森ビル の歴史

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創業 1959年
創業者 森泰吉郎
創業地 東京都港区
創業・決断・現況・競合について
創業
森ビルの資産は、森泰吉郎氏の父が虎ノ門に残した土地から始まっている。1956年、値上がりした土地を斡旋業者へ相場の5割増で仲介させて3,000万円を得ると、第一信託銀行から同額を借り入れて第1森ビルを建てた。この時点で個人経営の森事務所が4棟の賃貸ビルを管理しており、1959年6月に森事務所を法人化して森ビルを設立した。森泰吉郎氏は横浜市立大学商学部長の職を辞している。1971年までに同じ界わいへ40棟を建てている。
決断
1棟ずつ買い進める会社から、街区ごと権利者をまとめる会社へ移った。同一地域に建て続ければ新しいビルが古いビルの価値を高め、地価の上昇が銀行への担保力を増して次の資金調達を容易にした。ただしこの手法では扱えない規模の街区が残る。1971年2月、森ビルは市街地再開発事業へ転換し、地権者を巻き込む方式へ替えた。1982年にはサントリーホールとテレビ朝日を誘致して用途を複合させ、賃料の取れるオフィスだけで埋めない構成を選んでいる。アークヒルズは用地の取りまとめに16年、竣工まで20年を要した。1995年に地価下落で土地の含みが失われると用地の自社取得をやめ、2003年4月の六本木ヒルズは地権者の参画と床の売却で負担を分ける方式へ移した。回収に20年を要する事業を選び続ける以上、期限を切る株主は置けなかった。
現況
最も大きな利益を出しているのは、賃貸ではなく分譲である。2026年3月期の連結売上高は4,111億円、営業利益980億円、当期純利益531億円である。賃貸の売上2,519億円は全体の61%を占めるが、セグメント利益は486億円で、2兆2,543億円の資産が張り付いて利益率は2.2%にとどまる。対して分譲は売上795億円に対し利益562億円で、資産は584億円しかない。2017年に開発区域を約2倍へ広げ、2023年11月に麻布台ヒルズを開業した。その住宅の売却が分譲の利益を生んでいる。施設営業は518億円の売上で利益82億円、海外は279億円で利益42億円である。街区の床を売って賃貸資産を積むという順序が、非上場のまま2兆円台の資産を保有する資金繰りを支えている。
競合
上場した同業が資本効率を問われるなか、森ビルは期限を切られない。三井不動産は2024年に約1兆円の自己株式取得を求められ、住友不動産も2025年に同じファンドから株主提案を受けた。含み益を抱えたままROEが伸びないという論点は、都心に床を持つ会社へ共通して立つ。森ビルは1995年の時点でも株式を公開せず、取引銀行へ差し入れた担保を解除し、グループの収益力を裏づけに借り入れる方式へ替えていた。短期の損益で判断する株主には長期先行投資型の再開発が理解されにくい、というのが森稔氏の説明である。2024年4月には住友不動産と共同で7000億円規模の再開発へ着手し、六本木ヒルズの2倍を超える規模の再開発へ入った。回収まで20年を要する街区を株主の同意なしに始められることが、同業が着手できない規模の事業を森ビルへ残している。
長期業績の推移 1950〜2026年
森ビル:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2016年3月期2026年3月期

1956年〜経済学者が父の残した土地からビルを建てるまで

森ビルの創業者である森泰吉郎氏は、東京・虎ノ門で米屋を営む家に生まれた。東京商科大学を卒業したのち京都高等蚕糸学校で教鞭をとり、戦後は横浜市立大学へ移った。泰吉郎氏は家業の米屋になじめず、研究生活を志した。父が持っていた貸家は100戸近くを数えたが、戦災でほとんどを失う。焼け跡の整理のために帰京した泰吉郎氏は、新橋駅頭に降り立って一面の焼野原を眺め、『自分の生まれた故郷を自分の手で復興しよう』(日経ビジネス 1971/5/3)と心に誓ったという。父が残した不動産を生かして第1森ビルを建てたのは1956年で、ここから大学教授とビル経営者の二足のわらじが始まった。

