太陽誘電That'sブランドによる消費財市場への参入と、追記型光記録メディアCD-Rの世界初商品化

受動部品の専業メーカーが、なぜ自社ブランドで最終消費財を売る側へ回ったか

時期 1988年9月
意思決定者(推定) 川田貢 社長
論点 材料技術の応用先としての消費財市場への進出
概要
磁器コンデンサに始まる受動部品の専業メーカーであった太陽誘電は、1982年に磁気テープによる記録メディア事業へ乗り出して消費財市場に足を踏み入れ、1988年9月にはCD-Rを世界で初めて商品化した。CDと同じ再生機で読めることを条件に据えて開発した追記型の光記録メディアで、CD-Rという名称そのものも同社が付けている。部品を納める企業間取引の会社が、自社ブランドで完成品を売る立場へ回った多角化であった。
背景
1972年に佐藤彦八社長が掲げた「脱磁器コンデンサ」以降、太陽誘電は自社の材料技術を軸に製品の幅を広げてきた。1982年にオーディオ用のCDが登場すると、次の記録メディアとして有機材料を用いたディスクの開発を構想し、1984年から光ディスクの調査に着手した。セラミックスの薄膜制御で培った技術を、記録層の設計へ転用する道筋であった。
内容
CD-ROMドライブは反射率が70%以上なければデータを認識できないが、試作品は50%以下にとどまっていた。太陽誘電はCDのアルミ箔より反射率の高い反射膜を挟む構造を考え出して互換性の壁を越え、1988年9月に世界初のCD-Rの開発を発表した。この規格は1990年に「オレンジブック・パートII」として発行され、業界の標準となった。
含意
光記録メディアは電子部品と並ぶ第二の柱へ育ち、1998年のDVD-R、2008年の有機色素記録層による追記型ブルーレイへと三世代を世界で最初に商品化した。ただしHDDの大容量化とクラウドの普及でディスクの需要は細り、2015年に27年で事業を畳んでいる。CD-Rは2021年に未来技術遺産へ登録された。
筆者の見解

材料が市場を作るということ

これを数ある多角化の一つと数えると、芯を取り逃がす。太陽誘電が1988年に世に出したのは、反射率という一点の互換性を解いて、それまで存在しなかった書き込み可能なCDという市場そのものであった。反射率70%の壁を、アルミより明るい反射膜という材料の工夫で越えたところに、この会社の性格がうかがえる。川田貢社長の代で始めた消費財は、部品で稼ぐ会社が完成品の作り手として市場を立ち上げた場面であったといえる。

もっとも、世界初を三世代にわたり保っても、市場そのものが消えることまでは防げなかった。HDDとクラウドが記録の場を移すと、CD-Rの互換性という強みは意味を失い、太陽誘電は27年で事業を畳んでいる。培った有機色素や薄膜の技術は、においセンサなど別の分野の要素技術として社内に残った。材料が市場を生む事業では、技術の寿命と市場の寿命が食い違うことがあり、参入の巧拙はしばしば撤退のしかたまで含めて測られるのかもしれない。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

受動部品専業と、初めての消費財

太陽誘電は磁器コンデンサに始まる受動部品の専業メーカーで、製品は完成品メーカーへ収める企業間取引が主であった。1972年に佐藤彦八社長が掲げた「脱磁器コンデンサ」以降、同社は自社の技術で新しい製品をつくり出す努力を重ね、材料を軸に品目を広げてきた。その延長で1982年、磁気テープによる記録メディア事業に乗り出し、自社ブランドで一般の消費者へ売る消費財の市場へ足を踏み入れている[1][2]

部品を作って納める会社が、完成品を店頭で売る立場へ回った転換であった。記録メディアはのちに「That's」の名で展開され、部品では表に出なかった太陽誘電の技術が製品ブランドとして消費者の目に触れるようになった。素材から作り込む垂直統合の型を持つ同社にとって、記録メディアは材料技術の新しい応用先であり、値崩れの続く部品とは異なる収益を見込める領域でもあった[3]

