歴史概要 — 現在に至るあゆみ 主要な意思決定と帰結のまとめ
創業1994年、バブル崩壊の信用収縮が続く東京で、山口誠一郎氏が父の建物管理会社・東誠ビルディングをMBOで取得し、現在のトーセイを再出発させた。前年に事実上倒産した父の東誠商事は、投機を避けて中小ビルの開発・賃貸に徹した堅実な会社だった。それでも、不動産業を一括りに忌避した信用収縮からは逃れられなかった。借入で動く不動産業は、個社の堅実さと関係なく、信用が収縮すれば行き詰まる。信用ゼロから興産信用金庫に半年通って6億円を借りた山口氏は、市況は必ず崩れるという前提を事業の設計に置いた。
決断1996年に始めた不動産流動化事業は、都内の処分不動産を安く買い、再生して売る商売である。だが真の顧客は、物件の買い手ではなく海外のファンドだった。2002年、自社組成ファンドの第1号で世田谷の4億円の物件にスイスのファンドの出資を受け、数か月後に5.2億円で売り、出資者へほぼ100%のリターンを返す。すると同じファンドから10億円規模の追加出資の打診が来た。リターンを返し、信用を得て、次のより大きな資金を任される。この繰り返しが事業拡大の本質である。いまでは顧客の8割が外資系ファンドで、受託資産は2兆円を超える。
歴史詳細 - 3つの時代区分で読み解く
1964年〜1995年 父の会社・東誠商事の倒産とMBOによる第二創業
本流=東誠商事と創業家の不動産業
トーセイの事業上の源流は、山口誠一郎氏の父・山口誠氏が1964年に設立した東誠商事株式会社にある[1]。同社は銀行の店舗用地の買収(主に都内)を主力に、中小商業ビルの開発・賃貸を手がける社員20名規模の不動産会社で、投機ではなく実需に根ざした堅実な商売を続けていた。一方、現在のトーセイが法人として引き継ぐのは1950年設立のユーカリ興業であり、東誠商事とは別の法人である[2]。すなわち同社には、登記をたどる「法人としての母体(ユーカリ興業)」と、事業と人をたどる「系譜上の本流(東誠商事)」という二つの源流があり、両者は1994年の経営承継で一本化される。本稿が父の会社・東誠商事を起点に置くのは、後年のトーセイの事業観と人的基盤がこの会社で形成されたためである。
山口誠一郎氏は1983年に慶應義塾大学法学部を卒業し、三井不動産販売(現三井不動産リアルティ)に入社して住宅の商品企画・販売に従事した[3]。大学在学中から株式投資を行うなど、自らの才覚で勝負する志向を早くから持っていたが、三井不動産販売への就職は家業を継ぐ前提のものではなく、東誠商事への移籍も当初から予定されたものではなかった[4]。三井に3年勤めた後の1986年に父の東誠商事へ移ると、住宅マーケティングと商品企画の手法を不動産仲介に転用し、翌1987年には個人で約10億円の仲介手数料を計上した[5]。これは同社の年間手数料収入16億円の過半に相当し、移籍から短期間で、山口誠一郎氏は東誠商事の事業の中核的な担い手となった[6]。
バブル崩壊と1993年の事実上倒産
1990年代初頭のバブル崩壊で、不動産業は投機の象徴として一括りに忌避され、業界全体が信用収縮に晒された[7]。東誠商事は投機的な取引を避け、中小ビルの開発・賃貸という堅実な事業に徹していたが、業界全体への逆風からは逃れられなかった[8]。同社は資産売却によって借入金の返済を優先したものの、再投資の原資を確保できず、1993年には事業継続が困難となる[9]。法的整理を経ない事実上の倒産であり、父・山口誠氏が築いた東誠商事の不動産事業は、ここで途絶えた。
一方、父・山口誠氏は東誠商事とは別に、建物管理を営む東誠ビルディングを保有していた[10]。山口誠一郎氏は1994年、倒産した本体ではなくこの生き残った一社を父から取得し、純粋に切り出す形で不動産業の再建に着手する[11]。再建には、事実上の倒産に至った父の事業を継ぐという面と、自らが不動産業界で再起を果たすという面があった[12]。後年の著書『倒産から3つの上場へ 見えない扉をひらけ!』の表題にある「倒産」は、この父の会社・東誠商事を指している。
1994年MBOによる第二創業
1994年の取得は、経営陣による買収(MBO)の形をとった。山口誠一郎氏は新規設立ではなく既存の東誠ビルディングの買取を選び、父からの依頼を受けて社名の「東誠」を継承した[13]。「東誠」は東京の「東」と父・山口誠氏の名を組み合わせた商号である[15]。事実上倒産した会社の名を引き継ぐことには、銀行や取引先の信用面で慎重さも要したが、最終的に旧称のまま再出発した[14]。買収対象の東誠ビルディングは、もとユーカリ興業として登記され、商号変更を経て父の傘下にあった会社である[16]。取得後、父である山口誠氏は経営に関与していないものと推定される[17]。
