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歴史概要 — 現在に至るあゆみ 主要な意思決定と帰結のまとめ

創業地東京都
創業年1939
上場年1949
創業者※新潟県下精油業者8社合同
現代表-
従業員数6,487

国策・官製発足連合・共同出資1939年、戦時下の石油統制のもと、新潟県下の精油業者8社が合同して大協石油が東京で設立された。国が中小業者を束ねて精製能力を確保する国策再編であり、原油を精製して石油製品を売る事業として最初から成り立っていた。地方の寄せ集めという出自ながら、主力工場を四日市に置き、1949年に元売業の登録を受けて精製から販売までを一貫して担い、戦後復興で需要が伸びる首都圏向けの供給を握った。

垂直統合大型M&A・経営統合精製から販売までの一貫体制を上流と規模で固めたのが、1967年から1986年の決断である。1967年、大協石油は丸善・日本鉱業とアブダビの利権協定を結び、国営石油会社と直接つながる自主開発の上流権益を握った。そのうえで1986年、大協・丸善・旧コスモの3社が合併してコスモ石油となり、首都圏と関西の販売網を一社に束ねた。原油から製品までを自前で回す独立系元売の収益構造はここで固まり、精製マージンと原油価格の振れがそのまま業績に出る体質も同時に決まった。

コスモエネルギーホールディングスの統合・持株会社化の系譜 戦時統合で生まれた大協石油を本流に、丸善石油・(旧)コスモ石油の3社合併(1986年)とアジア石油の吸収合併(1989年)でコスモ石油が成立。2015年に単独株式移転で純粋持株会社コスモエネルギーHDへ移行し、コスモ石油を事業会社として分社した。
1933/1939 1984 1986 1989 2015 2026 丸善石油 1933年設立 大協石油 1939年8社統合で設立 (旧)コスモ石油 1984年大協石油が全額出資で設立 コスモ石油 1986年3社合併で改称 アジア石油 1989年吸収合併 コスモエネルギーHD 2015年株式移転で発足
コスモエネルギーホールディングスの統合・持株会社化の系譜 戦時統合で生まれた大協石油を本流に、丸善石油・(旧)コスモ石油の3社合併(1986年)とアジア石油の吸収合併(1989年)でコスモ石油が成立。2015年に単独株式移転で純粋持株会社コスモエネルギーHDへ移行し、コスモ石油を事業会社として分社した。
1933/1939 1984 1986 1989 2015 2026 丸善石油 1933年設立 大協石油 1939年8社統合で設立 (旧)コスモ石油 1984年大協石油が全額出資で設立 コスモ石油 1986年3社合併で改称 アジア石油 1989年吸収合併 コスモエネルギーHD 2015年株式移転で発足
コスモエネルギーホールディングス:売上高の内訳と営業利益率(PL 分解 × 営業利益率)
営業利益(億円)販管費(億円)売上原価(億円)営業利益率(%)
歴代社長
FY01
FY03
FY05
FY07
FY09
FY11
FY13
FY15
FY17
FY19
FY21
FY23
FY25
FY27
FY29
コスモエネルギーホールディングス:投資CF(M&A・設備投資ほか/事業施策と紐付き)
投資CF(億円)
岩谷産業と資本業務提携契約を締結2024
コスモエネルギー開発の全額出資によりCosmo E&P Albahriya Limitedを設立2021
コスモ石油が単独株式移転によりコスモエネルギーホールディングスを設立し東証一部に上場2015

