歴史概要 — 現在に至るあゆみ 主要な意思決定と帰結のまとめ
創業1998年、玉木康裕氏が48歳で福岡県筑後市にタマホームを創業した。木造2階建ての注文住宅をパッケージ化して設計工数と材料調達を圧縮して価格を下げたが、それを支えたのは販売の仕組みである。九州を中心としたロードサイドの小型展示場とテレビCMで郊外の一次取得層を呼び込み、標準化した商品をその場でさばく。集客と量産を一体で回し、低価格で売る「家のユニクロ化(創業者談)」を福岡の地場から立ち上げた。
決断2013年に東証一部へ直接上場した直後、低価格中心の事業構造の前提が崩れた。消費税率8%への引き上げで一次取得層の購買意欲が鈍り、「安さ」がむしろ購入判断を遅らせて、FY14・FY15と2期連続の純損失に陥った。価格の安さだけでは市場の変化に耐えられないと判じ、ZEH対応や上位グレードを加えて価格帯と性能帯を組み合わせた商品へ広げたが、上場前のような売上成長を実現できなかった。
決断の理由 — クリティカルな歴史の転換点を読み解く
- Q なぜ1998年に玉木康裕氏は「家のユニクロ化」を福岡の地場で立ち上げたのか
- A 低価格の量産注文住宅を選んだのは、家業で痛感した日米の住宅価格差を埋める手段だったからである。玉木康裕氏は、1992年には家業の筑後興産でローコスト住宅を開発し、注文住宅の相場が坪単価50万円以上だった時代に半額の25万円で販売を始めた。この6年間の事業を母体に、1998年6月、玉木康裕氏が48歳で福岡県筑後市にタマホーム株式会社を設立した。木造2階建てをパッケージ化して設計工数と材料調達を圧縮し、ロードサイドの小型展示場とテレビCMで郊外の一次取得層を集める仕組みを地場から組み上げた。
- Q なぜ2014年の消費増税後にタマホームは低価格一本足の商品戦略を変えたのか
- A 「安さ」が増税後はかえって購買決断を鈍らせ、低価格だけでは市場変化に耐えられないと判じたからである。2014年4月の消費税率8%引き上げで、FY14(2015年5月期)の連結売上高は1,495億円、純損失64億円と、上場後初の赤字決算となった。続くFY15(2016年5月期)も売上1,383億円、純損失44億円と2期連続の純損失に陥り、出店ピーク期に重ねた固定費の重さが収益を圧迫した。そこで2014年10月に上位グレード「大安心の家 PREMIUM」を投入し、商品単価の引き上げを始めた。
- Q なぜ2024年に売上が急減してもタマホームは断熱性能と一棟あたり単価を引き上げ続けたのか
- A 安く量で売るだけでは需要を取り戻せず、価格そのものより金利込み・省エネ込みの総コストで選ばれる必要が出たからである。日本銀行のマイナス金利解除(2024年3月)に伴う住宅ローン金利上昇と新設住宅着工戸数の縮小で一次取得層の購買余力が下がり、FY24(2025年5月期)は2,008億円と前期比18.9%減・営業利益41億円(前期比67.3%減)と、コロナ前のFY18水準まで売上が後退した。これに対し2022年5月に「断熱等性能等級5」対応商品の販売を開始し、ZEH水準を標準仕様へ組み込んで一棟あたりの単価と性能を引き上げた。
歴史詳細 - 3つの時代区分で読み解く
1998年〜2013年 アメリカで見た価格差から始まった「家のユニクロ化」15年
「日本の住宅は高すぎる」──筑後興産ローコスト住宅部門の分離独立
1998年6月、玉木康裕氏が48歳で福岡県筑後市にタマホーム株式会社を設立した[1][2][3]。前職は地場の建設業・筑後興産株式会社の専務取締役である[4]。原点は1980年、30歳で米国の大学に聴講生として渡り建築事情を学んだ経験にあり、坪単価30万円程度でハイグレードな住宅が建つ現地と日本との価格差に衝撃を受けた[5][6]。1992年には家業の筑後興産でローコスト住宅を開発し、注文住宅の相場が坪単価50万円以上だった時代に半額の25万円で販売を始めた[7][8]。1998年の設立はこの部門を家業から分離独立させた[9]。創業時の社員は数名、資本金1000万円の小規模な出発だが、ゼロからの起業ではなく、6年間のローコスト住宅事業を母体とするスピンオフであった[10]。