再建の初期課題は資金調達だった。倒産会社から切り出した新体制には信用基盤がなく、6億円の借入に対して担保となりうる個人資産も乏しかった[18]。山口誠一郎氏は地元の興産信用金庫へ半年間にわたって通い続け、門前払いに近い扱いを受けながらも、指摘を踏まえて提案書を繰り返し書き直し、事業の将来性を訴えた[19]。商品企画の裏付けとして自ら2万戸の物件を視察しており、この準備と熱意が認められて、最終的に同金庫の本店長が6億円の融資をその場で決めた[20]。この6億円が、第二創業の事業を立ち上げる元手となった。
山口誠一郎氏は取得と並行して事業の核を定めた。1994年10月に分譲マンション「THEパームス」シリーズの販売を開始し、1995年9月には株式会社神田淡路町ビルを設立して、ビル保有・管理機能をグループ会社として切り出した[21][22]。新体制の管理部門には父の東誠商事から移った人員が含まれ、倒産した本体の事業基盤の一部が新会社へ引き継がれている[23]。とりわけ管理部門を統括する取締役の平野昇氏は東誠商事時代からの人員であり、別法人である父の会社と現トーセイの人的連続性を体現する存在である[24]。こうして、登記上はユーカリ興業を母体としながらも、事業と人の面では父の東誠商事を継ぐ会社として、第二創業の体制が整った。
1996年〜2011年 不動産流動化の創始から東証一部上場まで
不動産流動化とアセットマネジメントの二輪確立
1996年4月、東誠不動産(同年3月に東誠ビルディングから改称)は不動産流動化事業を開始した[25]。バブル崩壊後の処分不動産を取得・改修し、投資家へ転売する事業モデルで、不動産証券化市場が形成され始めた時期に中堅独立系として早期参入した。1997年12月にはビル管理工事請負と特定建設業許可を取得して改修・原状回復を内製化し、1999年7月には戸建分譲「パームスコート」シリーズを加え、分譲・流動化・賃貸の三軸を並走させた[26][27]。
2001年2月、不動産投資顧問業登録(国土交通大臣登録一般第127号)を取得し、アセットマネジメント事業へ進出した[28]。主要顧客は外資系機関投資家で、日本の不動産取引慣行を前提に運用を受託できるパートナーへの需要を捕捉した[29]。同年3月にはLBO方式で3社を吸収合併し、11月にはビル管理部を東誠コミュニティ(現トーセイ・コミュニティ)へ分割、12月に証券化事業部を新設した[30]。流動化とアセットマネジメントの二輪体制が、この年に組み上がった。
2002年8月、自社組成の不動産投資ファンド第1号「アルゴ・ファンド」を立ち上げ、賃貸マンションを信託受益権化した[31]。第1号は世田谷区砧の4億円の物件を対象に、銀行借入3億円と出資1億円で組成し、出資のうち5〜6,000万円をスイスのファンドが引き受けた[32]。数か月後に5.2億円で売却し、出資者へ約100%にあたる1億円のリターンを返した[33]。この実績を受けて同じスイスのファンドから10億円規模の追加出資の打診が入り、以後、外資系機関投資家からの資金流入が続いた。
株式上場と、バブルの教訓に基づく先回り売却
2004年12月、ジャスダック証券取引所に上場した[34]。設立母体からは54年目、MBOからは10年での株式公開である。2006年10月に商号を「トーセイ株式会社」へ統一して本社を港区虎ノ門へ移し、同年11月に東京証券取引所市場第二部へ上場、2007年9月には第二種金融商品取引業及び投資助言・代理業登録を取得して、金商法下のファンド運営体制を整えた[35]。
| 時期 | 決算期 | 売掛金の主な相手先(相手先別内訳の上位4先) | 売掛金合計 |
|---|---|---|---|
| 2,005 | FY05(2005年11月期) | ㈲ポセイドン・キャピタル/㈲ヘリオス・キャピタル/㈱日本テレホンセンター/㈲アポロン・キャピタル | 4220万円 |
| 2,007 | FY07(2007年11月期) | 合同会社ベネチア/㈲セレネ・キャピタル/㈲ペガサス・キャピタル/㈲ヘリオス・キャピタル | 1億7120万円 |
| 2,011 | FY11(2011年11月期) | トーセイ・アセット・アドバイザーズ㈱/オリックス㈱/ヘリオス・キャピタル㈲/トーセイ・コミュニティ㈱ | 4800万円 |
2007年末、市場の過熱を警戒した経営陣は保有物件の売却を開始した[36]。サブプライムローン問題の波及が日本で意識される前の判断で、2008年9月までに在庫整理を概ね完了した。同月のリーマンショック直撃を在庫圧縮済みの状態で迎え、2008年11月期には在庫整理の売上で過去最高の連結売上高510億円を計上した[37]。
