トーセイ の歴史

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創業 1950年
母体 ユーカリ興業として創業
創業地 東京都
創業
1950年2月、大分県大分市で飲食業を目的にユーカリ興業株式会社が設立された。1952年に本社を東京都江東区亀戸へ移し、1964年6月に事業目的へ不動産の売買・仲介・賃貸・管理を加え、1983年3月に東誠ビルディング株式会社へ商号を改めている。実質的な出発点は1994年にある。山口誠一郎氏の父が率いた東誠商事は投機を避けて中小ビルの開発と賃貸に徹した会社だったが、バブル崩壊後の信用収縮から逃れられず1993年に事実上倒産した。翌1994年6月、山口氏は債務を切り離せる別法人の東誠ビルディングをMBOで取得し、倒産した会社と同じ名を継いで再出発した。
決断
市況は必ず崩れるという前提を、事業の数で担保してきた。倒産した父の会社を継がず別法人のMBOで第二創業したのは、借入で動く不動産業が個社の堅実さと関係なく信用収縮で行き詰まると、父の倒産で見たからである。1996年4月に不動産流動化事業を始め、処分に困った中小ビルを取得して再生し売却する商売へ移った。2001年2月にアセットマネジメント、2002年8月に自社組成の私募ファンド「アルゴ・ファンド」を立ち上げ、物件を保有せずに運用報酬を得る収益源を並べた。2013年3月にはシンガポール証券取引所へ二つ目の上場を置き、外資系機関投資家に近い市場で調達手段を確保した。2017年にホテル、2020年に物流施設を加え、市況が反転しても全部が同時に止まらない構成を25年かけて作った。
現況
6つの事業のどれも、全体の利益の4分の1を超えていない。2025年11月期の連結売上高は946億円、営業利益223億円、当期純利益147億円で、営業利益率は23.6%になる。セグメント利益は不動産再生63億円、不動産開発57億円、不動産ファンド・コンサルティング54億円、不動産賃貸49億円、ホテル28億円、不動産管理11億円で、最大の再生でも全体の24%にとどまる。売上では再生と開発の販売事業が6割を占める一方、ファンド・コンサルティングは売上の1割弱で利益の2割を出す。物件を売る事業と預かる事業を半分ずつ持つ構成が、市況が崩れる年でも赤字にならない下限を作っている。
競合
中小ビルの再生では、大手と同じ物件を取り合う場面がほとんどない。三井不動産や三菱地所が扱う都心の大型物件と、トーセイが取得する築古の中小ビルでは、1件の金額が2桁違う。競争が起きるのは同業のデベロッパーとの間ではなく、日本の不動産へ資金を向ける海外の投資家との間である。2002年に自社組成ファンド第1号でスイスのファンドから出資を受け、数か月後に売却して約100%の収益を返して以来、顧客の多くを外資系ファンドが占めてきた。彼らは利回りで判断するため、市況が変われば資金を引く。2024年5月、山口誠一郎氏が自らの持株を譲って名古屋鉄道と資本業務提携を締結し、創業者個人に代わる安定株主を置いたことで、外資の資金が細る局面でも投資を続けられる。
トーセイ:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2005年11月期2025年11月期

設立ストーリー 父の会社・東誠商事の倒産とMBOによる第二創業 (1964年〜)

本流=東誠商事と創業家の不動産業

トーセイの事業上の源流は、山口誠一郎氏の父・山口誠氏が1964年に設立した東誠商事株式会社にある[1]。同社は銀行の店舗用地の買収(主に都内)を主力に、中小商業ビルの開発・賃貸を手がける社員20名規模の不動産会社で、投機ではなく実需に根ざした堅実な商売を続けていた。一方、現在のトーセイが法人として引き継ぐのは1950年設立のユーカリ興業であり、東誠商事とは別の法人[2]である。すなわち同社には、登記をたどる『法人としての母体(ユーカリ興業)』[引用元]と、事業と人をたどる『系譜上の本流(東誠商事)』という二つの源流があり、両者は1994年の経営承継で一本化される。本稿が父の会社・東誠商事を起点に置くのは、後年のトーセイの事業観と人的基盤がこの会社で形成されたためである。

  • 現代人物事典 出身県別 東日本版(サン・データ・システム, 1980)
    • [1]山口誠一郎氏の父・山口誠氏が1964年に東誠商事株式会社を設立
  • トーセイ 有価証券報告書【沿革】
    • [2]法人としての母体は1950年設立のユーカリ興業(東誠商事とは別法人)

