森ビル六本木ヒルズの竣工と、用地の自社取得から地権者参画・床売却への切り替え
土地を買い集めるか、地権者を巻き込むか——投資を抑えた再開発と開業翌年の事故
- 概要
- 敷地面積11万平方メートルの六本木六丁目地区で、森ビルが用地を自ら取得する方針を改め、より多くの地権者が参画する形へ切り替えた経営判断。完成後の床も自社保有ではなく投資家への売却と運営料の収受をめざし、2003年4月に六本木ヒルズが竣工して本社も同地へ移った。
- 背景
- アークヒルズでは最終的に敷地の4分の3を森ビルが取得したが、土地の含み益がピークの1兆5000億円から1000億円台まで目減りし、土地を大量に仕入れて開発する従来の手法は使えなくなっていた。
- 内容
- 六本木では保有を3分の1に抑える方針を森稔社長が示し、完成後のオフィス床も高層化して売却し事業費を賄う形をとった。機関投資家などと共同出資した会社が床を購入・賃貸し、その利益を投資家へ配当する共同投資方式も併用した。
- 含意
- 開業から1年に満たない2004年3月、森タワーの自動回転ドアで児童が死亡する事故が起き、警視庁捜査1課が森ビルと三和シヤッター工業を業務上過失致死容疑で家宅捜索した。森稔社長は「回転扉はもう使わない」と語った。
投資を抑える設計と、細部を決める経営
アークヒルズで敷地の4分の3を取得した会社が、六本木では3分の1に抑えたいと言うようになった。土地を買い集めて開発利益を独占する形から、地権者と投資家に負担を分ける形へ、事業の組み立てそのものを変えたことになる。含み益がピークの1兆5000億円から1000億円台まで落ちた会社にとって、10年単位の再開発を続ける道はこれしか残っていなかったとみることができる。買わないことを選んだ結果、森ビルの仕事は土地を持つことから街を運営することへ寄っていった。
ただし、投資を抑える設計と、細部まで自ら決める経営は同居していた。高層階の美術館や商業スペースでは、人の動きを妨げるという森稔社長の一声でエレベーターや階段が急遽撤去され、超高層マンションの外壁の色にも注文がついている。開業から1年に満たないうちに自動回転ドアで児童が死亡し、警視庁は森ビルと三和シヤッター工業を家宅捜索した。建物の細かな点まで自ら納得しなければやり直させる仕事の運びが、年間に数千万人を迎える施設の安全という要求とかみ合っていたとは言いがたい。
Yutaka Sugiura, 2026年8月
背景
土地を仕入れられなくなった会社
森ビル・グループの開発は、小さな土地をまとめて利用価値を最大限に高める手法であった。十分な収益を生む規模まで土地を集め、他の地権者と組合を設立して共同事業として進める。アークヒルズでは土地をまとめるのに16年、竣工までに計20年をかけている。この体力を裏づけていたのは土地の含みであり、地価の下落でその含みが失われれば、同じ手順は取れなくなる[1][2]。
地価の下落は土地の先行取得を割高な原材料の仕入れに変えた。森ビルが志向する大規模再開発は10年単位の事業であるため、その負担は無視できない。これまでのように土地に投資はできないと、森稔社長と森章社長はいずれも認めていた。六本木六丁目では、飲食店と住宅が密集する敷地面積11万平方メートルの一角に、地上58階建てのオフィスビルやホテル、住宅の入った複合施設を建てる計画が動いていた[3][4]。
決断
自社で買わず、床を売る
用地の確保について、森ビルは自ら取得するのを避け、より多くの地権者が参画するように方針を切り替えた。アークヒルズでは最終的に敷地の4分の3を森ビルが取得したが、六本木では現在保有している3分の1に抑えたいと森稔社長は述べている。土地を買い集めて開発利益を独占する形から、地権者を事業の内側へ入れて負担を分ける形へ、用地の集め方そのものを変えた[5]。
完成後の床の扱いも改めた。これまで森ビルが中心となって手がけた開発では、床の大半を森ビル自身が購入して賃貸してきたが、今後は高層化して床を売り、その代金で事業費を賄う方針をとる。中国で用いた共同投資方式も併せた。機関投資家などと共同出資して会社を設立し、その会社が床を購入して賃貸し、利益を投資家へ配当する。自社の投資額を最小限に抑え、運営料を取る事業へ移そうとした[6][7]。
結果
竣工と、開業翌年の事故
六本木ヒルズが竣工したのは2003年4月で、森ビルは同時に本社を六本木ヒルズ森タワーへ移した。1995年時点の目標であった2001年からは2年遅れたことになる。開業後の森タワーは観光客を集める東京の新名所となり、オフィスのように利用者が限られる施設とは客層が変わった。街区の運営そのものを収益にする構想は、この規模の集客を前提に組まれていた[8][9]。
開業から1年に満たない2004年3月、森タワーの自動回転ドアに児童が頭などを挟まれて死亡した。警視庁捜査1課は、ビルを管理する森ビルと回転ドアを製造した三和シヤッター工業に業務上過失致死容疑で家宅捜索に入っている。センサーの死角の範囲、感知してから止まるまでの時間、これまでの事故件数などで両社の見解は食い違い、安全管理をめぐる批判は日に日に強まった。森稔社長は「回転扉はもう使わない」と語り、通夜への参列を希望したが葬儀場の受付で門前払いを受けた[10][11]。
- 日経ビジネス 1995年8月7日・14日号「森ビル・グループ フロー重視を徹底」
- 日経ビジネス 2004年4月5日号「『回転扉はもう使わない』裏目に出た森ビル社長、街作りへの執念」
- 森ビル 有価証券報告書【沿革】