  • 日経ビジネス 1971年5月3日号
    • [1]森泰吉郎は虎ノ門の米屋の家に生まれた
    • [2]京都高等蚕糸学校(現京都工芸繊維大学)で教鞭をとった
    • [3]戦後は勤め先を横浜市立大学に変えた
    • [4]家業の米屋になじめず研究生活を志した
    • [5]父が持っていた貸家は100戸近くあり戦災でほとんど失った
    • [6]第1森ビルの建設は1956年(昭和31年)

戦後のインフレを見越した泰吉郎氏は、父の資金を使って銀座や新橋で銀行の抵当流れの土地を安く買いあさり、当時まだ大衆化していなかった株にも積極的に投資した。1956年、買い集めた土地が予想どおり値上がりすると、時価で手放さずに斡旋業者へ相場の5割増で仲介するよう持ちかけた。驚く業者に泰吉郎氏は『東京には、これから必ず人口が集中する』(日経ビジネス 1971/5/3)と説き、地価は幾何級数的に上昇するので、5割増で買っても決して損はしないと理路整然とたたみかけた。業者はその話を保険会社に取りついだ。泰吉郎氏は3000万円を手にし、同時に第一信託銀行から同額の3000万円を借り入れて、ビル建設に取りかかった。

  • 日経ビジネス 1971年5月3日号
    • [7]戦後インフレを見越し銀行の抵当流れの土地を安く買った
    • [8]1956年(昭和31年)に土地の転売で勝負に出た
    • [9]斡旋業者に相場の5割増での仲介を持ちかけた
    • [10]業者が話を保険会社に取りついだ
    • [11]土地は保険会社が引き取り3000万円を得た
    • [12]第一信託銀行から3000万円を借り入れビル建設に着手
  • 日経ビジネス 1971年5月3日号
    • [1]森泰吉郎は虎ノ門の米屋の家に生まれた
    • [2]京都高等蚕糸学校(現京都工芸繊維大学)で教鞭をとった
    • [3]戦後は勤め先を横浜市立大学に変えた
    • [4]家業の米屋になじめず研究生活を志した
    • [5]父が持っていた貸家は100戸近くあり戦災でほとんど失った
    • [6]第1森ビルの建設は1956年(昭和31年)
    • [7]戦後インフレを見越し銀行の抵当流れの土地を安く買った
    • [8]1956年(昭和31年)に土地の転売で勝負に出た
    • [9]斡旋業者に相場の5割増での仲介を持ちかけた
    • [10]業者が話を保険会社に取りついだ
    • [11]土地は保険会社が引き取り3000万円を得た
    • [12]第一信託銀行から3000万円を借り入れビル建設に着手

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歴史年表 1959〜2025年

森ビルの沿革1959〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1959〜1969年焼け跡から始めた貸ビル業と虎ノ門への集中(1959〜1969)森事務所の法人化による森ビルの設立

1959年6月、森泰吉郎氏が横浜市立大学商学部長の職を辞し、それまで4棟のビルを管理していた個人経営の森事務所を森ビル株式会社として法人化した経営判断。4人の子がそれぞれ筆頭株主となる4社と泰吉郎氏の出資によるもので、以後の不動産は森ビルが保有する形をとった。

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★★★
虎ノ門10森ビル竣工にともない本社を移転
1970〜1986年点のビルから面の再開発へ、アークヒルズまでの20年(1970〜1986)虎ノ門17森ビル竣工にともない本社を移転
取引銀行へ差し入れた担保の解除と、グループ収益力を裏づけとする借入への転換

1975年ごろ、森ビルが借り入れのために取引銀行へ差し入れていた土地・建物の担保をはずし、資産ごとの担保設定ではなくグループの収益力を裏づけに融資を受ける方式へ切り替えた財務判断。あわせて株式公開を選ばず、非上場のまま長期先行投資型の再開発を続ける方針をとった。

