日本鋼管の歴史

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沿革

1912年に白石元治郎氏が横浜市で設立した継目無鋼管の専業会社が起源。

1934年の製鉄大合同に加わらず民間で残り、福山製鉄所は1975年に年産1,600万トンで世界一の規模に達した。高炉大手の一角で、2002年に川崎製鉄とJFEホールディングスを設立した。

1912年1916年1940年1984年2002年/2003年2026年日本鋼管1912年横浜で設立決断日本鋼管1940年鶴見製鉄造船を合併鶴見製鉄造船1940年吸収合併株式上場1916年東京株式取引所に上場ナショナル・スチール1984年株式50%取得川崎製鉄2002年共同株式移転JFEスチール2003年会社分割で4社へ
日本鋼管
歴代社長と長期業績(敬称略)
1985年3月期
単体
売上高
15,008億円
売上高純利益率
1.3%
出所:会社年鑑(1986年版)
売上高2,057億円売上高11,921億円売上高15,008億円純利益率3.7%純利益率1.7%純利益率1.3%1957/31960/31965/31970/31975/31980/31985/31990/31995/32000/32005/32010/32015/32020/32025/32030/3
  1. 横浜で継目無鋼管専業創業[1][2]技術・R&D起点の攻勢
  2. 継目無鋼管の専業として操業を開始[1][2]
  3. 第1号平炉(20トン)が出鋼[3]
  4. 東京株式取引所に上場[4]
  5. 電気製鉄を合併[3]
  6. 関東大震災で川崎工場の煙突が3分の2倒壊[5][6]
  7. 世界恐慌と金解禁による業績悪化で再度の減資[6][7]
  8. 製鉄合同への参加を拒否[6][8][9]
  9. 新潟電気製鉄を設立[3]
  10. 扇町製銑工場の第一高炉に火入れし銑鋼一貫態勢を確立[1][10]
第1章継目無鋼管への特化から扇町高炉の垂直統合へ
売上高
  • 売上高
日本鋼管売上高—
  1. トーマス転炉(20トン)3基を新設[3]
  2. 鶴見製鉄造船を吸収合併[6][9]
  3. 清水造船所1号船台(5,000GT)を新設[3]
  4. 京浜空襲で工場が壊滅[7]
  5. 河田重氏が社長に就任[9][11]社長交代
  6. 過度経済力集中排除法の適用を受けるも製鉄・造船を分割せず存続[1]
  7. 総工事費289億円の第一次設備合理化計画に着手[1]
  8. 第二次設備合理化計画に着手[12]
  9. 水江製鉄所を新設し薄板の集中大量生産体制を確立[12]
  10. 3年連続の大規模ストライキが発生[7]
  11. 純酸素転炉(LD転炉)の技術導入交渉を開始[13]
  12. 川崎製鉄所に純酸素転炉(42トン)2基を新設[3]
  13. 水江地区工場を水江製鉄所と呼称[3]
第2章京浜の壊滅から水江製鉄所の集中量産へ
売上高当期純利益率
  • 売上高
  • 当期純利益率
日本鋼管1961年3月期売上高1,161億円売上高当期純利益率4.7%
安定成長期