決断の理由 — クリティカルな歴史の転換点を読み解く

Q なぜ1939年に新潟8社が合同して大協石油を設立したのか
A 1939年に大協石油が生まれたのは、戦時下の石油統制で国が新潟県下の中小精油業者8社を束ね、精製能力を確保しようとしたからである。本社を東京、主力工場を1943年完成の四日市製油所に置き、1949年8月に一般石油製品元売業の登録を受けて、原油の精製から製品の販売までを一貫して担う元売資格を得た。地方の寄せ集めという出自ながら、戦後復興で需要が伸びる首都圏向け供給を握る独立系元売として再出発した。
Q なぜ1967年のアブダビ権益と1986年の3社合併でコスモ石油の形を固めたのか
A コスモ石油の収益構造を決めたのは、二度の石油ショックを経た合従連衡のなかで、上流権益と国内販売網を一社に束ねた選択である。1967年12月、大協石油は丸善石油・日本鉱業とアブダビ首長国政府との利権協定を結び、国営石油会社と直接つながる自主開発の上流権益を確保した。そのうえで1986年4月、大協・丸善・旧コスモの3社が合併してコスモ石油となり、首都圏と関西の販売網を一社に集めた。原油から製品までを自前で回す独立系元売の体質がここで固まった。
Q なぜ2024年に岩谷産業と資本業務提携を結んだのか
A 2024年4月、コスモが岩谷産業との資本業務提携を選んだのは、脱炭素の協業相手と安定株主を同時に確保するためである。2022年以降、旧村上ファンド系のシティインデックスイレブンス等が株式を取得し、最大で約20%を保有して買い増しを進めたが、2023年12月に売却して撤退した。コスモは水素で国内最大手の岩谷を相手に選び、岩谷の議決権保有を約20%まで高めた。LP・石油から水素・再エネへの移行で経営資源を持ち寄る協業と、安定株主の確保を一手で果たした提携である

歴史詳細 - 3つの時代区分で読み解く

1939年〜1986年 戦時統合の大協石油から3社合併によるコスモ石油誕生まで

売上高と利益率の推移
売上高(億円

新潟8社合同による大協石油の発足と戦後再建

1939年9月、新潟県下の精油業者8社が合同して大協石油株式会社が設立された。本社を東京に置き[1]、資本金は125万円[2]。戦時下の石油統制のもと、業者を集約して精製能力を確保する国策的な再編の一環であり、コスモエネルギーHDの最も古い源流に位置する。設立翌年代には四日市製油所の建設に着手し、1943年7月に完成させて中核拠点とした[3]。本社を東京、主力工場を四日市に置く体制は、戦後復興期から高度成長期にかけて、首都圏向け石油製品の供給拠点としての地位を後押しした。新潟8社合同という地方発の出自にもかかわらず、首都圏元売の有力プレイヤーとして再出発する基盤が整っていた。

戦後の混乱期を経て、1949年5月には大協石油株式会社として東京・大阪の各証券取引所に株式を上場した[4]。終戦から4年、産業復興と資本市場再建が進む節目の年に上場を果たし、同年8月には一般石油製品元売業の登録・認可を受けて[5]、精製から元売までの垂直統合を制度的に承認された。元売資格の取得は、原油の精製・製品の販売を一貫して担う事業者として、戦前から続く統制経済の枠組みを脱して市場経済下の事業基盤を確立する手続きでもあった。新潟8社合同という地方発の出自を持ちながら、首都圏元売の中核として再出発する形が整った。

1950年代から1960年代にかけて、大協石油は四日市製油所の拡張と関連事業の整備を並行で実行した。1958年11月には丸善石油の全額出資により丸善ガス開発(現コスモエンジニアリング)が設立され[6]、LPG事業とエンジニアリング機能の起点が築かれた。直接の系列ではないが、後の3社合併で同じグループに加わる事業会社が、1950年代後半に種を播いていた構図である。戦後の石油需要拡大局面で、精製・販売・エンジニアリングを別個に積み上げる動きが業界全体で広がり、大協石油もその一翼を担う独立企業として規模を拡張した。

アブダビ権益と業界再編の地ならし

1967年12月、大協石油・丸善石油・日本鉱業の3社が現アブダビ首長国政府との間で利権協定を締結した[7]。日本独自の石油上流権益を中東で確保する歴史的契約であり、翌1968年1月に3社の共同出資でアブダビ石油株式会社を設立[8]、2月には同社が利権協定と事業協定を譲り受けて事業主体となった[9]。アラビアン石油や帝国石油と並ぶ「自主開発油田」の代表的存在として、コスモグループの上流事業の中核となる権益が1967〜68年に獲得された。後にコスモ石油の海外開発事業として承継され、現在のヘイル油田を含むアブダビ陸上権益まで連なる長い系譜の起点である。

1973年と1979年の二度の石油ショックは、日本の石油業界に深刻な影響を与えた。原油価格高騰と需要急減、そして1985年12月のプラザ合意以降の円高・原油安への揺り戻しを経て、業界には合従連衡の機運が高まった。大協石油も例外ではなく、1980年7月にアジア石油との資本提携により同社株式48.7%を取得し[10]、業界再編の地ならしに着手した。1980年代前半には、丸善石油の全額出資で1982年2月に丸善松山石油(現コスモ松山石油)を設立[11]、1984年2月には大協石油の全額出資により旧コスモ石油を設立して四日市製油所を譲渡する[12]など、3社統合に向けた事業体制の再編が連続して動いた。

