1978年〜 群馬の石材店から中古住宅再生モデル確立まで
カチタスの業績推移:連結
- 1978年 やすらぎを設立
- 1988年 宅地建物取引業の免許を取得し不動産売買・代理業を開始
- 1989年 建築部・不動産部を開設し戸建住宅販売業を開始
- 1990年 賃貸部を開設し不動産賃貸業を開始
- 1998年 改正民事執行法を機に競売物件の中古住宅再生事業を立ち上げ 石材業から数えて三度目の本業をどこに置くか——群馬・桐生で選んだ競売という仕入先
- 1999年 高崎支店を開設
- 2003年 プロパティーを設立
創業から20年で本業を3度入れ替えた経緯
1978年9月、創業者の須田忠雄氏は群馬県桐生市で資本金1,000万円の株式会社[1]やすらぎを設立した。当初の事業目的は石材業で、墓石・建材の販売[2]を主としていた。創業者の須田忠雄氏は1946年2月生まれの桐生市出身で[3]、地元産業を地盤とする地域密着型の事業として石材業を選択した経緯がある。1988年12月、宅地建物取引業の免許を取得し、不動産売買・代理業を開始[4]した。翌1989年1月には建築部・不動産部を開設して戸建住宅の販売業に進出し、1990年2月には賃貸部を開設して賃貸業も加えた[5]。創業から12年で石材業からは事実上撤退し、地方の不動産業者として再起動する経緯となった。
- カチタス 有価証券報告書(当時社名:やすらぎ)【沿革】
- [1]1978年9月 須田忠雄が群馬県桐生市で資本金1,000万円・石材業を目的に株式会社やすらぎを設立
- [2]当初の事業目的は石材業(墓石・建材の販売)
- [4]1988年12月 宅地建物取引業の免許取得、不動産売買・代理業を開始
- [5]1989年1月 建築部・不動産部を開設し戸建住宅販売業に進出、1990年2月 賃貸部を開設し賃貸業を開始
- 桐生活性化プロジェクト 須田忠雄プロフィール
- [3]創業者は須田忠雄。1946年2月生まれ・桐生市出身
不動産業への転換が定まる契機は、1998年の中古住宅再生事業の立ち上げである[6]。同年に施行された改正民事執行法(1996年改正・1998年施行)で不動産競売手続が短期化[7]・透明化され、個人投資家以外も競売市場に参入しやすくなった。やすらぎは制度変更を受け、不動産競売物件を落札してリフォーム後に販売する事業形態を確立した。営業店舗を桐生市に開設し、地方圏の戸建中古住宅を低コストで取得して再生販売[8]するモデルが起点となった。後年カチタスを業界1位に押し上げる中核ビジネスは、創業から20年後の桐生で形になった。
- カチタス 有価証券報告書(当時社名:やすらぎ)【沿革】
- [6]1998年 中古住宅再生事業を立ち上げ・確立。不動産競売物件を落札しリフォーム後に販売する事業形態
- [7]改正民事執行法(1996年改正・1998年施行)に伴う不動産競売手続の短期化・透明化が契機
- [8]営業店舗を群馬県桐生市に開設し、地方圏の戸建中古住宅を低コスト取得して再生販売するモデルが起点
中古住宅再生事業の立ち上げから5年後の2003年、事務処理能力の拡充のため群馬県みどり市笠懸町にマネジメントセンターを開設し[9]、同年10月には子会社・株式会社プロパティーを設立した[10]。2004年2月、株式会社名古屋証券取引所セントレックス市場に上場し[11]、公開市場での資金調達と人材採用の足場を確保した。2004年8月にはYUTORI債権回収、9[12]月にはバリュー・ローンを相次いで設立し、債権回収・住宅ローン融資を含む金融サービス周辺領域へも事業を広げた。中核の中古住宅再生から派生事業へ手を広げる多角化の局面に入った。
- カチタス 有価証券報告書(当時社名:やすらぎ)【沿革】
- [9]2003年 群馬県みどり市笠懸町にマネジメントセンターを開設
- [10]2003年10月 子会社・株式会社プロパティーを設立
- [11]2004年2月 名古屋証券取引所セントレックス市場に上場
- [12]2004年8月 YUTORI債権回収、2004年9月 バリュー・ローンを設立
- カチタス 有価証券報告書(当時社名:やすらぎ)【沿革】
- [1]1978年9月 須田忠雄が群馬県桐生市で資本金1,000万円・石材業を目的に株式会社やすらぎを設立
- [2]当初の事業目的は石材業(墓石・建材の販売)
- [4]1988年12月 宅地建物取引業の免許取得、不動産売買・代理業を開始