山口誠一郎氏は1983年に慶應義塾大学法学部を卒業し、三井不動産販売(現三井不動産リアルティ)に入社[3]して住宅の商品企画・販売に従事した。大学在学中から株式投資を行うなど、自らの才覚で勝負する志向を早くから持っていたが、三井不動産販売への就職は家業を継ぐ前提のものではなく、東誠商事への移籍[4]も当初から予定されたものではなかった。三井に3年勤めた後の1986年に父の東誠商事へ移ると、住宅マーケティングと商品企画の手法を不動産仲介に転用し、翌1987年には個人で約10億円[5]の仲介手数料を計上した。これは同社の年間手数料収入16億円の過半に相当し、移籍から短期間で[6]山口誠一郎氏は東誠商事の事業の中核的な担い手となった。

  • 倒産から3つの上場へ 見えない扉をひらけ!(山口誠一郎 著, 日経BPコンサルティング, 2019)
    • [3]山口誠一郎氏は1983年慶應義塾大学法学部卒・三井不動産販売(現三井不動産リアルティ)入社
    • [4]大学在学中から株式投資を行う勝負志向を持ち、就職・移籍は家業承継を前提としたものではなかった
    • [5]1986年に父の東誠商事へ移籍し、三井で培った手法を不動産仲介に転用、翌1987年に個人で約10億円の仲介手数料
    • [6]約10億円は東誠商事の年間手数料16億円の過半で、移籍から短期間で事業の中核的な担い手に
  • 現代人物事典 出身県別 東日本版(サン・データ・システム, 1980)
    • [1]山口誠一郎氏の父・山口誠氏が1964年に東誠商事株式会社を設立
  • トーセイ 有価証券報告書【沿革】
    • [2]法人としての母体は1950年設立のユーカリ興業(東誠商事とは別法人)
  • 倒産から3つの上場へ 見えない扉をひらけ!(山口誠一郎 著, 日経BPコンサルティング, 2019)
    • [3]山口誠一郎氏は1983年慶應義塾大学法学部卒・三井不動産販売(現三井不動産リアルティ)入社
    • [4]大学在学中から株式投資を行う勝負志向を持ち、就職・移籍は家業承継を前提としたものではなかった
    • [5]1986年に父の東誠商事へ移籍し、三井で培った手法を不動産仲介に転用、翌1987年に個人で約10億円の仲介手数料
    • [6]約10億円は東誠商事の年間手数料16億円の過半で、移籍から短期間で事業の中核的な担い手に

バブル崩壊と1993年の事実上倒産

1990年代初頭のバブル崩壊で、不動産業は投機の象徴として一括りに忌避され、業界全体が信用収縮に晒された[7]。東誠商事は投機的な取引を避け、中小ビルの開発・賃貸[8]という堅実な事業に徹していたが、業界全体への逆風からは逃れられなかった。同社は資産売却によって借入金の返済を優先したものの[9]、再投資の原資を確保できず、1993年には事業継続が困難となる。法的整理を経ない事実上の倒産であり、父・山口誠氏が築いた東誠商事の不動産事業は、ここで途絶えた。

  • 倒産から3つの上場へ 見えない扉をひらけ!(山口誠一郎 著, 日経BPコンサルティング, 2019)
    • [7]バブル崩壊後、不動産業は一括りに忌避され業界全体が信用収縮に晒された
    • [8]東誠商事は投機を避け中小ビルの開発・賃貸に徹していたが業界の逆風から逃れられなかった
    • [9]1993年に東誠商事が事実上倒産(資産売却で借入返済を優先し再建資金が残らず不動産事業が途絶)

一方、父・山口誠氏は東誠商事とは別に、建物管理を営む東誠ビルディングを保有[10]していた。山口誠一郎氏は1994年[11]、倒産した本体ではなくこの生き残った一社を父から取得し、純粋に切り出す形で不動産業の再建に着手する。再建には、事実上の倒産に至った父の事業を継ぐという面と、自らが不動産業界で再起を果たすという面があった[12]。後年の著書『倒産から3つの上場へ 見えない扉をひらけ!』の表題にある『倒産』は、この父の会社・東誠商事を指している。