1984年4月、丸善石油との業務提携により同社の精製子会社と旧コスモ石油が合併[13]、精製機能の一体運営が始まった。これは1986年の本格統合の前段であり、3社を1社に束ねるための精製会社の中間統合プロセスといえる。1986年2月には丸善石油の全額出資でコスモ石油潤滑油製造(現コスモ石油ルブリカンツ)が設立され[14]、潤滑油事業の体制も整備された。3社の経営統合は、製油所・販売網・潤滑油・LPGを順次統合していく形で、数年がかりの段階的プロセスとして進行した。後発の業界再編(1999年の日石三菱、2010年のJX、2017年のJXTGなどに先立つ)の先駆的事例である。

3社合併によるコスモ石油の誕生と垂直統合の完成

1986年4月、大協石油・丸善石油・旧コスモ石油の3社が合併し、商号をコスモ石油株式会社に変更した[15]。同時に丸善松山石油の商号もコスモ松山石油に変更された[16]。戦後石油業界における最大級の再編で、首都圏の大協、関西の丸善、そして中間統合で生まれた旧コスモが一つの企業として再編された。新生コスモ石油は精製能力・販売網・関連事業すべての規模で業界中堅から大手への階段を一段上った。コスモエネルギーHDの直接的母体がここで誕生し、後の純粋持株会社化(2015年10月)までの29年間の事業基盤となる[17]

合併直後、1986年6月にはコスモ石油の全額出資でコスモ石油ガスが設立されてLPG事業が独立運営化[18]、1987年4月にはコスモ石油潤滑油製造が旧コスモペトロテック・コスモ石油加工と合併して㈱コスモペトロテックに改称[19]、1988年10月には丸善エンジニアリングが㈱アデックと合併してコスモエンジニアリングに改称[20]と、関連事業の統合と改称が連続して動いた。3社の事業を一旦すべて子会社化したうえで機能別に再編し、コスモというブランドのもとに統一する作業が、1986〜1990年の数年がかりで完了した。

1989年10月にはコスモ石油とアジア石油が合併し、1980年からの資本提携を最終的に完結させた[21]。これによりコスモ石油は国内シェアを更に拡大し、業界中位の地位を固めた。1989年といえばバブル経済の到達点であり、原油価格は1986年の暴落後の低位安定期に入っていた。新生コスモ石油は、原油安と内需拡大の追い風を受けながら、3社統合のシナジーを引き出すフェーズに入った。垂直統合の輪郭がほぼ完成し、コスモブランドの全国展開とアブダビ権益という上流資産を併せ持つ独立系石油元売としての立ち位置が確立されたのが、1986〜1989年の数年間である。

コスモエネルギーホールディングスの統合・持株会社化の系譜 戦時統合で生まれた大協石油を本流に、丸善石油・(旧)コスモ石油の3社合併(1986年)とアジア石油の吸収合併(1989年)でコスモ石油が成立。2015年に単独株式移転で純粋持株会社コスモエネルギーHDへ移行し、コスモ石油を事業会社として分社した。
1933/1939 1984 1986 1989 2015 2026 丸善石油 1933年設立 大協石油 1939年8社統合で設立 (旧)コスモ石油 1984年大協石油が全額出資で設立 コスモ石油 1986年3社合併で改称 アジア石油 1989年吸収合併 コスモエネルギーHD 2015年株式移転で発足
コスモエネルギーホールディングスの統合・持株会社化の系譜 戦時統合で生まれた大協石油を本流に、丸善石油・(旧)コスモ石油の3社合併(1986年)とアジア石油の吸収合併(1989年)でコスモ石油が成立。2015年に単独株式移転で純粋持株会社コスモエネルギーHDへ移行し、コスモ石油を事業会社として分社した。
1933/1939 1984 1986 1989 2015 2026 丸善石油 1933年設立 大協石油 1939年8社統合で設立 (旧)コスモ石油 1984年大協石油が全額出資で設立 コスモ石油 1986年3社合併で改称 アジア石油 1989年吸収合併 コスモエネルギーHD 2015年株式移転で発足

