アークヒルズで敷地の4分の3を取得した会社が、六本木では3分の1に抑えたいと言うようになった。土地を取得して開発利益を独占する方式から、地権者と投資家に負担を分ける方式へ、事業の組み立てそのものを変えたことになる。含み益がピークの1兆5000億円から1000億円台まで減少した会社にとって、10年単位の再開発を続ける手段はこれしか残っていなかったと思われる。買わないことを選んだ結果、森ビルの仕事は土地を持つことから街を運営することへ寄った。
ただし、投資を抑える設計と、細部まで自ら決める経営は同居していた。高層階の美術館や商業スペースでは、人の動きを妨げるという森稔社長の一声でエレベーターや階段が急遽撤去され、超高層マンションの外壁の色にも注文がついている。開業から1年に満たないうちに自動回転ドアで児童が死亡し、警視庁は森ビルと三和シヤッター工業を家宅捜索した。建物の細かな点まで自ら納得しなければやり直させる仕事の運びが、年間に数千万人を迎える施設の安全という要求とかみ合っていたとは言いがたい。