スターツコーポレーション の歴史

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1969年、村石久二氏が東京・江戸川区で創業し千曲不動産を設立。オイルショック下の土地在庫ゼロ化、スターツへの商号変更、持株会社移行までの沿革と経緯を執筆。

創業

1969年

創業者

村石久二

創業地

東京都江戸川区

直近売上高(2026/3)

2,519億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ創業期に仲介から建設・管理まで自社で抱えたのか
A 仲介で受けた土地活用の相談に施工まで自社で応え、完成後の管理手数料を毎月積み上げるためである。村石久二氏は、工事の利益は完成時の一度きりだが管理手数料は毎月入るストック収入を「銀行員的な発想」と呼んだ。1975年に千曲建設を設けて建設へ進み、1985年には千曲管理サービスを設けて管理を専業化、1986年に管理物件約6,000件でオンライン管理に着手した。仲介で顧客と接し、建設で受注し、管理で長期に稼ぐ三輪体制を、創業から16年で内製でそろえた
Q なぜ1987年の統合から2005年の持株会社化・プロシード上場まで「出口まで自前」に広げたのか
A 街の不動産屋から中堅企業へ移る段階で、首都圏の地主の資産を長期に預かり収益を積む事業を、調達から運用・出口まで自前に収めるためである。1987年に仲介・建設・管理の関連会社をスターツへ統合し、同年ハワイ・台北へも出た。1989年の店頭登録で資金を得ると、預かり資産1兆5,000億円規模のシンクス事業を土台に証券・REIT運用へ広げ、2005年に会社分割で持株会社へ移り、同月プロシード投資法人を上場させて資産運用と上場での出口まで握った
Q なぜ2024年に47年ぶりの社長交代=創業家二代目への承継に至ったのか
A 適時開示が示した理由は「グループ経営体制の一層の強化のため」であり、約47年トップに立った村石久二氏から執行を整えるための承継だった。2016年から社長として執行を担った磯﨑一雄氏が代表取締役副会長へ移り、村石久二氏は取締役会長に退き、2007年入社で久二氏の長男の村石豊隆氏が社長に就いた。創業以来初の創業家二代目への承継で、創業者・前任・現任の3代が並ぶ形をとり、2025年3月期の連結売上高は2,330億円に達した

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1969年〜 大和銀行からの脱サラ創業 ── 仲介・建設・管理の三輪体制とシンクス事業の確立

夫婦2人の千曲不動産 ── 脱サラ同志とオイルショックの在庫ゼロ判断

1969年、大和銀行を退職した村石久二氏は[1]、東京都江戸川区で千曲不動産を個人で創業した[2]。当初の2年間は建売業者向けに小規模な造成地を仕入れて販売する仕事で、村石氏と夫人の2人だけの経営だった。社名の「千曲」は、長野県の千曲川のほとりで育ち[3]、出征した父を戦争で亡くし、母に女手一つで育てられた村石氏が、母と故郷への思いを込めて付けた名である。1972年9月には業容拡大に対応して株式会社へ改組し[4]、1973年7月に本店を一之江3丁目へ移した[5]。賃貸仲介・売買仲介・不動産管理を主目的に掲げた、江戸川区の小さな不動産会社の出発である。

  • 『汗生 汗とともに生きる』(村石久二・久田和子著、スターツ出版、1994年刊)
    • [1]1969年 村石久二氏が大和銀行を退職し千曲不動産を個人創業
    • [3]社名「千曲」は村石氏の郷里・長野県の千曲川にちなむ
  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【役員の状況】
    • [2]創業者は村石久二氏(大和銀行を退職して創業)
  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [4]1972年9月 千曲不動産株式会社へ改組(東京都江戸川区一之江に設立)
    • [5]1973年7月 本店を一之江3丁目へ移転

創業から間もなく、銀行をはじめとする大手企業を辞めた仲間が次々と入社し、事業は造成地販売から自社の建売(分譲住宅販売)へ広がった。村石氏が引き抜いたのではなく、給料の減少を覚悟で職を辞して集まった「同志」であり、創業20年後の1989年時点でも全員が在籍していたという。[6]親戚縁者は入れず、好況期でも歩合制社員や業界経験者は採用せず、1980年からは新卒採用を続ける[7]──歩合制営業が珍しくない不動産業界に、銀行員の感覚を持ち込んだ人事方針である。後年まで残る「素人軍団」の組織原理は、この合流期に固まった。

  • 『証券アナリストジャーナル』1989年9月号(日本証券アナリスト協会)
    • [6]創業20年後の1989年時点でも創業期の同志が全員在籍
    • [7]1980年から新卒採用を継続(歩合制社員・業界経験者は不採用)

1973年末のオイルショックが最初の[8]経営判断を迫った。金融引き締めで金利が上がれば土地は動かなくなると読んだ村石氏は、保有する土地をすべて売却して仕入在庫をゼロにし、建売を一時停止した。建売以外の仕事でしのぎながら、金融が緩み、地価が下がりきるのを待つ判断である。1975年、他社に先駆けて土地仕入れと建売を再開すると[9]、土地有効活用事業が始まる1980年まで「建売住宅の全盛期」(『汗生』1994/9)が続いた。この間も売上高の伸びは年2〜3割にとどめており[10]、村石氏はこれを「継続は力なり」(証券アナリストジャーナル 1989/9)の信条で説明している。

