この判断の中心にあるのは、競争優位を築けないと分かった事業をどの速さで手放すかという問いである。篠塚勝正氏は1997年7月の時点でDRAMで競争優位を築ける見込みがないという結論に達し、翌年の再建計画で量産投資を断った。判断そのものは早い。ただし工場も従業員も残し、現行製品は作り続けるという中途の形を選んだため、事業が完全に切り離されるまでにはさらに10年を要した。雇用と生産設備を抱えた会社が、市況の谷で決めた撤退を谷のうちに完了させることの難しさが、この10年に表れているだろう。
手放した後の姿も、単純な成功とは言いがたい。半導体を切った2009年3月期は世界同時不況と重なって450億円の損失を計上し、売上高は7000億円台から5000億円台へ減少した。それでも、需給で数百億円が振れる事業を持たなくなったことは、その後にATMやEMSを軸へ据え直す前提になった。1969年に山本正明氏が公共色の濃い機種ゆえの低収益を語り、1998年に篠塚氏が投資体力の差を語った——沖電気工業の歴史では、身の丈をどう測るかという問いが繰り返し現れている。半導体からの撤退は、その問いにもっとも高い授業料を払った回答であったといえる。