出光興産 の歴史

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1911年、出光佐三氏が福岡・門司で出光商会を興し機械油の行商から始まる。日章丸が破った国際カルテル、徳山・千葉製油所、2006年の東証上場、昭和シェル石油との統合までの沿革と経緯を執筆。

創業

1900年

創業者

出光佐三

創業地

福岡県門司市

直近売上高(2026/3)

81,059億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1953年に国際紛争のさなかイランから原油を直接輸入したのか
A 国際メジャーを通さず原油を自前で調達できれば、産地と末端を運賃と税の差だけで結べると出光佐三氏が見たためである。1953年5月、英国とイランの石油国有化紛争のさなか、出光は自社タンカー日章丸二世をイランへ派遣し、メジャーの圧力を押し切って原油を直接輸入した。出光佐三氏は「石油は世界的商品だから常にその水準相場がある。これに差をつけるのは、運賃と税金だ」と記し、世界市場と直結する合理性を主張した。事件は外交問題に発展し、民族系最大手という立場を業界に印象づけた。
Q なぜ1963年に業界協調を拒んで石油連盟を脱退したのか
A 安価な原油を無制限に国内産業へ流すことを優先し、生産調整は供給を絞って高値を支える発想だと出光佐三氏が退けたためである。1962年に業界が自主生産調整へ動くと出光は反対に回り、協議は決裂、1963年11月に石油連盟を脱退して1966年10月の調整撤廃まで単独路線を続けた。同社はベイルートやテヘランなど中東各地に事務所を開き、メジャーを経由しないDD契約で原油を確保し、内航やサービスステーション運営会社も自前で設けた。系列外の流入も値崩れも寄せつけない供給力がここで固まった。
Q なぜ2016年に創業家の反対を押してまで昭和シェル石油の統合に動いたのか
A 国内石油需要の縮小と原油急落で独力の現状維持が難しくなり、規模を持つ統合でなければ精製能力の過剰を解けないと月岡隆体制が判断したためである。2015年3月期に営業赤字1,048億円・純損失1,380億円へ転落したのを受け、2016年12月に昭和シェル石油の議決権31.3%を取得した。創業家はサウジアラムコ資本の受け入れが独立の理念に反すると反対したが、2017年7月の公募増資で創業家の持株比率を3分の1未満へ薄め、2019年4月の株式交換で統合を完了した。国内元売は4社から実質2社体制へ移った。

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1911年〜 門司の機械油行商から、大陸八十店の販売網へ

電化で先細ると止められた機械油を選ぶ

1911年6月、出光佐三氏は福岡県門司市(現・北九州市門司区)で個人商店の出光商会を興し[1]、関門地区を中心に石油販売業を始めた。元手は知人の日田重太郎氏が返済も利子も報告も求めずに融通した8,000円[2]である。神戸高等商業学校を出ながら小さな油商へ丁稚奉公に入った[3]経歴で、前垂れ掛けの店に学校出が入ったことを友人は「学校のつらよごし」と非難した[4]。佐三氏が商材に選んだのは小麦粉ではなく機械油で[5]、潤滑油は毎月売れるためまず衣食の道が立つという読みによる。門司では日本石油やスタンダードにいた先輩たちが、電化の進展で油の需要は先細ると独立を止めた[6]が、佐三氏は方針を変えなかった。

  • 出光興産 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1911年6月 出光佐三が福岡県門司市で出光商会を創設し関門地区中心に石油販売を開始
  • 出光佐三「私の履歴書」(日本経済新聞社編『私の履歴書 経済人1』日本経済新聞社, 1980 所収)
    • [2]創業の元手 日田重太郎が融通した8,000円(返済・利子・報告を求めず)
    • [3]神戸高等商業学校卒業後に小規模な油商へ丁稚奉公
    • [4]前垂れ掛けの店に学校出が入ったことへの友人の非難「学校のつらよごし」
    • [5]商材に小麦粉でなく機械油を選択 潤滑油は毎月売れて衣食の道が立つという読み
    • [6]先輩らが電化の進展で油の需要は先細ると独立を止めた

佐三氏が向かったのは陸上の電化ではなく動きつつある需要で、1913年に下関で発動機付き漁船の燃料油販売に着手し[7]、1914年には満州へ進出して旧満鉄への機械油納入を足掛かりとしている[8]。以後は華北・朝鮮・台湾・華中へ順に店舗網を広げた[9]。株主も債権者も持たない個人商店であったため[10]、問屋を介さず消費者へ直接売る形を最初から通せている。1932年時点で各種油類の年間売上高は1000万円を超え[11]、国産石油の担い手として戦前から一定の地位を得た。

  • 出光佐三「私の履歴書」(日本経済新聞社編『私の履歴書 経済人1』日本経済新聞社, 1980 所収)
    • [7]1913年 下関で発動機付き漁船の燃料油販売に着手
    • [10]株主も債権者も持たない個人商店として問屋を介さない直売を選択
    • [8]1914年(大正3年)満州へ進出し旧満鉄への機械油納入を足掛かりとした
    • [9]満州進出後 華北・朝鮮・台湾・華中等へ店舗網を拡張
  • 石油時報 1932年9月号「石油市場の尖端をいく・出光商会主・出光佐三氏」
    • [11]1932年時点 各種油類の年間売上高が1000万円超、国産石油の担い手として一定の地位
  • 出光興産 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1911年6月 出光佐三が福岡県門司市で出光商会を創設し関門地区中心に石油販売を開始
  • 出光佐三「私の履歴書」(日本経済新聞社編『私の履歴書 経済人1』日本経済新聞社, 1980 所収)
    • [2]創業の元手 日田重太郎が融通した8,000円(返済・利子・報告を求めず)
    • [3]神戸高等商業学校卒業後に小規模な油商へ丁稚奉公
    • [4]前垂れ掛けの店に学校出が入ったことへの友人の非難「学校のつらよごし」
    • [5]商材に小麦粉でなく機械油を選択 潤滑油は毎月売れて衣食の道が立つという読み
    • [6]先輩らが電化の進展で油の需要は先細ると独立を止めた
    • [7]1913年 下関で発動機付き漁船の燃料油販売に着手
    • [10]株主も債権者も持たない個人商店として問屋を介さない直売を選択
    • [8]1914年(大正3年)満州へ進出し旧満鉄への機械油納入を足掛かりとした
    • [9]満州進出後 華北・朝鮮・台湾・華中等へ店舗網を拡張
  • 石油時報 1932年9月号「石油市場の尖端をいく・出光商会主・出光佐三氏」
    • [11]1932年時点 各種油類の年間売上高が1000万円超、国産石油の担い手として一定の地位

大陸の油槽所と、軍の命令による法人化

1939年、上海近郊に約10万キロリットル余を収容する大油槽所を建設した[12]。同年12月には現地の営業財産を分割し、上海に中華出光興産[13]、新京に満州出光興産を設立している。内地の元売各社が国内市場で競っていた時期に[14]、出光の営業は大陸の側へ偏っていた。海外の店舗網は満州から華北・華中へと広がり、終戦時の店舗総数は80カ所以上、北満・太原・漢口・広東など東亜の全域に及んでいる。国内の精製設備を持たない販売専業のまま、営業の基盤を外地に置いた構えである。 [15]

