を下せなかったため、政府出資の信用で長期・広域型の電源を引き受ける担い手が必要とされた。前身の日本発送電が1951年に解体され9電力へ分かれた直後の1952年9月、政府が66.69%を出資する特殊会社として電源開発が発足した。1965年には50Hzと60Hzを繋ぐ世界… 売上高 1.2兆円 26/3 営業利益率 8.5% 26/3 ROE 4.2% 26/3 自己資本比率 37.6% 26/3
- 9531 東京ガス ガス灯は明治の東京で電灯普及前の街路照明を担い、需要は確実だが、原料の石炭から製造・輸送・需要家への供給までを一社で抱える重い装置産業であり、官営のままでは資金も運営効率も伸び悩んだ。そこで民間の資本と経営に委ねる道が選ばれた。1885年10月、東京府が営んでいた官営瓦斯局の払い下げを受け、渋沢栄一らの関与で東京瓦斯会社が生まれた。横浜で1874年に始まった日本の都市ガス事業を、首都で民間の手に引… 売上高 2.8兆円 26/3 営業利益率 7.0% 26/3 ROE 13.2% 26/3 自己資本比率 44.1% 26/3
- 9532 大阪ガス 都市ガスは原料の輸送・貯蔵から製造設備の維持、需要家の機器点検までを自前で抱える重装備の事業であり、供給区域を一社が排他的に担うほど設備が無駄なく使える。戦時下のエネルギー統制はこの論理を制度として固めた。1945年10月、戦時統合で神戸ガス・京都ガスなど14社を合併吸収し、供給区域は近畿2府4県へ広がった。東京ガスが首都圏、大阪ガスが関西圏を分け持つ二大体制がここで成立し、関西という一つの商圏を… 売上高 2.0兆円 26/3 営業利益率 8.6% 26/3 ROE 8.5% 26/3 自己資本比率 54.4% 26/3
- 9602 東宝 阪急が大阪で稼いだのは、鉄道沿線に劇場や百貨店を置いて乗客を集め、上がった地価と賃料を回収する仕組みだった。東京には自前の鉄道がないため、小林一三氏は集客装置の置き場所を沿線から都心の一等地そのものへ置き換えた。1932年に日比谷へ東京宝塚劇場を設立し、浅草・新宿に偏っていた興行街の隙間だった丸の内に日劇・東宝・日比谷映画を集め、新たな娯楽街をつくった。さらに1937年に映画関連4社を統合して製作… 売上高 3,607億円 26/2 営業利益率 18.8% 26/2 ROE 10.0% 26/2 自己資本比率 73.3% 26/2
- 9606 日活 1993年 上場廃止 弁士が語る無声映画の興行は、観客がトーキーへ移れば成立しなくなる仕組みであり、技術転換に乗り遅れれば製作・配給・興行を一社で抱える日活は固定費だけが残ると堀久作氏は読んだ。映画への融資に銀行界が及び腰だった1930年代前半、再建の経営権を握った堀氏は高利債の借り換えを最優先に置き、千葉銀行から支援を取り付ける。弁士の存続を求める役員会の反対を退け、1933年11月にウェスターン・トーキーを採用、1… 売上高 83億円 85/1 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 9613 NTTデータグループ 2025年 上場廃止 通信が自由化される前、全国オンラインシステムを組めるのは事実上電電公社だけであり、その独占のもとで銀行決済のANSERやカード決済のCAFIS、郵便貯金・厚生年金の大型システムが築かれた。1988年5月、日本電信電話は効率的な事業展開と公正競争の確保を理由に資本金100億円でエヌ・ティ・ティ・データ通信を分離したが、新会社が元手にしたのは競争のなかった時代の社会インフラである。藤田史郎社長は独立前… 売上高 4.6兆円 25/3 営業利益率 7.0% 25/3 ROE 7.8% 25/3 自己資本比率 23.5% 25/3
- 9675 常磐興産 2025年 上場廃止 元手は、それまで費用でしかなかったものである。常磐炭礦は常磐炭田で最も深い海面下638メートルまで掘っており、深部ほど温泉が湧いて排水に金がかかる。週刊東洋経済はこの湯を炭鉱にとっての「負の財産」と呼んでいる。1964年9月に常磐湯本温泉観光株式会社を設立し、1966年1月に常磐ハワイアンセンターを開いた。1,000人余りの炭鉱労働者を受け入れ、合理化で減る雇用の受け皿にもなった。『日本産業史』が… 売上高 149億円 24/3 営業利益率 8.9% 24/3 ROE 8.8% 24/3 自己資本比率 22.0% 24/3
