{"title":"東燃ゼネラル石油の歴史概略","sections":[{"start_year":1893,"end_year":1960,"main_title":"外資の支店と海軍の国策会社、二つの系譜が別々に生まれる","subsections":[{"title":"横浜の支店と、軍需で生まれた精製会社","text":"1893年5月、米国のソコニー（スタンダード・オイル・カンパニー・オブ・ニューヨーク）と米国ヴァキューム・オイルが、それぞれ横浜に日本支店を開いた。灯油と潤滑油を売るための拠点である。以後の日本市場では、日本石油と宝田石油を軸とする民族系と、スタンダード系・ライジングサン系の外資が並び立った。1934年の石油業法は販売割当と価格公定で外国業者の輸入・販売攻勢を抑え、関税障壁で国内業者を保護した。外資は販売網を持ちながら、国内に精製設備を持ちにくい立場に置かれた。同じ1934年2月、ソコニー・ヴァキューム・コーポレーションとスタンダード・オイル（ニュージャージー）がスタンヴァックを設立し、横浜の支店はスタンヴァック日本支社となった。\n\nその5年後、1939年7月に東亜燃料工業株式会社が創立された。航空揮発油と高級潤滑油、つまり軍用油を供給するための会社である。公称資本金5,000万円のうち払込は1,250万円で、石油関係10社が出資した。日本石油が1,600万円、小倉石油が1,100万円、朝鮮石油が600万円、早山石油と愛国石油が各400万円、丸善石油・新津石油・三菱本社・三菱商事が各200万円、三菱鉱業が100万円を持ち寄った。一社の意思ではなく、業界と軍の要請が重なって生まれた会社であった。設立後ただちに清水と和歌山で精製工場の建設に着手し、和歌山工場は1941年、清水工場は1943年に操業を始めた。\n\n太平洋戦争の悪化で原油の輸入が途絶えると、東亜燃料工業は両工場の装置の一部を人造石油と松根油の製造へ転換する作業に入った。その最中の1945年7月、和歌山工場が空襲で被災し、操業を停止したまま終戦を迎えた。1946年9月には連合軍の指令で操業が全国的に止まり、手持資材の売却と製塩・製氷の副業で収入をつないだ。水素添加装置を使って硫安を作る転換も計画したが、総司令部の許可は下りなかった。軍需のために設計された会社は、その軍需が消えたところで、精製以外の収入で食いつなぐほかなくなっていた。","references":[{"title":"東燃ゼネラル石油 有価証券報告書（第97期・2016年12月期）「沿革」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"会社銀行八十年史（東洋経済新報社、1955年）「東亜燃料工業」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"会社銀行八十年史（東洋経済新報社、1955年）「石油 概説」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日本産業史 第2巻 エネルギー・資源（日本経済新聞社、1994年）「石油－めざましい再建」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"外資提携による再建と、販売会社の上場","text":"転機は外資との提携だった。1949年2月、東亜燃料工業は米国スタンダード・ヴァキューム社と基本契約を結び、同社が株式の51％、のちに55％を取得した。契約の主眼は資本のほかに原油の確保、製品の販売、技術の援助にある。同じ年、日本石油はカルテックスと、三菱石油はタイドウォーターと提携しており、外資との結合は一社の選択ではなく業界全体の再建条件であった。1949年7月には総司令部が太平洋岸製油所の操業と原油輸入に関する覚え書きを発し、日本も消費地精製主義の道に入る。1950年1月に清水工場が、4月に和歌山工場が原油第一船を迎えて操業を再開した。\n\n再開後の伸びは速い。原油処理量は1950年の日産7,690バレルから1954年には25,130バレルへ3.3倍になった。1952年3月には徳山の旧海軍燃料廠の残存施設を和歌山工場へ移設し、プロパン脱瀝青とフェノール抽出の二装置を完成させ、清水工場の脱蝋装置と合わせて高級潤滑油を生産した。和歌山工場が一貫作業を行えるようになったのは、1953年9月のプロパン脱蝋装置完成後である。1954年12月には日産4,700バレルのフルイド・ハイドロ・フォーミング装置が竣工し、高オクタン価ガソリンを供給できるようになった。1955年1月には和歌山工場の新常圧蒸溜装置が完成して原油処理能力が日産4万バレルとなり、国内の製油所で最大となった。1955年6月期の売上高は72億9,000万円だった。\n\nもう一つの系譜は販売から始まった。1947年7月、石油製品の販売と輸出入を目的にゼネラル物産株式会社が資本金18万円で設立された。1949年4月に石油元売会社の指定を受け、1952年11月にはスタンヴァックと石油製品の供給および委託販売の契約を結んだ。