    • [12]1939年(昭和14年)上海近郊に約10万キロリットル余の大油槽所を建設
    • [13]1939年12月 現地営業財産を分割し上海に中華出光興産・新京に満州出光興産を設立
    • [15]終戦時の店舗総数80カ所以上 北満・太原・漢口・広東など東亜全域
  • 出光興産 有価証券報告書【沿革】
    • [14]創業から終戦まで中国大陸等の海外へ進出し続けた

1940年3月30日、出光商会の朝鮮・台湾・関東州および内地の営業財産を継承し[16]、資本金400万円で出光興産株式会社を設立した。本社は東京に置き、出光佐三氏が社長に就いている。個人商店を経営の理想としてきた佐三氏にとって法人への組織変更は本意ではなく、軍の命令によるものだった[18]。株式は同族と関係会社で固め、会社の形をとった後も外部資本を入れない構えは変えていない。この資本構成が、戦後に外部資本を受け入れるまでの六十年間ほぼそのまま保たれる。 [17][19]

    • [12]1939年(昭和14年)上海近郊に約10万キロリットル余の大油槽所を建設
    • [13]1939年12月 現地営業財産を分割し上海に中華出光興産・新京に満州出光興産を設立
    • [15]終戦時の店舗総数80カ所以上 北満・太原・漢口・広東など東亜全域
    • [16]1940年3月30日 東京に出光興産株式会社を設立(1947年11月に出光商会と合併)
    • [17]設立時の資本金400万円 本社を東京に設置 出光佐三が社長就任
  • 出光興産 有価証券報告書【沿革】
    • [14]創業から終戦まで中国大陸等の海外へ進出し続けた
    • [18]1940年の法人化は軍の命令による組織変更
  • 週刊東洋経済 2000年6月3日号
    • [19]株式を同族と関係会社で固め外部資本を受け入れない資本構成を維持(外部資本受け入れは2000年が初)

1941年〜 敗戦からの再起と、日章丸が破った国際カルテル

出光興産の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1942年 早山・新津・旭の3社合併で昭和石油設立
  2. 1945年 終戦により海外財産を喪失
  3. 1947年 石油配給公団販売店として石油業に復帰
  4. 1949年 石油元売業者に指定
  5. 1953年 国際石油カルテルに抗した民族系独立路線の確立 外資メジャーの供給支配と国内の生産調整に、出光佐三氏はなぜ与しない道を選んだか
  6. 1963年 石油連盟を脱退
  7. 1964年 出光石油化学を設立

終戦で失った全てと、一人も解雇しない再起

1945年8月の敗戦で[20]、海外財産のすべてを失った。大陸に築いた80カ所以上の店舗も現地法人も一度に消え[21]、国内に残ったのは事業基盤を欠いた本社と、外地から戻る従業員だけである。佐三氏は引き揚げ者を含む約1000人を一人も解雇せず全員を受け入れた[22]。石油業へ復帰できる見込みは立たないまま、旧海軍の石油タンクに残った底油の汲み上げ、ラジオ修理[23]、印刷、農業、水産、発酵と、雑多な仕事で食いつないでいる。石油の統制が続くかぎり販売業者としての出番はなく[24]、この期間はおよそ二年に及んだ。

1947年10月[25]、石油配給公団の発足とともに石油業界へ復帰した。同年11月には出光商会を合併して法人を一本化し[26]ている。公団の下部販売機関として全国22カ所の販売権を獲得すると、取扱高は全国の販売業者のうち常に首位を占めた[27]。1949年3月に元売業者の指定を受け[28]、4月から民間としての石油供給業務を始めている。1952年春には米国から高オクタン価ガソリンと高級潤滑油を率先して輸入し、性能が在来品と格段に違うことが認められて[29]、わが国の石油精製設備の改善と近代化を促進する契機となった。

  • 出光興産 有価証券報告書【沿革】
    • [25]1947年10月 石油配給公団の発足とともに石油業界へ復帰
    • [26]1947年11月 出光商会と合併
    • [28]1949年4月 元売業者に指定され(3月指定)民間として石油供給業務を開始
    • [27]石油配給公団の下部販売機関として全国22カ所の販売権を獲得、取扱高は全国販売業者中で常に首位
    • [29]1952年春 米国から高オクタン価ガソリンと高級潤滑油を率先輸入し、国内精製設備の改善・近代化を促進する契機となった
  • 出光興産 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1945年8月 終戦とともに海外財産を喪失、引き揚げ者全員を受け入れ
    • [24]1945年8月の終戦から1947年10月の石油業界復帰まで約2年を要した
    • [25]1947年10月 石油配給公団の発足とともに石油業界へ復帰
    • [26]1947年11月 出光商会と合併
    • [28]1949年4月 元売業者に指定され(3月指定)民間として石油供給業務を開始
    • [21]終戦時の店舗総数80カ所以上と現地法人を喪失
    • [27]石油配給公団の下部販売機関として全国22カ所の販売権を獲得、取扱高は全国販売業者中で常に首位
    • [29]1952年春 米国から高オクタン価ガソリンと高級潤滑油を率先輸入し、国内精製設備の改善・近代化を促進する契機となった
    • [22]外地からの引き揚げ者約1000人を一人も解雇せず受け入れ
    • [23]石油業復帰までの間、旧海軍タンクの底油汲み上げ・ラジオ修理・水産業などで凌いだ

イラン原油の直接輸入と九カ年の売買契約

1951年、イランは多年の外国資本の支配を脱して石油の国有化を断行した[30]。それまで同国の石油利権を握っていたアングロ・イラニアン石油会社はこれに対抗し、イラン石油を世界市場から締め出すためにあらゆる手段を講じている[31]。カルテルの報復を恐れて何人もイラン石油に手をつけられないなか、出光は1953年5月、自社タンカー日章丸二世をイランへ差し向けて封鎖を突き[32]、原油を直接輸入した。前年の1953年2月にイラン国有石油会社と結んだ向こう九カ年の売買契約[33]が、この航海の裏づけである。

    • [30]1951年 イランが石油国有化を断行
    • [31]アングロ・イラニアン石油会社がイラン石油を世界市場から締め出すため手段を講じた
    • [33]1953年2月 イラン国有石油会社と向こう9カ年の売買契約を締結
  • 出光興産 有価証券報告書【沿革】
    • [32]1953年5月 石油国有化をめぐる国際紛争の渦中にあったイランから石油輸入を断行

事件はアングロ・イラニアン石油会社との石油所有権をめぐる法律問題に発展したが、1954年8月に解決し[34]、年間800万ドル、約50万キロリットルの輸入が許可された[35]。輸入を決めた理由を、出光佐三氏はこう記している。「石油は世界的商品だから常にその水準相場がある。だから、どこから買ってもその価格は大体同じである。これに差をつけるのは、運賃と税金(関税、消費税など)だ」(国内石油の現状を我社 1953年7月)。産油国と直接取り引きし、差の出る運賃を自前の船で握るという後年の設計が[37]、ここに示されている。 [36]