- [5]1989年1月 建築部・不動産部を開設し戸建住宅販売業に進出、1990年2月 賃貸部を開設し賃貸業を開始
- [6]1998年 中古住宅再生事業を立ち上げ・確立。不動産競売物件を落札しリフォーム後に販売する事業形態
- [7]改正民事執行法(1996年改正・1998年施行)に伴う不動産競売手続の短期化・透明化が契機
- [8]営業店舗を群馬県桐生市に開設し、地方圏の戸建中古住宅を低コスト取得して再生販売するモデルが起点
- [9]2003年 群馬県みどり市笠懸町にマネジメントセンターを開設
- [10]2003年10月 子会社・株式会社プロパティーを設立
- [11]2004年2月 名古屋証券取引所セントレックス市場に上場
- [12]2004年8月 YUTORI債権回収、2004年9月 バリュー・ローンを設立
- 桐生活性化プロジェクト 須田忠雄プロフィール
- [3]創業者は須田忠雄。1946年2月生まれ・桐生市出身
売上660億円から274億円への半減 ── 多角化と景気循環の代償
2004年のセントレックス上場後、やすらぎの連結売上高はFY05(2006年1月期)に663億円、FY06に760億円とピークを迎えた。中古住宅再生に加え、子会社プロパティーが担う収益物件(テナントビル・マンション等)の販売事業が前年比7.9倍に伸び[13]、本格稼働期へ移行したことが寄与した。しかしFY07(2008年1月期)には売上537億円・純損失16.4億円へ転落した。サブプライムショックを契機とする不動産市況の急冷で、収益物件販売事業の収益が前年比で消滅したためである。多角化で広げた事業領域が景気循環の影響を直接受ける構造が露わになった。
- カチタス 有価証券報告書(当時社名:やすらぎ) 第N期(2007年1月期)
- [13]収益物件販売事業が前年比7.9倍に伸びた
2006年に設立した株式会社バンカー[14]及びやすらぎ共済株式会社は早期に撤退となり、共済は2006年11月、バンカーは2008年8月にそれぞれ解散[15]した。2008年3月にはYUTORI債権回収を売却し、2012年10[16]月にはバリュー・ローンも売却した。2004年前後に立ち上げた金融周辺事業は5〜8年でほぼ全てが整理対象となり、中古住宅再生のみが残る事業構成へ収斂した。FY11(2012年1月期)の連結売上高は274億円で、FY06の760億円から3分の1強の水準まで縮小していた。多角化で築いた売上規模は、コア事業の取捨選択を進める過程で486億円分が消失した。
- カチタス 有価証券報告書(当時社名:やすらぎ)【沿革】
- [14]2006年(2月)に株式会社バンカー及びやすらぎ共済株式会社を設立
- [15]やすらぎ共済株式会社を2006年11月、株式会社バンカーを2008年8月に解散
- [16]2008年3月 YUTORI債権回収を売却、2012年10月 バリュー・ローンを売却
業績悪化が続くなか、2008年4月に創業者の須田忠雄氏は代表取締役社長を退任[17]し、取締役会長に移った。2代目社長には2005年入社で取締役管理本部長を務めていた根岸宏之氏(当時42歳・山一証券出身)が昇格したが[18]、その後は須田力氏(FY08〜FY10)、杦山幸功氏(FY11、代表取締役会長兼社長)と経営トップが短期間で交代した。[19]創業から30年で経営トップが交代したが、収益物件販売の不振と派生事業の整理が並行して進む過渡期となり、歴代社長は本業の収益基盤を再構築するための判断を迫られ続けた。後年のTOBによる非公開化と新井健資氏体制への移行は、この時期の事業整理と経営課題の延長線上に位置する。
- カチタス 有価証券報告書(当時社名:やすらぎ)【沿革】
- [17]2008年4月 須田忠雄が代表取締役社長を退任し取締役会長に移った
- [18]2代目社長に根岸宏之が昇格(当時42歳・2005年入社・取締役管理本部長)
- カチタス 有価証券報告書【沿革】
- [19]根岸宏之の後、須田力(FY08〜FY10)、杦山幸功(FY11・代表取締役会長兼社長)が短期間で社長を交代した
- カチタス 有価証券報告書(当時社名:やすらぎ) 第N期(2007年1月期)
- [13]収益物件販売事業が前年比7.9倍に伸びた
- カチタス 有価証券報告書(当時社名:やすらぎ)【沿革】
- [14]2006年(2月)に株式会社バンカー及びやすらぎ共済株式会社を設立
