東燃ゼネラル石油 の歴史

創業

1939年

創業者

日本石油ほか石油関係10社

創業地

東京都

直近売上高(2016/12)

20,894億円

長期業績と転換点(1987/3〜2016/12)
売上高(億円純利益率(%)

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1893年〜 外資の支店と海軍の国策会社、二つの系譜が別々に生まれる

  1. 1893年ソコニーとヴァキューム・オイルが横浜に日本支店を開設
  2. 1939年石油関係10社の共同出資により東亜燃料工業を創立
  3. 1947年石油製品の販売、輸出入を目的としてゼネラル物産を設立
  4. 1949年東亜燃料工業がスタンダード・ヴァキューム社と資本業務提携
  5. 1949年スタンダード・ヴァキューム社が株式51%を取得し主要株主に
  6. 1960年東亜燃料工業が東燃石油化学を設立
  7. 1960年石油化学事業に参入

東燃ゼネラル石油の業績推移:単体

売上高(億円)

出所:有価証券報告書等

横浜の支店と、軍需で生まれた精製会社

1893年5月、米国のソコニー(スタンダード・オイル・カンパニー・オブ・ニューヨーク)と米国ヴァキューム・オイルが、それぞれ横浜に日本支店を開いた。灯油と潤滑油を売るための拠点である。以後の日本市場では、日本石油と宝田石油を軸とする民族系と、スタンダード系・ライジングサン系の外資が並び立った。1934年の石油業法は販売割当と価格公定で外国業者の輸入・販売攻勢を抑え、関税障壁で国内業者を保護した。外資は販売網を持ちながら、国内に精製設備を持ちにくい立場に置かれた。同じ1934年2月、ソコニー・ヴァキューム・コーポレーションとスタンダード・オイル(ニュージャージー)がスタンヴァックを設立し、横浜の支店はスタンヴァック日本支社となった。 [1][2][3][4]

  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書(第97期・2016年12月期)
    • [1]1893年5月に米国ソコニーと米国ヴァキューム・オイルがそれぞれ横浜に日本支店を開設した
    • [2]1932年8月のソコニーとヴァキューム・オイルの合併により日本国内もソコニー・ヴァキューム日本支店となり、1934年2月のスタンヴァック設立に伴いスタンヴァック日本支社となった
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「石油 概説」
    • [3]1934年(昭和9年)に石油業法が制定され、販売割当と価格公定で外国業者の輸入・販売攻勢が抑えられ、関税障壁で国内業者が保護された
    • [4]明治21年設立の日本石油と明治26年設立の宝田石油が二大会社として対立し(大正10年10月に両社合併)、米スタンダードと英蘭シェル(ライジングサン社)等の外国石油資本が日本市場への進出を強めた

その5年後、1939年7月に東亜燃料工業株式会社が創立された。航空揮発油と高級潤滑油、つまり軍用油を供給するための会社である。公称資本金5,000万円のうち払込は1,250万円で、石油関係10社が出資した。日本石油が1,600万円、小倉石油が1,100万円、朝鮮石油が600万円、早山石油と愛国石油が各400万円、丸善石油・新津石油・三菱本社・三菱商事が各200万円、三菱鉱業が100万円を持ち寄った。一社の意思ではなく、業界と軍の要請が重なって生まれた会社であった。設立後ただちに清水と和歌山で精製工場の建設に着手し、和歌山工場は1941年、清水工場は1943年に操業を始めた。 [5][6][7]

  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書(第97期・2016年12月期)
    • [5]1939年7月に航空揮発油・潤滑油の製造を目的として東亜燃料工業株式会社が資本金5,000万円で創立された
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「東亜燃料工業」
    • [6]創立当初の公称資本金5,000万円のうち払込資本金は1,250万円で、出資は日本石油1,600万円・小倉石油1,100万円・朝鮮石油600万円・早山石油400万円・愛国石油400万円・丸善石油200万円・新津石油200万円・三菱本社200万円・三菱商事200万円・三菱鉱業100万円だった
    • [7]設立後ただちに清水・和歌山で精製工場の建設に着手し、和歌山工場は1941年、清水工場は1943年に操業を開始した

太平洋戦争の悪化で原油の輸入が途絶えると、東亜燃料工業は両工場の装置の一部を人造石油と松根油の製造へ転換する作業に入った。その最中の1945年7月、和歌山工場が空襲で被災し、操業を停止したまま終戦を迎えた。1946年9月には連合軍の指令で操業が全国的に止まり、手持資材の売却と製塩・製氷の副業で収入をつないだ。水素添加装置を使って硫安を作る転換も計画したが、総司令部の許可は下りなかった。軍需のために設計された会社は、その軍需が消えたところで、精製以外の収入で食いつなぐほかなくなっていた。 [8][9][10]

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「東亜燃料工業」
    • [8]太平洋戦争の悪化で原油輸入が途絶し、人造石油・松根油の製造のため両工場の装置の一部転換作業を実施中の1945年7月に和歌山工場が被爆して操業停止となり終戦を迎えた
    • [9]1946年9月に連合軍の指令により操業が全国的に停止され、手持資材の売却・製氷等の副業による収入で事業を継続した
  • 日本産業史 第2巻 エネルギー・資源(日本経済新聞社、1994年)「石油-めざましい再建」
    • [10]東亜燃料工業は製塩・製氷を副業とし、水素添加装置を利用して硫安生産へ転換する計画も立てたが、GHQ当局の許可が得られなかった
  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書(第97期・2016年12月期)
    • [1]1893年5月に米国ソコニーと米国ヴァキューム・オイルがそれぞれ横浜に日本支店を開設した
    • [2]1932年8月のソコニーとヴァキューム・オイルの合併により日本国内もソコニー・ヴァキューム日本支店となり、1934年2月のスタンヴァック設立に伴いスタンヴァック日本支社となった
    • [5]1939年7月に航空揮発油・潤滑油の製造を目的として東亜燃料工業株式会社が資本金5,000万円で創立された
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「石油 概説」
    • [3]1934年(昭和9年)に石油業法が制定され、販売割当と価格公定で外国業者の輸入・販売攻勢が抑えられ、関税障壁で国内業者が保護された
    • [4]明治21年設立の日本石油と明治26年設立の宝田石油が二大会社として対立し(大正10年10月に両社合併)、米スタンダードと英蘭シェル(ライジングサン社)等の外国石油資本が日本市場への進出を強めた
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「東亜燃料工業」
    • [6]創立当初の公称資本金5,000万円のうち払込資本金は1,250万円で、出資は日本石油1,600万円・小倉石油1,100万円・朝鮮石油600万円・早山石油400万円・愛国石油400万円・丸善石油200万円・新津石油200万円・三菱本社200万円・三菱商事200万円・三菱鉱業100万円だった
    • [7]設立後ただちに清水・和歌山で精製工場の建設に着手し、和歌山工場は1941年、清水工場は1943年に操業を開始した
    • [8]太平洋戦争の悪化で原油輸入が途絶し、人造石油・松根油の製造のため両工場の装置の一部転換作業を実施中の1945年7月に和歌山工場が被爆して操業停止となり終戦を迎えた
    • [9]1946年9月に連合軍の指令により操業が全国的に停止され、手持資材の売却・製氷等の副業による収入で事業を継続した
  • 日本産業史 第2巻 エネルギー・資源(日本経済新聞社、1994年)「石油-めざましい再建」
    • [10]東亜燃料工業は製塩・製氷を副業とし、水素添加装置を利用して硫安生産へ転換する計画も立てたが、GHQ当局の許可が得られなかった

