決断
官営が作らない品目を選び、国策の枠には入らなかった。1934年の製鉄大合同に加わらなかった代償は販売に出て、日鉄が問屋を呼びつけるあいだ、日本鋼管は買ってもらうために頭を下げて回った。不利を埋めたのは設備である。1959年に水江、1961年には広島県福山へ第4の総合製鉄所を建設すると決めた。1966年8月に第1期が完成し、1975年には高炉5基・年産1,600万トンで世界一の規模になった。1980年度にはエンジニアリングの売上高が全社の10%を超え、1984年8月には米国第7位のナショナル・スチールの株式50%を取得している。八幡が作らない品目を選んだ出発点が、製鉄所そのものを他社へ据えつけて売る事業を生んだ。
1998年9月 トーア・スチールを清算
1962年 福山に総合製鉄所建設
福山に総合製鉄所建設京浜地区の粗鋼能力350万トンが限界に達し、伸ばす土地が残っていなかった会社が、広島県福山に第4の総合製鉄所を建設して最終粗鋼年産600万トン・約2,500億円を投じると決めた設備投資同じ経営論点に直面した企業 | 経営計画・中期戦略業績の推移1961 1962 1967 売上高(億円) 1,161 1,533 2,799 純利益率(%) 4.7 5.7 3.0 1912年6月 横浜で継目無鋼管専業創業