創業地東京都
創業年1949
上場年1985
創業者潮田健次郎

独立系・個人創業戦後復興期の起業職人・家業・小売からの出発ニッチ・大手の手薄を突く1949年、戦後復興期の住宅需要を背景に、潮田健次郎氏が東京で日本建具工業(現LIXIL)を創業した。木製建具から出発し、1967年に東洋サッシを設けてアルミサッシへ後発参入すると、年に一棟しか建てない零細な工務店まで一軒ずつ訪ね、旗やパンフレットを添えて建材を納める密着営業で販路を広げた。設計力や価格の透明性を欠く全国の中小工務店の弱みを営業で補い、後発のトーヨーサッシは1980年代にサッシ業界首位に立った。工務店を囲い込んで建材の出口を確保する流通の仕組みが、のちの統合と多角化を支えた。

歴史詳細 - 4つの時代区分で読み解く

1949年〜2000年 建具問屋から出発しアルミサッシ首位、買収で住宅設備の総合企業へ

建具問屋を源流とするアルミサッシ事業への転換

1949年9月、潮田健次郎氏は東京で日本建具工業株式会社を設立し[1]、木製建具の製造販売から事業を興した。潮田家は戦前の東京で木造建具の商いを営んでおり[2]、健次郎氏はこれを母体に戦後の住宅需要へ応える建材メーカーを育てていった。1953年には東京都葛飾区の既存工場を買収して葛飾工場を設け[3]、量産の足場を固めた。1967年には東洋サッシ株式会社を設立してアルミサッシの一貫工場を建設し[4]、木製建具からアルミ建材への転換に踏み込んだ。1971年8月には商号をトーヨーサッシ株式会社へ改め、同年10月に東洋ドアーなど4社を吸収合併して[5]製造と販売の一体化を進めた。

サッシ業界での出発は後発だったが、トーヨーサッシは営業力で先発各社を追い上げ、1980年代に業界首位へ躍り出た[6]。創業者の潮田健次郎氏は、朝早くから深夜まで働く猛烈な訪問営業を率い[7]、中小の工務店や販売店を一軒ずつ開拓する現場主義で規模を広げた。取引先を頻繁に訪ね、与信管理や商売の要諦まで手ほどきする密着ぶりは、のちのサッシ首位を支える販売網の礎になった。1974年には東洋エクステリア株式会社を設立して外構事業へ、1977年にはビバホーム株式会社を設けて住宅流通へ進み[8]、建材の製造から住まい全般へと事業の幅を広げていった。

買収による事業領域の拡張と株式上場

1980年代のトーヨーサッシは、買収を通じて建材の川上へ事業を広げた。1985年には三井軽金属加工の営業を譲り受けてビル建材事業へ本格参入し[9]、同年に日鐵カーテンオールなどの株式を取得して超高層ビル用サッシの分野へ踏み込んだ[10]。新明和工業の株式取得で厨房事業にも進み[11]、住宅用サッシに偏っていた製品構成を業務用や高層建築向けへ広げた。先発の名門企業を相次いで傘下に収め、異なる企業文化を束ねながら規模を拡大する手法が、この時期に形づくられた。買収した企業の技術と販路を取り込み、住宅向けに偏っていた事業の裾野は業務用の建材へと広がっていった。

株式市場との関係づくりも同じ時期に進んだ。1985年8月、トーヨーサッシは東京証券取引所市場第二部へ株式を上場し、1987年3月に市場第一部へ指定替えとなった[12]。1987年8月には大阪証券取引所市場第一部にも上場して[13]、資本市場からの資金調達の道を広げた。1987年にはタイにTOSTEM THAI Co., Ltd.を設立して海外生産にも乗り出している[14]。1992年7月、同社は商号をトステム株式会社へ改め[15]、住まいの総合建材メーカーとしての企業像を前面へ押し出した。国内二市場への上場を通じて、資金調達と知名度の両面で成長の足場を固めていった。

中小工務店の囲い込みとトータルハウジング構想

トステムの成長を支えたのは、全国に散らばる中小工務店を囲い込む独自の流通戦略だった。木造住宅市場では中小工務店が着工の半分近くを占めていたが[16]、設計力や提案力、価格の透明性に課題を抱えていた。トステムは営業社員と販売店を通じて工務店を密に支援し、現場見学会用の旗やパンフレット、設計事務所の紹介、CAD機器の設置までを提供して、建材や機器の安定した販路を確保した。年に一棟しか建てない零細な工務店まで取引先に取り込み、全国の中小工務店の半数程度と関係を結んだとされる[17]。こうした密着型の支援が、他社には模倣しにくい販売網の厚みを生み、建材の安定した出口を確保した。