外資提携による再建と、販売会社の上場

転機は外資との提携だった。1949年2月、東亜燃料工業は米国スタンダード・ヴァキューム社と基本契約を結び、同社が株式の51%、のちに55%を取得した。契約の主眼は資本のほかに原油の確保、製品の販売、技術の援助にある。同じ年、日本石油はカルテックスと、三菱石油はタイドウォーターと提携しており、外資との結合は一社の選択ではなく業界全体の再建条件であった。1949年7月には総司令部が太平洋岸製油所の操業と原油輸入に関する覚え書きを発し、日本も消費地精製主義の道に入る。1950年1月に清水工場が、4月に和歌山工場が原油第一船を迎えて操業を再開した。 [11][12][13]

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「東亜燃料工業」
    • [11]1949年2月に東亜燃料工業がスタンダード・ヴァキューム社と基本契約を締結し、同社が株式の51%(後に55%)を取得、原油の確保・製品の販売・技術の援助を受けた
  • 日本産業史 第2巻 エネルギー・資源(日本経済新聞社、1994年)「石油-めざましい再建」
    • [12]1949年2月に東燃とスタンダードバキューム、3月に日石とカルテックス、三菱とタイドウォーターがそれぞれ外資提携契約を結んだ
    • [13]1949年7月に総司令部から「太平洋岸製油所の操業および原油輸入に関する覚え書き」が発せられ、日本も消費地精製主義の道に入った

再開後の伸びは速い。原油処理量は1950年の日産7,690バレルから1954年には25,130バレルへ3.3倍になった。1952年3月には徳山の旧海軍燃料廠の残存施設を和歌山工場へ移設し、プロパン脱瀝青とフェノール抽出の二装置を完成させ、清水工場の脱蝋装置と合わせて高級潤滑油を生産した。和歌山工場が一貫作業を行えるようになったのは、1953年9月のプロパン脱蝋装置完成後である。1954年12月には日産4,700バレルのフルイド・ハイドロ・フォーミング装置が竣工し、高オクタン価ガソリンを供給できるようになった。1955年1月には和歌山工場の新常圧蒸溜装置が完成して原油処理能力が日産4万バレルとなり、国内の製油所で最大となった。1955年6月期の売上高は72億9,000万円だった。 [14][15][16][17]

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「東亜燃料工業」
    • [14]原油処理量は1950年の日産7,690バレルから1951年12,840、1952年16,900、1953年20,336、1954年25,130バレルへ増加した
    • [15]1952年3月に徳山の旧海軍燃料廠の残存施設を和歌山工場へ移設し、プロパン脱瀝青とフェノール抽出の二装置を完成させ、清水工場のアセトン・ベンゾール脱蝋装置と合わせて高級潤滑油を生産した。ただし和歌山工場が「高級潤滑油生産の一貫作業」を行いうるようになったのは、1953年9月のプロパン脱蝋装置完成後である
    • [16]1953年秋にフルイド・ハイドロ・フォーミング装置(日産4,700バレル)の建設に着手し1954年12月に竣工、高オクタン価ガソリンを供給できるようになった
    • [17]1955年1月に和歌山工場の新常圧蒸溜装置(能力2万バレル)が完成し、既設と合わせて日産4万バレルとなり国内製油所で最大の能力となった。1955年6月期の売上高は72億9,000万円

もう一つの系譜は販売から始まった。1947年7月、石油製品の販売と輸出入を目的にゼネラル物産株式会社が資本金18万円で設立された。1949年4月に石油元売会社の指定を受け、1952年11月にはスタンヴァックと石油製品の供給および委託販売の契約を結んだ。1953年7月に東京証券取引所へ株式を上場し、1956年9月には原油購入と技術援助の契約も加えた。販売会社が自前の精製設備を持ったのが1958年11月で、東亜燃料工業と折半出資でゼネラル石油株式会社を設立し、1960年11月に川崎製油所を完成させた。同じ1960年12月、東亜燃料工業は東燃石油化学株式会社を設立して石油化学に入った。 [18][19][20]

  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書(第86期・2005年12月期)
    • [18]1947年7月に石油製品の販売・輸出入を目的としてゼネラル物産株式会社(資本金18万円)が設立され、1949年4月に石油元売会社に指定された
    • [19]1952年11月にスタンダード・バキューム社と石油製品の供給および委託販売契約を、1956年9月に原油購入および技術援助に関する契約を締結し、1953年7月に東京証券取引所に株式を上場した
  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書(第97期・2016年12月期)
    • [20]1958年11月にゼネラル物産と東亜燃料工業が折半出資でゼネラル石油株式会社を設立し、1960年11月に川崎製油所が完成した。1960年12月に東亜燃料工業が東燃石油化学株式会社を設立した
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「東亜燃料工業」
    • [11]1949年2月に東亜燃料工業がスタンダード・ヴァキューム社と基本契約を締結し、同社が株式の51%(後に55%)を取得、原油の確保・製品の販売・技術の援助を受けた
    • [14]原油処理量は1950年の日産7,690バレルから1951年12,840、1952年16,900、1953年20,336、1954年25,130バレルへ増加した
    • [15]1952年3月に徳山の旧海軍燃料廠の残存施設を和歌山工場へ移設し、プロパン脱瀝青とフェノール抽出の二装置を完成させ、清水工場のアセトン・ベンゾール脱蝋装置と合わせて高級潤滑油を生産した。ただし和歌山工場が「高級潤滑油生産の一貫作業」を行いうるようになったのは、1953年9月のプロパン脱蝋装置完成後である
    • [16]1953年秋にフルイド・ハイドロ・フォーミング装置(日産4,700バレル)の建設に着手し1954年12月に竣工、高オクタン価ガソリンを供給できるようになった
    • [17]1955年1月に和歌山工場の新常圧蒸溜装置(能力2万バレル)が完成し、既設と合わせて日産4万バレルとなり国内製油所で最大の能力となった。1955年6月期の売上高は72億9,000万円
  • 日本産業史 第2巻 エネルギー・資源(日本経済新聞社、1994年)「石油-めざましい再建」
    • [12]1949年2月に東燃とスタンダードバキューム、3月に日石とカルテックス、三菱とタイドウォーターがそれぞれ外資提携契約を結んだ
    • [13]1949年7月に総司令部から「太平洋岸製油所の操業および原油輸入に関する覚え書き」が発せられ、日本も消費地精製主義の道に入った
  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書(第86期・2005年12月期)
    • [18]1947年7月に石油製品の販売・輸出入を目的としてゼネラル物産株式会社(資本金18万円)が設立され、1949年4月に石油元売会社に指定された
    • [19]1952年11月にスタンダード・バキューム社と石油製品の供給および委託販売契約を、1956年9月に原油購入および技術援助に関する契約を締結し、1953年7月に東京証券取引所に株式を上場した
  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書(第97期・2016年12月期)
    • [20]1958年11月にゼネラル物産と東亜燃料工業が折半出資でゼネラル石油株式会社を設立し、1960年11月に川崎製油所が完成した。1960年12月に東亜燃料工業が東燃石油化学株式会社を設立した