1987年〜2014年 コスモ石油時代の事業多角化から純粋持株会社化までの28年

売上高と利益率の推移
売上高(億円

販売子会社統合と国内マージン悪化への対応

1990年代から2000年代にかけて、コスモ石油は販売子会社の地域統合と関連事業の整理に動いた。1998年7月にはコスモ石油の潤滑油事業を㈱コスモペトロテックへ営業譲渡し、同社をコスモ石油ルブリカンツに改称することで[22]潤滑油事業を専業化した。2000年7月には東京コスモ石油サービスが北関東石油・㈱エクサス・興亜商事・大阪コスモ石販・広島石油・㈱コスモネオコーポレーション・四国コスモ石販・九州コスモ石油販売・㈱名古屋シー・エス・エヌ・㈱浜松コスモ・北九州コスモ石油サービスの計11社と合併し、コスモ石油サービスへ改称した[23]。地域販社11社の一括統合は、SS(サービスステーション)網の効率運営と販売子会社の体制簡素化を狙った再編である。

2003年7月にはコスモ石油サービスがコスモアスファルト・㈱八百善商店と合併してコスモ石油販売に改称[24]、2004年7月には同社が東洋国際石油・㈱東海コスモコーポレーションと合併[25]、2007年6月には会社分割でコスモプロパティサービス(現コスモ石油プロパティサービス)に資産・負債を譲渡してSS用地・不動産機能を分社化する[26]、と販社の再編が連続して動いた。SS網のチャネル合理化と、不動産機能の分離による財務スリム化を並行で実行した格好である。1990年代後半から2000年代の国内ガソリン需要は乗用車保有台数の伸び鈍化と燃費改善で頭打ちとなり、SS店舗の収益性も悪化した。販売子会社統合は、規模を維持しながら固定費を圧縮する経営課題への現実的な解だった。

2005年4月にはコスモ石油と丸善石油化学の共同出資により合弁会社CMアロマが設立され[27]、芳香族化合物事業の合弁運営が始まった。丸善石油化学はコスモ石油の親会社時代の関連会社であり、合併後も石油化学分野で資本関係を維持する関係性の中で生まれた合弁である。2010年3月にはエコ・パワー(現コスモエコパワー)の株式を取得し、風力発電事業へ参入した[28]。再生可能エネルギー事業の起点であり、後の脱炭素戦略「Oil & New」の最初の布石となる買収であった。石油事業の構造的縮小局面で、新領域への種まきを早い時期から始めていたことは、後の戦略展開を支える基盤になっている。

アブダビ権益の更新と総合エネルギー事業への拡張

2011年2月、アブダビ石油が1967年12月に締結した利権について更新および新鉱区追加取得の利権協定を締結した[29]。1968年から43年にわたって続いたアブダビ権益が、更新によって継続確保された。アブダビ国営石油会社(IPIC、現ADNOC)との関係は、コスモ石油にとって上流自主開発の中核であり、後の2014年の資本提携(IPICがコスモ石油の筆頭株主に)まで深化していく素地となった[30]。日本の石油業界において、これほど長く、かつ国営石油会社と直接の資本関係を持つ独立系元売は他に少なく、コスモの独自性の最も顕著な部分である。

2013年1月、双日エネルギーの株式を取得し、2月に商号を総合エネルギー(現コスモエネルギーソリューションズ)に変更した[31]。電力小売自由化を視野に入れた事業多角化の一手であり、LPG・電力・ガスを含む「総合エネルギー事業者」への変身を目指す象徴的な買収である。風力発電(コスモエコパワー)、SAF、洋上風力など、後の「Oil & New」戦略の構成要素が、2010年代前半に順次積み上げられていく構造である。石油精製・販売の構造的縮小に備えて、新領域への布石を打つ動きが、第6次中計(2018年〜)の前段で既に始まっていた。

2014年は世界の石油業界にとって転換点となった。原油価格が同年6月の115ドル/バレル前後から、12月には50ドル台へ半減し、在庫評価損が業界全体を直撃した。コスモ石油も2014年度に営業赤字に転落、業界再編・財務基盤強化の必要性が一段と高まった。2013〜2014年にはENEOSの源流であるJXホールディングスと東燃ゼネラル石油の経営統合検討が動き、出光興産と昭和シェル石油の統合協議も水面下で動いていた。業界4社体制を維持していた当時、コスモ石油は単独で生き残る道として、純粋持株会社化とアブダビとの資本関係深化を選択した。