ただし金融危機の影響は避けられず、手元資金はリーマン前の約50億円から約20億円へ減少した[38]。流動化在庫を抱える業態は、市況悪化時に棚卸資産の評価減と借入返済が同時に重くのしかかる。中堅不動産業の景気感応度が、財務指標に表れた。
リーマン後の財務再建と東証一部上場
2009年11月期、連結売上高は前期比34%減の336億円、経常利益は同90%減の6.6億円まで落ち込んだ[39]。不動産投資市場の急縮小が流動化事業の販売停滞と棚卸資産評価減に直結し、ファンド組成も停滞した。
経営陣は中期経営計画「Charge up 2011」を策定し、新規仕入を停止して在庫売却で財務体質を修復した[40]。並行して2009年9月にRestyling事業を新設し、中古オフィス・マンションの再生販売という新たな収益源を立ち上げた[41]。シンジケートローンの組成と新株予約権発行により、有利子負債は596億円から352億円へ圧縮された[42]。
2011年9月、東京証券取引所市場第一部へ上場した[43]。リーマンショック直撃から3年での一部昇格であり、MBOから17年、流動化事業開始から15年にあたる。在庫圧縮による財務修復と、Restyling事業による新収益源の確立を並行させたことが、この回復速度を支えた。
2012年〜2024年 6事業ポートフォリオとアセットマネジメント主導の事業構造
シンガポール同時上場と海外進出の起点
2012年1月、トーセイは海外進出の第一歩としてシンガポールにTOSEI SINGAPORE PTE.LTD.を設立した[44]。2013年3月にはシンガポール証券取引所メインボードへ株式を上場し、東証一部とシンガポール証取の同時上場体制を実現した[45]。日本企業によるシンガポール証取への上場は2000年以来13年ぶりで、証券コードはS2Dが割り当てられた。中堅不動産業者がアジアでの二重上場を選択した狙いは、海外投資家への直接の情報発信窓口と、シンガポールを起点とする東南アジア向け不動産投資の橋頭堡を確保することにあった。2014年11月にはトーセイ・リート投資法人を東京証券取引所に上場し、連結子会社のトーセイ・アセット・アドバイザーズが運用を担う体制を整えた[46]。J-REIT市場への自社運用REITの組成で、ファンド事業のEXITチャネルが増えた。
2012年から2014年の3年間で立て続けに実行された二つの株式上場(シンガポール証取・J-REIT)は、中期経営計画「Next Stage 2014」(2012〜2014年)の中核施策だった[47]。決算説明会 FY12では同計画について「総資産783億円→599億円へ圧縮、棚卸資産入替えオフィス→住宅、自己資本比率27.9%→41.6%」と前計画「Charge up 2011」の総括が示されており、財務体質の修復が完了した上で次の海外展開フェーズに移った経緯がわかる[48]。決算説明会 FY15では「3か年で売上高2倍、当期利益4倍、投資市場向け売上4倍」と総括しており、リーマンショック後の最初の中期経営計画期間で売上・利益の急回復を実現した[49]。
海外投資家との接点強化は、後のアセットマネジメント事業の急拡大につながった。トーセイ・アセット・アドバイザーズが運用するファンドの主要出資者は外資系機関投資家で、東洋経済オンライン 2021/10/29 の山口社長インタビューでは「顧客は外資系ファンドが8割」と紹介されている[50]。シンガポール上場で得たのは資金調達手段だけでなく、欧米投資家との直接対話のチャネルだった。FY24時点でアセットマネジメント受託資産残高は2兆4,438億円まで拡大し、長期ビジョン2032ではAUM 3兆円目標へ前進している(決算説明会 FY25)[51][52]。日本の不動産市場へ流入する海外マネーの仲介役を担う中堅独立系として、トーセイはファンドの黒子企業と評される位置を占めた。
6事業ポートフォリオの完成 ── 売買と安定の50:50化
2017年12月、トーセイは自社ホテルブランド「ココネ」第1号として「トーセイホテル ココネ神田」を開業し、ホテル事業へ本格参入した[53]。2016年2月にトーセイ・ホテル・マネジメント株式会社を設立して開業準備を実施した事業で、6事業ポートフォリオの最後のピースが埋まった[54]。続く2020年4月には不動産開発事業に物流施設開発を追加し、第1号として「T's Logi橋本」を竣工した[55]。コロナ禍で物流需要が高まる時期と重なり、新規アセットタイプとして物流施設の開発が立ち上がった。2020年7月にはクラウドファンディングを活用した不動産証券化ビジネスを開始し、第1号案件として「TREC1号世田谷区用賀マンション投資ファンド」を組成した[56]。個人投資家向け小口商品の本格展開で、機関投資家中心だったファンド事業に個人マネーの調達経路が加わった。