住宅の品質を保証する仕組みづくりにも早くから動いた。1999年、トステムは損害保険会社などと共同で株式会社日本住宅保証検査機構を設立し[18]、住宅の性能表示や検査、その後の増改築の紹介までを担う体制を整えた。1984年に設けたフランチャイズ住宅の株式会社アイフルホームと合わせ[19]、建材供給にとどまらず工務店の信頼性そのものを補完する事業を手掛けた。工務店を組織化して良質な住宅を安価に供給する構想は、住宅設備の総合企業としての性格を強めていった。1990年代末には、こうした流通とサービスの厚みが業界内での存在感を支えた。

2001年〜2010年 トステムとINAXの経営統合、持株会社化から住生活グループへ

売上高と利益率の推移:歴代経営トップの業績貢献
売上高(億円)
※経営トップ=有価証券報告書の提出書類における代表者(社長・CEO・会長など)

トステムとINAXの経営統合と純粋持株会社化

2001年10月、トステムは水回り設備大手のINAXと経営統合し、商号を株式会社INAXトステム・ホールディングスへ改めて純粋持株会社へ移行した[20]。株式交換でINAXを子会社に迎え、名古屋証券取引所市場第一部にも上場した。トステムはアルミサッシで、INAXは衛生陶器やタイルで、それぞれ国内屈指の地位を占めており、両社の統合で住まいの水回りから外まわりまでを一貫して手掛ける建材と住宅設備の総合企業が生まれた。連結売上高は9000億円規模に達し、INAXがフル連結される期には1兆円を超える見通しとなった[21]。統合を主導した潮田健次郎氏は、これを「建材業界初の一兆円企業の成立」と表現した[22]

純粋持株会社としてのINAXトステム・ホールディングスは、当時の日本では先駆けの形だった。潮田健次郎氏は、持株会社の核心を子会社社長の任命権に置き[23]、業績の劣る子会社の経営者を交代させる仕組みこそが企業統治の要だと考えた。同氏は数百年続いた財閥本社の統治形態を引き合いに、社長を番頭とみなして本社が任免する形を理想に掲げた。株主還元にも積極的で、2003年度には年間配当を40円へ引き上げ、自己株式取得と増配を組み合わせて株主本位の経営を打ち出した[24]。将来はさらに配当を80〜90円へ高める考えも示していた。

住生活グループへの改称と国内同業の合従連衡

2004年10月、同社は商号を株式会社住生活グループへ改め[25]、住まいに関わる事業を束ねる持株会社としての性格を明確にした。創業者の潮田健次郎氏の長男である潮田洋一郎氏が経営の前面に立ち、2006年に会長兼最高経営責任者へ就いた[26]。米シカゴ大学で経営学修士号を得た潮田洋一郎氏は、合理性を重んじる経営で国内の同業再編を進めた。2010年4月にはサンウエーブ工業を株式交換で子会社化し、新日軽の株式を取得して[27]、キッチンとサッシの有力ブランドをグループへ加えた。人口減少で縮む国内新築市場を規模で生き残るための合従連衡だった。

事業の拡大と国内市場の逆風は、同じ時期に業績へ表れた。住生活グループ発足後の2006年3月期の連結売上高は1兆577億円、経常利益は587億円で、統合による規模の効果が数字に現れた。しかし2008年秋のリーマンショック後は新築需要が急速に細り、2010年3月期の売上高は9826億円まで落ち込み、53億円の純損失を計上した。国内の新築着工は数年で3割減り[28]、同じ規模の固定費削減を迫られる厳しい環境が続いた。潮田洋一郎氏は成長分野へ人員を振り向ける構造改革を進めながら、次の成長の絵を描く必要に迫られていた。

LIXILブランドの創設と流通への進出

2010年1月、住生活グループはグループ統合ブランド「LIXIL(リクシル)」を立ち上げた[29]。トステムやINAXといった製品ブランドは残しつつ、企業グループ全体を束ねる旗印として新ブランドを掲げ、知名度の向上を狙った。同年11月には、トステムやINAXなど傘下の主要5社を翌年4月に統合すると発表し、メーカーの寄せ集めから流通やサービスまで一気通貫で担う事業モデルへの転換を打ち出した[30]。潮田洋一郎氏は、自社製品にとどまらず他社製品も扱う建材流通の担い手となり、年商1兆円規模の新しい事業を築く構想を語った。

新ブランドの浸透には試行錯誤もあった。住生活グループは2010年、プロ野球球団の横浜ベイスターズ買収を通じてLIXILの知名度を一気に高めようとしたが、本拠地移転をめぐる条件が折り合わず、交渉は2カ月ほどで破談となった[31]。潮田洋一郎氏は球団経営が一般の事業会社の買収とは勝手が違ったと振り返り、宣伝策の練り直しを迫られた。それでも住宅設備産業を商材ごとの縦割りから解き放ち、生産から流通までをつなぐ事業モデルを追う方針は変えず、翌2011年のLIXIL発足へと歩を進めた。球団買収による知名度向上という近道は絶たれ、ブランドの浸透は本業の再編そのものに委ねられた。

