YKKの歴史
沿革
1934年に吉田忠雄氏が東京日本橋で創業したサンエス商会が起源。
1949年に米国製の自動植え付け機を導入してファスナーを量産し、1959年には余ったアルミ合金でアルミサッシへ参入した。株式を公開せず社員が株主であり続けるファスナーと建材の大手である。
創業期
1934年〜吉田忠雄のサンエス商会創業と戦中の全焼
- 吉田忠雄氏がファスナーを商うサンエス商会を東京日本橋に創業[1]
- 南米諸国と豪州へ初輸出[2]
- 吉田工業所に商号変更[3]
- アルミファスナーを考案・発売[2]
- 千葉県木更津町と久留里町に分工場を設置[2]
- メキシコ向け出荷を最後に輸出が停止[1]
- 吉田工業所を有限会社に改組[3]
- 東京大空襲による小松川工場全焼で一旦解散[3]
- 荏原製作所の下請けだった魚津鉄工所を買収[1]
- 吉田工業に商号変更[3]
- 商標YKKの制定[4]
成長期
1949年〜米国製自動機の導入と黒部工場による一貫生産
- チェーンマシーン4台の輸入[1]
- 米イージー社製チェーンマシーンが到着[1]
- 本社を東京都中央区日本橋馬喰町に移転[3]
- 黒部工場の着工(1955年5月稼動)[4]
- 販売会社の吉田商事(現YKK AP)を設立[3]
- 生地工場(現黒部工場)の着工[4]
- 本社を東京都台東区浅草雷門に移転[3]
成長期
1959年〜アルミサッシへの多角化と米欧アジアの統括会社設立
- インドにファスナー製造プラントを輸出[3]
- アルミサッシへの参入[1]
- ニュージーランドに初の海外子会社を設立[3]
- 生地工場でアルミ建材の製造を開始[1]
- 本社を東京都千代田区へ移転[3]
- 建材専用の四国工場を着工[4]
- 建材専用の東北工場を着工[4]
- 建材専用の九州工場を着工[4]
- YKKインダストリーズ・シンガポールを設立[3]
- 豪州のアルミ製錬事業ボインスメルターズへ参画[4]
- 米国子会社を統括するYKKコーポレーションを設立[4]
- 欧州子会社を統括するYKKヨーロッパを設立[4]
- アジア子会社を統括するYKKホールディング・アジアを設立[4]
転換期
1994年〜YKK APの完全子会社化と社員株主を続ける非公開の方針
- YKKに商号変更[4]
- YKKグループ環境宣言を制定[3]
- スナップ・ボタン事業の中核会社YKKニューマックスを設立[3]
- 吉田不動産(現YKK不動産)を完全子会社化[4]
- 株式交換によるYKK APの完全子会社化[1]
- 中国にYKK中国投資社を設立[4]
- 蘇州YKK工機を設立[3]
- 新設分割によるYKKファスニングプロダクツ販売の設立[3]
- 新設分割によるYKKビジネスサポートの設立[3]
- 非上場と社員持株の継続
- 建材製造事業本部がYKK APに統合[3]
- 工場見学「YKK TOURS」を開始[3]
- 一般開放施設「YKKセンターパーク」を開設[3]
- 新本社ビル「YKK80ビル」が東京都千代田区に完成[3]
- YKKファスニングプロダクツ販売と合併[3]
- YKKグループ環境ビジョン2050を策定[3]
- YKKサステナビリティビジョン2050を策定[3]
- コーポレートロゴを改定[3]
売上高経常利益率
- 売上高
- 売上原価
- 販管費
- 営業利益
- 経常利益率
YKK2026年3月期売上高9,926億円売上高経常利益率5.5%