1961年〜 スタンヴァック解体後の二系列と「石油の優等生」

  1. 1961年スタンヴァックの再編成により、エッソ・スタンダード石油とモービル石油が設立
  2. 1962年エッソ・スタンダード・イースタンが東亜燃料工業株式を25%取得
  3. 1962年モービル・ペトロリアムが東亜燃料工業株式を25%取得
  4. 1967年ゼネラル物産をゼネラル石油に、ゼネラル石油をゼネラル石油精製に商号変更
  5. 1973年ゼネラル石油がゼネラル石油化学工業を設立
  6. 1976年中原伸之常務が証券アナリスト協会で講演
  7. 1976年石炭液化など石油以外の分野への展開方針を表明

東燃ゼネラル石油の業績推移:単体

売上高(億円)

出所:有価証券報告書等

エッソとモービルが半分ずつ持つ会社

1961年から1962年にかけて、二つの系譜の資本関係が組み替えられた。1961年8月、東亜燃料工業は保有するゼネラル石油株式をスタンヴァックへ譲渡する。同年12月にはスタンヴァックの再編成でエッソ・スタンダード石油株式会社とモービル石油株式会社が設立され、1962年3月のスタンヴァック解体に伴って、エッソ・スタンダード・イースタンとモービル・ペトロリアムが東亜燃料工業の株式を25%ずつ取得した。エクソンとモービルが半分ずつ持つ精製会社と、同じ系列に属する販売会社が並ぶ構造は、ここで固まった。 [21][22][23]

  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書(第97期・2016年12月期)
    • [21]1961年8月に東亜燃料工業が保有するゼネラル石油株式をスタンダード・ヴァキューム社へ譲渡した
    • [22]1961年12月にスタンヴァックの再編成によりエッソ・スタンダード石油株式会社とモービル石油株式会社が設立された
    • [23]1962年3月のスタンヴァック解体に伴い、エッソ・スタンダード・イースタン社とモービル・ペトロリアム社がそれぞれ東亜燃料工業の株式の25%ずつを取得した

1962年7月に石油業法が施行され、10月に原油輸入が自由化された。政府は精製設備の許可を通じて需給を調整したが、結果として起きたのは業界の細分化である。石油業法施行時に日量114万8,000バレルだった精製能力は1966年末に221万バレル、1971年末に410万バレル、石油ショック前年の1973年末には541万バレルへ膨らみ、精製会社は施行時の16社に対して14社が新設された。ゼネラル石油系も1965年7月に堺製油所を完成させ、1967年1月にはゼネラル物産をゼネラル石油に、ゼネラル石油をゼネラル石油精製に商号変更した。1972年5月に南西石油へ資本参加し、1973年3月にはゼネラル石油化学工業を設立した。 [24][25][26]

  • 日本産業史 第3巻 エネルギー・資源(日本経済新聞社、1994年)「石油-高度成長の光と影、石油ショック」
    • [24]精製能力は石油業法施行時の日量114万8,000バレルから1966年末に221万バレル、1971年末に410万バレル、1973年末には541万バレルへ増加し、施行時の精製会社16社にほぼ匹敵する14社が新設された
    • [25]石油業法は1962年7月に施行され、同年10月からの原油輸入自由化に備えて国内での需給調整と安定供給をねらった
  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書(第86期・2005年12月期)
    • [26]1965年7月にゼネラル石油の堺製油所が完成し、1967年1月にゼネラル物産をゼネラル石油に、ゼネラル石油をゼネラル石油精製に商号変更した。1972年5月に南西石油に資本参加し、1973年3月にゼネラル石油化学工業を設立した
  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書(第97期・2016年12月期)
    • [21]1961年8月に東亜燃料工業が保有するゼネラル石油株式をスタンダード・ヴァキューム社へ譲渡した
    • [22]1961年12月にスタンヴァックの再編成によりエッソ・スタンダード石油株式会社とモービル石油株式会社が設立された
    • [23]1962年3月のスタンヴァック解体に伴い、エッソ・スタンダード・イースタン社とモービル・ペトロリアム社がそれぞれ東亜燃料工業の株式の25%ずつを取得した
  • 日本産業史 第3巻 エネルギー・資源(日本経済新聞社、1994年)「石油-高度成長の光と影、石油ショック」
    • [24]精製能力は石油業法施行時の日量114万8,000バレルから1966年末に221万バレル、1971年末に410万バレル、1973年末には541万バレルへ増加し、施行時の精製会社16社にほぼ匹敵する14社が新設された
    • [25]石油業法は1962年7月に施行され、同年10月からの原油輸入自由化に備えて国内での需給調整と安定供給をねらった
  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書(第86期・2005年12月期)
    • [26]1965年7月にゼネラル石油の堺製油所が完成し、1967年1月にゼネラル物産をゼネラル石油に、ゼネラル石油をゼネラル石油精製に商号変更した。1972年5月に南西石油に資本参加し、1973年3月にゼネラル石油化学工業を設立した

石油ショックを黒字で通り抜けた収益構造

1973年10月の第四次中東戦争を機に、原油価格は2か月あまりで3.8倍に跳ね上がった。東亜燃料工業は削減できる設備投資をすべて止め、当時250億円と見積もっていた直接脱硫装置の建設を取りやめた。1974年の経費予算は売上数量が3年前の水準に落ちる前提で組み、自家用燃料の使用量を大幅に削り、採用人員も絞った。それでも1974年は業界にとって最悪の年で、価格は同年3月17日まで凍結され、解除後もキロリットル当たり平均8,946円の上昇しか認められず、業界全体でキロリットル当たり5,000円の逆ざやとなった。円安とドルユーザンス金利の高騰も重なり、同社だけで約90億円の為替差損が出た。 [27][28][29]

  • 日本産業史 第3巻 エネルギー・資源(日本経済新聞社、1994年)「石油-高度成長の光と影、石油ショック」
    • [27]原油価格はクウェート宣言を経て2か月あまりで3.8倍に急騰した
  • 証券アナリストジャーナル 1976年6月号「東亜燃料工業 高収益力の定着化をはかる」
    • [28]東亜燃料工業は当時250億円の見積りだった直接脱硫装置を含め削減可能な設備投資をすべて削減し、売上数量が3年前の水準に落ちる前提で1974年の経費予算を組み、省エネルギー運動と採用人員の抑制を進めた
    • [29]1974年1月1日からの原油価格4倍の値上がりにもかかわらず同年3月17日まで価格が凍結され、解除後もキロリットル当たり平均8,946円の上昇しか認められず、業界全体でキロリットル当たり5,000円の逆ざやとなった。同社の1974年の為替差損は約90億円