純粋持株会社化の準備と上場体制の再構築

2014年から2015年にかけて、コスモ石油は純粋持株会社制への移行準備に着手した。事業会社(精製・販売・石化・電力・上流)を持株会社の傘下に並列に配置し、グループ全体の資源配分を機動的に行う体制を目指す改革である。背景には、石油事業の収益悪化と、新領域(風力・電力・上流)の事業特性の違いを反映した運営最適化のニーズがあった。並行で、アブダビ国営石油会社系のIPIC(International Petroleum Investment Company)が新会社の20%超を保有する筆頭株主となる資本関係の整理も組まれた[32]

純粋持株会社化は、コスモ石油という1社の中に異なる事業特性を持つ部門を抱える運営から、事業ごとに独立した子会社を持株会社が束ねる運営への移行である。事業会社単位での損益管理、人材配置、投資判断を明確化することで、石油精製の構造改善と新領域の成長投資を並行で動かす経営の自由度を高める設計である。2014〜2015年に業界各社が同様の持株会社制への移行を検討する中で、コスモはその移行を早期に決断した格好となった。後の2017年4月のJXTGホールディングス発足、2019年4月の出光興産による昭和シェル完全子会社化に先行する位置づけとなる。

2015年9月、コスモ石油株式が東京証券取引所一部を上場廃止となった[33]。これは持株会社移行に伴う上場手続きの一環であり、翌10月にコスモエネルギーホールディングスが新規上場することによって、グループの上場主体が事業会社から持株会社へ移管された[34]。1949年5月の大協石油時代の上場以来、66年間続いた上場銘柄としてのコスモ石油(旧大協石油)[35]は、純粋持株会社制への移行で形式上は一旦上場廃止となり、新たな上場主体としてコスモエネルギーHDが市場に登場する形で連続性が保たれた。一連の手続きの完了で、76年に及ぶ大協・コスモ系の歴史は新しい上場体制の下で再スタートを切る[36]

2015年〜2024年 純粋持株会社化以降のOil & New戦略とアクティビスト圧力

売上高と利益率の推移
売上高(億円

持株会社発足と森川桂造体制から桐山浩体制への承継

2015年10月、コスモ石油は単独株式移転によりコスモエネルギーホールディングスを設立し、東京証券取引所一部に新規上場した[37]。初代社長には大協石油入社の生え抜きで、コスモ石油時代からトップを務めていた森川桂造が就任した[38]。森川体制は持株会社移行の旗振り役として約8カ月の短期政権となり、2016年6月には桐山浩が新社長として就任した[39]。桐山も大協石油入社で、コスモ石油時代から経営陣の一員として戦略策定に関与した人物である。HD発足直後の経営承継は、源流の大協石油生え抜きから次代の生え抜きへというスタイルで実行された。

桐山体制は約6年の長期政権となり[40]、コスモエネルギーHDの戦略軸を「Oil & New」へ転換した中興期の経営者である。2016年2月にはコスモエネルギーHDと日本政策投資銀行の共同出資により四日市霞パワー(現連結子会社)が設立された[41]。自家発電・電力事業の体制整備であり、電力小売自由化(2016年4月)を見据えた新領域の具体化である。同年3月には丸善石油化学の株式を追加取得して連結子会社化し[42]、石化セグメントを強化した。1986年の3社合併時から続く丸善石油化学との資本関係を、合弁から連結子会社へ格上げする形で、石化事業をグループに取り込んだ。

2019年4月にはエコ・パワー(現コスモエコパワー)の株式を追加取得し完全子会社化[43]、風力発電事業の自前運営化を決めた。2010年3月の株式取得から9年[44]、過半数持分から完全所有への移行で、再生可能エネルギー事業をグループの内製事業に組み入れた格好である。2021年1月にはコスモエネルギー開発の全額出資によりCosmo E&P Albahriya Limited(現連結子会社)を設立し[45]、アブダビ周辺の上流事業の追加体制を整えた。1968年のアブダビ石油設立から半世紀以上にわたるアブダビ権益が、新たな子会社設立で更新・拡張される形で継続している。