  • 『汗生 汗とともに生きる』(村石久二・久田和子著、スターツ出版、1994年刊)
    • [8]1973年末のオイルショックで保有土地を全売却し建売を一時停止
    • [9]1975年 他社に先駆けて土地仕入れと建売を再開
  • 『証券アナリストジャーナル』1989年9月号(日本証券アナリスト協会)
    • [10]好況期も売上高の伸びは年2〜3割に抑制
  • 『汗生 汗とともに生きる』(村石久二・久田和子著、スターツ出版、1994年刊)
    • [1]1969年 村石久二氏が大和銀行を退職し千曲不動産を個人創業
    • [3]社名「千曲」は村石氏の郷里・長野県の千曲川にちなむ
    • [8]1973年末のオイルショックで保有土地を全売却し建売を一時停止
    • [9]1975年 他社に先駆けて土地仕入れと建売を再開
  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【役員の状況】
    • [2]創業者は村石久二氏(大和銀行を退職して創業)
  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [4]1972年9月 千曲不動産株式会社へ改組(東京都江戸川区一之江に設立)
    • [5]1973年7月 本店を一之江3丁目へ移転
  • 『証券アナリストジャーナル』1989年9月号(日本証券アナリスト協会)
    • [6]創業20年後の1989年時点でも創業期の同志が全員在籍
    • [7]1980年から新卒採用を継続(歩合制社員・業界経験者は不採用)
    • [10]好況期も売上高の伸びは年2〜3割に抑制

行徳店から東西線沿線の各駅へ ── 多店舗展開と管理の専業化

1975年8月、村石氏は株式会社千曲建設を設立し、建設事業へ進出[11]した。仲介店舗で受けた土地活用の相談に、施工まで自社で応える体制を作るためである。1977年には初の支店となる行徳店を開設し[12]、1979年には習志野店・西葛西店を開いた。本店も1979年12月に西葛西6丁目へ移し[13]、店舗網は江戸川区から千葉方面へ広がり始めた。この時期、土地所有者向けに雑誌『つち』も創刊している。「先祖からの土地を引き継ぎ、それを大切に守っている方々の気持ち」(『汗生』1994/9)に近づくための媒体で、この情報発信の内製は1983年3月の千曲出版株式会社の設立(1989年10月にスターツ出版へ商号変更)[14]、後の「OZmagazine」など独立した出版事業へつながった。

  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [11]1975年8月 株式会社千曲建設を設立(建設事業へ進出)
    • [12]1977年 初の支店・行徳店を開設
    • [13]1979年12月 本店を西葛西6丁目へ移転
    • [14]1983年3月 千曲出版株式会社を設立(1989年10月スターツ出版へ商号変更)

1980年に土地有効活用事業を開始すると[15]、多店舗展開は東西線沿線を面で押さえる戦略に移った。1981年に南行徳店、1985年に浦安店、1986年に葛西店を開設し、西葛西・葛西間は近距離で1店舗あれば足りるという声があっても、沿線を固めるため各駅に出店した。1982年には東船橋店と埼玉県のせんげん台店[16]、1983年に松戸店・足立店、1984年に幕張本郷店、1985年にみずほ台店と続き、1986年には都営新宿線の開通で人口が増え始めた江戸川区船堀に船堀店を開設した。入居者募集を見込んで駅周辺の立地を選ぶ基準は一貫しており、創業地周辺への集中は後年も「江戸川区・浦安市への注力」(決算説明会 FY10)として投資家に示される方針である。[17]

  • 『汗生 汗とともに生きる』(村石久二・久田和子著、スターツ出版、1994年刊)
    • [15]1980年に土地有効活用事業を開始
  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [16]1982年 埼玉県せんげん台店を開設
  • スターツコーポレーション 決算説明会(2011年3月期)
    • [17]創業地周辺集中は「江戸川区・浦安市への注力」として投資家に示された方針

土地有効活用で建てたアパートが増えると、入居斡旋から家賃集金・クレーム対応までを営業担当が兼ねる体制では手が回らなくなった。1985年4月、賃貸アパート・マンション・駐車場の管理専門会社として千曲管理サービス株式会社(後のスターツアメニティー)を設立し[18]、管理を専業化した。工事の利益は完成時の一度きりだが、管理手数料は毎月積み上がる。このストック収入を重視する考えを、村石氏は「銀行員的な発想」(『汗生』1994/9)と呼んでいる。1986年には管理物件が約6,000件の段階でオンライン管理の導入に着手し[19]、仲介で顧客接点を作り、建設で受注し、管理で長期収益化する三輪体制が創業から16年でそろった。

  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1985年4月 千曲管理サービス株式会社を設立(後のスターツアメニティー)
  • 『汗生 汗とともに生きる』(村石久二・久田和子著、スターツ出版、1994年刊)
    • [19]1986年に管理物件約6,000件の段階でオンライン管理導入に着手
  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [11]1975年8月 株式会社千曲建設を設立(建設事業へ進出)
    • [12]1977年 初の支店・行徳店を開設
    • [13]1979年12月 本店を西葛西6丁目へ移転
    • [14]1983年3月 千曲出版株式会社を設立(1989年10月スターツ出版へ商号変更)
    • [16]1982年 埼玉県せんげん台店を開設
    • [18]1985年4月 千曲管理サービス株式会社を設立(後のスターツアメニティー)
  • 『汗生 汗とともに生きる』(村石久二・久田和子著、スターツ出版、1994年刊)
    • [15]1980年に土地有効活用事業を開始
    • [19]1986年に管理物件約6,000件の段階でオンライン管理導入に着手
  • スターツコーポレーション 決算説明会(2011年3月期)
    • [17]創業地周辺集中は「江戸川区・浦安市への注力」として投資家に示された方針

