和歌山で電力卸売に参入(1986年・東燃ゼネラル石油の決断)

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東燃ゼネラル石油:業績の推移
売上高(億円)経常利益率(%)
経営会議の組織風土の立て直しと、遊休地を収益源に変える新規事業の立ち上げ1986年3月に東亜燃料工業の社長へ就任した中原伸之氏が、経営会議に担当課長を呼んで議論させる方式へ意思決定の場を組み替え、あわせて規制緩和をにらんで石油以外の収益源を探した経営判断。その延長で、東燃は1995年に和歌山県有田市の遊休地へ50万キロワット級の火力発電所を建設し、関西電力へ売電する計画を明らかにした。

何をなぜ決めたか:経営会議の組織風土の立て直しと、遊休地を収益源に変える新規事業の立ち上げ

概要

1986年3月に東亜燃料工業の社長へ就任した中原伸之氏が、経営会議に担当課長を呼んで議論させる方式へ意思決定の場を組み替え、あわせて規制緩和をにらんで石油以外の収益源を探した経営判断。その延長で、東燃は1995年に和歌山県有田市の遊休地へ50万キロワット級の火力発電所を建設し、関西電力へ売電する計画を明らかにした。

背景

同社はエッソ・スタンダード・イースタンとモービル・ペトロリアムが25%ずつ株式を保有する精製専業会社で、販売を両社に委ねる代わりに、精製と財務のコストが利益をほぼ決めていた。1986年12月期の経常利益は914億円と業界で突出したが、円高とガソリンの輸入規制に支えられた面も大きかった。

内容

中原氏は経営会議に役員・部長だけでなく担当課長を同席させ、担当者から直接報告させて議論する方式に改めた。事業面では、昭和30年代後半に精製設備の増設用として買いながら30年以上使い道のなかった45万平方メートルの用地を発電所に充て、1,000億円近い投資で安定収益源を作る計画を進めた。

含意

1996年1月の改正電気事業法施行と同年4月の特石法廃止という制度の変わり目に合わせた動きであった。ガソリンの利ざやはその後2年で半減し、1998年9月中間決算で東燃は営業赤字に転落する。石油の外に収益源を求めた読み自体は、自由化後の市況が裏づけた。

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筆者考察
考察

考察:動かせる場所を選んだ改革

経営会議に担当課長を呼び、担当者に直接報告させ、傍らの若手にまで"君はどう思うんだ"と尋ねる——中原伸之社長が手を入れたのは、外資折半出資の精製専業という枠のなかで、自らの裁量が届く数少ない場所であった。原油の値決めも製品の販売も自社の手にはなく、精製と財務のコストだけが利益を左右する会社では、決定の質は議論の質にほぼ等しくなる。根回し済みの案件を承認する会議を、担当者が論じ合う会議へ変えたのは、その構造から素直に導かれた手であろう。

風土を変えたことが業績を守ったわけではない。1986年12月期の914億円という利益は円高と輸入規制に支えられており、そのことは後任の玉堀為彦氏自身が『環境に恵まれていた部分がかなりある』と認めている。特石法の廃止から2年で、東燃は営業赤字に転落した。30年以上眠っていた和歌山の45万平方メートルが利益を生むより先に、本業の利ざやは半分になった。制度が動く速さに、設備の立ち上がりが追いつかなかった。

Yutaka Sugiura, 2026年7月
参考文献

参考文献

参考

  • 日経ビジネス 1986年4月14日号
  • 日経ビジネス 1987年7月20日号
  • 日経ビジネス 1995年1月16日号
  • 日経ビジネス 1995年12月4日号
  • 証券アナリストジャーナル 1976年6月号(中原伸之・東亜燃料工業常務取締役、日本証券アナリスト協会企業分析部会1976年4月23日講演要旨)

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