1954年〜 京都の抵抗器メーカーから半導体企業への転換期
ロームの業績推移:単体
- 1954年 佐藤研一郎が東洋電具製作所を創業
- 1958年 東洋電具製作所を設立
- 1959年 西大路工場を新設
- 1969年 ICの開発・販売を開始
- 1970年 本社敷地内に半導体製造ラインを設置
- 1989年 東証一部上場下でのオーナー社長・佐藤研一郎の統治スタイル 外部に一切姿を見せぬ創業者が、なぜ権限を委ねつつ会社を握り続けたのか
- 1989年 大手が避けた市場を狙う「3番手戦略」でのSRAM参入 巨額投資が要る汎用メモリーに、中堅のロームはなぜ後発で挑めたのか
炭素皮膜抵抗器から始まった東洋電具製作所の創業
1954年12月、立命館大学理工学部を卒業したばかりの佐藤研一郎氏は、京都市上京区で個人企業・東洋電具製作所を創業した。製品は炭素皮膜固定抵抗器で、社名の由来となるROHMは抵抗を意味する英字の頭文字と単位の組み合わせから名付けた。1958年に資本金200万円で法人化し、京都市右京区西院に本社工場を構えて量産体制を整えた。創業期の佐藤社長は企業目的として「われわれはつねに品質を第一とする。いかなる困難があろうとも、良い商品を国の内外へ永続かつ大量に供給し、文化の進歩・向上に貢献する」(証券アナリストジャーナル 1983/12)を掲げ、量産と原価管理の両立を経営の柱に据えた。 [1][2]
- ローム 有価証券報告書 第66期(2024年3月期)【沿革】
- [1]1954年12月 佐藤研一郎が京都市上京区で東洋電具製作所を個人創業(炭素皮膜固定抵抗器の開発・販売)
- [2]1958年9月 資本金200万円(2,000千円)で㈱東洋電具製作所を設立(法人化)
1966年には岡山県に製造子会社ワコー電器を設立し、以後も国内各地に製造拠点を展開して低コスト・大量生産の基盤を築いた。関係会社については「地元の経営者とロームとの共同出資にするという理念を基本としている。経営能力を持ちながら、チャンスに恵まれない経営者を県庁や商工会議所などに紹介してもらい、この人ならいけるという人を発見し、この人と共同で会社を運営していく」(証券アナリストジャーナル 1983/12)という独自のネットワーク型経営を採った。抵抗器市場で安定した収益を確保しつつ、佐藤社長の関心は次第にトランジスタやICといった半導体デバイスの可能性へ向かい、単なる受動部品メーカーにとどまらず、次の成長事業への転換を模索する動きが始まった。 [3]
- ローム 有価証券報告書 第66期(2024年3月期)【沿革】
- [3]1966年8月 岡山県に製造会社ワコー電器㈱(現ローム・ワコー㈱)を設立
- ローム 有価証券報告書 第66期(2024年3月期)【沿革】
- [1]1954年12月 佐藤研一郎が京都市上京区で東洋電具製作所を個人創業(炭素皮膜固定抵抗器の開発・販売)
- [2]1958年9月 資本金200万円(2,000千円)で㈱東洋電具製作所を設立(法人化)
- [3]1966年8月 岡山県に製造会社ワコー電器㈱(現ローム・ワコー㈱)を設立
ICへの参入とカスタム戦略による独自の生存戦略
転機は1969年に訪れた。ロームはICの開発・販売を開始し、受動部品専業から半導体メーカーへ事業領域を広げた。日立や東芝といった大手が汎用DRAMに集中投資を注ぎ込むなか、ロームはビデオやオーディオ向けのカスタムICという隙間市場を狙う戦略を発表した。佐藤社長は「カスタムは設計エンジニアを100人増やしたからといって、100人分売り上げが増えるというものではない。商品寿命も短い」(日経ビジネス 1989/02/27)と限界を認めつつも、大手が力を入れるテレビ用を避けてオーディオ用を狙う後発戦略で独自の地歩を築いた。大手との汎用品競争を避けて高付加価値領域で勝負する方針がここで固まった。 [4]
- ローム 有価証券報告書 第66期(2024年3月期)【沿革】
- [4]1969年3月 ICの開発・販売を開始(受動部品から半導体メーカーへの転換)