1953年7月に東京証券取引所へ株式を上場し、1956年9月には原油購入と技術援助の契約も加えた。販売会社が自前の精製設備を持ったのが1958年11月で、東亜燃料工業と折半出資でゼネラル石油株式会社を設立し、1960年11月に川崎製油所を完成させた。同じ1960年12月、東亜燃料工業は東燃石油化学株式会社を設立して石油化学に入った。","references":[{"title":"東燃ゼネラル石油 有価証券報告書（第97期・2016年12月期）「沿革」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"会社銀行八十年史（東洋経済新報社、1955年）「東亜燃料工業」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"会社銀行八十年史（東洋経済新報社、1955年）「石油 概説」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日本産業史 第2巻 エネルギー・資源（日本経済新聞社、1994年）「石油－めざましい再建」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]}]},{"start_year":1961,"end_year":1985,"main_title":"スタンヴァック解体後の二系列と「石油の優等生」","subsections":[{"title":"エッソとモービルが半分ずつ持つ会社","text":"1961年から1962年にかけて、二つの系譜の資本関係が組み替えられた。1961年8月、東亜燃料工業は保有するゼネラル石油株式をスタンヴァックへ譲渡する。同年12月にはスタンヴァックの再編成でエッソ・スタンダード石油株式会社とモービル石油株式会社が設立され、1962年3月のスタンヴァック解体に伴って、エッソ・スタンダード・イースタンとモービル・ペトロリアムが東亜燃料工業の株式を25％ずつ取得した。エクソンとモービルが半分ずつ持つ精製会社と、同じ系列に属する販売会社が並ぶ構造は、ここで固まった。\n\n1962年7月に石油業法が施行され、10月に原油輸入が自由化された。政府は精製設備の許可を通じて需給を調整したが、結果として起きたのは業界の細分化である。石油業法施行時に日量114万8,000バレルだった精製能力は1966年末に221万バレル、1971年末に410万バレル、石油ショック前年の1973年末には541万バレルへ膨らみ、精製会社は施行時の16社に対して14社が新設された。ゼネラル石油系も1965年7月に堺製油所を完成させ、1967年1月にはゼネラル物産をゼネラル石油に、ゼネラル石油をゼネラル石油精製に商号変更した。1972年5月に南西石油へ資本参加し、1973年3月にはゼネラル石油化学工業を設立した。","references":[{"title":"東燃ゼネラル石油 有価証券報告書（第97期・2016年12月期）「沿革」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"東燃ゼネラル石油 有価証券報告書（第86期・2005年12月期）「沿革」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1976年6月号「東亜燃料工業 高収益力の定着化をはかる」（中原伸之・東亜燃料工業常務取締役、1976年4月23日 日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日本産業史 第3巻 エネルギー・資源（日本経済新聞社、1994年）「石油－高度成長の光と影、石油ショック」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日本産業史 第3巻 エネルギー・資源（日本経済新聞社、1994年）「石油－第二次石油ショックと業界再編」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"石油ショックを黒字で通り抜けた収益構造","text":"1973年10月の第四次中東戦争を機に、原油価格は2か月あまりで3.8倍に跳ね上がった。東亜燃料工業は削減できる設備投資をすべて止め、当時250億円と見積もっていた直接脱硫装置の建設を取りやめた。1974年の経費予算は売上数量が3年前の水準に落ちる前提で組み、自家用燃料の使用量を大幅に削り、採用人員も絞った。それでも1974年は業界にとって最悪の年で、価格は同年3月17日まで凍結され、解除後もキロリットル当たり平均8,946円の上昇しか認められず、業界全体でキロリットル当たり5,000円の逆ざやとなった。円安とドルユーザンス金利の高騰も重なり、同社だけで約90億円の為替差損が出た。\n\n1975年、同社は経常利益96〜97億円を計上した。業界の累積赤字が実質5,000億円といわれるなかでの黒字で、「東燃研究」という言葉まで生まれた。理由は一つではない。ガソリンの生産比率が全国平均11％に対して20％と高く、白油の比率も45.4％に対して63％あった。