  • 倒産から3つの上場へ 見えない扉をひらけ!(山口誠一郎 著, 日経BPコンサルティング, 2019)
    • [10]父は東誠商事とは別に建物管理会社・東誠ビルディングを保有
    • [11]1994年に山口誠一郎氏が生き残った東誠ビルディングを父から取得(MBO)
    • [12]再建の動機は父の事業承継と山口誠一郎氏自身の不動産業界での再起
  • 倒産から3つの上場へ 見えない扉をひらけ!(山口誠一郎 著, 日経BPコンサルティング, 2019)
    • [7]バブル崩壊後、不動産業は一括りに忌避され業界全体が信用収縮に晒された
    • [8]東誠商事は投機を避け中小ビルの開発・賃貸に徹していたが業界の逆風から逃れられなかった
    • [9]1993年に東誠商事が事実上倒産(資産売却で借入返済を優先し再建資金が残らず不動産事業が途絶)
    • [10]父は東誠商事とは別に建物管理会社・東誠ビルディングを保有
    • [11]1994年に山口誠一郎氏が生き残った東誠ビルディングを父から取得(MBO)
    • [12]再建の動機は父の事業承継と山口誠一郎氏自身の不動産業界での再起

1994年MBOによる第二創業

1994年の取得は、経営陣による買収(MBO)の形をとった。山口誠一郎氏は新規設立ではなく既存の東誠ビルディングの買取を選び、父からの依頼を受けて社名の『東誠』を継承した[13]。『東誠』は東京の『東』と父・山口誠氏の名を組み合わせた商号[14]である。事実上倒産した会社の名を引き継ぐことには、銀行や取引先の信用面で慎重さも要したが、最終的に旧称のまま再出発した[15]。買収対象の東誠ビルディングは、もとユーカリ興業として登記され[16]、商号変更を経て父の傘下にあった会社である。取得後、父である山口誠氏は経営に関与していないものと推定[17]される。

  • 倒産から3つの上場へ 見えない扉をひらけ!(山口誠一郎 著, 日経BPコンサルティング, 2019)
    • [13]1994年の取得はMBO(新設でなく東誠ビルディングの買取)・父の依頼で社名「東誠」を継承
    • [14]「東誠」は東京の「東」と父・山口誠氏の名を組み合わせた商号
    • [15]事実上倒産した会社の名を引き継ぐことに信用面の慎重さを要したが旧称のまま再出発
    • [17]取得後、父は新会社の経営に関与せず(本文は推定として記載、書籍は明記)
  • トーセイ 有価証券報告書【沿革】
    • [16]東誠ビルディングはもとユーカリ興業として登記され商号変更を経た会社

再建の初期課題は資金調達だった。倒産会社から切り出した新体制には信用基盤がなく[18]、6億円の借入に対して担保となりうる個人資産も乏しかった。山口誠一郎氏は地元の興産信用金庫へ半年間にわたって通い続け、門前払いに近い扱いを受けながらも、指摘を踏まえて提案書を繰り返し書き直し、事業の将来性を訴えた[19]。商品企画の裏付けとして自ら2万戸の物件を視察しており、この準備と熱意が認められて、最終的に同金庫の本店長が6億円の融資をその場で決めた[20]。この6億円が、第二創業の事業を立ち上げる元手となった。

  • 倒産から3つの上場へ 見えない扉をひらけ!(山口誠一郎 著, 日経BPコンサルティング, 2019)
    • [18]倒産会社から切り出した新体制は信用基盤がなく担保となる個人資産も乏しかった
    • [19]興産信用金庫へ半年間通い続け、提案書を繰り返し書き直して事業の将来性を訴えた(「半年間」は概数)
    • [20]2万戸の物件視察を裏付けに、興産信用金庫の本店長が6億円の融資をその場で決定

山口誠一郎氏は取得と並行して事業の核を定めた。1994年10月に分譲マンション『THEパームス』シリーズの販売を開始し[21]、1995年9月には株式会社神田淡路町ビルを設立して[22]、ビル保有・管理機能をグループ会社として切り出した。新体制の管理部門には父の東誠商事から移った人員が含まれ[23]、倒産した本体の事業基盤の一部が新会社へ引き継がれている。とりわけ管理部門を統括する取締役の平野昇氏は東誠商事時代からの人員であり[24]、別法人である父の会社と現トーセイの人的連続性を体現する存在である。こうして、登記上はユーカリ興業を母体としながらも、事業と人の面では父の東誠商事を継ぐ会社として、第二創業の体制が整った。