2011年〜2018年 LIXILグループ発足、藤森義明の世界化戦略と買収の巨額減損

売上高と利益率の推移:歴代経営トップの業績貢献
売上高(億円)
※経営トップ=有価証券報告書の提出書類における代表者(社長・CEO・会長など)

五社統合によるLIXIL発足と海外買収の加速

2011年4月、トステムはINAX、新日軽、サンウエーブ工業、東洋エクステリアなどを吸収合併し、商号を株式会社LIXILへ改めた[32]。住まいの建材や設備を担う主要事業会社が一つに束ねられ、国内では住宅設備で最大手の事業体となった。持株会社は2012年7月に株式会社LIXILグループへ商号を改め[33]、事業会社LIXILを傘下に置く形へと整えた。国内での大型再編が一巡すると、成熟した国内市場に代わる成長の場として海外へ目を向け、買収による世界展開を本格化させた。統合で重複する費用を見直し、3年間で1000億円を超えるコスト削減の効果を見込んだ[34]

世界展開の実行役として、2011年8月に米ゼネラル・エレクトリック(GE)出身の藤森義明氏が社長兼最高経営責任者に招かれた[35]。藤森義明氏はGEで名経営者ジャック・ウェルチ氏に鍛えられ、アジア人として初めて同社の本社副社長へ上り詰めた経歴を持つ。就任直後の2011年12月には、イタリアのカーテンウォール世界最大手ペルマスティリーザを買収した[36]。2013年8月には米衛生陶器大手アメリカンスタンダードの北米事業を、同年9月には独の水栓金具最大手グローエの買収を相次いで発表し[37]、水回り製品で世界規模の製品群を整えた。買収の投資総額は5000億円に迫った[38]

藤森義明の世界化戦略と組織の変革

藤森義明氏の経営は、買収による規模拡大と社内の人材変革を両輪とした。海外売上高比率は就任から3年弱で7倍に膨らみ、就任前に2割未満だった外国人持株比率は4割近くへ高まった。執行役13人のうち7人を外部から迎え[39]、GEや電機・自動車各社から人材を引き入れて経営の中枢を入れ替えた。グローエ買収では、日本政策投資銀行と共同で特別目的会社を設け、本体の財務を大きく傷めずに約3800億円規模の案件を組成する手法をとった[40]。買収を一巡させた後は、重複の少ない海外事業でどう相乗効果を生むかが問われた。

買収を重ねた売上高は年々積み上がった。LIXILグループの連結売上高はIFRSベースで2013年3月期に1兆4364億円、2015年3月期には1兆6734億円へ拡大し、海外事業が成長を牽引した。だが増加分の多くは買収した企業の売上が加わったもので、自力での内部成長は課題として残った[41]。株式市場では藤森義明氏の手腕を評価する声と、単純な足し算を超える相乗効果がまだ見えにくいという指摘が交錯した。買収先同士は地域も品ぞろえも重ならず、国内統合で得たようなコスト削減の効果を海外で再現できるかは見通しにくかった。

中国事業の不正会計と海外買収の巨額減損

世界化を急いだ買収は、中国事業で綻びを見せた。2015年5月、グローエの子会社である中国のジョウユウで不正会計と経営破綻が発覚し、LIXILは総額約660億円の損失を被った[42]。連結子会社化からわずか1カ月半での破綻で、決算発表は6月へ延期された。2016年3月期の連結最終損益は187億円の純損失に転じ、積極的な海外買収の負の側面が数字へ表れた。2011年1月に約32億円で買った中国のカーテンウォール会社、上海美特も、2016年3月に1シンガポールドルで売却され、追加出資を含め60億円強の売却損を計上した[43]

中国事業の失敗は経営陣の責任問題へ発展した。買収戦略の実行役として招かれた藤森義明氏は、ジョウユウ問題などの引責で2015年6月の株主総会をもって社長を退いた[44]。後任には、工事や工場向けの間接資材のネット通販モノタロウの創業に携わった瀬戸欣哉氏が外部から迎えられ、2016年6月に社長兼最高経営責任者へ就いた[45]。買収路線を敷いた潮田洋一郎氏は取締役会議長として経営の監督役に残り、創業家の影響力が保たれた。相次ぐ海外買収の果実をどう刈り取り、傷んだ財務をどう立て直すかが、新しい経営陣の重い課題として残された。

2019年〜2025年 機関投資家との経営権攻防、そして事業会社LIXILへの統合再編

売上高と利益率の推移:歴代経営トップの業績貢献
売上高(億円)
※経営トップ=有価証券報告書の提出書類における代表者(社長・CEO・会長など)