設立翌年の2000年1月1日、筑後市久富にモデルハウス1号店を開設し、本格的な販売活動を始めた[11]。価格は設立当初、坪単価24.8万円に設定した。原価を積み上げて値付けするのではなく、顧客が納得する価格を先に置く発想で、衣料品のユニクロと同じく低価格と高品質を両立させた住宅の量販を当初から事業観に掲げた。木造2階建ての注文住宅をパッケージ化して設計工数と材料調達コストを引き下げ、ロードサイドの小型展示場を量販装置として使う販売モデルをつくり、創業3期目の2002年10月には本社を福岡県福岡市博多区に移した[12]。売上高は2001年5月期の19億円から2004年5月期の226億円へ3期連続で前期比2倍超のペースで拡大し、展示場ビジネスの基本パターンが創業4年目までに固まった[13]。
大学卒業後、家業の建築業に従事していた私が、アメリカの大学で聴講生として建築事情を学んだのは1980年のことでした。当時のアメリカの住宅は坪単価30万円程度にもかかわらずハイグレード。日本との価格差に大きな衝撃を受け「日本にもローコスト住宅と豊かな暮らしを実現させたい」という強い信念が芽生えたのです。 その後1992年にローコスト住宅を開発し、日本の注文住宅は坪単価50万円以上が相場の時代、半額の25万円で販売を開始。1998年には、当部門を家業より分離独立させ、タマホーム(株)を設立。企業理念には「家づくり、家族づくり、幸せづくりのお手伝い」を掲げたのです。
筑後市にモデルハウスの1号店がオープンしたのは2000年1月1日のこと。みぞれという悪天候でしたが、多くのお客様にお越しいただき、感激で涙したことを今でも覚えています。
大阪・東京本社の二段ロケット──九州発の全国網完成
2003年9月の福山支店開設を起点に、関西(2004年5月加古川支店)・東海(2005年3月豊橋支店)・関東(2005年11月横浜平沼支店)と西から東へ出店網を広げた[14][15][16][17]。2004年6月には大阪府大阪市中央区に大阪本社を、2005年6月には東京都港区に本社を開設し、九州・関西・首都圏の三本社体制をつくった[18][19]。低価格訴求の量産注文住宅は地方郊外を中心に支持を集め、創業7年の2005年11月に50店を達成した[20]。売上高(連結)も2005年5月期の463億円から2006年5月期には809億円へ拡大し、玉木氏は当時の公式サイトで「東京に本社を移転し、グループ売上高800億円を達成」と掲げた[21]。九州の地場ハウスメーカーから首都圏まで店舗網を持つ全国企業への移行が、創業7年で完了した。
2006年以降の出店ペースは速く、2006年12月に100店、2008年10月に150店、2011年3月に200店と続き、売上高(連結)も2007年5月期1,290億円、2008年5月期1,679億円と拡大した[22][23][24][25]。2008年11月には北海道地区への初出店となる札幌西店を開設し、2011年1月にはタマホーム沖縄が新都心展示場を開設して47都道府県への出店を完了した[26][27]。創業から13年で全国全都道府県に展示場を構える企業となり、地方分散した店舗網を、商品の標準化と本社一括での原価管理で支える経営モデルが定着した[28]。急拡大下の品質維持では職人教育を柱に据え、建築現場に職人の名前を掲示する運用を敷いた。玉木氏は2007年に成長の要因を「商売の原則を貫いたこと、そして地道な職人教育」と説明している。
47都道府県完成と東証一部直接上場、創業15年で売上1,500億円
2009年6月に長期優良住宅対応の主力商品「New大安心の家」を投入し、商品仕様を国の住宅性能表示基準に合わせた高品質化に踏み込んだ[29]。リーマン後の市況縮小で単体売上高は2009年5月期の1,817億円から2010年5月期に1,537億円へ後退しており、2009年10月には低価格訴求商品「元気の家」を投入して縮小マーケットに対応し、2010年11月には都市部向け3階建商品「New木望の家」を販売開始した[30][31][32]。郊外型量産モデルの一本足から、都市・低価格・主力の3本立てへとプロダクトラインを広げた。2012年3月には583区画の分譲プロジェクト「タマスマートタウン茨木」の販売を開始し、注文住宅から分譲開発への染み出しも始めた[33]。
