東京建物郊外マンション分譲への参入と、市場別5ブランドから「Brillia」への統一

貸ビルと不動産金融で成り立っていた会社が住宅を売り続けるために、5つに分かれた商品名をどう束ねたか

時期 2003年4月
意思決定者(推定) 東京建物 取締役会
論点 住宅分譲事業の確立と商品ブランドの一本化
概要
1968年9月に藤沢市で分譲を始めたマンション事業を、東京建物は2003年4月に「Brillia(ブリリア)」の一名へ束ねた。1993年から市場別に5種類のブランドを並べていた分譲マンションを一つの名前に統一し、翌2004年には戸建てを「Brillia Terrace」とした。分譲は以後ビル賃貸と並ぶ収益の柱となる。
背景
1960年12月期の収入は建物からの収益が56.7%を占め、貸ビルと不動産金融が会社を支えていた。高度成長期の住宅需要を受けて1963年に府中市中河原で宅地開発、1968年に藤沢でマンション分譲へ入り、1977年の座間ハイツ1,046戸まで大規模団地を手がけた。バブル崩壊後は積み上がった完成在庫の処理に追われた。
内容
2003年4月、それまで5つのブランドで展開していた分譲マンション「ヴェール」シリーズを新ブランド「Brillia」に統一した。市場ごとに名前を分けて売る形をやめ、一つの名前で商品の水準を示す売り方へ切り替えている。錦糸町の商業施設併設物件など、即日完売の実績が続いた。
含意
2015年3月には日本初の区本庁舎一体型高層マンション「Brillia Tower池袋」が竣工し、2017年の「ブリリアタワーズ目黒」は平均坪単価約600万円に達した。2019年のマンション事業の営業利益は中期計画の目標90億円に対し158億円となる一方、用地の取得競争は激化し、建て替えや市街地再開発から用地を作る方法へ重ねて手を伸ばしている。
筆者の見解

名前を減らして残ったもの

1993年に市場別の5ブランドを敷いた会社が、10年で名前を一つに畳んだ。買い手の層ごとに別の看板を立てるより、一つの名前で水準を示すほうが選ばれるという読み替えである。その判断が現場から出てきたことには理由がありそうで、バブル崩壊後に完成在庫を売り切る任にあたり、市場を無視した価格の物件は売れないと開発部門へ説いた畑中誠氏の十数人の部下が、住宅開発の中心にいたからだとみられる。

ただ、Brilliaが売れた理由をブランドの一本化だけに帰すのは無理がある。平均坪単価約600万円の目黒が滞りなく売れたのは都心の高価格帯に需要が残っていたからで、大久保昌之氏が語るように4,000万円から5,000万円台の供給からは離れていった。用地も入札では取らず、建て替えや市街地再開発で作る道へ移っている。名前を減らしたことで身軽になった代わりに、売る相手と土地の探し方はむしろ限られていったといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

貸ビルの会社が住宅を売り始める

1960年12月期の収入を見ると、建物からの収益1億4,207万円が全体の56.7%を占め、不動産売買益その他4,375万円、仲介鑑定などの手数料3,660万円、貸付金利息1,871万円が続いていた。貸ビルと不動産金融で成り立つ会社であった。高度成長期の住宅需要を受けて、1963年8月には府中市中河原で住宅地開発に入っている[1][2]

マンション分譲は1968年9月、藤沢市での分譲から始まった。大衆マンションブームのただなかで即日完売の物件が相次ぎ、1972年には川越市などで約700区画の「東建富士見ハイツ」、1977年には1,046戸の座間ハイツを手がけている。1974年12月期には不動産販売収入26億2,500万円が収入の52%を占め、分譲が賃貸を上回る規模になった。1980年5月には販売を担う東建住宅サービスが営業を始めた[3][4][5]

5つに分かれた商品名と、在庫処理の記憶

商品名は時期ごとに増えていった。1989年からは超高級マンション「ロワ・ヴェール」の分譲に入り、1993年には新戦略として「ヴェール」の名の下に市場別の5種類のブランドを並べた。1996年には定期借地権付きマンション「プランヴェールEX」の分譲も始めている。買い手の層ごとに別の名前を用意する売り方が、バブル崩壊後の数年で形を整えていた[6][7]