1975年、同社は経常利益96〜97億円を計上した。業界の累積赤字が実質5,000億円といわれるなかでの黒字で、「東燃研究」という言葉まで生まれた。理由は一つではない。ガソリンの生産比率が全国平均11%に対して20%と高く、白油の比率も45.4%に対して63%あった。原油の油種選択でエクソンとモービルの供給網を使えた。過剰船腹を全国平均の半分以下に抑えていた。自己資本比率は業界平均6.3%に対して約18%で、支払金利はキロリットル当たり400円ほど安かった。製油所の人員も精製能力1,000バレル当たり4.7人と、業界平均5.3人を下回っていた。 [30][31][32]

  • 証券アナリストジャーナル 1976年6月号「東亜燃料工業 高収益力の定着化をはかる」
    • [30]1975年に同社は経常利益96〜97億円を計上した。石油業界全体では表面上約2,000億円、実質5,000億円の累積赤字といわれ、「東燃研究」という言葉がはやった
    • [31]ガソリンの生産比率は全国平均11%に対し同社20%、白物の生産比率は全国平均45.4%に対し63%、B・C重油の黒物は全国45%に対し27%だった
    • [32]過剰船腹比率は全国平均の半分以下、自己資本比率は石油業界平均6.3%に対し約18%、支払金利はキロリットル当たり400円程度安く、製油所人員は精製能力1,000バレル/日当たり業界平均5.3人に対し4.7人だった

原油の購入条件そのものは、むしろ外資系のほうが不利だった。公示価格からの値引きもシッパーズ・ユーザンスもなく、軽質原油が多いためFOB価格も高い。中原伸之常務は1976年4月の証券アナリスト協会での講演で、同社が「最も不利な条件で買っている」と述べている。優位は調達価格ではなく、製品構成と財務体質の側にあった。同じ講演で中原常務は、エクソンが手がける石炭液化や太陽電池を含む石油以外の分野への進出にも触れた。石油精製だけで高収益を保ってきた会社が、精製の外へ事業を広げる検討に入った年である。 [33][34][35]

  • 証券アナリストジャーナル 1976年6月号「東亜燃料工業 高収益力の定着化をはかる」
    • [33]中原伸之常務は「原油の取引条件に関しては外資系はむしろ不利であり、中でも当社は最も不利な条件で買っている」と述べた
    • [34]提携先のエクソンは1966年から石炭液化のパイロットプラントを建設しており、東亜燃料工業は専門家を派遣して詳細を詰める段階にあった。エクソンは太陽電池・電気自動車・エネルギー貯蔵などの非石油分野も検討していた
    • [35]講演は1976年4月23日に東京で開かれた日本証券アナリスト協会企業分析部会でのもので、中原伸之氏は当時 東亜燃料工業株式会社の常務取締役だった
  • 日本産業史 第3巻 エネルギー・資源(日本経済新聞社、1994年)「石油-高度成長の光と影、石油ショック」
    • [27]原油価格はクウェート宣言を経て2か月あまりで3.8倍に急騰した
  • 証券アナリストジャーナル 1976年6月号「東亜燃料工業 高収益力の定着化をはかる」
    • [28]東亜燃料工業は当時250億円の見積りだった直接脱硫装置を含め削減可能な設備投資をすべて削減し、売上数量が3年前の水準に落ちる前提で1974年の経費予算を組み、省エネルギー運動と採用人員の抑制を進めた
    • [29]1974年1月1日からの原油価格4倍の値上がりにもかかわらず同年3月17日まで価格が凍結され、解除後もキロリットル当たり平均8,946円の上昇しか認められず、業界全体でキロリットル当たり5,000円の逆ざやとなった。同社の1974年の為替差損は約90億円
    • [30]1975年に同社は経常利益96〜97億円を計上した。石油業界全体では表面上約2,000億円、実質5,000億円の累積赤字といわれ、「東燃研究」という言葉がはやった
    • [31]ガソリンの生産比率は全国平均11%に対し同社20%、白物の生産比率は全国平均45.4%に対し63%、B・C重油の黒物は全国45%に対し27%だった
    • [32]過剰船腹比率は全国平均の半分以下、自己資本比率は石油業界平均6.3%に対し約18%、支払金利はキロリットル当たり400円程度安く、製油所人員は精製能力1,000バレル/日当たり業界平均5.3人に対し4.7人だった
    • [33]中原伸之常務は「原油の取引条件に関しては外資系はむしろ不利であり、中でも当社は最も不利な条件で買っている」と述べた
    • [34]提携先のエクソンは1966年から石炭液化のパイロットプラントを建設しており、東亜燃料工業は専門家を派遣して詳細を詰める段階にあった。エクソンは太陽電池・電気自動車・エネルギー貯蔵などの非石油分野も検討していた
    • [35]講演は1976年4月23日に東京で開かれた日本証券アナリスト協会企業分析部会でのもので、中原伸之氏は当時 東亜燃料工業株式会社の常務取締役だった

1986年〜 中原伸之の風土改革と、規制緩和が崩した価格体系

  1. 1986年中原伸之氏が東亜燃料工業の社長に就任
  2. 1986年経営会議に担当課長を加える組織風土改革に着手
  3. 1987年ゼネラル石油が川崎製油所の主要設備を撤去
  4. 1987年川崎製油所を川崎工場に名称変更
  5. 1989年東亜燃料工業が東燃に商号変更
  6. 1994年中原伸之社長が辞任
  7. 1994年玉堀為彦氏が社長に就任

東燃ゼネラル石油の業績推移:単体

売上高(億円)

出所:有価証券報告書等

資産を減らす経営への転換と商号変更

1986年3月、東亜燃料工業の社長に中原伸之氏が就いた。同じころ、石油業界を囲っていた規制が外れ始めている。1984年12月に無印業者のライオンズ石油がシンガポールからのガソリン輸入計画を表明したのをきっかけに、1986年1月には特定石油製品輸入暫定措置法(特石法)が施行された。1986年11月に設けられた石油産業基本問題検討委員会は翌年6月、平常時は石油産業の自主的な活動にゆだねるという官民の役割分担を打ち出し、設備許可制の弾力化から生産計画指導の廃止までの行動計画を示した。1986年には原油価格が10ドルを割る逆オイルショックも起きた。1989年7月、東亜燃料工業は東燃株式会社へ商号を変えた。 [36][37][38][39]

  • 日経ビジネス 1986年4月14日号「中原伸之氏(東亜燃料工業)登場」
    • [36]1986年3月に中原伸之氏が東亜燃料工業の社長に就任し、経営会議に担当課長を加えるなど組織風土の改革に着手した
  • 日経ビジネス 1987年7月20日号「シリーズ・「一流を追う男」中原伸之・東亜燃料工業社長」
    • [37]中原伸之氏の社長在任中、日経ビジネスは1986年4月14日号で新社長として、1987年7月20日号ではシリーズ「一流を追う男」で東亜燃料工業社長として取り上げた
  • 日本産業史 第4巻 エネルギー・資源(日本経済新聞社、1994年)「石油-規制緩和の進展と湾岸危機」
    • [38]1984年12月に無印業者のライオンズ石油がシンガポールからのガソリン輸入計画を表明し、1986年1月に特定石油製品輸入暫定措置法(特石法・期間10年)が施行された
    • [39]1986年11月に石油産業基本問題検討委員会が設置され、1987年6月の報告書で平常時は石油産業の自主的活動にゆだねる官民の役割分担と規制緩和行動計画が示された。1986年には原油価格が2回にわたり10ドルを割った

