創業地兵庫県尼崎市
創業年1937
上場年1962
創業者長谷川武彦
1937年〜 地方工務店からマンション専業ゼネコンへ
1937 長谷川武彦が長谷川工務店を個人創業
1946 株式会社長谷川工務店を設立
1950 鉄筋コンクリート造の芦屋打出荘アパートを受注
1968 自社マンション第1号を着工しマンション事業に参入
1973 ハワイに現地法人を設立し海外進出
1981 首都圏マンションシェアが約20%に到達
1959年3月期 単体
売上高 5億円
1984年3月期 単体
売上高 1,934億円
純利益 50億円
純利益率 2.6%

1937年、長谷川武彦は兵庫県尼崎市で長谷川工務店を個人創業し、木造請負から事業を始めた。1950年に伊藤忠商事から受注した芦屋打出荘アパートで鉄筋コンクリート造の技術を蓄え、これが後のマンション事業の基盤となった。1968年に三井信託銀行と組んで自社マンション第1号を着工し、翌年の日商岩井との業務提携で、商社の用地情報をもとに特命で受注する営業モデルを固めた。1981年には首都圏のマンション施工シェアが約20%に達し、売上高はFY1970の110億円からFY1983の2,684億円へと約24倍に拡大する。だが市場の成熟を受けて1985年以降は1,000億円規模のホテル・リゾート投資で多角化に走り、1988年に商号を長谷工コーポレーションへ改めた

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1989年〜 株価13円からの再建とマンション専業への回帰
1989 ハセックを設立
1991 長谷工システムズを設立
1992 不二建設を設立
1994 関西支社を大阪市中央区に移転
1999 嵩聰久が第4代社長に就任
2005 岩尾崇が第5代社長に就任
1992年3月期 連結
売上高 5,627億円
純利益 54億円
純利益率 1.0%
2009年3月期 連結
売上高 5,055億円
純利益 -76億円
純利益率 -1.5%

バブル崩壊は多角化に傾いた長谷工を直撃した。有利子負債はピーク時に1兆3,000億円へ膨張し、株価は1999年に13円の史上最安値をつけた。再建を決めたのは合田耕平社長で、1996年3月期に不動産含み損を含む1,850億円の特別損失を一括計上し、翌期に黒字へ転じた。34の金融機関への債務免除と2002年の優先株発行による債務の株式化を経て、自己資本比率は2001年度のマイナス22.1%を底にプラスへ転じた。バブル期に広げたホテルや商業施設から撤退してマンション専業へ回帰し、土地を自ら仕入れてデベロッパーに持ち込み特命で受注する営業モデルを磨いた結果、特命受注比率は2003年3月期に85%へ高まった

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2010年〜 経常利益1,000億円の到達とその構造
2010 大栗育夫が第6代社長に就任
2013 生活科学運営を子会社化
2014 辻範明が第7代社長に就任
2015 ジョイント・コーポレーションを子会社化
2015 総合地所を子会社化
2018 連結経常利益1,000億円を初めて達成
2010年3月期 連結
売上高 4,204億円
純利益 58億円
純利益率 1.4%
2022年3月期 連結
売上高 9,097億円
純利益 545億円
純利益率 6.0%

2014年に就任した辻範明社長のもとで、再建期に固めた特命受注モデルは、都心の用地が希少になるほど競争優位が強まる構造を見せた。用地を持ち込み設計から施工まで一貫で担えるゼネコンは事実上長谷工に限られ、2018年3月期に連結経常利益は1,005億円へ達した。マンション専業ゼネコンが経常利益1,000億円を超えたのは業界初である。辻社長は売上目標を掲げない方針を貫き、2023年3月期に連結売上高は初めて1兆円を超えた。2020年に就任した池上一夫社長はマンション専業であることが大きいと述べ、競合がマンション施工から退くほど発注が長谷工へ集まる非対称な構造を強みに、首都圏分譲マンション施工シェアは2017年に34.5%へ拡大した。

