ピアニストになることを諦めた佐藤研一郎氏(ローム創業者・当時23歳)は、特技であった電子部品工作で起業を決意。地元の京都市内にて、小型抵抗器の製造を行うために「東洋電具製作所(現ローム)」を個人創業した

ピアニストになることを諦めた佐藤研一郎氏(ローム創業者・当時23歳)は、特技であった電子部品工作で起業を決意。地元の京都市内にて、小型抵抗器の製造を行うために「東洋電具製作所(現ローム)」を個人創業した
株式会社に改組。抵抗器業界の競合会社は「KOA」「北陸電気工業」など
現在の本社所在地に工場を新設
京都市内の本社工場が手狭になったことを受けて、岡山県笠岡に生産子会社を設立。ロームは付加価値の高い前工程を本社工場で、単純作業の多い後工程を生産子会社で行う体制を構築
ICの普及を受けて、佐藤研一郎氏は抵抗器の需要がなくなることを危惧。巨額投資が必要となるICに参入することを宣言。当時のロームの売上高は40億円前後であり、京都の中小企業に過ぎなかった
国内の生産子会社として福岡県に設立
ICの生産のために、シリコンバレーに拠点を設置
韓国に進出。後工程における現地生産を開始
香港に進出。低付加価値な製品の現地生産を開始
オイルショックによる不況でロームは過剰在庫の問題に直面。倒産の危機に陥り、不渡りを回避するために佐藤研一郎氏が銀行に日参するなど、経営が危機的な状況へ
ICの需要が徐々に上向くにつれて、ロームの業績も回復。海外展開を見据えて「東洋電具製作所」から「ローム」に商号を変更
技術開発への投資を開始。ただし、半導体は数世代前のカスタム品に特化し、大企業との競合を回避
福岡県朝倉市に生産子会社を設立。2009年会社解散
投資額200億円(売上高の20%に相当)
タイに製造現地子会社を設立
フィリピンに製造現地子会社を設立
マレーシアに製造現地子会社を設立
部品メーカーとしてロームは単独で値上げを決断。カスタム品が中心だったこともあり、顧客との取引中止は最小限に抑えた。この結果、ロームは利益率を改善
ローム浜松を設立。ローム95%・ヤマハ5%を出資
LSI Logic Corporationから工場を買収(稼働は1995年より)。PCおよびテレビ向けのダイオードの生産拠点として活用
FY2005からFY2006にかけて、ローム浜松に約400億円を投資
FY2007に80億円を投資。以後、毎年約60億円〜130億円の投資を10年以上にわたって継続。東南アジアではタイとフィリピンの2拠点に集中投資し、韓国・中国(大連・天津)への投資は抑制
ロームとして巨額買収を決定。株式の95%を取得。ただし、直後にリーマンショックが発生し、半導体事業の拠点だった八王子工場の閉鎖を決定するなど、苦しい展開に
生産子会社ローム甘木(福岡県)を解散。正社員は解雇。10%の従業員は福岡市内のロームアポロで受け入れへ
米系投資ファンド・ブランデス・インベストメント・パートナーズ・エル・ピーがロームに対して資産圧縮を要求。ロームは要求を途絶。株主総会で自己株取得の賛成比率28%で否決へ
佐藤研一郎氏は代表権のない「名誉会長」に就任
希望退職者の募集以外に、国内子会社・海外子会社を含めて人員減へ
ラピスセミコンダクタ(旧沖電気)の工場跡地。売却先は大和ハウス。東京都八王子市東浅川町550番1および549番6
保有株式を公益財団法人ロームミュージックファンデーションに寄付。ロームミュージックファンデーションによるロームの保有株式比率は7.66%から10.33%に増加
PayPal日本事業統括責任者を兼務
自動車関連向けの好調により、業績予想を上方修正