    • [34]1954年8月 アングロ・イラニアン石油会社との石油所有権をめぐる法律問題が解決
    • [35]解決後に許可された輸入量 年間800万ドル・約50万キロリットル
  • 国内石油の現状を我社(1953年7月)
    • [36]出光佐三の発言 石油は世界的商品で価格差をつけるのは運賃と税金
    • [37]産油国との直接取引と自社タンカーによる運賃の内製が独立路線の設計
    • [30]1951年 イランが石油国有化を断行
    • [31]アングロ・イラニアン石油会社がイラン石油を世界市場から締め出すため手段を講じた
    • [33]1953年2月 イラン国有石油会社と向こう9カ年の売買契約を締結
    • [34]1954年8月 アングロ・イラニアン石油会社との石油所有権をめぐる法律問題が解決
    • [35]解決後に許可された輸入量 年間800万ドル・約50万キロリットル
  • 出光興産 有価証券報告書【沿革】
    • [32]1953年5月 石油国有化をめぐる国際紛争の渦中にあったイランから石油輸入を断行
  • 国内石油の現状を我社(1953年7月)
    • [36]出光佐三の発言 石油は世界的商品で価格差をつけるのは運賃と税金
    • [37]産油国との直接取引と自社タンカーによる運賃の内製が独立路線の設計

徳山製油所で生産者となり、石油連盟を出る

1957年3月、旧海軍第三燃料廠跡地の払い下げを受けた徳山製油所が竣工し、製品を仕入れて売る販売業者から[38]、原油を買って自ら精製する生産者へ移った。輸入精製主義のもとで国際カルテルと政府の統制が交錯する市場において、精製設備を自前で持てば、原油の調達先を自分で決められる[39]。1959年11月にはソ連原油を初めて輸入し、1973年5月には中国の大慶原油を導入して[40]、中東のDD契約と合わせ調達先を分散させた。

1962年、業界が自主生産調整に動いた際、出光は反対に回って協議は決裂し、1963年11月に石油連盟を脱退して1966年10月の調整撤廃まで単独で走った[41]。自由競争を貫く理由を、出光佐三氏はこう語っている。「供給は無制限だし、価格は世界一安いということならば、これによって日本の産業は非常に勃興するでしょう。だから、この石油をいかにして日本が有効に使うかということが肝心だと思う」(実業の日本 1962年)。ベイルート・テヘラン・クウェートなど中東各地に事務所を置き[43]、国際メジャーを経由しないDD契約で原油を確保する体制も整えた。 [42]

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [41]1962年の業界自主生産調整に反対し1963年11月に石油連盟を脱退、1966年10月の調整撤廃まで単独路線
    • [43]ベイルート・テヘラン・クウェート等に事務所を開設しDD契約で原油を確保
  • 実業の日本(1962年)
    • [42]出光佐三の発言 安価な石油を日本がいかに有効に使うかが肝心

調達の独立は輸送と生産の自前化と対になり、1961年10月に給油所運営のアポロサービス、1962年5月に内航部門の宗像海運[44]、同年8月に船舶部を分離した出光タンカーを設立している。1962年には13万2000トンの日章丸三世を[45]、1966年には当時世界最大となる21万トンの出光丸を投入した。製油所も1963年1月の千葉、1970年10月の兵庫と続き、1964年9月には石油化学部門を分離して出光石油化学を設立[46]、翌10月に徳山工場を竣工している。1967年には71億円を投じ[47]、千葉製油所に重油直接脱硫装置を建設した。1971年1月には開発部を分離して出光日本海石油開発を設立し[48]、1972年6月には沖縄石油精製へ45%を出資している。

  • 出光興産 有価証券報告書【沿革】
    • [44]1961年10月 アポロサービス設立 1962年5月 宗像海運設立 1962年8月 船舶部を分離し出光タンカー設立
    • [46]1963年1月 千葉製油所竣工 1970年10月 兵庫製油所竣工 1964年9月 出光石油化学設立 1964年10月 徳山工場竣工
    • [48]1971年1月 開発部を分離し出光日本海石油開発を設立 1972年6月 沖縄石油精製に45%出資
    • [45]1962年 13万2000トンの日章丸(三世)建造 1966年 世界最大のマンモスタンカー出光丸21万トン建造
    • [47]1967年 71億円を投じ千葉製油所に重油直接脱硫装置を世界に先駆けて建設
    • [38]1957年3月 徳山製油所竣工により販売業者から生産者へ転換
    • [45]1962年 13万2000トンの日章丸(三世)建造 1966年 世界最大のマンモスタンカー出光丸21万トン建造
    • [47]1967年 71億円を投じ千葉製油所に重油直接脱硫装置を世界に先駆けて建設
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [39]自社精製設備の保有が原油調達の自由度を確保する手段だった
    • [40]1959年11月 ソ連原油を初輸入 1973年5月 中国大慶原油を導入
    • [41]1962年の業界自主生産調整に反対し1963年11月に石油連盟を脱退、1966年10月の調整撤廃まで単独路線
    • [43]ベイルート・テヘラン・クウェート等に事務所を開設しDD契約で原油を確保
  • 実業の日本(1962年)
    • [42]出光佐三の発言 安価な石油を日本がいかに有効に使うかが肝心
  • 出光興産 有価証券報告書【沿革】
    • [44]1961年10月 アポロサービス設立 1962年5月 宗像海運設立 1962年8月 船舶部を分離し出光タンカー設立
    • [46]1963年1月 千葉製油所竣工 1970年10月 兵庫製油所竣工 1964年9月 出光石油化学設立 1964年10月 徳山工場竣工
    • [48]1971年1月 開発部を分離し出光日本海石油開発を設立 1972年6月 沖縄石油精製に45%出資

1973年〜 設備投資が積み上げた2兆円と、投機的格付けが迫った資本の開放

出光興産の業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1973年 北海道製油所竣工
  2. 1975年 愛知製油所竣工
  3. 1985年 昭和石油とシェル石油が対等合併、昭和シェル石油誕生
  4. 1988年 エベネザ石炭鉱山の権益取得・輸入開始
  5. 1989年 マッセルブルック石炭鉱山を取得
  6. 2000年 三十七年ぶりの外部資本導入と、会長の一声で白紙に戻った上場 「資本はゼロをもって理想とする」を掲げた会社が、投機的格付けを機に銀行へ優先株を渡すまで
  7. 2002年 有機EL分野に参入