セグメント別売上構成は、FY18からFY24にかけて貢献度が入れ替わった。中核事業の不動産再生事業(旧不動産流動化事業)はFY18売上347.9億円・利益67.7億円からFY24売上372.2億円・利益59.6億円と、規模では横ばいだった。一方、不動産ファンド・コンサルティング事業はFY18売上30.4億円・利益16.2億円からFY24売上68.6億円・利益38.2億円へ伸長し、ホテル事業はFY19売上10.9億円からFY24売上63.3億円・利益22.1億円へ成長した。コロナ禍のFY20-22期はホテル事業が3期連続赤字となったが、FY23以降のインバウンド需要回復で黒字化し、FY24では事業全体の利益貢献の柱の一つとなった。連結売上高はFY18の615.4億円からFY24の821.9億円へ34%増加し、6事業のいずれかが落ち込んでも他が補う構造が動いた。
中期経営計画「Seamless Growth 2020」(2018〜2020年)で示された「売買事業と安定事業の売上総利益50:50化」は、リーマンショック後の経営陣の課題意識から導かれた目標である[57]。決算説明会 FY18では「自己資本比率35%程度を目安に財務健全性を維持」する方針も合わせて示された。コロナ禍のFY20期には不動産開発事業で37.4億円の赤字、ホテル事業で6.7億円の赤字を計上したが、安定3事業(賃貸・ファンド・管理)の利益でカバーし、連結営業利益64億円・当期純利益36億円を確保した。山口社長は2020年8月のオンライン決算説明会で、安定事業の利益96億4,100万円がすべての固定費と金利をカバーしている点を示し、危機時に安定事業が金利と固定費の防波堤を担った事実を強調した[58]。
名古屋鉄道との資本業務提携と長期ビジョン2032
2024年5月、トーセイは名古屋鉄道株式会社と資本業務提携契約を締結した[59]。名古屋鉄道はトーセイ株式の15.47%(FY24末時点)を保有する筆頭株主となり、山口社長個人の持株比率は27%台から11.11%へ低下した[60][61]。決算説明会 FY24では「業務提携推進委員会を設置し協議開始」と示されており、中部圏での事業展開と中長期の安定株主獲得を狙う提携である。トーセイは1都3県を主たる事業エリアとしてきた首都圏特化型の不動産業者で、中部圏の大手私鉄を資本パートナーに迎えることで、事業エリアの拡張余地と地方私鉄沿線の不動産開発機会を得る構図となった。MBOから30年、東証一部上場から13年を経て、同社の株主構成は山口社長の個人持株中心から、戦略的事業会社を組み入れた構成へと移行した。
長期ビジョン2032は、2024年から2032年までの9年間を3つのフェーズに分けた経営計画で、その第1フェーズが中期経営計画「Further Evolution 2026」(2024〜2026年)となる[62]。決算説明会 FY26では「税引前利益は1年前倒しで当初目標190億円を超過達成、配当性向は中計目標35%を上回る35.2%計画」と総括している。FY25(2025年11月期)の連結業績は売上高946.9億円・営業利益223.4億円・当期純利益147.5億円で、いずれも過去最高を更新した。アセットマネジメント受託資産残高は3兆円目標に向けて積み上がっており、長期ビジョン2032期間中にAUM 3兆円・連結税引前利益200億円超を狙う計画である[63]。2025年12月1日効力発生の1→2株式分割で流動性も改善した[64]。
トーセイの事業上の源流は父・山口誠氏の東誠商事にあり、1993年の同社の倒産を機に、山口誠一郎氏が1994年のMBOで別法人の東誠ビルディングを引き継いで第二創業した[65]。1996年の流動化事業創始から28年で、売上946億円・税引前利益199億円・AUM 2.7兆円規模のアセットマネジメント主導の不動産グループに育っている。山口誠一郎氏は1994年から30年以上にわたり代表を務め、倒産から引き継いだ会社をジャスダック・東証・シンガポール証取の3度の上場へ導いた[66]。中堅独立系の不動産業者が外資系機関投資家の資金を媒介する「黒子」を担い、首都圏中小不動産マーケットを6事業の組み合わせで取り扱う事業構造は、父の会社の倒産を継いだMBOと、リーマンショック後の安定事業強化という2つの転換点を経て成立した。