2013年3月、創業15年目で東京証券取引所第一部および福岡証券取引所本則市場へ株式上場を果たした[34]。当時の住宅業界において、創業から15年の若い企業が二部・マザーズを経ずに直接東証一部上場を達成した例は珍しく、創業者・玉木康裕氏が個人で発行済株式の36.23%を保有する同族支配構造のまま公開企業となった[35]。上場時のFY11(2012年5月期)の連結売上高は1,696億円、FY12(2013年5月期)は1,523億円で、年商1,500億円規模で公開市場へ移行した[36]。同年4月には公募増資を実施して資本金を43億1,014万円へ引き上げ、上場と同時に資本基盤の拡充も果たした[37]。
2014年〜2018年 上場直後の消費増税2期連続赤字と長男・伸弥氏への世代承継
2014年消費増税と低価格訴求の崩壊──2期連続純損失
上場後のFY13(2014年5月期)は消費増税前の駆け込み需要を取り込み、連結売上高は1,695億円へ持ち直した[38]。だが2014年4月の消費税率8%への引き上げ以降、住宅市場の反動減が業績を直撃した。FY14(2015年5月期)の連結売上高は1,495億円、純損失64億円と、上場後初の赤字決算となった[39]。続くFY15(2016年5月期)も売上1,383億円、純損失44億円と2期連続の純損失に陥り、出店ピーク期に重ねた固定費の重さが収益を圧迫した[40]。
赤字の主因は二つあった。第一に、低価格訴求の主力商品が消費増税後の購買意欲低下に弱かった。「日本の住宅は高すぎる」という創業の問題意識から生まれた価格モデルは、税負担増による可処分所得の圧縮局面では、むしろ顧客の購買決断を鈍化させた。第二に、創業期から続けた出店拡大の慣性で、200店超の店舗網を抱えた状態で売上が縮小し、固定費負担が重く乗った。創業者・玉木康裕氏のローコスト一本足モデルは、上場後の市場環境変化に対する耐性に欠けていた。年商1,500億円規模の上場ハウスメーカーが、増税のショックで2期連続赤字に転じた事例として、業界内でも注目を集めた。
玉木伸弥COOから副社長へ──広告宣伝出身の長男が回した経営改革委員会
赤字対応のため2014年7月、創業者の長男・玉木伸弥氏(当時35歳)が代表取締役副社長兼COOに就任した[41]。1978年生まれの伸弥氏は2001年6月にタマホーム入社後、広告宣伝部長・わくわくドキドキ本部長・取締役副社長等を歴任した生え抜きで、2014年2月の取締役副社長就任時に「経営改革委員会担当」を兼務していた[42]。同年8月にはCOOに営業本部長を兼務させ、現場販売の指揮権を集中させる体制をとった。創業者・玉木康裕氏は代表取締役社長を継続したが、実務の重心は次世代へ移り、創業者期の出店拡大路線から赤字克服のための商品・店舗整理路線への切り替えが、次世代COO期に始まった。
経営改革は、商品単価引き上げと不採算店舗の整理を両軸に据えた。2014年10月に主力商品「大安心の家」の外観意匠を向上させた上位グレード「大安心の家 PREMIUM」を投入し、商品単価の引き上げを始めた[43]。2015年10月には創業期に開設した伊那店を閉鎖するなど、出店ピーク期の店舗網を選別する整理にも踏み込んだ。FY16(2017年5月期)には売上が1,570億円へ回復し、純利益も9億円の黒字へ転換した[44]。広告宣伝畑で育った伸弥氏のもと、ブランディングと商品ライン再構築を通じた回復が始まった。創業者主導の量産モデルから、第二世代主導のブランド・単価戦略への転換点となった。
商品ライン再構築と「大安心の家 PREMIUM」──単価引き上げの起点
2016年4月にはネット・ゼロ・エネルギー・ハウス(ZEH)対応の新商品「大安心の家 ZERO」を投入し、住宅性能基準の上昇トレンドに先んじて対応した[45]。同年9月には「木望の家」の価格抑制版「木望の家 グッド」、10月には3階建ZEH対応の「木麗な家 ZEH」を順次投入し、商品ラインの厚みを増した[46]。2017年1月には500棟限定の企画商品「シフクノいえ」を販売するなど、ニッチ訴求の限定商品にも取り組んだ[47]。低価格訴求一本足から、価格帯と性能帯を組み合わせた多軸の商品戦略へと方針を変えた。
商品ライン再構築の効果はFY17(2018年5月期)に顕在化した。連結売上高は1,679億円、純利益20億円と回復軌道が固まった[48]。創業者・玉木康裕氏が代表取締役社長を譲ったのは2018年8月で、経営改革委員会担当として4年間体制刷新を主導した長男・伸弥氏が代表取締役社長に昇格した[49]。同月、康裕氏は代表取締役会長に転じ、形式的にも世代交代が完了した[50]。創業から20年、上場から5年での同族第二世代承継であり、創業者個人の問題意識を出発点とした第一期から、生え抜き第二世代が経営する第二期への切り替えとなった[51]。
