説明によれば、理由は土地勘の差にあった。よく知らない場所に投じれば不安が残るが、長年親しんだ虎ノ門なら収支を前もって細かく読める。地価が上がると見た根拠も東京へ人が集まり続けるという前提であり、1956年に斡旋業者へ5割増しの値を呑ませたときから、この推論の立て方は変わっていない。相場を嗅ぎ分ける業者の勘よりも、仮定を置いてその帰結を割り出す研究者の癖がこの事業を動かしていたとみられる。
この慎重さがはじめから実を結んだわけではなく、建築会社との協議では的外れな発言で笑われ、貸室の契約書さえ三菱地所や三井不動産のものを借りて間に合わせるほど、出発は素人同然だった。1964年からの不況で第10・第11ビルに入居者がつかなかった際には、青山の所有地を売却して資金を確保し、そのうえで賃料を下げて辛くも持ちこたえている。計算の習慣が効き始めるのは、こうした時期を越えてからである。