1993年に市場別の5ブランドを敷いた会社が、10年で名前を一つに集約した。買い手の層ごとに別の看板を立てるより、一つの名前で水準を示すほうが選ばれるという読み替えである。その判断が現場から出てきたことには理由がありそうで、バブル崩壊後に完成在庫を売り切る任にあたり、市場を無視した価格の物件は売れないと開発部門へ説いた畑中誠氏の十数人の部下が、住宅開発の中心にいたからだと思われる。
ただ、Brilliaが売れた理由をブランドの一本化だけに帰すのは無理がある。平均坪単価約600万円の目黒が滞りなく売れたのは都心の高価格帯に需要が残っていたからで、大久保昌之氏が語るように4,000万円から5,000万円台の供給からは離れていった。用地も入札では取らず、建て替えや市街地再開発で作る方針へ転換している。名前を減らしたことで負担が軽くなった代わりに、売る相手と土地の探し方はむしろ限られていったといえる。