スターツへの商号統一とシンクス事業 ── 預かり資産1兆円超で店頭登録へ

1987年7月、千曲不動産株式会社はスターツ[20]株式会社へ商号を変更し、株式会社千曲建設などの関連会社を吸収合併した。仲介・建設・管理の3社を1社にまとめ、「スターツ」のブランドに統一する組織再編である。村石氏は著書で、「街の不動産屋から中堅不動産企業へ」と次の段階が見え始めた時期に、創業時に込めた個人の郷愁から離れ「メンバー皆の思いを会社の冠にしたい」と考えての改名だったと振り返っている(『汗生』1994/9)。創業から18年、多角化のピースを単一会社にいったん集約したこの体制は、後の事業別分社化の前提にもなる。

  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1987年7月 千曲不動産株式会社がスターツ株式会社へ商号変更し関連会社を吸収合併

土地有効活用の仕組みを、村石氏は「シンクス事業」と呼ぶ。首都圏の地主と個別に交渉して財産管理を引き受け、駐車場・アパート・コンビニエンスストア・商業ビル・マンションの建設を提案し、完成後はスターツが預かって管理する。1989年時点の預かり資産は1兆5,000億〜1兆8,000億円[21]にのぼり、相手は資産20億〜30億円から400億〜500億円規模[22]の地主だと村石氏は説明している(証券アナリストジャーナル 1989/9)。土地を買い取らず長期の信頼関係で収益を積み上げる方式は、社員が離職せず生涯付き合える組織を前提とし、新卒採用と「同志」の人事方針はこの事業モデルと表裏の関係にあった。

  • 『証券アナリストジャーナル』1989年9月号(日本証券アナリスト協会)
    • [21]1989年時点のシンクス事業の預かり資産は1兆5,000億〜1兆8,000億円
    • [22]対象地主の資産規模は20億〜30億円から400億〜500億円規模

商号統一と並行して海外進出にも着手した。1987年3月に米国ハワイ州ホノルルへStarts[23] International Inc.を、同年11月に台湾台北市へ星藝有限公司を設立し[24]、1989年1月に豪州ゴールドコースト、同年7月に米国カリフォルニア州へと、2年で4カ国に拠点を構えた。日本人の不動産購入需要と、現地へ進出する日本企業の駐在員社宅需要を狙う布陣である。1989年5月、スターツは日本証券業協会の店頭売買銘柄に登録され[25]、同年11月にはウッディホーム株式会社(後のスターツホーム)を設立[26]して個人住宅領域へも進出した。創業から20年で、夫婦2人の造成地販売は、仲介・建設・管理と地主の資産管理を内製で抱え、「21世紀には5万人の企業になることを目指している」(証券アナリストジャーナル 1989/9)と語る公開企業に変わった。[27]

  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [23]1987年3月 米国ハワイ州ホノルルにStarts International Inc.を設立
    • [24]1987年11月 台湾台北市に星藝有限公司を設立
    • [25]1989年5月 日本証券業協会の店頭売買銘柄に登録
    • [26]1989年11月 ウッディホーム株式会社(後のスターツホーム)を設立
  • 『証券アナリストジャーナル』1989年9月号(日本証券アナリスト協会)
    • [27]「21世紀には5万人の企業」を目指すと村石氏が説明
  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1987年7月 千曲不動産株式会社がスターツ株式会社へ商号変更し関連会社を吸収合併
    • [23]1987年3月 米国ハワイ州ホノルルにStarts International Inc.を設立
    • [24]1987年11月 台湾台北市に星藝有限公司を設立
    • [25]1989年5月 日本証券業協会の店頭売買銘柄に登録
    • [26]1989年11月 ウッディホーム株式会社(後のスターツホーム)を設立
  • 『証券アナリストジャーナル』1989年9月号(日本証券アナリスト協会)
    • [21]1989年時点のシンクス事業の預かり資産は1兆5,000億〜1兆8,000億円
    • [22]対象地主の資産規模は20億〜30億円から400億〜500億円規模
    • [27]「21世紀には5万人の企業」を目指すと村石氏が説明

1990年〜 ホールディング体制への移行と不動産バリューチェーンの垂直統合完成

スターツコーポレーションの業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1995年 スターツ商事を設立
  2. 1996年 スターツ総合研究所を設立
  3. 1998年 時間貸し駐車場「ナビパーク」事業開始
  4. 1999年 法人向け社宅管理代行事業に参入
  5. 1999年 スターツ証券を設立
  6. 2005年 会社分割による持株会社への移行と、建設・仲介・分譲・法人の事業別分社 1社に束ねた事業を18年ぶりに分けるとき、本体に何を残すか
  7. 2006年 ブリッジポイント・ジャパン等を取得し総合ビル管理事業に参入