- [15]やすらぎ共済株式会社を2006年11月、株式会社バンカーを2008年8月に解散
- [16]2008年3月 YUTORI債権回収を売却、2012年10月 バリュー・ローンを売却
- [17]2008年4月 須田忠雄が代表取締役社長を退任し取締役会長に移った
- [18]2代目社長に根岸宏之が昇格(当時42歳・2005年入社・取締役管理本部長)
- カチタス 有価証券報告書【沿革】
- [19]根岸宏之の後、須田力(FY08〜FY10)、杦山幸功(FY11・代表取締役会長兼社長)が短期間で社長を交代した
セントレックス上場廃止 ── PEファンド傘下入りという選択
2012年3月、日本住宅再生株式会社による株式公開買付(TOB)が成立し[20]、やすらぎは同社の連結子会社となった。日本住宅再生はアドバンテッジパートナーズ系のプライベートエクイティファンドが組成した買収目的会社で、中古住宅再生事業の単独事業会社化と経営再生を狙ったMBO型の取引だった。同年7月、株式会社名古屋証券取引所セントレックス市場の上場を廃止し、2004年の上場から8[21]年で再び非公開企業へ戻った。新興市場での株価低迷と中長期の事業再構築の必要性が、非公開化を選ぶ判断につながった。
- カチタス 有価証券報告書(当時社名:やすらぎ)【沿革】
- [20]2012年3月 日本住宅再生株式会社による株式公開買付(TOB)が成立し連結子会社となった
- [21]2012年7月 名古屋証券取引所セントレックス市場の上場を廃止(2004年上場から8年)
2013年1月、日本住宅再生株式会社をやすらぎが吸収合併[22]する逆さ合併が完了した。買収主体だった親会社を被買収側の事業会社が呑み込む形で、中古住宅再生事業の単一会社体制が確立した。逆さ合併はPEファンド組成の買収目的会社を事業会社内部に解消する標準的な手法で、組織のフラット化と意思決定の単純化が同時に達成された。2013年7月には商号を株式会社カチタスへ変更[23]した。「カチ=価値」「タス=足す」の合成で、中古住宅[24]に価値を足すという事業の本質を社名そのものに置く転換となった。新井健資氏は後年「中古住宅に価値を足す、カチタスという社名の由来です」(ポーター賞 第17回受賞企業インタビュー)と述べている。
- カチタス 有価証券報告書(当時社名:やすらぎ)【沿革】
- [22]2013年1月 日本住宅再生株式会社をやすらぎが吸収合併(逆さ合併)し単一会社体制を確立
- [23]2013年7月 商号を株式会社カチタスへ変更
- [24]社名カチタスは「カチ=価値」「タス=足す」の合成で中古住宅に価値を足す意(新井健資の発言と整合)
非公開化と社名変更を経た2012〜2013年は、事業整理の総仕上げと次の成長フェーズへの助走が重なる転換点となった。2012年6月、新井健資氏(当時43歳)が代表取締役社長に就任した[25]。新井社長は東京大学法学部卒業後、三和銀行(現三菱UFJ銀行)からベイン・アンド・カンパニー、コロンビアMBA、リクルート[26]で住宅関連事業を経た経歴を持ち、外部から招聘されたプロ経営者だった。後年のインタビューで本人が振り返ったとおり、V字回復の実現は入社時点から課された明確な経営ミッションであり、再建のために選ばれた人選であった。
- カチタス 有価証券報告書【沿革】
- [25]2012年6月 新井健資(当時43歳)が代表取締役社長に就任
- [26]新井健資は東京大学法学部卒、三和銀行→ベイン・アンド・カンパニー→コロンビアMBA→リクルートを経た外部招聘のプロ経営者
- カチタス 有価証券報告書(当時社名:やすらぎ)【沿革】
- [20]2012年3月 日本住宅再生株式会社による株式公開買付(TOB)が成立し連結子会社となった
- [21]2012年7月 名古屋証券取引所セントレックス市場の上場を廃止(2004年上場から8年)
- [22]2013年1月 日本住宅再生株式会社をやすらぎが吸収合併(逆さ合併)し単一会社体制を確立
- [23]2013年7月 商号を株式会社カチタスへ変更
- [24]社名カチタスは「カチ=価値」「タス=足す」の合成で中古住宅に価値を足す意(新井健資の発言と整合)
- カチタス 有価証券報告書【沿革】
- [25]2012年6月 新井健資(当時43歳)が代表取締役社長に就任
- [26]新井健資は東京大学法学部卒、三和銀行→ベイン・アンド・カンパニー→コロンビアMBA→リクルートを経た外部招聘のプロ経営者