- 9684 スクウェア・エニックス・ホールディングス 自社でプログラマーを抱えれば人件費が固定費として常にかかり、当たり外れの大きいゲーム事業では一作の失敗が会社を傾けかねない。ゲーム畑の出身でない福嶋康博氏は、開発を社外に委ね企画と販売だけを握る出版社型なら固定費が軽く、当たれば高い利益率を取れると見た。1982年の「ゲーム・ホビープログラムコンテスト」で堀井雄二氏や中村光一氏を見つけ、彼らに委託して1986年に『ドラゴンクエスト』を世に出し、この… 売上高 2,977億円 26/3 営業利益率 18.4% 26/3 ROE 8.5% 26/3 自己資本比率 79.6% 26/3
- 9697 カプコン ゲーム開発は一本ごとの当たり外れが激しく、借入や買収で規模を膨らませれば、ヒット不発の一期で資金繰りが詰まりやすい。投資を自前のキャッシュフローの範囲に収めれば、不振の年も持ちこたえられると見たためである。綿菓子製造機の移動販売や食品卸を経た辻本憲三氏は1979年に大阪府松原市でアイ・アール・エム(後のカプコン)を起こし、家庭用への参入や海外拠点の設置でも自己資金と銀行借入の範囲を超えた拡大を避け… 売上高 1,954億円 26/3 営業利益率 38.5% 26/3 ROE 20.4% 26/3 自己資本比率 78.9% 26/3
- 9719 SCSK 2026年 上場廃止 金融機関向けシステムに強い独立系のCSKと、製造・流通の基幹系に強い商社系の住商情報システムは、顧客基盤が重ならず互いを補い合える関係にあった。CSKは2001年に創業者・大川功氏を失ったのち、セガやアスキーといったグループ事業を切り離し、情報サービス本業への回帰を進めていた。2011年10月、住商情報システムを存続会社として株式会社CSKと合併し、商号をSCSKへ改めた。住友商事が引き続き筆頭株… 売上高 5,961億円 25/3 営業利益率 11.1% 25/3 ROE 15.5% 25/3 自己資本比率 32.8% 25/3
- 9735 セコム 人手に頼る巡回警備は、契約が増えるほど警備員も増やさねばならず、需要に人の採用が追いつかないと成長が頭打ちになる。1964年の東京オリンピック選手村警備で認知が広がり、1965年には法人からの警戒注文が殺到したが、人を増やしても捌ききれなかった。そこで飯田亮氏は1966年6月に日本初のオンライン安全システム「SPアラーム」を発売し、センサーが異常を検知して監視センターへ通報し駆けつけ要員が向かう仕… 売上高 1.3兆円 26/3 営業利益率 12.8% 26/3 ROE 8.6% 26/3 自己資本比率 58.9% 26/3
- 9744 メイテックグループホールディングス 機密性の高い開発案件は、外注に図面を出せば情報が漏れる恐れがあり、発注側は外部の技術者を社内へ引き入れにくい構造を抱えていた。そこで関口房朗氏は、図面ではなく人を社外秘の枠内に送り込む常駐派遣を提案し、機密の壁を越える取引を成立させた。1977年12月の三菱重工業の航空機開発でこの形が実現し、名古屋技術センターは設計を請け負って外注で返す地場受託業から、製造業大手を固定顧客とする客先常駐型の技術者… 売上高 1,377億円 26/3 営業利益率 14.5% 26/3 ROE 30.9% 26/3 自己資本比率 54.3% 26/3
- 9746 TKC 銀行など金融機関が会計事務所の仕事へ入り込めば、税理士は職を失いかねない。飯塚毅氏は、自らへの脱税指導の嫌疑と争う最中にこの危機を見据え、会計事務所が共同で使える計算受託の場を自前で囲い込むことを急いだ。1962年の米国視察で電算化と金融機関の参入を目撃し、無罪確定前の1966年10月、宇都宮市に株式会社栃木県計算センター(後のTKC)を設立した。定款は「会計事務所の職域防衛と運命打開」を第1の目… 売上高 835億円 25/9 営業利益率 19.3% 25/9 ROE 11.1% 25/9 自己資本比率 83.6% 25/9