第6次中計・第7次中計とSAF・洋上風力の具体化

桐山在任中に第5次中計(2018〜2022)・第6次中計が策定された。「Oil & New」を旗印に、石油精製・販売の構造改善(製油所稼働率向上・コスト削減)と、風力発電・SAF・洋上風力・水素など新領域への投資を並行で動かす二軸戦略である。2022年4月、東京証券取引所の市場区分見直しによりコスモエネルギーHDはプライム市場へ移行した[46]。新市場区分でのプライム選択は、ガバナンス基準の継続適合と資本効率改善のコミットメントを意味し、政策保有株式縮減や独立社外取締役比率の引上げが順次実行された。

2022年11月、コスモ石油・日揮ホールディングス・レボインターナショナルの共同出資により合同会社SAFFAIRE SKY ENERGYが設立された[47]。国産SAF(持続可能な航空燃料)の量産化を目指す合弁会社であり、廃食用油を原料とした年産約3万KLのSAF製造装置を堺製油所に建設するプロジェクトの事業主体である。2023年5月の起工式、2024年度内の完工・運転開始というロードマップで進行し、日本の脱炭素事業の中でも最先端のプロジェクトの一つとなった。航空業界の脱炭素需要(IATAの2050年CN目標)に応える形で、コスモが石油精製の周辺領域からSAFという成長市場に踏み込む象徴的な投資である。

桐山体制末期の2022年6月には、社長を山田茂に承継した。桐山は代表取締役会長として山田体制を後見する役割に移行し[48]、戦略の連続性を保つ体制が組まれた。山田は1965年生まれ、コスモ石油入社の生え抜きで、精製・販売・経営企画を経て社長就任[49]。第7次連結中期経営計画(2023〜2025年度)を新たに策定し、HRX(人的資本変革)・DX(デジタル変革)・GX(グリーン変革)の3基盤テーマを掲げて[50]経営基盤の変革を加速させた。第6次までの中計が事業ポートフォリオの設計に重きを置いたのに対し、第7次は組織能力・デジタル・脱炭素の3軸で実行力を高める内容に組み替えられた。

旧村上系アクティビスト対応と岩谷産業との資本業務提携

山田体制発足前後から、コスモエネルギーHDは旧村上ファンド系アクティビスト(シティインデックスイレブンス等、村上世彰氏関連)からの株式保有圧力に直面した。村上系ファンドは2022年から数次にわたり株式を取得し、最大時には20%近い保有比率に達した[51]。経営陣は資本効率の向上、自己株式取得、増配、政策保有株式縮減などの株主還元・ガバナンス改革で対応する一方、買収防衛策の発動や安定株主の確保といった対抗策も並行で検討した。日本の上場企業におけるアクティビスト対応の代表的事例の一つとして、市場の注目を集めた。

2024年4月、コスモエネルギーHDは岩谷産業株式会社との資本業務提携契約を締結した[52]。LPG・石油製品取引で既存の関係があった両社が、水素分野でのノウハウ取り込みを含むエネルギー新領域での協業を強化する内容である。岩谷産業は国内最大の水素サプライヤーとして知られ、コスモにとっては脱炭素戦略の補完パートナーとしての価値が大きい。同時に、岩谷産業がコスモエネルギーHD株式の約20%を保有する形となり[53]、旧村上系アクティビストへの対抗策(安定株主の確保)としての側面も併せ持つ、両義的な意味を持つ提携であった。

第7次中計の具体的成果は、2024年度の業績と各施策の進捗に現れた。製油所稼働最大化として堺製油所でA認定(高度な自主保安体制)を取得、ヘイル油田(アブダビ陸上)を2024年12月から本格増産開始[54]、堺製油所のSAF製造装置を完工・運転開始と、Oil事業の構造改善とNew領域の立ち上げが計画通りに進んだ。2024年度通期で経常利益1,508億円、在庫影響除き経常利益1,816億円という業績は[55]、第7次中計の中間地点として一定の手応えを示すものだった。下限配当の引上げと自己株式取得の機動的実施により、株主還元も強化された。コスモエネルギーHDは、戦時統合で生まれた大協石油から85年を経て[56]、エネルギートランジション期の戦略的選択肢を試す段階に入っている。

参考文献・出所

API for AI Agents — 静的アセットのJSONで取得可能。API実行の認証不要

Method Path 概要 コスモエネルギーホールディングス(証券コード5021)のURL API仕様書
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