CDの登場と、次の記録メディア

消費財への足がかりを磁気テープに置いた太陽誘電は、次の商品として有機材料を用いた記録メディアの開発に目を向けた。折しも1982年、音楽用のCDが世に出て、光でデータを読む時代の入り口が開いていた。同社は、この新しい規格のディスクと互換性を持つ光記録メディアの開発に着手している。読む側の仕組みが定まったばかりの市場へ、書き込める一枚を用意しようとする試みであった[4]

開発の出発点に据えたのは、有機材料を使った記録層であった。1984年からは浜田恵美子博士のもとで光ディスクの調査を始め、それまで磁気テープで積み上げてきた記録メディアの経験を光の方式へつないでいる。セラミックスの薄膜を制御してきた蓄積を、記録層の設計へ振り向ける構えで、素材から作り込む垂直統合の型を部品から消費財へ持ち込む道筋であった[5]

決断

CDと同じ機械で読めること

開発の方向を定めたのは、既存のCDプレーヤーでそのまま再生できることを条件に据えた点であった。メディアメーカーには、これまでの再生機で読めるものを出さねばならないという宿命があり、太陽誘電はCDとの完全な互換性を持たせる道を選んだ。書き込める新しいディスクを、専用の機械を要さずに読ませる。この割り切りが、その後の技術の壁を一つに絞り込んでいる[6]

立ちはだかったのは反射率であった。CD-ROMドライブは反射率が70%以上なければデータを認識できないのに対し、試作した追記型ディスクは50%以下にとどまっていた。太陽誘電は、CDに使われるアルミ箔より反射率の高い反射膜を挟む構造を考え出し、この差を埋めている。金属の反射層の手前に色素の記録層を置き、強いレーザーを当てて記録する仕組みで、読む側の機械を変えずに書き込みを可能にした[7]

1988年9月、世界初のCD-R

1988年9月、太陽誘電は世界で初めてCD-Rの開発を発表した。金属反射層の手前に置いた色素記録層へ強いレーザー光を当てて記録する、書き込み可能な追記型の光記録メディアで、CDとの完全な互換性を備えていた。CD-Rという名称そのものも同社が付けている。部品メーカーが自社の材料技術で、それまで存在しなかった一枚を世に出した格好であった[8]

発表の翌々年、この規格は「オレンジブック・パートII」として世に出て、追記型CDの標準になった。自社が最初に商品化した方式が業界の共通仕様となり、太陽誘電は市場そのものの設計者の位置に立った。互換性という一点にこだわった開発が、専用機を要さない使い勝手を生み、パソコンの記録媒体として広く普及する下地を用意している[9]

結果

三世代へ継いだ光メディア

光記録メディアは、電子部品と並ぶ太陽誘電の第二の柱へ育った。1998年10月には記録容量4.7GBのDVD-Rを、2008年2月には有機色素記録層による追記型ブルーレイディスクを、いずれも世界で最初に商品化している。CD-Rから数えて約20年、同社は三世代にわたり光記録メディアの先行を保った。互換性を解いた最初の一枚が、後続の規格を生む土台になっている[10]

事業の広がりは業績にも表れた。単体の売上高は1990年3月期の763億円から、パソコンの普及期にあたる2000年3月期には連結で1662億円へ伸びている。記録メディアは電子部品とともにこの成長を支え、企業間取引に閉じていた会社の稼ぎに消費財の一角を加えた。部品の値崩れとは別の収益源を、材料技術から作り出した形であった[11]

世界初の原点と、27年後の幕

もっとも、この市場は永くは続かなかった。HDDの大容量化とクラウドの普及でディスクへ焼く場面は細り、太陽誘電は2015年6月に光記録メディア事業からの撤退を発表した。CD-Rの商品化から27年目の幕引きで、同社は電子部品以外の柱を持たない体制へ戻っている。消費財という新天地は、材料技術がひとたび市場を生み、やがて別の技術に市場ごと奪われる場所でもあった[12]

事業を畳んだ後も、そこで得た技術は社内に残った。2021年9月、太陽誘電が開発したCD-Rは国立科学博物館の重要科学技術史資料へ登録された。後のDVD±Rへ引き継がれ、世界で最も普及した光記録メディアへ発展させた原点である点が評価されている。光記録メディアの開発で培った技術は、水害監視ソリューションやにおいセンサなど新事業分野の要素技術にも使われている[13]

出典・参考

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