出版・証券・REIT・ホテル ── 1990年代の周辺事業ライン拡張

1990年代のスターツは、1989年5月の店頭登録で得た資金を原資に、不動産仲介を起点とする事業ポートフォリオの周辺領域を順に拡張した。1995年5月にはスターツ商事株式会社を設立[28]して建設資材卸の流通機能を内製化、1996年3月には株式会社ウィーブを設立してインターネット事業[29]へ進出した。1996年9月のスターツ総合研究所設立で不動産コンサルティング受託[30]の機能を加え、1997年7月には神奈川県横浜市都筑区に仲町台店を開設[31]して首都圏外縁への仲介店舗網拡張も実施した。不動産仲介・建設・管理という三事業を起点に、周辺事業を順に取り込む拡張パターンが1990年代を通じて続いた。

  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [28]1995年5月 スターツ商事株式会社を設立(建設資材卸)
    • [29]1996年3月 株式会社ウィーブを設立(インターネット事業)
    • [30]1996年9月 スターツ総合研究所を設立(不動産コンサル受託)
    • [31]1997年7月 横浜市都筑区に仲町台店を開設(神奈川県初)

管理専業化から9年、千曲管理サービスの管理戸数は1994年8月時点で約2万3,000戸、年間管理手数料は約12億円(1994年度見込)・年商20億円の規模に達していた(『汗生』1994/9)。[32]同社は1997年にスターツアメニティーへ商号を変更し、1998年4月には時間貸し駐車場「ナビパーク」事業を開始[33]した。賃貸住宅管理で集めた小規模な土地を駐車場として運営する事業である。1999年6月にはスターツ株式会社の法人営業部(後のスターツコーポレートサービス)が法人向け社宅管理代行事業を開始し[34]、B2B領域での管理事業も立ち上がった。賃貸物件の仲介・管理・施工で個人顧客との接点を持ち、社宅管理で法人顧客との接点を作り、ナビパークで土地オーナーとの接点を増やす設計である。

  • 『汗生 汗とともに生きる』(村石久二・久田和子著、スターツ出版、1994年刊)
    • [32]1994年8月時点で千曲管理サービスの管理戸数は約2万3,000戸・年商20億円
  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [33]1998年4月 時間貸し駐車場「ナビパーク」事業を開始
    • [34]1999年6月 法人向け社宅管理代行事業を開始

1999年11月のスターツ証券設立は[35]、不動産証券化商品の販売・資産運用コンサルティングを担う組織として、後の不動産ファンド事業の前提を整えた。2001年10月にはスターツアセットマネジメント投信株式会社(2010[36]年スターツアセットマネジメントへ商号変更)を設立してREIT組成・運営機能を加え、2003年3月のスターツホテル開発でホテル事業(ホテルエミオン東京ベイ)、2003[37]年7月のスターツケアサービスで高齢者支援・保育事業[38]へも進出した。仲介・建設・管理を基幹三事業として、出版・コンサル・証券・REIT・ホテル・福祉まで15年で6つの周辺領域に事業ラインを拡張した。各事業はいずれも単独で利益を出せる規模に育ち、後のセグメント分割の前提となる。

  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [35]1999年11月 スターツ証券を設立
    • [36]2001年10月 スターツアセットマネジメント投信を設立(2010年商号変更)
    • [37]2003年3月 スターツホテル開発を設立(ホテルエミオン東京ベイ)
    • [38]2003年7月 スターツケアサービスを設立(高齢者支援・保育事業)
  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [28]1995年5月 スターツ商事株式会社を設立(建設資材卸)
    • [29]1996年3月 株式会社ウィーブを設立(インターネット事業)
    • [30]1996年9月 スターツ総合研究所を設立(不動産コンサル受託)
    • [31]1997年7月 横浜市都筑区に仲町台店を開設(神奈川県初)
    • [33]1998年4月 時間貸し駐車場「ナビパーク」事業を開始
    • [34]1999年6月 法人向け社宅管理代行事業を開始
    • [35]1999年11月 スターツ証券を設立
    • [36]2001年10月 スターツアセットマネジメント投信を設立(2010年商号変更)
    • [37]2003年3月 スターツホテル開発を設立(ホテルエミオン東京ベイ)
    • [38]2003年7月 スターツケアサービスを設立(高齢者支援・保育事業)
  • 『汗生 汗とともに生きる』(村石久二・久田和子著、スターツ出版、1994年刊)
    • [32]1994年8月時点で千曲管理サービスの管理戸数は約2万3,000戸・年商20億円

2005年HD体制への移行と事業別分社化

2005年10月、スターツは会社分割を実施してホールディングカンパニー制を導入した[39]。建設事業をスターツCAM、不動産仲介事業をスターツピタットハウス、分譲事業をスターツデベロップメント、法人事業をスターツコーポレートサービスに承継させ、本体[40]は純粋持株会社のスターツコーポレーションへ商号を変更した。1987年の商号統一で1社にまとめた事業を、18年後に再び事業別子会社へ分割した格好で、各事業の収益責任を子会社経営陣に明示し、グループ全体の経営判断を持株会社に集約する設計である。創業以来の三事業に加え、出版・証券・ホテル・福祉などの周辺事業も子会社単位で運営する体制が整った。