問屋を通さない直営網と、二次装置へ向かった投資

1973年9月に北海道製油所、1975年10月に愛知製油所が竣工し、1975年2月には出光石油化学の千葉工場も加わった。1976年9月には新潟阿賀沖で海洋油・ガス田の生産を開始している。石油危機を経ても販売末端の自前化は緩めず、1978年時点で全国を24ブロックに分け、問屋を通さず直営でガソリンスタンドを運営している[50]。全国8100カ所のスタンドのうち1100カ所を自社で所有し[51]、系列外からの製品流入や値崩れを締め出す構えだった。周辺事業も広げ、1983年10月に出光エンジニアリング、1986年4月に出光クレジットを設立している[52]。1988年6月にはオーストラリアのエベネザ石炭鉱山の権益を取得して輸入を始め[53]、1989年6月にはマッセルブルック石炭鉱山を持つ豪州企業の全株式も取得した。1992年8月にはノルウェー領北海スノーレ油田の生産が始まり、同年10月には米国に潤滑油の製造工場を建設[54]した。 [49]

  • 出光興産 有価証券報告書【沿革】
    • [49]1973年9月 北海道製油所竣工 1975年10月 愛知製油所竣工 1975年2月 出光石油化学千葉工場竣工 1976年9月 新潟阿賀沖で海洋油・ガス田の生産開始
    • [52]1983年10月 出光エンジニアリング設立 1986年4月 出光クレジット設立
    • [53]1988年6月 エベネザ石炭鉱山の権益取得・輸入開始 1989年6月 マッセルブルック石炭鉱山保有企業の全株式取得
    • [54]1992年8月 ノルウェー領北海スノーレ油田の生産開始 1992年10月 米国に潤滑油製造工場を建設
  • 日経ビジネス 1978年2月13日号
    • [50]1978年時点 全国24ブロックに分け問屋を通さず直営でガソリンスタンドを運営
    • [51]全国8100カ所のスタンドのうち1100カ所を自社所有

投資の対象は1990年代に入って精製装置へ移った。電力会社の燃料転換で重油が伸びなくなり、調達する原油が重質油比率の高い中東ものを中心としていたため、1991年ごろから重油や重質油を軽質化する二次精製装置を増やした。1993年には500億円をかけて、ガソリンからベンゼンを抽出する装置を建設している。規制の実施が2000年からの、業界に先駆けた前倒しの投資である。借入金は多かったがすべて石油精製・販売などの本業に投じられ[57]、1993年度にはグループの有利子負債が2兆円を超えた。 [55][56]

  • 週刊東洋経済 1998年11月21日号
    • [55]電力会社の燃料転換で重油が伸びず、調達原油が重質油比率の高い中東もの中心のため1991年ごろから二次精製装置を増設
    • [56]1993年 500億円をかけガソリンからベンゼンを抽出する装置を建設(規制実施は2000年から)
  • 週刊東洋経済 2005年10月1日号
    • [57]1993年度にグループの有利子負債が2兆円を超えた
  • 出光興産 有価証券報告書【沿革】
    • [49]1973年9月 北海道製油所竣工 1975年10月 愛知製油所竣工 1975年2月 出光石油化学千葉工場竣工 1976年9月 新潟阿賀沖で海洋油・ガス田の生産開始
    • [52]1983年10月 出光エンジニアリング設立 1986年4月 出光クレジット設立
    • [53]1988年6月 エベネザ石炭鉱山の権益取得・輸入開始 1989年6月 マッセルブルック石炭鉱山保有企業の全株式取得
    • [54]1992年8月 ノルウェー領北海スノーレ油田の生産開始 1992年10月 米国に潤滑油製造工場を建設
  • 日経ビジネス 1978年2月13日号
    • [50]1978年時点 全国24ブロックに分け問屋を通さず直営でガソリンスタンドを運営
    • [51]全国8100カ所のスタンドのうち1100カ所を自社所有
  • 週刊東洋経済 1998年11月21日号
    • [55]電力会社の燃料転換で重油が伸びず、調達原油が重質油比率の高い中東もの中心のため1991年ごろから二次精製装置を増設
    • [56]1993年 500億円をかけガソリンからベンゼンを抽出する装置を建設(規制実施は2000年から)
  • 週刊東洋経済 2005年10月1日号
    • [57]1993年度にグループの有利子負債が2兆円を超えた

特石法の廃止と、一方的に付けられた投機的格付け

1996年に特定石油製品輸入暫定措置法が廃止され[58]、石油製品の輸入が完全に自由化された。石油業界は精製から販売までのすべての段階で過剰設備を抱えたまま、価格競争のただ中に放り込まれる[59]。出光も人員の抑制に入り、1995年から新入社員の採用を大幅に絞って、1994年にグループ全体で約1万人いた社員は1998年には約8500人まで減っている[60]。ただし定年制を置かず、会社の都合で人を減らさないという方針は保っていた[61]

  • 週刊東洋経済 1998年12月5日号
    • [58]1996年 特石法廃止により石油製品の輸入が完全自由化
    • [59]業界は精製から販売まで過剰設備を抱えたまま自由競争に置かれた
  • 週刊東洋経済 1998年11月21日号
    • [60]1995年から新入社員の採用を大幅抑制、1994年グループ約1万人が1998年に約8500人へ
    • [61]定年制を置かず会社都合で人員を減らさない方針

1998年9月、格付け会社のムーディーズが出光に「B2」の投機的格付けを付けた[62]。同年5月に格付けの申し出を受けた出光は、株式も社債も公開しておらず経営内容は銀行に説明しているとして断ったが、一方的に格付けすると通告されたものである[63]。同年5月に社長へ就いた出光昭氏は、格付け会社の物差しに合わないことは初めから分かっていたと述べたうえで、「我々がああいう格付けに反論する方法があるとすれば、業績を上げていくしかない」[64](週刊東洋経済 1998年11月21日号)と語った。借入金は単体で1兆3000億円[65]、グループでは2兆円に達していた。

  • 週刊東洋経済 1998年11月21日号
    • [62]1998年9月 ムーディーズが出光興産にB2の投機的格付けを付与
    • [63]同年5月の格付け申し出を断ったが一方的に格付けすると通告された
    • [64]出光昭の発言 格付けに反論する方法は業績を上げることしかない
    • [65]1998年時点の借入金 単体1兆3000億円・グループ2兆円

格付けの直後に業界の地図が動いた。1998年10月、日本石油と三菱石油の合併が発表された。民族系各社が最良の結婚相手と目していた日本石油が先に相手を決めたことで[67]、後に残る合併相手はどこをとっても弱者連合にしかならない状況となる。燃料油の販売総量では首位にあった出光だが、単体で1兆3000億円の借入金を抱え、株式を公開せず経営情報が不透明であることから、合併相手としては敬遠される側に置かれた。日本石油との提携も製品のバーター以上には進まないまま終わり、自力で収益改善を進めるほかに道はなくなった。 [66][68]