原油の油種選択でエクソンとモービルの供給網を使えた。過剰船腹を全国平均の半分以下に抑えていた。自己資本比率は業界平均6.3％に対して約18％で、支払金利はキロリットル当たり400円ほど安かった。製油所の人員も精製能力1,000バレル当たり4.7人と、業界平均5.3人を下回っていた。\n\n原油の購入条件そのものは、むしろ外資系のほうが不利だった。公示価格からの値引きもシッパーズ・ユーザンスもなく、軽質原油が多いためFOB価格も高い。中原伸之常務は1976年4月の証券アナリスト協会での講演で、同社が「最も不利な条件で買っている」と述べている。優位は調達価格ではなく、製品構成と財務体質の側にあった。同じ講演で中原常務は、エクソンが手がける石炭液化や太陽電池を含む石油以外の分野への進出にも触れた。石油精製だけで高収益を保ってきた会社が、精製の外へ事業を広げる検討に入った年である。","references":[{"title":"東燃ゼネラル石油 有価証券報告書（第97期・2016年12月期）「沿革」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"東燃ゼネラル石油 有価証券報告書（第86期・2005年12月期）「沿革」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1976年6月号「東亜燃料工業 高収益力の定着化をはかる」（中原伸之・東亜燃料工業常務取締役、1976年4月23日 日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日本産業史 第3巻 エネルギー・資源（日本経済新聞社、1994年）「石油－高度成長の光と影、石油ショック」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日本産業史 第3巻 エネルギー・資源（日本経済新聞社、1994年）「石油－第二次石油ショックと業界再編」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]}]},{"start_year":1986,"end_year":1999,"main_title":"中原伸之の風土改革と、規制緩和が崩した価格体系","subsections":[{"title":"資産を減らす経営への転換と商号変更","text":"1986年3月、東亜燃料工業の社長に中原伸之氏が就いた。同じころ、石油業界を囲っていた規制が外れ始めている。1984年12月に無印業者のライオンズ石油がシンガポールからのガソリン輸入計画を表明したのをきっかけに、1986年1月には特定石油製品輸入暫定措置法（特石法）が施行された。1986年11月に設けられた石油産業基本問題検討委員会は翌年6月、平常時は石油産業の自主的な活動にゆだねるという官民の役割分担を打ち出し、設備許可制の弾力化から生産計画指導の廃止までの行動計画を示した。1986年には原油価格が10ドルを割る逆オイルショックも起きた。1989年7月、東亜燃料工業は東燃株式会社へ商号を変えた。\n\n中原社長が1994年3月に辞任し、玉堀為彦氏へ引き継いだ後も、東燃は資産を増やさずに減らす経営を続けた。1989年12月期に2,838億円あった株主資本は、1996年12月期には1,695億円まで縮んだ。一株利益をはるかに上回る配当と自社株の買入償却で、意図して減らした結果だった。同じ時期、業界首位の日本石油は株主資本4,805億円を抱えて株主資本利益率2.2％にとどまった。資産をため込む民族系と、資産効率で測る外資系とで、経営の物差しそのものが違っていた。ただし民族系の判断が誤りだったわけではない。供給責任とシェアを守る経営は規制に守られた市場では合理的であり、規制が外れて初めて資産の重さが表面化した。","references":[{"title":"東燃ゼネラル石油 有価証券報告書（第97期・2016年12月期）「沿革」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"東燃ゼネラル石油 有価証券報告書（第86期・2005年12月期）「沿革」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 1986年4月14日号「中原伸之氏（東亜燃料工業）登場」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 1995年12月4日号「解禁秒読み段階に入った電力卸売りビジネス。