1962年〜福山製鉄所の建設と扇島への京浜製鉄所の移転

  1. 福山に総合製鉄所建設[12]大型設備投資
  2. 河田重氏が会長に退き、赤坂武氏が社長に就任した(在任8年)[9][14]社長交代
  3. 福山製鉄所の第一高炉に火入れし第1期計画が完成[9][15]
  4. 福山製鉄所第2期工事が完成[3]
  5. 川崎・鶴見・水江の3製鉄所を京浜製鉄所に統合[9][15]
  6. 福山製鉄所第3期工事が完成[3]
  7. 津造船所で第1船を起工[3]
  8. 京浜製鉄所を沖合の扇島へ移転する計画を決定[9][16]
  9. 造船部門の陸上工事部門が重工部門として独立[9][10]
  10. 福山製鉄所第4期工事が完成[3]
  11. 槇田久生氏が社長に就任[7]社長交代
  12. 福山製鉄所第5期工事が完成[3]
  13. 扇島の埋立が完了[17]
  14. 扇島の第一高炉に火入れ[9][10]
  15. 造船と重工の2部門を重工事業部に統合[7]
  16. 京浜製鉄所扇島地区第2期工事が完成[3]
  17. 金尾実氏が社長に就任[7]社長交代
  18. 新材料開発センターが発足[3]
  19. ナショナル・スチールの株式50%を取得して資本参加[2][9]
売上高当期純利益率
  • 売上高
  • 当期純利益率
日本鋼管1984年3月期売上高13,545億円売上高当期純利益率-0.8%
低迷期

1985年〜6,200人の人員削減とJFEHDへの統合

  1. 円高で1985年度下半期から実質赤字に転落[18]赤字転落
  2. 鉄鋼・新材料など5事業部体制が発足[3]創業
  3. 6,200人の人員削減を含む5ヵ年合理化計画に着手[18]
  4. 創業75周年を機に第3の創業運動を開始[3]
  5. 東伸製鋼と吾嬬製鋼所の合併でトーア・スチールが発足[19]創業
  6. 会社の呼称を「NKK」に統一[3]
  7. 総合エンジニアリング事業部を新設[3]
  8. 電子デバイス事業推進センターを新設[3]
  9. 地球環境委員会を設置[3]
  10. EGL合弁事業「タイ・コーテッド・スチール・シート」を設立[3]
  11. ウォーターパーク「ワイルドブルーヨコハマ」を開業[3]
  12. 福山ステンレス薄板工場が完成[3]
  13. 福山製鉄所の累計製品出荷が2億トンを達成[3]
  14. 廃プラスチック高炉一貫リサイクルシステムを完成[3]
  15. トーア・スチールを清算[19]経営破綻・法的整理
  16. 川崎製鉄とNKKの統合[20]合併・経営統合
  17. 会社分割によりJFEスチールなど4社へ再編[20]
売上高経常利益率
  • 売上高
  • 経常利益率
日本鋼管1985年3月期売上高15,008億円売上高経常利益率2.5%
出典・参考20件
出典・参考
  • [1]会社銀行八十年史(1955年)「日本鋼管」
  • [2]日本産業史 日本産業総年表
  • [3]日本鋼管 公式サイト「沿革」(2026年10月)
  • [4]『東京株式取引所五十年史』第五表 銘柄別相場高低表(東京株式取引所)(1928年)
  • [5]私の履歴書 経済人2(日本経済新聞社、1980年)河田重
  • [6]会社銀行八十年史(1955年)
  • [7]私の履歴書 経済人23(日本経済新聞社、1987年)槇田久生
  • [8]日本産業史 日本産業総年表(昭和9年1月の項)
  • [9]私の履歴書 経済人23(1987年)槇田久生
  • [10]証券アナリストジャーナル 1975年 堀切治雄
  • [11]私の履歴書 経済人2(1980年)河田重
  • [12]証券アナリストジャーナル1巻6号「世界鉄鋼業界と日本鋼管の見通し」(赤坂武)(1963年)
  • [13]証券アナリストジャーナル 1963年「日本鋼管――当社主力工場の概況について」中野宏
  • [14]私の履歴書 経済人2(1980年)河田重 編集部注
  • [15]企業の歴史 明治百年(1968年)「日本鋼管」
  • [16]証券アナリストジャーナル 1975年「日本鋼管」堀切治雄
  • [17]証券アナリストジャーナル 1975年「日本鋼管 70年代に挑戦する三事業部体制」堀切治雄
  • [18]日本産業史 第4巻「鉄鋼-徹底合理化と多角化に挑む」
  • [19]証券40巻4号「新規上場会社紹介 トーア・スチール株式会社」(1988年)
  • [20]JFEホールディングス 有価証券報告書【沿革】

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