経営会議に担当課長を呼び、担当者に直接報告させ、傍らの若手にまで"君はどう思うんだ"と尋ねる——中原伸之社長が手を入れたのは、外資折半出資の精製専業という枠のなかで、自らの裁量が届く数少ない場所であった。原油の値決めも製品の販売も自社の手にはなく、精製と財務のコストだけが利益を左右する会社では、決定の質は議論の質にほぼ等しくなる。根回し済みの案件を承認する会議を、担当者が論じ合う会議へ変えたのは、その構造から素直に導かれた手であろう。
風土を変えたことが業績を守ったわけではない。1986年12月期の914億円という利益は円高と輸入規制に支えられており、そのことは後任の玉堀為彦氏自身が『環境に恵まれていた部分がかなりある』と認めている。特石法の廃止から2年で、東燃は営業赤字に転落した。30年以上眠っていた和歌山の45万平方メートルが利益を生むより先に、本業の利ざやは半分になった。制度が動く速さに、設備の立ち上がりが追いつかなかった。