1921年〜 堺の鉄工所から日本最大のフリーホイールメーカーへ──創業から戦中復興
- 1921年 翌年に自転車部品のフリーホイール製造を開始
- 1921年 島野庄三郎氏が島野鉄工所を創立
- 1936年 現在地の工場を新設移転
- 1940年 化、社名を島野鉄工所に変更
- 1951年 島野自転車を吸収合併しに増資、社名を島野工業に変更
- 1960年 冷間鍛造を開始
- 1965年 ニューヨークにShimano American Corporationを設立
12坪・月5円・旋盤1台──26歳の島野庄三郎氏が始めたフリーホイール一点突破
1921年2月、当時26歳の島野庄三郎氏が大阪府堺市東湊町のセルロイド工場跡地12坪を月5円で借り、懇意にしていた佐野鉄工所から借りた六尺旋盤1台を元手に島野鉄工所を創立した。創業時の事業は機械の修繕屋であったが、創業翌年の1922年には自転車部品の中で最も技術難度が高いフリーホイールの生産に着手した。堺は当時から自転車産業が盛んな地域であったが、特にフリーホイールの内製は難しく品質改善の余地が多くあった。庄三郎氏は創業時点でこの一点突破を決めていた。 [1][2][3][4]
- シマノ 有価証券報告書 第120期(2025年12月期)【沿革】
- [1]1921年(大正10年)2月 島野庄三郎が大阪府堺市東湊町に島野鉄工所を創立
- [4]創業翌年の1922年にフリーホイール生産に着手
- シマノ公式100周年サイト(創業者の歴史)
- [2]創業者は島野庄三郎、創業時26歳
- [3]創業地は東湊町のセルロイド工場跡地12坪を月5円で借用、佐野鉄工所から借りた六尺旋盤1台が元手
フリーホイールはペダルを止めても後輪が空転する自転車の基幹部品で、当時はベルギーやドイツからの輸入品が市場の主流を占めていた。庄三郎氏は職人気質の修繕屋の評判をテコに、輸入品の代替となる国産フリーホイールの品質を磨いた。1936年6月には現在地の堺市堺区老松町に工場を新設移転し、量産体制を整備した。1939年時点でシマノは工作機械200台、雇用人員200名を数える日本最大のフリーホイールメーカーへと成長し、創業18年で国内市場の主導地位を得た。 [5][6]
- シマノ 有価証券報告書 第120期(2025年12月期)【沿革】
- [5]1936年6月 現在地の堺市堺区老松町に工場を新設移転
- シマノ公式100周年サイト(創業者の歴史)
- [6]1939年時点で工作機械200台・雇用人員200名を擁する日本最大のフリーホイールメーカーに到達
- シマノ 有価証券報告書 第120期(2025年12月期)【沿革】
- [1]1921年(大正10年)2月 島野庄三郎が大阪府堺市東湊町に島野鉄工所を創立
- [4]創業翌年の1922年にフリーホイール生産に着手
- [5]1936年6月 現在地の堺市堺区老松町に工場を新設移転
- シマノ公式100周年サイト(創業者の歴史)
- [2]創業者は島野庄三郎、創業時26歳
- [3]創業地は東湊町のセルロイド工場跡地12坪を月5円で借用、佐野鉄工所から借りた六尺旋盤1台が元手
- [6]1939年時点で工作機械200台・雇用人員200名を擁する日本最大のフリーホイールメーカーに到達
1940年株式会社化と戦中の鋼材統制──資本金150万円体制の起点
1940年1月、資本金150万円で株式会社化し社名を株式会社島野鉄工所に変更した。戦時統制下の鋼材配給の制約を受けつつも、自転車部品事業を中核に据えた経営の輪郭が固まった時期である。第二次世界大戦中は軍需向け部品製造へ切り替えたが、戦後の自転車需要回復に備えた製造技術の蓄積は途切れなかった。 [7][8]
- シマノ 有価証券報告書 第120期(2025年12月期)【沿革】
- [7]1940年1月 資本金150万円で株式会社化、社名を株式会社島野鉄工所に変更
- [8]株式会社化時の資本金は150万円
1951年2月には島野自転車を吸収合併し、資本金3,200万円に増資、社名を島野工業に変更した。完成車事業との統合は、部品メーカーから完成車組み立てまでを内包する垂直統合体制への移行を意味した。当時の日本の自転車市場は実用車中心で、戦後復興期の通勤・通学需要が急拡大していた局面である。島野工業はこの内需拡大に乗り、フリーホイールから変速機・ブレーキ等のドライブトレイン全般へと製品領域を広げた。 [9][10]
- シマノ 有価証券報告書 第120期(2025年12月期)【沿革】
- [9]1951年2月 島野自転車を吸収合併、資本金3,200万円に増資、社名を島野工業に変更
- [10]合併後の資本金は3,200万円
- シマノ 有価証券報告書 第120期(2025年12月期)【沿革】
- [7]1940年1月 資本金150万円で株式会社化、社名を株式会社島野鉄工所に変更
- [8]株式会社化時の資本金は150万円
- [9]1951年2月 島野自転車を吸収合併、資本金3,200万円に増資、社名を島野工業に変更
- [10]合併後の資本金は3,200万円
1960年冷間鍛造の内製化──基幹技術の自前化
1960年6月、シマノは冷間鍛造を開始した。冷間鍛造は金属を常温で加圧成形する技術で、切削加工に比べて材料歩留まりが高く、強度と寸法精度を両立できる。自転車部品は走行中の繰り返し荷重にさらされるため、軽量化と耐久性の両立が要件となるが、冷間鍛造の内製化はこの要件を満たす基幹技術の自前化であった。シマノが後にデュラエース等の高精度コンポーネントを世界供給できた背景には、この1960年の技術選択がある。 [11]
- シマノ 有価証券報告書 第120期(2025年12月期)【沿革】
- [11]1960年6月 冷間鍛造を開始(基幹技術の内製化)
冷間鍛造の内製化は、創業者・島野庄三郎氏の「日本一品質の高いものをつくりたい」という創業時からの志を、技術面で体現する選択でもあった。職人技に頼った量産体制から、機械化された精度生産への移行を意味し、後の世界市場展開の前提となる製造基盤が固まった。1958年に庄三郎氏は社長を退任し、長男の島野尚三氏(2代目)が社長に就任、戦中・戦後の混乱期を経た経営承継が完了している。 [12]
- シマノ 有価証券報告書【役員の状況】
- [12]1958年 庄三郎が社長を退任し長男の島野尚三(2代目)が社長に就任
- シマノ 有価証券報告書 第120期(2025年12月期)【沿革】
- [11]1960年6月 冷間鍛造を開始(基幹技術の内製化)
- シマノ 有価証券報告書【役員の状況】
- [12]1958年 庄三郎が社長を退任し長男の島野尚三(2代目)が社長に就任