  • 週刊東洋経済 1998年12月5日号
    • [66]1998年10月 日本石油と三菱石油の合併が発表され石油業界の再編が始まった
    • [67]燃料油販売総量で首位ながら借入金と情報の不透明さから合併相手として敬遠された
  • 週刊東洋経済 1998年11月21日号
    • [68]日本石油との提携は製品バーター以上には進展しなかった
  • 週刊東洋経済 1998年12月5日号
    • [58]1996年 特石法廃止により石油製品の輸入が完全自由化
    • [59]業界は精製から販売まで過剰設備を抱えたまま自由競争に置かれた
    • [66]1998年10月 日本石油と三菱石油の合併が発表され石油業界の再編が始まった
    • [67]燃料油販売総量で首位ながら借入金と情報の不透明さから合併相手として敬遠された
  • 週刊東洋経済 1998年11月21日号
    • [60]1995年から新入社員の採用を大幅抑制、1994年グループ約1万人が1998年に約8500人へ
    • [61]定年制を置かず会社都合で人員を減らさない方針
    • [62]1998年9月 ムーディーズが出光興産にB2の投機的格付けを付与
    • [63]同年5月の格付け申し出を断ったが一方的に格付けすると通告された
    • [64]出光昭の発言 格付けに反論する方法は業績を上げることしかない
    • [65]1998年時点の借入金 単体1兆3000億円・グループ2兆円
    • [68]日本石油との提携は製品バーター以上には進展しなかった

三十七年ぶりの外部資本と、会長の一声で白紙に戻った上場

2000年6月、出光は優先株式2,900千株を発行して290億円を増資した。2001年3月末までにさらに880千株を追加発行し、合計378億円である。1940年の設立以来、出光家以外の外部資本を受け入れるのは初めてで、資本増強そのものが37年ぶりだった[70]。引き受けたのは東海・住友・住友信託の三銀行と東京海上火災保険、住友生命の5社である[71]。優先株には議決権がなく、銀行からの役員受け入れもない。財務体質の強化を求める銀行団と、経営の独立性を守りたい出光側との妥協の産物だった。 [69][72]

  • 出光興産 有価証券報告書【沿革】
    • [69]2000年6月 優先株式2,900千株を発行し290億円増資、2001年3月末までに880千株追加で合計378億円
  • 週刊東洋経済 2000年6月3日号
    • [70]1940年の設立以来初の外部資本受け入れであり資本増強は37年ぶり
    • [71]引受先は東海・住友・住友信託の3銀行と東京海上火災保険・住友生命の計5社
    • [72]優先株は議決権がなく銀行からの役員受け入れもない

増資を発表した2000年5月の記者会見で、出光昭氏は将来の資本政策として株式の上場も検討すると明らかにした[73]。ところが7月初め、出光昭介会長が「上場はしない」と発言し、社長も白紙撤回を表明する。昭社長に実権がないことがこの一件ではっきりした。当時の連結の長短借入金は1兆7000億円で[75]、これに対する資本金は10億円である。2000年3月期の連結純利益240億円に対して支払利息は416億円に上り[76]、期間利益だけでは劇的な借入金の削減は望めなかった。 [74]

  • 週刊東洋経済 2000年9月9日号
    • [73]2000年5月の記者会見で出光昭氏が株式上場の検討を表明
    • [74]2000年7月初め 出光昭介会長の「上場はしない」発言により上場計画が白紙撤回
    • [75]連結の長短借入金1兆7000億円に対し資本金は10億円
    • [76]2000年3月期 連結純利益240億円に対し支払利息416億円

2002年、天坊昭彦氏が社長に就いた。創業家以外からは25年ぶり、二人目のトップである。経理畑の出身で、上場に消極的だった出光昭介名誉会長らを自由化による環境変化を理由に説得したとされる[78]。連結決算を始めた1999年度末に1兆7271億円あった有利子負債は、2004年度末には1兆0969億円まで減った[79]。同じ時期に設備の整理も進み、2003年4月に兵庫製油所の製油所機能8万バレル/日を止めて翌年3月に閉鎖し、2003年11月には沖縄石油精製の製油所機能11万バレル/日も停止している[80]。2004年8月には1964年に分離した出光石油化学を吸収合併し[81]、2005年4月には三井化学とポリオレフィン事業を統合して合弁会社プライムポリマーを設立している。 [77]

  • 週刊東洋経済 2003年10月11日号
    • [77]2002年 天坊昭彦が社長就任(創業家以外から25年ぶり2人目)
    • [78]経理畑出身で上場に消極的だった出光昭介名誉会長らを説得した
  • 週刊東洋経済 2005年10月1日号
    • [79]1999年度末の有利子負債1兆7271億円が2004年度末に1兆0969億円へ減少
  • 出光興産 有価証券報告書【沿革】
    • [80]2003年4月 兵庫製油所の製油所機能(8万B/D)停止・2004年3月閉鎖 2003年11月 沖縄石油精製の製油所機能(11万B/D)停止
    • [81]2004年8月 出光石油化学を吸収合併 2005年4月 三井化学とポリオレフィン事業を統合しプライムポリマーを設立
  • 出光興産 有価証券報告書【沿革】
    • [69]2000年6月 優先株式2,900千株を発行し290億円増資、2001年3月末までに880千株追加で合計378億円
    • [80]2003年4月 兵庫製油所の製油所機能(8万B/D)停止・2004年3月閉鎖 2003年11月 沖縄石油精製の製油所機能(11万B/D)停止
    • [81]2004年8月 出光石油化学を吸収合併 2005年4月 三井化学とポリオレフィン事業を統合しプライムポリマーを設立
  • 週刊東洋経済 2000年6月3日号
    • [70]1940年の設立以来初の外部資本受け入れであり資本増強は37年ぶり
    • [71]引受先は東海・住友・住友信託の3銀行と東京海上火災保険・住友生命の計5社
    • [72]優先株は議決権がなく銀行からの役員受け入れもない
  • 週刊東洋経済 2000年9月9日号
    • [73]2000年5月の記者会見で出光昭氏が株式上場の検討を表明
    • [74]2000年7月初め 出光昭介会長の「上場はしない」発言により上場計画が白紙撤回
    • [75]連結の長短借入金1兆7000億円に対し資本金は10億円
    • [76]2000年3月期 連結純利益240億円に対し支払利息416億円
  • 週刊東洋経済 2003年10月11日号
    • [77]2002年 天坊昭彦が社長就任(創業家以外から25年ぶり2人目)
    • [78]経理畑出身で上場に消極的だった出光昭介名誉会長らを説得した
  • 週刊東洋経済 2005年10月1日号
    • [79]1999年度末の有利子負債1兆7271億円が2004年度末に1兆0969億円へ減少

2006年〜 東証への上場、創業家との攻防を経た昭和シェル統合

出光興産の業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2006年 三菱商事とLPガス事業統合、アストモスエネルギー設立
  2. 2006年 個人商店を理想とした会社が東証一部へ上場する 議決権のある資本金十億円・創業家が過半という構成を、二段階の増資でほどいた五年
  3. 2014年 徳山製油所の原油処理機能停止
  4. 2015年 営業赤字▲1,048億円・純損失▲1,380億円に転落
  5. 2016年 昭和シェル石油の株式31.3%を取得
  6. 2017年 昭和シェル合併に反対する創業家へ対抗した3割の公募増資 拒否権を握る創業家をどう封じるか——支配権争いのさなかに増資へ踏み切った出光経営陣の荒技
  7. 2019年 出光興産と昭和シェル石油の経営統合(2019年成立) なぜ創業家の約2年にわたる反対を経て、石油元売りの統合は成立に至ったのか?