  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [39]2005年10月 会社分割でホールディングカンパニー制を導入
    • [40]建設→スターツCAM・仲介→スターツピタットハウス・分譲→スターツデベロップメント・法人→スターツコーポレートサービスへ承継、本体はスターツコーポレーションへ改称

同月、スターツプロシード投資法人がジャスダック証券取引所に投資口を上場し[41]、スターツアセットマネジメント投信が資産運用代理人を担う構造で自社運用REITが上場した。1999年の証券子会社設立から6年、自社で組成した不動産投資信託を市場で取引する仕組みが整い、不動産バリューチェーンに「資産運用と上場EXIT」という金融機能が加わった。2006年8月にはブリッジポイント・ジャパン等を取得して総合ビル[42]管理事業へ進出し、株式会社ビルコム(後のスターツファシリティーサービス)・千代田管財・アーバンコントロールズを傘下化した。BtoBストック収益基盤の獲得を狙ったM&Aで、賃貸住宅管理に加えてオフィスビル管理が事業領域に加わった。

  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [41]2005年(同月)スターツプロシード投資法人がジャスダック証券取引所に投資口を上場
    • [42]2006年8月 ブリッジポイント・ジャパン等を取得し総合ビル管理事業へ進出

2009年9月にはスターツ信託株式会社を設立[43]して不動産信託事業へ進出し、富裕層・地主向けの資産承継ビジネスにも参入した。仲介・建設・管理を基幹三事業に、ビル管理・REIT運用・不動産信託という金融寄りの機能を加え、不動産バリューチェーンの垂直統合が一通り完成した。2010年4月には大阪証券取引所JASDAQへ上場市場[44]を移し、2010年7月にはスターツプロシード投資法人が東証本則上場へ移行[45]、2013年7月の大証・東証統合に伴い東証JASDAQへ移った。FY11の連結売上高は1,178億円、経常利益101億円、当期純利益34億円で、ホールディング体制で事業別収益管理を進める仕組みが業績の安定拡大を支える体制が整った。

  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [43]2009年9月 スターツ信託株式会社を設立(不動産信託事業)
    • [44]2010年4月 大阪証券取引所JASDAQへ上場市場を移行
    • [45]2010年7月 スターツプロシード投資法人が東証本則上場へ移行
  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [39]2005年10月 会社分割でホールディングカンパニー制を導入
    • [40]建設→スターツCAM・仲介→スターツピタットハウス・分譲→スターツデベロップメント・法人→スターツコーポレートサービスへ承継、本体はスターツコーポレーションへ改称
    • [41]2005年(同月)スターツプロシード投資法人がジャスダック証券取引所に投資口を上場
    • [42]2006年8月 ブリッジポイント・ジャパン等を取得し総合ビル管理事業へ進出
    • [43]2009年9月 スターツ信託株式会社を設立(不動産信託事業)
    • [44]2010年4月 大阪証券取引所JASDAQへ上場市場を移行
    • [45]2010年7月 スターツプロシード投資法人が東証本則上場へ移行

2014年東証一部指定替えとサブリース基幹化

2014年9月、スターツコーポレーションは東京証券取引所市場第一部に指定替えした[46]。新興市場から東証一部への昇格で信用力と調達力が一段上がり、土地オーナー向けの賃貸住宅施工と、その後のサブリース・管理受託で顧客と長期契約を結ぶ事業モデルにとって、上場区分の引き上げが営業上の信用補強として効いた効果も大きかった。FY13の連結売上高は1,510億円、経常利益162億円、当期純利益81億円で、前年比それぞれ18%増・34%増・88%増の伸びを記録し、東証一部指定替えの直前年度に業績拡大が加速した。

  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [46]2014年9月 東京証券取引所市場第一部に指定替え

連結セグメントは2005年HD化以降、建設・仲介・賃貸管理・分譲・出版・金融コンサル・物販文化・ゆとり(高齢者支援保育・ホテル・飲食)の8セグメント体制で開示され、不動産管理事業が連結売上の約39%を占めるグループ最大事業、建設事業が約31%を占める第二の柱という構成だった。[47]FY14には不動産管理事業の売上601億円・営業利益63.9億円、建設事業の売上512億円・営業利益52億円と、両セグメントで売上・利益とも安定した規模に達した。土地オーナーから賃貸住宅の施工を受注し、完成後にサブリースで一括借上げして賃貸管理を担う事業モデルが、グループの収益基盤として根付いた。

  • スターツコーポレーション 決算短信
    • [47]不動産管理事業が連結売上の約39%・建設事業が約31%(FY14)

土地オーナーの相続対策需要が高まる時期に、スターツの「土地活用提案→賃貸住宅施工→サブリース→賃貸仲介→入居後管理」という一気通貫サービスが、競合の大東建託・東建コーポレーション・レオパレス21等とは異なる強みを示した。とくに首都圏では、1980年の土地有効活用事業開始から30年余り個人地主との取引を積み重ねた相場感覚と、長期契約の信頼関係が他社との差を生んだ。1989年の店頭登録から25年での東証一部到達は[48]、創業者の村石久二氏が長期思考で各事業を内製化してきた経営に対する、上場市場側からの評価でもあった。

