住友金属工業の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

銅から始めた会社が、銅の側を分社して鉄だけを残した。最大の弱点は銑鉄を自前で持たないことにあり、1953年7月に小倉製鋼を合併して、内陸の高炉を得て銑鋼一貫を確立する。1955年3月期には売上高133億3,000万円のうち鉄鋼部門が8割を占めた。続いて1959年8月に伸銅とアルミ圧延を住友軽金属工業、1961年1月に航空機器を住友精密工業、1963年1月に磁鋼と電子材料を住友特殊金属として分離している。1961年3月に和歌山、1968年12月に鹿島と臨海の一貫製鉄所を築いたが、二拠点は内需の成熟と円高のもとで過剰になり、1999年には和歌山製鉄所の熱間圧延ラインを休止する再建へ入った。創業以来の非鉄を切り離して鉄へ集中したことが、高炉二拠点を築く余力と、円高で採算を失う脆さを同時に与えた。

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