議決権のある資本金十億円からの上場

上場の前に資本の形を組み替えた。2005年10月、386億円を減資して優先株式3,780千株を消却し、第三者割当増資で普通株式7,321千株を発行して512億円を増資している。それまで議決権のある資本金は10億円、株式数にして2000万株にすぎず、その過半を創業者の長男である出光昭介名誉会長が実質的に保有していた[83]。割当先は優先株を消却した銀行のほか、石油化学で提携する三井化学、LPガスで事業を統合する三菱商事、給油所を営む販売店などである。創業家が過半を持つ日章興産ら既存の大株主には割り当てなかった。 [82][84]

  • 出光興産 有価証券報告書【沿革】
    • [82]2005年10月 386億円減資し優先株式3,780千株を消却、第三者割当増資で普通株式7,321千株を発行し512億円増資
  • 週刊東洋経済 2005年10月1日号
    • [83]議決権のある資本金は10億円・2000万株で過半を出光昭介名誉会長が実質保有
  • 週刊東洋経済 2005年6月25日号
    • [84]割当先は銀行・三井化学・三菱商事・販売店で、創業家系の既存大株主には割り当てなかった

2006年4月に三菱商事グループとLPガス事業を統合したアストモスエネルギーが営業を始め、同年10月[85]、出光は東京証券取引所市場第一部へ上場した。2004年度の年商2兆7636億円という規模での東証一部への直接上場は前例[86]がない。もっとも財務の見劣りは残り、第三者割当増資を経てなお株主資本比率は14%程度で、上場する石油元売りの平均25%の半分ほどだった[87]。創業者の出光佐三氏が個人商店を経営の理想として外部資本を拒み続けてから[88]、資本市場に登場するまでに時間を要した。上場後は2009年6月に天坊昭彦氏から中野和久氏へ、2013年6月に月岡隆氏へと[89]、創業家以外からの社長起用が続いた。海外の上流案件も広がり、2009年11月に英領北海で生産油田を持つ企業の全株式を取得、2010年2月にはベトナム南部沖合ナムロン-ドイモイ油田、同年10月には英領北海バーリー油田の生産を始めて[90]いる。

  • 出光興産 有価証券報告書【沿革】
    • [85]2006年4月 三菱商事グループとLPガス事業を統合したアストモスエネルギーが営業開始 2006年10月 東京証券取引所市場第一部に上場
    • [90]2009年11月 英領北海の生産油田保有企業の全株式取得 2010年2月 ナムロン-ドイモイ油田生産開始 2010年10月 英領北海バーリー油田生産開始
  • 週刊東洋経済 2005年10月1日号
    • [86]2004年度の年商2兆7636億円 この規模の東証1部直接上場は前例がない
    • [87]増資後も株主資本比率は14%程度で上場石油元売り平均25%の半分ほど
    • [88]創業者の出光佐三は個人商店を経営の理想と考え外部資本の導入を拒み続けた
  • 出光興産 有価証券報告書(役員の状況)
    • [89]2009年6月 天坊昭彦から中野和久へ社長交代 2013年6月 月岡隆が社長就任
  • 出光興産 有価証券報告書【沿革】
    • [82]2005年10月 386億円減資し優先株式3,780千株を消却、第三者割当増資で普通株式7,321千株を発行し512億円増資
    • [85]2006年4月 三菱商事グループとLPガス事業を統合したアストモスエネルギーが営業開始 2006年10月 東京証券取引所市場第一部に上場
    • [90]2009年11月 英領北海の生産油田保有企業の全株式取得 2010年2月 ナムロン-ドイモイ油田生産開始 2010年10月 英領北海バーリー油田生産開始
  • 週刊東洋経済 2005年10月1日号
    • [83]議決権のある資本金は10億円・2000万株で過半を出光昭介名誉会長が実質保有
    • [86]2004年度の年商2兆7636億円 この規模の東証1部直接上場は前例がない
    • [87]増資後も株主資本比率は14%程度で上場石油元売り平均25%の半分ほど
    • [88]創業者の出光佐三は個人商店を経営の理想と考え外部資本の導入を拒み続けた
  • 週刊東洋経済 2005年6月25日号
    • [84]割当先は銀行・三井化学・三菱商事・販売店で、創業家系の既存大株主には割り当てなかった
  • 出光興産 有価証券報告書(役員の状況)
    • [89]2009年6月 天坊昭彦から中野和久へ社長交代 2013年6月 月岡隆が社長就任

昭和シェル統合をめぐる創業家との攻防

2013年3月にノルウェー領北海ビグディス・ノースイースト油田の生産を始める[91]一方、2014年3月には徳山製油所の原油処理機能12万バレル/日を停止し、翌4月に徳山製油所と徳山工場を統合して徳山事業所とした[92]。1957年3月の竣工以来[93]、一貫体制の原点だった拠点の精製機能をゼロにする決断である。国内の需要縮小はそのまま業績に表れ、2015年3月期は原油価格の急落が在庫評価損となって直撃して、営業損失1,048億円・純損失1,380億円を計上した。売上高もFY13の5兆349億円から4兆6,297億円へ縮んだ。翌2016年3月期も営業損失196億円・純損失360億円と赤字が[95]続いた。 [94]

  • 出光興産 有価証券報告書【沿革】
    • [91]2013年3月 ノルウェー領北海ビグディス・ノースイースト油田の生産開始
    • [92]2014年3月 徳山製油所の原油処理機能(12万B/D)停止 2014年4月 徳山製油所と徳山工場を統合し徳山事業所を新設
    • [93]1957年3月 徳山製油所竣工(一貫体制の原点)
  • 出光興産 有価証券報告書(連結損益計算書)
    • [94]FY14(2015年3月期)連結 営業損失1,048億円・親会社株主帰属当期純損失1,380億円・売上高4兆6,297億円
    • [95]FY15(2016年3月期)連結 営業損失196億円・当期純損失360億円

昭和シェル石油は1985年1月に昭和石油とシェル石油が対等合併して生まれた会社[96]である。2016年12月[97]、出光はロイヤル・ダッチ・シェルの子会社からその株式を議決権比率31.3%取得した。ところが創業家が統合に反対し、3分の1超の議決権を盾に合併を拒みうる状況が生まれる[98]。2017年7月には公募増資で普通株式48,000千株を発行して1,195億円を調達し[99]、創業家の議決権比率は33.9%から約26%へ下がって単独で合併を否決できる拒否権を失った[100]。2018年4月には月岡隆氏から木藤俊一氏へ社長が交代し、統合を主導する体制に組み替えている。創業家は「著しく不公正な方法」として新株発行の差し止めを申し立てたが、東京地裁は却下し、高裁も抗告を棄却した[102][101]

