1934年〜 日本タール工業から三菱化成工業へ ── 財閥の化学部門として
- 1934年三菱鉱業と旭硝子の折半出資により日本タール工業として発足
- 1935年黒崎工場が操業を開始
- 1944年旭硝子を合併
- 1944年三菱化成工業に商号変更
- 1950年企業再建整備計画により繊維部門を新光レイヨンとして分離
- 1950年硝子部門を旭硝子として分離
- 1950年化学工業部門を継承し日本化成工業が発足
三菱化学の業績推移:単体
出所:有価証券報告書等
コークス炉の副産物から始めた折半出資会社
三菱化学の淵源は、1934年8月1日に三菱鉱業と旭硝子が折半出資して設立した日本タール工業株式会社にある。出資者の顔ぶれがそのまま事業の中身を説明している。三菱鉱業は石炭を掘り、コークス炉からタールを出す。旭硝子はソーダ工業を持ち、化学品の使い手でもある。両社が半分ずつ金を出して作ったのは、そのタールを原料に染料や医薬中間体を作る石炭化学の会社だった。翌1935年10月に黒崎工場が操業を始め、1936年10月には日本化成工業株式会社に商号を変えている。黒崎の石炭化学が、その後の20年にわたって収益の柱であり続けた。 [1][2][3]
- 三菱化学 有価証券報告書 第21期(2015年6月24日提出)【沿革】
- [1]1934年8月に三菱鉱業と旭硝子の折半出資により日本タール工業株式会社が設立された
- [2]1935年10月に黒崎工場が操業を開始し、1936年10月に日本化成工業株式会社へ商号変更した
- 『企業の歴史 明治百年』(1968年)「三菱化成工業」
- [3]黒崎工場の石炭化学を主軸に発展した
日本タール工業が発足した1934年は、日本の経済が戦時体制へ移る時期と重なった。化学工業の戦後史が硫安の復興から始まったように、戦前戦中の化学工業もまた肥料と軍需に強く引かれる産業だった。日本化成工業も例外ではなく、黒崎工場でアンモニアを合成し、肥料と染料の両方を扱っている。ただし、出発点がコークス副産物だったことは後まで効いた。石炭化学と肥料という二つの既存事業が、1960年代の石油化学投資を支える資金源になったからである。石炭を掘る会社と硝子を作る会社が半分ずつ出した資本から始めた事業が、20年後には石油を原料とする装置産業へ資金を送り出す側に回った。 [4][5]
- 証券アナリストジャーナル 1976年12月号「三菱化成工業 ライフ・インダストリーのさきがけとして」(常務取締役 藤井芳郎)
- [4]石炭化学および肥料の二つの事業がその後の石油化学の発展を支える基礎になった
- 日本産業史 第2巻(日本経済新聞社、1994年)「化学-肩で風切る肥料」
- [5]戦後日本の化学工業の再出発は化学肥料工業、なかでも硫安工業の復興から始まった
- 三菱化学 有価証券報告書 第21期(2015年6月24日提出)【沿革】
- [1]1934年8月に三菱鉱業と旭硝子の折半出資により日本タール工業株式会社が設立された
- [2]1935年10月に黒崎工場が操業を開始し、1936年10月に日本化成工業株式会社へ商号変更した
- 『企業の歴史 明治百年』(1968年)「三菱化成工業」
- [3]黒崎工場の石炭化学を主軸に発展した
- 証券アナリストジャーナル 1976年12月号「三菱化成工業 ライフ・インダストリーのさきがけとして」(常務取締役 藤井芳郎)
- [4]石炭化学および肥料の二つの事業がその後の石油化学の発展を支える基礎になった
- 日本産業史 第2巻(日本経済新聞社、1994年)「化学-肩で風切る肥料」
- [5]戦後日本の化学工業の再出発は化学肥料工業、なかでも硫安工業の復興から始まった
戦時に一つになり、1950年に三つに割れた
戦時統制のもとで、三菱系の化学関連会社は日本化成工業に集約された。1942年に新興人絹を合併し、1944年4月には旭硝子を合併して三菱化成工業株式会社と商号を改めている。この時点で一つの法人の中に、化学、繊維、硝子の三つの事業が同居していた。1946年2月には全額出資で長浜ゴム工業を設立し、樹脂加工の部門も抱えている。三菱系の化学関連事業が一つの法人に束ねられていた期間は、敗戦をまたぐこの6年しかない。統合の理由は経営判断というより戦時統制にあり、原料も労働力も配分される側の会社にとって、法人を一つにまとめるのは要請に従うことでもあった。束ね方が事業の論理から出ていないため、統制が解けたときに束ねたままでいる理由も残らなかった。 [6][7][8]
- 証券アナリストジャーナル 1976年12月号「三菱化成工業 ライフ・インダストリーのさきがけとして」(常務取締役 藤井芳郎)
- [6]1942年に新興人絹(現三菱レイヨン)を合併した
- 三菱化学 有価証券報告書 第21期(2015年6月24日提出)【沿革】
- [7]1944年4月に旭硝子株式会社を合併し三菱化成工業株式会社と商号変更した
- [8]1946年2月に全額出資の長浜ゴム工業株式会社(現三菱樹脂株式会社)を設立した
束ねたものは、6年後に解かれた。1950年6月、企業再建整備計画にもとづいて繊維部門は新光レイヨン株式会社として、硝子部門は旭硝子株式会社として分離され、化学工業部門を継承した会社が日本化成工業株式会社の名で発足した。有価証券報告書の【沿革】はこの三分割を法人の連続の中に置いており、1934年の日本タール工業から数えて途切れのない一本の系譜として記している。同じ月に東京証券取引所へ株式を上場した。分離された二社が三菱レイヨンと旭硝子であり、1946年に設立した長浜ゴム工業が三菱樹脂になる。1950年に散らばった三菱の化学関連会社のうち、三菱レイヨンと三菱樹脂は67年後に三菱化学と再び一つになる。 [9][10][11]
- 三菱化学 有価証券報告書 第21期(2015年6月24日提出)【沿革】
- [9]1950年6月、企業再建整備計画により繊維部門は新光レイヨン、硝子部門は旭硝子として分離し、化学工業部門を継承して日本化成工業株式会社が発足した
- [10]1950年6月に東京証券取引所へ株式を上場した
- 証券アナリストジャーナル 1976年12月号「三菱化成工業 ライフ・インダストリーのさきがけとして」(常務取締役 藤井芳郎)
- [11]1950年の分割はレイヨン・ガラス・化学の3部門に分けるものだった
- 証券アナリストジャーナル 1976年12月号「三菱化成工業 ライフ・インダストリーのさきがけとして」(常務取締役 藤井芳郎)
- [6]1942年に新興人絹(現三菱レイヨン)を合併した
- [11]1950年の分割はレイヨン・ガラス・化学の3部門に分けるものだった
- 三菱化学 有価証券報告書 第21期(2015年6月24日提出)【沿革】
- [7]1944年4月に旭硝子株式会社を合併し三菱化成工業株式会社と商号変更した
- [8]1946年2月に全額出資の長浜ゴム工業株式会社(現三菱樹脂株式会社)を設立した
- [9]1950年6月、企業再建整備計画により繊維部門は新光レイヨン、硝子部門は旭硝子として分離し、化学工業部門を継承して日本化成工業株式会社が発足した
- [10]1950年6月に東京証券取引所へ株式を上場した