合併と経営統合
日本の合併は、当事者の判断より外側の条件で決まってきた。ただし、何が合併を強いたかは時代ごとに異なる。
1940年代は国家の統制である。物資と資金の配分を集約するため、政府が業種ごとに企業の統合を命じた。存続会社の名も組み合わせも官庁が指定し、当事者に拒む余地はなかった。大阪ガスは近隣14社を吸収し、ふくおかフィナンシャルグループの前身は銀行を1県1行にまとめる方針に沿って県内4行が合併している。合併比率も主導権も、統制の枠内で処理された。
1960年代は産業政策が合併を促した。資本の自由化を控え、国際競争に耐える規模の確保が政策の目標になった。当時の日本企業は同じ産業の欧米企業に比べて一社あたりの規模が小さく、値下げ競争で共倒れになるという見方が行政と業界に共有されていた。したがって合併は、競争を減らす手段ではなく、対外的な競争力を高める手段として説明された。海運会社の集約が日本郵船と商船三井を生み、八幡製鐵と富士製鐵は新日本製鐵になった。行政の指導で組み合わせと序列が先に定まっており、当事者が主導権を争う場面は生じにくかった。
1990年代からは不良債権の処理が合併を強いた。自己資本を毀損した銀行は単独では健全性の基準を満たせず、資産規模と引当の余力を合算するしかなかった。合併を選ばなければ、公的資金の注入か破綻処理に進む。相手を選ぶ余地も乏しく、資本関係と取引先の重なりから組み合わせが定まった。東京三菱、みずほ、三井住友が相次いで発足した。系統も企業文化も異なる同格の銀行どうしの統合が、ここで広く生じた。
その後は制度が統合の形式を用意した。持株会社の設立が認められ、既存の会社の株式を新設の持株会社へ移す株式移転の手続きが使えるようになると、双方が事業会社として存続したまま、上に共同持株会社を置ける。一方が他方に吸収される合併を避けられるため、社名も組織も当面は残せる。JFEホールディングスは、この株式移転で共同持株会社として発足した。アステラス製薬は山之内製薬を存続会社とする吸収合併だったが、新社名と経営陣の均衡配置で対等の体裁を整えている。
戦時の統合令では主導権を国が決め、産業政策のもとでは業界の序列が決めた。しかし不良債権の処理以降の合併には、主導権を決める者がいない。対等という形式は、決定者を置かないまま統合を成立させるために使われている。
財務諸表のどこを見るか
合併比率と、その算定を担った第三者評価機関の名前を先に押さえる。比率は交渉力の配分そのもので、対等を掲げていても数字が一方に偏っていることがある。会計処理では、取得と判定されればのれんが立ち、持分の結合とみなされた時期の合併では資産と負債が簿価で引き継がれてのれんが生じない。共同持株会社なら株式移転で新会社が親になるため、連結の範囲と比較対象の期が入れ替わる。合併した期は売上高が段差で増加するので、前期比較は必ず連結範囲の注記と併せて読む。
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持株会社方式による経営統合69事例
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買収と統合のほかの論点
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