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★★★
商業施設ラフォーレ原宿の開業★★
虎ノ門37森ビル竣工にともない本社を移転
単独ビルの建設から市街地再開発事業への転換

1971年に東京都が赤坂・六本木地区の再開発へ動き、森ビルが都市再開発法による民間デベロッパー活用の第1号として事業を担った経営判断。土地をまとめるのに16年、1986年3月のアークヒルズ竣工までに計20年を要し、1棟単位の賃貸ビル業から街区単位の再開発事業へ事業の輪郭を変えた。

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★★★
サントリーホール・テレビ朝日の誘致と、住宅・ホテルまで含めた用途構成の選択

20年をかけて1街区にまとめた赤坂・六本木の敷地に、オフィスだけを積まず、住宅・ホテル・放送スタジオ・クラシック専用のコンサートホールを同居させた経営判断。森泰吉郎社長は電通を通じて相談を受けたサントリーホールを、文化性が高くアークヒルズにふさわしいと判断して迎え入れた。

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★★★
1987〜1999年バブル崩壊で消えた1兆円の含みと、創業者の死(1987〜1999)本社をアーク森ビルへ移転
中国大連で森茂大厦が竣工★★
中国上海で上海森茂国際大厦が竣工
2000〜2026年六本木ヒルズから麻布台ヒルズへ、街区単位の再開発(2000〜2026)愛宕グリーンヒルズの竣工
元麻布ヒルズの竣工
用地の自社取得から地権者参画・床売却への切り替え

敷地面積11万平方メートルの六本木六丁目地区で、森ビルが用地を自ら取得する方針を改め、より多くの地権者が参画する形へ切り替えた経営判断。完成後の床も自社保有ではなく投資家への売却と運営料の収受をめざし、2003年4月に六本木ヒルズが竣工して本社も同地へ移った。

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★★★
オランダヒルズ森タワーの竣工
同潤会青山アパート跡地に表参道ヒルズが竣工★★
中国上海で上海環球金融中心が竣工★★
アークヒルズ仙石山森タワーの竣工
立体道路制度を使った環状第二号線上空への超高層建設

1946年に都市計画決定されながら半世紀にわたり実現しなかった環状第二号線の新橋・虎ノ門区間で、東京都が施行する第二種市街地再開発事業の特定建築者となり、1989年創設の立体道路制度を使って道路の上下空間に高さ247メートルの超高層タワーを建てた経営判断。2014年5月に虎ノ門ヒルズ 森タワーが竣工した。

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★★★
虎ノ門ヒルズビジネスタワーの竣工
虎ノ門ヒルズレジデンシャルタワーの竣工
虎ノ門・麻布台地区の開発区域拡大

1989年の街づくり協議会設立から約300人の権利者と30年にわたって議論を重ね、当初4.2ヘクタールだった開発区域を約2倍の8.1ヘクタールへ広げて一体開発に持ち込んだ経営判断。2017年に国家戦略特区法に基づき都市計画決定され、2023年11月24日に麻布台ヒルズが開業した。

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★★★
3街区を続けて手がける進め方と、日比谷線新駅を再開発と一体で整備する構え

2014年に竣工した虎ノ門ヒルズ森タワー1棟の周辺で、森ビルが3街区の開発を続けて4棟の街区にまとめ、あわせて東京メトロ日比谷線の新駅を再開発と一体で整備した経営判断。2020年6月に虎ノ門ヒルズ駅が開業し、2023年10月のステーションタワー開業で4棟が揃った。

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★★★
麻布台ヒルズレジデンスAの竣工
7000億円規模の再開発と、住友不動産との共同事業化

2024年4月8日に都市計画が決まった六本木五丁目西地区第一種市街地再開発事業。施行区域面積約9.2ヘクタールに高さ327メートルと288メートルの2棟を建てる計画で、事業規模は7000億円規模になる見通しである。森ビルが単独で抱えず、住友不動産との共同で進める。

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★★★
グラスロックの竣工
麻布台ヒルズレジデンスBの竣工
出典・参考 1件
出典・参考
  • 日経ビジネス 1971年5月3日号

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