  • 出光興産 有価証券報告書【沿革】
    • [96]1985年1月 昭和石油とシェル石油が対等合併し昭和シェル石油となる
    • [97]2016年12月 ロイヤル・ダッチ・シェルの子会社から昭和シェル石油株式(議決権比率31.3%)を取得
    • [99]2017年7月 公募増資により普通株式48,000千株を発行し1,195億円を調達
  • 週刊東洋経済 2016年7月16日号
    • [98]創業家が統合に反対し3分の1超の議決権で合併を拒みうる状況となった
  • 週刊東洋経済 2017年7月15日号
    • [100]増資により創業家の議決権比率が33.9%から約26%へ低下し拒否権を喪失
  • 出光興産 有価証券報告書(役員の状況)
    • [101]2018年4月 月岡隆から木藤俊一へ社長交代
  • 日本経済新聞 2017年7月19日
    • [102]創業家の新株発行差し止め申立てを東京地裁が却下し高裁も抗告を棄却

創業家は2018年6月に同意へ転じた。取締役2名の指名や株主還元などの条件提示を経ての決着である。2018年10月に昭和シェル石油との株式交換契約を締結し[104]、12月の臨時株主総会で承認を得た。2019年4月、出光を株式交換完全親会社、昭和シェル石油を完全子会社とする株式交換を実施し、同年7月の吸収分割で昭和シェル石油の全事業を承継している。2020年4月には従業員との雇用契約に関する権利義務も引き継いだ。国内の石油元売は4社体制から実質2社体制へ[106]移った。 [103][105]

  • 日本経済新聞 2018年7月10日
    • [103]2018年6月 創業家が統合に同意(取締役2名の指名・株主還元などの条件提示を経て)
  • 昭和シェル石油株式会社・出光興産株式会社 適時開示「株式交換契約の締結及び経営統合に関するお知らせ」(2018年10月16日)
    • [104]2018年10月 昭和シェル石油との株式交換契約を締結、12月に臨時株主総会で承認
  • 出光興産 有価証券報告書【沿革】
    • [105]2019年4月 株式交換を実施 2019年7月 吸収分割で昭和シェル石油の全事業を承継 2020年4月 雇用契約の権利義務を承継
  • 週刊東洋経済 2018年7月21日号
    • [106]統合により国内石油元売は4社体制から実質2社体制へ移行
  • 出光興産 有価証券報告書【沿革】
    • [91]2013年3月 ノルウェー領北海ビグディス・ノースイースト油田の生産開始
    • [92]2014年3月 徳山製油所の原油処理機能(12万B/D)停止 2014年4月 徳山製油所と徳山工場を統合し徳山事業所を新設
    • [93]1957年3月 徳山製油所竣工(一貫体制の原点)
    • [96]1985年1月 昭和石油とシェル石油が対等合併し昭和シェル石油となる
    • [97]2016年12月 ロイヤル・ダッチ・シェルの子会社から昭和シェル石油株式(議決権比率31.3%)を取得
    • [99]2017年7月 公募増資により普通株式48,000千株を発行し1,195億円を調達
    • [105]2019年4月 株式交換を実施 2019年7月 吸収分割で昭和シェル石油の全事業を承継 2020年4月 雇用契約の権利義務を承継
  • 出光興産 有価証券報告書(連結損益計算書)
    • [94]FY14(2015年3月期)連結 営業損失1,048億円・親会社株主帰属当期純損失1,380億円・売上高4兆6,297億円
    • [95]FY15(2016年3月期)連結 営業損失196億円・当期純損失360億円
  • 週刊東洋経済 2016年7月16日号
    • [98]創業家が統合に反対し3分の1超の議決権で合併を拒みうる状況となった
  • 週刊東洋経済 2017年7月15日号
    • [100]増資により創業家の議決権比率が33.9%から約26%へ低下し拒否権を喪失
  • 出光興産 有価証券報告書(役員の状況)
    • [101]2018年4月 月岡隆から木藤俊一へ社長交代
  • 日本経済新聞 2017年7月19日
    • [102]創業家の新株発行差し止め申立てを東京地裁が却下し高裁も抗告を棄却
  • 日本経済新聞 2018年7月10日
    • [103]2018年6月 創業家が統合に同意(取締役2名の指名・株主還元などの条件提示を経て)
  • 昭和シェル石油株式会社・出光興産株式会社 適時開示「株式交換契約の締結及び経営統合に関するお知らせ」(2018年10月16日)
    • [104]2018年10月 昭和シェル石油との株式交換契約を締結、12月に臨時株主総会で承認
  • 週刊東洋経済 2018年7月21日号
    • [106]統合により国内石油元売は4社体制から実質2社体制へ移行

二社体制の収益と、縮む需要への備え

統合の直後は逆風だった。2020年3月期はコロナ禍と原油急落が重なって、営業損失39億円・純損失229億円を計上している。2018年11月に商業運転を始めたベトナムのニソン製油所[108]も、稼働初期のマージン環境と金利負担が収益を圧迫した。旧昭和シェル系列の再編は順に進み、2020年7月に出光エンジニアリングと昭石エンジニアリングが合併、同年10月にアポロリテイリングとライジングサンが合併してアポロリンクとなり、2021年10月にはリーフエナジーとエスアイエナジーが合併して出光エナジーソリューションズへ商号を変更した[109][107]

  • 出光興産 有価証券報告書(連結損益計算書)
    • [107]FY19(2020年3月期)連結 営業損失39億円・当期純損失229億円
  • 出光興産 有価証券報告書【沿革】
    • [108]2018年11月 ベトナム ニソン製油所が商業運転を開始
    • [109]2020年7月 出光エンジニアリングと昭石エンジニアリングが合併 2020年10月 アポロリンクへ商号変更 2021年10月 出光エナジーソリューションズへ商号変更

統合の効果は数字に表れ、2022年3月期の連結売上高は6兆6,867億円、営業利益4,344億円[110]、当期純利益2,794億円へ転じている。2023年3月期は売上高9兆4,562億円と規模が広がり[111]、2024年3月期も売上高8兆7,192億円・営業利益3,463億円・当期純利益2,285億円の水準を保った。2022年4月には東証プライム市場へ移行し、同年12月に西部石油と東亜石油の全株式を取得して[112]旧昭和シェル系列の完全子会社化を終えている。

  • 出光興産 有価証券報告書(連結損益計算書)
    • [110]FY21(2022年3月期)連結 売上高6兆6,867億円・営業利益4,344億円・当期純利益2,794億円
    • [111]FY22(2023年3月期)売上高9兆4,562億円 FY23(2024年3月期)売上高8兆7,192億円・営業利益3,463億円・当期純利益2,285億円
  • 出光興産 有価証券報告書【沿革】
    • [112]2022年4月 東証プライム市場へ移行 2022年12月 西部石油・東亜石油の全株式を取得