2019年〜2025年 コロナ住宅特需の売上ピーク2,560億円から急減への分岐
玉木伸弥社長就任とTAMAX移管──同族第二世代体制の確立
2018年8月の社長就任時、玉木伸弥氏は公式メッセージで「創業20年目を迎えた2018年、私は社長に就任いたしました。これまでタマホームが大切にしてきた家づくりに対する想いや努力を受け継ぎながら、さらなる成長に向けてチャレンジをしてまいります」と表明した(タマホーム公式 トップメッセージ)。「『家づくりは家庭づくり』というのは創業者である会長の口癖でしたが」とも述べ、創業者の理念継承を明示した。創業者個人の問題意識から、創業家ファミリーの理念へと表現の重心が移った点が、第二世代体制の特徴である。
社長交代と並行して、創業家の保有株式構造も再編した。FY12時点で玉木康裕氏が個人で発行済株式の36.23%を保有していた持分は、創業家持株会社・株式会社TAMAX経由の保有形態へ移管された[52][53]。FY24(2025年5月期)時点ではTAMAXが39.29%の筆頭株主となり、玉木家4名(康裕・和惠・伸弥・克弥)は各3.0%(871,700株)の同数を直接保有する形に整理した[54][55]。資産承継の意図的な均等配分により、同族支配構造を第二世代でも維持した。創業者個人持分が3割超→3%へ縮減する一方で、TAMAX経由を含めた創業家計が51.29%と過半を握る集中型構造は変わらない[56]。
コロナ巣ごもり需要のピーク2,560億円とZEH対応の標準化
玉木伸弥社長の在任中に連結売上高は拡大した。FY18(2019年5月期)1,868億円、FY19(2020年5月期)2,092億円、FY20(2021年5月期)2,180億円と過去最高を更新し、コロナ巣ごもり需要が押し上げる形でFY21(2022年5月期)2,407億円、FY22(2023年5月期)2,560億円とピークを記録した[57]。営業利益はFY18の73億円からFY22の132億円へ約1.8倍に拡大し、上場後最高水準の収益力に達した[58]。第二世代承継から4期で売上1.4倍・営業利益1.8倍を実現し、創業者期の急成長と異なる質の拡大局面に入った。
商品面でも環境性能対応を更新した。2021年3月に高断熱仕様の新商品「大地の家」を販売開始し、2022年5月には最上位等級「断熱等性能等級5」対応商品の販売を開始してZEH水準を商品標準仕様に組み込んだ[59][60]。2023年4月には高耐候・高耐久・高断熱・高気密・省エネルギー仕様の新商品「笑顔の家」を投入し、主力商品ラインを次世代仕様で再編した[61]。同年「ハウス・オブ・ザ・イヤー・イン・エナジー2023」で9年連続の優秀賞を受賞するなど、省エネ住宅領域での評価を継続的に獲得した[62]。2022年4月には東証の市場区分見直しに伴いプライム市場へ移行し、東証最上位市場での公開企業の地位を維持した[63]。
FY24売上2,008億円急減──金利上昇と住宅市場縮小に直面
FY23(2024年5月期)の連結売上高は2,477億円とピーク比3.2%減の踊り場入りを示し、FY24(2025年5月期)は2,008億円と前期比18.9%減・営業利益41億円(前期比67.3%減)と、コロナ前のFY18水準まで売上が後退した[64][65]。背景には日本銀行のマイナス金利解除(2024年3月)に伴う住宅ローン金利上昇と、新設住宅着工戸数の縮小がある[66]。低価格訴求モデルがコロナ特需局面では競争力を発揮した一方で、金利上昇局面では一次取得層の購買余力低下を直接受ける構造的な脆弱性が露呈した。
直近の事業環境変化は、創業者・玉木康裕氏が1998年に掲げた「日本の住宅は高すぎる」という問題意識を、住宅価格そのものから総コスト(金利込み・エネルギー込み)へ広げる必要を示している。FY24時点で同族第二世代体制が完成し、TAMAX経由を含めて創業家が発行済株式の51.29%を保有する集中型資本構造を維持するなか、ローコスト住宅モデルの次の更新をどう描くかが、玉木伸弥社長の次の問いである。創業者期の「価格を下げる」、世代承継期の「単価と性能を上げる」に続く、金利時代の戦略軸が焦点となる局面に立つ。