  • トーセイ 有価証券報告書【沿革】
    • [21]1994年10月 分譲マンション「THEパームス」シリーズの販売を開始
    • [22]1995年9月 株式会社神田淡路町ビルを設立(ビル保有・管理機能の切り出し)
  • 倒産から3つの上場へ 見えない扉をひらけ!(山口誠一郎 著, 日経BPコンサルティング, 2019)
    • [23]新体制の管理部門に父の東誠商事から移った人員が含まれる
    • [24]管理部門統括の取締役・平野昇氏は東誠商事時代からの人員
  • 倒産から3つの上場へ 見えない扉をひらけ!(山口誠一郎 著, 日経BPコンサルティング, 2019)
    • [13]1994年の取得はMBO(新設でなく東誠ビルディングの買取)・父の依頼で社名「東誠」を継承
    • [14]「東誠」は東京の「東」と父・山口誠氏の名を組み合わせた商号
    • [15]事実上倒産した会社の名を引き継ぐことに信用面の慎重さを要したが旧称のまま再出発
    • [17]取得後、父は新会社の経営に関与せず(本文は推定として記載、書籍は明記)
    • [18]倒産会社から切り出した新体制は信用基盤がなく担保となる個人資産も乏しかった
    • [19]興産信用金庫へ半年間通い続け、提案書を繰り返し書き直して事業の将来性を訴えた(「半年間」は概数)
    • [20]2万戸の物件視察を裏付けに、興産信用金庫の本店長が6億円の融資をその場で決定
    • [23]新体制の管理部門に父の東誠商事から移った人員が含まれる
    • [24]管理部門統括の取締役・平野昇氏は東誠商事時代からの人員
  • トーセイ 有価証券報告書【沿革】
    • [16]東誠ビルディングはもとユーカリ興業として登記され商号変更を経た会社
    • [21]1994年10月 分譲マンション「THEパームス」シリーズの販売を開始
    • [22]1995年9月 株式会社神田淡路町ビルを設立(ビル保有・管理機能の切り出し)

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トーセイの沿革1950〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
ユーカリ興業を設立
本社を移転
1964〜1995年父の会社・東誠商事の倒産とMBOによる第二創業事業目的に不動産の売買・仲介・賃貸・管理業を追加
本社を移転
商号をユーカリに変更
宅地建物取引業免許を取得
商号を東誠ビルディングに変更
本社を移転
倒産した父の会社ではなく、別法人の東誠ビルディングをMBOで取得した第二創業

1994年、山口誠一郎氏は事実上倒産した父・山口誠氏の東誠商事を継がず、父が別に保有していた建物管理会社・東誠ビルディングの全株式をMBOで取得して代表取締役社長に就任し、不動産業を再出発させた。現在のトーセイはこの会社を法人として引き継いでいる。

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★★★
「THEパームス」シリーズの分譲マンション販売を開始★★
1996〜2011年不動産流動化の創始から東証一部上場まで商号を東誠不動産に変更
不動産流動化事業に参入★★
「パームスコート」シリーズの戸建分譲住宅販売を開始
アセットマネジメント事業に参入★★
LBO方式により紺政商店・日本興業住宅・日高鋼業の3社を吸収合併★★
山口誠一郎ジャスダック証券取引所に上場
山口誠一郎商号をトーセイに変更し本社を移転
山口誠一郎「Restyling事業」を開始★★
山口誠一郎東京証券取引所市場第一部に株式を上場
2012〜2025年6事業ポートフォリオとアセットマネジメント主導の事業構造山口誠一郎シンガポール証券取引所メインボードへのセカンダリー上場と東証との同時上場

2013年3月27日、トーセイは東証一部への上場を保ったままシンガポール証券取引所メインボードへセカンダリー上場した。証券コードはS2D。日本企業によるシンガポール証取への上場は2000年以来13年ぶりで、不動産業界では初であった。

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★★★
山口誠一郎トーセイ・リート投資法人が東京証券取引所に上場
山口誠一郎アーバンホームを子会社化
山口誠一郎ホテル事業に参入★★
山口誠一郎不動産開発事業に物流施設開発を追加
山口誠一郎クラウドファンディングを活用した不動産証券化ビジネスを開始
山口誠一郎アイ・カンパニー・子会社4社を子会社化
山口誠一郎名古屋鉄道との資本業務提携と、創業者に代わる筆頭株主の登場

2024年5月、トーセイは名古屋鉄道と資本業務提携契約を締結した。名古屋鉄道は2024年11月末時点でトーセイ株式7,500,100株・15.47%を保有する筆頭株主となり、山口誠一郎社長の持株は12,885,500株から5,385,400株・11.11%へ減って第3位になった。

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★★★
出典・参考
  • トーセイ 有価証券報告書【沿革】
  • 現代人物事典 出身県別 東日本版(サン・データ・システム, 1980)
  • 倒産から3つの上場へ 見えない扉をひらけ!(山口誠一郎 著, 日経BPコンサルティング, 2019)

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