精製設備の削減はその後も続き、2024年3月に西部石油山口製油所の原油処理機能12万バレル/日を停止して、同月に住友化学から富士石油株を議決権比率6.46%、同年8月にはJERAからも8.75%を取得して[113]京葉地区の供給体制を組み替えている。2025年2月には農薬のアグロ カネショウの全株式を取[114]得した。業績は2025年3月期が売上高9兆1,902億円・営業利益1,622億円・当期純利益1,041億円[115]、2026年3月期が売上高8兆1,059億円・営業利益2,122億円・当期純利益1,719億円である[116]。2025年度からは酒井則明氏が社長を務め[117]ている。

  • 出光興産 有価証券報告書【沿革】
    • [113]2024年3月 西部石油山口製油所の原油処理機能(12万B/D)停止・住友化学から富士石油株6.46%取得 2024年8月 JERAから富士石油株8.75%取得
    • [114]2025年2月 アグロ カネショウの全株式を取得
  • 出光興産 有価証券報告書(連結損益計算書)
    • [115]FY24(2025年3月期)売上高9兆1,902億円・営業利益1,622億円・当期純利益1,041億円
    • [116]FY25(2026年3月期)売上高8兆1,059億円・営業利益2,122億円・当期純利益1,719億円
  • 出光興産 有価証券報告書(役員の状況)
    • [117]2025年4月 酒井則明が代表取締役社長に就任
  • 出光興産 有価証券報告書(連結損益計算書)
    • [107]FY19(2020年3月期)連結 営業損失39億円・当期純損失229億円
    • [110]FY21(2022年3月期)連結 売上高6兆6,867億円・営業利益4,344億円・当期純利益2,794億円
    • [111]FY22(2023年3月期)売上高9兆4,562億円 FY23(2024年3月期)売上高8兆7,192億円・営業利益3,463億円・当期純利益2,285億円
    • [115]FY24(2025年3月期)売上高9兆1,902億円・営業利益1,622億円・当期純利益1,041億円
    • [116]FY25(2026年3月期)売上高8兆1,059億円・営業利益2,122億円・当期純利益1,719億円
  • 出光興産 有価証券報告書【沿革】
    • [108]2018年11月 ベトナム ニソン製油所が商業運転を開始
    • [109]2020年7月 出光エンジニアリングと昭石エンジニアリングが合併 2020年10月 アポロリンクへ商号変更 2021年10月 出光エナジーソリューションズへ商号変更
    • [112]2022年4月 東証プライム市場へ移行 2022年12月 西部石油・東亜石油の全株式を取得
    • [113]2024年3月 西部石油山口製油所の原油処理機能(12万B/D)停止・住友化学から富士石油株6.46%取得 2024年8月 JERAから富士石油株8.75%取得
    • [114]2025年2月 アグロ カネショウの全株式を取得
  • 出光興産 有価証券報告書(役員の状況)
    • [117]2025年4月 酒井則明が代表取締役社長に就任

出光興産の沿革1900〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
ライジングサン石油設立
出光佐三氏が門司で出光商会を興し、機械油の行商から海と大陸の販路を開いた創業学校の恥と呼ばれた丁稚奉公を経て、返さなくてよい8,000円で何を始めようとしたのか 詳細を読む★★★
出光興産を東京に設立
早山・新津・旭の3社合併で昭和石油設立
終戦により海外財産を喪失
石油配給公団販売店として石油業に復帰
石油元売業者に指定
国際石油カルテルに抗した民族系独立路線の確立外資メジャーの供給支配と国内の生産調整に、出光佐三氏はなぜ与しない道を選んだか 詳細を読む★★★
徳山製油所竣工
出光タンカーを設立
千葉製油所竣工
石油連盟を脱退★★
出光石油化学を設立★★
兵庫製油所竣工
出光日本海石油開発を設立
北海道製油所竣工
愛知製油所竣工
昭和石油とシェル石油が対等合併、昭和シェル石油誕生★★
エベネザ石炭鉱山の権益取得・輸入開始
マッセルブルック石炭鉱山を取得
ノルウェー領北海スノーレ油田生産開始
出光裕治出光大分地熱滝上地熱発電所が営業運転開始
出光昭三十七年ぶりの外部資本導入と、会長の一声で白紙に戻った上場「資本はゼロをもって理想とする」を掲げた会社が、投機的格付けを機に銀行へ優先株を渡すまで 詳細を読む★★★
天坊昭彦有機EL分野に参入★★
天坊昭彦兵庫製油所の製油機能停止
天坊昭彦出光石油化学を吸収合併
天坊昭彦三菱商事とLPガス事業統合、アストモスエネルギー設立★★
天坊昭彦個人商店を理想とした会社が東証一部へ上場する議決権のある資本金十億円・創業家が過半という構成を、二段階の増資でほどいた五年 詳細を読む
月岡隆徳山製油所の原油処理機能停止
月岡隆営業赤字▲1,048億円・純損失▲1,380億円に転落★★
月岡隆昭和シェル石油の株式31.3%を取得★★
月岡隆昭和シェル合併に反対する創業家へ対抗した3割の公募増資拒否権を握る創業家をどう封じるか——支配権争いのさなかに増資へ踏み切った出光経営陣の荒技 詳細を読む★★★
木藤俊一木藤俊一氏が社長に就任
木藤俊一出光興産と昭和シェル石油の経営統合(2019年成立)なぜ創業家の約2年にわたる反対を経て、石油元売りの統合は成立に至ったのか? 詳細を読む★★★
木藤俊一営業赤字▲39億円・純損失▲229億円
木藤俊一西部石油・東亜石油の全株式を取得
木藤俊一西部石油山口製油所の原油処理機能停止
酒井則明酒井則明氏が社長に就任
出典・参考
  • 出光興産 有価証券報告書【沿革】
  • 出光佐三「私の履歴書」(日本経済新聞社編『私の履歴書 経済人1』日本経済新聞社, 1980 所収)
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「出光興産」の項
  • 石油時報 1932年9月号「石油市場の尖端をいく・出光商会主・出光佐三氏」
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)「出光興産」の項
  • 週刊東洋経済 2000年6月3日号
  • 国内石油の現状を我社(1953年7月)
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
  • 実業の日本(1962年)
  • 日経ビジネス 1978年2月13日号
  • 週刊東洋経済 1998年11月21日号
  • 週刊東洋経済 2005年10月1日号
  • 週刊東洋経済 1998年12月5日号
  • 週刊東洋経済 2000年9月9日号
  • 週刊東洋経済 2003年10月11日号
  • 週刊東洋経済 2005年6月25日号
  • 出光興産 有価証券報告書(役員の状況)
  • 出光興産 有価証券報告書(連結損益計算書)
  • 週刊東洋経済 2016年7月16日号
  • 週刊東洋経済 2017年7月15日号
  • 日本経済新聞 2017年7月19日
  • 日本経済新聞 2018年7月10日
  • 昭和シェル石油株式会社・出光興産株式会社 適時開示「株式交換契約の締結及び経営統合に関するお知らせ」(2018年10月16日)
  • 週刊東洋経済 2018年7月21日号

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