- 9759 NSD メーカーの子会社や銀行・証券の電算子会社が国内ソフトウェア業界の主流だった時期に、特定機種にも親会社の都合にも縛られない中立さは、それ自体が営業上の差別化材料になった。どの陣営にも属さない事業者は、機種選定や業務要件で偏りなく組める利点があったためである。富士通や日立がメインフレーム機の販売を広げた1969年に、大阪市東区で日本システムディベロップメントが設立され、初年度から関西の金融機関のオンラ… 売上高 1,178億円 26/3 営業利益率 16.2% 26/3 ROE 17.6% 26/3 自己資本比率 75.7% 26/3
- 9766 コナミグループ ジュークボックスの修理で身につけた電子機器の技術は、製品の中身として組み替えれば規制も顧客も違う市場へそのまま持ち込めた。ある事業で蓄えた技術を別の市場で再利用できたから、業態を渡り歩いて稼ぎ口を増やせた。上月景正氏は1969年に大阪で修理・レンタル業を始め、1973年設立のコナミ工業でアミューズメント機器の製造へ転じ、1981年に「スクランブル」「フロッガー」で北米アーケード市場のヒットメーカー… 売上高 4,937億円 26/3 営業利益率 27.5% 26/3 ROE 17.7% 26/3 自己資本比率 75.4% 26/3
- 9831 ヤマダホールディングス メーカー系列店は仕入れと価格をメーカーに縛られ、自前の値付けができない。系列の網が薄い地方なら、複数メーカーから自由に仕入れて安く売る業態が成り立つ余地が大きかった。日本ビクター前橋工場に勤めていた山田昇氏は1973年、群馬県前橋市で「ヤマダ電化サービス」を開き、北関東という地方なので自由に競争をして成長できたとのちに語っている。1983年に株式会社ヤマダ電機を設立、翌1984年に流通センターを構… 売上高 1.7兆円 26/3 営業利益率 1.0% 26/3 ROE 2.3% 26/3 自己資本比率 48.8% 26/3
- 9843 ニトリ 安い家具を売るには商品の原価を下げるしかなく、メーカーや問屋に任せるかぎり下げ幅には限りがある。ゆえに製造から小売までを自社で抱える発想が必要だった。似鳥昭雄氏は1967年に競合の少なさという消去法で札幌で家具店を始め、資金繰りに苦しむなかで低価格が集客に直結すると体で覚えた。1972年の渡米視察で米国の家具が日本の3分の1の値で並ぶ現実を見て、日本の暮らしを米国並みに豊かにするという理念を据えた… 売上高 9,122億円 26/3 営業利益率 13.8% 26/3 ROE 9.0% 26/3 自己資本比率 62.9% 26/3
- 9861 吉野家ホールディングス 牛丼一品への集中は出店数がそのまま売上になる成長を生んだが、一店に一日1,000人を集めるには商圏人口10万が要り、社内では200店が限界とみられていた。それでもフランチャイズオーナーからの拡大要請が続き、限界を超えて出店を重ねた。加えて1973年の牛肉輸入制限で肉が高騰し、並盛は200円から350円へ上がって客足が遠のく。松田瑞穂氏は台湾での乾燥肉加工でしのごうとしたが味が落ち、1980年7月に… 売上高 2,257億円 26/2 営業利益率 3.6% 26/2 ROE 6.9% 26/2 自己資本比率 54.5% 26/2
- 9863 靴のマルトミ 靴が高いのは品質ではなく生産方式に原因があると冨永光行氏は読み、注文靴の手仕事を流れ作業へ置き換えれば値段を一桁下げて買い手を広げられると見込んだ。大卒初任給が約3000円で革靴も注文で1足3000円という時代、冨永氏は靴工場を一軒ずつ回り「流れ作業で作る」既製靴を持ちかけ、1足600円での量産にこぎ着けた。1950年に名古屋で開いた丸富靴店ではこれを1000円で売り、靴を足ごとに仕立てる耐久財か… 売上高 1,211億円 00/2 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- 9962 ミスミグループ本社 機械部品の購買担当者が同じノックピン一つに複数社の見積もりを取り、価格交渉と納期管理に追われていた非効率を、規格化で丸ごと省くためである。設立から14年は事業規模が伸びず業界で目立たなかった三住商事は、1965年7月に自社規格のノックピンを発売した経験を足がかりに、1977年1月に「プレス金型用標準部品」カタログを創刊した。寸法・材質・価格をすべて規格化し、ユーザーが品番を選んで発注すれば即納され… 売上高 4,414億円 26/3 営業利益率 10.8% 26/3 ROE 10.6% 26/3 自己資本比率 82.0% 26/3