一方で分譲の現場は、バブル崩壊後の在庫処理に追われていた。1991年に不動産販売子会社へ出向した畑中誠氏は、3か月間1日も休みがない激務のなかで、価格が暴落した完成在庫を売り切る役を担った。市場を無視した価格の物件でも売らねばならない力関係を改め、時には開発を取りやめて土地のまま処分している。この時に率いた十数人の部下が、のちに住宅開発の中心となった[8][9]

決断

5つの名前を1つに束ねる

2003年4月、東京建物は5つのブランドで売っていた分譲マンション「ヴェール」シリーズを、新ブランド「Brillia」へ統一した。翌2004年には戸建住宅も「Brillia Terrace」に揃えている。買い手の層ごとに名前を分ける売り方をやめ、一つの名前で商品の水準を示す売り方へ切り替えたもので、10年前に敷いた市場別ブランドの前提を自ら畳む選択であった[10][11]

統一後の分譲は、都心の商業施設併設物件から支持を得た。東京・錦糸町でショッピングモールに併設された「ブリリアタワー東京」は即日完売となる。当時社長であった畑中誠氏は、1994年から13年続く首都圏8万戸規模の供給がこの先も続くかは分からないと慎重に見ながら、市場全体が減速して選別の時代になっても生き残れると述べていた[12][13]

結果

都心の高価格帯へ寄ったBrillia

統一した名前は、都心の大型物件で使われていく。2013年10月に「Brillia多摩ニュータウン」、2015年3月には日本初の区本庁舎一体型高層マンション「Brillia Tower池袋」が竣工し、2020年5月の「Hareza Tower」、2024年1月の「Brillia Tower堂島」へ続いた。2017年に竣工した「ブリリアタワーズ目黒」の平均坪単価は約600万円に達している[14][15]

高額物件の販売は続いた。2019年のマンション事業の営業利益は、中期経営計画の目標90億円に対して158億円となる。供給戸数は全国18位の929戸、首都圏10位の744戸であった。住宅事業企画部長の大久保昌之氏は、1億円ほどの物件なら会社員でも購入できると述べる一方、4,000万円から5,000万円台の供給は郊外まで出ないと難しいとも語っている[16][17]

用地は入札の外から作る

商品名を束ねたあとに残ったのは、用地の取り合いであった。取締役常務執行役員の神保健氏は、マンション用地の入札では相場より2割から3割高い値がつくのが当たり前で、場合によっては5割増しもあると述べ、その価格競争には乗らないと語っている。定期借地権付きの土地、マンションの建て替え、市街地再開発に絡む案件を組み合わせ、東京23区を中心に用地を揃える方法を採った[18][19]

建て替えは合意形成の手間を引き受ける仕事でもあった。1979年竣工・328戸の「イトーピア浜離宮」では、2015年秋のコンペにデベロッパー6社が応じ、東京建物を主体とするグループが選ばれた。ところが市況の好転で転出を望むオーナーが5%未満に減り、分譲できる住戸が想定より減って採算が狂う。負担割合の協議を重ね、2018年10月に賛成率約85%で建て替えが決議された[20][21]

出典・参考
  • 東京建物 有価証券報告書【沿革】
  • 東京建物 有価証券報告書(2003年12月期・連結)
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
  • 株式会社年鑑(昭和37年版)
  • 会社年鑑(1976年版)
  • 週刊東洋経済 2006年9月16日号「[トップの履歴書]東京建物社長 畑中 誠 バブル崩壊の後処理で実績 顧客の心をつかむことを知る」
  • 週刊東洋経済 2020年3月14日号「【特集 マンションの罠】 デベロッパーに直撃(5)東京建物 執行役員 住宅事業企画部長 大久保昌之」
  • 週刊東洋経済 2021年10月16日号「【特集 空き家にさせない! 実家のしまい方】 イトーピアがブリリアに変貌する舞台裏 老朽マンション「再建記」」
  • 週刊東洋経済 2023年1月7日号「【特集 熱狂のマンション 崖っぷちの戸建て】 マンション開発責任者が語る 東京建物 取締役常務執行役員 神保 健」
  • 東京建物「東京建物語」(コミュニケーション活動)
  • 東京建物「沿革」(企業情報)

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