住友金属工業和歌山製鉄所の再建と熱間圧延ラインの休止

二つの製鉄所のうち割を食い続けた和歌山を、住友金属工業はどう残したか

時期 2002年11月
意思決定者(推定) 下妻博・小島又雄 住友金属工業 社長・住友金属工業 社長(1999年の経営改革プラン策定時)
論点 採算割れが続く和歌山製鉄所を、閉じるのか、削って残すのか
概要
1999年に始まり2005年に完了した和歌山製鉄所の再建。現場の部長級8人による特命チームが2年間で200億円のコストを削り、再建策の中核として熱間圧延ラインの休止を発案した。2003年11月には高炉を含む上工程を分社して台湾・中国鋼鉄との合弁会社の子会社とし、2005年3月に熱延ラインを止めた。
背景
生産性に優れる鹿島製鉄所の操業率維持を優先した結果、和歌山の操業率は常に変動して採算割れが続いた。1980年代後半には和歌山単体で500億円の赤字を出している。1994年にシームレス管設備へ800億円、1996年にスラブ設備へ500億円を投じ、重い償却負担が残った。1999年3月期と2000年3月期の経常赤字は649億円と637億円に達した。
内容
1999年4月に和歌山経営改革プロジェクトチームが発足し、2000年3月期と2001年3月期の2年間で200億円のコストを削減した。2002年11月14日に発表した新中期経営計画で熱延ライン休止を明記。2003年11月1日に上工程を分社し、年180万トンのスラブを中国鋼鉄へ供給する体制へ移した。
含意
製鉄所を丸ごと閉じるのでも、全設備を維持するのでもなく、下工程を切り離して上工程を外資と共同運営するという解を取った。高炉の心臓部を外資と共同で回す製鉄所は国内に例がない。
筆者の見解

閉じるより難しい、削って残す

不採算拠点への対処は、たいてい閉鎖か維持の二択で語られる。和歌山で選ばれたのはどちらでもない。下工程の主力設備を止めて薄板から撤退し、上工程は外資と組んで輸出向けの半製品工場として生かす。製鉄所を機能で分解し、採算の合う部分だけを別の枠組みへ移すやり方であった。高炉を外資と共同で回す製鉄所は国内に例がなく、参照できる前例のない解を選んだことになる。難しさは技術ではなく、同じ製鉄所の中で残す設備と止める設備を選り分ける点にあった。

この案が通った条件は二つある。一つは、案を出したのが本社ではなく現場の部長級8人だったこと。和歌山生まれで和歌山育ち、和歌山製鉄所一筋という人間が「大腿骨を抜く」と言ったからこそ、聖域に手が入った。もう一つは、社長が同じ製鉄所に自分の履歴を持っていたこと。熱延ラインの初代労務担当だったという一言は、組合に対する説得材料であると同時に、削る側の当事者性を示すものであった。外から来た経営者が数字だけで同じ結論を出したとして、同じ速度で実行できたとは考えにくい。ただし、当事者性は判断を鈍らせもする。1980年代後半から赤字を出していた拠点に手が入るまで十年以上かかったのは、その裏返しでもあった。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

鹿島を立てれば和歌山が沈む構造

住友金属工業には和歌山と鹿島という二つの製鉄所があった。鹿島は日本でも最新鋭で業界有数の生産性を誇り、会社はその操業率の維持を優先した。割を食う形になったのが和歌山である。需要が振れるたびに和歌山の操業率が上下し、採算割れが続いた。1980年代後半には和歌山単体で500億円の赤字を出したこともある。二拠点を持つこと自体が悪いのではなく、需要変動の調整弁をどちらか一方に寄せ続けたことで、片方の製鉄所の採算が構造的に成立しなくなった[1]

採算の悪い拠点に、大きな投資が重なっていた。1994年には鉄鋼不況のなかで社運を賭けてシームレス管設備に800億円を投じ、1996年にもスラブという半製品を造る設備に500億円をつぎ込んでいる。残ったのは重い償却負担であった。看板商品のシームレスパイプは1997年度の98万屯を頂点に、1998年度84万屯、1999年度67万屯へ落ちている[3]。最新鋭のミルを据えたのに量が伴わず、1999年3月期と2000年3月期の経常赤字はそれぞれ649億円、637億円に達した[2]