- 9983 ファーストリテイリング 安くて品質のよい普段着を薄い粗利で大量に売るには、賃料が安く広い駐車場で家族客のまとめ買いを呼べる郊外の幹線道路沿いが適していた。賃料の高い繁華街では原価率も想定を上回り、商売として成り立たないと開業1年で見切ったためである。柳井正氏は1984年6月に広島市中心部で開いたユニクロ一号店が構造的な赤字を抱えると、翌1985年に山口県下関市郊外の「ユニクロ山の田店」へ移し、車を持つファミリー層に普段着… 売上高 3.4兆円 25/8 営業利益率 16.6% 25/8 ROE 19.5% 25/8 自己資本比率 57.5% 25/8
- 9984 ソフトバンクグループ パソコン用ソフトの卸売は薄利で、全国の流通網も専門雑誌も展示会も先に資金を投じなければ立ち上がらず、24歳の手元資金だけでは到底届かなかった。そこで孫正義氏は、自前の現金ではなく外部の信用と市場の資金を引き寄せる側に回った。1981年9月に福岡市で日本ソフトバンクを設立すると、シャープや日本電気と独占販売契約を結び、メーカーの商品力と小売の販路を仲立ちして全国卸売網を築いた。1994年7月の店頭登… 売上高 7.8兆円 26/3 営業利益率 78.7% 26/3 ROE 33.9% 26/3 自己資本比率 24.3% 26/3
- 9989 サンドラッグ 当時のドラッグストア業界ではコンピュータシステムの本格導入はまだ一般的でなかった。サンドラッグは店舗数が30〜50店の段階だった1985年から1991年にかけ、受発注のオンライン化、国立市のピッキング物流センター、全店POSを順に整えた。1985年から1991年の6年間に進めた投資は、店舗あたりの取扱品目と回転率を引き上げ、特売中心の集客でも採算が取れる構造を作った。これが後年の低い販管費比率の源… 売上高 8,425億円 26/3 営業利益率 5.6% 26/3 ROE 11.0% 26/3 自己資本比率 60.1% 26/3
- 215A タイミー 仕事を短く割るほど、履歴書も面接も要らない働き手で埋められる隙間が増える。飲食店がもっとも忙しい二時間の一業務だけを外に出させれば、週三日以上という求人媒体の枠をその手前で分解できる。小川嶺氏がこの売り方に行き着いたのは、最初の会社を畳んで残った30万円の借金をアルバイトで返しながら、履歴書・面接・報酬の後払いという三つの手間を働き手の側から数えたためである。2018年8月の開始に前後して、働く前… 売上高 343億円 25/10 営業利益率 19.7% 25/10 ROE 36.5% 25/10 自己資本比率 43.3% 25/10
- 285A キオクシアホールディングス 東芝本体の経営危機のためである。2015年7月に第三者委員会が営業利益の過大計上(約1,518億円)を認定して経営陣が退き、追って2017年3月には米原子力子会社ウェスチングハウスが連邦破産法第11章を申請、東芝は巨額損失で債務超過に陥り、二期連続なら上場廃止という瀬戸際に立った。手元でもっとも高く売れる資産が、成長を続けるメモリ事業だった。東芝は2017年にメモリ事業を分社し、外部への売却で短期… 売上高 2.3兆円 26/3 営業利益率 37.2% 26/3 ROE 39.6% 26/3 自己資本比率 37.9% 26/3
- 417A ブルーゾーンホールディングス 首都圏の西友やダイエーが量と価格の規模で先行する市場では、小川町の単店青果店が同じ規模競争に入っても資本力で見劣りする。川野トモ氏は先進事例を実地で確かめ、地方都市でも受け入れられると見極めてから業態だけを先に変えた。1958年、清三氏の弟・荘輔の妻にあたるトモ氏は北関東初のセルフサービス式スーパーだった前橋市の松清(現フレッセイ)を飛び込みで見学し、八百幸商店をセルフサービス方式へ切り替えて青果… 売上高 8,132億円 26/3 営業利益率 4.5% 26/3 ROE 11.8% 26/3 自己資本比率 46.6% 26/3
