住友大阪セメントの歴史
沿革
1907年に広瀬金七氏と岩崎清七氏が福島県八茎鉱山の石灰石に着目して設立した磐城セメントが起源。
1963年に住友グループへ加わり、1994年に大阪セメントと合併し、1985年に始めた研究開発から静電チャックを育てた。国内3位のセメント会社で、鉱産品と新材料で営業利益の4割を出す。
創業期
1907年〜八茎鉱山の残石による磐城セメントの設立と三菱商事への販売委託
- 広瀬金七氏・岩崎清七氏らによるセメント製造会社設立の企図[1]
- 磐城セメントを資本金100万円で設立、本店は横浜市太田町[1]
- 吉永仁蔵氏が初代社長に就任[2]
- 三重セメントから招聘した岡田萬次氏を技師長に任命[3]
- 四倉工場の新設[4]
- 資本金85万円への減資と、減資差益金による累積損失の一掃[2]
- 1911年度上期に利益4万518円を計上、年8%の初配当[2]
- 塩釜セメントの合併と、増資による資本金300万円への拡大[2]
- 吉永仁蔵氏の病気辞任を受け岩崎清七氏が第二代社長に就任[5]
- 日の出セメントの合併による八戸工場の取得[4]
- セメント連合会への脱退通告[5]
- セメント連合会への復帰[2]
- 東京株式取引所への株式上場[5]
- 鈴木セメントの合併と東京工業所の設置、資本金524万円[5]
- 大阪窯業セメントの設立[4]
- 三菱商事との製品一手委託販売契約の締結[5]
- 七尾セメント七尾工場の竣工、本格的な湿式焼成法の採用[2]
- 第二次セメント連合会の存続契約への調印[2]
- 昭和恐慌への対策としての全社員の給与切下げ[2]
- 1931年度上期決算からの年4%への復配[2]
売上高
- 売上高
住友大阪セメント売上高—
成長期
1932年〜戦時の企業整備による7工場への拡大と戦後の原価競争
- 七尾セメントにおける含ニッケル鉄の試験製錬の開始[2]
- 富国セメントの合併による現・栃木工場の取得[4]
- 湊・四倉・葛生の各工業所の八戸・四倉・栃木工場への名称変更[2]
- 七尾セメントの合併による七尾工場の取得[4]
- 企業整備による豊国セメントの合併、資本金4150万円[2]
- 七尾工場のキルン3基の含ニッケル鉄生産への全面転換[6]
- 岩崎清一郎氏の第三代社長就任と岩崎清七氏の初代会長就任[6]
- 企業整備による常陸セメントの合併と日立工場の取得[2]
- 七尾工場の海軍監督工場への指定、4月には軍需会社指定[2]
- 栃木工場のドロマイトクリンカー生産への全面転換[6]
- 終戦にともなう満蒙・台湾などの海外資産の喪失[2]
- 決算無配への転落、1949年度上期まで無配が継続[2]
- 磐城セメント労働組合の結成と岩崎清七会長の死去[2]
- 制限会社令による制限、8月には特別経理会社に指定[2]
- 過度経済力集中排除法の適用指定、7月に指定取消し[7]
- 敦賀工場・苅田工場の分離[2]
- 斎藤次郎氏の第四代社長就任[2]
- 東京証券取引所市場第一部への上場[4]
- 戦後初の配当の実施[2]
- 東洋セメントの合併[4]
- 大阪窯業セメントによる伊吹工場の新設[1]
- 浜松工場の新設[4]
- 川崎セメントの合併による現・岐阜工場の取得[4]
- 大阪窯業セメントによる高知工場の新設[1]
売上高
- 売上高
住友大阪セメント売上高—
低迷期
1963年〜住友セメントへの改称と工場閉鎖・約1200人の希望退職
- 福島セメント・住友石灰工業の合併[4]
- 定時株主総会における商号変更と本社移転の承認可決[2]
- 大阪窯業セメントの大阪セメントへの商号変更[8]
- 住友グループに加入[8]
- 本社の東京都台東区北稲荷町への移転[2]
- 住友グループの社長会である白水会への加盟[2]
- 和歌山セメント・西浜開発ほか2社の合併、資本金55億円[2]
- 滋賀興産の合併による多賀工場・彦根工場の取得[4]
- 赤穂第一工場の新設[1]
- 古賀進氏の第五代社長就任[2]
- 経営改善総合対策委員会の設置、12月には要綱を発表[9]
- 住友石炭鉱業社長の藤末尚氏の第六代社長就任[2]
- 工場閉鎖と希望退職を含む合理化案の労働組合への提示[2]
- 七尾工場・多賀工場の閉鎖[4]
- 希望退職の実施による約1200人の退職[2]
- 赤穂第二工場の新設[1]
- 小倉工場の東洋セメントへの分離[2]
- 八戸工場を分離して八戸セメントを設立[4]
- 今川彦二氏の第七代社長就任[2]
- 経営改善推進本部の設置と100億円削減対策の実施[9]
- 四倉工場の生産休止とスミセスレート建材の解散[2]
- 本社機構改正にともなう新素材開発室の設置[2]
- 1982年度決算の無配、1985年度まで無配が継続[2]
- 別途積立金の取崩しによる未処理損失金の補填の承認可決[2]
- 非セメント事業に多角化[2]
- 浜松工場の閉鎖[4]
- 中期三ヵ年実行計画「RCP作戦」の策定[9]
- 出資比率50%によるスミセ電子の設立[2]
- 四倉工場の閉鎖[4]
- 応用光電研究室の全株式の取得[9]
- 赤穂第一工場と赤穂第二工場の統合による赤穂工場の発足[4]
- 秋芳鉱業の設立[1]
- OAシステム事業部門の分離と住友セメントシステム開発の設立[4]
- 住友金属工業と共同での和歌山高炉セメントの設立[4]
- エステックの設立[1]
- 株式の追加取得による千代田エンジニアリングの子会社化[1]
売上高経常利益率
- 売上高
- 経常利益率
住友大阪セメント1985年3月期売上高1,425億円売上高経常利益率3.6%
転換期
1994年〜大阪セメントとの合併と石炭高騰による値上げ
- スミセ建材の設立[4]
- 青木海運の買収[1]
- 住友セメントと大阪セメントの合併による住友大阪セメントの発足[8]
- 彦根工場の閉鎖[4]
- スミセ興産の合併[1]
- 電気化学工業とセメント事業で業務提携[10]
- 宇部三菱セメントとセメント物流で業務提携[10]
- 田村工場の閉鎖[4]
- 泉石灰工業と栃木興産の合併による泉工業の発足[4]
- 伊吹工場におけるセメント生産の中止[4]
- 中国・雲南省の雲南昆鋼嘉華水泥建材に出資[10]
- 株式の追加取得による栗本コンクリート工業の子会社化[4]
- 東京エスオーシーによる市川エスオーシー生コンの合併[4]
- 関根福一氏の代表取締役社長就任[11]
- 中国・広東省に光通信用部品の製造子会社を設立[10]
- エスオーシー建材と新北浦商事の合併[4]
- デンカと物流合理化会社設立等による業務提携の強化を発表[10]
- 諸橋央典氏の代表取締役社長就任[11]
- セメント価格を値上げ
- 東京証券取引所の市場区分見直しによるプライム市場への移行[4]