創業家と外部経営者による経営権の攻防

2018年10月31日、LIXILグループは瀬戸欣哉社長兼最高経営責任者の退任と、創業家2代目の潮田洋一郎取締役会議長の会長兼CEOへの復帰を発表した[46]。同時に社外取締役の山梨広一氏が最高執行責任者に就いた。潮田洋一郎氏は、純粋持株会社を維持したい自らと、事業会社への移行を求める瀬戸氏との経営方針の違いが最後まで埋まらなかった[47]と交代の理由を語った。藤森義明氏に続く2度目の外部社長の事実上の解任であり、現場を熟知しないプロ経営者が短期で退場を繰り返す経営の混乱に、社内外から懸念の声が上がった。

交代の経緯の不透明さが、機関投資家の反発を招いた。2019年3月20日、英マラソン・アセット・マネジメントなどの機関投資家は、潮田洋一郎会長兼CEOと山梨広一最高執行責任者の解任を求め、臨時株主総会の招集を請求した[48]。大手企業のトップが株主から退場を迫られるのは異例だった。旧INAX創業家出身の伊奈啓一郎取締役ら社内取締役の一部も、この動きに賛同を示した[49]。会社側が公表した弁護士による調査では、潮田氏が指名委員会に対し瀬戸氏に辞任の意向があるように説明していた経緯などが認定された。

退任したはずの瀬戸欣哉氏も反撃に転じた。2019年4月、現役の取締役だった瀬戸氏は自らを含む8人の取締役選任を求める株主提案を公表し[50]、経営陣の刷新を訴えた。潮田洋一郎氏は同年5月に取締役を辞任し、6月の定時株主総会後に会長兼CEOも退くと表明した。6月25日の株主総会では、瀬戸氏側が提案した取締役候補8人が全員選任され、会社側候補の一部が否決される異例の結果となった。瀬戸氏は最高経営責任者へ復帰し[51]、創業家と外部経営者の8カ月に及ぶ経営権の攻防は、瀬戸氏側の勝利で決着した。日本を代表する大企業で、株主提案により経営陣の主要な交代が実現する前例の乏しい幕切れとなった。

事業会社LIXILへの再編とノンコア事業の売却

経営権の攻防を制した瀬戸欣哉体制は、複雑な企業構造の整理へ動いた。2020年12月、LIXILグループは連結子会社であった事業会社の株式会社LIXILを吸収合併し、商号を株式会社LIXILへ改めて、純粋持株会社から事業会社へ移行した[52]。持株会社と事業会社に分かれていた形を一つにまとめ、意思決定を速める狙いだった。この前後には非中核の事業整理を相次いで進め、2020年9月にイタリアのペルマスティリーザを、同年11月に子会社の株式会社LIXILビバを、それぞれ売却した[53]。世界化の過程で抱えた事業を絞り込み、収益の柱を明確にする再編が進んだ。

事業の絞り込みは業績の底上げにつながった。IFRSベースの営業利益は2021年3月期に358億円、2022年3月期には695億円へ改善し、親会社株主に帰属する当期純利益も2022年3月期に486億円へ回復した。瀬戸欣哉氏は、投下資本利益率を重んじる経営や、存在意義を明文化した行動規範を掲げ、事業の選別と資本効率の改善を進めた。売上高では、住宅の水回りを担うウォーターテクノロジー事業と、サッシや外装を担うハウジングテクノロジー事業が二本柱となり、国内外の需要変動を受けながらも収益基盤を支えた。

水まわりとタイル事業への集中と資本効率の重視

近年のLIXILは、水まわりとタイルの事業への集中を強めている。プレミアムブランドのグローエと国内のINAXを核に、高付加価値の水回り製品でグローバル市場を狙う一方、不採算の海外拠点は整理を続けた。2025年には欧州の衛生陶器製造拠点の閉鎖を決め、段階的な生産移管を進めた[54]。原材料価格の高騰や中国市場の低迷、米国の住宅需要の変動といった逆風を受けながら、事業ポートフォリオの最適化と政策保有株の縮減を掲げ、資本コストを意識した経営への転換を進めた。国内では水回りとサッシ、海外ではグローエを主力に据え、規模を追う成長から収益性を重んじる経営へと比重を移した。

事業の集中と海外再編を経ても、LIXILの規模は住宅設備の国内首位を保っている。連結売上高は2025年3月期に1兆5047億円、営業利益は297億円で、水回りとサッシを中心とした事業構成に落ち着いた。海外売上と国内需要の双方を取り込む体制のもとで、利益水準の回復を進めている。従業員は連結で約4万9000人を数え、国内外に生産と販売の網を広げる。建具問屋から出発してアルミサッシで業界首位に立ち、統合と買収で世界へ広がったLIXILは、経営権の動乱を経て、水まわりを軸とする住宅設備の総合企業として次の成長を模索している。