『東燃』発電所、実現に向け加速」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 1997年4月26日号「２１世紀の業界地図 石油 特石法廃止きっかけに再編加速」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 1997年5月24日号「石油精製・元売り 低ＲＯＥで民族系優位」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日本産業史 第4巻 エネルギー・資源（日本経済新聞社、1994年）「石油－規制緩和の進展と湾岸危機」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"特石法廃止と世界規模の合併の余波","text":"1995年12月、東燃は製油所の遊休地を使う卸電力事業への参入計画を進めていた。電力卸売りの解禁が目前に迫った時期で、自家発電の技術と土地を持つ素材産業には商機があった。翌1996年4月、特石法が廃止された。ガソリンと灯軽油の税抜き価格がそろう国際的な価格体系への移行が始まり、四半世紀続いたガソリン独歩高が崩れた。系列給油所は全国で約5万4,000か所まで増えており、元売各社は本社人員の削減と精製設備投資の抑制に入った。エッソ石油・ゼネラル石油・東燃の3社は資材購入や工事発注の共同化でコストを削った。\n\n当時のガソリン市場占有率は首位の日本石油が16％で、エッソ石油・ゼネラル石油・モービル石油はそれぞれ6〜8％前後を占めた。同じ系列の各社と精製専業の東燃が一つに統合されていれば21％で断然の首位になる、と週刊東洋経済は書いている。統合が現実に近づいたのは資本の側からだった。1997年7月、エッソ・イースタンがゼネラル石油株式420万株を追加取得し、間接所有分を含む所有割合が50.1％となる。1998年6月、ゼネラル石油は決算期を3月末から12月末へ移した。そして1999年、米エクソンとモービルが合併する。日本の2系譜を分けていた資本の境目が、本国の側で消えた。","references":[{"title":"東燃ゼネラル石油 有価証券報告書（第97期・2016年12月期）「沿革」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"東燃ゼネラル石油 有価証券報告書（第86期・2005年12月期）「沿革」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 1986年4月14日号「中原伸之氏（東亜燃料工業）登場」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 1995年12月4日号「解禁秒読み段階に入った電力卸売りビジネス。『東燃』発電所、実現に向け加速」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 1997年4月26日号「２１世紀の業界地図 石油 特石法廃止きっかけに再編加速」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 1997年5月24日号「石油精製・元売り 低ＲＯＥで民族系優位」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日本産業史 第4巻 エネルギー・資源（日本経済新聞社、1994年）「石油－規制緩和の進展と湾岸危機」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]}]},{"start_year":2000,"end_year":2017,"main_title":"一体運営から資本独立へ、そして統合による幕引き","subsections":[{"title":"合併とエクソンモービル体制の一体運営","text":"2000年2月、エッソ石油とモービル石油が有限会社へ組織を変えた。同年7月、ゼネラル石油を存続会社として東燃を合併し、東燃ゼネラル石油株式会社が発足する。合併に伴い発行済株式総数3億8,062万8,338株を2.7株につき1株の割合で無償併合して減資し、5億6,148万8,560株を新たに発行した。前年の米エクソンとモービルの合併と併せ、同社はエクソンモービル コーポレーションの間接子会社となり、国内の他の子会社と一体で運営される体制に入った。1947年に販売会社として生まれた法人が、1939年生まれの精製会社を吸収する。二つの系譜は、ここで一つになった。\n\n一体運営は、業務を機能別の会社へ切り出すところから始まった。合併と同時に、マーケティング業務をエクソンモービルマーケティング有限会社に、管理統括業務をエクソンモービルビジネスサービス有限会社に委任する契約を結んだ。2000年12月に連結販売子会社11社が解散し、2001年1月にゼネラル物産を、7月にキグナス石油精製を吸収合併した。2002年6月には委任先を含む4社が合併してエクソンモービル有限会社が発足した。