太陽誘電光記録メディア事業からの撤退と、電子部品単一セグメントへの回帰

CD-Rを世界で最初に商品化した事業を、綿貫英治社長はなぜ27年目に畳んだか

時期 2015年6月
意思決定者(推定) 綿貫英治 社長
論点 縮小市場からの撤退と事業構成の絞り込み
概要
2015年6月11日、太陽誘電はCD-R・DVD-R・BD-Rを含む光記録メディア事業からの撤退を発表し、同年12月末で製品の販売を終えた。1988年9月にCD-Rを世界で初めて商品化してから27年目の幕引きで、これにより同社は電子部品以外の柱を持たない体制へ戻った。
背景
HDDの大容量化とクラウドの普及でディスクに記録する需要は細り、2011年3月期には記録製品その他事業に70億5300万円の減損損失を計上した。主力の積層セラミックコンデンサも韓国勢に押され、2012年3月に330人の希望退職を募る状況が重なっていた。
内容
撤退の理由として太陽誘電が挙げたのは、想定を超える市場の縮小と原材料価格の高騰であった。生産を担ってきたザッツ福島は高付加価値の電子部品の工場へ転じ、2015年7月に福島太陽誘電へ商号を改めた。業績への影響は軽微と説明された。
含意
2016年3月期から報告セグメントは電子部品事業の単一となり、売上高は2403億円、営業利益は234億円へ回復した。手放した製造設備は磁気研究所が引き継ぎ、CD-Rは2021年に国立科学博物館の未来技術遺産へ登録された。
筆者の見解

世界初を畳むということ

市場が消えた以上は撤退も当然だった、と読むのはたやすい。しかし記録製品その他事業の営業損益は2014年3月期に1億9600万円の黒字へ戻っており、その場で立ち行かなくなっていたわけではない。太陽誘電が畳んだのは、CD-Rという名称まで自ら付け、追記型ブルーレイまで三世代を世界で最初に商品化した27年分の蓄積であった。この判断の芯は、技術で勝てるかどうかではなく、細る市場に人と設備を張り続けるかどうかにあったとみられる。

もっとも、この撤退を良い判断と呼べるのは、その後に受動部品が伸びた事実を知っているからにすぎない。会社自身、業績への影響は軽微だと説明していた。翌期に営業利益が132億円から234億円へ伸びた主因も、光メディアをやめたことではなくコンデンサの需要であった。手放した設備は磁気研究所へ渡り、細いながら光ディスクの需要は残った。撤退の巧拙は、畳んだ事業の側ではなく、空いた手を何に使ったかで測られるとみることができる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

世界初のCD-Rと、三世代の光ディスク

太陽誘電が光記録メディアを世に出したのは1988年9月であった。1982年に登場したCDと互換性を持つ追記型のディスクを世界で初めて商品化した。CD-Rという名称そのものも同社が付けている。翌1989年8月には福島県にザッツ福島を設立して量産の体制を敷き、1998年10月には記録容量4.7GBのDVD-R、2008年2月には有機色素記録層を用いた追記型ブルーレイディスクへと世代を継いだ[1][2]

潮目が変わったのは2000年代の後半であった。HDDの記録容量が増え、データをクラウドへ預ける使い方が広がると、ディスクへ焼く場面そのものが減った。2011年3月期、太陽誘電は記録製品その他事業に70億5300万円の減損損失を計上した。同事業の外部顧客への売上高は305億3200万円、営業損益は34億8600万円の赤字で、電子部品で稼いだ利益を削る位置に立っていた[3]

本業の不振と2012年の構造改革

傷んでいたのは記録製品だけではなかった。2012年3月期の連結決算は、売上高1837億9500万円に対し営業損失80億1000万円、当期純損失215億9900万円という数字で終わった。特別損失には事業構造改善費用42億7600万円が並んでいる。テレビやパソコン向けの在庫調整が長引き、両事業が同時に沈んだ期であった。記録製品その他事業の売上高は229億4300万円へ縮み、13億2100万円の営業赤字が残った[4][5]

