八幡と富士が合併(1969年・日本製鉄の決断)

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論点 独禁法の壁を越えて合併するか
日本製鉄:業績の推移
売上高(億円)経常利益率(%)
鉄鋼二社の統合による新日本製鐵の誕生

何をなぜ決めたか:鉄鋼二社の統合による新日本製鐵の誕生

概要

1968年4月、八幡製鐵と富士製鐵の合併構想が毎日新聞のスクープで表面化した。両社は1969年3月6日に経団連会館で合併契約を結び、八幡を存続会社、富士を解散会社とし、商号を新日本製鐵に改めると定めた。公正取引委員会は5月7日に合併をしないよう勧告し、両社がこれに応じなかったため審判手続に移った。この間、4月10・11日に公聴会を開き、審判は6月19日から10月14日まで13回に及んだ。10月30日、両社が申し出た排除措置を条件に同意審決が下り、1970年3月31日に新日本製鐵が発足した。1950年に占領政策で分けられた両社が、20年を経て再び1社に戻った。

背景

両社はもとは日本製鐵という1社で、1950年4月に過度経済力集中排除法の適用を受けて2社に分かれた。1968年上期の資本金・総資産・売上高はいずれも八幡が国内首位、富士が2位で、売上高は2,262億円と1,964億円だった。それでも粗鋼のシェアは、1958年度の八幡24.0%・富士18.1%から、1967年度には18.6%・17.0%まで下がった。住友金属工業や川崎製鉄など新興勢力の伸長に押され、高炉新設をめぐる業界の自主調整も毎年のようにもめていた。毎日新聞経済部は、資本自由化を前にした国際競争力の強化という公式の説明に加え、こうした失地回復の意識が合併の有力な誘因になったとみた。

内容

永野重雄・富士社長によれば、両社長の最終合意は1968年1月6日、旧日本製鐵役員の親睦会の席でひそかになされた。対等合併ながら税金の関係で法律上は吸収合併の形をとり、新会社の資本金は2,293億6千万円とした。公取委は1969年2月24日に独禁法第15条に触れるとの見方を内示し、両社の対応策も不十分として正式審査に付した。同意審決は鉄道用レール・食缶用ブリキ・鋳物用銑・鋼矢板の4品種で競争の実質的制限を認め、釜石製鉄所のレール製造用附帯設備の日本鋼管への譲渡、東洋鋼鈑株2,016万株の日本鋼管と東洋製罐への譲渡、八幡製鉄所東田6号高炉などの神戸製鋼所への譲渡を命じた。

含意

合併は政府・財界の多くが支持するなかで進んだが、学界の反対は強かった。1968年6月15日には、館竜一郎・東大教授らを中心とする近代経済学者90人が連名で大型合併反対の声明を出した。学者側は、公取委が問題品種を両社にとって非主力の4品種に絞ったことを「木を見て森を見ざる」と批判し、粗鋼で新日鉄のシェアが35%を超え、他社がいずれも10%台にとどまる構図を問題にした。同意審決の日、自民・民社両党は合併を歓迎し、社会・公明・共産各党は公取委を批判した。非主力品種の設備や株式を手放す条件と引き換えに、両社は粗鋼で国内の3分の1を超える規模を1社にまとめた。

いつ何が起きたか 5件
考察:シェアだけでは測れない企業結合
考察

考察:シェアだけでは測れない企業結合

八幡・富士の合併が今なお参照されるのは、企業結合の可否をどう判断するかという問いを正面から突きつけたからである。財界が説く効率性向上効果と、近代経済学者が懸念する競争制限効果——この相反する2つの効果をどう比較考量するかは、半世紀を経た現在の企業結合審査にも通じる論点であろう。RIETIの定量分析が、マーケットシェアやHHIの大小だけで合併の可否を判断することの経済学的な妥当性は乏しいと結論づけている点は、シェアの数字に引きずられがちな議論への一つの問い直しとして読める。

同時に本件は、競争回復措置という条件付き承認の難しさも示している。4品目の設備・株式の譲渡という措置は、合併を成立させる現実的な落としどころとして機能した一方、RIETIの分析は、その措置が必ずしも社会厚生の観点から最適ではなかった可能性を指摘する。条件を課して合併を通すか、課さずに認めるか、あるいは認めないか——この三択のいずれが望ましいかは一義的には決まらない。

参考文献

参考文献

参考
  • 新日鉄誕生す 独禁政策と巨大企業合併の記録(毎日新聞社、1969年)
  • 八幡製鉄と富士製鉄の合併(公正取引協会、1969年)勧告書
  • 八幡製鉄と富士製鉄の合併(公正取引協会、1969年)経緯の概要
  • 八幡製鉄と富士製鉄の合併(公正取引協会、1969年)審決書
  • 八幡製鐵所八十年史(新日本製鐵八幡製鐵所、1980年)総合史
  • 八幡製鉄と富士製鉄の合併(公正取引協会、1969年)審判開始決定書
  • 新日鉄誕生す 独禁政策と巨大企業合併の記録(毎日新聞社、1969年)第四章
  • 「私も従業員から経営担当になっただけ——稲山嘉寛 新日本製鉄会長」編集長インタビュー(日経ビジネス 1976年6月7日号、No.163)
  • 「ケーススタディ 新日本製鉄——功罪問われる"株式公社"」(日経ビジネス 1977年11月7日号、No.200)
  • 週刊東洋経済 1968年5月18日号(稲山嘉寛 八幡製鐵社長インタビュー、RIETI DP 10-J-021 経由)

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