  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [48]1989年の店頭登録から25年で東証一部到達(2014年)
  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [46]2014年9月 東京証券取引所市場第一部に指定替え
    • [48]1989年の店頭登録から25年で東証一部到達(2014年)
  • スターツコーポレーション 決算短信
    • [47]不動産管理事業が連結売上の約39%・建設事業が約31%(FY14)

2015年〜 磯﨑社長の体制でグループ92社・1万人へ ── PFI連続と海外自社運営

スターツコーポレーションの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2015年 スターツ少額短期準備を設立
  2. 2016年 スターツ福祉貢献インフラファンド投資事業有限責任組合を設立
  3. 2016年 フィリピンPEZA工業団地内で「スターツレンタルファクトリー」運用開始
  4. 2018年 「ホテル エミオン プノンペン」を運営開始
  5. 2022年 東京証券取引所プライム市場に移行・よしひろ企画を取得
  6. 2023年 スターツ環境不動産開発ファンド投資事業有限責任組合を設立
  7. 2024年 スターツ環境開発を設立

磯﨑一雄社長就任とセグメント再編 ── 10セグメント体制への移行

2016年4月、磯﨑一雄氏が代表取締役社長に就任[49]した。創業者の村石久二氏は取締役会長代表取締役グループCEOとして経営の最終責任を担いながら、執行の中心を磯﨑社長へ移す体制で、村石久二氏が約47年トップに立った体制から、生え抜きの磯﨑一雄氏へ執行を移した局面である。[50]磯﨑社長就任後の2018年からはセグメント開示も変更され、それまでの「ゆとり事業」を「ホテル・レジャー事業」と「高齢者支援・保育事業」に分離、不動産管理・建設・分譲・賃貸仲介・売買仲介・金融コンサル・出版・物販文化と合わせて10セグメントの開示体制となった。事業の輪郭がより細かく示され、ホテル・レジャー、高齢者支援・保育という個別の成長領域の収益が独立して可視化された。

  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【役員の状況】
    • [49]2016年4月 磯﨑一雄氏が代表取締役社長に就任
    • [50]村石久二氏は1969年の創業から約47年トップに立ち、2016年に生え抜きの磯﨑一雄氏へ執行を移した(村石氏の社長在任は1972年9月〜2000年5月の約28年、以後は代表取締役会長兼グループCEO。磯﨑就任前の社長は大槻三雄氏・河野一孝氏。磯﨑一雄氏は1986年入社の生え抜き)

FY16の連結売上高は1,808億円、営業利益202億円で、前年比それぞれ13%増・13%増と二桁成長を記録した。磯﨑社長就任直後の決算で、不動産管理事業の売上は672億円(前年比6.5%増)、建設事業は500億円(前年比0.8%増)と基幹2事業が安定して伸び、ホテル・レジャー事業(旧ゆとり事業)も142億円の売上を計上した。創業以来の不動産バリューチェーンを軸にしながら、ホテル・レジャー、高齢者支援・保育という生活サービス領域を独立した報告セグメントとして育てる体制が整った。「総合生活文化企業」という旗印は2010年代後半から決算説明会で繰り返し示された方針で、不動産業を超えた生活インフラ事業者への自己定義の刷新を意味する。

2019年3月期には創業50周年を記念して年間配当69[51]円(記念配当5円を含む)で9期連続増配を達成し、株主還元の安定性も示した。FY18の連結売上高は1,952億円・営業利益228億円・当期純利益153億円で、FY13からの5年間で売上が29%・営業利益が39%・純利益が89[52]%増加した。長期増配と業績拡大の両立は、賃貸住宅管理・建設・仲介の基幹事業がストック収益で安定し、ホテルや海外事業など景気感応度の高い領域を組み合わせる事業構成の効果が、磯﨑社長就任後の3年で数字に現れたものといえる。

  • スターツコーポレーション 決算短信
    • [51]2019年3月期 創業50周年で年間配当69円(記念配当5円含む)・9期連続増配
  • スターツコーポレーション 決算短信(2019年3月期)
    • [52]FY13からの5年間で売上29%・営業利益39%・純利益89%増加
  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【役員の状況】
    • [49]2016年4月 磯﨑一雄氏が代表取締役社長に就任
    • [50]村石久二氏は1969年の創業から約47年トップに立ち、2016年に生え抜きの磯﨑一雄氏へ執行を移した(村石氏の社長在任は1972年9月〜2000年5月の約28年、以後は代表取締役会長兼グループCEO。磯﨑就任前の社長は大槻三雄氏・河野一孝氏。磯﨑一雄氏は1986年入社の生え抜き)
  • スターツコーポレーション 決算短信
    • [51]2019年3月期 創業50周年で年間配当69円(記念配当5円含む)・9期連続増配
  • スターツコーポレーション 決算短信(2019年3月期)
    • [52]FY13からの5年間で売上29%・営業利益39%・純利益89%増加

福祉貢献インフラファンドとPFI連続参入

2016年2月、スターツは「スターツ福祉貢献インフラファンド投資事業有限責任組合」を設立した[53]。東京都内の子育て支援・高齢者支援施設を含む福祉貢献型建物の整備を目的とする官民連携ファンドで、地方自治体や運営事業者と組んで施設を建設・保有・運営する事業モデルである。同年3月の安城民間収益サービス株式会社(愛知県安城市[54]の中心市街地拠点整備)を皮切りに、2017年2月の習志野大久保未来プロジェクト(千葉県習志野市の公共施設再生)、2017年5月の弘前芸術創造(青森県弘前市のPFI)、2017年6月の東岡崎駅北東街区複合施設(愛知県岡崎市の駅前再開発)と、2016年から2017年の2年間で5件のPFI/PPP案件[55]に連続で参入した。