2012年3月、太陽誘電は国内正社員の2割にあたる330人の希望退職を募った。同社にとって30年ぶりの人員削減であった。主力の積層セラミックコンデンサではスマートフォン向けの超小型品で韓国のSEMCOに先行され、開発に成功しながら大量受注に結びつかなかった経緯を、同社は採算を重んじたために流れに乗り遅れたと振り返っている。本業の立て直しに人と資金を回す必要があるなかで、赤字の記録製品を抱え続ける余力は細っていた[6]

決断

2015年6月11日の撤退発表

2015年6月11日、太陽誘電は光記録メディア事業からの撤退を発表した。CD-R・DVD-R・BD-Rを含む製品のすべてが対象で、同年末をもって販売を終える計画であった。理由として同社が挙げたのは、HDDの大容量化とクラウドコンピューティングの普及にともなう市場の縮小、そして想定を超えたその速さと原材料価格の高騰であった。「That's」の名で売られてきた製品も、この日をもって終わりの時期が決まった[7][8]

手を尽くさなかったわけではない。太陽誘電は原価の低減と生産性の向上に取り組み、長期保存の用途を狙うアーカイブビジネスにも活路を求めていた。記録製品その他事業の営業損益は2013年3月期の2億2400万円の赤字から2014年3月期には1億9600万円の黒字へ戻っており、数字だけを見れば底を打ったようにも読める。それでも、さらなる収益の改善は困難と同社は判断した[9][10]

工場を残し、事業だけを畳む

撤退は工場を閉じることを意味しなかった。太陽誘電は事業撤退にともなう業績への影響を軽微とし、記録メディアを作ってきたザッツ福島では今後、高付加価値の電子部品を生産すると説明した。同社は2015年7月にザッツ福島を福島太陽誘電へ商号変更し、あわせて太陽化学工業・赤城電子・中紀精機の3社も太陽誘電の名を冠した社名へ改めている。設備と人はそのまま電子部品側へ移された[11][12]

撤退を決めたのは綿貫英治社長であった。2010年に社長へ就いて以降、記録製品の減損も2012年の希望退職も自らの体制で処理してきた人物で、発表から5か月後の2015年11月には登坂正一氏へ社長を譲り、取締役会長へ退いている。27年続けた事業の幕を引き、負の整理を済ませたうえで後任に渡す順序となった。「That's」ブランドの販売を担ってきたスタート・ラボも、2016年3月末での販売業務の終了を告知した[13][14]

結果

電子部品の単一セグメントへ

撤退は決算書の姿も変えた。太陽誘電は2016年3月期から、それまで二つ並べていた報告セグメントを電子部品事業の単一に改めた。有価証券報告書は、記録製品事業からの撤退にともない事業展開・経営資源の配分・経営管理体制の実態から見て、事業を一体として捉えることが合理的になったと説明している。連結売上高は2015年3月期の2270億円から2403億円へ、営業利益は132億円から234億円へ伸びた[15][16]

受動部品だけになった太陽誘電は、コンデンサとインダクタへ投資を重ねた。2022年3月期の連結売上高は3496億円と過去最高に達している。2024年には佐瀬克也社長が、まねできない技術で製品を高付加価値化すると述べ、AIを切り口に高性能品で反転攻勢を仕掛ける方針を掲げた。撤退から10年近く、同社の事業区分は電子部品の単一のまま推移している[17][18]

手放したブランドと、残った技術

太陽誘電がやめた製造そのものは、別の会社へ渡った。2016年7月、磁気研究所は太陽誘電からスタンパー・材料・製造工程・品質管理を引き継いだCD-R/DVD-Rを「TY-MID」の名で発売した。That'sの品質を支持してきた層に向けた製品で、太陽誘電が手を引いた後も光ディスクの需要は細く残っていた。市場が完全に消えたというより、部品メーカーが人と設備を割くには小さくなりすぎたことがうかがえる[19]

事業を畳んだ後も、そこで得た技術は社内に残った。2021年9月、太陽誘電が開発したCD-Rは国立科学博物館の重要科学技術史資料に登録された。同社の商品としては2014年度の巻線チップインダクタに続く2件目で、DVD±Rへ引き継がれ世界で最も普及した光記録メディアへ発展させた原点にあたる点が評価されている。光記録メディアの開発で培った技術は、水害監視ソリューションやにおいセンサなど新事業分野の要素技術にも使われている[20][21]

出典・参考

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