高炉休止の検討すらタブーだった

1999年、小島又雄社長は経営改革プランを掲げ、2000年度までに450億円のコストダウンと経常利益200億円、復配を達成する目標を置いた[4]。和歌山では人員を3,200人から2,800人へ減らし、外注政策を転換している。同製鉄所は150社の協力会社を持ち、その下にさらに500社が連なり、出向社員を含めて関係・協力会社に7,000人がいた。大企業の少ない和歌山県では、この措置が下請けと雇用への不安を呼んだ。それでも「高炉休止の検討すらタブーだなんて言っている余裕はすぐになくなった」と、企画業務部専任部長の紫冨田浩氏は当時を振り返っている[5]

決断

現場8人が出した「大腿骨を抜く」案

1999年4月、和歌山経営改革プロジェクトチームが動き出した。現場の部長クラス8人が顔を揃え、2年で和歌山を黒字転換させる策を練る特命チームである。改革に必要な全権を与えられていたわけではないが、結果として与えられた役割以上の働きをした。一つは実現可能なコスト削減策をまとめ、2000年3月期と2001年3月期の2年間で200億円を削ったことにある。これが2001年3月期の経常黒字確保につながった。もう一つが、再建策の中核となる熱間圧延ラインの休止という発想であった[6]

熱延ラインは自動車用鋼板などの薄板を造る主力設備であり、これを止めれば和歌山は半製品のスラブまでしか造れなくなる。紫冨田氏は「高炉をなくすのと同じくらい、製鉄所内で反感を買うアイデアだというのは百も承知」と認めたうえで、「高炉の操業率を高めるためなら、何でもやるべきというのが、経プロメンバーの認識だった」と述べている[7]。本社で取りまとめ役となった経営企画部グループ長の西浦新氏も和歌山の出身であった。「和歌山を丸ごと失うくらいなら、大腿骨一本抜いても、生き残った方がましだ」[8]。削る側と削られる側が同じ土地の人間であったことが、この案を通した。

スラブの買い手を台湾に見つける

熱延を止めれば、上工程で造ったスラブの売り先が要る。候補は提携交渉を進めていた新日鉄と、スラブをスポット購入した実績のある台湾の中国鋼鉄であった[10]。話のしやすさなら日本勢、安定的な販売を優先するなら中国鋼鉄になる。2002年7月、総勢6人が高雄の本社へ乗り込んだ。熱延ライン休止は既に新聞が報じており、中国鋼鉄側は「困っているなら、スラブを買ってやってもいい」と言わんばかりの態度で臨んだ。憤った紫冨田氏が「買う気がないなら、和歌山の高炉を止めたっていいんだ」と口にする。ブラフであった。翌日、相手の態度は一転して友好的になった[9]

結果

国内に例のない製鉄所へ

2002年11月14日、新日鉄・神戸製鋼所との相互出資と中国鋼鉄との提携を柱とする新中期経営計画を発表し、熱延ライン休止を明記した。和歌山解体とも取れる内容に社員は動揺し、労働組合も態度を硬化させた。11月19日、下妻博社長と組合幹部が製鉄所本館で向かい合う。「失敗したら、経営責任を取る覚悟があるか」と詰め寄られた下妻社長は机を叩いて答えた。「俺は入社してすぐ、ここの熱延ラインの初代労務担当になった。和歌山への思いは君たち以上に熱いんだ」[11]。組合はここから協力へ転じた。

2003年11月1日、和歌山の高炉など上工程を分社し、中国鋼鉄との合弁会社の100%子会社とした[12]。製鉄所の心臓部である高炉を外資と共同運営する、国内で例のない製鉄所が生まれた。スラブは年180万トンを中国鋼鉄へ供給する。熱延ラインは2005年3月に休止し、和歌山で造っていた特殊な薄板は鹿島へ移した。2005年3月期の連結売上高は1兆2,369億円、当期純利益は1,108億円となり、連結営業利益1,828億円は前期比97%増の過去最高であった[13]。約30年ぶりのフル生産に沸く和歌山に、悲壮感はなかったという。

出典・参考
  • 日経ビジネス 2004年10月18日号「捨て身の和歌山再建 住友金属工業」
  • 週刊東洋経済 1999年10月30日号「住友金属の選択と集中」
  • 週刊東洋経済 2002年5月18日号「経営分析 住友金属工業」
  • 有価証券報告書(2006年3月期)

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