- 547A ムニノバホールディングス 先行する武富士・プロミス・アコムに後発の独立系が並ぶには、自前資金では足りず、資本市場からの調達を原資とする必要があった。1984年の貸金業規制法下で正規登録業者となり、銀行融資が細る1990年代に無担保小口需要を取り込んで全国へ出店した。1997年の店頭登録を経て2000年に東証一部へ指定替えし、得た調達力をM&Aに回した。2001年には更生会社ライフを取得してクレジットカード事業へ、住友信託銀… 売上高 1,891億円 25/3 営業利益率 13.4% 25/3 ROE 10.3% 25/3 自己資本比率 15.0% 25/3
- ascii アスキー 2002年 上場廃止 アスキーは、技術誌『I/O』を出していた4人のうち西和彦氏と星正明氏が対立し、西氏、郡司明郎氏、塚本慶一郎氏の3人が編集部を飛び出し、1977年に東京・南青山のマンションで設立した会社である。早稲田大学に在学していた西氏は創業の年に21歳を迎えた。月刊誌『アスキー』の刊行を皮切りに、出版からソフトウェア開発、LSI設計、通信ネットワークの構築へと事業を広げ、以後20年にわたって日本のパソコン産業の… 売上高 — 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- ddi 第二電電 2000年 上場廃止 損失は京セラが単独で負い、資金と信用だけを他社から集めたためである。1984年6月1日、京セラを中心とする企業連合が東京都世田谷区に資本金16億円で第二電電企画株式会社を設立した。稲盛和夫京セラ社長は「第二電電の事業には1000億円ほどかけるつもりです。もちろん、経営責任は私ども京セラが負います」と述べ、1000億円は失っても構わない上限だった。競合2社は線路沿い・高速道路沿いの用地を持っていたが… 売上高 3,778億円 95/3 営業利益率 9.5% 95/3 ROE — 自己資本比率 —
- ido 日本移動通信 2000年 上場廃止 電電公社の民営化で移動体通信が開放され、新電電が各地に移動体の新会社をつくった。日本移動通信は1987年3月、トヨタ自動車と建設省が主導した日本高速通信から分離する形で設立され、東京電力・日産自動車・中部電力なども出資した。1988年12月に首都圏と中部圏の1都12県で開業したとき採用したのはNTTと同じ大容量方式である。当時、日本で商用運用され端末も基地局も供給の裏付けがある無線方式はNTTのも… 売上高 — 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- kisha-seizo 汽車製造 1972年 上場廃止 鉄道資材が輸入一辺倒で外貨が流出し続ける状況を、国産化で変える狙いがあった。退官直後の鉄道局長・井上勝氏は1896年、大阪府西成郡川北村に資本金64万円で汽車製造合資会社を創立し、出資社員18人には岩崎久彌・住友吉左衛門・渋沢栄一・大倉喜八郎ら明治財界の中核が並んだ。創立趣意は外貨の節約と国内労働者への雇用を掲げ、1901年に民間第1号機関車「1B1形」を完成、川崎造船所が参入する1911年まで国… 売上高 255億円 70/4 営業利益率 -3.3% 70/4 ROE — 自己資本比率 —