中原社長が1994年3月に辞任し、玉堀為彦氏へ引き継いだ後も、東燃は資産を増やさずに減らす経営を続けた。1989年12月期に2,838億円あった株主資本は、1996年12月期には1,695億円まで縮んだ。一株利益をはるかに上回る配当と自社株の買入償却で、意図して減らした結果だった。同じ時期、業界首位の日本石油は株主資本4,805億円を抱えて株主資本利益率2.2%にとどまった。資産をため込む民族系と、資産効率で測る外資系とで、経営の物差しそのものが違っていた。ただし民族系の判断が誤りだったわけではない。供給責任とシェアを守る経営は規制に守られた市場では合理的であり、規制が外れて初めて資産の重さが表面化した。 [40][41][42][43]

  • 週刊東洋経済 1997年5月24日号「石油精製・元売り 低ROEで民族系優位」
    • [40]東燃はエクソンとモービルがそれぞれ25%ずつ株式を保有する精製専業会社で、1989年12月期に2,838億円あった株主資本が1996年12月には1,695億円に減少した。一株利益をはるかに上回る超高配当と自社株買入償却で株主資本を意識的に減らしてきたためである
    • [41]日本石油の株主資本利益率は2.2%、株主資本は4,805億円で、エクソンの株主資本利益率は15%が「基準」とされていた
    • [42]民族系は会社の資産を極大化する傾向があり、外資系・半外資系は資産効率と株主資本利益率を重視する経営で、採算が悪くなれば従来の地域や販売チャネルにこだわらず撤退した
  • 日経ビジネス 1995年1月16日号「玉堀為彦氏[東燃]登場 自由化にらみ風土改革に直言」
    • [43]1994年3月に中原伸之社長が辞任し、東燃タンカー社長の玉堀為彦氏が社長に就任した
  • 日経ビジネス 1986年4月14日号「中原伸之氏(東亜燃料工業)登場」
    • [36]1986年3月に中原伸之氏が東亜燃料工業の社長に就任し、経営会議に担当課長を加えるなど組織風土の改革に着手した
  • 日経ビジネス 1987年7月20日号「シリーズ・「一流を追う男」中原伸之・東亜燃料工業社長」
    • [37]中原伸之氏の社長在任中、日経ビジネスは1986年4月14日号で新社長として、1987年7月20日号ではシリーズ「一流を追う男」で東亜燃料工業社長として取り上げた
  • 日本産業史 第4巻 エネルギー・資源(日本経済新聞社、1994年)「石油-規制緩和の進展と湾岸危機」
    • [38]1984年12月に無印業者のライオンズ石油がシンガポールからのガソリン輸入計画を表明し、1986年1月に特定石油製品輸入暫定措置法(特石法・期間10年)が施行された
    • [39]1986年11月に石油産業基本問題検討委員会が設置され、1987年6月の報告書で平常時は石油産業の自主的活動にゆだねる官民の役割分担と規制緩和行動計画が示された。1986年には原油価格が2回にわたり10ドルを割った
  • 週刊東洋経済 1997年5月24日号「石油精製・元売り 低ROEで民族系優位」
    • [40]東燃はエクソンとモービルがそれぞれ25%ずつ株式を保有する精製専業会社で、1989年12月期に2,838億円あった株主資本が1996年12月には1,695億円に減少した。一株利益をはるかに上回る超高配当と自社株買入償却で株主資本を意識的に減らしてきたためである
    • [41]日本石油の株主資本利益率は2.2%、株主資本は4,805億円で、エクソンの株主資本利益率は15%が「基準」とされていた
    • [42]民族系は会社の資産を極大化する傾向があり、外資系・半外資系は資産効率と株主資本利益率を重視する経営で、採算が悪くなれば従来の地域や販売チャネルにこだわらず撤退した
  • 日経ビジネス 1995年1月16日号「玉堀為彦氏[東燃]登場 自由化にらみ風土改革に直言」
    • [43]1994年3月に中原伸之社長が辞任し、東燃タンカー社長の玉堀為彦氏が社長に就任した

特石法廃止と世界規模の合併の余波

1995年12月、東燃は製油所の遊休地を使う卸電力事業への参入計画を進めていた。電力卸売りの解禁が目前に迫った時期で、自家発電の技術と土地を持つ素材産業には商機があった。翌1996年4月、特石法が廃止された。ガソリンと灯軽油の税抜き価格がそろう国際的な価格体系への移行が始まり、四半世紀続いたガソリン独歩高が崩れた。系列給油所は全国で約5万4,000か所まで増えており、元売各社は本社人員の削減と精製設備投資の抑制に入った。エッソ石油・ゼネラル石油・東燃の3社は資材購入や工事発注の共同化でコストを削った。 [44][45][46]

  • 日経ビジネス 1995年12月4日号「解禁秒読み段階に入った電力卸売りビジネス。『東燃』発電所、実現に向け加速」
    • [44]1995年12月時点で電力卸売りの解禁が秒読み段階に入り、東燃が遊休地を活用した発電所の実現に向けて動いていた
  • 週刊東洋経済 1997年4月26日号「21世紀の業界地図 石油 特石法廃止きっかけに再編加速」
    • [45]1996年4月1日に特定石油製品輸入暫定措置法が廃止され、ガソリンと灯軽油の税抜き価格がフラットという国際価格体系への移行が始まった。ガソリン独歩高の価格体系は四半世紀続き、日本のSSは約5万4,000カ所あった
    • [46]石油元売りは本社人員の削減(Jエナジー、コスモ石油、三菱石油、東燃など)と精製設備投資の抑制(日本石油、ゼネラル石油など)に踏み切り、同じエクソン系列のエッソ石油、ゼネラル石油、東燃は資材購入や工事発注など業務共同化によりコスト削減を進めた

当時のガソリン市場占有率は首位の日本石油が16%で、エッソ石油・ゼネラル石油・モービル石油はそれぞれ6〜8%前後を占めた。同じ系列の各社と精製専業の東燃が一つに統合されていれば21%で断然の首位になる、と週刊東洋経済は書いている。統合が現実に近づいたのは資本の側からだった。1997年7月、エッソ・イースタンがゼネラル石油株式420万株を追加取得し、間接所有分を含む所有割合が50.1%となる。1998年6月、ゼネラル石油は決算期を3月末から12月末へ移した。そして1999年、米エクソンとモービルが合併する。日本の2系譜を分けていた資本の境目が、本国の側で消えた。 [47][48][49]