手元に残ったのは精製と製品供給を担う会社で、売上高は2001年12月期の2兆623億円から2008年12月期の3兆2,724億円まで振れた。","references":[{"title":"東燃ゼネラル石油 有価証券報告書（第97期・2016年12月期）「沿革」「従業員の状況」「主要な設備の状況」「大株主の状況」「事業等のリスク」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"東燃ゼネラル石油 有価証券報告書（第86期・2005年12月期）「沿革」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"東燃ゼネラル石油 有価証券報告書 主要な経営指標等の推移（第82期〜第97期・2001年12月期〜2016年12月期）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2011年11月15日号「石油 経産省主導で始まった製油所閉鎖のドミノ」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2012年12月23日号「どうなる石油業界再編 焦点は東燃、コスモの精製能力削減の決断」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2015年12月18日号「石油 ２強と組めないコスモ」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2016年2月12日号「石油会社 自社電源を生かし電気代の安さを訴求」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"資本独立、製油所削減、そして統合","text":"2012年6月、東燃ゼネラル石油はＥＭＧマーケティング合同会社の持分99.0％を取得し、販売機能を自社側へ戻した。エクソンモービルは親会社から主要株主へ退いた。同じころ、政策が製油所の削減を迫った。エネルギー供給構造高度化法に基づく重質油分解装置の装備率規制で、各社は分解装置に投資するか、精製能力を削るかの選択を迫られた。同社は2012年7月に川崎工場の分解装置を増強し、必要な削減量を日量12万7,000バレルまで下げた。2014年2月に三井石油の株式95.5％を取得し、2015年7月には極東石油工業を吸収合併し、千葉工場を直営に移した。\n\n統合を決めた時期の東燃ゼネラル石油は、数字の振れが大きい会社だった。2013年12月期に3兆2,412億円あった売上高は2016年12月期に2兆894億円へ縮み、2014年12月期は経常損失734億円・当期純損失140億円、2015年12月期は経常損失3億円・当期純利益1億円と、2期続けて利益が消えかけた。抱えていたのは川崎・堺・和歌山・千葉の4工場で、いずれも2017年3月末までに常圧蒸留装置の公称能力を削る必要があった。従業員は連結3,393人。1953年に上場した会社は、規模も設備も単独では抱えきれない大きさになっていた。\n\n資本の側はすでに独立していた。2016年12月末の大株主に旧親会社の名は無く、日本トラスティ・サービス信託銀行4.89％、三井物産4.64％、日本マスタートラスト信託銀行4.40％が並ぶ。外資の資本を離れた会社を、ＪＸホールディングスは販売シェア約51％の連合を組む相手として選んだ。2016年8月に経営統合契約を締結し、2017年1月にＥＭＧマーケティングを吸収合併したうえで、2017年4月1日、株式交換により完全子会社となって上場を終えた。4つの工場と製品は次の会社へ移り、ゼネラル物産以来63年余続いた上場と、東燃ゼネラル石油という社名が消えた。","references":[{"title":"東燃ゼネラル石油 有価証券報告書（第97期・2016年12月期）「沿革」「従業員の状況」「主要な設備の状況」「大株主の状況」「事業等のリスク」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"東燃ゼネラル石油 有価証券報告書（第86期・2005年12月期）「沿革」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"東燃ゼネラル石油 有価証券報告書 主要な経営指標等の推移（第82期〜第97期・2001年12月期〜2016年12月期）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2011年11月15日号「石油 経産省主導で始まった製油所閉鎖のドミノ」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2012年12月23日号「どうなる石油業界再編 焦点は東燃、コスモの精製能力削減の決断」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2015年12月18日号「石油 ２強と組めないコスモ」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2016年2月12日号「石油会社 自社電源を生かし電気代の安さを訴求」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]}]}],"summary":{"title":"サマリー","text":""}}