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決断の理由 — クリティカルな歴史の転換点を読み解く

Q なぜ1950年のRC造受注が長谷工の事業DNAになったのか
A 木造請負の地方業者が全国市場へ出る手段を欠いていたからである。1950年に伊藤忠商事から鉄筋コンクリート造の芦屋打出荘アパートを請けたことで、当時扱える業者が乏しかった耐火構造の技術と設備を短期に整えた。用地と顧客を握る商社が仕事を運び、長谷工が施工で応える分業がここで成り立つ。自ら客を取りに歩かず外から持ち込まれる仕事を引き受け、競争入札の場に出ずに稼ぐという同社の原型が、この一件で定まった。後年のマンション特命受注も、この受け身の事業形が源流である。
Q なぜ1996年3月期に1,850億円もの特別損失を一度に出したのか
A 損失を毎年小出しにすれば信用回復が長引き、マンション販売と建築受注に響くと合田耕平社長が判断したからである。1985年以降の「脱マンション」多角化はバブル崩壊で不動産含み損1,600億円・有利子負債1兆3,000億円・株価13円を招いた。合田氏は「毎年赤字を出し続けるのは精神衛生上よくない。一回ドカンと出して翌年から黒字にした方がいい」として、1996年3月期に1,850億円の特別損失を一括計上した。先送りが常だった当時の日本企業のなかで、短期決着こそが受注産業の再建速度を決めると見た選択である。
Q なぜ2010年代以降ストック事業と不動産へ収益源を広げたのか
A マンション新築の特命受注一本では、バブル期の含み損で経営を危うくした記憶が消えないからである。1996年3月期の一括処理を経た長谷工は、累計施工戸数の積み上がりを管理・修繕の需要に変える構造に着目した。1978年設立の長谷工コミュニティを核に管理を広げ、2015年に総合地所などを子会社化して開発を内製化、2022年には私募REITで賃貸運用まで一気通貫を整えた。FY24には不動産・サービスの利益合計421億円が建設535億円に迫り、単一の主戦場に複数の収益柱を育てる成長モデルへ移した

出典・参考文献

歴史概要

  • 長谷工コーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [1] 1937年に長谷川武彦が兵庫県尼崎市で長谷川工務店を個人創業した
    • [4] 1988年に商号を長谷川工務店から長谷工コーポレーションへ変更した
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [2] 1981年に首都圏のマンション施工シェアが約20%に達した
  • 日経ビジネス 1989年8月14日号
    • [3] ホテル・リゾート事業に1,000億円規模の投資計画が策定された
  • 日経ビジネス 1995年11月13日号
    • [5] 1996年3月期に1,850億円の特別損失を一括計上した
    • [6] 1996年3月期の再建を決めた社長は合田耕平だった
    • [8] 特命受注比率は2003年3月期に85%へ高まった
  • 長谷工コーポレーション 有価証券報告書
    • [7] 自己資本比率は2001年度のマイナス22.1%を底にプラスへ転じた
    • [10] 2018年3月期に連結経常利益が1,005億円に達した
    • [11] 2023年3月期に連結売上高が初めて1兆円を超えた
  • 長谷工コーポレーション 有価証券報告書(役員の状況)
    • [9] 辻範明は2014年に社長へ就任した
    • [12] 池上一夫は2020年に社長へ就任した

決断の理由

  • 長谷工コーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [1] 1950年に伊藤忠商事からRC造の芦屋打出荘アパートを受注し、全国業者への脱皮の契機となった
    • [2] 用地と顧客を握る商社が仕事を運び長谷工が施工で応える分業が成り立ち、競争入札を避けて稼ぐ事業の型が確立した
    • [5] 1978年設立の長谷工コミュニティを核に管理事業を広げた
  • 長谷工コーポレーション 公式IR
    • [3] バブル崩壊で不動産含み損1,600億円・有利子負債1兆3,000億円・株価13円まで追い込まれた
  • 日経ビジネス 1995年11月13日号
    • [4] 合田耕平社長は損失を一括計上して翌年黒字化する判断を語った
  • 長谷工コーポレーション 有価証券報告書(セグメント情報)
    • [6] FY24のセグメント利益は不動産240億円・サービス181億円の合計421億円が建設535億円に迫った

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