  • 週刊東洋経済 1997年5月24日号「石油精製・元売り 低ROEで民族系優位」
    • [47]ガソリンの市場シェアは首位の日本石油が16%、エッソ石油・ゼネラル石油・モービル石油がそれぞれ6〜8%前後で、これらと精製専業の東燃が「日本スタンダードオイル」として統合されていればガソリンの市場シェア21%という断トツの首位企業であるはずだった
  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書(第86期・2005年12月期)
    • [48]1997年7月にエッソ・イースタン・インコーポレーテッドがゼネラル石油の発行済株式420万株を追加取得し、間接所有(エッソ石油所有の1.53%)を含めて株式所有割合が50.1%となった
  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書(第86期・2005年12月期)/同(第97期・2016年12月期)
    • [49]1998年6月にゼネラル石油が決算期を毎年3月31日から毎年12月31日に変更した。1999年に米エクソンとモービルが合併した
  • 日経ビジネス 1995年12月4日号「解禁秒読み段階に入った電力卸売りビジネス。『東燃』発電所、実現に向け加速」
    • [44]1995年12月時点で電力卸売りの解禁が秒読み段階に入り、東燃が遊休地を活用した発電所の実現に向けて動いていた
  • 週刊東洋経済 1997年4月26日号「21世紀の業界地図 石油 特石法廃止きっかけに再編加速」
    • [45]1996年4月1日に特定石油製品輸入暫定措置法が廃止され、ガソリンと灯軽油の税抜き価格がフラットという国際価格体系への移行が始まった。ガソリン独歩高の価格体系は四半世紀続き、日本のSSは約5万4,000カ所あった
    • [46]石油元売りは本社人員の削減(Jエナジー、コスモ石油、三菱石油、東燃など)と精製設備投資の抑制(日本石油、ゼネラル石油など)に踏み切り、同じエクソン系列のエッソ石油、ゼネラル石油、東燃は資材購入や工事発注など業務共同化によりコスト削減を進めた
  • 週刊東洋経済 1997年5月24日号「石油精製・元売り 低ROEで民族系優位」
    • [47]ガソリンの市場シェアは首位の日本石油が16%、エッソ石油・ゼネラル石油・モービル石油がそれぞれ6〜8%前後で、これらと精製専業の東燃が「日本スタンダードオイル」として統合されていればガソリンの市場シェア21%という断トツの首位企業であるはずだった
  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書(第86期・2005年12月期)
    • [48]1997年7月にエッソ・イースタン・インコーポレーテッドがゼネラル石油の発行済株式420万株を追加取得し、間接所有(エッソ石油所有の1.53%)を含めて株式所有割合が50.1%となった
  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書(第86期・2005年12月期)/同(第97期・2016年12月期)
    • [49]1998年6月にゼネラル石油が決算期を毎年3月31日から毎年12月31日に変更した。1999年に米エクソンとモービルが合併した

2000年〜 一体運営から資本独立へ、そして統合による幕引き

  1. 2000年ゼネラル石油が東燃を吸収合併
  2. 2000年東燃ゼネラル石油に商号変更
  3. 2000年エクソンモービルの間接子会社に
  4. 2002年エッソ石油・モービル石油などの合併によりエクソンモービルが発足
  5. 2012年EMGマーケティングの持分99.0%を取得
  6. 2012年エクソンモービルが主要株主に
  7. 2017年JXHDの株式交換により完全子会社となり上場廃止

東燃ゼネラル石油の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

合併とエクソンモービル体制の一体運営

2000年2月、エッソ石油とモービル石油が有限会社へ組織を変えた。同年7月、ゼネラル石油を存続会社として東燃を合併し、東燃ゼネラル石油株式会社が発足する。合併に伴い発行済株式総数3億8,062万8,338株を2.7株につき1株の割合で無償併合して減資し、5億6,148万8,560株を新たに発行した。前年の米エクソンとモービルの合併と併せ、同社はエクソンモービル コーポレーションの間接子会社となり、国内の他の子会社と一体で運営される体制に入った。1947年に販売会社として生まれた法人が、1939年生まれの精製会社を吸収する。二つの系譜は、ここで一つになった。 [50][51][52]

  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書(第97期・2016年12月期)
    • [50]2000年2月にエッソ石油株式会社とモービル石油株式会社が有限会社へ組織変更した
    • [51]2000年7月にゼネラル石油(存続会社)と東燃が合併し東燃ゼネラル石油株式会社に商号変更した。本合併と1999年の米エクソンとモービル間での合併の結果、同社は米エクソン モービル コーポレーションの間接子会社となり、同時にエクソンモービルの国内他子会社と一体運営を開始した
  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書(第86期・2005年12月期)
    • [52]合併に伴い発行済株式の総数380,628,338株について2.7株に対し1株の割合で無償併合することにより減資を行い、新株561,488,560株(1株の額面金額50円)を発行した

一体運営は、業務を機能別の会社へ切り出すところから始まった。合併と同時に、マーケティング業務をエクソンモービルマーケティング有限会社に、管理統括業務をエクソンモービルビジネスサービス有限会社に委任する契約を結んだ。2000年12月に連結販売子会社11社が解散し、2001年1月にゼネラル物産を、7月にキグナス石油精製を吸収合併した。2002年6月には委任先を含む4社が合併してエクソンモービル有限会社が発足した。手元に残ったのは精製と製品供給を担う会社で、売上高は2001年12月期の2兆623億円から2008年12月期の3兆2,724億円まで振れた。 [53][54][55]

  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書(第86期・2005年12月期)
    • [53]2000年7月に東燃ゼネラル石油はエッソ石油(有)が設立したエクソンモービルマーケティング(有)にマーケティング業務を、エクソンモービルビジネスサービス(有)に管理統括業務を委任する契約を締結した
    • [54]2000年12月に連結販売子会社11社が解散し、2001年1月にゼネラル物産を、2001年7月にキグナス石油精製を吸収合併した。2002年6月にエッソ石油(有)・モービル石油(有)・エクソンモービルマーケティング(有)・エクソンモービルビジネスサービス(有)の合併によりエクソンモービル(有)が発足した
  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書 主要な経営指標等の推移(第82期・第89期)
    • [55]連結売上高は2001年12月期の2兆623億円から2008年12月期の3兆2,724億円まで推移した
  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書(第97期・2016年12月期)
    • [50]2000年2月にエッソ石油株式会社とモービル石油株式会社が有限会社へ組織変更した
    • [51]2000年7月にゼネラル石油(存続会社)と東燃が合併し東燃ゼネラル石油株式会社に商号変更した。本合併と1999年の米エクソンとモービル間での合併の結果、同社は米エクソン モービル コーポレーションの間接子会社となり、同時にエクソンモービルの国内他子会社と一体運営を開始した
  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書(第86期・2005年12月期)
    • [52]合併に伴い発行済株式の総数380,628,338株について2.7株に対し1株の割合で無償併合することにより減資を行い、新株561,488,560株(1株の額面金額50円)を発行した
    • [53]2000年7月に東燃ゼネラル石油はエッソ石油(有)が設立したエクソンモービルマーケティング(有)にマーケティング業務を、エクソンモービルビジネスサービス(有)に管理統括業務を委任する契約を締結した
    • [54]2000年12月に連結販売子会社11社が解散し、2001年1月にゼネラル物産を、2001年7月にキグナス石油精製を吸収合併した。2002年6月にエッソ石油(有)・モービル石油(有)・エクソンモービルマーケティング(有)・エクソンモービルビジネスサービス(有)の合併によりエクソンモービル(有)が発足した
  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書 主要な経営指標等の推移(第82期・第89期)
    • [55]連結売上高は2001年12月期の2兆623億円から2008年12月期の3兆2,724億円まで推移した

