ジャパンエナジーの決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

銅と石油をひとつの資本で抱え、どこで割るかを決め続けてきた。1965年8月、通産省の集約化政策に沿ってアジア石油・東亜石油と共同石油を設立し、翌1966年7月に自社の石油販売部門をそこへ集約した。1985年のプラザ合意による円高で非鉄の採算が崩れると、1988年11月に米グールドを10億5,000万ドルで買収して電子材料へ移ろうとしたが、900億円の損失で決着する。1992年には7か月のうちに正反対の判断を並べ、5月に金属3部門を分離して日鉱金属を設立し、12月に共同石油を合併して精製と販売を一体にした。翌1993年12月、日鉱共石はジャパンエナジーへ商号を変更し、1929年から続いた日本鉱業の名が消えた。

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