  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [53]2016年2月 スターツ福祉貢献インフラファンド投資事業有限責任組合を設立
    • [54]2016年3月 安城民間収益サービス株式会社(愛知県安城市)
    • [55]2016〜2017年の2年間で5件のPFI/PPP案件に連続参入

2018年1月には両国福祉貢献プロジェクト[56](墨田区)と株式会社フィルライフ(不動産テック)、2018年5月には千鳥福祉貢献プロジェクト(大田区[57]の認可保育所・共同住宅複合施設)を設立し、福祉貢献ファンドの東京内案件も並行して進めた。2019年2月には弘前PFI関連の運営管理会社と[58]、スターツニューコースト(「NEW COAST SHIN-URAYASU」運営)を設立し、地方PFIと地元浦安の商業施設運営を同時に手がけた。福祉施設・公共施設の建設だけでなく、完成後の運営管理まで請け負う設計で、賃貸住宅で培ったストック収益モデルを公共領域に拡張した格好である。

  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [56]2018年1月 両国福祉貢献プロジェクト・株式会社フィルライフを設立
    • [57]2018年5月 千鳥福祉貢献プロジェクト(大田区)を設立
    • [58]2019年2月 弘前PFI運営管理会社とスターツニューコースト(NEW COAST SHIN-URAYASU運営)を設立

PFI案件への連続参入は、首都圏中心の賃貸住宅事業で安定した収益を上げる一方、自治体財政の制約下で増える公共施設の整備・運営需要を取り込む狙いがあった。福祉貢献インフラファンドはESG投資への関心の高まりとも合致し、機関投資家向けの資金調達手段としても機能した。2023年2月のスターツ環境不動産開発ファンド設立[59]、2023年11月の西蒲田PPPプロジェクト[60](東京科学大学西蒲田職員宿舎)、2024年7月の豊橋ネクストパーク(公園PFI)、2024年11[61]月の福岡千早フォレスト(公有地活用)と、2023年から2024年にかけても地方PFI・公有地活用案件への参入が続き、官民連携領域がスターツの成長事業の一角となった。

  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [59]2023年2月 スターツ環境不動産開発ファンドを設立
    • [60]2023年11月 西蒲田PPPプロジェクト(東京科学大学西蒲田職員宿舎)
    • [61]2024年7月 豊橋ネクストパーク(公園PFI)/2024年11月 福岡千早フォレスト(公有地活用)
  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [53]2016年2月 スターツ福祉貢献インフラファンド投資事業有限責任組合を設立
    • [54]2016年3月 安城民間収益サービス株式会社(愛知県安城市)
    • [55]2016〜2017年の2年間で5件のPFI/PPP案件に連続参入
    • [56]2018年1月 両国福祉貢献プロジェクト・株式会社フィルライフを設立
    • [57]2018年5月 千鳥福祉貢献プロジェクト(大田区)を設立
    • [58]2019年2月 弘前PFI運営管理会社とスターツニューコースト(NEW COAST SHIN-URAYASU運営)を設立
    • [59]2023年2月 スターツ環境不動産開発ファンドを設立
    • [60]2023年11月 西蒲田PPPプロジェクト(東京科学大学西蒲田職員宿舎)
    • [61]2024年7月 豊橋ネクストパーク(公園PFI)/2024年11月 福岡千早フォレスト(公有地活用)

村石豊隆社長への承継 ── 創業55年で売上2,330億円

2018年10月、スターツはカンボジア・プノンペンで「ホテル エミオン プノンペン」の運営を開始した[62]。スターツグループ初の海外自社施工・運営によるホテルで、2016年12月のフィリピンPEZA工業団地内[63]「スターツレンタルファクトリー」(自社企画・賃貸・管理のレンタル工場)と並ぶ、海外で建設から運営までを内製で抱える事業モデルの実例である。1987年のハワイ・台北を起点としたアジア展開は、2018年に至り東南アジア10カ国超の拠点網と、自社建設・運営のホテル・レンタル工場を持つ体制に拡張された。海外事業は日本企業向け仲介から始まり、現地での建設・運営事業まで広がった。

  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [62]2018年10月 カンボジア・プノンペンで「ホテル エミオン プノンペン」運営開始(海外初の自社施工・運営ホテル)
    • [63]2016年12月 フィリピンPEZA工業団地内で「スターツレンタルファクトリー」運用開始

2022年4月、東京証券取引所の市場再編[64]に伴いスターツコーポレーションはプライム市場へ移行した。同年4月にはスターツ九州・東海・東北・関西・北海道へ地域子会社の商号を統一し、地域分社制とブランド統一を両立する組織再編も実施した。同月には長崎の賃貸仲介・売買仲介・不動産管理を手がける株式会社よしひろ企画を取得し(2024年4月にスターツ長崎へ商号変更)、[65]九州地盤を強化した。FY21の連結売上高は1,966億円、営業利益242億円、当期純利益168億円で、コロナ禍下でも基幹事業の安定収益と地方M&Aの両輪で業績を伸ばした。