資本独立、製油所削減、そして統合

2012年6月、東燃ゼネラル石油はEMGマーケティング合同会社の持分99.0%を取得し、販売機能を自社側へ戻した。エクソンモービルは親会社から主要株主へ退いた。同じころ、政策が製油所の削減を迫った。エネルギー供給構造高度化法に基づく重質油分解装置の装備率規制で、各社は分解装置に投資するか、精製能力を削るかの選択を迫られた。同社は2012年7月に川崎工場の分解装置を増強し、必要な削減量を日量12万7,000バレルまで下げた。2014年2月に三井石油の株式95.5%を取得し、2015年7月には極東石油工業を吸収合併し、千葉工場を直営に移した。 [56][57][58]

  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書(第97期・2016年12月期)
    • [56]2012年6月にEMGマーケティング合同会社の持分の99.0%を取得して製販一体経営による新体制となり、エクソンモービル コーポレーションは親会社から主要株主となった
    • [58]2014年2月に三井石油株式会社の発行済株式の95.5%を取得し、2015年7月に極東石油工業合同会社を吸収合併した
  • 週刊東洋経済 2012年12月23日号「どうなる石油業界再編 焦点は東燃、コスモの精製能力削減の決断」
    • [57]東燃は2012年7月下旬に川崎工場の分解装置の増強に踏み切り、これによって必要とされる能力削減は日量12.7万バレルとなった。2012年6月に親会社のエクソンモービル日本法人を買収し、エクソンはなお同社の22%の株式を握っていた

統合を決めた時期の東燃ゼネラル石油は、数字の振れが大きい会社だった。2013年12月期に3兆2,412億円あった売上高は2016年12月期に2兆894億円へ縮み、2014年12月期は経常損失734億円・当期純損失140億円、2015年12月期は経常損失3億円・当期純利益1億円と、2期続けて利益が消えかけた。抱えていたのは川崎・堺・和歌山・千葉の4工場で、いずれも2017年3月末までに常圧蒸留装置の公称能力を削る必要があった。従業員は連結3,393人。1953年に上場した会社は、規模も設備も単独では抱えきれない大きさになっていた。 [59][60][61]

  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書 主要な経営指標等の推移(第94期〜第97期)
    • [59]連結売上高は2013年12月期3兆2,412億円、2014年12月期3兆4,511億円、2015年12月期2兆6,278億円、2016年12月期2兆894億円。経常損益は2014年12月期△734億円、2015年12月期△3億円、2016年12月期767億円で、当期純損益は2014年12月期△140億円、2015年12月期1億円、2016年12月期644億円
  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書(第97期・2016年12月期)
    • [60]2016年12月31日現在の提出会社の主要な設備は本店のほか川崎工場・堺工場・和歌山工場・千葉工場の4工場で、2017年3月31日までに常圧蒸留装置と残油処理装置の処理能力比率の改善が必要となるため4工場における常圧蒸留装置の公称能力の削減を行うとしていた
    • [61]2016年12月31日現在の連結従業員数は3,393人(石油事業2,794人・石油化学事業599人)、臨時雇用者は年間平均3,162人だった

資本の側はすでに独立していた。2016年12月末の大株主に旧親会社の名は無く、日本トラスティ・サービス信託銀行4.89%、三井物産4.64%、日本マスタートラスト信託銀行4.40%が並ぶ。外資の資本を離れた会社を、JXホールディングスは販売シェア約51%の連合を組む相手として選んだ。2016年8月に経営統合契約を締結し、2017年1月にEMGマーケティングを吸収合併したうえで、2017年4月1日、株式交換により完全子会社となって上場を終えた。4つの工場と製品は次の会社へ移り、ゼネラル物産以来63年余続いた上場と、東燃ゼネラル石油という社名が消えた。 [62][63][64][65]

  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書(第97期・2016年12月期)
    • [62]2016年12月31日現在の大株主は日本トラスティ・サービス信託銀行(信託口)4.89%、三井物産4.64%、日本マスタートラスト信託銀行(信託口)4.40%、高知信用金庫2.43%で、エクソンモービル関連会社は大株主に含まれていない
    • [64]2016年8月にJXホールディングスとの間で2017年4月1日に両社グループの経営統合を行う経営統合契約等を締結し、2017年1月にEMGマーケティング(同)を吸収合併した
    • [65]2017年4月1日にJXホールディングスの株式交換により完全子会社となり上場廃止となった。ゼネラル物産の東京証券取引所上場(1953年7月)から63年9か月にあたる
  • 週刊東洋経済 2015年12月18日号「石油 2強と組めないコスモ」
    • [63]2015年12月にJXホールディングスと東燃ゼネラル石油が経営統合で基本合意し、再編後は単純合算で売上高14兆円のJX・東燃ゼネラル連合(販売シェア約51%)となると報じられた
  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書(第97期・2016年12月期)
    • [56]2012年6月にEMGマーケティング合同会社の持分の99.0%を取得して製販一体経営による新体制となり、エクソンモービル コーポレーションは親会社から主要株主となった
    • [58]2014年2月に三井石油株式会社の発行済株式の95.5%を取得し、2015年7月に極東石油工業合同会社を吸収合併した
    • [60]2016年12月31日現在の提出会社の主要な設備は本店のほか川崎工場・堺工場・和歌山工場・千葉工場の4工場で、2017年3月31日までに常圧蒸留装置と残油処理装置の処理能力比率の改善が必要となるため4工場における常圧蒸留装置の公称能力の削減を行うとしていた
    • [61]2016年12月31日現在の連結従業員数は3,393人(石油事業2,794人・石油化学事業599人)、臨時雇用者は年間平均3,162人だった
    • [62]2016年12月31日現在の大株主は日本トラスティ・サービス信託銀行(信託口)4.89%、三井物産4.64%、日本マスタートラスト信託銀行(信託口)4.40%、高知信用金庫2.43%で、エクソンモービル関連会社は大株主に含まれていない
    • [64]2016年8月にJXホールディングスとの間で2017年4月1日に両社グループの経営統合を行う経営統合契約等を締結し、2017年1月にEMGマーケティング(同)を吸収合併した
    • [65]2017年4月1日にJXホールディングスの株式交換により完全子会社となり上場廃止となった。ゼネラル物産の東京証券取引所上場(1953年7月)から63年9か月にあたる
  • 週刊東洋経済 2012年12月23日号「どうなる石油業界再編 焦点は東燃、コスモの精製能力削減の決断」
    • [57]東燃は2012年7月下旬に川崎工場の分解装置の増強に踏み切り、これによって必要とされる能力削減は日量12.7万バレルとなった。2012年6月に親会社のエクソンモービル日本法人を買収し、エクソンはなお同社の22%の株式を握っていた
  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書 主要な経営指標等の推移(第94期〜第97期)
    • [59]連結売上高は2013年12月期3兆2,412億円、2014年12月期3兆4,511億円、2015年12月期2兆6,278億円、2016年12月期2兆894億円。経常損益は2014年12月期△734億円、2015年12月期△3億円、2016年12月期767億円で、当期純損益は2014年12月期△140億円、2015年12月期1億円、2016年12月期644億円
  • 週刊東洋経済 2015年12月18日号「石油 2強と組めないコスモ」
    • [63]2015年12月にJXホールディングスと東燃ゼネラル石油が経営統合で基本合意し、再編後は単純合算で売上高14兆円のJX・東燃ゼネラル連合(販売シェア約51%)となると報じられた