1983年時点で同社は抵抗器で国内シェア3位(13.8%)、ダイオード5位(12.1%)、トランジスタ6位(7.2%)を確保する地位にあった。CDプレーヤー用半導体レーザーやファクシミリ用サーマルヘッドなど複数の分野でトップシェアを獲得し、1989年のSRAM市場進出では旧世代の16K・64K品に絞って参入する「3番手戦略」をとった。佐藤社長自身が「2番手というより、さらに後から行く3番手戦略」「白紙の状態から開発するのに比べて80%ぐらいは費用を抑えられている」(日経ビジネス 1989/02/27)と語った通り、回路図を米国のデザインハウスから購入して開発コストを削り、大手が生産設備から手を抜いた旧世代市場を丹念に拾う手法で利益率を維持した。 [5][6][7]
- 証券アナリストジャーナル(日本証券アナリスト協会, 1983年12月)
- [5]1983年時点で抵抗器 国内シェア3位(13.8%)
- [6]1983年時点でダイオード 国内シェア5位(12.1%)
- [7]1983年時点でトランジスタ 国内シェア6位(7.2%)
- ローム 有価証券報告書 第66期(2024年3月期)【沿革】
- [4]1969年3月 ICの開発・販売を開始(受動部品から半導体メーカーへの転換)
- 証券アナリストジャーナル(日本証券アナリスト協会, 1983年12月)
- [5]1983年時点で抵抗器 国内シェア3位(13.8%)
- [6]1983年時点でダイオード 国内シェア5位(12.1%)
- [7]1983年時点でトランジスタ 国内シェア6位(7.2%)
シリコンバレー進出とローム商号への変更および東証一部上場
1970年、創業からわずか16年で米国シリコンバレーに販売会社ROHM CORPORATIONを設立した。1971年には製造子会社エクサー社をシリコンバレーに設立し、日本の半導体メーカーとしては最も早い段階で米国生産拠点を持った企業となった。1986年には米エクセル・マイクロエレクトロニクスを買収してEEPROMの生産拠点を獲得し、日米半導体摩擦のなかで「米国製品」と見なされる供給能力も取り込んだ。以後、世界各地に開発・製造・販売拠点を展開して、海外売上比率は一貫して6割前後を維持するグローバルな事業構造を築いた。京都の小さな抵抗器メーカーが世界の半導体マップに名を刻む出発点が、このシリコンバレー進出だった。 [8][9]
- ローム 有価証券報告書 第66期(2024年3月期)【沿革】
- [8]1970年8月 米国カリフォルニア州に販売会社ROHM CORPORATIONを設立(初の海外拠点)
- ローム 有価証券報告書(【主要な経営指標等の推移】)
- [9]海外売上比率 6割前後
1981年には東洋電具製作所からローム株式会社へ商号を変更した。1983年には大阪証券取引所二部に株式を上場し、1986年には一部に指定替えとなり、1989年には東京証券取引所一部への上場を果たした。資本市場へのアクセスを得て、同社は半導体研究センター、LSI研究センター、VLSI研究センターなどの研究開発拠点を相次いで開設し、IC・LSIの自社開発体制を強化した。任天堂の山内溥氏は佐藤社長について「偉大な孤狼かただの変人か」(日経ビジネス 1989/09/11)と語った。京都の同業者とも距離を取り、財界活動や新入社員の入社式にも顔を見せない孤高のスタイルで、世界市場を睨む半導体企業としての骨格が整った時期だった。 [10][11][12][13]
- ローム 有価証券報告書 第66期(2024年3月期)【沿革】
- [10]1981年9月 商号を㈱東洋電具製作所からローム㈱に変更
- [11]1983年11月 大阪証券取引所市場第二部に上場
- [12]1986年9月 大証第二部から第一部に指定
- [13]1989年1月 東京証券取引所市場第一部に上場
- ローム 有価証券報告書 第66期(2024年3月期)【沿革】
- [8]1970年8月 米国カリフォルニア州に販売会社ROHM CORPORATIONを設立(初の海外拠点)
- [10]1981年9月 商号を㈱東洋電具製作所からローム㈱に変更
- [11]1983年11月 大阪証券取引所市場第二部に上場
- [12]1986年9月 大証第二部から第一部に指定
- [13]1989年1月 東京証券取引所市場第一部に上場
- ローム 有価証券報告書(【主要な経営指標等の推移】)
- [9]海外売上比率 6割前後