  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [64]2022年4月 東京証券取引所プライム市場へ移行
    • [65]2022年4月 株式会社よしひろ企画を取得(2024年4月にスターツ長崎へ商号変更)

2024年7月、創業者の村石久二氏の長男である村石豊隆氏が代表取締役社長に就任した[66]磯﨑一雄氏は2024年7月から代表取締役副会長へ移り[67]、村石久二氏は取締役会長に退いた。創業以来初の創業家二代目への承継で、創業者・現任社長・前任社長の3代が並列する体制となった。FY24の連結売上高は2,330億円、営業利益326億円、経常利益334億円、当期純利益243億円を計上し、2025年3月にはピタットハウスがスターツグループ店113店舗・ネットワーク店518店舗の計約630店舗規模に到達した[68]。グループ会社は2024年9月時点で92社、連結従業員[69]は4,683名(FY24末)で、決算説明会で示された「総合生活生活文化企業を目標とする」(第53期事業報告書)グループ体制が、創業55年を経て不動産・建設・管理・金融・福祉・海外を抱える事業集合体として形になった。

  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【役員の状況】
    • [66]2024年7月 村石豊隆氏が代表取締役社長に就任(創業者村石久二氏の長男)
    • [67]磯﨑一雄氏は2024年7月から代表取締役副会長へ、村石久二氏は取締役会長に退いた
  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [68]2025年3月 ピタットハウスがグループ店113店舗・ネットワーク店518店舗の計約630店舗規模に到達
  • スターツコーポレーション 第53期事業報告書
    • [69]グループ会社は2024年9月時点で92社、連結従業員は4,683名(FY24末)
  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [62]2018年10月 カンボジア・プノンペンで「ホテル エミオン プノンペン」運営開始(海外初の自社施工・運営ホテル)
    • [63]2016年12月 フィリピンPEZA工業団地内で「スターツレンタルファクトリー」運用開始
    • [64]2022年4月 東京証券取引所プライム市場へ移行
    • [65]2022年4月 株式会社よしひろ企画を取得(2024年4月にスターツ長崎へ商号変更)
    • [68]2025年3月 ピタットハウスがグループ店113店舗・ネットワーク店518店舗の計約630店舗規模に到達
  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【役員の状況】
    • [66]2024年7月 村石豊隆氏が代表取締役社長に就任(創業者村石久二氏の長男)
    • [67]磯﨑一雄氏は2024年7月から代表取締役副会長へ、村石久二氏は取締役会長に退いた
  • スターツコーポレーション 第53期事業報告書
    • [69]グループ会社は2024年9月時点で92社、連結従業員は4,683名(FY24末)

スターツコーポレーションの沿革1972〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
千曲不動産を設立
オイルショックでの土地在庫ゼロ化と、地価が下がりきるまでの建売停止値下がりのさなかに回すか、止めて待つか——創業4年目の建売業者が選んだ在庫の落とし方 詳細を読む★★★
千曲建設を設立★★
飲食業としてセブンを設立
行徳店を開設
千曲管理サービスを設立
ハワイ州ホノルルにStarts International Inc.を設立
千曲不動産からスターツへの商号変更と、千曲建設等の吸収合併創業者の郷里の名を外し、四つに分かれた法人を1社へ——「街の不動産屋」が中堅企業の看板を選ぶまで 詳細を読む★★★
日本証券業協会の店頭売買銘柄として登録
ウッディホームを設立
スターツ商事を設立
スターツ総合研究所を設立
時間貸し駐車場「ナビパーク」事業開始
法人向け社宅管理代行事業に参入
スターツ証券を設立★★
スターツ出版が日本証券業協会に株式を店頭登録
主要都市での分社化を開始
ジャスダック証券取引所に上場
大槻三雄会社分割による持株会社への移行と、建設・仲介・分譲・法人の事業別分社1社に束ねた事業を18年ぶりに分けるとき、本体に何を残すか 詳細を読む★★★
大槻三雄ブリッジポイント・ジャパン等を取得し総合ビル管理事業に参入★★
河野一孝サンパウロにStarts Brasil Real Estate Ltd.を設立
河野一孝スターツ少額短期準備を設立
磯﨑一雄スターツ福祉貢献インフラファンド投資事業有限責任組合を設立
磯﨑一雄フィリピンPEZA工業団地内で「スターツレンタルファクトリー」運用開始
磯﨑一雄「ホテル エミオン プノンペン」を運営開始
磯﨑一雄東京証券取引所プライム市場に移行・よしひろ企画を取得
磯﨑一雄スターツ環境不動産開発ファンド投資事業有限責任組合を設立
村石豊隆スターツ環境開発を設立
村石豊隆ピタットハウスがスターツグループ店113店舗・ネットワーク店518店舗に
出典・参考
  • 『汗生 汗とともに生きる』(村石久二・久田和子著、スターツ出版、1994年刊)
  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【役員の状況】
  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
  • 『証券アナリストジャーナル』1989年9月号(日本証券アナリスト協会)
  • スターツコーポレーション 決算説明会(2011年3月期)
  • スターツコーポレーション 決算短信
  • スターツコーポレーション 決算短信(2019年3月期)
  • スターツコーポレーション 第53期事業報告書

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