東燃ゼネラル石油の沿革1893〜2017年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
ソコニーとヴァキューム・オイルが横浜に日本支店を開設★★
ソコニーとヴァキューム・オイルの合併によりソコニー・ヴァキューム日本支店に
スタンヴァックの設立により日本国内はスタンヴァック日本支社に★★
石油関係10社の共同出資により東亜燃料工業を創立★★★
東亜燃料工業の和歌山工場が操業を開始。清水工場は1943年に操業を開始★★
和歌山工場が空襲で被災し操業停止のまま終戦を迎える★★
連合軍の指令により製油所の操業が全国的に停止★★
東亜燃料工業が資材売却や製氷などの副業で事業を継続★★
石油製品の販売、輸出入を目的としてゼネラル物産を設立★★★
和歌山工場が連合軍から石油輸入基地に指定
清水工場も同年12月に指定
東亜燃料工業がスタンダード・ヴァキューム社と資本業務提携★★★
スタンダード・ヴァキューム社が株式51%を取得し主要株主に★★★
ゼネラル物産が石油元売会社に指定★★
清水工場が原油第一船を迎えて操業を再開。和歌山工場も同年4月に操業を再開★★
ゼネラル物産がスタンダード・ヴァキューム社と石油製品の委託販売契約を締結
ゼネラル物産が東京証券取引所に株式を上場
和歌山工場の新常圧蒸溜装置が完成★★
原油処理能力が日産4万バレルとなり国内最大に★★
ゼネラル物産がスタンダード・ヴァキューム社と原油購入契約を締結
ゼネラル物産がスタンダード・ヴァキューム社と技術援助契約を締結
ゼネラル物産と東亜燃料工業が折半出資でゼネラル石油を設立★★
ゼネラル石油の川崎製油所が完成
東亜燃料工業が東燃石油化学を設立★★★
石油化学事業に参入★★★
東亜燃料工業が保有するゼネラル石油株式をスタンダード・ヴァキューム社へ譲渡
スタンヴァックの再編成により、エッソ・スタンダード石油とモービル石油が設立★★
エッソ・スタンダード・イースタンが東亜燃料工業株式を25%取得★★★
モービル・ペトロリアムが東亜燃料工業株式を25%取得★★★
ゼネラル石油の堺製油所が完成
ゼネラル物産をゼネラル石油に、ゼネラル石油をゼネラル石油精製に商号変更★★★
ゼネラル石油が南西石油に資本参加
ゼネラル石油がゼネラル石油化学工業を設立★★
中原伸之常務が証券アナリスト協会で講演★★★
石炭液化など石油以外の分野への展開方針を表明★★★
エッソ・イースタンが第三者割当によりゼネラル石油の発行済株式数の49%を取得★★
ゼネラル石油がゼネラル石油精製とゼネラル瓦斯を吸収合併★★
中原伸之氏が東亜燃料工業の社長に就任★★★
経営会議に担当課長を加える組織風土改革に着手★★★
ゼネラル石油が川崎製油所の主要設備を撤去★★
川崎製油所を川崎工場に名称変更★★
東亜燃料工業が東燃に商号変更★★★
中原伸之社長が辞任★★
玉堀為彦氏が社長に就任★★
東燃が製油所の遊休地を活用した卸電力事業への参入計画を進める★★
特定石油製品輸入暫定措置法(特石法)が廃止★★
石油製品の輸入が自由化★★
エッソ・イースタンがゼネラル石油株式420万株を追加取得★★
エッソ・イースタンの所有割合が50.1%に★★
ゼネラル石油がゼネラル石油化学工業を吸収合併
ゼネラル石油が決算期を毎年3月31日から毎年12月31日に変更★★
ゼネラル石油が東燃を吸収合併★★★
東燃ゼネラル石油に商号変更★★★
エクソンモービルの間接子会社に★★★
東燃ゼネラル石油がゼネラル物産を吸収合併。同年7月にはキグナス石油精製を吸収合併
エッソ石油・モービル石油などの合併によりエクソンモービルが発足★★
販売業務と管理統括業務をエクソンモービルへ委任★★
EMGマーケティングの持分99.0%を取得★★★
エクソンモービルが主要株主に★★★
三井石油の株式の95.5%を取得★★
極東石油工業も子会社化★★
極東石油工業を吸収合併★★
千葉工場を直営化★★
東京電力管内で家庭向け電力販売への参入を表明★★
JXHDと経営統合契約を締結★★
EMGマーケティングを吸収合併
JXHDの株式交換により完全子会社となり上場廃止★★★
出典・参考
  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書(第97期・2016年12月期)
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「石油 概説」
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「東亜燃料工業」
  • 日本産業史 第2巻 エネルギー・資源(日本経済新聞社、1994年)「石油-めざましい再建」
  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書(第86期・2005年12月期)
  • 日本産業史 第3巻 エネルギー・資源(日本経済新聞社、1994年)「石油-高度成長の光と影、石油ショック」
  • 証券アナリストジャーナル 1976年6月号「東亜燃料工業 高収益力の定着化をはかる」
  • 日経ビジネス 1986年4月14日号「中原伸之氏(東亜燃料工業)登場」
  • 日経ビジネス 1987年7月20日号「シリーズ・「一流を追う男」中原伸之・東亜燃料工業社長」
  • 日本産業史 第4巻 エネルギー・資源(日本経済新聞社、1994年)「石油-規制緩和の進展と湾岸危機」
  • 週刊東洋経済 1997年5月24日号「石油精製・元売り 低ROEで民族系優位」
  • 日経ビジネス 1995年1月16日号「玉堀為彦氏[東燃]登場 自由化にらみ風土改革に直言」
  • 日経ビジネス 1995年12月4日号「解禁秒読み段階に入った電力卸売りビジネス。『東燃』発電所、実現に向け加速」
  • 週刊東洋経済 1997年4月26日号「21世紀の業界地図 石油 特石法廃止きっかけに再編加速」
  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書(第86期・2005年12月期)/同(第97期・2016年12月期)
  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書 主要な経営指標等の推移(第82期・第89期)
  • 週刊東洋経済 2012年12月23日号「どうなる石油業界再編 焦点は東燃、コスモの精製能力削減の決断」
  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書 主要な経営指標等の推移(第94期〜第97期)
  • 週刊東洋経済 2015年12月18日号「石油 2強と組めないコスモ」

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