- konica コニカ 2003年 上場廃止 輸入品を扱うかぎり、売れるほど外貨が国外へ出ていく構造から抜けられなかったためである。1873年4月に東京麹町で開いた小西屋六兵衛店は、写真と石版印刷の材料を横浜の外国商館経由で仕入れて売る商いだった。1902年5月に東京淀橋角筈へ工場六桜社を建て、当時は実現不可能とされていた乾板と印画紙の製造研究に着手する。印画紙は成功し、乾板は価格で輸入品に対抗できず中止したが、そこで蓄えた乳剤の技術が192… 売上高 — 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- maruha マルハ 2007年 上場廃止 林兼商店の商いは、鮮魚を明石から大阪へ運んで売ることで成り立っていた。当時の運搬は人力の押送船に頼っており、明石から大阪までは14〜15時間を要した。時間がかかるほど魚の鮮度は落ち、損失も大きかった。中部幾次郎氏は1897年に100トンほどの運搬船を借り入れて曳船に使い、曳船で運んだ林兼の魚は5割も高く取り引きされた。1905年の暮れには、12トンの木造船に石油発動機を据えつけ、国産第一号の発動機… 売上高 5,259億円 92/3 営業利益率 7.6% 55/1 ROE — 自己資本比率 —
- mori-building 森ビル 父が残した土地と、戦後のインフレを見越して買い集めた土地が、副業の域を超える資産になったためである。1956年、値上がりした土地を斡旋業者へ相場の5割増で仲介させて3000万円を得ると、第一信託銀行から同額を借り入れて第1森ビルを建てた。この時点で4棟のビルを個人経営の森事務所が管理しており、1959年6月にこれを森ビル株式会社として法人化した。泰吉郎氏は横浜市立大学の商学部長という社会的地位を投… 売上高 4,111億円 26/3 営業利益率 23.8% 26/3 ROE 6.5% 26/3 自己資本比率 29.1% 26/3
- onoda-cement 小野田セメント 1994年 上場廃止 小野田セメントは、1881年に山口県厚狭郡西須恵村小野田で笠井順八氏ら39名が創立した、わが国最初の民営セメント会社である。事業資金の見積は6万1600円だったが、内務卿の松方正義氏が認可した政府の拝借金は2万5000円にとどまった。株主が手にしていたのは秩禄処分で家禄に代わって交付された金禄公債で、その所有権を手放すことを嫌った。同じ時期の国立銀行では公債で出資すると所有権が銀行へ移ったのに対し… 売上高 — 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- suntory サントリーホールディングス 決算公表の理由を、佐治敬三氏は理念ではなく実務で説明している。数字は「どこからともなく漏れましてね」という状態が続いており、「漏れた場合というのは、必ずしも正しい数字で漏れてはくれない」ためであった。一方で株式公開は見送った。当時の株式市場と配当のあり方が「少しゆがんでいるような気がする」という市場への不信に加え、そもそも資金需要が小さかったからである。「ウイスキーの商売は設備投資にそんなに金いり… 売上高 3.4兆円 25/12 営業利益率 6.4% 25/12 ROE 2.8% 25/12 自己資本比率 47.0% 25/12
- yamanouchi-seiyaku 山之内製薬 2005年 上場廃止 戦後の日本の製薬業は、海外から新薬を輸入して売るか、技術特許を買って国産化する経路をとってきた。山之内製薬も1950年に米ロシュ社、1954年に西独ベーリンガー社と提携して伸びた会社である。導入品では特許料が提携先へ流れ、売る地域も契約が決まる。1985年に発売したH2ブロッカーのガスターは「タガメットの特許を見てから」開発した「モノマネ商品」と評されながら、副作用の少なさで先行品と差がつき、米メ… 売上高 5,112億円 04/3 営業利益率 — ROE — 自己資本比率 —
- ykk YKK 終戦後にGHQのあっせんで訪れた米国人バイヤーが示した製品が、機能でもデザインでも数段上だったためである。日本が手でムシを植え付けていたのに対し、米国は製造も植え付けも機械で行い、安い原価で不良の少ない製品を出していた。吉田忠雄氏はまず業界での共同輸入を提案したが賛成者は一人も出ず、単独で通商産業省へ2年半通って外貨の割り当てを得た。代金3万5,000ドルは当時の資本金19万8,000円の60倍を… 売上高 9,926億円 26/3 営業利益率 4.7% 26/3 ROE 2.6% 26/3 自己資本比率 65.4% 26/3
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